Comments
Description
Transcript
四国遍路における動機と充実感
大阪経大論集・第65巻第2号・2014年7月 資 303 料〕 四国遍路における動機と充実感 黒 1) は じ め 木 賢 一 に 今年は四国霊場開創1200年にあたり, 様々な記念事業が行われている。 四国八十八カ所 霊場会を中心に5月には, 総本山善通寺では, 木像御本尊のお大師さまをお迎えして法要 を行い, 各寺院においては, 記念スタンプと記念御影をご用意し, 記念行事やイベントが 行われている。 また, 四国にある4県の NHK 放送局は 「四国遍路1200」 というキャンペー ンをおこなっており, 年間をとおして様々な番組を放送を予定している。 四国遍路を心理 臨床学的に研究していることはユニークだと, 今年の1月には朝日新聞, 4月には NHK 松山放送局からの取材が入った。 両者は, 筆者が研究している 「歩き遍路と心理療法のこ ころのプロセスが類似している」 という点に興味を持ったようである。 今年は四国霊場開 創1200年にあたり, 四国遍路がマスコミで取り上げられることは意味深いことだ。 本稿では, まず筆者の歩き遍路の動機について述べる。 次に2003年に出版された愛媛県 生涯学習センターの の視点から― 遍路のこころ と長田攻一らの編著 現代の四国遍路―道の社会学 の調査データーを参考に, バス遍路者, 車遍路者, 歩き遍路者の動機につ いて整理する。 最後に, 愛媛県生涯学習センターの 遍路のこころ の調査から遍路にお ける充実感に関して取り上げる。 2) 筆者の歩き遍路の動機 四国を初めて車で旅したのは16年前である。 当時筆者は臨床心理士として兵庫県で開業 しており, 日々の心理臨床の疲れを, 四万十川の自然や道後温泉の湯で癒すために旅にで た。 四国の大地を車を運転しながら, 歩き遍路の人たちを多く目にした。 その光景が, 何 故か筆者のこころを静かに動かしたのである。 歩いているお遍路さんの姿を見て, 1200キ ロの道のりを歩くことは 「ボクには出来ない」 と思った。 四国の旅から戻り, しばらくし てから, 書店でフォトジャーナリスト藤田庄市氏の 四国八十八カ所 (学研) の本を手 にした。 藤田氏は大学で宗教学を専攻したプロの写真家で, 筆者はその映像美と遍路の成 立と歴史についての内容に興味を抱いた。 この本が筆者の遍路者となるキッカケを与えた 一冊である。 それに加え, 当時私にスピリチュアルな影響を与えるクライエントに出会っていた。 こ のクライエントは1年間の心理療法 (サイコセラピー) でマンダラ描画を308枚描いて終 304 大阪経大論集 第65巻第2号 了したケースだ。 マンダラ描画法とは, 大きな円が描かれたA3 或いはB4 の用紙に, 色 鉛筆, クレヨン, クーピーなどで, 円の中に自由に描いてもらう芸術療法の一種である。 筆者はこのクライエントが描いたマンダラ描画に感銘を受け, アートセラピーの治療論と してマンダラ描画法について研究している。 このクライエントが描いた幾何学的なマンダ ラがユングが言う 「マンダラ」 へ, そして弘法大師空海の 「曼荼羅」 の世界につながった のである。 四国での歩き遍路たち, 藤田氏の著書, クライエントの幾何学的なマンダラ描 画が一つのイメージとしてつながり, 四国を歩いてみようという衝動に駆られた。 早速お遍路に出かける準備を始めた。 四国の 「へんろみち保存協会」 に連絡をして 海の史跡を尋ねて 四国遍路ひとりあるき同行二人 空 の解説書と地図編を購入した。 解説 書には, 「へんろへの取り組みガイドとして」 ①遍路実行の時機, ②遍路所要日数, ③遍 路の仕方, ④費用・予算, ⑤巡拝プランの立て方, ⑥遍路用品と取扱上の留意点, ⑦装備 品と携行品, ⑧携行荷物の重量, ⑨事前の準備, ⑩現金の携帯, ⑪宿泊先の予約, ⑫霊場 での作法, ⑬遍路の心得と・戒め, ⑭遍路道の歩き方, ⑮野宿について, ⑯托鉢について, ⑰滝行について, ⑱修行を終わってという内容でかかれており, 必要な情報がもりこまれ たガイドブックになっている。 