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ヨーロッパ中世の く玉〟『生〉 概念と宗教運動の対話
小 棒 実 は じめに ン トマ ンの著作 にまでさかのぼるが2),欧米で出版 Ⅰ コメ ン ト されたほとんどの著作 は,時代 もしくは地域が限定 Ⅱ 著者 か らの応答 的である3)。確かに池上の著作 もイタリアとフラン 最後 に スの事例 を頻繁 に引用するが,その射程 はイングラ ン ドや ドイツ, さらには東 ヨーロッパやスカンデイ は じめ に ナ ヴイアにまで届 いてい る4)0 2つ 目は, 『 宗教運 2 0 0 7 年 2月,池上俊一 による 『ヨーロッパ中世の 動』 は,多岐にわたる一次史料 と歴史学以外の分野 宗教運動』( 以下 『 宗教運動』と略記)が刊行 された1 ) 。 も含めた二次文献 を吸収 した学野的な性格 ゆえに, 本文のみで6 0 0 頁 を超 えるこの大著 は,池上が これ 西洋中世史学以外の分野 にも開かれた性格 を持つ点 までに発表 したい くつかの論考 に大幅な補筆改訂 を である。 日本のみならず世界で もさまざまな分野に 施 し,全体 として統一ある作品へ と昇華 させた もの おける比較の重要性が説かれているが5),本書 は単 である。前著 『ロマネスク世界論』( 名古屋大学出版 なる地域間比較のみならず,宗教学 ・社会心理学 ・ 会,1 9 9 9 年)は,思考 ・感覚 ・感情 ・霊性 ・想像 と 思想史学 といったさまざまな研究分野間の方法論的 いう 5つの人間の精神活動 を通 じて,1 0 世紀末か ら 比較 とその再考 にも寄与するところが大 きい。 3つ 1 2 世紀前半のロマネスク期の理念型的な構造把接 を 目は,専 門的かつ膨大な情報 を流れるような筆致で 目指 していた。それに対 し 『 宗教運動』 は,民衆の 整理措写 し,読者 を飽 きさせないその叙述力である。 池上の言葉 を用いるな らば,「 畏怖 の対象 一種モノグラフ的な性格 を持つ本書であるが,他方 たるヌーメン ( 聖なるもの) に向かい触発 される心 で知的好奇心の高い一般読者の存在 も想定 している 的機能あるいは精神的感情」(2頁)- だけに,この点は重要である。 霊性- とい う軸で 全体 を支えなが ら,ロマネスク期か らゴシ ック期 を 以上のような一般的特徴 を持つ 『 宗教運動』 は, 経てフランボワイアン期 に至 るまで,つ ま り紀元千 その内容の豊か さと紙幅ゆえに,一個人が十全 に読 年前後か ら1 5 世紀 に至 る時間幅 を考慮 している。 内 み解 くこ とは容易 で はない。そ こで歴史学研 究会 容 もやや抽象度の高かった 『 ロマネスク世界論』 と ヨーロッパ中近世史合同部会 は2 0 0 7 年 9月に,本書 は異 な り,隠修士 ・カタリ派 ・少年十字軍 ・ベギ ン をめ ぐって専 門を異 にす る評者 と著者が櫛 会 ・鞭打 ち苦行団 ・千年王国運動 とい う 6つの具体 を設 けた6)。評者 とは宗教学の鶴 岡賀雄,中世前期 的な民衆的宗教運動 を取 り上げ,中世西洋 における 宗教史の杉崎泰一郎,中世後期宗教史の赤江雄一の 民衆的霊性 とは何であったのか,そ してその霊性が 3人である この場 において,( 宗教)が語 られるコ する場 。 その時々の社会的コンテクス トの中で どのように発 ンテクス トに関心 をもつ鶴 岡は方法論的側面か ら, 現 したのか, という問いに応 えるとい う体裁 をとる。 いずれ も修道院研究 において赦密な成果 を公刊 して さてここで, 『 宗教運動』の もつ歴史学上の意義 を, いる杉崎 と赤江 は主 として実証的側面か ら, 『 宗教 3点のみ述べてお きたい。 1つ 目は,西洋における 運動』 の もつ問題点 と可能性 を明 らか とした。それ 民衆的霊性の全体像 を適時的に提示 した点である。 に対 し,著者池上 も実勢に答 えることにより, きわ この種の研究の出発点は,常 に1 9 3 5 年 に現れたグル めて生産的かつ建設的な学問的対話の場が成立 した。 3 2 歴 史 学 研 究 第8 4 5号 この場で交わされた議論 は,ただ西洋中世 における 遍性 を看取で きる。 そ うだとすれば,現代的意味で 民衆的宗教運動の具体的事実に限定 されるものでは の ( 霊性) と西洋中世の ( 霊性) とに何 らかの通底 な く,歴史概念や叙述作法 といった歴史学一般に還 するものはあるのだろうか。他方で ( 民衆) とい う 元 しうる問題 に収欽 している。 このような一般性 を 概念 も時代 に よって, またそれぞれの宗教運動 に もつ議論 は,ただ 『 宗教運動』の内容理解 に資する よって相当の差異がある。 ここで一括 して ( 民衆) のみな らず歴史学全体 に稗益す るものだ と考 え,本 として扱われる人々の具体像 に対 して,また ( 霊性) 稿 において紹介することとす る。以下では,最初 に と ( 民衆)性 との関係 について,著者 に何 らかの見 3人の評者のコメン トを,その後著者か らの応答 を 解 はあるのだろうか。 要約 し,最後に本稿執筆者 によるまとめを述べたい。 Ⅰ コメン ト ( さ く 物語)について すでに述べた ように,本書 は ( 民衆)の ( 霊性) コメント1/鶴 岡賀雄 を主人公 とした く 物語) と読み解 くことがで きる。 池上の言葉 を用いるならば, 『 宗教運動』の基本的 大 まかな言い方 となるが,その ( 物語)はロマネス 性格 は,「 〔さまざまな宗教運動が〕時代の変遷 とと ク期の ( 福音主義)的,内向的,個人主義的霊性か もに,内的な論理 と外的な条件のギ リギリとした閲 ら, フランボワイアン期のある種,政治的,外向的, ぎ合いの中でいかに転身 してい くのか を見届 け, ま 終末論的霊性へ と移行す る流れ と捉 えることがで き た転身を繰 り返 しなが らも一本の太い霊性の水脈で る。 