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Weissの制御一克服理論ニ能動反転テスト

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Weissの制御一克服理論ニ能動反転テスト
61
we
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s
sの制御 一
克服理論 :能動反転 テス ト
高
森
浮
-
〔
要 旨〕 本論ではWe
i
s
s
,∫.の提唱 した制御一
克服理論における基本仮説 と主要概念
を紹介し,臨床実践に即 して検討 した。We
i
s
sによれば,精神病理の源泉は幼児期に体
験 した現実の対人関係から無意識に推定された病因的確信にあ り,治療 とはその確信を
クライエ ントが能動的に検証 し反証する過程である。そのためにクライエントは,治療
関係において安全感の範囲内で治療者をテス トする,という。治療者がときに遭遇する
侮蔑的で非難がましいクライエ ントの態度は,そうしたテス ト,とくに能動反転テス ト
の点から了解できること,さらにその際,有効な治療的態度が制御一
克服理論から具体
的に示唆されることを論 じた。
〔
キーワー ド〕 制御一
克服理論,病因的確信,無意識的計画,能動反転テス ト
1.は
じ め に
つ ぎの ような事例 は, どの ように考 えられ るだろ うか。
あ る女性患者 は,子 ども時代 に,編 され,剥奪 され,非難 された と感 じる家庭環境 で育
った。彼女 の母親は腹が立 っている ときには,誕生 日のプ レゼ ン トを くれなか った。そ し
て,た とえば遊 びに連れて行 くとか, ダンスの レッス ン料 を出 してあげる とかいった約束
を反故 にす ることもあった。患者が理不尽 な扱 い に不満 を言 った り抗議 した りすれば,母
親 は傷ついたように,あるいは腹立た しげに振舞い,そのせいで患者は罪悪感 を抱 いた。
母親 は,患者が ひ ど く要求が ま しくて,不足 を満 たそ うと自分 か ら 「
搾 り取 ってい る」
(
bl
eed) とこぼ した。患者 は 自分 には価値 が ない と感 じなが ら大 き くなった。成人 して
彼女 は相互的な関係 を楽 しめず,仕事 ではなかなか昇進で きず, またつねに借金 を抱 えて
いた。
治療 において,料金の支払いが滞 り始めた。最初の うちは支払いが遅 れる理 由について,
もっ ともらしい弁解があった。 しか しそれか ら,患者 は, 自分 は実際の ところお金 を払 う
に値す るような良い治療 など受 けていない と不平 を訴 えた。 また治療者の課金 システムは
間違 っていて,同意 しがたい ともつけ加 えた。欠席 した面接 に支払 い を求め るなんてい う
のは笑止 だわ と述べ , 1回分 の面接料金 を支払 うの を拒 否 した。 なぜ な ら治療者の コメ ン
トは 「
何 の価値 もない」か らだ とい う。患者 は,治療者が身勝手で,無価値 で,金銭への
Fo
r
e
man,
執着 が強 く,彼 女 の感情 的 な欲 求 と経 済 的困窮 に共感 的 で ない と毒 づ い た (
1
996,p.
111 )。
ある程度 ,経験 を積 んだ臨床家 な らば, これ程 はなはだ しくはないにせ よ,類似 した臨床体
験 を想起 で きるだろ う。 た とえば クライエ ン トが,治療者の対応が共感的でない,下手 な介入
のせ いで よけいに気分が落 ち込 む,治療者の性格 に問題があるな どとひっ きりな しに治療者 を
非難す る,あるいは身体的な欠陥 をあげつ らうといった場合 である。治療者 はまず不愉快 にな
62
天 理 大 学 学 報
り,ついで立腹 した り反省 した り,そ して畢寛,劣等感や無能感 に打 ちひ しがれそ うになる。
この ような場合, クライエ ン トか らの投影同一化 を想定 し,治療者の内的体験 をクライエ ン
トか らのコミュニケーシ ョンとい う視点か ら理解 しようとす るのが一般か もしれない。 またそ
うした理解は一定,有用で もある。
i
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,J.の提 唱す る c
o
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0
1
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he
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y, と
しか しなが ら,上記 の ような局面 は,We
o
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mas
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r
y
くに能動反転 テス トとい う観点か ら, より良 く理解 しうるように思 われ る。c
t
he
o
町 は病因,治療展 開,治療的介入,治療の成果 とい う一連の事象 を統括 して説明す る理
論であ り,こうした現象 を理解するのみならず,その際の介入 を考えるに与 って力あると思わ
れる。
c
o
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1
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he
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r
yは,本邦ではほとんど知 られていないため, まずその概要 を全体 に
o
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1
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yか ら
わたって論述す るOそ して最後 に,本章で提起 した治療状況 を c
o
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0
1
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he
o
r
yをさ しあた り制御-克服理論 と訳 してお く0
考察 してみたい0本論では c
2.制御-克服 理 論 の基本仮 説
制御 克服理論 (
c
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y:
CMT)は,Jo
s
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ph We
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s
s(
1
9
2
4
12
0
0
4) によっ
9
6
0年代 か ら,当初 は精神分析的な自我心理学 を基盤 として,その定式化が開始 さ
て,お よそ1
9
5
2年 に書かれた 1頁だけの論文 "
cr
y
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nga
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heHappyEndi
ng"
れたo Lか しその端緒は,1
(
「
ハ ッピー ・エ ン ドで泣けること」) にある。そこでの問題設定 は,映画 を鑑賞す る人は,主
人公が辛酸 に耐 える悲 しい場面では涙 を流 さず,最後に困難が克服 され主人公 に安寧が訪れた
場面 になって泣 き始めるのはなぜか とい うことであった。We
i
s
sによれば,悲痛な場面では悲
しみに庄倒 される虞があるので,鑑賞者はその感情 を抑圧する。そ してハ ッピー ・エ ン ドとな
り安心で きる状況が整 っては じめて,抑圧 されていた悲痛 な感情 を解放 しうる。すなわち鑑賞
者は無意識 において,悲 しい感情 を体験 して も安全だと判断 したうえで防衛 を撤去 しようと汰
定 しているに違いない。
We
i
s
sは精神分析家だったが ,Fr
e
udの心理療法モデルか らはクライエ ン トの治癒 を十分 に
説明 しえない場合 も少 な くない と考 え,治療過程 をよりよく把握するために面接の具体 を詳細
9
67
年か らは Ha
r
o
l
dSamps
o
nと共同研究 を開始 し,1
9
7
2年
かつ体系的 に検討 しは じめた。1
には Sa
mps
o
nとともにシオンの丘心理療法研究 グループ (
現サ ンフランシス コ心理療法研究
グループ :SFPRG) を設立 した。以来,臨床実践 と並行 して心理治療 の実証研究 も精力的 に
推 し進め, また認知科学,乳幼児研究 などの関連領域の知見 も参看 しなが ら,2
0
0
4年 に亡 くな
るまで,制御 一
克服理論 を発展 させていった。
We
i
s
sによると,心理治療で もまた映画鑑賞の場合
と同様 に,クライエ ン トが安全 と感 じら
HI
れた時 にこそ治療的進展 は生 じる とい う。 したが って制御 一
克服理論 は,治療 においてクライ
Samps
o
n,1
990;Ra
ppo
po
r
t
,1
997;We
i
s
s
,
エ ン トが安全感 を得 ることをもっとも重視す る (
1
993,2
005;We
i
s
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,Samps
o
n,& m eMo
untZi
o
nPs
yc
ho
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apyRe
s
e
a
r
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hGr
o
up,1
986)
0
We
i
s
sは実証研究 として も,古典的な力動仮 説 と制御 一克服理論 とを対比 して,それ まで抑
圧 されていた ものが どの ように して意識化 され るか を検 討 してい る (
We
i
s
s
,1
9
90a,
1
993;
。古典的な欲動論か ら推測すれば,抑圧 されていた ものが直接意識 され
Si
l
be
r
s
c
hat
z
,2
005b)
れば,クライエ ン トはそれを明瞭 に経験す るけれ ども不安が嵩 じるにちがいない。 また仮 に,
抑圧 されていた ものが偽装 して意識の敷居 を超 えるとい うのであれば,不安 こそ生 じないが活
き活 きとした体験 もまた期待 し得 ないだろう。
we
i
s
sの制御克服理論 :能動反転テス ト
63
しか し実際の ところ多 くの場合,治療過程で抑圧 されていた ものが意識 にのぼった際, クラ
イエ ン トはそれ らを活 き活 きと体験 しかつ不安 を覚えることもない。なぜ ならクライエ ン トは
外的なそ して内的な状況 を無意識の うちに査定 していて,意識化することの安全性 を勘案 した
うえで危険がない と判断 した時 にのみ,防衛 を解除 して意識化す るためだ と考 えられる。「
洞
察は,洞察 して も安全だ と感 じた ときに生 じるのである」(
Ra
ppo
po
r
t
,1
997,p.
258)
.
we
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sの提唱す る理論が c
o
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o
1
mas
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r
yと称 され るの は,以下 の 2つの こ とを前
提 とす るか らであ る。 (1)ひ とは意識 的そ して無意識 的精神 活動 (
思考,感情,防衛,願
c
o
nt
r
o
l
) している。 (2)ひ とは 自分の抱 える心理的葛藤 と心的
望)をかな りの程度,制御 (
外傷 を克服 (
mas
t
e
r
y) しようという強い動機づけをもっているO
制御 一
克服理論は心理療法の学派ではな く, また新手の技法で もない。それは精神病理が ど
のように発展するのか, また心理療法が どのように作用するのか ということについての臨床モ
Si
l
be
r
s
c
hat
z
,2
005a,
d)
, より一般的には精神機能に関す る理論であるO制御 一
克
デルであ り (
服理 論 の 主 要 な鍵 概 念 は,厳 密 な科 学 的検 証 に よ っ て そ の 妥 当性 が 確 認 され て い る
(
si
l
be
r
s
c
ha
t
z
,20
05
C;We
i
s
se
t
.
a
1
.
,1
98
6)。つ ぎに制御 一
克服理論の主要な概念 を通覧 して
ゆこう。
3.精神病理の起源 :病因的確信
Fr
e
udが当初,提唱 した理論 では,幼児 は現実 を理解 しようとい う一次的動機づ けに乏 し
く, もっぱ ら快感原則 に支配 されているとみ なされたQ こうした見解 は,の ちに Fr
e
ud自身
rt
ma
n nを代表 とす る自我心理学 など,後続の学説 によって修正 され,
によって,そ して Ha
現実適応の重要性が顧慮 されるようになった。 しか し,そ うした定式化 は 「
臨床的な水準で体
系的に適用 されてこなかった。 したがって, さまざまな学派の精神分析家や心理療法家は,発
e
udが初
達 において対象関係 の重要性 を強調す る臨床家 も含 めて,臨床 的に思考す る際,Fr
We
i
s
s
,1
993,p.
26)
0
期の著作で提示 した理論 に依拠 していることが多い」(
対照的に,制御 一
克服理論では現実-の適応が本源的動機づ け として, きわめて重視 されて
Samps
o
n,1
992a;We
i
s
s
,1
990
b,
1
993)
。We
i
s
sのみるところ,ひとは生れ落ちた時点
いる (
か ら,生 き延びるために現実への積極的関心 を抱いてお り,現実つ まり世界が どうなっている
かを仮説検証的に理解 しようとしている。現実 に適応 しようという動機づけは,性的欲求や攻
撃性 と同等 に,あるいはそれ以上 に重要なものである。それは先天的本能 といって も過言では
な く,現実適応-の欲求は生存のために大いに価値があ り,進化の過程で受け渡 されて きた と
考 えられる。
こうした見解 は乳幼児研究 な どによって も確認 されている。た とえば St
e
m はい う。「
乳児
は,かな り活発 な記憶や空想の世界 をもつ と考 えられてい ます。 しか し実際 には,乳児の関心
は現実に起 こる出来事 に向けられているのです。-その意味で,乳児は優れた現実検討識 をも
っていると言 えます し, この時期 〔
お よそ生後 1
8ケ月-2
4ケ月よ り以前〕の現実が防衛のため
に歪め られるようなことは決 してあ りません。 さらに,融合妄想,融和妄想,分裂,防衛 的あ
るいは妄想的空想 など,発達段階のご く初期 にきわめて重要な役割 を果たす
]
P
・
C と精神分析理論で
考 えられている多 くの現象は,乳児期 には適用で きません」 (
邦訳 p.
1
3)
。
言語 に代表 される象徴化の能力が出現 した後 には,現実認識が願望や防衛 などの主観 によっ
て歪曲されることも生 じるわけだが,そうだ としても,基本的動機づけとして,現実-の適応
志向性 は きわめて重視 されるべ きである。
64
天 理 大 学 学 報
「
生後す ぐに して子 どもは理論構築家である。つ ま り世界で生 じている出来事 について仮説
を設定 し検証する。子 どもは一般化 された対人的パ ター ンの表象をす ぐに形成 しは じめる。そ
Samps
o
n,1
992a,p.
