Comments
Description
Transcript
P098_`l`¶…−…Z…b…
作家 元国際線乗務員 黒木安馬 【プロフィール】高校時に米国留学後、早稲田大学を経てJAL国際線客室乗務員として30年勤務。世 界初の「カラオケ・フライト」や「1万メートル上空・北島三郎機上コンサート」などを実現させる。千葉の自 宅は1300坪の山林を開墾してプール、 テニスコート、 コンサートホール等を手作りする。現在、1日本成功 学会社長として自己啓発や社員教育で講演中。著書に『成「幸」学』 (講談社)、 『あなたの人格以上は 売れない!』 (プレジデント社)、 『出過ぎる杭は打ちにくい!』 (サンマーク出版)、 『面白くなくちゃ人生じゃ ない!』 (ロングセラーズ)、 『リセット人生・再起動マニュアル』 (ワニブックス)、 『小説・球磨川』 (上下巻・ ワニブックス)などがある。 E-mail:[email protected] URL:http://www.3percent-club.com 21世紀だ! 人生・農業リセット再出発 90 ありがとう、そして、さらば鶴丸よ! に降り立った サンパウロ空港 ジ ャ ン ボ 機 はランバダ・スクールで汗を流し、その後は食べ は、日の丸を思わせる真っ赤な鶴丸を尾翼に浮き そしてバーで宴会となる。日本とは地球の正反対 上がらせて、ターミナルに近づく。灼熱の太陽が、 側だから、妙に身体が重い。 老夫婦の頬を流れる涙を光らせる。「日航機だ、 「予定を早めて、帰国便は皆さんのフライトに乗 祖国日本の飛行機だ! ああ、もうこれで思い残 ろうかな」「そう、それがいいよ。俺たちはロス すことはない」。空港屋上の見学者デッキに立つ で交代するけど、そこまでは内緒でファーストク 老夫婦は、そう言ってお互いの手を握り締めた。 ラスに乗せてあげるからさ!」と、酔っ払いの私 10代後半で神戸港から移民船「笠戸丸」に乗り、 が言う。「いえ、もともとファーストクラスの航 サンパウロから南方60kmにあるサントス港に上陸 空券を用意してもらっていますから」「――!? したのは、60年も昔のこと。夢に描いた理想郷と おう、言うじゃないか」。 はまるで違うジャングルの荒野を、食うや食わず きれないほどの牛肉が出てくるシュラスコの晩餐、 で降りた我われは、2日後の便で日本に の苦労で開墾し続けた。それから幾星霜、今は孫 ロス向かう。日本から送られてきた新聞を機 たちに囲まれ、80歳に手が届く老人になった。故 内で準備していると、どのスポーツ紙の一面にも 郷には一度も帰ることなく、すでに親戚縁者も墓 デカデカと彼の写真が載っているではないか! 石ぐらいしか残っていない。せめて死ぬ前に一目 三浦カズヨシ? ロス疑惑の渦中の人物だってえ! でも祖国の飛行機を見てみたいと、二人はアマゾ いや、よく見ると「サッカー界の超スター、凱旋 ン川上流の奥地から、まる2日もかけてサンパウ 帰国」となっている。当時はまだ、サッカーは日 ロまで出てきたのである。第1回芥川賞を受賞し 本では一般の人たちにあまり知られていない時代。 そうぼう た石川達三の『蒼氓』にも詳しいが、1908年出航 「成功した時にスポーツ紙の一面に載るのは普通 の笠戸丸から第二次大戦前までの約30年間に、実 の選手。失敗した時に一面に載る選手は限られて に19万人もの移民が海を渡っている。赤い鶴丸は、 いる。失敗を取り上げられて叩かれることに誇り 家紋ならぬ“国紋”として、祖国大和の懐かしき を持てばいい」。そう言い切るまでにヒーローに 空気を世界中に運んでいた翼でもあった。 なった三浦知良青年との出会いであった。 「あのー、日航の方たちですか? 昨夜も来てい 半世紀近くに渡って、世界中に祖国の空気を運 ましたよね。ご一緒してもよろしいですか?」 び続けた鶴丸マークが、ついに姿を消す。鶴は亀 その日本人青年は我われが飲んでいるバーの席 と並んで長寿の縁起物。英語ではCrane。物事を に加わり、夜中までカラオケ三昧で大騒ぎした。 よく見ようと首を鶴のように伸ばす意味もある。 歌も上手いし、20代そこそこにしては礼儀正しい ひとつの時代が終わり、新しい世代へと向かう。 好青年である。当時ブラジル便は週一便だったため、 寂しくもあるが、だからこそ誰にでもできること 乗務員が交代すると次の便が到着するまでの1週 ではない貴重な体験を活かし、世の中のお役に立 間はまったくのフリー。昼はゴルフに出かけ、夜 てたいものである。それこそが鶴の恩返し、か。 農業経営者 2008年7月号 98