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第71号 - 北九州労健連

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第71号 - 北九州労健連
北九州労働者の健康
問題連絡会議
発行
〒804-0012 北九州市
戸畑区中原東 3 丁目 1-1
TEL093-871-0449
FAX093-872-3695
北九州労健連
ニュース
2011 年 7 月 15 日
第 71 号
http://rokenren.com/
状況また、災害派遣チーム(DMAT),全日
本民医連の医療派遣、米軍「トモダチ作戦」,
自衛隊の活動,緊急消防援助隊等々、今回の
大震災の破壊の巨大さと、どれだけの支援が
なされたのかを豊富な資料でわかりやすく解
説していただきました。
特に、被災地の医療問題については詳しく
話され、被災者に「災害ストレスとストレス
障害」が深刻な影響を与えること、その心の
傷を癒やすために、十分なケアが必要である
こと、そして災害支援者自身も過重労働にな
るがゆえのストレス対策(セルフケア)が必
学習企画第 2 弾として、シンポジウム「大
要であると説かれました。最後に「ボランテ
震災と働く人々の健康」が、7 月 2 日(土)に
ィア活動で病気やけがをしないために知って
小倉北区紺屋町の毎日西部会館で、60名の
おきたい4つのこと」を、これから支援に行
参加で開催されました。
く人たちのために話しをされました
始めに日高副議長から、開会あいさつとし
その他、福建労北九州支部の書記次長の平
て、今回のシンポ
安さん、福商連の共
ジウムの趣旨が話
済会の理事長の岩下
され、その後、こ
さん、労健連議長、
の大震災で、亡く
北九州市職労副委員
なられた方々に対
長の永野さん、毎日
して、哀悼の意味
新聞労組の和田さん
を込めて、黙祷を
から被災地での困難
捧げました。
な状況が語られ、今
引き続き、今回
後も、引き続きたく
の進行役である田村先生から「震災から 3 ヶ
さんの支援が必要と熱く語られました。
月以上立ちましたけど、被災地でのいろんな
報告の後、各シンポジストに感想を述べてい
活動をやるうえで、被災された労働者の人た
ただきました。
ちや避難民の方々と同時に、支援をしている
【永野】平成の大合併のもたらしたものは、
労働者の人たち、復旧作業をしている労働者
市役所が住民から遠くなって、手続きから何
の人たち、みんなの健康がそこなわれないよ
から含めて不便になったというのが、皆さん
うな、本当の意味での復旧復興作業とは何だ
の声だろうと思います。医療の関係では、保
ろうか、というようなことについて今日は皆
健証の集約というのも、市民にとってはマイ
さんと一緒に考えていきたいと思います」と
ナスが、防災がらみ、医療含めて保険証の果
話しがあり、これまでに被災地に行って、実
たす役割というのが、北九州でも 1 カ所にな
際に見てきた方々の話を聞きました。
ってしまっている関係がありますので、何か
戸畑けんわ病院の院長、二見先生からは、
あったときにたよれる保険証やスタッフ含め
地震の概要、人的被害の状況、避難所生活か
て集約されてしまっている、身動きできない
ら仮設住宅移住までの経緯、医療機関の被災
という状況があります。全国の仲間が、とり
- 1 -
わけ保健師さんが被災地に応援に来るんです
な学習と知識を身につけて、またそれをどん
が、なかなか今のような集約された形では、
どん発信していただきたいとい思います。
仕事が出来ませんねという声を聞きました。
【二見】我々の働いているところは病院で
【和田】最近で言うと新燃岳の噴火があり
すので、入院患者さまが必ずいます。一般的
まして、私も現場に行ったんですが、とにか
な災害の場合、職員が入院患者さんをおいて
く近づくな、避難勧告されている中に入るな
真っ先に逃げるというわけにはいきませんの
と、指示はあるんですが、入らなければ取材
で、入院患者さまをどう避難させるかという
は出来ない。そこに住んでいる人、避難して
のが第一に想定させるところですけど、寝た
いる人がいるわけですから、その人たちに話
きりの人とか人工呼吸器の人とかいて、実際
を聞かなければいけないという、葛藤がある
はどれくらい助けきるのかということに関し
のは事実。その中で取材をして、話をしてそ
ては、厳しい人員じゃないかと思われます。
の状況を伝えるということをやっています。
行ってから会社の方から、指針が出たとか、
何キロ以内に入るなとかの指示が降りてくる