51
2)
。子 ども
して両親 との実際の対人的や り取 りで正確 な予期 を示す」 (
は現実,主 に対人的世界での経験か ら, 自己について,そ して自分のおかれている世界 につい
て,その性状 を推定す るわけだが,そ こで無 自覚的 に想定 され る仮 説 が We
i
s
sの い う 「
確
be
l
i
e
f
s
)である。
信」 (
確信 といって も,それは知的な抽象産物ではな く,生活世界 を適応的に生 きてゆ くのに必須
の実践的用具である (
We
i
s
s
,1
990b)
。適応す るうえで重要な情報 を拾い出 し,事態の成 り行
i
s
sの
きを予測 し,適切 な反応 を決定す るための指針であ り,人格 を構成す るものである。We
いう 「
確信」 とは,換言すればアブダクシ ョン的推論 によって立て られた,生存のための作業
仮説 といえる。あるいは対人的シ ミュレーシ ョン ・ヒュー リスティックといった理解 もで きよ
う。Fo
r
e
man (
1
9
9
5)は,確信 とは Bo
wl
byのい うワーキ ングモデル,間主観 派 のい うオー
ガナイジング ・プリンシプル,St
e
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nのいう RI
Gs(
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a
2
:
e
d),認知療法の対人的スキーマに比す ることがで きる と述べ ている。 ここに,
さらに Ro
ge
r
sの内部参照枠 (
i
nt
e
r
nalf
rameo
fr
e
f
e
r
e
nc
e) をつけ加 えて も良いだろう。
さて確信 は幼児期 における現実適応の過程 で形成 されるわけだが,子 どものおかれる環境が
We
i
s
sは心的外傷 にス トレス外傷 とシ ョック外傷 を区別 している),子 ど
外傷的である場合 (
もは,そうい う外傷的な親に適応す ることになる。親 は幼い子 どもにとって現実に関す る代替
のない権威者であ り,他の対人関係 を知 らない以上,当座,親子関係は子 どもの対人関係のす
べてに等 しい。子 どもは生存のために現実 -親 に適応 しようとして,親か ら自分が どう扱 われ
るのか という事実か ら自分や対人世界 について確信 を形成す る。そこで生 じるのが病因的確信
(
pat
ho
ge
ni
cbe
l
i
e
f
s
)であるo
病因的確信 は心理機能 を抑制 し, 自尊感情 を損 ない,正常で健全 な目標,た とえば自立,安
辛,幸福 な結婚,仕事での成功 などを追求す るのを阻害す る。病因的確信は,そ うした望 まし
い 目標 を追求すれば,危険が生 じると警告 して くる。危険 とい うのは,外的には愛情対象 との
関係 を喪失すること, またそうした対象 に脅威 を感 じさせ ることであ り,内的 には恐怖,不安,
罪悪感 といった心的苦痛 を味わ うことである。そのため子 どもはそ うした危険 を避けようとし
て,価値ある目標への道 を自ら閉 ざして沈滞 し,症状 を呈す るようになる。
Fr
e
udが病因を内的な欲動 (
本能) に求めたのに対 し,We
i
s
sは現実の対人交流か ら発展 し
た病因的確信 にそれを求めた。病因的確信の内容 としては,た とえば, 自分が独 り立ちすれば
親はがっか りす るだろう,誰かに助けを求めて も嫌が られるだけだ,同調 しなければ相手の機
嫌 を損 なうに違いない, もし有能だった り成功 した りすると他のひとは劣等感や疎外感 を抱い
て傷つ くだろう, といったものが挙げ られる。
多少具体的な例 を挙 げよう (
Si
l
be
r
s
c
hat
z
,2005a)
。薄幸でかつ頻繁 に劉 犬態 におちいる母
親 と生活す る少年は, 自分が学校へゆ くと母親が悲 しそ うだ とい うことに気づ く。少年は自分
が登校す るせいで母親が欝 になっていると推測 し,登校 も控 え友人 とも遊ばず,家 にいるよう
になるO 自分が家 にいることで母親の欝 を予防 し元気づけることがで きる と考 える。たまたま
母親 を宙気分か ら救い出す ことがで きると,少年はいっそ う母親の気分変動 に責任感 を抱 くよ
うになる。母親の彰 を,ひいては不幸 を未然 に防げないのは, 自分の落ち度であると信 じるに
0,11歳頃までには本人 も審状態 を発症 し,それは成人にいたるまで継続 して,精神
いたる。1
科 を受診す るにいたるO子 どもに生 じた苦痛 とは,母親 を治療 しえなかったこと-の 自己処罰
we
i
s
sの制御一
克服理論 :能動反転テス ト
65
であ り,欝の母親 に同一化 してその困窮状態 を共有 していることの表徴である.
こうした 「
病因的確信は,子 どもの 自己中心性,因果関係理解の欠如,人間関係 についての
無知 を反映 している。子 どもは何であれ経験す ることに対 して責任 を取 る傾向がある。親の何
か好 ましくない行為 に対 して,あるいは親 に起 こる何か不幸 な出来事 に対 して子 どもは責任 を
引 き受ける」(
We
i
s
s
,1
993,p.
7)
0
病因的確信 は,その形成 に子 どもの主観的解釈が作用す るに して も,その中核 は現実的外傷
mps
o
n(
1
9
9
2b)は,子 どもの空想体験 よ りも現実体験 を重視 してこ
に対応 して生 じる。Sa
ある種の現実的出来事や対人的体験 によって,それ らを体験す るひ とには,それ
う述べる。「
に見合 った特徴的確信が生 じる。そうした規則性か ら分かるのは,実際体験が現実 についての
確信 を構築する決め手 になるとい うことだ。確信 は現実体験か らの法則的帰結である。つ ま り
現実体験か らの規則性 をもった帰結であ り予測可能な帰結である」 (
p.
5
40)。
i
s
sが い う に は,子 ど も は 現 実 に適 応 す る 際,現 実 (
r
eal
i
t
y) と同 時 に道 徳
ま た We
(
mo
r
a
l
i
t
y) をも学ぶ。「
子 どもは適応す るために,親が指針 としている道徳 的 ・倫理的仮定
を学 ばなければならない。そ うした仮定は子 どもの現実の重要な一部だ。 もし子 どもがそれ ら
を学ばなければ,非難,辱め,処罰の危険を冒す ことになる」 (
Wei
s
s
,1
993,p.
30)
0
拒絶的な扱いを受 ける子 どもは, 自分 は応対 して もらうに値 しない,拒絶 されて当然の悪い
存在である とい う病因的確信 を抱 く。子 どもは自分が過去 において対応 された ように,現在そ
して将来 も対応 される空ろi と予測 し, さらにはそのように対応 されるさきだ と考 えるO 子 ど
r
ea
l
i
t
y)が どうなってい るか を学ぶだけでな く, どうあるべ きか と
もは対人的世界の現実 (
い う倫理 (
mo
r
al
i
t
y) をも学ぶ。 こうして病因的確信 は,それにみあう現実認識 を生み出すだ
けでな く,病因的確信 を裏打 ちする現実その ものを生 じさせ る動因 ともなる。
病因的確信 はすでに述べたように単 に認知的なものではな く,動機づけ と連動する感情負荷
的な ものであるが,こうした病因的確信 と特 に連動する感情 として重視 されるのが,無意識的
罪悪感である (
Bus
h,1
989,2005;We
i
s
s
,1
986)
。ただ し,それは性的 ・攻撃的な欲動 にま
つわる罪悪感ではな く,生存者の罪悪感や 「
分離の罪悪感」 (
Mo
de
l
l
,1
984) などの きわめて
i
s
s自身は必ず しもそ う明言 していないが,そうした罪
対象関係 的な罪悪感である。 また,we
悪感 は関係性喪失の不安のみならず,他者への過剰責任感や共感が基盤 となって生 じる罪悪感
(
Fr
i
e
dman,1
985;高森 ,2
0
0
4) として理解で きる。
共同研究者であった Bus
h(
2
0
05)は,こう説明 している。「
制御 一
克服理論では,ほかの調
査研究 に基づ く発達理論 〔
参照文献省略〕 と同様 に,罪悪感 は,子 どもが抱 く家族への共感 と
思いや りか ら生 じる とみなす。 フロイ ト (
1
9
3
0
/1
9
61)は,〔
『
文化へ の不満』で〕罪悪感 (
す
なわち超 自我)の形成 と機能 を,親か ら懲罰 される恐怖心が内在化 され,そ してそこに子 ども
自身の攻撃性が加味 されるといったことか ら理解 している。 しか しなが ら, もっとも有害なタ
イプの罪悪感 は,親や同胞の安寧 と幸不幸への不合理 な責任感 を子 どもが抱 くことか ら生 じる
と,思われる。無意識的な罪悪感 は,制御 一
克服理論 によれば,無意識的で不合理 な確信か ら
生 じる。それ らは,愛情の杵 を強 く感 じ,責任 を感 じる誰か を,いかに自分が傷つけたか,あ
るいはいかにその人に忠実でなかったか とい う確信である」 (
p.
46)
0
そ うした罪悪感 とは, 自己に対 しては自分の存在 は無価値で罪悪だ とい う感覚であ り,愛情
対象 に対 しては傷つけたのではないか,満足 させ られなかった,癒せ なかった,不忠実だった,
ひとりで良い思い を して申 し訳 ない といった ものである。We
i
s
sは,「
生存者の罪悪感」の用
語 を拡大解釈 して援用 し, 自分が他者 より優 っている,恵 まれている,幸福 である と感 じるこ
6
6
天 理 大 学 学 報
とか ら生 じる罪悪感 に対 して も適用する。
4.治療過程
:テ ス トと病 因的確信 の反証
①無意識的計画 (
n cons
u
ci
ouspl
an)
制御 一
克服理論では,病因的確信 を反証あるいは放棄 したい という願 い こそが,クライエ ン
トが心理療法に訪れる根本的動機であると考える。葛藤 を克服 し開題 を解決 したい という動機
づけを重視するこうした考 えは,クライエ ン トが抱 く 「
無意識的計画 (
pl
a
n)
」 とい う概念 に
反映 している。患者の計画は,到達 目標,達成 を妨げる障碍 (
病因的確信),病因的確信 を反
証するためのテス ト,反証 に役立つ洞察の 4つの構成要素に分けて考 えることがで きる。
t
e
s
t
ng)
i
本質的に 「
患者の計画は,治療者 との交流 において 自分 の病 因的確信 をテス ト (
することを目的 として立案 されている。その際,患者は,治療者が確信の予測するようにはテ
ス トに反応上室史 でほ しい と願 っている」(
We
i
S
S
,1
998a,p.
411,強調筆者)。
したがって 「
治療過程 とは,病因的確信 を反証す ることを課題 として,患者が治療者 と共同
We
i
s
s
,1
993,p.
9)
。
作業する過程である」 (
ただ し,病因的確信 を反証することにクライエ ン トが強 く動機づけ られているということは,
そ うした確信がす ぐに変化 しうることを意味す るのではない。む しろ,病因的確信にはそれ自
体 に自己保続的性質が備わっている。それは一種の自己成就的予言であって, クライエ ン トは
現実 を歪 曲 して確信 の根拠 を容易 に体験する。 また確信 を裏づ ける実際的な証拠 にのみ選択的
に傾注する。
しか し,繰 り返 しになるが,根本 においてクライエ ン トは病因的確信 を反証すべ く動機づけ
られているのであ り,それゆえ 「
治療者の課題 とは,患者が病因的確信 を反証するための計画
を実行 しうるよう支援 し,病 因的確信が警告す る目標 を追及で きるよう手助 けす るこ とにあ
る」 (
We
i
s
s
,1
994,p.
240)
。
「
多 くの場合,患者は治療の最初の数セ ッシ ョンのあいだに, 目標 と病因的確信 を直接述べ
るか,あるいは強 くほのめかす。それは,分析家 を方向づけておいて,患者が分析家のテス ト
を開始 した際 (
テス トは初回面接 の直後か もしれない),テス トに合格す る方法が分析家 に分
We
i
s
s
,1
994,p.
247)
。 したが って治療者 は,「
最初 の数 セ
かるように してお くためである」 (
ッシ ョンのあいだに,暫定的なが ら,その患者 に固有の定式化 を考 え出す ようにすべ きであ
る」 (
We
i
s
s
,1
993,p.
70)。
制御 一
克服理論のみるところ,心理療法の過程 は,お もにクライエ ン トの無意識的な目標 と
po
rt
計画 によって導 かれる。治療 の予定表 を策定す るのは,治療者の意識 ではない。Rappo
(
2
0
0
2) は,こう述べ ているO「
治療 は患者 によって活性化 され構造化 されるo治療者は治療
p.
