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源氏物語論: 女三宮の降嫁をめぐって
Title Author(s) Citation Issue Date 源氏物語論 : 女三宮の降嫁をめぐって 大朝, 雄二 北海道大学人文科学論集, 10: 3-66 1973-12-10 DOI Doc URL http://hdl.handle.net/2115/34306 Right Type bulletin Additional Information File Information 10_P1-66.pdf Instructions for use Hokkaido University Collection of Scholarly and Academic Papers : HUSCAP 盟問 の降援をめぐっ で全く話題にのぼっていなかっ 宮が新しく議場し、ムハ条践の しかも、これ以後に して春の縄殿 与謝野晶子女史が詩人的薩観で若菜巻以降は紫式 でが原初議惑を核に の深部においてい子龍野女史の ったと言えよう。しかし、与欝野女史は﹁若菜上 のであったのが、その の論は、 る物語世界が問題にされているのは注意してよいと思われる。 になって花開いた成立論およ 若葉巻で 演する研究史を毅一かに跡づ山りることは省略に従わざるをえない ないと説い 論争とし して複雑な成立過糧を含むものと把醸して一一 雄 して古物議約説約の下に 後第の作者がその書き始めだけに、 しばらく未熟なの の一一一部構想畿にあっては第一 いう指摘に数発されるもの 下の文章は前穏に詑べてにわかに完慢の跡いちじるしいの 直観し 大 論 と大きく変っていることについて、これま 入ることになる。この女一一 に至ってこ 物 しているのである﹂と論じられていたのに対し、 3 氏 あるめでたじめでたしで大諮問た迎える物語世界と児、第二部がそれを質的に超克する込のと理解するのであって、 で 諒 人文科学論集 同じ若菜巻以前と以後の違いを問題にするにしても、与謝野女史と現在の通説とでは正反対な評価がなされているの である o 若菜巻以下がそれまでの物語世界にくらべて雰囲気が違っていることを直観された与謝野女史の提言は、た しかに鋭いものがあったと言うべきではあろうが、それが直ちに作者が別であるということに短絡されるものでない いわゆる玉霊系十六帖が一括して後記補入されたものと考 一往、留保されるべきもので ことは多言を要しまい。と同様に、若菜巻でもって物語世界が裁然と質的に分断されるという解釈、 つまり、第一部 o成立論議そのものにしても、 の物語が古物語的世界として第二部にくらべて一段価値の低いものという判断もまた、 はあるまいかと私は考える えるのには、 いまだ多くの問題をかかえていると言わなければならないのである。 その場合、与謝野女史が別人の筆と直観し、第二部が質的に第一部を超える世界と認定させる要素、すなわち、若 菜巻で全く新Lく女三宮が語り出されるという事実は事実として無視も軽視もできない。小論では女三宮の降嫁をめ ぐって、藤一実業巻で完了したかに見紛う物語世界を抜け出して、そこに女三宮を投入するということが作者のいかな る一営みであったかを考究し、女三宮の登場をめぐって鮮明になっていると思われる源氏物語の独特な長篇構造を考察 したいのである。 先の機会に私は、源氏物語の時間的秩序を考え、源氏物語研究で年立の論が成り立つのは、物語内部に年立を成り 注2 立たせる要因が先在しているからであり、源氏物語が長篇物語であるのは、外でもなくそのような年立を成り立たせ る要因を物語内部一に持つ語り口によってであると考えたのであった。それは、 ﹁年もかへりぬ﹂ といった記述でもっ て、物語内に流れる歳月を綿密に写し出してくる手法に認められるものであった。しかも、そのように継続し累積す る歳月の相は、桐壷巻から幻巻まで均質に認められる現象なのではなく、 おおよそに言って次のような特徴を備えて 4 源氏物語論 いるものである o 葵巻弘前では年米年姶のげじめ合明記する記述が少く、末構詑・ にあって誌、 いくつかの鍔外を除いて、 られているのみであること。 ら柏木巻までの れていること。 ﹂とは、 て 一 語 へりぬ﹂のような明示がなさ の二結に一足つ る歳月が識さ出されているという現象は、主 葵巻から松木 ら柏木義までに限定されて ら、年立の論として源氏の年令合雄禁ずる作業が有効性会一持ちうるの の初期と終末部分は年立的秩序が稀薄であると震わなければならないので るべき素材が先在していて、 のものにある。 ねがあるゆえと の人物の えよう 構造がある の物語の品開間後に、 孤立的短策的な物諮鎮山内、が認められるということに外ならな は強告を翻さなければならない。 していることにこそ、 の時間同であろうという想像は比較的容易であ の欝くべき予ア予ティの本体、があったと言えるのではある ともかく、光源民という翠想人物を作り出し、その虚構世界があたかも白話的時間とで むように、 L、 の事実に掠りかかって継続し の論が研究史の重要な領域安占めているのは、 右に指摘し その詳纏にわた っ、 い G ここに塑氏物語が無限熔の長篇物語ではなく、 か れるのである ともあれ、古来、 て 年立の成り立つ ある。このことは源氏若年の物語と晩年の物語が、それぞれ孤立的な挿話で構成されていることと対応するものであ でに限られるのであり、光源長 いるということである。 ここではっ 柏木巻を最後として、横笛以降では年末年始会継続的に提える諮り口、が姿を消すこと。 お お が、問題は作り物諮にあってこのような継続する時間が描き出されているとい 伝記のように、或い であるとい い得るよ まいか。光源誌の物語に蒸れる鶏積ずる義足が、光源民にかかわ 5 む ね 1 2 3 ち 人文科学論集 る。作り物語が継続した歳月を持っているという現象は、驚くべきことで、あるのだが、事実として認められるもので ある以上、それは傑出した理想者として描かれる源氏世界にかかわるものであると考えざるをえないものだからであ る。いまそれを物語そのもので検するならば、源氏を中心にした物語場面では時の経過は具体的な月日の指示で記さ れるのを基本としているのに対して、源氏が直接表面に出ない挿話場面では、無時間的平板な語り口になっていると 一 円1 1 1 いう現象が指摘できるのである。源氏世界の基本的な語り口を任意の巻によって示すならば次の通りである。(テキス トは日本古典全書本による) 1 1 人聞きなさけなくやと思し起して野の宮に参り給ふ。九月七日ばかりなれば、二の白山 0 。十六日桂川にて御蹴へし給ふ。二の初判 院の御なやみ、十月になりては、二の旬以 0 二の π 。御四十九日までは、女御御息所たち:::みな院につどひ給へりつるを:::十二月廿日なれば、二の花山 年かへりぬれど世の中今めかしきことなくて静かなり 0 l π山 。御匝笥殿は二月に尚侍になり給ひぬ。二の 1 1 1 人わろくつれづれに思さるれば、秋の野も見給ひがてら、雲林院に、二の mml 0 1 。廿日の月ゃうやうさし出でて、二の的行 。初時雨いつしかと気色だつに、二の 弘 m 。十一月の朔日ごろ、御国忌なるに、二の関山 十二月十余日ばかり、中宮の御八講、二の仰向 0 1 年もかはりぬれば、内裏わたり花やかに内宴、踏歌など聞き給ふ。二の唆 0 司召の頃、この宮の人は、二の剛山 0 6 綴氏物語論大戦 などの 一一の制肉 一の郡 1 ﹀ば d? ており、その附慨に﹁初時 いっぱいの月日の経過が欠落しているのは、 丁度この隠 は﹁いかなる折にかありけむ、あきましうて近 れている。これは決して賢木巻 ﹂れは事の性質上、 議罰的に瀧化されたもの ほほ正確に 嬬蓋巻な除くすべての源氏伎界に共通する現象である。たとえばタ頚巻ならば、 の月日の て語られている密接である。 が諾られ、 ページ余り、期間にして春か よって補完される務になっている。ただ、右の引用保でけ咋コ一月﹂ 帖の歳時でるるが、月日の経還はおおむね持月持日と具体的な数字で の一約むどかに降り いれは賢木巻 一約﹂とか から的抑制 t﹁秋の協同﹂まで に諜時が激情を抑えかねて藤壷に へり﹂(続行﹀と、殊更におぼめか P記述態度では と考えられるものであるが九その他の場面は にの 。八月十五夜鶴な会見影 一の例行 ο秩にもなりぬ ο ⋮の抑制? 。十七日の立さし出でて dwムジ は足か に出ているのに対して、夕顔巻は単年であっ の場合と変らない。ただ、 一の仰の州ー 。九月一 十日の程にぞおこたり果て給ひて の介、十円刀の諮自の頃下る ら物語世界 とあって、月日の指示が努壊なの って、 おの に含まれる期聞が小さいと い一短譲治結構になっているものである。夕顔巻のように、前後に接する巻々が連続していないという点 諜足以 が、若紫巻をも含めて源氏物語の始発部分の短篇的性格のになる所であり、そのやでも特に若紫巻が末摘花紅諜 の一一結とからみ会う特殊な構造については、であるが溺績に譲らざるをえない。 夕顔巻のような短篇的な巻にあっても尭自のれるのに、諒氏が斑機物語の表面に 7 の の 。 O 人文科学論集 外の人物で構成される局面では、右に見たような日付けを追って記されるという語り口はほとんど認められないので ある。たとえば、蓬生巻の構成は前半が末摘花の貧窮の募っていく有様が細叙され、後半部に源氏に見出されて二条 東院への収容が約束されるというように、哉然と二分することができるのであるが、源氏が姿を現わさない前半部で は、何月何日というような記述は全くなされていない。そこでは無時間的に把握される一般化された印象の叙述が行 われているが、それは継続する場面の一駒として扱われてはいない事柄中心の短篇的手法と言えよう。そして、末摘 nL・ 花の叔母大弐北の方の継子いじめ的な振舞いが語られたところで、 ﹁さる程に、 げに世の中にゆるされ給ひて、都に 帰り給ふと、天の下のよろこびにて立ち騒ぐ﹂(仰やっ)と、源氏の帰京のことが語られて、物語は明石巻末の記事に 重ねられていく。源氏が帰京したにもかかわらず思い出して貰えない末摘花のより一層の苦境が語られ、絶体絶命の どん底に落ちた段階で、 いとどもの騒がしき御有様にて、 いとやむごとなく思されぬ折々には、 わざともえおとづれ給は 十一月ばかりになれば、雪震がちにて、外には消ゆる聞もあるを、:::つれづれとながめ給ふ。:::かの般には、 めづらし人に、 、ず、まして、その人はまだ世にやおはすらむとばかり思し出づる折もあれど、たづね給ふべき御志もいそがであり 経るに、年かはりぬ。四月ばかりに、花散里を思ひ出で聞え給ひて:::二の凶行 と、十一月、正月、四月の月が辿られ、無事に源氏に救出される運びとなる。蓬生巻の後半、物語を主導する力が末 一 、 ニ ゴf7註' 摘花の日常から源氏の側に移ったとき、急に月日の記述が現われてくる所に、月日によって示される歳時が、 T o に場面の日時を表すだけの機能なのではなく、連続した時間の現れとして個有のものであり、源氏世界を描く上での 語り口であることを推定させるものである このような例は他に多く指摘できる o 少女巻ではタ霧の元服と大学入学、そして雲井雁との幼い恋の話が日本古典 全書日開の 4 ページから別ペ Iジまで費されているが、その問、日付で示される記述は全くない。ただ﹁雁の鳴きわたる 8 源氏物語論 大事E のいと由きいという季節感支がす表現があるのみである。そして、年中行事としては る。少女巻第 ら源民中心の めず蕗泉北の方 の舞姫が話題に 離かに のであるが、これ つほどのものではな 年が拐けると、月日の にも認め の例と向じい。 fk -A その報告によって源氏 ジ 1 少女巻末が六条擦の新遣なったことを て君 いく の後日談へこの若 四cつ に な ペ1 A晶 4 0.υ ク 0ivNV POベ3 1 の九州での十数年はるらずじにまとめられて、 でをかしげ、 いとあたらしくめでたし、 れるの の折に右近に の中を患ひっつ、秋にもなり行くままに、 氾ペ 1 二十日のほどに、日取りて来むとする謹に、かくて逃ぐるなりけり。邸内 その間 の己年月肘隔たりぬれど、鎧かざりしんグ顔を、 は少女巻の してしか援われていないものであり、 日付け の様向は常一災潜の近江君、 加ゆが終り、タ霧の 現れてくるのである。 らの事件はもともと短期開の と一諮られる 御方々の移転を記したところで 給は、ず:::﹂と、夕顔への る﹂(一ニの 。この君の十歳、ばかりにもなり給へるさまの、 かりになり給ふま支に、生ひ整ほり の監のあながちなる求婚と九州問脱出のエピソード 帰りいきて、 題れたるなこそ、 よばひとはいひ吟れ、様かへたる春の夕暮なり、郷町 などと紹介され、 。大夫の藍は、 にて、 ハぶ コ ザ コ ペ 五節とが二重写しになって諮かれる場面であって、逆に源氏の場にのみ歳時が閥的らかにされることの錦になってい なっているが、この千ピソードも藤氏が在持の筑紫の五節を思い出して、タ霧の患う散光の娘の五節と源氏の回想の と 。あやしを市女女高人の ib の大時が辿られている。しかして、 9 J¥ と時候の んハ条践に迎え時執ることを考える段階に一会って、 N : hー 諺も L、 紫 。 。 人文科学論集 。かくいふは、九月のことなりけり。一凶行 右近が旦の五条に、先づ忍び渡し奉りて、人々選り整へ、装束整へなどして、十月にぞ渡り給ふ omml 0 と、具体的な日付けが現れてくるのである o この﹁かくいふは、九月のことなりけり﹂という改まった書きざまは、 単にその前にある﹁秋にもなりいくままに﹂ を受けて、 その実際的な月を示すためだけの役割なのではない。﹁秋﹂ というだけで十分であった孤立した挿話風な玉霊の九州脱出の事件が、物語の本流に対してより具体的な位置づけが 要請され﹁九月のことなりけり﹂と据え直されてきたものと考えられる、さらに﹁秋にもなりいくままに﹂という書 き方自体が、 玉霊の九州脱出のエピソードの終局近いことと決して無関係ではありえないのである o つまり玉重だけ にまつわる挿話であった時には無時間的な梗概風な語り口で済んだものが、六条院の物語の一部にはめ込まれてくる とき、六条院世界の秩序に対するかかわり方として、九月のことという指定が必要であったと理解される o換言すれ ば、ここで﹁九月﹂のことという指定が有効性を持つためには、源氏世界が一貫して継続した時の流れを持っている ことが前提になるのだ o だから、この部分の表現は、 玉童巻の冒頭から語られていた夕顔の遺児の後日談の紹介から I 離れて、六条院の物語に参入したことを意味するものであり、少女巻の巻末の記述態度に直結するものなのである。 少女巻の巻末は、 00ぺI RUV 八月にぞ、六条の院造りはてて渡り給ふ。一一一の邸内 0 彼岸の頃ほひ渡り給ふ。 um1 0 九月になれば紅葉むらむらと色づきて、 0 o この細かな月日の経過の中に﹁かくいふは、九月のことなりけり﹂でもって玉霊がま、ぎれもなく 。大堰の御方は、 かう方々の御うつろひ定まりて:::神無月になむわたり給ひける o 的行 と細叙されていた 六条院秩序に繰り込まれていくのである o この﹁九月﹂が少女巻末の九月と同年か翌年かの認定でもって、新旧年立 10 源氏物語論大朝 の分岐点になることは潤知に る物語場簡にのみ認められるもので ってしまったものとし℃、少女巻と舟年の九 るが、月日を明示する諮り口、が源氏宮中心に あることな考えるならば、作者が少女巻末の場街との接統合無意作げに った女性の つ、市ばりして、未だ全員の移転が完 で誌あるまいか。ここでの問題は、 よりは、 国年立のように、 少女巻末の翠 月とする新年立は果していかがなものであろうか。