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p40~p78 - 千葉県教育振興財団
第 1章 尖頭器石器群 の分布 と時間的推移 第 3節 尖頭器石器群 の編 年 落合 章雄・ 永塚 俊 司 下総 台地 におけ る尖頭器石器群 の変遷 は,旧 石器時代 と縄文時代 の移行期 に関わ る問題 設定 と,東 日本 を中心 に展開す る有樋尖頭器石器群 の なかで下総 台地 に集 中す る「東 内野型尖頭器 」 をどの よ うに捉 える か とい う視点 で展開 して きた とい うこ とがで きよう。 この辺の経緯 について は本 書序章第 2節 に詳 しいが , 特 に尖頭器 の登場 か ら前半期 を中心 とした「小 型石槍 」 につ い ては田村隆氏 の研 究 (文 献 A1989-36,文 献 A2000-6)が 先進的 な もの として注 目され,本 節 にお い て も大 き く依拠す ることとなった。近年 では , 道澤明氏 (文 献 A1994-12)。 島立桂 氏 (文 献 A1998-5)に よる編年案 が提示 されて い るものの,細 か くは離静が 目立 つ 。研究者間にお いてその違 い を明確 に し,あ る程度 の 了解事項 を確認す る必要が生 じて い る時期 とも言 える。 本節 では,後 期 旧石器 時代 後半期 にお い て,「 面的 (魚 鱗状 の )調 整 」 が 見 られ る尖頭器 が登 場 す る段 階か ら縄文時代草創期隆起線文段 階に盛行す る有舌尖頭器 にかけて,尖 頭器石器群 の変遷 を概略的に解 説 す るこ とを目的 とす るが, ロー ム層 の堆積 の薄 い本地域 では,相 模 野台地や武蔵 野台地 の よ うに層位 的根 拠 を もって機械 的に分離す る手法 を とれず,少 なか らず曖味 とした状況 を脱す るこ とは困難である とい う 前提 の もとに,下 総 台地 におけ る尖頭器石器群 の変遷 を,以 下 の ように 6期 に細分す る。 1 第 1期 第 1期 は,い わゆ る「面的加工 」「平 In争 J離 」「魚鱗状剥離 」等 と呼 ばれ る調整 1に よ って器体 が 調整 さ れ一 端 に尖頭部 をつ くりだす石 器,今 回 の テー マ として扱 って い る「 (狭 義 の)尖 頭器」 が は じめて登場 す る段階であ る。尖頭器 の平面形態は器体 中央部 に最大幅 を持 つ 木葉形 の ものが 主体 であ る (AC型 )が , 形態的特徴 は各遺跡で個性が あ リー 様 とは言えな い。周縁調整 ・ 片面調整 の ものが 多 く,基 部腹面側 に面 的調整が施 され るもの も見 られ る。製 作工 程 はナ イ フ形石器製作 と基本的に同 じで,剥 片 を素材 として , 適 当な素材 を選択 し,面 的加 工 を施 して尖頭器 に仕上 げ る技術工程 が把 握 され る (「 割取 り系」)。 本段 階 には,樋 状剥離が施 され る尖頭器 は見 られ な い 2。 石器群 の なか で尖頭器 はあ くまで客体 的 な存在 であ り , 主体 となるのは切 出形 ・ 幾何形 の ナ イ フ形石器,鋸 歯縁調整が特徴 的 な削器 ,角 錐状石器,分 厚 い掻器 な どであ る。素材 剥片生産 には横長 争J片 剥離 が 卓越す る。石材は黒曜石 ・安 山岩 ・ 頁岩 ・ メノウ・ ホル ンフ ェルス な どを主 な もの として挙 げ られ るが,尖 頭器 を伴 う石器群 は主 として黒曜石が用 い られ る。斑 晶 の 多い高原 山産黒曜石 は遺跡 内での積極 的 な争J片 剥離 に用 い られ るが,信 州産黒曜石 は製品 として遺跡に搬 入 され る (権 現後遺跡第 12ブ ロ ック)3傾 向がみ られ る。 出土層位 はハ ー ドローム層上部 ∼ ソフ トローム層下部 にあた り, ソフ トとハ ー ドの境界 か らAT包 含層 よ り上位 とい うこ とで,層 位 的 には比較的捕 まえやす い。 しか しなが ら, どの時期 にお いて も同様 である が,前 後す る微妙 な時期細分 につ い て,層 位 的 な根拠 を示す の は困難であ る とい わ ざるを得 な い。 権現後遺跡第 3文 化層 12・ 14ブ ロ ック・井戸向遺跡 S-3プ ロ ック・ 向原遺跡No 5ブ ロ ック・ 南 河原坂 第 3遺 跡 B地 点 ・ 池花南遺跡第 2文 化層 ・ 西長 山野遺跡第 6プ ロ ック・若葉 台遺跡第 5ブ ロ ック等 が 同段 階 に属す る 4。 本段階 の 設定 に よ って,い わゆ る相模 野Ⅲ期 (後 半 )。 諏訪 間編年段階 V並 行 の時期 にお いて尖頭器 出 ―- 40 -― 第 3節 尖頭器石器群の編年 現 の 萌芽 が ,こ れ ら周辺 台地 と同様 に,下 総 台地全体 に少 なか らず見 られ る こ とが判 明 した。発 生 の構 造 に つ い ては特 定器種 か らの 派生 と捉 え るの では な く,伝 統 的石 器群 との機 能 的互 換性 を持 って 説 明す る方 が 妥 当 とい う考 え方 を支持 した い。 2 第 2期 石器群全体 の構造 は石刃技法 で特徴づ け られ る段 階であるが,相 模 野台地 。武蔵 野台地 の よ うな豊富 な 資料 的蓄積 は見 られ ない。相模 野 Ⅳ期前半 ・段 階 Ⅵ,い わゆ る「砂 川期」並行 の石器群 であ る。 出土 層位 (Ba (b'群 は ソフ トローム層下部 ∼ 中部 で,本 段階 か ら有樋尖頭器が登場す る。有樋尖頭器 は左右対称 の もの 型)と 左右非対称 の もの (Bb・ BC型 )が 見 られ るが,後 者 につ いては時期 的に流動的な もの ) を含 んで い る。有樋尖頭器 を伴 う石器群以外 では尖頭器が主体 となる遺跡はみ られず,尖 頭器 は石刃石器 群 に客体 的 に共伴す る資料 となるが,形 態的には比較的細身 の ものが特徴的 であ る。利用石材 は前段階 と 比較 して嶺 岡産 頁岩 の比率 が増 す こ とが指摘 で きる。 遺跡内にお い て石 刃技法に よる剥片争J離 が顕著 な遺跡は下総 台地 にお いて非常 に少 ない とい われて い る (文 献 A2000-28・ 29。 30・ 42)が ,そ の よ うな石 刃石器群 (非 黒曜石 製)に 客体 的に尖頭器 が加 わ る一 群 (a群 )と 尖頭器 の調整争J離 に よる母岩消費 が主体 で,石 刃 ・石刃素材 の石器が搬入 され る一群 (b群 ) に大 き く別 れ る。 もち ろん同段階 には尖頭器 を伴 わな い石刃石器群 が別 の一群 (C群 )を な して い る。 a群 には百 々 目木 B遺 跡 。南 河原坂第 3遺 跡 A地 ′ 点の有樋尖 頭器が伴 う遺跡 と武士遺跡第 7a文 化 ・ 落 点第 2文 化層等 の樋状剥離 の見 られ な い尖頭器 が共 伴す る遺跡が 山遺跡 ・槙 の 内遺跡 。御塚 山遺跡第 7地 ′ ある。後者は両面調整 。周縁調整 ・半両面調整 とい ったバ ラエ テ ィーが 見 られ るが,概 して細身 の ものが 目立 つ 。前者 の 2遺 跡では左右対称形 の有樋尖頭器 が検 出 されて い る。南河原坂 3A例 は プ ロ ック外 なが ら最大幅が基部側 にある特 徴 的 な形態 を呈す る有樋尖頭器 で,下 総 台地 にお いては単独資料 で もこの よう な形態 の 資料 は散見 され る 5が ,ほ ぼ同段階 に位 置づ け られ る蓋然性 が 高 い。 さて,石 刃石器群 とい って 。 もその様相 は様 々 で,百 々 目木 B例 は,典 型的 な石刃技法 とい うよ りも原石 をその まま敲 いて石刃 縦長 剥片 を量産 し,ナ イフ形石器 の調整は簡素 な調整 のみで済 まし,特 に調整 されな い石刃 をその まま使用 し て い る資料が 多 い。 これは武士遺跡の第 7a文 化層に も顕著 であ るな ど石材供給 の事情 ,つ ま り地域的な 。 特徴 を示 して い るのか もしれな い。石材 は嶺 岡産 頁岩 を主体 とす るが,尖 頭器 には黒曜石 ・ 頁岩 安 山岩 を用 い てお り,石 材構成 にお い て も尖頭器 が 「構造外」的 な存在 であるこ とが窺 える。 b群 には御 山遺跡第Ⅷ a文 化層 。大林遺跡第 Ⅱ b文 化層 な どの黒曜石 を主体 とした有樋尖頭器石器群 が 該 当す る。両遺跡 とも石刃石器群 との層位 的 出土事例 が 問題 となって い る。詳細 は触れ ないが,今 回の大 きな編年的枠組 みのなか では大幅 な時間的差 異 を認め な い で一 括す る。御 山例 では同一 プ ロ ックで黒曜石 を用 い た尖頭器製 作 に よる母岩消 費 と珪化岩主体 の石刃石器群 が 見 られ,大 林例 は異な るプ ロ ックで石 刃 石器群 と黒曜石尖頭器石器群 が並 存 。錯綜す る。尖頭器 は小振 りで寸詰 ま りな ものが 多 く,左 右対称形 が 主体 を占め るが一 部 に非対称 の もの も見 られ る。黒曜石 は高原 山産 の ものが主体 を占め るが,大 林遺跡 で は信州産黒曜石 を用 い た有樋尖頭 器が 1点 搬 入 されて い る。高原山産黒曜石 の 多 くが遺跡内 で母岩消費が 顕著 であ るこ とは この時期 だけでな く,各 時期 を通 して指摘 され る。 