と言うのが現場の取材の状況です。
【岩下】福岡県としては、被災地にはこれ
からという状況ですね。阪神淡路のときは相
当数、救援に行きました。今回は特に遠方で
もあるわけですが、地震だけでなく津波、そ
最後に、労健連代表幹事の太田さんから閉
れから原発の問題ですね、そういう意味では
大変な被害ということです。日頃から自治体、
会のあいさつで締めくくりました。
住民、業者も含めて地震対策、津波対策をも
【太田】シンポジストの皆さんから、現地
っと真剣に考えていくことが、少しでも亡く
支援の難しさ等々のご報告をいただきまして、
なられる方や、家が無くなることを減らせる
大変ありがとうございました。いろんな方が
のかなと思っております。業者はなかなか状
支援に入る中で、マスコミの報道があってこ
況厳しいですが、前向きに奮闘していきたい
そ支援に入れるという田村先生のお言葉をい
と思っております。
ただきまして、我々マスコミ労働者にとって
【平安】建設労働者・職人というのは、住
は非常にありがたい言葉でありました。
宅の災害復興で、もっとも必要とされる人材
災害地にどういうことがあるのかというこ
になります。福建労の方は、全建総連で、人
とを全然知らない。原発に関しては、研修を
的な支援含めて、地元の大工さんは道具が流
しておりますが、今回たとえば、アスベスト
されて無いという状況もあるので、道具の支
が飛散するのでマスクが必要だとか、たとえ
援も行なっています。
ば福建労の方であるとか、医療関係の方とか、
福岡県内においても、千カ所以上危険箇所
当然知っているようなことを我々は知らずに、
と言われる箇所があって、そこについて今県
マスクも持たずに現地に行ったと。これはや
のスピードで危険箇所の工事をしていけば、
っぱり、防げるはずのものを防げないという
800 年以上かかるというペースで工事をされ
状況になるので、事前の訓練、知識付けとい
ています。そこについても県の方に要請行動
うのは非常に重要だなと思いました。
以上
を行なっているところです。現地で災害支援
を行なう場合は、アスベストを含めて、正確
- 2 -
北九州労働者の健康問題連絡会
議の 20年(その2)
北九州に来たが、その体制もなく、また大学
北九州労働者の健康問題連絡会議
誘われ、この集会に参加したとのこと。私た
顧問
福田紀六
に戻ろうと思っていたときに、関西の先生に
ちは、その若い医者に、夜を徹して北九州の
労働災害や職業病の実態を訴え、東京や神戸
北九州労健連の発足までの北九州
職対連の果たした役割と限界
に患者を連れてくるのではなく、北九州でこ
北九州職対連は、当時は年に一回の職業病
し合いました。その時の医師が、今の九州社
交流集会などを開催し、大きな成功を収めま
会医学研究所所長であり、九州セミナーの議
したが、各労組の運動はその組織内の運動で
長の田村昭彦先生です。
のような運動は出来ないものかと、真剣に話
あり、職場闘争が一段落すると終るという、
限界もありました。
特に、関連企業や未組織の労働者の労災職
業病闘争は、各単産の労働組合が組織決定し
て積極的に闘う点では、一定の壁がありまし
余談ですが、今でも先生とは、この出会い
の感動を忘れないことを口実に、「 のじぎく
の誓い」と称しては、盃を傾けています。
九 州 社 医 研 と 労 健 連 ・九 州 セ ミ ナ
ーの発足
「のじぎく会館」での歴史的な出会いから、
た。これらの問題は、労働組合としての組織
ではない、製鉄職対協や三菱膀胱がん被災者
2年後の 1987 年に、田村先生らによって、
や、個人の有志が窓口となり、患者会を組織
大牟田で九州社会医学研究所が設立され、働
して、会社や病院・労基署・弁護士に、個別的
くもののいのちと健康を守る医療体制の拠点
に相談することになりました。そして、患者
が九州にできました。
の相談が増えれば増えるだけ、職対連の活動
その後、医師や弁護士、病院などと交流を
としてではなく、有志による相談活動に埋没
重ね、1990 年 6 月には、福岡の志賀島で第
してゆきました。
一回労災職業病九州セミナーが開かれまし
このような個別の相談を解決するために、
た。初めての試みでしたが、予想以上の参加
私たちは当時東京読売ランドでの、労災職業
者で、宿泊所が当日の夜までわからない状態
病全国実行委員会の2泊3日の集会や、関西
でした。この集会に、私は旧国鉄の関連会社
一泊学校へ患者を伴って参加し、全国の運動
の過労死の遺族 A さんをつれて参加し、2日
に学びながら活動していました。
目のセミナー終了後に、田村先生や弁護士と
のじぎくの誓い
