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オペラの風景(44)「ファウスト」グノーの大当たりオペラ 本文 ドラクロアの

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オペラの風景(44)「ファウスト」グノーの大当たりオペラ 本文 ドラクロアの
オペラの風景(44)
「ファウスト」グノーの大当たりオペラ
本文
ドラクロアのファウストとメフィスト
「ファウスト」は格別の大当たりで、1863年イギリスの批評家は[「フ
ァウスト」
「ファウスト」
「ファウスト」
・・いつだって「ファウスト」だ。
土曜、水曜、木曜、と「ファウスト」が続いて、今夜火曜も又同じ出し物
“追ってお知らせがあるまで毎夜「ファウスト」”というわけらしい]と、な
げいた記録があります。
同じゲーテの[ファウスト](原作と略す)から作った台本で出来た全く違
ったオペラの話です。ベルリオーズの「ファウストの劫罰」(1846 年)(「劫
罰」と略す)とシャルル・グノーのオペラ「ファウスト」
[1859 年]
(
「オ
ペラ」と略す)とは大変違います。音楽の高度さは前者、当りは後者です。
グノーの台本はバルビエとカレの作で、殆んど「原作」の短縮にすぎませ
ん。アリアに名作が多く、その甘さと若干のインテリジェンスで、オペラ
として成功させたようですが、一方ベルリオーズの作品は才気に溢れた傑
作ですが人気はそれほどありません。
フランス・オペラとしてのエレガンスとバランスを感じさせる「ファウス
ト」のDVDをみたいと常々思っていますが、まだ見る機会に恵まれず、
手元にあるのはイタリア・オペラの大スター、アルフレッド・クラウス[ス
ペイン人]、ニコライ・ギャーロフ(ブルガリア人)、レナータ・スコット
(イタリア人)絶頂期のDVDだけです。他に3種ありますが、まだです。
日本で私がみたのはレニングラード・オペラで、これも不満でした。こん
な経験だけで議論をします。
「本物」は何度みてもいいと読んだことがあ
るのですが。
シャルル・グノーは1818年パリ生まれ。
「ロメオとジュリエット」
「ミ
レイユ」が当ったオペラですが、「ファウスト」は別格です。
「オペラ」第1幕はファウストが書物の知識に疑いをもち、青春をとりも
どすため、悪魔メフィストに魂をうり、引換えに青春を得る経過です。
「原
作」にある前戯、序曲など除かれています。「劫罰」では序曲に相当する
場面が、ハンガリア原野での人人の活気や、田園の魅力の描写があり、
(オ
ペラの風景(43)
)それに馴染めないファウストの孤独を象徴していま
す。第一部ではメフィストフェレス(メフィストと略)への魂の売却は行
われていません。
ここで悪魔メフィストの登場が問題です。
「原作」ではムクイヌが悪魔に
変身しますが、「劫罰」と[オペラ]では突然メフィストが現れます。[原作]
はメフィストはファウストの分身と言えそうですが、[劫罰]と[オペラ]では
独立した人格の持ち主です。伝承「ファウスト物語」はファウスト自身が
悪魔性も兼ね備えていましたから、悪魔の扱いは作品そのものに大きな影
響を与えています。ベルリオーズは劇的伝承「ファウストの劫罰」と名づ
け、ファウストの悪魔性も考慮しているようです。
第2幕は「オペラ」では魂を売った代償で連れてこられたアウエルバッハ
の酒場で、ファウストが煩雑な人間関係に巻き込まれます。普通のオペラ
で使われる手法で、筋の進展の材料が全てだされます。先ず主役マルガレ
ータ(マルグリッド)とその兄ヴァランタン。彼は出征にあたり、妹の後
事をジベールに託す。ジベールは彼女を秘かに愛している。ヴァランタン
は悪魔メフィストと接し、その魔法に翻弄される。ワルツが始まり、ファ
ウストはマルグリッドを見初め、恋に陥るが、軽く振られる。メフィスト
が歌う「黄金の子牛の歌」が有名なアリアである。背景にバレーのシーン
が続くのはフランス・オペラの常道。バレー曲には耳に馴染んでいるのが
多い。ここで、グノーは「原作」を分解し、オペラに馴染む形にしている。
「原作」には《ライプチッヒのアウエルバッハの酒場》で「ねずみの歌」
が紹介される。「穴倉に一匹ねずみがすんでいた。餌は脂肪とバターばか
り、そこでお腹が肥えてくる。ルター博士もそっちのけ。そいつにおさん
が每をもる。ねずみは世間がせまくなる。胸に恋でもあるように。」
この《ねずみの歌》は「オペラ」だけでなく、
「劫罰」でも使われている。
「劫罰」での扱いは面白く、オッフェンバックに影響を与えたのは前回(4
