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スペクテイター』(41)

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スペクテイター』(41)
大阪経大論集・第62巻第6号・2012年3月
翻
57
訳〕
スペクテイター』(41)
第379号から第388号
門
第379号
田
俊
夫
1712年5月15日(木曜日)
【バジェル】
知識はそれを人々に伝えない限り,何の価値もない。
明らかになって初めて知識と言えるのだから。(ペルシウス)1)
私はしばしば,時として学校にある,古のラテンの詩,つまり,「知識は人に伝えない
限り何の価値もない」という詩に包含されている意地の悪い主張を耳にして驚きます。確
かに,善良な人にとっては,もし他人を喜ばせたり,他人に知らせたりすることが出来る
とすれば,これに勝る喜びはほかにはありません。これを実行するには,当人の向上がな
ければほぼ不可能なことですので,当然のようにそこにはそれなりの報いが生じると言え
ます。読書や日々の出来事は,絶えず,私たちに熟考を必要とする材料をもたらしていま
す。その思考がどんな言葉で言い表されるのか知りたいと願うのは私たちのごく自然な感
情です。言葉がないと,何を考えているのかは明確には理解出来ません。このように,思
考が言葉という表現の衣を纏うと,他人に影響を与えることが可能になり,その思考が義
に適っているか否かも明らかになります。
自惚れになりますが,私はこういった思索を通して,さまざまなテーマを扱い,読者の
皆さんがそれまで全く無知であるか,少なくともほとんど知らないで,気づいてはいるが
公にはしたくない自身の振舞いの多くの秘密に関する人生の振舞いのルールを定めてきま
した。
私は数通の手紙を受け取り,以上の考えに一層確信を持つようになっています。その手
紙では,私が俗悪さを容認するために学識を売り渡しており,寄稿者の一人に言わせれば,
学識を品の良くない売春婦にしているといって非難しています。また別の人は,私がアル
カナ,つまり,分別の奥義を万人の目に晒しているといって非難しています。
こういった寄稿者たちの手紙に見られる狭量な心は,いつの時代にもあることですので,
驚くに足りません。アレクサンダー大王が家庭教師アリストテレスに宛てた書簡が現存し
ています。アリストテレスはその一部を公表していますが,アレクサンダー大王は,自分
1) ペルシウス『諷刺』1.27
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大阪経大論集
第62巻第6号
がそれまで個人的に教わった学問の奥義を彼が世の中に広めたことに不満を述べているの
です。つまり,「自分が他の人々に長じていたのは権力というよりもむしろ知識だった」2)
ということなのです。
同様に,学識豊かなアランダ伯爵夫人ルイーザ・ド・パディリャも,有名なグラシアン
が「分別に関する論文集」を公表したことに腹を立てました。彼女は高貴な人々のために
残しておくべき金言を俗人の目に晒したと考えたわけです3)。
こういった異議は非常に影響があると考えられますので,異議を唱える人たちもしばし
ば,前述の著者たちの書く内容はとても難解なもので,たとえ読んでもその意味を理解出
来る人は限られているのだと断言してこういった著者を擁護しています4)。
ラテンの諷刺作家ペルシウスは,別の理由で難解さを装いました。だが,カウリー氏は
それに対して非常に気分を害し,友人の一人に,君はペルシウスの書いていることが理解
出来ないので優れているか否か分からないと言うけれど,私に言わせればまさにそれ故に
ペルシウスは優れてはいないのだと語っています5)。
それにもかかわらず,この理解出来ないように書くというやり方は,かなり広まってお
り,現代の著者たちの中にはそれをならっている人たちがいます。こういった著者は,秘
密を探ろうとするのが人々に共通する傾向であり,曖昧な表現を用いて意味を隠すことで
評判を獲得することに気づいており,さらに一層難解にして全く意味をなさないことを書
くことにしているわけです。このやり方は現在著名な著者の多くが実践していますが,数
多くの言葉をそれぞれ異なった文章の中にでたらめに差し挟み,好奇心に満ちた読者にそ
の意味を探らせているのです。
事物の意味を表すために象形文字を用いたエジプトの人々は,知識や発見を独り占めに
している人物のことは,内部は明るいがそばにいる人に全く明かり,つまり,利益をもた
らさない,周囲を閉ざした「手提げランプ」で表現しました6)。私自身のことを言います
と,私はたまたま発見したことは何でも皆さんにお伝えするようにしていますので,どち
らかと言えば,すべての通行人のためになるように周囲に明かりを撒き散らす通常のラン
プにたとえられるものと思います。
本日の紙面を締め括るにあたって,ローゼンクロイツの墳墓のお話を紹介したいと考え
ます。読者の皆さんにお伝えする必要はないと思いますが,この人物はバラ十字会の創設
者で,彼の信奉者たちは今でも新たな発見をしても,会員以外にはそれを伝えようとはし
ません。
たまたまこの哲学者が埋葬されている地面を掘り返すことになったある人物は,両側が
壁になっている小さなドアを見つけました。好奇心の強い彼は,何か秘宝があるかもしれ
2) アウルス・ゲリウス『アッティカの夜』20.5.7
12,プルタルコス「アレクサンドロス」7.4
5
3) この話はジョン・ラスタノーサがグラシアンの論文集への序文で語っている。
4) ドライデンもこの点について論じている。
5) カウリー『随筆』10「遅延の危険性」
6) 手提げランプは,自己充足的な知恵に対するよく用いられたシンボル。
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ないと考えて,直ちにそのドアを開けました。開けるや否や,まばゆい光に照らされて驚
きましたが,そこは実に奇麗な部屋になっていました。部屋の奥には,鎧をまとった人の
像があり,テーブルに向かい,左手で頬杖をして座っていました。右手に職杖を持ち,像
の前にはランプが灯っていました。彼が部屋に一歩足を踏み込むや否や,その像が背筋を
のばして立ち上がりました。さらに一歩進むと,右手の職杖を持ち上げました。勇気を出
してさらにもう一歩進むと,その像はランプを叩き割り粉々にしてしまいました。客人は
突如として暗闇に包まれたのです。
この冒険の話を聞くと,この国の人たちがすぐに明かりを手にしてこの墳墓を見に来ま
した。そして,真鍮製のこの像はぜんまい仕掛けにほかならなく,部屋の床はぐらぐらに
なっており,床下にはバネがついていることが分かりました。人が入って行くと,上述の
ようなことが起こるのは当然だったのです。
彼の信奉者たちに言わせると,ローゼンクロイツは古代の人たちの絶えず明かりのつい
ているランプを作り直したのだということを世間の人々に示すためにこの方法を用いたと
いうことです。もっとも,彼は発見の利点を誰にも手に入れさせないと決めていたのです
が7)。
第380号
1712年5月16日(金曜日)
【スティール】
ライバルは根気よく耐える。(オウィディウス)
1)
1712年5月8日木曜日
前略
貴紙で貴方はご婦人方の指南役として助言なさっておられましたので,唐突ではござい
ますが,お手紙を差し上げることにしました。今日,どういった場合を恋人と呼んだらよ
いのか貴方のご意見を賜りたいと存じます。私は最近,結婚を希望してると思われる紳士
と知り合いになっています。友だちの大半もそのことに気づいており,実際には私たちは
結婚していると思われるほどの間柄になっています。これに対して,私は彼女たち,とり
わけ,田舎にいた若い貴婦人にわざわざ真実を悟らせることはしませんでした。町に出て
来て,私たちがとても親しくしているのを見た彼女は,そのことで私を非難するのでした。
私は彼女には率直に結婚していないのだと言いましたが,何が問題なのか私には分かりま
せんでした。彼女はまもなくその紳士と面識ができ,喜んで彼の尋問をする役目を引き受
けました。口説き落とすには年配者よりも新顔の方に分があったかどうかは,貴方のご判
断にお任せしますが,彼は求婚の件は完全に否定したとのことです。彼は私との関係は純
粋な友情にほかならないと明言したのです。結婚というものは友情経由で申し込まれるも
7) カウリーは,「ダビデ讃」の注で,古代人の墓に灯っており,墓が開くとすぐに空気が入って消え
るランプについて記述している。
1) オウィディウス『恋の技法』2.539
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大阪経大論集
第62巻第6号
のなのかどうか,知りたいと思います。実際に恋人と呼べるものなのでしょうか。もっぱ
らそれにふさわしい言葉で話し掛けますが,要点をついた明白な喋り方をなさらない方が
大勢いらっしゃいますので,求愛と親交の区別をすることができません。これ以上じらさ