これはかつて ミルチア ・エ リア-デが,(ヒエロ つながっていることを究明 しようと奮闘努力 した」 ファニー) とい う概念 によって世界宗教史 を描 き出 ( 6 01 頁。 〔 〕内は小棒 による補足。以下同) もので したその作法 を思い起 こさせ る8)。その ように理解 ある。 とするならば,本書 は 「 民衆の霊性」 を主題 した場合,フランボワイアン期の ( 霊性) と,その として,その性格の大 きな変遷 を示す一つの 「 物語」 次に くる時代の ( 霊性) とは, とりわけ宗教改革運 と読み解 くことも可能である。以下では( 霊性),( 氏 動 とい う変動 を経験するとい う観点か ら, どのよう 衆),( 物語) とい う 3つのキーワー ドにかかわる問 に差異化で きるのであろうか。 題系 を整理 してみたい。 さらに一歩踏み込んで,この ような池上の ( 物語) 観の背後 にある価値基準 に注 目するな らば,ロマネ ① ( 霊性) と ( 民衆)について スク期 にもっとも純粋 なかたちで実現 していた ( 福 霊性)が, ヨーロッパ社会全 近年の宗教学 においては 「 宗教 と霊性」の関係が, 音主義)的な民衆的 ( かまびす しく取 り沙汰 されている。 とい うの も,( 塞 体の世俗化の中で,その発現形態 を変化 させなが ら 悼)にせ よ く 宗教)にせ よ,その言葉 を受け止める も,総 じては衰退ない し劣化の過程 をたどった ( 物 主体 によって感懐するイメージが多様であるか らで 請) と読むこともで きる。 しか しなが ら,本書冒頭 ある。た とえば, 日本での ( 霊性)は近世以前か ら の定義に従 えば,池上の考える ( 霊性)は,本質主 仏教書の中で使われる用語であったが,近年ではス 義的なものではな く形式的 もしくは機能的な もので ピリチュアリティの訳語 として用い られている し, あるか ら,それを必ず しも ( 福音主義)的な性質 を 欧米 において も組織 や権威 を連想 させ る ( 宗教) もつ もの と捉 える必要 もない。そ うだ とすれば,劣 r e l i gi o nとい う用語の代わ りに,( 霊性)s pi r i t ua l i t y 化へ と至 る ( 物語)を提示 した本書 とは別の ( 霊性) を用いることもある7 ) 。いずれにせ よそれ らの用語 の歴史 を構想することも可能であろう。 その ような 物語)について,あるいは複数の ( 物語)が は,専一的な意味内容 を保持 しているわけではな く, 別の ( 用い られるコンテクス トによってその意味が流動す 併存するような歴史記述の可能性 について,一定の る。 『 宗教運動』の ( 霊性)は,お もにフランス語圏 見通 しを提示す ることはで きるだろうか。 の民衆史研究に基づいていると考 えられるが,冒頭 に述べたような池 上 の 定 義 は , 時 代 地 域 を超 え た 普 ヨーロッパ中世の ( 霊性)概念 と宗教運動の対話 ( 小樽) 33 コメン ト2/杉崎泰一郎 ここで池上独特のこの定義 を問題 とは しないが ,『 宗 ( ∋初期 中世の位置づけについて 『 宗教運動』では,紀元千年以前のを用いるならば- 教運動』で扱 う隠修士のなかには,ベネディク ト修 池上の言葉 カロリング期の民衆的 ( 霊性) に対す る評価 は,かな り否定的である。「当時の教 道制の枠内にとどまるシャル トルーズ会のようなも のか ら, より急進的なものまで含 まれていることは 指摘 してお きたい。 会の第-の運営方針 は,農村住民 を教会の教 区構造 に填め込み,世俗当局 とも協力 して礼拝 に威厳 を与 ③史料操作 について えることだった」 と概観 したのち, 日曜礼拝の徹底 『 宗教運動』の第 1章 において池上が主 として依 と公開頗罪の実践,修道院の聖遺物礼拝や購罪規定 拠 しているのは,聖人伝 と文学作品である。 これ ら による生活束縛などか ら,俗人の ( 霊性)の発揚 は の史料類型は,同時代の ( 霊性) を読み取 る上で一 「 散発的で制度従属的」であった,と結論す る (9頁)。 定以上のデータを与 えて くれるが,その取 り扱いは しか しなが ら近年の,初期中世宗教研究の成果 によ 慎重 に行 う必要がある。 池上は,この ような史料群 れば9),カロリング期俗人の信仰生活 は決 して停滞 が成立 した際の個別的事情や執筆者の意図が記述内 してはいない。た とえば, この時期 の教会 は墓地 を 容 に反映することを,確かに理解 してはいる。 しか 神聖 な空間 と認定 し,本来のキリス ト教では重視 さ しなが ら,た とえば 『 ブルノ伝』 の記述 は後世の付 れていなかった死者追悼礼拝 を公認 し,司教の墓 を 加であることを明記 した うえで,そこに措かれる隠 伴 う大聖堂 を中心 として教 区内の教会 を巡回する宗 修士の ( 霊性)には終末論的な要素が読み取れるこ 教行列 を行 った り,教会の献堂式 に信徒 を参加 させ とを説明するが,それはブルノが生 きた時代の隠修 て共 に祝福 した りしている。 こうした事例 は,キリ 士の ( 霊性)なのか,それ とも 『 ブルノ伝』が成立 ス ト教本来の典礼 と民衆的祝祭要素 とが交錯するこ した 1世紀以上あ との時代の ( 霊性)なのか判然 と とによって生成 した儀礼慣習であると,考 えられる しない。 ようになった。 また少年十字軍 を論 じた第 3章では, 『 マールバ 以上の研究現状があるに もかかわ らず, 『 宗教運 ハ年代記』 が少年十字軍事件の直後に編纂 されたこ 動』 は,紀元千年前後 に始 まるロマネスク期 を出発 とか ら,そこに記述 された内容 を事実 と理解 してい 点 としている。その背景 には,かつてフランスで盛 る。