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東北タイ・ドンデーン村:葬儀をめぐるブン (功徳)と社会

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東北タイ・ドンデーン村:葬儀をめぐるブン (功徳)と社会
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東北タイ・ドンデーン村 :葬儀をめぐるブン(功徳)と社会
関係(<特集>東北タイ・ドンデーン村)
林, 行夫
東南アジア研究 (1985), 23(3): 349-370
1985-12
http://hdl.handle.net/2433/56223
Right
Type
Textversion
Departmental Bulletin Paper
publisher
Kyoto University
東 南 ア ジア研 究
2
3
巻 3号 1
9
8
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年1
2
月
東北 タイ ・ドンデーン村 :葬儀 をめ ぐる
ブン(
功徳 )と社会 関係
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とその儀 礼過程 にみ られ る村人 の宗教 的世界
Ⅰ は
じ
め
に
観 の一端 を理解す る ことを 目的 と して い る.
人 の一生 の終着点 にお け る葬儀 は,村 内で
本稿 は, 現地 調査 で得 た資料 に も と づ い
行 われ る宗教儀礼 のなかで も最 も複雑 な儀礼
て,1
'東北 タイの ドンデ ー ン村 に お け る葬制
過程 を もつ。 それ は僧侶 を介 して故人 を葬 る
* 龍谷大学文 学部 ;Fac
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00,Japan
1)筆者は1
9
83年 1月より1
0
月にわたって村内に定
着 し,宗教 ・儀礼 ・世界観に関す る調査 を直
接,参与観察,村人とのインフォーマル ・イン
タヴ3
.
-によって行なった.その概略について
の記述は,Fukuieta
Z
.[
1
985:Ch.1
0]を参照
されたい。
た めに遺族 が主体 とな る個別 的 な儀礼 で あ り
なが ら,村 内の長老 や近 隣者 を は じめ とす る
全 村 の人 々が関与 す る。 そ こに,く死)をめ ぐ
る複雑 な村人 の宗教 的世界観 を読 み とる こと
がで きる。く死)とい う現象 が,自 らの生活 世
界 に対 して人 々が行 う現実 の定 義や そのなか
で構成 され る社会規 範 を根 源 か ら脅 かす もの
3
49
東南 アジア研究
2
3
巻 3号
であ るとす るな らば 【
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973.
・52]
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意味 に着 目 しなが ら記述 し, その背後 にあ る
の危機状況 に対応す る社会制度 と しての葬制
ドンデー ン村 の宗教一 社全構造 を探 ることで
やその儀礼過程の分析 は,人 々に支配的な社
あ る。
会規範 の一断面 を提示す ることに もなろ う。
これ までの諸 調査研究 がすで に細介 して い
るよ うに,2)タイ農村 における通常 の葬儀 は,
ⅠⅠ ブ ンの く分 かち合 い〉 と葬 制の位置づけ
n
.
7
準 功徳 をつむ こ
民衆仏教的なタ ンブ ン (
と.一般的 には三宝 の維持 に貢献す る行為)
Ⅲ-1 ブ ンの転送 と他界観
儀礼 の形式 を とっている。く死〉は故人 の霊 が
い くつかの霊界 を経て転生- と至 る過程への
は, よ りよき来 世の問題であ り, したが って
それ はタ ンプ ンの問題で もあ る。 上座部仏教
旅 だ ちとされ るので,葬儀 の主 目的は,故人
を とお して因果応報 ・輪廻転生の民衆的解釈
へふ りむけるた めのプ ン (
王
押 功徳) をつむ
ことにある。共同 して儀礼 を主催 す る遺族 に
ドンデ ー ン村 の人 々にとって く死〉 の問題
が生活のなか に根づ いてい るた めであ る。
人 々の関心 は,再 び人間 と して この世 に生
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一
とって, それ は故人- の基本的な義務 (
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on)で あ り, 孝行 を表現す る機会 で あ る
を うけることにあ る。 しか も,来世で はより
[
Tambi
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970:179;Tur
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972:251
]
。
る。そのためには,
生前 にで きる限 りのプ ンを
同時 に
,他 の村人 にすれば,葬儀 は喪主宅 を
自 らつむ とともに,死後 も子 や孫 た ち後継者
中心 に展開す る金 品や労働力提供のかた ちで
が 自 らの来世 のためにプ ンを転送 しつづ けて
の援助,参加 を とお した村 レベルの共 同作業
くれ る ことが必要で あ る。 ブ ンは目にみえぬ
であ り,人 々は自 らプ ンをつむ機会 と して儀
精神的な財産であ って,個人的 に蓄積 され る
礼 に関与す る。
ものだけで はよ りよ き来世のために十分 な も
よい境遇 のなかに生 まれ ることが望 まれてい
タイ農村 にみ られ るこうした葬儀 の特徴 は
のかど うか確信 が得 られないか らで ある。 す
ドンデー ン村 において もみ られ,儀礼 はブ ン
なわ も,一般 の村人 にとって,個人 の く死〉と
を分 か ち合 う一種 の 「まつ り」(ンガ- ン ・ブ
来世の問題 は,個人的な ことに とどま らず,徳
ン) と しての演 出を ともな い,遺族 が もつ哀
の近親 に委ね られて い る側面 を もって いる。
惜 の念 や厳粛 さは会葬者 の享楽 や喧騒 にとっ
く死〉 とは生命 を維持 して いた魂 (クワ ン)
てかわ られ るように展開す る。僧侶,寺 院-
が再 び身体 に戻 ることがない状態を さす。 肉
の喜捨行為 に呼応す るよ うに,遺族 は会葬者
体 に依存 して いた魂 は霊 (ウィ ンヤ ン) と し
であ る村人 を食事 で もてなす。すなわ ち,葬
Fukuie
ta
Z
. 1985:246]
.屍 と
て独立す る [
儀 は遺族 内の共 同作業 と村人 の共 同作業 の異
しての死者 (ピー) は火葬 され(
骨 を残 して)
な る 2部分 よりな りなが らも,それ らは饗宴
消滅す る。一方,身体 を離 れた霊 は,まず地獄
に象徴 され るような儀礼環境 のなかで同時 に
へゆ き,閣魔 のチ ェ ックを うけた うえで,赴
進行す る。本稿 がね らい とす るの は, その よ
くべ き霊界 が定 め られ るとい う。生前 に善行
うな葬儀 の過程 を,分有 され るプ ンの社会的
を重ねた者の霊 は極楽 -むかい,悪行 を重ね
2)北タイに関しては Ki
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】が,
北タイについては Tambi
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5
52
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7]
中部タイについては Te
が葬制とその儀礼過程を詳細に記述 している。
35
0
た もの は地獄-むか う。 結果的 に,霊 は三 つ
の霊界 (
極楽,この世,地獄)- と拡散す る。
故人 の霊 の行方 は遺族 の知 るところで はな
い。 しか し, ほ とん どの村人 は,死後す ぐに
その霊 が極楽 に到達 し,そ こで止住す るとは
柿 :東北 タイ ・ドンデー ン村 :葬儀 をめ ぐるプ ン (
功 徳) と社 会 関係
考 えて いな い。 それ は生 前 に多大 な プ ンをつ
かた ちで み られ,故人 の霊 を供養 す る機 会 と
ん だ者 のみ がで きる非常 に稀有 な こと とされ
な って い る。
て い るた めで あ る。した が って故人 の霊 とは,
表 1は1983年 に ドンデ ー ン村 の寺 院 で村 レ
地 獄 か この世 に とどま って遺 族 か らの ブ ンの
ベルの タ ンブ ンと して行 われた年 中儀 礼 を示
転送 を待 つ身 で あ り, ブ ンを うけ とって霊 界
して い る。 そのすべて の儀 礼 の終了時 に, ブ
を極楽 - とむ か って上昇 し,転生 す る もの と
ンの転送 は祝祭 の幕 をひ くよ うに必 ず とり行
い うのが支配 的 な見解 で あ る。霊 が死 後 た ど
われて い る。 故人 の霊 は通常 ,極 楽 - い った
りつ くそれぞ れの霊 界 は,転 生 に至 るまで の
もの以 外 は自由 に移 動す る ことがで きず , そ
仮 の止住 空間 にす ぎな い。
の霊 界 に閉 じ込 め られた かた ちでひたす らプ
葬儀 にみ られ る故人 の霊 - の供養 は, プ ン
ンが転送 され るの を待 つ ばか りといわれて い
の転送 を期待 す る故人 に こた え る行為 と して
る。 しか し,表 1中の儀 礼 10と11 (
人 によ っ
行 われ る。 それ は,以後 も くり返 され るブ ン
て は これ に 6と13を加 え る) の際 には,故人
の転送行為 - と連 続 す る。 したが って, 自 ら
の霊 が遺族 の もとへ帰 るのを許 され ると信 じ
の他界後 も遺族 が滞 りな くタ ンブ ンを行 な っ
られて い る。 これ らの儀 礼 の とき,遺族 は故
て ブ ンを転送 で きるよ う準備 す る ことが望 ま
人 の名前 や生 前 の世帯番 号 を唱 えて プ ンを転
れ る。 自 らの老 後 も同居 して 世話 した 子 供
送 す る。 その プ ンは,前述 した一般論 の よ う
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晶や
) に対 して親 が譲 る財
(プ 一 ・
)エ ン グ,N
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に直接 ,故人 の霊 の もとへ届 くとされ るか ら
産 が 「供養 のた めの 費用 」 (ビアパ オ ピー,
で あ る。葬儀 の 最 終過程 で あ る 供養飯儀 礼
とよばれて きた ことは, そ れ が実
(
ブ ン ・チ ェ- クカオ) や安居 期間 中の四斎
際 に使 われ る ことがな くと も,親 の死後 の プ
日 (ワ ンプ ラ) に寺 院 でお寵 りをす る者 が転
N
7
ぶ
)
g
山肌
ンの転送 が近親 者 に義務 づ け られ て い る こ
とを象徴 的 に示 す も の で あ る [口羽 ・武 邑
義 1 寺院を中心とする年中儀礼とブンの転送
(
1
9
83
)
1983:303]
。
故人 の霊 に対 す る功徳 の転 送 は,上座部仏
教 圏で広 く行 わ れて い る。 そ れ は, 特定 の
儀礼の名称
‡開
催
月
日
ブンの
厚 意矧 転 送
1 新年儀礼
儀 礼 で遺族 が食 事 や金 品 を僧侶 に献上 して功
徳 を得 た結果 と して こう した品 々を うけ とる
ことがで きる とい う一般 的 な考 え に もとづ い
Gombr
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h 1971:213]
。 中部 タ イ
ている 【
と もよばれ るブ ンの転送行為 は,東北 タイの
ドンデ ー ン村 で は ヤ ー トナ - ム (
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といい,僧侶 が詠 唱す る経文 とと もに水 を器
か ら器 へ と移 しかえ る作業 を と もな う
。
ブン
を象徴 す る この水 を境 内の樹木 や地面 ,墓 に
ま くことによ って転 送 は完 了 す る。 ヤー トナ
ー ム は, ドンデ ー ン村 で は僧侶 が関与 す るさ
ま ざまな儀 礼 にお いて, なか ば制度化 された
野 杜」
祈願
仏 誕 節
人 安 居
相 穀 祭
l
l カオサーク
奉献祭
1
2 出 安 居
1
3 カ テ ナ衣
奉献祭
7
8
9
1
0
●
●●
で はクル ア ッ トナ -ム, トル ウア ッ トナー ム
2 墓窟
仮 出 家」
3 「
の儀式
4 黄衣奉献祭
5 ジャータカ
誕生祭
6 潅 水 祭
〇 〇 〇 〇 〇 〇〇〇 〇 ○ ○
徳 をつん で これ を転送 す る と,故人 の霊 は功
東南アジア研究
送 す る際 も, プ ンは直接届 く。
上記 の特定 の儀 礼以外 の年 中儀礼 や世帯単
2
3
巻3
号
む しろ, それ はよ り広 くプ ンを分 か ち合 うひ
とつのタ ンブ ン行為 と して合 理化 され る。 す
位 で僧侶 を招 いて行 う招福儀礼 (タ ンブ ン ・
なわ も, ブ ンの転送 は,特定 の故人 ・不特定
ヒエ ン) で転送 され るプ ンは,天神 (チ- ワ
の他者へふ りむ け られ る ことによ って,社会
ダ ー) や地母神 (メー トラニ ー) が うけ とっ
的 かつ宗教 的 な善行 と して完結 す る。3)
た うえで故人 の霊 に配送 し,閣魔 に通知す る
この よ うな プ ンの転送 の論 理 にみ られ るブ
