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京都における労災職業病の闘い 佐 藤 克 昭 1 はじめに ここ数年の
京都における労災職業病の闘い 佐 藤 克 昭 1 はじめに ここ数年の「いのちと健康」に関する相談の中で、強く感じるのは、2 0代の若い方々の過労死事案や「こころの病」の相談が、一定の比率を占 めるようになったことです。 中間管理職・営業職や運転労働者の「働き過ぎ」「過労死」事案が全く なくなったというわけではありません。しかし一方で、「これから」とい う「想い」で働き始めた若い労働者が、健康を害し、心を蝕まれていくと いう状況が、広く深く生まれてきていると言わざるを得ません。 こうした状況は、労働法制の改悪とリストラ・合理化により、「働きが いのある職場」から、バラバラに分断され自分を否定され続ける「暖かみ のない職場」へと一層の悪化が進んでいるように思えてなりません。 この10年の間の京都における労災職業病の闘いは、多くの取り組みが なされ、多くの勝利に飾られていますが、それは、そうした勝利に至らな かった事案も含め、被災者・家族の方々の自らの要求を大切にした粘り強 い熱心な取り組みと、それを支えてきた労働組合・関係団体とりわけ京都 労災職業連絡会議(以下職対連という。)・いのちと健康京都センターの 存在が、動力であり、運動の広がりこそが勝利を導き、時には認定基準や 制度までも変える力になっていっていること、こうした力こそが、冒頭に 述べた新しい「流れ」をも変えていく力になることを強く感じています。 以下この10年の京都における労災職業病の闘いについて、①ユニチカ 二化炭素中毒労災事件②けい腕・腰痛の取り組み③過労死・過労自殺の取 り組みについて述べます。 こうした事件活動を中心とした取り組み以外に、職対連・いのちと健康 京都センターの取り組みとしてメンタルヘルスに関する研究や予防及び職 場における労働安全衛生に関する講座などが、系統的に行われてきていま すが、本稿は、団員が関与したこの10年の京都における労災職業病の取 り組みを振り返りその経験を整理することに主眼をおくこととしました。 2 ユニチカ二硫化炭素中毒労災事件 1)この事件は、1987年に提訴されています。 ユニチカ宇治工場で働いていた労働者が、レーヨン製造工程で発生する 二硫化炭素ガスに暴露し、脳血管障害をはじめとする重篤な二硫化炭素中 -1- 毒症を発症したことから、ユニチカに対し、安全配慮義務違反による損害 賠償を求めて、集団提訴をしたという事件です。 この事件は、京都では、たぶん初めてといえるであろう本格的な企業責 任追求の裁判です。「この10年」という範囲では、やや時期を異にする 面があり、報告集も別途出されていますが、1997年5月に勝利和解を しているということもあり、冒頭に取り上げます。 同時に、この事件は、1983年12月に熊本民医連から京都民医連に、 京都のレーヨン工場に二硫化炭素中毒の患者さんがいないかという連絡が あり、上京病院を中心として、京都民医連が学習を重ね、現地訪問活動、 患者掘り起こしなどを粘り強く重ね、1985年10月に労災認定を勝ち 取るという「熊本から飛んだタンポポの種が、京都で花を開き、実を結ん だ」といわれる経過があり、更にその種が韓国まで飛んでいき大きな交流 に発展したという点でも大きな意味があると思います。 事件には、労災申請の段階から、南法律事務所の中尾・杉山各団員が中 心になり、村山・村松・吉田容子・浅野・佐藤の各団員が参加をして弁護 団を結成し、提訴したところにも、京都支部として大きな意義があったと 思います。また、この弁護団には、提訴後工場の検証に修習生として立ち 会った大脇団員が、その後参加をしています。 