明石簿方をして、わざわざ他の たと考え 住むべき相場所を考癒するという錯覚を犯した の冬十月にひっそりと冬の櫛駿に移した作者が、 十点撃を九州から連れ出し 了しない九月に 御胤艇の罰の対 かな舞台にふ て、曲折会経て六条続入りが呆される ってはじめて六条践の物語が具体的に動き出す 翠麗な物語絵巻をくり広げようとしたとさ、その の求舗という事件によって したということであり、 六条院を舞台にし の住むべき所を調季の町の 少女巻末で完成し しい新しい人物を という点にかかっている。 タ頭の遺児が九州で成人し、大夫の た ほとんど同様な 現れるの である。局知のように の後、そのほひより、俄ならずなやみ疲らぜ給ふ﹂と語りれぬこ に通じ合うものがある。 いったい得時のことなのかな る話題が展開していく。この朱雀院の嬢えらびのことが、朱後競合較にし の出家の志と女 のであるが、その関、制掛かな月日の指示がなくて物議場街に源氏が現れてくると月日がはっきりしてくるという玉霊 の抜かれ方と、 後 ロ 院の帝、あり の後見に で進行するのであるが、対話体というスタイルの特質はそれとして、その簡の 全く示すことなく、無時間的に凝集した密設で諮られている点、前節で考附 T 、 の すなわち、朱雀韓の婿与えらびが源兵に一はぽ内定したところで、物鰭本文は、 1 1 の 年 人文科学論集 1 年も暮れぬ。朱雀院には、御心地なほおこたる様にもおはしまさねば、 よろづあわただしく思し立ちて、御裳着の ことは思し急ぐさま、来し方行く先あり難げなるまで、 いつくしくののしる o 四の白山 ニの郡山 1 )とあったものである L (一 o この婿え と語られてくる o この﹁年も暮れぬ﹂とあるのは、巻頭の﹁ありし行幸﹂とあったのを承けるのであるが、藤一裏一葉巻 の六条院行幸とは、﹁十月の二十日あまりの程に、六条の院に行幸あり らびの経緯を叙す部分は十月下旬から師走に至る極めて短い期間の出来事としてはめ込まれているものなのである。 それを述べる綿々とした密度の濃い文体は、 ﹂こにおいても依然と たしかに秋山度氏が説かれる ﹁方法の転換﹂と物語の ﹁質の転 藤裏葉巻までに影も見せなかった朱雀院の女三宮を突如語り出し、その生い立ちを語って婿をさがすという展開、 らに、 換﹂という論点は無視できない問題を苧むものであるのだが、物語を貫く基本的な諮り口は、 源氏を婿にという院の意向がほぼ固まり、東 して源氏にぴったり寄り添っていて、源氏世界に流れる歳月の進行を写し取るところに存していると言わなければな らないのである。 右に引いた﹁年も暮れぬ﹂と語られてくる場面は、 宮も﹁親ざまに譲り聞えさせ給はめ﹂と賛成して、左中弁が院の内意を持って源氏と面談する直後であることに注目 したいのである。 つまり、源氏が物語の表面に出てくると物語は日付けでもって時を刻みはじめるという、前節で考 1 33 察してきた語り口がここにも歴然と現れているのである。この後、結局は源氏が女三宮の一件を承引してしまい、帰 o朱雀院には、姫宮、六条の院にうつろひ給はむ御いそ、ぎ、四の羽山 邸した源氏が紫上に打ち明けかねて一夜を過し、翌日紫上に語る場面のあと、 年もかへりぬ o それを示せば、 1 と、源氏四十歳の新年が語られるのである。この後の物語の進行は、士口岡蹟氏が鋭く論じられたように、極めて微細 な年立的秩序を追って語られている o年もかへりぬ。認可 正月廿一一一日子の日なるに、左の大将殿の北の方、若菜まゐり給ふ。叫似 0 さ 12 源氏物語論 大朝 。かくて てい 7 思 の罷に 1 、ジ UZ-7 3 の花、 いと頭指う咲き乱れて、一以内 りの程に、 亭J'LV 1 1 めでた の経過にそのまま結びつくものである。くどいよ 1 月の十余日に、朱後一撲の姫宮、六条践に渡り鉛ふ。給制 ロは、 。説の管は月のうちに御寺にうつろひ給ひぬ。問問 十立の ってい 件などで、 が畿一義葉巻では、 いて、先帝と今上の るつも の身辺を流れる が断結し異質であるということにはならない そして、こ の秋、太上天 の栄位として、これ以上はあ のいそぎなり。 つくり承ける形によってのみ位置づけが果されるものに外なら いるとい り方として、ぎくしゃくしてい の様相を呈している事実については、私は殊更に 。 向 の結婚、明石援の入内など、それま りはない。そして、 のだ。藤一義葉巻で の次の 持を写すという現象によって、 ないのである o のことを、 おほやけよりはじ 准太上天患という点にだけ穣ゥて言うならば、人誌の域を飛躍し 准ふる制御位得総ひて、制御料開加はり、官爵などみな器ひ給ふ。⋮一一の 務山りな年附間十になり給ふ 持 、 。 突である。にもかかわらず、それらをもっていわゆる第一部之第⋮ の 行幸を追えてめでたきの罷りが尽されるの 0 。かくて六条の院の制御いそぎは、サよ日の程なりけり。山一向 4ジ d 。七日の夕月夜態ほのかなるに、 。 。四丹期日ころ、調前 o三月二十日大敵、大宮の御窓際にで、三の邸内 L . . ここに 1 3 イ コ の 人文科学論集 りえない停滞性を自ら示すものであって、その意味では大団円にふさわしいとも言えよう。しかしながら、同じ文脈 の中で四十賀が予告されているのは決して見逃すべきではないと思われる。それは、これまで鰻説してきたように、 この物語が葵巻以降に綿密に継続し累積する歳月の流れを写し出していだという、極めて具体的な裏づけを持つ﹁明 一往は年立表に整理できるような源氏の生活の重みを背景にした四十賀 けむ年四十﹂なのであって、真に重みのある言葉であるからである o 言い換えれば、この記述によって源氏の年齢が 逆算されて、細かな数字の是否はともかく、 の予告である点に注目したいのである ι年立表という形に整理できるほど源氏世界の持続的な伸展が捉えられていた ということは、いわゆる第一部といえども事件本位で源氏の栄華の実現が第一義のものに据えられていたのではな く、物語展開の契機は内的な源氏世界の変容、つまり源氏の年令的契機に従うものであったと認定せらるべきもので ある o その限りでは第一部と第二部との聞に、根本的な方法的質的な断絶は認めがたいのである o藤裏葉巻がかねて からの鯨案であったタ霧、明石姫の婚姻がめでたく語られるという点についても、葵巻と樗標巻で出生が語られた源 注4 民の子女が、 いま結婚の適令にまで成長したという事実によって源氏の年令的契機をより鮮明に浮び上らせる効用も 考慮しなければならないのだ。先の機会に指摘したように、紫上と冷泉院と明石姫はそれぞれ十年の年令差で登場せ しめられており、源氏とタ霧は二十歳の差で描かれているというが如く、源氏世界は非常に単純明快な年令の組み合 せによって構成されている o このような明快な組み合せがあったればこそ、源氏の年令は十二歳元服を語ったあと四 o だから、明石姫の裳着の式を語ることは、それに十年 十賀まで物語上で説明する必要がなかったのであり、しかも、このような組み合せで構成される世界の持続的展開が 物語のアグチュアリティを保証する機能でもあったのである を上積みした冷泉院の年令を暗示し、 さらに十年を加えた紫上の年令を示すものなのであり、 しかも冷泉院の推定年 令はそのまま紫上が源氏に引き取られた満の年数に外ならないのである o藤一異業巻がタ霧明石姫の婚姻を語るのは、 以上の点からもすでに初老に達せんとしている源氏を指し示している。 1 4 源氏物語論大事基 7 そ こで G までなりのぼった源氏 のような物語 一にか い展開がありえない るかというのは、 ろう。そこに れた 物簡を実際 なければな なけれ による の年令に達した新しい源氏世 で太政大臣に かにあると言える いかにし 藤譲葉巻その支設の状況設定で 四十賀なっ通えようとしている源氏、そして 展開がありうるのか、という点にかかってくるであろう ことはあまりにも拐らかである。准太上天患の総十濯を描く新しい のではなかったろうか。 かつて、源氏の新しい状読に即応する物諮問局面を作りことができるか 宮の登場が内部的要請と よく似ている。 の物語世界を一歩持し進めた状況で創出し の物語展観関誌少んが撚脅から玉霊一審へという展需に 院を新造するというが如︿、 せしめて、 は、詮やするとこ い緊張として語り出される女 る。これについては後述したい。 なぜ女一一 ることから始めなければならなかったのである。女 でもって、太上天皇に准ずる位に即き一、 には全く新しく玉撃とい ったと長される。それとほ 新しい人物女三宮合物語に 婿えらびという滞菜巻の発端部の事携としての そこ ては依然として 新しい周一慣の提出以外の純物でもない。 ばならなかったのか、とい は、漂託世界に ころをわたくしに整理するな 照応関一係がある れるのであり、その語りロの先般として る朱雀擦を中心?にした対話形式による物語展開 誌の説か った。玉撃十鮎と法楽巻発端部との聞に緊密かっ S 仲間 論考がある。ぃ J はま駿石場合を挙げることができるの く薪しい人物な押し出してくるための手続きとして探用されたもの の考察によウて、若菜巻発端部に 四 ことについては荷内山清彦氏 1 5 t ζ 人文科学論集 ーともん芯求婚語もしくは類えらび の構成を支えている。 せるための る方法としてのそれであ れる河内山氏の詑援は明断秀抜 に妥当性 カLカ 、コ 〆通ノご tTL し の初発部の構成と文体の特識的相擁から第一都世界 の婿えらびの簡に街接な構想のかかわり 注6 た読 の 処 理 に つ くし一 種者 ののど ん で ん 返 し が あ は考 の衰退﹂ 件は光源氏が受動的に拝しつけられたものではなく、源氏富島均が灘び取ったものであることを力 からの賛的方法的転換な設かれる秋山藤氏の一所説を批判される河内山民の に、女 議されて、 の本流は降嫁が内定して新年を迎へるところか の弱体化﹂ヱハ条院の崩解﹂と捉えらるものを鋭く批判されて、﹁女性議史的発想﹂に 前述の通り、私自身、若菜巻の しい物語の 宮の るものではなく、むしろ重層しているところに が緊密な搬出拡関係にあることと、 びの一件は傍流的捕話と解するゆえに、この発端部分定方法の転換によ の物語と女三宮の あると解く考え方とは、 の商事件の照応関係をどう捉えるかにかかっているように患われる。たしかに河内山氏が鋭かれるように、 民の衰退が顕著に壊れるという仕組みがかくされていると解けるものなのではないかと考える。問題は 嫁が一線民世界の衰退の えない点で問中内山氏と同じなのであるが、 のと考え、 している。 て撫育するため、懸想人が族立し活読を呈するという求搭合戦の端緒も符節を合わせ でもある o 2 不自然なお紛で投激された薪女主人公をめぐる妻争いであり、さらに、その女性が光源氏と退去に関係のあっ 主霊の いの物語合構成する婿がねがほとんど拐重なっているのも持者の ? こ 光課長をその求鍛欝に深くかか 人のゆかりである点も共通する。これらのゆかり球、源氏物語に この一一つの ている。 る であり深甚な敬意を褒さずにはおられない。その点では、 よ っ て 3 こ 4 れ ら 1 6 源氏物語論 の投影が認められ、そのことに務氏物語の の出題があ られたところである。 だが、この ることに り変容 石田穣 でるることなはっきりさせ ってし れると すなわち、石町民はそこに の危機的な はなく、むしろ、論者の研究の方法および姿勢の 、・の物語という現象から源氏世界の変らざる部分合強調す 宮をめぐる解釈についてはこ L た源民像がより鮮明に擦び上るというこ そもそも、 民と今井一線衛氏との間関 った。両民の論点を詳細に 、両誌の立総は必ずしも十分に噛み合う底の れたものと私立考える。 て播かれる内調とし でないということは、外刷機か の理 が翻氏物語の多様性役見事に浮び上ら受たという点で務髭史上に 一を迫るものではない。私は 一股一脅薬的に た理諒者像としての裾氏、が変らざるものであるのに対して、掠氏の 安易に問説を軒表してひとりいい子になろうとしているつもりはない。二者択 想者光源民と可変的な源長像という二面は、決してあれかこれかの 1 v 色野みとして安らざる理畑山務光諜民を見、 宮の降援が源氏にとって何であったかの解釈にかかわるこつの う意味で貴重なもの た とったものか、 いは弦け身で 言えるので る合えなかったものかという いずれかに斜り理ることが必ずしも出来ないような諮られ方になっている事につい それは源氏が女 には、そこには明らかに変容しつつある察氏像、が浮き臨彫りになるという、 いうならば視点の務題に外ならないのであ る。そし ト閉山につい マ務誌は女 t 土 ある。 ったときの 1 7 t り 再出山氏は、定取弁が朱雀挨の て し 、 子〉 t 土 人文科学言語集 ったもの めいて い郷しが駆使されている。 のであろうか。 とってほしい 民の辞退の 弁は、 く問問ゆれば、 と、設中弁は読 のまま挟の 5 J またかく取り分きて 源氏に親代り てむを この灘 のやマあり、 さ ら に 続 く 科 であるのだ に対して、 源氏の ることがなく、 述ベ への好 の文で評されるような ﹂とをすすめ、 かって てはいない。朱 ヘば い と ほ し く も 口 構 し く も 思 ひ て 、 内 々 思 し 立 ち に た る 様 な ど 委 し につながっているか苔かは問題である。この源廷の の儲判定にもあらぬを、 qJベ・ qu ジ さらに詳しく源氏は説明するというのであって、 の希望につい 願いについ℃き口をわ て踏まっていくものであった事索令考えるとき、 におかれているというべく、 おそらくは 儀院の内意が在中弁や乳母ら 送れない ときる限あらば、大方 とて、ここにはまたいくばく立ち後れ奉るべしとて 語る言葉、 でもなく、朱雀競合}中心にした人々の会話、 さらには源民の て、源氏が逆転的に鋒塚を承諾する きりと辞退しており院もそれを了解したと暫離されている。そして、出家し への仲介の ていか ﹂品位付は非常に念⋮みの多、 心苦しき衛事にもるるかな。然はありとも、院の御社の か、その欝後見の市ゆをば受持りとり問えむ。、げに につけては、持れの御子連宏も、余所に こそは後見組問えめと患ふを、それだにいと不定な の不適格を極めて冷静に務新し、明噺な議環で し の って自分の代りにタ霧を推挙するのであるから、その譲りでは河内山氏の説かれ のは、たしかに の に対して源氏は、入山 7震 在中弁の語つ のゆかりであることな たてたであろう想像がなりたつのである。 前例を持ち出し、 心の揺れが記されてノ¥るの の カ 通 ~~亡、 1 8 源氏物語論 大朝 o それゆえ、ここで退出した左中弁が源氏の 奇心が誘われるというこの文脈は、源民は己れの年齢から言って適当ではないという認識を冷静に持つ↓方で、藤査 のゆかりの宮をゆかしく思う心が同時に発動しているということである 意志として対談の前半の辞退の弁を中心に復命したと見るよりも、さらに固辞することのなかった後半によって得た 感 触 と し て 、 十 分 に 脈 が あ る と い う よ う な も の で あ っ た と 見 ら れ よ う o左 中 弁 は 源 氏 の 女 性 問 題 に つ い て 独 自 の 先 入 見を持つものと描かれていた点も見逃せない。これより先、乳母との話で左中弁は、この縁談が整えばたとえ紫上だ って女三宮には一目置かなければならないだろうと語り、 さるは、この世の栄末の世に過、ぎて、身に心もとなきことはなきを、女の筋にてなむ、人のもどきをも負ひ、 心にも飽かぬ事もある、となむ、常に内々のすさびごとにも思し宣はするに、げにこそ己等が見奉るにも然なむお はします。方々につけて御蔭に隠し給ひつる人、皆その人ならず立ち下れる際にはものし給はねど、限ある人ども 1 o源氏がかねて、女の問題で世のもどきを負い、 わが心にも飽か にて、院の御有様に並ぶべき覚え具したるやはおはすめる。