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改めて量的緩和拡大を~マイナス金利深掘りは得策ではない
景気循環研究所 嶋中雄二の月例景気報告 No.75 2016 年 7 月 11 日 日銀は、改めて量的緩和拡大を ~マイナス金利深掘りは得策ではない~ ●「金融緩和=実質金利<自然利子率」に違和感 今回は、金融政策を巡り、少し理論的な考察をしてみたい。日銀の中曽宏副総裁は、本年2月12日の ジャパン・ソサエティNYにおける講演「金融政策と構造改革」の中で、長期停滞論との関連で、いわゆ る自然利子率を取り上げ、次のように語っている。「潜在成長率の低下は、均衡実質金利ないしは自然 利子率が低下することを意味します。均衡実質金利とは、経済が均衡状態にあるとき、――たとえば労 働市場は完全雇用となり、インフレ率は目標インフレ率に達するようなとき――、に実現するであろう 実質金利を意味し、概念上、政策金利にとっての道しるべともなるものです」。 一方、中曽副総裁は、同講演の中で、「金融緩和とは、自然利子率よりも低い実質金利を実現するこ とを意味します」と述べておられる。しかし、この「金融緩和=実質金利<自然利子率」なる考え方に は疑問なしとしない。なぜなら、経済学説史・思想史的に見て、実質金利と自然利子率とを比較すると いうのは、私には奇妙に映るからだ。もともと自然利子率の概念を考案したスウェーデンの経済学者K. ヴィクセル自身が、この自然利子率を貨幣利子率、つまり銀行が関与する貸出市場で決まる貸出金利で ある、名目金利と比較しているのである。インフレ率を介した実質金利と名目金利の区別はヴィクセル にはなく、後の時代のI.フィッシャーが見出したものであり、さらに実際のインフレ率を期待インフレ 率に置き換えたのはずっと後の時代のM.フリードマンなのだから仕方ない。 ヴィクセルは、2つの著作『利子と物価』(1898年)と『国民経済学講義』(1901年)の中で、いわ ゆる「累積的過程」の理論を展開している。その理論は、物価の変動を扱ったものであったが、基本と なるのは、貨幣利子率と自然利子率、つまり投資をちょうど貯蓄と等しくさせるような利子率、または 実物資本の限界生産性によって決まる投資の収益率との乖離に、物価の変動の原因を求める考え方であ る。自然利子率は、ヴィクセル自身によっても、実物利子率とか正常利子率とか、何回か言い換えられ ているが、もしも銀行がこの自然利子率よりも低い水準に貨幣利子率を引き下げれば、投資需要は貯蓄 を上回るので、その資金は、銀行信用の創出によって賄われる結果、インフレーションが起こるとヴィ クセルは考えた(表1)。反対に、貨幣利子率が自然利子率を上回る水準まで引き上げられる場合には、 巻末に重要なお知らせを記載、ご参照ください。 1 投資需要は減少し、貯蓄は余り、銀行信用は返済され収縮し、デフレーションが進行するというわけで ある(ハーバラー『景気変動論(上)』松本達治他訳、東洋経済新報社、1966年、31ページ)。 表1.ヴィクセル理論と日銀理論の相違 ○K.ヴィクセルの「累積的過程」 (1898年) インフレ=貨幣利子率<自然利子率 = 名目金利 ○日銀理論 金融緩和=実質金利<自然利子率 (≒インフレ) (注 1)実質金利=名目金利-インフレ率(I.フィッシャー、1911 年) (注 2)インフレ率=期待インフレ率、とすれば、 実質金利=名目金利-期待インフレ率(M.フリードマン、1970 年) (資料)三菱UFJ モルガン・スタンレー証券景気循環研究所作成 ●「貨幣利子率<自然利子率」なのに、長短逆イールドが妨害 W.C.ミッチェルとA.F.バーンズは、そもそも「我々は景気の正常状態、均衡ポジション、あるいは自 然利子率を観測することはできない」と述べている。それくらい、自然利子率の計測は、J.A.シュンペ ーターの、いわゆる「正常水準」または「均衡近傍点」を測るのと同程度に困難なものであろう。一国 経済の実質潜在成長率を決定する人口や技術進歩、資本ストックの伸びあるいは企業の期待成長率によ って自然利子率の水準が変化するにしても、マクロ的に推定したその水準がミッチェルらの批判をクリ アできるとは思われない。 これに対して、貨幣利子率の方は、主として銀行貸出金利を指す概念である。中曽副総裁が紹介して いる日銀の考え方は、これをさらに何らかの物価でデフレート、あるいはインフレ率を差し引いて、実 質化した形で利用しようとするものだ。だが、自然利子率こそが本来の実質金利なのに、これをわざわ ざ貨幣利子率を実質化した金利と比較することに、何の意味があるのだろうか。