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修士警文 「日本統治時代中期の台湾の積業 ~品種改良を中心に~ー 要旨

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修士警文 「日本統治時代中期の台湾の積業 ~品種改良を中心に~ー 要旨
修士竈文「日本統治時代中期の台湾の轄業 ∼品種改良を中心に∼』 要冒
教科・領域教育学専攻
社 会 系コース
M0 7 1 6 8 G
池 原 一 磨
1研究の目的
3研究の概要
台湾の糖業は、日本領台後、甲当たりの生産
第1章においては、台湾における台湾事業を
量が飛躍的に増加し、その結果、台湾で最も代
考察してきた。第1節では、日本領台前から日
表的な産業となり最盛期には台湾は世界におけ
本統治時代中期までの台湾糖輸移出量の変化を
る糖業王国の1つとなった。しかし、糖業が台
考察した。台湾糖輸移出量は、領台前と領今後
湾において最も代表的な産業になったにもかか
とを比較すると領今後の方が大幅に増加してい
わらず、深く研究したものは見られない。甘庶
たことが明らかになった。また、台湾糖輸移出
の品種が、台湾の土地や気候に適応しなければ
量が大幅に増加したのは明治39年(1906)であ
生産量は増加しなかったのではないかと考える
るが、その年からローズバンブーが台湾島にお
と、甘庶の品種改良は台湾糖業の発展を見てい
いて多く栽培されるようになり、品種の改良が
く上において、必要不可欠な点であると考えた。
台湾糖業発展における大きな要因であると考え
そのため、本論文では日本領台前に低迷してい
た。
た台湾糖業が、日本領台時にどのように発展し
第2節では、「糖業改良意見書」を基に日本統
たかを、品種改良を中心に明らかにし、台湾の
治時代初期における台湾糖業を考察した。「糖業
糖業発展における品種改良の意義を明らかにし
改良意見書」は新渡戸稲造によって、明治34年
(1901)に台湾総督府に提出された。新渡戸は
たい。
r同意見書」で述べられている台湾糖業の改良
2論文構成
方法において、1番初めに種類の改良を述べてい
序章 研究目的と先行研究
る。新渡戸は、生産性の低い竹庶から生産性の
第I章 台湾における糖業事業
高いハワイ産のラハイナ種を栽培するべきであ
第1節 日本領台前における台湾の糖業
ると述べている。このことから、新渡戸は早く
第2節 「糖業改良意見書」と日本統治時代
から外国産の優良な品種を輸入し栽培するべき
初期における台湾糖業
であると考えていたことが明らかになった。
第2章 品種改良
第2章においては、日本統治時代中期におけ
第1節 甘薦品種の変遷
る台湾糖業を、品種改良を中心に考察してきた。
第2節 ローズパンブーとジャワ細茎種
第1節では、日本統治時代初期から植民地支配
第3節 甘庶品種試験成績
が終わるまでの甘庶品種の変遷を考察した。台
第1項 大目降試験場と各地試験場
湾における甘庶品種は竹庶、ローズパンプー、
第2項 環境と甘庶品種
ジャワ細茎種、ジャワ大茎種の順に変化してい
第3項 地方品種試験成績と実際の甲当た
った。また、台湾独自の品種である台湾実生種
り収量
も育成され栽培されるようになったが、あまり
終章 結論
普及しなかったことが明らかになった。
一350一
第2節では、ローズバンブーとジャワ細茎種
れることはなかったということが明らかになっ
とを比較し、ローズバンブーからジャワ細茎種
た。
へと変化した理由を詳しく考察した。風折茎数
率を比較すると、ローズバンブーはジャワ細茎
4成果と課題
種と比べると風折茎数率が高く、ローズバンブ
台湾における甘庶品種の多くはハワイやジャ
ーは耐風性に乏しいことが明らかになった。甲
ワから輸入した品種である。それらの品種は、
当たり庶茎収量は、気候条件が悪かった年にお
ハワイやジャワにおいて優良な成績を残したた
いても良かった年においても、ローズバンブー
め輸入された。しかし、輸入してすぐに栽培し
の甲当たり庶茎収量はジャワ細茎種の甲当たり
たわけではなかった。長い年月をかけて品種試
庶茎収量より非常に悪いということがわかった。
験が行われ、地域別、気候条件、土壌別に試験
甲当たり再製糖量は、ローズバンブーとジャワ
が行われた。これは、台湾の環境は地域的に違
細茎種とを比較するとジャワ細茎種の方が優良
いがあるからだと予想される。長い年月をかけ
な成績を残しており、ローズパンブーよりジャ
て品種試験を行い、台湾の土地や農業事情を調
ワ細茎種の方が優良な品種であることがわかっ
査した上で台湾に適した甘庶品種を選定してい
た。これらのことが、ローズパンブーからジャ
たということを明らかにすることができた。
ワ細茎種へと品種が変化した理由であると明ら
今後の課題として、次の2つの点が挙げられ
かにできた。
る。まず1点目は、本論文において考察するこ
第3節では、甘蕉品種試験成績として大目降
とのできなかった耐病性についてである。品種
試験場や台湾各地の製糖会社試験場、農事試験
の選定において耐病性も関係していると述べら
場において行われた甘庶品種試験の結果を基に
れているため今後の課題としたい。2点目は、台
優良な品種について考察した。大目降試験場に
湾独自に品種を改良し育成した台湾実生種につ
おける品種試験と各製糖会社における品種試験
いてである。日本統治時代に台湾実生種は100
と比較すると、優良な品種は地域的に差異があ
種ほど育成されたと言われているため、品種の
ることがわかった。次に、地域別の気候条件に
特徴などを考察したいと考えている。以上g2
目を向けて考察した結果、悪条件な年において
点を今後の課題としたい。
のみ優良な成績を残す品種もあれば、平年にお
いてのみ優良な成績を残す品種もあった。一方、
悪条件な年、平年に関係なく優良な成績を残す
品種もあることが明らかになった。続いて、砂
質土と埴質土に分けて比較を行った。土壌は、
砂質土より埴質土の方がよいと言われていたが、
その理由として砂質土は気候条件に左右される
主任指導教官 松田吉郎
が埴質土はされないからだということがわかっ
指導教官 松田吉郎
た。最後に、地方品種試験成績と実際に栽培さ
れた品種とを比較した。各製糖会社は自分の製
糖会社における試験結果だけを見て実際に栽培
する品種を選定していたわけではなく、台湾全
島における試験結果にも目を向けて栽培してお
り、甘庶を栽培する際、1つの試験結果にとらわ
一351一
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