C群 の典 型例 は荒谷前遺跡 ・武 士 遺跡第 6文 化層 。西 の 台遺跡 Ⅲ層下位 石器群 。大割遺跡第 5文 化層等 が該 当す るが,尖 頭器 を伴 わな い ため今 回は詳 し くは触れな い。 さて, b群 の ように石刃 。石刃素材 の石器が尖頭器 とともに検 出 され るタイプ には先 に紹介 した黒曜石 -41- 第 1章 尖頭器石器群の分布と時間的推移 (b'群 と呼称 す る 平賀一 ノ台遺跡,水 砂 遺跡 境外 Ⅱ遺跡,道 木 内遺跡,取 香和 田戸遺跡,草 刈遺跡M区 ,一 本桜 南遺跡,復 山谷遺跡 E区 1・ 2プ ロ ッ ク等 が挙 げ られ る。 この うち,取 香和 田戸遺跡 ・ 草刈遺跡M区 な どでは注 目され る争J片 剥離 の工 程がみ ら 製有樋尖頭器以外 に非黒曜石 製 の もの も知 られ て い る )。 , れ る。 広義 の石刃技法 の範疇 に収 まるのか ここでは問題 としな いが,か な リシス テマ テ ィ ックな縦長景J片 争J離 技術 を見 るこ とがで きる。残核 (石 刃石核 )状 の もの を用 い るのか,当 初 か ら分厚 いまJ片 や分 割礫 を 用 い るのかはっ き りしな いが,両 面調整体 状 のブ ラ ン クを用意 し長軸端 を切 り取 るよ うに打面 (稜 状 の場 合 もあ る)を 設定す る。 そ して長軸方向に向か って 断面 三角形 。扇状 の削片 が剥 離 され,平 坦 面 では縦長 剥片 (石 刃 )が 得 られ る。 断面三 角形状 の 削片 を剥離 した際の剥離面 を打面 とした石核調整 (石 刃技法 で い う稜調整 )や 打面調整 も段階的に施 され るよ うである。 同様 の素材か ら得 られ る大型削片は平賀一 ノ台 遺跡や 一 本桜 南遺跡・ 復 山谷遺跡 E区 な どで見 る こ とがで きる。取香和 田戸遺跡 。草刈遺跡M区 では良好 な接合 資料 が,一 本桜 南遺跡 では石 核 が 1′ 点検 出 されて い る。 また,本 段階に並行す る「砂 川期 」 には彫刻刀形石 器が特徴 的に伴 うとされ るが,こ れ ら b'群 の 多 く の遺跡で も彫刻刀形石器 は充実 して い る。石材は東北産 の 頁岩 ・嶺 岡産頁岩 ・安 山岩 ・ 黒曜石 ・ ホル ンフ ェルス な どがあ り,豊 富 なバ リエ ー シ ョンが 存在す る。 では,こ れ ら b'群 とした尖頭器石器群 の編年的 な位 置づ けにつ いては,石 刃技法に類似す る縦長 争J片 剥離技術 の 存在 ,充 実 した彫刻刀形石器 の存在 ,石 刃 ・石刃素材 の石器 の 存在等 を勘案す る と第 2期 に属 す るよ うに も思 えるが,各 石器群 の解釈 (組 み合 わせ )に よっては第 3期 に下 る もの も含 まれ る可能性 も 高 く,こ こでは敢 えて断定 は避 けた い (編 年表 ・変遷 図に見 られ る第 2期 。3期 の境界線が途切れて い る のは この為 で, さらに枠 内の上下差 は必ず しも時間的推移 を示 して い ない)。 遺跡内での争J片 剥離 につ い て若千触れてお こ う。 aoC群 は石 刃技法に よる母岩消費 を特徴 とし, b・ b'群 は縦長剥片 (削 片 )剥 離以外 に一般 的 な剥片剥離 に よる母岩消費がみ られ る。 また,平 賀一 ノ台遺 跡や 一 本桜 南遺跡等では石器 の素材剥片生産 は小規模 で,刃 部調整 ・再生剥離 な どが顕著 に見 られ る。 もう一つ ,第 2期 を特徴 づ け る石器 に石刃 を素材 とした二側縁調整 の ナ イ フ形石器が あるが,角 田台遺 跡や 池花遺跡第 3文 化層 で もその 存在 が知 られて い る。編 年的な位 置 もこの辺 りになるので あろ うか。 以上 ,第 2期 につ い て述べ て きたが, この 中には第 3期 に まで下 る可能性 の あ るもの も含 まれ,今 後 , 第 2期 ∼第 3期 の整理が課題 となるが,そ う単純 には割 り切れ な い部分 が あるこ とだけは確 かで あ る。 3 第 3期 小型幾何形ナ イ フ形石器 を組成す る段階 である。石刃 技法にかわ りその主体 は,一 般的 な争J片 剥離 に よ る母岩消 費が主体 となる。尖頭器 製作 も基本的には素材 に剥片 を用 い た もので あ る。 有樋尖頭器 は第 3期 までは確実 に存続す る。 出土 層位 は ソフ トローム層 中部 ∼上部 で,相 模 野 Ⅳ期後半 。段階 Ⅶに並行 しよ う か。有樋尖頭器 は東 内野遺跡 を代表 とす る左右非対称 の もの と木苅峠遺跡の よ うに寸詰 ま りの左右 対称形 の両者が存在す る。 そ して第 2期 に豊 富なバ ラエ テ ィー を見せ た彫刻刀形石器 は第 3期 にお い て少 な くな り,定 型的 な例 はほ とん ど見 られ な くなる。利用石材につ いては石 材種 にバ ラエ テ ィーが 認め られ る点 は 第 2期 の状況 と変 わ らず,そ う大 きな変化 は見 られ な い。 東 内野遺跡・ 木苅峠遺跡 。杉 内遺跡 。三 崎 三 丁 目第 3文 化層 。平賀一 ノ台遺跡 ユニ ッ ト 1∼ 6等 が該 当 す る。 各遺跡 とも小型幾何形ナ イ フ形石器 を伴 い,遺 跡 内で素材剥 片生産が見 られ る。東 内野遺跡 。杉 内 遺跡 では嶺 岡産 頁岩 とともに大量 の安 山岩が円礫状態 で搬入 され,遺 跡内で積極 的 な母岩消 費 がみ られ る。 ―- 42 -― 第 3節 尖頭器石器群の編年 一 方 で,ポ イ ン トフレイ クを素材 としたナ イ フ形石器 も見 られ,両 者 の密接 な関係 を窺 うこ とがで きる。 また平賀一 ノ台遺跡では東北産頁岩 を主体 とす るブ ロ ックとは別 に安 山岩 を主体 としたブ ロ ック (黒 曜石 も比較 的多 い)を 形成 して い る。木苅峠遺跡は高原山産 の黒 曜石 ,三 崎 三丁 目遺跡では銚子産 の粗雑 なチ ャー トを用 い た剥 片剥離 。小型幾何 形ナ イ フ形石器 の製作 が特徴 であ る。 一 方,こ れ ら有樋尖頭器石器群 ばか りでな く小型幾何形ナ イ フ形石器 に伴 って両 面調整や片面調整・ 周 縁調整 (尖 頭形 の 削器 ?)等 の尖頭器 を検 出す る遺跡が あ る。御塚 山遺跡第 I文 化 層・復 山谷遺跡W区 Ⅲ 層 。41T子 穴 Ⅸ遺跡等が挙 げ られ る。東北産頁岩 ・ 黒曜石 。オパ ール・ メノウな どが主に利用 され る。 また,尖 頭器 を伴 わないが 同段 階に位 置づ け られ る小型幾何形ナ イ フ形石器 を主体 とす る遺跡 も存在す るが,こ こでは触れ ない。 4 第 4期 尖頭器主体 の石器群 で,ナ イ フ形石器 は極僅かに伴 う場合 があ る。利用石材 は黒曜石 ・ 嶺 岡産頁岩 ・ 珪 質頁岩 。安 山岩等が主に用 い られ,各 遺跡で主体 とな る石材に特化す る傾 向が指 摘 され,尖 頭器形態に よ る石材 の使 い分 け も見 られ る。形態分化 が すす み大型品 と小型品が作 り分 け られ,そ の製作場所 ・搬入経 路・ 利用石材が異 なる。黒曜石 は さらに 高原 山産 と信州産 に大 き く別 れ る (第 3章 参照 )。 前段 階 まで高 原山産 の もの は遺跡内母岩消 費型 で,信 州産 の ものが製 品搬入型 であったのに対 して,本 段 階に い たって 両者が同様 に遺跡内母 岩消費型 となるな ど利用形態の変化 が窺 える。 層位 的には Ⅲ層上部 で検 出 され,相 模 野 V期 (前 半 )。 段 階Ⅷ にほぼ相 当す るが,下 総 台地 にお い ては 現在 までの ところ同段階に有樋尖頭器 は確認 されて い な い。 黒曜石 を主体 とす るものには,大 網 山田台No l遺 跡,浅 間台遺跡,東 峰西笠 峰遺跡 (空 港NQ63遺 跡), 西 の 台遺跡 1∼ 5ユ ニ ッ ト等 が代 表的 であ る。尖頭器 は小柄 で基部 端 が丸 み帯 び るもの を特徴 的に含 む。 両面調整 。片面調整・ 半両面調整 と調整加 工 にはバ ラエ テ ィが ある。小型 の 円形掻器が伴 う遺跡や小型石 刃 を用 い たナ イフ形石器 を持 つ 遺 跡な どが あ る。遺跡内では尖頭器製作 の他 に小 型縦長争J片 生産 を目的 と した母岩消費 も見 られ る。珪化岩主体 の もの には木苅峠遺跡第 Ⅲ b文 化層 。東峰御幸畑東遺跡 (空 港NQ62 遺跡 )等 が挙 げ られ,こ れ らは主 に嶺 岡産 頁岩 を用 いて い る。 また嶺 岡産頁岩 と黒色緻密 質安 山岩 とのセ 点・ 十余三稲荷峰東遺跡 (空 ッ ト関係 は特 に東峰御 幸畑東遺跡 で顕著 であ る。さらに南河原坂 第 3遺 跡 D地 ′ 港No66遺 跡)で は珪 質 頁岩 を用 い た周縁調整 の尖頭器 と大型両面調整尖頭器 のセ ッ トが 見 られ,こ れ も本 段階に位 置づ け られ よう。 5 第 5期 第 5期 に入 る と,石 器群 の様相 はそれ まで と著 しい変化 をみせ る。石器組成 の一 端 を担 って い たナ イ フ 形石器が姿 を消 し,本 ノ木型尖頭器 ,神 子柴 。長者久保 系尖頭器等 の北陸地方や北 日本系石器文化 の影響 を強 く受 けた様相 へ と変化 を遂 げ る。 