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Page 1 京都大学 京都大学学術情報リポジトリ 紅
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「ゲーテのファウスト」研究について
梶野, あきら
ドイツ文學研究 (1968), 16: 25-36
1968-03-23
http://hdl.handle.net/2433/184926
Right
Type
Textversion
Departmental Bulletin Paper
publisher
Kyoto University
﹁ゲ l テ の フ ァウスト﹂ 研究に就て
文
梶
野
あ
き
ら
ラオコオl ン 群 像 を め ぐ っ て
ζと を 肯
(
出
・ ωnyt号。円同町
五
気に入らなければ、毘価し罵倒までする1 lウl ルファウスト以来ずl ッとそれが続いている
ではなかろうが││自分の文芸観、人生観、世界観へ査血しょうとするものが、決して少くない。 自 分 の立場から
ことだけが正しいとはいえないが)更には作品中の言葉まで曲解し、或は無視して││まさか 読 み 落 し ているの
定している乙とからも、ゲーテの日記や書簡、対話の記録などの文献に見られる言葉に頼って、作品を理解する
は原作者の言葉を無視し(それはゲーテ自身も﹁創作された作品が、作者作上に優れたものであり得る﹂
とは勿論否定しないが、特別のものを除いては、むしろその立脚点のずれが論争の底にあって、甚だしいもので
論 駁 し 、 或 は 賛 成 し 、 そ れ に よ っ て 自 己 の 主 張 を 権 威 づ け よ う と し て い る 。 時 代 と 共 に 解 釈 が 変 り 得 るというこ
全 く異 説 紛 々 と し て 止 ま る 所 を 知 ら ず 、 と い う 実 情 で あ る 。 し か も 大 概 の も の は 、 先 輩 た ち か ら の 引 用 を 、 或 は
も の 数 冊 以 外 を 見 渡 し て も 、 そ れ ぞ れ が 色 々 な 観 点 か ら 論 じ て 居 て 、 凡 そ 統 一見解といったものは観られな い。
﹁
ゲi テのファウスト﹂研究書は、十九世紀のものを除いて も、手許に六十冊を超えるものが あ り 、未読了の
序
明
,
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-
HEm-ZEE-∞F52-p 巾包毘はその歴史を洋しく示している)。
あろ=っ。
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ー
川一宇りのことはゲl テ研究だヴに限らないで
ム
学識のあ る愚物﹂が、評論界で 隙引 料稼ぎ の為なら何でもやろうとい う状 ι?
誤解の権利 ﹂などと いう全く ﹁
¥ 昨今の ﹁
と/
/照合して見ると、 自己中心的、利己主義的曲解を﹁人権尊重﹂とこじつけ ろ叫芯ω父映と 見 る 他 は な い 。 ﹂
論
一層良い ﹂というゲl テの
第二部の第二幕の 終と第三 幕との問:::即ちへ l レナの復活の場が欠けた乙と、 第四幕の高山の場の絡などて
全く作 品ファウストは屡々指摘されて来た如く﹁矛盾﹂に満ちている、また間隙も少 くな い (大きい飛躍は、
言葉から出てくることではなかろうか││それだけに一一周心惹かれる、というのが、実は私の結論でもある。
ので、知性に近づけようとしても冗だ﹂﹁文芸は測り知れず、 知性でっかめぬほど、
うべきであろう)l!この綴に色々な見解、解釈、評価があるという乙とは、正に﹁ファウストは測り知れぬも
││乙の 相互作用 、相関関係を把えることは 、むしろ前提条件的なもので 、文学史研究 のぷ峠ら ここにあるとい
屡々誤解に陥る危険を含む。時代社会が個人に強い影響を与え、社会人である個 人は ま た 社 会 に 影 響 を 与 え る
是を読みとるととが、作品を理解する乙との根底である。││(即ち作品外から推論的に限定的 に把え るのは、