れるようでしたら,どうか貴方のお力で恋人と友人の見分け方を教えていただきたいと思
います。それまでは,双方には平等に接しますので,乙女も殿方もともに大いに途方に暮
れることになります。双方をよく知っている私は愛の復讐を受けるのではと思います。こ
れは相容れない嫉妬をもたらします。万事うまく行きましたら,またお知らせ致します。
草々
ミルティラ
1712年4月28日
観察者殿
教会で不遜な振舞いをしている人たちに対する貴殿のご意見は,それを読まれた人に効
き目があったに違いない,と私は考えます2)。だが,これまで貴殿の目に留まっていない
間違いがもうひとつあります。私が申し上げたいのは,非常に熱心かつ規則的に,お祈り
に先立つとしか思われず,お祈りそのものには加わらないで,不意に大きな叫び声を発す
る人たちのことなのです。私の向かい側の席に陣取るウィル・ハニコームの友人にこの例
が見られます。この方は決まってお祈りがほぼ半ばに差し掛かった段階でやって来ます。
そして,席までやって来ると,(会衆の仲間入りをせずに)敬虔に帽子を3,4度胸の前に
ささげ,知り合い全員にお辞儀をし,席に着き,かぎタバコを一服くゆらせ,(夕刻のお
祈りであればうたた寝をし)その後は会衆を見渡しながら時間を費やします。さて,お願
いですが,この紳士のやり方を少しいさめていただけませんか。私に言わせると,この紳
士の信心や手にした帽子は,単にこの場の習わしに従っているだけであって,教会の正し
い作法にはほど遠いものです。もし貴殿があえてこういったいい加減な人を厳かな集まり
に来させる動機について述べられないにしても,この手紙だけは貴紙に掲載していただき
たいと考えます。
草々
ジェイ・エス
5月5日
観察者殿
私が所属していますクラブでは,昨夜は,虚栄心と賞賛されたい気持という話になりま
したが,この話をしていて,先週木曜日に自宅のドアのところで実に見事な牛乳バケツを
持った清純で元気の良い女性と立ち話をしたことを思い出しました。私は下層階級のあだっ
ぽい女の振舞いと彼女が自分のことを意識しているさまを目にする機会を得たことを嬉し
2) 教会における不遜な振舞いは,しばしば議論の俎上にのぼった。第259号参照。
スペクテイター』(41)
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く思いました。私の見たところ,彼女は芝居や集りで第一級の美人がやるのと同じように,
顔の筋肉一筋一筋にその影響が見られました。そう思うと立ち話がとても楽しくなったの
でした。結局のところ,この乳搾り女は上流階級の女性と同様に,虚栄心を満喫している
わけです。この弱さについて考察し,あらゆる階級の人たちにまで辿ってみるのは貴殿に
とって適切なテーマになるものと思います。是非とも,多くの読者にご意見を披露してい
ただきたいものです。
草々
ティー・ビー
前略
先週,取引所近くのコーヒーハウスにバスケットを抱えて入って行きますと,聞くとこ
ろによりますと,かなり著名なあるユダヤ人がバスケットからオレンジを6個取り出し,
私の手に1ギニー握らせました3)。私はお辞儀をしてその場を立ち去りました。すると,
彼は私の後をつけて来て,私が仕事に精を出しているのを見て,私に追いつき,あからさ
まに,ほかでもない1時間私を買いたい,お金を出すから,と言いました。そうなのです
か,と私は返事をしました。そうだとしますと,私を邪な道に引きずりこむためにお金を
お出しになられたのですね。私はこのまま誠実でいたいので,このお金を頂いておきます。
しかし,私は恩知らずではありませんので,このお金で指輪を2個買って,あなたのため
にそれをはめておくことをお約束致します。それだけでなく,私は公明正大ですので,そ
の指輪はどうしたのかと尋ねる人がいたら,その人にこれを頂いた人のお話を致します。
しかし,何度も同じ話をする労を省くために,どうか貴方からきっぱりこの話を伝えてい
ただけないものでしょうか。何卒よろしくお願い致します。
草々
1712年5月12日
ベティ・レモンより
1712年5月15日,セント・ブライドにて
前略
セント・ブライド教区の紳士諸氏が,かつてあった少年50人を受け入れる慈善学校のよ
うに,この度,少女50人を収容する慈善学校を設立してくださったことを貴方にお知らせ
る機会が持てたことを私は大変喜んでいます。貴方はかつて大変な思いやりの気持から,
少年たちを慈悲深い世界に託されました4)。そこで,つぎの土曜日のために,金曜日の貴
紙に同じように忠告してくださることを少女たちも願っているのです。そうしていただけ
3) ウェルカーは,『哲学研究』28.51921(1931)で,この箇所は同盟軍に食糧を供給する有名な業者
であり,『スペクテイター』の定期購読者の一人サー・ソロモン・ド・メディナへの言及だという
本当とも思えないようなことを言っている。
4) 第294号参照。
62
大阪経大論集
第62巻第6号
ますと,セント・ブライド教区の子供たちのために大きな助けになることは間違いありま
せん。誰もがお金の掛からない立派な活動を無視はしないと確信しています。
草々
寺男より
第381号
1712年5月17日(土曜日)
【アディソン】
死すべき運命にあるデーロスは,運命の女神の渋面や微笑
の最中にあっても,常に平静な心を持つ。
陰鬱な恐怖感とか過度の喜びを見せてはいけない。
眉をひそめたり,表情を崩したりしてはいけない。(ホラティウス)1)
私は常日頃から浮かれ騒ぎよりも上機嫌の方が好ましいと考えています。浮かれ騒ぎは
見せかけであり,上機嫌は感じ方の癖だと考えています。浮かれ騒ぎは短命ではかなく,
上機嫌は確固たるもので永続的です。有頂天になる人は,往々にして,どうしようもなく
落ち込んでしまうことになります。それに対して,上機嫌は強烈な喜びを与えることはあ
りませんが,激しく悲しませることもありません。浮かれ騒ぎは憂鬱な雲間に現れる一瞬
の稲光に似ており,瞬間輝きを発します。一方,上機嫌はいわば心に日光を与え,心を一
定で永続的な静穏さで満たしてくれます。
厳格な考え方をする人々は,修練にとって浮かれ騒ぎはあまりにもみだらでふしだらで
あり,ある種の勝利感と尊大さが詰まったものと見なします。勝利感と尊大さはことある
たびに大きな危険に陥りやすい人生と相反するというわけです。こういった心構えについ
て文章を綴る人たちは,まさにお手本である聖人は決して笑わなかったのだと述べていま
す2)。
上機嫌はどんな例外にも襲われることはありません。上機嫌というものは沈着なもので
あり,人間性にとってふさわしくない状態に陥れることはありません。またこれはキリス
ト教徒たちの中で正当に聖人と見なされた人々は言うまでもなく,異教徒たちの中で非常
に優れた哲学者と見なされた人々の中にも顕著です。
上機嫌について,私たち自身,私たちが付き合う相方,そして私たちの創造主という三
者の観点から考えてみますと,上機嫌がいかに素晴らしいことかが分かります。上機嫌と
いう優れた感じ方が出来る人は,思考にゆとりが生まれるだけでなく,自らの心を完全に
御することができます。想像力は明晰で,判断力が乱されることはありません。気質は活
動しているときであれ一人でいるときであれ,平静でむらがありません。神が授けるあら
ゆる善を喜んで受け入れ,神が降り注ぐあらゆる喜びを味わうことができます。そして,
1) ホラティウス『頌詩』2.3.1
4
2) ダンは,この件について『書簡集』(1654年編)46頁から47頁で言及している。
スペクテイター』(41)
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降りかかるかもしれない不慮の禍もそれほど大きな負担には感じません。
付き合う人たちと比較して考えて見ますと,上機嫌は当然の如く愛情と善意を生じさせ
ます。上機嫌な人は感じがよく,気さくであるだけでなく,相手もその影響で同じような
気持になります。どういうわけか分かりませんが,相方の上機嫌に満足するのです。これ
はまるで心の奥に潜んでいた喜びを覚醒させる突然降り注いだ陽光のようなものです。ひ
とりでに心が喜びを覚え,その効き目のあった相方の友情と善意に自然に上機嫌が注がれ
るわけです。
この上機嫌を第三の観点から考えて見ますと,私はこれは偉大なる創造主に対する不変
の感謝の念と考えます。心の中にある上機嫌は,あらゆる施しをしてくださる神に対する
絶対的な賞賛と感謝の念なのです。私たちが置かれている状態をいわば甘受し,密かに人
間に対する神意を是認することです。
私の考えでは,理に適った形で私たちから上機嫌を奪うことができるものは二つしかな
いと思います。一つはうしろめたさの感覚です。悪徳と頑迷の生活を送っている人は,魂
の癒しであり,美徳と純真さの当然の結果である心の平静と静穏さを持つ権利はありませ
ん。不徳な人に宿る上機嫌はもっと厳しい名前がふさわしく,どう見ても一般に愚行とか
狂気と呼ぶ域を超えています。
無神論は,神の存在,ひいては,来世を認めないことなのですが,これもまた同様に,
ごく理に適った形でこの上機嫌を奪うことになります。無存在3) という考え方の背景には,
