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ネパール・ヒマラヤ、山ふところを歩く

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ネパール・ヒマラヤ、山ふところを歩く
②
●
④
●
①
●
⑤
●
③
●
地理の写真館
ネパール・ヒマラヤ、山ふところを歩く
村々を泊まり歩く山旅であり、村人の生活ぶりを観察
することができる。登山客相手のガイドやポーター、
高校生の使い古した運動靴や文房具・古着などを背
ロッジやみやげ物店などのサービス産業や海外からの
負って、冬休みにネパール・ヒマラヤの山村に送り届
出稼ぎ収入に頼らざるを得ないという深刻さである。
けて、4回の渡航となった。物資を届けた後は、山道
中国チベット自治区との国境に近い標高3,500m、
を歩いて人々のくらしぶりを見て写真を撮り、帰りは
中部ネパールのランタン村では、わずか12名の子ども
いつも同じぐらいの雑貨を背負って帰国する。それが、
が、国設の小学校で学習する(写真③=2004年12月)
。
教室でのリアルな実物教材となる。
裕福な家の子は都会の学校で寄宿舎生活をし、家の仕
8,000m級のヒマラヤ山脈の南斜面、標高100mから
事を手伝っている子や、移牧のために親と一緒に季節
世界最高峰エヴェレスト(現地名、サガルマータ)ま
移動をしている子は通えない。この村の学齢期の子は
で、気候と植生、くらしぶりが多彩に変化するネパー
100人だという。高山病をおしての訪問だった。
ル。頼れる鉱産資源はなく、人々は天まで届きそうな
帰途には、ヒマラヤのすばらしい山なみを見ながら、
棚田(写真①=2001年12月、アンナプルナ山群のティ
ラバのキャラバン隊と行き逢いながら山歩きの旅をす
ルケドンガ村)での米・小麦・果樹・野菜づくりの農
る。ダウラギリ峰から落ちる氷河直下を歩いたり(写
作業が、この地域の食を支える。恵みの雨をもたらす
真④=2007年12月、ジョムソン街道のタダパニ村)
、
夏のモンスーンはヒマラヤ山脈にさえぎられて、山間
ヒマラヤ誕生の歴史を彷彿とさせる大褶曲(写真⑤=
地では砂漠気候となる。川沿いの小さなオアシスが、
2006年12月、ムスタン郡のカリガンダキ河畔)に出会
わずかに人々のくらしを支えている(写真②=2006年
ったり、アンモナイトの化石を探すこともできる。
12月、ムスタン郡カグベニ村)。
ボランティアをやり終えたという満足感とともに、
山ふところに住む人々のくらしはとても貧しい。ヒ
その年のネパール行きが終わる。
マラヤの景観を楽しむトレッキングは、このような
(京都府立綾部高等学校 水谷徳夫)
写・真・募・集
このコーナーの「カラー写真」を募集しています。
海外巡検などで撮影された地理的写真を、資料編集部
「地理・地図資料」係までお送りください。
世界を歩こう
中東の奇跡、ドバイ発展の秘密を探る
ドバイ日本人学校校長
鈴木史良
する国だろうとも感じたが、街中にある緑地帯の水は
*七つの首長国から成る連邦国家
生活排水を再利用しているそうだ。
旅客機はインド洋を横断し、アラビア半島に入った。
闇の中に遠くオマーンの街並みの明かりが見える。そ
*格差社会は当たり前?
れも消え去ると、漆黒の大地に高速道路らしいオレン
ドバイは今、世界中のクレーンの4分の1が集まっ
ジ色のライトが点々と寄り添うように続く。そろそろ
ているといわれるほどの建設ラッシュである。高層ビ
到着かと再び窓をのぞき込んだ瞬間、思わず息をのん
ル、道路、地下鉄等の工事が進んでいるが、暑い日中、
だ。眼下には橙、赤、青、白、まるで宝石箱をひっく
青色の作業服を着て現場で働いている人々は外国人労
り返したような、光の絨毯としかたとえようのない都
働者である。公園や街路に沿った花壇などで植物の手
市が横たわっていた。
入れをしている緑色の作業服の人々も、街角で清掃作
今や日本のマスコミに注目されることの多いドバイ
業をしている黄色の作業服の人々も同様である。その
だが、ドバイというのは都市名ではなく、一つの首長
他ホテルやレストラン、ショッピングセンター等でも
国としてアラブ首長国連邦を形成する。アブダビ、シャ
接客やサービスには多くの外国人労働者が働いている。
ルジャーなど、他に六つの首長国があり、シェイクと
ドバイはインド、パキスタン系を中心にヨーロッパ系、
尊称される首長がそれぞれの首長国を治めている。国
アフリカ系、東南アジア系、東アジア系と、さまざま
土総面積はほぼ北海道に等しく、いちばん広い面積を
なナショナリティに満ち、人口は現在150万といわれ
もつアブダビが首都である。
るが、この国の国籍をもつアラブ人は2割に満たない。
17世紀以降、ペルシア(アラビア)湾岸沿いの地域
男性は白いディスダーシャ、女性はアバヤという黒い
は英国に支配されてきたが、1971年に独立し、現在の
民族衣装に身をつつみ、宗教と伝統を忘れていない。
アラブ首長国連邦が形成された。連邦とはいえ、それ
政庁や役所、公共機関で多く彼らの働く姿を見ること
ぞれの首長府にある程度自治権が認められているため、
ができる。初任給でも外国人労働者賃金の数倍は保証
首長による国づくりの考え方がそのまま首長国の繁栄
されているのだ。不動産関係者や起業家も多く、高級
につながっているようにみえる。
車に乗り、週日でも高級ショッピングモールで買い物
をしたり、カフェで談笑したりする余裕のある人が多
*めざましい発展を遂げるドバイ
い。この繁栄はいったいどこから生まれたのだろうか。
800mに及ぶ世界一の超高層ビルや宇宙空間からも
*石油に依存しない経済基盤づくり
見える人工島の造成、日本の技術を用いた無人交通運
行システムや未来的な都市空間、道路の建設のほか、
驚いたことに、2006年度のドバイのGDPにおける