日み人知らず、多くの民謡や民話などでコ、作品そのものが語ってくれる。
とはいえない筈であ る ι作者不明、 一
抱えるべきである。作品外の いえ以丘州けが ある時は参考にほなるであろうが、国泌が残っていない作品は理解できぬ
考えるならば、やは り作者の怠図によって作品を解すべきであろう。 それに法、作品の中からこそ作者の意図を
作者の身になって再創作することが、作品理解の出発点であり、それが追体験としての鑑賞の意味である、と
本
しかも全体とし ては一つのまとまった 作品をなし ている。そ れだけに多くの問題を 含 んでいる。
理解しようと﹁努力する者は迷う﹂ようにできている、いや﹁乙の迷いの中で、正しい道を自覚﹂して行かな
ゲればなら ぬこ とを追体験せ ざるを得な いのである 。
作品フ ァウストに 関しては 、ゲ ー テ自身の言葉がかなり 沢山記録され て残 っている 。だ から是を全く度外視す
ζむことは避けなければならない。特に
る必要はないし、少なくとも 作品 の中から汲みとれる所と矛盾しない限り、む しろ裏 づ けとし て
、 傍証 として 用
いて差支えはなかろう。唯、作品外の記 録か ら得る所を作品の中へ押し
モデルの問 題、ゲ l テと親交のあった 人 々が、作中 の人物と煩似する所があったり、或は序でながらのたとえ活
に持ち出さ れた芯録 があると、同ちに作中人物を実在した人物と結びつけたくなる││誤ったリアリズムの立場
をとる人に起りがちのことである。一事件に就ても同様であ る
。 素材と し ては、ど んなに情想的な作品に於ても 、
現実か ら抱えられる 。 (お化け、怪物、魔もの:::実在する動物や人間の川似合体以上のものではない。神像も実
に人聞を摸したもので、(是を 宗教家は 逆立ちさせて、﹁神は己に似せて人聞を造り賜えり﹂というだけのことで
ある。ゾ そとに人閣の創造的想像力の這ましさを見る きであろう。 神も仏も鬼も魔も我々の肉眼で見えない。
へ
、
それを形象化するには、心 の 限 │
│ 惣 像 力│ │で観る所を、肉眼で見えるように、即ち既 に肉眼 で見た もの によ
史めて述べるのは、作品ファウストが全くデーモン(ダイモニオン)
ζに一
って対象を構成する外はない。演劇の場合にも、人物、影、或は口上で、音で、感党を通して、観る者の心象に
訴えるのであ る
。
この様な自明とも思われることをと
二七
で充満してほり、従って余りにも﹁現実﹂離れがしているにも拘らず、舞台での上演を見たととがない我々に、
﹁ゲlテのファウスト﹂研究に就て
れたい)
HFnE(H
円u
ロ 訟 のo
EmN にあげてないものの数冊に限る乙とにする。デーモン
mFOE-仏 門HgMVE
(是らを参照せら
、 F (以下人物ファウス卜の略号)が全く賂に勝つつもりがなかった、という点にある。即ち﹁階は屡々誤解
は
∞
∞
教授のファウスト研究を改新したものとして遺稿として出されたものであるが、その特異な所
乙れは従来の
て句史
NIBg)HOBFBEZF52
(魔性のもの)に関しては、ゲーテ年鑑第十巻に掲載される。本稿は是らの補足の意味もある。
国.吋ハ宮門同R
ロ
Bmwロ
要第 一谷、第 三巻)が、 その後のドイツでのファウスト研究を読んで感 じ、把んだ所を整理して見ょう。但し今は
さて一九五二年に﹁踏の問題﹂五四年に、 ﹁昇天﹂を採り上げ、その頃までの研究を一 応 まとめたハ浪速大学紀
註乙乙まで来るには、筆者には始めて読んだ時から四十年かかった。ゲ lテがこの作品にうちこんだ六十年にはまだ放ばな
AO
、
、,
刀
L,
たとえ不十分でも原文で読むものには、その韻律の含みが感得されるであろう。
いない音楽が聞えて来る。邦訳では原作の拙文のもつ美しさは全く判らない(ここに邦訳の一つの限界がある)。
(ゲーテのはかない希望であった)と歎か ざ る を 得 な い が │ │読者の 心の 耳には作曲されていない、伴奏さ れて
れないのは巡憾であるtll併し 映画化 されずとも)せめて先死したモーツァルトによって 音曲 化されていたなら
来る││現在の映画技術を以てすれば、或程度は具象的に表現できるであろうのに、特に第二部の映画化が観ら
