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エレミヤ書17章~エレミヤ書47章

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エレミヤ書17章~エレミヤ書47章
朝の15分があなたを変える。
心のごはん
2011年 5月号
エレミヤ書17章∼エレミヤ書47章
きょうのメニュー:エレミヤ書17章
「神への信頼」
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5月1日(日)エレミヤ書17:7「主に信頼し、主を頼みとする者に祝福があるよう
に」
これは直接的には当時の人々が神に信頼せず、バビロンやアッスリアを恐れて、エジ
プトと同盟を結び、
その援助を仰ごうとするのを戒めたものです
(イザヤ30:1∼2)
。
私たちの中にも自分の知識を過信したり、他人に依存しようとする思いがあります。以
前ある方に「うちの主人をどのように導いたらよいでしょうか。何かよい方法はありま
せんか」と質問されました。個人伝道法やハウツウものがないわけではありません。例
えば、孫に代弁していただくとか(親は子供よりも孫の方がコロっといくようです)
、口
で言わないで、紙に書くのもいいでしょう。机にそっとなにげなく、読んでほしいもの
を置いておくのもいいかも。男性にはプライドがあります。夫は妻に教えてもらうのが
苦手です。男の研究をすると、もっといい方法が見つかるでしょう。でも知ってほしい
ことがあります。聖霊が働くと、力を受けます。この世の力と区別して、神の力の場合
は「デュナミス」を使います。これから「ダイナマイト」ができたといいます。どんな
に地盤が堅くても、ダイナイトは破壊します。同様に、神が働くと不思議なことが起こ
ります。現実を見て」あきらめないことです。粘り強く、根気よく祈り続けましょう。
◎詩篇62:8を読んで祈ろう。
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きょうのメニュー:エレミヤ書18章
「はじめに神は」
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5月2日(月)エレミヤ書18:6「あなたがたも、わたしの手の中にある」
主はエレミヤに陶器師の家に行くように命じました。彼が行ってみると、陶器師が作
品を造っていました。この陶器師と粘土の関係は、神と私たちの関係です。私たちは神
の手造り作品です。それもオートメーションではなく、ハンドメイド(手造り)なので
す。私たちは隣の人を見ると、劣等感や嫉妬が生じます。まわりの人が立派な信仰者に
見え、自分がみじめになることがあります。しかし、どの人も神の栄光を現わすことが
できます。人はみな無限の可能性を秘めています。自分の体型にあった衣服が一番いい
のです。
人の借り物やものまねではなく、
自分に委ねられた人生を楽しめばいいのです。
ところで、聖書の最初に書かれているのは何だと思いますか。創世記1章1節に「はじ
めに神は」とあります。そうです。1日のはじめに、人生のはじめに、新年のはじめに、
神を置く生活を始めましょう。日本語の聖書は「創世記」ですが、ヘブル語原文では「は
じめに」
(ベレーシート)となっています。
「私が」
「私が」と神さえ押しのけて、自我が
前面に出てしまいがちです。まず「はじめに神は」を置きましょう。自分の思い、願い
ではなく、神のみこころがどこにあるかを祈って待ち望みましょう。
◎マルコによる福音書14:36を読んで祈ろう。
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きょうのメニュー:エレミヤ書19章
「神による破壊」
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5月3日(火)エレミヤ書19:10「そのびんを砕いて」
神は陶器を用いて別の教訓をエレミヤに教えています。
よくよく考えて見ると、
「破壊」
もーつの恵みであるのかも知れません。あの高価で純粋なナルドのつぼは粉々にこわさ
れた時、その芳香は部屋に満ちたのです。マルコ14:3には「それをこわし」となっ
ています。
「つぼ」が砕かれ、破壊されたゆえに、香りを放つことができたのです。実は、
信仰とは砕かれること、
神に負けることです。
多くの人は負けたくないと思っています。
自我が砕かれるのを恐れます。有料老人ホームに入居している教会員が「ここには天狗
が多い」と話していました。
「自分は理事をしている」とか、
「子供が大学の教授をして
いる」とか。どこの世界でもプライドやメンツを持って生きている人が多いようです。
ギデオンがミデアンと戦った時、つぼをたたき割ったので、光が照りました。土師記7:
19に「つぼを打ち砕いた」とあります。砕かれなくして、あかりを照らすことはでき
なかったのです。これは信仰の大切な真理です。あなたにとって、
「つぼ」とは何でしょ
うか。誇り高ぶり、自慢、思い上がり、自己流…。砕かれるべきものをあなた自身が一
番知っているはずです。心のつぼが砕かれ、へりくだって歩みましょう。
◎ヤコブの手紙4:10を読んで祈ろう。
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きょうのメニュー:エレミヤ書20章
「伝道の情熱」
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5月4日(水)エレミヤ書20:9「主のみことばは私の心のうちで」
エレミヤの言葉は当時の宗教指導者パシュフルによく思われませんでした。エレミヤ
が説教すると、人々は彼を物笑いにし、それどころか鞭打ちさえしました。エレミヤが
人のごきげんとりのような説教ではなく、何よりも神のみこころを大胆に語ったからで
す。説教とは、
「内に燃える愛の炎」と言えます。説教者の陥るひとつの誘惑は、人の耳
に心地よい言葉や受けのいい話や耳障りのいい話を語り、名声や人気を博し、人々から
賞賛を得、敬愛の念で囲まれることを求めてしまうのです。説教の内容が神のみこころ
というよりも、人に喜ばれるかどうかを、無意識のうちに意識しやすいです。エレミヤ
は主のみことばを語るまいとするが、心のうちで「燃えさかる火」となり、しまってお
くことができないというのです。ここに伝道の情熱があります。伝道は義務や強制では
できません。昨年のクリスマス・コンサートのために、教会では1000枚のトラクト
を配布しました。その1枚で教会に導かれた方がいます。トラクト配布は合理的でない