それは、単に名目は名 目、実質は実質というカテゴリー区分にしようとしたか、それとも自然利子率がマイナスであった場合 に、ゼロ制約のある名目金利はマイナスにできないので、期待インフレ率を上げてマイナスの実質金利 にして対抗する以外にない、と当初は考えたのかも知れないが、現在は名目金利にゼロ制約がなくなっ ているので、その必要性はない。一方、企業の設備投資行動との関係から見れば、設備投資を増加また は減少させるインセンティブに対して全く中立的な銀行貸出金利水準は、貸出金利(企業の側から見れ ば借入金利)が、金利支払前の企業の実質収益率に丁度等しい水準だと考えられる。実質潜在成長率や 企業の期待実質成長率をわざわざ出してくるには及ばない。 そこで今、総需要デフレーター、民間固定資産形成デフレーターで実質化した、実質総資産利払い前 利益率(少し短期的な変動はあるが、自然利子率に近い概念)と国内銀行の貸出約定平均金利とを比較 すると、明らかに後者が前者を下回っている(図1)。つまり、「貨幣利子率<自然利子率」となって いる。このように利子率ギャップ(自然利子率-貨幣利子率>0)があれば、ヴィクセルの累積的過程 の理論からいえば、投資需要が貯蓄を上回るので、銀行信用の創出によって資金がファイナンスされる 結果、インフレーションが発生するはずだ。 巻末に重要なお知らせを記載、ご参照ください。 2 しかし、日銀のマイナス金利政策実施により、ここが今、うまく行かなくなっているのだ。せっかく 「貨幣利子率<自然利子率」が実現している中で、ヴィクセルの累積的過程に日本経済が入るのを邪魔 しているものは、明らかに金融機関の逆ザヤである。2月からの日銀のマイナス金利政策の下で、短期 金利である無担保コール翌日物金利の低下幅よりもはるかに大きな長期金利(10年国債利回り)の低下 が起こったため、バブル末期の大金融引締め期以来、四半世紀ぶりの長短逆イールドが発生している(図 2)。 図1.利子率ギャップと設備投資の伸び (%) (%) 12 20 10 18 貸出約定平均金利(左目盛) 16 8 14 6 12 4 10 2 総資産利払い前利益率(左目盛) 実質ベース 2005年基準 0 8 6 -2 4 -4 2 -6 0 -8 -2 利子率ギャップ(右目盛) -10 -4 -12 40 -6 30 実質設備投資前年比(左目盛) 20 10 0 -10 -20 -30 68 72 76 80 84 88 92 96 00 04 08 12 16 (注)総資産利払い前利益率は、総需要デフレーター、民間固定資本形成デフレーターをもとに実質化。 (資料)財務省、内閣府、日本銀行資料などをもとに三菱 UFJ モルガン・スタンレー証券景気循環研究所作成 巻末に重要なお知らせを記載、ご参照ください。 3 図2.10 年国債利回り、コールレート、長短金利差の推移 (%ポイント) (%) (%ポイント) コールレート無担保 翌日物(右目盛) 12 (%) 1.0 2.0 10 10年国債利回り (右目盛) 1.8 8 0.8 1.6 10 10年国債利回り (右目盛) 8 0.6 1.4 6 1.2 4 1.0 0.4 コールレート無担保 翌日物(右目盛) 0.2 0.0 6 0.8 2 2016年2月は1992年 3月以来のマイナスに 0.6 4 0 -0.4 0.4 2 -2 0 -4 -0.2 10年国債利回り―コールレート(左目盛) -2 88 90 92 94 96 98 00 02 04 06 08 10 12 14 16 -0.8 10年国債利回り ―コールレート (左目盛) -1.0 -1.2 -0.4 -6 86 -0.6 0.2 0.0 13 (年、月) -0.2 14 15 16 (年、月) (注)月中平均、10 年債利回りの 1997 年以前は月末値。直近は、16 年 7 月(1-8 日)。 (資料)日本銀行、日本証券業協会、日本相互証券資料などをもとに三菱 UFJ モルガン・スタンレー証券景気循環研究所作成 長短逆イールドは金融機関経営を直撃し、間接金融のパイプを詰まらせてしまうのみならず、銀行株 価の下落を通じて日経平均を下落させる。したがって、既に「貨幣利子率<自然利子率」が成立してい る中で、これ以上、マイナス金利の深掘りをすることは得策ではない。それよりも、2013年4月の「異 次元金融緩和」と14年10月の「黒田バズーカⅡ」で海外投資家らを相手にその威力をまざまざと見せつ けて、円安・株高を実現するのに貢献したマネタリーベースの拡大の方に、日銀は今一度向き直るべき だ。