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黒いグラス
作家 元国際線乗務員 黒木安馬 【プロフィール】高校時に米国留学後、早稲田大学を経てJAL国際線客室乗務員として30年勤務。世 界初の「カラオケ・フライト」や「1万メートル上空・北島三郎機上コンサート」 などを実現させる。千葉の自 宅は1300坪の山林を開墾してプール、 テニスコート、 コンサートホール等を手作りする。現在、㈱日本成 功学会社長として自己啓発や社員教育で講演中。著書に『成「幸」学』 (講談社)、 『あなたの人格以上 は売れない!』 (プレジデント社)、 『 出過ぎる杭は打ちにくい!』 (サンマーク出版)、 『 面白くなくちゃ人生じゃ ない!( 』ロングセラーズ)、 『リセット人生・再起動マニュアル』 (ワニブックス)、 『 小説・球磨川』 (上下巻・ワ ニブックス) などがある。 E-mail:[email protected] URL:http://www.3percent-club.com 21世紀だ! 人生・農業リセット再出発 151 黒いグラス 人 を使用できたからだ。洞穴では身の安全を確 タチに昇華させるには、ガラスの声に耳を傾けて対 保しつつ、火を絶やさないようにした。たき火をす ザインだけを専門にする人は一人もいない。全員が ると地面の鉱物が溶け、冷えて固まる。それが鉄な クリエイターなのがスガハラの特徴だという。朝6 ど金属の発見になり、ガラスなどの製法文明が高度 時過ぎには自発的に現場に立っている者が多いそう 化していくきっかけになった。 で、製品は4,000種、毎年200点以上のオリジナル製 類が他の動物より進化したのは火などの道具 話することが肝要であり、炎の瞬間芸だからこそデ とあるテレビ番組で「約30年前に海外で注目を浴 品が誕生している。問屋が主導していた販売ルート びた斬新な日本のデザインとは?」というクイズが は、お椀を斜めにカットしたデザインのコーヒーゼ 出題された。正解は真っ黒なデザインのグラスだっ リー用グラスを売り出して大ヒットさせることで一 た。スガハラ工芸硝子、昔から家族ぐるみでお世話 気に流通の主導権を握った。世の中も単品でも良い になっている菅原實さんや奥さんたちの姿が映って 物を直接手に取って選ぶ消費者主導の時代になって いた。さっそく翌日に会って話を聞いた。 いた。機械を使った大量生産品ではなく、使って楽 1982年、ちまたでは白黒モノトーンが流行してい しくなる温かい手作りにこだわる。22∼66歳の現在 た。千葉県の九十九里浜で工場を営む菅原さんに、 33人のスタッフたちは、就業時間外に「開発研究会」 黒いグラスが作れないだろうかと依頼が舞い込む。 と称するコミュニケーションを大切にする勉強会を 真っ黒のグラス容器! 誰も考えもしなかった色で 自発的に開き、それは38年も続いている。溶岩みた ある。大学で応用化学を専攻した菅原さんは当時45 いに溶けて黄金に光る1,400℃のガラスと未知との 歳。新世界への挑戦状を受けて立った。試行錯誤の 遭遇。瞬間のヒラメキで形のイメージが先。それに 調合と焼成は2年もかかってついに完成する。黒い 秒単位で創造がついてくる。 「刻一刻と変化する表情 ガラスは厚みが目で判断できない難点があり、経験 は、まさに宝探しですよ!」と、菅原さんは目を細 と勘で薄く成型するのに苦労した。黒は不祝儀の色 める。1+1は無機的な2ではなく、大きく夢のあ と考えられがちだが、古来より高貴で魔よけの色と る一つの世界になる。もはやアートとは違う、それ して皇室では基本となっている。ガラス問屋の見本 以上の集大成と表現したほうが良いと思うほど奥が 市で、今まで見たこともない異色芸術品にアメリカ 深いという。 人のバイヤーたちが飛びついた。そのときに輸出さ かごに乗る人、担ぐ人、そのまたワラジを編む人 れた商品が、薄くて軽くて丈夫だとして30年にわた ……。人はそれぞれの道を歩むが、常に「夢・感動・ って人気を博し、今も大切にサンフランシスコの店 感謝」を忘れない人。もうちょっとだけ、あと少し に並んでいるという日本の優れた技術を称賛する番 だけ、プラスαの上を見ながら日々自分と競争しな 組だった。 がら努力している人は、いつも目が輝いていて、ネ 「ガラスは生きている」 「ガラスと会話する」 アカで大いに人生を楽しんでいる。自分と握手ので これは、スガハラの職人たちが口にする表現だ。 灼熱液体の無限の可能性を一瞬でとらえて芸術的カ きる活き方をしている成幸者は、一緒に飲んでいて も、いつまでも“最幸”に楽しい。 農業経営者 2013 年 9 月号 82