2)裁判での主な論点は、 ①二硫化炭素中毒症の病像論(多様・職場離脱後一定年数が経過して以降 に症状が出現・微細動脈瘤の出現の評価) ②予見可能性論(低濃度での発症の可能性は予見できない・許容濃度基準 の評価・化繊協会を中心とした研究体制とその結果) ③ユニチカの安全配慮義務違反(暴露抑制対策の欠如・配置転換義務違反 ・健康診断の不十分さ等) ④損害論 でした。 54回にわたる口頭弁論の結果 ①二硫化炭素は強い毒性があり、人体に有害で、古くから多くの労災患者 が発生し、相当低濃度に管理していても、10年20年という長期の暴 露が人体に有害であることを会社は知り得たし現に知っていたこと。 ②暴露を避けるための設備の改善を含む必要な処置が不十分であること。 ③健康診断などで初期症状を訴えていた時点で、あるいは長期に暴露を 避けるために一定期間を定めて配置転換などの処置を執るべきであっ たこと。 -2- ④二硫化炭素中毒症を発症しているのに「私病」扱いし、十分な治療も対 策もとらないまま長年放置してきたこと。 ⑤本件の被害が、深刻・悲惨なものであり、症状は多様であり、個々の被 害の現れ方も多様であり、それらの被害は、原告本人にとどまらず家族 の被害にまで拡大していること。 が明らかになりました。 これらをふまえて、「被告は、労災認定を受けたことを深刻に受け止め、 遺憾の意を表する」とともに、相当額の支払い義務を認め、将来的な対応 についても、ユニチカに補償させるという内容も含めた勝利和解で、本件 は終結しています 中尾団員が、報告集の座談会で、「5人そろって和解できたというのが 一番良かった」と語り、判決直前にこうした和解に至った原動力が、最終 段階になって原告本人尋問を自宅や病院において行い、裁判官や相手方代 理人も含めて、被害の実態に直面したことにあるとされているのは、全く 同感です。 3)この事件では、 ①弁護団全員が、主体的に裁判に取り組み、同時に、主任団員が、全体を 見渡して必要な対応を考えて集団的に議論をしきるという作風が維持さ れたこと。 ②必要に応じて、九州八代の興人における二硫化炭素中毒弁護団と交流 し、病像論・二硫化炭素中毒症の歴史・化繊協会の対応・文献、関係証 言の検討を行ったこと。 ③吉中医師・小林医師・西村医師・斉藤教授・原田教授・樺島医師等の専 門家との共同検討を繰り返し、必要な証言・意見書などの協力を得たこ と。 ④現職の現場労働者を含む並々ならぬ決意での証言・協力を得たこと。 ⑤必要な文献等をねばり強く検索し検討を欠かさなかったこと。 ⑥支援する会等の関係団体が全国的な支援活動・出版活動などを行って 運動的にもユニチカを包囲しきったこと。 等が経験としてあげられると思います。 個人的には、工場の検証の際、会社側が、床下も含めてきれいに清掃を行 い、清潔で管理された職場を演出しようとしたが、検証対象外の部屋に「太 物」の機械が設置され、実際の状況がこうであったことを伺わせる状況にあ るのを発見し、それを検証対象にしようとした時に、会社側代理人から血相 を変えた抵抗を受けたことが強く心に残っています。 -3- 3 けい腕・腰痛の取り組み 1)けい腕・腰痛に関し団員が関与してこの10年間に出された判決として、 小谷労災(村山・岩橋・佐藤各団員)・西垣労災(右同)・重田労災(村 山・中尾・吉田真佐子各団員)の三裁判があります。 小谷労災は、全国ではじめて養護学校教職員の「けい腕」が、公務災害 と認定された画期的な判決、西垣労災は、大阪の向井裁判を受けて全国で 2番目の養護学校教職員の「腰痛」が、公務災害と認定された判決、重田 労災は、全国ではじめて学校給食調理員の「けい腕」が、公務災害と認定 された判決と、全てが、「けい腕」「腰痛」に関する全国的に大きな意義 を持つ勝利判決であり、いずれも一審で確定しています。 