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ニール・ ハーツ
ニール・バーツ ロンギノス読解 宮崎裕助・星野太訳 Neil Hertz AReadingofLonginus (1983) 一八世紀においてロンギノスを讃美することはひとつの慣習となっていた。その讃美の仕方というのは、ロンギ ノス自身がとくに好んでいた物の見方のうちのひとつを模倣するという仕方、すなわち普通ならばきわめて異なっ ているとされる二つの要素を熱狂的に同l視するという仕方によってであった。ポワロしそしてポープのように' ロンギノスは﹁みずからが描写した偉大な(崇高さ)をおのずから備えている﹂と述べること。あるいはギボンの ように﹁ホメロスによる神々の争い︹の描写︺と(--)それを論じたロンギノスの頓呼法と、どちらがより崇高 だろうか﹂.という疑問を表明してみせること。これらの言明や疑問は、ある慣例的な境界線をあえて踏み越えてい る-その境界線とは、作家たちとその主題へテクストと解釈とのあいだの境界線である。そしてその踏み越えは' ロンギノス自身がホメロスとその英雄たち'崇高な言葉遣いとその作者との区別を踏み越え(﹁崇高さとは高貴な精 神の材である﹂)、崇高な詩人とその聴衆との区別を踏み越えた(﹁われわれはあたかも、自分たちが聞いただけのも のをみずから創造したように感じるようになる﹂)のとまさに同じ仕方によってなされている(-)ロンギノスを 称讃する者たちは、その論考の力に打たれることによってへ大抵の場合すすんで彼を理論的な言説の甑から解き放 ち、彼に詩人の称号を与えるに至る。つまり彼らは'ロンギノスによる慣例的な境界の侵犯を問題に付すことな-、 それを評価しょうとするのだ。他方、ロンギノスの﹁のぼせ上がり︹transport︺﹂に飽き飽きした'より疑り深い 読者たちには'彼の奇妙な思考の運動に注意を払う余地が残されていた。たとえば、﹂・*ウィムザットがその ひとりである。ある理論上の区別から別の区別へと向かうロンギノスの﹁横滑り﹂、すなわち﹁ある種の二重性や 根拠の薄弱さを宿しているように見える﹂横滑りを非難するウィムザットは容赦ないが、確かに明敏ではある(*>) ウィムザットは正しい。この論考のなかには﹁横滑り﹂と呼びたくなるような何かが繰り返し看取されるのでありへ しかもそれはたんにある理論上の区別から別の区別へという横滑りにはとどまらない。この論考に兄いだされるの は'偉大なる知性と活力によって導かれた修辞家による議論である。しかしそこには'同時に次のような事態も発 見される。すなわち、われわれはそこでいとも簡単に道を見失い、いったいいかなる修辞学的トピックが特定の論 点で考察されているのかを忘れてしまう。そしても自分たちが一定の引用や断片的な分析、メタファーなどを前に しているという事態に気づくーすなわちそこでは'言葉の端々がなにか興味深い反響を引き起こしつつ'当の言 葉をそれとはまった-異なる関係性のシステムの方へと引き寄せようとしているのだ。以下において'私はこの運 動を追いかけながらへそれに留意しつつ、その運動の合意を問いかけることにしたい。そしてロンギノスが、自分 自身の言葉と'彼の称讃する作者たちの言葉を編み合わせている数多-の文章を詳し-検討することにしたい。と いうのもまさしくこの場所、すなわちテクストと引用、そして引用同士の戯れからこそ、この論考の特異な力のみ ならずへそのもっとも興味深い意義が生み出されているからである。 まずへ崇高な詩人をある意味では神に似た者として特徴づける一連の描写を考察してみよう。この描写は第九章へ すなわちロンギノスが崇高さのもっとも重要な源泉として取り上げる(精神の高貴さ)をめぐる議論に登場する。 彼が論じているところによれば、偉大な思考は人々を偉大な言葉遣いへと向かわせる。そしてそのような思考の なかでも、神々の力に宿る思考というものがある。ロンギノスはまず、﹃イ-リアス﹄からの引用を雑多な仕方で ミメーシス 散りばめへ次いでもっとも印象的な模倣の例へすなわちモーセによる、神の(光あれ︹fiatlux])という言葉の反 復を引用する。 同じように、普通の人間とは異なる-というのも、彼は神の力をその価値に即して理解し、表現していた [第九章九節] のだから-ユダヤの立法者︹モーセ︺は、﹃律法﹄の冒頭で次のように書いている。﹁神は言った﹂-何と? ﹁光あれ﹂と。するとへ光があった。そして﹁大地あれ﹂と言うと、大地があった。 どこかフローベールについて書くプルーストのように 彼は別のテク ここに註釈を付け足す必要がまった-なかったのは明らかである。実際へロンギノスはいかなる註釈もしていない。 その代わり、いくぶん控え目な様子で ストへと目を向ける。 我が友人よ、おそらくここで私が続けてホメロスの例を出そうとも、およそ場違いであるということはない だろう。この例は人間の次元に関わることだが'それによって、いかにして詩人が英雄たちの偉大さに名を連 ねることになるかを理解することができる。そこでは、暗闇が突然に訪れへ漆黒の夜間がギリシアの戦士たち の視界を塞ぐ。アイアースは当惑Lt﹁父なるゼウスよ﹂と叫びをあげる。 ﹁アカイアの息子たちを霧の中から救いだして-れ' 空を一掃し、われわれの目が見えるようにせよ' そして光の中で-殺して-れ。﹂[1] この後の箇所では'以上の数行がもつ真実味について註釈がなされている。それはアイアースの感情の表象として の真実味なのだが'それに続く一節ではしかし'これら二つの断片の併置に関するもっとも顕著な点、すなわちこ れらの両者がいずれも光を喚起しているという点についてはいかなる註釈もなされていない。一方は'︹天地︺創 造の行為と結びついた神の側における光を喚起し、もう一方は、身の破滅の危機に瀕した死すべきもの︹人間︺の 側における光を喚起している。しかしここでの要点-すなわちへ英雄たちがその危機的な状況において、神の発 話を模倣しうるという点-は、それにもかかわらずへ次の引用によってひそかに強化される。しかも今度は﹃オ デュッセイア﹄からの引用である。そこではネストールが次のように語っている。 好戦的なアイアースが横たわっている'そしてアキレウスも、 助言者として'神の力に匹敵するパトロクロスも、 そして我が最愛の息子も。[2] ロンギノスは、概してこのような仕方で論を進めてい-。つま-'あるひとつの引用が別の引用を示唆するよう な仕方で。しかしその理由は'必ずしもその両者が日下問題となっている修辞学的なトピックを例証しているから [第九章一〇節] ではない。もちろんそのような場合もあるのだが'両者のあいだの実質的な結びつきは、それよりも薄弱かつ微妙 なものである。すなわち﹁光﹂や﹁アイアース﹂というたったひとつの単語が、文章同士の表層的な結びつきを生 み、その結果として両者は示唆的な仕方で共鳴しあうことになるのである。この第九章においては、崇高な言葉遣 いに必要な一連の類比が生み出されている。それは神の創造的な言葉、というよりおそら-はモーセによるその発 話の冴のようなものにすぎまい。あるいはへ父なるゼウスに対する'英雄的なまでに危険をともなう祈りのような ものである。あるいはまたへ死んだ息子の名を口にするへ父親の哀調の呼びかけのようでもある。われわれは'こ れら神に似たもののさまざまな言葉のどこかに、詩人本人の言葉遣いを位置づける権利があるような気にさせられ る。しかしそれはいったいどこに位置づけられるのだろうか。アイアースに関する二つの引用のあいだに'ロンギ ノスはこれ以外にも別の引用を配置している。とはいえへ今回は自身の議論を例証するためではな-、ホメロスを 讃美するためである。アイアースの祈-をめぐる数行に合図を送りつつへ彼は次のように書いている。 [第九章二節] この箇所でへその才がもたらす強風によって戦いの興奮を掻き立てているものへそれはまさし-ホメロスそ の人である。そして詩人は、 槍を振-回すアレースのように怒-狂っている、あるいは呪われた炎のように、 山の中で'深い森のもっとも覆い茂ったところで燃えたぎっている。 そしてその口元は、怒-のあまり泡立っている[co] これはロンギノスに特徴的なことなのだが、ここではホメロスが神と同一視されつつへかつ同l祝されていないo 文字通りにとれば、﹃イ-リアス﹄の第1五章でヘクト-ルがギリシアの船に乗り込むさいへそこで言及されてい るのはアレースではなくへヘクト-ルの燃えたぎる感情である。われわれはそこで、興奮した目も臨むような感情 とともに置き去-にされることになるのだが、同時にわれわれの疑問はいまだ回答を得られないままである。もし もホメロスの言葉遣いが、神のごとき力、そして神のごとき暴力に与っているように感じられうるとしたら、それ は英雄調の直喰によって﹁いわば︹ある言い方における︺﹂ひとつの置き移しにおいてなされるのである。 これらの問題へおよびそれを生み出す要因となった関連するモティ17はロンギノスの論考に繰-返し登場する が'それらは同時に他の諸要素をも引き出して-る。実際それに即して読んでい-につれ'読者は次のような移動 の感覚を覚えるのである。すなわちそれは'反復と交叉しあう類比において次第に豊かになっていく言語的媒体の もたらす移動感覚であり'それに応じた不完全韻の主題論的な等価物のもたらす移動感覚である。その次の章は、 あからさまに新しいトピックへすなわち題材の選択と有機的構成とを取り上げるに至っているが'そこでの二つの 主要な描写は'それに先立つこと数ページ前︹第一〇章︺にむけて視線を送っている。すなわち﹃イ-リアス﹄の 第一五節におけるヘクト-ルの猛襲を描写した別の直喰表現へそしてサッポーの有名な項歌(﹁私には--に見える ︹phainetaimoi︺﹂)にむけてである。