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経営情報学部・国際関係学部・人文学部・応用生物学部・生命健康科学

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経営情報学部・国際関係学部・人文学部・応用生物学部・生命健康科学
語
︵
経
営
情
報
・
国
際
関
係
・
人
文
・
応
用
生
物
・
生
命
健
康
科
・
現
代
教
育
学
部
︶
国
(注)
この問題は「国語」で、経営情報学部・国際関係学部・人文学部・
応用生物学部・生命健康科学部・現代教育学部共通の問題である。
ただし、応用生物学部・生命健康科学部と現代教育学部は、選択
科目。
〔
解答用紙は、国語のマ
ークシ
ート1枚。 〕
国
語
次の文章を読み、後の問い(問1〜
)
f
〜
a
33
と記述式解答符号
)に答えよ。
12
第一問
〜
1
( 解答番号
ちゃわん
古田織部の屋敷で開かれた茶会に、形のゆがんだ茶碗が出てきた。びっくりした客は思わず日
なり
記に記す。
「セト茶碗、ヒツミ(ゆがみ)候也、ヘウケモノ也」。織部の代名詞ともいうべき「へ
うげもの」の登場である。四〇〇年後、織部を主人公とする山田芳裕氏のマンガ「へうげもの」
が人気を集めているとは、この言葉を書き残した茶人は想像もしなかっただろう。
この茶会が開かれたのは一五九九年(慶長四年)、すでに織部は五〇代半ばすぎである。美濃
国本巣郡(現・岐阜県本巣市)の山口城主のおいとして生まれた織部(幼名・左介)が、いかに
ⓐ
当代随一の茶人となっていったのか。まずは時計の針を戻して、織部が茶人として 数寄者の前
に姿を現した四〇歳代の姿をたどってみよう。
八三年(天正一一年)
、四〇代初めの織部は豊臣秀吉の茶会に参加し始める。美濃時代から仕
えた織田信長は前年、本能寺の変に倒れている。織部の義兄にあたる摂津国(現・大阪府)茨木
城主の中川清秀が賤ケ岳の戦いで戦死、後継者・秀政の後見役となった時期だ。
ⓑ
秀吉の茶会を通じて織部が シジするのが、わび茶を大成した千利休。桑田忠親著・矢部誠一
郎監修「へうげもの 古田織部伝」によれば、織部に宛てた利休の書状から、翌八四年ごろから
二人は「特別な親交があった模様」が分かるという。
む さ し あぶみ
書状の中で最も有名なのが九〇年の「武蔵 鐙 の文」。「むさしあふミ」で始まる織部からの狂
歌に対して、利休が返歌を書いていることから、その名前がある。秀吉の小田原攻めに同行した
利休が、武将として関東各地を転戦する織部に送ったものである。
隅田川、筑波山、武蔵野、堀兼井(埼玉県狭山市の井戸)といった名所を回っている織部をう
らやむ一方で、陣中にいるために富士山だけを慰めとする我が身を嘆く。その上で記す。
一、花筒、近日相届候由、本望候、
一、筒、ふしきのを切出候、早望無之候、
││竹の花筒が近々届くとのことで喜ばしいです、これ以上望めないほど見事な竹筒を切り出
しました。
―
No.