七つ星といわれる超豪華ホテルや有名ブランドが連な
原油生産依存率は5%以下であった。今後、限りなく
るショッピングモールの数々……。本来、砂漠である
0%に近づけていくのだという。原油生産によって豊
場所に緑美しい芝生が植えられ、色とりどりの花が咲
かな国づくりをしているというイメージが覆される。
いている。よく見ると、砂の中にホースが縦横に埋め
1966年に石油が発見された当時のラシード首長は石
込まれ、植物に安定した水が供給されている。大規模
油資源がいつかは枯渇することを予見し、それらに頼
なプラントで海水を淡水化しているため、水はふんだ
らず、貿易による国づくりを図るという明確なビジョ
んにある。
ンをもっていた。ペルシア湾の小さな入り江(クリー
当初は、砂漠地域にありながらなんて贅沢なことを
ク)沿いに古くから栄えたドバイは海運が盛んで、イ
−4 −
ドバイのオフィス街
庶民の足、クリークの渡し船アブラ
モスクを見学する日本人学校生徒
ンダス文明とメソポタミア文明の交差点、古来多くの
積極的に受け入れる。外国文化の受け入れに寛容であ
民族が交易してきた伝統がある。そこで自分たち民族
り、外国人にイスラーム主義を要求することもない。
のいちばんの強みを冷静に分析し、生かそうとした。
海外ビジネスマンにとっては快適に過ごせる環境を提
そのために必要なインフラの整備(港、道路、病院、
供している。三つめは安全確保の努力である。誘拐や
学校など)を最優先に行い、そこに石油の富を惜しげ
テロ事件が頻発する中東地域にあって、ドバイの安全
もなくつぎ込んだのだ。原油産出のもたらす一時的な
性は他地域を圧倒する。警察官の人口比配置率は日本
富におごらず、この国の100年先を見据えた施策の数々
が500人に対して1人なのに対し、60人に1人という。
には、本当に驚かされる。
日常生活ではそれほど気づかないが、徹底した監視体
ここで、優れた施策の一つ、ドバイのGDPの25%
制がとられているそうだ。四つめは「はじめに箱あり
を占める「フリーゾーン」についてふれておきたい。
き」
。日本のように需要があって対応するのではなく、
独立後、連邦政府の商業法は、外国企業は必ずローカ
インフラを整備した後、需要も生み出していくという
ルのアラブ人起業家と組まなければならないという制
発想だ。
約つきのものだった。ところが、ドバイのラシード首
*いちばんの資源は「ひと」づくり
長の政策はあくまで自由貿易主義。この理念を実現す
るため、何もない海岸線に広大な港をつくり、1985年、
関心するのは教育についての意気込みだ。ドバイの
その周囲にフリーゾーンを設置した。フリーゾーンと
歳出の35%は教育費であるともいわれている。現地校
は、進出する外国企業に対し、関税・所得税・法人税
を訪問してよくわかることだが、施設設備がすばらし
なし、為替規制なし、雇用の自由など、50年間にわた
く、最先端の教育機器を使った授業が行われている。
って認めるという特区である。現在では、世界各国か
英語教育とIT教育が重視され、グレード1(満6歳
ら6500社(日本企業は130社)が進出している。近未
になる児童)の授業を見ても、授業中英語以外の言語
来構想としてジュベルアリ港に隣接したさらに大きな
は一切使われない徹底ぶりだ。公用語はアラビア語と
空港の建設などインフラを整備し、空と海の機能をリ
定めてあるにもかかわらず、何をするにも必要なのは
ンクさせ、さらなるパワーアップを図ろうとしている。
英語であり、メトロポリタンを目ざすドバイにとって
若い世代に必要不可欠のものだろう。ただ、現地校の
*中東の奇跡、ドバイ発展の秘密
校長と会話して気づくのは、どの校長も自分たちの伝
現在のドバイが成功している要因は四つあるといわ
統文化を大切にし、次の世代に伝えたいという思いを
れる。一つめは現在のムハンマド首長によるトップダ
いだいていることだ。何もかもが急激に変化していく
ウン方式の政策である。優秀なリーダーのもと、政府
ドバイは、失いつつある過去の財産も数多いことだろ
と経済の一体化が施策の効率化を生み出している。二
う。
そんな現代社会において、
民族のアイデンティティ
つめは外国人の活用が上手なこと。外国企業にはスポ
まで失わせまいとするこの国の教育方針がみえる。
ンサーとなって土地を貸し出し、各国からの労働者を
−5 −
いきいき授業実践
(平成20年度『高等学校 新地理A 初訂版』)
(平成20年度『図説地理資料 世界の諸地域NOW 2008』)
(平成20年度『地歴高等地図−現代世界とその歴史的背景−』)
「気づき」から広がる地誌学習(豊かな石油資源と人々の生活)
福岡県高校教諭
くあげられたのは次の3枚の写真に関してである。
1.はじめに
世界を対象にした高校の地誌学習において、悩まし
い課題は、その地域を訪れたことがない(直接的な体
験がない)生徒に対して、どのように興味・関心をも
たせ理解を深めさせるかということである。私の場合、
授業をつくる際に三つの「き」を大切にしている。そ
れは「気づき」「おどろき」「うなずき」である。とも
すれば受動的になりがちな地歴科の授業において主体
的な活動をうながす授業づくりが重要である。そのた
『高等学校 新地理A 初訂版』p.106滷
めには生徒の有している知識や経験を把握し、その知
アラビア半島の地域の家畜としては、羊、らくだの
識や経験を「ものさし(尺度)」にして授業をつくり
イメージが生徒には強いらしく、気づきは漓乳牛が飼
上げていくことが必要である。生徒のものさしに照ら
育されていること、滷エアコンを効かせていることに
して「奇異」なこと、「不思議」なことに生徒自身が
集中した。中には「電気代が高いので牛乳も高価にな
気づくことからはじめ、自分のものさしでは測れない
るのか?」という疑問もあった。
地理的な事象の質や量の違いにおどろくことが大切で