いや観客でなく、却って読者であるだけに、魔もの、魔女、妖鬼どもまでが、実に生々として 心眼の 前に浮んで
¥
1
される。 人聞の高い努力の精神 を 理解 できぬM (以下悪魔メフィストの 略号 )は ﹃留ま れ、実 にすばらしい ﹄ と
Fがい う瞬間を、与えることは決してない、と確信しているのかどうかl Fは賂に 勝て は、相変らぬ苦悩、永遠
の不安に止まるととになる c :::Mはペシ ミ ストである。 :::Fはこの 矛盾の精たる Mをそその かして、 すばら
し い瞬間を与えさせようとする。 Fは賭 に敗けたい と思い、勝つことを恐れている。 い つまでも満 足しな い 乙と
。 :::たとい自己偽摘であっても :::ζ の瞬間は、生命と魂の救済を犠牲にする値打ちがあると
に不安 を感じ る
﹁
文字通りのにけい 味 で是に成功した﹂ 3・広三﹁Fは乙の瞬間にも、永遠に未来 に向 って 努力する
﹂
思われる﹂ 31FZ と考えた 上で、や がて ﹁永遠 にF的な不安か ら免れる為に 、:::賭 に敗れ ようと 思ってい た
のが、 日以後には、
F のままであっ た﹂3 E5 即ち﹁乙の瞬間は硬直させ衰弱さ せる享、必の瞬間 では なく、 創造的未来をつくる実
53 と いう。
りある 愛の 行為の瞬間である故に、 Fは賭 に全 く敗れたのではない ﹂3・
放れることに成功したり、全く敗れたのでなか ったり、混乱していると思われる所があるが、シュトリヒ自身
が八O才近くなって、百才の老人F の心境、即ち老ゲ l テの心境に共 感を感じた故に、いつまでも休止するとと
乙 の賭は、天国の序曲の現わす主とMとの 閣 の 賭 の 対 立 物 で ある:::﹂
併し依然として ﹁
のない無限の辺よりも、休息(怠惰の床でなく)を求めて、むしろ賭に敗れる事を欲した、と理解したかったの
ではなかろうか。
、
。
・20)と、主とMと の賭という事を固守している M の巾出た賭に対して 全能の神がMと同格の位置に 下 が
F のととをお前に委かす﹄と答えるだけで、決して賭け事はしていない。
って 賭をする 筈 はな く、事実、神は ﹃
(
ω
二九
しかもシ ュトリヒはMも神もF の心の中にあると観、 やが てゲ1テ自 身の 心中の悲劇、魂の緊 張 ・分裂をFと
。
Mと に於て表現してい ると観 てい る
ゲiテのファウスト ﹂研究に就て
﹁
要するに︹波大紀法第一在一一一円以に述 へた如く)と
ζか らは、
FU身が'M分と陥けている乙とになるであろう。
(
尚
、 ダンテ の影響を認 めながら、 一九三 八年 の諮演記 録 の如く 、 ファウス トを神曲
亡 き 教 授 を京 め て も 仕 方 が な い が 、 研 究 家 と し て 偉 大 で あ っ た だ け に 、 後 知 へ の 影 響 を 考 え て 、 惜 愛 を こ め な
。
がら抗言するものであ る
。
とは 称ん でいないのは、 改折 、ω記味であ ろう )
序でながら附言すると、書斎の切での賂の条伺についての F の言葉は直川法 で﹁怠仙 の床に楠わる時、::う
まく私を摘すことができるなら・:瞬間に向ってねて・:というなら﹂と語られている。(結論部は桜続法第一式)。
円叫が技続法第二式であったなら、その様な可能性を否定する気持が出たでもあろうが、直説法や訟続法第一式で
はその可能性があるとい う気持 ちであったと考 えら れる、││そ う であれ ば、シュトリヒ のいう﹁賂に 敗れる つ
﹄
-FEZ-υコN 3 2 の一耐輯によるドイツ文学解説の古典の部(
58)中の﹁ファウスト﹂の所、
もり﹂が引わされているといえるかも知れない。併しシュトリヒは円以には触れていない。
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z
z
-
一
宮
市
二
、 c'山
ペーベル
4
その 判徴 的 な 桐 所 で あ る │ │
﹁愚氏ども﹂(︿-S5(に本川のことをいった九に十字架にかけられたり:::)の意味を註釈して、
一
,
ていた)。