3)で述べた。サラには死んだねずみを弔って歌うのが「アーメン・フー
ガ」
。これは、ベルリオーズのアイデア。
メフィストが歌う「ノミの歌」も原作にあり、両作とも同じ詩を使ってい
る。[劫罰」ではメフィストが歌う。
「むかし、むかし王さまが
大きなノミを飼っていた。 王子のように
可愛がり、一方ならぬ御寵愛。ある日仕立屋を呼びにやる。仕立屋急いで
まかり出る。
「若さまお召しの服作れ。ついでズボンの寸をとれ・・・・・」
酒場の後、二人は立ち去るが「原作」では魔女の庫裏やの章があって、魔
法の薬製造の場面にファウストとメフィストは立ち会う。ファウストが後
刻母親に睡眠につかった薬はここで作られた。[[オペラ]では母親は故人で
関係がないが、「劫罰」では大事な場面である。ベルリオーズは酒場と庫
裏屋という猥雑な場面が続くのを避け、エルベ河畔に移す。メフィストの
アリアもバラののかぐわしい香で憩えと歌い、精霊たちの合唱は眠れ眠れ
と安息をさそい、バレーを展開する。[原作」とは対照的な扱いである。目
が覚めたファウストの耳にするのは戦いに加わる兵士達、猥雑な町に憧れ
る学生たちの叫びである。音楽的な要請であろう。t
第3幕[第3部)でマルガリータがとうじょうする。
「オペラ」では、普
通のオペラとして進み、恋のクライマックスになる。彼女の庭で展開する
が、アリアを並べると、ジベールの「花の歌」
(メフィストの魔法が効い
て、彼の捧げる花が凋むという歌)ファーストの「清らな棲家」
、マルグ
リットの「トーレの王」、及び贈られた宝石をみて喜ぶ「宝石の歌」、と傑
作が並ぶが、事件は日常性の中で進むに過ぎない。マルガリータの隣人マ
ルテが登場、恋人同士の語らいの邪魔になるので、メフィストが誘い出し
誘惑する。彼ら4人が歌う4重奏。ファーストは愛を告白、一旦は振られ、
家に逃げ込まれるが、彼女が窓をあけ思いを打ち明けているとき、ファウ
ストが中に入る。メフィストの高笑いで幕。甘い美しいアリアがこれだけ
並ぶ幕も珍しい。
NHKイタリア・オペラ73「ファウスト」
「劫罰」には「トーレの王」以外優れたアリアはないが、独創的である。
メフィストはファウストをマルガレータの部屋に導く。地中の精と大気の
精がファウストを眠りに誘う。メフィストは暗示してマルガレータへの思
いをファウストの埋め込む。これは精との共同作業で、目が覚めたとき、
彼女はファウストの恋人になっていて、恋心のアリアを歌う。マルガリー
タへの働きかけは、夜睡眠中に行われたらしく夢の中で彼に出会ったと告
白、
「トーレの王」を歌う。
彼女の中庭にメフィストは炎の霊や妖精をあつめ「可愛い妖精たちよ、お
まえらの凶凶しい光でひとりの娘を魅了し、俺達のところにつれてくるん
だ!悪魔の名にかけて、踊るのだ。おまえたち、ちゃんと拍子をとれ、地
獄の楽士たち!さもなきゃ、お前等みんな消しちゃうぞ。」さらには、
「鬼
火のメヌエット」が使われ、幻想的な雰囲気が続く。
(
「鬼火のメヌエット」
は有名だが、こういう場面でこそ生きるのがわかる。)
二人の出会いでは恋い慕っていたのが偶然逢えたような錯覚をいだかす。
ファウストは「愛する天使,その神々しい姿は、君に出会う前から私の心
をてらしていた。ついに君にあえた。・・・・・」と歌う。どうもこの場
面は「原作」より「劫罰」の方が簡素で説得力があります。恋の深さは時
間に比例しない。どうして説得力を持たせるかである。ゲーテは「鬼火の
メヌエット」など使えないから、
「オペラ」のように煩雑な手順を使って
いる。
「散歩」
「隣の女房の家」
「街路」
「庭」「園亭」
「森と祠」
「グレート
ヘンの部屋」
「マルテの家の庭」そして「井戸のほとり」と大変な手間を
かけているし、結果としてあとに残るのは母親に睡眠薬を飲ませ過ぎ、殺
してしまって、二人の間に子供ができたこと。これは「劫罰」の第3部だ
けで十分表現されています。
第4幕(第4部)になると「原作」と[劫罰」とは違った道を歩む。ここで
ゲーテが表現しているものは異次元のようである。第4部16場以降は違
いが明確で、違ったストーリーをベルリオーズは組み立てた。
「劫罰」は
ゲーテの詩に基づくとしながら、
「劇的伝承」としているのは、それ故と
川口義晴氏はデンオンCDの対訳の註で述べており、通常のゲーテの「劇
的物語」とする訳を否定している。確かに「ファウスト」はゲーテだけの
ものではなく、遥かに古い言い伝えだから、伝承、伝説とするのが当然で
あろう。
「劫罰」では「自然への祈り」
「地獄への騎行」「地獄の首都」「エピロー
グ」