2)3裁判の判決に共通しているのは、 第1に、それぞれの原告の従事した業務について、被告が、「特定の作 業が長時間にわたり持続したものではない」「身体のいろいろな部位を使 う混合的・複合的作業で、持続的に一定の姿勢・肢位保持を必要とする物で はない」などとしていたものを「給食調理作業は、頸肩腕症候群を発症させ る危険のあるもの」「重症心身障害児施設等の介護作業は、背腰痛症を発症 させる危険がある」「重症心身障害児教育業務は、上肢等に過度の負担のか かる頸肩腕症候群発症の危険性のある作業を主とするものである」と、明確 に原告の従事する作業が、普遍性を持ったものとして、頸肩腕症候群や腰痛 の発症の危険性のあるものであることを明確に認めていることです。 こうした判断を導いたのは、重症心身障害児教育そのものの意義を明確 にするために、奈良教育大学の玉村教授に証言をお願いし、スライドなど も示して、障害児教育においてどのような姿勢が必要となるのか等を裁判 官に理解させる、同僚の方の証言の中に、具体的な写真などを十分に使い、 業務の実態を具体的に感じてもらう努力をするなどの、業務の内容を如何 に裁判官に理解をさせるのかを繰り返し検討して実践したことが大きい意 義を有していたと思います。小谷労災では、けい腕友の会の会長の藤本さ んなどを中心にして、説明をわかりやすくするための人形作りまで着手し ていました(但し日の目を見ませんでしたが)。これらの立証準備のため に、同僚の方や支援する会の方などが、大変な時間と労力を使われたこと は、特に強調しておきたいと思います。 こうした業務自体の過重性を十分に立証することで、被告側の「同僚と の比較論」(同じ仕事をしている他の人は症状が出ていない)も粉砕して いっています。西垣労災の判決では「養護学校教諭の介助作業が背腰痛症 を発症させる危険性があることは前判示の通りであるから、他の教諭と比 -4- 較しても意味がない」という趣旨の判断を明確に示しています。 第2に、「3ヶ月程度で治癒する」という「3ヶ月治癒論」を明確に否定 した点です。「3ヶ月ないし6ヶ月の期間は必ずしも十分な根拠があるとは 認められないうえ、頸肩腕症候群の症状が進行して慢性化してから治療する 場合には相当長期間にわたるとの見解もあり、治療期間を一律に設定するこ とは相当でない」と小谷労災の判決は明確に判示しています。 この小谷労災判決は、被告側のいわば意見を、全て「根拠は明らかでない」 「失当である」と否定し、主治医である姫野医師や証言にたった垰田先生 の意見書・証言に対し、「実際に本件職場に視察に行き、不自然な体勢や 動作を余儀なくされていることを見聞し」たものであるとして全面的に採 用している点でも意義のあるものです。 こうした判断を勝ち取った要因は、医師・研究者・原告・同僚・関係者 などが広く協同の討議を行い、事実をしっかりとふまえた意見書・証言を 行い、被告側の極めて悪質な医学証人を事実と言い逃れを許さない医学的 な知見に裏付けられた反対尋問で完膚無きまでに追い込むことによって生 まれたものです。 4 過労死・過労自殺の取り組み 1)過労死・過労自殺の取り組みについては、この10年の間に、多くの業 務上認定の決定や裁決、判決が団員の関与の中で出されています。そして、 それらの決定や判決等が、全国的な取り組みと相まって、新しい認定基準 が出されるに至っています。 そうした中で、過労自殺事件に関しては、下中労災(小林義和・村山・ 宮本・佐藤各団員)の審査会での逆転業務上裁決・損害賠償での勝利和解 は、全国的にも注目された画期的なものです。この事件については、小林 団員が、別稿で詳細に報告されていますので、そちらを参照下さい。 また、同じく過労自殺事案の寺西労災事件については、大阪の岩城団員 も参加して、村山・浅野・佐藤各団員により、監督署段階で業務上認定さ れていますが、現在京都地裁において、損害賠償事案が継続しており、そ の結果をふまえて、次回の記念誌に報告頂くことにしたいと思います。 