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すワ lグ、不ルに就て、 号、E
i
N一ニこにの自然哲学者﹂C7hEz--戸一〆C ﹁ぐロに-}の﹄ が﹁有機化学は有機体を結日間から生
回
一
み出し得る﹂と主践していたことをゲ 1 テが思い評かべたと折摘している。 (従米はパラツ占ルズスだけをあげ
配階級の代表者・挑正者﹂としている 。川以は山川米い んど比過ごされて来た点である。またホムン ク ルスを造り出
先ず、
Jι
。
更にFを自殺から止めたものを、虚無主義に焔る絶対主義理念に対する生の勝利と解している。
(汎神論的 、
或は無神論的、少 くとも反カトリ ック 的異教徒的なF が、天使たちの合唱を聞いて幼時を思い出し、毒杯を棄て
るというのでは、矛盾を感じる所がある。﹀
第 一部 のグ レ lチム ン悲劇に就 ても、人間・男女の社会的平等 に基づかぬ自己中 心的な衝動満足 への努 力が 非
戸
a
z
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Mω
EZロO門口のo
人間的で あり 、(
H
V注者四円}PE勾 も ﹁ 安 息 な しの非人 間﹂と称んで いる)そ れを遂行す
るものは社会の敵となるという認識、として捉えているt│l是の犠牲がグレlチエンを始めとする四人である、
﹁
資本主義的企画 のプ ログラムが是以上
やがてM の﹁戦争か 平和か、どんな状態からでも自分の利益をひき出す努力
ゲ lテのファウスト﹂研究に 見て
﹁
時の社会発展の傾向を先 日比していたと 見るのである。
が賢いのだ ﹂とい う世界の経済的支配、独占資本のやり方、を喝破するに主り、かくして考ゲiテの鋭い限は当
はっきりと示された乙とはない﹂。
従って﹁支配権を得るのだ、 所有権を!一とい う所も見落 さないで、
芸術的に克服しようという要求と、心の中で闘う近代芸術家の典型を代表するもの、という結論に導いている。
認識から生れ、 F (ゲlテ)はとの発展途上で、美と調和への愛が、世の中へはたらきかけ、現代の生活諜題を
終には﹁ファウスト -もギリ シア文芸の外形、 へlレ ナの 衣装をまとっている が、本質上は当代の民族課題の
けない社会的現実が近代芸術家を益々不安に陥入れた、という指摘がなされる。
化への出発と結合して広汎な 大衆収奪 、 そ の貧困化 を生み 出し 、俗物根性の是に対する無関心がある 、と いう情
やがて第二部でF の古代のアルカディアへの憧僚││幻想の背後に、封建的絶対主義の怒意が資本主義的産業
と
(確かに第四幕は封建制度の崩壊測を美事に描き出している。こ乙でのFは 、 名 誉 で な く 事 業 を 志 し て い る
が、まだ個 人主義を脱して刊ない。従って其の事業の内容片品、この解説の如きものと解し得るであろう。一だから
乙そ最期の自己克服、個人 主義脱却の窓義が、 一層深めら れると いえるので はなかろうか ) ﹁第四幕 の終は 一八
一五年から一八三O年 (現代的 には一九一八年)までドイツ にとって 典型 的な、 独裁制、教会、資本主義、 の三
位一体を具象化している﹂と指摘する。
7
ルクシストたちのものであり、ゲ lテのリアリズムが、当時
以下もマルクス主義的見地からの鋭い指摘、解説である。
本在日の引用文献がルカ lチ、アブッシュを始め
(単なる観念を寓喰化したものでないととは、現象
の歴 史的社会的 現実を 鋭く捉 え、未来を展望 し、批判 的に、菰 刺と皮肉 とを含ませ ながら 、戯曲 に象徴化し たと
観ることは、精神史的にも正当に評価せらるべきであろう。
・ 5三山内凶作目門広三回
oSZ235
二
ロ
己 R P2
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の底にある真実を捉えて形象化している為に、浅薄な者には、この真実が却って捉え難い点に、はっきり示され
ている。)
∞8
三、刀022
。
日
明
是は世界と 義的であるが、先ず乙の戯曲を人の心に訴えるものとして捉え、反ヒットラーを主張する所が、異