人間性にとって特に陰鬱で不快になる何かが潜んでいますので,私は多くの著名な著者た
ちとともに,人間がどうしたら無存在で生き残れるものか考えざるを得ません。私自身は
神の存在は疑う余地が全くなく,私たちが確信しているほぼ唯一の真理であり,私たちが
あらゆる物,あらゆる出来事,そしてあらゆる思考で遭遇する真理だと思っています。無
信心者の性格をのぞいて見ますと,概ね,傲慢と不機嫌とあら探しで成り立っているのが
分かります。実際のところ,自分自身に不安を覚えている人々が他人に対してそのように
接するのも何ら不思議ではありません。常時,自らの現存在を失い,無に帰する危険性の
ある人は自分自身に不安を覚えるしかありません。
それゆえ,邪悪な無神論者は上機嫌を求めることはせず,かりに上機嫌を得ようとしま
すと,非常に理不尽な振舞いとなります。上機嫌な生活を送りながら,現存在を享受する
ことは不可能です。彼らは霊魂消滅の苦しみか惨めな存在になる,あるいは全存在が否定
される不安にさらされます。
以上,まっとうな理由からだけでなく,当然のごとく上機嫌を奪ってしまう二つの原則
について述べましたが,私としては,徳高い人からこの幸福な気質を奪ってしまうこれ以
外の要因は思いつきません。苦痛と病気,恥辱と不面目,貧困と老齢,いや死そのものも,
その持続時間の短さおよびそれから得られる長所を考えますと,邪悪の名前を付けるに値
3) ティロットソン(16301694)お気に入りのテーマ。ティロットソンは1691年から94年までカンタ
ベリ大主教を務めた。ジョン・スコットも,『クリスチャン・ライフ』(1700年編)で,快活さにつ
いて強調した。
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大阪経大論集
第62巻第6号
しません。善良な人なら,こういったことには不屈の精神,痛みを覚えず,また,上機嫌
な心持で耐えることができます。嵐が起こっても落ち着きを失うことはありません。必ず
や,喜びに満ちた避難所に身を隠すのです。
美徳と正しい理性の命ずるとことろにしたがって生きることに全力を費やしている人に
は,上機嫌をもたらす二つの永続的な源泉が備わります。一つは自分自身であり,もう一
つは自らが頼みの綱とする神です。自分自身をのぞいてみますと,ごく最近授けられた自
らの存在に喜びを覚えざるを得ません。これはいくら時代が過ぎ去ってもなおいまだに新
鮮であり,その始まりにおいてもそうなのです。来世への入口に立っていることを考える
と,さらに,能力は向上することができるのだと考えますと,自然に,心には自己満足の
気持が生まれます。この能力は2,3年すると,いや,最初の時点でもかなりな進歩を遂
げ,絶えず理想状態を目指し,その結果,幸福に向かうことになります。このような存在
を意識することによって,徳高い人の心には絶えず喜びの感覚が広がり,自分のことを考
えられないほど幸せなの存在だと見なすようになります。
善良な人に上機嫌をもたらす第二の源は,私たちが依存している神の存在を念頭に置い
ていることです。私たちには神の完全な姿はかすかにしか分かりませんが,私たちが想像
できるあらゆることは,荘厳で,栄光に満ちており,慈愛に満ちたものなのです。いかな
る場合にも,私たちは神の優しさに支えられているのであり,無限の愛と慈悲に取り巻か
れているのです。要するに,私たちは神に依存しているのであって,神の力のお陰で幸福
になるのです。不変の神の善と真実が私たちの永遠の存在を保証してくれるわけです。
すべての人が絶えず心に育んでおくべき以上のことを心に抱き続けますと,あらゆる重
苦しさから解放されます。一方,無分別な人の場合は,ほんのちょっとした災いが降りか
かりますと,苦悩を背負い込んでしまい,苦しめられることになります。逆の場合も同様
で,ちょっとしたことで浮かれ騒いだり,愚行に走ったりします。こうなってしまいます
と,美徳を支えるどころか美徳に背くことになってしまいます。そういうわけで,むらの
ない快活な気質を持つことは,自分自身に喜びを与えてくれるだけでなく,お付き合いを
する相手までも喜ばせることになるのです4)。
第382号
1712年5月19日(月曜日)
【スティール】
罪人は自白する。(キケロ)
1)
寄稿者のお一人からあった依頼を無視すべきではなかったのですが,私としては敢えて,
告白に実践を添えるための時間を与えたわけです。この寄稿者はしばらく前に,ペニー郵
便で彼の目に余る行為を忠告してきたある紳士の健康を祝して乾杯を上げるための上等な
4) 第387号は,本号の続編。
1) キケロ『弁論家論』2
スペクテイター』(41)
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ワインを1,2本送って来ました。わが寄稿者は,純真な人には当然の率直な気持で見知
らぬ人からの責務を受け止め,今後は改めると約束しています。彼は忠告してきた人物に
腹を立てないで,その善意に対して感謝をしています。この率直な態度を知って,私は過
ちを素直に認めたときの立派な償いについて考えさせられたわけです。軽率さから生じる
不品行はすべて報いがあって当然です。なぜなら,危害に加担していなくても,償いに全
力を傾注するからです。彼はそういった行為で迷惑を掛けるつもりはなく,不快にさせる
なんてことは思ってもいなく,あたかも敬意を払っているかのように出来るだけのことを
し,完全に誤解が解けるまでは納得がいかないのだと言います。無礼を働いたとの認識が
確信からではなく,お粗末な気持から生まれるときには,状況はまったく異なると言わな
くてはなりません。だが,わが寄稿者の場合は,双方が気づき,応答は内々で行われてい
ますので,この1件は最初も最後もお互いに非常に潔い態度となっています。非常に潔く
罪を認めるためには,無礼を働いた者の境遇が相手方よりも優位に立っていると幸運です。
フランスの王太子は,閲兵し,翼の一方を進軍させて立場を逆転させようとする王の命令
を伝えるときに,旅団の先頭にいる将校に不適切な命令を出しました。その将校は殿下に,
そのような命令を受けてはおらず,それでは逆になると思いますと伝えました。王太子は
その忠告を理解しようとはせずに,その将校に向って鞭を振り上げました。そして,口汚
く自らの命令を繰り返して口にしました。ことのあらましは,必然的に,王の耳に届きま
した。王は,全軍の見ている前で,馬から降りて,騎乗の将校のあぶみに右手を置き,息
子に謝るように命じました。王太子があぶみに手を置き,口を開こうとしたそのとき,そ
の将校は信じられぬほど素早く大地に身を臥し王太子の足にキスをしたのでした2)。
体は真に高潔な魂の喜びとか苦悩にはまったく関心を寄せません。この兵士の憤りにとっ
てはこの無礼は耐え難いほど大きなものだったが,彼に名誉が授けられると,その埋め合
わせは感謝の念では足りないほど大きなものに見えました。
このような特別な事例から日常生活に目を転じてみますと,単に犯した罪の償いをする
だけでなく,それ自体で罪滅ぼしとなる純真な振舞いを見かけます。「ご迷惑なことです
が,どうか厚かましい点はお許しください。こんなことはいけないことだと分かっている
のですが」などなどと言って,それとなく押し付けるさまざまなことの言い訳をするので
す。ところで,文字通り厚かましいあの軽率な人々のことを考えて見て下さい。彼らは軽
率としか呼びようがなく,有頂天になっているのであって,償いようがありません。ルー
ルを無視してまでやりたいことをやらせるこの種の態度は,別のことを求める時にだけ容
赦できます。同じような取柄があるとき,大胆にも他人よりも自分をひいきにするとき,
美徳と謙虚さを備えた人なら誰でも,その資質を守るために,自分に異議を唱えるべきで
す。だが,今は,この問題の道義性については考えずに,素直な喋り方をするさいに生ま
れる自然な成り行きだけに目を留めることにします。
観察者殿は,しばしば,格調高く,論争的に,また,崇高な方法で論を進め,成功なさっ
2) スティールは,この話を『ザ・シアター』第19号で再度繰り返している。
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大阪経大論集
第62巻第6号
ておられます。だが,実に見事なお仕事で,単なる発行者3) だと認めることは,評判の著
者にとっては大変心外なことに違いありません。実際に成し遂げることが誉れとなるので
す。世間の人々から見て当然と思われる以上のものが手に入ると,自身を失ってしまいま
す。人間というものは,心に屈辱を覚えずに欺瞞を喜ぶためには自覚,つまり,自己を滅
する必要があります。
まさに法廷にさらされる罪人は,弁護団や友人たちが精一杯の努力をしたにも関わらず
徒労に終わった場合は,一同には彼に対する憐憫の情が蔓延し,裁判官は彼を弁護する新
事実は提供しないで,自分の口で罪を告白し,一身に恥辱と悲哀を受け止めて王のお慈悲
にすがるようにと勧めるしかありません。こういった率直さの正反対に位置する態度は,