後者では'情念の激しい苦しみが'英雄的な慣用表現と研しあう言葉遣いに おいて提示される。しかし、ロンギノスがこの暗示性に気づいていたとしても、彼はそれについて〓昌も語らない。 その代わり、彼のサッポーに関する議論はさらにまた別の繋がりへと至る機会をもたらしている。それは'暴力、 危険性へ死のモティ17を'修辞家の理論へすなわち(優れた効果をもたらす詩は有機的な統l性をもつ)という 理論へと関連づける繋がりである。というのもここでサッポーは'もろもろの要素を﹁ひとつの身体として組織す﹂ ベく選びとり'構成する詩人の例として紹介されるからである(第一〇章〓即)。 この︹身体の︺比喰は﹃ハイドロス﹄にまで遡る。そこではソクラテスが理想的な話し方について語っているの だが、彼目くそれは﹁生き物のように'あたかも身体を伴っているかのように構成される﹂。ロンギノスがこの教 説を真剣に受け取っているのは確かである(264c)(ォ)-議論が先に進むにつれて'ロンギノスはこの点に幾度か 言及することになるだろう。たとえばデモステネスの散文におけるリズムを論じるさい、彼は次のように注意を促 している。﹁音節を取り去ってしまえば、その偉大な効果は削減されると同時に不具にされてしまう﹂(第三九章四 節)。あるいは次のようにも言われる。 さて'いまやわれわれの言葉に偉大さを添加する上でのとりわけ重要な原理にたどり着いた。身体の美は' 四肢が結合されるその仕方に依存している。つまり、それぞれが互いに切り離されていれば、そこに注目すべ きものはまったくないのだが、逆に一体となっていれば'それらは完堅な統一性を形づ-る。同様に'結びつ きを欠いた偉大な思考はおのずから駄目になり、崇高な効果全体を無に帰してしまう。しかし、それらが統一 性を形づくるべく協同し合い、調和の杵によって繋がれていれば'偉大な思考はその周期的な構造のおかげで 生気を取-戻しへ語り出すことになるだろう。[第四〇章〓即。この最後の一節-autotokuklophoneenta ginetarをグルーペは次のように訳しているO﹁それらは、全体が象る円形の構造のうちに自身の声を兄い だす。﹂] しかしこの第lO章では'ありきたりの類比が結果として奇妙かつ興味深い適切性を帯びている。というのも'サッ ポーが自身の詩の本体のもとへと結集させている諸要素は'まさしく彼女の肉体の断片の名称だからである。その 肉体の断片は'頒歌の言葉を用いて言えば﹁ただ短い死だけを﹂彼女にもたらした衝撃的でエロス的な経験の破片 と見なされている。ロンギノスはこの詩篇を引用した上で'次のように問いかける。 彼女がすべてを-すなわち精神と身体、耳と舌へ目と肌を-ひとつに結集させるその仕方を、称讃せず にはいられようか。彼女はそのすべてを失ったかに見える。そして、それらがあたかも彼女の外部にあるかの ようにへそのすべてを探し求めているかに見える。[第一〇章三節。グルーペの翻訳では﹁あたかもそれらが 彼女に疎遠な、ばらばらになった要素であるかのように﹂とされている。] 有機的な統一性をめぐる教説が'これほどの痛切な響きをともなって提示されることはきわめて稀なことであっ た。ロンギノスがこの詩を称讃する理由は明らかである。つまりそれが﹁生き物のように﹂なりへ﹁みずからの声 を兄いだす﹂とき、それが言語における自己離反の瞬間について語りだすからこそ、彼はこれを評価するのである。 この自己離反の瞬間は、解体=脱有機化︹disorganized︺された経験の質をとらえるのだ。ロンギノスを魅了した のはへこの瞬間そのものであるように思われる。すなわちへ情念のほとんど致死的な負荷が'詩を構成する活力に 変わる-それとほとんど見分けがつかな-なるIものとして考えられるような点こそが'ロンギノスを魅了し たのである。こうした見解に対してわれわれが抱-かもしれないいかなる疑念も、それに続-第一〇章のホメロス の文章の分析において取-去られる。そこで強調されるのは'題材の選択および配置(これもやはり議論されるト ピックだが)ではな-、むしろ題材の選択や配置がその形をなすうえで必要な暴力へそしてこの形成力が題材その ものに内在する力に対してもつ関係である。ロンギノスは'素っ気ないまでに簡潔な文章においてホメロスに話題 を移し、こう書いている。﹁これと似たような点が'ホメロスにおける嵐の描写においでも生み出されている。彼 はいつも、そのもっとも恐怖をそそる側面を抜き出すのだ﹂。ここで彼の念頭にあるのは、ヘクト-ルを海嵐にな ぞらえている次の文章である。 彼[ヘクト-ル]は'まるで動きの速い船が波に突入するように'[ギリシア人たちの中へ]飛び込んだ。 その波は、雲によって肥大化Lt風は捻りをあげていた。そして船は、 水泡の中に、恐るべき風の爆発の中に姿を消し、 帆に向かって吠えている。水夫たちは恐怖で震えおのの-。 彼らは死の底から逃れていないのだから--[第一〇章五節][>] おそらく'以下のサッポーの詩の最終スタンツァは 冷たい汗が私の背中を流れ、恐怖が全身を捉える。 顔は芝生よりも青ざめへすんでのところで死に接近しているかのようだ。 I上記のホメロスによる直喰表現の最終行を想起させて-れるだろう。いずれにせよ'ロンギノスが註釈をおlj なっているのはこの箇所に対してなのだ。 さらに、hupekすなわち﹁底から﹂という、通常であれば複合することのない前置詞の強引な結合にも着目 したい。ホメロスはここで言葉を拷問にかけへそれをこの瞬間の︹水夫たちの︺感情と一致させた。そしてそ のように言葉を押しっぶすことによってへこの感情を素晴らしい仕方で表現したのである。結果として'彼は この危険の特別な性格を、﹁彼らは死の底から逃れていない﹂という表現法に刻印したのである。 [第一〇章六節] このような圧縮された前置詞句の選り抜きは、ロンギノスの名声を正当なものとする批評的手腕のひとつである。 というのもこの句は'彼がサッポーの頒歌に引きつけられたのと同じ瞬間のミニチュアになっているからである。 すなわちそれは、ほとんど消滅しかけた状態、﹁死の底にある﹂状態から'死の底から逃れた状態への転換の瞬間 である。これこそが特徴的な仕方で、崇高な転回をなすのである(ワ-ズワースの﹁私の心は'瞬間、-ら-らし た/なにか波立つ水の力にでも突き当たったかのように﹂[5]と比較せよ)。そしてこれが、恐怖をそそる力から 詩的な活動そのものへ'という勢力の移行(あるいはそのような移行のシミュレーション)に結びつ-ものと正し く見なされている。そしていまや言葉に﹁暴力を振るい﹂へ﹁拷問にかけ﹂、﹁押しっぶす﹂人物とされるのは'ホメ ロスその人である。 この反転はロンギノスの論考にとってきわめて決定的なものであるため'それがどのようにして起こったのかと いう点についてはもう少し留まって検討するに債する。この反転の論理は、第一〇章が能動的要素と受動的要素を 組み合わせた移行的な一連の関係性によって構成されていると考えてみれば、より見えやす-なる。図式化すれば、 それは次のような姿をとることになるだろう。 ホメロスは 波は ヘクト-ルは サッポーは 情念は 自身の表現法に'危機の特別な性格を 言SB 前置詞に 水夫たちを震えおののかせ、死に近づけつつ、船に ギリシア人たちの中に それらの諸部分の名前を サッポーを死に接近させへおののかせることで' 彼女の身体の諸部分を 刻印する 拷問にかけ、押しっぶす 暴力を加える 激し-打ち寄せる 突入する ひとつにまとめ上げる 破壊し'ばらばらにする このように並べてみれば'類比関係は十分明白だろう。すべての行為が同じ水準の残忍さを帯びているわけではな いにせよ(サッポーの熟練した手腕がその力を隠している)へこれらの文における主語のすべてが互いに互いを取 り込んでいる。つまりそこで働きかけられる対象のすべてが'互いに等し-似せられている。その結果、サッポー の身体の諸要素は、それらを表象する詩のなかの︹諸部分としての︺名詞のように見えるばかりでな-、ホメロス14 の文における︹﹁拷問され﹂﹁押しっぶされた﹂︺言葉のように見えることにもなる。そして、水夫のそれにも似たサッ ポーの身震いは、彼女にのしかかる力を表現するしるしとなるのである。さらにこの点において'それはホメロス がみずからの言い回しに﹁刻印した﹂危機のしるし(﹁危険の特別な性格﹂)に等しいものとなる。とはいえもこの 転回そのものへ力の移行は、なにがしかの要素が一方の図式から他方の図式へと位置を移動できるかぎりにおいて のみ起こりうるのだという点に注意しよう。そのかぎりにおいてこそ'サッポーの項歌がいかなる仕方でロンギノ スの目的に適っているかが理解可能になる。というのも'その頃歌はたんなる情念や自己分断についての詩ではな く、(犠牲になった-身体Iとしての-サッポー)から、(詩的な-力IとしてのIサッポー)への推移を、驚-ほ ドラマタイズ どに圧縮された仕方で劇化する詩でもあるからだ。この詩はそのようなものとして、ある種の離接性と連続性の双 方にとってのひとつの比喰形象として奉仕する。すなわち'われわれは類比によって次のように感じさせられるこ とになる-ホメロスは同様の圧迫を経験するとともに、(﹁あたかも﹂)ヘクト-ルの暴力的な猛襲を乗り切り、い まやこれらの活力をたんに表象するにとどまらず、それを引き取るのだtと。ホメロスの数行をサッポーのそれと 併置することによって'ロンギノスは'詩人たちと神のごとき英雄たちの類似性に関する自身の分析を探化させた。 このような比較は'この論考ではある意味であ-までも望まれたもの、あるいはうわべだけのものにみえるかもし れない。