から、敬遠されます。数字にすぐ結果が表れないからです。なるべく無駄なことを避け
る傾向にあります。でもトラクトでしか導かれない方がいます。
◎伝道の書11:1を読んで祈ろう。
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きょうのメニュー:エレミヤ書21章
「降伏は幸福」
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5月5日(木)エレミヤ書21:14「わたしはあなたがたを、その行いの実にしたが
って罰する」
ゼデキヤ王はパシュルとゼパニヤの二人の宗教的指導者をエレミヤのところに派遣し
ました。神がバビロンの侵略から助けてくれるかどうか知りたかったのです。主は「命
の道」と「死の道」を用意されました。
「死の道」とは、町にとどまる人のことで、つる
ぎと、ききんと、疫病とで死ぬ道のことです。
「命の道」とは、バビロンに降伏する人の
ことです。降伏したら命が助かるというのです。
「降伏は幸福」と言えます。これは信仰
の世界でも大切な逆説の真理です。というのは、信仰は神への無条件降伏から始まりま
す。自分の知識や知恵を過信して、まだ何かできる、何かやれると思っている人は、本
当の意味で神に頼ることはできません。モーセは「自分の手によって」
、イスラエルの民
を救おうとしましたが、大失敗しました(使徒行伝7:25)
。そしてミデアンの荒野で
40年間、神のお取扱いを受けました。肉で仕上げようとした高慢が砕かれ、神の役立
つ人に変えられたのです。
「負けるが勝ち」といいますが、人は負けるのが嫌いです。し
かし、神の前に素直に弱さを認め、負けることです。肉の力に負けた時が神の働く時で
す。
「私が」
、
「私が」と言う思いが砕かれ、神の前にギブ・アップしましょう。
◎ガラテヤ人への手紙5:24を読んで祈ろう。
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きょうのメニュー:エレミヤ書22章
「主のことばを聞け」
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5月6日(金)エレミヤ書22:29「地よ、地よ、地よ。主のことばを聞け」
「地よ」と3度強調されているのは、よく聞くように、との強調です。逆に、もし主
のことばを聞かなければ、この家は必ず廃墟となります(5)
。私は病気になって、たく
さん気づきましたが、自分に聞くようになったのは恵みです。元気な時は、がむしゃら
にやってきました。徹夜もやったことがありました。今は、自分に聞けるようになりま
した。これは大きな変化です。からだはサインを出しています。
「疲れた」
「眠い」とか。
そのシグナルを見落としてきました。
謙虚にされたと思います。
自分に聞けなかったら、
本当の意味で、主のことばに聞けないと思います。主のことばを聞くことを粗末にしな
いようにしましょう。さぼった意味で、礼拝を休むことのないようにしましょう。ある教
会の週報に、
「信仰5原則」が掲載されていました。1、みことば。2、祈り。3、礼拝。
4、交わり。5、証(伝道)
。もちろん、みことばと祈りはセットとされる場合が多いで
すが。礼拝を生活の中心に置きましょう。お互いに、生身のからだですから、もし土曜
日に遅く寝たら、
必ず聖日に影響します。
私は土曜日なるべく遠くへの外出は避けます。
それは聖日にベスト・コンディションで礼拝を守りたいからです。
◎マタイによる福音書6:33を読んで祈ろう。
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きょうのメニュー:エレミヤ書23章
「神が語る」
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5月7日(土)エレミヤ書23:16「あなたがたに預言する預言者たちのことばを聞
くな」
偽預言者たちに注意するように教えています。彼らは「平安がある」
「わざわいは来な
い」
(17)と良いことだけを伝えます。元来、
「預言者」というのは、神のことばをあ
ずかる人のことです。都合の良いことも、都合の悪いことも、隠さず事実をあるがまま
伝える人です。説教者は聴衆に受けのいい話をするのでなく、神が何を語れというのか
祈って神に聞く必要があります。説教者自身がまず神に聞くのです。聖書に「聖書の預
言はみな、人の私的解釈を施してはならない」
(Ⅱペテロ1:20)とあります。神のこ
とばを自分の都合のいいように利用するのではなく、神が何というのか聞くのです。そ
こで助けとなるのが、
「観察」
「解釈」
「適応」です。よく今日の礼拝説教は今の自分にタ
イムリーだという感謝報告を受けることがあります。聖霊の働きだなあと思います。私
が教会に行き始めた頃、
「なぜ、牧師は自分の悩みを知っているのだろう」と不思議に思
ったことがあります。あまりにも自分にピッタリだからです。だれにも話していないの
に…。今それがわかります。説教者はまず祈って、どのように調理したらよいかを神の
みこころを問います。きょうも自分の思いではなく、神のみ旨を問いましょう。
◎箴言19:21を読んで祈ろう。
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きょうのメニュー:エレミヤ書24章
「荒野で恵みを得た」
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5月8日(日)エレミヤ書24:3「あなたは何を見ているのか」
神はいちじくを通して、視聴覚教育をされています。一方は良く、他方は腐っていま
す。神はバビロンに連れて行かれた者を良いいちじくと言い、エルサレムに残る者を腐
った者と言われます。神は民をバビロンでこらしめられた後、悔い改めて神を求めるよ
うにしました。神には何一つ無駄な試練はありません。神の民にとって、バビロンとは
荒野であり、試練です。ところが、その荒野が恵みだというのです。エレミヤ書31:
2には「荒野で恵みを得た」とあるように、苦難を通してでなければ味わうことのない
恵みがあるものです。マルチン。ルターは「聖書と祈りと苦難とが神の人を造る」と言
ったそうです。アブラハムも父親が死んで、神の声を聴きました(創世記11:32)
。
ヨシュアも指導者モーセが死んで、神の声を聴きました(ヨシュア記1:1)
。イザヤも
ウジヤ王が死んで、神の声を聴きました(イザヤ書6:1)
。逆境が人を大きく育てます。
試練が人を造ります。このように神は、ピンチをチャンスに、マイナスをプラスに変え
