Comments
Description
Transcript
2007年10・11月号
新・参考業務月報 ICHIKAWA LIBRARY 発行:市川市中央図書館 IN F REF 編集:レファレンスカウンター こども 〒272-0015 電 話 メール 中 央 計 行徳 市川市鬼高1-1-4 BM 南行 信篤 2007 年 10・11 月号 ℡.047-320-3333 平田 全館計 2 ,1 5 8 1 ,7 4 6 1 ,5 7 9 2 5 3 5 ,5 1 1 1 ,8 5 0 71 393 386 3 1 3 8 ,5 2 4 累 計 9 ,4 1 2 7 ,8 1 7 7 ,3 7 9 2 6 6 7 2 4 ,8 8 1 8 ,1 5 1 2 3 8 1 ,7 2 3 1 ,5 7 6 1 ,2 5 8 3 7 ,8 2 7 INF:インフォメーション・ カウンタ REF:レファレンス・カウンタ BM:自 動 車 図 書 館 10・11月 今月のレファレンス記録票から 分類 l/C4 質 問 かねかけ と 内 容 市川市の里見公園にある「鐘懸の松」について詳しく書いてある本はないか? 石の『我輩は猫である』の中に出ている、と聞いた。 夏目漱 作品の中に…「首懸(くびかけ)の松は鴻の台でしょう」寒月が波紋をひろげる。「鴻の台のは鐘 懸(かねかけ)の松で、土手三番町のは首懸の松さ。なぜこう云う名が付いたかと云うと、昔しか らの言い伝えで誰でもこの松の下へ来ると首が縊りたくなる。」とある。 ・『私家版里見公園新聞』第3号に「鐘懸の松」について逸話が載っている。但し個人出版物なので 出典がわからないため他の資料を探す。 ・『真間山かいわい見て歩記』(市川緑の市民フォーラム 1991)の「里見公園」の囲み記事に「鐘 掛けの松」の記載あり。 江戸川に面して聳り立つ崖の、その崖上の松に里見軍の陣鐘が懸けてあった。里見の落城後、 北条の兵がその鐘を撞いたが鳴らず、そこで捕らえた里見の女に撞かせると美音を発した。 しかし、急に枝が折れ、鐘は遥か崖下の川に没してしまった。以来、そこを「鐘ヶ淵」、松を 「鐘懸けの松」とよんだ。 ・『私の市川學 たくみぼり彙報7』 (鈴木恒男 1995)で郷土研究家の鈴木さんが「里見の沈鐘 -水の神の印象(続)」として、鐘ヶ淵や鐘の伝説など古い文献を照らし合わせながら、自論を展 開している。 ・『江戸川ライン歴史散歩』(崙書房 1991)p111~112 にも「鐘ヶ淵と鐘懸松」の記載あり。 国府台城跡(里見公園)の西下、江戸川切り岸の深淵を「鐘が淵」と称した。『江戸名所図会』 によると、永禄の国府台合戦のときに「里見氏の陣鐘この淵に沈没す。故に号とすと」、ある いは「この鐘が淵といふは、豊島刑部左衛門秀鏡(ひであきら)が陣鐘の水中に落ち入りゆ ゑなりと」いう。また、この鐘は里見氏が船橋慈雲寺の梵鐘を奪ってきたものと伝えている。 里見公園の西側、崖ふちにこの鐘をつるしたと伝える「鐘懸松」という老松があったが、だい ぶ前に台風で根元から崩落してしまい、今はない。 I/L4 市川マーケットについて載っている資料が見たい。 (市川マーケットとは、市川駅北口か ら千葉街道までの間に屋根付き商店街があり、そう呼んだらしい)個人ホームページ『市 川の路地を楽しむ』(http://poesie.web.fc2.com/3matu/hrml)の中に、大正9年頃から あった、とある。 上記ホームページによると、松井天山の描いた市川町鳥瞰図(昭和3年)の中に、 「市川マーケット」 の表示の建物が記されている、とあるので、この復刻版を提供する。参考資料として併せて『市川市 動態図鑑(昭和 32 年)』を提供。 『荷風の散歩道』(市川歴史博物館 1990)p10 にも、昭和 21 年頃の市川駅前マーケットの記述 がある。ただし、記載はマーケットの一部分であり、利用者の必要としている部分はなかった。 185 『新編武蔵風土記稿』([第5冊]巻之25 葛飾郡之6 巻之26 葛飾郡)に以下の 記載がある。 