21
)
0
目標 も扱 うべ き問題 も選定 しない。 これ らは患者が意識 的にそ して無意識 的 に行 う」 (
このように制御 一
克服理論では患者の無意識 的計画 を想定す る。 しか し目標 に向かって計画
を立案 しその実行 を担 うのは意識の作用であって,無意識的計画などお よそ形容矛盾である,
そ もそ も無意識 に理知的精神活動 などあ りえない と常識的には思 われるか もしれない。 しか し
(
3
)
なが らそ うではない。
認知科学の研究か らは,人間には意識の与 り知 らぬ ところで情報 を獲得 し, この情報 に基づ
いて無意識 に行動 しうる多大な能力の存在することが明 らかにされているO そ うした知見 によ
れば,意識 も無意識 も, ともにその一義的機能は情報処理 にあ り,無意識 は意識 よりも迅速で
洗練 された情報処理 を行い, ときに, より適応的です らある。
we
i
s
sの制御一
克服理論 :能動反転テス ト
67
た とえば Li
be
t(
2
0
05)は,次の ように論 じている。「
無意識 の機能 は,アウェアネスが な
いこと以外,意識機能 と基本的なところが似通 って見 える方法で心理学的な課題 を処理 します。
無意識の機能は,経験 を表象 し得 るのです。-認知的で想像力 に富んだ,そ して意思決定的プ
ロセスはすべ て,意識的である機能 よりもしば しば より独創的に,無意識的 に進行することが
11
6)0
で きるのです」 (
邦訳 p.
we
i
s
s(
1
9
9
0a)の無 意識へ の理 解 は, こ う した知見 に合致 す る。「
無 意 識 的 な心 理作 用
(
mi
nd)が もつ認知的能力 はこれまで過小評価 されていた ように思われる。 しか し実際の と
ころ,なにかの 目標 を達成するために計画 を立案 し実行す るといったことも含めて,ひとは知
的な課題 を無意識の うちに数多 くこなせ るようだ」 (
p.
81)。
i
s
s(
1
9
9
3)が 「治療者は患者の本当の 目的が合理的 な ものである
制御 一
克服理論では,We
p.
71) とい うように,クライエ ン トが無意識 なが ら達成 しよう
と想定 しなければな らない」 (
とす る目標は健全で合理的性質の ものであ り,そ うでない 自己破壊的で不合理な行動 は,病因
的確信への捕縛か ら生 じると想定 している。
クライエ ン トの作業はそうした無意識的な計画によって導かれる。計画はそれが意識的なも
のであれ無意識的な ものであれ,行動 を組織だて どのような情報 を入手 し処理するかを左右す
る。「
患者は,治療者が 自分の計画 にどの ように反応す るか を見つけ出そうと,興味津 々であ
る」(
We
i
s
s
,1
993,p.
92)
。そ して患者 は目標 に関わる治療者 か らの介入 には反応す るが,関
係のない介入 にはほとんど反応 を示 さない。
クライエ ン トの 目標 は,病因的確信 を反証 し,禁止 されていた健全 な目標 を追及することに
あるが,クライエ ン トは治療の場が どの程度安全であるかを無意識裡 に査定 してお り,治療 の
進展 はその査定 に左右 される。治療が進展す るうえで,一義的に重要なのはクライエ ン トが治
療関係で安全感 を抱 けることである。安全 と感 じられるまでクライエ ン トはその間題 に取 り組
もうとしない。安全感 を確認す るための課題 を優先 させ,他 に先 ん じてテス トする。 したが っ
て 「
治療者の課題 は,患者が何 に取 り組んでいるのか,前進するためにはどの ような点で治療
者 を安全 と感 じられれば良いのか を理解することのみであ り,そ うした安全感 を提供するため
に最善 の ことを行 うのみである」 (
Rappo
po
r
t
,2002,p.
21)。従 来,言 われていた ように,安
全感 を得 ることで,クライエ ン トの作業への動機づけが減退す る心配はない。クライエ ン トは
安全だ と感 じた時 には じめて防衛 を解除 し歩 を進める。治療展 開は単純明快 とな り,望 ましい
治療成果が得 られる (
Rappo
po
r
t
,1
997)
。
②テス ト (
t
es
t
i
ng)
治療の展 開は,治療者 を準備 させ ること,テス ト,ワーキ ング ・スルーの 3段階に区分 しう
Rappo
po
r
t
,1
996)が,その中核 は患者が治療者 との関係 において病 因的確信 をテス ト
る (
(
t
es
t
i
ng)することにある。「
患者のテス トを認識 しテス トに合格す る治療者の手腕が,治療
We
i
s
s
,1993,p.
92)
。
の眼 目である。治療が成功するか否かはこの点 にかかっている」 (
クライエ ン トは,能動反転テス ト (
pas
s
i
ve
i
nt
o
ac
t
i
vet
es
t
s
) と転移テス ト (
t
r
ans
f
e
r
e
nc
e
t
e
s
t
s
) とい う二つの異 なった様式で病因的確信 をテス トす る。両方のテス トにおいて,クラ
イエ ン トは,確信 を導 きだ した幼児期の外傷的体験 を再演す る。外傷体験の再演 において,ク
ライエ ン トは治療者の反応 を病因的確信 の予測する方向に誘導 しなが らも,無意識では自分の
行動が治療者 に影響 を与 えず,病因的確信か ら生 じる予期 を治療者が裏切 るよう望んでいる。
転移テス トでは,クライエ ン トはかつての子 ども時代の 自分 に同一化 し,治療者は外傷的だ
68
天 理 大 学 学 報
った親の役割 を引 き受ける。 この場合,テス トに及第するにはシナ リオの再演 において,治療
者の態度や振 る舞いが,外傷 的だった親 とは相違することが必要である。
能動反転テス トでは, クライエ ン トが外傷 的だった親の役割 を担い,治療者が子 ども時代 の
クライエ ン トの立場 に立 たされる。つ ま りクライエ ン トはかつて受動的に被 った外傷 を,今度
は能動的に加える側 に回 り,対する治療者は,かつてクライエ ン トが被 ったの と近似す る外傷
体験 を被 るはめに陥る。 したがって 「
患者の能動反転テス トによって,治療者は しば しば,ち
ようどもともとの外傷的体験 において患者が体験 したの と同 じように,困惑 し,苦痛 を感 じ,
自己省察 を促 される」 (
Fo
r
eman,1
996,p.
11
2)
。 この場合,テス トに及第するには,外傷 に
圧倒 されたかつての クライエ ン トとは相違 して,「ダメー ジを受 けず に耐 えること」 (
i
bi
d.
)
が肝要 となる。
能動反転テス トはまた別の形態 をとることもあるO「
治療者の面前で,患者 はそれ とな く苦
悩 に陥るか もしれない。それ とい うも,患者が親 を不幸か ら救いだそ うと責任 を感 じたように,
つ まるところ,転移テス トにおいては治療者 はかつての親の ような要求を しないこと,
反転 テス トにおいてはかつてのクライエ ン トの ようには親 (
治療場面ではクライエ ン ト)
動 ら も
能 か
治療者 も患者の不幸 を軽減 しようと責任感 を全能的に覚えるか どうか見 るためである」 (
Bus
h,
2005,p.
60)
0
の要求に屈 しないこと,傷つかないこと,不合理 な罪悪感 を抱かないことが必要 とされる。
つともテス トに合格 したあ とで ようや く,実はテス トだったのだと知れる場合 もある。
テス トは過去の対象関係 をただ単に反復 しているのではない。 また 「
過去 を現在 に永続 させ
ようとする単 なる無意識的抵抗や試みで もない。 む しろそれは,分析家について何 ほ どかを知
ろうとい う無意識的試みである。窮状 を招来 し,価値ある目標へ突 き進むことを妨げている病
因的確信 を自らが反証で きる よう援助 しうる治療 者 につ いて知 ろ うと してい るのであ る」
(
Samps
o
n,1
992a,p.
524)
。
「
患者は病因的確信 を反証 しなければな らない。そ して治療者はこれ を助 けなければならな
い。ある一群の確信 を反証 しようと作業 している患者は, さまざまな方法でそれ らをテス トし
うる。それ らはいずれ も患者の体験,確信,性格 を反映 した ものだ。同 じように治療者 は患者
のテス トにさまざまな方法で合格 しうる。それ らはどれ も治療者の理請,考 え,人格,体験 を
反映 している。患者は治療者の人格 に適ったテス ト方法 を見つけ出そ うと作業 し,そ して治療
we
i
s
s
,1
998a,
者 は患者のテス ト方法 に適 した合格手段 を見つ け出そ うと作業す るだろ う」 (
p.
425)
。
「
治療者が 自分のアプローチをどの ような もの として概念化するにせ よ,患者 は治療者の行
動 をテス トに及 第 したか落 第 したか,あ るい は無 関係 と して無 意識裡 に体験 して い る」
(
We
i
s
s
,1
993,p.
66)
。そ して治療者がテス トに合格す ると, クライエ ン トは安心する。つ ま
り防衛 的でな くな り,洞察 を獲得 し,感情 をよりまざまざと体験す る。 またテス トに関連 した
過去の素材 を自発的に連想する。それか らいっそ う大胆にテス トを試みるようになる。 こうし
(
4
)
た治療過程 は実証研究 によって裏づけられている。
テス トに及第 したか落第 したかは,介入後, クライエ ン トの態度や様子か ら判断で きるため,
治療者はクライエ ン トか らのフィー ドバ ックに細心の注意 を払 う必要がある。
さてつ ぎに,転移テス トと能動反転テス トの各 々について詳 しく見てみたい。
(a)転移テス ト
転移テス トは下位分類 として,服従 (
c
o
mpl
i
anc
e) と非服従 (
no
nc
o
mpl
i
a
nc
e) とに分 け
we
i
s
sの制御一
克服理論 :能動反転テス ト
6
9
られる (
Ra
ppo
po
r
t
,1
9
97)
。前者 は病 因的確信の示唆す るシナ リオにそった態度 を とって治
療者の反応 をうかが うものであ り,後者はシナ リオに反する態度 をとってみせて治療者が どう
対応す るか をモニターす るものである。
た とえば, 自分のプライ ドが相手 に劣等感 を抱かせ脅威 を与 えるに違いない とい う病 因的確
,
信 を抱 くクライエ ン トは 「
服従」 として,自分がいかに無能で至 らない人間であるか を強調
してか ら,治療者がそれを歓迎す るか否かに割 目す る。治療者がそうしたクライエ ン トの 自己
卑下 に満悦 を示 さず, さらには状況証拠 をあげなが ら,クライエ ン トの主張 を疑問に付すなら
ば,治療者はテス トに合格する。
安心感 を増 したクライエ ン トは,つ ぎに 「
非服従」 によって治療者 をテス トするか もしれな
い。そ して,病因的確信が禁止 していた態度 を試行す る。た とえば,先のようなクライエ ン ト
が 自分の知能を自慢する。それ もかな り極端 な形で,た とえば自分はこの国で もっとも優秀な
知性 をもった人物の一人だな どと増上慢 的に自己絶賛する。それ とい うの もご くふつ うに, 自
分は知的に優秀な部類だ と思 うと述べ る程度 な ら,治療者は難な く同意す るに違いな く,テス
トにならないか らである。こうした誇張 された形で提示 される自己顕示 に治療者が どう応答す
るかが問われる。治療者がそれを受容 した場合, クライエ ン トの病因的確信は反証 される。
転移テス トにおいて合格す ることは, もうひとつの能動反転テス トの場合 に比 して,容易で
あるか もしれない。治療者 はクライエ ン トを尊重 して非外傷 的に対応す る,つ まりいわゆる受
容的,共感的に,あるいはコフー ト的にクライエ ン トの顕示的 自己愛 をミラリング し,クライ
エ ン トの要望 に応 じるといった対応 に終始すれば事足 りる可能性が高い (もちろん,それだけ
では不十分 な場合 もあろ うし,そ うした態度 を維持す ること自体が至難な状況 もあろうが)。
,「治療者 は一見 した ところ, もっともな要求 を断る必要がある
しか しなが ら場合 によって
か もしれない。 この点は強調するに値する。なぜ なら, コフー トの共感 についての見解 をおそ
らく誤解 してだ と思 うが,患者が要求 して くる一見,合理的な要求は何であれ認めるべ きだ と
考 えている治療者がいるか らである。患者か らの要請 にどの ように治療者が応 じるか とい うこ
とは患者の無意識的な計画に応 じて患者 ごとに変 わって くる。 ときに治療者が患者の要求 を認
め続ける場合,治療者は患者のテス トに落第 し,患者 はどん どん悪化す る。無意識で治療者か
らノーを言 う方法 を学 びたい と強 く願 っている患者 は,治療者 に拒否 を強いることがで きるか
もしれない と願 いつつ,いや ま Lにい っそ う奇怪 な要求 を突 きつ けて くるか もしれ ない」
(
5
)
(
We
i
s
s
,1
9
9
3,p.
11
1)
f
。
こうした状況で生 じているのが能動反転 テス トであ り,その場合,クライエ ン トか らの要請
を断る方が治療的に有効である。
(b)能動反転テス ト
病因的確信の反証 を試み ることは,クライエ ン トにとって過去の外傷 を再体験す る危険 を冒
す ことで もある。 もし病因的確信が正 しければ,検証の行為 は,確信 の警告 したとお りの好 ま
しくない結果 を招来 して しまうか らである。そのため再外傷への不安の高いクライエ ン トは,
外傷 を被 った過去の 自分 と同一化することは難 しく,転移テス トを利用 しづ らい.その場合,
。
クライエ ン トはテス トの手段 に能動反転テス トを用いる 「なぜ なら受動性 を能動性-反転 さ
せているあいだ,患者は攻撃者 とい う強い立場 に身 をお き,それによって治療者か ら外傷 をう
We
i
s
s
,1
9
9
3,
p.