一通り目を通して, 必要な靴, ザック, 雨具などを揃え, 計画を立て, 区切り打ちでそ の年の11月に4日間の予定で四国に渡った。 第一番札所霊山寺で金剛杖, 白衣, 菅笠, 輪 袈裟, 数珠など巡拝に必要なものを購入して, 白装束に着替え出発した。 歩いている内に, 靴が合わず, 両足の裏に大きな水泡ができ, 一日目から困難なことにぶっかった。 とりあ えず, 手当をして, 衣服店で運動靴を購入して, 履いていた靴は自宅に送り返した。 運動 靴のゴム底が薄く, 足の裏の痛みが響く。 不思議なことに歩いている時の痛みが少なく, 立ち止まると激痛に変わるという, 身体のもつ不思議さを初めて学んだ。 二日目は途中で 出会った, お遍路仲間たち (全員初めてのお遍路) と, 早朝から遍路ころがしと呼ばれる 第11番札所藤井寺から第12番札所の焼山寺に向けて, かなり厳しい山越えを行った。 お互 い歩くペースは異なるが, 仲間がいることは心強かった。 四日目は第16番札所の観音寺で 打ち止めて関西に戻った。 2度目は翌月の12月に第16番札所の観音寺から始めた。 二日目の立江寺をおえ, 「ちと せ屋旅館」 に宿を取った。 体がだるいので熱を測ると37の微熱があった。 徳島第2の遍路 ころがしと呼ばれる第20番札所鶴林寺, 第21番札所の太龍寺を通過して, 4時頃に民宿に つき, 熱をはかると37度は変わらなかった。 翌日も熱がさがらず, 何とか歩けそうだった ので第23番札所の薬王寺をおえ, 日和佐のユースホステルに宿をとった。 この日で徳島県 すべての札所を巡拝したことになる。 翌朝, 打ち止めて帰宅するのかを迷った。 微熱だったので, なんとか収まるだろうと思 い歩き始めた。 徳島県を終え, 高知県に入り42 km 地点の野根の 「まるたや旅館」 に到着 すると熱は37度を超えていた。 熱が下がらなければ予定を中止しょうと眠った。 朝起きる と熱は38度まで上がっており, 神戸に帰ることにした。 抗生物質などの薬を持参していた のでそれを飲み, 旅館のおかみにその話しすると, 心配してご主人が甲浦駅まで車で送っ 四国遍路における動機と充実感 305 てくれた。 車中, ご主人が関西にある大学を卒業したことやお遍路宿を営みのことなどを 話してくれた。 熱はあったが, ぼーっとしながらご主人の親切に対して 「ありがたい」 と 感じた。 筆者の歩き遍路はこのような足裏の水疱や高熱がでるといった二つの身体にまつわるこ とが起こった。 遍路という巡礼を甘く考えていた自分に対して反省した。 仕事が忙しく不 摂生をし, 普段運動もしないで, お遍路に入ること自体, 弘法大師空海は戒めたのだと。 歩き遍路は, 筆者の意識性とコミットメントを問いかけるものであった。 その後, 遍路の 旅を中断せざるを得なくなり, 9年の月日が流れた。 2007年の春, 再度車で道後温泉に休養に出かけた。 帰路, カーナビゲションに頼りすぎ たせいで, 石鎚山の細い危険な山道を走ることになった。 山道を運転するには慣れてはい るが, かなりの集中力が必要であった。 しかし, その道は高い山の際に作られた天空につ ながる一筋の光のようで, 筆者を再び遍路に誘っていように思えた。 時が来たのである。 その年の10月に歩き遍路を再開した。 1998年には徳島県最後の第23番札所 「薬王寺」 を打 ち終えており, 高知県から始めることが出来た。 しかし, 9年の時が過ぎれば, 自分の身 の回りの状況, 自らの人生の課題, 研究者としての研究テーマのなども変化するのは当然 のことであり, 新たな気持ちで, 1番札所の 「霊山寺」 から始めることにした。 徳島の一国参りを終えた経験があったがゆえに, 歩き遍路については何となく勝手が分 かっていた。 前回第11番札所藤井寺から第12番札所の焼山寺の山道の厳しさを覚えており, 出発前の2週間毎朝1時間歩き, それに加えて神戸市灘区に位置する摩耶山に2回登るト レーニングを行った。 今回は以前と異なる意識で 「歩き遍路」 を始めた。 そして, 1年間 で17回四国に渡り2008年11月10日に 「結願」 した。 現在, 筆者は二巡目の歩き遍路を行っており, 愛媛県の第53番札所円明寺を打ち終えて いる。 