て下さいます。紅葉は寒ければ寒いほどきれいだといわれます。ところで、あなたは何
を見ているでしょうか。このお方を見上げて歩みましょう。
◎ヨハネによる福音書14:1を読んで祈ろう。
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きょうのメニュー:エレミヤ書25章
「人生の基礎をしっかり」
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5月9日(月)エレミヤ書25:4「あなたがたは聞かず、聞こうと耳を傾けることも
なかった」
エレミヤは預言を始めた日から23年間絶えず、しきりに語りかけてきたのに、人々
は耳を傾けませんでした。人のうわさ話やもうけ話には、耳を貸す人は多いが神の言葉
に耳を傾ける人は少ないのです。昔もそうですが、現代も神の言葉を聞くことのききん
です(アモス8:11)
。聖書は「信仰は聞くことによるのであり、聞くことはキリスト
の言葉から来るのである」といいます。信仰生活の基礎は、個人生活の上に教会生活、
社会生活が成り立ちます。私は『心のごはん』という聖書日課をやって約28年になり
ます。この土台が不安定だと、すべてが乱れます。対神関係の乱れが対人関係の乱れで
す。これは松木祐三先生のアドバイスによるものです。先生は「信徒に聖書を読めとい
っても、ガイドがないと読めない」といい、以下のことを教えて下さいました。①聖書
を順序よく読む。今日は旧約、明日は新約だと信徒が養われない。②本を出すと良くな
い。書籍にしたら、同じメニューを、つまり、冷ごはんを食べさせることになる、とい
いました。今まで多くの方に「本にしたら」といわれましたが、かたくなにその教えを
守っています。なぜなら、読者にホッカホッカの暖かい御飯を提供したいからです。
◎マタイによる福音書4:4を読んで祈ろう。
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きょうのメニュー:エレミヤ書26章
「置かれた場所で咲く」
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5月10日(火)エレミヤ書26:12「私を遣わされたのです」
12節に「主」とあるから、
「私を遣わされた」お方は神です。神がある目的・使命を
与えてこの教会に派遣されたのです。私たちの教会には現在会員が73名いますが、こ
の群れに集っているのが不思議です。神の摂理的なドラマです。世には多くの教会があ
るのに、あえて神がここに置かれたのです。年寄りになって、何もすることがないと思
わないでほしいです。偶然に教会員なのではありません。置かれたところで咲けばいい
のです。95歳の方が月一度奏楽をされます。使い方が荒いので、少し配慮しないとい
けないと思いました。ところが、ある信徒から電話があって、
「間違ってもいいから、お
年寄りを使った方がいい。ますますボケてしまいますよ。配慮したつもりが、かえって
リハビリを奪ってしまうことがあります」といいました。その言葉に大変教えられまし
た。高齢者になると、若い人のように、人前で奉仕ができないでしょう。でもあなたの
存在がどんなに慰めとなることでしょう。ただいるだけでいいです。礼拝に出席するだ
けでいいです。枯れ木ほど、よく燃えます。教会の席を埋めるのは、あなたにしかでき
ないことです。聖書は「まだ占領すべき地」がたくさん残っています。
◎ヨシュア記13:1を読んで祈ろう。
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きょうのメニュー:エレミヤ書27章
「脱出の道」
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5月11日(水)エレミヤ書27:7「時が来ると」
エレミヤはわなとかせを作って、それを自分の首につけて、降伏を勧めます。なぜエ
レミヤは無条件降伏を勧めたのでしょうか。それは歴史の背後に働く神が見えていたか
らです。
「時が来ると」とは、神の審判がやがてバビロンに下るという意味です。すべて
に「時」があります(伝道の書3:1)
。バビロンの鞭は恐ろしく見えます。しかし、そ
の懲らしめの期間は70年と限られています。苦難には終わりがあります。限定付きで
す。神はいつの時代でも試練と同時に「脱出の道」を準備されています。キリスト者と
いえども、人生はバラ色ではありません。うまい話やいいことばかりではありません。
失敗や挫折や逆境を通されます。
「挫折のすすめ」という本がありますが、挫折を通して
人は強くされます。ノーベル受賞者は失敗がヒントだったと人が多くいます。マイナス
がむしろプラスになったのです。私たちはすぐ結果を求めます。しかし、
「今知らず、後
知るべし」
(ヨハネ13:7)です。神のなさることが今理解・納得できなくても、あと
で理解・納得できます。今、現実に試練の中を通されている方があるでしょうか。やが
て試練から解放される日がきます。トンネルには出口が必ずあります。
◎I コリント10;13を読んで祈ろう。
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きょうのメニュー:エレミヤ書28章
「万事を最善に導く神」
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5月12日(木)エレミヤ書28:4「わたしがバビロン王のくびきを打ち砕くからだ」
神はバビロンの王ネブカデネザルを神のしもべとして用いて、人々をバビロンへ連れ
て行きました。しかし、これは永遠に続くものではなく、やがて解放される時が来ると
エレミヤは預言したのです。そこへ偽預言者ハナニヤが現れて、2年内にバビロンから
戻れるという偽りの預言して人々の歓心を買ったのです(11節)
。エレミヤはここで議
論や論争することをやめました。11節に「預言者エレミヤは立ち去った」と記してあ
ります。エレミヤはあとのことを一切、神に委ねたのです。
「委ねる」ことは逃避でも、
無責任でも、無関心になることでもありません。神の決着に身をまかせること、神のな
さることに満足することは、むしろ、積極的な行為です。私たちはとかく意地を張って、
白黒の決着をつけたがるものです。沈黙も一つの解答です。楽譜の休止符も大切な音符
です。
「静まって」
(詩46:10)は英語で「Stop fighting」となっています。戦いを
やめよ!という意味です。相手と誤解や論争をしたくなったら、その場を一歩退き、将
来のことをいっさい神の御手の中に委ねましょう。事を行なうのは神のなさることで、