とされて い る。転送 の経路 は異 な るが, プ ン
ンの く分 か ち合 い〉 は,生者 の世界 にお け る
が徐 々に蓄積 され ることによって霊 の立場 は
タ ンブ ンの社会 的展 開で も強調 され る。 タ ン
向上 し,終局 的 にはよ りよ き転生 を得 るわ け
プ ンは親一子 関係 を核 とす る家族成員 ,近親
で あ る。
間, さ らに は儀礼 の場で の参与者 を も含 む社
葬儀以 降 くり返 され るブ ンの転送行為 は,
会 的 サー クルのなかで行 われ, プ ンの く分 か
故人 の霊 が遺族 との間 に もつ正常 な関係 を示
ち合 い〉ときり離 して考 え ることはで きな い。
して い る。現在 の ドンデ ー ン村 には,北 タイ
個人 的 に完結 す る行 動 の よ うにみえ る在 家戒
の よ うに年 中行事化 した祖霊祭祀 や これを面
巳
の遵守 で さえ,実際 にはブ ンの転送 と不 可分
る詞 はな く,故人 の霊 が積極 的な守護霊 と し
の関係 にあ る。4)
て意識 され ることはない。 しか し,故人 の霊
子 の 出家 によ って心 か ら喜 ぶの は, 出家 し
は世帯 内の不和 や問題 が生 じた とき,世帯主
た 当人 よ りは, そのブ ンがふ りむ け られ ると
の子 や孫 に高熱 を ひ き お こす 「ピー シア」
され る両親 (とりわ け母親) や得度式 の援助
(
祖霊 の意) と して影響 を与 え る ことが あ る
者 た ちで あ り, 日々の僧侶-の食事布施 や年
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Fukuie
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. 1
9
85:25
2
1
0 その よ うな不 和
中儀礼 の際 に金 品 を寺 院へ奉納 す る ことは,
は,世帯成員 が共 同 して タ ンプ ンしプ ンを転
その世帯 の仝 成員 にプ ンを もた らす行為 で あ
送 す ることを妨 げ る原 因 とな るか らで あ り,
る。僧侶 が関与す る儀礼 のた めに食事 の準備
家庭 内の和合 を守 る懲戒者 と して祖霊 があ ら
を共 同で行 うことは もちろん,労働 力 を提供
われ るのだ と説 明 され る。 つ ま り,祖霊 と し
した り参加 す ることはすべて プ ンを得 ること
ての故人 の霊 は,遺族 の プ ンの転送 を動機 づ
につなが る。 すなわ ち, タ ンプ ンは常 に何 ら
け る存在 で あ って も崇拝 の対象 で はな い。
かの間柄 を とお して共 同で行 われ るもので あ
もとよ り,遺族 に とって は故人 の霊 が どの
り, プ ンはその間柄 を め ぐって共有 され る。
霊界 にあ り, いつ転生 す るのか は感知す ると
プ ンの個人 的獲得 とその く分 か ち合 い〉とは,
ころで はな い。 よ り重要 な ことは,ヤ ー トナ
同 じタ ンブ ン行為 のふたつの結果 と して あ ら
ームにみ られ るブ ンの転送行為 それ 自体 が 自
われ る ことが強調 されて いる。
らの善行 と して継続 的 に行 われ る点 にあ る。
あ るタ ンプ ン儀礼 を主催 す る ことは,その
ドンデ ー ン村 で は他 の タイ農村 同様 [
I
nge
r
-
よ うな場 を提供す る ことで あ る。 僧侶 にカチ
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47;Tambi
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0:1
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91
]
,
ナ衣 を献上 す るカテ ン儀礼 の主催者 にな るこ
ブ ンの転送行為 は特定 の故人 の霊 の転生 に関
わ るばか りでな く, よ り広 く生 き もの一般 ,
ブ ンが不足 して い る霊 へ無差別 にプ ンをふ り
む け る行為 と して と らえ られて い る。 したが
って,仮 に故人 の霊 がすで に転生 して い ると
して も,プ ンの転送 は無 意味 な もので はない。
3
5
2
3) ヤー トナームは僧侶を仲介として行われるが,
プンそれ自体が天神や地母神というバラモン起
源の超自然神によって伝達されるので,村人は
さまざまな願いごとをかなえる効用もあるとし
ている。
4)寄進する金品がなくとも,個人的に戒律を遵守
して得たプンを送ることができるとされる。
林 :東北 タイ ・ドンデ ー ン村 :葬儀 をめ ぐる プ ン (
功 徳) と社 会関係
とや,得度式 を行 う親族 が,多大 なプ ンを得
950年 に これを追放
った。1
●●しての ち,善霊 と
Fukui♂
/α
7
. 1985:256],
るとされ るの は 【
しての精霊 崇拝 は村人 の宗教行動か ら姿 を消
それが特定 の近親者 を中心 に して公共的 な形
して い る。 しか し,守護霊信仰 にかわ る今 日
式 で プ ンを分 か ち合 う儀礼環境 を生むた めな
の ク ン ・プ ラタム信仰 が悪霊 に対す る仏教的
ので あ る。葬儀 もまた基本 的 には同様 の論理
な守護力 を表現す る ものであ るよ うに,悪霊
に もとづ いて展 開す る。
と して の精霊 の概念 はいまだ人 々の意識下 に
1
984 :90
]
。 た とえ
ば,病 は薬 や病 院の医者 で治療 で きる原 因 に
深 く根 ざ して い る [
林
Ⅲ-2 通過儀礼 と しての葬儀
ドンデ ー ン村 の人 々の一生 のなかで葬儀 は
よる もの と, そ うで な い悪霊 によ る ものがあ
どの よ うな意味 を もつので あろ うか。 この こ
るとい う考 え は常識 とな って い る。単純化 し
とを く誕生〉 には じま る通過儀礼 の流 れ をた
て いえば,悪霊 は予期 しえぬ病 や災禍 をお よ
ど りなが ら検討 してお こう。 ドンデ ー ン村 に
ぽすすべての元 凶で あ る。 また,人 々の平穏
お け る通過儀 礼 のあ り方 には,その家族 ・親
な暮 らしを脅 かす異常 なめ ぐり合 わせや事件
族 が信奉 (アサ -イ) す る儀礼 の司式者 によ
の原 因 をなす もので あ る。
,
って若干 の相違 がみ られ る。 さ らに, その よ
悪霊 は 「転生 で きない霊」 「ブ ンを転送 す
うな儀礼 の司式者 が行 うべ きもの と して考 え
る親類 を もたない霊 」 と形容 され るよ うに,
て はいて も,現実 にはほとん ど行 われない も
輪廻転生 の秩序 か ら外 れて孤立 した存在 であ
の もあ る。 表 2に示 した もの は, ほぼ全村民
る。通常 の人間 の死霊 と異 な り,生者 (
遺族)
に共通 し,実際 にと り行 われて い る もの と し
か ら何 を も分 か ち与 え られな い境遇 にあ る。
て筆者 が再構成 した通過儀 礼 の全 ス テージで
それ ゆえ にいつ も空腹 で あ り,村人 の生活世
あ る。 それ によれば,半 数近 い儀礼 が悪霊 や
界へ侵入 して食物 や酒,衣類 を得 よ うとす る
自然霊 か らの保護 に関す る もので あ る。
のだ と説 明 され る。 すなわ ち,悪霊 はブ ンの
ドンデ ー ン村 には悪霊 (ピー ・ボ )サ ー ト)
の災禍 に対 す る民間信仰 の流 れがあ る。 開村
ヤ ー ト
転送 にみ られ る生者 との正常 な関係 を欠 き,
ただ奪 うのみの運命 を担 う。
以来 ,村人 によ って序
巳られて きた 「村 の守護
受胎 には じま る く誕生〉 ほ, と くに悪霊 の
霊」(ピー ・プ -クー)信仰 もそのひ とつで あ
介入 が意識 され る段階 で あ る。 あ る古老 は,
四斎 日には性交 を慎 むペ きだ
表2 通 過 儀 礼 の 諸 相
儀礼の名称
・ 禁雷鳥驚 児
とい う。 それ は単 に在家戒 の
対象者の
l年
齢
司 式 者 匝 礼の場 恒礼の様式
7カ月以上の モータム 自
宅 保護 ・除萩
妊婦
常置
宗
2 露品 7L
の
生後 卜3日
モータム 自
3 琵;
恕 L
の
生後-6歳
モータム 保護 ・除蔽
モータム の自宅
4 是農 さ
告の
1
2
1
9
歳
僧
5 賃度崇 の
6 結 婚 式
2
0
歳-
僧侶/
自宅一
タンブン
モース寺院
モ- ス - 自
宅 招
福
僧
侶 自宅寺院 タンブン
7 葬
儀
侶 自
宅 保護 ・除鉄
宅 タンブン
遵守 のた めで はな く,四斎 日
は霊 全般 が動 きを活発 にす る
日なので,受胎時 に悪霊 の侵
入 を回避 す るた めで もあ る。
また,臨月 が近 づ いた妊婦 は,
自宅 でか よ うな意味での安産
を保 証す る儀礼 を うけ る。妊
婦 と胎児 に対 す るこの儀礼 は
「タムモ ンコ ン ・デ ックコー
ト」 ともよばれ る。 儀 礼 を行
Ma
J
か
紺T3J) は,出
うモ ータム (
35
3
東南 ア ジア研究
2
3
巻3
号
産 時 に悪霊 が 自 らの転生 のた めに胎児 に宿 っ
ドンデ ー ン村 で は,子供時代 は男女 のわ け
た り,産蒋死 な どの不幸 がお きな いよ うに安
へ だてな く育て られ る。女子 の場合 は結婚式
産 を祈 願 す る。
杏,男子 の場合 は得度式 を迎 え るまでの儀 礼
産声 をあげたばか りの 赤児 は, ま だ 人 間
は男女共通 で あ り,すべて民間信仰 の儀礼 司
(
マ ヌ ッ り で はな く,精霊 の子 (
ル ーク ・
式 者 であ るモ ータムが悪霊 か ら幼児 を保護 す
ピー) とされ る。生後 3日の間 に母親 が信奉
るもので あ る。子 を もうけた親 は自 らが信 奉
す るモ ータムを自宅 に招 く. モ ータムは 「精
す るモ ータ ムの 「守護力 」 (コー ング ・ラク
霊 の子 で あ るな らばつれ され」 と問 い,悪霊
b
nyl
) に依存す る。 ドンデ ー ン村
サ ー, 竹別t
が手 をだ さぬ よ うに願 をか け る。儀礼 を司式
の人 々はほ とん ど全員 が特定 のモ ータムに一
す る者 によ って は捲糸儀礼 (プ -ク ・ケ - ン)
種 の クライエ ン トと しての 「信 奉者 」 (
ルー
を施 した り,5)母子 が寝 て い る部屋 に精米 を
クプ ング ・ル ークテ ィエ ン) の名で依存 して
まいた りす る。 いず れ も赤児 を悪霊 か ら護 っ
お り,親 自 らも日常生活上 の悪霊 の災禍 か ら
て,人 間 の子 と して認知す る ことが 目的で あ
の保護者 (
プ ー ラクサ ー, N
v
T
u
n
y7
) と して い
t
l
る。通常 ,生後 2日目に して赤児 は人 間 の子
る。
6) 通過儀礼 と してモ ータ ムが幼児 に施 す
とされ る。
儀礼 は,すべて除政 ・招福儀礼 に属 す る もの
赤児 は稲籾 を風選 す る竹製 の盆 (カ ドン グ)
に 3-7日間 のせ られ る。これ も悪霊 か ら子 を
で,モ ータ ムを中心 に世帯主 を単位 と して 内
輪 で行 われ る。
護 るの によい とされてお り,赤児 は この盆 を
12
-1
9歳 の間 に男子 は 両親 の判 断 に 従 って
もって移動 させ られ る。 盆 にのせ られ る時期
見習僧 (
サーマ ネー ン) の得度式 を行 うのが
がす めば,次 は 「ウ」 とよばれ る簡単 な木 の
ふつ うで あ る。 僧侶 (プ ラ)と しての得度式 と
スタ ン ドを しっ らえた揺 り寵 が赤児 の身のお
異 な り,僧侶 を 自宅 に招 き1
0戒 を うけ る。世
き場 とな り,母親 だ けでな く近 隣 の人 々に揺
帯 内だけで行 われ る小規模 な もので あ るが,
らされて可愛 が られ る時期 に入 る。
タ ンブ ン儀礼 で あ る ことにかわ りはな い。一
平穏 な出産 は平穏 に子供 が成 長す る願 い-
0代後半 か ら婿 を迎 え入 れて結婚
方 ,女子 は1
とつづ く。 親 た ちは子供 が泣 きつづ けた り,
式 (カ ンキ ン ドング) をあげ る。儀礼 は民 間
元気 がな い ことを最 も恐 れ る。 四斎 日の昼 さ
バ ラモ ン師で あ るモ ース -を新婦 の実家 に招
が りに母親 は子供 を抱 いて特定 のモ ータムの
いて行 うのがふつ うで あ る。僧侶 は招 かれ な
自宅 へ赴 く。 捲糸儀礼 を うけて子供 の健康 を
い。女子 に とって,結婚式 とこれ に先立つ結
悪霊 の害 か ら護 って も らうた め で あ る。 ま
納 の儀 (コ一 ・サオ)は,人生 で最 も華 やかな
た,母 乳 がでな くなれば,モ ータムで あ り民
舞 台で あ る。結 婚式 は多 くの人 々が参加す る
間医療 師 (
モ ーヤ ー) と して も有能 な長老 を
集合儀礼 的な ムー ドを もって い るが,基本 的
訪 れて薬 をつ くって も らう。 この よ うなモ ー
には新郎新婦 の親族 が中心 に な る儀礼 で あ
タ ム宅 への訪 問 は,子供 が離乳期 を迎 えて し
ば らくの ち も断続 的 に行 われ る。
5
)呪文を唱えながら手首に木綿糸をま く儀礼。モ
ース-が司式者でないこと, 「メール山をかた
どった儀礼道具」(
バイシー)を用意 しないこと
招魂儀礼」(
スークワン)と区別さ
などか ら,「
れている。
3
5
4
6) モータムは,男性であれば誰でも師匠 (
アーチ
ャン)について学習することによってなれる民
9
8
4:9
2
9
3
1
。
間信仰の儀礼司式者である [
林 1
9
3
0
年代からドンデーン村に浸
このモータムが1
透する以前には, こうした役割 を, 近親集団
(
スム)の長老 (ファナ一 ・スム)が同じよう