3) 現代における四国遍路者の巡拝動機 四国遍路の巡拝動機に関しては以前からいくつかの調査が行われている。 本稿では, 愛 媛県生涯学習センター (2003) が遍路文化の学術整理報告書としてまとめた ろ と長田ら (2003) の早稲田大学道空間研究会のメンバーが出版した ―道の社会学の視点から― 遍路のここ 現代の四国遍路 の2冊調査データーを基本にしてまとめる。 まず, 愛媛県生涯学習センターが平成12年および平成14年度の調査より作成した年代別・ 男女別人数の割合が図1である。 この図から歩き遍路は男女とも50から60代を中心に20代 が続き, 車遍路は男女とも50代を中心に60代, バス遍路は男女とも70代を中心に60代が多 く80代が続くという結果になっている (2003, 愛媛県生涯学習センター)。 次に, 2003年に出版された2冊のデーターを通して遍路者の巡拝動機について整理する。 愛媛県生涯学習センター (2003) によれば, 平成12年に自家用車遍路295名 (以下, 車遍 路で記載), 歩き遍路92名, 平成14年バス遍路107名に対して, 複数回答で調査を行った結 果が報告されている。 車遍路, パス遍路, 歩き遍路の3パターンに関して, それぞれ図表 306 大阪経大論集 第65巻第2号 図1 年代別・男女別人数の割合 (単位:人) 男 歩 き 10代 20代 1 13 7 女 30代 40代 50代 60代 70代 80代 計 男女比 6 6 19 19 3 67 73% 2 1 9 5 1 25 27 7 28 24 4 92 計 1 20 8 各年代の割合 1% 22 9 8 30 26 4 男 1 9 8 23 77 57 12 187 63 7 11 11 19 34 23 3 108 37 8 20 19 42 111 80 15 295 7 6 14 38 27 5 自 家 女 用 計 車 各年代の割合 男 巡 拝 女 バ 計 ス 各年代の割合 3% 1 1 9 14 4 29 27 1 3 3 29 36 6 78 73 1 4 4 38 50 10 107 1% 4 4 36 47 9 遍路のこころ より を作成して, 分析を試みている。 項目については, 巡拝動機, 10代から70代の年代別と男 女別, それらの各人数比の合計を各図表にして, その分析が行われている。 巡拝動機に関 する項目では, ①自分探しの旅, ②信仰・修行, ③精神修養, ④祖先の供養, ⑤定年退職, ⑥自分の健康や家族の問題, ⑦身近な人の死や病, ⑧仕事上の問題, ⑨友人・恋愛問題, ⑩観光, ⑪その他があり, パス遍路に関しては, ⑫先達の誘い, ⑬仲間との語らい, ⑭無 答が追加されている。 これら3パターンから, 筆者が必要だと考えた項目を抽出し, 作成し直したものが図2 であり, 系列1がバス遍路, 系列2が車遍路, 系列3が歩き遍路である。 次に, 長田ら (2003) の巡拝動機についての調査では, 「今回の遍路の主な動機は何で しょうか」 という問いに対して, 14の選択肢を用意して, 3つを選択する方法がとられて いる。 選択肢の内容は, ①祖先・死者の供養, ②信仰・修行, ③家内安全, ④病気の治癒, ⑤合格祈願, ⑥商売繁盛, ⑦安産・子宝祈願, ⑧健康祈願, ⑨精神修養, ⑩ぽっくり死祈 願, ⑪もめごとの解決, ⑫観光, ⑬沿道の人や見知らぬ人との交流, ⑭その他の項目で調 査を行っている。 図3は筆者が必要だと考えた項目を抽出し作成し直したグラフである。 系列2は車遍路, 系列3は歩き遍路を示しており, 系列1のバス遍路は含まれていない。 図2と図3は2003年という同年に出版されたデーターであるがゆえに, この2つのデー ターの隙間から浮かび上がってくる何かがあると筆者は考えている。 愛媛県生涯学習センター (2003) と長田ら (早稲田大学道空間研研究会) (2003) では 質問項目が異なっている。 この二つの調査項目に関して, 「信仰・修行」, 「精神修養」 の みが同じであり, 図2の 「祖先の供養」 と 「身近な人の死や病」 は図3の 「祖先・死者の 供養」 にあたると思われる。 