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黙示録22章~創世記30章

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黙示録22章~創世記30章
朝の15分があなたを変える。
心のごはん
2012年 7月号
黙示録22章~創世記30章
きょうのメニュー:黙示録22章
「キリストの再臨」
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7月1日(日)黙示録22:17「いのちの水がほしい者は、それをただで受けなさい」
20節のことばは、黙示録の結論であると共に、聖書全巻の結論でもあります。本章
には、3度も「わたしはすぐに来る」
(7,12,20)と強調されています。この黙
示が与えられてから、1900年以上たっているのです。遅いと思われるのは、ひとり
でも多くの者が悔い改めることを望んで、長く忍耐しておられるのです(Ⅱペテロ3:
8~9)
。時が近づいています(ローマ13:11)
。それゆえ信仰の冬眠から目覚める
べき時がすでに来ています。主イエスは「心の貧しい者は幸いです」
(マタイ5:3)
といいました。聖書は、霊的に貧しい現実を知っている人は幸せだといいます。今の現
実・あるがままの姿を知っているから、神への飢え渇き、求めが出てきます。集会で恵
まれる秘訣は、求める心・からっぽの心です。からっぽのスポンジはどんどん水分を吸
収します。同様に、からっぽの心はどんどん神の恵みを吸い込みます。自分自身を知る
ことから始まります。ちょうど電波のようです。電波は至るところに飛んでいます。し
かし、それをキャッチしなければ自分のものになりません。求めがなければ、チャンネ
ルを合わせません。再臨を前にして、神にピントを合わせましょう。
◎伝道の書12:13を読んで祈ろう。
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きょうのメニュー:創世記1章
「希望の朝」
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7月2日(月)創世記1:31「夕があり、朝があった」
1章の中には「夕があり、朝があった」という言葉が6回出てきます(5,8,13,
19,23,31)
。これは夕暮れから、日没までを1日とするユダヤ人の習慣を表して
います。1日がまず夕となり、朝となったことは大変興味深いです。ここに神の道と人
の道の相違があることがわかります。この世では、人間は朝から夕にかけて働きます。
そして人間の計画や思いは、朝華々しく幕を開けるが、だんだん消え去っていきます。
しかし、神のご計画は暗黒の中から始められ、次第に明るさを増していきます。何か試
練に遭遇すると、神も仏もあったものじゃないといいます。
「主よ、なぜですか」
「主よ、
どうして」と思います。しかし、トンネルには必ず出口があります。朝の来ない夜はあ
りません。試練は限定つきです。必ず打開の道がやってきます。
「のがれる道」
「脱出の
道」が用意されています。詩篇55:22に「あなたの重荷を主にゆだねよ」とありま
す。人間的にやることはやって、結果を神さまにおゆだねしましょう。神さまのお手並
み拝見としましょう。あなたは暗闇かもしれませんが、希望の朝があることを知ってい
ただきたいのです。目先の問題だけを見ないで、神さまにまかせましょう。
◎ヨブ記5:18を読んで祈ろう。
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きょうのメニュー:創世記2章
「夫婦円満の秘訣」
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7月3日(火)創世記2:18「彼にふさわしい助け手を造ろう」
「あなたたちは遠く離れているのに、よく一緒になりましたね」
。これは最近また言われ
た言葉です。私は北国の青森県出身、家内は南国の沖縄県出身です。家内は高校生まで
アメリカのお金を使っていたといいます。距離的に絶対に出会うはずがないのに、神が
唯一の仲人です。それが東京聖書学院で出会うことになります。神は二人に召命経験を
与えました。絶妙のタイミングのよさに神の導きを感じます。神が必要を感じて「ふさ
わしい助け手」を備えておられたのです。不思議と夫婦は性格が正反対です。それでい
いのでしょうね。育った環境も境遇も違うので、当然意見の衝突はあるでしょう。
「男は
外で7人の敵がいるが、家に帰ると、最大の敵が待っている」といわれます。ある未亡
人から「夫婦喧嘩できるなんて幸せですよ」といわれたことあります。お互いに、助け
手になり、相手をカバーし、脇役的存在になりましょう。ブレーキの壊れた車は暴走し
ます。
家庭で歯止めをかけるブレーキ役も大切です。
内助の功としてあなたが必要です。
ラジオで「夫婦円満の秘訣」を話していました。たった一言「ありがとう」が家庭を変
えます。
◎Iペテロ3:1を読んで祈ろう。
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きょうのメニュー:創世記3章
「神の捜索願」
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7月4日(水)創世記3:9「あなたは、どこにいるのか」
罪の悲惨さが記されています。責任天嫁をしています。12節を見ると、アダムは「こ
の女」が私にくれたといっています。エバはエバで「蛇」が惑わしたといいます(13)
。
二人とも自分は悪くないといいます。悪いのは「女」「蛇」であるといいます。そんな
二人に神の側から人を求めたのです。ここに神の先行的な恩寵、神の一方的な恵みを見
ることができます。今でも神はあなたと交わるために、あなたを捜し求めておられます。
あなたが日曜日に礼拝を休んだり、いつもの祈り場にいなかったりすると、あなたはど
こにいるのかと心配しておられます。さて罪とは、ギリシャ語で「ハマルティア」とい
い、
「的はずれ」という意味です。それは犯罪という結果ではなく、本来あるべき所か
らズレている状態をさしています。だから「罪人」ではなく「ズレ人」といった方がい
いでしょう。本来、人は神を見上げて歩む存在として創造されました。その本来、行く
べき場所やあるべき状態にいないことが神のみこころを悲しませていることになりま