ある。そして、その背景となる自然や社会環境を理解
することによって、その合理性や必然性にうなずくこ
とができるように授業づくりを行っている。
2.生活に変化をもたらした石油資源
地誌学習を行う場合に、最初に行うことは取り扱う
地域について、どのような国があるのかなどを地図で
『図説地理資料 世界の諸地域 NOW 2008』p.88滷
概観させることである。そして該当する教科書の範囲
について説明文を読ませ、写真や図表についてもあわ
この写真に対しては「テントの立ち並ぶ雑踏の中で
せて読み取らせている。その際、教科書だけでは資料
商品が売買されている」という定型のイメージに対し
的に分量が限られているので『図説地理資料 世界の
ての違和感が何人かの生徒から示された。中にはアメ
諸地域NOW 2008』も併用して活用させている。読
リカの清涼飲料メーカーの商標についてふれている生
み取り作業はただ漠然と行わせても「気づき」へと達
徒もみられた。
しない生徒も多いので自分のもつイメージと違ったこ
最後に関心が高かったのはバーレーンの高層ビルの
と、奇異に感じたこと、おもしろいと思ったことなど
写真である。生徒は単純にこのビルディングの高さに
何でもよいので気づいたことを「気づきメモ」(B5
おどろきを示す生徒が多かった。
用紙)に列挙させている。その後に何人かの生徒にそ
生徒の気づきはどのクラスの授業でも同じになると
れを発表させ、黒板に書き上げる。今回のテーマで多
は限らない。授業者泣かせである。臨機応変に対応で
−6 −
牛である。どれだけの牛舎のスペースが必要とされる
のだろうか? 写真でも広大な施設であることは窺え
るのだが、6000頭を一斉に収容することは不可能だろ
うか? 何棟もの牛舎が並んでいるのだろうか? え
さや水はどこから調達するのだろうか? エアコンは
必要なのか? 羊でなく牛の乳の需要があるのだろう
か? 一つ一つの疑問を生徒と一緒に解き明かす作業
『図説地理資料 世界の諸地域 NOW 2008』p.88潸
を行うことによって、
「サウジアラビアの王族による
きる力量があればよいのだが私にはそれだけの力量は
企業集団の存在」
「放牧ではなく3500haの世界最大規
ないので、生徒に理解してもらいたいメッセージを事
模の牧舎での飼育」
「導入されたホルスタイン種の原
前に準備しておくことにしている。今回のテーマでは
産国と飼育のための自然環境(結果として世界の酪農
「産油国の経済的な豊かさ」
「脱石油」の2点に絞った。
地域の分布を図説地理資料p.176で再確認することと
そのことを念頭において、生徒から差し出された気づ
なる)
」
「経済水準の向上と消費の西欧化」が理解され
きを料理していく。前記の写真では、最初の2枚は「経
ていくことにつながっていった。
済的な豊かさ」を考える素材にした。3枚目の写真は
消費の西欧化は2枚目のスーパーマーケット型の市
「石油後」を考える素材として活用することにした。
場からも見てとらせることができる。さらに稀にでは
活字による説明は、受動的学習においてともすれば
あるが、レジに女性がいないことに違和感を覚える生
生徒の好奇心を何ら刺激せずに受け入れられることが
徒も出てくる。そのときは、しめたものでイスラーム
多い。たとえば1枚目の写真の説明には6000頭の乳牛
社会における女性の立場などについて考える契機を与
がエアコン完備の牛舎で飼育されていることやそこで
えることができる。基本のテーマからはずれることも
は1000人を超す外国人労働者が働いていることが記さ
あるがそれもまたよしである。今回は「経済的な豊か
れている。事実がきちんと整理されている。しかし、
さ」へと結んでいくために、最近の石油価格の高騰が
事実はそこに「ものさし」をあてることによってより
どれくらいの富を生み出すのかを、下記の資料にある
いきいきと動き出すことになる。6000頭の牛を見た経
数字を読み取らせてみた。
験がある生徒はいないであろう。しかし1000人の人間
サウジアラビアと一部の国のGNIが10000ドルを超
が集まっている様子は想像できる。本校の場合は全校
えていることは簡単に読み取ることができる。ただし、
集会時の体育館の状況である。だれもがぎっしりと詰
これだけでは生徒にとっては石油の経済的な恩恵がわ
まった息苦しい感覚が体によみがえる。その6倍の状
かりにくい。ちなみにサウジアラビアでは約4億tの
況を想像してみる、ましてや人間ではなく体の大きな
原油が1年間に産出されることが読み取れる。石油の
カザフスタン
4538
アゼルバイジャン
ウズベキスタン
トルクメニスタン 433
1525
トルコ
チュニジア
235
317
シリア
1億t
5487
10678
イラン
イラク
18781
6527
アルジェリア
リビア
6818
960
クウェート
2800
エジプト
3595
バーレーン 941
サウジアラビア
41919
1000万t
カタール
10985
4081
数字の単位は万t
3359
アラブ首長国連邦
2064 イエメン オマーン
『高等学校 新地理A 初訂版』 p.107潺
−7 −
統計の場合、重量単位のトン(t)と体積単位のバレ
いうコメントを記した生徒がいた。この教科書の一節
ル(約160褄)が並存しているので比重(原油の比重
にある「石油資源の所有権争い」はなぜ起こるのかと
は0.8∼0.98)の問題もあって換算が難しいのだが、仮
いう問いへの高校生なりの答えである。
に水と同じとした場合には、4億tは4000億褄となる。
これをバレル換算すると25億バレルとなり、1バレル
4.おわりに
=100ドル、1ドル=100円のときには約25兆円の売
最近の生徒の気づきは、どうしてもビジュアルなも
り上げとなる。これから地図帳の人口統計などを使っ