それに、同じくは、げに然もおはしまさば、いかに類 ひたる御あはひならなむ、四のお山 と、己れの倭少な判断で源氏の意中を付度している ぬ事もあると語っていたというのは、 おそらくはその通りであっただろうと思われる o 源氏は薄雲巻でも藤壷の死後 に斎宮女御に向って同様のことを語っているのであるが、それは藤査や六条御息所のことを指しての後悔の念の表白 であった。左中弁は源氏の嘆息を高貴な女性を望む心と短絡し、それが源氏ほどの人だから内親王を正室に迎えるの がふさわしいとの考えに結びつき、どれほどお似合いなことかと飛躍するのである。左中弁は源氏の真意を計りえて いないのであり、それは同時に左中弁程度の男に源氏が秘めた心奥を明すはずもないということでもあって、左中弁 は結局は卑小なる己れを露呈する役割でしかない。このような先入見を持った左中弁が、源氏の一通りの辞退の言を そのまま真にうけて復命し、院もまた速座に断念したという事態は考えがたい。左中弁が源氏と面談したあと、すぐ 1 9 わ カ ミ 人文科学論集 に女三宮の裳着の式がとり行われ直後に朱雀院が出家してしまうと語られていること自体、左中弁の持ち帰った源氏 の感触によって、院の側で六条院への降嫁を既定のこととした朱雀院の振舞と見るべきものであろう o女三宮の身の ふり方が未定なまま、出家を断行するほど朱雀院は意志的な人物とはなっていないからである o さりとて、源氏が心にもなく社交辞令として形ばかりの辞退をしたというのではない。朱雀院の衰えはそのまま源 氏にとっても晩年の間近い事に外ならないという科白は、決じて表面的な謙退ではなく、あくまでも実感として語ら れたものであろう。 しかして、 その源氏が女三宮に対して藤壷のゆかりとしての好奇心を寄せるのもまた事実であ る。この二つの心情が一見したところ排反し矛盾するものの如く見えながら、源氏の場合、身の衰え、老いの意識が 逆に女三宮の降嫁を諾わせる事に作用するところに独自の問題があるのだ。 なのである o その国定観念によって、被が遇されたことが、この悲劇をもたらした一圏ともいえる o彼の周囲の人 絶対的無条件的な好色者というのは、第二部以降では光源氏自身というより、彼の周囲の人間の、彼に対する規定 聴に価する。 注8 まみれた憾みなきにしもあらずであるが、発言者今井氏は当該論文の補注において、次のように説かれているのは傾 ﹁錯誤の人﹂と捉えられたのであった o この﹁錯誤﹂なる用語はその後多くの追随者を出し、今となっては手あかに ていくのであった。先に触れる所があったが、降嫁を決める朱雀院の抜き差しならない判断について、今井源衛氏は L、その微妙な含みの中で左中弁や乳母のさかしらな見解をちりばめ、誤解や独断を発条として降嫁のことが実現し にでも受けとれる流動性の中で進行しているのであるが、ニのようなところに王朝貴族の会話術があったのであろう 女三宮の婿えらびをめぐって語られてくる対話形式の展開は、常に含みの多い言葉遣いでくり広げられ、どのよう 五 ~O 源氏物議論 るもので 々もと関門じような通俗的な見解を、 ζの今井氏の 、混同する所以だと思う。 私は v 一宮の降嫁の を検許したいと の主たる国として取り上げることは、基本的なものと爵次的なものと会 るが、 議の展開の土でいま ル氷袋読が女三宮の後間凡な求める事情について物語が諮る議初は次のようなものである o 思うむ h ‘ “ ω はするついマに、 ﹁六条の の式部卿の親王の 見隠し教へ関与えっべからむ人の、後やすらかむにあづけ揮えば 召し出でて、 御裳涯の棋の 加 四のお今 ζろみるべかりけれ。 ﹂ これと菅今を語り合った場面の に、こ なかならむ。この様中納言 いときゃうざくに、生先たのもし 、朱雀院がはじめて女三宮の婚のこ に触発 に、具体的な鰐と れているということ、第二に、内親王とい でに確立していること、そし の出発点になっている等である。ここで朱雀読がまず帝の して、昔、幼い紫殺を愛育して獲想的な掃人に育てあげた光源氏の前例会議範として、 かつての光源氏のような婿君 J 身分からも三んだ人のやにはあり難し一と、 ザ口が幼く無邪気な人であるから、 されたものと見られるものであるが、ここには法自すべきいつくかの重要な持問点が含まれている。その第二弘、姫 とを口にする一般である。タ霧との対話および女一男らのんグ霧賛美を引きついで語られるものであるだけに、 の朱雀院なタ務が見舞い、 のせらるるに、ばかばかした﹂議見なくて、さゃうの交い かりではぐくまむ人もがな。ただ人の中にはあり難し。内裏には中宮侍ひ絵ふ。次々の女調達とても、 ほしムぷ 姫宮のいたうつくしげにて、叫おく何心もなき御有様なるを見奉り総ふにも、 ﹁見はやし奉 h かつまた片生ならむ 、 ソ など需え給ふ。大人しき御乳母ども 、 の pfも は、いないものかと願う心が、そも し の 2 1 加 ー 、 ぇ、次いで にしているのは、タ霧が若年ながら中綿言であるという官位の かうて摂氏の嫡男として民格に扱い、 かつての源氏の顕彰合伝える 一蹴しているのは、 ど今すとしものめか に軽びたる認なれこと、その その点で、 粕木に対しては いと若くて、 Jh4μ z - ともかくとし 一一にか かはとも患ひよりぬベ だ人の中にはあり難し﹂と の患惑の中ではっきり次元 であるが、源氏が若紫巻で の一得現を期件付す 条院に引き取づ よって婿がねとは考えられないというように展持していく。 て怠然である。しかし、そのタ携は太政大芭 のためにかつての紫君と源氏の いるのではなく、唯一・無一一の議想者光輝氏 いう最初の選定規準に抵触するがゆえに 当然なのである。 つまり、タ懇と結木と の進一う所で意識されている。タ霧が . 、 にもせ のんグ霧はさですにもまだおづかな かりとい タ一霧が最も鋭っかわしいと考える朱雀読の考え 葵巻での新就がご十一歳、ぃ 自ら制刷機なのだ。この たのが十 るものとして の姫と嬉離を結ん '- げにあまたのやに って、一源 にて、 さもや譲り置き癒えましなど とは宣 どをも今に なかなほ、 いかなるにつけても、人会一ゆかしく思 もとよりいとしまめ人にて、 年 頃 も か の わ た り に 心 を か け て 、 外 様 に 患 ひ 移 ろ ふ べ く も 侍 ら ぎ り け る なひては、 レとど動く方侍らじ。かの院こ ﹁いでその回りぜぬあだけに L ιー の程十棋に触れるものと考えられ 注目される部分である。この であることが論じられていーるの て作者が与え J にされてい まに定め なれ、そ、の中にもやむごとなさ御願深くて、 捕え絵ふなれ﹂ しかるべき患はありとも、な 患力ねずベし。 ここでは、 つての源氏と同列でないこと ずしも乳母らの独善的な制判断ではないのであって、 民の一子患とい に一所詮は らひで、 したる心は、絶えずものせき に、平均的り 、 』 主 て そ 必 i J " 2 2 源氏物語論 大朝 る D 少女巻でタ霧元服の際に源氏が語る教育論は一、それ自体が作者のすぐれた見識を示すものである一方、己れの生 い立ちと全く異る方針によってタ霧が正統的常識的な人物に成長することを願う源氏の心は、源氏の生涯が源氏にの み許された特殊な-回限りのものであることをはっきりと自覚している源氏像に外ならないのだ。タ霧が﹁まめ人﹂ であるのは、葵上の血筋を引くためという理由も勿論考慮されるべきではあろうが、源氏の配慮によって意図的に作 り上げられたものと言うべきものであって、それはそのまま源氏の超絶性の証しでもある o このことを右に引いた本 文広ついて言うならば、タ霧が幼なじみの従姉雲井雁に長年にわたって恋いこがれて、やっとめでたく結ぼれるとい う一事が、その飛躍のない常識的な手がたさ広おいて源氏との違いを最も端的に示す働きを持つのである o ただ単に 太政大臣の姫を正妻に迎えたばかりだから婿がねに不適であるというのではなく、そのような状態に疑いもなく安住 Lているタ-霧の﹁まめ人﹂ぶりに、 かつて若かワた時の一源氏の再現は期待できかねるのである o 右に引用の乳母と院との対話の場面で、 さらに注意したいのは、乳母らがタ霧に対しては極めて妥当な認識を示し ているのに!│そこにタ霧の解り易さ、常識性の特徴があるわけなのだがiーー、源氏への理解としては決して十全の ﹁その中にも、 やんごとなき御願深くて、前斎院などをも今に忘れ難くこそ聞え給ふなれ﹂と、源氏に ものではないという点についてである o た と え ば 、 右 の 本 文 で 源 氏 こ そ 女 性 を ゆ か し く 思 う 事 の 絶 え な い 本 当 の 色 好 みだと語り、 正妻を望む志の厚いことを主張している。これは先に引いた左中弁の思惑と全く同軌のものと言うべく、明らかに主 ざ 観的なさかしらである。このことは降嫁の噂を聞いた紫上の物思いとして、 かかる御定など、 かねても一ほの聞き給ひけれど、さしもあらじ、前斎院にも懇ろに聞え給ふやうなりしかど、 1iベ1 とも思しとげずなりにしを、など息して、 4 5 と回顧されているように、前斎院朝顔の一一件はすでに朝顔巻で決着がついていることは確かであるものなのに、あた かも現在に尾を引いているかのように乳母らが語っている点に、無責任な噂好きの世間の実体がはしなくも露呈せし 2 3 わ 一人文科学論集 o いったいに、この物語の作者は世間そのものに対しては決して無視も軽視もしていないにもかかわら ﹁世間﹂を構成している個々の人聞の無責任な噂やおせっかいについての批判、場合によっては師諭そして嫌悪 められている ず 、 の情を描くことは稀ではない。紫式部日記に流れている対人関係のわずらわしさへの嘆息や、彼女の孤独癖のごとき ものは、源氏物語においてまぎれもなく、源氏や紫上などの凡俗をはるかに越える人物が決して世人に正当に理解さ れることがなく、 いつもさかしらな噂やおせっかいに悩まされるという形で投影されていると考えられる。そして、 そのような誤解されるほどの大きさということで理想人物の形質が捉えられていると思われるのであるが、その細か な考察は他日を期さなければならない。 乳母や左中弁などが己れの卑小さを-証明するような誤解を交えて賛美する源氏像が、結局は朱雀院をして﹁その旧 りせぬあだけこそは、 いと後めたけれ﹂ と危倶の念を挟ませつつも、 ﹁なほやがて親ざまに定めたるにて、 さもや譲 り置き聞えまししというが如く、﹁色好み﹂の源氏の豊かな可能性に托すことになっていくのである。﹁旧りせぬあだ け﹂が窮極には源氏の超絶性の証拠に作用している点に注意したい。この前後の朱雀院の源氏賛美には極端なまでの o ものがあり、今井源衛氏がこれらをもって朱雀院の積年の源氏コシプレヅグスを論じて、負け馬はコ l スを外れがち である、 と評されたのであったが、けだし名言である 朱雀院の婿えらびは、 ﹁まめ人﹂のタ霧と﹁色好み﹂ の源氏とが真正面から対比計量されて、いずれが望ましい婿 がねか問われているのであるが、当然のことながら源氏が残る。婿えらびはこの段階でほぼ最終的な結論が出ている といつで決して過言ではないであろう。あとはいかにして源民を物語の表面に引き出してくるかという手続きがある ばかりである o このプロセスは、かつて紫君を幼い時から世話をした源氏の例にかんがみ、同じような望ましい後見 を女三宮にもと願う朱雀院の親心から始まり、結局は源氏その人を婿にと考えるに至る曲折が語られていると捉える ことができる。‘幼稚であり欠点の多い、 しかもそのゆえに鐘愛する姫宮の後見として、源氏のような完全な男性を求 24 めるとなったとき、 答えはほとん の必議であっ 諜氏その人 H でもなく、 H 朱雀慌の料 ように、 H 椋 誌のよ それ試作者、がこれまで措い 源氏のような嬢 μ を求めること、が、 H では、 家さに でさえある。 にと考え及ぶのは、タ霧さえもが不適当となっ べきものである。知論、 である。俗 に一一回眠りのものでるることか へと旋凶ずる思考に大きな鐘誤があり飛躍があること とから言えば、そしてまた、 μ からぺ漁民その人 μ ℃ぎた超能者光源氏のん氷山部践的な確認に外ならなかった うな鰭 二度おこらない 源氏が って、 った n j ぅ。朱雀鍛がその しては、 た判離が何よりも 結烏は源氏自身に の朱雀院 まぬか 方では、 るをえな o そこマ ︺の話は成り立たな いう結論は、 ﹂の縁談は問題になる余地がない。 れるのでなければ片手おちの 一識だに与えないものならば、 の必然として 迎え入れる何らかの要岡山が用意されているのでなければ、 立ち戻 ぃ。どれほど 宮が押し出品。れてくることになるのであった。だがそれは、 して源氏のような婿を求める いないという事を、この に無謀してしまっているゆえに、最も諮っかわしくない語手・攻撃んだことにな こんでくること の予を思う心 ガから言えば、源氏に匹敵す 衝はその鱈に流れた待問の であるのだ よく誌明していることになるの おいても女一 院が錯誤ないしは飛騒を含みつつも、それなりの 朱雀院の親心が痛制約であろうとも、 入れる、源氏の舗の必然がいかなるものであったか の闘い一として捺呉を当事者に 白調恨の、矢会立てることにな で考察してきたように、 --L. の人﹂と評した J メ 入 /¥ ぃ。その意味からも女三宮の降嫁は極めて作為的欝想的な事件と言わなければならないのである 頚構氏、が応対雀院を 25 井 つ 2 源氏物務論 た道ずじ 牒開で十分に いるにもかかわらず、その一判断が誤りであっ L のは、光源氏が朱後一混の その物語の流れ の が ある。日記的な持続する世界 も日記仙即時間とでも呼べるような筏度と正確さを訴している 考えたような偶像的総人ではなかったという事実による。これまで繰り迭し述べてきたように、源氏の上 出す語りロが、 と全く無関部に朱雀院の判断が挟まれてい わ るものではない。 朱雀践の った折の しに徐々 おはします樽影に変りでは怠されじな、 1 る掠託像の の言葉、 ただ 行く先短く ち後れ奉るべしとてか、その簿後見の官学をば受けとり鞠えな。 に 、 げに次第をあやまたぬにて、今しばしの程も残りとまる畿あらば: さらに かたじけなくとも、 課き心にで後見開えさ ベき ommの給付 れるべきもの 心苦し ている源氏の刺村山口として、彼の年令的契機のゆ 部においても識か いを意識す たとえば、 で元服し大学に入ったタ霧 すで て、仕うまつりざす事や侍らむと、同悦ばしき方の の流れの中に る儀礼的謙辞などではない。これに類する早れの これらの発言は、閥十資の新年を目前 であり、 れはじめていたのであって、 0) らぬ一齢ながら、 ミミ '刀,刀 こそ侍りけれ。 一の川仰向1 人のよにて、かたくななり、と見聞き侍りしを、子のおとなぶるに、親の立ちかはり痴れ行くことは、 いくばくな に対して、 た左中弁に は朱雀擦の痛切な願いにもかかわらず、すでにそのような蒋誌ではなくなっているが て、生活の νベルということは、殺綾する歳月の中 が描かれているということ自体、光源氏が生活のレベルで捉えられている'事に外ならず、館入として描き出されてい す な いう、極めて皮肉な現象と捉えられるものなのである。先に もある。だから、女 え 院の御世の残少しとて、ここには、 ゆ 2 6 主祭民物語論 0 、喝の度合いの のつひで 痴れ行く H 、-をそのま H とについて、 一の邸内 1 1 に関す この他に ても持続する織り口の中 る源氏の認識の の生長によりまざ家、さ笑惑ぜしめら ニの邸内 ⋮の山山内: いがあるが、 の運命℃あると 深浅に ぬこともこ 参上す て語一 れる源氏 は、タ援の遺克を引き取り養父 いう形によって て、改む は、まさしく措の一向醤 の若々 る柏木その だ移ろいがひそやかではあ "~ の錦、が、 ともにタ霧をはじぬ の絶頂を写しているかに見える六条齢世界に、 る。右に 1 ., 7 ' " こともなかった の僚が朱雀院の 語られ の差に外ならない。