す。神さまは「あなたは、どこにいるのか」と求めておられます。なぜ教会に来ないの
か、なぜ聖書を読まないのか、なぜ祈らないのか、なぜ奉仕や伝道をしてくれないのか、
と。
◎ヨハネによる福音書15:16を読んで祈ろう。
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きょうのメニュー:創世記4章
「神の質問」
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7月5日(木)創世記4:9「あなたの弟アベルはどこにいるのか」
神の人間に対する第一の質問は「あなたはどこにいるのか」でした。そして、第二の
質問は「あなたの弟アベルはどこにいるのか」でした。人の側からでなく、神の側から
捜索しています。兄は弟のことを知っているのに、
「知りません」
(9)と言い訳しまし
た。愛の反対語は憎しみではなく、無関心と聞きます。つまり、愛とは隣人に近づいて
いくこと、関わることです。介護や看護には愛情が必要です。教会員が病気で休んでい
ても、無関心だったら愛のない証拠です。きっとあなたの身内が外国にいたら、その国
の事件に他人事でいられなくなるはずです。もちろん、他人が優先で自分のことはどう
でもいいと教えているのはありません。会員の痛みを共有しましょう。身内も求道者の
ひとりです。私たちは自分自身の番人であると共に、両親・兄弟・友人・上司・部下の
名前も、神の台帳に関連事項として記載されています。彼らはあなたの責任範囲です。
あなたがもし一人で天国に行くならば、イエス・キリストは天国の入り口で「あなたは
たった一人でここに来たのですか。あなたに託してきた魂はどこにいるのですか。あな
たなら何とかしてくれると思い信頼して魂を委ねたのに」と言われるでしょう。
◎ヨハネによる福音書13:15を読んで祈ろう。
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きょうのメニュー:創世記5章
「あなたの信仰歴」
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7月6日(金)創世記5:24「エノクは神とともに歩んだ」
柏木哲夫先生は淀川キリスト病院で2500人以上の末期患者を看取りました。『死
をみつめて』という本に、
「人は生きてきたように死んでいく」
「人は生きてきたように
しか死んでいかない」と記しています。
「生き様が死に様」ということです。人間の一
生は何年間生きたか、どんな事業や業績を残したかは問題ではありません。エノクのよ
うに、神と共に歩調を合わせることが永遠の滅びからまぬかれ、天国に入る条件です。
一般歴も大事ですが、信仰歴はもっと大事です。K兄は87歳の生涯を終えて、アット
いう間に天国へ旅立ちました。天に帰る数日前、葬儀の讃美も、奏楽者も決めていまし
た。彼は言葉の人ではありませんでしたが、その存在感が大きかったです。ただいるだ
けで、教会の大黒柱のようでした。パーキンソンという病を抱えての礼拝出席で、自分
の席を埋めるという奉仕を忠実にされていました。最後は「肺炎」という病名がつけら
れました。この世の医者は病名をつけますが、病名で死ぬ人はいません。使命の終わり
がその人の死です。まだ命が残されているのは、使命が残されている証拠です。この世
は天国への待合所ではありません。何か必要があって、この世に生かされているのです。
◎Iテサロニケ5:10を読んで祈ろう。
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きょうのメニュー:創世記6章
「今あるは神の恵み」
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7月7日(土)創世記6:14「内と外とを木のやにで塗りなさい」
ノアが造った箱舟は長さ約150メートル、幅が約25メートル、高さが約15メート
ルでした。この箱舟はキリストの模型です。箱舟の仕上げに[木のやに]を用いたのは大
変興味深いです。
「やに」=「アスファルト」です。それは「あがない」と同義語です(レ
ビ記17:11)
。
「あがない」とは「身代金」の意味ですから、私たちが救われた背後
には、イエス・キリストという尊い十字架の身代金が支払われたということです(Ⅰコ
リント6:20)
。
それは決して行いによるのではなく、
ただ一方的な恵みによるのです。
マザーテレサの言葉に「あなたも望まれて生まれてきた一人です」とあります。神は目
的があって、この世に生まれさせて下さったのです。決して偶然ではありません。今あ
るのは神の恵みです。
「いま」の現実を神の恩寵として受止められる人は受容している人
です。人間ですから欠点や短所がありますから、だれしも「いま」を見たくない、認め
たくないと思うものです。案外、五体満足でも「あれがない」
「これが足りない」と不平
不満の文句をぶつけることがあります。神はいつも「ほしいもの」ではなく「必要なも
の」を与えてくださいます。この今の自分とうまく、仲良く付き合っていきましょう。
◎エペソ人への手紙2:8を読んで祈ろう。
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きょうのメニュー:創世記7章
「ピンチはチャンス」
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7月8日(日)創世記7:16「神がノアに命じられたとおりであった」
私たちは毎日いろいろな声を聞きます。たとえば、野鳥の声、騒音、雑音、人のうわ
さ話など。その中で神の声ほど聞く必要があります。
「信仰は聞くことから始まり」
(ロ
ーマ10:17)といいます。信仰は神の声を聞くことから生まれます。神の言葉をい
いかげんに聞く者には、信仰は生まれてきません。ではどうやって神の言葉を聞くので
しょうか。それは静まることです。詩篇46:10に「静まって、わたしこそ神である
ことを知れ」
(口語訳)とあります。バタバタと動き回っていては、神の言葉は聞こえて
きません。楽譜の休止符が一つの大切な音符であるように、人生の休止符こそ、貴重な
静止の時です。人生の立ち止まりも一つの動きです。聖書を見ると、ピンチこそチャン
スです。
みんな逆境の中で神と出会っています。
アブラムも父親のテラが召天したとき、
神の声を聞きました(創世記12:1)