また図2の 「自分の健康や家族の問題」 は図3の 「病気の治 四国遍路における動機と充実感 307 図2 8 7 6 5 4 3 2 系列1 系列2 系列3 定 年 退 職 し 探 分 自 祖 先 の 供 身 養 近 な 人 自 の 分 死 の や 健 病 康 や 家 族 の 問 題 信 仰 ・ 修 行 精 神 修 養 1 0 図3 6 5 4 系列1 3 系列2 2 系列3 1 ぬ ら 知 見 や 人 沿 道 の 先 祖 人 養 神 精 修 信 仰 ・ 内 家 修 行 全 安 癒 治 病 気 の 祈 康 健 ・ 死 者 の 供 養 願 0 癒」, 「健康祈願」, 「家内安全」 に近い内容であるが, 家族の問題としての位置づけが難し い。 大きな項目の違いがいでは, 図2では, バス遍路のデーターが新たに入り, 項目では 「自分探し」 と 「定年退職」 が入っている。 (図3は長田らの折れ線グラフから筆者が作り 直したものである。) 図2の先祖の供養と身近な人の死や病の項目と図3の祖先・死者の供養の項目を対比し てみる。 図2の 「先祖供養」 に関して, バス遍路70%, 車遍路29%, 歩き遍路27%図3の 祖先・死者の供養に関して, 車遍路約57%, 歩き遍路約39%である。 図2のバス遍路の70 %という数字の高さは70代中心に前後の年代の価値観や死生観と関係するのではないかと 思われる。 車遍路と歩き遍路になると40%程の大きな差があり, 図3では歩き遍路よりも 308 大阪経大論集 第65巻第2号 車遍路が高い。 車遍路の図2と図3の差は約20%ほどの差があり, 図2では各項目の差が ほとんどないことに関して, 調査の違いがあるのかもしれない。 図2の 「自分の健康や家族の問題」 項目と図3の 「健康祈願」, 「病気の治癒」, 「家内安 全」 の3つの項目が類似している内容だと捉えた。 図2と図3を見てみると歩き遍路より 車遍路, バス遍路が上回っている。 「信仰・修行」 に関しては, 図2では車遍路と歩き遍路では1%差で歩き遍路が上まり, 図3においては歩き遍路より車遍路が9%上回るという異なる結果になっている。 この結 果として, 車を用いたリピーターと呼ばれる繰り返し遍路に訪れ, 巡拝を継続する人達が いる。 「満願を何度も繰り返す人も少なくない。 このうした遍路者においては, 信仰や修 行といった信心が大きな動機となっているのであろう」 (長田ら, 2003)。 このことは, 歩 き遍路者と車遍路者の納め札の色の違いで分かる。 納め札の色は, 巡礼1回から4回は白 色, 5回からは緑色, 8回からは赤色, 25回からは銀色, 50回からは金色, 100回を越え ると錦色に分けられている。 例えば, 歩き遍路で通し打ち (約45日) を年1回行うと, 10 年で10回しか回れないことになる。 「精神修養」 に関しては, 車遍路より歩き遍路の方が, 図2では22%, 図3では約20% 優位になっており, 同じような結果がでている。 「宗教性の高い 「信仰・修行」 を回答し たのが歩き遍路の24.5%にとどまり宗教性を排した意味での精神修行などが回答率が高く なっていることに関して, 長田ら (2003) によれば, 「信仰・修行を選択するほどに信仰 心に篤いわけでもなく, 修行というほど大仰なものでもない, むしろそれよりは単に歩い て見たい, 自己を見つめてみたい, 自然に触れてみたいという欲求から徒歩遍路を行って いる」 のであろうと分析をしている。 図2の 「自分探し」 という項目に関して, 歩き遍路 (59%), 車遍路 (21%), バス遍路 (6%) であり, 圧倒的に歩き遍路に優位に出ている。 車遍路においては, 「自分さがし」 の項目は, 他の項目と同じぐらいの比率になっている。 自分とは 「誰なのか」, 自分の中に 「新たな自分」 があるのでは, いや何かチャレンジ をすることで 「自分を見つめてみたい」 という思いは, 「個」 が重視されている現代の私 たちには当然の結果ではないだろうか。 自らが歩くという行為によって, 「自分で自分を 試す」 ことの意味は大きい。 図2の 「定年退職」 という項目では, バス遍路 (1.1), 車遍路 (1.0%), 歩き遍路 (0.7%) に関して, 大きな差がない。 