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ーその革命支援活動を中心にー

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ーその革命支援活動を中心にー
命
牌
.
そ の革命 支援 活動 を中 心 に一
パ ル ヴ ス と ボ リ シ ェヴ ィ キ 革 命
次
1
目
はじめ に
一、 二 月 革 命 以 前 のパ ルヴ ス の行 動.
二月 革 命 の衝 撃
パ ルヴ ス の革 命 構 想
ニ 、 二月 革 命 と ﹁封 印 列 車 ﹂
ω
ヴ
エ
シ
リ
ボ
と
ス
②
ノ
﹁
封 印列 車 ﹂ の舞 台裏
げ
スト ック ホ ル ム の ﹁ボ リ シ ェヴ ィキ在 外 支 部 ﹂
パ
の
ω
レ ー ニン の反 論 を めぐ って
ボ リ シ ェヴ ィキ に対 す る 告 発
.
㈲
鋤
ド イ ツ の資 金 援 助
三 、 ﹁ロシ ア のド レ フ ユス事 件 ﹂
個
︿補 論 V ﹁レー ニン のド イ ツ ・スパ イ 説 ﹂ のそ の後
西
川
伸
一
蜘
(
9
8
靴
四 、 ボ リ シ ェヴ ィキ批 判 の展 開
じ
め
に
むすび にかえて
は
義 の矛 盾 を 止 揚 す る ・と を 目 指 す 。 彼 ら の存 在 理 由 はそ ・ にあ る・ し か し彼 らが そ の運 動 を 首 尾
よく 遂 行 し よう と す れ ば す るほ ど 、 彼 ら はあ る ジ レ ン マに 聾
社 会 主 義 者 は、 資 奎
命 はあ っても 、 "無 銭 " 革 命 はあ り え な い のだ 。 賢 明 は革 命 家 な ら誰 しも 、 こ の自 縄 自 縛 に気 付 い て い た はず であ る。 い
す る.
﹂と に な る。 す な わ ち 潤 沢 な 革 命 資 金 の 必 要性 であ
凶
か に し て クリ ー ンな資 金 を 調達 す る か、 あ る いは 汚 れ た カネ を 世 間 に悟 ら れ ず に調 達 す る か。 こ の こ と に彼 ら は 日 々、 心
キ
汽
野
ポ
と
朔
を 砕 いた に違 いな い。 た と えば 、 ・ ⊥
ン の ; 年 四 ヵ月 に及 ぶ 亡 命 生 活 を 支 え た の は・ 主 簿
から の送 金 であ ・.親ご ﹂
る。 本 来 、 資 本 主 義 の打 倒 を 志 す 、 崇 高 な 理 想 に燃 え る革 命 家 が 、 カネ の亡 者 にな ら な け れ ぽ な ら な い の であ る 。無 血草
恥
の 意 味 で 、 カ ン パ と い う 言 葉 が ロ シ ア 語 の 訳窪 目自。塁 国 に 由 来 す る の は 、 大 い に 示 唆 的 で あ る 。
巴 塁
審
巳 )と いう こ の人爵
・ 〃革 命 に は カ
と こ ろ で 、 多 士 済 々 の社 会 主 義 者 、 革 命 家 の 中 に は 、 こ の か ら く り を 公 言 し て 揮 ら な い 豪 傑 も い た 。 そ の 名 を パ ル ヴ ス
ぎ
む
9
の
九 二四 年 、 勺・遷 ω⋮本名 ヘル ・ ・ソ ー ≧ 墓 戸毎
ネ が 要 る 、 そ れ ゆ え革 命家 は よ ろ し く資 本 家 にな る べ.
き だ " と 明 快 で あ った 。 ロ シ ア 生 ま れ の ユダ ヤ 人 で 、 ド イ ツ社 会 民
56
(
(天 六 七 1
︹以 下 、 S P D ︺ 員 で あ った 彼 は 、 自 ら そ れ を 実 践 し 、 晩 年 に は ベ ル リ ン 郊 外 の シ ュヴ ァ ー ネ ン ヴ ェ ル ダ ー に 大 邸 宅
主党
靴
を 構 え、 世 間 の冷 笑 を浴 び なが ら、 そ こ で 死去 す る。 そ れ に し て も、 彼 の遺 し た 次 の言 葉 は ふる って い る。
﹁
社 会 主 義 運 動 の中 に は、 大 金 持 ち や大 商 人 が 少 な から ず 存 在 し て い る。 サ ソ 。シ モ ンは 軍需 品 の調達 で 一財 産 を 集 い
(3 )
た のだ し、 フ ー リ エは 工場 主 であ った し、 エンゲ ル スも 同 じ く 工場 主 であ り、 かな り の 大資 本 家 であ った 。 も し 彼 の資 金
が な け れ ぽ 、 マ ル ク ス は と て も 惨 め な 状 態 で あ った こ と で あ ろ う 。﹂
そ も そ も 革 命 と は コ ス ト の か か る 事 業 で あ る 。 ボ リ シ ェヴ ィ キ 革 命 も 例 外 で は な い 。 そ し て 、 レ ー ニ ン の資 金 源 の 一端
を 手 繰 る と 、 ど う や ら ・ の パ ル ヴ ス に 行 き 着 く の で あ る 。 彼 は 、 一九 一七 年 を 通 じ て 、 ポ リ シ ・ヴ ィ キ 革 命 達 成 の た め
に 、 ﹁革 命 の プ ロ モ ー タ ー ﹂ と し て コ ペ ン ハー ゲ ン、 ス ト ッ ク ホ ル ム、 ベ ル リ ン間 を 奔 走 す る 。見 方 に よ って は 、 パ ル ヴ ス
(
4)
は ボ リ シ ェヴ ィ キ革 命 の陰 の 立 役 者 と 言 え る か も し れ な い 。 本 稿 は 、 前 編 の 続 編 と し て 、 パ ル ヴ スが こ の 革 命 に 果 し た 役
(5)
割 を 中 心 に 検 討 を 行 い 、 併 せ て ボ リ シ ェヴ ィ キ の 革 命 資 金 調 達 の 一面 に も 接 近 し よ う と す る も の で あ る 。
(
6)
確 か に 、 こ う し た 接 近 は 、 歴 史 的 必 然 か ら す れ ぽ 、 "革 命 史 の 脚 注 " に す ぎ な い と し て 軽 ん じ る 向 き も あ る 。 少 な く と
汽
キ
イ
ヴ
リ
ポ
と
ス
げ
も 、 革 命 の 当 事 者 た ち は そ う 割 り 切 って い た は ず で あ る 。 だ が 、 そ の 革 命 が 産 み 落 と し た 体 制 の根 幹 が 問 わ れ て い る 今
(7)
・
∼
(西 暦 ) と し 、 そ れ 以 外 で は 、 西 暦 に 統 一し
日 、 こ れ ま で ど ち ら か と 言 え ば 、 敬 遠 さ れ が ち で あ った 問 題 を 、 取 り 上 げ る こ と も む だ で は あ る ま い 。 そ れ が "脚 注 " に
と ど ま る の か 否 か は 、 そ れ ぞ れ の時 代 が 判 定 す る こ と で あ ろ う 。
付 記 ⋮暦 に つ い て は 、 原 則 と し て 、 ロ シ ア で の 出 来 事 の 表 記 に は 、 露 暦
た 。 な お 、 一九 一八 年 二 月 一 (一四 ) 日 以 後 は 、 ﹁西 欧 暦 を ロ シ ア に導 入 す る こ と に 関 す る 法 令 ﹂ 施 行 に 伴 い 、 す べ
)
6
3
O
9
靴
て 西 暦 で記 し た。
嘲、 二 月 革 命 以 前 の パ ル ヴ ス の行 動
前 編 で 見 た よ う に 、 ロ シ ア 問 題 の 専 門 家 と し て 、 ド イ ツ 外 務 省 の 評 価 の 高 か った パ ル ヴ ス は 、 一九 一六 年 一月 の ﹁血 の
日 曜 日 ﹂ の 記 念 日 に 、 ・ シ ア革 命 を 引 き 起 ・ す と い う 自 ら 提 案 し た 計 画 が 頓 挫 し た ・ と に よ り ・ ド イ ツ 政 府 の 信 頼 を 失 ・
て し ま う。 彼 は しぼ ら く、 ヴ ィ ル ヘル 。 .シ 。上 フ←
ゲ ・で、 捲 土 重 来 を
期 す こ と に な る 。 そ の 活 動 の中 心 と な って い た の は 、 一九 一五 年 夏 に 設 立 さ れ た ﹁貿 易 輸 出 会 社 ﹂ と 、 一九 一五 年 一二 月
さ れ ず 、 ・ぺ ・ →
引
に な って 、 当 地 の ド イ ツ公 使 ブ ロ ッ ク ド ル フ .ラ ン ツ ァ ゥ (じd8 。匡 o集 角 ⇔馨 N砦 ) に よ っ て 存 在 が 確 認 さ れ た 、 ﹁戦 争 の
︹外 務 省 ︺ か ら は 相 差
汽
社 会 的 結 果 の 調 査 の た め の 研 究 所 ﹂ で あ る 。 彼 ラ ン ツ ァ ウ と パ ル ヴ ス は 、 第 一次 世 界 大 戦 勃 発 以 来 親 し く 交 わ り 、 一六 年
キ
リ
ボ
と
の ロシア革 命 促 進 計 画 に際 し て は、 数 度 議 論 を重 ね て いる 。
伽
レ
・
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ω江
β。旨 )が こ れ
﹁貿 易 輸 出 会 社 ﹂ は 、 レ ー ニ ン の 信 頼 が 厚 か った ヤ コブ ・ フ ユ ル ス テ ン ベ ル ク (ハネ ツ キ i ) (富 犀oげ 哨葺 馨 ①冒ぴΦ同
σ
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臨 き 。。宏 ) が 取 締 役 を 務 め て い た 。 一六 年 四 月 に は 、 軍 部 と の 関 係 が 深 い ゲ オ ル グ ・ ス ク ラ ー ツ (O①o茜
に加 入 。 彼 ら、
は 共 同 出 資 者 と し て 、 そ れ ぞ れ こ の 会 社 に 四 万 マ ル ク ず つ拠 出 し た 。 ま た 、 同 社 は 、 パ ル ヴ ス の事 業 の 基 地
は 、 エヴ ゲ ー ニ ャ ・ス メ ン ソ ン (円くσq①ロぞ ⇔ ω¢ヨ Φ冨 oロ) が 代 理 人 を 務 め る 、 フ ェビ ア ン ・タ リ ン ダ ス ト ラ ン ド の
で あ った の み な ら ず 、 ロ シ ア の 革 命 化 促 進 の 隠 れ 簑 的 機 関 で も あ っ た 。 す な わ ち 、 こ こ か ら ロ シ ア へ の 医 薬 品 等 の輸 出 ・
密輸品
の
6
ら
(
92
ペ ト ログ ラ ー ド 支 社 な る 商 会 に よ っ て 引 き 取 ら れ た 。 彼 女 は そ の売 り 上 げ を シ ベ リ ア 銀 行 の 特 別 口 座 に 振 り 込 ん で い た 。
65
6
)
ヨ
9
こ の 口 座 か ら ロ シ ア の様 々 な 革 命 組 織 に 資 金 が 流 さ れ た の で は な い か 、 こ と に 二 月 革 命 以 降 、 ボ リ シ ェヴ ィ キ に 届 い た 資
金 は 、 こ の 経 路 を 通 った ら し い と の 推 測 が あ る 。 す な わ ち 、 一九 一七 年 七 月 、 臨 時 政 府 は 、 パ ルヴ スと ハネ ツ キ ー か ら の
資 金 が 、 ス メ ン ソ ン に よ っ て そ の 口 座 か ら 引 き 出 さ れ 、 ボ リ シ ェヴ ィ キ に 渡 さ れ た と 発 表 し て い る の で あ る ︹後 述 ︺。 ﹁貿
易 輸 出 会 社 ﹂ の 取 引 範 囲 は 、 ヨ ー ロ ッパ の み な ら ず 合 衆 国 に ま で 及 び 、 こ の 機 関 が ボ リ シ ェヴ ィ キ に と って ど れ だ け 有 用
パ ルヴ スが商売 の成功 で巨額 の富 を得 た・と簡 違 いな贈
であ ・た かはとも かΣ
し{
軸
今 か ら 将 来 の再 組 織 のた め に基 盤 を 準 備 す る ﹂ こと だ と 述 べ て いる 。 そ の研 究 成 果 は、 不 定 期 刊 の ﹁戦 争 の社 会 的 結 果 の
一方 、 ﹁研 究 所 ﹂ に つい て は、 パ ルヴ スは そ の設 立 目的 を、 ﹁戦 争 の財 政 的 、 社 会 的 結 果 の解 明 と 分 析 を通 じ て、 す で に
稗
ヴ
ェ
シ
た め の研 究 会 紀 要 ﹂ や そ の他 の出 版 物 で報 告 さ れ た 。 ﹁紀 要 ﹂は 六号 ま で出 され ︹一九 一六∼ 一九 二〇 年︺、戦 争 中 の人 命 損
それ
失 の 統 計 や 、 ヨ ー ロ ッ パ 諸 国 の 社 会 、 政 治 的 発 展 に 関 す る 記 事 が 主 で あ った 。 西 ウ ツ キ ー や ク ー ノ ウ (寓●≦ ●国 .O彗 o≦ )
に自 負 を 抱 い て い た の で舞
ス
学問的妻
剥
と
呈 し て い たが ・ パ ルヴ ス自 身 は ﹁研 究 所 三
は・ そ の統 計 的 価 値 に疑 蓼
ノ
"
(12 )
は 、 次 の 言 葉 に も 示 さ れ て い る 。 ﹁コ ペ ン ハー ゲ ン の 研 究 所 は 、 お そ ら く 現 在 の と こ ろ 、 最 も 完 備 し た 関 連 資 料 集 を 所 蔵
し て い る 。 研 究 所 は 、 一般 に 戦 争 中 入 手 し う る 六 百 の 定 期 刊 行 物 と 統 計 す べ て を 取 り そ ろ え て い る 。﹂
さ ら に、 こ の時 期 の パ ルヴ スの活 動 で逸 す る こと の でき な い の は、 石 炭 取 引 を 仲 立 ち に し た、 彼 と デ ン マー ク の労 働 組
合 、 社 会 主 義 者 と の 関 係 で あ る 。 一九 一五 ∼ 一九 一六 年 の 冬 、 中 立 国 デ ン マ ー ク は 石 炭 不 足 に 喘 い で い た 。 そ れ ま で デ ソ
マ ー ク は 、 も っぱ ら イ ギ リ ス炭 に 頼 っ て い た が 、 戦 争 で 供 給 量 が 制 限 さ れ 、 人 民 大 衆 は 高 い 石 炭 を 買 う こ と を 余 儀 な く さ
れ て い た の で あ る 。 そ .∼で 、 デ ン マ ー ク 労 働 組 合 書 記 長 カ ー ル ・ キ ー フ ァ ー
(13)
(一く⇔H一 囚 凶①h①同) は 、 安 く て 入 手 も 容 易 な ド
イ ッ 炭 を 組 合 員 に 供 給 す る こ と を 考 え た 。 組 合 員 に し て み れ ば 、 安 け れ ば 英 独 ど ち ら の 石 炭 で も 構 わ な か った か ら だ 。
キ ー フ ァ ー は 、 一九 一五 年 末 、 ド イ ツ 公 使 と 関 係 の 深 い パ ル ヴ ス に 接 近 し た 。 パ ル ヴ ス は こ の 石 炭 供 給 計 画 を 、 一九 一
六 年 春 、 公 使 ブ ロ ッ ク ド ル フ .ラ ン ツ ァ ウ に 伝 え 、 彼 の 支 持 を 得 た 。 ド イ ツ と し て も 、 デ ン マ
﹁
ー ク と イ ギ リ ス と の関 係 を
ク の労 働 組 合 は独 自 の配 給 組 織 を 設 立 し、 ド イ ・当 局 は、 一・
でき る だ け 弱 め、 ド ィ ッ に対 す るデ ン マー ク の好 意 的 中 立 を 確 保 し て おき た か った の であ る。 ラ ン ツ ァウ は、 六 月中 旬 、
ベ ル多
へ向 か いそ の計 画 を ま と めた 。 そ し て、 デ ン 下
靴
(
14)
月 最 低 九 万 ト ンの石 炭 供 給 に同 意 す る こと に な る。
調 達 ・販 売 を ま と め て 行 い 、 廉 価 な 石 炭 を 供 給 す る こ と 、 ③ 労 働 組 合 が 事 業 を 先 導 す る こ と 、 と い う 三 点 で 合 意 に 達 し
(
15)
た 。 一〇 月 、 パ ル ヴ ス は ﹁コ ペ ン ハー ゲ ン商 会 輸 送 会 社 ﹂ を 設 立 、 ド イ ツ か ら デ ン マー ク への 石 炭 の船 積 み の実 権 を 握 る
同 年 夏 に は 、 パ ル ヴ ス と キ ー フ ァ ー が 石 炭 事 業 に つ い て 、 ① 勤 労 大 衆 、 社 会 諸 組 織 への 石 炭 調 達 を 第 一と す る こ と 、 ②
キ
イ
ヴ
泥
弗
リ
ボ
と
月 に は 、 デ ン マー ク の 石 炭
こ と に な る 。 し か し こ の 事 業 は 、 当 然 、 イ ギ リ ス側 か ら の 妨 害 に 遭 い 、 一九 一六 年 一〇 ∼ =
レ
杓
業 者 、 実 業 家 た ち に よ っ て 、 ﹁短 期 間 に あ ら ゆ る ボ イ コ ッ トが あ った 。﹂ 彼 ら は 、 労 働 組 合 の 事 業 に 非 協 力 的 で あ った た め
(61 )
であ る 。 パ ルヴ ス によ れ ば 、 貨 物 船 の荷 揚 げ 場 所 も 、 石 炭 置 き 場 も な く 、 そ れ ゆ え 、 貨 物 船 は荷 揚 げ 期 限 が 過 ぎ 、 違 約 金
月
一八 日 、デ ン マ ー ク 外 相
エ リ ッ ク ・ス カ ヴ ェ ニ ゥ ス (団U
H一〇 6009◎︿①︼
P一口on)
が 課 せ ら れ る と い っ た 状 態 で あ っ た 。 彼 は 、 ﹁決 定 的 瞬 間 に ﹂ 百 万 ク ロ ー ネ を 払 っ て 、 急 場 を し の い だ と い う 。
そ の 間 に も 、 ブ ロ ッ ク ド ル フ ・ラ ソ ツ ァ ウ は 、 =
と 会 談 し 、 ド イ ツ の石炭 輸 出 の重 要性 を確 信 す る に至 る ゆ 武 器 と し て の石 炭 の価 値 に気 付 い た の であ る。 そ し て、 ラ ン ッ
4
9
56
の
﹁
(
待
軸
ヴ
エ
ア ウ の助 力 に よ り 、 パ ル ヴ ス は 、 ル ー ル の 鉱 山 会 社 と の 長 期 協 定 を 締 結 し 、 直 接 デ ン マ ー ク に 石 炭 を 送 る こ と が で き る よ
(
17)
う に な った 。 一方 、 一九 一六 ∼ 一七 年 の 冬 も 、 イ ギ リ ス 炭 の 供 給 量 は 予 定 を は る か に 下 回 り 、 ド イ ツ 炭 ボ イ コ ッ ト は 失 敗
し た 。 つい にデ ン マー ク にド イ ツ炭 が 購 入 され る よう にな り 、 組 合 の石 炭 事 業 は よう やく 軌 道 に乗 る。 これ は やが て、 従
(18 )
業 員 千 人 、 年 商 一億 ク ロ ー ネ の 企 業 に 成 長 を 遂 げ て ゆ く 。 か く て 、 労 働 組 合 が 経 営 す る 石 炭 会 社 は 、 デ ン マ ー ク へ の 石 炭
供 給 の増 加 、 価 格 引 き 下 げ に貢 献 し た のみ な らず 、 労 働 組 合 の懐 も 潤 し た ので あ る 。 パ ルヴ ス自 身 の儲 け は、 年 間 三百 万
ド イ ツ政 府 に と ・て も ・ こ の事 業 に よ り ・ ﹁デ ン マ ー ク の 社 会 主 義 者 が ド イ ツ の 戦 争 政 策 に 好 意 的 な 気 持 ち に さ せ ら れ
・・象 にも及絶
(
20)
た ﹂ こ と は 、 政 治 的 効 果 と し て 十 分 で あ った 。 こ の 功 績 に よ り 、 デ ン マ ー ク 駐 在 公 使 ラ ン ツ ァウ は 面 目 を 一新 し 、 パ ル ヴ
ス も ド イ ツ 官 辺 の 信 用 を か な り 回 復 す る 。 の ち に 、 外 相 ツ ィ ン マ ー マ ン (>H梓
ゴβ同 N一
目 ヨ ①同日 β
◎⇒昌) は こ う 述 べ て い る 。
シ
ヘル フ ァ ント 博 士 は 我 々 に、 戦 争 中 、
刹
﹁ 一九 〇 五 年 の ロ シ ア 革 命 に お い て 、 "パ ル ヴ ス" と い う 偽 名 で よ く 知 ら れ た 、
多 く の注 目 す べき 尽 力 を し てき た。 と り わ け 、 彼 はデ ン マー ク の労 働 組 合 に、 我 々にと ってき わ め て望 ま し い方 向 に影 響
ノ
と
ス
ヴ
レ
。
﹀
(21 )
を 与 え つ つ、 コ ペ ン ハー ゲ ン の 帝 国 公 使 館 の 下 で 活 動 し て い る 。 そ の 時 以 来 、 ヘ ル フ ァ ン ト 博 士 は 、 プ ロ イ セ ン の 市 民 権
を 許 可 さ れ て き た 。﹂
二 月 革 命 前 夜 の 段 階 で 、 こ の よ う に パ ル ヴ ス は ﹁貿 易 輸 出 会 社 ﹂ の 設 立 ・発 展 で 、 ロ シ ア へ の 資 金 調 達 ル ー ト を 切 り 開
き 、 他 方 で 、 デ ン マー ク へ の ド イ ツ 炭 供 給 に 携 わ った こ と に よ り 、 ヴ ィ ル ヘ ル ム ・ シ ュト ラ ー セ か ら 再 び 一目 置 か れ る 存
在 と な って い た 。 二 月 革 命 は 、 彼 を 仲 立 ち と し て 、 こ の ル ー ト と ド イ ツ 外 務 省 を 結 び 付 け る こ と に な る 。 そ し て 、 こ れ を
)
67
6
9
命
革
キ
イ
ヴ
海
リ
ボ
と
ス
ヴ
レ
・
Vノ
境 に パ ル ヴ ス は 、 以 前 の ロ シ ア革 命 工 作 の失 敗 の汚 名 を そ そ ぎ 、 ロ シ ア 情 勢 に 関 す る ド イ ツ 当 局 の 助 言 者 と し て 、
.