しかしいまやそうした比較のための根拠は'英雄の呼びかけの偉大さではな-、暴力的な行動と自己喪失 のパトスの双方に対するその両義的な結びつきだと見なすことができる。詩人に関するワ-ズワースの逆説的な描 写へ﹁砕ける波のように脆弱﹂[6]という描写は'本章における力の主題と崩壊の主題を'ロンギノスなら正し 評価しえたであろうひとつの言い回しのうちに束ねる直喰なのである。 6 Ⅱ これまでのところへロンギノスの論考において何が作動しているのかをめぐる私の見解について'なにがしか意 味のあることを伝えることができたと望みたい。ここで私が追跡している運動は'明らかに直線的なものではない。 つまり'修辞学上の議論があるトピックから別のトピックへと進展してい-のと軌を一にしてはいない。そうでは なくその運動は'ある仕方において累積的である-累積的というのはすなわちへ読者はい-つかの点で'テクス トの織地-肌理が濃密になっていることに気づ-ということである。これらのページでは、自身が扱っている主題 のある側面や、その引用の力強さによって挑発されたロンギノスが'自身の言説を元の作者たちの活力に近づける べく'いっそう力を尽くしているようにみえる。こうした瞬間においては、彼自身もまた崇高な転回の方に引き寄 せられるのであり、彼が生み出すよう促されるのは、たんに崇高なものを例証する分析ではな-、そのためのさら なる比喰形象なのである。私から見れば、第一〇章はそのような箇所のひとつである。そしてもうひとつの箇所が' 第一六章においてデモステネスのテクストを大いに讃美しっつ分析した箇所である。そこでロンギノスが論じてい るのはひとりの詩人-著名な虚構の創作者としての-ではな-、ひとりの弁論家である。それゆえ彼はより慎 重に'欺くという言語の力をめぐる問題を取り上げることを余儀な-される。以下ではこの部分に議論を移したい と思うが、まずはそれに先立ついくつかの引用の箇所、性急かつI私見ではI故意に日放まLに仕立て上げら れた引用の箇所をたどってゆ-ことにしたい。 第l五章は'想像力︹imagination︺のトピックにあてられている。これはphantasiaの限定的な意味、すなわちー イメージをつ-り出す、という意味での想像力である。ロンギノスは、弁論家の想像力を'詩人の想像力と区別す1 ることから話を始めている。そしてこの区別について説明したのち'一連の短いテクスト、と-にエウリピデスの テクストをまとめて引用するにつれて'一見するところその区別を無視するにいたっている。その最初の二つはオ レステスの暴動についての断片、すなわち狂気を学んだ近親者殺しの想像についての断片である。 母よ'お願いだから私に向かわせないでくれ。 血走った眼と'蛇を身にまとったその女たちを 彼女たちはここにいるへここにいるのだ'まさに私の元に飛びかかろうとして。[7] あるいはさらに、 おお-・そいつが私を殺そうとしている。どこに逃げればよいのだ[。。] この後に、大胆な、しかしすでに予測可能な結びつきを示すべ-註釈が続-。﹁ここでは詩人自身がエリニユス︹復 讐の女神︺を見ている。そして彼は'自分が想像したものを聴衆にも同じように見せるのである﹂。オレステスの 想像力と罪の双方が'エウリピデスにも何らかの仕方で共有されているtとわれわれは感じ取るべきなのだろうか。 それに続-半ページは'そうだということを示唆している。ロンギノスはこの劇作家についてこう書いている。﹁彼 は生まれつき偉大さを備えていたわけではないが'しばしば自分自身が悲劇的であるよう強いてきた。偉大さを示 すべき瞬間が訪れたときへ彼は、[ホメロスの言葉で言えば]﹁尾で脇腹と尻を鞭打ち/戦いへと駆り立てる﹂﹂。さ らにエウリピデスから引用された別の〓即において'父親の馬を駆るハエトンの話が伝えられる。﹁彼は、翼の生 えた一団の脇腹を鞭打ち'彼らを出撃させた﹂。ただし、ここで不吉なまでに強調されるのはハエトンの父親の声 なのである。その声はハエトンに向けられ、彼に忠告する。ここで再びロンギノスは︹エウリピデスとハエトンの︺ 明示的な同一化をおこなう。﹁いまや作家の魂が騎馬に乗-込みへ馬の翼を.とって'危険をともにしているとは言 えないだろうか﹂(^-)c だがここで肝心なのは'エウリピデスがそうしたと言われるように'その才能を本来の限界を超えてまで用いる ことが'ハエトンのそれに等しい侵犯行為であるということではない。むしろ私の思うには、父の言葉がもつ真正 さ-そしてこの父親がヘリオス︹太陽神︺であるというのはまさに適切なことなのだがIへ到達することが' 犠牲的行為によってはじめて可能になるtという事実が肝心なのだ。この例の場合、あ-ふれた置き換えによって、 詩人が必要としている想像力の犠牲となるのはハエトンである。エウリピデスがヘリオスと張り合うためにはうま ず彼自身がハエトンと同一化する-そして共に落下する-必要があるというわけだ。そしてそのすぐ先では︹ア イスキュロスの︺﹃テ-バイ攻めの七将﹄から引用される四つの行が'力強い言葉遣いと犠牲との結びつきをさら に強化する。 戦う七人の男たちへその隊長たちが、 牛を殺し、黒縁の盾を血で染め上げ、 その牛の血に手を浸しながら、 アレースへエニューオーへ血に飢えたポボスの名にかけて誓う ﹁彼らはいかなる慈悲も示さず'自分たちの死を誓い合った﹂とロンギノスは付け加えている。しかし'このよう な誓約はいかなる位置にあるのだろうか。それが'息子による侵犯行為と、父親の訓戒や創造的な言葉とのあいだ のどこかにある'暖味な中間領域を占めていると言うことは可能だろう。またへ自身の行動を制限したり'みずか らを束縛したりすることによってへ神的なものがもつ名声や安定を自身の言葉に与えようとするへ死すべき人間の 試みとも見なしうるかもしれない(ギリシア語で誓約︹oath︺を意味するhorkosは、herkosすなわちへ囲いや壁 を意味する語に由来している)。したがって、誓約と犠牲との結びつきは例外な-自己犠牲の比喰形象であり'自 身の死へと向かう身振-である。アイアースの祈りはそのような身振りである-それは﹁光あれ﹂という言葉よ りもむしろ誓約に近い-が、サッポーの詩も'エウリピデスの﹃ハエトン﹄からの数行もやは-同じ-そうなの である(5)。 しかし誓約(および文学的な言葉遣いにおけるその類同物)は、たんに神的な安定をめざそうとする以上のもの では決してない。そのためへそれらはたんに空想されただけの侵犯行為の一形式になってしまう-あるいはそう 見破られてしまう-危険性をつねに学んでいる。ロンギノスは第一七章においてその危険性に言及しているが、 しかしその後すぐさま先へと進んでしまう。そして息をつ-間もないような仕方で、さらに多-の悲劇作家の引用 と彼らに対する暗示をひとまとめにしてしまう。そこでは、大体二つの明白な系列をたどることができる。すなわ ちへ一方には誓約へ父の訓誠へオイディプスが自身の埋葬の準備をしているさいに聞く神的な先触れ、オレステス を追い立てる神罰など、真正さないしそれに近似したもののさまざまな類型がある。そして他方には、オレステス の狂気へハエトンの勇敢な飛期へバッカスの乱心の二つの例へそして最後にオレステスによるもうひとつの荒々し い叫びなど、過剰さと侵犯行為のさまざまな類型がある(第一五章二節-八節)Oそして、彼の頭のなかで揮然一 体となって存在しているこれらすべてとともに、読者は再び(しばしのあいだ忘れられていた)弁論家をめぐる問 題に直面することになる。 それでは、弁論家における視覚化[phantasiaのこと]の効果とは'いったいどのようなものなのだろうか。 それは'さまざまな仕方でわれわれの言葉に切迫と情念を込めることができる。しかし'聞き手を説得するの みならず、彼らを虜にすることができるのは、それが現実の議論に関係する場合においてである。[デモステ ネスの文章が語るようにも]﹁あなた方がまさにこの瞬間、法廷の外で叫び声を聞いたとする。そして、牢獄が 打ち破られ、Eg人たちが逃げ出したtと誰かが言ったとするIもしそうなれば、老いも若きもみな、瞬く間 に自分にできることをしようとするだろう。そしてももしも誰かが前に出てきて'﹁この男がやったのだ﹂と 言ったとしたら、われわれのうちの誰もその男の言うことに耳を貸すことなくへ彼は殺されてしまうだろう﹂ [グルーペの翻訳は次の通-。﹁彼は語る機会を与えられることなく即座に殺されてしまうだろう﹂]。ヒユペ リデスの自己弁護にも、これと似た例がある。彼が[カイロネイアの]敗戦後に奴隷解放案を提出した廉で告 発されたときへ彼は次のように言った。﹁この法令を提出したのはその提案者︹ヒエペリデス︺ではない。カ イロネイアの戦いがそれを提出したのだ﹂。ここでこの弁論家は'事実について述べているまさにその瞬間に 視覚的な効果を用いている。その結果、彼の思考はたんなる説得の域を超えることになった。この種のあらゆ ロンギノス読解 る事例において'われわれの自然な直感がより強いものへと向かうのは当然のことである。その結果、われわ なぜなら、二つのも れは論証から視覚化によって引き起こされる驚異へと向きを変えていくのであるが'この視覚化はまさにその 輝きによって'事実のもつある側面を覆い隠すのである。これはごく自然な反応である。 のが一緒になった場合へよ-強いものがより弱いものの力を奪ってしまうのは当然のことだからである。 [第一五章九-一一節] 私はここで、この〓即が読者を急襲し困惑させる一端を感じ取ってほしいと思い、長々と引用してみた。これに 先立つ引用との直接的な関係こそみとめにくいものの、ここでは'さまざまなモティ17に依拠することによって 文章同士に新しい共鳴が与えられている。