委ねることは人間のすることです。神は最善以下のことをなさいません。
◎詩篇37:5を読んで祈ろう。
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きょうのメニュー:エレミヤ書29章
「希望を求めて」
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5月13日(金)エレミヤ書29:11「わざわいではなくて、平安を与える計画であ
り」
神は「バビロンに70年の満ちるころ、…あなたがたをこの所に帰らせる」
(10)と
預言します。このように神のご計画は災いではなく、将来に希望を与えるものです。し
かし、これを聞いた人々は不平不満を言ったでしょう。
「70年といわず、きょう、すぐ
にでもバビロンから帰国できたら良いのに」と思います。私たちは「もっと早く解決を」
と願います。毎月『ブルーリボンの祈り』
(拉致被害者の救出)を当教会で行っています。
早期解決を求めています。しかし、神のご配慮はいつも行き届いています。この70年
の期間はやがて来るべき福音に備える時でもあったのです。例えば、棄を落とした裸木
は一見枯れたように見えますが、寒いこがらしの中で春に備えて着々と新芽を用意して
います。また、チューリップは一時期花を咲きますが、あとは球根で栄養を蓄え、来た
るべき時に備えます。それなのに、私たちは現実を見て、すぐあきらめてしまいます。
待つことが苦手であせって失敗します。何事にも神の時があります。木や花はちゃんと
自分の咲く時を知っています。暖冬で少し時期がズレることはありますが、遅くなるこ
とはありません。神はあなたに計画・目的をお持ちです。
◎ローマ人への手紙4:18を読んで祈ろう。
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きょうのメニュー:エレミヤ書30章
「くじけないで」
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5月14日(土)エレミヤ書30:10「恐れるな。…おののくな」
神はエレミヤに「書物」に書くように命じます。特に、直接的には30章と31章を
指しています。内容は、北イスラエルと南ユダを含めた回復と繁栄という希望のメッセ
ージです。現実にはバビロン捕囚という暗い・辛い時でした。しかし、希望を与える神
を見上げる時に、希望を持つ人になれます。
「触れたものに染まる」といいます。最近「く
じけないで」という柴田トヨさんの詩集を読んでいます。
「ねえ、不幸だなんて、溜息を
つかないで、陽射しやそよ風は、えこひいきしない、夢は平等に見られるのよ、私、辛
いことがあったけど、生きていてよかった、あなたもくじけずに」とあります。この詩
集はすでに60万部以上売れていて、多くの人に感動を与えているそうです。この方は
キリスト者でないので、
「信仰によって」
「神の力」によってという言葉は出てきません。
しかし、多くの人は生きる希望・心の支えを求めています。それはどこから来るのでし
ょう。聖書は「私の望みは神から来るからだ」
(詩篇62:5)といいます。人間が人工
的に作り出すものではなくて、神の贈り物です。この希望はお金で買えません。今、落
ち込んでいる方よ、
天の窓はいつも開いています。
四方八方がふさがっても大丈夫です。
◎詩篇121:1∼2を読んで祈ろう。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
きょうのメニュー:エレミヤ書31章
「せっかくの悩みだから」
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5月15日(日)エレミヤ書31:2「荒野で恵みを得た」
荒野とは、神に導かれていく所であり、神と出会う所でもあります。イスラエルの民
はモーセに導かれ、荒野で40年間生活しました。それは想像も出来ない苦しい生活で
した。もし彼らが何不自由のない、贅沢な生活をしていたら、
「荒野で恵みを得た」経験
をしなかったはずです。スポーツには肉体を鍛える道場がありますが、信仰の世界にも
道場があります。カール・ヒルティは「偉大な思想は、ただ大きな苦しみによって深く
耕されている心の土壌からのみ成長する」といいます。私たちの乗っている「人生列車」
は、ときには途中下車します。この時を「せっかくの悩みだから」と、神から与えられ
た恵みの時として受取るのです。試練をマイナス思考ではなく、プラス思考で考えるの
です。すると、速い列車に乗っていた時には発見できなかった小川や森などの風景に接
することができます。私が難病になったから、区役所で「難病患者と家族の会」のクリ
スマス会に参加します。第1部の集いはクリスマス賛美と聖書のお話をします。区役所
という公共の場で賛美歌と証ができるのは神のみわざです。福音が届きにくい人に関わ
れるのは主の恵みです。
◎詩篇119;71を読んで祈ろう。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
きょうのメニュー:エレミヤ書31章
「せっかくの悩みだから」
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
5月15日(日)エレミヤ書31:2「荒野で恵みを得た」
荒野とは、神に導かれていく所であり、神と出会う所でもあります。イスラエルの民
はモーセに導かれ、荒野で40年間生活しました。それは想像も出来ない苦しい生活で
した。もし彼らが何不自由のない、贅沢な生活をしていたら、
「荒野で恵みを得た」経験
をしなかったはずです。スポーツには肉体を鍛える道場がありますが、信仰の世界にも
道場があります。カール・ヒルティは「偉大な思想は、ただ大きな苦しみによって深く
耕されている心の土壌からのみ成長する」といいます。私たちの乗っている「人生列車」
は、ときには途中下車します。この時を「せっかくの悩みだから」と、神から与えられ
た恵みの時として受取るのです。試練をマイナス思考ではなく、プラス思考で考えるの
です。すると、速い列車に乗っていた時には発見できなかった小川や森などの風景に接
することができます。私が難病になったから、区役所で「難病患者と家族の会」のクリ
スマス会に参加します。第1部の集いはクリスマス賛美と聖書のお話をします。区役所
という公共の場で賛美歌と証ができるのは神のみわざです。福音が届きにくい人に関わ
れるのは主の恵みです。
◎詩篇119;71を読んで祈ろう。
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きょうのメニュー:エレミヤ書32章