。ヨシュアも指導者モーセの死後、神の声を聞き
ました(ヨシュア記1:1)
。イザヤもウジヤ王の死後、神の声を聞きました(イザヤ書
6:1)
。ノアも神の声に聞き従いました。そこはアララテ山だといいます。海から離れ
ている場所での箱舟建築は滑稽に見えたことでしょう。
変人扱いをされたことでしょう。
◎イザヤ書30:15を読んで祈ろう。
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きょうのメニュー:創世記8章
「対神関係を最優先に」
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7月9日(月)創世記8:20「ノアは、主のために祭壇を築き、祭壇の上で全焼のいけ
にえをささげた」
ノアが箱舟から出て、まず最初にしたことは何でしょうか。それは主の前に祭壇を築
くことでした。ノアにとって、箱舟から出てからやるべき雑用はたくさんあったと思い
ます。自分のこと、家族のこと、家畜の世話など。どれも皆大切なことばかりです。け
れども彼は神様との関係、対神関係を最優先にしたのです。これは私たちが学ぶべき教
訓です。イザヤ37:31に「下に根を張り、上に実を結ぶ」とあります。自然界でも、
大切な根の部分は隠れ、そこで栄養分を補給し、上の結実とつながります。信仰生活も
また同じです。人目につかない、隠れた部分においていかに神と交わるかで勝敗が決ま
ります。教会の奉仕も、デボーションをしないでやったら、霊的に枯渇し、疲れ、重荷
になります。デボーションはいっさいの奉仕の原動力です。神の恵みは冷凍保存してお
くことはできません。
「昨日の戦ではきょうの戦いに勝てない」といいます。毎日心の糧
を食べる必要があります。最近家の近くで「11 カット」をやっています。
「11 分であな
たが変わる」という美容室の文句ですが、私たちは外面の変化を求めがちですが、まず、
自分の内側が変わらなければ。きょう、優先順位を確認しましょう。
◎ルカによる福音書10:42を読んで祈ろう。
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きょうのメニュー:創世記9章
「主よ、なぜですか」
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7月10日(火)創世記9:9「さあ、わたしはわたしの契約を立てよう」
最近のニュースは悲しい事件が多いです。解説者は、いつ、どこで、だれが事件にあ
ってもおかしくないといいます。
「雨宿りした木陰で思わず木の実を発見することがあ
る」といいます。私たちは突然、病気やケガで「雨宿り」して雲の中におかれる時があ
ります。
「主よ、なぜですか。なぜ、こんな羽目になったのですか」という雲に取り囲
まれることがあります。しかし、失望や絶望の中に神は虹を起こして下さるというので
す。虹というのは、快晴の時ではなくて、むしろ嵐や雨の後に現われます。14節に「虹
が雲の中に現われる」とあることは、試練が永遠に続くものではなく、トンネルに出口
があることを意味します。試練は限定付きです。現実に見えるところは雲であっても、
一万メートル上空はいつも太陽がキラキラ輝いていることを忘れてはなりません。神の
恵みは決して消えません。
「忘れないで/いつもイエスさまは/君のことを見つめてい
る」という讃美があります。主は試練と同時に「のがれる道」を備えておられます。虹
が見られるためには、雨や嵐がどうしても必要なのです。寒ければ寒いほど紅葉はきれ
いだと言われます。神から来る試練は何一つムダではありません。
◎ヘブル人への手紙12:11を読んで祈ろう。
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きょうのメニュー:創世記10章
「リーダーのこころえ」
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7月11日(水)創世記10:9「主のおかがで、力ある漁師ニムロデのようだ」
ニムロデはノアの洪水の直後に生まれ、それからアブラハムまでの400年間で最も
権力のあった指導者であったと言われます。彼は主のおかげで権力者になったが、やが
てそのことを忘れてしまい、人類を支配しようと野心をいだき、バベルの塔の工事責任
者にもなったようです。聖書は「彼は主のおかげで、力ある猟師になった」
(9)と記し
ています。それ以後、バビロニヤは長い間「ニムロデの地」として知られるようになり、
彼はバビロニヤの神と祭られました。神のおかげで今の自分があるのだ、ということを
忘れる時、人間は傲慢になります。この地上の勲章や肩書きがあるばっかりに人は高ぶ
るものです。
「能ある鷹は爪を隠す」という諺があります。神から与えられたものを、あ
たかも自分で得たものと勘違いしてはなりません。私たちはよく「おかげさまで」とい
う挨拶を交わします。英語では「Thanks to God」と聞いたことがあります。あいまい
でなく、明確に「God」
(神)となっています。まわりの人と比べないようにしましょう。
要は、与えられたものをどのように活用するかです。お互いに、大成功しても、自分の
能力や知識を過信せず、謙遜を身につけましょう。
◎マルコによる福音書10:44を読んで祈ろう。
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きょうのメニュー:創世記11章
「バベルの塔に学べ」
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7月12日(木)創世記11:9「主が全地のことばをそこで混乱させたから」
言葉はお互いの気持ちを理解し、助け合うために大切な役割をしています。ところが、
言葉がわかっていても心が通じ合わないのはなぜでしょうか。その原因はバベルの塔に
あります。4節に「さあ、われわれは町を建て、頂が天に届く塔を建て、名をあげよう」
とあるように、
当時の人々は、
バベルの塔を建てて自らの権威を誇示しようとしました。
塔を天まで届かせようとしたのは、明らかに人間の神に対する力の誇示です。そこで神
は人間の傲慢を見られ、言葉を混乱させ、互いの意思が通じないようにされました。こ
のことは現代の私たちに何を教えようとしているのでしょうか。それは私たちが神との
関係が破壊される時、夫婦の間で、親子の間で、職場の間で、互いの気持ちが通じ合わ