これらのモティーフは'同書の先立つ箇所においては目立つものではな かったがへこの箇所から次第に重要性を帯びてい-ことになるだろう。すなわちそのモティ17とは'隷属へ牢獄へ 自由、そしてカイロネイアの戦いである。これらのモティ17は'まるで整然とした状態から取り出された諸形象 がなにか思わせぶりに重なりあうかのように'謎めいた結びつきによって取り集められ七いるようにみえる。しか しこの文章における各モティーフ間の関係は、厳密に制御されていることがわかる。デモステネスとヒユペリデス は、ともに聴衆を﹁虜︹奴隷︺にする﹂行為に関与している。すなわち彼らは'聴衆の心を打つイメージによってへ 自身の議論に存在しうる弱点や虚偽から注意を逸らすのである。とはいえへヒユペリデスが法廷にいるのは'奴隷 たちを解放しょうという願望のためである。すなわちへカイロネイアの戦いに対する彼の言及が包み隠そうとして いるのは、まさにこの︹奴隷たちを解放しょうという︺願望なのである。そして奇妙なことに'デモステネスもま たこれと似た願望をもつ人物について語っている。すなわちデモステネスが想像している人物は、囚人を解放しよ うとしているのだが'ひとたびそれを感づかれたら、即座に彼は殺されてしまうだろうへ﹁話す機会を持つ前に﹂ Iすなわちヒユペリデスのように、自身の訴訟について議論をする機会を得る前にへまたおそらくはそうするこ とで逸脱行為を犯したのが彼だという事実を首尾よ-包み隠す機会を得る前に。もしもそうした機会が与えられた としたらIそしてデモステネスが示唆するように、当の人物は機会を与えら仇ないという点が重要なのだがー この人物もまた︹デモステネスがその責任を転嫁した︺カイロネイアの戦いのようなものにすべての責任を負わせ ていたことだろう。もしも彼が十分に人の心を打つ修辞形象を思いついていたならば、彼もまた聴衆を﹁虜︹奴隷︺ にした﹂ことだろう。この人物は'あま-にもデモステネスとヒエペリデスに近づきすぎている。そして間違いな -それこそ-ロンギノスのテクストのエコノミーのなかで-彼が殺されてしまう理由なのだ。ここで彼は'怒 りを鎮めるための犠牲として機能している。というのもロンギノスは'その次の章をデモステネスの礼讃にあてよ うとしているからだ。そこで彼は﹁栄冠について﹂という演説でデモステネスが用いた堂々たる誓約に焦点を当て ている。この誓約は、カイロネイアの戦いがアテネの人々にとって、そして暗にはデモステネス自身の政策にとっ ても敗北であったという事実を聴衆のEnから隠すための誓約である。 このマラトンの誓約の分析は'第1六章において取-上げられる。そこでロンギノスは'まったく新しい話題へ フィギユア すなわち修辞形象(schemata)について語ると予告している。実際へとりわけ彼はこの箇所をそれ以前の箇所か ら区別しようとしているようにみえる。第一五章の最後の言葉は'まるで結論を述べるかのような仕方で、論考前 半における主な要素のい-つかを(しかし奇妙なことに'すべてではないのだが)まとめ上げている(﹁精神の偉大 さ、模倣へあるいは視覚化によって生み出される、思考における崇高については以上の説明で十分だろう﹂[第一 五章一二節])。そして第一六章も、同じ-断定的な調子で始まる(﹁次の話題は修辞形象についてである﹂)(-)c この小休止の結果へわれわれの注意はこの論考の表向きの議論に引き戻され'逆にわれわれがここまでたどってき た言葉遣いの連接関係に対する注意は逸らされる。だが'すぐその後でロンギノスが書き連ねる内容は'彼が第一 五章の末尾に置き去-にしておいた内容を引き継いでいるのだ。 以下は'デモステネスが自身の政策について論証的に議論している場面である。それを自然にやってのけるの は、どのような仕方においてであろうか。﹁あなた方は間違っていない。あなた方はギリシアの自由のために 戦った。その証拠がこの祖国のすぐそばにある。マラトンで戦った男たちも'サラミスやプラクィアで戦った 男たちも'間違ってはいなかったからだ﹂.しかし'こう述べたにもかかわらず、彼は突然取り懸かれたかの ようにギリシアの英雄たちの誓約を口にし始める。﹁マラトンで命を危機に晒した者たちに賭けて、あなた方 は間違ってはいない-﹂この、魔法のようなたったひとつの修辞によって彼が引き起こしているものを注視し てほしい。ここではこれを﹁頓呼法︹㌢ostrophe︺﹂という名で呼ぶことにしよう。彼は、勇敢にも死んでいっ た者たちの名に賭けて誓いを立てることが正当であるかのようなL<めかしをしつつ'あたかも彼らが神々であ るかのようにも聴衆の先祖たちを神格化する。彼は'自身の命を危険に晒した者たちの気性によって裁判官た ちを鼓舞する。彼はみずからの論証を、崇高と情念によって並外れたものへと変化させ'さらに異常かつ驚異 的な誓約によってそれをもっともらしいものへと変化させる。さらに彼は、これらの讃歌によって聞き手の心 を晴れやかにLへマラトンやサラミスでの勝利と同様へピリッボスとの戦い︹敗戦︺もまた誇りに感じさせる べく、彼らの精神に解毒剤を注入する。要するに、彼は修辞形象によって聴衆の心を奪い去ったのである。 [第一六章二節](H これはへサッポーの頃歌を選んだのと同じ-'驚-ほど適切な引用をやってのけるロンギノスの才能を示すーも うひとつの例である。あるいは次のようにも言えるかもしれない。マラトンの誓約は古代において非常に称讃され、 弁術家たちによって頻繁に引用されていた。それゆえこの例は'自身の議論の題材を選びへそれに手を加えたうえ で興味深い併置に仕立て上げる、というロンギノスの才能を示している。というのも'デモステネスがここで讃美 されているその理由は、サッポーが惹起したさいのものとほとんど莫逆のものだからである。デモステネスがこれ を語っているのは、マケドニアのピリッボスによってアテネの軍隊が敗北した後-すなわち'伝統的にギリシア の自由が終わったと見なされる時期へヴエルナー・イエーガIが﹁市民国家の死﹂と述べた時期である(8)。よっ て彼の言葉を聞く聴衆はへその言葉といささか杏妙な関係にある。それはあたかもへ死人が当の聴衆たちの集団葬 儀の式辞を述べるのを聴衆自身が開いているかのようであり、言い換えれば、その聴衆がすでに一線を超えて、ギ リシアの統一という名の肉体︹生来の身体︺に対する想像的な関係へと踏み込んでしまっているかのようなのであ る。ロンギノスの書物の第二四章から引いてきたこのメタファーは、複数の事象をある単数名詞によっていかに修 辞=形象的に描き出すことができ'るかを示している.彼は再び﹁栄冠について﹂から-﹁全ペロボネソスが分割 されたら﹂と-引用し、さらにI﹁プリユニコスが﹃ミレトスの陥落﹄を書いたときも全劇場が涙した﹂とI Iヘロドトスから引用する。そのうえで﹁ばらばらになった諸個人を、それに照応する統一体へと圧縮することはt より際立った効果をもたらす﹂(この最後の語句﹁よ-際だった﹂は、ギリシア語のsomatoeidesteron、すなわち ﹁より鋭い﹂もしくは﹁より身体らしい﹂を翻訳したものである)と註釈を加える。ピリッボスに対抗して1体と なったペロボネソスは'ギリシア統一の肉体であった。この統l体は-かつてそうであったように-カイロネ イアにおいて崩壊する。そしてデモステネスは'当時の亡霊を呼び出しつつ、まさにその場で虚構の身体を聴衆の 前に提示する。そして聴衆は、その虚構によって再び一体となるのだが'それは﹁全劇場が涙した﹂ときに﹃ミレ トスの陥落﹄の聴衆がl体となったのと同じ仕方によってのみ可能になる。デモステネスの聴衆は'サッポーの臨 死体験と同等の位置を占める軍事的敗北によって自分自身から遠ざかる。そしてへデモステネスの虚構を裏書きし ているのは'まさしくこの敗北なのである。 ロンギノスの微妙な立場は'彼にもっとも似ている近代の批評家ヴアルター・ベンヤミンと比較したときtより 明瞭なものとなるだろう。両者とも、しばしば深い郷愁の念に駆られて書いているように見えることがある。その 郷愁は'ある時は数篇の偉大な文学作品へと、そしてまた別の時は彼らが育った伝統的文化へと、唆味な仕方で向 けられている-ロンギノスは'アテネの黄金時代を思い出しながらローマ帝政下において書いており'ベンヤミ ンは、当時いまだ破局というにはおぼろげなものだったとはいえ、破局以前に存在したヨーロッパを思い出しなが ら1九三〇年代のヨーロッパにおいて書いている。双方とも言葉を両義性に富むものとみなしており、その結果へ 自身が称讃するテクストの特質を'文学を超えた何ものかとの関係において位置づけてすらいる。ロンギノスにお ける崇高へすなわちhupsosは、危ういほどに雄弁ない-つかの箇所において(第三五章二節-四節など)へコス モス的な(自然)そのものと関連づけられているが'それは'ベンヤミンの(アウラ)が失われた文化の礼拝価値 に関係づけられて`いるのと同様である(o)cしかし奇妙なことに、両者はいずれも秩序の崩壊をしるしづけるテ クストに引きつけられている。カイロネイアの演説に対するロンギノスの愛着は'この点において'ボードレール の詩集﹁憂皆﹂に対するベンヤミンの讃美と類似している。このボードレールの詩集を、ベンヤミンは﹁ショック 経験におけるアウラの崩壊﹂(3)の表出として読んでいる。この比較が示唆するのは、次のことである。すなわ ちわれわれはへこの批評家たちの郷愁も'彼らによる歴史の構造化も'およそ額面通りに受け取ることはできない。 つまり、二人ともある破局を喚起してはいるもののへ実際のところ両者ともに関心を抱いているのは'文学におい て繰り返し生ずる回帰的現象へすなわち私が(崇高な転回)と呼んできた崩壊の運動と、修辞形象によるその再構 成の運動であるように思われる。