た しかに少年十字軍 と呼ばれる現象が何 らかの んに議論 された 「 紀元千年変革説」 があるように思 形で起 こったことは確かであろうし,この現象 を「 祭 われるが,この説に関 してはすでにフランスの歴史 り」 とい う文脈で解釈する点には興味 をひかれるが, 学界 で も賛否両論が渦巻 いている10)。それは池上 それだけでこの現象が少年たちの 「自発的な意志」 自身 も了解 しているように見 えるが,それに もかか によるものであ り,教皇 もそれを追認 していた と断 わ らず 「 紀元千年変革説」 に寄 りかかる根拠 は何で ずるのは困難である。 また, このような現象 に雪崩 あるのか。 打 った少年たちの動機の 1つ として,初期十字軍期 に見 られた 「 純粋 な十字軍精神」 を延 らせることを ② 「ロマネスク期」隠修士のあ り方について 池上 は 『 宗教運動』の第 1章で,ロマネスク期の あげているが,その 「 精神」 とは何か,そ してその ような 「 精神」はそ もそ も存在 していたのだろうか。 隠修士 を次の ように定義す る。「 修道院か ら離れて 思い思いに森の中にと入 っていった者たちであ り, ④ ゴシック期 の都市的 ( 霊性)- カタリ派 とベギ 共同生活 を嫌 ったはずが,逆説的にも初期 中世の隠 ン- について 修士や修道士 よりも自由な立場で人 と接触で きるよ 池上が論 じるように, ゴシック期 に都市 を中心に うにな」り,「 修道院に下属 した形態の隠修士が,完 民衆の宗教運動が展開 したことは確かである。 しか 徳の域 に達 した者たちであったのに対 し,反対 に到 しなが ら,本書で論 じるようなかたちでの,農村 と 達不能の完徳 を目指す ( 罪人) 」( 2 2頁)であると。 の対比が著 しい都市が集中 しているのは,イタリア 3 4 歴 史 学 研 究 第8 4 5号 やフラン ドル といった特定地域 に限定 される。 した 鞭打 ち苦行団 といった民衆的宗教運動 を前面 に押 し がって,都市的 ( 霊性)の具体 的発現であるベギ ン 出 している。著者のい う 「日常/非 日常」 とい う対 運動 を説明 した部分で, これをもって 「ヨーロッパ 概念 は,実はむ しろ ( 霊性)が正統信仰内部の実践 各地で半聖半俗 の女性宗教運動 が 自発 的 に発生 し として発現する場合 と,それが正統信仰か ら逸脱 し た」( 28 4頁) と断定で きるか どうかは疑問である。 教皇権 によって異端 と認定 される可能性 をは らんで またカタリ派 を論 じた第 2章は,地域 を超 えたカ いる場合 とに,ある程度対応 している。 つ ま り本書 タリ派の組織が存在 したことを大胆 に推測する一方 が措 く民衆的宗教運動史は,異端史 と一定程度,塞 で,ラング ドック地方に定着 した集団の地域的特性 なっている。 そのように考 えるとすれば,特定のセ を論証 しようとする壮大 な試みである。 池上 はこの ク トを異端 と認定す る ( エ リー ト),つ まり教皇権 に 地域特有の城砦化集落 ( カス トルム)がロマネスク 代表 される教会のメカニズムを無視することはで き 的な柔軟な約定で結 ばれた社会構造 を有 していたこ ないだろう。 と,またそこに接合 した貨幣経済がカタリ派信仰 を 支 えたことを重視 している。 この点はある程度の説 ② フランボワイアン期の ( 霊性)について 得力 をもって読み進めることがで きたが,そ うだ と ①でのコメン トを前提 に,中世後期の ( 霊性)の するな らば,南 フランス特有の地域社会の構造 に視 具体層 について考 えてみたい。第 5章 と第 6章はそ 野 を広 げてみた場合,そこで展開 した独 自の聖俗関 れぞれ 「 鞭打 ち苦行団」 と 「 千年王国運動」 を扱 う 係や司教 ・修道院関係 をミクロに考慮す る必要 も出 が,前者 は俗人一般に注 目し,後者 は 「 選民思想」 て くるだろう。 また,カタリ派は,南 フランスの広 を抱 き異端運動 に身を投 じた人々に注 目している点 い階層か ら支持 を集めていたことか ら,本章で論 じ が異なる。鶴岡 も指摘す るように, この時代の ( 塞 られるのは ( 民衆的)霊性 とい うよりも,領主階層 性)に対する池上の評価 は低 く,それはロマネスク を含めた く 俗人的)霊性 と括 ったほうが適切であろ 期 あるいはゴシック期の ( 霊性) を規範的に考 えて う。 いるところに由来する。 しか しイーモ ン ・ダフイな どの研究 によれば,中世後期 については ( エ リー ト) コメン ト3/赤江雄一 ① 中世後期 における ( エ リー ト)の役割 について すでに杉崎がロマネスク期か らゴシック期 までを の宗教 と ( 民衆)の宗教 の間の溝 は希薄で,聖職者 お よび俗人が多 くを共有 し活気 にあふれた宗教活動 が行われていた とい う,「( 俗化 された)キリス ト教」 対象 としたので,ここではフランボワイアン期 に問 観が近年広 く受 け入れ られつつある11)。具体 的 に 題 を限定 し, とりわけ ( エ リー ト)の役割 について 気がついた点を 3つ指摘 しておこう。 コメン トしてお きたい。池上 は 『 宗教運動』全体 を 通 じて ( エ リー ト) と ( 民衆) を二項対立的に強 く 対照 させ るが,中世後期 になると, この対照構造が ③ 「 聖体の祝 日」 について 最初 に,本書では言及 されなかった 「 聖体 ( キリ 変化す ることを強調 したい。 とりわけ注 目すべ きは, ス トの体 を示すパ ンとブ ドウ酒)の祝 日」 について ( エ リー ト)の代表格 と見 なされている托鉢修道士 指摘 したい。 この祝 日は,ジュ リアナ とい うベ ネ である。1 3 世紀 に出現 した托鉢修道士 は,人里離れ ディク ト会修道女が リエージュ司教 を説得 して,ベ た ところにではな く都市 に修道院を構 え,そこか ら ギ ン発祥の地 と論 じられるリュージュで最初 に認め 清貧の身振 りと説教 を通 じて非常 に数多 くの俗人に られた。 