なくなるというのです。つまり、対神関係の混乱が対人関係の混乱になるのです。私た
ちは自分のことを棚にあげておいて、
「あの人が変われば」とまわりに変わることを要求
します。しかし、自分が変わらずして、まわりが変わるはずがありません。本の表紙を
変えても、中身が変わらなければ変わったことになりません。誰かではなく、この私が
変えられるため、まず対神関係を築き直しましょう。
◎マルコによる福音書9:29を読んで祈ろう。
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きょうのメニュー:創世記12章
「取るべき地」
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7月13日(金)創世記12:1「その後、主はアブラムに仰せられた」
「その後」とは、神のおことばに従うことを中途でやめていた者への再度のおことば
です。アブラム一家はカナンの地に行くためカランまで来て、そこに住みついてしまっ
たのです。その後です。神は75歳のアブラムに「あなたは国を出て、親族に別れ、父
の家を離れ、わたしが示す地に行きなさい」
(口語訳)と言われました。老人になると、
考え方が保守的になり、安全を求めがちです。冒険を嫌います。旅といっても今と違い、
旅行の安全の保障はどこにもないのです。
自衛隊や警察もありません。
治安は不安です。
交通機関も発達していません。それに彼一人の旅ではないのです。彼の一族も家畜も同
伴の旅です。
聴従を妨げる材料はたくさんありましたが、
アブラムは主に従ったのです。
神は若者も用いるが、高齢者をも使います。例えば、モーセは80歳で、ヨシュアも高
齢になっても派遣されました。高齢者は教会の宝です。今の教会を築いてきたのは彼ら
です。粗末に扱ったら祝福を失います。世間一般では、お年寄りは社会のお荷物とされ
たり、社会の片隅に追いやられます。しかし、信仰の世界では違います。一般職を定年
退職され、第二の人生を牧師として活躍されている方がいます。
◎イザヤ書46:4を読んで祈ろう。
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きょうのメニュー:創世記13章
「原点に戻れ」
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7月14日(土)創世記13:4「そこは彼が最初に築いた祭壇の場所である」
妻サライを妹といつわっていたことが露見して、アブラムはエジプトを追われました。
彼は以前、彼が最初にカナンに来たときに天幕を張り、祭壇を築いたべテルに帰って、
そこで主の名によって祈りました。4節に「その所でアブラムは、主の御名によって祈
った」とあります。彼はいろんな場所を選ぶことができましたが、あえて「最初に築い
た祭壇の場所」を選んだのです。失敗したとき、まず自分の信仰生活の原点に帰り、悔
い改めて主の赦しをいただき、主のみ許から再出発するのが最善です。私たちも失敗し、
罪を犯したら、心をかたくなにしないで、すなおに主のみ許に立ち返り、主のみ前に罪
を告白し、悔い改め、主の赦しをいただき、新しくされて再出発をはじめましょう。し
かし、案外自己保身が強くなり、自分の失敗や弱さを認めにくいものです。箴言28:
13に「自分のそむきの罪を隠す者は成功しない。それを告白して、それを捨てる者は
あわれみを受ける」とあります。
「夫婦円満の秘訣」があるとすれば、
「すみません」と言い合うことです。自分はどこま
でも正しい、間違っているのはお前の方だ、という図式だと、夫婦喧嘩は絶えません。
たった一言が家庭を変えます。
◎詩篇51:17を読んで祈ろう。
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きょうのメニュー:創世記14章
「祈祷の絆」
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7月15日(日)創世記14:20「あなたの手に、あなたの敵を渡されたいと高き神
に、誉れあれ」
アブラムはおいのロトが捕らえられたと聞いて、すぐ318人を引き連れて追撃し、ロ
トや婦人たちや財産を取り戻しました。318人という数はケダラオメル同盟軍の大軍
に比べると貧弱な数字です。彼が少数者で大勝利をおさめたのは、どこに原因があった
のでしょうか。それは普段の祈りのお陰であったようです。創世記13:18に「アブ
ラムは‥その所で主に祭壇を築いた」
(口語訳)とあります。アブラムは行った場所で必
ず祈りの祭壇を築き、主と交わっていました。聖書に「アブラムは、主の御名によって
祈った」
(創世記13:4)とあります。その祈りの原動力がいざという時に役立ちます。
14章で大勝利をおさめる前に、13章18節の隠れた祈りがあったのは注目すべきこ
とです。信仰生活は、隠れた部分において神といかに交わるかで決まります。だから教
会を離れてからが本当の戦いが始まります。自宅では号令をかける人はいません。司会
者も祈祷当番も説教者もいません。全部ひとりでやらなければなりません。祈りは教会
のモーターです。祈りはすべてを解決する鍵です。大震災の後、絆が叫ばれるようにな
りました。その中でも、祈祷の絆こそ、大切なものはありません。
◎ヤコブの手紙4:2~3を読んで祈ろう。
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きょうのメニュー:創世記15章
「恐れを取り除く秘訣」
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7月16日(月)創世記15:6「彼は主を信じた。主はそれを彼の義と認められた」
アブラハムには一つの不安や悩みがありました。それは2節~3節にあるように、後継
者問題です。彼は今の自分の気持ちを素直に神に打ち明けました。私たちは自分の感情
を素直に話すのを我慢することがあります。こんなことを祈っては悪いのではないかと
躊躇します。気持ちを抑えたり、ストレスを抱え込んだら、いつか爆発します。しかし、
アブラハムが神の前に正直にあるがままに出たことは大変教えられます。1節の「恐れ
るな」という言葉は365回聖書に出てくるそうです。アブラハムといえども、恐れて
いたのです。私たちは悪い方に、マイナス思考に考えがちです。昨年、通院先の病院で