完全 に
﹁封 印 列 車 ﹂
パ ルヴ ス の革 命構 想
■一、 二 月 革 命 と
復 帰 す る の であ る。
①
パ ルヴ スの ロシ ア革 命 に対 す る基 本 構 想 は、 す で に 一九〇 五年 革 命 時 に練 ら れ て いた 。 ﹁労 働 者 民 主 主義 論 ﹂ が そ れ で
(
2
2)
あ る。 こ の構 想 に よ れば 、 後 進 国 ロシ アが直 面す る革 命 は 、 プ ロレ タリ ア ー トを 革 命 主 体 と し た ブ ルジ ョア革 命 ︹﹁労働
者 民 主 主義 ﹂ と は 、革 命 の性 格 と そ の主 体 が 不照 応 で あ る こと の集 約 的 表 現︺ と し て起 こり 、 西欧 の社 会 主義 革 命 を誘 発
す る。 だ が 西 欧革 命 達 成 ま で に は若 干 の タイ ムラ グが 想定 さ れ て お り 、 そ れ ま で の数 年 間 、 ロ シア で は支 持 基 盤 の脆 弱 な
﹁労 働 者 民 主 主義 ﹂ 体 制 が 、 堅 持 され な け れ ば な らな い と し て いた 。 そ し て 、 や が て 来 る 西 欧 革 命 と と も に、 そ の支 援 の
下 、 ロ シ ア で も 社 会 主 義 への 移 行 が 展 望 で き る 、 こ れ が パ ル ヴ ス の 見 通 し で あ った 。 従 っ て 、 ツ ァ ー リ ズ ムを 打 倒 し 、 権
力 を 握 る の は 、 プ ロ レ タ リ ア ー ト の は ず だ った の で あ る 。
と こ ろ が 、 二 月 革 命 は 、 こ の パ ル ヴ ス の構 想 か ら は 、 大 き く 逸 脱 し て 発 生 し た 。 す な わ ち 、 周 知 の よ う に 、 十 月 革 命 に
比 べ て 二 月革 命 で は、 本 質 的 な階 級 の交 替 は なく 、 ロ マノ ブ王 朝 を 廃 し て臨 時 政 府 を 樹 立 し た の は、 革 命 前 より 権 力 を 握
って い た有 産 階 級 であ った から であ る。 む ろ ん 、 パ ルヴ ス自 身 、 ﹁人類 史 上 最 大 の汚 点 ﹂ と 呼 んだ ツ ァー リ ズ ム の 崩 壊
6
9
の
56
(
は 、 彼 の 長 年 の念 願 で あ った 。 一九 一五 年 に は こ れ を 目 指 し て 、 自 ら の 革 命 家 と し て の 栄 光 を か な ぐ り 捨 て て ま で 、 ド イ
ツ 政 府 と ボ リ シ ェヴ ィ キ と の仲 介 役 を 買 っ て 出 て い る 。 し か し 、 彼 は そ の 使 命 を 、 ツ ァ ー リ の 廃 位 に よ っ て 完 了 し た と は
思 って い な か った 。 こ れ だ け で は 彼 の 構 想 す る 革 命 の 一面 を 達 成 し た に す ぎ な い。
こ の 点 を パ ル ヴ ス は 、 す で に 二 月 革 命 の 一年 近 く 前 に 論 じ て い る 。 そ れ は ツ ァ ー リ ズ ム倒 壊 以 降 の ロ シ ア の 行 く 末 を 案
に な る か も し れ な い 。 と い う の も 、 ロ シ ア の 若 い 資 本 主 義 は 、 ﹁資 本 主 義 が 西 欧 で は と っく に 失 っ て し ま った 自 負 心 、 権
取 り除 か れ る わ け で はな い。 し か も 彼 ら は戦 争 に大 き な責 任 に負 って いる 。 彼 ら の存 在 は、 ・ ・ー
じ た も の で あ った 。 彼 に よ れ ぽ 、 ツ ァ ー リ ズ ム が 一掃 さ れ た 後 も 、 ﹁ロ シ ア の資 本 家 階 級 の 帝 国 主 義 的 、 軍 事 的 傾 向 ﹂ は
鞘
威 、 理 想 に 満 ち た 神 々 し さ ﹂ を 有 し て お り 、 こ れ を も っ て ロ シ ア 資 本 主 義 は 、 ﹁世 界 を 征 服 し 、 従 属 さ せ よ う と す る で あ
ズ ・ より 危 険 な も の
汽
キ
イ
ヴ
(
23)
ろ う ﹂ か ら だ 。 ロ シ ア資 本 主 義 の 脅 威 は こ こ に あ る 。 こ れ が 軍 事 力 増 強 に 向 か う こ と は 必 至 と な ろ う 。
1し て 以 来 のも の であ る 。 彼 の目 に は、 二月 革 命 に より こ の脅威 も現 実 味 を帯 び て き た と 映 じ た に相 違 な い。 臨 時 政 府
(
勿)
ロ シ ア資 本 主 義 が も つ 無 限 の 可 能 性 、 そ の 脅 威 に 関 す る 洞 察 は 、 パ ル ヴ ス が 一八 九 〇 年 代 初 め に S P D の 論 壇 に デ ピ ュ
り
ボ
と
ス
ヴ
レ
・
>ノ
が 、 三 月 七 (二〇 ) 日 、戦 争 を ﹁勝 利 に終 わ る ま で 遂行 す る﹂ と述 べ た の は、 そ の証 左 でも あ った。 パ ルヴ スは これ を 阻
止 し 、 ロシ アで の ﹁労働 者 民 主 主 義﹂ 体 制 の樹 立 を 目指 す行 動 を開 始 す る 。彼 には今 や 、 そ のた め の資 力 と コネが あ った
の であ る。 そ れ は三 点 にま と める こと が でき る。 す な わ ち 、 ① ロシ アと の講和 を 求 める 喧 伝 、② ・シ ア の敗 北 主 義 的 社 会
(25 )
主 義 者 の運 動 への支 援 、 ③ ド イ ツ外 務 省 に対 す る影 響 力 の行 使、 で あ る 。 これ が彼 の差 し 当 って の目 標 と な った 。
彼 が 主 宰 す る 機 関 紙 ﹃グ ロ ッケ﹄ 一九 一七 年 三 月 二四 日 号 に掲 載 さ れ た 論文 ﹁ロシ ア革 命 の勝 利﹂ は、 当時 の パ ルヴ ス
の
56
(
田
が 志 す 指 針 の 表 明 で あ った 。 こ こ で 彼 は ま ず 、 ロ シ ア ・ブ ル ジ ョ ア ジ ー の 政 治 的 機 会 主 義 を 難 じ て い る 。 す な わ ち 、 開 戦
当 初 、 ブ ル ジ ョ ア ジ ー は 対 外 的 勝 利 に よ って 、 ツ ァ ー リ 体 制 を 強 固 に し ょ う と 考 え た 。 し か し ロ シ ア 軍 は 敗 北 を 重 ね 、
﹁ブ ル ジ ョ ア ジ ー の 政 治 的 夢 想 を 破 壊 し た 。﹂ そ こ で 彼 ら は 方 針 を 一変 さ せ る 。 ツ ァ ー リ を 照 罪 の い け に え に す る こ と に よ
袋
が 入閣 し て い るが 、彼 ら の行 動
九 〇 五 年 に 始 ま った 大 き な 展 開 の 帰 結 ﹂ だ と 述 べ て い る 。 確 か に 臨 時 政 府 に は 、 グ チ コ ー プ (﹀・ 目
って 、 革 命 を 未 然 に防 ご う と し た の で あ る 。 だ が こ の も く ろ み は 、 ﹁下 か ら や って 来 た ﹂ 革 命 に よ り 失 敗 し た 。 パ ル ヴ ス
は こ の革 命 を 、 二
鼻 。・・外 相 ) ら ブ ルジ ・アジ あ
。・。ぎ
、- ・ フ (" 客 曇
靴
は 天 民 大 衆 の圧 力 の下 にあ る・﹂ そ れ ゆ え 彼 ら が 留 意 し な け れ ぽ な ら な い の は・ 徹 底 的 な 政 治 的 大 赦 ・ 報 道 の自 由 ・憲
(
26)
法 制 定 会 議 の召 集 と いう 、 一九 〇 五年 当 時 の要 求 であ る。 こう し た経 緯 を 踏 ま、
見た上 で、 パ ルヴ スは、 革 命 の今 後 の 展開
三 陸 海 軍 相)、 一
稗
ヴ
を 次 の よう に予 見 す る。
﹁これ ま で存 在 した 有 産 階 級 の代 表 と し て の国 会 は、 そ れ ら ︹上 述 の要 求 ︺ に よ って、 た やす く 瓦 解 し て し まう 。 憲 法
レ
托
リ
ボ
と
弥
制 定 会 議 は、 農 民 と 労 働 者 から 構 成 さ れ る で あ ろ う 。 会 議 はと り わ け 、 国 家 の内 政 的 変 革 に か かわ る こと であ ろ う 。 会 議
(
幻)
内
は 平 穏 無 事 を 必 要 と す る 。 ツ ァ ー リ ・ ロ シ ア は 途 絶 え 、 ロ シ ア は 民 主 国 に な る 。﹂
(銘 )
論 文 の結 び で パ ル ヴ ス は 、 ド イ ツ の プ ロ レ タ リ ア ー ト か ら ロ シ ア の プ ロ レ タ リ ア ー ト へ の 挨 拶 を 送 った の で あ る 。 ﹁君
.
﹁
た ち の 勝 利 は 、 我 々 の勝 利 で あ る ﹂ と 。 こ の 言 葉 は 、 ロ シ ア の ﹁労 働 者 民 主 主 義 ﹂ 革 命 が 、 ド イ ツ の 社 会 主 義 革 命 へと 波
及 す る こと を 遠 望 し て のも のであ ろ う 。
(
29)
ツ ァー リ な き 今 、 パ ル ヴ ス は ﹁シ ャ イ デ ・
マン平和 ﹂ ︹
敵 味 方 相 互了 解 の 平和 ︺ を 支 持 し て いた 。 し か し、 臨 時 政 府 はそ
8
9
の
5
(
れ を 受 け 入 れ そ う も な い 。 す で に 触 れ た よ う に 、 パ ル ヴ ス は そ の こ と を 、 一年 も 前 か ら 見 抜 い て い た 。 と す れ ぽ 、 ロ シ ア
に 講 和 を 望 む 勢 力 が 政 権 に つく こ と を 期 待 す る ほ か な い 。 パ ル ヴ ス の 目 は 再 び 、 レ ー ニ ン率 い る ボ リ シ ェヴ ィ キ に 向 け ら
れ た 。 彼 は 、 こ の 件 に つ い て は 欠 か せ な い 相 談 役 の ド イ ツ 公 使 ブ ロ ック ド ル フ ・ラ ン ツ ァ ウ と 、 ロ シ ア の 新 た な 情 勢 に つ
い て 諮 って い る 。 そ の 際 、 パ ル ヴ ス は ラ ン ツ ァ ウ に 、 現 在 の ロ シ ア で の 対 立 は 鴇 穏 健 な 自 由 主 義 者 と 社 会 主 義 者 の 問 に あ
た 。 さ ら に 彼 は 、 ・ シ ア 軍 の 士 気 に つ い て も 、 上 級 将 校 は 戦 争 継 続 支 持 だ が 一般 兵 士 は 平 和 を 求 め て い る 、 と 述 べ て い
り 、 やが て は後 者 が 優 勢 に な る 、 そ し て 、 前者 は戦 争 継 続 を望 ん で い るが 、後 者 の勝 利 は 平 和 を 意 味 す る と の予 想 を 語 っ
靴
(
30)
る 。 ラ ン ツ ァ ウ は 、 三 月 二 一日 、 本 国 外 務 省 に、 こ の 話 し 合 い の 要 旨 を 打 電 す る 。
一九 = ハ年 二 月
ラ ン ツ ァウ は さ ら に 、 四 月 二 日 に 、 外 務 省 宛 の 長 文 の 電 文 で 、 四 月 一日 の パ ル ヴ ス と の ロ シ ア 情 勢 に 関 す る 意 見 交 換 を
キ
イ
ヴ
煙
海
な 人 物 であ ・・ 護
(
31)
も と に 、 ロ シ ア を 内 部 か ら 瓦 解 さ せ る 見 通 し を 示 し て い る 。 こ の臼 は 、 パ ル ヴ ス が ベ ル リ ン へ出 発 し た 日 で あ っ た 。 ラ ソ
と ・て奮
リ
ボ
パ ルヴ スを ・ 乏
・ ・ウ は、 外 相 ・ ・ン マ←
と に な る 。 具 体 的 な 彼 の 使 命 は 、 レ ー ニ ン は じ め ボ リ シ ェヴ ィ キ を 支 援 す る こ と 、 当 面 の 課 題 と し て は 、 レ ! ニ ソら の 本
ン に書 簡 を 資
幌
以 来 商 人 と し て活 躍 し て い た バ ルヴ.
スは、 かく て再 び 、 ド イ ツ外 務 省 の対 露 革 命 促 進 工作 に お い て、 枢 要 な 役 割 を 果 す ご
レ
。
﹀
1
国 送 還 を ド イ ツ官 辺 に 提 案 す る こ と で あ った 。 言 う ま で も な く 、 即 時 講 和 を 唱 え る 彼 ら が ロ シ ア で 政 権 に つく こ と は 、 戦
線 の 一正 面 化 を 願 う ド イ ツ 当 局 の 利 害 に 合 致 し て い た の で あ る 。
D
田
(
99
②
二月 革 命 の衝 撃
一九 一七 年 一月 二 二 日
(露 暦 ・九 日 )、 レ ー ニ ン は 、 亡 命 先 の チ ュ ー リ ヒ の 公 会 堂 で ス イ ス 青 年 労 働 者 を 前 に 、 ﹁血 の 日
曜 日 ﹂ 一二 周 年 を 記 念 し て 、 ﹃ 一九 〇 五 年 革 命 に つ い て の 講 演 ﹄ を ド イ ツ 語 で 行 った 。 彼 は こ の 演 説 を 、 次 の よ う な 有 名
靴
っ て 、 次 の よ う な 希 望 を 述 べ て よ い と 信 じ る 。 そ れ は 、 ス イ ス や 全 世 界 の 社 会 主 義 運 動 で こ の よ う に り っぱ に 活 動 し て い
﹁わ れ わ れ 老 人 た ち は 、 お そ ら く 、 生 き て ・﹂のき た る べ き 決 戦 を 見 る .
・と は な い で あ ろ う 。 し か し 、私 は 、堅 い 確 信 を も
な 言葉 で結 ん で いる 。
稗
湿
(
33)
こ と で あ る 。﹂
る 青 年 諸 君 は 、 き た る べ き プ ロ レ タ リ ア革 命 を 闘 争 す る だ け で な く 、 さ ら に 勝 利 も す る 幸 福 を も た れ る で あ ろ う 、 と い う
ヴ
二月 革 象
な か 。た の であ る。 し かも 、 レ! 。ソ藍 田い た
り
ボ
と
ら 切 り 放 さ れ て い.
測 ・ 亡命 者 同 士 の い さ か い・ 中 傷 に う んざ り し た彼 は、 隣 接 す る ・ 亀
←
工 場 が 放 つ悪臭 漂 う シ ・ピ
諸 論 文 は 、 当 地 の 亡 命 者 サ ー ク ル を 越 え て 広 ま る こ と は ま ず な く 、 彼 は ﹁び ん の中 に で も い る よ う に﹂、 完 全 に ロ シ ア か
直 前 に迫 って い た .
﹂の時 期 です ら 、 革 命 の見 通 し は全 く 妾
弥
軸
ノ
(35 )
! ゲ ルガ ッセの安 宿 に 耐 え か ね、 通 り の向 う側 の キ ャバ レ ーで 乱痴 気 に興 じ る ダ ダ イ スト の ソ ワ レ に、 果 し て 参 加 し た の
吻
む
10
い ず れ に せ よ 、 こ の よ う に革 命 は 、 レ ー ニ ン の 予 期 せ ぬ も の と し て 起 こ った の で あ る 。 三 月 = 八日 に は 、 ス イ ス の 新 聞
(
であ ろ う か。
ス ウ ェー デ ン 人 に 変
各 紙 が 、 ニ コラ イ 二 世 の 退 位 を 伝 え た 。 す ぐ さ ま レ ー ニ ン は 帰 国 を 決 意 す る 。 で は 、 そ の 方 途 は ?
靴
躾 す る 、 フ ラ ン ス、 イ ギ リ スを 経 由 し て 帰 国 す る な ど 、 様 々な 策 が 考 え ら れ た が 、 ど れ も 実 現 不 可 能 と 思 わ れ た 。 そ こ で
,
注 目 さ れ た の は 、 ロ シ ア に と っ て の 敵 国 ド イ ツ を 通 過 す る ル ー ト で あ った 。 こ の 案 を 最 初 に 提 起 し た の は マ ル ト フ で あ
る 。 彼 は 、 三 月 一九 日 の ベ ル ン で の ス イ ス に 住 む ロ シ ア 人 亡 命 国 際 主 義 者 の 会 議 で 、 ド イ ツ 当 局 に 対 し 、 ロ シ ア に 抑 留 さ
れ て い る ド イ ツ の戦 争 捕 虜 の 本 国 送 還 と 交 換 に 、 ス イ ス の 亡 命 ロ シ ア 人 の ド イ ツ 通 過 を 認 め る よ う 交 渉 す る 、 と い う 考 え
・ ら ・ ン シ ・ヴ ィ
・ の 計 画 に は 、 ド イ ・ 政 府 の 承 認 は も ち ろ ん 、 ・ シ ア 政 府 の 同 意 を 得 る こ と も 必 要 で あ ・た ・ ド イ ツ
を 示 し た 。 レ ー ニ ン は こ れ に ﹁飛 び つ い た ﹂ (ク ルプ ス カ ヤ ) の で あ っ た 。
当 然 、 ・ の マ牛
的 な承 認 だ け で は、 帰 国 者 は ド イ ツの スパ イ の汚 名 を着 せら れ て し ま う。 .
﹂う 判 断 し た マ 牛
側 の 芳
キ
西
キ は 、 そ の 旨 ロ シ ア に 打 診 し 、 辛 抱 強 く 返 事 を 待 った 。 だ が レ ー ニ ン は 、 以 下 の電 文 に 明 ら か な よ う に 、 早 く も 三 月 三 〇
(
3
7)
﹁唯 一の 希 望 は 、 ⋮ 労 働 者 代 表 ソ ヴ ェト を 通 じ て 抑 留 ド イ ツ 人 と 交 換 し て く れ る こ と だ 。﹂ ( 一九 一七 年 三 月 三 〇 日 付 、
を決 断 す る 。
日 に は 、 臨 時 政 府 か ら 返 事 は 来 な い も の と 見 切 り を つけ 、 翌 日 に は 、 ロ シ ア側 の 承 認 な し に ド イ ツ を 通 過 し 帰 国 す る こ と
泥
恥
ポ
と
ゆ
恢
勾
ヤ .エ ス . ハネ ツ キ ー への電 報 )
﹁わ が 党 は、 ロシ ア人 亡 命 者 を ド イ ツ経 由 で帰 国 さ せ る と いう 提 案 を 無 条 件 で受 け いれ る こと 、 即 刻 こ の旅 行 の手 はず
)
を と と のえ る こと に決 定 しま した 。 ⋮ わ れ われ は これ 以 上 の遅 延 に責任 を 負 う こと が 絶 対 に でき ず 、 これ 以 上 の遅 延 に は
断 然 抗 議 し 、 わ れ わ れ だ け で行 き ます 。﹂ (一九 一七 年 三月 三 百 付 ・ R ・グ リ ム への塾
レ ー ニ ン に 帰 国 を 急 が せ た ロ シ ア の 情 勢 と は 、 何 で あ った の か 。 と り わ け ボ リ シ ェヴ ィ キ 中 央 委 員 会 ビ ュ
ー ロー の方 針
)
ヨ
肝
(
10
に 対 す る レ ー ニ ン の 危 惧 感 が 挙 げ ら れ よ う 。 三 月 一.
二 (二 五 ) 月 、 臨 時 政 府 の 政 治 的 大 赦 に よ り 、 シ ベ リ ア か ら カ ー メ ネ
フ 、 ス タ ー ツ ンが 首 都 に 帰 還 す る と 、 ボ リ シ ェヴ 習 キ 党 は h革 命 的 祖 国 防 衛 主 義 ﹂ の 色 彩 を 一段 と 強 め た の で あ る 。 彼 ら
(39 )
に は 任 せ て お け な い 、 レ ー ニ ン は そ う 考 え た 。 三 月 三 〇 日 、.彼 は ハネ ツ キ ー に 、 ﹁労 働 者 に は 真 実 を か た ら な け れ ぽ な ら
な い﹂ ︹ゴ シ ッ ク 体 は 邦 訳 全 集 の ま ま 。 以 下 同 じ ︺ と 書 き 送 っ て い る 。 さ ら に こ の と き 、 レ ー ニ ン の 脳 裏 を か す め た も の
位を覆
し たいと、彼 鑛
・ていた・とであ 摯
は 、 一九 〇 五 年 革 命 時 の 遅 き に 失 し た 帰 国 で あ った 。 同 じ 轍 は 踏 め な い 。 今 度 ば か り は 、 メ ソ シ ェヴ ィ キ の 指 導 者 よ り も
早-帰国・、戦術的 に有利奄
こ こ で 、 ド イ ツ 側 の 思 惑 も 見 て お こ う 。 一九 一六 年 初 頭 の 、 パ ル ヴ ス を 使 っ て の ロ シ ア で の 革 命 工 作 が 失 敗 し て 以 来 、
靴
稗
ド イ ツ で は再 び ロシ アと の分 離 講 和 の考 え が 台 頭 し て来 る。 同 年 夏 に は、 デ ン マー ク王 室 を 通 じ て、 ニ コラ イ 二世 に接 近
イ ツ は単 独 講 和 の望 みを 捨 て、 ロシ ア で の ﹁革 命 化 政 策 ﹂ と 西 部 戦 線 で の ﹁無 制 限 潜 水 艦 戦 ﹂ にす べ てを 賭 け る。 二月 革
(
1
4)
命 はそ の矢 先 の こと であ った。
を 図 る な ど 、年 末 に至 る ま で、 ロシ ア政 府 を 交 渉 の席 に着 か せる 試 み が 続 け ら れ た 。 し か しど れ も 失 敗 に終 わ り、 結 局 ド
ヴ
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と
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ロシ ア の新 政 府 と の単 独 講 和 締 結 を 目 指 す か 、﹁革 命 化 政 策 ﹂ を 一層 促 進 す る か、 ド イ ツ の対 露 政 策 は 選 択 を 迫 られ る
こと にな る 。 だ が 、 前 者 は、 臨 時 政 府 が協 商 国 側 で戦 争 を 継 続 す る 亡と を 決 し たた め、 お のず と破 綻 し た。 特 に ド イ ツが
恐 れ た の は、 二月革 命 で ロシ ア に 一種 の ﹁神 聖 な る 団 結 ﹂ (ボ ア ンカ レ) が 生 じ る こ と であ った。 協 商 国 側 が 次 々と ロシ
ア の新 政 府 を 承 認 し た こと も 、 ド イ ツ の不 安 を 高 め た の であ る 。 そ こ で、革 命 後 の ロシ ア国 民 の団 結 心 の機 先 を 制 す る た
め にも 、戦 争 継 続 に 反対 す る党 派 への支 援 は重 要 と な った 。 ド イ ツ外 務省 と参 謀 本 部 残 留 代 理 部 政 治 課 が 促 進 す る ﹁革 命
2
10
の
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・
化 政 策 ﹂ は 、 レ ー ニ ン は じ め ボ リ シ ェヴ ィ キ への 支 援 を 、 以 前 に 増 し て 強 め て ゆ く 。 そ し て 、 パ ル ヴ ス も こ の 文 脈 で 、 当
局 に と ・てぜ ひ 必要 な 人物 と な る の で艶
加 う る に、 一九 一七年 二 月 に再 開 さ れ た ﹁無 制限 潜 水 艦 戦 ﹂ も 、 ﹁革 命 化 政 策 ﹂ に大 き な 影 響 を及 ぼ し て い た。 す な わ
ち 、 三月 一八 日 に は、 三隻 の米 国 船 が ド イ ツ の潜 水 艦 に無 警 告 で攻 撃 さ れ、 こ れ に よ り 、 ア メリ カ の対 独 参 戦 は 時 間 の問
﹂ に ・ る東 部 戦 線 の解 消 は、 ・ イ ・ に と ・て 死 活 的 な意 味 を も つ に至 ・.