な儀礼を施すモーティオワダーとして担 ってい
た。
柿 :東北タイ・ドンデーン村 :葬儀をめぐるプン (
功徳)と社会関係
す る孝行 と しての意味 が大 で あ り, 自 らの修
る。
参与 者 が近親 に限 ら れ る 見習僧 の 得度式
は,僧 侶 の それ と比 べて得 られ るプ ンも少 な
行 を 目的 とす る得 度 は再 出家 の かた ちを と っ
て行 われ る傾 向が あ る。
い もの とされ るが, それで も これ まで保護 し
男 子 に とって ,結 婚式 は上記 の よ うな得度
育 て て くれた両 親 , と りわ け母親 - プ ンをふ
式 を終 えて か らあげ る ことが望 まれて い る。
りむ け る人 生最初 の孝行 の機会 で あ る。 子 供
結 婚生活 に入 って か らの 出家 は困難 だか らで
は世俗 生活 か ら離 れ るが,親 は自 らの ブ ンを
あ る。 男子 か らみた結 婚式 は,基 本 的 に はよ
●
得 る こととと もに子 供 が寺 院 で生 活 す る こと
を喜 ぶ。寺 院 に は村 人 が食事 を届 けて,皆 に
そ
もの と して新婦 の親族 集団 に新 た に参加 す
●●●
る ことで あ る. 仮 に, あ る男子 が ドンデ ー ン
育 て られ るかた ちにな るか らで あ る。 また,
村 で新婦 の生家 へ婿入 りす れ ば,結 婚式 のの
結婚 式 はタ ンプ ン儀 礼 で はな いが,新婦 方 が
ちに新婦 は夫婦 そろ って, も しくは新婦 だ け
得 る新 郎方 か ら の婚資金 は,7)得度式 で母親
が 自 ら信奉 す るモ ータ ムの 自宅 -赴 いて, ク
,
に譲 られ るプ ンと同様 に 「養 育 して くれた お
ン ・プ ラク ムを扉
巳った聖 な る仏 柵 (
- ン ・プ
礼 」 (カ ー ・ノ ム ソ ッ ト,文字通 り に は 母 乳
ラク ム) -新 郎 との縁組 を伝 え る。
8) モ ータ
代 の意) と して形 容 され るよ うに,両親 へ の
ムはた とえ新 婦 の親類 で あ って も,客観 的 な
孝行 ,報恩 の意 味 を もって い る。
保護者 ・仲裁者 と して ,新婦 の幸福 と平穏 な
2
0歳 以上 にな った男子 が具足 戒 (
2
2
7戒)香
日常生活 を見守 る ことが期待 され る。
うけて僧侶 と して得度 す る儀 礼 は,生涯 で最
これ まで述 べて きた儀 礼 は,通過儀 礼 と し
も大 きな ブ ンを得 るタ ンブ ン儀 礼 のひ とつで
てすべて,両 親 を主 とす る年 長者 が年少 者 に
あ る。儀礼 は,主催者宅 と寺 院 を中心 に,全
対 して施 す もので あ る。 さ らに,幼少 期 の も
村 民 を ま き込 む盛 大 な祝祭 とな る。 両親 を は
の はモ ータ ムによ る子供 自身- の保 護 ・除鉄
じめ とす る出家 者 の親族 は,儀 礼 の主催者 と
儀礼 で あ るの に対 して,見 習僧 の得度式 以 降
して4,
0
00
5,
0
00バ ーツの費 用 を使 って,食事
の儀礼 にお いて は, これ を主催 す る者 もその
や映画 な どの催 しものを村人 にふ るま う。 司
儀礼 を とお して年少 者 (
子 供)の方 か ら恩恵 を
式 は僧侶 とモ ース -のおの おの によ って演 じ
うけ る とい う孝行 の表現形 式 を もって い る。
られ る。
す なわ ち,子供 の成 長 に と もな って儀礼 の焦
得度 をす る本人 は両親 や近親 にブ ンをふ り
点 は悪霊 の防御 か ら,保 護 されて きた者 の保
む け るだ けで な く,一般 の人 々すべて に対 し
護者 - の報恩 を表 明す る もの- と移行 す る。
て ブ ンを生 む源泉 とな って持戒行 の生活 に入
と りわ け得度式 にお いて は,儀礼 の 当事者 の
る。 短期 間 で あれ,僧侶 にな る ことは男子 と
みな らず主 催者 で あ る親 の転生 に関わ るブ ン
して成人 す る ことを意味 す る。若 き僧侶 の還
の く分 か ち合 い〉 が前面 にでて,互 酬性 の関
俗 の期 日は見習僧 の場合 と同 じく,母親 の希
係 が顕著 で あ る。双 方 ともに同 じ生活 世界 に
望 によ る ところが大 き い
それ は当人 の婚期
あ って表現 され る この関係 こそが, かつて の
との兼 ね合 い も関係 して い る。 成人式 を兼 ね
保護者 で あ った年 長者 を送 りだす葬儀 にお い
。
た通過儀 礼 と して の得度式 は,育て の親 に対
7)現在の ドンデーン村での婚資金は,6,
00
0
-1万
バーツが一般的な相場である。なお, 1バーツ
0円だが,村内でキャサバの収穫を 1日手
は約1
5
バーツくらいの報酬と食事が与え られ
伝 うと2
るのがふつうである。
8
)そのモータムは,
多 くの場合新婦の母が信奉 し,
新婦が幼少期から除蔽儀礼をうけてきた人物で
あるが,そのモータムが死亡 している場合には
新たなモータムに依拠する。 ドンデーン村にお
けるモータムとその信奉者との社会的関係につ
いては別稿で詳述 したい。
3
5
5
東南 アジア研究
て 強調 され る もので あ る。
2
3
巻 3号
Ⅱ-3 葬制 の分類 と推移
ドンデ ー ン村 で は 「隠居 」 に相 当す る言葉
く死〉 に と もな う葬儀 は定 ま った葬制 に も
はな いが,両親 と同居 して老 後 の世話 をす る
とづ いて行 われ る。 ドンデ ー ン村 で は他 の タ
子供夫婦 が仕事 熱心 で親思 いで あれ ば,親 は
イ農村 同様 ,(死)の タイプ によ って葬制 が異
年老 いて ゆ くにつ れ現役 の農作業 か ら遠 ざか
な って い る。 す なわ ち,近 親者 にみ と られ る
る。 この よ うな境遇 にあ る者 はよい境 遇 にあ
一般 的 な く自然死〉 と,事 故死 や産蒋死 ,幼
る とされ る。 仕事 か ら解放 され る ことが重要
児 の死 や 自殺 な どの 〈異常死〉 のふた つ に大
なので はな く,子 や孫 た ちが親 を助 けて い る
別 され る。〈自然死〉の葬制 は,基 へ の納骨 を
ことが その人 の老 後 の地 位 を評 価 す る指 針 と
ともな う供養飯儀礼 の開催 時期 の違 い によ っ
な る。 こう した身分 になれ る ころか ら老 人 は
て さ らにふたつ に区分 で きるが,両者 は基本
タ ンブ ンに熱心 にな り,寺 院 に足 しげ くでか
的 に は同 じ儀礼 過程 を経 る。一方 ,〈異常死〉
け るよ うにな る。 と りわ け,家事 や育児 か ら
は,死 者 が成年 と未成年 のケ ース によ って儀
解放 され る老 女 が めだつ。 自 ら出家 で きず人
礼過程 が異 な る(
表 3)
0
生 にお け るブ ンの蓄 積 に大 きな- ンデ を もつ
く自然死 ) の場合 ,葬儀 は く死 →火 葬 一骨
女 性 は,食事 の布施行 や ブ ンの転送行為 な ど,
拾 い-供養 飯儀礼〉の 4段階 か らな り,喪主 宅
さまざまな タ ンブ ンの機会 をつ くり自 らプ ン
を 中心 に した タ ンブ ン儀 礼 と して行 われ る。
をつむ。 タ ンプ ンにいそ しむ ことので きる老
火 葬 は,火 曜 日を除 いて死 の翌 日の昼 さが り
後 の生活 ス タ イル は最 も望 ま しい とされて い
9) 僧侶 や生
に,村 の寺 院 内の火 葬場 で行 う。
る。
前 に多大 な徳 をつん だ とされ る人物 が死 ん だ
体 力 が衰 え,病 気 が ちにな る人生 の最終 段
場合 ,火 葬 す るまで の遺体 安 置の期 間 が タ ン
階 を,村人 は じっと動 かぬ建 物 (サー ラー)
ブ ンのた め に長 び くことは(
王室 の場合 同様)
に誓 え る。 自 らな して きた タ ンプ ン行為 を死
よ く知 られて い るが 【
Ke
yes 1
975:60
]
,ド
にぎわ に想起 す る ことが よい来 世 を もた らす
ンデ ー ン村 で再 出家 した老 僧 のケ ースで は こ
と信 じて くり返 され るタ ンプ ンは,老人 に と
の限 りで はな く,俗人 と同 じ次第 で あ った。
って は至福 の状 態 で あ る。 同時 に, タ ンブ ン
00バ ー ツが必 要 で あ り,
火 葬 す るた め に は 1
は完成 す る ことの な い善行 と して,来世 へ の
徴収 委員 (
カマカ ン ・ケ ップ ・ンガ - ン ・カ
不 安 を完全 に解 消 す る ことが な い。 当人 の よ
ー ソ ップ) を とお して村 の 寺 院 に 寄 進 さ れ
りよ き来 世 のた めの タ ンプ ンは, 肉親 で あ る
る。
子 や孫 に委ね られ る もの と して く死〉 が訪 れ
る。
葬儀 は,故人 の遺志 で あ るタ ンブ ンを遺族
骨拾 い は火 葬 日か ら数 えて 3日目に火 葬場
で行 う。 この あ との供養飯儀 礼 を連続 して行
う場合 は午前 中 に,延 期 す る場合 には午 後 に
が継 承 す る ことによ って,生 前 の立場 が完全
骨拾 いをす ませ る。遺 骨 はふたつ に選別 す る。
に逆 転 す る場面 で あ る。 す なわ ち, かつて保
要所 を除 いた もの はつ ば に入 れ,骨拾 いの際
護 や恩恵 を与 えた故人 は, この儀 礼 を契機 に
9)火曜日は 「ワン・ケ ン〆
」とよばれ,死霊が他
の悪霊の侵入をうけやすい日であるため,火葬
にはよ くないとされる。これは村内のモータム
やモース-の判断によるもので,遺族もこれに
従 っている。 また, 農繁期 (6月-1月)中の
葬儀では火葬の儀が順延されることはないが,
儀礼の最終段階である供養飯儀礼は後述するよ
うに順延されることが多い。
プ ンの転送 を通 じて新 た な る く誕生〉 す なわ
ち転 生 - む けて育
まれ る。
●●●
● それ は生者 がかつ
て うけた故人 の保 護 に対 す る奉仕 的 な供養 の
論理 に もとづ いて行 われ,悪霊 と対 極 的 な境
遇 を確定 す るので あ る。
356
柿 :東北タイ・ドンデーン村 :葬儀をめぐるプン (
功徳)と社会関係
表 3 死のタイプによる葬制の分類 と基本的過程
自
過程 恒 画
然
供養飯儀礼連続型
異
死
供養飯儀礼非連続型
・寺院の火葬場における火葬堆の準備
「ホームカ ン」
)
・村人の喪主宅への金品のもちよ り(
・僧侶の招請 - 供養のための見習僧得度式
・出棺 - 村人の葬列-の参加 - 寺院にて火葬
・僧侶の招請 - 饗宴
第
5 日
供養飯儀礼
・遺骨の一方を境内の仮
安置所へ収納
・僧侶の招請 - 饗宴
供養品つ くり - 僧侶へ
の食事布施 (
喪主宅)寺院-の寄進 - ブ ンの
転送 - 遺骨を墓 に収納
死後 2年以上おいて一晩
二 日にわた り行い,その
後納骨する
供養飯儀礼
い l日
・遺骨の一方を喪主宅へ
もち帰る
・僧侶の招請 - 饗宴・
娯
楽
・供養品つ くり
死
l未成年者の場合
・寺院で入棺 - 共同墓地 へ 土 葬
(
死亡が夜の場合は翌朝)
・土葬 した 日の夜か ら三晩にわた
って僧侶を喪主宅に招 き読経
・
3-5年後に遺
再 火 葬-
喪主宅における供養品つ くり - 骨拾い - 遺骨を
2分化 一 一万を火葬場に埋葬
過程 l 成年者の場合
死1土 葬
・遺体の清め - 安置
・棺つ くり - 入棺 (
死亡が夜の場合 は翌朝)
・僧侶の招請 → 饗宴
死
常
体を共同墓地
よ り掘 りだ し
て火葬
・つづけてその
日のうちに供
養飯儀礼を行
な って納骨
に,火 葬 した そ の場 の地 面 を掘 って 埋 葬 す る。
必 要 経 費 も最 大 で あ る。10)これ を行 う親 族 は,
も う一 方 の 遺 骨 は小 さな容 器 に入 れ て , い っ
遺 骨 を収 納 す る墓 も後 述 す る 穿 柱 式 と 異 な
た ん 喪 主 宅 - もち帰 る。 そ の夜 ,翌 朝 とつ づ
り, よ り高 価 な ス トゥ-パ 型 の墓 (ク ー ト)
く供 養 飯 儀 礼 が す ん で か ら寺 院 内 の墓 に収 納
を用 意 す る。 11) 三 つ 目 は, 2年 以 上 お いて か
す る。 供 養 飯 儀 礼 を延 期 す る場 合 は境 内 の仮
ら 2-3月 の乾 季 の間 の 四 斎 日を選 ん で 一 晩
安 置所 に (
骨 拾 いの直 後 ) 納 め, 墓 に納 骨 す
二 日 にわ た って 行 う。
る 日まで お か れ る
。
最 後 の 場 合 で は,近 年 , い くつ か の親 族 が
供 養 飯 儀 礼 の 開 催 日 は遺 族 の判 断 お よ び準
同 日に開催 し,他 の村 人 を もて な す 映 画 や モ
備 の た め の経 済 状 態 に よ って い るが ,主 に三
ー ラムな どの興 行 団 体 を共 同 出費 で よ び よせ
つ の 時 期 に分 か れ る。 ひ とつ は, 前 述 した骨
る方 法 が と られ て い る。 た だ し, 供 養 の た め
拾 い の夜 か ら翌 朝 にか けて 行 う 日程 で あ る。
の寄 進 は個 々 に行 う。 いず れ の方 法 にせ よ,
規 模 は さ ほ ど大 き くな いが , す ぐに墓 を準 備
供 養 飯 儀 礼 が可 能 な の は火 葬 日 よ り 3日 目,
す る資 金 を用 意 しな くて はな らな い。 ふ た つ
す な わ ち骨 拾 いの あ とで , そ れ以 降 は 2年 以
目 は, 出安 居 (オ ー ク ・パ ンサ ー) あ け に行
1
0)4万 か ら 6万バーツかかるのがふつ うである。
1
982
年 に主催者 とな った者 は 自ら2万7,
00
0バ
ーツをだ し,子供世帯か らの援助を含め,計 4
万バーツで とり行な った。
ll
)5,
000バーツを費やす親族 もいる.