少女巻前後に ・勿論、少女巻と若菜巻と る誌壌であり、 している におけ おぼつかなし められるのであるが、その中から一一一ニの例を挙げるならば、 る入試、 の中に厭はれぬベき齢にもなりにけりゃ、 。何とはなく翁びたる心地して、 。ゃうゃうか 。ざ﹂か など、街の不安もない に進行していることを知るの もって老い 揺れ動く源氏のあやにくな情念が諮かれる場でもあった。はるか たちの前に出て、源氏が冗談めかして己れの老いを口にする場面であるが、その と懸想人の と、タ籍や柏木に向って兄諜めかし られず、 た の 数へとり給ひける、今日の子のはこ ほうれたけれ。しば 27 も、そのタ額一の遺児への懇想のことは、若菜巻において、新年早々 ま の j 潟 で思い知らるる折も侍りける。中納言のいつしかと設けたなるか円、 し。入よ 」 ⑤ 縛 されず﹂いる?点に注一意したい。 のもよほし ま な 。過ぐる帥も、ム自らの、むにはことに思ひ シ3v之 て か か Y 5 . i U 格 しは老も器れでも侍るベ ・::かう世を棄ウるやうにて 0 四の必 いやまさると、 WHa の若菜の祝いに識られる源氏 鰐くなむ、時々誌 など、 、月伐の行方も知らず顔なるを、 かう数へ くらべよかし。四の訪で 、右に る o少女巻での詠嘆がタ霧の一克服に触発せられたものであったのに対して、これは て懇懇の対象であっ、た玉霊が館十紫のためにニ人の 44 せ給へるにつ ﹁﹂牛﹂匹、 とは明らかであ あると という よび玉露十粘に いう状況の展開を含み、さらに、か なっている。というよ 段深めら 一般に、先に引用した⋮ のものにくらべて む に葬られたものとして 照応する の場 りうる構造にな の降嫁が玉霊十轄に の若菜の直後に 一に語られるのが、外ならぬ 十余日のふハ条読行幸から、 こにおける、源氏の っているのである。 の長篇的筋道は、藤裏葉巻の る。女一一 いて述べたのであるが、 の上において ればならない。それは、 ていると考えられる。源誌が鴎十の新年を議え て意味探い てくるとい については、先に河内向清彦氏の {おの降嫁と照山泌すみのではなく、 のだ。 い緊張として驚場が要請された いう点において、 る しめられるとい d の を実感する詠嘆か}背景にして 語られてくるのは、新造成った六条説世界 の新た は主題性 の 措かれた糠誌の年令に関する擦穫を踏えることによってこそ、 て の は、人物の に- じて、その関に流れ去っ 玉置が新し 尊位に郎い であろう。その の の 28 源氏物語論¥大朝 かかってい 路氏の卓設の漉念ずる好郎別である。しかしそこ 性なるものがいかなるものか 1 くものでなかっ ﹂とは、 している 宝章女 場合に 角を担うもの れている に馬面の展開問に従って突 の人物の出現会一必要とし の町の ていた緊張の ⋮閣の真実を繍 に違ってい しれたのは、 まるものではなく、照的らかに の転換い に、作 ったはずであ てもよかったはずであ に格別の住議合払わなければならないのだ。 い緊張が醸成されてきたのであった。 の住岩を拡大することがそのま た問題、が提出されてくることになるのである。 宮の降援は の忘れ形見に対して屈訴し いという、唯美化された葛藤の中でll'ということ いに技自したい。つまり、 の四季の の賀宴を含む大きな状況の中で のみ裁断するわけにはいかないの 勺の四季の挑 六条侯南の伽御殿の寝畿に入るとい の町の盟の対に入るという設定によって、状況としては この人物溺型を機能の 如として物語られてくる例として、 まさに間持なのだが、 以上 六条践の であったのに対して、女三宮の は、六条践間関季の吋という空間同化され いうことに外ならなかったのだが1ji、源氏が管 の拡張 新しい人物の投入によっ へという具合に、 る南の簿毅を舞台とするとい いう状説が心理化された緊張でありえたのにくらべると、この に六条躍の を意味し、 その のような一源氏の にふさわしい場を提供することはいくらで いま女三宮を新しく迎えるに当って、 る趣向の その意味から替えば、秋山農民が若菜巻安担えて では、決し いかなる旬、のであったか 入るべき場は紫上の住む薦の御般の諜殿以外のどこマもなかったとい いしはニ条東院を改造し 上天皇の威勢なもってすれば、 るし、 設定と女 れるの 2 9 る と ら ら の { 人文科学論集 かれてい はなく、 べきものである。ただ、その質的な転換が、 のままの源誌ではない。にもかかわ v ているものではなく、 る意味において源氏は るもの つげ﹂、 たも v ので 氷点ま を支配する原理になって での物語世界の の物語役界と断絶した形 に並んぞ 旧りせねるだけ えているの るのであり、 してあり設けるの であり読けるの の に懇想する 一般化してしか理解していないということなの って、決して H 朱雀院 朱雀院を環点とする世人にとっては昔のままの源氏と見倣され 明らかに 、・う年齢だったのではなかろうか。だからこそ、 氷はすでに水で と捉えるわけにはいかないもの こで一つの飛躍的探聞の場に ということは ﹁方法 かつて会﹂て、 る場一と、 やが源氏の のものではないし、再よ ていくようなかたちなの のものになっ った水がみ が、しか の氷点にも比すベ の枠に収変るま震が盟十賀 はすで たもの つ家り、 源氏が心を欝かナ根子について守、源氏独自 朱雀院はその特殊性に気づか H るという靖離がある。そこで注意 したいのは、摂氏昌身がいかに衰えを意識しようとも、それが源氏をして WC ツ h せぬあだけ υ 剥落さそ、た、だの人にな が μ悶 である のではないとい のゆかりの設である点にかかっていた。 に支配さ 紫のゆかりへ の全涯を買い しまったといういきさつも絶無とは一一呂えない 一宮の静嫁を承引する寵接の引き金になったものは、 、 で 心、が諜氏を損えたからこそ、この降線は実現したという設定になっている。ここで 先帝の懇謹一も、だし難く、心弱くもつい 主 う a し いる。そして、 カ ミ 縦続した物語場聞として源氏堂界会採えるとき、源氏の変容は設の意識の 七 部 ず 。 る 30 源氏物語論大朝 れている運命的なものを読み取ることは勿論可能である。だが、女三宮がほとんど唐突と言ってよいくらいに突如と して藤査のもう一人の姪として紹介されてくるものを、藤査だけの影響力と整理してすべての解決とは言いかねるも のがあるのではなかろうか。薄雲巻で世を去った藤査が、 いまこのような形で改めて物語現実に力を及ぼす物語とし ての必然をどう捉えるかこそ目下の急務と思われる o そもそも、光源氏の世界を構成する人間関係の構図は、花宴巻までに主要人物のすべてが登場していて、葵巻以降 に新たに姿を現す女性たbも 花 宴 巻 ま で の 世 界 に 深 く か か わ り を 持 つ も の と し て 意 味 づ け ら れ て い る 。 た と え ば 、 花 散皇や筑紫五節が現れるのは葵巻以後であるが、源氏との交渉が持たれた時期は疑いもなく花宴巻以前の青春を色ど った女性と推定されるものであり、 また、明石君のごときは全く新しい出現でありながら、すでに若紫巻において明 石一族をめぐる噂として姿を見せ、その時点で源氏が興味を一不すのであった。そして、秋好中宮や玉霊が死んだ愛人 の娘として有意味であることは先に触れた通りである o 女三宮が藤壷のゆかりとして登場の契機が与えられてくるの は、このようなパタ lγ に対して例外ではない点に特に注意しなければならないと思われるのである。 つまり、秋好 中宮や玉霊がそれぞれ青春の記憶に連る愛人の忘れ形見であったがゆえに懸想の対象になったという明らかな前例を 一度源氏の身辺から去って行って後に再び源氏の 踏えて、女三宮が独自で存在を主張するものではなく、紫のゆかりという背景を背負ってはじめて源氏の心を動かす 帯 手 書 屋 顔 再登場 関 朝 初登場 31 ことが可能であったのである o しかも、花宴巻までの登場女性は、 蝉 顔 物 木 木 空 賢 退 蝉 木 場 生活圏に復帰してくるという型を踏む点において共通するものがある。いま、花宴巻までに登場する主要女性の動静 人 を示すならば、 空 朝 人文科学論集 六条御息所 童 ﹀ 摘花 霊 末摘花 紅葉賀 顔 木 若菜上 霊 真木柱 木 玉 需 惇 若菜上 朝 蓬 ︿秋好中宮) 瀧 標 標 顔 生 i タ 賢 賢 葵 葵 顔 宴 顔 タ 葵 タ 玉 花 これまた、源氏世界が累積する歳月を描く手法を持っていたからこそ可能であったのであり、逆に だ。薄雲巻で前斎宮女御に向って六条御息所を偲び、朝顔巻で昔の恋人朝顔への慕情を復活させ、少女巻で筑紫五節 このような退場と再登場のバタ lγ を踏える措き方によって、物語内に継続する時聞を保ちえたとも言えることなの くるというのは、 ともあれ、それら源氏の身辺から一度は去っていった女性たちが、その後にそれぞれのありようでもって控えって のであるが、そのことについて、今、詳細な検討を加える余裕はない。 況がそのまま源氏世界の構図の基底部になるものとして、源氏物語の最深部にかかわる問題に連っていると思われる の出家、葵上の逝去と紫君の新枕という、激動する源氏身辺の状勢とまさに合致する現象であって、物語内の政治状 されている。右に掲げた人物の動静が、葵・賢木の巻を一つの境にしている事は、桐壷帝の譲位と崩御、そして藤壷 のではないことが明白である。源氏はむしろストイックと呼びたいほどにはっきりした一つの傾向性をもって描き出 このような事実から見ても、光源氏が単なる好色の英雄として興味本位の情事をくりひろげるものと扱われている い例外は紫上ただ一人である。 花宴巻までに語られる女性で葵巻以降に全く姿を見せないのは軒端荻のみであり、退場と再登場のパタ lγ を踏まな 月 典 顔 侍 夜 玉 タ 源 末 3 2 源氏物語論 大朝 への関離を語るといゥた⋮連の源氏の いかに遠く罷ってしまったか 擦に支配されるものではなく、 ち、六条御息所や譲室、 の発動の ことはできない。 すなわ の存驚場が添意的鵠 、すべて源誌が己れの青春に連る記機会確かめ、 のに外ならない。これらの いていること 源氏世界の基盤を形成して のではなく ちへの後向診の構熱が語られてくるので が象徴的なのであるがーーに即志して、あ の砂︿)や税関式部卿宮(部担額の のように、それぞれ昔に繋 て く る 女 性 へ の 、 あ る い は そ の ゆへ か にのた め の犠 源氏 のを荻袈せん liその中で藤萱の いた大人たちが相次いで設を去っていくという状況 たかも失われ ある。 の あり、源民な取り巻 になってい μ 国 hyeぬあだけ u と評したものは、実は とり戻そうとする談内向きの情熱の れるのに対応してい らい思い返す心理が写されてくるものでしかないのである。そこに源誌の変容が採さ彫りにされるのであるが、それ H るo朱雀設が線局の 、冷泉院ゃんグ響、明石姫など務誌の次の世代の の μおり必ぬあだけ il去るものと来るものiiが、 くこ携の変化 る。そこ 朱雀院の 源民はしい いが鮮かであるの つまり、積誌が靭 このように繰り迭される源氏の住持への間帰の矯熱を指し示すものでしかなかったのである。その の こ と か に 、た院 思る惑 もの で つと 糠 氏 自 体 と の 喰 い J いが厳然として たいと患う。 擦誌の渦去に接触しない、窓際人物は皆無なの いとし 漂民の に花事巻までの時期にか 震に藤壷の援という条件が与えら 朱雀設の側では高貴な女性なゆかしく患う欝氏 登場を保す媒体になっているのであった。 かき立てたものにすぎなかったもの への恋慕を援活さぜるのは、その管畿に藤査の死によって象識され 恋人への か理解勺設ないギャップ れている設定には、このような一連の人物強裂の積み重ねがあることに ちばかりであって、 3 3 ら う コ U 決 し 極言すれば、源氏世界を形作っている人物たちは、どのように物詩が伶燥しようとも、 かわりを持つ の t 主 人文科学論集 現在 H H 注目 は、すべて物語上の H 去 過 υ に厳重に規制されているということを意味するものであろう。清水好子氏の綿 密周到な考察によって、花宴巻までの物語世界が、どのように深く史実を踏え寄り添って語り出されているかが明ら かにされているのだが、その事実と源民の現在を色どる女性たちはいつも花宴巻までの世界に根ざすものであるとい う現象とは、おそらくは根本において一致するものと思われる。そして、それは物語のリアリティの創出に関係する 最も重要な課題と考えられるのであるが、その細かなことは想を改めて他日を期さなければならない。 旧りせぬあだけ H H を考えたのであったが、それをこの﹁紫のゆかり﹂に当てはめるならば、朱 雀院は若紫の前例を思しい、二度起るはずのない奇蹟の再現を源氏に期待したとき、調氏は藤査のゆかりとして共に生 の聞に一帯離している 外にもう一人の紫のゆかりが並び立つところに意味があると考えるのである。前節で、朱雀院の思惑と源氏の実際と 査の姪という血筋が紫君の再来として覆い被さっていく関係、 として把握できるのではなかろうか。 つまり、紫上の ストレートに藤査を指し示すのではなく、紫のゆかりとしての紫君の再現としての女三宮という関係、あるいは、藤 ている基本設定は、 まさに若紫君そのものの再現として把握されるべきものなのではあるまいか。 ﹁紫のゆかり﹂ とさら作り上げられていることを見逃すわけにはいかないのである。これは、藤壷のゆかりという女三宮に与えられ 三宮が紫上の住む六条院南の御殿の寝殿に入るものという二点によって、女三宮が紫上と直接にからみ合う状況がこ ずしも妥当ではない。女三宮の婿えらびが若紫君の前例の再現を願う朱雀院の心から出発していること、 および、女 追慕の新たなる復活とだけ整理し、源民がいかに藤査の亡霊に探く支配されていたかという面のみを強調するのは必 宮が藤査のゆかりであるのは、 まさにその型の上で理解されるべきものであった。だがその場合、女三宮が藤査への 前節で見てきたように、源氏世界の登場人物は、退場と再登場のパタ1γを踏んで語り出されるものであり、女三 八 iJ~ 34 源氏物語論 大朝 きた紫上との半生を﹀女三宮というもう一人のゆかりによって再生させたい意志に結びついたいという、それぞれの 異なる願いの交錯する所に女三宮降嫁が位置していると捉えられるのではなかろうか。 そして、女三宮が源氏の新しい可能性を担うものとして登場せしめられたものでないことは、これ以前に語られて いる秋好中宮・朝顔君・筑紫五節・玉重などへの一連の源氏の心の揺れとの関連で見るとき、 ほとんど自明であると 言っても過言ではない。それは降嫁後の源氏のほろ苦い独想の場面で明らかである o 背の心ならましかば、うたて心おとりせましを、今は世の中を、皆さまざまに思ひなだらめて、とあるもかかるも、 際離るる事は難きものなりけり、とりどりにこそ多うはありけれ、余所の思は、 いとあらまほしき程なりかし、と 思すに、さし並び白かれず見奉り給へる年頃よりも、対の上の御有様ぞなほあり難く、われながらもおふしたてけ 四の回以 1 りと思す。 一夜の程あしたの聞も恋しくおぼつかなく、 いとどしき御志のまざるを、などかく覚ゆらむと、ゆゆし きまでなむ、 この物思いの第一の特徴は、源氏が﹁昔の心ならましばか:::﹂と反実仮想し、﹁今は世の中を:::思いなだらめて﹂ というが如く、昔に変る今の心境を語っている点にある。昔のままの源氏だったならば、女三宮に我慢ができなかっ 1) 1 と ﹁われながら よろづの事ありとも、 また人をば並べてみるべ たはずなのであるが、それはそのまま、昔の源氏ならばこのような降嫁を肯んずるはずがないという事実の反面なの である。同種の悔恨は降嫁直後、紫上の嘆きをほの見て、 ﹁などて、 かかることも出でくるぞかし﹂(日刊 つまり、 ﹁あだあだしく心弱く﹂なった源氏とは、土日のままの源 きぞ、あだあだしく心弱くなりおきにけるわがおこたりに、 つらく思し続けらるる﹂源氏の心が語られている。 