1
5)
。
けないですむよう防衛 しているか らである」(
「
特定の種類の外傷 に対処す る方法 を親か ら学ぶ ことので きなかった患者 は,外傷-の対処
法 を治療者か ら学ぶために,受動性 を能動性- と反転 させ るか もしれない。た とえば批判 され
7
0
天 理 大 学 学 報
ることに耐えられなかった患者 を考 えてみ よう。患者は批判 に対 してあま りに従順 なため,批
判 にまるで反論で きない と, ときに感 じる。患者 は幼児期 に両親 との関係で こうした問題 を発
展 させた。 とい うの も,両親は彼 にまった く批判的だったのだが,彼か ら向けられる批判には
これっぽっち も耐えられなかったか らである。患者は,親 を傷つけることのない よう親か らの
批判 は甘受 しなければならない と信 じるにいたった。治療の中で患者は ときに猛然 と批判する
ことで,治療者 をテス トした。 自分の批判 に治療者が狼狽 しない,あるいは抵抗することを賄
いなが ら。そ うやって患者は治療者か ら批判 に耐える方法 と批判に抵抗する方法 を学ぶ ことが
で きる」(
We
i
s
s
,1
993,p.
1
07)
0
治療者は能動反転テス トが生 じていることを認識で きなければならないが,We
i
s
s(
1
9
9
3)
はその指標 として,患者の態度 について,以下の 4項 目を挙 げている。
1)治療者に強烈 な感情が起 こるよう挑発 的に振舞 う。た とえば退屈 させ た り,侮蔑的だっ
た り,誘惑的だった り,我慢 ならない態度 をとった りする。
2) 治療者が介入せ ざるを得 ないよう誘導する。た とえば,長時間沈黙 し続ける。非常識 な
ことを語 る。料金を支払わない。治療者の善意の発言 を侮辱 と受 け取 る。怒って突然,
治療 を中断すると脅す。治療者 は然 るべ き役割か ら逸脱 しているなどと難詰する。
3)激 しい攻撃性 を挑発的に向けて くる。
4)普段 と違 った不合理 な自己破壊的行動 をとってみせ る
。
能動反転テス トの具体例 として We
i
s
s(
1
9
9
3)の挙 げているジーナの症例 をつ ぎに紹介 しよ
う。
ジーナは軽度の宮状態にあったoそれは部分的には,抑宮的な母親 を幸福 にで きないか
ら自分 は悪 しき人間であ り,失敗 した人間なのだ とい う病因的確信 に起因 していた。治療
開始後,数 ヶ月 して,抗欝剤 を処方することの是非 を,その時は気 さくに話 し合 った。治
療者 に抗奮剤 を処方する気がないのを確認 してか ら,急転,ジーナは不快 なや りかたで抗
欝剤 を処方す るよう要求 し始めたoそ して,治療者のことを頑固でボ ンクラだ と呼ばわ り,
侮辱 した。それで も治療者が要求 を拒否 した とき,ジーナは精神薬理学の専門家に見解 を
聞 きに行 き,その専門家か ら治療者に電話で意見するようはかった。 しか し治療者はなお
も処方 に同意 しなかった。数週間後 ようや く, ジーナは抵抗 をやめた。
しばらくしてジーナは,近々,母親 と会 うために実家 に戻 るのが不安だ と訴 えた。母親
といると無力に感 じ,母親が要求 して くることには何であれ逆 らえない と感 じるのだ と。
ジーナは治療者 をテス トする事で,帰省 に対 して準備 していたのである。彼女は自分が
直面 しそうな難題 と同 じものを治療者 に課 していた。 ジーナは母親 を拒絶する方法 を治療
者 とい う実例か ら学ぶために,治療者が 自分の要求 を拒絶するのを願いつつ,抗欝剤 を所
望 した。彼女は,要求にノーと言 った治療者 をお手本 として,母親 との問題 を直接扱 うこ
とがで きるようになった。 ジーナは母親-の過剰 な責任感 を自覚するようにな り, もし彼
女が母親 を拒絶すれば,母親 をひどく狼狽 させ るのではないか と恐れて きたことに気づ く
ようになった。治療者がジーナか らの要請 を拒否 し続 けることで, どうあって も母親の言
うことに従わねばならない とい うジーナの病因的確信 は反証 されたのである。
この ように,治療者 はクライエ ン トの行動か ら外傷 を受けず, 自尊心 を失 わず,クライエ ン
トとよい関係 を保つ能力 を示す必要がある。それによって治療者は,クライエ ン トが幼児期 に
おいて親か ら加 えられた外傷 に対処 したの とは違 ったより良い方法 を,身を以 ってクライエ ン
we
i
s
sの制御一
克服理論 :能動反転テス ト
71
トに提示する。 クライエ ン トはそ うした治療者 をモデルとす ることで,あるいは治療者 に同一
化することで,病因的確信か ら解放 されると同時に適切 な対処法 を学ぶ。治療者が能動反転テ
ス トに合格 した場合,転移テス ト同様 にクライエ ン トはリラックス し,安心 し,洞察 を示すo
Lか し多 くの場合
,「能動反転テス トは,治療者 にとって外傷 的であ り, ときに強烈な逆転
移反応が生 じる。それ というの も,患者は外傷 を加 える親がやったの と同 じように振 る舞い,
乾 め,罪 悪感 を喚 起 し,批 判 的 で拒 否 的 で 距 離 を置 い た態 度 な ど を とるか らで あ る」
(
Rappopo
r
t
,1
996,p.
6)。そのため治療者は,そ うした状況に持 ちこたえることが難 しい。
クライエ ン トの理不尽 な要求に屈 しないことが肝要な局面で 「もし治療者が,なだめるよう
に,そ して申 し訳 なさそうに振舞 うとしたら-患者は治療者がダメージを受 けた と感 じ,ある
いは罪悪感 を覚 えた と考 える。そ してそのせいで患者 はいっそ う不安 にな り,おそ らく治療者
が もっと不屈強靭 さを発揮するまで能動反転テス トを強化することになるだろう。治療者 は何
をするに して も,自分のケース理解 と技法的アプローチを微調整す るために,患者か らの反応
Fo
r
e
man,1
996,p.
11
8)。
に注意 を凝 らすべ きである」(
実際クライエ ン トにどのように反応するかは,クライエ ン トの病因的確信, 目標,テス トの
手法 を含めた計画 をどの ように了解するかにかかっている。 とくにそのクライエ ン トに固有の
。
病 因的確信 を見定めてお くことは重要である 「
患者 における早期 の外傷 とそ こか ら生 じた病
因的確信 を正確 に識別す る能力 こそが,効果的で有効 な治療 の第一決定 因である, と制御 一
克
服理論 は仮定 している」(
Si
l
be
rs
c
hat
z
,2005a,p.
20)
。
テス トに及第 しうる適切 な応対 は事例 ごとに極めて個別的で文脈依存的であるため,推奨 し
うる治療的態度を事前 に想定 してかかることはで きない。
(C)転移テス トと能動反転テス トの区別
病因的確信の鑑別 にあっては,その内容のみならず,テス トの方略 をみ きわめることが同程
度 に重要である。つ ま り,クライエ ン トがある特定の時点 において,転移テス トと能動反転テ
ス トの どちらで作業 しているかを弁別することが大切である。なぜ なら容易 に察 しがつ くよう
に, クライエ ン トのある態度 を転移テス トとみなすか,それ とも能動反転 テス トとみなすかに
よって,治療者の介入はお よそ対極的な方向に向か うか らである。
た とえば治療者 に時間的余裕がないことを知 りつつ,クライエ ン トが不調 を訴 えて急速,定
期外の面接 を要望 して きたとする。そこで治療者は どのように対応すべ きか。むろん要望 に応
じるか否かは二義的問題で,要求の背後 にある心理 (
動機)を取 り扱い,場合 によっては解釈
する とい うのが,従来の模範解答であろうが,行動 としては応 じるか応 じないかである。治療
者 をテス トしているクライエ ン トにすれば,諾否それ 自体がテス トへの回答 となる。
た とえばクライエ ン トは,幼児期 に仕事で多忙 な両親か ら関心 を向けられず にきて,緊急事
態 にも助けを求め られなかった,あるいは求めたが黙殺 された体験があ り,この定期外面接へ
の要請が転移テス トであった とす る。その場合 には,定期外の面接 に応 じることが,クライエ
ン トの病因的確信 を反証することになろう。困った ときに助けを求めれば助けて もらえるのだ,
自分 は時間を割いて助 けてもらうに値するのだ と感 じる一助 となろう。
しか しこれが能動反転テス トであったらどうだろう。親か ら関心 を向けて もらえず危急の際
に援助 して もらえなかったクライエ ン トは,また同時に親の急 な仕事の都合 にあわせて, 自分
の予定 を犠牲 に してきた経緯 もあ り,今回の予定外 面接の要請 において,相手の都合 よ りも自
分の都合 を優先 して も構わないのだ ということを確証す る目的があった としたら。その場合,
治療者 は,クライエ ン トか らの急な申 し出に応 じるべ きでない ということになる。
7
2
天 理 大 学 学 報
転移テス トと能動反転テス トを見分けるのに役立つ情報 として,① クライエ ン トの生育歴,
② それ まで の テス トに対 す る クライエ ン トの反応,③治療 者 の逆 転 移感 情 が あ げ られ る
(
Fo
r
ema
n ,1996).
同一 クライエ ン トの同 じような行為であって も治療段階に応 じて,転移テス トとしての意味
あいを持つ場合 と能動反転テス トとしての意味あいを持つ場合があ り,その都度,文脈か ら介
入 を考 える必要がある。
両者の混合 したテス トもあ りうる。その場合 ,「
治療者は,転移テス トで失敗す るよ りも能
トの場合 よりも傷つ きやすい立場 にある。 もし治療者が能動反転テス トに,た とえば軟弱そう
に見 えて失敗するとして も, クライエ ン トはそれほど損傷 を受けない。ただ し不安 になってテ
ス トを再び試みるだろう。転移テス トにおいて, もし治療者が転移的外傷 を反復すれば,患者
Fo
r
e
man,1
996,p.
1
20)
。
は,原家族での場合 と同様 にして外傷 を被 る可能性が高い」(
「
治療者がテス トに落第するとき,患者 はもっとはっきりした形で同 じテス トを行 う場合が
ある。あるいはテス トの種類 を別の ものに変更することもある。つ ま りその治療者が合格 しや
すい と思われるテス トを課すわけである」 (
We
i
s
s
,1
998b,p.
449)
0
それに加 えてクライエ ン トは治療者がテス トに及第で きるようにコーチすることさえある。
③ コーチング (
coachi
ng)
コーチ ングは治療者 にテス トの準備 をさせ る特殊 な場合であ り,治療者がテス トに合格する
のを支援する目的で行 われる。患者が治療者 をコーチするのは,及第が難 しかった り,治療者
が同様のテス トにかつて落第 した りしたためである。あるいはまた治療者の応答が援助的であ
Rappo
po
r
t
,1
996)
。 コーチ ングは,
り,その ままの線で介入 し続 けることを促 す場合 もあ る (
言語 的 な発 言 内容 と態度 ・行動 とのあいだの い ち じる しい矛 盾 や誇張 に よって行 われ る
(
Bugas& Si
l
be
r
s
c
hat
z
,2000 )
O多 くの場合,クライエ ン トは無意識 にこうしたコーチ ング
を行 う。
た とえば治療者が面接時間に遅刻 して きたことが クライエ ン トにとって外傷的である場合,
この状況がいかに重要であるかを治療者にコーチす るために, クライエ ン トは,ある人が遅れ
て しまったせいで誰かが傷つ くといった話 をするか もしれない。 これは,治療者の失敗 を是正
するコーチ ングである。
あるいは介入のための ヒン トを事前 に配 して くれることもある。あるクライエ ン トは息子の
無茶 な要求にノー とい うのが難 しい とい う話 を面接 中ず っと訴える。面接終了時間になったと
き,クライエ ン トはセルフヘルプの本 について治療者 と議論 を始め ようとした。そこで治療者
は,すでに面接時間が終了 したこと,そ して話 をやめる必要があることをクライエ ン トに思い
出 させ た。次 臥
クライエ ン トは息子 の過剰 な要求 にノー と言 うこ とが で きた と報告 した
(
BugasaSi
l
be
r
s
c
ha
t
z
,2000 )o
同様の例 をもうひとつ挙げよう。 クライエ ン トは,母親がアルコール症で 自分 を虐待 してい
たが,父親は守 って くれなかったとい う話 をした。そ して次の回,危険な自己破壊的行為 を報
告する。治療者 にはクライエ ン トを危険か ら守れなかった気弱 な父親の話が念頭 にあって,同
じ轍 を踏むまい と,おのずそ うした行為 をやめるように諭す。それによって, 自分は守 られる
に値 しない とい うクライエ ン トの病因的確信 は反証 される。
「
心理療法の逐語録 を詳細 に検討 してみれば,治療の開始時点でコーチングが治療者 を患者
we
i
s
sの制御一
克服理論 :能動反転テス ト
7
3
の無意識的計画 に水路づけるうえで, きわめて重要な役割 を果た していること,そ して治療期
間を通 じて治療者が計画に調律 し,計画 にしたが って行動 しつづけるよう援助 していることが
明 らかになる。た とえ制御 一
克服理論や患者の計画 という考 えにな じみが な くとも,治療者 は
(
無 自覚 で あ るにせ よ)患 者 の コーチ ング行動 か らよほ ど影 響 を被 るだ ろ う」(
Bugas&
si
l
be
r
s
c
hat
z
,2000,p.