溺 ・ 何 ・り も
題 と な って い た から であ る ︹参 戦 は 四 月 六 日︺。 そ れ が現 実 と な れ ぽ 、 西 部 戦 線 に お い て、 協 商 国側 は 強 力 な 援 軍 を 得 る
・と に な ・。 かく て、 ﹁革 命 化 肇
﹁封 印 列 車 ﹂ の 舞 台 裏
ま ず 、 レ ー ニ ン ら ボ リ シ ェヴ ィ キ を ロ シ ア に 送 り 込 ま ね ば な ら な い 。 外 相 ツ ィ ン マー マ ン は 、 こ の 計 画 の 準 備 を 開 始 す
る。
⑧
パ ルヴ スが 、 レ ー ニンの ロシ ア帰 国 を考 え は じ め た のは、 マ ルト フの提 案 に触 発 され て か、三月 二〇 日 ご ろ か ら であ る 。
(44 )
す で に ベ ル リ ン の 外 務 省 周 辺 で は 、 こ の 企 て が 広 く 論 じ ら れ て い た 。 従 って 、 パ ル ヴ ス は 、 レ ー ニ ン の 通 過 旅 行 を 提 案 し
た 最 初 の 人 物 で も 、 唯 一の 人 物 で も な い 。 し か し 彼 に は 、 既 述 の よ う に 、 ロ シ ア と の商 取 引 を 口 実 に築 き あ げ た 独 自 の ル
ー ト が あ り 、 そ れ に よ り 彼 は 、 迅 速 な 行 動 を 取 る こ と が で き た 。 す な わ ち 、 外 務 省 が そ の 方 法 を め ぐ って 、 技 術 的 、 法 的
じ て・ レ ⊥
ンと ジ ノヴ ィ エ乏
・ ド イ ツ経 由 に よ る 帰 国 を 打 診 し た の で あ る ・ パ ル ヴ ス は 亡 命 者 全 員 の
問 題 を 議 論 し て い る 間 に 、 彼 は い ち は や く 、 コペ ン ハ ー ゲ ン の ﹁貿 易 輸 出 会 社 ﹂ に お け る 自 ら の 部 下 で 、 レ ー ニ ン の 腹 心
ハネ ツ キ ー 鑑
)
陥
(
塒
帰 国 には綿 密 な 準 備 を 必 要 と す る た め 、 まず こ の 二人 の帰 国 を 最 優 先 さ せ よ う と 考 え て いた 。 これ に は、 参 謀 本 部 政 治 課
(
45 )
が 協 力 し た 。 だ が レー ニンは 、 三 月 二四 日 一 ジ ノヴ 圃 エフを 通 じ て 、 ハネ ツ キ ー にそ の申 し 出 の拒 否 を 通 告 し て来 た の で
あ った 。 自 分 た ち 二人 だ け が 、 帰 国 を 受 け 入 れ る わ け には い かな か った の であ る。
こ の通告 が 届 く 以 前 に、 パ ルヴ スは、 ﹁貿 易 輸 出 会 社﹂ の共 同 経 営 者 ゲ オ ルグ ・ス ク ラ ー ツを チ ュー リ ヒ に派 遣 し て、
レー ニンと 接触 を 図 ろ う と し た 。 外 務 省 が ベ ル ン の ド イ ツ公使 館 にあ て た 三 月 二 七 日付 け の電 文 に は 、 参謀 本 部 の支 援
︹レ ー ・ ソ と ジ ・ ヴ ィ エ ・ の .
﹂と ︺ に 同 行 す る た め に 、
を受 け た スク ラ ←
が 、 ド イ ツ を 通 過 す る 二 人 の ・ シ ア の革 命 家
靴
チ 言
・﹂ も ち ろ ん⋮
う し た 感情 問 題 以 走
・ ・- ・
・ し か し ・ す で に 拒 否 を 決 断 し て い た レ ー ニン は ・ ス ク
稗
(
47)
ラ ー ツ を ﹁お っぽ り だ し て ﹂ し ま った 。 ス ク ラ ー ツ は 、 旅 費 の 提 供 も 申 し 出 た が 、 ﹁レ ー ニ ン は パ ル ヴ スを ひ ど く 嫌 っ て
が何者であるかを知るや否や・交渉を打ち切 匙
従 って 、 パ ル ヴ ス が 四 月 二 日 に ベ ル リ ン へ向 か った こ ろ に は 、 彼 は そ の 独 自 の ル ー ト を 通 じ た レ ー ニ ン に 耕 す る 工 作 が
ンは 、 そ の名誉 を 傷 つけ ら れ ぬ よう 警 戒 し て い た の であ ろう 。
お り ・ 彼 が ス ・ラ 歩
リ ヒ に 向 か った ・ で き る 限 り 彼 を 援 護 す る よ う に ・ と 難
ヴ
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刹
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と
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V
失 敗 し た こ と を 知 っ て い た こ と に な る 。 と ま れ 、 ベ ル リ ン で 彼 は 、 先 の ラ ン ツ ァ ウ の 嘆 願 に も か か わ ら ず ツ ィ ン マー マ ソ
(49 )
と の 会 談 は 実 現 し な か っだ も の の 、 外 務 省 公 使 で ロ シ ア 問 題 の 専 門 家 デ ィ エ ゴ ・ フ ォ ン ・ベ ル ゲ ン (望 ①σ
qo く. 切①お 9 )
と 亡 命 ロシ ア人 のド イ ツ通 過 に関 す る細 目 を 詰 め て い る。 だ が 、 外 務 省 はそ れ 以 前 よ り こ の計 画 を進 め て い た。
(
50)
ロ シ ア 人 亡 命 者 と 連 絡 を 取 り 彼 ら に ド イ ツ 通 過 を 申 し 出 よ 、 と 伝 え て い る 。 初 め は ド イ ツ側 か
早 く も 二 月 革 命 直 後 、 宰 相 べ ー ト マ ン ・ホ ル ヴ ェ ー ク (ゆ①チ 目 ⇔弓 ・
=o一
一
毛 ①α
q)は ベ ル ン の ド イ ツ 公 使 ロ ン ベ ル グ (O 凶
ωげ。二
岡島 い く●国o目 げ醇 σ
q) に、
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(
エ ス エ ル の ツ ィ ヴ ィ ン (N一
く貯 ) が レ ー ニ ン ら 亡 命 者 の ロ シ ア帰 国 を 容 易 な ら し め る よ
ら 接 触 が な さ れ た の であ る。 べ .
ル ンで の 亡命 者 会 議 の翌 日 の 三月 二〇 日 に は、 ベ ル ンの ド イ ツ公使 館 参 事 官 シ ューベ ル ト
(Opユ ︿・ω島 βげoユ ) が 宰 相 に 、
う 言 って き た 、 と 打 電 し て い る 。 ロ ン ベ ル グ は 、 二 三 日 、 亡 命 ロ シ ア人 革 命 家 が ド イ ツ経 由 で の帰 国 を 望 ん で い る 旨 、 本
国 に 報 告 し た 。 こ れ を 受 け て 、 同 日 、 ツ ィ ン マ ー マ ン は 参 謀 本 部 に 、 ﹁ロ シ ア 人 革 命 家 の 急 進 派 の 影 響 が 広 ま る こ と は 、
返 電 が 来 た 。 そ し て 、 三 月 二 六 日 、 ・ ン ベ ル ・ は "特 別 列 車 〃 に つ い て の 訓 令 を 、 外 務 次 官 の ブ ッ シ ェ (一
山・ω口ωm
Oゲ①)
我 々 の 利 益 で あ る ﹂ と 打 電 。 二 五 日 に は 、 参 謀 本 部 か ら 外 務 省 に 、 ﹁ロ シ ア 人 革 命 家 の 一時 通 過 に は 何 ら 異 論 は な い ﹂ と
輸
か ら受 け る ので祭
・を 訪 れ た と き に は、 外務 省 の・﹁封 印 列 車 ﹂ 計 画 は、 ク ・ イ マ ・ク スを 迎 え よう
稗
と し て いた。
ロ シ ア 人 亡 命 者 委 員 会 は 、 当 初 、 ス イ ス の 有 力 だ 社 会 主 義 者 で 下 院 議 員 の グ リ ム (閑oげ①二 〇ユヨ 日 ) を ス イ ス 政 府 と の
革 命 家 のド イ ツ通 過 は、 でき るだ け 早 く 行 われ る こと が 望 ま し い。 協 商 国 が スイ スで、 こ の動 き に対 抗 す る 行動 を す で に
(
52)
始 め て い る か ら だ 。 そ れ ゆ え 、 委 員 会 ︹・ シ ア人 亡 命 者 委 員 会 ︺ の 代 表 と の 討 議 を 、 で き る だ け 急 ぐ よ う お 願 い す る 。﹂
折 し も 四 月 二 日 、 ベ ル リ ン か ら 、 ブ ッ シ ェの 至 急 電 が ロン ベ ル グ に 打 た れ た 。 ﹁当 地 で 受 け た 情 報 に よ れ ば 、 ロ シ ア 人
・ パ ルヴ スが べ ㌻
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(53 )
交 渉 役 に 立 て て い た 。 グ リ ムが 、 ス イ ス 法 相 ホ フ マ ン (﹀穏けげ口回 一
山O中ヨ ㊤昌Hr
) へ、そ し て ホ フ マ ン が ロ ン ベ ル グ へ、 そ の 意
志 を 伝 え る と い う 段 取 り で あ った 。 だ が レ ー ニ ン は 、 遅 々 と し て 進 ま な い交 渉 に い ら だ ち 、 独 断 専 行 を 決 意 す る 。 彼 は 、
当 時 ス イ ス で 活 躍 し て い た ラ デ ヅ ク (}
︿99門一閃⇔α①犀) に ド イ ツ 通 過 の 可 能 性 を 探 ら せ た 。 ラ デ ッ ク は 、 ベ ル ソーチ ュー リ
ヒ の 連 絡 を 担 当 し て い た 、 ス パ ル タ ク ス派 の パ ウ ル ・レ ヴ ィ (男臼⊆一H、
Oく一
) と と も に 、 ﹃フ ラ ン ク フ ル ト 新 聞 ﹄ 特 派 員 ダ イ
)
77
6
05
ー
ン ハル ト 博 士
(一
)層。 図
)①圃
⇒79﹃住) に 会 い 、 彼 を 通 じ て ロ ン ベ ル グ に 、 亡 命 者 が ド イ ツ を 通 過 し て 帰 国 で き る か を 尋 ね た 。
`
彼 の 送 還 に 関 す る 最 後 の 訓 令 が 今 に も 来 そ う な の で す 。﹂
(留 )
先 の 四 月 二 日 の 至 急 電 を 受 け 取 った ロ ン ベ ル グ は 、 即 座 に チ ュー リ ヒ 市 内 か ら パ ウ ル ・ レヴ ィを 捜 し だ し 、 こ う 告 げ た と
い う 。 ﹁ど う ず れ ば レ ー ニ ン と 連 絡 が で き ま す か ?
︹四 月 四 日 ︺ に す く な
そ の 一方 で レ ー ニ ン は 、 着 々と 帰 国 の 準 備 を 進 め て い た 。 肝 心 の 旅 費 の 工 面 に つ い て は 、 四 月 一日 、 ハネ ツ キ ー 宛 に 、
﹁我 々 の 旅 行 の た め に 二 〇 〇 〇 ク ロ ー ネ 、 な る べ く な ら 三 〇 〇 〇 ク ロ ! ネ 準 備 さ れ た し 。 水 曜 日
に いた ・ ルビ ・
- ・も δ 人 出 発 す ・ つ施
は、 古 参 の ボ ・ シ ・ヴ ・キ で、 ジ ・ネ 吉
ス キ i (︿ ・﹀ ・ 囚鋤同℃一
昌ω犀矯) に 、 ﹁約 = 一
人 分 の 旅 費 を あ つ め た い と お も って い る 。 と い う の は 、 ス ト ッ ク ホ ル ム の 同 志
(
弱)
﹂ と 打 電 ・ て い ・. そ ・ て 翌 是
靴
た ち が わ れ わ れ に多 大 の援 助 を あ た え て く れ た か ら ﹂ と 書 き 送 った 。 ﹁ス ト ッ ク ホ ル ム の 同 志 た ち ﹂ と は 、
こ と を 指 す も の と 思 わ れ る 。 彼 は 一九 一七 年 一月 に 、 体 温 計 、 皮 下 注 射 器 な ど を 無 許 可 で 輸 出 し た か ど で 、 デ ン マー ク か
ハネ ツ キ ー の
湿
キ
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籾
ら 追 放 さ れ 、 数 週 間 後 に は 、 レ ー ニ ンが 信 頼 す る 人 物 と し て ス ト ッ ク ホ ル ム に姿 を 現 す 。 こ の こ ろ 突 然 、 彼 は レ ー ニ ン の
書 簡 に 登 場 す る の で あ る 。 そ れ ま で彼 は 、 コペ ン ハー ゲ ン の 、.
パ ル ヴ ス の ﹁貿 易 輸 出 会 社 ﹂ を 取 り 仕 切 り 、 医 薬 品 、 避 妊
ノ
と
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げ
勺
(57 )
具 等 の 取 引 で 巨 利 を 得 て い た 。 そ し て 、 コ ペ ン ハー ゲ ン を 去 った 後 も 、 こ の 地 と ス ト ッ ク ホ ル ムを 足 繁 く 往 復 し て い る 。
二、 三千 ク ローネ は、 彼 の事 業 利 益 から 捻 出 さ れ た も の であ ろう 。 こ の関 係 は、 の ち に レー ニンに苦 し い 言 い訳 を さ せ る
的
6
10
四 月 四 日 、グ リ ム に 代 わ って 交 渉 役 を 引 き 受 け た ス イ ス 社 会 民 主 党 書 記 プ ラ ッ テ ン (閃葺 N 勺一
9。暮①コ) ︹レ ー ニ ン は グ リ ム
(
こ と に な る。
を 、 マ ル ト フ に 近 か った た め 信 用 し て い な か っ た ︺ が ロ ン ベ ル グ を 訪 ね 、 彼 に 亡 命 者 帰 国 に 際 し て の 条 件 を 提 示 す る 。 ロ
齢
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ン ベ ル ク は 、 こ の こ と を 外 務 省 に 打 電 、 翌 五 日 に 外 務 省 よ り 、 参 謀 本 部 が ゴ ッ ト マ ンデ ィ ン ゲ ン で の 国 境 通 過 を 承 認 し
(58 )
た と の 返 電 を 受 け た 。 七 日 に は 、 外 相 が ス ト ッ ク ホ ル ム 駐 在 公 使 に 、 ス ウ ェー デ ン経 由 で ロ シ ア に 帰 る 亡 命 者 の ド イ ツ 通
過 を 許 可 し た 、 と 連 絡 。 治 外 法 権 の ﹁封 印 列 車 ﹂ の お 膳 立 て は 整 っ た の で あ る 。 レ ー ニ ン は 、 四 日 に あ わ た だ し く チ ュ ー
﹁封 印 列 車 ﹂ で チ ュ ー リ ヒ を 出 発
リ ヒ の 下 宿 を た た み 、 ク ルプ ス カ ヤ と と も に 、 プ ラ ッ テ ンが ロ ン ベ ル グ と ま と め る は ず の 議 定 書 ︹合 意 に 達 し た の は 五 日 ︺
に 署 名 す る た め ベ ル ン へ向 か っ た 。 四 月 九 日 午 後 三 時 }○ 分 、 レ ー ニ ン ほ か 三 〇 名 余 が
スト ック ホ ル ム の ﹁ボ りシ ェヴ ィキ在 外 支 部 ﹂
す る。 ﹁・ の時 刻 か ら 世 界 歴 史 の時 計 が 別 の前 進 を した 。﹂ (・ヴ ・イ ・)
ω
さ て 、 レ ー ニ ンら ﹁行 を 乗 せ た 列 車 は 、 チ ュ ー リ ヒ を 出 発 し て の ち 、 国 境 の 駅 ゴ ッ ト マ ンデ ィ ン ゲ ソ を 経 由 し 、 ド イ ツ
領 内 に 入 り 、 シ ュト ゥ ッ ト ゥ ガ ル ト 、 フ ラ ン ク フ ル ト 、 ベ ル リ ン を 通 っ て 、 バ ル ト 海 沿 岸 の ザ ッ ス ニ ッ ツ ま で 彼 ら を 運 ぶ
こと にな って いた 。 そ の後 ハ 彼 ら は海 路 で、 ス ウ ェーデ ン領 ト レ レボ リ に向 か い、 そ こ から 陸 路 マ ル メを経 て、 スト ッ ク
ホ ル ム 、 さ ら に ス カ ン ジ ナ ヴ ィ ア 半 島 を 北 上 し 、 フ ィ ン ラ ン ド 国 境 の 町 ハパ ラ ン ダ か ら 、 ロ シ ア に 入 国 す る コ ー ス を た ど
(59 )
る 。 そ し て 、 四 月 二日 にベ ルリ ンを 訪 ね た パ ルヴ スは 、 こ の スイ スか ら の帰 国 途 上 の ロシ ア の社 会 主 義 者 と 、 情 勢 を 議 論
す る 機 会 を も と う と す る 。 彼 は S P D か ら 、 彼 ら と の 交 渉 の 全 権 を 委 任 さ れ て い た 。 四 月 六 日 、 コ ペ ン ハー ゲ ン に 戻 った
彼 は 、 ズ ソ ド 海 峡 を は さ ん で 対 岸 の マ ル メ で の 、 彼 ら と の 再 会 に 備 え た 。 そ れ は 、 ブ ロ ッ ク ド ル フ ・ラ ン ツ ァ ウ よ り 外 務
省 に あ て た 次 の 電 文 か ら も 伺 い 知 る こ と が で き る 。 ﹁ヘ ル フ ァ ン ト 博 士 は 、 ス イ ス か ら ド イ ツ を 通 過 旅 行 し た ロ シ ア 人 亡
)
79
O
艀
-
命 者 の、 マ ル メあ る い は ザ ッ ス ニ ヅ ツ 到 着 に つ い て 、 す ぐ に知 ら せ る よ う 求 め て い る 。 ヘ ル フ ァ ン ト は 、 彼 ら に マ ル メ で
(
60)
会 う こ と を 望 ん で い る 。﹂
実 際 に 、 パ ル ヴ スが 彼 ら を 迎 え た の は 、 ス ト ッ ク ホ ル ム で あ った 。 四 月 = 二日 、 彼 ら が マ ル メ よ り 到 着 す る の を 、 パ ル
ヴ ス は 当 地 で 待 っ て い た 。 彼 は 特 に 、 ハネ ツ キ ー を 通 じ て 、 レ ー ニ ンと の 話 し 合 い を も と う と す る が 、 こ の 旅 行 に際 し て
レ ー ニ ン は 、 行 動 に 細 心 の 注 意 を 払 っ て い た の で 、 実 現 は し な か っ た 。 だ が こ の 日 、 パ ル ヴ ス は 、 ラ デ ッ ク と は 会 って い
・ ド イ ツ外 務 省 は
る 。 彼 は ・ - ・ ンと と も に 、 ﹁封 印 列 車 ﹂ で チ 言
リ ・ か ら や ・て 来 た の で あ る ・ と ・ ろ で ・ 四 月 百
軋
・れ だ け
大著
は承 認 華
幣
の額 を ロ シ ア で の 政 治 工 作 の た め に受 け 取 る 人 物 は 、 パ ル ヴ ス 以 外 に い な い 。 レ ー ニ ン伝 を 書 い た モ ー ガ ン に よ れ ぽ 、 一
万 マル ・ の支 出 を 求 め、 四 月 三 ・ ・ 大 著
汽
三 日 に 、 パ ル ヴ ス と ラ デ ッ ク が 、 ﹁い か に 金 が ロ シ ア に お け る ボ リ シ ェヴ ィ キ の 手 に わ た る べ き か を 取 り 決 め た こ と は ほ
(
63)
と ん ど 確 実 ﹂ だ った 。
(ポ ) 中 央 委 員 会 在 外 代 表 部 ﹂ を 当
こ れ に 呼 応 す る か の よ う に 、 レ ー ニ ン は 、 わ ず か 八 、 九 時 間 の ス ト ヅ ク ホ ル ム滞 在 中 に 、 今 後 の 旅 費 を 工 面 し た だ け で
に 対 ・ て、 ・シ ア で の政 治 目 的 追 求 のた め 、 百
リ
ボ
と
ス
げ
・
∼
な く 、 ハネ ツ キ ー と 党 組 織 問 題 を 論 じ 合 っ て い る 。 そ し て 、 ﹁ロシ ア 社 会 民 主 労 働 党
地 に 組 織 し た 。 そ れ は 、 ハネ ツ キ ー 、 ラ デ ッ ク 、 ヴ ォ ロ フ ス キ i (< ・<・ <03 ︿ωξ ) の 三 人 か ら な っ て い た 。 こ の 機 関
の
8
10
も の で あ った 。 情 宣 局 を 兼 ね 、 ド イ ツ 語 で ﹃プ ラ ウ ダ 通 信 ﹄、 さ ら に 九 月 以 降 は ﹃ロ シ ア革 命 の 使 徒 ﹄ も 発 行 し て ゆ く 。
銘
(
は 表 向 き に は 、 ボ リ シ ェヴ ィ キ 中 央 委 員 会 の 在 外 支 部 で あ り 、 帰 国 後 の レ ー ニ ン が 外 国 と の 接 触 を 保 つ た め に 創 設 さ れ た
ハネ ツ キ ー に よ れ ぽ 、 ﹃プ ラ ウ ダ 通 信 ﹄ の 記 事 は そ の ほ と ん ど が 、 ラ デ ック 、 ヴ ォ ロ フ ス キ ー に よ っ て 書 か れ 、 ハネ ツ キ
ンと の速鐘
は ・ 通 常 の郵 便 のほ か ・ 外 交 用 饗
・ 封 印 さ れ た 小 包 な ど が 用 いら 簿
.