氏でなくなっている彼に外ならず、 それが通常の意味での色好みでないことは賛言を加えるまでもない。しかも、そ のような﹁おこたり﹂の結果として、女三宮との対比を通して紫上がいかに望ましい女人であるかが、源氏の不吉な までに高揚する情愛が語られるのである。ここで注意したいのは、同じ藤査のゆかりであり、加えてかつて紫君の新 35 人文科学論集 枕の年齢にほぼ同じい女三官を迎えることによって、その外形的な類似にもかかわらず、というよりもそのことによ 〆って逆に、二人の紫のゆかりの内質の決定的な違いが明らかにされてくる構造についてである。右に掲げた場面の直 前に、女三宮の言うかいのない幼稚さが外ならぬ朱雀院の人柄およびその教育方針の至らなさとして批判する源氏の 心が叙せられていて、 それにひきくらべ﹁さし並び白かれず見奉り給へる年頃﹂よりもさらに痛切に紫上がいとしく なり、﹁われながらおふしたてけり﹂ の自賛に連るのである。 源氏は紫君の再来としての女三宮を六条院に迎えるこ 之によって、これまでの紫上との生活をトータルに反宿しているのだ。紫上が明確に客体化されて、その優越性が改 めて確認されてくると言い直してもよいであろう。しかも、その場合、女三宮の至らなさとは朱雀院の持つ脆弱な部 分をそのまま引き継いでいるものであったのに対して、紫上の優越性とは、源氏の理想性のすべての反映、源氏世界 の結晶として源氏自身の全人生への自負であり自賛に外ならない。だから、女三宮の降嫁は紫上の理想性を再確認さ せ、あわをて、そのような紫上を育てあげた源氏の絶対者としての博大さを描くために作為されたものと見ることも たしかに可能ではある。だが、女三宮の六条院介入は決して源氏および紫上の勝利を意味するものでないととは、右 に引いた源氏の悔恨が雄弁に物語っている。明石君や朝顔君に心を動かす源氏に対して紫上が嘆き、それが紫上への い之Lきになって立ち戻っていく源氏の情念の動きは、 たしかにこれまでも繰り返し物語られるところではあった。 しかしながら、後述するようにそれらの場合は、紫上の優位は終始揺がないという大きな前提の中でくり広げられる 4 -種の心理ゲームの如きものであうたのに較べるならば、女三宮の件 について紫上はひそかに、 かく空より出で来にたるやラなるこ之にて、ゆがれ給ふ方なきを、憎げにも聞えなさじ、::::・おのがどちの心よ 1 のおこれる懸想にもあらず、 せかるべき方なきものから、 をこがましく思ひ結ぼほるさま、世の人に漏り聞えじ、 四の訪問 と有数り思うこ、とで明らかなように、紫上はこれまでの例に違えて嫉妬の情は現さないのである。ということは、 , 、 ' - 3 6 源純物議論 での心理グiム いるからである。これまで い護,誌の懸想と女 て源氏の のこととが次一万を異にするものであるこ の懸想であったのに対して、 は、ま、ぎれもなく H 女性哀史 H が正確に察知して ことは先帝の意志がか いうるもの かかっている点ですでに漉氏個人の枠合結え、紫一上の鋲妬の有効な範菌を逸読しているということである。紫上 れの身のはかな火加を患わずにはいられないとい 氏、もかかわらず、そこで格別加に桟意したいのは当紫上が嫉妬することさえ私自らに禁じたような強力な麓争相手の ていると 出現が通必、ずしも紫上の全否定には艶つてはいない点についてである。朱議院は女王宮役懇誌に托す擦に、いとも縮問 挙応紫上の存在を無視ないしは軽握した一方では、脱降嫁の後にわざわざ親講を送って擢宮への艶燃 の関係 つもので 徴妙なものがあるの の降嫁によって紫上が徴動だにしない磯閣とし のであったならば、院のそのような こともな てまた、 を乗り越える糞の麓争点鳴として送り込まれ いう矛盾にも似た操いがそれに対応している。朱後撲が本当に紫上を無視していたのなら、紫上に かったであろうし、 心遣いなどはあるはずもない。 あったならば、韓嫁自体が最初からありうべくもないというように、女一一 のような投機を成り立たぜている最も根源的な関係として、 幼ないという察情によって、数対者にはなりゑな である。この一時議が致命的に対立する関係にはないことは並尽に価ずる。それについて、源氏が両者の に十分に誌える韓拐さを備え、さらにに女一 かった事情を想定することは税論正当であるのだが、 , ¥,. 次元での争いには接持させ さずれど、 御筋をも尋ね間報え給ふ c中 ﹁同じかざしを尋ね開ゆれば、 かたじけなけれど、 わかぬさま おとなおとなしく﹀毅ぬきたるさまにち れている。 どうL ても敵対者という潤 の契機を持った人物という設泌が考えられるのではあるまいか。 いう血縁関係の て存生産されるべ v hのみ見え結べば、 たとえば%若議巻の両者の対閣の場は次のよう 即Lて吉永ば為共に藤章 ないの いと品卵、げ 納替の乳母といふ忍し出で 3 7 ち ‘ ペ 〉 人文科学論集 いでなくて このように紫上が つるを、今よりは蹴からず るさま﹂に議舞うことの が挨拶に り ん で へ るのも、 3 J 向 ede の年齢が親子ほど してい 身の程で J い藍せば、 るこ それは黄緑の において紫上の腿絞殺が保たれている そして、内親王とい この場面においでさえ、 そ の 血 縁 関 係 の 上 に 議 め い て 能 舞 う こ と の で き る 年 齢 の 義 に 外 な ら な い 。 平俗に た女三宮に、 とながら、従錦妹どうしであるという血縁のしからしむ のは、 ょなく関係らか のゆかりをゆか た関係をここに見るのであ の願いと、 い人物 町に入るという離課された状況が創り出されるので せられる一般に意味があったと考えられるものであり、女一一 よって紫上の理想性がどのように輝きを増そうとも、それが 歩退くことによってのみ顕現される援 っている。 つ ま り 、 紫 上 は あ く ま で も 源 氏 数 界 の 女 主 人 で あ り 統 け とは一言うまでもない。対の上として ことが、それな何よりも明らか の幸福を意味するものでない しかし、 G それはこ人の紫のゆかりとして、じか 登場にあっては、紫上の 二条院からニ条東院、そしてんハ条院へというがおくに、空間的義大と歩調を合せるもの そして、若菜巻以前の謀長世界は、 せたい のゆかりが こそが朱雀践の手本と仰いだものに外なからなったのである。 めてきたように、女三官の鋒援は紫上の ていない限り女一一一宮の登場はありえないとい もう一人の紫のゆかりが護れることによって、 ということであり、その紫上の の影のごとき存在なの H あった であったのに対して、 による新しい局面の しがる源氏の器撤的姿勢の交錯するところで実務したものでる ﹂れま し ブ は紫上の虚像の知きものなの 性 の の てくる仕掛けである。紫上 O る 位 ペ 〉 3 8 源氏物語論 大朝 るにもかかわらず、世間の認める正室は女三宮であるという分裂がここに露呈されてくるのである。それゆえ、女三 宮の降嫁の問題は、それに至る朱雀院・源氏の側の必然とは別に、この事態に関するもう一人の当事者である紫上に とって何であったかが当然間われなければならない課題なのである。たとえば、女三宮を訪れようとして心の準備を する紫土を描いて、 対には、 かく出でたちなどし給ふものから、 われより上の人やはあるべき、身の程なるものはかなきさまを、見え 置き奉りたるばかりこそあらめ、など思ひ続けられて、うちながめ給ふ。四の叩で と物思う心中が叙せられている。このように己れの身の程を回想してくるような紫上の境遇を作者が一貫して語り続 けていたからこそ、女三宮の登場が易々と行われたのであり、 しかも、母女御を早く喪って心もとない姫宮の状態が かつての紫君に通ずるものがあったから、その前例に倣ったというように、紫上のはかない境遇がこの降嫁のきめ手 これまで繰り返し述べてきたように、 若菜巻の源氏世界は、 玉霊の若菜奉呈によって代表され になっていると言っても過言ではないのである。新しく女三宮を投入してくるために、作者は紫上像の根本を何一つ 改変してはいない。 る旧来の世界構造の中に、たった一人、女三宮が加わるだけで物語の様態が激変するところに特徴があるのであった が、重々しい後楯を持った高貴な姫が登場したならば、ひとたまりもなく圧倒されてしまうであろう紫上像は、若菜 注日 巻で急造されたものでは決してなく、それ以前に既に十分に匪胎していた要素なのである。 第一部の紫上については、夙に松尾聡氏の重要な立論がある。氏は第一部の紫上が一貫した女主人公であり理想的 な女性であるとする考えに疑念を持たれ、 若し末摘花巻以後に於ても紫上なる女性が女主人公であり市も作者の理想とする女性であるなら、其女性に対する 中略・・・・・・即紫上が女主人公である事は、 紫上が 作者の描写は他の女性群像を描くに超えて、筆に於ては準かに精細に、意欲に於ては遥かに情熱的であるべきが白 然ではなからうか。 然し乍ら事実は必ずしもさうではない。 39 人文科学論集 主人公源氏の第一夫人たる事により、又主人公源氏が凡ての女を超えて尊重してゐる事により説明せられてはゐる が、それは飽︿まで筋の上での女主人公である事を納得させるに止まり、物語としての女主人公である事を納得さ 注ロ せるに足る描写は一若菜巻以下に至って始めて見出せるに止まるといふべきではなからうか。 この松尾氏の提言とほぼ重なる見解が阿部秋生氏にもある。すなわち、 紫の上が、第一部で既に女主人公であったと認めることは、物語の展開からみると無理なことのやうに思はれる。 申略::・こうしたことになる一つの理由は、第一部の物語の構造が、事件から事件へと展開することを性格として ゐるものだからである。その事件の展開の間に隠顕する人物の感情や心理の要は、随分こまかに描写されてゐると いっていいであらうが、 しかもなほ第一部の物語の性格は事件の展開を軸としてゐるところにある。従って、事件 ll即ち反日常的な生活の中心に立つのは、主人公と藤壷の宮・六条御息所・明石の君・撞斎院・夕顔・空蝉・末 摘花・玉童などで、日常的な生活を共にしてゐる紫の上ではないのだ、といっていいのであらう ο 注目 そ七て叉、秋山農民も前記松尾論文の視点を引きついで、初期の紫上が﹁年月の流れを内面化して成長発展する人間 像﹂ではありえなかったことを説かれているのである ο これらすぐれた先覚が一致して第一部の紫上が主人公として の実質を備免ていないと論じられているのであるが、この紫上論は単に紫上だけの問題ではな︿、必然的に三部構想 の重要な論拠になるゆえに事は重大である。すなわち、女主人公紫上の描き方において、第一部と第二部との聞には っきりした変化が認められると捉えるとき、実体を伴わない第一部の紫上の描き方こそ、第一部が古物語のレベルに 留っている何よりの証左であると解くことになるのは必歪であった。事実、松尾民の立論は、戦後間もない時期にあ って、それまでの因襲的な源氏理解を打破した記念碑的論文であり、直後に訪れる成立過程の論の先導的役割を果し た、ものであヲたし、阿部品は人も知る三部構造説の鼻祖であられた。そして、そのような理解において秋山鹿氏の若 菜巻論が﹁質の転換﹂﹁方法の転換﹂を論じられる必然もあったのである。 40 源氏E 物語論 大事E に対し ちに第 部役界が物語として幼稚単純であることに懇路できる とは、 実は に喪うて が成ゆ立っている てきれない。当時面する紫上の いよノ となっ私は従 が観念的にしか捉 ことと言うべきなのでは 第一部の 務の紫上が理想的な女入として翻意的に作り上、げられているという点については、私もほぼ鰐惑しうるのであ るが、そのこと ることを考 あうたの ような趨滋実的な背景柄が語られようとも、その のかかわ と認定しているかに がただ単に壊想的な妻として L のではなかるう ては左大 して光源民の北の方に据えられるというのは、当 る条件を作り上ぜたので 光課誌の ているか そこ勺の際題は源廷がどのような基盤において紫上を ﹁理懇的 と考えられ、撞設問される て帯木二一帖の 葵上をさ いて望ましい の伴侶たるべ きものであろう。紫君一の登場は、まさにその常識的儲値観を越えるものとし の姫君葵上が最も望ましい の後見を全く持たない源氏が宮恕社会の場に征してい 押し出向されてくる背景は、必ずしも単総棄朴なものではない。 の社会連念として妥当なもの くるの 事実の上で渡氏世界 るのである を越えるものとして語り出されている点に格別の在意を払わなければなら 葵巻で饗上が世を去った識に紫震は一新枕が諮られて、 条件がん模索されている。 て意味づけ の 明的に援われていようとも、 も、そこ広託された古代人の夢は紛れもない現実に根ざすものである。だから、 には必ず対露する現実がひそんマいる。たとえば、竹数物一時間のかぐや綜がこのす-の人ではない倍脊の世界を現出して らなのではあるまいか。たとえどの上うに ﹁鏡念一的﹂という言い方が定替として有効盤な持ウてくるのは、 やはり 十e 九世紀以降の くの 、必ず対応する現実から抽出されてくるものであ 為 日 ゐ ま い か 。 ﹁ 一 観 念 ﹂ な る も の が 砂 上 楼 融 織 を 意 味 す るな も えられていない、としても、 来 議 治 、 ないの 41 Q , ; J ' の か。か 人文科学論集 が、その の草子地は 、ことさらに作り出でた る街有様なりいハこの柑内 1﹀ ってい ていることにほかならないであろう。あるいは、事制約が物語世界の 、ことさらに:::﹂とことわらねばならない線に、 いま進行する物語の現実の る。この草子地について秋山鹿氏が、 いれは、紫上の幸いが は異様であり、不調和であることがことわ ている紫君が、殺 っていること、それもひそやかにお蔭の人と接われるのではなく、澱氏世界の唯 た一所に 現実から異賀的に降き上った典例さのゆえに、かかる除雪によってことさらにそのことに現実性を与えるべくてこ いれをし、これが合理化されようとしているのだともいえよう。 Eー の人とし と設かれたのはさすが韻騰すべき卓見である。丸裸の菰毘として宮廷社会か 想者光源氏 ごとさらに いたいこととは、 モあったということなのであ 一人の女主人ることがいかに破格であったか、秋山氏が説かれるように、 にことさらにつくり出出でた はおられない光源 }べくもない状態が作り治されているの って、身寄りのない紫君を女主人 うようなてこいれを加えなければのそしりをまぬか・いほどに そこで ることながら、党滋氏の理想牲に外ならないの ある点についてである。源氏以外の男に 、葵上とはまさに対糠に し りえる構識なのでるる。しかも、作者は、糠氏が紫君司令一選んだことについて、 作り・出じたようなと説務 ってしまえば、 く揺れ動く状態を てくるためには、葵上が六条御息一般の 入るといっ 紫君を撞くのにこの上ないほど細心である。 て伊勢に ずるだけで能楽終われりとしているのではない。紫殺が物語上 てくるのであって、 によってとり殺され、備陣息所もま 結えて で し 、 ま 紫君の ている源氏への は衆自の一 と ず イ〉 ~C 氏、ということなのであって、自らの密儀観によって行欝を慾択する自白人と描かれてくるがゆえに光源氏が理想者た り 、 42 若手;氏物語論 大戦 るよ ように、 ほとんど作為的に紫君の 男女の仲らいぐあるとわざ に意関していると一一一日わ みんな瀦誌の身辺を去ったあとにただ ちりばめなければ物語に定義 れないような絞絡な 人紫殺が残る往組みになっている。その いろいろ た状況の上に、それを説明して物語の中でし の入れようなのである。 もし第 に仰の力も持たない境遇の下モ られた の底流 起した の軸を持たな の諮き孤立性、ないしは の説民世界が はかならぬ死の して紫ょに理組的な妻のイメージ をして招の毅今一所も持たない存在として つの理由は、 一つには、 いのであって、そのことこ しないほどか弱い立場であったということ、というよりも、 ﹂ レ ﹂ のではなかったか。 