己といえるであろう。というのも、ナチス時代に﹁暴力主義的なものが総べてF的と喧伝せられ、賞讃され、ま
いや石炭液化者(ノ
有用目的にのみ奉仕するに至ったことに関係づ
た開劾された﹂ 3 3
・ からで、﹁﹃ファウスト、悲劇﹄を単にレーゼドラマ、原動力施興者、
ーベル賞を・つけた切R
m
E
ω が技術の虜になって純科学を棄て、
ける)として観るのはゲl テが生涯の心 の鼓動を戯曲の 言葉に形づくった所を抱えないものであり、 ファウスト
文学者、F的行動者は夫々﹁ファウ スト
﹂ の 一部分を手にしているだけで ある、 ﹂
3・
5 と指摘する 。 それは﹁フ
ァウスト﹂は﹁F の心の悲劇﹂ 3・
き で あ る と とを忘れるからであ る
、 といいたいようである。 ﹁世界の認識と
ω
(
・H H )
世界の中での行動を心の鼓動の中にひき入れることが、 Fの努力して苦労する所である;::﹂やがて ﹁
永遠に女
性的なものの知的体験へ 、永遠に男性的なものの誠実の力によって突き進んで 、聖 母崇拝の博士と して最後の場
面に登場する。﹂
ロゴス
﹃留まれ 、お前は 実 に有用だ ﹄と誤解する
ζとになる。﹂
(
ω
u
﹃我が僕﹄と称
﹁﹃留まれ、お前は実に美しい ﹄という最高の瞬間への呼びかけも、全曲を単に概念的に捉え、或は道徳主義的
に教訓化しようとする者には、
(ω- H
印)が故に。
﹁乙の 戯曲に於ける異教徒 の首領は F でな く、主たる神そのも のである。主神は 異教徒Fを
、
んでいる。 ﹂
ω
(
・︼昂﹃)
﹁福音蓄の﹃太初に 言葉ありき、﹄ を勝手に ﹃業ありき
と誤訳し、かくてグレ lチエンの入った牢獄へ転
﹄
、
り落ちる::・正に始めに非業 (犯罪) l Mの変身であるむく犬の捻り声を聞いて精霊の助けだと感ちがえてであ
るが│
│ そしてFは﹃最期に業あり﹄ となる。﹂
﹁現代の思弁的生活からすっ かり離れ、活動的 になり、実践的 ・現実政治的という標語が巷に溢れて、終には
犯行が続発し、破局から破局へ突進している時代にとって、主神のいう如く﹃たとい暗い衝動に駆られでも、正
ζの上もなく赤裸に立ち向っている。﹂
ボルト
ラク7
3・
53 たとえば(第四幕の高山の場に出てくる)陪一
峰男
しい道を忘れぬ ﹄ かどうかはよく考えてみるべき問題であり、正に﹁ファウスト﹂はドイツの運命の戯曲化とし
て、此の問題に
﹁
ゲ1テのファウスト﹂研究に就て
﹁
ゲlテのファウスト﹂ 研究に就て
のである。
以上の様な﹁ファウスト﹂の解釈が、原典に即して妥当であるか││乙
ω・
ω印 }
(
﹁ファウスト﹂の
ζにゲーテの先見の明があるーーとい
うことは別として、現在ドイツ聯邦共和国にナチスが再興しているという状態に照らしては、
﹃)
1EnyEロm も反革命的立場からである が、。ケ1テの先見を指摘して
品。円 匂何回戸田門l同
現代的意義として首肯できるであろう 。
52YHUBE E-
、
"
から上がるととができれ ば、 ドイツの運命を戯曲化したゲlテのファウス トは其の目標を達する﹂ 3 A
・3 と いう
そこでボ l スの結論とする所は、ノグ lリスを引用しながら﹁世界市民的な最強の個性がドイツの現在の奈落
は﹁これはドイツ的でない、これはヒットラー的、(ナチスの)大管区指導官的だ﹄と解釈する。
四
Fが神に混乱して仕えて
﹁
(前掲)。当時入
・H C2 5 E H
戸 開 ・ ﹁m
F-5Fご
一
C のFbo E︿ 口 三 (トCAC)(
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こ れも 世界主義的立 川切 である)。
出 ・ 国 民O]OHO02yg 司
ω己的門︿巴ωHlHcho)
手していなかったもの││a
いて:::混乱から賭の敗北が生じ :::Mは所謂神との﹃賭﹄に根本的に敗れた﹂と論じていた﹂
ったと思う(前掲浪大紀要 )。リッケ ルトも﹁神のみが悪魔を欺くことができる﹂とか、
の聞の賂﹂という乙とが怪しまれないままであるからである。ウィトコフスキ!の誤解の及ぼした影響は大きか