この事実は,ベギンあるいは女性の ( 霊性) 大 きな影響力 を与 えた とい う意味で,それまでの宗 が聖体崇敬 に深 く結びついていた という,本書の正 教的エ リー トの像 を大 きく変えたか らである。 当な指摘 と深 く関係 している。 その後1 31 1 年のヴイ もう一点指摘 してお くべ きは, 日常の信心形態 と エ ンヌ公会議は,この祝 日を正式に認め,同祝 日は 非 日常の信心形態の関係である。 池上 は基本的に後 短期間の うちに中世後期の ヨーロッパ諸都市 におい 者 に注 目し,その具体的な表出である少年十字軍や て大規模 な祝祭の機会 となる。 しか し,同公会議は ヨーロッパ中世の ( 霊性)概念 と宗教運動の対話 ( 小棒) 3 5 ベ ギ ン を歴 史 上 最 も厳 し く断 罪 した の で あ る などのラウダについて包括的な比較が可能であ り, ( 3 1 3 3 1 5 頁)。 このように聖体崇敬 と聖体の祝 日が, そ うした地域的な ( 霊性)の違いが活版印刷以前の 女性 ( 霊性)の統制 と,中世後期 における都市 ( 氏 1 4 世紀半ばの時点である程度明確 に確認で きれば, 衆)一般の宗教文化あるいは ( 霊性) とが交錯する さらなる考察-の扉が開かれるだろう。 重要な問題であった点は指摘 してお きたい12)0 ④ベギン,あるいは女性の ( 霊性)について ( エ リー ト)と ( 民衆)という対照 については前述 Ⅱ 著者からの応答 応答 に入 る前 に,私 ( 池上)が 『 宗教運動』 を著 わそ うとした 2つの背景について述べてお きたい。 した とお りだが,托鉢修道士が俗人のあいだに広め 1つは,近年の歴史学研究はその手法や分析 におい ようとした く 霊性) と,本書第 4章で論 じられたベ て,精教化す ると同時に細分化 している, とい う現 ギ ンの く 霊性) とのあいだには,ある程度の違いを 実 とかかわる。具体的には,いわゆる史料論の隆盛 認めることがで きる。本書では,ベギンの く 霊性) に表れている。 これは1 9世紀の素朴実証主義 とは異 は,1 2 世紀の議論 にさかのぼる 「 霊的結婚 -神秘的 な り,史料の生成過程や歴史社会 におけるその機能 結婚」論 をその中心に もち,女性的に独 自に発展 さ の再現 を図った,現代の衣 をまとった実証主義であ せた ものである, と指摘する ( 3 6 0 頁以降) 01 2 世紀 る15)。 この ような研 究潮流 は大変結構 なことであ の修道院神学 との比較 もさることなが ら,同時代の り,新事実の発掘や史料の持つ可能性の拡大- とつ 托鉢修道士が毎年 1月半ばに,俗人向けの説教のな ながっているが,他方で適時的な歴史のパースペク かで 「 霊的結婚 -神秘的結婚」 をほぼ必ず論 じたこ ティブに対する関心が,急速 に失われているように とはすでに明 らかになっているので, こうした説教 もみえる。 しか しなが ら,発見 された個々の事実に に見 られる教説 とベギン ( あるいは女性神秘家)の 意味 を与 えるのは,何 らかの歴史観 を伴 った適時的 著作 との比較 によって,後者の ( 霊性)の特性 は一 叙述であ り,そこにある程度の図式化や単純化の危 層際立つ可能性がある ( 4頁 3-4行 目を参照)13)。 険性がはらまれていた として も,新 しい歴史像 を描 き出す ことは歴史家の使命であろう。 ⑤ ( 霊性)の地域的差異について もう 1つは, ヨーロッパ とは何か とい う問題であ 本書 には,鞭打 ち苦行団や信心会 などで歌 われた る。 ヨーロッパ文化 は明治維新以来すでに日本の血 ラウダ ( 俗語の宗教叙情詩) を,イタリアの もの と 肉の一部 となってお り, ヨーロッパ を知 ることは日 ドイツの もの とで簡便 なが ら比較す る箇所がある。 本 を知 ることに直接つながる。 しか しそのような自 前者では,受難 に至 るイエスを思 うマ リアへの感情 らの出自と関わ らせた意味づけはいったん措 くとし 移入が促 されるのに対 して,後者では, より強い悔 て も, ヨーロッパ文化はそれ 自体 として魅力的であ 俊 と頗罪 の念が表現 されてい る とい う池上 の解釈 る。 現在の ヨーロッパが抱 える諸要素の多 くは中世 ( 4 4 6 頁以下)は,結論 として述べ るには尚早である が,非常 に興味深い。 とい うのは,1 5 世紀 において に起源 をもってお り,それ らの諸要素がその後 どの 大量 に活版印刷 に付 された説教集の購罪 をめ ぐる教 らの諸要素か ら構成 されているヨーロッパの本質 と 説 を,地域 ごとに比較 した研究のなかで も,似たよ はどのあた りにあるのかを問 うことは,現在 に生 き うな傾向があると示 されているか らである。 すなわ る我 々にとって も意味がある。 ような変化 を経て現在へ と至 ったのか,そ してそれ ち, ドイツでは内面的な痛悔 を強調 した説教集が多 以上が 『 宗教運動』執筆の背景である。杉崎や赤 くの版 を重ね,イタリアではそうした内面性 を突 き 江 による具体的な指摘 は正鵠 を射てお り,今後の私 詰める悔俊 はあま り強調 されなかった。 この ような 自身の研究に資するところ も多い。ここでは 3人が 地域的差異は,1 6 世紀 に信仰の内面性 を強調 した宗 異口同音 に指摘 した,『 宗教運動』がロマネスク期の 教改革が成功 した地域 と, しなかった地域の分布 と ( 民衆)の ( 霊性)を理想化 し,時代が下るにつれて 対応 している14)。 