1
A2
5
― 201 ―
ⓒ
茶会のみならず、茶道具の ゾウトウや書状のやりとりを通じて、織部は利休から美意識を学
んでいったのだろう。
もっとも、
「天正一六年(八八年)
」の奥書のある茶道具の解説書「山上宗二記」に名前が登場
しないことから、織部は四〇代半ばまでは「茶人としてまだたいした地位もなく、さしたる名物
道具も所持していなかった」
(
「へうげもの 古田織部伝」)と見られる。
ちっきょ
師弟の運命が変わるのは九一年。茶道頭の利休が秀吉の A を被り、蟄居を命じられたのだ。
利休の弟子はかなりの人数にのぼったはず。しかし、天下人の秀吉の機嫌を損ねるのは何より
よど
怖い。急いで京を離れようと淀の船着き場に赴いた利休の見送りに来ていたのは、丹後国(現京
都府)宮津城主で織部と同じく利休七哲の一人に数えられた細川忠興(三斎)と織部の二人だけ
だった。織部の豪胆さと師・利休への思いの深さが伝わってくる B
である。
忠興に仕えた武将、松井康之は利休の見送りに行くことができず、飛脚を送って見舞いの書状
ⓓ
を届けた。その礼状には船着き場で忠興と織部の姿を見つけたときの利休の驚きと喜びが ソッ
チョクにつづられている。
⑴
その後、
京に呼び戻された利休は秀吉に命じられて切腹する。 享年七〇歳。その前に自ら削っ
ちゃしゃく
なみだ
銘 泪」
。利休は最後の茶会で用いたあと、織部に与えた。織部は茶杓杓杓杓
い はい
る総黒漆塗りの筒を作り、中ほどに空けた長方形の「窓」から、利休の位牌代わりに茶杓杓杓杓
たのが「竹茶
だという。
利休の死後、秀吉に仕えて茶事をつかさどる茶頭となったのが織部。三年後の九四年(文禄三
お と ぎ しゅう
年)
、織部は五〇代初めで秀吉のブレーンである御伽 衆 となる。二人の関係を示す茶道具として、
秀吉が織部に与えたと伝わる「古井戸茶碗 銘 老僧」がある。
「もちろん共感するところは多かったと思うが、利休が自分の美学を大切にする求道的なタイ
プだったのに対して、
織部はサプライズを求めた明るく C
のないタイプだったのではないか」
と人間国宝美術館館長の矢部良明氏は話す。リーダーが代わることで茶の湯にも変化が訪れる。
「
(豊臣)秀吉のなかには三人の茶人が住んでいた」
矢部氏は著書「古田織部の正体」でそう記す。
一人目が道具に高価な唐物を使う天下人としての茶人、二人目が比較的安価な創作物を使う茶
わびちゃ
人、そして三人目が思いまかせの遊びを楽しむ茶人。このうち第二の佗茶好みでは千利休と共同
ばってき
歩調をとったのに対して、第三のアドリブをきかせる茶の湯への志向が織部の茶頭への抜擢につ
ながったとの見方である。
こうらい
もちろん織部も「油滴天目」のような唐物、
「古井戸茶碗 銘 老僧」といった高麗茶碗も所
持していた。しかし、単なる名物好みではなかった。例えば、「老僧」が織部の命銘であり、し
かも表面のシミのようなものが年老いた僧を思わせるからそう名付けたらしいといった話を知る
―
No.
1
A2
6
― 202 ―
と、織部のユーモア感覚が伝わってきて、思わずニンマリしてしまう。
わだち
実際、利休没後、織部は師の轍を歩くことはなかった。
「それこそ利休の教えだった」と指摘するのは静岡文化芸術大学学長の熊倉功夫氏。若いとき
は徹底的に師匠のまねをして、年がいってからは師匠と逆のことをする。「織部は利休の方法論
を受け継いだわけです」
熊倉氏によれば、
織部が残した足跡でさらに重要なのは「武家茶道の中心人物」だった点。「武
士の茶道をつくれ」というのが秀吉が織部に下した指令だった。
⑵
では武士の茶道とはどういったものか。それを示すものの一つが 織部好みの茶室である。
えんなん
じょう