採血と尿検査をしました。もし何かあったらどうしようと結果を聞く前から不安や恐れ
がやってきました。結果は異常がありませんでした。つくづく自分は否定的になりがち
だと思いました。では、恐れや不安を取り除く秘訣は何でしょうか。4節に「主のこと
ばが彼に臨み」とあります。アブラハムは主のことばを握ったときに、不安や恐れから
解放されました。何か問題があると、横やまわりを見がちですが、主を見上げましょう。
何が問題といったら、主のことばがないことが最大の問題です。
◎ヨハネによる福音書11:40を読んで祈ろう。
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きょうのメニュー:創世記16章
「出発点に帰れ」
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7月17日(火)創世記16:9「あなたの女主人のもとに帰りなさい」
ここに記されていることは、
古代オリエントの風習を反映したものです。
ある文書は、
妻が子どもを産まなかった場合、女奴隷を側室として与えなければならないそうです。
今の時代で、結婚しても子どもが与えられないのは、あなたの責任ではありません。何
か主のお考えがあるのです。聖書は「わたしがしていることは、今あなたにはわからな
いが、あとでわかるようになります」
(ヨハネ13:7)といいます。自分を責めないこ
とです。
「母の日」とか母親に対する説教が多いですが、あなたが悪いのでも何でもあり
ません。私たちの世の中には理解できないこと、納得がいかないことが多いです。受け
身です。自分で決断して選んだのではありません。アブラムはサライのしもべであるハ
ガルによって、イシュマエルを産みます。ハガルはそこにいられなくなり、サライのも
とを逃げようとします。そのハガルに主の方から声をかけます。7節に「彼女を見つけ」
とあります。もしあなたが何か失敗したら、出発点に帰ることです。登山でも迷ったら、
もとに帰ることが大事だといわれます。信仰も、どこから落ちたかを思い出し、新しく
やり直せばいいのです。
◎黙示録2:4-5を読んで祈ろう。
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きょうのメニュー:創世記17章
「神は捨てない」
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7月18日(水)創世記17:1「わたしは全能の神である」
アブラハムがこのみことばを聞いたのは、99歳の時でした。99歳の老人に向かって
「あなたはわたしの前に歩み、全き者であれ」とは非情のようです。この時のアブラハ
ムは霊的にスランプの状態でした。それは16章と17章の間には13年間、神との交
わりが記録されていないからです。そんな落ち込んでいたアブラハムに、もう一度チャ
ンスを下さったのです。神のコーリング(召命)を聞いても、私は年だから、私はまだ
若いから、私は話がへたくそだから、などと言って否定的になりがちです。しかし神は
アブラハムに向かって、がんばって「全き者になれ」と言われたのではありません。そ
の前に「わたしは全能の神である」と記しています。アブラハムといえども、
「全能の神」
にあってはじめて全き者となり得るのです。
「がんばり信仰」というのがあります。それ
は自転車のペダルを踏んで山道を登るのに似ています。奉仕も伝道も「がんばり信仰」
でやるから苦痛になるのです。肩の力を抜いて、まず「私が、私が」という自我が砕か
れることです。自分がやるのではなく、
「させていただく」のです。もはやあなたはひと
りぼっちではありません。背伸びしないで、神の働かれる余地を残しておきましょう。
◎ヘブル人への手紙13:5を読んで祈ろう。
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きょうのメニュー:創世記18章
「とりなしの祈り」
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7月19日(木)創世記18:17「わたしがしようとしていることを、アブラハムに
隠しておくべきだろうか」
アブラハムはソドムに甥のロト一家が住んでいるので、
何とか助かるように必死で
「と
りなし」の祈りをします。50人からスタートして、45人、40人、30人、20人、
10人と根気良く具体的に神にぶっつけます。感情も神が造って下さいました。
「クリス
チャンはこうあるべきだ」と型にはめて窮屈になっている人が多いです。飾る必要はあ
りません。それがお祈りです。愛する人が亡くなったら、当然悲しいでしょう。泣きた
いでしょう。辛いでしょう。先日「ファイナルケア」を学びました。①「喪失期」=大
切な人を亡くされたご家族は、その直後はどなたも頭の中がからっぽになります。この
期間は約1週間。②「混乱期」=その後、今までのことを後悔したり、親戚などを批判
したり、怒りや悲しみや感謝が同時におそってきます。この期間は約3-5週間。③「抑
うつ期」=そのあとにやっと、死を受け入れられます。この期間は約 1 年。④「独立期」
=2 年後には、新しい自分として出発することができるのだそうです。もちろん、人に
よって各期間は異なります。主イエスも泣きました。
(ルカ19:41、ヨハネ11:3
5)
。あなたの問題に共に悲しみ、共に泣いてくださいます。
◎ローマ人への手紙12:15を読んで祈ろう。
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きょうのメニュー:創世記19章
「信仰を妨げる障害物」
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7月20日(金)創世記19:17「うしろを振り返っていけない」
神はソドムとゴモラを滅ぼされたが、ロトの家族だけは救うと約束されました。ただ
それには一つの条件がついていました。それは「うしろを振り返っていけない」
(17)
ということでした。ところが、ロトの妻は、神の警告を無視してうしろを振り返ったの
で塩の柱になりました。彼女は過去に生きた典型的な人物です。
「うしろを振り返る」に
は、
「慕ってかえり見る」の意味があるそうです。登山家にとって、上ってきたうしろを
振り返ることが一番危険だそうです。さて、信仰の前進を妨げる「不必要なものを忘れ