一 言すれば尖頭器 が石器群 の 主体 となる時期 とい えよ う。 下総 台地 におけ る最大 の特徴 は,元 割遺跡,南 大溜袋遺 跡,弥 二 郎 第 2遺 跡 な どの本 ノ木型尖頭器 を供 出す る遺跡が,南 関東 の なか で も資料 的に ま とまってみ られ るこ とであろ う。第 1節 で Aa型 とした尖頭 器 に伴 い Ab型 ,AC型 も認め られ,尖 頭器以外 の石器 では決 入削器,削 器等が組成 に加 わ るが,尖 頭器 が石器組成の主体 となる。石材 について も多用 されて い た黒曜石 がほ とん ど使用 され な くな り,凝 灰岩 , 砂岩 ,頁 岩 とい った堆積岩系 の石 材 が 多用 され る傾 向が認め られ る。 神 子柴 ・ 長者久保 系石 器群 の様オロが窺 え る資料 は六通神社 南遺跡,本 郷遺跡 A地 点 (文 献 A1980-40, - 43 - 第 1章 尖頭器石器群の分布と時間的推移 1984-70),復 山谷遺跡WⅢ 直上 プ ロ ック等 にみ られ る。特 に本郷 遺跡 A地 点 では,神 子柴 。長者久保 系 石器 群 の特徴 の一つ であ る石斧 を伴 ってお り,代 表例 として捉 える こ とがで きる。六通神社 南遺跡 の尖頭 器群 は均整 の とれた左右 対称形 で両 面調整 の施 され た もので あ る。形態的には相 模野台地 に所在す る長堀 北遺跡第 Ⅱ文化 層 の 資料 に関連す る と考 え られ るもの である。復 山谷遺跡WⅢ 直上 ブ ロ ックの尖頭器 は A b型 に属す る細 身 の形状 であ るが,均 整の とれた左右 対称形 とは言 い難 く,や や肥 厚 な感 を受 け る。や は り相模 野台地 に所在す る風間遺跡群 第 Ia文 化層 の資料 に関連性 がみ られ る。 これ らの尖頭器群 は安 山岩 , 玄武岩 とい った火 成岩系 の石材 で 占め られ,削 器 ,掻 器 等 の尖頭器以外 の石器 は頁岩が使用 され る傾 向が 認め られ る。 先述 した本 ノ木型尖頭器 群 とは使用 され る石材 につ い て も異質的 な様相 が窺 える。 武蔵 野台地 では前 田耕地遺跡にお いて本 ノ木型尖頭器が認め られ るものの,相 模 野台地 では本 ノ木型尖 頭器 はほ とん ど認め られず,代 わ りに神 子柴 。長者久保 系石器群 の影響 を強 く受 けた と考 え られ る資料が 多 い。下総 台地 につ い て も神子柴 。長者久保系石器群 の様相 が窺 える遺跡は前述 した とお りである。 しか しなが ら神 子柴 。長者久保 系石器 群 の特徴 であ る石斧 ・ 刃部磨 製石斧,石 刃技法 を基盤 とした削器 ,掻 器 , 彫器 を供 出す る とい う点 では,相 模 野台地 ,下 総 台地 ともに石斧 は認め られ るものの,石 刃技法につ い て は寺尾遺跡 第 I文 化層,本 郷遺跡 A地 点 で石刃素材 の端削器 がみ られ るのみであ る。石刃技法の欠落 した 神 子柴 。長者久保系石器群 の新 しい段 階 との 見方 もで きようが,こ れは編年的 な関係 ではな く,む しろ第 4期 か ら継続す る尖頭器石器群 ,そ れ も最大長 4 cmほ どの小型尖頭器石器群 では な く,最 大長 が 5 cmを 越 えるAb型 尖頭器石器群 が神子柴・ 長者久保系石器 群 の形態的影響 を受け,か つ ,石 斧 とい う神子柴 。長 者久保 系石器群 の特徴 の一つ であ る石器が参入 した,地 域的 な一様相 として考 え るのが妥 当であろ う。 第 4期 後半 に平行 して存在 した細石器石器 群 は,第 5期 にお い て も微弱 なが ら確認で きるが,こ れは黒 曜石製 の野岳 ・休場 型細石 核 ではな く,東 北頁岩 を使用 した削片系細石器石器群 である。下総 台地 では木 戸場遺跡 の石器群 が典 型例 となる。相 模野台地 にお いて も月見野上野第 1地 点第 Ⅱ文化層,長 堀北遺跡第 Ⅱ文化層で削片系細石器が確 認 されてお り,尖 頭器 を主体 として い なが ら,他 地域の様 々 な様相 を取 り込 んだ石器群 とい える。 6 第 6期 第 6期 は有舌尖頭器 ,石 鏃 の 出現 とい った狩猟具 の形態が変化す る段階 であ り, また下総 台地 におけ る 隆起線文土器 等 の土器 の 出現時期 で もあ る。 旧石 器時代 か ら縄文時代草創期 へ の移行時期 につ いては未だ 検討 を要す るところであ りここでは詳細は述 べ な いが,単 に土器の 出現 のみ な らず,最 終氷期 か ら後氷期 とい う自然環境 の大変化 に起 因 した生活様 式 の変化が,尖 頭器か ら有舌尖頭器,石 鏃 へ の移行 とい った石 器群 の変化 として如 実 に現れ るため,こ の 時期 を縄文時代草創期 として考 えるのが 妥当であろ う。 有舌尖頭器 ,石 鏃 が石器組 成 の 主体 へ と移行す る段階で,AC型 尖頭器 もなお存続す る例 が 見受 け られ , 一 鍬 田甚兵衛 山南遺跡,南 原遺跡,原 山向遺跡では有 舌尖頭器 との共伴が顕著に認め られ る。 第 1節 でふ れた ように形態 的差異は使用 目的に起 因す るもの と考 え られ,狩 猟様式 の変化 の 開始 を如実 に表 す資料 で あ る とい える。上記の遺跡のなか で も南原遺跡では有舌尖頭器 ,AC型 尖頭器 の ほかに 削器 ,石 錐 がみ ら れ,石 器組成の点 では第 5期 と比較 す ると器種が 多様化す るこ とがわか る。石鏃 につ いては南原遺跡,前 三 舟 台遺跡 で不 鮮 明なが らも類例 がみ られ,や は り有舌尖頭器 ,AC型 尖頭器 と共伴関係 にあ る。 第 6期 で使用 され る石材 は安 山岩が主体 であ り,ホ ル ンフェル ス,砂 岩 ,粘 板岩等が客体 的に認め られ る。第 5期 と同様 に黒曜石 製 の石器 は希少性 が 高 く南原遺跡,復 山谷遺跡 で有舌尖頭器 ,印 藩郡 印椿村瀬 ―- 44 -― 第 3節 尖頭器石器群の編年 戸遠 蓮遺 跡 (文 献 A1974-10)で 掻 器 が それ ぞれ単体 で出土す る。 第 5期 に石 器 組成 の 中心 とな った尖 頭器 は,第 6期 に入 り有 舌尖頭 器 ,石 鏃 に主 役 の 場 を明け渡 し客体 的 な石 器 とな るが ,そ の 終 焉 は明確 に は把握 で きな い。 深 見諏訪 山遺 跡 第 I文 化 層石 器群 の例 の よ うに石 鏃 が主 体 とな る石 器群 内 で もなお存在 が 確 認 され ,下 総 台地 にお い て は有 舌尖頭 器 が 単独 で 出 土 す る遺 跡 が 多 く,第 6期 の石 器群 の 様相 が 掴 み きれ な い ため で あ る。 ま た終 焉 の 過程 を段 階 的 にみ るため には土器 編年 に依 る ところ も大 き く,石 器群 の検 討 も含 め て今 後 の 課題 とな ろ う。 注1 このよ うな調整 の認定について は明確 な根拠 を示す こ とはで きな いが,ナ イ フ形石器の 2次 加 工 技術 の特 徴 とされ る平面形整形 のためのいわゆ る「プ ラ ンテ ィ ン グ」 とは異な り,平 面形整形 と同時に器体 の厚 み を 取 り去 ることを目的 とした調整技術 とい うことができる。 2 池向遺跡 N地 `点 で,該 期 の石器群 に小型の有樋尖頭器 が伴 ってお り,報 告者 もその共伴性 に積極 的な否定 材料は見あたらない として い るが, ここでは取 り上げて い ない。 3 第 3章 の蛍光 X線 による黒曜石 の 原産地分析 の 資料 には本段階 の 資料 がやや手 薄 であった。詳細 な検討 は これ らの分析 を待 ってか らとなろう。 4 向原遺跡 につ いては全周が後世 のガ ジ リに覆われ るな ど,そ の共伴性 につ い て も確実 とは言えない ところ もあるようで,断 定は避け るが,神 奈川県にお い て下九沢 山谷遺跡や高座渋谷団地遺跡にお い て両面調整 の 尖頭器が見 られ るなどその関連性 が注意 され る。 また,道 澤氏によって同段階の石器群 が集成 され,各 遺跡 の報告書 に従 って組成表には尖頭器29点 の存在 が示 されて い るが (道 澤 明1996「 下総 台地 の様相」『石器文化研究』 5石 器文化研究会 ),報 告書に よって は いわゆる角錐状石器 を尖頭器 として い るもの もあるな ど,今 回の検討対象 として適 当でな い もの も散見 さ れた。池花南遺跡第 2文 化層 の もの は,竪 穴状の遺構か ら検 出され た資料 で周縁加工 の石器であるが,こ の 調整は「面的加 工 」 ではな く,い わゆ る「ブランテ ィン グJに よるものである。 5 袖 ケ浦市境NQ 2遺 跡,袖 ケ浦市美生遺跡群 第 1地 点,流 山市上貝塚 貝塚,自 井市復 山谷遺跡 E地 点 プ ロ ッ ク外に同様 の形態 を持 つ有樋尖頭器 が 出土 してい る。 ―- 45 - 尖頭器石 器群 の分布 と時間的推移 瘍 聰 第 1章 @ 錮 漑 ⑮ ◎ ① θ 楊 牙 4 = 血讚 躊 嘔卜 村 な蝙鶉顆] 細ス 第 2 御 山Ⅷa 百々 日本 B ノ m 杓 野 1 ハ訥︶ソ 莉 ゝ, , 御塚 山第 7地 点 御塚山 始 ◎ 靱 0 中 t 鵞 鰊 ” 醐 3 池 花 3文 平 賀 ‐ノ台 南河 11lt塚 貝 塚 収 香 和 田戸 1■卸 権 現後 西長 山野 第 H図 尖頭 器編年 図 (1) ―- 46 -― 南河 原 坂 3B 第 3節 尖頭器石 器群 の編年 第 6期 0 ◇ 蜻 妙 一 鍬 田 甚兵 衛 山 南 第 5期 六通神 社南 復 山 谷 WⅢ 直 第 12図 第 4表 弥二郎第 2 南大 溜 袋 1 尖 頭器 編年 図 (2) 編年 表 相 模 野 台地 段階X 段階Ⅸ 段 階Ⅷ 段 階Ⅶ 相 模 野 Ⅳ期 前半 相 模 野 Ⅲ期 段階V 第 1期 段 階Ⅵ 二 又堀遺跡 前 三 舟台 遺 跡 寒 沢遺 跡 原 山 向遺 跡 南原遺跡 六 通 神社 南遺 跡 元割 遺跡 本 郷A地 点 遺 跡 弥 二 郎 第 2遺 跡 大 網 山 田台 No.1遺 跡 西 の台 遺 跡 第 3期 一第 2期 相 模 野 Ⅳ期 後半 地 台 復 山谷 遺 跡W皿 直 上 第 4期 相 模 野 V期 総 上鹿 子 遺 跡 一鍬田甚兵衛 山南遺跡 第 5期 相模野Ⅵ期 第 6期 相模 野Ⅶ期 下 東 内野 遺 跡 木戸先遺跡 南大溜袋遺 跡 東 峰 西笠 峰 遺 跡 南河原坂第 3遺 跡D地 点 浅 間台 遺 跡 復 山谷遺跡WⅢ 木 苅峠遺跡 御 塚 山遺 跡 I文 三崎三丁 目〕 劃旭 文 大 林 遺 跡 Ⅱb文 百 々 目木 B遺 跡 十余三稲荷峰東遺跡 杉 内遺 跡 草刈遺跡 M区 取香和田戸遺跡教 武 士 遺 跡 7A文 御 山遺 跡 Ⅷ 文 落 山遺 跡 南 河 原 坂 第 3遺 跡A地 点 御 塚 山遺 跡 第 7地 点 2文 井戸 向遺 跡 向原 遺 跡 西 長 山野 遺 跡 1文 権 現 後 遺 跡 3文 南 河 原 坂 第 3遺 跡 B地 点 若葉台遺 跡 ―- 47 -― 池 花 遺 跡 3文 平賀 一 ノ台遺跡 角 田台遺 跡 一 本 桜 南遺 跡 道 木 内遺 跡 上 貝 塚 貝塚 池 花 南 遺 跡 2文 第 2章 尖頭器 石器群 の石材 消費戦略 一石器群 の構造 変動 と第二項効果 一 田オ寸 隆 1 房総半島後期 旧石器時代の石器石材の一般的特徴 尖頭器石器群 の 石 材構 成 に つ い て観 察 をお こな う前提 として,本 地域 におけ る後期 旧石 器 時代 石器石 材 の一 般 的 な特徴 を理解 してお く必要 が あ る。 幸 い な こ とに,当 文化 財 セ ン ター に お い ては,す でに昭和 61 年 度 に本 地域 の石 器石 材 の 包括 的 な研 究成 果 を公刊 して お り (文 献 B1987-5),各 地域 にお け る石 材研 究 の 先鞭 をつ け たのみ な らず , さ らに そ の 後 の 継続 的 な石 材調査 の 累積 に よって ,一 層詳細 な状 況 が 判 明 しつつ あ る。 は じめ に簡単 に従 来 の研 究成 果 をま とめ てお こ う。 昭和 61年 度 に公表 された石材 集計調査 の結果は次 の よ うに要約 され る。 (1)後 期 旧石器 時代 に利密 に遺跡が残 された下総 台地か らは石器石材はほ とん ど産 出 しないの で,こ れ らの遺跡 に遺 存 して い る石器群 の素材 の大半 は下総 台地外か らもち こ まれ た もので あ ると判断 され る。 (2)房 総半 島内に もち こ まれ た石材 には時間的 な変化が認め られ るが,一 貫 して多 く使 われて い るの は黒曜石 と頁岩や チ ャー ト,珪 化凝灰岩 な どとい った細粒 。珪 質 な石材 であ り, これに黒色級密質安 山岩 が加 わ る。 この傾 向は巨視 的 にみれば,南 関東各 地域 と共通す るが,本 地域 にあっては珪 質 石材 の使用頻 度 が特 に高 い。 (3)石 材使用 の時間的変化 に関 しては多岐にわ たる傾 向が抽 出され るが, よ って 区切 られ た時期 (Ⅱ C期 )と 先行期 (Ⅱ b期 ),後 続す る時期 (Ⅲ ここでは小型石 槍石器群 に a期 )に つ い てだけ観 察結果 を 再録 してお く (時 期 区分 :文 献 A1984-70参 照 )。 Ⅱ b期 :黒 曜石 の使用頻度 が 高 いが,黒 色級密質安 山岩,頁 岩,チ ャー トが この順番 で 多 く使 われて い る。 同時にお こなわれた黒 曜石 の機器 中性子放射化 分析 の結果 に よれば,そ の原産地 は和 田峠,高 原 山 , 畑宿 な ど各地域 の ものが 累積 的に搬 入 されて い る。 Ⅱ C期 :黒 曜石 の相対 的使 用頻度が減少す る (た だ し,使 用量 は増加 して い るこ とに注意 )。 また,黒 色緻密質安 山岩 とチ ャー トも減少 に転 じるが,頁 岩 の使用量 が大幅 に (正 確 には相対的に)増 加す る。 Ⅲ a期 :デ ー タが少 な くて,必 ず しも実態 を反映 して い な い ようであ るが,黒 曜石 の使用 が激減 し,頁 岩や黒色級密質安 山岩 が 多 く使 われて い る。 (4)礫 群構成礫 に流紋岩類 (特 に石英斑岩 )が 多 く認め られ る。 以上 の ような特徴 を示す石材構 成 を「下総型」 と呼称 した。 また,各 石材 の推定原産地 も検討 された。 (5)主 要石材 の原産地 は以下 の とお り推定 された。 黒曜石 :機 器 中性子放射化分析 によ り,既 知 の 原産地か らの搬 入状況 を確 認 したが,特 に高原 山産黒曜 石 が 多 く使 われて い るこ とが本地域の特徴 であるこ とが明確 に された。 黒色緻密質安 山岩 :確 定 で きなか ったが,栃 木県小 貝川流域 ,長 野県八風 山,茨 城県久慈川流域 な どを 原産地 として推定 した。 また,プ レパ ラー ト検鏡 に よ り, トロ トロ石が黒色緻密質安 山岩 の仲 間 であ る こ とを明 らかに した。 - 49 - 第 2章 尖頭器石器群の石材消費戦略 頁岩 :特 定 は不 可能 で あ った。 玉 髄 :茨 城 県諸 沢産 の 資料 が 多 く含 まれ るこ とを指摘 した。 ところが ,そ の 後 の 継 続 的 な調査 に よって ,こ の 内容 が きわめ て不 十分 な もの であ った こ とが徐 々 に明 らか に な って い くこ とに な る (以 下 項 目番 号 は前掲番 号 と対 応 )。 (1)下 総 台地 をふ くむ房 総 半 島内に も多 くの石 器石 材産 地 が 存在 す るこ とが判 明 した。 また,そ れ ら が石器石 材 として大量に使用 されて い るこ とも明 らかになった。主要産地 を列挙 しよう。 銚子半 島 :チ ャー ト 下総 台地東縁部 の礫層 :チ ャー ト,頁 岩 ,玉 髄 ,黒 色級密質安 山岩,流 紋岩類 な ど 上総 丘 陵 の砂礫層 :上 記礫層に陸続す る。 嶺 岡山地周辺 :珪 質頁岩 の主要産地 であ り,他 に珪化 ノジュール,青 色 チャー ト,ア カ玉石 ,蛋 白石 , タフ類 な どが採 集 され る。 (2)一 般的 な傾 向につ いては格別訂正 すべ きこ とはない。 (3)時 期別 の変化傾 向につ いて も大筋では訂正す る必要 はないが,前 掲書 Ⅱ C期 におけ る頁岩の増加 は,嶺 岡層群 白滝層産珪 質頁岩 を主 とす る嶺 岡山地 か ら大量 の原石 (白 滝頁岩 )が 搬入 された結 果 であ る。 また,東 北地方南部 日本海側 か らも珪質 頁岩 (チ ョコレー ト頁岩 )が 少 なか らず搬入 されて い る。 (4)流 紋岩類主体 の礫群構成礫 は下総 台地北半 の地域的特色 にす ぎず,下 総 台地南半 ∼上総 丘 陵では 砂岩 とチャー トが主体 であ り (上 総 丘 陵砂礫層産 ),流 紋岩類 は少 な い。 (5)主 要石材推定原産地 黒曜石 :安 房方面 で良質 の小 円礫が採集 されて い るが,本 来 の岩体 ,使 用頻度等につ いては まった く不 明であ る。 黒色緻 密質安 山岩 :無 責任 な, また方法論的に も破綻 した研究 に よって大混乱 に陥 って い るが,新 たに 武子川流域 の産 地が追加 され た 1。 また,房 総半 島内の砂礫層 (特 に万 田野 層 )も 有 力 な産地 の一つ に加 えれ られた。銚子産古銅輝石安 山岩 は旧石器 時代 では使用頻度が低 い。 頁岩 :い くつ かの グループに分 離 され るが , ・奥羽 山脈西部産 チ ョコ レー ト頁岩 ・嶺 岡山地産 白滝頁岩 ・奥羽 山脈南部産有色頁岩 (珪 化凝灰岩伴 出) 。三 国山地産黒色頁岩 (た だ し,現 在 原産地流動化 ) 等 の 肉眼識別 が可 能 となった。他 に県内砂礫層 中 も各種珪 質頁岩 を産 出す る。 田代層 の珪 質頁岩 も識別 で きるよ うになったが,本 県 か らはほ とん ど出土 しな い (梶 巾遺跡等常総 台地 で散見 )。 玉髄 :砂 礫層 中に 多量 の 円礫が包含 され るが,い ずれ も乳 白色系の もので あ る。 しば しば メノウ と記載 され るが,そ の定義か らは本 来逸脱 した用語法 であろ う。角礫状 の大型サ ポー トも時折見受 け られが,い うまで もな く,こ れ らは諸沢産 であ る。 チ ャー ト :銚 子産 の青色系 チ ャー トの分布 範囲 は狭 い (土 気 ―銚 子分水 界東部 に限定 )。 