茶道藪内家を象徴する茶室「燕庵」は、織部好みを今に伝える。利休の師匠でもある武野 紹
おう
けんちゅうじょう ち
鷗に茶を学んだ藪内家初代の剣 仲 紹 智は織部の妹を妻としており、大坂夏の陣に出陣する義兄
の織部から茶室を譲り受け、そこに「燕庵」の額を掲げたからだ。
ぜ かいぼう
萩焼で高台に切れ込みの入った割高台茶碗として有名な「萩茶碗 銘 是界坊」も、織部から
藪内家に贈られたものという。
「燕庵」を大切にした藪内家は、相伝(免許皆伝)を受けた門人にのみ精緻な写しを造ること
を認めた。最初の「燕庵」は一八六四年(元治元年)の禁門の変に伴う兵火で類焼したため、天
保年間(一八三〇〜四四年)に造られた最も古い写しを移築した。それが現在の「燕庵」という。
も
や
て まえ
「燕庵」はかやぶき屋根の入り母屋造り。内部は三畳の客座、通常の畳の四分の三ほどの点前座、
ⓔ
一畳の ショウバン席という構成だ。利休が好んだ狭小の草庵茶室に対して、貴人も迎えられる
ように草庵茶室の中に書院様式を取り入れた。窓が多く、部屋が明るいのも特徴とされる。
「それまで家臣が主君を迎えるときには、家を改築したり、豪華な食事を供したり、能を舞っ
す き
や
たりする必要がありましたが、織部が打ち出したのが、簡素かつ親密な茶席でもてなす『数寄屋
お なり
御成』です。
『燕庵』にはその思想が表れています」と熊倉氏は話す。
織部は関ケ原の戦いでは徳川方につき、常陸国(現・茨城県)の大名で茶友、佐竹義宣の説得
で軍功を挙げ、加増によって一万石の大名となる。数寄屋御成を提案するのは、一六一〇年(慶
長一五年)に徳川二代将軍秀忠の茶道指南役となった時期のことである。
「秀吉は庶民に対して自分の権威を示せばよかったが、秀忠は大名を相手にしなければならな
ⓕ
かった」
(熊倉氏)
。そうした時代背景が、 D である織部の チョウ用につながった面もある
のだろう。
その結果、織部は大名たちからも頼りにされたようだ。薩摩国(現・鹿児島県)の大名、島津
そう
ⓖ
義弘に宛てた一六一二年一一月二二日付の織部の 消息は、織部の名代として武将茶人の上田宗
こ
箇が薩摩に派遣され、やきもの作りの指導をしたことを伝える。
届いたやきものを見た織部は消息の中で「薬ハくろめなる薬之多御座候か能御座候(うわぐす
―
No.
1
A2
7
― 203 ―
りは黒いものを多く使った方が良い)
」などと細かく指導している。
もっとも、将軍家や諸大名の茶道指南役を務めることは、一五九八年の秀吉の死後、隠居して
茶道三昧の日々を送っていた織部が、再び政治の表舞台に引き戻されるのを意味していた。
一六一五年、大坂夏の陣で豊臣家が滅亡。織部の家臣、木村宗喜が豊臣方に内通、京での放火
ⓗ
を カク策したとして捕縛される。それに伴い、織部は長男とともに切腹命令を受け、死に至る。
一切釈明しなかったという。
織部の死の理由については徳川と豊臣の融和の企てを家康が嫌ったため、といった様々な説が
あるようだが、実態ははっきりしない。しかし、茶道指南役として多くの大名と親交を持つ織部
の力を家康が恐れた面はあったのではないか。茶道に新しい世界をもたらした織部は、師の利休
同様、 E
によって命を絶たれた。
(中野稔「織部好み」〈日本経済新聞〉による)
2
傍線部ⓐ・ⓖの語句の本文中の意味として最も適当なものを、次の各群の㋐〜㋔のうちか
・ⓖは
。
ら、それぞれ一つずつ選べ。解答番号は、ⓐは
1
問1
㋐ 風流・風雅にこころを寄せる人。
㋑ 波乱万丈な運命をたどる人。
ⓐ 数寄者 ㋒ 不運に見舞われた人。
㋓ 物事の大事なところを束ねる人。
㋔ 有力者とつながりのある人。
― 204 ―
A2
―
8
消息
No.