この運動は'彼ら自身が書く方法とも無関係ではない。その方法の本質は'文学 作品の本体を、多かれ少なかれ暴力的に﹁引用﹂へと断片化することにある。それは自分自身の言説を組み立てる 関心から-るにせよ'当の言説そのものが注意を向けているのは'批評家が語っている内容のうち、もっとも鋭敏 でありかつ郷愁からほど遠い意味のエンブレムとして役立つに至る'そうした文章なのである。ベンヤミンは次の ように書いている。﹁私の作品における引用とは、武装した姿で攻撃を仕掛け、怠惰な者たちからその確信を取り 除いてやる路上の追い剥ぎのようなものである﹂(2)c Ⅲ サッポーの項歌と'︹デモステネスの︺演説﹁栄冠について﹂の比較に戻ろう。この二つのテクストのあいだに は複数の相違があるのだがへこの相違はひとつの重要な理由から考察に値するものである。叙情詩というものは' たとえそれがl見自伝的なものであったとしても-デモステネスの演説がまさしくそうであったようにIその 真理について問うような類のものではない。結局のところ、弁論家︹デモステネス︺はう自身の政治行動について 抗弁しているのでありへしかも自分に不利な状況ゆえにそうしているにすぎないのである。ロンギノスはもちろん このことを承知しており'賢しらなデモステネスが聴衆を誤った方向へ導いてい-その仕方をロンギノスは隠そう とはしていない。 ﹁あなたの政策がわれわれを敗北へと導いたのではないか-にもかかわらずあなたは、勝利に賭けて誓いを 立てている-﹂彼︹デモステネス︺は'このようなありうべき反論に直面せざるをえなかった。それゆえ彼は、 思考を再び自分の支配下へと引き戻し'それを妥当かつ反駁の余地なきものに仕立て上げた。それは'霊感を 受けた状態でもなお平静さが必要とされるということをわれわれに教えてくれる。﹁マラトンで命を危険に晒 した者たちの名に賭けて、サラミス'アルテミシオンの海戦に加わった者たちの名に賭けて'プラタイアの戦 列に加わった者たちの名に賭けて!﹂Iここで彼は、勝利したとは三百も述べていない。彼はその最終的な 結末に触れる言葉を一貫して差し控えている。なぜなら、それはカイロネイア︹の戦い︺の結末とはまったく 反対に'幸福な結末だったからである。[第一六章四節] しかし、この点を明確にすることで'ロンギノスは崇高なるものの観念を'詐術という観念へと危険なまでに密接 に関係づけてしまっている。この危険をロンギノスは察知することで、再び議論を深める方向へと促されたように によってではある 思われる。この次の章において'彼はこの詐術という問題へとアプローチする。それは'すでに慣例となっていた 仕方-すなわちへ技術はみずからを隠すために用いられなければならないという常套手段 が'彼はここで自身の議論に異例の工夫を加味している0 修辞的な言葉遣いと崇高さとのあいだには持ちつ持たれつの互恵的な関係が存在する、と彼は始めている。すな わち、この二つは自然に互いを強め合うというのである。しかしそれはいかにしてなされるのか。続けて彼は次の ように説明する。 修辞形象を用いた欺きは'とりわけ疑いを招きかねないやり方である。それは何かの民へ裏のある悪企み、論 弁ではないかという疑念を引き起こす。だからそれは'暴君も君主へ支配者、あるいは何らかの高い地位にい る人々に語りかけるさいには取-除かれるべきものである。というのもそのような人々は'巧みな弁論家の修 辞によって愚かな子供のごとくたぶらかされたと知った日には、立ちどころに怒り狂ってしまうからである。 そうなれば彼は野蛮な獣のごときものになってしまうだろうし、仮にその怒りを抑えることができたとして も'彼が聞いて説得されたものに対しては完全に反対するようになってしまうだろう。それゆえ修辞形象は、 一般的にそれが修辞であるという事実を包み隠したときにこそ最良のものとなるのだ。 ここで、崇高と感動[hupsoskaipathos]こそが'そのような修辞形象の使用から生じる疑念に対する防壁 ともなり'その素晴らしい助けともなる。この詐術的技巧は'美と偉大さ[toiskallesikaimegethesi]の輝き に取り囲まれれば立ちどころに消えてしまい、あらゆる疑念を逃れるのである。[第1七章一-二節] ここでのロンギノスの基本的な立場は伝統に忠実なものである。なぜ技術がみずからを隠すために用いられなけれ ばならないのかという問いに対する標準的な正当化は'通常次のような慎重な言葉によってなされていた。すなわ ちその正当化とは'聴衆が疑念を抱-のを避けるためだtというものである(S)cLかLtここでロンギノスが 聴衆を特徴づけるそのやり方の過刺さは興味深くすらある。それは、四つの名詞(裁判官へ暴君'君主へ支配者) によって特徴づけられている。人々は、地位の高い指導者の想像しうる反応(﹁愚かな子供のように﹂出し抜かれ ることへの恐怖へ︹弁論家︺個人に対して抱く怒-、野蛮な憤怒の可能性)に思いを巡らせることで'︹その弁論の︺ 目的を遂げることができる。そして,そのさいにただ必要なことといえば、ひ.とたび疑われたならへ相手を納得さ せるのは難しいという事実を気に留めてお-ことだけであった。しかしここで、われわれが目の前にしているのは 劇場の縮図である。それは'オイディプスの対立の略図であり、王位を狙う校狩な者によって脅かされる権威の比 喰形象である。それはアリストテレスが'﹁もしも奴隷やきわめて若き者が巧みな言葉遣いを用いたとしても、そ れが巧みな言葉遣いであることは稀だろう﹂[2]と述べたときに灰めかされていた状況であるが'ここではそれ が奇妙な主張によって入り組んだものになっている。 しかしオイディプス的構造は'このように思い浮かべられた場面を理解させて-れる唯一のものではないし、そ れをもっとも根本的なものと捉える必要もない。注意したいのは'この地位の高い指導者が恐れているのは自身の 身分が奪われることではなく、形勢の逆転が起こることであり、若者が老人を出し抜くことへ息子が父親を子供の ようにみなすことなのだ。ここで修辞形象化されているのは'崇高な反転の別のヴァージョン-ある意味ではそ のパロディーなのである。われわれはすでに、この反転が正反対の状態にある他のさまざまな対関係を巧みに操っ ているのを見てきた。すなわちへ神的なものと人間的なもの'自然なものと不自然なもの、生者と死者'主人と奴 隷へ勝利と敗北などがそれである。ここでは、父親と息子がこの遊戯に引きずり込まれている。われわれはここで 結論に達したのだと考える誘惑に駆られるかもしれない。しかし、である。なるほど近年崇高について語る理論家 たちならば、このオイディプス的形象のところで立ち止まり'そこで反転する崇高の震動的な活動をひとつのアン ビヴアレンスの様態として描き出すかもしれない-2)。だがへこの同一化の行為はいささか早まったものである だろう。われわれが読んでいる一節について考えてみよう。ここには、冒頭の数行で示唆されるもうひとつの反転 の形象がある。﹁親愛なる友よ、この点についてへ私は自分自身の見解を言い落とすべきではないと感じている。 ごく手短に言おう。修辞形象は本来的に崇高さと同盟関係にあり、いずれもこの同盟関係から多-の益を得ている。 これがいかにして起こりうるのかを説明しよう。修辞によって相手を欺くことは--﹂等々。この章が説明しよう としているのはへまさし-このI修辞的な言葉遣いと崇高︹hupsos︺との-互恵的な働きなのである.ロン ギノスが思い描こうとしている怒れる者同士の対決は'おそら-そこから逸脱しようとする動きであり'息子に対 する父親の関係よりもいっそう奇妙で'いっそう含蓄のある関係を導入する方法なのである。この関係をよ-注意 深く追跡することはできるだろうか。私の考えでは、隠匿という考えにとどまることでそれは可能になるように思 われる。 修辞形象は隠されねばならないということを主張した後にへロンギノスは次のように問うている。﹁そもそもデ モステネスはこの文章において'いかにして修辞形象を隠したのだろうか﹂(第一七章二節)。それに対する彼の答 えはそれ自体がひとつの修辞形象であり、光と闇という直喉がそこでは用いられている。﹁それは、もちろんその 真の輝きによってである。日光が弱々しい光を取-囲んでそれらを消し去ってしまうように、周囲を取り囲む偉大 さに包まれると、修辞形象の論弁は目立たなくなる﹂。この一文のおかげで'それに先立つこと数行前の、より抽 象的な隠匿の定式がよ-明瞭に可視化される。﹁崇高と感動[hupsoskaipathos]は、そのような修辞の使用から 生じる疑念に対する防壁ともな-へその素晴らしい助けともなる。この詐術的技巧は、美と偉大さ[toiskallesikai megethesi]の輝きに取り囲まれれば立ちどころに消えてしまい'あらゆる疑念を逃れるのである﹂。輝きに取り 囲まれた弱々しい光(すなわち技巧)は'視界から消え去る。しかし、いったい何が消え去るのだろうか。もちろ ん特定の修辞形象ではな-、﹁それが修辞であるという事実﹂が-言わばその修辞性が消え去るのである。また、 いったい何が修辞的なものを隠すのだろうか。この文章は'それに対する微妙に違った二つの答えを提示している。 ある箇所では'それは崇高さとパトス︹sublimityandpathos︺の組み合わせであると述べられるがへそのすぐ後 では崇高さと美︹sublimityandbeauty︺の組み合わせであると述べられる。この用語選択の変化は、一見些細な ものに感じられるかもしれない。しかしこの変化は、一六九四年以来'ロンギノスの編者たちを困惑に陥れてきた。 