チ ャー トは ど こにで もふんだんに分布す るので,一 般 に原 産地 同定 は不可 能 であ るが,嶺 岡産 (特 に丸 山川最上 流部 ) の ものは特徴 があ る 2。 第四紀 の礫層か らもふんだんに産 出す るが,多 種 多様 であ る。青色系 の 良質 な も の も労せ ず して採集可能 であ る。 ―- 50 -一 石器群の分類 ホル ンフェル ス :粘 板 岩 を母 材 とす る もの は砂 礫 層 中 に豊 富 に産 出す る。特 に比較 的大 型 の ものが 多量 に混 入 して い る。砂 岩 も同様 で あ る。 凝灰 岩 ・ 流紋岩類 :こ れ らの石 材 の 内,奥 羽 山脈 に陸続 す る 日光 ・ 那須連 山東 麓 に産 出す る各種 珪化 岩 類 (特 に奥 日光 流紋 岩類 )に つ い ては,い ずれ も肉眼的 に識別 可能 で あ る。 東丹 沢産 暗緑 色細粒凝灰 岩 と 断定 で きる資料 はほ とん ど知 られ て い な い 3。 ぃ ゎゅ るア カダ マ は 嶺 岡 山地 に あ り, また第 四紀礫 層 中 に も存在 す る。 2 石 器群 の分 類 前項 で本地域 の石器石材 につ い て簡単 に復 習 したが,本 項 では石器石材 の 時間的 な変化 を観察す る。 こ のために, まず,い くつ かの石器 群 を認定す る。設定 の基準に関 しては ここでは詳 しく述べ られな いが , まず技術形態学的 な分類 をお こな い,次 い で石材消 費 の類型的 な把握 にすすむ こ とになるであろ う。各石 器群 には新 旧の 関係 があ る と考 え られ るが,Vヽ うまで もな く,そ れは継起的 な, また単線的 な時系列 にお かれ るものではな く,時 に複線化 し,交 叉 し,逆 行 し,相 互変容 す る等 々 とい った動態性 をもって い る。 従 って,本 書 におけ る基本的 な変遷案 と厳密 には照応 しな い こ とを断 ってお こ う。 尖頭器石器群 A4 -般 的剥片争J離 に よる剥片素材 の小型石槍 を含 む石器群 であ る。尖頭器 は片面打製で,腹 面基部加工 を もつ ものが 多 い。調整剥離 は類魚鱗状 であ るが,そ れは背面全面 を被覆す るこ とな く,背 面 中央 には先行 争J離 面が残置 され る。従 って,そ れは割取 り系 の石槍 とい える。形態は器体 中央付近 が最 も幅広 となる木 葉形 を基本 とし,横 断面基本形 は平 ・ 凸型である。 この種 の石 槍 は例外 な く黒曜石製である。 この石器群 には横打争J片 製 の幾何形刃器 (及 び,黒 曜石製鋸歯縁加 工石器群 )が ともな う。幾何形刃器 は鋸歯縁加工 を特徴 とし,い わゆ る切 出形石器 に類 似す る。 また,鋸 歯縁加 工 に よる小型 の 削器 が 多数 あ り, この うち相対的 に厚 みのあ る複刃削器 は い わゆ る角錐状石器 と関連 しよ う。 さらに,厚 手 の端削器 を ともな う場合 もあ る。 この こ とか ら,小 型石槍 は 多様度 の高 い石器群 の一分節項 として生 産 された もので あ り,有 背尖頭 刃器 と機能的互換性 をもつ と考 え られ る。かつ て,い わゆ る角錐状石器や ,切 出形石器 と の 関連 が議論 されたこ ともあったが,特 定石器 との具体 的 な関連性 を想定す る理 由は何 もな い。構造論 的 にみて,小 型石槍 は伝統的 な尖頭器か ら派生 したにちが い な い。 本石器群 の産 出層準は ソフ ト・ ロー ム層下部 ∼ハ ー ド・ ロー ム層上部 であるが,す でに指摘 されて い る ように,本 層準 はおおむね武蔵野 Ⅱ a期 に平行す る。 尖頭器石器群 B 面取 りを もつ小 型石槍 を含 む石器群 であ る 5。 今 の ところ,こ の種 の 面取 り石槍 には明確 な東 内野型 は 含 まれて い な い。関係 の あ りそ うな例 はな い とは い えな いが (御 山遺 跡第Ⅷ a文 化 層 図73-3),後 述 す るよ うに,尖 頭器生産技術 は本 質的 に異 なる。両面打製 の ものはか な りあ るが ,背 面に角礫原礫面や先 行剥離痕 (加 撃軸交差 )を 大 き く残 した例 も少 なか らず認め られ る。 また,廃 棄形態 をみて も,整 形剥離 第 1段 階 の ものが 欠落す る場合が圧倒 的に多 く,割 取 り系にあ って も整形争J離 は原産地近傍 でお こなわれ て い るらしい。割 出 し系 と割取 り系 とが並 存 して い る可能性が高 く,割 取 り系 しか生産 されて い なか った 尖頭器石器群 Aと は大 き く異なって い る 6。 黒曜石製サ ポー トの 限定的 な消費地点 もあ るが,こ れに石刃石器群 が付加 され るこ ともある。 なお,石 -51- 第 2章 尖頭器石器群 の石材消費戦略 刃石 器群 の 素 材 は珪化 岩 主体 で あ り7,均 質 な大 型原石 の確保 が 制約 条件 とな って い る。 つ ま り,黒 曜石 製 サ ポー トの 消 費過程 は ,異 種石 材 に よ る石 刃 の 生産 =消 費過程 と平行 す る場合 (黒 曜石 の 限定 的消 費 地 `点 ) と,交 差す る場合 (非 黒曜石石刃石器群 の付加 )と があるわけであ る。 しか し,後 にふれ るよ うに,黒 曜 石 は関東平野外縁部 (高 原 山)の ものが 多 くあ り (た だ し,尖 頭器石器群 B後 半期 には信州産が増加す る 傾 向があ る),そ の原産地 は珪化岩原石分 布域 の外部 にあ る とは い え,必 ず しも 日常 的 な石材獲得領域 を 大 き く逸脱す る ものでは な い。 この グループの石器 群 の産 出層準 は ロー ム層軟質部 中 ∼下位 であ り,硬 質部 を主 たる包含 層 とす る例 は 知 られて い な い。尖頭器石器群 Aよ りも相対的に上位 にある。 尖頭器石器群 C 面取 りをもつ小型石槍 を含む石器群 であ る。面取 り石槍 は東 内野型 が主体 となる。東 内野型尖頭器 の特 徴 につ いては報告書記載 の とお りであるが,何 よ りも典 型的 な割取 り型小 型石槍 であるこ とが指摘 され な ければ な らな い。従来 ,東 内野型 といわゆ るナ イ フ形石器 との形態的 な類似性が議論 されて きたが,む し ろ割取 りとい う基本的製作手法 に注 目す る必要があろ う。 この石器群 には争J片 素材 の有背刃器 が共伴す る。 つ ま り,割 取 りに よって小型石槍 と幾何形刃器 とがつ くりわけ られて い るわけであ る。幾何 形 を した有背刃器 の形態は変化 に富むが,特 に小型幾何形 の ものが 卓越 し,関 型石器 に類似 した複刃削器 もあ り,石 器群 Aと 共通す るす る要素が 多 く認め られ る (石 器群 の 同型性 )。 本石器群 の石材構 成 は珪化岩 ・ 黒色緻密 質安 山岩主体 であ り,石 器群 Bと は大 き く相違 して い る。 しか し,割 出 し系石器群 のみ を抽 出 した場合 ,彼 我 に大 きな懸隔 を指摘す るこ とはで きな い であろ う。 また,木 苅峠遺跡 の ように黒曜石 を集 中的 に消 費す る遺跡 もある (た だ し木苅峠遺跡は尖頭器石器群 Cで も後 出的 であ り,E群 とパ ラ レル となる可能性が高 い)。 本石器群 の産 出層準は ローム層軟質部 中位 を中心 としてお り, しば しば石器群 Bと 層準差 を認定 しが た い場合 が あ る。 しか し,こ の現象 を ロー ム層 の厚 さが薄 い こ とに帰一 させ る根拠 は何 もな い とい うべ きで あ る。将来的に調査 手法 の抜本的 な改正が の ぞまれ る (現 行 の 旧石器 時代遺跡 の 調査 ・整理方法 に よって は,こ の よ うな微妙 な問題 を取 り扱 うこ とは難 しい)。 尖頭器石器群 D 割 出 し系石槍群 である。遺跡数 は きわめて少 な いが,チ ョコレー ト頁岩 の 原石 の割 り出 しに よる相対的 に大型の石 槍生産 を特徴 とす る。破損品の再生に よる変形が著 しい。黒曜石製 (高 原山産 )の やや小型の 両面打製 の石 槍や縦長剥片 (石 刃か )製 小型尖頭有背刃器が共伴す る。今 の ところ面取 り石槍 を組織的に 生産 した道跡は認め られな い。付加的に石刃素材 の有背尖頭刃器 が随伴す るこ ともあ る。 産 出層準 は石器群 Cと 区別 で きな いが,船 橋市西 の 台遺跡 (文 献 A1985-63)で は,石 器群 B並 行 の石 刃石器群 のやや上 層 に主 た る包含 層準 があ る と報告 されて い るが,四 街道市内黒 田地区 (文 献 A1991-46) では池 花遺跡第 3文 化層 (尖 頭器石器群 D)は 大割遺跡第 5文 化層 (珪 化岩・ 黒色緻密 質安 山岩製石 刃石 器群 )よ りも下位 に位 置す る可能性があ り,総 じて珪化岩製石刃石器群 と一部並行 す ると考 え られ る。 尖頭器石器群 E 非面取 り型小型石槍石器群 であ る。大 き く 2グ ループ に分 け るこ とがで きる。 El 黒曜石製小 型割取 り系石槍群 不定形有背刃器や (拇 状)月 ヽ 型端削器 を共伴す る。特 に,刃 部再 生が頻繁 にお こ なわれた拇状小型端削器 は顕著であ るが,こ の器種 は野辺 山型細石器石器群 と共通 して い - 52 - 石器群 の分類 る。 