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2013年1月号

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2013年1月号
新・参考業務月報
2013 年
1 月号
ICHIKAWA LIBRARY
発行:市川市中央図書館 編集:レファレンスカウンター 〒272-0015 市川市鬼高1-1-4 ℡.047-320-3333
INF
REF
こども 電話 メール 中央計
行徳
BM
南行
信篤
平田
駅南
全館計
1月 1,037
862 777 20 13 2,709
764 31 337 238 108
711 4,898
累計 10,991 9,522 8,491 260 13 29,277 9,565 335 2,971 1,467 1,342 8,485 53,442
INF:インフォメーション・カウンタ REF:レファレンス・カウンタ BM:自動車図書館
今月のレファレンス記録票から
分類
I/C6
質
問
と
内
容
昨年(平成 24 年)発掘調査をしていた大宮越遺跡の資料はあるか。図書館にないなら、
どこに問い合わせればよいか。
大宮越遺跡は市川市立第四中学校の敷地内で発見された遺跡で、平成 24 年に調査が終了したばか
りのため所蔵する資料はなかった。所管課である生涯学習振興課に確認したところ、現在調査報告
書をまとめており、平成 25 年 3 月ごろ刊行予定とのことだった。
I/P8
第二次世界大戦に出兵した兵士がかかった精神病についての本はあるか。かつて国府台
にあった陸軍病院での症例など記された資料を探している。
現在の独立行政法人国立国際医療研究センター国府台病院は、かつて国府台陸軍病院であったが、
1938 年から第二次世界大戦終戦までは日本陸軍兵士の精神神経症対策を目的とした病院だった。こ
の国府台陸軍病院での症例について記載がある『日本帝国陸軍と精神障害兵士』(清水寛/編著 不
二出版 2006)、『国府台陸軍病院の想い出』(国院会 1982)などを所蔵しているが、なかでも数多
くの症例が載っている『うずもれた大戦の犠牲者 国府台陸軍病院精神科の貴重な病理分析と資料』
(浅井利勇/編著 国府台陸軍病院精神科病歴分析資料・文献論集記念刊行委員会 1993)を提供し
た。
159.8
片岡鶴太郎さんの書で「汝の立つ処深く掘れ
この言葉の出典を知りたい。
そこに必ず泉あり」というものがあるが、
「汝の立つ処」でGoogle検索をすると、片岡鶴太郎氏のブログに高山樗牛の言葉とある。
また、
『世界名言事典』
(明治書院 1988)p273 にも高山樗牛の言葉として掲載されている。
しかし、
同時にニーチェの言葉とする個人サイトが多くあった。その中の 1 つに『ニーチェ全集8 悦ばし
き知識』(信太正三/訳 理想社 1974) に収録されているとあり。同資料を確認したところ、片岡
氏の書と訳は少し異なるが、p20 に「ひるまずに」というタイトルの詩があり、その前半部分に当
たることが分かる。
国会図書館の近代デジタルライブラリーで『樗牛全集 第4巻』
(博文館 大正2)も確認したと
ころ、p1,054 に「己の立てるところ」というタイトルで「哲人教えて曰く、己の立てるところを
深く掘れ、其處には必ず泉あらむ。(後略)」とあることから、ニーチェ主義といわれた高山樗牛が
ニーチェの言葉を自身の著作の中で引用し、後に一部で樗牛の言葉として広まったのではないかと
考えられる。
384.3
広辞苑に「兎笛」があるが他の辞典には出てこない。どのようなものか具体的に絵など
で分かるものはないか。
『広辞苑 第6版』
(岩波書店 2008)では、
「兎狩りの時、兎をおびきよせるために吹く笛」と
あり、
『大辞林 第3版』(平凡社 2006)にも同様の記載があった。狩り、ウサギ、笛のキーワード
検索から、ウサギの狩猟民俗研究に詳しい天野武氏の本『わが国における威嚇猟とその用具 野兎
(裏面に続く)
狩りの場合を中心に』