の、感覚的なものが中心である。文章の内容について
て1人あたりの数値を算出すると毎年約100万円が赤
じっくりと読み込んでのものは少ない。そのことを考
ちゃんから老人までのポケットにはいることになる。
えると教科書や資料集の写真をうまく活用することが
もちろんイメージ形成のためのお遊びであることは誤
これからますます必要となってくると思われる。また、
解がないように押さえておきたい。読み流されるだけ
私なりにこれはおもしろいだろうという写真や映像を
で終わったかもしれない数字がリアルな現実の価値尺
示しても、授業者からの一方的な説明は受け取らなく
度(通貨価値)に焼き直されることによって少なくと
なってきたように感じる。同じ写真教材を使うにして
も能動的な関心は高めることができる。
も能動的な形に置き換える工夫を怠らないようにする
必要があることを痛感している。
3.地域の課題
私の勤務校では、理系の生徒のほとんどが2年次か
石油が枯渇資源であることは生徒も認識しており、
ら3年次にかけて地理Bを継続履修する。地理Aは2
石油の可採年数について、サウジアラビアの年間採掘
年時に文系を選択した生徒の中で、希望者がいれば履
量と確認埋蔵量の数値を示して単純な可採年数を計算
修することになっている。最近は文系での希望者が減
させてみるのもよい。仮定の話としてヒット商品をも
少し講座が成立しないことも多いのだが、地理Bと違
つ会社をイメージさせよう。その商品が生産できなく
って、選択した生徒たちの多くは大学入試の受験科
なって倉庫にある在庫品しか残ってないと仮定したら
目として地理を使わないので。したがって今回のよう
どうするか。という問いを生徒に発すると、「新しい
に3枚の写真だけで1時間の授業を構成することがで
商品を開発する」とか「商店をやめて稼いだお金で他
きるのであるが、受験を考えたときに不足する地理的
の商売をはじめる」というような答えが必ずかえって
知識をどのように補うのかが私自身の課題として残さ
くる。
「石油後」について金融センター、リゾート開
れている。現状では、教科書の内容としておさえるこ
発等が進む西アジア諸国の動向については、生徒はす
とができなかった部分については、単元のまとめとし
っとうなずけるようである。
て整理している。また地理の授業の中では統計の量や
変化を扱うことが多い。履修者には理系の生徒が多い
ため、今回一例を示したように教科書等の数字を生活
感のある尺度に置き換える手法をよくとる。授業アン
ケートなどによって評価してもらうと生徒には評判は
悪くはないのだが、使いすぎるとかえって飽き飽きと
した退屈なものとなるときがあるのでそうならないよ
うに心がけている。
気づきを中心とした授業は、生徒と教科書の距離を
『図説地理資料 世界の諸地域 NOW 2008』p.89潺
遠いものから近いものへと変えてくれる可能性をもっ
またこの地域に紛争が多い理由として「自分の国の
ている。授業の躍動感やダイナミズムを活かした授業
石油がなくなるとわかったらできるだけ高く売りたい
づくりを通して、地理好きの生徒を一人でも増やした
し減らさずにおきたい。他人のものも欲しくなる」と
いと思っている。
−8 −
いきいき授業実践
(平成20年度『新詳地理B 初訂版』)
(平成20年度『新詳高等地図 初訂版』)
(平成20年度『新詳地理資料 COMPLETE 2008』)
ロシアの産業の変化と日本
佐賀県立鳥栖高等学校 戸 上 信 幸
代から継承してきた各工業地域についてもおさえ
1.はじめに
つつ、現在とくに発展している産業として、モス
生徒にとって、隣国ロシアに対する情報量は少
クワなどの大都市を中心とする製造業、その他の
ない。中国と違い、われわれの生活の中でロシア
地域では資源開発関連であることをおさえたい。
製品に接することも少ないため、ロシアの急激な
これらのことをふまえた上で、とくに変化の著し
発展と変化を実感することもない。事前に3年生
いモスクワ、サンクトペテルブルクと極東ロシア
96名にとったアンケートでは、ロシアのイメージ
にスポットをあてて授業を進めていきたい。
は「寒い」もしくは「広い」と書いた生徒が83%、
続いて「シベリア鉄道」であった。また、日本・
3.ロシアの急激な変化
ロシア間の貿易品について、日本からの輸出品は
ソ連解体後のインフレ等の経済混乱を乗り越え、
「自動車」と答えた生徒がいちばん多く28%、ロ
資源高により、経済の底上げは国民生活を豊かに
シアからの輸出品は「石油」
「天然ガス」
「木材」
している現状は、まず、教科書p.228の「経済と
「石炭」
「魚介類」
「アルミニウム」と答えた生徒
生活の混乱をこえて」の文章を読ませると、流れ
が54%いた(回答数多い順)
。いずれも系統地理
をつかむことができる。
そして、
そのことをイメー
で学んだ知識がほとんどである。しかし、ロシア
ジ づ け る た め に『 新 詳 地 理 資 料 COMPLETE
については、生徒にとって全体的に情報量が少な
2008』
(以下資料集)p.170玳の写真2枚を見れば
い国であるがゆえに、
「教科書や資料集を通して
さらにとらえやすい。
客観的に学ぶことができ、新鮮な学びも多い」と
考えて授業に臨むべきだろう。
2.授業を進める上でのポイント
ロシアは日本の約45倍の面積をもつため、一つ
の国として学ぶことはもちろんであるが、ロシア
国内の地域別における差異を理解することも重要
であろう。ロシアについては基本的な地名も入っ
『新詳地理資料 COMPLETE 2008』p.170玳a
ていないのが現状であるため、まず、
『新詳地理
B 初訂版』
(以下、教科書)p.228の1∼4行の
「シベリア」と「極東ロシア」がどの地域を示す
のかなど、基礎的なことを正確におさえておくべ
きであろう。そして、
気候などの自然環境や民族・