相談をしました。
1985年5月、第19回労災職業一泊学
すでに、監督署・県の審査官でも業務外とな
校が神戸の「のじぎく会館」で開催されまし
っていましたが、これをきっかけに旧国鉄の
た。一日の会議が終わって旅館に帰り、北九
仲間たちも運動に参加し、Aさんの具体的な
州 か ら 参 加し た 4 ,5 人 で く つ ろ いで い る と
作業日報ばかりでなく、作業実態など職場の
ころに、見知らぬ若者が入ってきました。
写真までつかって明らかにし、田村医師の医
その若者も一緒の部屋に寝るとのこと。ど
学的所見を添えて、中央審査会で実に7年か
こから来たのか尋ねると、北九州から来た医
かっていた事案が、逆転勝利を収めました。
者とのこと。当時、北九州ではなかなか患者
この中で、労働者のいのちと健康を守るたた
の立場に立ってくれる医者がいなくて、その
かいは、医師や弁護士、労働組合・労働者・被
若者に,少し意地悪な質問を投げかけている
災者・家族・研究者が一体となって、始めて前
と、実は自分もこのような運動をやりたいと
進することを確信しました。
- 3 -
1991 年には、それまでの北九州職対連を、
「過労死 110 番電話相談会」
に参加して
発展的に解消して「北九州労働者の健康問題
連絡会議」が発足しました。
則行
労健連には、いろいろな組合や団体が参加
5月18日(土)10時より、第一法律事務
しています。従来の運動は、その団体や組合
所で、
「過労死 110 番電話相談会」が実施され
の活動の発表の場を抜け出せていなかったか
ました。始める前に、KBC-TV が取材に来まし
と思います。
た。
労健連は、市職や病院や鉄鋼などであって
午前中は電話の相談はなかったのですが、
も、それぞれの問題を全体で取り組みます。
例えば、交通労働者の食生活と健康調査は、
基山のパーキングで、教職員も製鉄の仲間も
昼前のニュースが放映された後からは、続け
て3件の相談がありました。
その内の1件について紹介します。25歳
医師や医療機関とともに参加して、トラック
の「息子さんの働き過ぎを心配する、父親か
運転手に対して、調査の協力や健康アンケー
らの相談」でした。運輸関係の会社に勤務し
トなど、一緒に取り組んできました。そのこ
ていますが、朝7時に出勤をして、帰りは夜
とは、交通労働者の健康問題だけでなく、参
中の12時という状況が続いており、交代者
加した団体の中で、今の社会で起きている流
がいなくて休みも取れない状況だということ
れとしてとらえ、職種を超えて労働者の連帯
です。労働基準監督署の査察が入ったのです
感を共有していきました。その後、教職員の
が、会社の対応は一向に変わらないばかりか、
健康調査・製造業の健康・医療労働者の健康な
タイムカードを早く押すようにと、勤務時間
ど、その一年間の課題を明らかにして、プロ
ジェクトを立ち上げ、そのプロジェクトには、
あらゆる職種の会員が参加して、総合的に学
をごまかす指示もしているということです。
親は心配していますが、当人は会社を辞めた
くないと、会社に対しては何も言わず、届け
習していきます。企業・職種を越えた「人間
出る気もないようです。健康を害してからで
らしく働く」運動への参加です。
は大変なことになると、地区労連に相談する
第10回九州セミナーで取り上げた、
「 ハン
ことを進め、電話番号を知らせました。
ディーをもった労働者の健康」は、ある主要
5年ぶりに「過労死 110 番電話相談会」に
会社で、心臓疾患病の労働者に3交替勤務を
参加しましたが、昨年度の労災認定の集計で
押し付け、できなければ辞めろといった職場
は、精神障害等の認定が大分増加している状
復帰への嫌がらせの問題でした。いわゆる労
況です。職場環境は悪いままで、労働者は権
働災害ではない、労働者の健康を労健連でど
利を知らされないまま、一生懸命働いている
う取り組むのか、全体で論議を積み重ねる中
状況は変わっていません。
で、働く仲間の問題として捉え、
「病気休業に
今こそ、労働者に「ディーセント・ワーク」
関する就業規則」調査を全体で取り組み、あ
のような大きな運動へと発展していきました。
次号へ続く
栄人
という言葉を認知してもらうように、頑張っ
て知らせていかなければと感じました。
労健連 サマースクールのご案内
2011年8月20日(土)13時30分開会 市立男女共同参画センター「ムーブ」5階
メンタルヘルス3課集中講座 豪華講師陣を予定しております。こうご期待!
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