うカ チ ナ衣 奉 献 祭 の ホ ス ト役 とな って 供 養 飯
儀 礼 を合 わ せ て行 うケ ー ス で あ る。 これ は最
も大 きな プ ンを故 人 へ 送 る好 機 と され るが ,
3
5
7
2
3
巻 3号
東南 アジア研究
表4 火 葬 場 と 墓 制 の 推 移
年
代
火 葬 場 所
1
詣 評
共同墓地
1
9
E
71
l
◆♂寺院の火葬場
1
93
77
1
9
3
8
・
共同墓地
遺骨の収納所
と様式
--・
-・
◆
共同墓地・
1
9
,
7
6
-・
--◆♂寺院の火葬場
・ス
墓 (
トゥ -
パ型石柱)--◆
・塞く
ス トゥ-パ型)
◆
・塀柱式-----◆
(
仮安置所)
注
記
8
6
0
年代)
く1
・遺骨はすべて火葬
した場 所 に埋 葬
し,木の徴標をた
てる
・年中儀礼,供養時
ともに参 らずに放
置される
〈1
9
7
6
〉
く1
9
71
〉
9
3
71
93
8
〉
く1
・遺骨の 2分納様式 ・共同墓地に埋葬 し ・納骨様式として穿
柱式が加わる。収
開始。遺骨の一部
ていた遺骨を寺院
納費 6
0
0パーツが
の火葬場に埋葬。
を寺院内の墓に納
タンブンとして必
現在の様式が整う
骨
要
・1
9
4
0
年代以降,定 ・火 葬 場 の使 用 料
(
1
0
0バーツ)がタ ・現在,ス トゥ-パ
着
型の墓は6
8基,塀
ンプンとして必要
になる
柱式は3
5カ所設置
される
上 待 って行 うの が望 ま しい とされて い る。 延
は1940年前後 の ことで あ る。今 日,遺族 た ち
期 す る場合 は死 後 3年 目に実施 す るケ ースが
は旧正月 で あ る潅水祭 (ソ ン グク ラー ン) の
多 い。 その間 に多 くの儀礼 用 の資金 を故人 の
日に墓 や遺骨 に潅水 す るが, かつて は葬儀 が
き ょうだ いや子供 が用 意す るた め と もいわ れ
す め ば共 同墓地 - は一 切訪 れ る ことはなか っ
るが,実際 に今 日で は供養飯儀 礼 に 1万バ ー
た 。
ツ以上 費 やす ことはふつ うで あ る。12)
現在 ,村 の寺 院 の外縁 は未完 成 の ブ ロ ック
供養飯儀礼 を骨拾 いにつづ いて行 うと葬儀
塀 と, まば らなス トゥ-パ型 の墓 で と りか こ
の全 日程 は 5日とな るが, これ を延 期 す る と
まれて い る。 ブ ロ ック塀 がつ くりは じめ られ
葬儀 と して は骨拾 い後 の遺骨 の埋葬 で い った
た の は,1971年 に寺 院 内に火葬地 が確保 され
ん終 わ るかた ちにな る。 この よ うな葬制 の基
て 5年 後 の ことで あ る。寮 は多 くの セメ ン ト
本 過程 は開村以来 行 われて い る もの だが,覗
柱 で しき られての びて い るが, この柱 には小
在 の火葬場 と蓋 を と もな う遺骨 の処理 は, ど
さな空洞 がつ くられて お り,骨 っ ぽが収 納 で
く近 年 に は じめ られた もので あ る。 表 4が示
きるよ うにな って い る。寺 院 の境 内 に基 をつ
す よ うに,かつ て は遺体 を村 か ら離 れた共 同
くって納骨 す る ことは,故人 に対 す る供養 と
墓地 (
パ ーチ ャー) で火葬 したの ち,遺骨 を
同時 に,寺 院 を美化す るタ ンブ ン行為 で あ る
す べ てひ とつ のっ ぽ に入 れ,墓 標 もたてず に
とされ る。 と くに, この塀 柱式 の納骨 法 は,
そ こ-埋葬 して いた。 ス トゥ-パ型 の石 柱 を
そ う した村人 の思 いを象徴 す る洗練 された方
つ くって村 の寺 院 に遺骨 を収納 しは じめ るの
法 で あ る。す なわ ち,ここに納 骨 す る遺 族 は,
1
2
)戦前 (
1
9
4
0年代)は 2
0
03
0
0バーツが相場であ
約6
0
ったといわれる。当時の籾米 1カソープ (
kg)は 1バーツで売買されている。
35
8
一律 600バ ー ツ の経 費 を徴収 委員 を とお して
寺院 に寄 進 す る。 この金 は寺 院 を と りか こむ
塀 をつ くりつづ け る資金 とな り, あ らた な遺
柿 :東北 タイ ・ドンデー ン村 :葬儀 をめ ぐるプン (
功 徳) と社会関係
骨 の収納所 (
塀柱) を生む。
か ら遺族 は僧侶 とともに共 同墓地-赴 き,哩
納骨の場 と火葬場が村の寺院 に収束 した今
葬 した遺体 を掘 りだ して,その場で改めて火
日,
共 同墓地 は故人 の特別な希望がない限 り,
葬す る。 そ して,遺骨 をふたつに分 け,ひ と
く自然死) のケースで使われ ることはない。
つをその場 に埋 め, もう一方 は供養飯儀礼 を
墓 についての近年 の考 え方 にみ るように,村
行 な ってか ら寺院の墓 に納骨す る。すなわ ち,
の寺院 は く死〉 をめ ぐる人 々のタ ンブ ン行為
成人 の場合 はプ ンを転送す るために火葬お よ
をよ り可視的 に制度化す る中心 とな り,一方
びそのあ とのタ ンプ ン儀礼 が最終的 には実施
の共 同墓地 は く異常死) の場合 に限 って使用
され るが,未成年者 に対 して は行われない。
され ることにな ったために,ふたつの く死〉
「ブ ンが少 ないため」 といわれ るよ うに,成
のタイプが より顕著 に表現 されて いる。
く異常死〉 の葬法の特徴 は,夕刻 でない限
人 でない死者 に対す るタ ンブ ン儀礼 は社会的
に積極 的な意味を もつ もので はない。
り死後で きるだけ早 く共 同墓地 に土葬す るこ
危険な死霊 を遺体 に閉 じ込 めるよ うなかた
とである。 産蒋死 の場合で は母子 は別 々の棺
ちですばや く土葬す るために,共 同墓地 は空
に入 れて土葬 され る。 遺体 は喪主宅 に止 めた
間的 に も村人 の心理 か らも,村の生活世界 と
りもち運んで はな らず,棺 つ くりや入棺 の作
は一線を画す るものであ るO村人 の環境認識
業 はすべて村 の寺院で行 う。く自然死)の場合
か らすれば,それ は自然界 に属 して い るo
と異 な って,棺 には何 らの装飾 も施 されない。
僧侶 が護呪経 を唱えたの ちに共 同墓地へ運ぶ
「原野」 (
パ ー)に象徴 され る自然界 は,人 々
の生活世界 に脅威 を与 え る悪霊 の温床 であ る
際 も,多 くの遺族 の男女 が肩で直接担 ぐので
ことか らも [
林
はな く, 2本の竹 を担 ぎ棒 に して 4人 の男性
村全体 にある種 の緊張感をひ きお こす。すな
が もってい くのみである
わ ち,個人の く死〉 は,転生つ まり正常 な生
サイク
月
′
命 の循環 をめ ぐって,村 レベルの問題 として
。
く異常死) による遺体 はすべて とりあえず
土葬す る。 火葬すれば,肉体 を失 った霊 は必
1
9
8
4:8
7
8
8
1
,(異常死) は
もあ らわれ る。
ず村へ戻 って きて,人 々の気 をひ くためにさ
まざまな災禍 を もた らすか らともいわれ る。
Ⅰ
Ⅰ
Ⅰ 葬儀 の実態
葬 ったその夜か ら,死霊 を鎮 めるた めに僧侶
を三晩つづ けて喪主宅 に招 いて,死者-の と
Ⅲ-1 儀礼の参与着
む らいを行 う。 集 ま る者 は近親者 のみ で,
く自然死) にともな う葬儀 は最 も一般的な
く自然死)の場合 の葬儀 の にぎや か さ は まっ
ものであ る。 さ らに,その儀礼の様式 は,主
た くない。横死直後 の死霊 (ピー ・タイホ ン
催者 の遺族 にとって も参与者の村人 にとって
ダ),とりわけ成人 の もの は,この世 に執着 を
も最 も理想的なタ ンブ ン儀礼である。 おのお
残 した ままなので,人 々に危害 を与 え る存在
の にブ ンを分 か ち合 う共 同作業 と しての儀礼
と解 されているか らであ る。
環境 が生 まれ るためである。遺族 は共 同 して
死者 が未成年者 (プ一 ・ノーイ)
1
3
)の場合,
ブ ンをつみ,会葬者であ る村人 のなかで親族
●●
葬儀 は土葬 と読経で終了す る。だが,成人の
?ブ ンを送 って故人への孝行 を表現す るo一
般 の村人 は,そのよ うな遺族 をさまざまなか
場合 で は,死後 3年 か ら 5年 の時間 をおいて
1
3
)インフォーマントによって若干の差はあるが,
51
6歳 くらいまでの少年少女
ここでは未婚の 1
を一般的にさす。
た ちで援助 しなが ら儀礼 に参与す る。故人 の
霊 は, いわば会葬者 が分 か ち合 うブ ンの流れ
のなかで他界 し, 転生-の適切な経路 を与え
3
5
9
東南 アジア研究
られ る。
2
3
巻 3号
村人 は,通常 は世帯単位 で葬儀 に参加す るか
以下 で は, ブ ンを分 か ち合 う主体 で あ る遺
た ちを とる。香典 や さまざまな品 を もちよる
族 と一般 の村人 の動 き を 中心 に, 最 も短期
の は世帯主 , も しくはその妻 の役割 であ る。
(5日) 間 で全 日程 を終 え る旧来 か らの葬儀
彼 らはまだ幼 い子供 をつれて訪 れ る ことが多
の過程 をみてお こう。 儀礼 の各段階 で不可欠
い。 ドンデ ー ン村 と隣接枝村 の ドンノイ村 で
の役割 を果 たすのが僧侶 で あ ることはい うま
は,村人 か らの香典 を遺族 にかわ って うけ と
で もな いが,会葬者 の村人 のなか に もい くつ
るとともに, これを募 って遺族 を助 け る委員
かの重要 な参加 の単位 がみ られ る。
(
カマカ ン ・ケ ップ ・ンガ ∼ ン ・チ ャーパ ナ
僧侶 は,喪主宅 と火葬場 があ る村 の寺 院 を
キ ッ トソ ップ) が定 め られて お り,人 々が最
中心 に葬儀 に加 わ る. ドンデ ー ン村 の僧侶 は
も多 く会 葬す る火葬 の 日に,常備す る両村 の
もちろん,遺族 の意 向 によ って近 隣村 の寺 院
世帯主 の リス トを もって喪主 宅 に か け つ け
の僧侶 も多数招請 され る。14) 参加 す る僧侶 の
る。うけ とった金額 を記入 す る,いわ ば香典 帳
数 は,音数 で あ る奇数人 と規定 され ることも
書記 で あ る。 ドンノイ村 に親族 を もつ ドンデ
な く,儀礼 の全 日程 を通 じて定 ま って いな い
ー ン村 の人 は多 いが, その よ うな人 々を除 け
が,最 も多 くの僧侶 が招 かれ るの は火葬 の 日
ば ドンノイ村 の リス トに記入 され るの は数人
で あ る。 俗人 で あ る遺族 や他 の 村人 に とっ
で, ご く親 しか った者 が形 式 的 に持参 す る香
て,僧侶 はプ ンの源泉で あ る。 さ らに,葬儀
0バ ーツであ る。一方,ドンデ ー ン村 の
典額 は1
にお け る僧侶 の役割 は,儀礼 の各段階 に応 じ
リス トはほぼ全世帯 が最低 1
0バ ーツ,通常 2
0-
た適 切 な読経 を行 な って死 者 の霊 を霊界 -導
5
0バ ーツ を もちよるはか, 近 親者 は 1
00-50
0
くとともに,生 者 に対 す る死霊 の脅威 を防 ぐ
ことにあ る とされて い る。
バ ーツなので,数字で一杯 にな る。 香典 の集
村 内で信仰熱心 な数人 の長老 15)は,葬儀 の
儀礼 の各作業 を遺族 同様 に行 う村 人 と し
具体 的な進行 を指示 し,遺族 と僧侶 サイ ドの
て,実 の血縁者 で はな いが生前 に故人 か ら恩
仲 介的役割 を演 じる。遺族 は,最 も適 切 な儀
恵 を うけて いた り,親族 の よ うにつ き合 って
礼 次第 を知 る者 と して村 の長老 をた よ り,倭
礼 に参与す る一般 の人 々 も彼 の指示 に従 う。
いた,数人 の 「ト ート・- ン- ン」(