怒らに考えられるもう の分担者たらざるをえないの ﹂とは明らか勺 の主投に立つ の生前は源氏の って、 において具体的な形象を持って辻いないというの に源民の 措かれていることに由来す とき、 てシざて、 なければならないということなのである。 として見えかくれに断続的に の髄醤としての れているものならば、物語の各帖は伊勢物語 の殴 光源氏の日骨性生活性 いえども源民の上に流れる歳立はお記的 代 い c 反日常的生活が い反日常的な事件だけ せざるをえなくなるであろう。しかるに、第 ている事はくり返し述べてきたところである。その累積す 口が、葵巻から扮っていることは決して偶然とは の新枕が語られるというが怒くに、ここではじめて源氏は完全 の経過を迩 ち紫君を女主人にする世界と認定されるのである。 W 掲の総州議性でもっ な正確さ めを明記して に外ならないと考えられるもの震であり、 のごと会年来年拾の からである。 ぃ。葵巻は冷泉艇が東宮になり、 閉介を護得してく 43 '- 、 ; 1 1 - 紫 上 人文科学論集 葵上が事件の主役││反日常的な場面ーーとしてクローズアップされるのが、外ならぬ逝去の場面であったという 事情にまさしく対応して、紫上が具体的に描かれはじめるのが若菜巻からであったのだ。それは物語の方法の転換な 女三宮に越えられることに いしは作者の世界観の変改にかかわるものではなく、紫上を越えて六条院世界に正室が登場するという状況そのもの に由来すると言わなければならないのである。紫上は葵上を越えて女主人に据えられ、 よってさらに輝きを増すというが如く、重い背景を担う正室に挟まれて明暗が描き出されているのが特徴的なのであ る。確固不抜の座を占めていた紫上が女三宮の出現によって急転して苦杯を喫するというのではなく、身寄りのない 紫君が源民世界の女主人として遇されることが、そもそも物語の中にしかありえないような破格な扱いであったのだ し、だからこそ、紫上を越えて女三宮が登場したときの紫上が問題になるのだ。 o これまで述べてきたように、宮廷社会に何の保証も持たない紫君 であった。第一部に描かれる事件の中で紫君が嫉妬できなかった例として朝顔巻における前斎院の事件がある。 て己れの優位を確かめてのことであって、女三宮のような場合にあっては嫉妬することさえも自らに禁じてしまうの るところにも、紫君の置かれた位境の一端が窺えるのである。もっとも、紫君が嫉妬できるのは常にライバルに対し 定な境遇であり続けている。彼女が非常に敏感に源氏の心の動きに反応を示し、すばやく嫉妬するものと描かれてく 抜の安定の中にぬくぬくと安住しているのではない。高貴な女人が現れたら速座にも揺いでしまうにちがいない不安 が、光源氏の最愛の人であり続けるところに最も積極的な物語的意味があると考えられるのである。紫君は決して不 形にすぎないと言うわけにはいかないのである 中心としてクローズアップされることがないのは事実であるのだが、それをもって紫君を具体的な形質の伴わない人 第一部における紫君が若紫巻において、源民に発見され盗み出される幼い主役を演じたのち、物語の表面に事件の 十 4 . 4 接言氏物語論大戦 については、秋山同農民 問題にされて、その形代としての ほど全的にゆさぶり強ませ 上の不安な佼地合確認するそのことが、 ﹁紫上 てくるかたちを見る ﹁紫上の がある。氏はそこ L の死の らす意味の ほかならなかっ そして がそうであったように、 におけ に拐顕であり、 の結び臨し ﹂こに至ってはっきりと据え直されてくる、と論じ る据え直しの への売のあこがれ心が、これもけっきょくは紫上との 仲山間叫 の初期について れるの と説かれている。この歌山氏の説かれるところ むものではないのだが、民の として 大筋におい ている?込の 部と第二部との繋的方法的な噺勝と幾幽閉され である点、私にはいま一つ納得で の生活闘に で、上の品の と一言いうるものであるが、肉親の縁うす によってこれほどまでに動議 れ賢木巻で斎腕に入 いと心に る。にもか の総退場という状説を作り出したと の朝顔君 とって最初 は避けたということに外ならないであろう。 ている。ということは、上の てくる展開の のようにもし留っていたらといは無意味なことで でに六条働側患所の普憐を5が戒めとして濃氏 ったとしたならば、紫上のありょうは変っていたかもしれな の脆弱な基盤そのものにあると見られるのではある設いか。葵巻 決めるものと撞かれているのであるから、 作者が紫話を源氏世界の中む いう事実は、上の品の女性と両立会伎で紫君を語ること 心を分 のはじめから、本質的に紫上像な規 の不安は、 の上では、紫上 るものであり、それ辻結局は めてく で変らざるもの ば若紫巻での る源氏と紫上との関係については、基本的には源氏が世俗に背を向ける姿勢での であって、それがひいて きかねるものがある。 しなければならない い境遇は何ら本質的に変改されていないのであって、ここでの けた源氏が蒋び紫上への愛しき ていたもの 4 < > いのだ。努論、物語に語られだ、薬巻の持点で る朝顔君は、も て け 厳然として身分社会である宮廷の秩序が張りめ 45 治 、 紫 v 1 . b 人文科学論集 から最後まで無視できない強力なライバルなのであって、﹁身の程﹂が直接に問題になっているのである o 朝顔に懸想ばむ源氏に対して紫君の物思いは次のように描かれている。 同じ筋にはものし給へど、 おぼえことに、昔よりやむごとなく聞え給ふを、御心移りなばはしたなくもあベいか ニのお内 1 1 四の畑出向 ーよベ 1 J 門d v 1 四の 4 山 1 え置き奉りたるばかりこそあらめ、など思ひ続けられて、うちながめ給ふ o 手 習 な ど す る に も 、 自 ら 古 言 も 、 物 思 対には、かく出でたちなどし給ふものから、われより上の人やはあるべき、身の程なるものはかなきさまを、見 めに近くうつればかはる世の中を行くすゑとほくたのみけるかな のから、 をこがましく思ひ結ぼほるさま、世の人に漏り聞えじ、 はばかり給ひ、 いさむることに従ひ給ふべき、 おのがどちの心よりおこれる懸想にもあらず、 せかるべき方なきも 心の中にも、 かく空より出で来にたるやうなることにて、 のがれ給ふ方なきを、憎げにも聞えなさじ、 わが心に しかど、 わざとも思しとげずなりにしを、 など思して、然る事もゃある、とも問ひ聞え給はず、 紫の上も、 かかる御定など、 かねてもほの聞き給ひけれど、 さしもあらじ、前斎院にも懇ろに聞え給ふやうなり 適合している o いまそれを抜き出せば、 ここに語られている紫君の心中は、良く知られているように、若菜巻で女三宮を迎える場面の紫上の心中にそっくり を、うらもなくて過しけるよ、と思ひ続けて臥し給へり。幻山 ﹁馴れ行くこそげに憂きこと多かりけれ﹂とばかりにて、うち背き臥し給へるは:::かかりける事もありける世 給へ、 まめやかにつらしと思せば、色にも出し給はず あなづらはしき方にこそあらめ、など、 さまざまに思ひ乱れ給ふに、 よろしき事こそ、うち怨じなど憎からず聞え 歎かる。かきたへ名残なきさまにはもてなし給はずとも、 いとものはかなきさまにて、見馴れ給へる年頃の睦び、 な、年頃の御もてなしなどは、立ち並ぶ方なく、 さすがにならひて、人に押し消たれむこと、 など、人知れず思し 1 2 l 2 4 3 4 6 源氏物語論 大朝 はしき筋のみ量一回かるるを、 さらばわが身には思ふ事ありけり、 と自らぞ思し知らるる、 四の叩日 1 朝顔 1 2は、若菜 1 2 3 4にそっくり引き継がれている。なかんずく、右の若菜 1の如く、紫上が朝顔君の事件を回 想して降嫁の噂を自らの心に打ち消す心の動きは、この両帖の出来事が互いに決して無関係なものではなく、一つの 類縁関係にあることを意味していよう o 紫 上 が 類 似 の 事 件 と し て す ぐ 朝 顔 の 一 件 が 思 い 起 さ れ て い る と い う こ と 、 そ して前述したように、左中弁や朱雀院によって朝顔のことが話題になっていることなど、朝顔巻と若菜巻との関係の 深さを窺わせるのに十分なものがある。誤解のないようにつけ加えたいのだが、私はここで女三宮降嫁の伏線として 朝顔巻が置かれているなどと言おうとしているのではない。無視できない身分の女性が現れたらどんなにかはしたな いことになるかと深く怖れる紫上、そして、そのような場に直面しては嫉妬さえも表に出すことのできない紫上の描 かれ方が朝顔巻に先行することによって、若菜巻の危機的な状況がより生きてくるという関係に注意したいのであ る。つまり、朝顔巻の時点で女三宮の降嫁という特定の構想を用意していたかどうかは全く問う所ではなく、後にな って女三宮の降嫁の如き展開があっても少しも不思議でないような紫上の描かれ方になっていることを見逃すわけに はいかないとということである。 その場合、朝顔君が現れて紫上が大きく動揺することは事実であるのだが、この朝顔巻で紫上の置かれていた状態 は必ずしも最悪というほどのものではなかったという、もう一方の事情に注意を向けたい。それは松風巻で明石君の 生んだ姫君を引き取って愛育する紫上という状況設定が先行している点である。明石巻から再開標・松風巻と、明石君 の出現に対して激しく心動かす紫上が描かれるのがあるが、前述したように、明石君には紫上を決定的に圧倒する力 が与えられていないことにより、姫の輝しい未来のために紫上に差し出F ことで和解が成り立つのであった。紫君が ﹁上﹂の称呼を伴って語られるのが薄雲巻であるのは、后がねの姫の親という実質を持つてはじめて可能であったと 言えよう o藤壷の嘉去と紫の﹁上﹂が同帖に重ねられてくるのは決して偶然の一致とは考えられない。 47 人文科学議集 τd ﹄ 、z の亮去を物語詩面の展野の ならば、太政大臣や経欝式部卿の藷去など v u v 、 、 のピークに泣寵するものであることは物論として、それ合源氏世界によ せて作為的に のめでたさが関らかにされている。その将来のゆえに品劣れ u u源 昆 るということなのである。しかも、冷泉院の郊位に重ねるように明石君の姫 間同位が実現し、かっ、藤壷が源民と計って冷泉探の後営に前斎宮(六条御息所女)を入内させて、冷泉践 の栄撃の構闘を確立させ 窓際の に構築され 7j え る二人の人物、冷泉院と の若震が新東宮と語られるのに合せて紫若の新枕が績か に連るのであって、新帝と后がおの姫という 、要巻におい に格別の のであって、 以前の紫震と はあたか に痛烈に思い ってい 公るの の怒の ない形で いう紫君の立場の ・ 亀 ま工、 J立、0 5 工 品 jtJ f'pb 44'EJJpb4J i v ψ J ったとたん、 ているかの如くでさえあ 不動のものになったか ら退場するのである。しかるに、その にふさわしいものではなかったか。冷泉院と紫震とが共に確実 、明石姫を手許に引き取 のではなく、頼りになる身よ の鼎即位と附刑務の誕生は、源氏批界の揺 t こ て紫君に引ぢ取られるとい れていたのに見合うもの いま、即位した冷衆院と日 に達したと念、藤査は ち 、明石君というライバルの出現が結果としては それは紫討を除外し っていくのである。 紫窓とが滋氏独自の物語世界を作り上、げていることをお突に の入道が捕か らかに一段昇つ 物語に押し出され と呼ばれてくるのである。 つくことになるのであって、 からこそ、紫、が て藤壷 もそ盤底からつ かけの安定でしかなかったこ にしたの ってそのいつくしみに没頭する可憐な紫君をこ の陸が、 し て の ず こ 、 で 4 8 滋氏物語論 大籾 はほと にあっても、 でも言いたいほど、紫上 の み て女三宮の降援が決定するのである。もし、この ているの はもっとっきつめた作者の が多くの実子に に托す希望念持ったか杏か というのではなしに、 いうよりは、 のままあ 幸せな母親 できなかった 為、崎 w} 、 宮 、 刀 、 刀 朝藤巻が若菜巻女三宮の鋒援に通ずるもののは、 への好奇心と同列に の苦悩とい 占まえ︺ できる志のであっても、 の予惑を通して拠えられる高濁においてである。 めがたいの の描かれ方においてであれジ、 て女 ているわけのもの守ないことは物器本文が拐 についてである。 にとって定機的な予感として斎莱巻の 結びつくものではないとい の側から見れば朝顔君へ なって 九ゅ の再登場によってこれほど の設を演じているものであった に捺してマイナス にしっかり根た下す形で幸せ どのようにものはかないものそあったにもせよ、 た蓋笹に、 明石娘が東宮妃として入内し、 それにつ ことはなかったはずなのである。そして、それはまさに若菜巻での たとえ源氏に別引き歌られ までに るはえばえしさ に遠慮した になったものであったならば、 説、が近い いかの であるような人物造翠念行ってきた作者にあって、急転読下、その紫上の る。できたか 三 コ きであろう。 つまり、物語の女主人公紫上をどのように措くかという最も滋泉的なところで、第一 ろうと患われるから わるもの 3 詑H 、 H :し 窓口 こ にその と女 たいのは、 十 宮事件の先駆的ではあっても、 そこで し 、 の { 朱 雀 て のではないということである。線氏が朝顔に対して 49 ~i i : 仁 人文科学論集 らかに の次のよ ん、ずく、 3 によっても、そ のうれたきに、 負けて止み 一 の 引 川 内 たりしを、な⋮はあるまじくはづかしと患ひ び心にすぎない。 にて、 たりし世にだに、故宮などの心よ佼 のであれソ、一致詮は源氏の れは現出に窺うことができる。 菅われも人も著ゃに罪ゆる にさだすぎ、 るるにもあらね、ど、 べきである。 の心中とし てくるのはこの事件の不喝競合一如実に一都 して朝悩酬なと の轄顔の物思いの根底をなしている。その点では、 がたい状認に加えて、父宮を爽つ のを何で今さら、 して謬氏の求愛を素藍 なかっ つものでないことは自ら明らか のお勺)、ということなのであって、この懸想がいかなる意味で ﹁あながちに コ d 器開えてやみにしを、世の a a ・・﹂ て源氏もま も口靖しく・・・ った時勺さ み出してくる千不ルギ i て、昔お瓦に さだすぎ H れ の るとさ に一美うち るものであって、源氏の懸想と紫上一の極みの歯車は って、一言うならば紫上の く間執のもので それゆえ、 の朝顔君に向う心の様斜の延長上に ヤ)れが逆に の の不安がいかに根 は設が身のはかなさを改めて も噛み合ってはいない。源氏が朝離を手に入 官 の 一の部門 と 、 l) るものでないことは現 ことが記されているのであるが、それは若菜巻で朱雀院が源氏をして一旧りぜぬあだけいと一評したもの とも誌で来なむ﹂ は践に源昂独自の好き心なのである。それを物語木文では、女一貯の のに有効でもあったのである。 紫上の に近いので ているものでないのは明らかであるにもかかわらず、 れる強い J 対‘で れ 、ずある る・ると 諜かい 誌をう の加の dむ の 科告として、﹁いでや、制押すを心の氾りがたさ、そ、るたら御滅なめる。軽々した にの は紫上が怖れるほど強力なものでは決してない。むしろ紫上のはかなさに接近したところで登場せしめられてい している。 μ L、 イ コ は以前にくらべて著しく悪化しているこ て れ 朝い 顔も 50 源氏物語論 大朝 らかに予測できる。 今は内・外もゆるさせ給ひて この朝顔事件と同型の情動を若菜巻に求めるならば、それは臨月夜への慕情の復活を挙げなければならない。 顔 1 神さびにける年月の労かぞへられ侍るに、 ま、両帖の叙述を抜き出して対比すれば次の通りである。 一、朝 二の沼山 今更に若々しき心地する御簾の前かな。 ける。 二のお内 I ニのお内 1 1 過ぎにしもののあはれとり返しつつ、その折々、をかしくもあはれにも、深く見え給ひし御心ばへなども、思ひ 出で聞えさす。 