1
ⓖ
㋐ 状況。
㋑ 便り。
㋒ 盛衰。
㋓ ようす。
㋔ 訪問。
6
5
4
傍線部ⓑ〜ⓔに使用する漢字として最も適当なものを、次の各群の㋐〜㋖のうちから、そ
れぞれ一つずつ選べ。解答番号は、ⓑは
・ⓒは
は・ⓓは
・ⓔは
。
3
問2
シジ
㋐ 仕
㋕ 士
㋑ 支
㋖ 氏
㋒
指
㋓
志
㋔
師
ⓒ ゾウトウ
㋐ 納
㋕ 当
㋑ 倒
㋖ 答
㋒
問
㋓
統
㋔
投
ⓓ ソッチョク
㋐ 卒
㋕ 速
㋑ 則
㋖ 粗
㋒
率
㋓
即
㋔
早
ⓔ ショウバン
㋐ 小
㋕ 声
㋑ 章
㋖ 床
㋒
尚
㋓
商
㋔
相
ⓑ
ⓕ チョウ用
問4
号は
㋐
カク策
空欄 A
㋑ ジュウ役
㋕ 年チョウ者
㋒
チョウ査
㋖
記チョウ
㋐ カク度
㋔ 図ガ
㋑ カク位
㋕ 自カク
㋒
タシかめる
㋖
合カク
㋓
テイ寧
㋓
キャク間
に入る語句として最も適当なものを、次の㋐〜㋖のうちから一つ選べ。解答番
。
9
ⓗ
㋐ チョウ収
㋔ アサ顔
8
傍線部ⓕ・ⓗに使用する漢字と同じ漢字を含むものとして最も適当なものを、次の各群の
㋐〜㋖のうちから、それぞれ一つずつ選べ。解答番号は、ⓕは
・ⓗは
。
7
問3
㋑ 叱責
㋖ 殺気
怒気
失態
㋕
空欄 B
号は
。
㋓
座興
けんせき
㋔
譴責
に入る語句として最も適当なものを、次の㋐〜㋖のうちから一つ選べ。解答番
10
問5
㋒ 勘気
㋑ ダイアローグ
㋕ 金言
㋒
モノローグ
㋖
民話
㋓
エピソード
― 205 ―
A2
―
9
エピローグ
㋔ アンソロジー
No.
1
㋐
問6
空欄 C
号は
に入る語句として最も適当なものを、次の㋐〜㋖のうちから一つ選べ。解答番
11
。
㋐
遠慮
㋕ 機微
空欄 D
号は
。
㋒ 屈託
㋓
落ち着き
㋔
余裕
に入る語句として最も適当なものを、次の㋐〜㋔のうちから一つ選べ。解答番
12
問7
㋑ 思慮
㋖ 節度
㋐
へうげもの
㋔ 高貴な茶人
空欄 E
号は
。
㋒
利休の指南役
㋓
政治家
に入る語句として最も適当なものを、次の㋐〜㋔のうちから一つ選べ。解答番
13
問8
㋑ 武家茶道の推進者
㋐
豊臣家
㋑ 徳川家
㋒ 諸大名
㋓
藩主
㋔
天下人
傍線部⑴「享年」と同じ意味の語句として最も適当なものを、次の㋐〜㋖のうちから一つ
。
選べ。解答番号は
14
問9
㋐
幾年
㋕ 行年
㋒ 越年
㋓
永年
㋔
往年
傍線部⑵「織部好みの茶室」とあるが、どのようなものか。その説明として最も適当なも
。
のを、次の㋐〜㋔のうちから一つ選べ。解答番号は
15
10
㋐
狭小だが、窓が多く明るい茶室。
㋑ ユーモア感覚を持って、貴人を迎え入れられるような茶室。
㋒ 簡素だが、武家にふさわしいもてなしができる間取りの茶室。
㋓ 一つの茶室で能や食事も供することができる機能的な茶室。
㋔ 免許皆伝を受けた門人のみが造ることのできる精緻な茶室。
A2
―
10
― 206 ―
No.
1
問
㋑ 定年
㋖ 凶年
㋐
織部と利休は茶道具や書状のやりとりを重ね親交を深めたが、美意識が異なるため決別し
た。
㋑
㋒
㋓
利休も織部も当代随一の茶人として秀吉に仕えた。
利休は有名な「古井戸茶碗 老僧」を贈って、織部と親交を深めた。
織部は利休の方法論を受け継ぎ、わび茶の振興に尽くした。
織部の茶道の特徴として最も適当なものを、次の㋐〜㋔のうちから一つ選べ。解答番号は
。
17
名物好みで権威的。
㋑
飾り気がなく親密。
㋒
華やかで明朗。
㋓
質素だが滑稽。
㋔
老成した唐物好み。
― 207 ―
A2
―
11
㋐
No.