t
y
7
品寸
9
字句 ど お り に は遠 い親類 の意) を 自称 す る
長老 は生前故人 と親 しか った者 やその喪主宅
人 々があ る。村人一般 の範 境 内にあ って最 も
の近 くに住 む者 が 自発 的 に参加 す る傾 向があ
積極 的 に遺族 を助 け, 自 らの若 い家族成員 を
り,招 かれ る とい う形式 を と らな い。16)
儀礼 の諸作業 に動員 させ る人 々で あ る。 さ ら
計額 を公表す るの もこの委員 の役割 で あ る。
遺族 お よび儀礼進行役 の長老 を除 く一般 の
に,食事 の場所 を提供 した り,食器 を貸す近
1
4)通常,隣村 ドンハ ンの寺院の僧侶は必ず招請さ
隣者 や知人 の協力 も不可欠 な もので あ る。彼
れるはか,国道を隔てたサワンマカー村の寺院
にも故人の娘婿 (
ルーク ・クーイ)がでむいて
招待する。
1
5
)彼らの多 くは,民間信仰のスペシャリス トとし
て モータムや モース-の名でも知られている
が,葬儀では主に儀礼時の読経を リー ドする者
(
プ-ナム ・スワット)として参加する。
1
6)たとえば,結婚式や新築儀礼を司式するモース
-は主催者側からの依頼によって参加 し,儀礼
の全過程をとりしきる。葬儀では長老の役割は
数人によって流動的に演 じられる。
らは他者 の葬儀 に自発 的 に, いわば準遺族
の
●
3
6
0
よ うなかた ちで参与す る。
遺族 が中心 とな って行 う作業労働 には明確
な分業 がみ られ る。 若 い女 性 や中年女性 は食
事 の準備 ,配膳 を担 当す る。儀礼 の全 日程 を
とお して最 も忙 しく,多 くの人手 が い る仕事
で あ る。青年 は水 くみや,火葬用 の薪 を両村
の各世帯 か ら集 め る重労働 を主 に担 う。また,
柿 :東北 タ イ ・ドンデ ー ン村 :葬儀 を め ぐる プ ン (
功 徳) と社 会関係
葬儀 用 の供養 品,儀礼 の用具 を喪主宅 でつ く
夫 ,故人 の き ょうだ いな ど近親者 が水 を くん
るの は,老女 た ちに限 られ る作業 で あ る。
で体 をふ き,パ ウダ ーをかけ る。次 いで真新
儀礼 の運営 を直 接的 に担 う以 上 の よ う な
しい服 (
あ るいは白衣) が きせ られ る (ヌ ン
人 々に加 えて, いわば内側 か らの共 同作業 に
グ ・パ ー ・ソ ップ)。知 らせ を聞 いて かけつ け
関与す るよ りは外側 か らの援 助者 で あ る村人
た村 の長老 は これを見届 け ると,部屋 の北端
が いる。 す なわ ち,生前 に故人 と深 いつ き合
に新 た な床 を しっ らえ,頭 を西 む きに遺体 を
い もな く,住居 も離 れた人 々で,数 の上 で は
寝 かせ て枕 をたて にお くよ う指示す る。
最 も多 い。故人 や その遺族 と社会 的 に距 離 を
遺体 が新 た にお きなお され ると,近 親者 や
もつ とい う意味で,彼 らは基本 的 には傍観者
訪 問者 は死者 の 口をあけて コイ ン (1バ ーツ
と して儀礼 を眺 め る立場 にあ る。 この よ うな
もしくは 5バ ーツ) を入 れ る。 口に入 りき ら
村人 一般 の参与 の意義 は,儀礼 を完成す る慰
●
な くな ると手 に握 らせ る。 人 々は競 うよ うに
問者
●●と して葬儀 に参加す ること自体 にあ る。
す なわ ち,香典 や共 食 お よび供養 に使 用 され
して死者 に金 を与 え る。 そ して,手 に花 を そ
え,胸 の上 に組 ませ て足首 とともに紐 で しぼ
る米 や野菜, トウガ ラシ,タバ コ, キ ンマな
る。次 いで, ロ と鼻腔 にかか るよ うに黄色 い
どを思 い思 いに もちよ って訪 問 し,一座 をつ
ロウを平 た くかぶせ る。 仰 む けにな って い る
らねて饗 宴 に興 ず ることが積極 的 に期待 され
死者 に白衣 ,毛布 をか け,顔 に白い布 をかぶ
る。 火葬 時での 出棺後 の葬列 の行 進 で は, こ
せて遺体安 置 は完了す る。
の範噂 に入 る女 ,子供 ,全世代 の人 々が,火
葬唯 にそえ る木 の枝 を用 意 して合流す る。
死亡時刻 が夕方 も しくは 夜 に な っ た 場 合
は,上記 の よ うに安 置 した うえ に,足 もとと
枕 もとの 2カ所 に天 井 につ かえ るよ うに 2本
Ⅲ2 儀 礼過程(
1
):遺体 の安 置
死 を迎 え るの にふ さわ しい場所 は自 らの家
の柱 をたてて ,三角柱 の テ ン トをつ くるよ う
なかた ちに して,
遺体 を布 です っぽ りと覆 う。
で あ る。死期 が近 づ けば親族 を は じめ,生 前
柱 には家屋 の一部 を きりとった り,屋敷地 内
にその人 に世話 にな った者 や近 隣者 が毎夜訪
の樹木 を きって使 う。 闇 のなかで は悪霊 が動
れ,深夜 まで 「その とき」の用意 にそなえ る。
くので死者 を隠すた めで あ る。棺 つ くりと入
死 にゆ く者 が生前 に影響 力 を もった人物 であ
棺 も翌朝 にのば され る。
るほど,夜 ごとの訪 問客 も多 く,雑談 の輪 が
遺体 を安 置す る ことは,喪主宅 が数 日間 に
で きる。 床 にふせ る者 をか こみなが ら,訪 問
お よぶ葬儀会 場 にな る ことを意味 し, 「ヒエ
客 ど う Lが タバ コや キ ンマをかんで談 笑す る
ン ・ピー」(
L
g
4
弛u
q死者 の家) とよばれ るO
ことは,遺族 にな ろ うとす る人 々- の 「思 い
遺族 は悲 しみをあ らわす間 もな く,女性 が中
アオ ・チ ャイ ・サイ)で あ るとされ る。
や り」(
心 とな って訪 問者 の応対体制 を整 え るた めに
死 が見届 け られ ると,故人 の娘婿 が庭先 へ
食事 の準備 に とりかか る。 男性 は寺 院- い っ
でて爆竹 を鳴 らす。 この く死 の通達〉 は近年
て僧侶 を招請 した り,酒 や儀礼 に必要 な もの
定着 した もので,かつて は親族 の者 が近 隣者
を買 いそろえ に走 る。棺 は,喪主宅 の庭先 も
に知 らせ に走 った とい う。 故 人 が寝 て いた床
しくは入 口で,故人 の娘婿 や故人 の孫 息子 が
が とり払 われ, その場 に上半 身 をお こ して衣
中心 にな ってつ くられ る。何枚 かの古板 を組
服 を はぎ,水 で遺体 が清 め られ る (
ア ップ ナ
み合 わせ るだけの簡単 な ものであ るが,上 に
ム ・ソ ップ)。 家屋 は高床式 なので,
水 は床板
ノ リを塗 り紙 を貼 る。 さ らに この上 か ら色紙
を流 れて階下 - と落 ちる。故人 の子供 やその
の きり抜 きで飾 りつ ける。 この ときには村 の
3
6
1
東南 アジア研究
2
3巻 3号
長老 や近 隣者 も見守 りつつ手伝 う。 1時間 も
ンデ ー ン村 の寺 院か らもちだ されて設 置 され
たたぬ うちに完成す ると,す ぐ部屋へ運 び遺
る。 そ して僧侶 が 自 ら 「死者 のブ ンのた めに
体 を納 め る。
食事 を Lに くるよ う」 とい う誘 いを村 中 に伝
愛 す る者 の死 は, ときと して遺族 , とりわ
え る。 やがて, これ に応 じるかの よ うに村人
け生活 を ともに して きた夫 ,妻 ,あ るいは老
が続 々と訪 れて焼香す る。 焼香 をせず に,僧
後 を世話 して きた子供すなわ ち 「プ ー リエ ン
侶 の読経 のあ との共食 に参加 す るだけの人 も
グ」 に深刻 な動揺 を もた らす。極度 の精神 的
い る。彼 らは1
0バ ーツか ら多 い者 で5
0バ ーツ
鋒乱 は,悪霊 が入 り込む危険な状態 とされて
の金 を持参 し,遺族 が用意 した器-入 れ る。
い る。 そ こで即座 にモ ータムが招 かれ,動揺
名前 と金額 が とりあえず紙 に記入 され る。
を鎮 めて悪霊 を遠 ざけ るた めに喪主宅 の外 で
。
1
7)
捲糸儀礼 を行 う
食事 の した くは故人 の娘 た ちが指揮す る。
ころあいをみて,先 に故人 との別 れを指揮
した長老 とは別 の長老 が,遺族 ・俗人 の代表
と して僧侶 に 5戒 を懇請 す る。読経 が は じま
孫娘 た ちは下 ご しらえの作業 を行 い,孫 息子
5
って も女性 らによって食事 が準備 され る。1
た ちは飲水 をか めか ら移 して階下 か ら階上へ
分 はどの読 経 のの ち,僧侶 はす ぐに退室 し寺
と運 ぶ。 これ はかな りの重労働で あ る。生前
院- と戻 る。 同時 に,村 の訪 問者 か ら順 に遠
に故人 と親 しか った者 の子 や孫 た ち もかけつ
来 の親族 ,故人 の遺族 - とつづ く共食 が は じ
けて,彼 らを手伝 う。 悲 しみで放心状 態 にな
ま る。18' 食事 を準備 した女性 た ちは最後 に食
った者 をいたわ る余裕 もな く,彼 らは最 も忙
べ る。19)
しく,楽 しげ にさえみえ るよ うに共 同作業 に
精 をだす。
豪華 な食事 と酒 がすすむ につれて,喪主宅
は拡声器 を とお した テープ音楽 (
モ ー ラム)
若 い遺族 た ちの仕事分担 が定 まるころ,入
とともに,騒 然 と した にぎやか さ とな る。 踊
棺 された死者 の枕 もとに大 きな盆 がおかれ,
りだす者 や唄 う者 がでて饗宴 とな る。棺 の傍
長老 の指示 によって この上 に線香 ・ロー ソク
らで はバ クチ(レンパ イ)も行 われ,混沌 と し
・
金 がのせ られ る。長老 は この盆 を前 に座 し,
た状況 のなかで人 々は宴 に酔 いなが ら夜 をあ
何人 かの遺族 (
故人 の き ょうだい,娘 ,孫 が
かす。 それ は拡声器 を通 じて村 中 に響 きわた
主) を盆 の周 囲 に並 ばせ る。遺族た ちは座 っ
る音 とな って闇夜 を揺 るがす。その雰囲気 は,
た まま上半身 を前 に折 って右手 を盆 のふ ちに
あたか も死者 を安 置す る家 と村 には一瞬 の静
さ しだす姿勢 を とる。盆 か ら遠 い親族 の者 も
寂 もあ って ほな らな いかの よ うで さえあ る。
同 じよ うに従 う。 その遺族 を前 に長老 は朗 々
死 の当 日は故人 の霊 が最 も不安定 な時期 とさ
わか
と 「これ は別 れであ る。 われわれ はこの事 実
れ るのだが,村人一般 が参加す る終夜 を徹 し
を認 めて故人 な きあ とも, ともに見 守 る (
秩
た この共食 と饗宴 は,供養飯儀礼 が終了す る
養 す る)
」旨を述 べ る。これ は遺族 内での故人
まで連夜 にわた ってつづ く。宴 にお いて主
●は
との別 れの確認で あ り,喪
に服す る (
ワイ ト
●●●●●
常 に村人一般 で あ って, ホス トで あ る遺族 は
ウツク) 唯一 の瞬間 であ る。 葬儀 をめ ぐる忌
避事項 は何 もな い。
これ につづ き,僧侶 が喪主宅-や って くる。
寺 院の行事 で常用 され るマイ クと拡声器 が ド
1
7)幼児に対 して行われるものと基本的には同じで
ある。約30秒ほどで終わる。
3
6
2
1
8)死者と空間を同じくしての共食を拒む遺族外の
村人も若干みられるが,彼 らは喪主宅の近隣の
家先にもうけられた場所で食事をとる。モータ
ムの主流派のほか,儀礼の リーダー役を果たす
長老も同じ行動をとる。
1
9) これは葬儀に限らず,儀礼のホス トとして他者
を迎えたときに必ず守られるルールである。
柿 :東北 タイ ・ドンデー ン村 :葬儀 をめ ぐる プ ン (
功 徳) と社 会関係
従
●の立場 にあ る。 人 々の喧騒 に守 られ るかの
よ うに して遺族 た ちは交代 で休 息 を とる。