一 の妻 が 翻 訳 を 担 当 、 ハネ ツ キ ー 自 身 は 、 組 織 、 資 金 面 で の 仕 事 を 引 き 受 け て い た 。 ロ シ ア に 関 す る 情 報 は 、 フ ィ ン ラ ン
ド か ら 入手 し ・ レ ⊥
そ の 実 こ の支 部 は 、 革 命 資 金 を ロ シ ア の ボ リ シ ェヴ ィ キ に流 す 中 継 基 地 で あ った 。 五 月 よ り ド イ ツ と ボ リ シ ェヴ ィ キ の
つ な が り の調 査 に着 手 し た 臨 時 政 府 は 、 ス ト ッ ク ホ ル ム と ペ ト ログ ラ ー ド の 問 を 行 き 来 し て い た 二 九 通 の 電 文 を 入 手 し
靴
と 断 じ 、 電 文 の 発 信 人 、 受 信 人 に着 目 し た 。 そ こ に は 、 ス ト ッ ク ホ ル ム の ハネ ツ キ i 、 ペ ト ログ ラ ー ド の コズ ロ フ ス キ ー
の 輸 入 に関 す る も の が ほ と ん ど を 占 め て い た が 、 中 に は 送 金 に関 す る も の も あ った 。 。キ ー チ 。 は 、 商 取 引 は 見 せ か け だ
た 。 こ れ を 担 当 し た の は 、 防 諜 を 受 け 持 っ て い た ニ キ ー チ ン (︼
W・ 7躍犀置凶
5)大 佐 で あ る 。 電 文 の 内 容 は 、 ロ シ ア へ の 物 資
稗
(ζ
・尾口●囚 o﹄ o︿冷 罵)、 ス メ ン ソ ソ の 名 が 頻 繁 に 出 て い た 。 後 述 の よ う に 、 レ ー ニ ン は 、 ハネ ツ キ i 、 コズ ロ フ ス キ ー と
(
65)
ヴ
エ
の資 金 授受 に つ いて 言 及 し て いる 。
シ
劃
・ そ の後 ∼
ペソ→
(
6
7)
ゲ ン に戻 ・た パ ルヴ スは・ 在 外 支 部 の第 四 の ・ ソ・
→ で あ る か の よう に、 ・ぺ ・
ま た ラ デ ッ ク と = 二日 ま る 一日 を 過 ご し た パ ル ヴ ス は 、 一六 日 、 コ ペ ン ハー ゲ ン に 立 ち 寄 った 後 、 一八 日 、 ベ ル リ ン に
到 着 、 ツ ィ ン マ ー マ ンと 会 見 し た 。 こ こ で は 、 先 の ラ デ ッ ク と の 資 金 に つ い て の討 議 の 結 果 を も と に 、 話 し 合 い が 行 わ れ
ノ
と
ス
ヴ
蜘
たも の と思 わ雑
八 一 ゲ ソ と ス ト ッ ク ホ ル ム の 間 を 往 復 し 、 彼 ら 三 人 と 共 通 の 時 間 を 多 く も っ こ と に な る 。 次 に 述 べ る ﹁ロ シ ア の ド レ フ ユ
ス事 件 ﹂ は 、 こ う し た 関 係 を 暴 露 し た も の で あ った 。
)
働
109
ω
三 、 ﹁ロ シ ア の ド レ 7 ユ ス 事 件 ﹂
ボ リ シ ェヴ ィキ に対 す る告 発
に 代 表 さ れ る レ ー ニン の 綱 領 を 受 け 入 れ 、 徐 々 に ペ ト ログ ラ ー ド で そ の 影 響 力 を 浸 透 さ せ て ゆ く 。 と こ ろ で 、 当 時 、 そ の
・ヴ ・ キ が 強 力 な プ ・ パ ガ ・ダ に よ ・ て 政 権 獲 得 の 基 盤 を 作 ・ た 、 き わ め て 重 要 な 時 期 で あ ・ た 。 彼 ら は 、 ﹁四 月 テ ←
レ ー ニ ンが ﹁封 印 列 車 ﹂ に よ って帰 国 し て から 、 二月 革 命 後 の最 大 の闘 争 であ る ﹁七 月 事 件 ﹂ ま で の数 カ月 は馬 ポ リ シ
靴
た め の プ ロパ ガ ンダ の 生 命 線 は 、 機 関 紙 誌 の 発 行 で あ った 。 ボ リ シ ェヴ ィ キ 党 第 六 回 大 会
﹂
キ
イ
ヴ
(
6
9)
ボ リ シ ェヴ ィ キ は 、 こ れ ら の プ ロパ ガ ンダ を 行 う た め の 資 金 を ど こ か ら 入 手 し た の か 。 そ の こ と に つ い て 、 彼 ら は 常 に沈
三 日 ︺ 時 に お い て 、 党 は 四 一種 類 、 週 刊 一五 〇 万 部 、 日 刊 三 二 万 部 の 機 関 紙 誌 を 出 し て い た 。 そ れ ら は 主 に 軍 隊 向 け で あ
(
68)
り 、 し か も ほ と ん ど 無 料 で 配 布 さ れ た の で あ る 。 だ が 、 ボ リ シ ェヴ ィ キ の 党 費 収 入 は 、 微 々 た る も の に す ぎ な い 。 で は 、
︹一九 一七 年 七 月 二 六 日 ∼ 八 月
匠
リ
ボ
と
レ
撚
ゆ
黙 を 保 って い た 。 そ の 資 金 源 は ド イ ツ で あ る と い う 噂 が 、 ま こ と し や か に流 さ れ た の も 当 然 で あ る 。
﹁七 月 事 件 ﹂ の 発 端 は 、 七 月 三 (一六 ) 日 の 、 機 関 銃 第 一連 隊 の 呼 び か け に よ .
る 、 政 府 打 倒 を 目 指 し た 首 都 労 働 者 ・兵
三 五 万 が そ れ に 参 加 し た 。 臨 時 政 府 は こ れ を ボ リ シ ェヴ ィ キ の 陰 謀 と 見 て 、 反 撃 を 開 始 す る 。 軍 隊 、 と り わ け 、 ペ ト ログ
(
2
58
士 の武 装 デ モ であ る。 翌 七 月 四 日、 デ モ は政 府 の禁 止 の布 告 にも か か わ らず 拡 大 し、 推 定 で兵 士 四 ∼ 六 万、 労働 者 三〇 ∼
ラ ー ド 守 備 隊 の 動 揺 を 押 え る 必 要 が あ った の で あ る 。 ま ず 同 日 夕 、 法 相 ペ レ ヴ ェ ル ゼ フ (℃●リ4●勺①H①︿ΦHN⑦<) は 、 レ ー 二
110
ソ は じ め ボ リ シ ェヴ ィ キ が 、 ド イ ツ の 買 収 さ れ た ス パ イ で あ る こ と を 示 す 文 書 を 公 開 し 、 翌 日 の 新 聞 各 紙 に そ れ を 掲 載 さ
佃
)
ヨ
も意 味 し た か ら
ーー
1
せ よ う と す る 。 そ し て 七 月 五 日 朝 、 こ の 文 書 を 信 じ て 政 府 側 に 寝 返 った 部 隊 な ど が 、 ﹃プ ラ ウ ダ ﹄ 編 集 室 を 急 襲 し 、 こ れ
を 閉 鎖 に追 い込 んだ の であ る。
新 聞 掲 載 に 先 立 っ て ペ ト ログ ラ ー ド ・ソ ヴ .
エ ト 議 長 チ ヘイ ゼ (ワ飼・ω・Oげ犀ゲΦ凶
ユNo)、副 議 長 ツ ェ レ チ ェリ (一●O .↓。。零 露 霧 一
)
体 の信 用失 髪
が 干 渉 し た た め 、 こ の 文 書 を 掲 載 し た の は 、 ﹃ジ ヴ ォ エ ・ス ロ ー ヴ ォ ﹄ と い う 無 名 の 右 翼 紙 一紙 の み で あ った 。 彼 ら に し
も あ る ポ リ シ 。ヴ ィ キを おと し め る .
﹂と は、 ・ ヴ ェ占
て み れ ば 、 ・ヴ ・あ
メンバ も
靴
で あ る 。 提 供 者 は 、 元 の ボ リ シ ェヴ ィ キ で 、 第 一次 世 界 大 戦 後 、 ﹁社 会 愛 国 主 義 者 ﹂ に 転 じ た ア レ ク シ ソ ス キ ー (○・ }
﹀ 冨 訂 冒 ω閃嘱) と 、 エ ス エ ル の パ ン ク ラ ー ト フ (
< ・O
D・℃⇔口犀H螢け
O<) で あ り 、 彼 ら は 同 紙 紙 上 で こ う 述 べ て い る 。 ﹁我 々 の
稗
ヴ
ェ
受 け 取 った文 書 の抜 粋 を 公 開 す る こと が 、 我 々の革 命 的 義 務 であ ると 信 じ る。 そ の文 書 か ら 、 ロシ ア の市 民 は 、 ど のよ う
に し てう、ど の方 向 か ら、 ロシア の自 由 や、 こ の自 由 を 血 で賄 った革 命 軍 と ロシア の 人 民が 危 険 に さ ら さ れ て いる か を 見 る
シ
祠
と
ス
﹂
ことであ攣
ノ
"
﹁文 書 の 抜 粋 ﹂ は 二 段 か ら な り 、 前 段 は 、 第 一六 シ ベ リ ア狙 撃 連 隊 の 少 尉 補 エ ル モ レ ン コ (
尾 OHヨ O一
〇目障O) な る 人 物 の
尋 問 記 録 で あ る 。 そ れ に よ る と 、 ド イ ツ軍 の捕 虜 で あ った 彼 は 五 月 八 日 (露 暦 四 月 二 五 日 )、 ﹁ド イ ツ と の 単 独 講 和 の 早 期
締 結 を 扇 動 す る た め に 、 第 六 軍 後 方 の 我 々 の と こ ろ へ急 派 さ れ た 。 ⋮ ⋮ ド イ ツ参 謀 本 部 の 将 校 、 シ デ ィ ツ キ ー と リ ュベ ル
ス は 、 ド イ ツ 参 謀 本 部 の 手 先 で あ り 、 ﹃ウ ク ラ イ ナ解 放 同 盟 ﹄ の ウ ク ラ イ ナ 支 部 の 議 長 で あ る ア ・ ス コ ロピ シーヨ ル ツ ホ フ
ス キ ー と レ ー ニ ン が 、 ロ シ ア で こ の 種 の 扇 動 を 行 って い る と 、 彼 に 伝 え た 。 レ ー ニ ン に は 、 臨 時 政 府 に 対 す る ロ シ ア 国 民
の信頼 を傷 つけ る よ う 、 全 力 を 尽 く す こと を 委 任 し てあ る。 扇 動 のた め に資 金 は、 スト ック ホ ル ムの ド イ ツ大使 館 に雇
(
71)
わ れ て い る 、 ス ヴ ェド ソ ン 某 を 通 じ て 、 受 け 渡 し が な さ れ て い る 。 資 金 と 指 令 は 、 信 頼 さ れ た 人 物 を 通 じ て 転 送 さ れ た 。﹂
後 段 に は 、 こ の ﹁信 頼 さ れ た 人 物 ﹂ に つ い て 、 ﹁た った 今 届 い た ぽ か り の 報 道 ﹂ が 載 って い る 。 そ れ に よ れ ぽ 、 こ の 人
物 と は 、 ス ト ッ ク ホ ル ム で は ハネ ツ キ ー と パ ル ヴ ス 、 ペ ト ログ ラ ー ド で は コ ズ ロ フ ス ギ ー と 、 ハネ ツ キ ー の 親 戚 の ス メ ン
ラ ー ド の シ ベ リ ア 銀 行 に 送 ら れ 、 そ こ で の 彼 の 現 在 の 口座 に は 、 二 百 万 ル ー ブ ル以 上 の 残 高 が あ る ﹂ と し て い る 。 さ ら
ス ・ ソ ー ・ゲ ゼ ル シ ・ フ 土
ソ ン で あ った 。 こ と に 、 コズ ロ フ ス キ ー に つ い て は 、 ﹁ド イ ツ の資 金 の 主 た る 受 取 人 で 、 そ の 資 金 は ベ ル リ ン か ら ﹁デ ィ
靴
に 、 ﹁軍 事 検 閲 が 、 ド イ ツ の手 先 と ボ リ シ ェヴ ィ キ 指 導 者 の間 の 政 治 上 の電 報 や 金 銭 関 係 の 電 報 の 不 断 の 交 換 を 明 る み に
を 経 由 し て 、 ス ー ッ ク ホ ル ・ の ﹁・ ヤ 銀 行 ﹂ ︹薪 銀 行 ﹂ の 意 ︺、 さ ら に そ ・ か ら 、 ペ ー ・グ
托
キ
イ
ヴ
(
72)
出 し た ﹂ と いう こと であ った。
つた 。 た と え ば 、 シ デ
﹁
イ ツ キ ー 将 軍 の 存 在 は 確 認 で き な い し 、 パ ル ヴ スが 直 接 ペ ト ログ ラ ー ド と 連 絡 を 取 った と い う 形
ド イ ッチ ャ ー が ﹁不 細 工 な 偽 造 が 一目 で わ か る 代 物 ﹂ と 一蹴 し て い る よ う に 、 こ れ は 明 ら か に 意 図 的 な デ マ 宣 伝 で あ
リ
ボ
と
弥
レ
・
∼
(73 )
跡 は な い 。 ス メ ン ソ ソ が ハネ ツ キ ー の 親 戚 か ど う か は 不 明 で あ る し 、 ま た ド イ ツ の 大 銀 行 で あ る デ ィ ス コ ン ト ・ゲ ゼ ル シ
ヤ フ ト が こ の 件 に か か わ っ て い る は ず も な い の で あ る 。 し か し 、 ボ リ シ ェヴ ィ キ の力 を そ ぎ た い 臨 時 政 府 は 、 こ れ を 利 用
の
2
1
ン ソ ソ、 コ ズ ロ フ ス キ ー を 実 際 に 逮 捕 す る 。 さ ら に 、 七 月 二 二 日 に は 、 検 察 当 局 が こ の 件 に 関 す る 調 査 結 果 を 、 カ デ ッ ト
58
(
す る か た ち で 、 七 月 六 日 か ら 翌 日 未 明 に か け て 、 レ ー ニ ン、 ジ ノ ヴ ィ エ フ 、 ヵ ー メ ネ フ の 逮 捕 を 決 定 し 、 七 日 に は 、 ス メ
の 中 央 機 関 紙 ﹃レ ー チ ﹄ 紙 上 に 報 告 し た 。 そ こ に は 、 レ ー ニ ンが ド イ ツ の買 収 さ れ た ス パ イ で あ る こ と が 、 明 確 に 述 べ ら
れ て い た。 以 下 、 そ の抜 粋 。
レ ! ニ ン は ス イ ス 滞 在 中 、 周 知 の ド イ ツ の エー ジ ェ ン ト で あ る パ ル ヴ ス と 接 触 し て い た 。 レ ﹂ ニ ソ の ロ シ ア 帰 国 に
関 し て は 、 彼 は 帰 国 後 、 ロ シ ア国 内 で ド イ ツ を 支 援 す る 活 動 を 行 う と い う 協 定 を 結 ん だ ゆ え に 、 帰 国 が 許 さ れ た の で
あ り、 そ の活 動 の た め に ド イ ツか ら 金銭 的 支 援 も受 け て い る。 こ れ こ そ、 レ ー ニンが 、 ド イ ツ の エージ ェン ト であ る
こ と を 示 す 証 拠 で あ る 。 ド イ ツ の 資 金 援 助 は 、 ス ト ッ ク ホ ル ム を 通 じ て 行 わ れ 、 ハネ ツ キ ー は 金 銭 面 で パ ル ヴ ス と 密
、ン ・と し て の活
楚
ゲ ン で 行 って い た 事 業 は 、 彼 の ド イ ・ の エ ←
動 の隠 れ 簑 で あ る 。 さ ら に 、 司 直 の 手 に あ る 多 く の 電 文
結 び つ い て い た 。 ま た 、 パ ル ヴ ス が ・ペ ン →
輸
ラ ー ド の ス メ ソ ソ ン 、 レ ﹂ ニ ソ、 コ ズ ロ フ ス キ ⋮ と 、 ス 冷 ッ ク ホ ル ム の ハネ ツ キ i 、 パ ル ヴ ス の 間 で 、 間 断 な く 広 範 な
(74 )
一八 万 ル ー ブ ル あ る 。 以 上 の 結 論 と し て 、 レ ー ニ ン 、 ジ ノ ヴ ィ エ フ 、 コ ロ ン タ イ 、 コ ズ ロ フ ス キ ー 、 ス メ ン ソ ン 、
パ ル ヴ ス、 ハネ ツ キ ー ら が 反 逆 罪 で 告 訴 さ れ る 。
が
の隠蔽 であ る に相違 な い。 ス メ ン ソ ソ の 口座 か ら は 、 こ の半 年 間 で七 五万 ル ーブ ルが 引 き 出 さ れ て お り、 な おも 残 高
連 絡 が 続 け ら れ て い る こ と が 明 白 に な った 。 そ の内 容 は 、 商 取 引 や 金 銭 取 引 に 触 れ た も の だ が 、 こ れ は ス パ イ 的 関 係
︹
前 田 の ニキ ⋮ チ ン に よ る 電 文 は そ の 一部 ︺ か ら 、 ペ ト ログ
ん
キ
イ
ヴ
リ
ボ
と
ス
ヴ
レ
・
ソ
ノ
(75 )
総 じ て 、 ﹃ジ ヴ ォ エ ゼ ス 同 一 ヴ ォ﹄ の 記 事 を 裏 付 け る 内 容 で あ る 。 し か し 、 一連 の 告 発 で 、 臨 時 政 府 は 軍 隊 の 忠 誠 を 確
保 す る と い う所 期 の 目的 は達 し たも の の、 七 月蜂 起 鎮 圧 を第 一と し た時 期 尚早 の暴 露 であ った た め、 証 拠 固 め が 不 十分 で
あ った。 そ れ ゆ え 、 本 当 の告 発 な の か 、単 に ボ リ シ ェヴ ィキ を お と し め る こ とが 目 的 な の かが 不 明確 に思 わ れ た。 五 日 の
記 事 発 表 に責 任 を負 った 法相 ペ レヴ ェルゼ フが 、 同 日、 辞 任 し て しま った こ とも 、 政 府 の意 図 に 疑問 を抱 か せ る結 果 と な
)
佛
13
ー
レ ー ニン の 反 論 を め ぐ って
(76 )
つた。 結 局 、 逮 捕 老 は九 月 に は保 釈 さ れ て し ま う の であ る。
②
'
レ ー ニ ン は 、 自 分 自 身 で ﹁お 粗 末 な う そ ﹂ と 呼 ん だ ﹃ジ ヴ ォ エ ・ス ロ ー ヴ ォ﹄ の 告 発 に 対 し て 、 あ る 意 味 で 慎 重 な 行 動
ま ・た の ち 、 フ ィ ン ・ ン ド へ逃 れ 、 そ .
﹂に δ
に 出 る 。 早 く も 七 月 六 日 、 彼 は ジ ノ ヴ ィ エ フ と と も に 、 地 下 に 潜 行 し た の で あ る 。 二 、 三 週 間 、 ペ ト ログ ラ ー ド 郊 外 に 留
靴
が ・ 裁 判 で身 の潔 白 を 主張 す る こ と を 放棄 し た こ の行 動 は、 支 署
を 大 い に混 乱 さ せ た。 そ れ に対 し て ・- ・ソは 、 出 廷
月 ま で滞 在 す る .
﹂と に な る 。 ﹃国 家 と 革 命 ﹄ は .
﹂.
﹂で 豊田き 上 げ ら れ た 。 だ
稗
拒 否 の 理由 を .
﹂う述 べ て い る 。 七 月 四 日 以降 の事 件 で、 ・シ 乏
は正 当 な 政府 も 、 正 当 な 裁 判 所 も存 在 し な い.﹂と が 明 瞭
ゐ
に な った が 、 そ も そ も ﹁裁 判 所 は 権 力 機 関 で あ る 。 ⋮ マ ル ク ス 主 義 者 が こ れ を わ す れ る の は 過 誤 ﹂ な の で あ る 。 従 っ て 、
ヴ
刹
り 公 平 な 裁 判 を 期 待 す る こ と は 、 ﹁子 供 っぽ い ほ ど 素 朴 な 判 断 で あ る ﹂ と 。
安 を 漏 ら し て い る 。 ﹁奴 ら は わ れ わ れ 全 部 の も の を 銃 殺 す る 準 備 を し て い る ん じ ゃ な い だ ろ う か ? ﹂ と 。 そ し て 、 こ う し
(78 )
確 か に 告 発 が 立 証 さ れ れ ぽ 、 反 逆 罪 で 銃 殺 は 免 れ な か った か も し れ な い 。 七 月 五 日 、 レ ー ニ ン は ト ロ ツ キ ー に そ ん な 不
と
ス
ヴ
防
ノ
・ し か しそ の 一方 ・ ト 。ッ キ ー と のム藷 内 容 や・ 性 急 な地 下 潜 行 か ら、 資 金 の入手 先 に つ いてあ ま り や か ま し く
た 点 か ら 、 レ ー ニ ン の 地 下 潜 行 の 決 断 を 、 ロー ザ ・ ル ク セ ンブ ル ク や カ ー ル ・リ ー プ ク ネ ヒ ト の 最 期 に 比 し て 、 称 、
見る 向
きも勃
な か った レ ー ニ ンも 、 こ の 時 に は 、 自 分 の資 金 の 出 所 を 疑 って い た 、 あ る い は 、 そ れ が ド イ ツ か ら 得 た も の と 知 って い た
(
80)
ので は な いか 、 と いう 推 測が な さ れ る のだ。
4
11
86
(
とまれ レー白
一ン は 、 一連 の 告 発 を ﹁ロ シ ア の ド レ フ ユ ス事 件 ﹂ と 名 付 け 、 執 拗 に 反 論 し て い る 。 記 事 が 出 た 翌 日 の 七 月
コズ ロ フ ス キ ー か ら も 、 な ん の 金 も う け と った こ と は
六 日 、 彼 は 早 速 反 論 し 、・ハネ ツ キ L 、 コズ ロ フ ス キ ー の 両 人 は 、 ボ リ シ ェヴ ィ キ と 報 道 さ れ て い る が 、 実 際 は 、 ポ ー ラ ン
(81 )
ド 社 会 民 主 党 員 で あ り 、 ﹁ボ リ シ ェヴ ィ キ は 、 ハネ ツ キ ー か ら も (
・な い﹂ と 明 言 し た 。 七 月 一 一白 に は 、 ジ ノ ヴ ィ エ フ と と も に ﹃ノ ー ヴ ァ ヤ ・ジ ー ズ ニ﹄ 紙 へ公 開 状 を 送 り ﹂ ス メ ン ソ ン に
つ い て 、、
﹁わ れ わ れ は 、 .
こ の婦 人 と か つ て 関 係 を も った こ と が な か った ぽ か り で な く 、 か つ て 面 と む か っ て 見 た こ と も な
に 再 び 触 れ 、 ﹁・ れ ら の 同 志 の だ れ
い の で あ る ﹂と 述 べ 、 つな が り を 否 定 し て い る 。 ま た 、
、 ・ズ ・ フ ス †
靴
・
(
82)
か ら も 怖 自 分 個 人 の た め に も 、 党 の た め に も 、 一 コペ イ 功 の 金 も 、 う け と った こ と は な い﹂ と 繰 り 返 し た 。
バネ ・ †
キ
イ
ヴ
.七 月 二、
二 日 (八 月 四 日 )、 前 述 の よ う な 、 事 件 を 審 理 し た 検 事 の 報 告 が ﹃レ・
i チ ﹄ に 掲 載 さ れ る と 、 レ ー ニ ン は ﹃ラ ボ
﹁私 が パ.
ル ヴ スと 交 渉 を も っ て い た と か 、 私 が 野 営 地 に 行 った と か い う の は 、 忌 ま わ し い う そ で あ る 。 そ う い う こ と
が 、 パ ル ヴ スと の 関 係 、 そ し て パ ル ヴ ス と ハネ ツ キ ー の 関 係 に つ い て は 、 こ う 書 い て い る 。
ー チ i ・イ .
・ソ ル ダ ー ト ﹄ 紙 上 に ﹁回 答 ﹂ を 著 し た 。 彼 は そ の 報 告 が 事 実 と 食 い 違 っ て い る こ と を 詳 細 に 論 駁 し て ゆ く
泥
!
リ
ボ
と
ス
ヴ
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◎
ソ
だ が 、 そ れ は、 ま さ に ぺ て ん師 的 な や り 方 で あ る。 なぜ な
は 内 け っ し て な か った し 、 ま た あ り え な か っ た 。 ⋮ 検 事 は 、 パ ル ヴ スが ハネ ツ キ ー と つ な が り を も ち 、 ハネ ツ キ ー が 〃 i
ニ ン と つな が り を も っ た こ と を 、利 用 し よ う と し て い る !
(83 )
ら 、 だ れ も が 知 って い る よ う に 、 ハネ ツ キ ! と パ ル ヴ スと の あ い だ に は 、 金 銭 関 係 が あ っ た が 、 私 と ハネ ツ キ ー と の あ い
だ に は 、 な に も な か った か ら で あ る 。﹂
そ.