規模は、地方債やETFなどを増額して質的緩和を伴なった20兆円がよい(図3、表2)。参院選直後 の11日、安倍首相が語った「21世紀型のインフラ整備」のための財政出動を踏まえ、量の拡大措置を断 行できるか否かが、次の追加金融緩和の成否の鍵を握っているのである。 ① (円) 図 3.マネタリーベースと日経平均 225 種、東証 REIT 指数の推移 (兆円) 455兆円(16年末) 450 今後予想されるマネタリーベースの経路 420 マネタリーベース(平残、左目盛) 390 360 マイナス金利付き量的・質的金融緩和(16/1/29) 東証REIT指数(右目盛②) 330 300 355兆円(15年末) 追加緩和(14/10/31) 日経平均株価225種(右目盛①) 270 量的・質的金融緩和(13/4/4) 240 180 (07/7/9) 18,261.98 150 275兆円(14年末) 「期限を定めない 資産買い入れ方式」 の導入(13/1/22) 210 (15/6/24) 20,868.03 (13/12/30) 16,291.31 120 90 (15/9/29) 16,930.84 60 (03/4/28) 7,608.68 30 (09/3/10) 7,054.98 0 00 01 02 03 04 量的緩和開始 (01/3/19) 05 06 07 量的緩和解除 (06/3/9) 08 09 10 (11/11/25) 8,160.01 11 12 資産買入等の基金 創設(10/10/28) (12/6/4) 8,295.63 13 14 15 54,000 51,000 48,000 45,000 42,000 39,000 36,000 33,000 30,000 27,000 24,000 21,000 18,000 15,000 12,000 9,000 6,000 3,000 ② (03/3末 =1000) 5,500 4,250 3,000 1,750 500 16 (年、月) (注 1)日経平均、REIT 指数は月中平均、直近は 2016 年 7 月 1~11 日平均値。高値・安値は日次終値ベース。 (注 2)マネタリーベースは平残、未季調値。15 年末の数値は予測。16 年 7 月に 20 兆円超の追加緩和を想定。 (資料)日本銀行、日本経済新聞などより三菱UFJモルガン・スタンレー証券景気循環研究所作成 巻末に重要なお知らせを記載、ご参照ください。 4 表2.日銀の買入対象となりうる資産 残高 日銀保有分 (兆円) (兆円) (%) 長期国債 955.0 323.6 33.9 社 債 72.1 3.2 4.4 地方債 76.0 - 社債並みで 3.5兆円 3.3兆円 公募地方債 58.9 - 政府関係機関債 78.4 -社債並みで - 財投機関債 34.6 - 3.6兆円 3.4兆円 【 参考】 追 加緩和 20兆 10兆 円 の ケース ↓ 10.0兆円 1.5兆円 4.0兆円 2.0兆円 1.0兆円 - ETF 16.0 8.5 53.0 J-REIT 3.8 0.3 8.5 1.5兆円 3.0兆円 1200億円 600億円 (注 1)残高は 16 年 3 月末時点(ETF と J-REIT は 16 年 5 月末時点)、日銀保有分は 16 年 6 月 30 日時点。 (注 2)地方債と政府関係機関債は、時価ベース。但し、内訳の公募地方債と財投機関債は簿価ベース。政府関係機関債には 政府保証債や地方公共団体金融機構債などを含む。 (資料)日本銀行「資金循環勘定」、「営業毎旬報告」、日本証券業協会「公社債発行額・償還額等」、 投資信託協会「契約型公募投資信託の資産増減状況」をもとに三菱 UFJ モルガン・スタンレー証券景気循環研究所作成 (以上) 三菱UFJモルガン・スタンレー証券 景気循環研究所 東京都千代田区大手町 1-9-2 大手町フィナンシャルシティグランキューブ 参与 景気循環研究所長 嶋中 雄二 03-6627-5130 [email protected] 巻末に重要なお知らせを記載、ご参照ください。 5 本資料は信頼できると思われる各種データに基づいて作成されていますが、当社はその正確性、完全性を保証するものではありません。本 資料で直接あるいは間接に採り上げられている有価証券は、価格の変動や、発行者の経営・財務状況の変化およびそれらに関する外部評価 の変化、金利・為替の変動などにより投資元本を割り込むリスクがあります。ここに示したすべての内容は、当社の現時点での判断を示している 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