通常,いわゆる上機嫌な人々が抱く不誠実な考えから生じます。何事につけ不正に固執す
ることはどう見ても心の卓越とは無縁です。また,不正を働いたことは心の卓越さを減損
させることでもありません。つまり,完璧さは人間の属性ではないのです。したがって,
不完全さを認めることで,人間の価値が下がることはありません。一方,大切な時に,不
正に固執することで,偉大な心の剛毅さをまねるのは偏狭な人々のやることです。この頑
迷さが極端になると,召使の犯した罪までも正当化することになってしまいます。現在こ
の町で見聞きするいさかいをすべて取り上げますと,際限がありません4)。あるグループ,
場合によっては双方のグループが自分たちが間違っていることに気づいていますが,それ
を認めるだけの心を持ち合わせていないのです。女性たちの間では,このケースはごくあ
りふれたこととなっています。なぜなら,真に上機嫌な心持を維持するには,好ましくな
いと思うものはすべて捨てて,公平無私な気持が保てないほどの痛ましい恥辱を拒むこと
だということが分かっている人はほとんどいないからです。率直な心だと,過ちを認め,
それを放棄することによって,情熱と欲望の基盤となる理性と真実が備わり,その結果,
幸せで純真な気持になります。不誠実な心だと,過ちを大目に見てそのまま放置すること
によって,罪悪感と悲哀と困惑に満ちた来世に巻き込まれてしまうのです。
第383号
1712年5月20日(火曜日)
【アディソン】
彼らの庭は犯罪のお陰だ。(ユヴェナリス)
1)
部屋で椅子に腰をかけ,つぎのスペクテイターのテーマのことを考えていると,突然下
宿のドアを2,3度ノックし,ドアを開けると,哲学者さんはご在宅ですかと尋ねる大き
く元気の良い声が聞こえてきました。応対した子供は,とても無邪気にそんな方はここに
は下宿なさっていませんと応えるのでした。私は直ちにこれは親友のサー・ロジャーの声
3) スティールは『スペクテイター』はアディソンと分担し合っていることを何度となく表明している。
4) スティールは,予想されており,2日後の公表に向けて進行中であった和平条約をめぐる当時の政
治的な緊張状態を意識していた。第384号参照。
1) ユヴェナリス『諷刺』1.75
スペクテイター』(41)
67
だと思い出し,天気が良ければ,彼と一緒にスプリング・ガーデン2) まで船で出掛ける約
束をしていたことを思い出しました。勲爵士は階下から約束を思い出させたのですが,私
が思索中なら終わるまで下で待っていると言いました。階下に降りてみると,家の子供た
ち全員がわが親友を取り囲み,噂話が好きで有名なわが女主人も会話に加わっていました。
彼が小さな男の子の頭をポンと叩きながら,本を読んでいい子になるんだよ,と言ってい
る様子に,彼女はとても嬉しそうな表情を浮かべているのでした。
テンプル桟橋まで来ると,たちまち,お客を取り込もうとする大勢の船頭に取り囲まれ
ました。サー・ロジャーはとても注意深く見回した後,片足が木の義足の船頭に目をつけ,
彼に船の用意をするようにと命じました。二人で船まで歩いて向かっているときに,「あ
のね,私が船に乗るときはいつも足か腕を1本無くしている船頭を選ぶようにしているの
だ。女王陛下のために傷ついた正直者を雇わないくらいなら,オールで2,3度叩きのめ
したくなるのだ。もし私が君主とか大主教であって,船を所有しているのであれば,木の
義足でない者には決してお仕着せは着せないのだ」とサー・ロジャーが言います。
わが親友は船の席につくと,御者を乗り込ませました。とても謹厳なこの御者はこういっ
た場合,いつもバラストの役目を担います。こうして私たちはヴォクソールへと急ぎまし
た。サー・ロジャーは船頭に右足の話をさせました。すると,右足はラ・オーグの海戦で
失ったとのことでした3)。船頭の話すその他あれこれ輝かしい戦いの出来事を聞くと,勲
爵士は誇らしげにわが国の偉大さについて口にしました。わがイギリス人は一人でフラン
ス人三人を打ち負かすことができるし,わが艦隊があればローマ・カトリックの危険にさ
らされることはないとか,テムズ川はヨーロッパで最も見事な川だとか,ロンドン橋は世
界の七不思議のいずれよりも素晴らしい工作物だとか,その他忠実なイギリス人の心に当
然のようにまとわりついているわが国のえこひいきになるようなことをあれこれと口にす
るのでした。
ほんのしばらく黙った後で,勲爵士は2,3度顔を向け,この大都市を一瞥し,私に向
かって,なんて教会が沢山あるのだろう,それにしてもテンプル・バーの側には尖塔がほ
とんど見えないね,いかにも非キリスト教的な眺めだ,町の西側には信仰心がないのかね,
教会を新たに50軒作れば4),眺めは随分変わるよ,でも,教会作りは遅々たるものだ,そ
2) ヴォクソールのスプリング・ガーデンは,テムズ川を挟んでウェストミンスター寺院の南東部にあっ
た。有名な娯楽施設としてピープスたちもさかんに言及した。ウッフェンバックは,1710年7月19
にここを訪れ,つぎのように記した:「スプリング・ガーデンというとても広い公園のあるヴォク
ソールは,とりわけ春は快適で,数多くの鳥の巣があり,鳥のさえずりがあちこちから聞えてくる。
公園にはいたるところに遊歩道があり人々が散策している。またワインを飲んだりかぎタバコのす
える場所がある。もっともどれも高価で粗悪だが。ここにはさまざまな人たちがたむろしている。
とりわけ,上流婦人のような身なりをしたいかがわしい女性もいる。こういった女性陣は一様に首
に金時計をぶらさげている」(「1710年のロンドン」131頁)
3) ラ・オーグの海戦は1692年5月29日に行われた。イギリス軍は敵方の艦隊を撃破し,これによって
ルイ14世は侵攻を断念した。ラ・オーグはノルマンディーの北西沖。
4) 下院は,1711年,税金35万ポンドを原資に,教会を新たに50建設する決議をあげていた。当時,ロ
68
大阪経大論集
第62巻第6号
う,一向にはかどらないのだ,と言うのでした。
記憶が定かでないのですが,どこかで,サー・ロジャーには通りかかる人に向かって誰
にでも,「おはよう」とか「おやすみ」といった挨拶をする習慣があると述べたことがあ
ると思います。この老人は人情味があふれているわけです。田舎の近隣の人たちの誰から
も好かれ,一,二度州爵士5) に選ばれたのもこれが原因と考えられます。彼はこの善行を
町にいるときでもなしで済ますことはできず,朝とか夕方の散歩で出会った人に必ず挨拶
をするのです。彼はすれ違う何隻かの船に挨拶をしました。勲爵士が非常に驚いたことに
は,上陸するほんの少し前に2,3人の若者に挨拶をすると,その一人がその挨拶に応え
ず,なんて変な老人がいるのだ,テムズの下品な言葉丸出しで,あの歳で女を買いに行く
なんて恥ずかしくないのかねと言ったのです。サー・ロジャーは最初は少しショックを覚
えたようですが,最後には行政長官のような顔つきをして,自分がミドルセックス州の判
事なら,こういった不逞の輩には女王陛下の臣民たる者は陸上であろうと水上であろうと
罵倒されてはならないのだということを分からせてやるのだが,と言いました。
私たちはスプリング・ガーデンに着きました。1年のうちで,今はとても快適な時節で
す。木々では小鳥がさえずり,のんびりと木陰を散策している人たちのいる散歩道やあず
まやの香りを考えると,私はここはまるでイスラムの楽園のように思わざるを得ませんで
した。サー・ロジャーは,ここを見ていると,わが家の牧師が夜鳴き鶯の飼育場と呼んで
いた田舎の屋敷のそばにある雑木林を思い出すと言いました。「お分かりと思うけど,夜
鳴き鶯の調べほど恋する人を喜ばせるものはほかにはないのだよ。嗚呼,君,私は月夜に
何度一人で散歩し,夜鳴き鶯の調べを耳にしながら未亡人のことを想ったか知れない」と
勲爵士は言います。彼はここで深くため息をつき,物思いに耽りました。そのとき,彼の
後からついてきた仮面をかぶった女が,彼の肩をポンと叩き,蜂蜜酒をご一緒なさいませ
んかと言いました。勲爵士は突然馴れ馴れしく語りかけられたことに驚き,また,未亡人
への想いに邪魔が入ったことに不機嫌になり,彼女になんてふしだらな女だ,とっとと消
え失せろと言いました。
私たちは干し牛肉一切れをつまみにしてバートン・エールを一杯やり散歩を終えること
にしました6)。お腹が一杯になると,勲爵士は給仕を呼び寄せ,残りは片足の船頭に持っ
て行ってくれと頼みました。私は給仕が奇妙な伝言を聞き,彼をじっと見つめ,妙な顔つ
きになるのに気づきました。そこで,私は有無を言わせぬ表情で,勲爵士の言う通りにし
なさいと給仕に伝えました。
ガーデンから出て行くとき,わが親友は治安判事7) の一人として,その場のモラルを批
ンドンおよびその周辺地区には,非国教派の礼拝堂が88あったのに対して,教区教会が28,出張聖
堂(支聖堂)が18しかなかった。実際には,新しい教会の建設は半数に留まり,割り当てられたお
金はそれまでにあった教会の修繕修復に使用された。
5) 州爵士(州代議士)とは,各州から2名ずつ選出された下院議員のこと。第109号参照。