これ らの 各器種 は原石 消 費 の 各段 階 で発 生 す る剥 片 をサ ポー トとして い る。 幾何 形有 背刃器 が稀 に共 伴す るが,ad hocな 道具 として登場す るにす ぎな い。 E2 珪化岩製各種石槍群 多様 な珪化岩が使用 され るが,嶺 岡層群産珪質 頁岩が卓越す る。小型石槍 は形態的変化 に富み,割 出 しに よる大型木葉形 の ものか ら,周 縁加 工 (主 に ニ ブ リン グ)に よる簡素 な も の まで 多彩 である。不 定形有背刃器 (一 部 は ニ ブ リン グに よる周縁加 工 小 型石槍 と融合 ),削 器 ,べ ヽ ソク な どを共伴す るが, Elに 著明 な定型的 な端 削器 は稀 であ る。 これ らの石 器群 の産 出層準は ローム層軟質部 中位 ∼上位 であ る。 尖頭器石器群 F 大型割 出 し系石槍群 であ る。関東平野外縁部 の大型原石分布域 にお い て集約的 に生産 された石槍類が大 量に搬入 されて い る。石槍 の形態変異は E2群 と共通す る ところ もあるが,新 たに断面楕 円形 の狭長 な一 群 (い わゆ る植刃 )が 組成 に加 わ る場合が あ る。 また,千 葉市弥二 郎第 2遺 跡 (文 献 A1992-53)で は有 舌尖頭器 (三 角舌 で古相 を呈す る)が 検 出 されて い る。少量 の 削器 が伴 うが,一 般 に器種組成 は単調 であ り,両 面体石器 が各種機能 を荷 担 して い た可 能性 が 高 い (つ ま り信頼性重視 型石 器群 とい え る)。 割取 り 系石器 との 関連性 は よ くわか らな いが,成 田市円妙寺遺跡 (文 献 A1985-37)の 石器群 は後野 A石 器群 と 密接 に関連 し,四 街道市木戸先遺跡 (文 献 A1994-31)で は い わゆ る削片系細石核や荒屋型彫器 が共 存 し , 少 な くともその一 部 には長者久保石器群や札滑石器群 等 の (細 )石 刃石器群 と並行 す る部分 が含 まれ る と 考 え られ る (本 戸先遺跡での石槍 に東北産珪質頁岩 が 多用 されて い るこ とに注意 )。 産 出層準 につ い ては確定 で きな いが,ロ ー ム層軟質部上部 ∼褐色 土 層下部 と報告 されて い るものが 多い。 土 器は未検 出 であ る。 尖頭器石器群 G 有舌尖頭器 ・石鏃石器群 であ る。隆起線文土器 を共伴 し,本 石器群 は縄文時代 に帰属す る とい われて い る。他 に大小 の両面打製木葉形尖頭器 ,各 種 削器 ,石 錐 ,石 斧 な どを伴 うが,断 面楕 円形 の狭長 な一群 は 認め られな い。 F群 と較 べ て石器 群 多様度 が 高 い。尖頭器 は,有 舌 ,木 葉形 ともに黒色緻密質安 山岩 の小 型原石 を使 った割 出 し系 であ る らしいが,詳 し く検討 され たこ とが な い (た だ し文献 A1992-38)。 房総 半 島外部 か らの石材搬入は一 般 に低調 に転ず る。石鏃 は確実 に製 作 されて い るが少 な い (た だ し,有 舌尖 頭器が石鏃 であ る可能性 は否定 で きない)。 産 出層準は褐色 土 層下部 とされ,ロ ーム層軟質部 には及んで い な い らしい。 しか し,こ れは土壌層位 学 的 な問題 と抵触 し,一 律評価 は不可能 であろ う。 以上 ,房 総半 島 におけ る尖頭器石器群 を 8群 に大別 したが,各 石器群 の新 旧関係 は未確定 であ る。 これ を段 階 Iか ら段階Ⅶ とした い誘惑 にか られ るが, また,記 述 の便利 のためには そ の ような段 階措定 も許容 され るのか もしれ な いが (遠 近法的記述 ),こ こでは禁欲的 であ りた い。お そ ら く,各 石器群 は相互 に並 存性 を維持 しなが ら長期的に推移 した もの と考 えられ る (従 って,ね じれや逆行 ,変 形 とい った現 象 は 日 常的に生起す る)。 そ こには,生 態学的 な媒介変数 が 複層的 に関与 し,さ らに社会 的 な動 因が錯綜的 に媒 介 されて い るはずであ る。 これが相模 野台地 におけ るように,石 器群 を機械 的 に段階分 け し,あ たか もそ れが編年操作 であ るか の ご とき錯覚 を回避 す るため の要諦 であ る (文 献 A1988-12)。 そ の よ うな錯視 か らは いか なる歴史理解 も不可能 であ る。 なぜ な らば,先 に述べ たね じれや変形 な どがほん とうの歴 史 であ るか らだ 8。 - 53 - 第 2章 3 尖頭器石 器群 の石 材消 費戦略 尖頭 器 石 器群 の石 材 消 費戦 略 尖頭器石器群 を仮 に 8群 に分 けたが,次 に各群 の石材消 費戦略 をよ り詳 し く観察 しよ う。各石器群 は多 種 多様 な石材消 費戦略 が 東化 した もので あ るが (文 献 A2000-6),本 項 では誌面 の都合 が あ るため,特 に石 槍 の生産 。消費にかかわ る戦略 に限定 した記述 となって い るこ とをお断 りしてお く。 い うまで もな い が,各 戦略 は相互 に有機的に関連 しあ い,い わば,石 器 をめ ぐる身振 りの体系 を構成 して るので,以 下 の 記述 に よっては文化的行動 の全体性 を うかが うこ とはで きな い。 尖頭器石器群 Aの 石材消費戦略 黒曜石製の石器が卓越 す るこ とはす でに指摘 した。 またそれは例外 な く割取 り系 であ るこ とも注意 して お い た。資料数 が少 な い ため,あ ま り密度 の 濃 い検討 は不可能 であるが,ガ ヽ 型石槍 の 出現過程 を考察す る 上 で重要 な石器群 であ るので,以 下 ,補 足的 な観察 を試みた い。 八千代市権現後遺跡第 3文 化層 (文 献 A1984-30)の 例 では黒曜石 の割取 り過程 にお いて,共 通 したサ ポー トの消費過程 内にお い て,調 整剥離技法 との関係 につ い てみ る と , 1 構成 2 構成 3 構成 鋸歯縁剥離 ・縦縞状剥離 ほか : : : 鋸歯縁 (潰 縁 )剥 離 魚鱗状剥離 とい う各構成間 の並行的 な複合 関係 (こ 各種 削器 幾何形有背刃器 ・ 尖頭有背刃器 小型石槍 れ を錯構造 とい う)が 成立 して るこ とが わか る。権現後遺跡や こ れにやや後 出す る千葉市 南 河原坂 第 3遺 跡 B地 ′ 点 (文 献 A1996-51)な どでは構成 3は 付加 的であ り,構 成 2に 欠落す る尖頭刃器 に対す る補 損的構成要素 ともい える。 しか し,構 成 1や 構成 2が 黒色緻密 質安 山 岩や珪化岩 な ど黒曜石以外 の石材 を多用す る傾 向 とは対照的であ るこ とに留意すべ きであろ う。 ところで,南 河原坂第 3遺 跡 B地 点 とほぼ並行す る と考 え られ る八千代市井戸向遺跡 S-2,S-3プ ロ ック (文 献 A1987-44)な どでは構成 3が 主体 とな り,あ る コンテ クス トにお いては集 中的 に構成 3を 帰 結す る石材消費がお こなわれていた可能性 も抽 出 され る。す なわち,大 型のサ ポー トが一括 管理 され,錯 構成的 な石器群が構成 3に 収厳 して い く石材消 費類 型 を設定す るこ とがで きる。 おそ ら くこの推転 には時 間的 な フ ァ クター も関与 して い る とみ られ るが,む しろ大型サ ポー トの一 括管理 と逐次的 な消 費 を可能 に す る関係的 フ ァクターが よ り重要 であろ う。 尖頭器石器群 Bの 石材消費戦略 この石器群 にお い て,石 材構成 は高原 山産黒曜石 を主体 とす る一群 と,珪 質 頁岩 を多用す る一群 とに二 極化す る。 いずれ の場合 も,一 般 的には石器群 A構 成 3と 同型的 な収厳傾 向 が観 察 され, また,戦 略展開 の異処性 も同型的 であろ う。袖 ケ浦市百 々 目木 B遺 跡 (文 献 A1998-25)で は珪化 岩製石刃石器群 と黒色 級密 質安 山岩及び黒曜石製の尖頭器石器群 が共伴 した。 この うち黒色級密質安 山岩 の消費は割 出 し系であ るが,戦 略的異処性が指摘 され る。 この黒 色級密質安 山岩製尖頭器 は,接 合 資料 に よる限 り,あ ま り大型 とは い えな い隅丸板状 の礫 を素材 として い るよ うにみ える (次 頁第 13図 )。 本地域 にあ って,こ の よ うな 接合 資料 は きわめて稀少 であ るが,そ れはおそ ら く房総半 島第四紀礫層 (万 田野 層 な ど)産 の 円礫 を消費 した もので あ り,割 出 し系 の尖頭器群 が きわめて現地性 の 強 い消費過程 を背景 に もって い るこ とを改めて 示唆 して い る。 そ して,同 趣資料 の僅少性 は相応の質 。量 を兼備 した黒色級密 質安 山岩産 出量 の僅少性 と , 珪化岩 :石 刃石器群 ,非 珪化岩 =破 璃岩 :バ イフェー ス・ リダ クシ ョン とい う規制 の存在 を暗示 して い る。 ―- 54 -― 尖頭器石器群 の石 材消 費戦略 第 13図 割 出 し系小型石槍 の製作 工 程 を示す接合 資料 (袖 ケ浦市百 々 目木 B遺 跡 縮尺 2/3) 別稿 (文 献 A2000-6)で も指摘 したが,佐 倉市大林遺跡 (文 献 A1989-36)や 四街道市御 山遺跡 (文 献 A1994-51)な どでは,本 石器群 は珪化岩 製石刃石器 と直接的に交差 は して い な いが,異 種石器群 が同 一 層準 に並 存 して い る。 この こ とは,基 本的に,い いか えれば 日常的に珪化岩に よる石刃生産 を反復 して い た集団 が,そ こに いか なる関係 的契機 の媒介 を予衡 す るにせ よ,一 定 の選抜属性 を備 え た破璃岩原産地 近傍 へ の訪間に際 して,割 出 し系 バ イ フェー ス・ リダ クシ ョンに よる小型石槍生産 を周期的にお こなって い たこ とを示 唆 して い る。 い うまで もな いが,こ の ような石材消費戦略 の背景 には,石 器群 Aに お い て萌 芽 した第 3項 効果 の よ り深部 へ の浸透過程 を予示す るこ ともで きよう 9。 尖頭器石器群 Cの 石材消費戦略 この石器群 の特徴 を一 言で い えば,旧 来 の石材規制 の現象的解体 と,そ の解体 を可能 とした割取 り系尖 頭器 の一般化 とい うこ とになろ う。構造論的には,少 な くとも本地域 にあっては,石 刃石器群 が割取 り系 尖頭器石器群 に回収 され るこ とに よって,後 期 旧石器石器群 の基調 としての二 項性 が大 き く変容 す るこ と になる。 もち ろん,黒 曜石製石器群 も存在す るが,そ れは特定地点 での きわめて集約的 な消 費過程 を示す ものに 限 られ る傾 向 を強め る。 本石器群 には富里 町東 内野遺跡 (総 括的 な もの として文献 A2000-51),印 椿村平 賀一 ノ台遺跡 (文 献 A1986-92),佐 倉市大篠塚遺跡 (佐 倉市教 育委員会 の御好意 に よ り実見 )な ど印椿 沼周辺 をめ ぐるよ う に規模 の大 きな遺跡が含 まれ るが,そ こか ら二種 の石 材消費戦略 を抽 出す るこ とがで きるであろ う。 戦 略 Cl 東北地方南部 日本海沿岸産珪 質 頁岩 の 消費戦略 であ り,均 質大型原石 (チ ョ コレー ト頁岩 ) の割取 りに収飯す る。平賀一 ノ台遺跡が典型 であ る。 ①石材原産地近傍におけるサポー トの組織的生産,そ れに引きつづいて割取り系小型石槍の大量生産 と 刃 器 類 の カ リ ン グが お こ な わ れ る。 - 55 - 第 2章 尖頭器石器群 の石 材消費戦略 ② これ らがセ ッ トとして移動装備 に加 え られ る。 この旅 の過程 での石材補給の形跡は稀 であ るこ とか ら (石 材組成 の単調性 ),こ の旅 は きわめて計画的 な もの であ り,経 路 と所要 日程 は既定 (ま さに戦略的 !) であ り,さ らにた いへ ん足早 な もので あった よ うにみ える (組 織的 な別種 原石補給 な し)。 さ らに,多 数 の炉跡 を ともな う複数 の廃棄 空間が籾密 に切 り合 う遺跡 の状況は,兵姑的 な居住地機能 を暗示 して い る (い うまで もな いが,こ の居住地移動 の兵姑性 は石材消 費 を集約化 させ る :③ をみ よ)。 ③移動 の過程 で当然石器 は消耗す る。破損 した石器 は集 中的 に補修 され るので,徐 々 に小型化 し,変 形 した。特 に,特 殊 な割取 り手法 に よる面取 りが頻繁 に実施 され,東 内野型尖頭器 が生産 された。東 内野型 尖頭器 は本 質的 に割取 り型であるが (従 って,定 義 に よ り,形 態的には東 内野例 に類似 して い た として も , 総 じてそれ を含む一群 が割 出 し型石材消 費 による場合 は東 内野型ではない :割 出 し系面取 り石槍 は別範疇 であ る),こ の面取 り争J片 は明 らかに 「 目的的な」剥 片 であ り,そ こには割 出 し的 な契機 が 内在 して い る。 戦略 C2 房総半 島産珪質頁岩 の消費戦略 であ り,不 均質大型原石 の割取 りに収飯す る。原石 は ノジュ ール あるい は層状 に堆積 す る珪 質 頁岩 であ るが (嶺 岡層群 白滝層),角 礫 の場合 ,不 規則 な節理面 (及 び 石 英脈 )が 少 なか らず存在す るため,小 型原石 と同様 の消費過程 をた どるこ とになる。東 内野遺跡 を典 型 とす る。 点に関す る詳細は不明であ るが,大 規模消 費地点 ではほ とん ど生産 の痕跡 ① 珪化岩 のサ ポー トの生産地′ をとどめて い な い。 この理 由は い ろい ろ考 え られ るが,原 石 の状況や その性質 (円 礫 , ノジュール,角 礫 , 岩帯か らの直接採取等 々 )が 大 き く関与 して い る とみ られ る。珪化岩 と共 に 多用 されて い る黒色級密 質安 山岩 (31■ 璃岩 )の 消費 と対照的であ る。 この石 材 は小 型の円礫 として搬入 され,や や浪費家的 に消 費 され て い る。 ② この結果石器群 は,次 の よ うな珪化岩系 とIFE璃 岩系 との二 層的 な構成が成立す る。 珪化岩系 IFt璃 岩系 : : 魚鱗状剥離 に よる面取 り石槍 +各 種刃器 (製 品主体 ) 切 り取 り剥離 に よる小 型幾何 形刃器 +各 種刃器 (副 産物主体 ) い うまで もな いが,さ まざまな条件 に従 って両系のあ り方 は多様 であ り,必 ず しも両者が共伴す る とは 限 らない。珪化岩系は異処 的消費 が顕著 であ り,IF■ 璃岩系は原礫 が 直接搬 入 され るこ とが 多い。特 に,兵 姑型戦略 におけ る中枢的消費地′ 点では両系が複層的 に累積 され る (東 内野遺跡な ど)。 ③ 珪化岩系面取 り石槍 の リダ クシ ョンは戦略 Clと 同様 であ る。過程 的に面取 りが行 われ,こ れに伴 っ て器体微調整 が繰 り返 され る。器体微調整 は尖頭部 に限定 され,基 部 は当初 の形態が維持 されて い る。ほ とん ど例外 な く面取 り争J片 が背付 の刃器 (腹 面 と背面 二 次加 工 面 との交面がバ ヽ ックとな るが,横 位折断が 介在す る場合 が 多 い ようにみ える)と して使用 されて い るこ とも共通す る特 徴 である。 尖頭器石器群 Dの 石材消費戦略 珪化岩 (と りわけチ ョコレー ト頁岩 )の 割 出 しに よるが,本 石器群 の著 しい特徴 として,割 出 し工 程 で 量産 され る石槍 作 出剥片 の カ リン グがあげ られ る。原石 の分割 ,礫 面除去 ,粗 割 ,整 形等 の諸段階 にお い て 多量 に生 産 され る作 出剥片 の うち,特 定 の属性 をもつ剥片類 が選 抜 (カ リン グ)さ れ,そ の 多 くは刃器 として利用 され るこ とになる。特 に大型剥片や チ ャ ン ク状まJ片 が 抜 き取 られて い る。従 って,本 石器群 は 石材原産 地近 傍 にお いてのみ組 織化 しうるものであ り,そ の成立 をもって狭義 のバ イ フェー ス・ リダ クシ ョンの 出現 と評価 す るこ とも可 能 であ り,一 定 の生態学 的条件 の下 でのみ発生 し,定 着 して い ったデザ イ ンであ ると考 え られ る。 - 56 - 尖頭器石器群の石材消費戦略 しか し,本 石器 群 の特徴 を過不 足な く示 して い る四街道市池花遺跡第 3文 化層 (文 献 A1991-46)で は , 少量 ではあ るが石刃製尖頭 有背刃器 (珪 化凝灰岩製 であ るこ とに注意, また尖頭器石器群 Bと の並行性 に つ い て もあわせ て注意 )を 共伴 してお り, この戦略が割取 り系戦略 と相互変容す るものであ るこ とを明示 して い る。 また,本 石器群 にあっては面取 りに よる再生手法は採用 されず,器 形 レイア ウ トの変更に よる破損 品の 再生 がお こわれて い る。 これはす でに観 察 した諸石器群 におけ る再生手法 との大 きな違 い とい えるが,お そ ら く東北 日本 の石刃石器群 に共伴 す る石槍 群 の一 般的 な特徴 を示す もの なので あろ う。 ところで,本 埜 村角 田台遺跡の石器群 は面取 りに よる再生が著 しく,中 部 日本黒曜石原産地近傍 の地域的特 徴 を色濃 くと どめて い るように も思 われ るが,流 紋岩主体 の石刃 ・割 出 し石槍石器群 と黒曜石 製面取 り石槍 (い わゆ る 男女倉型 )と が重合 してお り, まず錯綜 した通行関係 を想定すべ きである。 尖頭器石器群 Eの 石材消費戦略 (El)と ,珪 化岩製割 出 し 。割取 り石器群 (E2)が 含 まれて い るこ とはすでに前項 で指 摘 した とお りであ る。石器群 Elで は,多 量 の 資料 が廃棄 されて い る規模 の大 き な遺跡 と,少 量 の 資料 が コンパ ク トに まとまる遺跡 とが並存 し,石 材補給に伴 うサ ポー トの消費 が 周期 的 に繰 り返 されて い たこ とをうかがわせ る。大規模遺跡におけ る石器群 は,小 角礫製 の石核 ,搬 入サ ポー ト 各種製品類,小 破 片 とい う構成 を示 し,そ の構成要素 の一 部 が別地′ 点に搬 出 されて い る。