交通・資源などをもう一度復習し、さらにソ連解
体後のロシアの急激な変化を理解させると、産業
がより理解しやすくなる。また、
『新詳高等地図
初訂版』
(以下地図帳)p.58澆において、ソ連時
『新詳地理資料 COMPLETE 2008』p.170玳b
−9 −
1990年当時は、何時間並んでも品物が手に入る
技術を導入して生産量が増えている。そして最近
とは限らないほどの品薄さであり、人々の服も同
は資源ナショナリズムを進め、権利を取り返す動
系色で、物流や経済事情、閉鎖的な政治体制もわ
きがあり、それにより収益率も高くなっている。
かる。一方、現在の写真では物にあふれ、人々の
このことは資料集p.171クローズアップを読ませ
服装や人の多さからも、一部の超富裕層のみが消
た上で、サハリン2のガスプロム社と三井物産・
費に貢献しているわけでもなく、市場経済が国民
三菱商事の具体的な話をすると理解させやすい。
に浸透していることが想像できる。それは資料集
p.170玻で2003年の第3次産業人口比率が90年の
4.地域による変化
∼モスクワ、サンクトペテルブルク∼
それの約2倍になっているところからも裏づけら
この地域には、ロシア第1の都市モスクワと第
れ、国全体の急激な産業構造の変化がわかる。
2の都市サンクトペテルブルクがあり、近年、日
欧米の自動車をはじめとする製造業が多く進出
第3次産業
23.3%
している。自動車工場についてはとくにロシア東
24.3
の玄関口のサンクトペテルブルクでの発展が著し
い。資料集p.114玳、珥、クローズアップを見ると、
32.9
工業生産の伸びはクローズアップの説明にあるよ
51.9
うに外国からの直接投資の時期と重なっている。
60.3
ロシア国産の自動車工場の珥の写真では1か所の
作業場に3人(奥は4人)働いている。クローズ
産業別国内総生産の推移
アップ中の写真は最新設備で、1人の作業員しか
『新詳地理資料 COMPLETE 2008』p.170玻
もちろん、資料集p.170珥にあるように、富は
いないところを見ると変化の様子もわかる。とこ
集中し、格差が広がっている現状も伝えながら、
ろでどの地域への投資がいちばん多いのであろう
ロシアの急激な経済成長が国民生活を底上げして
か。2005年のロシアへの投資のうち、47%はモス
いることを理解させたい。そこでなぜ、それが可
クワ市に集中しており、オムスク州(9.6%)
、サ
能であったか生徒に考えさせたい。その変化の大
ハリン州(9.1%)
、チュメニ州(6.1%)と続く
きな要因の一つに資源価格の高騰と産油量の増加
(
『ロシア東欧貿易調査月報』2006年7月号)
。モ
がある。資料集p.114珎では、老朽化した生産設
スクワへの投資は消費財を始めとする製造業・商
備により伸び悩んでいた原油の生産が、欧米メジ
業施設、その他の地域への投資は資源開発関連が
ャーの資本・技術を受け入れたことで近年生産量
多く、資料集p.114珥aに示されているように、既
が飛躍的に伸びていることがわかる。
存の工業地域では旧式の設備のままの操業が多く、
天然ガスも同様に、日本を含めた欧米の資本・
生産が停滞していることもおさえておきたい。投
資国については資料集p.114クローズアップ珈に
あるようにEU中心であるが、グラフ中の2005年
での1位のオランダは、サハリン2に投資するメ
ジャーの一角のロイヤル・ダッチ・シェルの資源
開発を中心とする投資であることを教えたい。2
位のキプロスは、便宜置籍船国であることからも
わかるようにいわゆるタックス・ヘイブンの地で
あり、ロシア企業が資産保全・節税のためにキプ
原油の生産
ロスに設立した子会社を通して、ロシアの資源開
『新詳地理資料 COMPLETE 2008』p.114珎
発に投資つまり還流していることにもふれたい。
− 10 −
日本
12.7
9
日本 61.6
韓国 23.5
キプロス
石油・
石油製品
54.2%
30
中国 47.8
日本 13.1
韓国 11.1
韓国 39.7
日本 36.8
韓国 37.3 日本 16.2
韓国 11.4
アメリカ合衆国 10.2
日本 56.7
韓国 17.1
中国 69.9
日本 25.1
石油・
石油製品
56.2%
中国 37.1 韓国 21.3 日本 18.6
極東ロシアの輸出品目と進出企業の国別割合(2004年)
海外からの直接投資と投資国
『新詳地理B 初訂版』p.230滷
『新詳地理資料 COMPLETE 2008』p.114クローズアップ珈
サハリン2に代表される資源開発にも日本は関わ
今後、他地域まで経済成長と企業進出の波はく
っており、石油・天然ガスや石炭など身近な国に
るであろうが、現在はモスクワ、サンクトペテル
ある豊かな資源には日本も注目をしている。ここ
ブルクを中心とするヨーロッパ、ロシアの企業が
では地図帳p.58(特設)笆のサハリンの開発の様
工業生産の伸びを支えていることを理解させたい。
子を見せたい。その他に、現況として、ウラジオ
ストクで2012年にAPECが開催されることを機に
5.地域による変化 ∼極東ロシア∼
インフラ整備に着手し始め、開発を進めているこ
冷戦時代に軍事拠点として重要視されていたこ
ともふれたい。極東ロシアの開発や企業進出など、
の地域は、混乱期の低迷時代を迎える中、ウラジ
とりまく環境としては課題も多いものの、今後、
オストクが開放されたが、インフラ未整備等のた
発展性があることを感じさせたい。教科書p.231
め外国資本も入りにくく、日本製の中古車ビジネ
には、ソ連解体後、人口減少が続いている極東ロ
スが盛んになったことを紹介したい。そこで資料
シアについて、気候を含めた自然や資源について
集p.171珎の写真を見て、笊教科書p.230の8行に
わかりやすく書かれており、他の地域との相違性