6) スタフォードシャーのバートン・オン・トレントは,ビール醸造が盛んだった。
7) 治安判事については,第2号参照。
スペクテイター』(41)
69
判する義務があると考えて,カウンターに腰掛けているそこの女主人に,夜鳴き鶯がもっ
とふえて,娼婦がもっと少なくなれば,自分はもっと上等な常連客になるのだが,と言う
のでした8)。
第384号
1712年5月21日(水曜日)
【スティール,フリートウッド】
5月24日,ハーグ,新聞協会。同一の共和主義者は
セント・ジョージ勲爵士の回復以来,何度となく,
公共の紙面で彼を死にいたらせた。また今では,
フランスの若き王太子を虚弱で死に瀕していると語っている。
彼に再び生命を宿らせる方法はないのだと。一方では,パリの
信頼すべき筋からは,今月20日,この若き王太子が生誕のとき
と同様に元気そのものであるとの情報が入っている。
もう一方に関しては,彼の霊は,わずか4名の紳士とこれまた
わずかな召使に伴われて,ロレーヌのコメルシに送られている
と考えられる。(彼の死の断定を否定するだけの謙虚さを
持ち合わせてはいないのだ)。信任状でわが国への大使の資格を
与えられているボスマー男爵は,ユトレヒトに向かった。
そして,彼はハノーヴァーに赴くが,長い滞在とはならないだろう。
なぜなら,彼の不在中に和平交渉が成立するのを危惧しているからだ。
ポスト・ボーイ,5月20日号1)。
最近出版された優れた作品を見落としていたら,私には識見がないと思われるに相違あ
りません。セント・アサフの大主教2) がつい最近,説教集を出版なさったのです3)。この
序文には,私からしますと,とても重要な点が述べられているように思えます。彼は,善
良な人そして優れたキリスト教徒として,不実な友人の君主への追従や卑劣な服従に反対
して,キリスト教の精神は元々私たちに市民権を認めているのだと断言しています。本日
の紙面はポスト・ボーイ紙の記事とセント・アサフの大主教の序文だけを取り上げること
8) スウィフトは,1711年5月17日,レイディー・ケリー,プラット夫人と一緒にヴォクソールに夜鳴
き鶯の声を聞きに行った( ステラへの手紙 )ウィリアム編272頁)。
1) のちのルイ15世である王太子は,1710年2月15日生まれで,この時2歳であった。ルイ14世の曾孫
にあたった。彼の両親バーガンディ公夫妻と兄は最近亡くなったところだった。セント・ジョージ
勲爵士とはいわゆる大僭称者と言われたジェイムズ・エドワード・ステュアートのことで,この二
人はしばしば重病説が紙面に流れた。
2) セント・アサフの大主教は,著名で人気のあったホウィッグ派の牧師ウィリアム・フリートウッド
(1656
1723)のことで,1708年,アン女王から大主教に任命された。
3) 1.メアリ女王の死(1694)2.グロスター公の死(1700)3.ウィリアム王の死(1701)4.ア
ン女王の即位(1703)などの説教をフリートストリートのチャールズ・ハーパーが出版した。
70
大阪経大論集
第62巻第6号
にします。もしポスト・ボーイ紙の著者が僭称王の死のニュースを喜ぶ人たちを共和主義
者と呼び,ハノーヴァー大使のボスマー男爵を本日のモットーに掲げたような扱いをして
いるとすれば,少し妙だと私は考えます。正直なところ,私の考えでは,イングランドの
人々は全員この一家の継承に関心があると思います。
「私の存命中に,その最新のものはほぼ8年前に行ったものであり,最初の17の説教を
出版することは,当然のことですが,そうする機会を探ることになります。これに対して,
私は迷うことなくつぎのような理由を掲げます。
ひとつには,これまで長年に渡って,社会の出来事に関する私の意見があげられます。
そしてつぎに,最近熱心に取沙汰されている原理原則の自然な流れを見ていますと,かり
に我々が玉座に美徳と正義と真の誉れではなく,野心に満ちた冒険的な君主を置くような
ことになれば,わが国はそのうちに他の国々のようになってしまい,自由が無くなってし
まうのではないかという危惧と予感を抱かざるを得ないことがあげられます。
甚大な害が発生すれば,その責任はすべて上述の君主のせいになってしまいます。これ
が公平か否かを決定するのは私の務めではありません。だが,私としては,牧師としての
職務から,随時,必ず神聖な法に準拠して愛すべき誉れ高い君主の人柄を称えていること
を広言することで,後世の災いのもとになるという意見を精一杯語ることにしました。そ
して,一般の人々にとってはなんでもないことですが,神聖な法を守り,これに従ってき
ました。だが,私にはイエスやペテロやパウロたちが何らかの教義によって,自分たちの
国の法律や憲法をなし崩しにしたのだ,また,彼らの市民としての権利について,彼らが
キリスト教徒でなかったら,もっとひどい状態になっていたと言う資格が付与されている
とは考えませんでした。私は,君主の暴政,圧制,あるいは不正を奨励したり,自由で幸
福な人々を簡単に隷従状態に落とし,惨めな状態にさせたりするようなことを認めること
は,神聖な宗教に対するとんでもない冒涜と考えたのです。そうではなく,人々自身が進
んで惨めな状態になるのかもしれませんが,神を悪人の一味に加えてはなりません。力や
暴力や窮乏が人々に苦役のくびきを課すときには,信仰が彼らに,何食わぬ顔でそれを払
拭できるようになるまで,忍耐強い従順な気持を授けます。確かなことは,信仰は決して
威張り散らすことはないのです。これがかつても現在も変わらない私の考えです。残り少
ない人生ですが,私は国を愛した人物として,そしてまた,善良な聖職者としてだけでな
く善良なイギリス人として後世の人々に伝えられることでしょう。
こういった性格はつぎの説教によって伝えられるものと私は考えました。この説教は神
の思し召しで与えられる機会を捉えてひとえに私の義務を果たすことが出来ると考え,公
にすることを意識しないで非公式な集りで行ったものです。そういう訳ですので,ここで
はその時行ったまま修正を加えず提供します。これによって,現在の私がかつてとは変節
しているかのように,私の主義主張の変節に異議を唱えている人々に満足していただける
ことを期待しています。私はこういった問題に関しては考え方は変わりませんし,この考
えはもっともなことであり,十分根拠のあるもので,ほかの考え方はあり得ないものと信
じています。
スペクテイター』(41)
71
今になって説教集を公刊することになったもうひとつの理由は,二人の偉大な君主をし
のんで,私なりの敬意を表したいからなのです。彼らはすべての臣民から賞賛されてしか
るべきであり,プロテスタント信仰とわが国の政体にとって多大の貢献をなさり,偉大な
解放者,かつ,擁護者であられたのです。私の見たところでは,彼らの輝かしいお名前は
あまりにもぞんざいに扱われ,彼らが国のためになされたご尽力は軽んじられているので
す。独裁的な権力,カトリックから私たちを救出なさったことを,かつてその救出こそが
最善であり,自分たちの誇りと栄誉の一部と考えていたが,救出を導き出すのにほとんど
手を貸さず,関与しなかった人たちの中に,愚弄し,けなす人たちがいるのです。そして
また,救出がなかったなら,追放と貧困と悲惨の生活を送っていたに違いない人々が,あ
さましくもこれを否定し,その誉れを悪用しているのです。このような仕打ちを受けると
は誰一人思いもつかなかったに違いありません。正直言って,私自身は,恩知らずの仲間
入りをしたくありません。私は生前の偉大な君主を愛し尊敬し,亡くなった時,哀悼の意
を捧げましたように,いつまでも喜んで彼らを称えたいと考えます。そういうわけで,私
は,彼らは褒め称えるのが見向きもされない今だからこそ,そうすることにしたのです。
グロスター公の死を悼んだ説教は,その後まもなく活字にされました。そして,題目が
それにふさわしいものでしたので,今では他の説教と一緒にまとめられています。この上
なく将来を嘱望された君主を失ったことは,当時,私にとっては言葉に表せないほど大変
なことでした。そして,その後に起こったさまざまな出来事を経験して,決して過大評価
をしていなかったのだと確信した次第です。この貴重な命は,神の元に召されなかったな
らば,私たちを多くの恐怖,嫉妬,そして愚かな不信感から救い,長い間私たちが閉じ込
められており,今後も抱えさせられる不安を食い止めてくれていたのです。この大打撃を
受けた私たちを慰め,支えてくれるものは,国会制定法によって,ハノーヴァー王家に相
続権を与え,プロテスタントを持続する以外にはありません。この逆境を乗り越えるのは,
神の慈悲深い摂理にすがるしか道は残されていません。
4番目の説教は,アン女王の王位継承のときに行われました。これは王位継承の第1年
目に(前年には不慮の出来事があり,見過ごされていたのですが)厳かに執り行われまし
た。この日付が分からなければ,誰もが,この説教はこの治世のごく早い時期に行われた
もの思うに違いありません。なぜなら,私は,状況の好転から将来の栄光と成功を予測で
きたからです。もしそうでなければ,その時にはその後7年間に渡る,預言者の言う「地
のすべての民の中で,あなたがたに名を得させ,誉れを得させる」4) 勝利とその喜びを予