1
問
利休も織部も秀吉の三人の茶人の中の二人として活躍した。
12
㋔
。
16
本文の内容と合致するものを、次の㋐〜㋔のうちから一つ選べ。解答番号は
11
問
次の文章を読み、後の問い(問1〜
)に答えよ。
14
第ニ問
認識は自然をまねる。そして、文化は認識をまねる。これは、もちろんアリストテレスの「芸
術は自然を模倣する」をもじったものである。認識は、自然の形をまねて頭に理想形を描き込む。
そして、認識された理想形は、文化のなかに個々の具体的な形となって現れる。
A
A
状の形もその一例である。新鮮なレモンの切り口、あるいはみかんの輪切り、いずれも
状の形が美しい。パッと花ひらく感じである。花では菊。菊は、その形から太陽を連想さ
せ、百花中の最高位とされる。それゆえ、菊の紋章が重みをもつ。紋章のみならず、菊の文様は
広く用いられてきた。
(中略)
指揮者を中心としたオーケストラの形も心引かれる。客席も A
その B
状に広がる形を取り入れる。
は、古代ギリシアの劇場だろう。客席は、半円形のすり鉢状。現在残る劇場は、アテ
ネのアクロポリスの丘下の劇場も、その他の古代都市の劇場も、素人目には規模と形に大差がな
ⓐ
い。私は、イタリアの先端、レトリック 発ショウの地シシリー島のシラクサの町でもこのこと
を確かめた。
中心と周辺は、ひとつの原型的な認識パタンである。そして、私たちには、心臓という身体の
中心と、心という精神の中心がある。また、見上げれば、かつては地球が宇宙の中心であった。
いまは太陽が中心である。さらに、銀河系には中心があり周辺がある。身体と宇宙が呼応すると
考えるのは、不思議なことではない。
完全な A
状でなくても、どこかに中心があってしだいに周辺に至るという構図は、日常生
活にもなじみ深い。自己を中心とした認識は、その一例である。それを家族に広げれば、そこに
だ えん
も中心がある。楕円のように中心がふたつあるかもしれない。ふたつまとめてひとつの中心と考
えられるだろう。
組織が広がれば、国にいたる。首都が政治の中心であり、そのかなめが首相や大統領である。
地方組織は中央のミニチュアといっていい。そこに中心と周辺がある。また、街なかにも中心が
ⓑ
ある。繁華街が 一様に散らばっていては街になれない。
昔ながらの城下町や門前町では、人びとの生活の様子がよくわかる。求心力は、城あるいは門
ⓒ
⑴
前を中心とした人びとの生活が ジ場となって自然に形成されたのだろう。 年浅い近代的な街
がしばしばそらぞらしく感じられるのとの差は大きい。もちろん港町であってもいい。はやりす
たりはあっても、長年人が暮らした土地ならば、やはり人間くさい中心と周辺がある。
からの C
kop
である。ワイングラスのようなものを指したらしい。現代の用法に絞れば、
― 208 ―
A2
―
12
語の
状の認識は、ことばによる認識でもある。たとえば、コップとは何か。もとはオランダ
No.