ある者はへこのl文におけるロンギノスの観み合わせに一貫性をもたせるべ-、美に相当する言葉(kallesi)を情 念︹passiOn︺によって置き換えることを提案した。しかし現在へ︹この箇所の言葉が︺﹁美﹂︹に相違ないというこ と︺はもっとも権威あるテクストにおいて承認されている(2)。 第一七章における言葉の配置がもたらしたひとつの帰結は、この議論における言葉遣いの問題を第四三章の議論 に大いに近づけたことである。そこでロンギノスは'些末で卑しい用語の選択に警鐘を鳴らしている。彼が注意を 促しているのは'文体に汚点や歪みをもたらしてしまうような用語を選択することに対してである。ここで再び ﹁美﹂という言葉が'隠匿の観念との関連において'しかも非常に示唆的な文脈のなかで登場している。 崇高な文章において、低俗で卑しむべき言葉の方へと傾斜してしまうのは'よほどそれが必要な場合でなけれ ば避けるべきである。われわれはその事物にふさわしい言葉を用いなければならないのだLへ自然を模倣しな ければならないのである。というのも自然は'人間をつ-り出すさいにその隠されるべき部分[taapporeta] ないし排椎に関わる部分を目に見えるところには出さず、可能なかぎりそれらを隠匿したからである。そして クセノボンが言うように、自然はこれらの器官へと向かう通路をなるべ-遠いところに作っておきへ全体とし ての被造物の美[totouholouzooukallos]が損なわれないようにしたのである。 ﹁全体としての被造物の美﹂、すなわち有機的に統一された肉体美は'﹁隠されるべき部分﹂によって台なしにされ てしまう-それゆえそれらは隠される必要があるのだ。しかしtaapporetaとは、たんに﹁言及することのでき ない諸部分﹂という以上のことを意味しうる。すなわち単数形においてへこの名詞は禁じられたものへ口に出しえ ないもの、そして国家機密を意味するのであり、それゆえ神秘的で神聖な何物かを意味しうる。つま-これはへフ ロイトの不気味なもの︹dasUnheimliche︺や'おそら-崇高︹hupsos︺そのものと同じ-'両義性に富む言葉の ひとつなのである。しかしながら'もしも私の類比-隠された女性器の裂け目︹不気味なもの︺[3]と'隠さ れた修辞表現との類比1が正しいとしたら'文字通り﹁口に出しえないもの﹂とは'性愛の恥ずかしさやオイディ プスの欲望という恥ではなくこうした恥の修辞性であるという、﹂とになろう。つまり'それはわれわれが性的な 想像をしていることを知らしめるもろもろの修辞形象を含めた、修辞的なもののあらゆる審級の修辞性であるとい うことになるだろう。ロンギノスによれば次のような読解が可能になる。すなわちも修辞的な言葉遣いが隠された とき'それはもっともらしいものへ自然なもの、主人に属するものなどを下支えすることができる。しかしそれが 明るみに出た場合へそれはつねに偽なるものとして明るみに出される。さらに厄介なことに、というのはさらなる 不安を招くからだが'明るみに出されるのは言葉遣いの拙さからくる虚偽性ではなくへ両極間を揺れ動-独特な敏 捷性なのである。両極というのは、神的なものと人間的なものと呼ばれようが、真と偽と呼ばれようが'父親の位 置と息子の位置と呼ばれようが'何であれ構わない。これは﹁自然である︹natura-︺﹂と同時に﹁素晴らし ︹wonderfu-︺﹂もあるものなのだ。﹁修辞形象は'本来的に︹natura-︺崇高さと同盟関係にあり、いずれもこの同 [第四三幸五節] 盟関係から多-の︹wonderfully)益を得ている﹂(第一七章〓即)。文学的テクストがこうした現象について力強 い理解をもたらしてくれるときこそ、われわれはそれを﹁崇高な﹂ものとして特徴づけた-なるのである。 以下の最後の例が示すように'ロンギノスはこの言葉における力をあらためて認めることになるのだが'今度(第 三八章)は﹁まった-逆のものへと転じてしまう﹂力として'それを侮蔑的な用語で特徴づけている。この章の冒 頭には数頁分の欠落があるとはいえ、ここで論じられているトピックが誇張法︹hyperbo-e︺だということは確か である。第一七章の議論を喚起するような言葉遣いによって、ロンギノスは誇張法の不適切な使用について注意を 促している。 ここで知っておくべき重要な事柄は、ある誇張法をどこまで押しすすめればよいか、ということである。あま りにも遠くまで行き過ぎると'それはしばしば誇張法を駄目にしてしまう。極度の緊張は極度の弛緩をもたら してしまい、狙った効果とはまった-逆のものに落ち着いてしまう。よってへあらゆるものを敷桁しようとす るイソクラテスの熱意は'しばしば子供じみたものになってしまっている。彼の﹃項辞﹄における要諦は'ア テネがスパルタよりもギリシア民族に貢献したというものだった。その冒頭すぐには'次のようにある。﹁第 二に'演説の力は、偉大なものを卑小なものにすることも'些細なものに偉大さを付与することもできる。ま いにしえ た'旧いものを新しい仕方で言うこともできれば、最近の出来事に古の姿をまとわせることもできる﹂。とい うことは'イソクラテスはここでアテネとスパルタの位置を逆転させようとしているのだろうか。ここで演説 の力を公的に称讃することは、自分が言っていることを信じるな、と読者を促しているに等しい。私が思うに、 われわれが最良の修辞形象について述べてきたことは'最良の誇張法についてもあてはまる。すなわち、それ が誇張法であると気づかれないような誇張法こそが最良の誇張法なのである。 一八世紀のある註釈者は、ここでのロンギノスの描写に対して困惑を示している。rFJの批評家によって挿入さ れたイソクラテスの一節は'誇張法というよ-もへただ時宜を得ずに所感を表明した例であるように思われる。お そらくロンギノスは、強引な所感や不自然に導入された所感もまた誇張法に値するという解釈に傾いているのだろ う﹂(S)-ブデ版の編者もこれに同意している。﹁これはへ誇張法の問題であるというよりも'論証の手続きと文 [第三八章〓即-三節] 体の問題である﹂=51-さらに近年にあっLJも、ある翻訳者が以下のような脚註を付け加えている。﹁ここで注意 しなければならないのは'ロンギノスが誇張法という用語をより広い意味で用いているということである。という のもへこのイソクラテスの1節は確かに通常の意味での誇張法︹hyperbole]ではな-'せいぜいたんなる誇張 ︹exaggeration︺に属するものだからである﹂(﹂)。そして現代の決定校訂版の編者も'似たような困惑を示して いる。﹁対立に対するイソクラテスの偏愛が、ここでの自身の議論を空虚なものにしているのは確かである。しか し'誇張法は正碓に言えばどこにあるのだろうか﹂2)。いったいどこだろうか-これが'われわれの注意を巧 みに逃れる誇張法のひとつでないのだとしたら。あるいは、よりありえそうな可能性として次のようにも考えられ る。すなわちへある重要な問題について語っているはずのイソクラテスが十分に修辞的たりえていないことに対し、 ロンギノスは苛立っているのだ。言葉の力に関するこの当り障りのない、あま-にあからさまな言明は、ロンギノ スの目には失敗した誇張法、虚偽へと転じた真実として映る。彼が示唆するところによれば、イソクラテスはこの ﹁子供っぽさ﹂のために信頼を得られずに終わる。つまりイソクラテスは'第1五章における囚人を解放しょうと した男のように、あるいは第l七草における、修辞を隠しきれなかったことによ-同様の憤激を引き起こした男の ように'厳しく扱われなければならないのだ。彼-もしくは他の誰か-がうっかり秘密を漏らしてしまっても 大丈夫と考えてしまうのは、イソクラテスの子供っぽさのためなのである。 註 (--0"Longinus"onSublimity,trans.D.A.Russell(Oxford:Clarendon,1965), の言及はすべて同書による。ただしへギリシア語によ-忠実な訳文にするためにへラッセルの翻訳にはわずか ツセルが編集したギリシア語テクストに付され に手を加えているoまた'最近刊行された次の翻訳も参照したーG.M.A.Grube'sLonginusonGreatWriting(Ne York︰Bobbs-Merrill,1957).さらに細かい箇所についてはへラ ている'豊かで示唆に満ちた序文と註釈を参照したCf."Loneinus"ontheSublime(Oxford‖Clarendon,1 N)W.K.Wimsatt,Jr.,andCleanthBrooks,LiteraryCriticism:AShortHistory( p.-0-. (3)第三二章五節も参照。当該箇所でロンギノスは'身体に関するプラトンの寓意的な所見を選り抜いた上で圧 縮し(﹃ティマイオス﹄65c-85c)へそれをほっき-と﹁連続的なl連の転義﹂の例示とみなしている。さら に第三六章二節では'ホメロス、デモステネス、そしてプラトンが﹁流れる水のように永く、花咲く樹木のよ うに高い﹂栄誉を与えるにふさわしい者として称讃されている。このテクスト中で引用されているのは、ソク ラテスによって詠じられた四行連からの一行であるのだが、しかしそれは不作法な話し方の例へすなわち非有 機的︹inorgamc︺な話の例として述べられたものである。なぜならそのような場合﹁各行がいかなる順番で 登場しょうと変わりがない﹂からである。しかしここにロンギノスの軽率さを見るのも'皮肉を見るのも誤り だろう。むしろこれは、ロンギノスの論考の至るところで﹁身体-本体﹂/﹁四肢=断片﹂という用語の対の うちに繰-返し現れている戯れの一例なのだ。 (4)ロンギノスが一八世紀の読者を惹きつけた指標のひとつは'情念と真実らしさ︹lavraisemblance︺を備えた この理論家の教えに繰り返し登場する'こうしたイメージに兄いだされる。ラクロの︹﹃危険な関係﹄の登場 人物である︺メルトウイユ夫人は次のように述べている。﹁手紙を読み返してごらんなさい。ちゃんと順序が 立っているでしょう。それが'あなたがその言葉ひとつひとつに隠しているものを露にしてしまうのです。法 院長夫人はそれに気づかないほどうぶなのかもしれませんが'だからといって何の違いがありましょう。結果 はやはり同じです。小説の欠陥もまたここにあります。作者が読者を興奮させようと努力したところで、読者 は冷え冷えとするばかりなのです。﹂(﹃危険な関係﹄第三三倍)︹ChoderlosdeLaclos.LesLiaisonsdangere (Paris︰LibrairieG6n6raleFrancaise).2002,p.1187クロ﹃危険な関係﹄上巻へ伊吹武彦訳へ岩波文 六五年、一〇二頁︺ (5)引用文およびロンギノス自身の散文のいずれを見ても'同書には危険と危機というこの二つの要素が充満し ている。とくに目につ-のは-というのも一見するかぎり制御されていないからであるが-'危機的なも のに関する比喰形象へたとえばハエトンの飛期というモティ17である。たとえば第二二章三節では、デモス テネスにおける転置法︹hyperbaton]という修辞の使用が次のような言葉で称讃されている。﹁彼の転置法は 切迫の感覚を大いに呼び起こすばかりでな-'同時に即興のごとき様相をも生み出している。それはあたかもへ 長々と語られた倒置の危うさのなかに、聞き手を招き入れているかのようである。彼はしばしば、自分が伝え ようと意図した意味を宙吊りにする.そして要点にたどりつく前にへそれと無関係な項目を疎遠かつ異常な場 所へと次々に招き入れながらへ文章そのものがまるで駄目になってしまうのではないかと聞き手をはらはらさ せる。そのような興奮状態のなかで、彼は語-手の危機を聞き手にも共有するよう強いるのである﹂。ラッセ ルは鋭敏にもこの一節を第一〇章七節と併置している。というのもそこでの支配的な比喰形象とは'︹ハエト ンによる︺危険な飛期の軌道ではなく、﹁切れ目﹂も﹁割れ目﹂もない-壁が連続しているというのと同じ 意味で-連続した構造の構築だからである("Longinus"ontheSublime,p.139を参照)。有機的に統一された 人体という第三の連続的な比喰形象はへまさし-この箇所にふさわしい。これら三つの比喰形象は'いずれも 不完全さを包み隠すか、あるいは断片化の危険をもたらすものであることがわかる。 (6)ロンギノスの論考における各章の分割は一六世紀以降になされたものであり、それが必ずしもロンギノス自 身が任ずる議論の進め方と一致するわけではない。しかしこの事例に関して言えば、第一五章一二節と第一六 章一節とのあいだの断絶は明白である。 (7)﹁解毒剤︹Ahealingspecific︺﹂=alexipharmakon。第l七草一一節へ第三二章四節も併せて参照。﹁強-適 感情、および真の崇高は'多用された大げさなメタファIに対する緩和剤︹specificpalliative︺[= alexipharmakon]となる﹂.ジャック・デリダ﹁プラトンのパルマケイア-﹂(﹃散種︹LaDissemination︺﹄[P; Seui1.19721)の読者であれば'﹃ハイドロス﹄の崇拝者であるこの作者︹ロンギノス︺が自身の修辞学論考で alexipharmakonという言葉を用いているからといって'さほど驚-ことはないだろう。またへロンギノスが ある場所ではこの語を修辞的な言葉遣いそのもの(たとえばデモステネスの誓約)に適用し'また別の場所で は修辞的な言葉遣いによる効果を打ち消す︹counter︺べく作用する言説のいくつかの側面(パトスや崇高さ) に適用しているとしても'さほど驚-ことはないだろう。 (。o)WernerJaeger,Paideia,trans.GilbertHighet.3vols.(NewYork︰OxfordU 4,chap.ll. (9)以下を参照WalterBenjamin,''OnSomeMotifsinBaudelaire,"Illuminations,tr Schocken,1958).︹ヴァルター・ベンヤミン﹁ボードレールにおけるい-つかのモティーフについて﹂久保哲 司訳'﹃ベンヤミン・コレクションI近代の意味﹄浅井健二郎編訳、ちくま学芸文庫、一九九五年'所収︺ (S)Ibid,p.194.︹同書、四八〇頁︺ (m)WalterBenjamin,Schriften,2vols.(Frankfurt:Suhrkamp,1966).1:571(c introductiontotheNewYorkeditionofllluminations).︹ヴァルター・ベンヤミン﹃一方通行路﹄ ンヤミン・コレクションⅢ記憶への旅﹄浅井健二郎編訳、ちくま学芸文庫'一九九七年、一二二頁︺ (i "<I N/ lラ ¥ッセルは'アリストテレスの﹃弁論術﹄を引きつつ次のように記している。﹁高官たちが'詐術的な校滑さ v と見なされるものに対してしばしば攻撃的になるという洞察は、もちろんなんら新しいものではなかった。( -)それゆえ、ロンギノスがここでその独創性を主張できるとしたら、それはこの点に関してではなく、崇高 ︹hupsos︺が修辞の防壁となり、同様に修辞が崇高を助けるという命題に関してなのである﹂"Longinus"onthe sublime,p.131) (S)以下を参照。AngusFletcher,Allegory:TheTheoryofaSymbolicMode(Ithaca︰Cor chap.5,andHaroldBlo0m,TheAnxietyoflnfluence:ATheoryofPoetry(NewYork 1973),chap.4.︹ハロルド・ブルーム﹃影響の不安∼詩の理論のために﹄小谷野敦・アルヴィ宮本なほ子訳、 新曜社へ二〇〇四年、第四章︺ (1)以下を参照Russell,"Longinus"ontheSublime,p.132. (S)EdwardBurnabyGreene,"ObservationsontheSublimeofLonginus,"Critica Garland,1970),p.143. (S)HenriLebegue,ed..Dusublime(Paris︰Editions"LesBelleslettres,"1939 (﹂h)Grube,LonginusonGreatWriting,p.50. (2)Russell,"Longinus"ontheSublime,p.171. 訳註 [-]ホメロス﹃イ-リアス﹄第l七書六四五I六四七行(﹃イ-リアス﹄下巻、呉茂l訳も岩波文庫へ1九五八 年)。 [2]ホメロス﹃オデュッセイア﹄第三書一〇九-111行(﹃オデュッセイア﹄上巻へ呉茂l訳、岩波文庫tl 九七一年)。 [3]ホメロス﹃イ-リアス﹄第一五書六〇五-六〇七行(﹃イ-リアス﹄中巻、呉茂一訳、岩波文庫へ一九五六 年)。 [4]ホメロス﹃イ-リアス﹄第l五書六二四-六二八行(同訳書)。 [5]ウィリアム・ワ-ズワース﹃序曲﹄第七巻﹁ロンドン滞在﹂六1五-六一六行(ワ-ズワス﹃序曲﹄岡三郎 訳へ国文社へ一九六八年へ二六〇頁)。 [6]ウィリアム・ワ-ズワース﹁詩人の墓碑銘﹂参照。 [7]エウリピデス﹃オレステス﹄二五五行(﹃ギリシア悲劇・-エウリピデス﹄下巻へ松本仁助訳、ち-ま文庫へ 一九八六年)。 [8]エウリピデス﹃タウリケのイピゲネイア﹄二九l行(﹃ギリシア悲劇-エウリピデス﹄下巻へ呉茂一訳へ ちくま文庫も一九八六年)。 [9]アイスキュロス﹃テ-バイ攻めの七将﹄四二IEl六行(﹃ギリシア悲劇Iアイスキュロス﹄高津春繁訳、 ちくま文庫へ一九八五年)。 [S]アリストテレス﹃弁論術﹄第三巻二章1404b(﹃弁論術﹄戸塚七郎訳、岩波文庫、l九九二年へ三lO頁)。 [:=!蝣]ジークムント・フロイト﹁不気味なもの﹂第二節(ホフマン/フロイト﹃砂男無気味なもの﹄種村季弘訳へ 河出文庫、一九九五年、一四三頁)参照。 ︻蛸"1︼ 本稿﹁ロンギノス読解﹂はtNeilHertz,"AReadingofLonginus,"TheEndoftheLine:EssaysonPsychoanalysisand theSublime,NewYork︰ColumbiaUniversityPress,1985,pp.1-20の全訳である。同論文が収録されている TheEndoftheLineにはドイツ語訳(DasEndedesWeges:diePsychoanalyseunddasErhabene,FrankfurtamMain: Suhrkamp.2001)およびポルトガル語訳(OFimdaLinha:EnsaiossobreaPsicandliseeoSublime,RiodeJaniero: Imago1994)がありへ二〇〇九年には二篇の論文を新たに収録した増補改訂版(TheDaviesGroupPublishers. 2009)が刊行されている。 まずも本稿の著者ニール・バーツについて簡単に紹介しておこう。バーツは、文学および批評理論を専門とする ニューヨーク出身の研究者であり、一九六一年から八二年まではコ-ネル大学で、八三年から二〇〇五年まではジョ ンズ・ホプキンズ大学で教鞭をとっていた(現在は同大学名誉教授)。九三年から九九年にかけてはジョンズ・ホ プキンズ大学の人文学センター(HumanitiesCenter)所長を務めておりへ当時の同僚にはマイケル・フリード、 ヴエルナー・バーマッハ-、フランシス・ファーガソン、ヘント・デ・ヴリースらがいる。