あるように考え方の違いや交通網の未整備により
をとらえさせ、極東ロシアのイメージづけをさせ
日本も含めて外国企業の進出は資源関連に集中し
るためのまとめとして読ませたい。
ており、日本からの投資も現段階では多いとはい
えない、笆しかしこの地域は日本・中国・韓国な
6.おわりに
ど東アジアとのつながりが深くなってきているこ
ウラジオストクには、
信号がないという話を聞
とも理解させたい。笆については、教科書p.230
いたことがある。
APECによるインフラ整備がどこ
滷の図を見て、気づくことを聞いてみるのもいい
まで進んでいるか確認していないが、次の海外渡
だろう。
航では変化の激しいウラジオストクや中露国境の
この図から、この地域の産業が資源中心である
マンチョウリー
(満洲里)
に行きたいと思っている。
ことと、東アジアとのつながりが見えてくる。中
生徒は、経験し見てきたことを話すと目を輝か
露国境では紛争の緊張緩和で、モスクワと北京を
せて耳を傾ける。今も昔も高校生は未知なる世界
結ぶ貨物路線が再開され、貿易も盛んになり、ロ
に憧れる。確かに地理に苦手意識をもつ生徒は少
シアからは木材などの資源を、中国からは食料・
なくないが、未知なる世界に興味をもつ限り、そ
軽工業製品が輸出されるようになった。図中の中
の生徒が伸びる可能性は高い。そして、生徒の探
露国境に位置するアムール州のおもな輸出先とそ
求心をくすぐるためにも私自身旅を続け、それを
の品目を見れば、そのことも理解できる。また、
伝えていきたい。
− 11 −
地理の部屋
国際地理オリンピック チュニジア大会 報告
岡山白陵中学校・高等学校 東 山 恵 美
2008年8月7日から12日までチュニジアで行われた
も、ただ唖然とするばかりだった。
第7回国際地理オリンピックに参加した。国際地理オ
今回の受賞は、アジアから初の金メダリストの誕生
リンピックは、1996年にオランダで行われ、それ以後、
でもある。隔年開催の世界大会の合間を縫い、
昨年
「第
2年おきに行われるIGU(国際地理学連合)の総会に
1回 アジア・太平洋地域国際地理オリンピック」
(会
合わせて開催されている。
場:台湾・新竹市)を開催し、共に切り盛りしたアジ
日本からは、国内予選を勝ち抜いた4人の高校生が
ア各国のスタッフも、まるで自分たちのことのように
選手として参加した。
「地理・日本代表」は、2000年に
喜んでいた。
京都の立命館高等学校の生徒がソウル大会に参加した
本大会は、5日間の試験期間中に長時間に及ぶ試験
ことがある。以後参加が途絶えていたが、2006年に実
(論述試験は3時間半)
や本州縦断に匹敵する1400km
行委員会が組織され、選手を公募する体制を整えた。
の道程の巡検を行うというハードスケジュールで行わ
2007年アジア・太平洋大会(台湾)への代表派遣を経
れた。しかし、日本の選手たちは、息をつく暇もない
て、今回が8年ぶりの世界大会であり、初の公募によ
スケジュール、外国の人々に囲まれ英語しか通じない
る代表派遣である。
等の過酷な環境の中で、オリンピックの大舞台で見事
今大会は過去最多の24か国、96人の高校生が参加し
に活躍してくれた。
た。原則1チーム4名の選手と2名のチームリーダー
「地理っておもしろいですね」大会中に1人の選手
(引率教員)
、
試験は論述・フィールドワーク・マルチ
が言った言葉である。試験や巡検、他国の人々や文化
メディア(一定の時間間隔で提示されるスライドを見
にふれることを通して、彼らは地理という科目をより
て問いに答える景観把握力の試験)の3種目で行われ
リアルに感じ、地理のおもしろさを存分に実感したの
る。国別では1位ルーマニア 2位エストニア 3位
であろう。彼の言葉は、地理オリンピックが普段築き
オーストラリアと、常連の強豪国が占めたが、個人成
上げてきた地理の知識や技能を世界に披露する場にと
績で日本の後藤圭佑さん(筑波大学附属駒場高等学校
どまらず、地理学へのより深い興味を育む機会として
3年生)が96名中第1位の結果を収めた。
意義深いことを示しているだろう。
上位8名に金メダル、以下16位までに銀メダル、24
来年8月には、
第2回アジア・太平洋大会が日本(筑
位までに銅メダルが授与されたが、金メダリスト8名
波大学)で行われる。地理が好きな生徒を増やしてい
の氏名は、
翌日のIGUの開会式に持ち越し。
世界から集
くために、今後、地理オリンピックの存在を多くの生
まった約800名の地理学者の前で、
第8位からひとりひ
徒に広め、本戦・国内予選ともに盛り上げていきたい。
とり名前が呼ばれた。
「日本はメダルなし」と思ってい
参加した選手の声を紹介する。授業の話題にしていた
た中、
「主席金メダリスト」として後藤さんの名前がコ
だければ幸いである。
ールされた時は、本人はもとより引率スタッフともど
●表彰式
− 12 −
●ラクダも登場し
た砂漠の「フィー
ルドワーク試験」
チェックポイン
トについての問い
やオアシスの土地
利用図の作成スキ
ルなどが問われた。
参加者の声
◆今回はものすごいハードスケジュールでした。印象に
残ったことは、まずフランス語とアラビア語の嵐。チュ
ニジアの看板はほとんどこの二言語表記で、英語をたま
に見かけると神に見えました。また、ジュースに書いて
●チュニジアに
到着した選手・
引率スタッフ
あったのはセンチリットルという謎の単位です。
次に地中海。マルチメディアテスト終了後、ベルギー、
チェコチームに誘われて一緒に海水浴をしました。どう
◆真夏のチュニジアで過ごした1週間は、
思い出に残るも
やら午前と午後で海の色が違うようで、午後になると海
のとなった。季節柄晴天にも恵まれ、貴重な経験ができた。
は緑色を帯びたマリンブルーに輝くようになります。
今回の日程は大きく二つに分かれ、
前半がカルタゴでの
各国選手ともいろいろ話をすることができました。日