2)中居労災(荒川・浅野・佐藤各団員)・荻野労災(杉山・井関各団員) が、それぞれ京都地裁第3民事部八木裁判長により敗訴をしています。 私が調査した結果では、これまで、八木コートにおいては、団員が関与 していない事件も含め、労災認定に関する行政訴訟事件では、原告敗訴の 判決が、連続して出される状況となっています。 中居・荻野両判決とも、事実認定や因果関係などの判断において、十分 -5- な検討をして事実に迫る判断とはなっていないことは明らかです。 団もしくは過労死弁護団において、判決の検討と集団的な討議を行うと ともに八木コートの問題点を明らかにしていくことが必要ではなかったか と考えています。 3)そうした中で、(八木コートではなくそれ以前の大谷コートでの判決で すが)内藤労災(村井・村松・杉山各団員)の勝利判決は、大きな意義を 持つものです。 京都地裁での判決では、公務起因性の判断基準について「公務と死亡と の間に相当因果関係があるというためには、必ずしも公務遂行が死亡の唯 一の原因であることを必要とするものではなく、当該公務員の素因や既存 の疾病等が原因となっている場合であっても、公務の遂行が公務員にとっ て精神的・肉体的な過重負荷となり、既存の疾病等を自然的経過を越えて 急激に増悪させ、死亡の結果を発生させたと認められる場合には、相当因 果関係があると認めるのが相当である」と判示し、因果関係の立証につい ても自然科学的証明ではなく、高度の蓋然性を証明することで足りるとの 判断を示しています。 同時に、持ち帰り残業を「公務の遂行」として認定し、業務の過重性を 認定している点でも教職員関係の同種事案における重要な先例となるもの です。 こうした判決を勝ち取った背景には、市教組の支援と同時に、遺族であ る原告が、家の中を探し回り、被災者が作成したプリント等の成果物を整 理し、さらには、被災者が使用したプリンターのインクリボンを一枚一枚 整理するなどの涙ぐましい努力がありました。 学校側が、具体的な資料を開示せず、被災者の具体的な労働内容につい ての立証が困難な中、緻密な事実認定をさせた弁護団の努力は重要です。 その後、大阪高裁でも、完全勝利をし、確定しています。 5 おわりに 労災職業病の闘いは、裁判などによる労災認定闘争が主戦場になるので はなく、本来は、職場で「いのちと健康」を守る取り組みがどれだけ発展 し、定着していくかが重要だと思います。 一つ一つの労災認定の取り組みが、職場や様々な団体、個人の支援の下 に取り組まれ、そこに参加した方々が、自らの職場を変えていく取り組み 目を向け、認定基準の改定を求め、それに連動して、労災予防のための基 準や通達が出されていくという大きな広がりが、求められていると思いま す。 -6- 先日政府の総合規制改革会議が、「労災保険・雇用保険の民営化」「自 動車賠償責任保険と同様に労災保険を民間損害保険事業者等への全面的な 委託や事業移管等も含め保険運営の効率化を検討する」との方向を持って いるとの動きがあることが明らかになってきています。 労災保険制度は、「被災労働者保護」をはかる社会保障制度の一つであ り、それを民営化することは、労災補償諸制度の権利性を骨抜きにし、形骸 化するものとして、看過することのできないものです。 使用者の災害補償責任に基づく労災補償保険制度と労働災害防止などを 含めた労働安全衛生に関する監督指導は、不可分のものであり、労災保険 の民営化は、いのちと健康をめぐる労働行政の弱体化にもつながるもので あり、到底許されない重大な問題です。 労災職業病の闘いを発展させ、いのちと健康を守る取り組みを進める上 で、更なる課題は盛りだくさんです。要求に依拠しつつ、これらかも団員 が粘り強く取り組んでいくことが求められていると思います。 -7-