もしイタリア, ドイツ,フランス それが堕落する ( 物語)の体裁 をとっているという 3 6 ' 歴 史 学 研 究 第8 4 5号 点に限定 して,①歴史学 における概念規定,②書か 期 になるにつれてその存在感 を強めたが,托鉢修道 れたテクス トと口承世界,③異 なる く 物語)の可能 士 もまさにその範噂に入 るか もしれない18)0 いずれにせ よここで強調 したいのは,歴史学 にお 性の 3点か ら応 えたい。 いて利用 される概念 は,無時間的な抽象概念ではな く,時代の諸関係の中で位置づけ られる相対的概念 ①歴史学 における概念規定 1つのパースペクティブをもった歴史 を叙述する であるとい うことである。 またその ような歴史概念 に際 して,一貫性 を持たせ るための概念 を用いるこ は,ただ過去の世界 において理解 され史料 に現れる とは不可避である。 『 宗教運動』の場合,その概念が そのままの形ではな く,現代 に生 きる我々にも訴 え ( 霊性)と ( 民衆)であったが,このような中核概念 かける普遍的通用性 を備 えている必要がある。 は常 に普遍性 と特殊性のはざまを綱渡 りしているか の観がある。 私 はこの ( 霊性) を,前著以来 「 物事 ( ∋書かれたテクス トと口承世界 の通常の秩序の外 にある知性化 を拒む もの,畏怖の これはとりわけ杉崎の指摘 に関わる。隠修士 に関 対象たるヌーメン ( 聖なるもの)に向かい触発 され する 『 ブルノ伝』にせ よ少年十字軍にかかわる 『 マー る心的機能」(2頁)とい うように定義 し利用 してい ルバハ年代記』 にせ よ,史料論的な見地か らいえば る16)。( 霊性)は本来,人文科学 である歴史学 には 杉崎の指摘 はもっともである。 とはいえ私が引 き出 な じまない概念だが, この ように機能的に定義する したロマネスク的霊性 も十字軍精神 も,必ず しも史 ことで宗教現象が分析可能になると考 えたか らであ 料が特定する個人や集団のみの特権的体得物ではな る。 しか し鶴岡が鋭 くも 「 機能的に定義 していなが く,彼 らと同時代の異端者や巡礼者 にも内面化 され ら価値判断が入 っている」 と指摘 した ように,私 自 ていた, と考えられる。 したがって,同時代の複数 身- ロマネスク期の霊性 に最 も高 の史料の併用 により,個別の史料が持つ内在的問題 い立場 を与 え,それを絶対基準 としてロマネスク期 は回避 されてゆ くとい う見通 しはある。 ここで もう の前後の時代の ( 霊性) を価値づけ し, 1つの物語 1つ指摘 してお きたいのは,書かれたテクス トの背 を作 って しまったことは否めない。 後 には,口承の世界が広がっていたことである。 つ 無意識的に- 他方で ( 民衆)概念 に対 しては,杉崎か ら ( 民衆) ま り,必ず しもテクス トには記録 されない武勲詩, -( 俗人) とみな して よいのではないか とい う見解 噂,評判,伝説 といった ものが,現実の中世世界 に が提起 されたが,私は必ず しも与 しない。 とい うの は横溢 し,相互 に依存 しなが ら価値体系 を作 り上げ も隠修士やベギンなどが境界例 となるか らである。 ていた。 とりわけ聖人伝や文学作品には, このよう 私な りに考えるところがあ り,『ロマネスク世界論』 な非文字化 情報の一端が見 え隠れ しているように思 「 ( 感情) に自己の生 と われる。 テクス トに書かれた文言だけが ( 霊性)や 活動の価値の源泉お よび真理の根拠 を見出 し,多少 精神 といった時代の雰囲気 を支 えていたわけではな とも無意識的に文化 を創造 してゆ く者」(2頁)と定 いことは,予想 されて もよいのではないだろうか。 以来一貫 して,( 民衆) とは 義 してい る17)。やや奇妙 に聞 こえるか もしれない が, この定義によって,静態的に措かれがちであっ ③異なる く 物語)の可能性 た宗教史にダイナ ミズムを持ち込むことがで きると すでに述べた ように 3人か らは,本書が採用 した 考 えた結果である。 これ と関連 して赤江か ら托鉢修 「 劣化す る霊性」 という物語叙述への批判があった。 道士の存在 をどう扱 うか という提起があったが, こ それでは, この ような批判 を回避するためには, ど れについてはジャン ・クロー ド ・シュミッ トが論 じ の ような物語構築 を選択すればよいだろうか。やや た 「中間的な知識人」 とい う概念の可能性 を示唆 し 迂遠 となるが,まずロマネスク的霊性の存立理由に たい。それはエ リー トと民衆 をつな ぐ役割 を果たす ついて述べ, しかる後 に 2つの可能性 を提示 してみ 存在であ り,シュミッ トはジ ョングルールや礼拝堂 たい。 付司祭 を具体的な事例 としてあげた。彼 らは中世後 『 宗教運動』の基準点 をなす ロマネスク的霊性 は, ヨーロッパ中世の ( 霊性)概念 と宗教運動の対話 ( 小棒) 3 7 単なる霊性史の流れに還元で きる概念 とい うわけで 悼) も捨象す ることな く平行 して叙述で きたならば, はな く,ロマネスク期 とい う特定時代の中で育 まれ つ ま り複線的にい くつ もの く 霊性)の展開を叙述で た歴史概念である。『 ロマネス ク世界論』 ですでに きたならば, より豊かな内容 をもつ ( 霊性)の物語 述べたように,( 霊性)だけではな く思考 ・感覚 ・感 になるだろう。 情 ・想像 とい う 5つの要素が装いを新たに出揃 う集 さらに現代か らの見通 しを述べてお くならば,1 8 合点が紀元千年である。 それゆえ歴史 を構造的に捉 世紀か ら1 9 世紀 にかけてはカ トリックの啓蒙改革や えることを基本的ス タンス とする私は,紀元千年 を フランス革命 を経て,それ以前の時代 に比べれば政 1つの画期 とみな して, 『 宗教運動』で も出発点 とし 教分離や宗教の合理化の度合いが進展 した。そ して て採用 した。