滞在、そして後半が国内の周遊となっていた。その中で、
本の漫画の中では他を差し置いて『ナルト』が予想以上
最も印象に残ったのは内陸地域への周遊である。
1400km
に人気のようです。バスの中やチュニス空港ではユーロ
にも及ぶバスツアーのなか、各所で講義と見学が行わ
やその他ヨーロッパ各国のコインと日本のコインを大量
れた。移り変わっていく風景と各地の土地利用を通じた
に交換しました。
人々の工夫はとても興味深く、ただ学校で授業を聞いて
フィールドワークで訪れた塩湖や砂漠の景色も、改め
いるだけでは得られないものが得られた。百聞は一見に
て見ると信じられないような場所ばかりです。ここには
如かずである。同時に、1週間全体を通じて各国の選手
書ききれないほどの多くの貴重な体験をすることができ
と交流ができたことも素晴らしかった。
て本当にうれしいです。
全体を通じて行われた各種の試験の中では、
筆記試験が
(大河内康弘 山梨県:北杜市立甲陵高等学校3年)
とくに難しかった。
僕は自分が参加賞止まりだと確信して
いたので、
金メダルをもらえたことはとても驚きだったし、
◆書きたいこと、伝えたいことは山ほどあります。本当に、
同時に喜びも大きかった。
今回の派遣をさまざまな形で応
一生忘れることのできない素晴らしい経験になりました。
援していただいた先生方、どうもありがとうございました。
選手4人がそれぞれ体験記を書くということで、自分は
(後藤圭佑 東京都: 筑波大学附属駒場高等学校3年)
何を書くべきか考えたところ、2度目のオリンピックと
いう視点で書くことにします。選手の中で私だけが去年
◆興奮をおさえつつチュニス空港に着いたのは8月7日
台湾で行われた地理オリンピックを体験しています。
の未明であった。当初は日本よりはるかに厳しい予選を
去年は、大会のプログラムや試験や文化交流など何も
勝ち抜いてきたであろう他国選手の姿に圧倒されたが、
わからず右往左往していましたが、2回目となると慣れ
開会式で「大会の目的は各国のbest geographer同士が
てきて、もっと楽しむことができ、また、他の日本の選
交流することにある」という言葉を聞き、肩の荷が下り
手を引っ張れたと個人的には思っています。
た気がした。大会では、3時間半にわたって空調の効か
再度痛感したことは私の英語力の低さでした。地理の
ない部屋で試験を受けるなどの困難にも直面したが、後
能力(=地理オリンピックで求められている能力)は日本
半の小旅行では砂漠や塩湖など日本では見ることのでき
人でも十分にもっていると思いますが、まずは英語を上
ないアフリカの大地の姿を垣間見ることもでき、地理の
手に扱えるようにならないと。
醍醐味を味わえた。そして何よりも勉強になったのは、
よかったことは、今回の日本選手4人はとても仲がよ
他国選手との交流を通して「外国での日本に対するイ
かったことです。試験は確かに個人の争いですが、やはり
メージ」を理解できたことだ。他国を知ることは自国を
チームワークは欠かせないものだと思います。
知ることにつながると強く実感した。このような機会を
今回のオリンピックで、去年の参加者2人と再会しま
与えてくださった関係者の皆様に心から感謝するととも
した。とても嬉しかったです。連続出場は運も必要だとは
に、来年度以降もこの有意義な大会が開催され、かけが
思いますが、未来の日本代表にもこういった経験をして
えのない国際交流が続いていくことを願っている。
もらいたいと思います。
(高坂博史 京都市:洛星高等学校3年)
(松田啓誠 東京都:筑波大学附属駒場高等学校3年)
◆地理オリンピックについての詳細は、国際地理オリンピック実行委員会のHPをごらんください。随時、新しい情報をお届け
しています。
− 13 −
イタイプダム(解説p.15)
表紙写真解説
イタイプダムとブラジルの電力事情
(写真:ブラジル 帝国書院 2005年8月撮影)
イタイプダムは、南米大陸の中央部パラグアイ
同国に割り当てられた一部で国全体の需要を満た
とブラジルの国境を流れるパラナ川にあり、ここ
すことができ、余剰の電力はブラジルに「輸出」
から下流14kmにはイグアス滝で有名なイグアス
しており、パラグアイの国家財政にとり、かなり
川との合流地点がある。コンクリートダム、ロッ
大きな比重を占めている。ダムの建設は1975年に
クフィルダム、アースダムなど様式の異なる複数
建設が始まり1984年に稼働し、2000年の統計では
のダムで構成されており、長く延びた堤頂の合計
ブラジル全体電力の実に24%をカバーしている。
は7.7kmを超える。現在稼働しているダムの中で
多くの発電ダムが落差の多い山岳地帯に建設さ
は世界一の発電量を誇る発電用のダムである。発
れるのに対して、このイタイプダムは広大な台地
電機は20機あり、すべて稼働すれば14000MW(メ
にある。数百年前の地殻変動でこの付近に大きな
ガワット)/時の出力となる。
段差が生じ、支流のイグアス川では巨大な滝が出
近年、BRICsの一角として急速な経済成長を遂
現し、本流には大型ダムを建設した。ダムの高さ
げているブラジルでは電力消費が増え需要に対し
が196mと低落差ではあるが、豊富な水量を利用
て供給が逼迫してきている。ブラジルは石油・天
して巨大な発電をすることが可能となっている。
然ガス等の燃料資源に乏しく、火力発電の割合は
イグアス滝との組み合わせで観光客も多く訪問す
全体の14%と比重は小さい。これに対して広大な
る。ダムを見学する際にはパラグアイ、ブラジル
国土に大河アマゾンなど多くの河川があり、未開
両国の管理事務所から入ることになるが、国境に
発潜在水力源を有しており、水力発電は80%以上
位置するためパスポートが必要となる。実際にダ
となっている。そのなかでパラナ川は、遠くサン