測できなかったに違いありません。こういった7年間は,いまだかつてわが国の君主の身
の上に降りかかったこともありませんし,誉高かったこともありません。この女王にとっ
ては,王権はたんなる飾りとしか思えないほどでした。彼女は他の君主と共通の権威を備
えており,美徳の点でも同様でした。女王の国事に対する姿勢も見事なものであり,大臣
の選任も行き届き適切でしたし,また各大臣もその忠勤振りが高く評価されたのです。彼
4) 旧約聖書『ゼパニア書』第3章第20節。
72
大阪経大論集
第62巻第6号
らは見事に女王の指示を履行しました。将軍や軍隊も大いにその力を発揮し,わが国の名
を海外に知らしめました。盟邦との協調も見事でした。女王の助言や企ては神に祝福され
たものでありましので,いまだかつてないほど繁栄し成功しましたし,臣民や味方からは
愛され,崇められ,敵方にとってはこれほど手強いものはないと,私は確信しています。
当時,誰もが考えたように,私たちは大きな安らぎを約束された戸口に立ったのです。敬
虔なわが女王の願いや有能な大臣たちの腐心,さらには,それに応えようとする忠実な国
民や栄ある軍隊の戦いでもってこれに立ち向かったのです。神は,私たちの罪に対して,
「不和の霊」を飛び交わさせ,野営や町や国に痛みをもたらし,一時の間,この麗しく心
地よい期待感を奪い去っり,敵方を喜ばせたのです。ただし,神を崇拝する地はまったく
この被害を受けずに済んだのでした。私としては,大いなる安らぎを手にする力が蘇るよ
うに神に祈りを捧げます。同時に,神の栄光と,女王および女王の統治する領土の安全,
名誉,そして繁栄,さらには盟邦すべての安寧を祈りたいと思います。1712年5月2日」
第385号
1712年5月22日(木曜日)
【バジェル】
愛で結ばれた心はテセウスのごとく強靭だ。(オウィディウス)1)
本日は,これまでに何度も述べたことがありますが,友情について記します,繰り返し
を避けるために,型破りな形で自由に意見を述べてみたいと思います。
友情とは,二人の人物の間に宿る強固で不断の気持であり,お互いの善と幸福を促進さ
せるもののことを言います。友情の喜びと利点は,道徳について論じる優れた著者たちか
ら大いに賛美されてきましたし,誰からも人間の幸福にとっては不可欠のものと考えられ
ていますが,この徳を実践している例に遭遇することは極めて稀です。
誰もがいつなんどきでも,友人にこの徳を期待していますが,育むことに気を使う人は
ほとんどいません。
友情が成り立つためには,愛と尊敬の念が第一原則です。このどちらかが欠けている場
合には,友情は,例外なく不完全なものとなります。
相手方が尊敬できない人の場合には,すぐに愛することに恥じ入ることになりますし,
相手方の能力が心から分かっていても,その人に対して愛情のこもった好意を寄せられな
い場合には,友情という温情を育むことはできません。
友情は,あらゆる隠れ蓑をかぶった妬みを直ちに追放します。友人が自分よりも幸せで
あることを喜ぶべきかどうか気に掛かる人は,自分は友情にはまったく無縁だと考えるか
もしれません。
友情にはどこか非常に崇高で気高いものがありますので,ある特定の人物の名誉を称え
るために作られる物語では,著者たちは英雄である友人を愛人にする必要があると考えま
1) オウィディウス『悲嘆の詩』1.3.66
スペクテイター』(41)
73
した。アキレウスにはパトロクロスがいますし,アイネイアスにはアカテスがいます。ア
キレウスの場合,ギリシアは英雄の愛によって破滅寸前に追いやられますが,友情によっ
て保たれたのです。
アカテスの場合は,偉人たちの親密な関係を考えさせられます。彼らは友を選ぶ場合,
頭脳というよりも心性を基準にし,偉大な人物を作り上げる資質よりも寛大な不快感を与
えない気質の誠実さの方を好むのです。『アイネーイス』全編を通じて,第一のお気に入
りとして描写されるアカテスが,助言を与えるあるいは打撃を与えるかの記述があったか,
私には記憶が定かではありません2)。
一切雑音を伴わない友情は,非常に役立ちます。その点で,私は熱くなる友よりも分別
のある友の方が好きです。
古代ローマの名士アッティクス3) は,私がここで語っている非常に顕著な一例でした。
この非凡な人物は,内乱の最中に,どの党派も等しく自由の破壊へと向かっていると考え
て,ライバル双方への敬意を保ち続け,双方の友に報いる手立てを見出しました。彼は若
きマリウスに資金を提供しましたが,マリウスの父は共和国への敵対を宣言していました。
彼自身はスラの側近の一人で,常にスラと行動を共にしていたのです。
カエサルとポンペイウスの争いのときも,アッティクスは同じ態度を取りました。カエ
サルの死後,困っているブルータスに資金を提供し,アントニウスの妻と支持者たちに,
党が崩壊すると思えたとき,多大の尽力をしました。最後に,アントニウスとアウグストゥ
スの間で繰り広げられた血生臭い戦いのときでさえも,アッティクスは双方への友情を保
ち続けました。コルネリウス・ネポス4) によると,彼がローマを留守にするときはいつで
も,帝国のどこかから,何をしているか,何を読んだか,どこへ行くかといったことを定
期的に書き送り,彼からは事細かな返事が来たとのことです。
二人の心に好意を育むためには,一般に考えられるように,あらゆる点で同じような気
質であることは必要ありません。気質が異なっていても,確固たる友情が結ばれることが
ある,と私は考えます。私たちはしばしば自分にはなく,自分では成し遂げられない才能
に喜びを見出すものです。その上,私たちはある意味では自らの欠陥の埋め合わせをし,
皆からもう一人の自己と見なされる人の才能や資質を間接的に所有している自分を思い込
むものなのです。
友情で最も厄介な領域は,相手に自らの欠陥や誤りを見せることです。できれば,それ
となく気づかせる程度にしておく必要があります。友人の叱責は常に公正なものであり,
度重なるものであってはいけません。
叱責されている人物を喜ばせてあげたいという気持が先行しますと,落胆へと変わって
しまい,相手は自分が意識していない欠陥で非難されていると思ってしまいます。友情に
よって和らげられ情け深くなっている心は,度重なる叱責に耐えることはできません。完
2) アディソンは第273号でも同様のコメントを述べている。
3) アッティクス(10932 B. C.)はキケロの親友で,キケロからの手紙を編集した。
4) コルネリウス・ネポス(c. 100c. 25 B. C.)は,ローマの歴史家・伝記作者で,『名士伝』を著した。
74
大阪経大論集
第62巻第6号
全に意気消沈してしまうか,叱責された相手に抱いていた尊敬の念をかなりな程度奪って
しまいます。
友情が持つ本来の務めは,生気と勇気を鼓舞することであり,これに支えられた魂はそ
の力を最大限に発揮することになります。一方,思いがけなくこういった支えが奪われて
しまいますと,魂は意気消沈してしまいます。
ある意味では,義務を果たさないという点においては親戚に対するよりも友に対する方
が言い訳が立ちません。なぜなら,友は自分の意志で選ぶものであって,親戚は意志に関
係なく必然的に生じるものだからです。
一般的に言って,欠陥のある友との交わりは,選択の不十分さをさらけ出すことになり
ますので,交わりを絶つべきではありません。一方,立派な友については,一度手に入れ
た貴重な宝を無くしてしまったと非難されないようにするために,関係は確実により強固
なものになります。
第386号
1712年5月23日(金曜日)
【スティール】
憂いを秘めた人には厳かに,快活な人には楽しく,
お年寄りには重々しく,若者には愛想よく,
邪な人には大胆に,淫らな人には淫らに接した。(キケロ)1)
本日のモットーは極めて悪意に満ちた人物を描写した一部ですが,公正と名誉のルール
に基づいてこれを取り上げました。キケロは,カティリナについてこのように記したので
す。邪な人や淫らな人については,考察を控えます。なぜなら,私は今,下心がある人と
か不義を働く人ではなく,愉快に過ごす人たちに宿っている卑屈な言動について考えてい
るからです。相手によって言動が変わることは,その人自身の気性や生来の心構えから生
じる以外は賛成できません。これが抜きん出ようとする野心から生じる場合は,この上な
く無益で見苦しい変節となります。ただ単にわきまえのない人たちから不当な賞賛を得た
いがために手練手管を弄することは,この上なく卑しい努力といえます。人は他人の喜び
の邪魔をするのではなく,心から他人の喜びの種になるように努めなくてはなりません。
そのため,孤独を保っていたいあるいはそうあるべきだと思っている人たちが交際をする
ことになりますと,とても悲惨なことになってしまいます。確かに,反省する機会が与え
られない人はそのような傾向に囚われてしまいます。おそらく,お付き合いをしたほうが
いいと考える場合にはそうなります。実際,上機嫌になろうとして他人との交際を頑張る
よりは,帰宅して疲れた体をやすめたほうがいいのです。この場合,心に溜まった心配を