69)
o
④解釈 と 「態度による治療」
テス トをめ ぐってクライエ ン トと治療者 とのあいだで展 開する相互作用 を論 じてきたが,治
療者の介入 に関連 して,解釈 について も論及 してお こう。なぜ な ら解釈 は精神分析学の発展 に
おいて,解釈の内容 こそ変遷 して きた ものの,有効 な介入 として一貫 して重視 されて きたか ら
r
eandno
w の転移解釈 こそ唯一の治療機序 と考 える臨床家 も少
である。近年の潮流では,he
な くない。制御 一
克服理論 は精神分析 を起源 としなが らも解釈の捉 え方 について際立 った独 自
性 を示す。
we
i
s
sは解釈 の価値 を否定 は しない。解釈 によって 「
治療者が,患者の行動が合理的な無意
識的倫理あるいは適応的 目的に資すために (
た とえば,親への忠誠心 をあ らわすため,同胞 よ
りも幸せであることを是正するため,あるいは敵対的で自分の努力 に報いて くれない ような対
人的世界 に適応す るため に),発展 した こ とを患者 に示す とすれ ば,それ は役 立つ だろ う」
(
we
i
s
s
,1
993,p,
1
33)
, とい う。
しか しWe
i
s
sは解釈 に畳昼型重要性 を付与 しない.す なわち 「
病 因的確信 の反証 を患者が
1
9
9
2,p.
3
01
)。そ して 「
治療者のア
推 し進めてゆ くうえで,解釈 は必須ではない」 と考 える (
1
9
9
3,
プローチ と態度は,それ以上 とい うのではない に して も,解釈 と同程度 に重要である」 (
p.
1
1
4) とい う
「もし,分析家が非解釈的な手法でテス トに合格するならば,患者は病因的確信 を反証す る
助力 を得 るだろう。 さらにわれわれの研究か ら明 らかになったことは,患者 は解釈の支援がな
。
くとも自分 自身で洞察す ることである。なぜか といえば,分析家が非解釈的手法でテス トに合
格すれば,患者 はかつて抑圧 していた心理的内容物 を意識 にもた らして も十分安全だ と感 じる
か らであろう」 (
We
i
s
s
,1
992,p.
301)
。 もっとも,解釈は洞察 をより全体化 し言語的形態 とし
て より明確 にす るため,洞察が保持 されやすい という利点はある。
,
Fo
r
e
man (
1
9
9
6) も同様 に 「
解釈は認知的に体験 を構造化す る もの と して重要である。 し
か しその意味内容は重視する必要がない。治療者が役立つ とい うことは,言葉 よ りも態度 によ
って伝達 される」 (
p.
11
2f) とい う。
We
i
s
sのみる と
結局の ところ,
解釈 は病因的確信の反証 を支援する限 りにおいて有効である。
ころ「
解釈が如才ない とか,
完全であるとか,
転移 に言及 している とか,
心理的深層 の適切 な水準
で行 われるとい うことよ りも,クライェ ン トの計画 に適合 しているか否かが よりい っそ う重要
We
i
s
s
,1
992,p.
31
2)
。 したが って解釈 は計画適 合的解釈 (
pr
opl
ani
nt
e
r
pr
e
t
at
i
o
ns
)
である」 (
と計画相反的解釈 (
ant
i
pl
ani
nt
e
r
pr
e
t
a
t
i
o
ns) とに区別 される。
制御 一
克服理論では,解釈 は病因的確信 を反証する手段 の うちのひ とつ として位置づけ られ
てはいる。ただ し他の理論 との比較でいえば,それは相対的に解釈 よりも治療者の態度や行動
を重視する立場 といえ, さらには言語的介入よ り非言語的介入を重視す る立場 と言 える。考 え
てみれば,ひとはある人の発言内容 よ りもその人の行動 をもって,その人が どのような人か を
はか り,信頼 した り疑念 を抱 いた りする。無意識は言葉ではな く行動 に姿 を現す。
7
4
天 理 大 学 学 報
病因的確信の反証は,特殊 な解釈 によらず とも,対人的な実体験 によって生 じうるため,治
療外の 日常の対人関係で も起 こ りうると考 え られている。
,「行為による治療
(
t
he
r
apyb
y
a
c
t
i
o
n)
」(
Fo
r
e
man,1
996)や 「
態度 による治療 (
t
r
e
a
t
me
ntb
ya
t
t
i
t
ude
s
)
」(
Samps
o
n,2
005)
が議論 される。Sa
mps
o
n(
2
05)によれば 「もっとも重篤であるとか機能不全 に陥っている
言語的介入よ り非言語的介入 を重視する制御 一
克服理論では
,
とい うのでは決 してないが,態度 による治療 によって上 垂三
援助 しえないクライエ ン トが存在す
る」(
p.
1
1
9強調著者)0
解釈だけを特別視 しないとい うことを言いかえれば,それは他の理論では評価 されない,あ
i
s
s(
1
9
9
3)は,
るいは推奨 されない介入で さえ も,おおいに許容す る とい うことである。We
「
治療者は解釈のほかに,ある場合 においては保証や権威の利用 も含め,様々な手段 を使用す
べ きだ」(
p.
5
0) と述べ る。
中立性 について も必ず しも固執する必要はない というo これは中立性神話批判 に見 られるよ
うに,治療者は中立的ではあ りえない,中立性は非治療的だ とい う主張ではない。中立的であ
るか どうかは二義的問題で,肝心 なのはクライエ ン トの無意識的計画 に適合するか否かであっ
て,それに応 じて中立性が有益 に作用する場合 とそ うでない場合があるという主張であるO
たとえば,治療者がそれ とは気づいていないが,実際には能動反転 テス トが行われてお り要
求 に応 じない方が望 ましかった場合 には,いわゆる中立性の保持がいかにも役立 った と見 える
だろう。 しか し別の場合では,治療者のフランクな態度 にクライエ ン トが親 しみを覚えること
で,確信の反証が容易 になることもあるだろう。
再三述べて きた ように,制御 一
克服理論では治療機序 を病因的確信の反証 にあるとみてお り,
「
患者の病因的確信 を反証する介入であればいかなるもので も- それが支持的であれ相互作用
的であれ解釈的であれー ,患者の感 じる危険 を低減 させ,それゆえ抑圧 の必要性 を減少 させ
る」(
Sa
mps
o
n,1
993,p.
8) とする。
「
患者の安全感 を促進するための配慮 は,解釈 によって患者 に洞察 を与えようとする試みに
優先 す る」 (
We
i
s
s
,1
993,p.
1
28)
D また Fo
r
e
ma
n(
1
9
9
6)が指摘す る ように,解釈 は クライ
エ ン トによっては批判や苦情 として体験 される可能性があ り,その場合 とくに解釈することは
控 えるべ きである。 またむろん,解釈 によって クライエ ン トのテス トを制止 した り抑制 した り
すべ きではない。
,「解釈 を提供 した とき治療者 は新 しい情報 を分 け与 える とい うよ りも,患者
実際の ところ
が安全 に感 じるのを手助 け しているのである。患者は病因的適応の理由を無意識 には知 ってい
る。 しか し,その理解 を意識 にもたらす ことがで きないのである。なぜ ならそれらの素材 は危
険に思 えるか らだ。治療者は解釈す ることで, こう した情報 を意識化 して も治療者 と患者の双
Ra
ppo
po
r
t
,1
997,p.
257)
方 ともに安全なのだとい う確信 を示すのである」(
「われわれは,あるアプローチが他の もの よ り有効だ とい うことを期待するが, しか しそ う
。
ではない ようだ。実 に様 々な治療的アプローチが成功 を収める。 この事実 は,患者が多 くの
様 々な学派の治療者 を相手 に して,自らの病因的確信 をテス トする手法 を発見する能力 によっ
て説明 される。 もし患者が よほ ど硬直 しているのでないならば,病因的確信 を検証するうえで,
たまたまいっ しょに作業することになった治療者の人格 と理論的アプローチにみあった検証方
We
i
s
s
,1
998
b,p.
452)
。
法 を見つけ出す ことは十分可能だろう」(
we
i
s
sの制御一
克服理論 :能動反転テス ト
7
5
(
9治療の展開
「
患者 は親や同胞 との外傷的体験か ら病因的確信 を発展 させ,そ して治療 において病因的確
信 を論駁 (
c
o
unt
e
r
)す るために利用可能な治療者 との体験 を求める」(
We
i
s
s
,1
99
8a,p・
424)
0
っ ま りクライエ ン トは得 られた安全感の範囲で治療者 をテス トし,治療者 は病因的確信 に同調
せず無意識的目標 に向かって捧 さす ことでテス トに合格する。それによって, さらなる安全感
が獲得 され,得 られた安全感 は次のテス トに投入 されて,後続のテス トがいっそ う大胆 に行 わ
れる。 とい う具合 に,治療者 とクライエ ン トの相互作用のなかで,反証の作業は螺旋的に進捗
す る。
we
i
s
sらの研究 グループの行 った実証研究 によると,クライエ ン トの洞察はおおむね治療の
初期 と終結期で高 ま り,その途中では低下するとい う。経過 をグラフ化するとお よそ緩やかな
(
6
)
U 字型 を示すことになる。
「
患者は治療の開始時点で病因的確信, 目標,計画 を治療者 に明 らかにす る。それはテス ト
に合格するのに必要な知識 を治療者 に授 けるためである。患者はその後,治療者が患者の計画
を忘れず にいて,失われた洞察 を補填 し,間違 った発言に異議 を唱えるのを期待 しつつ,治療
者 をテス トする目的で洞察 を欠 き,自分 について誤 ったことを述べ る ようにみえる」(
We
i
s
s
,
1
9
93,p.
1
81 )
。治療者がテス トに合格すれば, クライエ ン トはさらに精力的にテス トに乗 り出
す,つ ま りいっそ う洞察 を喪失す る。そ して 「
治療の終結が近づ くにつれ,患者 は治療者 を精
力的にテス トすることを危ぶむ。-・
精力的にテス トすることをやめて,再度,比較的高次の計
We
i
s
s
,1
993,p.
1
83)
。
画適合的洞察 を示す」(
5.制御一克服理論の特徴
以上で きるだけ論評 を加 えず に制御 一
克服理論 について績述 して きたが, この章では他の臨
床理論 と比較す ることで制御 一
克服理論の骨子 の特徴 を明確 に したい。We
i
s
s(
1
9
9
3) 自身 も
c
ha
p.
9,
1
0)
, ここでは筆者の理解 をもとに,それ らとずい
先行理論 との異同を論 じているが (
ぶん異 なった角度か ら検討することになる。
We
i
s
sは自説 に関連する先達 として第- に Fr
e
udをあげる。その際 ,Fr
e
udの学説 を前期
(
1
91
1
-1
91
5) と自我心理学 を発展 させた後期 (
特 に1
9
2
0-1
9
4
0)に区分 して,前者 を 「自動
aut
o
ma
t
i
c
f
unc
t
i
o
ni
nghy
po
t
he
s
i
s:
AFH)
,後者 を 「
高次精神機能仮説」(
hi
he
g
r
機能仮説」(
me
nt
a
lf
u
nc
t
i
o
ni
nghypo
t
he
s
i
s:
HMFH) と呼ぶ。そ して 自説 は高次精神機能仮説 と連続 し,
そこか らの発展であると, とくに強調する。
高次精神機能仮説 には,無意識が意識 と同種の多 くの高次機能,たとえば思考,判断,予期,
Fr
e
udの早期
決定,確信 を発揮 しうる とい う仮定が内包 されている。それ にもかかわ らず,「
の考 え,無意識は流動的であるとい う考 えは当然 とみなされ,後期の概念,つ ま り無意識的確
「
精神分析 学概 説」1
9
4
0,p.
1
9
9),問題解決- の願望 (
「
快感原則 の彼岸」
伝,計画, 目標 (
1
9
2
0,pp.
3
2
3
5;「
制止,症状,不安」1
9
2
6,p.
1
0
7;「
終 りある分析 と終 りな き分析」1
9
3
7,
p.
2
35
) についての概念 は自我心理学のなかで発展 させ られたが,めったに引 き合 いに出 され
ない」(
We
i
s
s
,1
998a,p.