1
A
ちゃわん
類似したことばにカップと茶碗がある。これにグラスが加わる。
ひとまず、カップには取っ手があり、コップにはそれがないとしよう。そのうえで、改めてコッ
プの意味を考える。機能的には、液体を注ぎ入れてそこから飲む容器である。が、そのすべてが
コップと呼べるわけではない。形は円筒形のものが基本で、かつ、底面の直径と D
の比が少
なくとも一対二はほしい。あまり平らだと灰皿のようになってしまう。また、上部がやや広がっ
ていてもいい。ただし、広がりすぎてはならない。材質はガラスか陶器、あるいはそれに類する
もの。
⑵
この説明は、
歯切れが悪い。 コップとコップでないものとの区別がはっきりしない。かといっ
て、コップとは何かがわからないわけではない。コップらしいコップを思い浮かべると、「液体
を入れて飲む容器であって、取っ手がなく、円筒形で、ある程度の D
陶器製のもの」と特徴づけられる。これが B
があり、ガラスまたは
的なコップである。しかしコップと呼べるもの
は、これらの条件すべてを満たさなくてもいい。鑑賞用のコップ、ひずみのあるコップ、紙コッ
プもコップである。
ここからわかることは、もっともコップらしいコップがあるということである。それを中心に、
しだいにコップの B
性が薄まるように、概念が形成されている。コップにも中心と周辺があ
る、ということだ。コップの周辺は、一方で茶碗と重なり、他方でカップと交わる。そして、こ
の事実は、コップに限らず、たいていのことばに当てはまる。
茶碗の場合は、さらに複雑である。まず、ごはん茶碗か湯飲み茶碗か、どちらを思い浮かべる
か。ごはん茶碗はどんぶり茶碗につながり、湯飲み茶碗は、小は中国茶用のものから大はすし屋
の湯飲みにまで広がる。形状も、背が低く胴のふくらんだものから背が高く円筒形のものまであ
る。材質は、陶器がふつうである。茶碗は、どうも二連星の中心をもつ。周辺は、コップと同じ
くしだいにぼやける。
では、他の領域のことばはどうか。たとえば、鳥を考えよう。まっさきに頭に浮かぶのは、ス
ズメやツバメのような鳥である。翼を広げて空を飛ぶ。大きさも手ごろでいかにも鳥らしい。ワ
シやカラスやフクロウは、中心からはずれる。空を飛べないダチョウや鶏は、周辺に位置するだ
ろう。ペンギンにいたっては、空を飛ぶどころか水中を遊泳する。それでも鳥の仲間である。鳥
の類も、中心から周辺に広がることがわかる。
右 の 例 は す べ て も の で あ る。 も の は 類 を 形 成 し、 類 は 中 心 と 周 辺 か ら な る。 こ の 特 徴 は、
E
み らい
詞や動詞にも当てはまる。たとえば、
「甘い」。いまなら舌の上に分布する味蕾が感じる甘
さの程度を、
化学的に測定できるだろう。
程度があるからには、甘さにも中心と周辺がある。動詞で
は、たとえば、
「ジョギングをする」を考えよう。それが一方で「 F
」
的なジョギングスタイルが考えられるはずである。
A2
―
13
― 209 ―
No.
1
と接することがわかる。ここにも B
」と接し、他方で「 G
このように、ひとつひとつのことばには中心と周辺がある。これによって、私たちは助かって
いる。いちいちガラスコップと言わずに、たんにコップでたいてい間にあう。ことばの経済とは、
H
の節約ということである。
必要が生じたときだけ(つまり、誤解が生じそうなときだけ)、「ガ
ラスコップ」と言ったり、茶碗をもっとはっきりと「湯飲み茶碗」と言えばいい。
もうひとつ気づくことがある。ふだん遣いのことばは、たいてい短い。「茶碗」は、「湯飲み茶
碗」より短い。
「コップ」は、
「ガラスコップ」より短い。さらに詳しくいう必要がなければ、短
い方が楽である。これは、色彩名でも同じである。「緑」に対する「深緑」、「茶」に対する「こ
げ茶」など。微妙な色彩名は、それぞれの基本色に何かを足してできる。
これに関連して、逆の場合も見よう。たとえば、ベッドに対するダブルベッドは類に対する種
の関係であり、ここでの話ともよくあう。しかし、ベッドの上にくる類、たとえば、家具はこと
ばのふるまいが少し異なる。家具を見に行って、「ベッドを見せてください」はふつうだが、「家
具を見せてください」はヘンである。同じく、八百屋に行って、「野菜をください」というのも
⑶
おかしい。 家具や野菜のような上位の類を表すことばは、日常的には個々のものを指して使う
ことができない。
ふだん遣いのことばは、ことばの使用において基本的なレベルとなる。明確なイメージがあり、
そのままでより下位のことばを指しても使える。短くて使い勝手がいい。 I
ときも、たとえば、ほうれん草なら一把、いすなら一脚、茶碗なら一 J
がきく。数える
とはっきりしている。
これに対して、家具や野菜の一般的な数え方はあるだろうか。それは、野菜ならほうれん草と
キュウリをいっしょに数えるようなものである。家具なら椅子とテレビをいっしょに数えるよう
なものである(英語で家具は数えられない名詞である)。そもそもテレビは家具なのか。周辺の
ⓓ
ぼやけ方が イチジルしいのも、上位のことばの特徴のひとつである。
(瀬戸賢一『よくわかる比喩』による)
―
No.