る」ことが必要です。第一に、過去の罪を忘れることです。悔い改めて、十字架の血潮
を仰ぎ、過去の罪を精算していただくことです。第二に、過去の失敗を忘れることです。
いつまでもくよくよしたら不健康です。もちろん、失敗から学び得ることは多くありま
すが、失敗を忘れる最良の方法は、それを聖霊にゆだねることです。第三に、過去の栄
光も忘れることです。
いつまでも過去の輝かしい成功に執着し、
自己満足しているなら、
致命的な打撃です。
昨日の大成功はもう過去です。
「勝って兜の緒を締めよ」
といいます。
大勝利、大成功を収めても、おごらず、いつも挑戦者の気持ちでいましょう。
◎Iペテロ5:7を読んで祈ろう。
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きょうのメニュー:創世記20章
「人を恐れず、神を畏れよ」
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7月21日(土)創世記20:17「そこで、アブラハムは神に祈った」
アブラハムは先にエジプトでしたのと同じ失敗を(創世記12:11~13)
、このゲラ
ルでまたも演じました。アブラハムは二度までも人を恐れて、自分の妻を妹と偽って罪
を犯したのです。信仰の父アブラハムといえども、信仰を離れては私たちと同じ臆病者
です。聖書は「信仰の父アブラハム」ですら、このような罪を隠さず記していることは、
私たちにとって警告です。私たちは神を離れては弱い人間です。失敗は確かに大きな損
失を招きます。しかし、それですべてを失うのではないのです。神の愛までも失うので
はないのです。彼の子孫から救い主が誕生し、祝福の基となったのです。よくダビデと
サウロ、ペテロとユダが比較されます。前者は、罪を犯しましたが選ばれ、後者は捨て
られました。
両者の違いは失敗した後の出方で決まりました。
「アブラハムは神に祈った」
とは、神との関係の修復、和解ができた証拠です。私たちも失敗する者です。失敗はし
ないほうが良いに決まっていますが、したくてする失敗はありません。一生懸命努力し
たのに、結果的に失敗や寄り道や遠回りをすることがあります。自分の思いと反対方向
に導かれることもあります。しかし、主はピンチをチャンスに、マイナスをプラスに、
ハンディをバネに変えます。
◎箴言29:25を読んで祈ろう。
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きょうのメニュー:創世記21章
「神への聴従」
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7月22日(日)創世記21:33「アブラハムは、…その所で、永遠の神、主の御名
によって祈った」
ハガルとイシマエルを追い出すことは、
それが神の命令だとわかると即服従しました。
次の22章でイサクをモリヤの山で献げる時間も「翌朝早く」でした(22:3)
。この
時はアブラハムにとって最もつらい時でした。
しかし、
彼は自分の感情や人情に負けず、
朝はやく神の命令に従ったのです。アブラハムは何か重要な決断を迫られたとき、ただ
ちに従ってきました。創世記19:27、20:8。これは単に時間的に早いだけでは
なくて、神への聴従を最優先したことを意味します。アブラハムは、それが神のみここ
ろであるとわかると時を移さず、即刻従ったのです。その結果、彼の子孫からイエス・
キリストが誕生し、祝福の基となったのでした。弟子たちの服従も即刻でした。マルコ
1:18参照。すべてのことには時があります。聖書は「神のなさることは、すべて時
にかなって美しい」といいます。神のために何かをしようと思っても、手遅れになって
は意味がありません。
「あとで」
「そのうちに」と言わず、
「すぐに」決心しましょう。あ
なたは信仰的決断を躊躇していませんか。主のみこころに足踏みしないで、ただちに従
いましょう。言い訳をしたり、心をかたくなにすると主の恵みから漏れます。躊躇して
いるスキに正しい判断を狂わせてしまうことがあります。
◎マタイによる福音書4:20を読んで祈ろう。
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きょうのメニュー:創世記22章
「主の山に備えあり」
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7月23日(月)創世記22:14「主の山の上には備えがある」
イサクは、主のお約束によって与えられた、たったひとりの大切な愛する子でした。
その子を神にささげよといわれたのです。どんなに大切なものでも、神を重んじたので
す。
「イサク」とは、最愛の宝物を意味します。これだけはいくら神でも献げたくない、
それを献げよというのです。献身とは、献げても痛くもかゆくもないものを明け渡すこ
とではありません。アブラハムは悩み苦しんだに違いありません。しかし、聖書はそん
なことを何も記していません。
彼が御言に従ったことだけを記しています。
主の前には、
御言に従うか従わないか、主を信頼し抜くか主を信じないかだけが問題なのです。ヘブ
ル人への手紙の著者は、アブラハムが、神は人を死人の中からよみがえらせることがで
きると信じていた、といっています。聖書に「彼は、神には人を死者の中からよみがえ
らせることもできると、考えました」
(ヘブル11:19)とあります。神の愛と力にた
いする絶大な信頼が主に従う力を与えます。主に従ったときに、ちゃんと雄羊が備えら
れていたのです。どぶ水もそのままにしておけば、上部は清水です。しかし、一度棒を
差し込んでかき回せば、さまざまな汚物が浮かび上がってきます。私たちの心の中も、
棒でかき回すと、何が出てくるでしょうか。
◎マタイによる福音書15:27を読んで祈ろう。
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きょうのメニュー:創世記23章
「親しき仲にも礼儀あり」
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7月24日(火)創世記23:7「そこでアブラハムは立って…ヘテ人にていねいにお
じぎをして」
この章はアブラハムの妻サラが127歳でなくなり、アブラハムが墓地を購入したい
きさつです。その代価は「銀400シェケル」
(15)とあるが、非常に高価な値段です。
族長時代の北アラムのいくつかの土地の売却の記録が残されているが、それによると、