[天上]と続き、声より、ベルリオーズの特技である多様なオーケス
トラの色彩が自在に使われ、ファウストの地獄落ちとマルガリータの救済
が表現されている。この途中でファウストとメフィストは彼女の救済を目
的に「魂売買」の契約をする。時すでに遅く、二人は現世になく、悪魔の
自在になる世界に入っていた。
「オペラ」は4部は4幕と5幕に分けています。4幕は「身ごもった彼女
のなやみ」、
「教会で祈る姿への悪魔の揶揄」
、
「帰国した兄とファウストの
決闘と兄の死」。これらはオペラ2幕の後始末的です。ただ、ファウスト
が自分の行為を悔いるのを笑う「メフィストのセレナード」は傑作
。DVDのギャーロフは名演。第5幕は「ワルブルギスの夜」は案内され
てファウストが見物し、楽しむ形をとっている、名曲が歴史上の美女とと
もに登場するという、まことにフランス・オペラ的スペクタクル。マグダ
レータは逮捕の報が伝えられるのを遅らす目的とされている。
「原作」で
の「ワルブルギスの夜」で展開するゲーテの博学狂気と比較すべくもない。
2場は牢獄にいるマルガレータ。ファウストとメフィストがきてもわから
ない。発狂している。最後は三重唱。DVDではスコットの余りもの名演
技名唱、これは最後だけにオペラ全体を名作と思わせかねない。
「裁きが下った」とメフィスト、[救われたのだ]と天の声。
「原作」では「城壁の内側にそうた小路」
「夜」「天主堂」
「ワルブルギス
の夜」「ワルブルギスの夜の夢」「曇りの日」「夜」[牢獄]となっている。
「罰せられたのだ」とメフィスト。
「救われたのだ」と天上よりの声。
「さ
あ、こっちへ早く」とメフィストがファウストに。
メフィストはファウストを連れ出してしまう。二人の冒険が再び始まる。
これは悲劇第二部への幕開けである。
若年と老年のグノー
オペラ「ファウスト」は名作だろうか。評論家ションバークは厳しい評価
をしています。「台本はゲーテの原作を水で薄めた牛乳のような関係にあ
る。音楽はベルリオーズほど高度のものではない。いかにも芝居がかった
悪魔と、天上の合唱という適度な騒音を伴って天国に昇るヒロインが登場
するだけの芝居である。
」ではグノーの何が聴衆を惹きつけたか。ション
バークはいう。[「オラトリオ・死と生][贖罪][聖チェチリア荘厳ミサ曲]
が大うけした。聴衆は宗教の衣をまとった音楽のエロチィシズムに、熱狂
的反応を示した。グノーは「愛の音楽家」と呼ばれるのを望んだのは、理
由のないことではなかった。しかも、その愛は、クリスチャンとしてのも
のではなかった。
「良きカトリック信徒が私を解剖するなら、その中味に
大いに驚くだろう」と、グノーはあるとき、率直な告白を行っている。」
司祭になり損ねた彼はJ.S.バッハを敬愛していましたが、彼の曲でも
っとも有名な「アヴェ・マリア」は御存知のように、
《バッハの平均律ク
ラヴィーア曲集》第1巻第1番の前奏曲を伴奏に用いています。
後世の評価は難しいものです。カミエル・サン=サーンスはこう書いてい
ます。「遠い、遠い将来、苛酷なときの作用によって、グノーのオペラが
図書館のほこりっぽい聖域に永遠にやすらうことになろうとも、
「死と生」
「聖チェチリア荘厳ミサ曲」
「贖罪」は生命力を保つだろう。
」死後の現実
は彼のお世辞の半分も裏書していません。
そうはいっても彼の音楽にみられる優雅、清楚、端正、洗練,真摯の調和
は、彼がいなかったら、ビゼーやマスネ、フォーレ、デユパルク、ドビュ
ッシーが今残されている作品を作れたか、疑問視する史家もいます。
グノー・歌劇『ファウスト』全曲
アルフレード・クラウス、ニコライ・ギャウロフ、ロレンツォ・サッコマ
ーニ、パオロ・マッツォッタ、レナータ・スコット、東京放送合唱団、NHK
交響楽団、指揮:ポール・エチュアン、演出:アントネッロ・マダウディ
アツ
収録:1973 年 9 月 9 日&12 日、東京・NHK ホール(175 分)
ベルリオーズ:劇的伝承「ファウストの劫罰」 Op.24
マリア・ユーイング(ソプラノ)
デーネシュ・グヤーシュ(テノール)
ロバート・ロイド(バリトン)
マンフレード・フォルツ(バス)
クリスティアーネ・エルゼ(ソプラノ)
ケルン放送合唱団、シュトゥットガルト・ジュートフンク合唱団
ハンブルク NDR 合唱団、他
エリアフ・インバル指揮フランクフルト放送交響楽団
録音:1989 年 2 月 フランクフルト、アルテ・オパー
「ゲーテ」(大山定一訳[ファウスト])世界古典文学全集、筑摩書房
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