9時前 に は朝 の食事 を寺 院 で終 えた僧侶 が
喪主宅 に招 かれ る。棺 の枕 もとをか こむ よ う
に,僧侶 は東 む き,北 む きに並 ん です わ る。
Ⅲ3 儀礼過程(
2
):火葬
そ して,遺 族 はまず棺 を改 め,死 者 - の最後
火 葬 の 目的 は,霊 界 - の 出発 のた め に肉体
の食事配膳 (
- 一 ・カオ ・- イ ・ピー ・キ ン)
を葬 って故人 の霊 を独立 させ る ことにあ る。
を行 う。 「プ ー リエ ング」 と その き ょうだ い
儀 礼 の参加者数 が最大 にな るの は この段階 で
が水 , こわ飯 ,バ ナナ,おかず をのせ たひ と
あ り, タ ンブ ンが広 範 囲 にわた って強調 され
つの盆 を手 をそえ合 って頭 の高 さにまでかか
る。
げ,棺 の枕 もとにお く。一 方 で,死 者 の孫 息
喪主 宅 は休 みな く夜 を徹 して音 をたやす こ
子 にあた る者 が,僧侶 と見 習僧- の布施金 を
とがな く, これ につづ くよ うに朝 6時 ごろか
紙 で包んで お く。21
)約1
5分 の僧侶 の読 経 のの
ら香典 集計委員 によ るタ ンブ ンの よび声 が村
ち, この布施金 の包 み を入 れた器 を棺 の なか
全 体 に流 れ る。 喪主宅 か らは遺族 の若 い男性
の死者 の手 もとにのせ る。器 には霊 糸 (
ダイ
を中心 に, 同世代 の村人 とともに手押 し車 を
サ ーイ シ ン) をつな ぎ, その先端 を僧侶 の手
駆 って ドンデ ー ン村 お よび ドンノイ村 を まわ
もと- わた らせ る。 そ して ,読経 を主導 す る
り,各世 帯 か ら火葬用 の薪 を調達 す る。薪 を
僧侶 が三 宝帰 依 を唱 えた の ちに, この器 は村
提 供 す る世帯 に とって も死 者 のた め に これ を
の長老 によ って とりだ され ,ひ とつず つ の包
集 め る若者 に も, この 行為 は タ ンブ ンで あ
みが僧侶 と見 習僧 に手 わた され る。 これ は,
る。手分 け して集 め られた薪 は,村 の寺 院 内
死 者 が この世 で行 う最後 の タ ンブ ンなので あ
にあ る火葬 場 の適 当な場所 につみ あげ られて
る。
ゆ き,準備 が整 え られ る。
この儀式 がすむ と,僧侶 た ちはい ったん寺
喪主 宅 は 8時 す ぎあた りか ら金 品 を もち よ
院-戻 る。 そ して
,「ホ ー ムカ ン」でや って き
る村 人 で に ぎわ う。 す で に早朝 か ら訪 れて い
た人 々に少 し遅 い朝食 が酒 とともにふ るまわ
る村 の老女 や遺族 の女 性 が, その品 々を使 っ
れ る。
て僧 侶 に献上 す る供養 品 (
パ ー ・カオ ・チ ェ
午 後 2時以 降 に行 う出棺 の前 に,最 も多 く
- ク)20) をつ くるので, この よ うな人 々の金
の僧侶 を再 び喪主宅 に招 いて の 「死 者 へ の供
品 の もちよ り合 い は,他 の重要 な寺 院 の年 中
養 のた めの得度 式 」 (ナ - ソ ップ)が あ る。 故
Fukui
行事 にお け る親族 間 の共 同 と同 じ く [
2歳 か ら20歳 す ぎの男
人 の孫 の世代 にあた る1
and Kuc
hi
ba
,
1983: 11
] 「ホームカ ン」
(
㌻紺 晶 ) とよばれて い る。 これ は,互 い に
子 (
た とえば,故人 自身 の孫 息子 ,故人 の き
ょうだ いの孫 息子 の ほか,生 前 に故人 に世話
ブ ンを分 か ち合 うた めの最 も重 要 で盛 ん な相
にな った者 の子 供 や孫) が, それぞれ の両親
互扶 助行為 で あ る。 もちよ る品 々は と くに品
の意思 によ って見習僧 と して得度 す る儀式 で
冒,量 ともに定 ま って いな いが,遠来 の者 が
あ る。 数人 の年 長者 に剃 髪 して も らい,招 か
金 や乾物製 品 を提 供 す るの に対 して,近 隣の
れた僧侶 か ら1
0戒 を うけたの ちに,寺 院 にお
者 は金 の ほか に米 や タバ コ, トウガ ラシ, コ
かれて いた僧衣 をか りうけて着 用す る。火葬
コナ ツ, グ リー ンパパ イヤ,バ ナナな どを準
備 す る傾 向が あ る。
2
0
)バナナの葉に少量のキンマ,タバコ,こわ飯,
おかずなどをのせて包んだもの。
2
1
)僧侶-の布施額の方が見習僧-のものよりも多
いのがふつ うである。
主催者によって異なるが,
0
3
0
バーツ,見習僧へは1
0
1
5バーツ
僧侶-は2
が一般的である。
3
6
3
東南 アジア研究
2
3
巻 3号
式 がすめば全員 ,還俗す る。 これ はブ ンを故
米 を道 の両側 にまいてすすむ。 はぎ
し米 は
●●●●
人 にふ りむ け るための得度 であ り,修行生活
とは無関係で あ る。
「死 んだ米」で,再 び芽 をださな い意味が
新 しい見習僧 を含 めた僧侶全員 による読経
が,
会葬者でふ くれあが った喪主宅 に流れ る。
1
0分 ほどの読経 がすむ と僧侶全員 が退室 して
出棺 の運 び とな る。故人の子供た ちが棺 の頭
あ るといわれ るが, これをま くことによっ
て悪霊 の気 をひ き,死者 を無事 に火葬場へ
届 けることがで きるとされ る。
5)遺族 の成年男子 ひ とり。紙製の白い旗 を も
つ。
部 を,故人 の娘婿 とその息子 (
故人 の孫) た
6)村 の長老。 ぴん に花 (
- スの花 な ど) を入
ちが足 もとの方 を もって,足 もとの方か ら棺
れて もつ。彼 は先頭 をゆ く長老 よ り若 い。
を階段- とお ろす。 この とき,たてつづ けに
7)遺族 の成年男子ひ とり。死者-の供養 品の
肉,野菜, 煮物 な どの副食品
爆竹 が鳴 らされ る。階下- おろされた棺 の足
包みを もつ
もとの- りに,霊糸 をよ り合 わせた綱 が,待
の包み と, こわ飯, タバ コ, キ ンマの包み
ち うけて いた僧侶 によ ってつながれ る。葬列
をそれぞれ カゴに入 れて いる。
をな して火葬場へ赴 く際 に僧侶 がひ くた めの
ものである。棺 の足 もとを近親 の成年 ・壮年
男子 が,頭部 は女性が,おのおの肩 に担 ぐな り
。
8)
村 の男性 ひ とり。 生米 を入 れた器 にバ ナナ
の茎 を うめ込んだ線香 たてを もつ
。
9)僧侶 の集団。最長老 の主導僧 が棺 か らでて
手 をそえ る格好で足 もとの方か ら移動す る。
いる綱 の先端部 を もつ 。 若 い僧侶 もこの集
なお,棺 の上 には花 がおかれ る。
団 にい る。 タバ コを吸 いなが ら行進す る。
喪主宅 をでて しば らくす る と葬列 が で き
る。僧侶 か ら遺族 の後方 には村 中の老若男女
1
0)
寺 院の見習僧。僧侶 が先導す る綱 に手 をそ
え る。3)の見習僧 よ り年長の者で あ る。
がひかえ る。 その数 は,棺 が火葬場 に近 づ く
ll
) 「供養 のための得度式」を先刻行 な った近
につれて さ らに村人 が合流 してゆ くので, ど
0
0人 を こ
ん どん増加 し, 到着 す るころには 2
親 の見習僧。前か ら幼 い者 ,年長者 とつづ
え ることも稀 で は な い。参列者 は全点 「ラ
ンプ-」 とよぶ細長 い枯枝 を何本 か手 に もっ
12)
死者 (
棺) とこれを担 ぐ遺族 の人 々。棺 に
,
,
てお り 「タ ンプ ンLにゆ こう」とこぞ ってや
く。や はり棺 か らの綱 に手 をそえ る。
鈴な りにな るよ うなかた ちで歩 く。男性 は
ココナ ツの実 を片手 で もつ。
って くるのである。 葬列 の順序 は先頭 か ら以
1
3)火葬 に供 され る木 々を もつ村 の 人 々 の 大
下 の よ うにな ってお り,葬儀 の参加者 の社会
集団。道 中で この葬列 を待つ人 々も多 く,
的範噂を明確 に示 して い る。
行列 の最後尾 についてゆ く。
1)村 の長老。彼 は棺 を中心 とす る集団か らか
火葬場- の行程 は,通常 と異 な って寺院の
な り離れて歩 く。 喪主宅 か らで はな く,必
裏側か ら入 るコースをた どる。村 の最南端 か
ず途 中で合流す るかた ちで先行す る。
らで も葬列 は約 2
0分で火葬場 に到着す る。 こ
2)村 の男性 ひ とり。 砂 を入 れた器 の線香たて
を もつ。
の大集団 は火葬場-入 ると三 つのグループ に
0)の人 々は,火葬唯 の真北 に
分 かれ る。1)-1
3)寺院の見習僧。数人 の年齢が低 い者。
3)の村人 た ちは
な る読経す る場所-ゆ く。 1
4)村 の男性 ひ とり。2)と同 じく生前故人 と親
西側 の境 内を背 に して, いったん座 る。l
l
),
しか った者 で,カゴ もしくはバ ケ ツにはざ
●●
1
2
)の遺族 のグループ は火葬堆 - とむ か う。
し米
カオ ・トック ・トェ-ク) を入 れた
●● (
ものを もつ。火葬場 に近 づ くにつれ, この
そ して,火葬唯 を軸 に時計 と逆 まわ りに 3度
3
6
4
まわ り,棺 の頭 を西む きに して地面 におろす
柿 :東北 タイ ・ドンデー ン村 :葬儀 をめ ぐる プ ン (
功 徳) と社 会関係
直 前 に,棺 の側 面 を火葬唯 に 3度 あて る。着
ツで棺 にむ か ってかけ る。火 は消 え る ことな
地 と同時 に爆竹 を鳴 らす。 同時 に,待機 して
く燃 え る。次 に,村 の壮年男性 ふた りが,燃
いた多勢 の村人 が火葬堆 - と集 ま り,手 に し
え さか る火葬堆 を南北 に はさんでむか い合 っ
て いた木 々を上 へつみ重 ねたの ちに, また も
てた ち,死者 の遺品 とな る生 前の衣服や かた
との位 置-戻 る。
みの品 を入 れた包みを,南側 にたつ者 か ら北
棺 を火葬堆 わ きにおろす と,遺族 の老女 が
側 の者-,棺 の上 を通過 して届 くよ うに放 り
棺 の頭部 に先 の供養 品 をお く。そ して,火葬堆
あげ る。 相手 は包 みが地面 に落 ちるのを待 っ
の底部西側 に穴 を掘 って小 さな花 を うめ る。
て これを拾 い, またむかい側 の者-放 りあげ
棺 のふたがあけ られ ると 「プ ー リユ ング」 が
て戻す。 これを くり返 し, 3度 目に北側 の者
死者 の手足首 を しぼ って いた紐 を ほど き,僧
は直接手 で うけ とる。包 み は,すで に火葬 し
侶 た ちがや って くるのを待 つ。用意 された コ
て死霊 の執着 を払 った遺品 と してのちに喪主
コナツの実 を割 って,僧侶 ,見習僧 の順 で,
宅 へ もち帰 られ る。
この果汁 を死者 の頭部 か ら足 も と- と か け
一般 の村人 た ちはか よ うな光 景 を最 も遠 い
る。次 いで香水 を混ぜた水 をバ ケ ツに用意 し,
ところか ら眺 めて いる。 やがて完全 に火 が ま
「プ ー リエ ング」 を筆頭 に して遺族 が死者 に
わ って屍 が金色 にみえ は じめ るころ,遺族 の
か け る。 これ につづ くの は村 の長老-老女 -
男性 が人 々の輪 -赴 き,用意 した小銭 (1バ
壮年者 -年少 者 た ちの順 であ る。
ーツや5
0サタ ン硬貨) をば らま く。 これ は幸
棺 の頭部 か ら,新 た に霊糸 が竹 の ポール,
運 の コイ ンとされてお り,集 ま って いた子供
樹木 を経 由 して読経 を行 う僧侶 集団の もとへ
や女性 た ちが楽 しげ に うけ とる。一般 の村人
のば され る。僧侶 と南側 にむか い合 う俗人 長
の参与 は これで終 了 し,人 々は境 内を とお っ