「優先順位」
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5月16日(月)エレミヤ書32:24「あなたの告げられた事は成就しました」
神のことばが「時」にぶつかると、必ず成就します。歴史は神の足跡です。バビロン
捕囚という出来事も現実となったのです。バビロン捕囚だけではありません。過去も未
来もすべて聖書の預言どおり実現します。人間の世界では「あの人は口先だけよ」とい
います。ところが、神は有言実行です。口と手は一致します。神は裏切りません。だか
ら、今からでも遅くありません。
「みことば貯金」に励むといいです。普段から主のこと
ばを蓄えておくといいです。お金もある程度は必要ですが、いざという時に、蓄えたみ
ことばで主が慰め励まして下さいます。教会学校で聖句を暗記していますが、将来きっ
と役立つでしょう。主のことばは霊的な財産です。何を蓄えるより、みことば貯金ほど
大いなるものはありません。一時的な感情で人生の決断をしないで、主のみこころをま
ず優先しましょう。それは神のことばを聴くことから起こります。エレミヤは生活の優
先順位を、神に聴くことに置きました。実は、聖書の最初は「はじめに神が」です。ヘ
ブル語では「ベレーシート」
(はじめに)となっています。創世記1:1参照。1 日のは
じめに、何を優先するかで人生が決まります。神に聴くことを優先しましょう。
◎ヘブル人への手紙4:12を読んで祈ろう。
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きょうのメニュー:エレミヤ書33章
「宣教の愚かさ」
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5月17日(火)エレミヤ書33:3「理解を超えた大いなる事」
31∼33章は「慰めの書」と言われるもので、バビロンに捕らえられた人々に対し
てエレミヤが語った言葉です。神のなされることは「大きな隠されている事」
(口語訳)
です。新改訳聖書で「理解を越えた大いなる事」となっています。例えば、親は子供の
誕生日プレゼントを誕生日の前に買ってきます。でも、すぐ渡さないで、誕生日まで待
ってからプレゼントを渡します。意地が悪いのでもありません。ちょうどいい時に、親
は子に贈物をします。神様も一番いいタイミングで喜ばせてくれます。聖書に「事を隠
すのは神の誉れ」
(箴言25;2)とあります。神様の祝福は、人間の理性をはるかに越
えたものです。以前札幌で奉仕があったとき、三橋先生(故人)とお会いしました。先
生は3才で小児麻痺にかかったので、両足と右手の機能を失っています。牧師の弱さが
教会の活性化になっているようです。ハンディを乗り越え、国内はもちろん、国外で幅
広い伝道活動をされています。神のやり方は、人間の常識を超越しています。ここに宣
教の愚かさがあります。あなたの人生にも「なぜ、どうして」と理解に苦しむことがあ
るかも知れません。意外性というか、人の意表をつくのが神の得意な方法です。
◎I コリント1:18を読んで祈ろう。
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きょうのメニュー:エレミヤ書34章
「心のお洗濯」
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5月18日(水)エレミヤ書34:12「そこで、主からエレミヤに次のような主のこ
とばがあった」
これはバビロン軍がエルサレムに攻めてきたとき、エレミヤがゼデキヤ王に語った言
葉です。王にとっては耳の痛い話でした。クリスチャンの対戦相手はだれでしょう。
『エ
ペソ書』には、血肉ではなく、サタンであることが記されています(エペソ6:12)
。
そのサタンに勝つ秘訣は、神の武具、つまり、神の言葉を身につけることです。主イエ
スも悪魔の誘惑にあいましたが、やはり「みことば」で勝利しました。王様といえども、
それを支配している神様のことばを聞かないといけません。上に立つ指導者ほど、現場
の声を聞く必要があります。牧師は自分の主義主張に生きるのも大事ですが、ときには
信徒の声に謙虚に耳を傾けることも必要です。なぜ、礼拝に出席しなければいけないの
でしょうか。心のお洗濯のためです。衣服の汚れは石鹸でとれますが、心の汚れは主の
十字架の血潮できよめていただけるのです。案外、気がつかない心の罪があります。毎
週、礼拝でみことばに触れ、心を洗濯することが必要です。万一礼拝を欠席したら、あ
とでテープやDVDを通して、主のことばに触れることを勧めます。今のうちに、みこ
とば貯金しておくといいです。きょう自分の思いや願いではなく、主のみこころのまま
に歩みましょう。
◎マタイによる福音書26;39を読んで祈ろう。
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きょうのメニュー:エレミヤ書35章
「信仰のバトンタッチ」
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5月19日(木)エレミヤ書35:10「すべて先祖ヨナダブが私たちに命じたとおり
に」
レカブ人の先祖の忠実な服従が、ユダの人々の不忠実な不服従と対照されています。
すなわち、レカブ人は「酒を飲みなさい」といわれても、決して杯を取ろうとせず、禁
酒という先祖の命令を継承したのです。
「レカブ人」とは、モーセの妻の父一族の者で、
ケニ人という種族の者です。一方、ユダの人々は神の命令に聞き従わなかったことが、
エレミヤの嘆きでした。家族ぐるみで信仰の遺産を継承することは、個人の家庭だけで
なく、教会にとっても祝福です。ロイス、ユニケ、テモテと、聖書も家族伝道を教えて
います。日本宣教の弱体化は信仰が一世代で終わるからだといいます。若者の人材育成
が私の急務です。長いスパンで若者を見てあげるといいです。人造りには時間がかかり
ます。一晩ではできません。一方策として、数年前から私たちの教会でチャレンジしま
したが、合同礼拝は信仰の遺産継承にはすばらしいことです。子どもが泣いたり騒いだ
りしますが、それは子どもの仕事であり、一時期です。また、夜寝る前に、子どもに聖
書の絵本を読む習慣を身につけるのもいいアイデアです。幼子が心にみことばの種を蒔
く絶好のチャンスです。小さい頃、福音に触れると、必ず将来に役立ちます。
◎使徒行伝16:31を読んで祈ろう。
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きょうのメニュー:エレミヤ書36章
「土台を念入りに」