41
3)
。
しか しなが ら,We
i
s
sが 自説 と Fr
e
ud学説 との連続性 を強調す るのは,分析家 に しば しば
見 られる創始者 Fr
e
udへの忠誠心 の しか らしむる ところである と思 われる。We
i
s
sによれば,
自我心理学は 自我機能の 自律性 を強調 し,意識的機能 との連続性 を見 ていた とするが, 自我
(
の意識的部分)が高次の認知機能 を発揮 しうると想定することと,無意識が意識 に見 られる
7
6
天 理 大 学 学 報
機能 と相似する高次の認知機能 を有す ることを重視するの とは等 し並 にで きない。
筆者 は,We
i
s
sの説が実の ところ Fr
e
udの学説 を継承 していない, と非 を鳴 らそ うとす る
のではない。む しろ,その独 自性 を本人以上 に強調すべ きだ と考 えるのである。
制御 一
克服理論 に関連す る理論 として認知療法 なども当然,議論 の風上 にあが り,実際,刺
御一
克服理論 には 「
認知的一
精神分析的」 とい う形容が冠せ られた りもする。むろんそれには一
i
s
sの理論 はその大枠 において,精神分析 のみ な らず
定の妥 当性があるが, しか しなが ら We
従来の心理療法論一般 とも,はなはだ懸隔 してお り, きわめて革新的 と言 える。
① 目的論
まず指摘 しうるのが,無意識的計画 とい う考えにみ られるような目的論の重視である。ベー
F. は 「自然のプロセスを目標づ けられている とい う観点か ら考察す るこ とは不毛であ
コン,
り,神 にささげ られた処女のごとく何 も生み出さない」 と語 ったが,近代社会 においては因果
論的思考の専制が確立 し,わけて も科学の領域では目的論 は異端視 された。
心理学の領域 もご多分 に洩れないが ,Fr
e
udの思想 に目的論 的思考 を見 出すのは よほ ど困
難であろう。 目的論的思考への傾 向が見 られる論者 としては,Adl
e
rや Jungを挙 げることが
で きる。
Jungは無意識の未来志向性, 目的志 向性 を強調す る。 と りわけ超越機能 に関連 して転移の
目的性 を論 じる点などは制御 一
克服理論 との類似が見 られる。た とえば,Jung (
1
9
2
8)は転移
。「この期待 は実 は,困
においてクライエ ン トが治療者 に向ける期待 についてこう論 じている
難 に際 して求めなが ら,意識 において実現 されなかった救いの要求が,比倫的に表現 された も
のである。 もちろん転移の もっているエロテ ィックな性格 を幼児期のエロスに還元 して説明す
ることは,発育史的には妥当であるが,それでは転移の意味 と目的が理解で きない し,幼児的
エ ロス願望 とい う解釈 は本来の問題 を外 らす ことになって しまう。転移の理解 は,その発育史
(
7
)
91)0
上の先行状態 にではな く,その 目的に求めねばならない」 (
邦訳 p.
無意識の もつ未来志向性 を,ユ ング派が重視することは,イニシャル ・ドリームの尊重 にも
反映 しているが,イニシャル ・ドリームが重要であるのは,実の ところ We
i
s
sが言 うように
嫡因的確信 を治療開始時点 において治療者 に伝達するか ら,つ ま りはコーチ ングとして機能す
るか らであろう。
②無意識観
ただ し,無意識全般 についての We
i
s
sの認識 は,普遍 的無意識 を強調 した Jungとも抑圧
e
udとも相違す る。Fr
e
udに しろ Jungに し
によって構成 される個 人的無意識 を強調 した Fr
ろ,構成内容 こそ違 うものの,意識 と無意識は相反する対照的な原理 によって構造化 されてい
ると考 えている点では共通 している。
精神分析 における古典的な無意識観は,お よそつ ぎの ようなものであろう。無意識 とは,意
識の現実原則 (
二次過程) とは対照的な快感原則 (
一次過程)に特徴づけ られてお り,無意識
は外的現実 を知 らず空想的であるために非現実的で,非適応臥
非理性的,不合理,つ まると
ころ衝動的である。
他方 ,We
i
s
sは無意識の認知的能力 を評価 してお り,無意識は意識作用 と同様,現実 を査定
し,計画 を立案 し実行するといったことも含めて,知的な課題 を遂行 しうるとみなす。 こうし
i
s
s本人が述べ るように後期 Fr
e
udの高次精神機能仮説 に接合す る
た無意識-の認識 は,We
we
i
s
sの制御一
克服理論 :能動反転テス ト
77
として も, よ りいっそ う近年の認知科学者が抱 く無意識観 に近いのではないか。
ns
o
n(
1
9
85) は,みずか らの研 究成果 か らこう述べ ているo
た とえば,脳神経科学者の Wi
「フロイ トは,無意識 をイ ド,つ ま り抑圧 によって押 さえつけ られている激 しい情熱や破壊 的
な本能の相場 と考 えま したO逆 にわた しは,無意識 は統合力 のある もので,それ 自身解釈 と反
応の図式 に したが って気づ く,つねに活動 的な心の構造であるこ とを発見 しま した。・
-わた し
の無意識 に対す る見解 は, フロイ トの もの とは多少 ことなってい ますが,無意識が重要である
31
1
)。
ことに気づいている点で は,お な じです」 (
邦訳 p.
そ うした無意識観 に対応す るように,We
i
s
sは内的空想 よ りも外 的現実 を,欲動充足 よ りも
現実適応への動機づ けを強調す る。Mi
go
ne& Li
o
t
t
i(
1
9
9
8) は,制御 一克服理論が進化認識論,
神経生物学,動物行動学,認知科学,乳幼児研究,精神分析学,心理療法研究 を統合す る理論
とな りうる と示唆 している。
③人間観
こうした理論構成の さらに背景 に控 える人間観 は,精神 分析 よ りも,思 いの ほか Ro
ge
r
sに
近いのではないか。Ro
ge
r
sとの近接性 については Rappo
po
r
t(
1
9
9
6,
1
9
9
7)が ご く若干だが言
及 してい る。た しか に人間が もつ健康への根本的志向の重視,問題解決への動機づけの強調,
クライエ ン トへ の信頼 ,治療展開におけるクライエ ン トの主導性 の重視 な どは Ro
ge
r
sの理論
と類似 した雰囲気 をまとっている。 また両者の理論構成 は全般的に有機体論である。想定す る
治療機序が 日常場面 に敷宿 しうると考 える点や心理療法の実証研 究 に積極 的な点 も共通点 とい
え よう。
i
s
sの病 因的確信 は,その機 能 において Ro
ge
r
sの内的参照枠 の概
具体 的概念 として も,We
念 とかな り共通す るだろうし,治療論か らみて も内的参照枠が変化す るための必要条件 として
クライエ ン トの安全感 を強調す る こ とも軌 を一 にす る。Ro
ge
r
s(
1
9
61) は, クライエ ン トの
安全感確保 を強調 して,「もし外 的脅威 か らで きる限 り完全 にクライエ ン トを自由にす るこ と
がで きれば, クライエ ン トは, 自分 の内側 にあって脅威 だ と感 じる内的な感情 と葛藤 を体験 し,
取 り扱 い始めることが可能 となる」 (
p.
5
4)
, と述べている。
(
彰罪悪感 と愛他性
制御 克服理論では病 因 として罪悪感 を重視す るが, これ もこの理論 の特色 の ひ とつ と言 え
る。 コフー ト派 は恥 の感情 を重視 して罪悪感 を等 閑視 しが ちである し, クラ イン派 は抑 うつ態
勢 における罪悪感 の 自覚 を重視 はす るが,それは妄想 ・分裂態勢 にお ける被害感か らの前進的
脱却,つ ま り一種 の達成 として称揚す る側面が強い。実証的な発達心理学 において も,罪悪感
は対人関係上,適応 的な機能 を もつ もの として,一般 に肯定的 に評価 されが ちである。
その点,後期 の Fr
eudが,病 因 として また陰性 治療反応 に通 じる強力 な抵抗 と して,罪悪
i
s
sが罪悪感 を病 因 として重視す るこ とと,一見 し
感 の重要性 をいっそ う強調 したことは,We
た ところ,共通す るようにみえる。
しか しなが ら, 3章で も触 れたが ,Fr
eudの議論 す る罪悪感 と we
i
s
sのそれ とは性 質 を異
eudの罪悪感 は,む しろ超 自我不安 とい うべ き ものであ る。その形成 要素 には 2
にす る。Fr
種類 あって,親の懲罰 的な攻撃性 を内在化 した もの と内転 した 自己の攻撃性 とである。Fr
eud
は,超 自我の攻撃性 の源泉 であるこの 2種 類 に共通性 をみ る。つ ま り,「2種類 の源泉 に本質
的かつ共通す る要因 として残 るのは, どち らにおいて も内部 に向けか え られた攻撃性が議論 の
7
8
天 理 大 学 学 報
焦点 となっているとい うことだ」(
1
930,S.
E.
21
,p.
1
38)
。「結局,罪悪感 に変換 されるのは攻
撃性だけである。攻撃性 は抑圧 され,超 自我 に譲 り渡 される。罪悪感の派生物 について精神分
析の所見 を攻撃本能に限定すれば,心的過程の多 くはより単純明快に説明 されると確信 してい
る」 (
i
bi
d.
)
0
罪悪感の構成要素 を攻撃性 に求める Fr
e
udに対 し,We
i
s
sは罪悪感の基盤 に重要他者への
愛情 をみる。子 どもは親を愛 してお り,その親を傷つけたのではないか と思いやることから罪
悪感が生 じると考える。子 どもはみずからが抱 く攻撃の意図や願望に対 してではな く,目に し
た親や同胞の不幸や苦悩 といった現実から自責感 を引 き出すのである。場合 によっては,親が
あ りもしない責任 を子 どもに転嫁することもあるが,子 どもは事態の理不尽 さなど思い もよら
ず,罪をみずか らに引 き受けて しまう (
Bus
h,1
9
89,2005)
。こうした事態から病因的な罪悪
感や過剰 な責任感が生 じる。
こうした考えは,従来の精神分析 ときわめて対航的であるoFr
e
udの初期か らクライン派
を経て今 日にいたるまで多少の例外 はあるとして も,精神分析学では人間の自己本位性,他罰
n dl
e
r& Jo
fe
性を強調 し,人間の動機づけとして愛他性 など省み もしなかった。たとえば Sa
(
1
9
6
9)は,次のように断言 している。「
理論的にも臨床的にもまさに重要なのは,心理的適
応の観点か らみて対象への無私のあるいは愛他的な愛情や思いや りなどとい うものは存在 しな
p.
8
9)
0
い ということだ」 (
愛他性が基本的な動因であること,そ してそれが病因とな りうることを指摘 した重要な例外
ar
l
e
sを挙 げることがで きる (
高森 ,2
0
0
4)
.se
ar
l
e
sは,こう述べ る.「わた し
としては,Se
はフェアバーン (
1
9
5
4)やクライン (
1
9
5
5
) と同様,子 どもは最初期か ら対象関係的であると
考えている。 といって も,クラインのいう生得的な死の本能 という概念は信奉 しない。- 日常
生活で子 どもを観察することか ら,あるいはまた神経症的,精神病的患者 との精神分析的,心
理療法的な作業か ら確信 していることがある。それは,愛すること (
l
o
vi
ng
ne
s
s
)が,人間に
とって人格の基本要素であるということだ。新生児はまさに愛する関係性 に心底,開かれて外
1
9
5
8,p.
2
2
7)
0
界へ反応するのである」(
t
he
r
a
pe
ut
i
cs
t
ivi
r
ng
s
)を論 じ,子 どもは 「
母親
Se
ar
l
e
sはさらに,子 どもの治療的衝迫 (
に責任 を感 じるのみならず,母親を純粋 に愛 し, どうにか して統合 された自我 をもった十全な
1
9
7
5
,p.
3
8
5) という。そ して統合失調症の患者は 「そのような治療的
存在にするよう望む」 (
努力が失敗 したことに無意識的な罪悪感 を抱 き,一生 にわたってその罪悪感 に苛まれている」
(
i
bi
d.