1つの村が百-千シェケルであった。したがって、ほら穴を含む畑地が400シェケル
であったということは、驚くべき高値です。それにしても、アブラハムの交渉は実に礼
儀正しく行われました。7節に「ていねいにおじぎをして」とか、12節に「その土地
の人々におじぎをし」とあります。代価を支払うのですから、当然の、当たり前の行為
ですが、彼は謙虚に、ていねいに礼儀を尽くします。これには大変学ぶべき教訓があり
ます。一般にも「親しき仲にも礼儀あり」といいます。ご主人が一生けん命働いて得た
給料に「ありがとう」と丁寧におじぎして受け取るといいです。
「夫婦円満の秘訣」はた
ったひとこと「ありがとう」だそうです。当たり前のことと思うと、何でも感謝がわい
てきません。三浦綾子さんですか、夫婦と思わないで、他人と思え、といったのは。も
ちろん、戸籍上は夫婦に違いありませんが、赤の他人から良いことをしてもらったら、
必ずお礼をいうでしょう。
「ありがとう」が家庭を変えます。
◎Iテサロニケ5:18を読んで祈ろう。
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きょうのメニュー:創世記24章
「配偶者の選択」
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7月25日(水)創世記24:27「私の主人、アブラハムの神、主がほめたたえられ
ますように」
アブラハムはイサクが40歳になった時(25:20)
、息子に配偶者を求めました。
そして結婚の相手を選ぶのに、ある条件を出しました。それは、カナン人からめとらな
いで、自分の国へ行き、親族の所へ行ってそこから伴侶をとらなければならないこと。
つまりアブラハムはイサクの相手を選ぶのに、信仰の一致を第一条件に考えたのです。
これは国際結婚を否定したのではありません。当時のユダヤ人社会にとって、部族の信
仰の遺産を継承することが大事だったようです。出会いは神の導きです。お見合い結婚
でも恋愛結婚でも神が唯一の仲人です。神が合わせたものを人が簡単に引き離してはな
らないのです。案外、私たちは結婚相手を決めるのに、外見だけで判断することが多い
のです。いざ自分の結婚相手を選ぶのに、顔、形、容姿、家柄、学歴などを理想にする
人が多いのです。今日、離婚の第一原因は「性格の不一致」と言われています。そのこ
とを考えると、価値観の一致こそ祝福された結婚生活の要因でしょう。そこで最も大事
なことは、神のみこころがどこにあるかということです。具体的には、①祈って、み言
葉を握ることです。②打開の道という状況判断。③まだ成就しなくても、平安がありま
す。自分の好みではなく、主のみこころを優先させよう。
◎マタイによる福音書26:39を読んで祈ろう。
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きょうのメニュー:創世記25章
「あきらめない祈り」
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7月26日(木)創世記25:21「イサクは自分の妻のために主に祈願した」
イサクは40歳でリベカと結婚しましたが、20年間子供が与えられませんでした。
そこで彼は「主に祈願した」とあります。詳訳聖書では「多く祈った」となっています。
元々は「絶えず繰り返して祈る」という意味です。当時のユダヤ社会では、子供は神の
祝福のしるしと思われていました。また子供を産めない女はまわりから変なレッテルを
貼られ、肩身の狭い思いをしていました。だからイサクは結婚してから20年間、あき
らめないで神に期待して祈ったことでしょう。彼は粘り強い祈りの人でした。20年間
継続して気長に祈り続けたのでした。祈りにはすぐ聞かれる祈りと、時間を要する祈り
があります。案外、私たちはすぐ答えられないからといって祈りを投げ出してしまいが
ちです。以前『ヤベツの祈り』を読みました。祈りの場、時、態度にこだわって、かま
えてしまいがちですが、もっと肩の力を抜いて、気軽に、楽しく、単純に、今の思いを
そのまま、神に話せばいいことを教えてくれます。祈りは神との対話です。最近、37.
8歳の史上最高齢で優勝した力士が、途中でやめないで良かった。19年間相撲生活の
中で、相撲をやめたいことがあったが、続けて良かったと。信仰も同じです。
◎ヘブル人への手紙10:36を読んで祈ろう。
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きょうのメニュー:創世記26章
「優先順位の確認」
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7月27日(金)創世記26:25「イサクはそこに祭壇を築き、…天幕を張り、…井
戸を掘った」
「創世記」には、アブラハムの生涯(12章~25章)、イサクの生涯(25~26
章)
、ヤコブの生涯(27章~37章)
、ヨセフの生涯(37章~50章)などがありま
す。アブラハムやヨセフが13章、ヤコブも10章をさいているのに、イサクはたった
2章と短いです。しかし、イサクの記事は今日の私たちに大切なことを教えています。
彼は第1に「祭壇」を築き、第2に「天幕」を張り、第3に「井戸」を掘ったというの
です。言い換えると、神様のことを最優先にし、次に家庭を、次に仕事(事業)をもっ
てきたのです。この順序はでたらめに並んでいるのではなく、この配列に神の導きを感
じます。もちろん、仕事はどうでもいいというのではありません。特に日本は仕事の量
や業績で人物評価されます。
「戦場カメラマン」の渡部陽一さんも、仕事より家族を優
先しています。
「牧会ジャーナル」に、子供から見た親像があります。三大父親語録は
「お前はうちの太陽だ」
「お前はお父さんの宝、宝」
「生まれてきてくれてありがとうな」
。
何かよい事をした時にそういうことを言うんじゃなくて、何にもしていない時に突如‥。
きょう、仕事ができるのは、家族がしっかりあるからです。お互いに、家庭を大切にし
ましょう。
◎詩篇128:3を読んで祈ろう。
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きょうのメニュー:創世記27章
「家庭崩壊の原因」
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7月28日(土)創世記27:36「私の長子の権利を奪い取り、今また、私の祝福を