老 の前 に この先端 をお き,傍 らに 2本 の ロー
て寺 院 の正門か ら家路 につ く。
ソクを灯 してたて る。 霊 糸 に手 をそえ るの は
同時 に僧侶 た ち も火葬場 か らひ きあげ るの
僧侶集団の最前列 に座 す遺族 の見習僧 た ちで
で,残 るの は遺族 と数人 の長老 た ちのみ とな
あ る。 準備 が整 うと葬列 の先頭 にあ った長老
る。屍 が最後 まで燃 え尽 きるのを見届 け るた
の リー ドで 5戒 が懇請 され,読経 に入 る。この
めで あ る。 と りわ け,火 の まわ り具合 に注意
長老 は俗人 サイ ド最 前列 中央 に座 って いる。
0分
す るの は故人 の娘 婿で あ る。点火 して約9
読経 が は じま る ころ,火葬堆 周辺 の遺族 た
後 ,残 った人 々 も境 内を とお ってひ きあげ は
ちは,木 々を燃 えやす いよ うに整 えて火葬 の
じめ るが, その ころには先 に僧侶 とともに火
準備 をす る。棺 か らぬれたマ ッ トを とり除 く
葬場 か ら退場 した遺族 の見習僧 も,還俗 の儀
と,死者 を うつむ けに して棺 ご と火葬堆 の上
をす ませ て合流す る。
へ のせ る。 さ らに,棺 によ りかか るよ うに,
火葬 の夜,喪主宅 で は再 び僧侶 を招 いて読
大 きなバ ナナの木 を 2本 クロス してたて る。
経 を行 う。 そ して,昨夜以上 に多 い訪 問者 に
すべて が完 了す る と読経 を終 えた僧侶 がや っ
食事 と酒 がふ るまわれ,盛大 な饗宴 が夜 を徹
て きて,村人 が もちよ った木枝 を使 って火葬
第 3日日) も読経 と饗
して行 われ る。 翌 日 (
堆 に点火 す る。雨天 の場合 は点火前 に石油 を
宴 は行 われ る。
か けて炎 が まわ りやす いよ うにす る。
火葬堆 が炎 に包 まれ ると, まず,火 葬 の模
Ⅲ -4 儀礼過程 (
3):骨拾 い
様 を最 も近 くで見届 け る遺族 の人 々か ら 「プ
火葬 の儀礼 によ って霊界 へ と導 かれた故人
ー リエ ング」がでて,香水 を混ぜた水 をパ ケ
の霊 は,骨拾 いの儀礼 にお いて よ りよ き転生
3
6
5
東南 アジア研究
2
3
巻 3号
-の方向づ けを うける。儀礼 の参与者 は,倭
を もって歩 く. 約 1
5人 ほ ど の グループ で あ
礼 を リー ドす る村 の長老 や これを手伝 う人 を
る。
除 くと,基本的 に,遺族 や生前 に故人 の世話
途 中で,儀礼 を リー ドす る村 の長老や手伝
にな った り親 しか った者 のみ に限 られ る。 骨
う村人 が加わ って,火葬場 につ くころには一
拾 いにつづ く供養飯儀礼 は,先 の火葬 の次第
行 の人数 も増 え る。人 々はまず死者 の灰 の前
と同様 に,不特定多数 の村人 を参与 させ る公
に集 ま り,境 内のポ ンプか ら水 を くんで灰 に
共的なタ ンブ ンの儀礼環境 を もつが,骨拾 い
かける。 熱 さま しのた めであ る。 同 時 に,
の儀礼 自体 はそれが稀薄であ る。 しか し,僧
「プ ー リエ ング」 と故人 の きょうだい (
主に
侶 の招待 と読経,村人 との饗宴 は同 じよ うに
喪主宅でつづ け られ る。供養飯儀礼 を骨拾 い
女性) が灰 の傍 らに故人への食事 の盆 をひ と
メー
・
ト
テ
こ・
つお き,年長者 の方 が死者 の霊 と地母神 に語
の夜か らつづけて行 う場合,骨拾 いは午前 9
りか ける。 「わた した ちは いま, 骨拾 いをす
時 にはは じま り,夜 はより一層 にぎやかな饗
るた めにや って きま した。僧侶 を招 いてタ ン
宴 の時間 とな る。
プ ンします。 ど うぞ ブ ンを うけ とりにきて,
村 の信仰熱心な老女 た ちは,バ ナナの葉 を
もって早朝か ら喪主宅 を訪 れ る。遺族 の女性
この食事 を召 しあが って ください。 もし, い
I-[
5
=1
らな ければ食べな くて よいです。地母神 よ,
とともに 「ホーマーク」をつ くるた めであ る.
ど うぞ (
故人 に) プ ンを届 けておいて くだ さ
すで にもちよ られて いるタバ コとキ ンマをバ
い。 これ はわた
した ちのプ ン (プ ン ・コー ン
●●●●●●●●
ナナの葉 で こぶ し大 に包み込 み, その両端 に
グ ・ハ オ) です」。
ロー ソクを 2本,木 の葉 を 2葉 そえた包み も
骨拾 いで招 かれ る僧侶 は ドンデー ン村 の寺
ので ある。 これ は一種 の供養品で,僧侶へ献
院の僧侶 だけで あ る。見習僧 も数人 だけが同
上す ることによって死者 の霊 に た む け られ
行 す る。僧侶 は,先端 がふたつ に分 かれた木
0人 はどの老女 が喪主宅 の厨房 に座 し,
る。1
の枝 を使 って,遺族 に先ん じて遺骨 を拾 う。
おのおの に手分 け して大量 につ くる。
そ して,遺族 が傍 らに広 げた 白い布 の上 にお
供養 品を用意す るブ ンが老女 に限定 され る
く。つづいて 「プー リエ ング」を筆頭 に,逮
の に対 して,遺族 の若 い女性た ちはモチ米 で
族 ,そ して長老 ,知人 の順序 で次 々と遺骨 を
蒸 し菓子 (
カオ トムパ ッ ト) をつ くって僧侶
拾 いあげ る。 ひ ととお り布 の上 に移 し終 え る
か ら死者-の献納 品 とす る。 ココナツの果 肉
と,布 の四隅 を もちあげ, ジ ョウロを使 って
を けず り,バ ナナの実をモチ米 で くるんだ も
水 をかけ る。 あ とは 「プー リエ ング」を中心
の-混ぜ る。 また,霊 -の食事 を盆 の上 にそ
に遺族 の者 だけが素手 で骨 を選別 し,ふたつ
ろえ るの も彼女 た ちの仕事で ある。 これ はブ
の器 に分 け入 れ る。 頭 ,ひ じ,足 ,胸 ,歯 な
ンの転送用の食事 とされ る。
どの部分 は小 さい容器 に入 れ る。 それ らを除
火葬場への出発 が近づ くと,老女 た ちは最
く遺骨 はすべて,つぼ型 の アル ミ鍋 (
米 を蒸
後 の供養品つ くりにおわれ る。 バ ナナの葉 で
す ときに使 うもの) に移 され る。 そ して,両
舟型 を こ しらえて キ ンマ とタバ コを少 量のせ
た もので, 白い木綿布 に包んだ布施用 の精米
方 にそれぞれ ココナツの果汁,香水 がかけ ら
れ る。
と一緒 にカゴへ入 れ る。 これがすむ と出発 で
残 った火葬跡 の灰土 は,長老 が クワでか き
あ る。遺族 の男性た ちか ら先 に,裏側 か らの
な らし,等 身大の人間のかた ちに集 め られ る。
コースで火葬場-むか う。 と く に列 を な さ
頭 を西 にむ けて大の字 に寝 るよ うな姿 かた ち
ず, おのおの に供養品を入 れたバ ケ ツや カゴ
に土 を盛 るのであ る。頭 ,胴体 ,手足 が明確
3
6
6
林 :東北 タイ ・ドンデ ー ン村 :葬儀 を め ぐる プ ン (
功 徳) と社 会 関係
にな る と 「プ ー リエ ン グ」が 1バ ー ツ銀貨 を,
は東側 の しげみ に捨 て られ る。 次 に,人形
●●の
口 と鼻 そ して股間部 に あ た る 部位 に 1枚 ず
上 にお いて いた もの をす べて とり除 き,供養
つ,耳,冒,胸 部,掌,ひ ざ,お よび足首 に 2枚
品や 「ホ ーマ ー ク」 な ど は長老 がその場 で僧
ず つ計 1
5枚 をお く。 さ らに,首 もとに 2本 の
侶 に献上 す る。 そ して,村 の人 や遺族 の男性
ロー ソクを灯 して たて る。 そ して , この人形
●●
は灰土 の人形
●●を再 び くず して,す ばや い勢 い
を背 に,遺族 は東 む きに座 す僧侶 とむ か い合
で そ こに穴 を掘 りは じめ る。
って読経 を聞 く。 遺族 の列 の前 にで るの は村
の長老 で あ り,女 ・子供 は最 後列 に座 る。
m くらいの深 さまで
穴 は四角形 に 40-50c
掘 られ る。 そ して, こ こ- アル ミ鍋 の骨 っ ぽ
1回 目の短 い読経 のの ち,故人 と生 前親 し
を逆 さま に して沈 め, 口 もとにまいて お いた
くして いた村人 が,先 の遺骨 を入 れた アル ミ
霊 糸 をた ぐりよせ る。 そ して即座 に,上 をむ
鍋 の 口を 白衣 で覆 い,長 日の霊 糸 で く くる。
いた骨 っ ぽの底 に,土掘 り具 の一撃 を加 えて
これ と もうひ とつ の遺骨容 器 とを並 べ て人形
●●
穴 を あけ る。 遺骨 がのぞ いた と思 う間 もな く
の頭 あた りにお く。霊 糸 をの ば し,傍 らの樹
次 々 と土 をか き込 み,埋 めて ゆ く。 そ して,
木 を経 由 して僧 侶 の手 も と に わ た す。 同時
杭 を打 ち込 ん で周囲 を土 で かた め る。表面 が
に, 人形
●●か らい ったん コイ ンを と り除 き, す
平 らにな ると,土 中か らの びた霊 糸 を この杭
ばや い動作 で人
形 のかた ちを くずす よ うに灰
●●
に くくり込 む。 一 瞬 に してす す め られ る この
土 がか きな らされ る。 そ して僧侶 の 2度 目の
作 業 には女性 は関 わ らな いが,すべて がすん
読経 が は じま る。
でか ら故人 の娘 が この杭 に水 をか け る。 緊 張
読 経 がすむ と再 び灰土 は人 間 の姿 に盛 られ
感 が とかれ る。
る。 最初 の もの と同様 に等 身大 だが,方 向が
以上 の遺骨 の 埋葬 がす む と 僧侶 は ひ き あ
逆 で ,頭 を東 にむ けてつ くる。 かた ちが整 う
げ,残 された もうひ とつの骨 っ ぽ は, その夜
とまた 「プ ー リエ ング」 が同位 置 に コイ ンを
か ら翌朝 につづ く供養飯儀礼 のた め に喪主宅
のせ る。 しか し, ロー ソクはひ じの部位 に 1
- もち帰 られ る。 人 々は,火葬 時 と異 な って
本 ず ったて る。 次 いで,遺骨 が入 ったふたつ
境 内か ら寺 院 の正 門- ととお らず に,や って
の容 器 と,米 や供養 品 が入 った カ ゴが胸 部 に
きた ときと同 じ裏側 か らの コースで家路- と
おか れ, アル ミ鍋 の骨 っ ぽの上 にさ らに 「ホ
む か う。
ーマ ー ク」 がた くさん入 った金 だ らいがのせ
られ る。右 の掌 にあた る個所 はい くらか土 を
Ⅲ5 儀 礼過程 (
4
):供養飯儀 礼
厚 く盛 りあげて あ り, ここに死者 へ の食事 ,
骨 拾 いが午 前 中 に 終 わ って 夕刻 に 至 る こ
タバ コ とキ ンマ,蒸 し菓子 を並 べ た盆 をのせ
ろ,喪主 宅 に はい くつかの寺 院 か ら僧侶 が招
る。 以 上 の セ ッ トが そ ろ って か ら 3度 目の読
かれ る。 読経 と説経 が行 われ るが,僧侶 は集
経 に入 る。 「プ ー リエ ン グ」 とその き ょうだ
ま った村人 に供養飯儀 礼 の意義 を次 の よ うに
い,散人 の き ょうだ い数人 は,死 者 - の食事
僧侶)
述 べ る。 「食事 や供 養 品 をわれわ れ (
盆 の周 囲 に座 る。 読経 と同時 にヤ ー トナー ム
へ の献納 を通 じて故人 -送 る ことは,実 はす
を行 うた めで あ る。
で に転生 して この世 に生 れて きた者 た ち- の
読 経 が は じま る と,彼 らは水 を入 れた器 を
供養 ,食事 の分 か ち合 い (
チ ェ- クカオ) で
右手 に もって お盆 -注 ぐよ うに静 か にかたむ
も あ る。 人 は死 ん です ぐ死