) ことがあると指摘する。
利己心や他罰性を強調する心理療法論では,みずからの投影 を引 き戻すこと,被害者意識か
ら加害者意識へ移行すること,つ まり防衛 している自責感や罪悪感 を自覚的に体験で きるよう
になることが精神的向上 とみなされる。
それに対 し,制御 一
克服理論では,意識的,無意識的に抱 いている過剰 な罪悪感や責任感の
蛭精から解放 されて,健全な目標 を追及で きるようになることが,治癒の過程であると考えら
れる (
Samps
o
n,1
97
6)
。
⑤抵抗と安全感 (
不安の低減)
We
i
s
sの提唱する治療論の特色は,クライエ ン トからのテス トという考えにある。そこでは
抵抗 という概念には重 きがおかれない。一見,抵抗 と見える現象は,実の ところクライエ ン ト
が確信 を反証するために行っているテス トとみなされる。
we
i
s
sの制御克服理論 :能動反転テス ト
7
9
クライエ ン トの無意識的動機や 目標 を認めるとしても,従来は,それらは もっぱら抵抗,つ
まり症状 による満足 を継続す るために治療 にあ らが う性質の もの と考えられて きた。そ うした
考 えは一般 に臨床家 に受容 されやすい0-万,無意識的な動機が問題解決のための計画 を遂行
することにある とい う考 えはなかなか認め られか 、(
We
i
s
s
,1
998a)。そ う した考 えには 「
抵
抗」があるのだ。
また一般 に探索的心理療法では作業 を進めるうえで 「
適度 な不安」が必要 とされるが,対照
的に We
i
s
sはテス ト敢行のためには安全感が必須 だ と強調する。つ ま り 「
治療者 に対 す る患
者の安全感が,治療成功の鍵である。治療者がな しうる唯一の, しか しもっとも重要なことと
We
i
s
s
,2005,p・
42)
。 したが って,
は,患者が安全 と感 じられ るように援助す ることである」(
治療が進展 しないのは,クライエ ン トの側の抵抗 によるもの とい うより,治療者が作業 に必要
な安全感 をクライエ ン トに提供で きていないため と考えられる。
we
i
s
sが安全感 (
不安 の低減) を重視す る点 に関連 して,Sa
ndl
e
rの 「
背景 としての安全
bac
kg
r
o
undo
fs
a
et
f
y) とい う考えに言及 して(
も良いか
もしれない。Sa
ndi
e
r(
1
9
6
0)は,
感」(
8
)
安全感原則」(
pr
inc
i
pl
eo
fs
a
f
e
t
y)
快感原則 (
お よび現実原則) と並置す る形ではあるが 「
,
の重要性 を提唱 している。安全感 は感覚的引 央とは明確 に区別 され, 自我 は安全感 を得 ようと
たえず努めてお り,安全感-の欲求は快 を獲得 しようとい う欲求 よりも優先するとい う。つ ま
り関係性 における安全-の欲求は,他の欲求の上位次元にたつ動機づけだ と考 えた。そ して,
「
心理生物学的な機能のすべ ての側面は,それが円滑で調和的に行 なわれる限 りにおいて,安
1
9
8
7
,p.
1
) と主張する。
全感の生成 とい う点か ら考 えうることが強調 されるべ きだ」(
sa
ndl
e
rのほかには,愛着理論の S
e
c
ur
ea
t
t
a
血me
ntの考 えなども関連す る概念 として挙 げ
られ ようが,ここで,Sul
l
i
va
nに論及 しないわけ にはゆかない。Sul
l
i
va
nは,安全へ の欲 求
(
ne
e
df
わrs
e
c
ur
i
t
y) こそ,ひとを動かす最 も重要な動機づけだ と考えたのだが,彼 は動機づ
けの理論 においてだけではな く,臨床場面 において も不安の低減 を重視 していた。そこでつ ぎ
の ように述べている。「人間関係 を離断する不安 の力 を考 えに入れず に前へ進 む者 はいつ まで
も面接術が身につかないだろう。不安への顧慮がないなら,ほん とうの面接 の場は存在 してい
ない も同然だ」(
1
9
5
4,
邦訳 p.
1
47
)
。
⑥ クライエン トの主導性
制御 一
克服理論は 「
対象関係的理論である。患者 は病理 を両親 との関係 で発展 させ,治療者
との関係で解消 しうる。-分析の過程で患者 は分析家 に影響 を与え,分析家は患者 に影響 を与
えるO分析家 と患者の間にある両方向的通路 は,テス トとい う概念 によってここで提示 された
アプローチの中に組み込 まれている。患者はテス トによって治療者の行動 に影響 を与え,分析
家は患者のテス ト-の反応 によって患者の行動 に影響 を与 える」(
We
i
s
s
,1
994,p.
249)
。
しか し制御 一
克服理論 は単に治療 関係 における相互作用 を重視する とい うにとどまらない。
革新的なのは,テス トや コーチ ングといった概念 に代表 されるように,クライエ ン トの能動性
(
そ して治療者の受動性)にとりわけ重 きをお く点 にある。
従来の心理治療のモデルでは,治療者は心理検査や診断面接 によってクライエ ン トをアセス
メン トし,解釈する立場 にあるわけだが,制御 一
克服理論ではむ しろ立場が逆転 している。 ク
ライエ ン トが治療状況の安全性 を査定 し,状況 に応 じて治療者 をテス トし,治療者の応答 を評
価す る。治療者は自覚するとしないにかかわらず,治療過程 に付 き従いなが らそのテス トに応
じてゆ く。
8
0
天 理 大 学 学 報
来談者 中心療法 で もクライエ ン トの先導性 を強調す るわけだが,それは治療 者 によって保護
され,付 与 されねばな らない ような主導性 であ る。別の言 い方 をす る と,来談者 中心療法 的接
近 で なければ, クライエ ン トは主導性 を発揮 で きず,治療効果 は期待 で きない と考 え られてい
る。
しか し制御 一
克服理論 で は,治療展 開 は治療 者 の依拠 す る理論 , クライエ ン ト理解 ,治療態
度 とは別次元で,つ ま り治療者がけ っ してその全体 を統括 し得 ない よ り本 質的 な次元 で クライ
エ ン トが治療過程 を先導 してい る と考 える。
したが って治療者 は作用 の主体 であ るばか りで な く,受動 的 な客体 と して治療過程 に投 げ入
れ られ る こ とにな らざるをえない。つ ま り,治療者
は 「
秘薬 であ る金属 を相場 の なかで溶か し
サラマ ンタているのか,あ るいは彼 自身が火 中で灼熱す る火噺賜 なのか, ときには 自分で も区別がつか な
くなるあの錬金術 師 と同 じ思 い をたびたび体験 す る。 この避 け られ ない心 的感染 によって両者
は第三 の変容 を迫 られ変容 させ られ るのであ る」 (
邦訳 p.
4
8)
。
ゆえに治療者 は 自分 とクライエ ン トのあいだに展 開す る相互作用の機微 のみ な らず,受動 的
様態 で 自らに生 じる内的体験 に も最大限の注意 を払 わねばな らない。 そ こで は出来合 いの常套
手段 は功 を奏 さない。
⑦態度 による治療
4章 4節 で述べ た ように,制御 一
克服 理論 で は介入 につ い て治療者 の言語 的介入 よ りも態度
を重視 している。 それはあたか もクライエ ン トの問題 を引 き写 して,その解決 をお手本 と して
実演 して見せ るかの ようである。 こう した治療 を実践 しうる前提 として治療者 には きわめて高
い精神 的健康度が要請 されるだろ う。かつ また治療 者が精神 的 に じゅうぶ ん健全 であ った と し
て も治療場面で さらされ る外傷体験 を思 えば, よほ ど心理 的負担 を強い られ るに相違 ない。 こ
う した治療 モデル と近似 す る治療観 をまとまって提 唱 してい るの は,家族療法のボ ウエ ン派 く
らいであ ろ うか。
ボウエ ン派の治療 者 は家族構成員 の分化度 を高 め るため に纏綿状態 にあ る I
Pの家族 関係 の
渦 中 に身 を投 じ,モデル,仲介者, コーチの役割 を果 たす。 ボ ウエ ン派 の訓練生 は 自分 の原家
族 か ら自分 自身 を分化 で きる ようコーチ を受 けるが ,Bo
we
nはその過程 に1
2
年 はかか る と言
っている由であ る (
Ho
fma
n,1
9
81
)
。
6.理論への疑義
①適用範囲
ここまでお もに制御 一克服理論 の特 異性 を論 じて きたが,次 にい さかか疑問 に思 われ る点 に
ついて考 察す る。
まず制御 一克服理論 が, はた して どの程度 一般化 で きるのか とい うこ とが問 われ るだ ろ う。
We
i
s
sは,精神 分析 的治療 ,心理療 法,短期 療法 を対象 と した実証研 究 か ら,制御 一克 服理論
の提 唱す る治療展 開の妥 当性 が確認 されている と論 じてい る。 とはいえ,紹介 され る多数の事
例 をながめ るな らば, それ らは相互 に近似 してお り, い くつか に類型化 で きそ うな気 さえす る。
例 示 され るクライエ ン トには機能不全家庭 で生育 したアダル ト ・チル ドレンと概念化 で きそ う
なひ と,あるいは道徳 的マゾ ヒズムに苦 しむ ひと,DV な ど好 ま し くない対 人関係 か ら抜 け出
せ ないでい るひとな どが多 く,治療対象 に偏 向が ある ように思 われ る。
その ことは,統計 的研 究 とい う観点か らいえば,サ ンプ リングの偏 りとサ ンプル数 の不足 と
we
i
s
sの制御克服理論 :能動反転テス ト
81
して批判で きるだろう (もっとも心理療法過程 を相当数,検証するだけで も膨大な労力が要請
されることを勘案すれば,データ数が少なす ぎると,声高 には批判 しづ らい)0
テス トの内容 について も,事例個別的 とは主張 されるものの,いや,むろん詳細 については
区々様 々だろうが,典型 として しば しば拒否 テス ト(
r
e
j
e
c
t
i
o
nt
e
s
t
)と防護 テス ト (
pr
o
t
e
c
t
i
o
n
(
9
)
t
e
s
t
)が挙げられるなど, きわめて多彩 という印象 は受けない。
挙げられるエ ピソー ドとしては, クライエ ン トが治療の中断 を申 し出るとい うものが 目につ
く。 もっともこれはクライン派の挙げる転移解釈の例が, きまって治療者の休暇前のセ ッシ ョ
ンであるの と好対照で興味深い。実際のところ,クライエ ン トが治療の中断 を申 し出るという
場面 に治療者は頻繁 に遭遇 しているはずだが,そのことを論 じたものは きわめて少ない。
理論 その ものへの疑義ではないが,理論の運用 について も若干ふれてお きたい。理論の解説
では,先 にクライエ ン トの生育歴 とい う文脈が紹介 され,その後 にある治療局面が提示 される
が,実際の臨床では必ず しもそ うした流れになっていない。つ ま り多 くの場合,対応 している
その時点では,文脈の全貌は治療者 に知 られていない。初回か らテス トを受けることさえある。
このことが, もっと強調 されるべ きであろう。 したがって治療者 は不確定要素含みのなかで,
その時の手持 ちの情報 を最大限に活用 し,これ までの臨床経験 と直観によって,多少 とも賭 け
の要素 を含みつつ対応 を決断する。実のところ病因的確信 という観点か ら治療展開が十全 に了
解 しうるのは,事定 まった後 となろう。それゆえ,臨床上は介入 に対するクライエ ン トの反応
をよくモニ ター し,たえず想定 した病因的確信 の妥当性 をチェックすることが,いっそ う重視
されて然るべ きである。
前提か らは偏 向や予断が生 じうる。制御 克服理論 を参照することか ら生 じる特徴的な逆転
移 も存在す るだろう。 クライエ ン トか らのテス トを前提 とすれば合格 を意識 し,病因的確信の
反証 を治療機序だ と想定すれば反駁 しようと気が急 くの も人情である。 この点 を是正するには,
治療の展 開はあ くまでクライエ ン トが主導することを重々,銘記することが必要であろう。
②修正感情体験
I
L
O
I
we
i
s
sの提唱する病因論の大枠 は心的外傷論 といって よく (もっともその心的外傷の定義 は
り
1
)
いささか唆味である),治療論 は外傷 に対す る修正感情体験 の重視 と理解 で きな くもない。そ
のためであろう,
修正感情体験 との関連 について We
i
s
s自身 (
1
9
9
3)
,そ して Sa
mps
o
n(
2
0
05
)
,
Si
l
be
r
s
c
hat
z(
2
0
0
5
a)が論 じている。
we
i
s
sは,Al
e
xande
rと Fr
e
nc
h(
1
9
4
6)によって提唱 された修正感情体験 の理論 をむ しろ
評価 し, 自説 との連続性 を認める。そ して修正感情体験説であれ 自説であれ,そこで提唱 され
ている治療者の態度が役割演技 とみなされるこ とに異議 を唱 える。Si
l
be
r
s
c
ha
t
z(
2
0
0
5
a)な
どは,両者が連続するとい う以上 に相似的 と考 えて,制御克服理論は修正感情体験 を強調す
,「実際の ところ,治療者が患者の病因的確信
を反証す るいかなる相互作用
(
1
2
)
る治療論であって
も修正感情体験 とみなせ るか もしれない」 (
p.
2
0) と述べ る。
i
s
sは,修正感情体験説 との共通点 に加 えて相違点 も挙 げてい る。最大 の
しか しなが ら We
違いは,修正感情体験説では治療者が作業 を先導する と考 えるのに対 し,制御 一
克服理論 では
クライエ ン トが治療計画 を主導 しコーチす ら行 うとする点にあるO治療観の骨格 としてこれは
大 きな相違であろ う。つ ぎに制御 一
克服理論 では,Al
e
xande
rらの説では唆味であった,修正
の方向性,つ まり治療者が どうい う性質の体験 を提供すべ きであるかを明 らかにしたこと,加
えて介入の適否 を確認する手段 に論及する点が相違するとい う。ただ し,それ らの二点は本質
8
2
天 理 大 学 学 報
的相違 とい うより洗練度の問題である と思われる。
制御 一
克服理論では,クライエ ン トの無意識的ニーズに応 じるわけだが,それが クライエ ン
トの欲動ではな く一種,認知的な性格の ものである点 も相違点に追加 してよいだろう.