星トノミ傳ヘテ當寺ノ寶物トス 昔星ノ精霊本堂ノ前ノ松ニ降リテ暫樹上ニ止マリ光 ヲ放チ遂ニ化ノ石トナル 今舎利等ノ如キ極メテ華麗ナル塔裏ニ蔵ム モト三粒アリ テ青黄赤ノ色三粒ナリシカ 二粒ハ何レノ頃カ失ヒテ今青色ノ星一粒残レリ この寺宝を調査している文献等を教えて欲しい。所在地は江戸川区東小岩の善養寺。 まず、該当の江戸川区善養寺について。『江戸川区史跡散歩』(学生社 1992)、『江戸川区史 3巻』 (江戸川区役所 1976)を紹介。星降り松の伝説や寺宝について少し記載されているが、仏舎利や 石については特に記載なし。引き続きレファレンスを希望されたので、江戸川区立中央図書館経由 で善養寺に確認した。 ・寺独自の石(星精舎利)についての古い文献はない。 ・空海は真言宗の宗祖であるが、謂れは聞いたことがない。 ・寺宝の星精舎利は昔話では青い石と書かれているが、実際は緑色の石。成分は不明。 ・寺の正式名称は星住山地蔵院善養寺だが、星降りの松が有名だったため、「星降り松善養寺」と表 記されている板碑もある。 他に、江戸川区立中央図書館所蔵資料を紹介してもらった。『文化の小岩』(江戸川新報社 1931) 『江戸川区の歴史』(名著出版 1978)『江戸川区の昔ばなし』(江戸川区教育委員会 1986)『ふる さとお話の旅』(星の環会 2005)『江戸川区史 3巻』(上記参照)などに星降り松の石について記 載がある。質問にある下線の文は「今、石は舎利塔のような、とても華麗な塔の裏に保存している」 と訳されるので、仏舎利は関係ないのではないか、とのこと。落ちてきた星が、寺宝の星精舎利。 「ホシフリ」の表記もある。 星降りの松については、善養寺では「ホシクダリ」と言っているが、 -星伝説- 空海と日蓮にかかわるお寺には、星関連の伝説や文化財が多くあります。 この 2 人に関係する有名な書物の中にも、星伝説にかかわる記述が見られます。 ごゆいこ゛う 空海の弟子が書いた『御遺告』の中には「明星口に入り、虚空蔵光明照らし来って、菩 薩の意を顕す。」という室戸岬での神秘体験の記述があり、日蓮の場合は、相模国(神奈 川県)で日蓮が月天子に向かって法華経行者守護の証を顕し給えと祈ったところ、 「天よ り明星のごとき大星下って前の梅の木の枝にかかった」という記述が『種種御振舞御書』 にあります。 参考資料:横浜こども科学館ホームページ お寺の伝説http://astro.ysc.go.jp/izumo/otera.html 『空海辞典』(東京堂出版 1999) /『全国本山めぐり』(日蓮宗新聞社 1989) /『日本の名著 8』(中央公論社 1983) 320.9 昭和 19 年3月 31 日に発令された勅令第119号の条文が見たい。名称は「市町村の区 域内における町または字の名称または区域の設定または変更に関する件」。 国立国会図書館ホームページ内の日本法令索引(http://hourei.ndl.go.jp/SearchSys/)の廃止法令 索引で、法令の形式「勅令」のみを選択、法令名「市町村」、交付年月「昭和19年3月」で入力・検 索した。交付日は3月11日だった。 「市町村ノ区域内ニ於ケル町又ハ字ノ名称又ハ区域の設定又ハ変更ニ関スル件(昭和 19 年 3 月 11 日勅令第119号)。千葉県立中央図書館所蔵『昭和年間法令全書 第18巻-2』(原書房 2005)p 143に記載あり。 767.7 『唱歌-その故郷と歌声-』(立東社 あるが本当か。 1991)の中に、「コイノボリ」が裁判になったと 『童謡心に残る歌とその時代』(NHK出版 2003)p50~51 によれば「コイノボリ」は昭和6年 に『エホンショウカ(ハルノマキ) 』に発表されたが、長い期間にわたり、作詞作曲者不祥の作品と されてきたとのこと。昭和57年に作者として申し出たものがあったが確証がなく、これは後に却 ふじたつくる 下された。同じ時期に国文学者・藤田作の娘にあたる近藤宮子が作者として名乗りを上げ、その証 拠物件の確実さから、平成5(1993)年に裁判の判決で認定され、現在では作詞・近藤宮子、作曲 者不詳となっている。判例検索システム(http://www.courts.go.jp/)民事訴訟-著作権で裁判になっ た事実が分かり、その全文を見ることができる。