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5月20日(金)エレミヤ書36:6「主のことばを、民の耳に読み聞かせ」
エレミヤの口述に従って、バルクが主の言葉を記しました。そこにはユダの国の罪と
エルサレムの滅亡が記されていました。王様は都合の悪いことが書かれていたので、怒
って巻物を切り裂き、燃やしてしまいました。しかし、首長たちは飢え渇きをもって、
神のことばを聞いたのです。礼拝で恵まれる秘訣は、この食欲さ・ハングリー精神です。
内にある情熱は外の態度に表われます。聖書を開いたり、賛美したり、すぐわかります。
仕方なくイヤイヤながら神の前に出ると、それだけのものが帰ってきます。毎日の聖書
通読もそうです。聖書通読は一切の奉仕の要です。それは信仰の基礎工事です。その上
に教会生活や社会生活が成り立ちます。家の土台のようなものです。土台がグラグラし
たら、立派な家は成り立ちません。手間暇かけてしっかり頑丈に作ります。土台は外か
ら見えません。だれも見ていないということで、手抜き工事をしがちです。
「昨日の信仰
ではきょうの戦いに勝てない」という言葉があります。神の恵みは冷凍保存しておくこ
とができません。以前迷って 3 時間歩きました。翌日足が痛くてすべてをキャンセルし
ました。リハビリはまとめてできません。今日 1 日を地道に、規則正しく、根気良く。
◎マタイによる福音書13:31∼32を読んで祈ろう。
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きょうのメニュー:エレミヤ書37章
「必要を満たす神」
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5月21 日(土)エレミヤ書37:21「こうして、エレミヤは監視の庭にとどまって
いた」
エレミヤはメッセージを真っ直ぐに語ったために、何度も投獄されたり、命の危険に
さらされました。その中で、ゼデキヤ王はエレミヤを保護したのです。これは人間的に
考えられないことです。
「毎日パンを与える」ということは、神が現実に人間を用いて、
神の人を養ってくださる証です。私は井土ヶ谷教会の献身者第 1 号として、東京聖書学
院に入学しました。神は愛兄姉のサポートや尊い献金によって養って下さいました。生
活費が足りなくなった時、
「このお金で本でも買って下さい」と多くの方が献げて下さい
ました。聖書学院でいろいろ学びましたが、
「主は生きておられる」ことを体験で学んだ
ことは何よりの財産でした。だれにも話しませんでしたが、神は財布の中身までちゃん
と知っています。聖書にはエリヤがカラスで養われた記事がありますが、神は召された
者に対して、最後まで責任をもって生活の保障をして下さいます。今年の 11 月いよい
よ解体工事が着工します。来年の 10 月には新会堂が完成する予定です。当初の予算は、
9020万円でした。手持ち金は約4000万円です。現実は厳しいですが、必要とあ
れば、天の窓を開いて必要を満たして下さるでしょう。ただ身の丈に合った等身大の会
堂を。
◎ピリピ人への手紙4:19を読んで祈ろう。
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きょうのメニュー:エレミヤ書38章
「負けるが勝ち」
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5月22日(日)エレミヤ書38:17「もし、あなたがバビロンの王の首長たちに降
伏するなら」
ユダとエルサレムの人々は、自分の国は決して滅びることはないと思っていました。
そういう中で、エレミヤは王や政治家に向かって、
「バビロンに降伏しなさい。降参した
ら、この町は焼かれることはない」と告げたのです。そこでエレミヤは人々の反感をか
いました。私たちは敗北を嫌います。何とかして、人に勝ちたい、勝負に勝ちたいと思
っています。ところで、人間には負けたくない性質が三つあります。第一は、人に負け
たくないという思いです。第二は、自分に負けたくないという思いです。第三は、神に
負けたくないという思いです。しかし、信仰とは神に負けることです。神に無条件降伏
することです。負けたくないと思っているから、いつまでたっても救われないのです。
当時の人々は自分の主義主張や自分の考えに固執していました。そういう頑固な人々に
エレミヤは「降参しなさいよ」と語ったのです。
「負けるが勝ち」といいます。本当にそ
のとおりです。
「わたしが」
「わたしが」という自我に死にきれないから、いつまで立っ
ても神に信頼することができないのです。自分が先頭に立ってやるのではありません。
神がさせてくださるのです。
御霊で始まったのに、
肉で仕上げようとする人が多いです。
◎ガラテヤ人への手紙3:3を読んで祈ろう。
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きょうのメニュー:エレミヤ書39章
「信仰の一角」
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5月23日(月)エレミヤ書39:2「町は破られた」
ここにはエルサレムが陥落したことが記されています。口語訳では「町の一角が破れ
た」
(2)とありますが、町は全体が崩れなくても、一角が崩れたら、それで崩壊してし
まうというのです。一角を取るかどうかが攻略の要であり、生死をわかつ起点になりま
す。信仰生活は戦いの連続です。外部と内部からの誘惑もあります。案外最大の敢はま
わりではなく、自分の中にあります。人にはみんな弱い所があります。ある方は金銭に
弱く、ある方は異性に弱く、ある方は名誉欲に弱いです。信仰を堕落させるのは、信仰
の−角が崩れるだけで十分です。中田重治は「悪魔は霊界の消防夫である」といったそ
うです。
悪魔は私たちの最も弱い部分を知っています。
その−角を集中攻撃してきます。
サタンはサタンの顔をしたり、胸に名札をつけて近寄りません。うまく変装してくるか
ら、悪魔の罠に陥るのです。
「私は大丈夫」といえる人は−人もいません。聖書は「立っ
ていると思う者は、倒れないように気をつけるがよい」
(Ⅰコリント10:12)といい
ます。悪魔に勝つ秘訣は、まず自分の弱い部分を知って、次に、自分の弱い一角を神の
武具によってガードしていただくことです。何事も自分を知ることから始まります。
◎エペソ人への手紙6:11を読んで祈ろう。
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きょうのメニュー:エレミヤ書40章