(県立中央所蔵)等を確認するが、うさぎ威嚇猟具の写真は多数載っているが
兎笛はなかった。近代デジタルライブラリーで「兎笛」で検索すると、『銃猟新書:
傍訓図解 続篇』(十文字信介ほか/著 金港堂 1892)の目次に「兎笛」とあり、
兎笛
本文を確認すると p199 に諸鳥獣呼笛の一つとして兎笛の絵があった。
921.4
ゆ しん
「庾信の詩」と書かれた手元にある漢詩の意味が知りたい。出典などは分からない。
持参したコピーに書かれていた漢詩は次の通り。「麟洲一海闊 玄圃半天髙 浮丘迎子晋
若士避盧敖 経餐林慮李 舊食綏山桃 成丹須竹節 刻髄用蘆刀 無妨隱士去 即是賢人逃
道士歩虚の詞
北周 庾信の詩」
庾信(513~581 年)は『漢詩の事典』(松浦友久/編 大修館書店 1999)より、河南省の人で
南北朝を集大成する詩人。字は子山ということが分かる。庾信または庾子山から、市内所蔵の資料
と 県 立図 書 館所 蔵の 資料 を 確認 す るが この 詩に つ いて の 記述 はな かっ た 。国 会 図書 館所 蔵
の『庾子山詩集』(森野繁夫/編著 白帝社 2006)に収録されているか確認を依頼したところ、
p481~483 に掲載されていることが分かった。
「道士歩虚詞十首」の「其の十」にあたり、語釈と
訳があった。

I/W1
G I V E
U P !
市川市内の民家にある四角錐状の句碑に刻まれている句の全文が知りたい。石の摩耗が
ひどくて読めない部分が多く、比較的読める部分から類推すると、「○○な○ 黒戸○
せっちゅうあんりょう た
○て 雪の不二」という句と思われる。句には「 雪 中 庵 蓼 太」という名が添えられて
おり、別の面には「芭蕉庵 不二見塚」と読める文字が刻まれている。この句は雪中庵
蓼太の作なのかということも知りたい。
摩耗して見えにくい初句の最初の文字は、くずし字辞典などから「影」とも見えるのでこれも考
慮し、雪中庵蓼太(または大島蓼太)か芭蕉の作品の可能性を考え調査をした。
『日本俳書体系 11』に
収録の「蓼太句集」をはじめ『市川市の句碑・歌碑一覧』他、市内・県立図書館所蔵の関連資料を
当たるが該当なし。和洋女子大学メディアセンター所蔵の『蓼太全集 俳諧文庫 17』
(博文館 明
治 32)を確認するが収録されていなかった。
また、Web 上の「俳句情報探索」http://taka.no.coocan.jp/a5/cgi-bin/というサイトから各種デー
タベースを検索するがヒットしなかった。
→TOPICS
TOPICS
雪中庵蓼太と市川
雪中庵蓼太 1718~1787 年(享保 3~天明 8)は信州伊那大島の生まれの俳人。23 歳のとき桜井吏登(服
部嵐雪門、雪中庵 2 世)に入門。30 歳にして雪中庵を継承し 3 世となっています。早くから芭蕉顕彰事業
を志し、多くの資料紹介や注釈書を手がけました。蓼太には 3,000 人を超える門人がおり、門人らが立て
た蓼太の句碑も各地に残っています。
『蓼太全集 俳諧文庫 17』には初編、二編、三編と年代と編纂者の異なる3種の「蓼太句集」が収録
されています。その中には市川の地名も見られ「真間寺にて 真間の井や道を千尋に志のふ草」(初編)、
「行徳の徳願寺上人に
念佛の念の跡なし秋のくれ」(三編)などの句を詠んでおり、市川に立ち寄っ
たことが窺えます。
参考 『日本の文学碑2』
(日外アソシエーツ 2008)/『俳文学大辞典』(角川学芸出版 2008)
他にもこんな質問ありました(クイック・レファレンスから)
分類
383.9
質問
 回答、補足事項、薀蓄など
お茶を沸かす昔の道具の「どうこ」 について知りたい。茶道の洞庫ではない。『絵引民具の事
典』
(河出書房新社 2008)p78 にあり。
「銅壷」と書く。
763.2
文明堂の CM ソングが聞きたい。文明堂のホームページで歴代 CM を見ることができる。中央所
蔵の CD『コマソン黄金時代』
(キングレコード 1995)にも収録されている。
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