奪い取ってしまった」
クリスチャン同士が結婚すれば、それで立派なクリスチャンホームができるとは限りま
せん。それはイサクとリベカの家庭の中に見ることができます。イサクもリベカも今で
いうと、育ちの良いクリスチャン2世で信仰を受け継ぎました。ところが、その家庭は
うわべはともかく実体がバラバラで、お互いの会話は建前が行き交って、本音は隠され
たままでした(27:46)
。二人の息子は、人の顔色を見て行動し(28:6~9)
、
腹の底では、エサウはヤコブを殺そうと思っていました。イサクとリベカの家庭は崩壊
寸前の家庭でした。どこにその原因があったのでしょうか。イサクは長男エサウを、リ
ベカは次男ヤコブを偏愛していました。つまり、親も子離れしていなかったし、子も親
離れができていませんでした。しかし、もっと根本的なことは、イサクとリベカがそろ
って主のみ前に出ることを怠ったことに、クリスチャンホーム形成に失敗した原因があ
ると思います。夫婦は育った背景が異なるので、当然意見の衝突や夫婦喧嘩があるでし
ょう。男には外に7人の敵があるが、家に帰ると、そこに最大の敵が待っているといい
ます。枝葉のことで違いがあっても、主流がしっかりと主に結びついている家庭を築き
ましょう。
◎コロサイ人への手紙3:18~19を読んで祈ろう。
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きょうのメニュー:創世記28章
「人間のピンチは神のチャンス」
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7月29日(日)創世記28:15「わたしは、あなたに約束したことを成し遂げるま
で、決してあなたを捨てない」
この時のヤコブは、大変孤独なひとり旅をしていました。今までは、家族も住居
もありました。それが野原で一夜を明かすという羽目になりました。彼の人生経験
上、まさかの経験、はじめての体験であったでしょう。そういう辛い時に、主との
出会いを経験することになります。ピンチはチャンスといいます。荒野は高慢を砕
き、謙虚な心にさせます。聖書を見ると、試練の時、神の御声を聞いています。例
えば、アブラムです。
「テラはカランで死んだ」
(創世記11:32)とあります。
父親が召されるという悲しみの絶頂の中で、神の御声を聞きます。次に、ヨシュア
です。
「主のしもべモーセが死んで後」
(ヨシュア記1:1)とあります。リーダー
のモーセが召されるという悲しみの絶頂の中で、神の御声を聞きます。次に、イザ
ヤです。
「ウジヤ王が死んだ年に」
(イザヤ書6:1)とあります。それはBC74
2年のことです。イザヤは親友の王さまが召されるという悲しみの絶頂の中で、神
の御声を聞きます。このように、人間のピンチは神の出会いのチャンスです。何も
問題のない人は神に祈りません。問題自体はあってほしくないものですが、それに
よって神に近づくことができます。
◎Iコリント10:13を読んで祈ろう。
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きょうのメニュー:創世記29章
「愛は奉仕の原動力」
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7月30日(月)創世記29:20「ヤコブは彼女を愛していたので、それもほんの数
日のように思われた」
この章では、
ヤコブがラバンの二人の娘レアとラケルを妻にしたことが記されています。
人を動かすものが三つあるといいます。①言葉です。②お金です。③愛です。計算上か
らわりにあわなくても、喜んで働いている人がいます。彼らは打算ではなく、愛や使命
感が動かすのでしょう。ヤコブもラケルを愛していたので、
「ほんの数日のように思われ
た」とあります。彼にとって7年間の労働は苦痛ではなく、むしろ楽しみでした。愛は
奉仕の原動力です。うちの信徒は実によく仕えます。牧師の弱さが教会の活性化になっ
ています。私が他教会で奉仕するときは必ず付添いが同行します。教会の運営、看板、
お花、送迎、トイレ掃除もやってくれます。牧師が「燃え尽き症候群」にならないよう
に、釣りや温泉やラーメンに誘ってくれる人もいます。私の願いは、牧師が万一倒れて
も、内側がゴタゴタしない教会、足腰の強い教会を築くことです。ところで、この世の
習慣でもお世話になった人に「お中元」や「お歳暮」を贈ります。ましてや主イエス・
キリストはどんなに大きな愛をなさったでしょう。そうです。あなたのために十字架で
いのちを捨てて下さったのです。そのお方に何をもって応答するでしょうか。
◎詩篇116:12を読んで祈ろう。
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きょうのメニュー:創世記30章
「必要を満たす神」
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7月31日(火)創世記30:22「神はラケルを覚えておられた」
旧約においては、女性が子供に恵まれることは神の祝福のしるしとみなされていまし
た。ユダヤでは子供がないのは、大きな恥でした。だから、妻レアとラケルが競い合っ
て夫の子を産もうとしたのも、そこに神の祝福を仰ぎたかったからです。ラケルには長
い間、子供が与えられませんでしたが、神がその胎を開かれたので、ヨセフを産みまし
た。主は「わたしが出産に望ませて産まないことがあろうか。わたしは産ませる者なの
に胎をとざすであろうか」
(イザヤ66:9)といいます。このように神はラケルを心に
とめられました。つまり、神はその人の必要をすべて知っておられるというのです。私
は「神学生」というより、
「貧学生」であったのです。しかし、神は聖書学院の生活費の
いっさいを満たして下さいました。あるとき大きな集会で献金がありましたが、財布の
中身を献げました。すると献げた金額がそのまま友人から送られてきました。何か献げ
方をテストされているようでした。神はあなたの必要を忘れてはいません。
「ほしい」も
のではなく、
「必要な」ものは与えられます。召したお方は最後まで責任をもって下さい
ます。神はあなたのことを絶対忘れません。
◎マラキ書3:10を読んで祈ろう。
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