見しをりの露忘られぬあさがほの花のさかりは過ぎやしぬぐむ 年月の積も哀とばかりは、然りとも思し知るらむやとなむ、かつは。三の泊以 1 o I l 円当、ノつリベ! 円υ ト口 γ P Oジ 四の白内 年頃も忘れ難くいかならむ折に対面あら ニのお以 今更に若々しき御文書なども、似げなきこと、と思せど、なほかく昔よりもて離れぬ御気色ながら、 口惜しくて 二、瀧月夜 六条の大臣は、 四の臼内 かの人なる和泉の前の守を召しよせて若々しく、 いにしへにかへりて語らひ給ふ む、今一度逢ひ見て、その世の事も聞えまほしくのみ思し渡るを、 あはれに飽かずのみ思してやみにし御あたりなれば、 過ぎぬるを思ひっつ、えやむまじく思さるれば、 さらがへりてまめやかに聞え給ふ。 戸 L、 齢の積には、面なくこそなるわざなりけれ。世に知らぬやつれを、今ぞとだに聞えさすベくやは、もてなし給ひ む 宵過して、陸じき人の限四五人ばかり、網代事の、北目覚えて、 やつれたるに出で給ふ。 5 1 1 2 3 4 。 1 2 3 人文科学論終 関の山山内 いと若やかなる心地もするか つらくこそ、 いにしへを思し出づるも、 1 により、 し世の と思ひ出で し人の、 ぢ宏、ざまに没 のつもりをも、絞れなく数ヘらるる心ならひ氏、 かくおぼめかしさは、 はざるいみ の対面は、ありもすべかりけりと思し弱るも、もとよりづしやかなる所のおば 1 留の船内 3 1 るに、年月のつもりける程も、その 四の仰向 のことか、ぎつ の中を患ひ知り、来し方を梅しく、公私のことに触れつつ、数もなく思し祭めて、いといたく過し給ひにたれど、 協の郡山 心ながらもゆ ぬことに思し のことなりけりかし、 と思し たる御対爾に、その世の事も透からぬ心地 Lて、え心強くももてなし給はず。 る 。 の墜し給ひし、この づけあはれに いと若やかなる御ふるまひ 致しているの 々しくいに であり、再よりも諮られる用語の共通現象においてそれ 々しき心地﹂、 6 ﹁今更に若々 しこは一見して の1 ﹁今更に ﹂ろで L l凪 、 これらの共通義 いものである。 つまり、 それ のであ であり、そのゆえに横設する間観的苦熱とい のS のおき展開を見るとい は、朝顔が葵殺で心強くも騨く設いと決心したものに潟応して γ の パ タ; 1 るものであり、 又 、 の つの場面が非常に訟通っている たとえば、 かなる心地﹂、 7 ﹁いと若やかなる調ふるまひ i . I の5 ﹁年互のつもりける程﹂に被っていくものである。 そして、 t こ て 、 その爵験的情熱を支記するのは 致するのであり、以前との対比が関駅前のものになるゆえ るをえない状祝なのである。 あることでも の この しへにかへり の積﹂、 に密接し 朝顔の び議月夜への恋慕が共に先に指摘した で一致するの かなるい 心地や振舞と評 ままの関係のことさらな ったのに対して、離月夜にあって -F ‘や宅 ﹂、 ' 占 と : 2 4 5 6 7 52 源氏物語論 大朝 ﹁齢の積﹂なのである。一一一口わずもがなのことではあるが、このように描かれてくる情事が新しい未来的な展望に無縁 であることは論をまたない。ということは、両者ともに事件的興味││反日常的生活ーーを第一義にしているかに見 えながらも、朝顔の場合には藤査の死に代表される世代交替現象、瀧月夜の場合には朱雀院の出家によって象徴され る源氏身辺にしのび寄る老いの事実という、それぞれの情事をとり囲むより大きな状況に反応する源氏の情念という 面が顕著なのである。その大きな状況の下で発動する源氏の情動なるがゆえに、結果としては同種同型の情事がくり 返されることになるのではあるが、ここではくり返されることにこそ意味があると言わなければならないものなので ある。このような情況は、すでに小論第六節以下で述べてきた源氏の変容と完全に一致するものであり、そこに累積 している歳月の下での﹁昔﹂の意識、 および、それの個人化された老いの意識の明らかな現れとして朝顔や一臨月夜が 位置づけられているのである。 o朝顔巻においては、朝顔と紫上の二人によって形成される心 朝顔と臨月夜との事件が、物語のパタ lγ として抜きさしならない近似が認められるものであるが、 しかし、それ は両者が等質であることを意味しないのは勿論である 一方が予感としてありえた危機感であったのに対して、瀧月夜の場合には、その予感が現実化した後の 的な葛藤であったものが、若菜巻では、女二一宮が降嫁したという厳然とした変化の中で臨月夜の情事が挟まれている のであって、 弛緩にも似たものになっているのである。それは臨月夜の事件について示す紫上の反応によって明らかに知れる。こ こでは紫上は、﹁今めかしくもなりかへる御有様かな。昔を今に改めて加へ給ふ程、中空なる身の為苦しく﹂(四の町 と語るのであるが、 かつて朝顔に対してはあれほど深刻に悩み怖れた紫上は、この臨月夜に関してはただわずか 内T ) に怨み言ーを述べるだけである。この﹁昔を今に改め加べ給ふ﹂というのは、昔 HH 臨月夜、今日 H女三宮を意味するもの と思われ、女三宮の降嫁の現実の前にあっては、源氏の昔の情事の復活、 つまり回顧的情熱が紫上を深刻に揺さぶる ことはもうありえないのである。朝顔巻に認められる危機的予感は、若菜巻では、 玉霊の若菜、女三宮の降嫁、そし 53 人文科学論集 て臨月夜との情事というが如く、より複雑化した人間関係の中で実現してくるのである。この状況の違いとは、それ だけ源氏に重い過去が累積していることに外ならないのであって、玉童をなつかしむ源氏が一方では臨月夜への恋慕 を復活させるという相乗作用になっている。しかも、そのようにさらがえりて若々しい行動に出る源氏とは、紫上の 外にもう一人の紫のゆかりを迎え入れた反動のごときものと捉えることができる。 りうるタ霧という描かれ方がなされている所に、源氏の内側を規制する老いの問題がかくされていると言えるのであ ことはこれまで述べてきた通りであるのだが、源氏の回顧的情熱の反面を形成するものとして、 玉霊の求婚者にもな イダーになりうる可能性を帯びて語られてくる点にあると思われる。勿論、タ霧が決して源氏の再来にはなりえない る緊張が存したのであるが、この一連の流れの中でのポイントは、 少女巻で元服を果したタ霧が常に事件のイ γ サ 場は柏木や壁宮・髭黒そしてタ霧をも含めて多くの求婚者が勢揃いする一方で、源氏もまた養父と懸想人とに屈折す 憶に重ねられていくところに、朝顔巻と同型の昔の恋人へ傾斜する心が認められるのであった。しかして、 玉霊の登 たい。少女巻はタ霧の幼い恋を描きつつ、タ霧の恋うる五節の舞姫がそのまま源氏のかつての恋人筑紫の五節への回 朝顔巻から若菜巻までを埋める物語が、人物単元で言えば、タ霧と玉霊をめぐる話題に絞られることに注意を向け のゆかりの出現を誘い出すいかなる要因があるのかが次なる課題となろう。 語への展奇に外ならない。そこにおいて、朝顔巻前後から若菜巻への物語の流れの中に、紫上に被せてもう一人の紫 巻前後の状況にくらべると明らかに一階層上にのぼった展開になっている。それは源氏三十代の物語から四十代の物 語は螺旋状に回転して、明石姫の入内、紫上の女御に准ずる待遇、そして源氏の准太上天皇というように、薄雲朝顔 前節で見てきたように、朝顔巻に語られている予感がそのままストレートに伸びて若菜巻に至るものではなく、物 十 5 4 源氏物語論 大朝 る。つまり、事件の当事者になる人物が、タ霧や柏木などの次なる世代に移ろうとしている徴候が、徐々に表面に出 はじめようとしている。その最も象徴的な挿話として、野分巻でタ霧が紫上を垣間見て、 ひそかにではあるが強い衝 撃を受ける場面が指摘できる。玉霊をめぐる求婚者の群れの中に、養父でありながら屈折した懸想に悩む源氏を描く 一方で、タ霧が究源氏の正妻格の女性に心を奪れるという二重の犯しの可能性を苧んで、 玉霊十帖のこの上ないみや びな物語が悠々と進行しているのである。玉霊をめぐって源氏と柏木ないしはタ霧が、養父と異母兄妹というそれぞ れに近親相愛的な葛藤の様相を量しながら、同時に紫上に心惹かれるタ霧が描かれてくるのである。秋好中宮に心ひ その逆転として、 源氏が妻を奪れる展開への予感が語られようとしているのだ。 妻を奪れる源氏という構想 かれ玉霊に懸想ばむ源氏は、明らかに藤壷にあこがれ臨月夜と契った系譜の上に位置づけられる情念の動きである一 方で、 ﹂こでの問題は、 玉置に向う源氏の心と紫上を意識するタ霧 が、作者によってどの時点で着想されたものなのかの具体的な識別は、所詮は不可能であって、この野分巻ではじめ て意識された構想などと強弁するつもりは全くない。 と、というまさに対立する二つの情動の交錯するのが、タ霧元服後で三十代の半ばに達した源氏世界の様態であると いう事実そのものである。 桐壷帝l│藤壷ーーー源氏という関係の最も正確な逆転図は、源氏││紫上││タ霧という関係であることは明白で ある oその報いへの兆しが野分巻の緊張になっているのだが、この密通の可能性は最も奥に秘められた語られざる主 題として、物語の欝の部分にならざるをえないものであった。紫上は源氏の完全な教育によっていかなる隙もない女 性であり、同様にしてタ霧もまた決して暴発することのない健全な常識人に生い立っている。しかも、己れの体験か ら男女の仲の不可思議さをよく自覚している源氏が、 日頃からタ霧への警戒を息らないと語られている以上、タ霧が 紫上とあやまちを犯す可能性は零に等しい。人物の各々をそのように描き進めてなおかっ、タ霧が紫上と密通する展 聞を語るとしたならば、それは作者が一貫して語り続けてきた理想者の内面を語る主題の自己否定でしかないし、ギ 5 5 人文科学論集 リシヤ悲劇的な運命そのものの物語に転じてしまうであろう o さりとて、私は源氏物語をして性格悲劇だなどと言お うとしているのではない。藤査の事件は何らかの形で応報を見なければならない根源的な宿命の主題でありながら、 紫上もタ霧も事件の当事者になるような造型はされていない。さらに注目したいことは、野分巻の源氏は壮者の栄光 に包まれていて、妻を奪れる笑止な役を演ずる衰えには全く無縁であることについてである。前に指摘したように、 玉童十帖の源氏はタ霧や柏木に向って冗談めかして己れの老いを語るものではあったが、それは若さを過、ぎて未だ老 いを迎えるに至らない微妙な平衡した年齢的契機を意味するものであった o そ の 源 氏 が 若 冠 に 苦 杯 を 喫 す る こ と な ど (四の町内 1) と、源氏の出家にはかない希望をつなぐ心が語られている ありうべくもない。若菜巻で柏木が女三宮に絶望的な慕情を寄せ、 ﹁世の中定めなきを、 大臣の君もとより本意あり て、思し捷てたる方におもむき給はば:::﹂ のであったが、その柏木の心からも、源氏が健在でいる限りいかにしても源氏を越えることの不可能なことが判明す る。事実、柏木が女三宮に接近できたのは、紫上の重病による二条院転居後であり、源氏の不在の六条院であった。 だから、野分巻でいかにタ霧が紫上に心を尽しても、この場で事態が急旋回するわけのものでないことは確実なので あるが、源氏が己れの老いを予感しはじめるのに歩調を合せて、徐々にしのび寄る運命の予感が語られる点に注目し なければならないのである。光源氏の物語は、藤壷とのかかわりを物語構成の最も奥深い原理にしていることは疑い えないものであるが、藤壷事件そのものが主題であるとは必ずしも言いきれない。言い換えれば、藤壷事件の罪をあ がなうために物語が語り続けられているものではない。その意味では、この物語に因果律の安易な適用を試みるのは 誤りであろう o源氏が生き続けて栄華を窮めながら、その晩年に至って結果として藤壷事件との照応を見るものなの であり、源氏は最後の最後まで理想者であり続ける。源氏は紫上タ霧の裏切りによって敗北するのではない。まして や柏木という特定個人にうち負かされるのではない。六条御息所の死霊によって導かれる源氏自身の運命によって自 5 6 滋氏物語論 大綴 ら敗北するのであ この野分巻の掛識を介在させて 紫上と 一人の紫のゆかりとして ないも の血筋を引くも においては決して突現させることの に表裏する関部でもって、 より根源的な三角関係、 るであろう。しかしながら、こ 一一宮は、明らかに紫上の身代りと把 れるのであり、だからこそ、 人の紫のゆかり・ の登場を照射するとき、 ってくるの る。つまり、もう 源氏 11i 女三官 112 裕木の事件の で、柏木の るのであり、柏木はタ一霧の代役と言うべきものだある。若菜巻 ったの のふ応報としての密遊の せられてくる窓義が鮮明に を奪れ からも、 ンシヤルに秘められていると言うこ る組問見の Jjsu MM 、 線氏;!紫上ilタ議の事件がポテ 誤解のないようにつ の伏線 いに主想がある は、議撃十轄のやにあっては挿話以上のものではな のだが、野分巻の危機的な予感は決して女三宮事件の伏線なのではない。 ではなかったのと全く同衝である。野分巻にお の策観を に河内山清彦 の太平に野分きが吹き荒れて、 いつか訪れるにちがいない摂氏世界の倒落 った秋の御般の も見紛う ぃ。そこでは一タの野分きが、あれ程 る。地上の 、、ノご dO ム ド BUg¥ナ れるタ援の挿畿が意味を持つのである。 たび、 玉童十絡の主流を形作っている五重の詩題に の秋を藷一示するものがあるという関係の土で、紫上 そこで きるので た去撃が退場 な求 の物語に共瀦ずる要素を持っているのであるが、 に際して薪しい る薬盤に立ち、 の出還を促んてくるものに作動しているという関係 には娘分に当るという点で 六条撲の て 誌の高見安川引いて論じたように、 玉霊の物語は多くの点で の退場が女 て , む 極 るまいか。 のところで、 し お るので 一宮とは、共に の ザ件、 婚者群を持ついわれが存した ' 5 7 て の と ; f t 人文科学言語集 したあと、准太上天皇にふ しい女性として は太政大豆 の懸想 関してである。藤 の意味で源陥没界にかかわ たいことは、 宮が話題になるというように、このニ人の女性の から准上皇への擁氏の歩みに閉幕していると言えるものである。そこで ついて露間識と結ばれたことが明らかにさ、れる。 で、その 一つ密つが みな の兄であり紫上の めず求婚者の一人として、髭がち しては、少くとも藤袴巻末の時点で作者が明らかに とっても意外な の心情としては、む は冷泉設のたっての希望により山内侍として宮中に入るのが必至という情勢であった に落ちるという展開に叢ってからである、とい は前に触れたように、源氏の独り相撲に近いものでしかなかったのに対して、 は読者 ってくるのは、愈転して髭長大将の 誇巻までの物語において の"であるが、 ぅ。しかしながら、物語の しろ賛官会機くから、ず意識するものと語られていたのであって、箕水柱巻で知らされる結末は ものであった d lズ ア γブさ吃る意間開会持っていたと考えられるのである。 藤袴巻末に怒って改めて絞授が紹介されて、 の諦大君ょ。 ちを措き泰りて、さしマぎの御おぼえ、 の有力者と諮り惑されてくる。 はしける。 にものし給ふ。北のガは紫の上の梅姉、ぞかし。式部臨仰の の女御の講兄弟に に持つ な武骨な大将としか掛かれなかっ 異母競を北 この大将辻、 って、 は異なり、 に決養がつく設階にな にも関係が生じてくる設定は、 まさに秀抜の一語に に帰して玉霊 紫上にとっては最も好ましくない結末だったのである。玉霊そのものは朝顔君 のもとの北の方が紫上の異母姉であるという影で には必ずしも脅威を与えるものではなかったのであるが、髭黒の ないの の身の譲り方として露黒の北に落着くのは、後女の実父である内大臣などにとっては歓迎すべきことに轄違 り。その筋により、六条の大陸・ 1、大将の調官学は、創出、げなくいとほしからむと悲したるなめり。