1
A2
14
― 210 ―
19
傍線部ⓐ・ⓒ・ⓓに使用する漢字と同じ漢字を含むものとして最も適当なものを、次の各
群の㋐〜㋕のうちから、それぞれ一つずつ選べ。解答番号は、ⓐは
・ⓒは
・ⓓは
18
問1
20
。
ⓐ
ⓒ
発ショウ
ジ場
問2
号は
㋑
平和のショウ徴
㋔
公ショウ部数五万部 ㋕
中毒ショウ状
㋐ 支ジ勢力
㋓ 地方ジ治
㋑
問題ジ案の処理
㋒
陶ジ器
㋔
ジ道な努力
㋕
答ジ
㋑
チョ作権
㋒
危ケンが迫る
㋔
ゲン粛な儀式
㋕
残コクな描写
不ショウ事
イチジル(しい) ㋐ ジン大な被害
㋓ 感ゲキする
㋒
傍線部ⓑの語句の意味として最も適当なものを、次の㋐〜㋖のうちから一つ選べ。解答番
。
21
ⓓ
㋐ 条件の交ショウ
㋓ 人心のショウ握
㋐ 重点的に。
㋑ 平均的に。
㋒ 統一的に。
ⓑ 一様に ㋓ 部分的に。
㋔ 単一的に。
㋕ 段階的に。
㋖ 一般的に。
空欄 A
号は
に入る語句として最も適当なものを、次の㋐〜㋖のうちから一つ選べ。解答番
。
22
問3
㋐
らせん
㋕ 放射
空欄 B
号は
。
㋒ 半円
㋓
楕円
㋔
すり鉢
に入る語句として最も適当なものを、次の㋐〜㋖のうちから一つ選べ。解答番
23
問4
㋑ 同心円
ぼうすい
㋖ 紡錘
㋑ 究極
㋖ 象徴
㋒ 典型
㋓
一例
㋔
対照
― 211 ―
A2
―
15
現実
㋕ 対象
No.
1
㋐
空欄 C
号は
に入る語句として最も適当なものを、次の㋐〜㋖のうちから一つ選べ。解答番
。
24
問5
㋑ 外来語
㋖ 口頭語
㋐
和語
㋕ 複合語
空欄 D
号は
。
㋓
混種語
㋔
共通語
に入る語句として最も適当なものを、次の㋐〜㋖のうちから一つ選べ。解答番
25
問6
㋒ 漢語
㋑ 上面の直径
㋕ 高さ
㋐
中央部の直径
㋔ 円周
空欄 E
号は
。
上面の半径
㋖
幅
㋓
奥行き
に入る語句として最も適当なものを、次の㋐〜㋖のうちから一つ選べ。解答番
26
問7
㋒
㋑ 指示
㋖ 形容動
㋐
状態
㋕ 形容
空欄 F
解答番号
・ G
㋓
感動
㋔
名
AA
に入る語句として最も適当なものを、次の㋐〜㋖のうちから二つ
選べ。
AA
マークせよ。
に二つ
27
問8
㋒ 副
㋐
競技する
㋕ 静養する
空欄 H
号は
。
㋒ 止まる
㋓
走る
㋔
飛ぶ
に入る語句として最も適当なものを、次の㋐〜㋖のうちから一つ選べ。解答番
28
問9
㋑ 運動する
㋖ 歩く
㋐
余力
㋕ 発言力
空欄 I
号は
。
㋒ 知力
㋓
財力
㋔
生産力
に入る語句として最も適当なものを、次の㋐〜㋖のうちから一つ選べ。解答番
29
10
問
㋑ 労力
㋖ 語学力
㋑ 目
㋖ 小回り
㋒ 鼻
㋓
目先
㋔
はぶり
― 212 ―
A2
―
16
顔
㋕ 押さえ
No.