そ してこのロマネスク的霊性の発現 に 2 0 世紀 に入 ると, 鶴岡が指摘 した ように,ス ピリチュ は,初期 中世 にはいまだ十分 とは言 えなかった 「キ アルな ものが世情 を席巻するとい う現象 を見 ること リス ト教世界」Ch r i s t i a ni t a sの成立が深 く与 ってい がで きるが,それは歴史学の長期的パースペクティ たことも,あわせて指摘 してお きたい。 以上 を確認 したうえで,可能性の探求 に移 りたい。 ブをもって見れば,宗教 と ( 霊性)の分離の結果 と 位置づけ られるか もしれない。 1つは,私が提示 したロマネスク期の霊性概念が通 最 後 に 用 した時代 を明示 し,その前後の時代 に関 しては, 一定程度はロマネスク的霊性 との共通性 をもちなが 以上, 3人の評者 によるコメン トと,著者 による らも,その内容構成 を入れ替 えた概念 を作 り直 し, 応答 を整理 して きた。 もう一度全体 の流 れ を振 り 適用することである。た とえば杉崎が指摘 した死者 返 ってお こう。 記念追悼 などといった信心行為 は,初期 中世の霊性 鶴岡は,『 宗教運動』で中心的役割 を果たす ( 霊性) 史を考える上で確かに中心的な役割 を果たすが,そ と ( 民衆)概念 に注 目し,ロマネスク期の ( 民衆) れはロマネスク期 とは明 らかに色合いが異 なる,す が持ち合 わせていた く 霊性)が,時代 を経 るにつれ ぐれてゲルマ ン的な性格 をもつ 他方で中世後期か て次第に劣化するとい う本書の物語性 を指摘 した。 ら近世 にかけては,王権の聖性化や宗教組織や思想 杉崎はロマネスク期以前の時代の位置づけ,隠修士 。 の政治化 といった聖 と俗の反転,農村部 における再 の具体像,史料操作, ゴシ ック期の ( 霊性)の地蟻 異教化,視覚の鋭敏化,( 霊性)の家庭内化 といった 性 にまつわる問題 を明確 に した。赤江 はフランボワ ような,それ以前の時代 にはそれほど顕在化 してい イアン期 に入 ると ( エ リー ト) と ( 民衆) とい う対 なかった事例 にぶつかる。 これは明 らかに時代の色 概念の関係が変化することを指摘 した上で,これ ら 調が変わったことを示す徴候であろう。 この ような 2つの概念の境界が暖昧 となることにより出来 した, 歴史現象 に即応 した く 霊性)概念 を再構築すること 3つの具体的な事例 ( 「 聖体の祝 日」,女性の ( 霊性), で,ロマネスク的霊性の劣化 とい う物語 とは,別の ( 霊性)の地域的差異) を提示 した。 物語 を措 くことがで きるか もしれない。 以上のコメン トに対 し池上 は,通時的叙述の必要 さて もう1つの可能性 は,歴史の複線化である。 性 とヨーロッパ文化の本質 を知 ることの魅力 という いま述べたように,仮 に歴史概念 として ( 霊性) を 『 宗教運動』執筆の前提 を開陳 した上で,各人の質問 時代 ごとに構築することに成功 した場合,初期 中世 に答 えた。そのエ ッセンスは 3つにまとめ られる。 的霊性 とロマネスク的霊性,ロマネスク的霊性 と後 1つ 目は,歴史学 において採用 される概念は時代の 期 中世的霊性 との間にはかな りのズ レが想定 される。 諸関係の中で位置づけられる相対的な歴史概念であ しか しなが ら,ロマネスク期 において も初期 中世的 ること。 2つ 目は,ロマネスク的霊性 は時代全体 に 霊性 は必ず しも完全 に駆逐 されることはな く,その 充溢 してお り,その痕跡は歴史学で通常利用 される い くらかは残余 してお り,また場所 によってはロマ 書かれたテクス トだけではな く,口承世界 にも組み ネスク的霊性 よりもはるかに強烈 に発現 していた。 込 まれていること。 3つ 目は, コメンテーターが異 この ように,伏流 として後世 に伝 わる前時代の ( 塞 口同音 に指摘 した, 『 宗教運動』にみえるロマネスク 38 歴 史 学 研 究 第8 4 5号 的霊性 が劣化 す る過程 と しての ( 物語 )は,別 の ( 物 請) で置 き換 える こ とも可 能 で あ る とい うこ と,で あ る。具体 的 には, ロマ ネス ク期 の前 後 は ロマ ネス ク霊性 とは異 な る構 成要素 を もつ霊性概念 を適用 す ,Gr und f o r me nde rFr ∂ mmi gk e i t のは,A.Ange ne ndt ,Mt i nc he n:01 de nbo ur g2 0 03 . i mMi t t e l al t e r 3) 地域限定的であるが,日本においても重厚なく 霊性) 研究が近年出版されつつある。たとえば,国府田武『 ベ ギン運動 とブラバ ントの霊性』( 創文社,2 0 01 年)など。 る こ と, も し くは初期 中世 的霊性 , ロマ ネス ク的霊 なお中世英文学の二村宏江 『 中世の心象- そj tぞれ 性 ゴシ ック的霊性 とい った各 時代 に特徴 的 な ( 塞 の 「 受難」- 』 ( 南雲堂,2 003 年)ならびに近世 ドイ 性 ) を並 置 し,それぞれの消長 を同時 に記 述 す る と ツ史の森涼子 『 敬慶者たちと (自意識)の覚醒- 近世 い う歴 史 の複線化 を試 み る こ とで あ る 。 ( 物 語 )つ ま り適 時 的 な歴 史叙 述 は歴 史家 の使 命 で あ る。 そ して通史 はただ事 実 を羅列 す れ ば よい と い うわ けで はな く, あ る概 念 それ も池上 の言 うよ ドイツ宗教運動のミクロ ・ヒス トリア- 』 ( 現代書館, 2 0 06 年)が, 『 宗教運動』と関心の重なる宗教心性や宗 教運動を扱っている。 4) 池上の関心 と重なる代表的な研究者は,イタリア のラウール ・マンセッリとフランスのアンドレ ・ヴオ うに歴 史概念 に よって諸事 実 を纏 め上 げなけれ ばな i ,Lar e l i gi o n♪o Pul ai r eau シ ェで あ る。