れ で は 、 バ ル ヴ ス は こ の 件 に つ い て 、 何 と 発 言 し て い る の で あ ろ う か 。 彼 は 七 月 一七 日 、 ベ ル リ ン の 外 務 省 で レ ー ニ
)
伽
15
ー
ン の 影 響 力 の 増 大 を 語 った の ち 、 七 月 二 二 日 、 コペ ン ハ ー ゲ ン に 戻 ら ず ス イ ス へ行 っ て し ま っ た 。 暴 露 記 事 を 知 った ハ
(
別)
ネ ツ キ ー 、 ヴ ォ ロ フ ス キ ー は 、 ス イ ス の パ ル ヴ ス に 記 事 を 論 駁 す る よ う 電 報 を 送 った 。 こ う し た 経 緯 で 書 か れ た 彼 の 抗 弁
の 書 が 、 八 月 九 日 付 け で ベ ル リ ン で 出 さ れ た ﹃ケ レ ン ス キ ー 一味 へ の 私 の 回 答 ﹄ で あ る 。 告 発 に 対 し て 彼 は 、 ﹁私 は ロ シ
ア の 革 命 運 動 を 、 そ れ が 社 会 主 義 的 で あ った 限 り 、 生 涯 を 通 じ て 、 私 の 自 由 に な る 手 段 す べ て を も って 馬 支 持 し て 来 た
で あ れ 、 金 を 要 求 し た り 、 あ る い は 、 受 け 取 った り は し て い な い 。 し か し 私 は 、 彼 ら や 他 の 多 く の 人 々 に 、 金 あ る い は ダ
た か ど う か か。 ま さ し く レ ー ニンも 、 諸 君 が 名 指 し し て いる そ の他 の連 中 も 、 私 から 、 贈 与 と し て であ れ 、 貸 付 け と し て
し 、 こ れ か ら も ぞ う す る つも り で あ る 。 愚 か な も の ど も よ 、 諸 君 は 何 を 捜 し も と め て い る の か 、 私 が レ ー ニ ン に 金 を 与 え
稗
命
革
(85 )
イ ナ マイ ト よ り も っと 悪 い も の を 与 え た の で あ る 。 私 は 、 革 命 的 意 志 を ロ・
シ ア のプ ロ レタ リ ア ー ト の心 に育 ん で来 た も の
ハネ ツ キ ⋮ と の 関 係 に つ い て 、 ﹁私 の 、 フ ユ ル ス テ ン ベ ル ク ︹ハ
﹁私 と し て は 、 ボ リ シ ェヴ ィ キ に資 金 を 与 え て い な い こ と を 表 明 す る ﹂ と 言 い 切 っ て い る 。
(
86 )
ネ ツ キ ー ︺ と の 金 銭 取 引 は 、 純 粋 に 商 業 上 の も の で 、 コ ペ ン ハー ゲ ン で 衆 人 の 目 の 前 で 行 わ れ た の で あ る ﹂ と し た 上 で 、
翌 一九 一八 年 に 出 さ れ た ﹃真 理 の た め の 闘 争 ﹄ で は 、
の 一人 で あ る 。 そ の 意 志 を 諸 君 は 今 、 根 絶 や し に し た が っ て い る が 、 で き な い で い る の だ ﹂ と 答 え た 。
・
ヴ
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シ
剥
純
ヴ
防
ノ
さ ら に 、 ス ト ッ ク ホ ル ム の ハネ ツ キ ー ら に つ い て も 、 弁 明 は 同 様 で あ る 。 ま ず 彼 ら 三 人 は 、 七 月 二 二 日 ﹂ ス ウ ェー デ ン
ゲ ンに あ る パ ルヴ ス の ﹁
貿 易 輸 出 会 社﹂ で働 いて い
の ﹃ダ ゲ ン ス ・ 二 ヘタ i ﹄ 紙 に 反 論 を 発 表 す る 。 さ ら に 先 述 の ﹃プ ラ ウ ダ 通 信 ﹄ 七 月 三 一日 号 に は 、 ハネ ツ キ ー を 擁 護 す
、 ・ペ ン →
6
ー
翻
れ た. そ の記 事 に ・れ ぽ 、 ハネ ヅ キ 濠
る記 棄
(
掲馨
た が 、・そ れ は 、 家 族 を 扶 養 し 、 さ ら に は 、 自 分 の 属 す る ポ ー ラ ン ド ・リ ト ア ニ ア社 会 民 主 党 を 支 援 す る た め で あ る 。 従 っ
軸
稗
て 、 政 治 的 に は 、 ハネ ツ キ ー は 、 パ ル ヴ ス と 決 し て 結 び 付 い て は い な い 。 そ れ ど こ ろ か 、 商 売 上 の 儲 け を ポ ー ラ ン ド 党 に
治 目 的 で パ ル ヴ ス から 金 を 受 け 取 ・て いな い・.
娯
こ の弁 明 は・ ず
シ ・ヴ ・キ を擁 護 す る役 割 も 果 し て
融通したが、
.こ れ は パ ル ヴ ス の 意 図 す る 親 ド イ ツ 的 政 策 に 反 し た 活 動 な の だ 。 ボ リ シ ェヴ ィ キ も 、 ポ ⋮ ラ ン ド の 社 会 主 義
者 も、決し 長
い た 。 と い う の も 、 彼 ら は 、 ス カ ン ジ ナ ヴ ィ ア か ら コズ ロ フ ス キ ー に 送 ら れ た 金 は 、 ポ ー ラ ン ド ・リ ト ア ニア 社 会 民 主 党
と 、 そ の説 得 力 は疑 問 であ る。
約 で き る ・ 第 一に ・ レ ー ニ ン は パ ル ヴ ス ・ ハネ ツ キ ー
・
に向 け ら れ た も のだ と 、 主 張 し て いた から であ る 。 だ が ポ ー ラ ンド の党 組 織 が 、 レ ー ニン の単 な る操 り人 形 であ る と い う
周 知 の 事 実 と 照 ら し A。わ 芸
の反 論 は ・ 二点 量
か ら ビ タ ー文 受 け 取 って い な い と 主 張 し て い る こ と 。 第 二 に 、 パ ル ヴ ス と ハネ ツ キ ー と の 関 係 は 、 三 者 と も 認 め て い る
こ の よ う な ・ ー ヲ 、 パ ル ヴ ス ・ バネ ・ †
泥
ヴ
らに
が 、 そ れ は 商 業 上 の も の であ り 、 政 治 目 的 の 金 の 授 受 は な か った と し て い る こ と で あ る 。
点 に関 し て は 、 レー ・ンは 、金 を受 け取 った と い う領 収 書 の よ う な も のは 決 し て 残 さ な か ・た が 、 バネ ・ †
あ て た手 紙 の中 で は 、前 言 を 自 ら覆 す よ う な こと を 述 べ て いる 。
笙
リ
ボ
と
倣
ノ
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●
り
ス ・ ハネ ッ キ ー と ヵ .ぺ ・ラ デ ・ 漏 .
)
三 ∼ 二 =一日 ・ ヨ ・ ト 三
ス ● ハネ ツ キ 遍
)
﹁︹当 然 届 い て い る も の が 1 引 用 者 ︺ い ま に い た る も 何 ひ と つ 、 ま った く な に ひ と つ、 手 紙 も 、 小 包 も 、 金 も 君 た ち か
二日 ・ ヤ 三
か ら 受 け 取 ・た ・﹂ ( 一九 一七 年 四 旦
ら 受 け と ・て い な い 。﹂ ( 一九 一七 年 四 旦
﹁金 二 〇 〇 〇 を ・ズ ・ フ ス †
四月 一二 日付 け の手 紙 にあ る金 の無 心 に つい て は( ﹃レ ー ニン全集 ﹄ 編 集部 が、 ﹁こ の手 紙 で いわ れ て い る金 は、 国外 に
(
9
1)
の こ し てき た ロシ ア社 会 民 主 労 働 党 中 央 委 員 会 の資 金 で、 レ ー ニ ンが 党 活 動 の た め に請 求 し たも の であ ろう ﹂ と い う注 を
)
駆
(
17
ー
・
﹃ソ ツ ィ ア ル ・デ モ ク ラ ー ト 論 集 ﹄ 発 行 の た め で す ら 、
施 し て い る 。 だ が 、 ボ リ シ ェヴ ィ キ への ド イ ツ の 資 金 援 助 の 問 題 に 先 鞭 を つ け た カ ト コ フ に よ れ ぽ 一 ﹁こ の注 は 、
.も ち ろ
(92 )
ん 虚 偽 で あ る 。 党 に は 、 一九 一六 ∼ 一七 年 の 冬 に は 、 そ の 機 関 誌
基 金 が な か った の だ ﹂ と い う 。 確 か に、 レ ー ニ ン の 直 接 の 指 導 の 下 に発 行 さ れ た 、 こ の ﹃ソ ツ ィ ア ル ・デ モ ク ラ ー ト 論 集 ﹄
は 、 一九 一六 年 一〇 月 に 第 一号 、 一二 月 に 第 二 号 が 出 さ れ た だ け で あ った 。
創
汽
ヴ
待
靴
を 挙 げ る こ と が で き る 。 彼 は 、 ハ ネ ツ キ ー が 時 折 ロ シ ア に 金 を 送 っ て い た が 、 比 較 的 少 額 で あ った と 述 べ て い る 。 少 額 と
ス ト ッ ク ホ ル ム の ﹁ニ や 銀 行 ﹂ の 創 設 者 で 、 ﹁赤 い 銀 行 家 ﹂ と 言 わ れ た オ ロ フ ・ ア シ ュ ベ ル ク (○ ♂ { ︾ の島 ぴ①薦 ) の 証 ﹁
﹁
自
(
93)
る 。 ハネ ツ キ ー - コズ ロ フ ス キ ー の つな が り は 、 外 国 か ら ロ シ ア に 送 金 す る 承 認 さ れ た 方 法 で あ った 。 そ の 傍 証 と し て 、
ー ニ ソ の 住 所 録 に は 、 コズ ロ フ ス キ ー に 関 す る き わ め て 詳 細 な 記 載 事 項 が あ り ﹂ 彼 と 密 接 な 関 係 に あ った こ と が 伺 わ れ
を 示 す も の で あ る 。 両 者 か ら ビ タ ー文 受 け 取 っ て い な い と し た 先 の 発 昌
・
ロと 矛 盾 す る 。 帰 国 か ら 地 下 潜 行 ま で の 数 ・ 月 、 レ
ま た 、 四 月 二 二 ∼ 二 三 日 付 け の 手 紙 は 、 ハネ ツ キ ー か ら の 金 が 、 コズ ロ フ ス キ ー を 経 由 し て レ ー ニ ン に届 け ら れ た こ と
と
ス
ヴ
言 っ て も 範 囲 は 広 い 。 ﹁ニや 銀 行 ﹂ は 、 ハネ ツ キ ーが 事 業 の 上 で 主 に取 引 を し て い た 銀 行 で あ り 、 彼 と ラ デ ッ ク は 、 ア シ
ユベ ル ク の 家 の 近 く に 住 ん で い た 。
(94 )
切
1
、
■
.
と こ ろ で 、 一連 の 告 発 に 対 し て 、 八 月 八 日 、 ボ リ シ ェヴ ィ キ は 裁 判 に 備 え 委 員 会 を 設 置 し 、 九 月 二 五 日 、 こ の 委 員 会 は
中 央 委 員 会 に 、 コズ ロ フ ス キ ー は 無 罪 だ と 報 告 し て い る 。 し か し 、 一九 一七 年 八 月 か ら 一九 一八 年 二 月 ま で の 間 に 開 か れ
た 八 回 の 中 央 委 員 会 の す べ て で 、 ハネ ツ キ ー 、 コズ ロ フ ス キ ー に 対 す る 告 発 が 論 じ ら れ て い る こ と は 、 注 目 さ れ て よ い 。
七 月 に レ ー ニ ンが 、 機 会 あ る ご と に 行 った 反 論 も 、 同 志 す べ て を 納 得 さ せ た わ け で は な か った の で あ る 。 し か も 、 こ の
8
11
の
59
(
イ
﹁論 議 の的 にな 墨
録 す べ て から 削 除 ざ 掩
を籍
・ ・れ は何 を 意 味 す る の か・ ま た・ = 月 二九 日 (三
す る手 紙 を中 央 委 員 会 宛 に書 い.
煙 ・ ここ でも 彼 は ・商 業 上
ハネ ツ キ ー を パ ル ヴ ス と の接 触 を 理 由 に 、 -ス ト ヅ ク ホ ル ム駐 在 代 表 に 任 命 し な い ど い う 決
柄 ﹂ は、 八 回 の聲
月 = 一日 ) の 中 央 委 員 会 は 、
定 を 行 ・て い る。 ・- ・ンは ・れ に抗 議 し、 バネ ・†
ド イ ツの 資 金 援 助
の結 び 付 き を 強 調 し て い る。 だ が 三者 が 口を そ ろえ て言 う ﹁商 業 上 の関 係 ﹂ も 、 の ち の資 料 か ら反 駁 さ れ る のだ 。
③
金 銭 取引 が商 業 上 のも の か、 政 治 上 のも の かを 判 断 す る こと は難 し い。 し かし 戦 後 公 開 さ れ た ド イ ツ の外 交 文 書 集 は、
﹁
封 印 列 車 ﹂ に 同 道 し 、 フ ィ ン ラ ン ド 国 境 で ロ シ ア 入 国 を 拒 否 さ れ た プ ラ ッ テ ン は 、 四 月 下 旬 ベ ル ン に 戻 った 。 彼 は ド
ポ リ シ ・ヴ ィ キ への政 治 目 的 の資 金 援 助 の存 在 を 嬰 ・
・し て い る。
イ ツ公 使 ロン ベ ル グを 訪 ね 、 帰 国 を 果 し た 革 命 家 た ち はプ ロパ ガ ンダ のた め の資 金 が 不足 し て い る と報 告 し た の であ る。
エージ ェン ト に、 彼 ら の感 情 を 害 す る こ と な
・
境 を 横 断 でき る よう にす べ き であ る。 ③ 即 金 が 用 意 さ れ な け れ ば な ら な い。 スイ ス通 貨 な ら 、 最 も 容 易 に、 最 も 有 効 に、
議 の な い 筋 か ら の も の で あ る こ と を 保 証 す る で あ ろ う 。 ② 資 金 提 供 者 、 あ る い は 、 金 の 輸 送 に 携 わ る 人 間 は 、 ⋮ ロ シ ア国
ナ ッセ の 五月 九 日付 の メ モ に は、 資 金 支 払 い にあ た って の三 つ の原 則 が 示 さ れ て い る。 ① 資 金 提 供 者 の人 柄 は、 金 が 異
ロ ン ベ ル グ は た だ ち に 、 公 使 館 付 陸 軍 武 官 補 ナ ッ セ (Z ⇔。。
。。o) に 資 金 調 達 の 途 を 探 ら せ た 。
く 、 そ の よう な 資 金 を 彼 ら に持 た せ る ・と が でき る かど う かと いう 微 妙 な 問 題 を 調 べ さ せ る つも り です ﹂ と書 い て 馳
四 月 三 〇 日 、 ロ ン ベ ル グ は 宰 相 に 書 簡 を 送 り 、 そ の 旨 述 べ た 上 で 、 ﹁私 は 、
朔
・
四
レ
リ
ボ
と
匠
ヴ ィキ 革 命
)
伽
19
-
(98 )
最 も妨 害 が 少 な く 、 現 金 化 し や す い有 用 な 形 に変 え る こと が でき よう 。
さ ら に こ の文 書 集 に は 、 この資 金 が 二 月革 命 か ら 十 月革 命 ま で の間 に、 ボ リ シ ェヴ ィキ に渡 さ れ た こと を 示 す 二通 の電
文 が あ る 。 いず れ も 外 務 大 臣 キ ュー ル マン (空 。冨 置 く.国窪 一
日雪 目⋮八 月 、 ツ ィ ン マー マソ に代 わ り 就 任 ) の署 名 によ
(99 )
る も ので あ る 。 九 月 二九 日 、 彼 は 参謀 本 部 の外 務 省 連絡 将 校 に、 ﹁ボ リ シ ェヴ ィキ運 動 は わ れ わ れ の 一貫 し た 支 援 が な か
つた な ら 今 日 あ る よ う な 規 模 も 影 響 力 も達 成 し え な か った こと だ ろ う ﹂ と 打 電 。 さ ら に、 ボ リ シ ェヴ ィキ 革 命 直 後 の 一九
一七 年 三
月 三日 、 連 絡 将 校 に .
﹂う 打 電 し 、 皇 帝 に 墾 目す る よ う 求 め て い る 。
靴
てや った あ の手 助 け が あ った れ ぽ こそ 、 彼 ら は中 央 機 関 紙 ﹃プ ラ ウダ ﹄ を 発 行 し つづ け 、 活 発 な 宣 伝 活 動 を や り、 か つ最
し か し こ れ だ け で は 、 具 体 的 に い か な る 経 路 を 通 じ て ボ リ シ ェヴ ィ キ に 支 援 が な さ れ た の か 明 確 で は な い 。 そ れ を 示 唆
初 は 貧 弱 だ っ た 党 の 基 盤 を 力 強 く 拡 大 し て ゆ く こ と が 可 能 と な った のだ 。﹂
(⋮
⋮)
﹁さ ま ざ ま の経 路 を 通 し ・ そ し て 色 と り ど り の レ ッテ ルを 貼 ってわ れ わ れ の側 から 絶 え ず ボ リ シ ェヴ ィキ に おく りだ し
稗
ヴ
ェ
シ
す る も の と し て は 、 い ず れ も 革 命 後 の も の と な る が 、 一 一月 八 日 、 ス ト ック ホ ル ム駐 在 公 使 ル シ ア ス ・フ ォ ン ・シ ュ テ ッ
刹
と
ス
ヴ
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蜘
テ ン (︼
ピβO一
βoo く・ OD梓03山けOP) が 外 務 省 に 、 ﹁同 意 さ れ た 目 的 の た め に 戦 争 公 債 二 百 万 ﹂ の 送 金 を 要 求 し た 電 文 が あ る 。 =
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12
リ
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クホル
シ ・ヴ ・ キ の関 係 の仲 立 ち を し て いた の で臥 魏 ・ 革 命 資 金 の 一部 は父
ー
ルヴ スの商 社 を 介 し て ス㌧
・革 命後 も しぼ ら く 続 け ら れ た援 助 額 の総 計 は・ ベ ル ン﹁
シ ・タイ ・ の見 積 も り に よれ ぽ 、 五千 万 金 マ ル・以
﹁即 時 に約 束 を 履 行 す る ﹂ こ と を ド イ ツ当 局 に求 め た も の で あ った 。 や は り ス ト ッ ク ホ ル ム の 在 外 代 表 部 が 、 ド イ
月 一五 日 に は 、 ベ ル ン の ド イ ツ 公 使 が ス ト ッ ク ホ ル ム か ら の電 報 を 外 務 省 に 報 告 し て い る 。 そ れ は 在 外 支 部 の ヴ ォ ロ フ ス
キ ーが
ツ政 府 と ず
ム に送 ら 鶏
上 に の ぼ る と い う 。 彼 は 、 第 一次 大 戦 直 後 に は 、 人 民 代 表 委 員 政 府 の 財 務 局 次 席 を 務 め て い た 。 こ れ は カ ー マイ ケ ル の 換
93
G
)
21
-
(
30
1)
算 によ れ ぽ 、 お よ そ 八徳 ド ル に相 当 す る。
(40一 )
こ の よ う に 、 レ ー ニ ン は じ め ボ リ シ ェヴ ィ キ が 、 ド イ ツ の 資 金 援 助 を 受 け て い た と い う こ と は 、 中 傷 で は な く 、 確 度 の
高 い 公 平 な 推 測 で あ る 。 そ し て 、 レ ー ニ ン、 パ ル ヴ ス 、 ハネ ツ キ ー が い ず れ も 事 実 を 偽 っ て い た こ と も 疑 い な い 。 し か
し 、 だ か ら と い っ て 、 レ ー ニン を ド イ ツ の ス パ イ 、 買 収 さ れ た エ ー ジ ェ ン ト と 呼 び う る か は 別 問 題 で あ ろ う 。 臨 時 政 府 の
エン,と 言口いう る ほど 、 彼 らが 政 策 、 戦 術 に 関 し
立 場 から す れ ば 、 レ ー ・ンら の行 動 は反 逆 罪 霜
当 し ょう が ド ェ←
輪
て・ ド イ ツか ら 指 図 を 受 け て い たと いう 形 跡 はな い から で艶
﹁レ ⊥ ; のド イ ツ .スパ イ 説 ﹂ のそ の後
・ソ、 ボ ・ シ
待
ェヴ ィ キ と の 一時 的 な 利 害 の 一致 、 す な わ ち 、 戦 争 か ら の ロシ ア の 離 脱 と い う 共 通 目 標 で あ った 。 そ し て 、 そ の 目 標 が 達
︿補 講 v
成 さ れ たあ と に は、 双 方 とも そ の相 手 が 破 滅 す る こと に賭 け た ので あ る 。
(5
0)
1
・ 結 局 そ こ にあ ・た の は・ ド イ ・政 府 と ﹁
ヴ
ェ
シ
剥
屍
!
W
﹁七 月 事 件 ﹂ 以 来 、 ﹁レ ー ニ ン の ド イ ツ ・ ス パ イ 説 ﹂ は 、 ブ レ ス ト ・リ ト フ ス ク講 和 締 結 時 に 再 び 蒸 し 返 さ れ る 。 新 政
権 の 敵 は 、 レ ー ニ ン の 即 時 講 和 の 主 張 に 、 ﹁エー ジ ェ ン ト ﹂ の 証 明 を 見 た か ら で あ る 。 そ の う ち 最 も セ ン セ ー シ ョ ナ ルな
も の は 、 い わ ゆ る ﹁シ ッ ソ ン文 書 ﹂ 、
.島 。 ω一
ωωo" Uo窪 目 Φ口話 .