1
㋐
空欄 J に入る語句として最も適当なものを、次の㋐〜㋖のうちから一つ選べ。解答番
号は
。
30
11
問
㋑ 服
㋖ 本
㋐
基
㋕ 杯
㋓
張
㋔
丁
傍線部⑴「年浅い近代的な街がしばしばそらぞらしく感じられる」とあるが、なぜか。そ
の理由として最も適当なものを、次の㋐〜㋖のうちから一つ選べ。解答番号は
。
31
12
問
㋒ 客
㋐ たくさんの近代的なビルが街の中心部に存在するから。
㋑ 明るくきれいな街作りに努めているから。
㋒ 人為的に作られたものというイメージがぬぐい去れないから。
㋓ 高度な文化が時間をかけて醸成されていないから。
㋔ 公的なシステムによって人々の生活が管理されているから。
㋕ 人と人とのつきあい方が表面的であることが感じ取れるから。
かたぎ
㋖ 昔気質の人の数が少なくなってしまったから。
傍 線 部 ⑵「 コ ッ プ と コ ッ プ で な い も の と の 区 別 が は っ き り し な い 」 と あ る が、 こ こ で の
「コップでないもの」にあたる例として最も適当なものを、次の㋐〜㋖のうちから一つ選べ。
13
問
㋐
ひしゃく
㋕ ビールジョッキ
㋑ マグカップ
㋖ バケツ
㋒
鍋
㋓
湯飲み
㋔
皿
傍線部⑶「家具や野菜のような上位の類を表すことばは、日常的には個々のものを指して
使うことができない」とあるが、なぜか。その理由として最も適当なものを、次の㋐〜㋖のう
14
ちから一つ選べ。解答番号は
㋐
。
33
問
。
32
解答番号は、
現実的には分かりにくいことばだから。
㋑
より抽象度が増していることばだから。
㋒
受け手によって意味がぶれることばだから。
㋓
特別な条件でのみ使用できることばだから。
㋔
実際には日常では使いにくいことばだから。
㋕
元々は上流階級が使用していたことばだから。
㋖
特定の一つの具象物しか指すことができないことばだから。
―
No.
1
A2
17
― 213 ―
第三問
次の⑴から⑸を読み、後の問い(問1 〜6)に答えよ。漢字で答える解答は、楷書で丁
寧に記入すること。
⑴
ⓐ
みゆき
ソウコウや深雪に犬のみ腰を A
中村草田男
たが
⑵
隙間風兄妹に母の文異ふ
石田波郷
とうか
⑶
野を焼いて帰れば燈下母やさし
高浜虚子
か
村上鬼城
⑷
⑸
き つ つ き
とんぼ
小春日や石を噛み居る赤蜻蛉
啄木鳥や
ⓑ
落ち葉をいそぐ牧の木々
水原秋桜子
傍線部ⓐ「ソウコウ」は「出征兵士を見送る会」のことである。「ソウコウ」を漢字で書け。
。
解答は記述式解答欄
a
問1
A には、余情を表す連用止めの表現が用いられている。 A
適切な形にして入れよ。解答は記述式解答欄
。
に、動詞「おとす」を
b
問2
ふうえい
⑶の作者高浜虚子は、伝統的な花鳥諷詠詩としての俳句の発展に尽くした俳人であるが、
。
彼が正岡子規から継承し、より所とした雑誌名をカタカナで書け。解答は記述式解答欄
c
問3
⑷の俳句の季語と季節を答えよ。解答は記述式解答欄
。
d
問4
傍線部ⓑ「落ち葉をいそぐ」に用いられている表現技巧は何か、漢字で書け。解答は記述
。
式解答欄
e
問5
⑵から⑸の中で、字余りになっているところが一カ所ある。その部分を抜き出して書け。
解答は記述式解答欄
。
f
問6
―
No.
1
A2
18
― 214 ―
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