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2008.12.7

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2008.12.7
イザヤ書 9 章 1∼7節
「みどりごが生まれる」
石原俊久
1.預言がしるされたイザヤの時代
アブラハムの時代から出エジプトそして、エリコの戦いを経て建て上げ
られたダビデ王国はソロモン王の時代に北のイスラエル王国、南のユダ王
国に分裂してしまいます。そして信仰的にも堕落してしまった北イスラエ
ル王国は、当時非常に力のあったアッシリア帝国によって首都サマリヤを
陥落させられ滅亡してしまいました。それが紀元前 723∼722 年のことで
した。イザヤ書に書かれているような活動をイザヤがした時期はちょうど、
そのアッシリヤ帝国の脅威が南のユダ王国にまでせまってきていました。
そのような中でユダの王アハズにいたってはアッシリヤに金銀の貢物
をおくったあげくに、アッシリヤの異教的な祭壇までも作りそこで全焼の
いけにえ、をささげるということまで行うようになっていったのです。ユ
ダ王国の人々の心は動揺していました。
このような危機的な時代背景の中で、イザヤは預言者としての召命を受
けて預言活動をするようになったのです。
そしてユダの国がアッシリヤからの侵略はさえぎることはできるが、し
かしいずれバビロンの侵略を許して、民はみな連れ去られる事、しかしそ
こから帰ることができること。そのバビロンも滅ぶこと。そして教会が祝
福されること。この地上が新天新地として作り直されること。
イスラエル民族に限らず、全地球的な預言がこの時代になされています。
そして忘れてならないのがキリストの誕生の預言です。
イザヤ書は彼の生きた時代のことだけではなく人類が歩んでゆく上で
出会うあらゆること、そしてその中でキリストが重要であることを預言し
ているのです。預言書の中の預言書といわれるゆえんです。
2.キリストに関する預言、主のわざのすばらしさ。
そのように非常に内容の濃いイザヤ書の中でも特に注目すべきはイエス
キリストに関する預言であるといえるでしょう。
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特に重要な箇所としてあげられ、また有名な箇所として知られるのは 7 章、
9 章、40 章、53 章の言葉ではないかと思います。
7章はその中でもキリストの誕生の様子を見事に預言しています。
7章13節「そこでイザヤは言った。「さあ、聞け。ダビデの家よ。あ
なたがたは、人々を煩わすのは小さなこととし、私の神までも煩わすのか。
それゆえ、主みずから、あなたがたに一つのしるしを与えられる。見よ。
処女がみごもっている。そして男の子を産み、その名を『インマヌエル』
と名づける。」
また 40 章ではキリストの到来、そして先立つものとしてのバプテスマ
のヨハネのことが預言されています。
40章3節「荒野に呼ばわる者の声がする。「主の道を整えよ。荒地で、
私たちの神のために、大路を平らにせよ。すべての谷は埋め立てられ、す
べての山や丘は低くなる。盛り上がった地は平地に、険しい地は平野とな
る。」
そして今日の箇所イザヤ書 9 章 1∼7節はキリストの誕生とともにその
影響力が圧倒的であることを示しています。
9章1節「 しかし、苦しみのあった所に、やみがなくなる。先にはゼ
ブルンの地とナフタリの地は、はずかしめを受けたが、後には海沿いの道、
ヨルダン川のかなた、異邦人のガリラヤは光栄を受けた。」
先にはとあります。ゼブルンの地とナフタリの地というのはガリラヤ地
方の北のほうで北から侵略してきたアッシリヤにまずはじめに征服され
た土地です。その土地が後に栄光を受けるというのです。キリストが後に
宣教の拠点としたのはエルサレムではなくガリラヤでした。「後には」と
あるのは約700年、後のことです。イザヤは未来に起ることを次々と預
言してゆきます。
9章2節「やみの中を歩んでいた民は、大きな光を見た。死の陰の地に
住んでいた者たちの上に光が照った。」
大きな光を見たのはだれでしょうか。
ルカの福音書に2章8節には「さて、この土地に、羊飼いたちが、野宿で
夜番をしながら羊の群れを見守っていた。
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9節 すると、主の使いが彼らのところに来て、主の栄光が回りを照ら
したので、彼らはひどく恐れた。」とあります。闇の中を歩んでいた民、
それはイエスの時代最も低い立場にあった羊飼いたちでした。そして現代
の私たちの姿でもあるのです。大きな光は私たちの住むこの地上を照らし
ます。しかしそのことに気づくのはごくわずかです。イエス様が生まれた
ときそのことに気づいたのは羊飼いだけでした。私たちも、大部分の人た
ちが気付かなかったこの光に気付いたひとり一人です。主が、光を当てて
くださり教会へと導いてくださった一人ひとりです。
9章3節「 あなたはその国民をふやし、その喜びをまし加えられた。
彼らは刈り入れ時に喜ぶように、分捕り物を分けるときに楽しむように、
あなたの御前で喜んだ。」
福音書には多くの人々がキリストの前に集まったとあります。しかしそ
の民はキリストの十字架を目前にしてちりじりにちってゆきました。キリ
ストの名のもとに人が集まるようになったのは使徒の働きの聖霊が弟子