、であ る。
駿 。・ωo昌) が 、 一九 一八 年 二 ∼ 三 月 に 当 地 で 収 集 し た 文 書 類 の こ と で あ る 。 そ れ ら は 、
﹁シ ッ ソ ン文 書 ﹂ と は 、 一九 一七 年 一 一月 末 に ア メ リ カ 公 共 情 報 委 員 会 に よ っ て 、 ペ ト ログ ラ ー ド に 特 派 員 と し て 派 遣
さ れ た エ ド ガ ー ・ シ ヅ ソ ン (同塵σq碧
ボ リ シ ェヴ ィ キ 政 府 指 導 者 が ド イ ツ参 謀 本 部 か ら 資 金 を 受 け て い た こ と を 証 明 す る も の で あ った 。 す な わ ち 、 レ ー ニ ン 、
ト ロツ キ ー は 、 五 五 〇 〇 万 ル ー ブ ル の た め に ブ レ ス ト で 祖 国 を 裏 切 った ド イ ツ参 謀 本 部 の エー ジ ェ ン ト で あ る こ と 、 ボ リ
シ ェヴ ィ キ の 権 力 掌 握 以 前 の 活 動 は ド イ ツ と 協 力 的 で あ り 、 ド イ ツ の 資 金 を 仰 い で い た な ど と い う 資 料 が 収 め ら れ て い
た 。 シ ッ ソ ン は そ れ ら を 本 国 に も ち 帰 り 、 一九 一八 年 九 月 に 新 聞 に 公 表 し た 。 一〇 月 に は 公 共 情 報 委 員 会 が 、 ﹃戦 争 情 報
(70一 )
叢 書 ﹄ の 一部 を な す パ ン フ レ ッ ト ﹁ド イ ッ ーボ リ シ ェヴ ィ キ 陰 謀 ﹂ と し て 、.こ の 文 書 を 翻 訳 ・出 版 す る こ と に な る 。
キ
イ
ヴ
た 。 J .フ ラ ン ク リ ン ・ジ ェイ ム ソ ン (}● 閏冨 昌国 宣 掛 日 oωo昌)、 サ ミ ュ エ ル ・N ・ ハー バ i (ω⇔ヨ 信o一Z● = 碧 唱魯 ) と
た 。 そ こ で 当 局 は 、 一冊 本 の パ ン フ レ ッ ト と し て の 公 刊 に 先 立 ち 、 そ の 信 懲 性 を 裏 付 け る 調 査 を さ せ な け れ ぽ な ら な か っ
が そ の文 書 の信 悪 性 を 攻 撃 し た のみ な ら ず 、 イギ リ ス政 府 も 、 大 部 分 の文 書 が 偽 造 物 であ ると 推 論 し て い ると 伝 え て 来
ク ・イ ヴ ・ ン グ ・ポ ・ よ
汽
い う 二 人 の 歴 史 学 者 が 鑑 定 に動 員 さ れ 、 一週 間 と い う 短 期 間 で 、 六 九 文 書 の う ち 五 三 文 書 は 本 物 で あ る と い う 報 告 を 行 っ
し か し ・ の 文 書 は 、 新 聞 発 表 当 初 よ り 各 方 面 か ら 、 そ の 信 愚 性 を 疑 わ れ て い た 。 ﹃二 ・ - 〒
リ
ボ
と
輪
畝
た 。 だ が 、 ジ ェイ ム ソ ン は ロ シ ア語 が 読 め ず 、 ま た 、 戦 時 下 と い う 特 殊 な 状 況 で の 調 査 で あ った た め 、 こ の 鑑 定 は 額 面 ど
ノ
レ
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お り に は 受 け 取 れ な い 。 ハー バ ー は こ の 件 に 巻 き 込 ま れ た 苦 渋 と 、 大 学 人 の 戦 争 協 力 と い う ジ レ ン マを 、 の ち の 回 顧 録 の
(&"1 )
中 で 吐 露 し た の で あ った 。 彼 ら は 、 そ の 文 書 が レ ! ニ ンが 下 イ ッ の ス パ イ で あ る こ と を 証 明 し て い る 、 と い う 意 見 を 述 べ
る よ う、 圧力 を か け ら れ て い た の であ る。
2
12
の
59
対 ソ封 じ 込 め 政 策 で 名 を 馳 せ た 元 駐 ソ 大 使 ジ ョ ー ジ ・ケ ナ ン は 、 こ の ﹁シ ッ ソ ン文 書 ﹂ を 筆 跡 に 至 る ま で 詳 細 に 分 析
(
(﹀
・ζ ● ○。・。。①註 o≦ω賦 ) と いう 、 極 東 で も 活
し、 そ れ が 偽 造 であ る こと を 論 証 し た。 彼 に よれ ば 、 オ ッ セ ンド ウ スキ i
耀 し た反 ド イ ツ宣伝 家が 偽 造 に 大 き な 役 割 を 果 し て いた 。 のち の研 究 者 は、 こ の文 書 に信 を 置 い て いな い。
唱い ず れ に せ よ 、 ﹁シ ッ ソ ン文 書 ﹂ 公 刊 以 降 、 レ ー ニ ン の ド イ ツ ・ ス パ イ 説 を め ぐ って は 、 事 実 よ り も 先 入 観 が 目 立 つ こ
と に な る 。 す な わ ち 、 ボ リ シ ェヴ ィ キ 体 制 を 支 持 す る 立 場 に 立 つ か 否 か に よ って 、 見 解 は 分 極 化 す る の で あ る 。 た と え
ぽ 、 ベ ル ン シ ュ タ イ ン は 、 先 に 見 た よ う に 、 レ ー ニ ン 、 ト ロ ツ キ ー を 個 人 的 に 非 難 こ そ し な か っ た も の の 、 ボ リ シ ェヴ ィ
ベ ル ソ シ ・タイ ンも ま た ﹁公 平 な
キ が 宣 伝 目 的 で ド イ ツ の 資 金 援 助 を 受 け て い た と ﹃フ ォ ア ヴ ェ ル ッ ﹄ 紙 上 に 暴 露 し 、 そ の 総 額 を 五 千 万 金 マ ル ク 以 上 と 見
実 際 に は、 三千 万 金 マル・程 度 だ ・た と い う指 摘 も あ 久
積 も ・.
型
し か し ・ の墾
靴
観 察 者 ﹂ で あ った と は 言 え な い 。 一方 、 ジ ョ ン 冶リ ー ド (旨oぎ
(2
1 )
幻①巴 ) は 一九 一八 年 秋 に 、 ﹁シ ッ ソ ン 文 書 ﹂ な る パ ン フ
稗
(
m)
レ ッ ト を 書 き 、 そ の欺 騙 性 を 激 し く 非 難 し て い る 。 さ ら に 第 二 次 世 界 大 戦 後 も 、 著 名 な レ ー ニ ン研 究 者 に す ら 、 こ の 傾 向
す る も の であ った ・ ま ず カ ト;
か ﹂れ を 利 用 し た先 駆 的 な 舞
を棄
し・ そ のあ と・ パ ルヴ ス の伝 記 の著
者 でも
あ る ゼ ー マ ン が 、 こ れ を 編 集 ・出 版 し た 。 本 稿 で た び た び 引 用 し た 近 年 の研 究 も 、 こ の資 料 に よ る と こ ろ が 大 き い 。 ド イ
撰
第 二次 世界 大戦 で 、連 合 軍 が 押 収 した ド イ ツ外 務 省 の外 交 文 書 集 は、 こう した 問 題 に 一つの客 観 的 な 判 断 を下 す 材 料 を
は引 き 継 が れ て い る。・公 平 な 分 析 よ り も 感 情 移 入 が 前 に出 てし ま って い る の であ る。
・
ヴ
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シ
籾
と
ス
鰐
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ツと ポ リ.
シ ェヴ ィ キ の 関 係 に つ い て 、 例 外 的 に 先 入 観 に と ら わ れ な い 研 究 者 と 目 さ れ る シ ャ ピ ロは こ う 語 っ て い る 。 ゼ ー
マ ン の資 料 集 は 、 戦 前 、 戦 中 の党 財 政 の 逼 迫 に も か か わ ら ず 、 な ぜ ボ リ シ ェヴ ィ キ が 数 百 万 部 の 新 聞 類 を 、 二 月 革 命 以 降
権 力掌 握 ま で 発 行 でき た かを 明 ら か に した っ たと え ぽ 、 ︹
本 稿 で も引 用 し た︺ ド イ ツ外 相 キ ュー ル マンが 参 謀 本 部 に宛 て
た ボ リ シ ェヴ ィ キ へ の 資 金 提 供 を 明 言 し た 電 文 は 、 信 用 に 値 す る も の で あ る 。 レ ー ニン も 公 式 に は 、 資 金 の 授 受 を 否 定 し
)
95
O
23
ー
輪
え て い た・ ポ リ シ ・
︹こ れ も 引 用 ず み ︺ の 中 で は 、 そ の存 在 を 示 唆 し て い る 。 こ の時 期 、 ボ リ シ ェヴ ィ キ が
(5一量)
イ ツ か ら 資 金 を 仰 い で い た と み る こ と は 、 これ ま で 知 ら れ て 来 た 事 実 と 合 致 す る 、 と 。
て い るが 、 のち に 公 刊 さ れ た書 簡
ド
四 、 ボ リ シ ェヴ ィ キ 批 判 の 展 開
七 月 の ﹁ド レ フ ・ ス 事 件 ﹂ 以 降 、 パ ル ヴ ス は 、 ス カ ・ ジ ナ ヴ ・ ア に姿 を 現 さ ず 、 表 立 ・た 行 動 錘
月 中 旬 には 、 スイ ス に戻 って い
ヴ ィ キを .
﹂れ 以 上 、 窮 地 に 立 た せ な い た め で あ る 。 蒔
、 ベ ル リ ン に滞 在 し た のち 、 δ
偽
た 。 彼 が ボ リ シ ェヴ ィ キ 革 命 の 報 に 接 し た の は 、 ヴ ィ ク ト ル ・ナ ウ マ ン (< 凶
7梓O同 一
4餌β︼
昌99昌H
F
) の仲 介 で、 オ ー スト リ ア"
キ
転
ハン ガ リ ー の外 相 ツ ェル ニン伯
(ε1一 )
月 一七 日 の こ と で あ った 。
﹁破 壊 の 過 程 ﹂ で は 一致 し て い た パ ル ヴ ス
O・ON臼 三 口) に 接 見 の た め 、 ウ ィ ー ン に や って 来 た と き で あ った 。 ス ト ッ ク ホ
リ
ボ
と
ル ム の 在 外 支 部 か ら は 、 至 急 戻 る よ う 電 報 が 届 い た 。 彼 が ベ ル リ ン 、 コ ペ ン ハー ゲ ン を 経 由 し て 、 ス ト ック ホ ル ム に 若 い
(Oo鐸導
傷
たのは、 =
﹂
レ
・
∼
途 上 のベ ルリ ンで、 パ ルヴ スは外 務 省 の役 人 と ロシア情 勢 を 討 議 し た。 だが
と ド イ ツ外 務 省 の 利 害 は 、 革 命 を 境 に 対 立 す る よ う に な る 。 そ れ は 当 然 の帰 結 で あ った 。 彼 は 、 一 一月 以 降 、 し ぼ ら く ド
イ ツ政 府 と の つな が り を 断 ち 、 講 和 の た め の 社 会 主 義 者 の 国 際 会 議 の 開 催 に 心 を 砕 い て ゆ く 。 こ こ に は 、 彼 が 遠 か ら ず や
の
4
12
って 来 る と 信 じ た ド イ ツ革 命 へ の 期 待 が 込 め ら れ て い た の で あ る 。 そ の 一方 で 、 彼 は ス ト ッ ク ホ ル ム の ラ デ ック に 、 レ ー
59
(
(τ11 )
ニ ン に 対 し て 、 ソ ヴ ェト に 帰 国 し た い 旨 を 伝 え る よ う 懇 請 す る 。 ラ デ ッ ク は す ぐ さ ま ペ ト ログ ラ ー ド を 目 指 し 、 一 一月 二
靴
稗
ヴ
ェ
"
ボ
と
ス
ヴ
筋
ノ
○ 日 に ロ シ ア に 到 着 し た 。 折 し も 、 中 央 委 員 会 で は 、 ハネ ツ キ ー 、 コ ズ ロ フ ス キ ー が パ ル ヴ ス と の 関 係 を め ぐ って 、 吊 し
6
吻
命 に幻 婆
感 じ 億 じ めた 原 因 は 、 ポ リ シ ・ヴ ・ キが 権 力 掌 握 後 ・ 矢 継 ぎ
﹁労 働 者 民 主 主 義 ﹂ 革
25
1
あ げ ら れ て い ると ころ であ り 、 こ の要 求 はと ても レー ニ ンには 受 け 入 れ ら れ な か った。 レー ニンに し て みれ ば 、 パ ルヴ ス
(&!亘 )
と 和 解 す る こ と は 、 臨 時 政 府 の 告 発 が 正 し か った こ と を 証 明 す る こ と に な っ て し ま う の で あ る 。 彼 は ラ デ ッ ク に こ う 語 っ
た 。 ﹁革 命 の 大 義 は 汚 れ た 手 に よ って 触 れ ら れ て は な ら な い 。﹂ こ の 伝 言 は 、 = 一月 七 日 、 ラ デ ッ ク に よ っ て パ ル ヴ ス に 届
リ シ ・ヴ ・ 輩
け ら れ た 。 レ ー ニ ン の 冷 淡 な あ し ら い は 、 パ ル ヴ ス が 一九 一八 年 以 降 、 ボ リ シ ェヴ ィ キ 批 判 を 展 開 し て ゆ く 心 理 的 前 提 に
な った に 相 違 な い 。
だが 、 そ も そ も 、 パ ルヴ ス禁
早 に 行 った 新 政 策 で あ った 。 す で に 述 べ た よ う に 、 パ ル ヴ ス の 見 通 し で は 、 ボ リ シ ェヴ ィ キ 革 命 は
命 で あ り 、 そ れ は ヨー ロ ッパ 社 会 主 義 革 命 を 誘 発 す る こ と に よ って の み 、 社 会 主 義 革 命 へ転 化 す る も の で あ った 。 し か も
彼 は 、 戦 争 の後 に は 好 況 が 来 る と 予 測 し 、 ド イ ツ革 命 は 、 次 の 恐 慌 循 環 に 起 こ る と 見 て い た 。 従 っ て 、 ロ シ ア の ﹁労 働 者
︹ボ リ シ ユヴ ィキ ︺ は 扇 動 の 途 上 で 、 ヨ ー ロ ッ パ 革 命 を 解 き 放 つ こ と を 願 って い る 。 彼 ら は こ の革 命 を 、
民 主 主 義 体 制 ﹂ は 、 一国 で 数 年 、 持 ち こ た え な け れ ば な ら な い 。 と こ ろ が 、 ボ リ シ ェヴ ィ キ は 、 こ の点 が 全 く 認 識 で き て
い な い。 ﹁彼 ら
(9ii )
︹ 一九 一
す ぐ に と 望 ん で い る 。 な ぜ な ら 彼 ら は 、 そ れ 以 外 に は ロ シ ア の 労 働 者 階 級 の 政 治 的 支 配 を 維 持 で き な い だ ろ う と 思 って い
る か ら だ 。 ヨ ー ロ ッ パ 革 命 は し か し な が ら 、 戦 争 が 続 く 限 り 、 起 こ ら な い で あ ろ う 。﹂
そ し て ボ リ シ ェヴ ィ キ が 打 ち 出 す 諸 政 策 は こ の 混 同 を 反 映 し て い る も の だ と 、 パ ル ヴ ス は 考 え た 。 銀 行 国 有 化
七 年 = 一月 一四 日 ﹁銀 行 国 有 化 に 関 す る 法 令 ﹂ 発 布 ︺ も そ の ︼つ で あ る 。 こ れ に つ い て 彼 は 、 ﹁ボ リ シ ェヴ ィ キ に よ る 私
営 銀行 の接 収﹂ と いう 論 文 を 、
一二 月 初 め に ス ト ッ ク ホ ル ム の ロ シ ア 語 雑 誌
ヘ
ヘ
ヘ
へ
﹃イ ズ ヴ ニ ェ (外 部 よ り )﹄ に 寄 せ て い る 。
こ の ﹃イ ズ ヴ ニ ェ﹄ は 、 パ ル ヴ ス が 、 国 外 か ら ボ リ シ ェ ヴ ィ キ 批 判 を 行 う た め に そ の こ ろ 創 刊 し た 雑 誌 で あ る 。 彼 は 時 期
尚 早 な 計 画 を 批 判 す る。
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
へ
﹁こ う し た や り 方 で 、 ロ シ ア に 社 会 主 義 の 道 を 切 り 開 く と 信 じ る な ら ば 、 そ れ は 大 き な 誤 り で あ る 。 銀 行 の社 会 化 は 馬
コ
す で に成 ・遂 げ たが 、 駅
ぞ
は、 ・ う や く麺
研 ・﹂ ︹
傍 ・⋮
部 は 原 文 では ・
﹄ の中 で詳 述 し て い る 。 そ ・ で彼
就 い たば か ・ 鼠
た と え ぽ 、 ド イ ツの よう な 発 展 し た産 業 国 に お い て は、 日程 に上 って い る。 ⋮ ロシア で は事 情 は 異 な る。 ド イ ツで は 、 銀
作委
行 はそ の資 奎
藷
輪
い て は、 パ ルヴ スは、 一九 δ 年 刊 の ﹃国 家 、産 業 、 社 会 嚢
タ リ ッ ク 。 以 下 同 じ 。︺
・と 銀 行 国 有 化 ξ
キ
イ
ヴ
泥.
か し、 資 本 主義 の発 展が そ こ ま で 及ば な い ロシ アで は、 こ の政策 は ﹁国 の産 業 的発 展 を妨 げ て い る﹂・にす ぎ な い。 ボ リ シ
は、 大 銀 行 と大 産 業 の結 合 を頂 点 と し た 二〇 世 紀 資 本 主義 の、社 会 主義 への出発 点 こそ 、 銀 行 の国 有 化 だ と し て い(
煙。 し
糊
と
弥
エヴ ィキ は、 ﹁社 会 主 義 的 生 産 様 式 に至 る 、 産 業 、 世 界 市 場 、 貨 幣 流 通 の資 本 主義 的発 展 過 程 を ほ と んど ろく に知 ら な い
レ
ヘ
ヘ
へ
﹁ボ リ シ ェヴ ィ キ の 平 和 ﹂で 彼 は 、 ﹁こ の 際 、 プ ロ レ タ リ ア ー ト は 、 ロ シ ア が と り
・
∼
(221 )
ヘ
の だ 。﹂ そ し て 、 一八 年 五 月 に 書 か れ た
鐘 を鳴 ら し て い る・
わ け、 産 業 発 展 の問 題 に直 面 し て いる こと を 忘 れ て は な ら な い。 未 発 達 の産 業 を 基 盤 に社 会 主 義 を 建 設 し よう と いう ポ リ
設曇
6
12
の
シ ・ヴ ・ギ の努 力 は ・ 全 般 的 略奪 を 是 認 す る こと に至 ・.
耀﹂と・性急な社会主養
﹁ポ リ .
シ ェヴ ィ キ の 社 会 計 画 ﹂ ︹﹃グ β ッ ケ﹄ 一八 年 三 月 二 日 ︺ に お い て 、 パ ル ヴ ス の ボ リ シ ェヴ ィ キ 批 判 は さ ら に 強 ま
59
(
︹一月 二 七 日 、 全 ロ シ ア 中 央 執 行 委 員 会 が
﹁土 地 社 会 化 に 関 す る 基 本 法 ﹂ を 採 択 ︺ が
る 。 こ の論 文 で は ま ず 、 土 地 国 有 化
姐 上 に乗 せら れ た。 そ れ に よれ ぽ 、 ボ リ シ ェヴ ィキ は ﹁彼 ら の社 会 主 義 的 決 ま り文 句 ﹂ に固 執 し て、 土 地 の私 的所 有 の除
の 去 を 断 行 し よう と し て い る ︹だ が 実 際 に は、 第 三回 ソ ヴ ェト大 会 (一月 一〇 ∼ 一八 日) で ﹁土 地 社 会 化 基 本 法 ﹂ の原 案 を
提 出 し た の・
は 、 左 翼 エ ス エ ル で あ った ︺。 し か し 、 現 在 必 要 と さ れ て い る の は 、 ﹁農 民 的 私 的 所 有 の 創 出 ﹂ な の で あ る 。 彼
は 数 カ月 前 に こう 指 摘 し て い た。
つ いて 、 ・シ ア の産 業 と 肇
は発 摩
る であ ろう 。 ・
。二 〇 年 な い し 一五 年 以 内 に 、 ・ シ ア は ヨ , . 。 パ で 最 も 強 く 、 最 も
﹁こ れ ま で 世 界 の ど ん な 他 の 国 々 に も な い よ う な 政 治 的 力 量 と な る で あ ろ う 産 業 プ ロ レ タ リ ア ー ト と 強 力 な 農 民 層 に 基
鞭
、
(521)
豊 か な 国 に な る で あ ろ う 。﹂
こ れ を 実 現 し 、 ロ シ ア の 農 民 を 救 う こ と が で き る の は 、 ﹁資 本 主 義 に 対 す る 退 去 命 令 に よ っ て で は な く 、 農 民 経 営 が 資
キ
イ
ヴ
ェ
シ
ノ
刊
本 主 義 に よ って創 出 さ れ た生 産 と 交 通 の諸 条 件 に順 応 す る こと に よ って の み﹂ であ り、 こう し て ﹁よ り高 次 の、 社 会 主義
と
ス 的 生 産 様 式 への移 行 が 促 進 さ れ、
う る。﹂ す な わ ち、 ﹁社 会 主 義 は資 本 主 義 の社 会 的 成 果 に基 づ い て い る﹂ の であ る。 パ ルヴ
ヴ.
蜘, ス は、 そ の移 行 の際 、 重 要 と な る の は、 ﹁当 局 の命 令 ﹂ で は な く、 ﹁社 会 的 発 展 過 程 ﹂ であ る こと を強 調 し、 そ の 上 で、 ロ
シ ア に は資 本 主 義 的 生 産 の諸 条 件 が あ る にす ぎ ず 、 社 会 主 義 的 な も の は存 在 し て いな い こと を繰 り 返 し た 。
ま た 、 ボ リ シ ェヴ ィ キ は、 ﹁社 会 主義 赤 軍 ﹂ の建 設 ︹一八年 一月 一五 日、 ﹁労 農 赤 軍 創 設 に関 す る布 告 ﹂︺ を 目 指 す が 、
パ ル ヴ ス は これ を も 酷 評 し て い る。 彼 の見 ると こ ろ、 これ に よ って、 軍 隊 は労 働 者 と 農 民 から 補 充 され 、 有 産 階 級 は 一掃
ざ れ る 。 ボ リ シ ェヴ ィキ は将 校 団 も 解 体 し よう と し て いる が 、 こう な る と 、 ﹁専 門 的 知 識 と あ ら ゆ る よ り高 度 な指 揮 は軍
隊 か ら 消 え 去 ってし ま う 。﹂ 三分 の 二が 文 盲 の ロシア の 人 民大 衆 で は、 整 備 さ れ た 軍 隊 には な ら な い ︹赤 軍 の最 高 責 任 者
)
99
6
-
ト ロツ キ ー は の ち に、 国 内 戦 、 干 渉 戦 に対 処 す る た め、 旧将 校 の再 組 織 を余 儀 な く さ れ る︺。 し かも 、 社 会 主義 が 必 要 と
す る 軍 隊 制 度 は傭 兵 軍 隊 で はな く 普 段 は通 常 の職 業 生 活 を 営 む ﹁民 兵 ﹂の はず で あ る。 ゆ え に ﹁高 い補 償 金 と引 き 換 え に、
(721 )
常 勤 の軍 務 、 警 察 職 務 を 遂 行 す るた め に、 ︹一般 の︺ 職 業 活 動 か ら離 れ た ボ リ シ ェヴ ィキ の赤 軍 は 、⋮プ ロ レタ リ ア的 革 命
軍 で はな い。﹂
か く て 、 そ の実 現 のた め奔 走 し た ボ リ シ ェヴ ィ キ革 命 か ら 半 年 も 経 た な いう ち に、 パ ル ヴ ス は次 の よう な 言 葉 を吐 く の
﹁ボ リ シ ェヴ ィ キ が 今 、 建 設 し よ う と し て い る 国 家 は 、 社 会 主 義 で は な く 、 そ の 国 家 は 、 そ の ユ ー ト ピ ア が と に か く 現
である。
実 に 具 体 化 す れ ば 、 政 治 的 に は 新 た な ツ ァ ー リ ズ ム に 至 る に 相 違 な い 中 国 ふ う の 農 民 国 家 で あ ろ う 。﹂ ﹁こ う し て ロ シ ア 革
靴
泥
キ
イ
ヴ
(⋮
⋮)
命 は 、 ヨ ー ロ ッパ 革 命 の 栄 光 に 満 ち た 歴 史 へ の 侮 辱 に な る の だ 。﹂
も の だ と 断 じ た の で あ る 。 彼 は あ く ま で 、 ロ シ ア の 発 展 は ﹁労 働 者 民 主 主 義 ﹂ に よ る べ き だ と 考 え て い た 。 こ の 体 制 を 安
上 述 の よ う に、 パ ル ヴ ス は 、 ボ リ シ ェヴ ィ キ の 一連 の 急 進 化 政 策 を 、 ロ シ ア の 置 か れ て い る 情 況 を わ き ま え な い 無 謀 な
リ
ポ
と
弥
レ
・
V
ノ
定 さ せ る た め に は 、 民 主 主 義 の尊 重 が 不 可 欠 で あ る 。 前 出 の ﹁ボ リ シ ェヴ ィ キ の 平 和 ﹂ で 、 彼 は こ う 述 べ て 、 ボ リ シ ェヴ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
へ
ィ キ の独 断 専 行 を 難 じ た 。
﹁憲 法制 定 会 議 の 召集 は是 非 必要 であ る。 な る ほ ど労 働 者 は 、 ⋮ そ こ にお いて は 、少 数 派 で あ ろ う 。 にも か か わ らず 、 彼
ら は そ こ で は 、 そ の組 織 と 政治 意 識 に よ って 、傑 出 し た、 そ の上 、指 導 的 な 役 割 を 果 す ことが でき る で あ ろ う 。 革 命 的 独
裁 にも 限 界 が あ る。 機 関 銃 の助 け で永 遠 に持 ち こ た え る こ と は 、労 働 者 政府 にと って 不 可 能 で あ ろ う 。 そ れ ゆ え 、 時 機 を
8
12
の
60
(
得 て妥 協 に応 じ 、 プ ・ レ言
下
あ
懇
に、 でき る限 り 大 き な 影 響 を 覆
す る方 が 、 - よ り ま し で鶉
・﹂
し か ← 、 彼 の願 い も 空 し く 、 ボ リ シ ェヴ ィ キ 政 権 は ﹁機 関 銃 の助 け ﹂ で 政 権 を 維 持 し て ゆ く 。 四 囲 の 状 況 が 彼 ら に そ れ
以 外 の 手 だ て を 許 さ な か った 。 ﹁憲 法 制 定 会 議 ﹂ は 一八 年 一月 五 日 に 開 会 さ れ 、 翌 日 解 散 を 命 ぜ ら れ る 。 そ の 召 集 に 先 立
っ て 議 員 選 出 の た め に 行 わ れ た よ う な 自 由 な 選 挙 は 、 ペ レ ス ト ロイ カ の 時 代 に よ う や く 復 活 し た の で あ る 。
︹ 一八 年 三 月
三 日︺ に向 け て、 ・シ ア の革 命 情 勢 髭
﹁(二 二 ) 日 、 ブ レ ス ト ・リ ト フ ス ク で 講 和 交 渉 を 開 始 し た ド イ ツ は 、 調 印
靴
た 、彼 の提 唱 し た 社 会 主 義 者 の国 際 会 議 も 外 務 省 によ る 強 い圧力 で頓 挫 し た た め 、 パ ルヴ ス に は、 ロシ ア通 と し て外 務 省
と こ ろ で 、 一九 一七 年 一二 月 九
キ
イ
ヴ
の 助 言 者 に な る よ り ほ か に 、 自 分 を 生 か す 道 は な か った の で あ る 。 彼 の反 ボ リ シ ェヴ ィ キ 感 情 は 今 一度 彼 を 、 外 務 省 と の
じ て いる パ ル ヴ ス の力 を 、 再 び 必 要 と し て いた 。 帰 国 を ・ - ・ン に 断 ら れ ・ ま
海
協 力 に 駆 り 立 て た 。 パ ル ヴ ス は 一七 年 一二 月 二 四 日 、 ス ト ック ホ ル ム を 発 ち 、 二 八 日 に は 外 務 省 を 、 三 〇 日 に は コ ペ ン ハ
.