これは, 定年という人生の節目における, 「自分探 し」, 「精神修養」 といった動機づけが上回っているのであろう。 図3の沿道の人や見知らぬ人との交流に関しては, お接待を中心とした内容であること は明白であろう。 4) 遍路者の充実感から見えてくること 図4は愛媛県生涯学習センター (2003) が行った四国遍路の充実感に関するデーターで ある。 このグラフは筆者が必要だと考えた項目, 系列1バス遍路, 系列2車遍路, 系列3 四国遍路における動機と充実感 309 を抽出し作成し直したものである。 項目は①僧侶や先達の話を聞く, ②霊場でのお参りを 済ませたとき, ③遍路仲間と話すとき, ④霊場・山門に着いたとき, ⑤お接待や新設に触 れたとき, ⑥お大師様と共に歩いていると感じたとき, ⑦長い道中と顧みるとき, の7項 目である。 図4 8 7 6 系列1 5 系列2 4 系列3 3 2 1 師 大 お お 接 様 待 と や 共 親 に 切 に 触 れ た と た い 着 に 門 山 ・ 場 霊 と き 歩 い 感 て じ い 長 た る い と と 道 き 中 を 顧 み る と き き き と す 話 と 間 仲 路 遍 霊 場 で お 僧 参 侶 り や を 先 済 達 ま の せ 話 た を と 聞 き く 0 歩き遍路 (系列3) を図4の充実感から分析するといくつかの点が浮かび上がってくる。 まず, 「霊場や山門に着いたとき (45%)」 や 「長い道中を顧みるとき (38%)」 が高いの は歩くという行為の結果であろう。 次に 「遍路仲間と話しするとき (47%)」 と 「お接待 や親切に触れたとき (70%)」 という人との触れあいによる充実感を歩き遍路者は得てお り声がけやお接待による人に支えられていると感じている。 「霊場でお参りをすませたと き」 の項目では第三位で, 「お大師さんと共に歩いていると感じたとき (29%)」 は第二位 で, 宗教に関わる事は希薄な結果として出ている。 この項目に関しては, バス遍路者 (49%) の方が 「お大師さんに触れている」 という宗教的な感覚をもっている。 これは70 代を中心とする年齢層と関係があり, 宗教心を持つ戦前生まれの人たちである。 「お大師 さんと共に歩いていると感じる」 という項目ではバス遍路 (49%), 車遍路 (16%), 歩き 遍路 (29%) となっている。 「同行二人」 という感覚は歩き遍路者よりバス遍路者の方が 上回っているのはこれも年齢差からくる宗教心の違いからであろう。 歩き遍路者を年代別 で見てみると, 50代・60代に比べれば20代は, お大師さんと一緒に歩いていると感じるの が半数に過ぎず, 宗教性は希薄である。 310 大阪経大論集 5) お 第65巻第2号 わ り に 四国遍路の巡拝動機に関しては以前からいくつかの調査が行われていることはすでに述 べた。 愛媛県生涯学習センター (2003) が遍路文化の学術整理報告書としてまとめた 路のこころ 遍 で初めて 「自分探し」 の項目を入れることで, お遍路に関する巡拝動機の変 化が顕著に現れる結果になっている。 この自分探しとは 「自分とは何者か」 という時代を 超えて扱われる哲学的或いは心理学的なテーマである。 1980年代後半から宗教学者の上田 紀之氏が最初に用いた 「癒やし」 やユングの 「自己実現」 という概念が臨床心理学や民間 のセミナーやワークショップに用いられて, ひいては四国遍路の領域にも 「自分探し」 と して影響を与えたものと思われる。 2011年3月11日に起こった東日本大震災 (特に原発事 故) 以降, 「生き残る (サバイバル, survival)」 というテーマが浮上しているように思う。 「自分探し」 という内的要因から 「生き残る」 という外的要因に変わったのではなく, 自 分という内的要因を含みながら外的要因である 「サバイバル」 の意識性を獲得することが 要求されているのではないだろうか。 その意味では, 歩き遍路者の意識も今後変化してい くのであろう。 文献 愛媛県生涯学習センター (2003):遍路のこころ―平成14年度遍路文化の学術整理報告書― 長田攻一・坂田正顕・関 三雄 (編) (2003):現代の四国遍路―道の社会学の視点から―, 学 文社