「教会は痛みを共有する場」
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5月24日(火)エレミヤ書40:4「あなたが行くのによいと思う、気に入った所へ
行きなさい」
エレミヤはバビロンの王により解放され、侍従の長によって、ていねいな待遇を受け
ました。そして、侍従長はエレミヤに「あなたが行きたいと思う所へ、どこへでも行き
なさい」
(5)といいました。エレミヤはバビロンに行くことができたのに、あえて「国
に残された民の中に住んだ」
(6)と記されています。おそらくバビロンに住んだ方が文
化的で安楽な生活ができたはずです。そこには何の不自由も感じない生活が待っていた
と思います。しかし、彼は病んでいる自らの国に残り、そこに住んだのです。彼は人々
と苦労を共にし、やがて来る回復の時を待ち望んだのです。損得勘定からすると、彼は
世的に損をする道を選びました。教会は痛みを共有する場です。教会に何か問題が生じ
ると、さっさと他の教会に移る人もいますが、最後まで重荷を分かち合う人もいます。
教会は牧師の一人芝居ではありません。牧師が何でもしてはいけないし、何でもさせて
はいけません。アロンとホルがモーセを支えたように、みんなで重荷を負い合いましょ
う。今教会で求められているのは、こういう脇役・女房役・縁の下の力持ちです。これ
は決して「牧師無用論」ではありません。スポーツも信仰の世界もチームプレーが求め
られます。
◎ローマ人への手紙12:15を読んで祈ろう。
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きょうのメニュー:エレミヤ書41章
「事を隠す神」
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5月25日(水)エレミヤ書41:3「イシュマエルは打ち殺した」
ゲダリヤはユダ滅亡後、エルサレムの統治者としてバビロンによって立てられた王で
す。ところが、それを快く思わないイシュマエルがゲダリヤを暗殺したのです。私たち
は普通、悪い人が滅んでいき、善人が守られると考えやすいです。なぜ、神はエレミヤ
の命を守ったのに、ゲダリヤの命を守らなかったのかと疑問に思います。この章は矛盾
に満ちたことをそのまま記しています。そこに聖書の特色があります。ゲダリヤはなぜ
殺されたのか、神のみぞ知ることです。それでいいのです。
「なぜ」
「どうして」と悩み
ます。聖書に「事を隠すのは神の誉れ」
(箴言15:2)とあります。神のやり方はいつ
も人間の理性を超えています。カルパンは「人間が理解した神はもはや神ではない」と
言ったそうです。
「納得しないと信じない」という人がいますが、さぞ大変だろうなと思
います。なぜなら、聖書の処女降誕・奇跡・復活など、みんな人間の常識や理性を超え
たものばかりです。わからないことや未解決の問題と同居することに慣れるようにしま
しょう。私たちは早期解決を願いますが、神の時があります。あせらず、あわてず、神
の方法を祈って待ち望みましょう。今わからなくても、あとでわかります。
◎ヨハネによる福音書13:7を読んで祈ろう。
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きょうのメニュー:エレミヤ書42章
「旅支度」
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5月26日(木)エレミヤ書42:6「私たちは…、あなたを遣わされた私たちの神、
主の御声に聞き従います」
以前、牧師館の階段から仰向けに落ちるというハプニングがありました。私の過信と
油断です。片手をあけて、手すりをつかんでゆっくり上るべきだったのです。2メート
ルくらいは滑ったでしょうか。
「ドドドドタッ」というものすごい音がしました。手足が
骨折しても、文句の言えない痛さですが、足が内出血しただけで済みました。毎日転ん
でばかりですが、
「これくらいの怪我で良かった」と思うようにしています。すると不思
議と感謝がわいてきます。骨折が一番怖いです。肺炎で亡くなる方が多いです。自分に
とって生きることは命がけです。日々「死」と隣り合わせの暮らしです。だから、葬式
で歌う讃美「あすを守られるイエスさま」や骨は沖縄の墓地にするとか、あとの人がこ
まらないように今から旅支度をしています。今までは家内が私についてきてくれたが、
今度は私が家内についていく番だと思うようになりました。信徒の中にはすでに遺言状
を書いている方がいます。家族葬とか写真とか讃美とか、すでに準備しています。最近
もその相談を受けました。日頃から万一の時のため、用意をしておくことは大事です。
映画「僕と妻の1778の物語」のチラシに、
「愛する人の余命は1年、その時、あなた
には何ができますか?」とあります。
◎マタイによる福音書6:33を読んで祈ろう。
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きょうのメニュー:エレミヤ書43章
「主の御声に聴従する」
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5月27日(金)エレミヤ書43:7「彼らは主の御声に聞き従わなかったのである」
エレミヤはすべての民に神のことばを語り終えました。その内容は「エジプトに行っ
て、寄留してはならない」
(2)というものでした。それは受け入れられない内容でした。
そこで数人の者は神の御声に聞き従わなかったのです。
自分にとってどうかではなくて、
主の御声が何かです。自分にとって都合のいいことも都合の悪いことも、主の御声に聞
き従うことです。聞き従ったら間違いはありません。今年 1 月「教区一斉講壇交換」が
ありました。
私は鵠沼教会で御用しました。
そこの牧師夫人は妹によって導かれました。
数年前、こう言われました。
「今の自分があるのは工藤先生のお陰です」と。実は、私は
工藤家の初穂です。高3の時、救われましたが、それに関してはよく説教しているので、
省略いたします。妹が上京し、防衛医大付属看護学校に入学しました。近くの入間教会
を紹介しました。そこで新谷夫人や上中夫人も救われ、献身しました。ちょっと苦しか
っただけで、もう教会に行くのを辞めた、聖書通読辞めた、信仰辞めたと、何もかも辞
めてしまったら、私も救われていないし、妹も救われなかったし、2 人の牧師夫人も救
われてなかったと思います。主の御声に聞き従うことの大切さを覚えます。
◎I コリント3:7を読んで祈ろう。
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きょうのメニュー:エレミヤ書44章