最後にもう一度﹁賭﹂に就て考えておきたい。というのは以前に是を採り上げたが、上記の如く﹁主神とMと
むω
58)ω・
いる││わ刊目的門ロロハ同名ER∞白]山門(
(︿︿ ・ 閉山
ィ
は何れも﹁主神との賭﹂を述べている。
タ﹃︼吋仰向・︿ ・
固定らよりも重視すべきは
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冊
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内
山
口ω
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σ
第五巻でのボイ トラ lの所説である。
HW
・ 回 刊 己 ぽ 円 ( ﹀ 門 SHHH印
F
︿ Oユ回目州)
﹁悪魔はその犠牲者を堕落させ得るととを賭ける 。 そ ζで神は悪魔に人聞を委ねる:・:その保証は、よき人間
の暗い衝動と神の名づける人聞の秘密な内なる力であり、 更に悪魔 そのもの││永遠の不安として人聞をその最
後の最高の危険﹃無制約の安息﹄から守るもの、としての悪魔ーーである。賭は M にとってのみ賭である。神と
三ど で は ﹁
神との賭が可能で
トナl
同等に対立すると思い、その思い上がりで、この賭では、 M自身、単に手段で、相ρl
棒でないことを聴こうとしな
いのが、 M の倣慢不遜である﹂ 3・
2己と後に断り書き(?)をするが、その前
(
ある限 り、賭が結ぼれる・::天上 の世界での賭に 、地上での 悪魔の契約が相応ω
する ﹂と 述べ てい る
。
是では結局、神と悪魔との聞の賭の成立を認めているのである。 MはFを刺戟する役目を与えられる 。神 にと
って絡の保証は、人閣の無限の努力と其の刺戟役の M、と説明し、 Mを神の賭の相手だと思い上がらせるのが、
神の手であるというわけであろうが││神から賭を云い出してはいない!││此の点ではリッケルトのいう如く
﹁神のみが悪魔を欺 く こと ができる ﹂のか、それとも悪魔の倣慢からか、を論 じるには 及ばぬととであろう。
要するに賭というのは双方が同格の位置に於てやるものであるとすれば、 M の倣慢は却って悪魔らしきである
といえようが、主なる神が其の僕たるMと同格に下 がって賭をすると いうのはお かしなこ とである 。事実神 はM
の賭の申出で﹁何を賭けますか﹂に対して (FとMとの賭の場合の様な手打ちはなされないで)神はMがPを地
﹁ゲlテのファウスト﹂研究に就て
五
ノ、
て、是は賭ではない!
それが、 Fの死んだ時、 Fの霊魂を取 り上げよ うと
しかも (
F伝説などと異り) Mは神に対しては﹁死んだ奴なんか相手に するの は嫌だ﹂
剤﹂として活用すべきである
という事である。。日ロ{印丹色]伺叶}凶作 O 円Hm
を続けよう!
(一九六八・一・九)
でなく、理論を、花咲き実あるものとする、ことを目指して、努力
偉い学者のいう事だからといってそのまま信用してはいけない。常に批判的態度を失わず、それらをも﹁刺戟
他の研究者にも色々な問題を 含んで いる。そこで一つ記しておきたい事は、
Mを﹁矛盾の精﹂と称んだ(︿ち一き如く、 M の本性であり、魔、悪魔である所以であろう。
してすら脆をついていた、とい うM の悪魔らしさということであ ろう。或 はむしろ乙の 桜な前後 の矛盾は、 Fが
盾する が、 (この矛盾 は従来指摘されたことはないようであるが)是がMの本心曝露だとすれば 、序曲で神に対
1 1吏に埋葬の所では、﹁よく硯 直した体 に色眼をつかって児て米た﹂ 2 ・ご手ごと独り言をする 。是は前言に矛
する││是は﹁天 国 でお遇いしたら、私に奉仕して貰いましょう﹂というFとの契約から来ている のであろうが
E) といって、死後の霊魂の乙とは口にしない。
んだ﹂(︿・一
2 2 5 ﹁屍体はどめ
上でのみ誘惑する 事を容 認するだけである。いやむし ろFの道 連 れ になって、刺戟をする役を与え る の であっ
ム
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