者 に な る。 しか
●●
け る。水 が盆 か らあふ れて もつづ け られ る。
し, この状 態 は長 くはつづ かな い。多 くの死
短 い読経 がすむ と,水 を含 ん だ食事 や供養 品
者 の霊 は生 き もの と して, 人 間 と して この世
3
6
7
東南 アジア研究
-参加 して いるものだ。 自分 の親 が死 んで 3
2
3
巻 3号
同で捻 出されて いる。
年たてば, ど こか に子供 が生れて 3歳 を数 え
通常 ,香典 の処 置 は,経費 を最 も多 く負担
て いる ものなのだ。 だか ら, この供養飯儀礼
す る近親者 の判 断 に委ね られ るが,筆者 が観
をす る。 儀礼で菓子 を供 え る の は, 死者が
察 した事例 において は,香典 は全額 ,寺 院-
)菓子 を欲 しが る子供 と して再生 し
(
すで に
寄付 されて いる。 この ことによ って,遺族 で
て いるか らで ある」。
はな い村人 が葬儀 で香典 を もちよることは,
この夜 はモー ラム興行 師が コンケ ン市 内か
遺族 に も貢献 し, 自 らのタ ンプ ン行為 にもな
2
)食事
らよばれ,朝 まで村人 を楽 しませ る。2
るとい う二重 の意味 を もつ善行 と して正 当化
も酒 も大量 にふ る ま わ れ, バ クチ や ゲ ーム
されて いるといえ よう。
(シア ・キ ン ・ムー),相性遊 び もあ って,老
僧侶 が入室 して 5戒 を授 けたの ち,通妖 は
若男女 が大 いに遊 ぶ。遺族 の人 々は輩宴 の主
寺院- の献納物 のい くつかを形式 的 に献上す
催者 と して も忙 しいが,村人 が娯楽 に興 じる
傍 ら,翌朝 のた めに村 の長老 とともに供養品
る。 この とき,骨 っぽが もちだ されて僧侶 と
俗人 (
遺族 と村人)の間 におかれ る。 次 いで,
や寺院への献納物 で あるゴず,マ ッ ト,仏像,
僧侶 の食事 の配膳 が遺族 ひ とりずつの手 によ
僧侶の 日用品 (
洗剤 ,石 けんなど) を改 めて
って整え られ る。 そ して,約半時間 におよぶ
準備す る。 さ らに,故人 の霊 を極楽 -送 るた
僧侶 の食事 が は じまる。 この間,人 々は談笑
ダ ンボ ール箱でつ
めの 「ホー ・パ サ ー ト」 (
して いるが,遺族 のひ とり (
男性) が霊糸 を
くる家 の ミニチ ュア) や,ブ ンを送 る徴標 と
僧侶 か ら部屋全体 にめ ぐらせてお く。
な る 「供養 の旗」 を共 同 してつ くる。
食事 がすむ と故人 の娘婿が最年長の僧侶-
翌朝 は葬儀 の最終段階で,最後 のタ ンブ ン
骨 っぽ と香水 のぴんをわたす。僧侶 は骨っ ぽ
のひ とときとな る。 7時 には僧侶 を喪主宅 に
のふたをあけて香水 を 1,2滴 ばか りか け,
招待 して食事 を献上す るが,それ に先 だ って,
次 の僧侶,見習僧- と順 にまわ してゆ く。僧
香典額 の最終的集計や供養飯儀礼 によせ る寄
侶 た ちが全点 か け終わ ると骨 っぽは遺族 に戻
金 な どの統計 が 香典委員 によ って 報告 さ れ
され,年長者 か ら順 に年少者 へ と同様 の こと
る。集 まる香典額 は,その故人 の生前の社会
を行 う。 遺族 がす めば訪 問者であ る。 この間
的な影響力 によって さまざまで あるが,多 い
に僧侶 は聖水 を詞成 して い る。 そ して準備 が
000か ら6,
000バ ーツにな る. そ して,
者で5,
で きると,ひ とりの僧侶 がた ちあが り,部屋
遺族 の人 々は これを演 出す るた めに,紙 常を
中の参会者全員 に くまな くかか るよ うに聖水
木 の葉 に誓えて飾 った 「金 の木 」をつ くる。
散供 を行 う。人 々は合掌 したまま身体 をふせ
香典 は,遺族 の葬儀 費用 をまかな うもの とい
て, これを うける。
うタテマ工があ るが,通常,実際の儀礼 に要
約 3分 ほどで聖水散供 がすむ と僧侶た ちは
す る経費 は これを はるか に上 まわ るもので あ
全員退室す る。 つづいて訪 問者-の最後 の食
り (
遺族 の経済力 によるが,供養飯儀礼 だ け
事 がふ るまわれ る。僧侶が残 した ものをいっ
で 1万バ ーツが相場であ る。葬儀全体 で は,
たん集 めてか ら,人 々に分配す る。足 らない
2万 -4万パ ーツの幅がある), その ほとん ど
もの は追加 され る。 これを皆 でひざを交 えて
は故人 の子供世帯 ,故人の きょうだいか ら共
食べ ることは, とりわけブ ンを分 か ち合 うこ
22) モーラムをやとう額は交渉によるが,男女かけ
合いのモーラム師で終夜 2
,
0
0
03,
0
0
0バーツが
相場である。
368
とにな るとされて いる。僧侶 を介 しての共食
はどの機会 であれ,すべて ブ ンを得 ることで
あ り, そのため もあ ってブ ンは しば しば食事
柿 :東北 タイ ・ドンデー ン村 :葬儀 をめ ぐるプ ン (
功 徳) と社 会関係
(
カオ) に誓 え られ る。 タ ンブ ン儀礼 での共
食 は,文字 どお りブ
ンを食べ る(キ ン ・ブ ン)
●●●●●●
ことで あ る。
サー ト」 を講堂 の僧侶 に届 け る.
ふたつのグループ は,骨 っぽの収納場所 と
決 め られた村 の寺 院の正門わ きのブ ロ ック塀
訪 問者 の顔 ぶれ はいつ も同 じ も の で は な
にむか う。 そ して,故人 の娘婿 がひ とつの塀
い。同一世帯 か らは,世帯主 や妻 ,その子供 た
柱 の空間 に骨 っぽを入 れ,上 か らセメ ン トを
ちが 日をかえて訪 問 して共食 に参加す るのが
塗 り込 めてふ さ ぐ。他 の者 は これを じっとみ
ふつ うで あ る。供養飯儀礼 での最後 の共食 に
? めて い る。 次 に,棒 を使 って セメ ン トの表
は, と くに各世帯 の年 長者 の参加 が めだ って
面 に故人 の名前 と没年 を刻 む。さ らに,ひ とり
多 い。夜 ごとの饗宴 にはさほど顔 をだす こと
ず つの手 によって香水 をその上 か らか け る。
がなか った老女 た ち も,葬儀 のエ ピローグで
それ はわず か約 1
0分 はどので きごとで あ る。
あ るこの共食 に加わ る。
人 々は境 内か ら正 門 に抜 けて家路へ とつ く。
食事 のあ と片 づ げは遺族 の若 い女性た ちの
葬儀 の全過程 は,寺 院が 日々の食事布施 で に
仕事 で あ る。他 の遺族 の者 は,昨夜用意 した
ぎわ う前のひ っそ りと した静 けさのなかで終
供養 品や諸道具 に加 え,堤 , トウガ ラシ,棉
了す る。
米 な どを ビニール袋-入 れて納骨行 の準備 を
す る。僧侶 も帰 った あ と,納骨 の作業 それ 自
体 はさほど重要 な ことで はない。 5日間 にわ
Ⅰ
Ⅴ むす ぴにかえて
た る儀礼 の幕 は,わず かの遺族 の人 々によ っ
く死 -火葬-骨拾 い-供養飯儀礼〉 に至 る
ておろされ る。他県 か ら応援 にか けつけた親
通常 の葬儀 にお いて,遺族 は故人 の代行者 と
族 のあ る者 は,他 の者 に仕事 を委ねて,人 々
して タ ンブ ンを行 うとともに,故人 の名 にお
が納骨 のた めに村 の寺 院へむか う前 に,みや
●●
いて ブ ンの転送 を行 う。 つ ま り,遺族 にとっ
げ
● (トウガ ラシや米 な ど) を も らって帰 って
ゆ くことも珍 しくない。 その よ うな人 々を送
ての葬儀 はまず一義的 に,故人 に譲 るた めの
りだ してか ら,納骨 にゆ く遺族 は,手 に供養
よ き転生 を望む故人 の遺志 に こたえ る孝行 ,
品や寄進 の品 々を もって寺院への裏道 か ら骨
報恩 と しての供養 の義務 を果 たす重要 な機会
0人 に も満たな い。村
っぽを運 ぶ。 その数 は1
であ る。葬儀 につ いての この よ うな考 え方 は,
の長老 も参加せず,一行 の指揮 は,葬儀 の全
ドンデ ー ン村 のすべての人 々に共有 され るも
日程 を とお して遺族代表者 の役割 を果 た して
ので あ り,遺族主催 のタ ンブ ン儀礼 は,人 々
きた故人 の娘 婿 が行 う。 彼 は骨 っぽを もって
にとっての く死) と転生 の シナ リオを直接的
先頭 を歩 く。
に村 レベルで対 象化す るもので もあ る。そ し
プ ンをつむ儀礼 で あ る。 いいかえれば, よ り
一行 は境 内に入 るな り,僧侶への布施 を行
て, それ は以後 に くり返 し行 われ るブ ンの転
う グル ープ とブ ンの 転送 グル ープ に分 かれ
送行為 を義務 づ け る儀礼 と して,村 の寺 院を
る。前者 は講堂へ ゆ き,僧侶-品 々を届 け る。
中心 とす る他 の仏教儀礼 に連続 してゆ く。
後者 は,境 内 はずれ にあ る菩提樹 のそばの地
葬儀 での 「ホームカ ン」お よびその結果 と
面 に小 さな穴 を掘 って,竹 ざお につ けた 「供
しての共食や饗宴 が示 す よ うに,一般 の村人
養 の旗」 をたて る。故人 の娘 が 自 らの親 の名
メート
ラ
ニ前 と生前の世帯番号 を告げ,地母神 にブ ンを
の参加 は葬儀 の もうひ とつの側面 を明 らか に
す る。タ ンプ ンの文脈 でみれば,
彼 らが会葬者
故人-届 け るよ うに と唱え る。 そのの ちに,
と して儀礼 に参加 す る基本的な動機 づ けは,
米 や トウガ ラシ, タバ コを入 れた 「ホ一 ・パ
遺族 の もの とは異 な り,僧侶 を]
瓦点とす る儀
369
東南 アジア研究
礼 環 境 の な かで 自 らブ ンをつむ ことにあ る。
その参与 の単 位 は,遺 族 と僧侶 を仲 介 す る俗
人 代 表 と して の長老 を は じめ,遺族 に準 ず る
働 きをす る者 や単 な る訪 問者 な ど, さま ざ ま
で あ るが,香 典 や供 養 ・共 食 のた めの品 々を
もちよ って遺 族 が主 催 す る儀 礼 に貢 献 す る こ
とにか わ りはな い。村 人 の プ ンは, いわ ば遺
族 経 由で彼 らの もと-届 くよ う な も の で あ
る。 さ らに,火 葬 時 で の彼 らの動 きにみ られ
るよ うに,故 人 の霊 を他 界 させ る共 同作 業 者
と して ,儀 礼 の公共 性 を確 立 させ るの も大 き
な役 割 で あ る。 そ して最 も重 要 な ことは,喪
主 宅 を 中心 に各 世 帯 の者 がそれ ぞれ共 食 し,
この世 で人 々が援 助 し合 って ブ ンを分 か ち合
うことを強 調 す る ことにあ る。
村 人 の儀 礼 - の参加 行為 と遺族 の故人 へ の
供 養 行為 は, と もにブ ンを め ぐって ギ グ ・ア
ン ド・テ イ クの互 酬性 の関係 を顕 在 化 さ せ て
い る。 す な わ ち,故人 と遺族 の間 にあ る時 間
を こ え た く保 護 一 供養〉 の 関係 は, 会 葬 者
(
村人) と儀 礼 の主 催 者 (
遺族) の間 に生 じ
る く援 助 - もて な し) の関係 と対応 す る こと
によ って儀 礼 の場 面 で象徴 的 に強 調 され る。
この よ うな関係 は,他 の仏 教儀 礼 の場面 で も
基 本 的 にみ られ る もので あ る。 つ ま り, この
世 か ら来世 - の人 生 サ イ クル を通 じて くり返
し確 認 され る (保 護 一供養 ) の相 互 援 助 の図
式 は, プ ンを分 か ち合 う儀 礼 にお いて常 に表
現 され るので あ る。
参
考 文 献
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