一一一の抗で 、殊なるかたはにもあらぬ念、人がらや如何おはしけむ、蕗とつけて心にも入れず、いかで背きなむと思へ き君なれノ。年品川二三の め ぐ 、 の し と ク 5 8 ; 大朝 尽きよう。 しかも、 間態として の北の方が新しい に、紫上がこ のものと体験しなけれ るのであ だとしても紫上には になるかもしれないという形で 出混合 によって非常にはしたない状態に追いやられるのは、 前棄と後 のもとの北の が朝頚巻で深刻に悩んだものに外ならないのであり、女 ばならないことなのである。それは の出現の先取りになっているというだけのことではなく、もしそのような境遇におち あるべきなのに、これまでも おいて、ここで改めて紫上の機眠状況が作りおされていると言うことが る紫 L ふに法、本来ならば孤児のものはか ュアシスによって紫ょの孤立が語られていたのであったが、 に爽われてし支う によって実 て 滞るべき班、がないとい る。父宮が建在 い継母による継子いじめの の激怒により、ここに窓って紫上の帰るベ の 時、髭塁のもとの北の方は、によって長年つれ議い一一一人の子供支でもうけた夫との の娘が不幸に泣くと曲解す のである。そ の の退場に際して込認められる。これは があれこれと物思いにふけりなが などおいらかなる つつ、各ぢきなき大拝の制御率 のから、をこが設しく思ひ給ぼほるさま、 にうけはし、げなる事どもを宣ひ 1 る状況を作者がすでに っていたからこそ意味がある 一宮の除機の事を知って何よりも先ず、継母の思惑 聞の州知山 かやうに輯聞きて、 いかにいちじるく思ひ合せ給は 伎の人に掘り障えじ、式部郷の宮の大北の方、 にちへ、あやしくうらみ嫉み給ふな とからあ部実に議われるのである。紫上 人の湖心といへど、 いかでかはかばかりの畿はなからむ。 と物語られている の降嫁を知つ きであろう。前述したように、物議状況のことごとくが紫上に対してマイナスに作用しているという実例が、 伶をさかれる破鐘の嘆を見ながらも、しかもなお窺の家と可憐な娘があった点では、紫上よりもまだ溜まれていると 0) 腹 の :・おのがどちの心よりおこれる慈悲にもあらず、 必かるべ の を付愛せざる会えないというのは、この紫上の 59 ら 人文科学論集 のであって、それはすなわち、真木柱巻に描かれている大北の方の紫上に対する呪誼に外ならない。ということは、 藤袴巻末で髭黒の北の方が紫上の異母姉であると記したとき、作者は紫上を越える女性の出現をすでに何らかの形で 考えていたことを意味するのではなかったか。玉霊が尚侍として帝の寵愛を受けるという形で退場したり、或いは賛 官と結ぼれるものとして退場が完了するものであったならば、それはただ玉童が六条院での役割を終えて姿を消すと いうだけのものでしかないのに、そこで式部卿宮の大北の方がかかわることによって、玉霊の退場が直接に紫上の運 命に暗い騎をなげかける働きを持っていたのである。そこに、真木柱巻に続く梅枝巻で紫上が改めて﹁対の上﹂と呼 び直されてくる直接の動機がありえたのではなかったか。玉上琢弥氏が、梅枝巻で紫上が対屋に住むものと語られ てくることに注目され、それが作者によって南の御肢の寝般に紫上を凌駕する高貴な姫を登場させる用意があっての 真木柱巻での大北の方の呪誼がこの上なく適切であ o 野分巻で紫上は寝殿に住いするものと推定されたもの 注目 こと、と解されたのは問題の核心を鋭くえぐるものであった 梅枝巻で改めて ﹁対の上﹂ と呼び直されてくるためには、 、二 、L 0 前述したように、 野分巻はタ霧が紫上を垣間見る挿話を含むのであって、 物語展開の上で極めて暗示 T ''hH ヨし 4 を模索する過程であったと言うべきでもあろうか。 とが許されるであろう。朝顔巻での危機的予感や野分巻での応報の予感を語りながら、それらは具体的な事件の展開 も、野分巻の段階においては、紫上を圧倒して登場する正室の構想は具体的には未だ持つてはいなかったと考えるこ 的であり同時に運命的な未来を予感させるものであった。してみると、作者は藤壷事件の応報を語る意図は持ちつつ 人 ど 色 4 意味しているのではなかろうか。その場合、野分巻で紫上が六条院南の町の寝般に居ると考えられる点に改めて注意 巻ですでに予感として描くものであった問題を、実際に紫上の身の上に当てはめて語る意図を具体的に持ったことを り、髭黒のもとの北の方の悲運、 つまり年若い後妻の出現によって浮き上ってしまう前妻の問題、 しかもそれは朝顔 ヵ : 60 源氏物諮論 大総 器氏物語の のよう 到底叶うものではない。た の過程を細部にわたって復一五することは ついでいったものと怠われる。それ によって何の資労もなく霊感のおもなくままに の構想を持し進めていったか、その いかな天才とはいえ、神弘の に満ちて 単純に のゆかりとして にまつわ もう一人の 朝顔巻・ ら若菜巻への れらを﹁構想の に合わないものであることが高橋和夫民 でいることからも考えられることである。 上げたものとするならば、あまりに楽一大的すぎよう。 において拐らか でにタ霧、が の叢一兎を同伴すると諮られるものが悶来の 注ロ の結果と解せ 治 、 Jム にはなじまない挙が伊藤博氏によって論じられてい られており、家た、同じ場面で る場面において、 によって 繍合結んだばかりの のりでなかっ たのであるが従うべき見解である。そして、このよう て一半垣 伶 り したのではなかったか。この きものであること 玄た父譲になっている状況が、 まい。とい せざるをえないものである。 つまり、源民 の婚掘が諮られる同帖は諒民間十毅の の子供を露け、タ霧も父親になっている状慈として せれば解消するものであ のとして を伴い 真 として 段諮が作者にとって て梅枝巻と、徐々に、 構想が主の論理がる せる場一留にあって、 玉震が 人 の 齢的興壌を軸にする物語構想と場面会変説する構想との鵠に破誌が生じているのであるが、その場合に、 予告が行われる巻であって、この両帖泣密接する関係が第一 に一年の 、 で 十 の 的操作勺灘り切れるものではない。主撃が し ! l ) うことは、女 6 1 カ ミ 説 の 人文科学論集 あってより妥当なものであったという事であろう o これが作者の単純な不注意によるミスなのか、若菜巻の源氏をめ ぐる環境としてあえて作り出した状態であったのかの実際はわからない。これとほぼ同様なことが、少女巻と玉霊巻 の接続関係についても認められる。周知のように、その接続をどう見るかで新旧年立が分れるのであるが、少女巻末 の六条院四季の構想から見れば、少女巻の秋好中宮から紫上への挑みは、当然、胡蝶巻の春の場面に直接すると考え るのが穏当であるのだが、少女巻と胡蝶巻との聞には、六条院に玉霊が登場しているか否かというほとんど質的な違 作者の 心理的事実 H M 注四 として玉霊巻では六条院がまだ完成していないことを忘れてしまってい いとさえ言えるほどの変化を含んでいる点に注意しなければならないのだ。新旧年立の論点を﹁二律排反﹂と捉えら れた高橋和夫氏は、 たゆえ、として新年立に妥当性を見られたのであった。二律排反である以上、この高橋氏の説明はそのまま裏返しし て、玉童を登場させ終えた作者が、少女巻の末尾と胡蝶巻とが中に一年の隔りを持っていることを失念したとも言え る可能性が残されている。あるいは、 玉霊巻の場合、 玉霊の登場の段階では少女巻を引きついで年紀的に順接するも のと語りながら、 玉霊を投入し了えた時点で再び四季の挑み合いの構想に復帰して、その聞に一年の幅を含みながら あえて紫上から秋好中宮への答歌が語られたものかもしれないのだ。ここでも源氏の年立的契機と場面の契機とが矛 盾している。私はその場合には源氏に密着する年齢的な契機を重視したいのである。この若菜巻と玉霊巻とが共に新 しい人物の投入による局面の展開、 すなわち新しい緊張関係の設定という点で同じいのであり、 そこに年立上の問 題がからんでいるのは、それら人物の造型が作者にとってどれほど困難な作業であったかを物語るものではあるまい か。このような構想過程の苦渋のあとと推量されるものを外在的に成立事情として後記挿入と解き、あるいは第一部 と第二部との主題の相違に由来すると解くことが果して正当であるかどうか、私は疑念を払いきることが出来ないの である。玉童十帖が玉霊の出現と退場とによって極めて良くまとまった物語であることに加えて、その登場が唐突で あり少女巻との接続が悪いことなどによって、少女巻と梅枝巻の光源氏プロバ l の物語に異質的に介在挿入されたも 62 源氏物語論 大朝 まで成立過程の の龍に、 不自然 H μ h v ・ 玄 、 、 o trf ω の接続の 一小周然であ って自黙と による 常に源氏度身の遜去、それも 主題性に ことは すなわち、 花散塁 、 。 h ゆ L の想企におけ 初 である点に よるもの 郎氏が説かれ -血縁関係などの総体によって、 執筆時期の党一授のみ て成立 て酸味である。光源氏を語る物語にあって、新しく人物を登場さ の理解から推して て多く論じられる所であった。しかしながら、 いによる作者の議想の、ずれで説明す のという論点は、 成立一時期の 不自然とするか、そ る歪一みとするのは、 していった軌跡と解する綴方も有効性があるのではなかろうか。 る謹一断念、 し 、 るいは再登場さ d いるものの 都くである。 る契機が常 ている ことはできないのだ。物語の伶操が単に烏霞の平板的な拡散、ヨ先の変化を一追っているもので誌なく% ったの 人物の次々の によって物館が螺詫状に にこの物語の 々の事件が の下に操作されるのである。 つまり、現象的にどのように唐突な出視であ 物語上の人物一は懇意的に出し入れされるのでは ろうか。 t ま c あ 与 や ったとしても、源氏、の過去犯かかわるものとして、源誌の側に じ語られた議去に密着す Pし と ち刊擦民と紫上の仲らいなの いわゆ においで におけ の樹木す機能 Lめているものは一九、源氏の上に累積する薮丹であり、思議する歳月が螺旋状に伸展する携造、がもたらす て は投入されるのである ほ て 積一み重一ねられていく重みが次の詩語を析出さ捻る品ネルギーになっているとい 内鷲ーとは滝 A i 3 し 、 ' ‘ 人文科学論集 H 源氏 H の子が帝位に即き、播磨の前司 を誇大に考えるのは誤りと思われる。予言が源氏の子女にかかわるものという点で長篇的な展望を持つことは否定で きないが、実際に物語を押し進めていく力は決して予言そのものではない。 の娘が中宮の実母になるという、極めて特殊な内容による源氏の栄華を語る上で、予言が物語のリアリティを高める 機能を果していたと言えようけれども、予言にかかわる栄華の実現のみが第一部世界のすべてではない。その栄華の o御法巻で紫上が世を去ったあと、地上のすべてに興味を喪って 内側が物語の実質なのである。そして、そこに日記的な時間の連続による源氏の私生活が写されるのであり、 日記的 時聞を受けとめる人物が紫上に外ならないのである しまった源氏の心象が幻巻で語られているが、その事によっても源氏にとって紫上が何であったかが明らかになるで あろう o紫上を愛する源氏を描くことが、光源氏の物語であったと言えるのだ。作者は理想人物光源氏を創り出し、 さらにその源氏が創り出した紫上を語るというかたちをとって物語を成り立たせている。 つまり、紫上があらゆる面 で源氏に依存しているという関係は、裏返しすれば、紫上を愛するが故に源氏の理想人物の生命が拙かれているとい う関係に外ならず、それが紫上のいない地上においてはどんな女性にも心を動かすことのない源氏ということになる のである。古来、この物語が﹁紫の物語﹂とも呼ばれていたというのは十分に意味のあることと言わねばならない。 紫式部日記の有名な一節、 左衛門の督﹁あなかしこ此のわたりに、若紫やさぶらふ﹂とうかがひ給ふ、源民ににるべき人も見え給はぬに、彼 の上は、まいていかがものし給はむ、と聞きゐたり。 ここからも、紫式部が紫上創造にどれほど自負するものを持っていたか、十分に推し量れよう。源氏あっての紫上と いう関係を誇りと共に語っている。すなわち、現実には光源氏はいるべくもない以上、源氏を己れの宇宙とする紫上 など存在するわけがないことは必定なのであって、源氏が物語上にのみありえた理想者であると等しく、あるいはそ れ以上に、紫上は物語の中にしかありえない女性として、己れの作り上げた虚構世界の純粋性を語るのである o 6 4 源氏物語論大朝 8 7 6 この小論において、物語に認められる各乳象を非常 vh 所以 ウた形 ってきたの てきた c 試作者がどれ Pシブスの弊を再証額するかの如く った。 た開題の 尋常一様のものでないことが十分に察せ る綴密な構議を持っている。 所収。 限付悦)一前段。 開明幻・ 7﹀に所収。石湿穣ニ寸法制減殺について﹂ (笠院議院 問的・ 4﹀のち町一線氏物慾の方法﹄ 0 h会 文俊一的目・ロマのち吋源氏物盟問の役悶仲間同︿東大出版会問ぬ -wu﹀に一般収。 m m m ω ・日﹀のも円源氏物諮紛然知ハ桜様盆昭抑制﹀ 今井縮臨機﹁女一⋮一笈の降嫁﹂ハ文や沼紛・ 8﹀のやり、吋一線氏物議の研究 ハ閣議と潟文学 今井氏の品例措伺幾⋮間同九ページの浪記。 HU ﹀ 泰一郎﹁潔氏物語における人物滋裂の方法と主援との巡関﹂ 昭担・ 3﹀のち Z げ問問機迭の分析・瀬郎氏物議iii年立をめぐってiii﹂(日出文学殿山知) 悩 制 抑 制 {zh ibL ︿尋問山学続女子制総務大学紀要川内昭河川 泌内山浴彦﹁﹃芳楽﹄胤惜の発端部111秋 山 幾 氏 の 町 方 法 ﹄ の 検 証l HHV ﹁紫上の娩布十 i i女性友病ん的発制約ムゼ時砕す111L ハ務山崎ナ践女子短期大常総察部昭必 -U﹀ 秋 山 隊 ﹁ 滋 氏 物 語 の 方 法 に 関 す る 断 章lis吋 紫 雲 雪 国 頭 を め ぐ っ てiii﹂︿﹃平安文学研究と資料 i!源 氏 支 中心にl i h議 古田内媛﹁若菜・総本物語論序説﹂ハ学問問際大尚子文学畑地続発俸制靴9、昭ぉ・ 2、 の ち 吋 滋 氏 物 議 議 ﹄ ハ 銭 関 察 院 昭 C - U﹀ !?臨時間的絞序をめぐってliL ︿議女子大然関文学雑誌 2 沼必・ 6﹀ 総 務 ﹁ 源 氏 物 語 の 方 法 に つ い て の 試 論1 与謝野倫子吋紫式務部制考﹂︿太綴陥3 ・1、2﹀、門口小中文学研究資料議察明滅氏物語Ib ハム特務滋昭似 -mM﹀による。 なければならない。 の展開は私の揃い分析に十 きさと深さに空一輪開ろしさを感じつつ られるにもかかわら、ず、 る晩年の譲民家で撒いてい の意向したと思われるプロセスな議菰に麓き換え しみながら物語を欝り継いでいったかという過程合あえて捨象して、あたかもコ 、 も せ、やがて一 ,~ ω 総加︿勝中鳳官房昭 間後水好子﹃源氏物 泌 9 ~ 11一つのやや骨待機織なる試論!1 日松尾総寸紫上総 ﹂ ・ 間同勢⋮⋮ゑ潟ページ。 6ら i 主 l f :二 の ),デ 4 3 2 1 M 人女科学論集 1 91 81 71 61 51 41 31 2 ﹁紫の上の向山淡いに 0 ページ。 MU) 一⋮一⋮一ぺ;ジ。 i1l﹄(受文笈 v 秋山由度寸紫上の後州側﹂(国文学級制ω・5) のち前担問鶏御所以 ο 附川護⋮ 0 0ページ。 秋以後﹁紫上の初期について﹂(間関文時十泌総・ 5) のち明泌氏物緩め 世界﹄所収。 VH と同じ。問問嚇簿一一 e ノ 注 総 玉上級弥問機氏物弔問評釈6 h f︿品河川川欝応紹 li-表薬品位の場合iizい H A h悶同 所 昭 i 以 4 7 お緩和炎吋源氏物語年総緩い︿吋一線民物誌の主総と機恕﹄(桜摂社 c 伊綿織繍時﹁滋民物器開における縫叙の継 uと問問じ σ 関川崎後二ハ一ページ 注m 4 1 、 陥 ﹀所内札。時間数百 MA 二ページ。 JVJ︾ 。 ¥ 白 ?eAP/O 6 6