氏.Ma ns e l l らない。本書 においてその役 割 を果 た したのが ( 塞 性) と ( 民衆) とい う 2つ の概念 で あ った。 ここで , mo ye na ge :Pr o b l e t me s de me ' t ho de e td' hi s t o i r e Mo nt r 色 a l :I ns t i t ut d' e t ude s m色 di e va l e s Al be r t 1 e - さ らに間 わね ばな らないの は, この ような歴 史概 念 Gr nd1 a 9 7 5( 大橋善之訳 『 西欧中世の民衆信仰- 神 の生 成過程 であ る。確 実 に言 えるの は,歴 史概念 と は,超歴 史 的 な抽象世界 にで はな く,歴 史諸 資料 か ら再構 成 された 1つ 1つ の具体 的 な歴 史事象 に依存 Va uc he z , 秘の感受 と異端- 』八坂書房,2 0 0 2年);A. Las Pi r i t ual i t e 'dumo ye nd ueo c c i de nt alVI J I e Xl I e r i s :PUF1 97 5.日本 における中世霊性研究 s i d c l e .Pa の中心は上智大学の中世思想研究所であり,その所員 してい る とい うこ とで あ る。 つ まる ところ,杉 崎 や らがかかわった刊行物がその成果である。民衆的霊性 赤江 の事 例 に対 す る逐 次 的 な指摘 もまた,歴 史叙 述 に限定はしていないが,信頼すべ き文献 として,J・ル の作 法 とい うメ タ レベ ルの問題 を衝 い た鶴 岡の指摘 と直接 つ なが るのであ る。 そ うだ とす るな らば,磨 史概念 とは,史料 の開拓 や読 み直 しに よ り新 しい事 実 が発見 され,解釈 され,再定 義 され るにつ れ,変 化 す る もの となるだ ろ う。概念 が事 象 を発 見す るの 上智大学中世思 クレール/ F・ヴァンダンプルーク ( 想研究所編,岩村清太ほか訳)『 中世の霊性』 ( 平凡社, 神崎忠昭 ・ 央内義顕訳)『 修 1 99 7 年)とJ・ルクレール ( 道院文化入門- 学問-の愛 と神-の希求- 』 ( 知泉 書館,2 00 4年)をあげておきたい。 5) 地域間の比較史は常 にブロックの基本書 に立ち戻 で はな く,事 象 が概念 を鍛 造 す るので あ る。 批 判 は る。マルク ・ブロック ( 高橋清徳訳)『 比較史の方法』 あ った にせ よ,『 宗教運動』で用 い られ た ( 霊性 ) と ( 創文社,1 9 75 年)。近年 ヨーロッパ中世の分野で国家 ( 民衆 )とい うキー概 念 は,池上 が 自身の研 究 フ ィー 間 ・地域間の比較史プロジェク トを積極的に進めてい ル ドの事象 と長年 向 き合 った結 果生 み 出 した歴 史概 るのは,1 9 9 8年に 「中世 ヨーロッパ比較史研究所」を ベルリン・ フンボル ト大学に設立 した,ミヒヤエル ・ボ 念 であ り,その独 自の概 念 を用 い たか らこそ,独 創 的な 『 宗教 運動』 とい う作 品へ と結 実 したので あ る。 もちろん今後調査 が進 め ば定義 そ の もの も変 わ って se ur o Pd ル ゴルテであ る。M.Bo r go l t e( hr s g. ),Do , i s c heMi t t e l al t e ri mS Pannun gs b o ge nde sVe r gl e i c hs Be r l i n:Aka de mi eVe r l a g2 0 01 . くるか もしj tない。本合評会 の意義 は, この ように 6) 本稿は,2 00 7 年 9月2 2日 ( 土)午後 2時より,早稲 新 しい歴 史叙述 を創 り出す こ とを可 能 とす る歴 史概 田大学文学部3 9 号館第 5会議室において開催 された, 念 の もつ役 割 を,『 宗教 運動』とい う具体 的 な素材 を 通 じて確 認 した こ とで あ る。 1) 池上俊一 『ヨーロッパ中世の宗教運動』 ( 名古屋大 学出版会,2 0 0 7 年) 。 2) H. Gr u ndma nn, Re l i gi O ' s eBe u ) e gt mge ni mMi t t e l al ,Be r l i n: E.Ebe r i ng1 9 3 5 .なお,主 として ドイツ語 t e r 圏における近年の中世宗教運動の研究動向を紹介 した 歴史学研究会 ヨーロッパ中近世史合同部会 9月例会に おける合評会での討論 を出発点 としている。 しか しな が ら,当日の発表原稿にくわえ,会場ならびにその後 の意見交換で得 られた知見 も加味 し,抜本的に改訂 し ている。なお文体等の統一を図るために,発表者の同 意のもとに小津が代表 して執筆 した。 7) 宗教学における ( 宗教)概念の再考に関しては,さ しあた り 「 特集 近代 日本 と宗教学- 学知 をめ ぐる ヨーロッパ中世の ( 霊性)概念 と宗教運動の対話 ( 小棒) 3 9 ナラ トロジー- 」 『 季刊 日本思想史』7 2号 ( ぺ りかん 社 ,2 0 0 8 年)と島薗進 ・鶴 岡賀雄編 『 ( 宗教)再考』( ぺ 0 0 4 年) を参照。 りかん社 ,2 ≪ mut a t i o nf e o da le ≫ :6 t a t de l aq ue s t i o n. "i n:P. Ur ba nc z yk ( e d. ) , Eu r o pea r o un dt heYe a r1000, Wa r s z a wa2 0 0 1 , pp.1 ト4 0 . 