これまでに刊行した著 書に﹃ジョージ・エリオットの脈動﹄(GeorgeEliot'sPulse,StanfordUniversityPress,2003)へ ド・マン戦時論説集﹄(WartimeJournalism,1939-1943,WernerHamacher,NeilHertz,and UniversityofNebraskaPress,1988)などがあるO ﹁ロンギノス読解﹂を収めた﹃事の終端-精神分析と崇高についての試論﹄(一九八五)は彼の最初の単著で あり'ロンギノスの他にワ-ズワース、フローベールへエリオットへフロイトらのテクストを論じた諸論文からな る評論集の体裁をとっている。その副題が示すように'同書のキーワードとなるのは﹁精神分析﹂と﹁崇高﹂であ るがへその冒疎(第一章)に置かれた﹁ロンギノス読解﹂は、﹁崇高﹂概念の起源とも呼べる(偽)ロンギノスの ﹃崇高論﹄(紀元一世紀頃と推定)にあらためて焦点を当てた論文である。その内容をここで逐一繰り返すことは しないが、一読してわかるように'本論文は﹃崇高論﹄における議論の﹁横滑り﹂へないしその﹁累積的な﹂構成 ・展開そのものを議論の風上に載せているOその論の運びに目を向けてみても'精神分析をはじめとするさまざま な批評理論への目配せ'ロンギノスとベンヤミンの大胆な比較など、それまでのロンギノス研究とは一線を画す啓 発的な内容を数多-含んでいる。実際へ一九八〇年代以降の﹃崇高論﹄研究において本論が占める重要性を鑑みて も'﹁ロンギノス読解﹂はバーツのこれまでの仕事の中でもとくに重要なもののひとつであると言ってよい。 ﹃事の終端(TheEndoftheLine)﹄という本書のタイトルの由来は、同書のために書き起こされた第十章に詳し い。バーツがそこで述べているところによれば、﹁事の終端-詩句の終わり(4heEndoftheLine)﹂という表現は、 ケネス・バークが﹃文学形式の哲学﹄(一九四一)の中で用いたものであるという。バーツが指摘するように、バー クは同書の中でしばしばこれをフランス語の一入れ子構造miseenabyme)﹂と近い意味において用いている。 元来へ﹁紋中紋﹂を意味するこの表現が、後にデリダ﹃絵画における真理﹄(一九七八)などにおける脱構築的批評 のキーワードのひとつとなることは知られるとおりだが'バーツはバークによる﹁TheEndoftheLine﹂という表 現の中に'それと同様の﹁(多重的な)入れ子構造﹂を看取する(TheEndoftheLine,chapterlO,note.2)cバーツ が第十章の註で言及しているバーク﹃文学形式の哲学﹄の記述は次のようなものである。 ﹁さらにわれわれは'﹁行きつくところまで行-︹totheendoftheline︺﹂様式に見られる﹁連続的な﹂性質I Iすなわちある種の﹁入れ子構造︹withinnessofwithinness︺﹂に注目すべきだろう︹--︺。コールリッジの詩句 ﹁雪の茂みの上の待雪草﹂にもこのパターンを見ることができる。そして﹃白鯨﹄にはこの種のとくに﹁効果的な﹂ くだりがあ-、そこではイシュメールの航海がどのようなものになるかが予言的に語られる。﹁暗黒の街﹂を通っ て彼はある家に入るのだが'戸口のところで彼は遺骨箱につまず-。そのまま進むと'彼はそこが黒人教会である ことに気づ-。そして'﹁その説教師が話す内容は暗黒の黒さについてだった﹂のである。﹂(KennethBurke,The PhilosophyofLiteraryForm:StudiesinSymbolicAction(1941),2ndEdition,L 88.)︹ケネス・バーク﹃文学形式の哲学T象徴的行動の研究﹄森常治訳、国文社も1九七四年、六八-六九ペー ジ。ただし訳文には変更を加えている。︺ ﹁ロンギノス読解﹂において、この﹁事の終端=詩句の終わり(theendoftheline)﹂という表現そのものは用 いられていない。しかし、バーツが第一に注目したのが、﹃崇高論﹄における無数の﹁引用﹂であることは注目さ れてよいだろう。﹁ロンギノス読解﹂におけるバーツの読みは'まず﹃崇高論﹄における引用間の関係、そしてへ それらと﹁入れ子構造﹂の関係にあるロンギノス自身の記述を検討することから始まる。そして'﹁ロンギノス読 解﹂の議論は'徹頭徹尾このようなテクスト内の諸要素の照応関係をめぐって展開してい-。ほほ発表順に並べら れている本書の論考の中で、﹁ロンギノス読解﹂が-第二章のワ-ズワース論(初出l九六七年)に先立ち あえて本書の巻頭に置かれているのも故なきことではない。 本稿﹁ロンギノス読解﹂が発表された経緯についてはへ三百付言しておく必要がある。この論文は、まず英語よ りも先にフランス語で発表され(NeilHertz.央LecturedeLongin︾,traduitparJean-MichelRab 1973)、その一〇年後に英語版がはじめて公にされた(NeilHertz,"AReadingofLonginus,"Criticall 1983)-この英仏二つの版にはわずかな異同こそあるものの、内容に大きな変更は見られない。よってへ本稿の大 枠はすでにl九七三年には完成していたと考えることができるO本稿が最初にフランス語で発表されるに至った経 緯は定かではないが'同論文の仏訳をおこなったのが、現在ペンシルヴアニア大学教授であり、ラカンやジョイス に関する著作で知られるジャン=ミシェル︰フパテであることから'そこに米仏の批評理論家同士の盛んな交流事 情を透かし見ることができるかもしれない。(なお余談ながら'バーツ自身、一九五三年から五四年にかけてフル ブライト奨学生としてフランスのボルドー大学に学んでいる。) 以上に本稿の成立事情を長々と書き連ねた背後には'それなりの理由がある。というのも、二〇世紀後半のフラ ンスにおけるロンギノス再評価の先鞭をつけたのが、バーツの﹁ロンギノス読解﹂であることは間違いないからだ。 フランスでは一九八〇年代に﹃ポエティーク(Poetique)﹄および﹃ポ・エ・ジー(Po&sie)﹄という二つの雑誌を 中心に、たびたび崇高論に関する論文が発表された。その中で'ミシェル・ドゥギIとフィリップエフクー=ラバ ルトがそれぞれロンギノスについての見識高い論文を著している('"シェル・ドゥギ-﹁大土ll口﹂ォLeGrand-Dire︾. poetique,no.58,1984)'フィリップ・ラクー-ラバルト﹁崇高なる真理﹂(ォLav6rit6sublime﹀﹀.po&s -いずれも﹃崇高とは何か﹄梅木達郎訳へ法政大学出版局、一九九九年に所収)。さらにこうした流れを承け、 一九九一年には古典学者のジャッキー・ピジョーが-アンリ・ルベーグの仏訳(一九三九年)以来-約五〇年 ぶりにロンギノス﹃崇高論﹄の新訳を上梓する(Longin,Dusublime,traduitparJackiePigeaud,Pari Rivage,1991)-そもそもバーツの論文じたいが、D・A︰フッセルによる﹃崇高論﹄のすぐれた英訳および注釈 書("Longinus"ontheSublime,Oxford:Clarendon,1964)に負うところが大きいのだがへその成果は' 論文が(英語版に先駆けて)フランスの主要な雑誌で発表されたことによりも古典学の領域を越えて広-西欧に伝 播したと言っても過言ではないだろう。 なお、以上の翻訳の底本には'冒頭に挙げた﹃事の終端﹄の初版(一九八五年)を用いた。同書の電子書籍版(The Internet-FirstUniversityPress,2005)は'現在コ-ネル大学のウェブサイト﹁eCommons﹂からダウン 能であ-(http︰\\hd1.handle.net\1813/3658)へ本稿の翻訳に際してもこちらを参照させていただいた。記して感 謝したい。またへ先に言及した﹁ロンギノス読解﹂の英語初出版(一九八三年)のほかへ仏訳(一九七三年)'独 訳(一九九九年)も併せて参照した。[星野太] * 本論を傍らにもロンギノスを読もうという日本語の読者のために少し追記しておきたい。訳者の知るかぎり'ロ ンギノスの崇高論の日本語訳は'以下の三つの版がある。 -ロンギノス﹁文学論(上)(下)﹂青木巌訳﹃ソフィア﹄第一〇(l)号、上智大学'l九六1年へ二五-六三 頁/同、第一〇(二)号、1七-五四頁。 2ロンギノス﹃崇高について﹄永井康視訳へバッカイ舎'一九七〇年。 3ロンギノス﹃崇高について﹄小田実訳'河合文化教育研究所'河合出版へ一九九九年。 残念ながらへいずれも入手しやすいものとは言えず、また、試訳の域を免れているとは言いがたい。いまだ決定 版と言いうる日本語訳は出ていないというのが現状である。また'本稿の訳出にあたっては右の既訳を参考にさせ ていただいたが'バーツの用いている英訳との兼ね合いもありへ訳文を踏襲しなかった点をあらかじめお断-する。 最後に訳文について。今回、訳出にあたっては'崇高論に関する博士論文を準備中の星野太氏(日本学術振興会 特別研究員・東京大学)に参加いただいた。訳文は'星野氏が作成した第一稿を宮崎が検討・改稿し、そのうえで 両者がさらに訳稿を交換し再検討することによって完成させた。本稿はロンギノスのみならず、ロンギノスの引用 するさまざまな古典が縦横に(再)引用されている凋密なテクストであるため、訳者の知識や調査が及ばなかった ところも少なくないと思われる。いずれにせよ'欧米でロンギノス再評価の機運をもたらした本稿の訳出によって、 ロンギノスの崇高論が'日本語の読者のあいだでもより広-読み直され、再評価の対象となるきっかけに少しでも つながれば、訳者としてこれに優る喜びはない。読者諸賢には'忌憧のないご批判を乞う次第である。[宮崎裕助]