(
0
3
1
)
i ゲ ン に ブ ロ ッ ク ド ル フ .ラ ン ツ ァ ウ を 訪 ね て い る 。 そ し て 彼 は 、 ﹃イ ズ ヴ ニ ェ﹄、 ﹃グ ロ ッ ケ﹄ 等 で 反 語 リ シ ェヴ ィ キ の
リ
ボ
と
弗
論 陣 を 張 る の み な ら ず 、 こ う し た か つ て の コネ ク シ ョ ン を 利 用 し て 、 大 々的 に 反 ボ リ シ ェヴ ィ キ ・キ ャ ン ペ ー ン を 繰 り 広
レ
・
川
げ よう と考 え た の であ る。
先 の ラ ン ツ ァ ウ と の 会 談 で 、 パ ル ヴ ス は ロ シ ア 内 外 の 世 論 を 喚 起 す る ﹁大 規 模 な 報 道 機 関 ﹂ 創 設 を 提 案 し 、 そ の た め の
基 金 と し て 四 百 万 マ ル ク を 要 求 し た 。 ラ ソ ツ ァウ は 外 務 省 に諾 否 を 尋 ね 、 ヴ ィ ル ヘ ル ム ・シ ュ ト ラ ー セ は 、 一八 年 一月 五
日 、 計 画 賛 成 を 打 電 し て き た 。 パ ル ヴ ス は 、 こ の資 金 の 一部 を ﹃イ ズ ヴ ニ ェ﹄ に つぎ 込 ん だ の で あ ろ う 。 数 ヵ 月 後 、 彼 は
事 業 拡 大 と 、 ロ シ ア に 二 百 の 日 刊 紙 を 創 刊 す る こ と を 策 し 、 外 交 官 た ち に ﹁三 徳 マ ル ク の資 金 が 必 要 ﹂ だ と 告 げ た と い
コ
㈲
)
12
(Z31 )
う 。.
・
こう し た 計 画 を も く ろ ん だ 背 後 に は 、 レ ー ニ ン 、 ト ロ ツ キ ー は 自 分 に敵 対 し て い る が 、 ボ リ シ ェヴ ィキ の 下 級 党 員 は
(
33!)
自 分 の 側 に つ い て い る と い う パ ル ヴ ス の 楽 観 的 な 判 断 が あ った 。
な り ふ り 構 わ ぬ パ ル ヴ ス の努 力 に も か か わ ら ず 、 崩 壊 し た の は ボ リ シ ェヴ ィ キ 政 権 で は な く 、 ド イ ツ 帝 国 の ほ う で あ っ
た 。 た だ し ボ リ シ ェヴ ィ キ 政 権 も 一八 年 夏 以 降 、 内 戦 と 外 国 の 軍 事 干 渉 で 最 大 の 危 機 を 迎 え る こ と に な る の で は あ る が 。
家 が 考 慮 し て いな か ・.
畑﹂ ・と であ ・た . 敗 北 に ・ ・て生 じ た 畠
の革 命 を 喜 歪
は 、 彼 はあ ・ ・ にも 既 存 体 型
取り込
そ し て 一八 年 一 一月 の ド イ ツ の 敗 北 は 、 彼 の 構 想 を 根 底 か ら 覆 し て し ま った 。 そ れ は ﹁た だ 一つ だ け 、 こ の 独 創 的 な 政 治
靴
ま れ て しま って い た の であ る。 彼 は失 意 のう ち に スイ スに向 かう 。
エ
以 上 、 ボ リ シ ェヴ ィキ革 命 を めぐ る ﹁革命 のプ ロモ ー タ ー﹂ パ ルヴ ス の言 行 を 通 観 し てき た 。 そ の善 悪 はと も かく 、 機
む すび にか え て
キ
イ
ヴ
シ
リ
ボ
と
執
ゆ
・
∼
を 見 る に敏 な 彼 の行動 スタ イ ルは驚 嘆 に値 す る 。 ボ リ シ ェヴ ィ キ革 命 を ﹁労 働 者 民 主 主 義 ﹂ 革 命 と し て成 就 さ せ る た め
に、彼 は 歴史 の舞 台裏 で 万策 を 尽く し た 。 そ れ を 目指 す彼 の所業 は 、す べ て 、 且 的が 手 段 を 正 当 化 し た ので あ る 。 そ の結
果 、 彼 は資 本 主義 を打 倒す る た め、 資 本 家 に な ら なけ れば な らず 、 革 命 を 成 し 遂 げ る た め、 ド イ ツ帝 国 の支 配 階 級 と 結 ば
な け れぽ な ら な か った。 パ ルヴ スの特 異 な点 は、 か か る活 動 を 屈辱 と は思 わず 、 む し ろ 積 極 的 に行 った こと にあ る。 そ し
て気 が 付 い た こ ろ に は、 彼 は倒 す べき 体 制 の 一員 と な って い た。 ミ イ ラ取 りが ミイ ラ にな って し ま った の であ る 。 レ ー 二
0
13
の
60
(
ンは パ ルヴ スの こう し た態 度 を最 も 嫌 った。 し か し、 革 命 と い う事 業 にも 光 と陰 が あ る と す れぽ 、 両者 には ま さ にそ の関
係 が あ て はま る。 光 が な け れ ぽ 陰 も な い。 換 言す れ ぽ 、 パ ルヴ スと レー ニンは、 十 月 革 命 ま で は、 互 い に他 を 必 要 と し た
敵 対 者 であ ったと 言 え る。
例 え ば 、 ﹁封 印 列車 ﹂ 工 作 や ド イ ツ の資 金 援 助 が 、 レ ー ニン の権 力 掌 握 にと って 不 可 欠 の条 件 であ った か ど う か を 詮索
謀術数 笑
す る こ と は、 な る ほど あ ま り生 産 的 な議 論 で は な い。 だが 、 そ の際 に重 要 な 仲 介 役 を 果 し た パ ルヴ スは 、 そ の短 絡 的 な 権
な い か。 む し ろ ﹁社 会 主義 者 ﹂ パ ルヴ ス に言 わ せ れば 、資 本 主 義体 制 の支配 者 の施 し を 利 用 す る こと は、 革 命 家 と し て の
鍵L と し て活 躍 し た と みな す ・と は でき る の で は
靴
構 想 を信 じ て い た。 これ が 、 こ の時 期 の彼 の マキ アヴ ェリ ステ ィク な行 動 を 正当 化 し た の であ ろ う 。
い に批 判 の的 にな ろ うが 、 少 な く と も 、 薪 た な 社 会 の鼠
キ
イ
ヴ
そ れ だ け に、 ﹁新 た な 社 会﹂ を 産 み 落 と し た ボ リ シ ェヴ ィキ革 命 が 、 パ ルヴ ス にと って コ裏切 ら れ た革 命 ﹂ に な った と
義 務 であ った の かも しれ な い。 いず れ に せ よ彼 は、 巨シ ア の ﹁労 働 者 民 主 主義 ﹂ 革 命 が やが て ド イ ツ に及 ぶ と いう 自 ら の
溢
リ
ボ
と
弗
き 、 彼 の非 難 の舌 鋒 の鋭 さ は、 最 も 激 し たも の に な った の であ る。 そ こ に は 、 ボ リ シ ェヴ ィキ の政策 に 対 す る 恣 意 的 な解
レ
・
∼
釈 に よ る批 判 す ら 感 じ ら れ る。 内 外 の反 革 命 に包 囲 され た ボ リ シ ェヴ ィキ に 、彼 が ﹁労働 者 民 主 主 義﹂ の尊 重 を 説 く の
は、 あ ま り にも ロ マ ンチ ック であ る気 が し てな ら な い。 そ し て皮 肉 な こと に、 パ ルヴ スの よ う な革 命 の陰 の 立役 者 は 、革
命 の成 功 と と も に、 革 命 体 制 にと って有 害 な 存 在 と な る。 そ れ は彼 の宿 命 でも あ る。 革 命 の裏 面 に精 通 し た彼 が 、歴 史 の
表 舞 台 に出 る こと は、 革 命 の名 誉 に か か わ る から であ る。 レー ニンが パ ルヴ スの帰 国 を峻 拒 し た理 由 も 当 然 こ こ に あ ろ
う 。 パ ル ヴ ス の誤 算 は 、 自 分 の果 した 役 割 を 過 信 した こと にあ った 。
)
ヨ
㈲
31
1
命
ボ リ シ ェヴ ィキ革 命 への失 望 と ド イ ツ の敗 戦 で、 パ ルヴ スの抱 く 革 命 計 画 全 体 が 破 綻 す る。 かく て彼 は最 晩 年 、 社 会 主
七頁 。 レー ニン の母 は、 一九 一六年 七月 に死 去 す る 。 一方 で 、
義 像 の再 構 築 に挑 む こ と に な る。 ボ リ シ ェヴ ィキ革 命 か ら、 パ ルヴ スはど んな 教 訓 を引 き 出 し た の か。 こ れが 次 の課 題 で
あ る。
注
(1) 笹 本 駿 二 ﹃スイ スを 愛 し た 人 び と﹄ (岩 波新 書 、 一九 八 八年 ) 二
世 界 大 戦 ﹂ ﹃明 治 大 学 大 学 院 紀 要 ﹄ 第 二 七 集
﹃
革 新 ﹄ 一〇 五、 一〇 六号 (一九 七九
(筑 摩 書 房 、
ヤが 、 ク ラク ・か ら ・イ ・ に発 つ (八月 ) 少 し 晶
・に、 ・ ルプ ・ ・や の叔 母が 死 去 し 、 彼 ら はそ
一九 西 年
・ ー ヲ と ・ ル⋮
樺
パ ル ヴ ス の生 涯 に つ い て は 、 ゼ ー マ ン 、 シ ャ ル ラ ウ ﹃革 命 の 商 人 ﹄ (風 媒 社 、 一九 七 一年 ) を 参 照 の こ と 。
の遺 産 の半 分 を 譲 り受 け 、 戦 争 中 の生 活 費 に充 て た と いう 。 ルイ ス ・フ ィ ッシ ャ ー、 猪 木 、 進 藤 訳 ﹃レ ー ニン﹄ 上
一九 六 七年 ) 二 八頁 ・ ク ルプ ス カ ヤ・ 松 本 ・ 藤 川 訳 ﹃・⊥ 一ン の思 い出 ﹄ (大 暑 店 、 一九 七 〇 年 ) 二五 四 頁 。
℃貴 く口9 N§ 映 犠ミ 蔑
イ
諄
(
2)
﹁パ ル ヴ ス と 第 茨
魯、壽臨、 (bd費 一言 燭Hり目Qo)層ω. 駆二H・
(3 )
拙稿
ミ§ ミ 鳴 き
シ
リ
ボ
(4 )
( 一九 八 九 年 )。
(5) 本 稿 に関 連 す る テ ー マを 扱 った 論 文 と し て 、 中 村 建 治 ﹁ド イ ツ軍部 と レー ニン﹂ 上 ・下
る。
年 )、 黒 川 康 ﹁ボ ル シ ェヴ ィ キと ド イ ツ参 謀 本 部 の 密 約 ﹂ ﹃歴 史 読 本 ワ ー ルド ﹄ 第 二 巻 第 二 号 (
新 人物 往 来 社 、 一九 九 一年 ) が あ
・政 治 経 済 学 篇
是
ノ
げ
パ
↓§ $ ヒ 、ミ ミ 勘 恥§ 黛 鳴§ § ひ ﹀ ・σ
q邑。
。し 8 。。嫡 娼●註 悼●
.
、︾ ,q9 畠 。h 男。︿。ζ ご 昌 .
." ↓ミ
嵩 ω。。ωo・ 一。
。 需 器 q冨
(6 )
ミ 。§ 3
景 =、
.
讐 曽 6ミ §
ソ ヴ ェト 体 制 に 反 対 し 、 国 外 に 亡 命 し た ロ シ ア 人 サ ー ク ル が 発 行 す る 新 聞 雑 誌 は 、 今 で も こ の 問 題 を 繰 り 返 し 取 り 上 げ て い る 。
月 雪 暮
(7 )
島 国罵 自
。× = 喫 9 大呂
(イ ス ラ エ ル 、 一九 八 0 年 ) か ら の 抜 粋 で あ る 。 ま
。 器 器 具 票
た と えば 、、
、ズ 。・。弓 。2
﹃革 命 の 運 命 ﹄ (未 来 社 、 一九 七 三 年 ) 七 七 頁 。
"極 右 " と 位 置 付 け ら れ て い る 。 ウ
一㊤。。9 こ の 記 事 は 、 匂●O費 三 島 器 ど ↓、ミ 客 黛 (一
じO昌偶O昌り日㊤刈α) の ロ シ ア 語 訳
オ ル タ ー ・ラ カ ー 、 中 沢 精 次 郎 訳
た 、 ボ リ シ ェヴ ィ キ へ の ド イ ツ の 資 金 援 助 問 題 に 関 す る 先 駆 的 研 究 者 ジ ョ ー ジ ・カ ト コ フ は 、
2
13
)
る
60
(
(8 )
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尊 巴 )・O 臥 。乱 "ω﹃ ﹀ 艮 。尾 .
ω O。=①σq①L 8 ω鰯, 8 。。・
ン、 シ ャ ル ラ ウ 、 前 掲 書 、 二 一〇 頁 、 ≦ ﹄ ・ω。ゴ・・忌 二
.
、ミ §
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き ﹄慧 § 犠 § " §
国 ・無
き
・ミ
ミ
き
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彼 女 に つ い て は 、 レ ー ニ ン 、 ジ ノ ヴ ィ エ フが そ の 存 在 を 否 定 し て お り 、 不 明 な 点 が 多 い 。 ス ト : ン に よ れ ば 、 彼 女 の 事 業 が バ ネ
(・昌 邑
(10 )
画守ミ ニ 署 ・卜
⊃O卜。1卜
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︹同
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ゆ。量
き
レ ㊤H")ひ
§
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さ 旨き
(一九 七 二 年 )、 拙 稿
﹁第 一次 ロ シ ア革 命 に お け る パ ル ヴ ス 、 ト ロ ツ キ
田 ユ ①圃、
、"b 貯 9 0"ぎ b 訂 . 卜。噛Z 磐 H" け 戯・HOH9 ω・鵯 山 。。・
(一九 八 六 年 )。
﹁パ ル ヴ ス の 労
﹁パ ル ヴ ス の ロ シ ア革 命 論 ﹂ ﹃思 想 ﹄ (岩 波 書 店 ) 一九
竈ま∴漣。
。 (い。巳 。ξ H8 。。)層 娼﹄ O●
、& 謙︾蕊馬℃ 一9 臼σq二 U oo・ HOHり輸ω・ コ S
﹃経 済 学 雑 誌 ﹄ 六 六 巻 一号
﹃ド イ ツ 社 会 思 想 史 研 究 ﹄ (ミ ネ ル ヴ ァ 書 房 、 一九 七 四 年 ) 九 九 一 一二 六 頁 に 再 録 ︺、 田 中 良 明
§ 棲 § " 導 恥 ミ ミ 、ミ 噛§
↓げoマ ゆ9。o犀σq3 轟 傷 .
、璽ωoミ ミ ⑦§ ミ 題 噛
ツ キ ー と つな が っ て い た こ と 、 の ち に 述 べ る コ ズ ロ フ ス キ ー と 密 接 な 関 係 に あ っ た こ と 、 シ ベ リ ア 銀 行 に 巨 額 の 預 金 が あ った こ と
(9 )
(11 )
N§ 映 自§蔑 ミミ ミ 恥 き 隷、
魯ミ ・ω・ω9
(51) ℃価遷 ω
る
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は 、確 言 で き る と し て い る 。 雷 ・竃 ●ωぎ pρ 、
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(12) 勺9書 。n層雲
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(13) 国 辱 量
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ゼ ー マ ン 、 シ ャ ル ラ ウ 、 前 掲 書 、 二 一四 一 二 一五 頁 。
国げ。註 ・。・ψ ω。
。山 ,
幹 ωs
℃跨 差 。ゆ鳩 餌.。
。.O 二 堕 戯㌣ 戯ド
バ
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(16 )
.
、o 。箆 ⊆巳
ゼ ー マ ン 、 シ ャ ル ラ ウ 、 前 掲 書 、 二 一二 i 一= 三 頁 。 ωoゲρ二ρ∬ o騎
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(18 )
(17 )
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、国 ①言 ゲ9躍亀一℃碧 く島 .
、層b 隷
(14 )
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(19 )
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ス
(20 )
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ノ
げ
(21 )
パ ル ヴ ス の ﹁労 働 者 民 主 主 義 論 ﹂ に つ い て は 、 次 の 論 稿 が あ る 。 山 口和 男
六 七 年 一〇 月 号
≦ ①穿 き 畠 、
、
噂 b 龍 § ぎ ミ r ω.H・日8 9 ゆ山﹂ 。。。りω● Hω.
(22 )
働者民主主義論﹂ 大阪市立大学
℃碧 く彦 サ 、
、塑 尋 o搾 α臼
ー 、 レ ー ニ ン﹂ ﹃明 治 大 学 大 学 院 紀 要 ﹄ 第 二 四 集 ・政 治 経 済 学 篇
(23 )
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(24 )
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(26 )
(25 )
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・・忌
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ミ §
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旨 旨 O﹂ 曾 ㎝ が あ る 。
幻島 厨 口住 一山 く .
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O 、O"神馬℃﹁同αq。 Nu 2ゴ
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ン、 シ ・ ルラ ウ 、前 掲 書 、 一三 四⊥
﹃レ ー ニ ン ・ダ ダ ﹄ (ダ ゲ レ
三 五頁 に、 こ の書 簡 の抄 訳が あ る。
ルラ ウ 、前 掲 書 、 二 二 三- 二 二 四頁 、 ブリ ッ ツ ・フ ィ ッシ ャー、 村 瀬 興 雄 監 訳 ﹃世 界 強 国 への道 ﹄ H (岩 波 書 店 、 一九 八三 年 ) 六
ニ⊥ ハ四頁 に ・ ・ の電 文 の抄 訳 が あ る・
も ・ §
.
.︼
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こ れ に つ い て は 、 パ ル ヴ スが S P D に 入 党 し た 直 後 の も の ど し て 、 [勺胃 く湯 ]矯 ,
.一
)δ 日帥σq① ぎ
(82 )
b。ピ ㊤レ 。。O卜。 が あ り 、 ま た 、 戦 争 中 に 著 し た も の と し て 、 ℃貴 く二9
(29 )
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(30 )
刀・卜⇒ω劇・
(13) §
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﹃レ ー ニ ン全 集 ﹄ (大 月 書 店 ) 第 二 三 巻 、 二 七 七 一 二 七 八 頁 。
(23) N§
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⋮幽
(33 )
竃 .聞仁賃 ①一r ≧ ミ き ミ § q蕊§ 、偽、oミミ" (いo昌αoP HO①ω)"唱・嵩 ω鴇 ド ギ ニク ・グ レ ー ス 、 鈴 村 和 成 訳
勺帥﹁<ニロn、﹄ミ 映 犠§ ㌧\ 疑§ "龍
賢 ミ ニ寧
(34 )
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(35 )
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オ 出 版 、 一九 九 〇 年 ) 五 一頁 。
げ
ノ
パ
ゲ ツ ラ ー 、 高 橋 馨 訳 ﹃マ ー ル騒
ト フ と ロ シ ア 革 命 ﹄ (河 出 書 房 新 社 、 一九 七 五 年 ) 二 三 八 頁 、 ﹀ ●閃.ω①昌 " 、
、Z。署 U 。ε 日 ㊦三 ㎝ o昌
同右 、 五〇 二頁 。
﹃レ ー ニ ン全 集 ﹄ 第 三 六 巻 、 五 〇 一頁 。
ピ①巳 昌.
ロ励 OΦでm二 信門① 70目 ωε 詳N①同国 う9 HりH刈.
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蝸 N§鷺 、養自ミO§貸N 物恥ミ 恥ミ O、 ⑦09 貸、 ミ 。。、O、寧 ︿or 目O (Hり刈膳y 冒.卜⊃戯S
(36 )
(37 )
肉塁 ⇔旨 蕊 沁恥§ 、ミ 軌
§
§
防§ 討 ミ ご ぎ職 (≦ 尻8 富 凶P μO謡 ソ , 卜。b。O噛 ア ン ジ ェリ カ ・バ ラ パ ー ノ フ、 久 保 英
﹃わ が 反 逆 の 生 涯 ﹄ (風 媒 社 、 一九 七 〇 年 ) 一四 六 頁 。
↓ミ
竃 ●℃①舘 ω。ジ 句§ 驚 風 ↓ 、ミ § (いo巳 09 Hリヨ ン ℃℃・①刈1①。。噛 ﹃レ ー ニ ン 全 集 ﹄ 第 三 五 巻 、 三 三 六 頁 。
(38 )
(39 )
雄訳
(40 ) ﹀ .国. ω雰 P
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鰯
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(
(41 )
(覗 )
O ・国 警 犀o∼ 内義 ⇔智
N遭 N (ピo昌昌oジ ち 9 )" 薯 ・Oo。1りO。
§ 概二 男, さ OI一〇H・し か し 、 こ の ﹁革 命 化 政 策 ﹂ は 、 こ れ が 首 尾 よ く 運 ん だ 場 合 、 逆 に
.