8) ェ リア-デの宗教観 に関 して,佐藤慎太郎 「エ リ f y,TheSt nj ) Pi n go ft heAl t a r s :Tr a di t i o n a l l l ) E.Duf ア-デ宗教学 とその学問的営為- 聖 なる ものの探求 e tt e r r ede smo r t sda m sl ' Oc c i de ntme ' di e ' v a l ,Pa r i s : Re l i gi o ni n En gl a nd 14001580 ,Ne w Ha ve n/ : RN. Swa ns o n,Re l i gi o na nd Lo ndo n:Ya l eUP 1 9 9 2 De v o t i o n i n Eur o pe ,C .1 215C . 1515, Ca mbr i dge : Ca mbr i dgeUP1 9 9 5 , pp.1 8 4 -1 8 8 , e t c . r pu sChr i s t i :TheEuc ha r i s ti nLa t e 1 2) M.Rubi n,Co Me di e u a lCul t u r e ,Ca mbr i dge : Ca mbr i dgeUP1 9 91 . di e v a lMa r r i a geSe r mo n s :Ma s s 1 3 ) D.d' Avr a y,Me Co mmuni c a t i o ni naCul t ur eu ) i t ho utPr i nt ,Oxf or d: Oxf o r dUP2 0 0 1 . t ,Lama i s o nDi e u:une Ga ll i ma r d2 0 0 5 ;D.I o g na Pr a ye r ,Pe ni t e nc e , Pr e a c hi n ga nd t he 1 4) A.T.Tha hi s t o i r emo nume nt a l ede l ' Egl i s ea u Mo ye n Age , Pa r i s :Se ui 12 0 0 6 ;M.So te tc o l a b. ,Le sge s t e sde s e ' v e ^ q ue sd' Au x e r r e ,2t o m,Pa r i s ・ .Le sBe l l e sLe t t r e s Mi s ee ns ce ne e tm e mo ie sdel a 2 0 0 6 0 7 ;D.Me hu," Co mi n go ft heRe f o r mat i o n ,Al de r s ho t : As hga t e2 0 0 2 . 1 5 ) 日本 における西洋中世の史料論 に関 して,岡崎敦 l is g eda msl ' Oc c i dentme di e va l , " c o ns e c r a t i o ndel '6 Bul l et i nduCe nt r ed' e ' t ude sme ' di e ' v al e sd' Au x e r r e1 0 1 6) なお 『ロマネスク世界論』2 3 頁で も,全 く同 じ定義 宗教研究』7 9 巻 3号 ( 2 0 0 5 年),7 3 9 4 と西洋近代- 」『 頁 ;鶴岡賀雄 「 エ リア-デ ・レリギオースス- あるい は永劫回帰の宗教史- 」島薗進 ・鶴 岡賀雄編 『 ( 宗教) 再考』( ぺ りかん社 ,2 0 0 4年),1 1 2 -1 3 9頁 ; 奥 山倫明 『 ェ 刀水 リア-デ宗教学の展開- 比較 ・歴史 ・解釈- 』( 書房 ,2 0 0 0 年)。 9) M.La uwe r s , Na i s s a nc educ i me t i e t r e .Li e u xs a c r e ' s r ( 2 0 0 6 ) ,pp.1 7 5 -1 8 8 . 1 0) 「紀元千年変革説」 に関する現地の研究蓄積 はおび ただ しい。同説は日本で もよく知 られた議論ではある が,同時代のイベ リア半島史 を専攻する足立孝や村上 司樹 を除いては, 日本では本格的な研究は着手 されて いない ように思われる。現地のヒス トリオグラフイの .La ur a ns o nRo s a z ," Lede ba ts url a 整 理 と して,Ch 「 西洋中世史料論 と日本学会 今 なにが問題か」 『 西洋 史学』2 2 3 号 ( 2 0 0 7 年),4 3 5 6 頁。 をすでに採用 している。 1 7 ) 『ロマネスク世界論』41 0頁。 1 8 ) シュミッ トのエ リー ト/民衆論 に関 しては,上Cl . , " Sc hmi t t ," r e l i gi o n po pul a i r ee tc ul t ur ef o l kl o r i q ue Ann al e sE.S.C.( 1 9 7 6 ),pp. 3 2 8 ・ , i d. , ' ' Cl e r c se tl a i c s . " f& J . C1 .Sc hmi t t( e d. ),Di c t i o nn a i r e n:J i .LeGo l r a i s o nne 'del ' Oc c i de ntme ' di e ' v al ,Pa r i s :Fa ya r d1 9 9 9 , pp. 21 4 2 2 9 . 【 歴史学研究 増刊号 大会報告集】 2 0 0 1 年度 民衆の生 きた2 0 世紀 2 0 0 5 年度 2 0 0 2 年度 2 0 0 6 年度 いま,歴史研究に何ができるか グローバル資本主義 と歴史認識 2 0 0 3 年度 公共性再考 2 0 0 4 年度 イスラームとアメリカ 2 0 0 7 年度 寄進の比較史 税込) ≫ グローバル権力 としての「 帝国」 《各2350円 ( ▲以上在庫僅少あ ります。 ご注文 お問い合わせは当会事務局 または青木書店 まで。 A 例月号 も1 9 5 4 年以降のバ ックナンバーあ ります。詳細 は当会事務局 までお問い合 わせ下 さい。 40 歴 史 学 研 究 第8 4 5号