「祈りの習慣」
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5月28日(土)エレミヤ書44:23「主に罪を犯して、主の御声に聞き従わず」
エジプトに逃げた人々に対して、エレミヤはなおも福音を伝えました。ところが、人々
は反抗的な態度をとりました。
「あなたが主の名によって私たちに語ったことばに、私た
ちは従うわけにはいかない」
(16)と。また、ある人々は口答えしました(20)
。彼
らはエレミヤの説教を拒否したのではなく、神の言葉を拒否したのです。聖書は「主」
(23)と何度も強調しています。まさに現代は、パンのききんではなく、主のことば
を聞くことのききんです。どの分野もめざましい発展をとげています。生活は便利にな
りました。しかし、霊的には飢餓状態です。信仰の成長に特効薬はありません。普段全
然聖書を読まない方が、次の日、目がさめたら聖書全巻が頭に入っていたということは
ありません。コツコツと地道に、毎日毎日の繰り返しです。毎日の積み重ねが一週間と
なり、一週間の積み重ねが一ケ月になり、一ケ月の積み重ねが一年となり、一年の積み
重ねが一生となります。だから、楽をして、やるべきことを手抜きしたら、実を結びま
せん。
「ローマは一日にしてならず」という諺があります。信仰もー歩一歩です。主イエ
スも「いつものように」
(ルカ22:39)
、祈りの習慣を身につけていました。きょう
も、祈りと通読を継続しましょう。
◎アモス書8:11を読んで祈ろう。
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きょうのメニュー:エレミヤ書45章
「人生の目標」
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5月29日(日)エレミヤ書45:5「あなたは、自分のために大きなことを求めるの
か」
5節は神がバルクに語った言葉です。バルクはエレミヤの筆記者です。彼は20年来
のエレミヤの弟子で、おそらく最も信頼する友であったと思われます。エレミヤがエジ
プトへ連れて行かれるときも一緒でした(43:6)
。神はバルクに「あなたは、自分の
ために大きなことを求めるのか」といわれました。これはバルクだけではなく、私たち
も「自分のために」人生設計を考えてしまうことがあります。98歳の今も現役の医師
として活躍している日野原重明氏と星野冨弘氏の対談集に「たった一度の人生だから」
があります。それによると、59歳のとき、1970年の「日航機・よど号ハイジャッ
ク事件」に遭遇したそうです。不安と恐怖におびえ、死を覚悟したが、奇跡的に人質が
解放され、助かったのです。
「今までは有名な医者になり、いろいろな仕事をやることが
目標でしたが、こうして助けられたんだから、これからは自分中心でない、人のために
なる生き方をしたいと思うようになりました」と話しています。実は、私たちも罪にど
っぷりとつかり、滅ぶべき人間でしたが、イエス・キリストのあがないによって救われ
たのです。だから、今度は神の栄光のため、この人生を献げたいと思います。
◎ピリピ人への手紙1:30を読んで祈ろう。
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きょうのメニュー:エレミヤ書46章
「心の拠り所を求めて」
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5月30日(月)エレミヤ46:25「パロと彼に拠り頼む者たちを罰する」
この章はエジプトに寄り頼もうとした方々に向けて語られたものです。ユダの人々は
エジプトに助けを求め、そこに平安の根拠を置こうとしました。ところが、そのエジプ
トはカルケミシの戦いで破れてしまったのです。以前からエレミヤはエジプトなんかに
頼ってはいけないと語ってきました。心の支え・拠り所はどこにあるのでしょうか。私
たちはどこに心の拠り所を置けばいいのでしょう?聖書は、神の臨在こそ真の平安の根
拠だと教えています。私たちにとって「エジプト」とは、神以外のものに頼って生きる
ことです。この世には絶対大丈夫だという保証はありません。バブルがはじけ、銀行も
大手百貨店も保険会社も音をたてて崩れていく時代です。目に見えるものはやがて消え
去ります。大事なものは心の目でしか見えません。目に見えないのはイコール存在しな
いと思っている方が多いです。例えば、酸素は神さまも手に触れて見ることはできませ
んが、実際に存在しています。私は求道者に信仰の決断を迫ったり、洗礼を勧めること
があります。すると「もう少しましになったら」という返事が帰ってきます。よくなっ
てから、病院に行く人はいません。あの癖、この癖をもったままで、ありのままで主イ
エスを信じることです。
◎ヨハネによる福音書14:1を読んで祈ろう。
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きょうのメニュー:エレミヤ書47章
「なぜ」
「どうして」
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5月31日(火)エレミヤ書47:5「いつまで」
これは神の審判が止むようにとのぺリシテ人の叫びです。ぺリシテ人はイスラエル民
族をたえず悩ました民族です。一時的に栄えても、北からバビロンがやってきて、ペリ
シテ人が滅ぼされるというのです。私たちにも試練が「いつまで」続くのかわからない
ときがあります。早くこのトンネルから逃げ出したいと思います。6節にも「いつまで」
という言葉があります。私たちはいろんな問題の早期解決を望みます。しかし、一向に
問題解決しないとあせります。神の時がありますね。長いスパンで見ていかないと失望
します。聖書に「神のなさることは、すべて時にかなって美しい」
(伝道の書3:11)
とあります。ある問題は短期戦ですが、ある問題は長期戦です。現実を見ると、あきら
めてしまいがちです。答えを得るまで、あきらめないで祈り続けましょう。私を知って
いる方は「へえ、工藤君が牧師になるなんて考えられない」といいます。そうです。ま
さか一番成りたくない職業に就くとはだれが創造したでしょうか。人生はわからないも
のです。筋書きのないドラマです。受験に失敗しても、人生に失敗したのではありませ
ん。この世の、人が作った枠からはみ出しても、神が造った枠から落ちこぼれなければ。
◎マルコによる福音書11:22を読んで祈ろう。
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