制御 克服理論の論及する治療機序が修正感情体験 の範噂で理解 されるべ きものなのか,あ
るいはそ もそ も修正感情体験 をどのように評価すべ きかについては, さらなる議論が必要だろ
う。
いずれにせ よ We
i
s
sが論 じるように,制御一克服理論か ら示唆 される治療展 開は,治療者が
信奉する理論 とは関係 な く繰 り広げ られる。一般化や適用範囲に検討の余地があるとして も,
制御 一
克服理論で照明のあてられる問題 を抱 えたクライエ ン トは少 な くない し,論及 される治
療局面 も臨床家な らしば しば遭遇する ものであろう。 とくに能動反転テス トは治療者 にとって
負担が大 きく,その対応-の示唆が得 られることは,非常 な助 けとなる。
7.お わ り に
さて,ここで冒頭 に紹介 した事例 を思い出 してほ しい.制御 一
克服理論 によってこの局 面 を
考察するなら,つ ぎの ようになろう。
患者の病因的確信 はこうである。約束は守 られないものだ。それは, 自分 には交わ した約束
を守って もらうだけの価値がないか らだ。だか ら約束違反 に抗議 しようものなら,相手 を傷つ
けるか,逆 に叱責 されるだけでその正当性 は認めて もらえない。 とすればやは り自分が約束 を
守 って もらお うとするのは,不当な搾取 に近い罪悪であるに違いない。
治療のなかで患者は能動反転 テス トを行 っていると考 えられる。患者 は詐欺的な母親の役割
を遂行 して,治療者 を糾弾 し定める。かたや治療者 は子 どもの時代の患者の役回 りに立た され
る。 自分は約束の報酬 をもらうに値 しない益体 な しの無価値 な存在で,その くせ食欲。 自分の
要求は不 当だと治療者 は感 じる。
このような局面 に直面 した際,投影同一化の心理力動 を知 ってお くことは,逆転移の理解,
そ してその治療的活用 に役立つ とはいえ,具体的にどの ような治療者の態度が当該の患者 に有
益であるのかが十分明 らかになるとは言いがたい。
しか し制御 一
克服理論 に立てば,病因的確信 の診断か ら治療者の取 るべ き姿勢 は判然 としや
す く,ス トレスフルな治療状況 に持 ちこたえるのが容易 になるのではないか。いや,容易 にな
ると言 うのでは不十分で,そうした理解 な くしては, こうした患者か らの猛攻 に踏みこたえる
ことはなかなか困難であろう。
患者か らの批判や強要に屈 して しまえば,患者 は病 因的確信が実証 されたと感 じて動揺 し不
安 を覚える。そ して確信が反証 されること,つ ま り批判が聞 き入れ られないこと,要求が拒否
されることを期待 しつつ,要求をエスカレー トさせ, さらに無理難題 をつ きつけて くるだろう。
実際, クライエ ン トの指摘す る治療者の落度 に謝罪 しす ぎて,治療関係が さらに洋沌 に陥った
ような事例 を見聞 きしないだろうか。
先の患者 に話 を戻す と,能動反転テス ト-の こうした理解 をもってすれば,治療者が患者の
批判や主張 に抗 して, 自尊心 を保持 し,罪悪感 を伴わず に当然のこととして約束 どお り治療費
の支払いを期待することこそが,病因的確信 の反証 に役だつに違いない。
こうした対応が とりづ らいのは, クライエ ン トの乱射乱撃 に気圧 されることもあろうが,世
間一般 に流布する理想的な治療者像 として,思いや りがあって,寛大,物分 りが良い とい うよ
うなイメージがあ り,それ らに治療者が知 らず に拘束 されて しまうか らか もしれない。 さらに
we
i
s
sの制御一
克服理論 :能動反転テス ト
83
また,そ うした態度が コフー ト理論 の誤用か ら助長 されることもあろ う。
実践 上,大切 と思われる留意点 も附記 してお く。「
侮蔑的で非難が ま しい患者 を治療 す る場
令 ,治療者が様 々に反応す ることが重要か もしれない。た とえば明 らか に不当な,度 を越 した,
ばかげた批判 には, ときに反論すべ きだ。それ によって人は 自分 自身を弁護することが可能だ
し,理 にかなった ものだ とい うことを示す ことがで きるか らだ。 しか し, さして重要でない批
判 にあ ま りにすばや く反論すれば,治療者 は,軟弱で防衛 的だ といった印象,そ して患者 か ら
の批判 に傷ついた とい う印象 を与 えるだろう。 また治療者が患者のテス トに型 どお りに反応す
るな らば,患者 は治療者が骨惜 しみ してい ると推測するか も知れない。その とき患者は,治療
We
i
s
s
,
者 は事前 に考 えて きた技法的処方 に則 って行動 しているだけだ と思 うか もしれない」 (
1
993,p.
117)
0
we
i
s
sの制御 一
克服理論 は治療 の展 開 を理解 し,治療者が適切 に介入す るこ とを助 けて くれ
るが,それで も, こう した侮蔑的で非難が ま しい クラ イエ ン トの治療 は負 担 が少 な くないo
1
9
9
3,p.
1
1
3) と
なぜ な らそ う した患者 には多 くの時 間 と労力 を割 かねばな らないか らだ」 (
述べている。
制御 一
克服理論 は従来の心理療法 とその前提 を大 い に異 にす るO空想 よ り現実,欲動 より適
応,因果論 よ り目的論,病理-の固執 よ り健全へ の志向,利 己心 よ り利他心, クライエ ン トの
受動性 よ り能動性,治療への抵抗 よ り協力,適度 な不安 よ り安全感 , 自責感の敢取 よ りそれか
らの解放,治療者の言語的介入 よ り態度 による治療が,そ こでは重視 されている。
制御 一
克服理論が全面的 に正 しい とい うのではない に して も,これ まで ほ とん ど注意 されて
こなか った臨床 的側面 に光 をあてた とい えるだ ろう。制御 克服理論 は治療 関係 の展 開に密着
した理論であるがゆえに,文芸評論 や文化批評へ の応用 には役 だちそ うもない。 しか しなが ら
厄介 な治療局面 を乗 り切 って, クライエ ン トを真 に援助 したい と駆っている臨床家 には一考 の
価値ある理論ではある まいか。
註
(1) 映画鑑賞者の例は示唆的であるが,安全感の獲得 によって抑圧 されていたものが意識可能 と
i
s
s(
2
0
0
5
)は述べているDなぜ なら鑑賞者は泣
なる現象を例示するには十分ではないと,We
くことで悲 しみを表現 してはいるが,その際多 くの場合,悲 しいと感 じていないからだ。
より適切な例 として,幼 くして息子を亡 くしたある女性の体験 に論及 している。その女性は,
子 どもが亡 くなったとき,悲 しみに打ちひしがれて,息子の記憶 を抑圧 し,それはあるとき家
族写真に写っている息子をみても誰だか分からないほどであった。その女性は再婚 して,男の
子を出産するが,赤ん坊を手渡 されたときに,自分で も驚いたことに,突然泣 き出 し,最初の
亡 くなった息子の記憶が意識に噴出 してきた。 2番目の息子が誕生 したことで,最初の息子の
喪失は埋め合わされ,喪失の苦痛に耐えることが可能 とな り,子 どもの死への悲哀を体験で き
i
s
sは説明する。
るようになったと,We
n(
1
9
8
5)によれば,精神分析の教義の多 くは,乳児期ではなく,言語の獲得後,つまり
(2) st
e
r
生後1
8ケ月∼2
4ケ月後の発達に妥当するというO
(3) 意識を神経生物学の立場から研究するKo
c
h(
2
∝姓)は,こう述べている。
「自分の最 も内面的な思考や,計画,意図は常 に意識 されていると誰 しもが思っているので
はないだろうか。大概の人が考える脳の情報処理機能をフローチャー トにしてみると,次のよ
8
4
天 理 大 学 学 報
うなものになるのではないだろうか。 目や耳や鼻 といった感覚器か らは じまる感覚,認知,記
憶処理をしている部位。それ らを使 って計画 を執行 し,運動制御 をしている部位。 これ らすべ
,すなわち自己が座っている, とい う構
てをまとめるため,情報処理の頂点 に 『
意識のある私』
図であるo しか し,この考えは間違った妄想 にす ぎないだろう」 (
邦訳 p.
5
41
)
。
(4) とくに精神分析的な事例である Mr
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・Cでは,その治療展開が詳 しく検討 されている (
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(5) we
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sは, また Ko
hutの提唱する理想化転移の受容が反治療的であ りうる場合 も,つ ぎの よ
うに論 じている。「しか しなが らコフー トの推奨は,ほとん どあるいはまった く価値がないこと
もあ りうるoそれは, コフー トが記述 した患者 と見かけ上は類似 していなが ら,潜在す る病理
においては異なるひとに対す る場合であ るOた とえば他者の幸福 について過剰 な責任 を担 うこ
とが主たる苦悩の源泉である患者の場合,治療者 を賞賛することで治療者への責任 を果たそ う
と試みるか もしれない。 もし治療者が こうした賞賛 を励 ますな らば,患 者は治療者が賞賛 を必
要 としていると推測するか もしれない。患者 は自分の病因的確信が,確認 された と体験 し,他
1
9
9
3,p.
6
3)
0
者に対する責任 をいっそ う信 じるようになる」 (
(6) これは意識的作業である内田クレペ リン精神作業検査の初頭効果 と終末効果 を思わせる。
(7) 他の例 を挙 げれば,コフー ト派の Or
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5) も転移の 目的性 を強調 している。「こう
した転移 は紛 れ もな く,その中核 において阻止 された成長への欲 求の再活性化 を反映 してい
る」(
p.
4
3)
。
(8) sandl
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rの理論が欲動論 的メタ心理学か ら関係論的心理学へ と脱却 してゆ く推移は,精神分
析学全体の理論的な変遷 を象徴 しているように思われる。
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3) によれば,sandl
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rにおける欲動論 と関係論の統合過程 はお
よそ,つ ぎのような ものであった。初期 では欲動論 とい う基盤上 に関係性 の概念が付加 された
にす ぎなかった。中期では両者が並立す る。そ して後期では関係性の視点 に重 きが置かれるよ
うにな り,古い欲動論の概念 は骨子か ら外れ,懐古的な装飾にす ぎな くなった。
(9) 拒否テス トでは,拒絶 される不安や 自分は援助 に値 しない という確信 か ら,治療者か ら引 き
こもった り治療 を止めると脅 した りすることで治療者 をテス トす る。防護 テス トでは,危険な
状況 に身をさらして治療者が 自分 を防護 して くれるか否か,自分 は守 って もらうに値す る存在
か どうかをテス トする。
(
1
0) 制御 一
克服理論の病因論 を一種の心的外傷論 とみなすならば,安全感の確保が最重要課題 とな
るのは,見やすい道理であろう。He
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9
2)は,PTSD の回復 過程 を 3段 階 に分 けて,
段階の安全確立に力点 をお く。 この第一段 階はクライエ ン ト,治療者の双方 にとって負担が大
きいため,両者 ともこの段階 を省略 したい誘惑 に駆 られるが,安全感の確立 に日をつぶ ったま
ま,第二段階に猪突猛進 し,外傷記憶 にメスを入れることは PTSD の侵入症状 を刺激す るだけ
で反治療的であると指摘する。
(
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9)は,外 傷 (
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eの言葉 を引用する形で,それは 「どうみて も好 ましくない,有害な,あるいは著 し
く子 ども (
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)の発達 を損 なうと思 われる,なん らかの状態」(
p.
1
0
2) として
いる。
(
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2) A
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1
9
4
6)は,修正感情体験 をこう論 じている。 どの ような形態の心理療
法 においても 「
基本的な治療的原則は同一である。つ ま り,かつて対処 しえなかった感情的状
況 に,再度,今度はより好 ま しい環境の もとで,患者 をさらす ことである。治癒す るには,忠
者は過去の体験が もたら した外傷的影響 を修復す るの に適 した修正感情体験 を経 なければなら
we
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sの制御 克服理論 :能動反転テス ト
85
,
ない」(
p.
6
6)
。つ ま り 「
転移状況において,あるいは 日常生活 において新 たな解決 を実際に体
験す ることによってのみ,患者 は新たな解決が可能である と確信で き,旧来の神経症的なパ タ
p.
3
3
8)
0
ー ンを放棄 しうる」 (
Al
e
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nde
rは修正感情体験 のモデル としてエ ゴ一作 『レ ・ミゼラブル』のジャン ・パルジャ
pp.
6
8
-7
0)
。
ンをとり挙げている (
望 ましい環境 において過去の心的外傷 を再体験することは,制御一
克服理論の想定す る治療機
序の本質で もあ り,Si
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a)の見解 を無碍 に退けるわけにはゆかない。
引用 ・参考文献
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精神分析理論の展開 :(欲動 )
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中井久夫訳 (
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岩崎学術出版社)
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口直彦共訳 (
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『
精祁 医学 的面接 』 (
みすず書房)
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相馬寿 明訳 (
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87)『
無意識の構造 :脳 と心の生物学』 (どうぶつ社)
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