ド イ ツが ロ シ ア か ら の革 命 の 波 及 の 危 険
にさ ら さ れ ると いう 意 味 で、 "両 刃 の剣 " 的 な 性 格 を も って いた 。宰 相 ペ ー ト マ ン ・ホ ルヴ ェー クは 、 これ に先 手 を 打 つか た ち で 、
二 月 革 命 が 知 ら さ れ る と す ぐ に、 国 内 民 主 化 を 打 ち 出 す 。 そ の焦 点 は 、 三級 選 挙制 の改革 で あ った 。 君 主 主義 体 制 を維 持す る た め
(44) ω。訂 ぎ
(43) ℃①9屋oP o︾ ミ こ 7 ⑦9
、 一三 三 頁 。 .
あ 回 答 は 、 三月 二 四 日付 の レ⊥ ヲ か ら ハネ ッ†
島 -・。命
マン、 シ ャ を フウ 、 前 響
(64) 。。筈 。同
一
潜二 。㌧・ミ ・ 長
・妻
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・ゴ回
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§
ミ島
爵
・§ こ こ
§
。。吻ψ α。。凱
ミ 彗
(N。ユ・げ﹄
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O● ωゲβσ は パ ル ヴ ス の こ
、
§ ・
.
羅
集 ﹄ 第 三 六 巻 、 四 九 五 頁 ) の 裏 に 、 ジ ノ ヴ ィ エ フが ハネ ツ キ : に あ て た も の と し て 、 ︻記 し た も の で あ る 。 き ≧黛ミ § 高 家 § 弐漬き
↓﹄
。
。お ﹄ ㎝。●
にあ て た 電 文 (﹃・ - ・ン全
に、 労 働 者 階 級 を 既 存 体 制 に取 り 込 む 必 要 が あ った のであ る。 こ れ は 、 四月 七 日 の ﹁復 活 祭 勅 令 ﹂ に連 な って ゆ く。 勺o貧ωoP o博
.
亀、
ニ や 刈9 ブリ ッツ .フ ィ ッ シ ャ ー、 前 掲書 、 一五- 一六頁 、富 永 幸 生 ﹁ド イ ツ の敗 戦 ﹂﹃世界 歴 史﹄ 二 四 (岩 波書 店 、 一九 七〇
命
年 ) 四七 ニー 四 七 四頁 。
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(54) ギ
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(47 )
9。● O 二 ω・ H9
(48 )
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ゼ ー マ ン 、 シ ャ ル ラ ウ 、 前 掲 書 、 二 二 五 頁 。 ア メ リ カ の 歴 史 家 シ ュー プ
国 ①ま 歪 ヨ
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・ 9 、こ も﹄ 戯8
﹁素 晴 ら し い
中 年 ● く・ζ 鞍 N号 5 や 、 有 力 な 中 央 党 国 会 議 員 で 、 当
(49 )
ノ
冒 呂頸
パ
の ベ ル リ ン訪 問 に つ い て 、 彼 は 外 務 省 の フ ォ ン ・ マ ル ツ ァ ン 男
時 、 ド イ ツ軍 宣 伝 部 長 だ った エ ル ツ ベ ル ガ ー ζ p洋三 器 同旨 ぴ霞 αQ臼 ら に 、 レ ー ニ ン を ド イ ツ 経 由 で 帰 国 さ せ る と い う
︹ブ リ ッ ツ ・フ ィ
︹現 代 政 治 思 想 研 究 会 訳
﹃レ ー ニ ン の 生 涯 ﹄ (田 園 書 房 、 一九 六 七 年 ) 二 二 一頁 ︺。 こ の 叙 述 を ブ リ ッ ツ ・ フ ィ ッ シ ャ ー も 引 き 継 い で い る
奇 策 ﹂ を 諮 り 、 支 持 を 得 、 こ れ は 宰 相 べ ー ト マ ン ・ホ ル ヴ ェ ー ク も 承 認 す る と こ ろ と な った と し て 'い る
.
.
ッ シ ャ ー 、 前 掲 書 、 六 四 頁 ︺。 し か し シ ャ ル ラ ウ に よ れ ば 、 シ ュ ー プ の こ の 記 述 に は 証 拠 が な ぐ 、 マ ル ツ ァ ン や エ ル ツ ベ ル ガ ー の
[ω島 胃 ﹃ 二噛愚 .亀 、二 喝﹄ 心b。]。
= 塾 写 ①αq. 9. β。. ○ 二 ω・ ㊤や ㊤9
文 書 にも そ れ を示 す も.
のはない
(05 )
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な お、 ロシ ア人 亡命 者 委 員 会
︹﹁ス イ ス 在 住 ロ シ ア 人 亡 命 者 の 帰 国 の た め の 中 央 委 員 会 ﹂︺ は 、 二 月 革 命
§ . ミ ・み ﹄ 心卜。. 勺8 § P 。㌧・ミ ニ ℃.①9 N。塁 P 号 ●ミ ニ 署 ●b。o山 メ 田 三 蓄 σq罵P 9。.O 二 ω・ ①o・
(51 )
ω①昌P 号 ・ミ ニ 喝﹄ 卜。↑
唱●ω◎
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(52 )
(54 )
﹃レ ー ニ ン 全 集 ﹄ 第 三 五 巻 、 三 三 九 頁 。
﹃レ ー ニ ン 全 集 ﹄ 第 四 三 巻 、 八 ○ ○ 頁 。
O・≦δ O価≦師吋斜
シ ュー プ 、 ユ別掲 書 、 二 二 一頁 。
直 後 に 設 立 さ れ 、 ツ ィ ン メ ル ヴ ァ ル ト 運 動 を 支 持 す る お よ そ 五 六 〇 名 の 革 命 家 を 組 織 七 た 機 関 で あ った 。 頃四三 ≦①αq、P P O 二 ω・旨 ・
o特 ● 禽 鴨二
(53 )
(55 )
.
、い①昌ぎ 騨
ω 一〇二﹁ロΦ槻 噂
.
℃ ミ い、
O、棲 ↓O昏昏8 ︿Or oQ顎ドOαoQ噂 娼●ω一鮒
(56 )
が ・ ド イ ・ の資 金 を パ ルヴ ス、 ヶ スキ ・・ を 通 じ て得 た も ので は な いか 、 と の推 測 を 示 し て い ・が ︹ルイ ス ・フ ィ ・シ ・
大 部 な レ ー ニ ン 伝 の 著 者 ル イ ス ・フ ィ ッ シ ャ ; は 、 こ の 二 、 三 千 ク ロ ー ネ と い う 額 は 、 ハ
明三 ﹃①拝 o㌧●ミ ニ 召 ●H刈O﹂ 。
。守 H。
。S
ネ ・†
(57 )
i 、 前 掲 書 、 一五 〇 頁 ︺、 フ ァ ッ ト レ ル は よ り 慎 重 で あ り 、 レ ー ニ ンが 、 パ ル ヴ ス 、 ハネ ッ キ ー 、 コ ズ ロ フ ス キ ー を 通 じ て 、 ド イ
四 月 二 日 、 ベ ル リ ンを 訪 れ た パ ルヴ スは 、 外 務 省 のみ な ら ず 、 S P D の幹 部 と も 講 和 問 題 に つ い て懇 談 す る 機 会 を も ち 、 近 日 中
N①ヨ 曽P o腎.6謙二 噂で。ω㎝一ω㊤噛自 噛﹁oβ
ユ﹁ωoP o辱. 禽 、三 唱.①㊤いωo昌P o㌧● 禽 、三 唱・卜Q卜⊃O・
§ ]。
ハネ ッ キ ー に 関 す る 資 料 か ら 、 ボ リ シ ェヴ ィ キ の 資 金
凶
ツ から 直 接 、 資 金 を 得 て いた と す る こと には
(
58 )
と 提 案 す る。 し か し、 彼 ら は これ を 拒 否 し 、 代 わ って、 パ ルヴ ス に交 渉 の全 権 を 与 え る手 紙 を 託 し た。 かく て パ ルヴ ス は初 め て 、
る。 そ こ で彼 ら に、 ﹁封 印 列 車 ﹂ が 向 か い つ つあ る こと を 告 げ 、 当 地 に彼 ら のう ち 一人 が 留 ま り 、 直 接 、 ロシ ア人 と 交 渉 す べ き だ
に ペ ト ログ ラ ー ド に 向 か う デ ン マ ﹂ ク の 社 会 主 義 者 ボ ル ブ ェ ル ク と 協 議 さ せ る た め 、 四 月 六 日 、 彼 ら を コ ペ ン ハ ー ゲ ン に 同 行 さ せ
(59 )
が ・ 彼 の事 業 利 益 から 来 て いた こと を 確言 す る に と ど め て い る [§ 戚.
ら
﹁躊 躇 ﹂ し て い る 。 そ し て 、
ェ
抄
ボ
と
ス
げ
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パ
S P D代 表 と し て活 動 す る こと にな った 。 ゼ ﹂ マン、 シ ャ ル ラウ 、 前 掲 書 、 二 二五 - 二二 八頁 。
(60) NOヨ餌ξ Oや 禽、
二 唱.心b
⊃
。
(61) こ れ に つい て、 レ ー ニン の言 及 はな いが 、 パ ル ヴ ス は、 ハネ ツ キ ーを 介 した 意 見 のや り と り を 述 懐 し て い る。 ﹁レ ー ニンが 通 過
ヨ
6
1
蹴
)
(
旅 行 の途 上 で、 ス ト ック ホ ル ム にあ ったと き 、 私 はそ こ に いた 。 彼 は個 人 的 接 触 を 拒 んだ 。 私 は彼 に、 共 通 の友 人 ︹ハネ ツ キ ーを
る つも り な の です か。﹄ レー ニン は こう 答 え た。 ﹃私 は外 交 に は携 わり ま せ ん、 私 の なす べき こ と は、 社 会 革 命 的 扇 動 な の です 。﹄
指 す ︺ に よ って 、 こう 言 っても ら った。 ﹃とり わけ 、 平 和 が 必 要 と さ れ て いま す 。 従 って、 講 和 条 件 が 必 要 です 。 あ な た は何 を す
モ ー ガ ン、 菅 原 崇 光 訳
N①39P o㌧. 禽 、二 7 トっ心●
肉 亀§ 暦、 黛ミ 概龍
こ れ に 対 し て 、 私 は こ う 返 答 し た 。 ﹃レ ー ニ ン に こ う 言 っ て 下 さ い 。 1 あ な た は 扇 動 だ け を す る こ と で し ょ う 。 し か し 、 国 家 政
策 が あ な た に と っ て 存 在 し な く な る な ら 、 あ な た は 私 の 手 の 中 の 道 具 と な る こ と で し ょ う 。﹄﹂ ℃碧 く霧 鳩 ﹂§
(62 )
閃碁 器 =り o、. 6論二 7 δ 9 5 00噛ω8 "ρ o㌧●禽 嚇こ ℃.O幽.
ミ ざ魯、腎乳 ひ 唱●0ピ
(63 )
﹃レ ー ニ ン﹄ (番 町 書 房 、 一九 七 七 年 ) 一八 四 頁 。
(64 )
(65) ω8器 噂o㌧.ミ ニ 署 ﹄ 〒 曾 ● こ の電文 は 、切・2一
匹 葺7 ↓ミ 建 言 、 寄 ミ ⇔ (ro己 o量 ご ω。。)'署 ・目 甲 旨 卜。 に再 刻 され て い る。
な お、 フ ァ ット レ ル は こ の電 文 に つ い て、 十 分 な 分 析 を す る た め に は完 全 な 一章 が 必 要 だ と述 べ て い るが 、 そ の信 悪 性 に つ い て
ヴィキ
は 、 ﹁・ ・ソ ・文 書 の ・う 播
ン に対 す る告 発 への反 論 で も 、 ポ ⋮
命
単 に片 付 け る ・と は でき な い﹂ と し て いる 。 ・ ⊥
樺
は こ の 電 文 を 無 視 し て い る 。 岡目胃 9 一
噂o㌧・ 9 馬二 ℃7 一①OIHO卜σ.
(66 ) ゼ : マ ソ 、 シ ャ ル ラ ウ 、 前 掲 書 、 二 三 二 頁 。 ま た 、 シ ャ ル ラ ウ は 博 士 論 文 で 、 パ ル ヴ ス が 外 務 省 を 訪 れ た と き 、 ど ん な 政 策 を 推
篤 し た か は 謎 で あ り 、 七 月 に 起 こ った こ と か ら す れ ば 、 ボ リ シ ェヴ ィ キ に 対 す る 効 果 的 援 助 の 方 法 と 手 段 が 、 議 論 の 一般 的 テ ー マ
昆
$
§ 野
﹁封 印
で あ った と 推 測 さ れ る の み で あ り 、 こ の 政 策 が い か に 実 行 さ れ た か は 、 立 証 は 難 し い と し て い る 。 ω。訂 二9。5 0㌧●ミ 、二 噂・卜。2 ・
(6
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(67 )
イ
ヴ
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シ
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ボ
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§ 馬ら篭 (いO目処o昌層 り①O)℃ 鳴, H﹃Φ∴ ﹃S
﹁レ ー ニ ン は ド イ ツ の エ ー ジ ェ ン ト な り ﹂ と い う セ ン セ ー シ ョ ン が 初 め て ロ シ ア の 新 聞 紙 上 を 賑 わ し た の は 、 レ ー ニ ン が
砺らミ ミ
(69 )
↓蕎馬 6Q§ ミ ミ鳶馬魚 、 亀、竜 ミ
ヴ
ル
パ
﹁汚 い 当 て こ す り ﹂ (レ ー ニ ン ) も あ った 。 臨 時 政 府 は 五 月 に 、 ド イ ツ と ボ リ シ ェヴ ィ キ と の つ な が り の 調 査 を 開 始 す る 。 だ が 、
列 車 ﹂ で 帰 国 し た 際 の こ と で あ る 。 そ の 論 調 は 、 直 接 彼 を 告 発 す る も の で は な か った が 、 中 に は レ ー ニ ンを ド イ ツ の 金 と 結 び 付 け
る
↓ミ
ミ ミ 奇 智 篭ミ
Oミ ミ 篭ミ 馬ミ
﹂ミ ざ
く9 輌目 一 (ω冨 三 〇包 ℃お 8 )" ℃●Hω09
六 月 に 入 り 、 ケ レ ン ス キ ー の ﹁夏 期 攻 勢 ﹂ の 失 敗 に よ り 、 戦 況 が 悪 化 し た こ と か ら 、 七 月 ま で 、 レ ー ニ ン に 対 す る 非 難 ど こ ろ で は
な く な ってし ま う 。
囚Φ噂o昌犀鴇(巴 ・
y
即 ℃●b
σ8 ミ亀田 動民
︾ ・男
(70 )
§ 鮮 こ の 記 事 は 、 レ ー ニ ン ﹁権 力 は ど こ に 、 反 革 命 派 は ど こ に ? ﹂ ﹃レ ー ニ ン 全 集 ﹄ 第 二 五 巻 、 一六 二 一 一六 七 頁 に 一部 、 訳 出
さ れ て いる 。
(71 )
09
(
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13
(72 )
ω梓.↓ '勺8 8 pざ ト§ ミ 、 ↓魯鳴 Oo§ ㌧ミ 覧 竃
軌ミ "●
沁"§ hミ 画§ ミ 黛 (O寓 $ σq9 δ Φ駆y 署 ﹄ 罐 -卜。㎝q・
(73 )
け﹃① 切 o﹃ ゴo︿節 ω
恥8 、審
切﹁o名ユ2 帥p匹 区 臼 ①口囲ざ o㌧・9 、二 ℃唱。同Q
Q刈α一H◎o刈①'
0 00露ヨ ①昌 ω oロ 閃 ヨ ⇔昌9 匹 ωβ弓唱〇二 8
目.
.
噂 ↓ 魯 " ト ミ無 、ミ 智 嚢 誉 讐、ミ ミ
負蕊" 蛸
こ の宣 伝 を 信 じ て 、 兵 士 の 間 に は 、 ボ リ シ ェヴ ィ キ を 殺 す べ し と の 声 が 聞 か れ 、 抹 殺 者 の リ ス ト が 出 回 っ た と い う 。 尊 ミ ニ 唱●
≦﹁
霞
、 o獄 職 自
(74 )
HG
Q①①●
U ロユ 昌σq ぐくo目ζ
o、
(75 )
〇h ピ①昌冒
八九 頁 。
署 。H。。。
。ム 。
。心。
O ・ ス 舞 犀oく℃ 、
.O 雪 目 9昌 閃 oN虫 σqロ O 融 8
.
.O o円§ pp ω=℃で〇二
2 0・ H (δ o◎心)聯 ℃.轟刈一 〇N
勺●≦ ﹁・ 一
)くΦさ
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(76 )
八⊥
︾ ㍉ ミ 諺 ℃ ︿oド 。。卜。 ρ 8 ①ン
ぎ
o㌧. 禽 、二 ℃●悼OO●
(角 川 書 店 、 一九 七 二 年 ) 一四 〇 頁 。
﹃レ ー ニ ン全 集 ﹄ 第 二 五 巻 、 一六 五 頁 。
く噛 。㌧・ 6帖、二 噂. H。。心・
ン全集 ﹄ 第 二 五巻 、 大
(77) ﹃・ 主
.
" Nミ ミ ミミ 帖§ ミ
命
ト ロ ツ キ ー 、 山 西 英 一訳 ﹃ロ シ ア革 命 史 ﹄ ⇔
μリミ
樺
(78 )
こ の 件 に つ い て 、 ト ロ ツ キ ー は ﹁レ ー ニ ン は 、 先 を 見 る す べ を 知 っ て い た ﹂ と 述 べ た 。 ト ロ ツ キ ー 、 前 掲 書 、 一四 二 頁 。
同 右 、 一九 四 - 一九 五 頁 。
ぎ
(79 )
(81 )
同右 、 二 三 七 - 二 三 八頁 。
密
イ
ヴ
エ
(82 )
シ
(83 )
(
80 )
リ
ボ
と
ス
ノ
Hり一団)℃ ω. OQ・
げ
讐ミ" O O' (しd Φユ 凶9
勺9◎﹁︿βロロ矯 さ
ゼ ー マ ン、 シ ャ ル ラ ウ 、 前 掲 書 、 二 三 六 一 二 三 七 、 二 四 一- 二 四 二 頁 。
貸蕊 肉 蝿、鳴ミ防ミ
(85 )
(84 )
軌蕊偽 \F蕊、ミ Oミ
パ
尋、魯職 歴 ω● ら●(
Y QQ目●
6鳶二 〇唱●目0刈一HOco噛 区馨 犀o︿り 葡賦物鴇 貸 NもNN℃ 石弓。HO㊤一= 9 聞oω。。o営ざ
映 画§ 篭
き
勺碧 く¢9
職惹
閃⊆賃①=、o賢
袋ミ
(86 )
㌧ミ
(87 )
.
﹃レ ー ニ ン全 集 ﹄ 第 三 六 巻 、 五 二 二 頁 。
﹃レ ー ニ ン全 集 ﹄ 第 四 三 巻 、 八 一〇 頁 。
区 舞 犀o︿噛O㌧・亀 、二 男・目目O●
﹃レ ー ニ ン 全 集 ﹄ 第 三 六 巻 、 八 ○ 八 頁 。 .
(89 )
(90 )
(88 )
(91 )
,
13
10
(
(96 )
(95 )
(94 )
(93 )
(92 )
導 ミ ニ 男娼・O㎝凸 ①。
N①ヨ ⇔ジ
﹃レ L ニ ン 全 集 ﹄ 第 四 四 巻 、 六 - 八 頁 。
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訳 文 は、 ゼ ー マン、 シ ャ ル ラ ウ、 前 掲 書 、 二 四 三 頁 によ る 。
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断 じ て い る 。 ピ.0りoず昌 騨9 、
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と い う 偽 名 で ド イ ツ 政 府 の た め に 働 き 、 独 自 に ボ リ シ ェヴ ィ キ
ミ こ 戸 卜。c。㊤・ さ ら に 、 パ ル ヴ ス の 商 社 を 通 さ ず 、 直 接 、 ス ト ッ ク ホ ル ム の ド イ ツ 公 使 館 か ら 当 地 の ボ リ シ ェ ヴ ィ
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の 接 触 を 維 持 し て い た 、 ス イ ス の 社 会 主 義 者 カ ー ル ・モ ー ル 国国ユ 竃 oo門 が 、 重 要 な 役 割 を 果 し た 。 尊 ミ こ ℃.卜。09
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レ ー ニ ソと ケ レ ン ス キ ー ﹂ ﹃窓 ﹄ 六 一号 、 一九 八 七 年 六 月 、 二 二 頁 。
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O胃 巨 鳥 器 炉 ↓ 、ミ 幕 8 ℃唱・ミ ω古 謡 . レ ー ニ ン は ﹁封 印 列 車 ﹂ に つ い て 、 亡 命 者 た ち と 討 議 し た 際 、 ﹁ド イ ツ の 資 本 家 が わ れ わ
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れ を ロ シ ア に 輸 送 す る ほ ど 愚 か な ら ば 、 結 局 、ド イ ツ が み ず か ら 墓 穴 を 掘 る こ と に な る の だ 。 そ れ で 結 構 で は な い か 。 私 は 行 く 1 ﹂
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と 語 った と言 わ れ る。 古 本 昭 三
(701 )
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﹁シ ッ ソ ン文 書 ﹂ の英 訳 は 、 国鳥σ
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八三頁。
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一九 五 八 年 ) 三 八 一- 三
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﹃ソ ヴ ェ ト 革 命 と ア メ リ カ ﹄ 1
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ド 、松 本 、村 山 訳 ﹃世 界 を ゆ るが し た古
卜⊃O・H・Hりト。H・ こ の抄 訳 は 、 シ ュ ー プ 、 前 掲 書 、 二 五 五 - 二 五 七 頁 に あ る 。
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ゼ ー マ ン、 シ ャ ルラ ウ、 前 掲 書 、 二 四五 一 二四 六 頁 。
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ゼ ー マ ン、 シ ャ ル ラ ウ 、 前 掲 書 、 二 六 〇 頁 。
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・ こ れ に つ い て は 、 拙 稿 ﹁パ ル ヴ ス の 社 会 主 義
(一九 八 七 年 ) を 参 照 さ れ た い 。
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縁 ﹂ ﹃明 治 大 学 大 学 院 紀 要 ﹄ 第 二 五 集 ・政 治 経 済 学 篇
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1) ゼ ! マン、 シ ャ ル ラ ウ、 前 掲 書 、 二六 ニ ー 二 六 三 頁 。 .
な お 、 こ の 論 文 は 、 勺碧 く二。。"N§ 肉 斜ミ ミ ピ §
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ォ ン ・ベ ル ゲ ン に 書 簡 を 送 り 、 同 封 の ﹁秘 密 メ モ ﹂ で 、 パ ル ヴ ス に つ い て こ う 述 べ て い る 。 ﹁彼 は 今 や 、 ト ロ ツ キ ー は 明 ら か に 、
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同 右 、 二六 八 頁 。
同 右 、 二 六 七 頁 、 ω。げ曽 ﹃ ロ"o︾
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一九 一七 年 = 一月 二 四 日 、 ス ト ッ ク ホ ル ム の ド イ ツ 公 使 館 の 参 事 官 タ ル ト .リ ー ツ ラ ー は 、 ベ ル リ ン の 外 務 省 公 使 デ ィ エ ゴ ・プ
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地 位 を 強 め る た め に 活 動 し て い る 。﹂ Noヨ §
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