取り除くために,友人に辛い思いや苦境を伝えることは例外です,ここで言いたいことは,
常にその場の流れに合わせ,深入りしないことが大切だということです。あらゆる気質を
1) キケロ『カエリオのための弁論』6.13
スペクテイター』(41)
75
受け入れられるのは,とても幸せな気質であることは確かです。なぜなら,それは自己に
頑迷に執着せずに,喜ばしいことを受け入れる態勢が整っているからです。
私の立派な知人アカストの性格はまさにそういった格好の一例です。彼は賢明な人,生
意気な人,謹厳な人,陽気な人,才人誰とでも同席します。だが,彼はある特定の人たち
だけに受け入れられるようなところはありません。アカストには生来の良識,善良さ,分
別といったことが備わっており,誰もが彼と同席することを喜びます。彼自身何一つ人々
を楽しませるようなことはしませんが,一度も嫌がられることはありませんでした。アカ
ストのような副次的な資質が備わっていなければ,学識のある才人は,普遍性を喜ばない
で痛みを覚えるに違いありません。才人というものは,自分こそが好ましい人物だと思い
込む傾向があり,そのため,考えられ得る最悪の仲間になるきらいがあります。才人は,
その場に居づらくなるまで苦しめたり喜ばせたりすると,それはその人を傷つけることな
ると分からないで,その場にいない人のことをあざ笑ったり,同席している人のことをひ
やかしたりします。
私の言いたいのは,(実際にはそういったコツはないのですが)人に感じよく思われる
コツは一緒にいることに満足しているように振舞うことだということです。つまり,相手
を喜ばすというよりもむしろ十分楽しんでいると見せることが大切なのです。こういった
心構えの人は,実はいわゆる愉快な仲間とは言えませんが,本質的には素敵な仲間なので
す。こういった人が発する言葉のはしばしには,人々の心を和らげるほっとさせる何かが
伺えます。これはおそらくこの上なく気の利いたことを口にする才人よりも効果的です。
この気質を備えた人物の加齢による弱さには,その他の点では尊敬すべきところがない人
でさえ,敬意を持って接するべき点があります。若者の持つ積極性もまた,それが尊大さ
からではなく活発さから生じる場合は,許容されます。本来こういった人たちで構成され
る仲間は,当然の如くお互いを思いやり,お互いの欠陥を認め合い,他者のたしなみをま
るで自らのたしなみのように考えます。相手に押し付けるのではなく,自らを感じよい人
間にするためにそのように振る舞っているに違いありません。
キケロが,アントーニウスについてだと思いますが,「あの演説ほど,雄弁に鋭意努め
たもの,民衆に力強い影響を与えたもの,そして,何よりもこのおかしみと朗らかさで味
つけされたものはなかったからだ」2) と言ったのを思い出します。この資質こそ,私が今
述べている類の資質に違いありません。なぜなら,人生の観察と知識に依存するあらゆる
振舞いを手に入れなくてはならないからです。これは誰一人説明できず,明らかに天性の
ものです。これは,遭遇するあらゆる機会にそれを発揮するものですから,いたるところ
に流布しているはずです。自然に従う人は,どんな場合にでも,礼儀を失するとか,道理
を踏みはずすようなことにはならないからです。
つい先ほどまで付き合っていた人々はどんな人たちかは一切考えないで,伝令として,
まるで派遣されたかのように,先だっての出来事を事細かに語る人の振舞いはなんとも不
2) キケロ『弁論家論』2.56.227
76
大阪経大論集
第62巻第6号
可解なものです。お互いに楽しみたいと思っている人々からすると,ポッと顔を出した人
物がその一端を語り,自分たちの話の腰を折るのは許しがたいことになります。もしその
人が取引所からやって来たとすると,否応なく株の動向を聞かされる羽目になります。真
面目な話題にさほど夢中になっていないとすると,町の別の地区からやって来た人物がそ
の人に取って代わり,さきほど見かけた誰某夫人は実に奇麗な人だったと語ることになり
ます。ところで,このことに抜きん出るルールはないものと認めていますので,このテー
マについてこれ以上お話しする必要はないと思います。この種の指針は,ちょうど詩を書
くルールと同じです。つまり,お粗末な詩人になることを止めさせることは出来るかもし
れないが,決して優れた詩人を作ることは出来ないのです3)。
第387号
1712年5月24日(土曜日)
【アディソン】
気持を落ち着かせる。(ホラティウス)
1)
先週土曜日の新聞では,道徳的な気質としての快活さ,および,この幸福な気質を育み,
維持させる道徳的な動機について述べました。今回は,自然状態の快活さについて考察し,
美徳とか悪徳とかとは関わりのないその動機について考えてみたいと思います。
そもそも,快活さは健康増進に最適です。不平不満を口にしたりや密かにぶつぶつ思っ
たりすると,大切な器官を組み立てている繊細な神経繊維に衝撃を与え,徐々に組織をす
り減らしてしまいます。血液を攪拌させる激しい興奮を引き起こしたり,霊魂精気をかき
乱したりすることは言うまでもありません。私の見たところ,気質が並外れた陽気さ,快
活さとまではいかないにしても,ほとんどのお年寄りには,少なくとも(英語の言い回し
ですと)ある種のものぐささが身についています。このことは,健康と快活さは程度の差
はあるものの,互いに補完し合っているのであって,非常に健康な人の場合必ずある種の
快活さが伴っています。そして往々にしてあまり健康でない場合には快活さとは無縁とな
ります。
快活さは,同じように身体のことを思いやります。快活であればあらゆる心配とか不満
を払いのけ,熱情を慰撫し,鎮めます。その結果,心はつねに穏やかです。この点に関し
てはすでに触れましたので,ここでは私たちの置かれているこの世の中には,この幸福な
気質を奮い立たせ維持させるのにふさわしいことが充満していることを述べたいと思いま
す。
もし世の中が人々に従属するものであると考えると,これは人々が有効に活用するため
に作られていると考えることになります2)。一方,自然の美と調和のためであると考える
と,これは喜びのために作られているのだと考えることになります。宇宙の大いなる中心
3) サー・ウィリアム・テンプル(1628
99)「詩について」
1) ホラティウス『書簡詩』1.18.102
2) キケロ『神々の本性について』2.14.37,2.53.133,2.62.154
スペクテイター』(41)
77
であり,生きるために必要なあらゆるものを生み出す太陽は,私たちに元気を与え,晴れ
やかにさせるさいに,大きな力を発揮します。
人々に奉仕し生命維持のために作られている数多くの生き物は,森を鳴き声で満たすと
ともに,私たち人間にとっては猟の獲物となってくれます。また,愉快な生き物たちの様
子を目にすると,私たちは心地よい思いを喚起させられます。泉や湖や川は,すがすがし
い想像力を掻き立ててくれますし,これらのある地にも清新さをもたらします。
地球全体が光と影をうまく交錯させるために,ほかの色ではなく緑で覆い,目を痛めた
り傷つけたりせずに,和らげ元気づけるようにしたのは,神の摂理だったのだと主張する
優れた著述家たちがいます3)。そのため,彩色に腐心した後,目を楽にさせるために周囲
に緑色の布を掛ける画家がいるのです。現代のある有名な哲学者はこのことをつぎのよう
に説明しています。明るい色は視覚に用いられる霊魂精気を打ち負かせてしまい追い払っ
てしまう,それに比べて,不鮮明な色の場合は,霊魂精気にいかなる影響も与えない。つ
まり,緑色の光によって,霊魂精気がうまく機能するような効果を目に与え,バランスよ
くとても快適で心地良い感覚を引き起こしてくれるのだと。その根拠はどうであれ,効果
は確かです。そのため,詩人たちは緑色を快活さの形容辞としているのです。
自然の営為における2つの目的,つまり,有用性と慰めといったことを考えて見ますと,
植物界における最も重要な部分はその美にあることが分かります。数多くの植物には繁殖
し,維持するための種子があり,この種子は常に花の中につきます。どうやら自然はその
主たる意図を隠しているようです。自然は自己の保存という大いなる営為を続けながら,
表面的には地球を陽気で楽しいものにするために腐心しているわけです。同様に,農夫は
ある種の庭つまり景観をよくし,周囲のあらゆるものを晴々とさせるために土地を耕して
います。だが,実際には農夫は収穫つまり産物のことしか考えていないわけです。
さらに考えて見ますと,神の摂理は人々の心を快活にさせるために注意を払っているこ
とが分ります。ほとんど役に立たないと思えるいくつかの物も,たとえば,荒廃した岩山
や砂漠などの自然の異様なものからも喜びを見出せるように作り上げています。哲学に精
通している人たちは,この考察をもっと高めることができるかも知れません。つまり,も
し物質が実際に所有している属性しか付与されていないとしたら,非常に侘しくかつ不快
なものになっていたに違いないと言うわけです。神は私たちに,味覚や色彩,音や匂い,
そして熱い冷たいといった想像上の属性を与える力を付与しています。人は自然の下位に