ムを見ると、写真で見て想像するより一つ一つの
パウロ付近から流れ出て、河口に位置するアルゼ
構造物のスケールが遥かに大きく、圧倒される。
ンチンの首都・ブエノスアイレスに至る南米第二
の大河である(河口付近ではラプラタ川と名前を
かえる)。ブラジル側の必要性から流域の中で適
地であるこの場所に巨大ダムを建設した。アマゾ
ン水系と比較してサンパウロなど南部の消費地に
近い利点もある。ダムはパラグアイ、ブラジルの
国境に位置しており、両国の共同管理下にある。
ここで発電した電力は両国で均等に分けられるこ
とになっているが、人口の少ないパラグアイでは
ロックフィルダム…土や岩石を材料として盛り立ててつく
られるダム。底面積は広く、重さが分
散させて地盤に伝わるため、底面積の
狭いコンクリートダムよりも地盤が悪
い所でもつくることができる。
アースダム…………最も古くからある形式で粘土や土を材
料として盛り立ててつくられるダム。
あまり高いダムには向かないが、軟弱
な地盤にもつくることができる。
(在パラグアイ日本商工会議所会頭 田中裕一)
− 15 −
食 文化にみる世界
[右写真紹介]
料理の紹介
笊アルボンディガス
(肉だんごのトマトソー
─メキシコの食卓から─
今回は、横浜のメキシコ料理店で腕をふる
っているマリアさんに、メキシコの家庭料理
をご紹介していただきました。料理の腕をか
われて、大使館などでも料理を披露すること
があるそうです。
ス煮込み):好みでサルサソースをかけて
もよい。
笳
笊
笨
笙
笆
笘
笞
筐
笆ポヨ・コン・モレ(鶏肉のカカオソース煮)
:
笵
笶
鶏肉をチョコレートソースで煮込むカカオ
栽培が盛んなメキシコでは一般的な料理。
笳サルサ・ベッレ・コン・ノパレス(サボテ
ンと肉の煮込み):果肉の状態にして販売
されているサボテンを豚肉、緑トマト、た
まねぎなどと煮込む。
笘ソパ・デ・フィデオ(極細パスタのスープ):豚つみれ、スープはバラ肉のゆで汁。
笙ソパ・デ・アロス(メキシコ流ピラフ)
笞トルティーヤ:日本でもおなじみのトルティーヤ。メキシコでは日本のごはんの
ように、何もはさまず、くるくると巻いてパクッと食べるのが一般的。
笵ピクルス:ハラペーニョ(青とうがらし)入りなのがメキシコらしい。具材はに
んじん、カリフラワー、ベビーコーン、きのこなどバラエティ豊か。
笨ワカモーレ:日本語でいうアボカドディップ。これにもハラペーニョは欠かせない。
笶サルサ・メヒカーナ:メキシコ料理を語るときはずせない一品。ライムをぎゅっ
としぼってほどよい酸味をプラス。
筐フリフォーレス・ネグロス(黒豆の煮込み):豆のもどし汁で香味野菜とともに煮
込み、オリーブオイルをプラスしてコクと風味を。味付けは塩、こしょうのみ。
南米原産)からつくられるタコスの皮に、牛や豚あるいは
メキシコ料理について
鶏肉(すべてヨーロッパからのもの)をのせ、トウガラシ
たばこと塩の博物館 榊 玲子
(中南米原産)の辛いソースをつける、メキシコを代表す
る食べ物である。このタコスは、外国からのさまざまな食
メキシコ(正式国名 メキシコ合衆国)は、北はアメリ
習慣・食材が入り込むようになってきた現在でも、メキシ
カ合衆国、南はグアテマラやベリーズに国境を接しており、
コ人が最も愛する料理のひとつである。トルティーヤはタ
東はメキシコ湾とカリブ海、西は太平洋にはさまれた、日
コスに使われるだけではなく、メキシコ人の食卓に欠かせ
本の約5.2倍という広大な国土面積を有する。北緯32度43
ない食べ物で、日本人にとってのご飯あるいはパンのよう
分から14度32分の間に位置することから基本的には亜熱帯
な存在である。トルティーヤとともにフリホールとよばれ
に属するが、北部の乾燥地帯に近い気候から、中央部の常
る納豆を甘くしたようなインゲンマメも必ず料理につけら
春に近い気候、海岸地帯の常夏のような気候、南部の熱帯
れるが、日本人がその味に慣れるには少々時間がかかる。
のような気候まで、さまざまな気候がみられる。
ほかにも日本人が馴染みにくいものとしては、アロス・コ
バラエティ豊かな気候に恵まれていることから自然も豊
ン・レチェという、白米にミルクをかけシナモンをまぶし
かで、その中で育った植物あるいは動物資源を利用して、
たデザートもある。
古くから独特の料理がつくられてきた。現在、われわれが
これらは、メキシコ人が日常的に食べているもので、ほ
普通に食している食材の中で、メキシコをはじめとする中
かにノパーレスとよばれるウチワサボテン(実もジュース
南米を起源とするものは非常に多い。16世紀前半から1821
にして飲まれたりする)の料理や、それぞれの土地に特有
年に独立するまでスペインの植民地として支配を受けたが、
の郷土料理などが数限りなくある。しかし、そうした多彩
この征服・支配はさまざまな負の遺産をメキシコにもたら
なメキシコ料理の基本的な食材は主食のトウモロコシであ
した。しかし、食に関してはそうとばかりとはいえない。
り、またメキシコ料理をメキシコ料理たらしめているのは、
征服当時のメキシコの食生活は、同時代のヨーロッパより
さまざまな種類のトウガラシからつくられる、多種多様の
もはるかに豊かであったともいわれているが、そこにヨー
チリソースであるといえる。今では、日本にいてもレスト
ロッパから新たな食材や料理法などがもたらされ、さらに
ランなどでメキシコ料理を味わうことはできる。しかし、
多種多様な料理が生み出されていくことになった。
同じ料理でも、現地で食べるものはとてもおいしく感じら
メキシコ料理でまず思い浮かべるのは、やはりタコスで
れる。やはり、メキシコ料理はメキシコで味わうのがいち
はないだろうか。トルティーヤとよばれるトウモロコシ(中
ばんということであろう。
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