たちに下ったときからでした。一日に3千人が救われたとあります。キリ
ストは今も神の民を増し加えようとしておられます。そして新しい民が教
会に加えられるときに私たちも喜ぶのです。
9章4節「 あなたが彼の重荷のくびきと、肩のむち、彼をしいたげる者
の杖を、ミデヤンの日になされたように粉々に砕かれたからだ。」
ミデヤンの日でなされたことというのは士師記にあるギデオンの勝利
をさしています。イスラエルの民に襲いかかるミデヤン人の大群に対して、
神を信頼して300人のイスラエル人が勝利した出来事です。イスラエル
を襲うミデヤン人を神が砕いたように、後のイスラエル、そして全人類の
ために主がその敵を砕いてくださる、これはサタンとの戦いを意味してい
ます。原始福音といわれる創世記3章15節の箇所「わたしは、おまえと
女との間に、また、おまえの子孫と女の子孫との間に、敵意を置く。彼は、
おまえの頭を踏み砕き、おまえは、彼のかかとにかみつく。」これはキリ
ストがサタンと人類の間に入り、サタンを打ち砕いてくださる事の福音で
す。このことが成就するのだということです。 そしてそれは成就しまし
た。ルカの福音書10章18節には「イエスは言われた。「わたしが見ている
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と、サタンが、いなずまのように天から落ちました。」とあります。私た
ちは主の御名によって祈るときにサタンの攻撃から守られるのです。
9章5節「 戦場ではいたすべてのくつ、血にまみれた着物は、焼かれ
て、火のえじきとなる。」
そして戦い争いが、この地上から消え去る、という新しい天と地の創造
について描かれています。サタンを完全に葬り去り、完全な平和が訪れる
という終末的な預言でもあります。イザヤの預言は彼の生きた時代に限定
されること無く、遠い未来のことに触れていることに注目したいと思いま
す。これらのことが成就していることから私たちの待ち望む新天新地の望
みも必ず成就するのです。9章6節からは、イザヤの時代から700年後
に生まれてくるメシヤ、キリストの御性質について預言されています。
3.キリストに関する預言、キリストの御性質について
9章6節の前半「 ひとりのみどりごが、私たちのために生まれる。ひ
とりの男の子が、私たちに与えられる。」という箇所からキリストが突如
として現れるのではなくて、赤ん坊としてこの世に生まれ出てくることが
明らかにされています。そしてそれは男の子であるということも明らかで
す。この箇所は7章の箇所の、インマヌエルの箇所を受け継いでいます。
このことは救いのメシアが必ず人の子の形をとってこの地上に現れてく
ださるということの再確認で、そのほかの方法ではないということです。
このことからキリストが確かに処女マリヤから生まれたということが預
言されていたことが確かとなるのです。
6節の後半からはキリストの権威について預言されています。「主権は
その肩にあり、その名は「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の
君」と呼ばれる。」とあります。
主権という言葉は私たちの感覚で言いますと主権在民などといったりす
るのですが、主に国家という概念の中で使われる言葉です。国の中でだれ
が主人公かということです。キリストが国の主権を持つ、つまり国の王で
あるということです。先ほどあなたは、その国民を増やし、という言葉が
ありましたが、旧約新約を通じて聖書は国、という単位で神の国の建設を
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目指してゆきます。神を信じたもののうちに神の国は建設され、集まって
教会をたてあげます。神の国の領土はそのようにしてこの世の終わりまで
増えひろがってゆくのです。そのことが約束されているのです。そしてそ
の神の国の王こそキリストであるというのです。
9章7節には「 その主権は増し加わり、その平和は限りなく、ダビデ
の王座に着いて、その王国を治め、さばきと正義によってこれを堅く立て、
これをささえる。今より、とこしえまで。万軍の主の熱心がこれを成し遂
げる。」とあります。
キリストの主権はより固いものとなり、神の国のあるところに主にある
平和があり、それは終末の時までひろげられます。ダビデの王座とはなん
でしょう。旧約聖書においてダビデ王国は一つの頂点であったといえるの
です。ダビデの王国があの統一されていたイスラエルが神の国のこの地上
での実現だったはずでした。しかしそれは、まだ不完全でした。なぜなら
ダビデ王自体が罪人であったからです。罪のないお方、キリストがその王
座につくとき完全な神の国が実現するのです。そしてキリストが裁く王国
は、神ご自身がこれを成就させる、と預言されているのです。
9章の預言はキリストの誕生、そして終末までも含んだ預言です。そし
てこの預言は苦しみの中にある人々を励まし、イスラエルが捕囚から帰還
したときのイスラエル神殿再建のエネルギーになったのです。
苦しみの中でイスラエルが待ち望んでいたのは紀元前 700 年でした。
そして確かに700年後、主は来られました。
そして現代に生きる私たちはもう一度主が来られる日を待ち望んでい
るのです。
アドベントのこの季節再臨を待ち望むときとしたいと思います。
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