位置するこういったものと関わりを持ちながら,心地よい感覚を覚えることで元気づけら
れ喜びを見出しているのかも知れません。要するに,この世界は,私たちに喜び,楽しみ
あるいは賞賛を惹起させる物で満たされているある種の劇場と言えます。
読者は,昼から夜への変化とか季節の変化とか自然の様相に変化を与え,心に美しく喜
ばしいイメージを絶え間なく与えてくれるさまざまな光景を思い起こすに違いありません。
3) セネカ『怒りについて』3.9.2,プルタルコス『デモステネス伝』22.5。ジョン・スコットによれば,
「緑色ほど目にやさしい色はほかにはない」とのこと( クリスチャン・ライフ』第2部第4章)。
78
大阪経大論集
第62巻第6号
私はここでは友情や書物や交際やその他副次的な人生の気晴らしの喜びについて述べる
積もりはありません。なぜなら,階級や身分に関係なく,あらゆる人々に関係する快活な
気質を誘発するものは何かという点にのみ関心があるからです。この世に不平不満の種が
満ち満ちている,要するに,人が意気消沈し憂いに取り付かれるようには神はお造りになっ
てはおられないのです。
わが国の同胞は,快活という点ではほかのいかなる国の人たちよりも欠けていると思わ
れますので,私は繰り返し説いているわけです。憂鬱はわが国に取り付いている一種の悪
霊であり,しばしば私たちを東風にさらします4)。名高いフランスの小説家5) は,ロマン
スを花開く季節で始める人たちとは違って,「11月という陰鬱な月に,そうです,イング
ランドの人々が鬱々と気が沈んでいるとき,悄然とした恋人は野原へと歩んで行った」と
始めています。
誰もが気候のもたらす気質を追い出し,心の平静さをもたらし,人生につきものの些細
な悪や不幸に対しては快活に立ち向かことができるようにしていかなくてはなりません。
このようにすれば,限りない喜びや絶え間ない幸福が訪れます。
私は読者に世の中を好意的な観点から捉えるようにお勧めしていますが,正直言って,
私たちに用意されている気晴らしの中には,当然のこととして生じる害悪が数多くありま
す。しかし,こういった害悪は,適切に対応しますと,人々を悲しみで包みこんだり,私
が奨励しています快活さを破壊したりするようなことにはなりません。自然の営為の中に,
このような悪と善,苦痛と喜びが散在していることは,ロック氏は『人間悟性論』の中で,
まさしく道徳的な理由に起因するとのだと,つぎのように述べています。
「神が,私たちを取り巻き,私たちに影響を与えるあらゆるものの中に,喜びと苦痛を
ばら撒いておられる理由は,こういったこと以外に理由はもう一つあるかも知れません。
要するに,私たちの思考と感覚に関わるほぼすべてのことに,喜びと苦痛を混在させてお
られるます。また,生き物たちが私たちに与えてくれるあらゆる楽しみは,不完全なもの
であり,不満足であり,完全な幸福を獲得するには不十分なものです。それは真の楽しみ
を獲得するように仕向けられているのです。これによって,満ち足りた喜びを手にするの
です。永遠の喜びを手に入れるのは正しい人に限られます。」6)
第388号
1712年5月26日(月曜日)
【スティール】
あなたのために,私は調べの美しい言葉を持ち出し,
かつて明らかにされた術策について論じる。
今一度,あなたのために聖なる春の扉を開くのだ。(ウェルギリウス)1)
4) ジョン・デニス(1657
1734) 演劇の効用』(1698)。
5) この小説家は不明。グスターフ・ランソン(1857
1934)は,『スペクテイター』のこの箇所を「ヴォ
ルテール哲学書簡」(1909)の中で取り上げている。
6) ジョン・ロック『人間悟性論』2.7.5
スペクテイター』(41)
79
観察者殿
小生は貴紙を読むときには,いつも貴殿の取り上げる著者の引用に目を通すようにして
います。先だって2) 貴殿が「ソロモンの歌(雅歌)」の第2章の一節に触れておられたの
で,小生もそれに目を通して見ました。読んで見ますと,その考えは実に愛情に溢れ優し
いものと思いましたので,これをどうしても易しく言い換えたくなり,さきほどそれが出
来上がりました。そして,貴殿にそれをお送りしたくなったわけです3)。貴殿の賞賛の言
葉を読みまして,とても分別のある審美眼が伺えましたので,小生としては可能な限りこ
れにならった積もりです。
敬具
「ソロモンの歌」第2章
Ⅰ
シャロン平野では,はにかんだバラが
暁の女神に向って純潔な胸のうちを打ち明ける。
柔らかな西風が辺り一帯に芳しい香りを漂わす。
日陰の谷間に咲くユリの花は露をたたえ誇らしげだ。
心優しい日差しは何ものにも勝るその美を祝福する。
幸せ溢れるわが愛する者が出て来れば,頭上には
晴れやかな日差しが降り注ぐ。シャロン平野のバラも
真っ白なユリもわが愛する者に従う。
そして,麗しき花々は巧みに力を合わせる。
バラとユリが手を取り合って。
両者が手を取り合った魅力も私の魅力には勝てはしない。
Ⅱ
この上なく美しいユリが,美しさでは茨に
高さでは草に勝るように,わが愛する者も,
乙女たちの中で際立っている。
半ば神々しいまでの魅力をたたえている。
木は見るも見事な真っ赤なリンゴ,西方の果実をつけ,
美しい枝を空へと伸ばしている。
わが愛する者の目は誘う。燦然とした輝きの中で,
さまよう視線を留めることができるのは彼だけだ。
1) ウェルギリウス『農耕詩』2.175
5
2) 第327号参照。
3) パラフレイズをした人物については不明。ニコルスによると,デヴォンシア,モートン・ハムステッ
ドの非国教派の牧師パーという人物ではないかとのことだが,『英国人名事典』によると,ジョン・
パー(1633?
1716?)は,ランカシアー在住で,この人物と結びつけるものはない。
80
大阪経大論集
第62巻第6号
Ⅲ
喜ばしい日陰で,私は疲れた四肢を休める。
芳しい香りのする枝に頭をもたせかけて。
私は急いで黄金の果実を引き寄せる。
甘く,美味だった。
彼は大杯にスパークリングワインをなみなみと注ぎ,
私の心には優しい忘我の気持を満たしてくれた。
喜びに溢れた私たちは木蔭に腰を下ろした。
私の頭上に,彼は愛の旗印を掲げた。
Ⅳ
私は気が遠くなり,死んでしまう!
苦しい私の胸は,愛の重圧で押しつぶされる。
激情が私の心を捉え,苦痛が体のあちこちに
伝わったのだと思う。激情が体中の血管を駆け抜け,
私の弱々しい魂は居場所がなくなる。
震え戦く心が私の目に封印をし,顔は青ざめる。
嗚呼!
強力な香りを放つわが愛する者よ,
気が遠くなる,恋の病にかかった私の魂を鎮めてください。
片手を私の体の下に回し,もう一方の手ではそっと抱いてください。
Ⅴ
シオンの娘たちよ,大げさなえびらと弓で武装している
あなたたちを責める。あなたたちは寂しい森の中をさまよい,
眠っているわが愛する者を目覚めさせはしない。
そこにあるのは柔らな西風のみで,
辺りを綿毛で覆われた翼であおぐ。
辺りには神聖な沈黙が支配し,邪魔立てする物音を近づけない。
彼の目から香しいまどろみが去れば,彼には
それまで知ることのなかった喜びが生まれるかも知れない。
Ⅵ
でも御覧下さい!
彼がやって来ます。
非常に威厳に満ちた足取りで。
見事な威厳を前面に押し立てて。
いま,格子戸をくぐり抜けて現れる。
この上なく優しい言葉は私の恐怖を払拭する。
私は立ち上がり,愛が与えてくれるすべての喜びを受け取る。
今では,陰気な冬は過ぎ去り,
もはや私たちは北風を恐れることはないからだ。
スペクテイター』(41)
81
嵐も不気味な雲も姿を現すことはない。
降り注ぐ雨も涙を台無しにすることはない。
わが愛する者はぐずぐずしている暇はない。
わが麗しき者よ,立って,出て来なさい。
Ⅶ
さあ御覧下さい!
豊饒な大地は生み出している。
美しい花々を,露を,そして柔らかく降り注ぐ雨を。
雨は咲いたばかりの華奢な花々を育むのだ。
耳を傾けてご覧なさい!
小鳥たちがやわらかに囀り,
愛らしく春の到来を知らせている。
ハトは友とならんで止まり,愛する者に愛を囁いている。
花をつけたブドウの木は枝を伸ばし,辺りに香しいにおいを放つ。
わが麗しい者よ,立って,
愛が与えるすべての祝福を受け取りなさい。
急いでどこか人気のない木蔭に行こう。
そこへ行って,私をあなたの腕の中にいさせてください。
邪魔立てする不快な騒音も,あなたの美しい調べをそぎはしない。
私は見つめ,互いの美を認めることができます。
あなたの声は甘美で,あなたの顔は美しいから。
Ⅷ
私は全身全霊を込めてあなたを愛します。
あなたのすべては私のものです。
ユリの花の中で,私たちは戯れる。
わが愛する者よ,あなたはユリの花より奇麗だ。
茜色の暁の女神が姿を見せるまで,そして,
香しいまどろみがあなたの目から立ち去るまで。
喜ばしい日の光が夜の帳を払い除けるまで。
そのときには,あなたの目から柔らかなまどろみは消え,
飛び跳ねるシカや元気のよい雄ジカのように起き上がり,
再び,ベタニアの山々から平野に降り注ぐ光を
喜んで目にすることになります。
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