各種製品類の組 成 をみ ると,各 種 の石器が含 まれて い るが,イ ヽ 型石槍 の 占め るウェー トが 高 い こ とは事実 であ るが,未 加 工 の 刃器類 が 卓越す る。 一 般 に,有 背刃器 は少 な く,ま た形 態的斉 一 性 を欠 きad hocな 道具 とい う評価 がふ さわ しい。房総半 島 にお い て (ま た,南 関東 にお い て も), もっ とも大量の黒曜石 が消 費 された石器 本群 には黒曜石製の割取 り系石器群 , 群 とい えるだろ う。 E2群 は どうか。集計表 の数字 を一 瞥す るか ぎ り,El群 と大差 ない よ うにみ えるが,必 ず しも 同一視 で きな い。 まず,小 型石槍 類 の大半 は割取 り系 であるにせ よ,少 量 とは い え割 出 し系か と推 察 され る大型品が含 まれて い る。尖頭器石器群 Dに もチ ョコレー ト頁岩製 の大型 の ものが含 まれて い るが,本 群 では別種石材,例 えば嶺 岡層群産 の珪 質 頁岩 が使 われて い る。 また,尖 頭器類 の形態変化 が顕著 であ り またその大 きさ も大型 の ものか ら小型品 まで変位幅が大 きい。 さらに,成 形段 階 での調整技術 には通常 の 一 方, , 魚鱗状剥離ばか りではな く,サ ブ・ パ ラ レル な細剥離 に よる周縁加 工 の もの も少 なか らず生産 されて い る こ とも特 徴 とみ なされ る。 尖頭器石器群 Fの 石材消費戦略 遺跡数 が少 ないが,使 用石材 には黒 曜石 が激減 し,嶺 岡層群産 の珪 質頁岩 もそ の姿 を消す。 かわ りに黒 色緻密質安 山岩 ,頁 岩,チ ャー ト,凝 灰岩 な どの使用頻度 が 高 くな る。 この石器群 の尖頭器 の形態的 な特 徴 は両側縁が並行す るこ とであ り,器 体全長 と並行部 との比率 に よっておお よそ の形態分類が可能 であ る。 もちろん これ 以外 の形態 の もの も少 なか らず存在す るが,そ れ らの ものの形態的特徴 は尖頭器石器群 E2 群 と等 しい。 しか し,本 石器群 の最大 の特徴 は,そ れが典 型的な割 出 し形石器群 である とい う点 に もとめ られ る。 こ の こ とが大型 。均質 な原石獲得 の 困難 な石材 を断念 させ ,関 東平野周 辺部 (特 に北 関東東部 には大半 の原 石種 が 存在す る)に お い て入手可 能 な特定石材が席巻 した理 由 と考 え られ る。 ただ し,あ る程度 まとまっ た量の石器群 には必ず 県内産 の石 材 の使用が認め られ る点に も注意 した い。 また,両 側縁並行類 は破損頻 ―- 57 -― 第 2章 尖頭器石器群の石材消費戦略 度 が 高 く,従 って 同時 に,再 生頻 度 もきわめ て 高 い。 この石器 群 を出 土 す る遺 跡 には , ①大量の再生争J片 をとどめ,10点 以上,時 に数十点に達する多量の尖頭器から構成される遺跡 ②再生争J片 は少なく,尖 頭器 も10′ 点未満の遺跡 ③単独出土遺跡 とい う三者がある。遺跡数はこの順番で増加する。なお,本 地域には存在 しないが,関 東平野外縁部の大 型・均質な原石分布域には , 点 ⑥ 原石の一次消費地′ が想 定 され る。 尖頭器以外 の器種 は貧弱であるが,凹 削器 ,側 削器 ,複 刃削器 ,錐,石 鏃 ,有 溝砥石 な どが ある。 とり わけ,珪 化岩製 凹削器が著 しい。石斧や礫器 な ど大型 の石器 は今 の ところ認め られ ない。縄文 土器 も共伴 しない。 尖頭器石器群 Gの 石材消費戦略 この石 器群 も実態 が よ くわか らな いが,富 津市前三 舟 台遺跡 (文 献 A1992-38)第 1プ ロ ック石器群 の 分析 に よる限 り,割 出 し系石器群 と規定 され る。使用石材は黒色級密 質安 山岩 が他 を圧 倒す るようになる。 少 な くとも房総半 島南半 では第四紀礫 層起源 の 円礫が使 われた もの と考 え られ る。大型石器 に素材 であ る 粘板岩や ホル ンフェルス,砂 岩等 も同様 であろ う。 なお,同 遺跡第 3ブ ロ ック石器群 は黒曜石製 の割取 り 系石器群 であ るが,我 孫子市布佐余 間戸遺跡第 4土 層石器群 (文 献 A1981-10)に 対 比 され,時 期 的に下 降す るもの と判定 され る。 本石器群 には隆起 線文 土器が共伴 し,か つ 隆起線文土器 は系統的に縄文土器 と陸続す るので,縄 文時代 草創期初頭 に位 置づ け られ る。 第 5表 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 尖頭器石器群 Bの 石材組成 御 山遺跡第21プ ロ ック ■黒 曜石 ■安 山岩 回 頁岩 日チ ャー ト 皿流紋岩・凝灰 岩 □玉 髄 □そ の他 御 山遺跡第20プ ロ ック 境外遺跡 百 々 目木 B遺 跡第 1プ ロ ック 香山新 田中横堀 A地 点第 5石 器群 香山新 田中横堀 A地 点第 2石 器群 大網 山田台No 6遺 跡第19プ ロ ック 大林遺跡第10プ ロ ック 大林遺跡第 9プ ロ ック 白井第一遺跡012プ ロ ック (各 図共通 ) 11 水砂遺跡 Dプ ロ ック 100% 4 収束 これ まで各石器群 の石材消費戦略 を検討 して きたが, まず確認 しなければな らな いの は,技 術形態学的 な分類基準 に よる各石器 群 が固有 の石材消 費戦略 に よって支持 されて い る事実 であ る。 また,一 般 に尖頭 器石器群 の石材消 費戦略 は別種 の石材消 費戦略 と並存 し,錯 構造化 して い るこ とも重要 な特徴 であ る。叙 上 の事実 は,後 期 旧石器 を特徴づ け る石材 消費戦略 (筆 者 の い う二 項性 )の 大 きな構造的 な変換 を含意 し ―- 58 -― 収束 第 6表 尖頭器石 器群 C・ Dの 石 材組 成 1 杉 内遺跡 2 道木 内遺跡第 7プ ロ ック 3 道木内遺跡第 6プ ロ ック 4 道木内遺跡第 5プ ロ ック 5 道木内遺跡第 1プ ロ ック 6 石頭遺跡 7 -鍬 田甚兵衛 山北遺跡 8 南河原坂第 3遺 跡 J地 点第 H文 化層第 3プ ロ ′ク 9 南河原坂第 3遺 跡 J地 点第 H文 化層第 1プ ロ ンク 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 南河原坂 第 3遺 跡 G地 点第 H文 化層第 2プ ロ ンク 南河原坂 第 3遺 跡 G地 点第 H文 化層第 1プ ロ ンク 池花遺跡第 3文 化層 (一 括 ) 東内野遺跡第 5地 点 東内野遺跡第 6地 点 東内野遺跡第 4地 点 東内野遺跡第 2地 点 取香和 田戸遺跡第 2文 化層 (一 括 ) 平賀一 ノ台遺跡第 2群 (ユ ニ ッ ト1,9∼ 58) 平賀一 ノ台遺跡第 1群 (ユ ニ ッ ト2∼ 8) 御塚 山遺跡第16プ ロ ック 御塚 山遺跡第15プ ロ ック 御塚 山遺跡第 4プ ロ ック 23 24 25 26 -本 桜 南遺跡第25プ ロ ック -本 桜 南遺跡第24プ ロ ック -本 桜 南遺跡第23プ ロ ック -本 桜 南遺跡第22プ ロ ック 27 28 29 30 31 32 33 34 35 36 37 38 39 40 41 42 43 44 45 46 47 48 復 山谷遺跡 E区 Ⅲ lプ ロ ック 復 山谷遺跡 Iプ ロ ック 木苅峠遺跡第23ユ ニ ッ ト 木苅峠遺跡第22ユ ニ ッ ト 木苅峠遺跡第20ユ ニ ッ ト 木苅峠遺跡第19ユ ニ ツ ト 木苅峠遺跡第17ユ ニ ッ ト 木苅峠遺跡第16ユ ニ ッ ト 木苅峠遺跡第15ユ ニ ッ ト 木苅峠遺跡第14ユ ニ ッ ト 木苅峠遺跡第13ユ ニ ッ ト 木苅峠遺跡第12ユ ニ ソ ト 木苅峠遺跡第11ユ ニ ッ ト 木苅峠遺跡第10ユ ニ ッ ト 木苅峠遺跡第 9ユ ニ ッ ト 木苅峠遺跡第 8ユ ニ ッ ト 木苅峠遺跡第 6ユ ニ ッ ト 木苅峠遺跡第 5ユ ニ ッ ト 坊 山遺跡 S39地 点 西 の台遺跡ユニ ッ ト7 西 の 台遺跡ユニ ッ ト7 西 の 台遺跡ユニ ッ ト6 49 上貝塚 貝塚 50 桐 ヶ谷新 田 0% 20% - 59 - 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 第 2章 第 7表 尖頭 器 石 器群 の 石 材 消 費 戦 略 尖頭器石器群 Eの 石 材 組 成 伊知 山石塔前遺跡第 3プ ロ ック 伊知 山石塔前遺跡第 2プ ロ ック 伊知 山石塔前遺跡第 1プ ロ ック 東峰西笠峰遺跡一 括集 中 4 東峰西笠峰遺跡一 括集 中 3 東峰西笠峰遺跡一 括集 中 2 有吉遺跡 (4次 )第 1プ ロ ック 武士遺跡 C7-73地 点 武士遺跡 EO-85地 点 武士遺跡 EO-98地 点 11 武士遺跡 C8-34地 点 12 13 内野第 1遺 跡ユニ ッ ト2 内野第 1遺 跡ユニ ッ ト1 14 森 ノ木台遺跡 15 砂 田中台遺跡第 16プ ロ ック 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 大網 山田台Nα 8遺 跡第11プ ロ ック 大網 山田台No 6遺 跡第22プ ロ ック 大網 山田台NQ 3遺 跡第 2プ ロ ック 大網 山田台NQ l遺 跡 南河原坂第 3遺 跡 G地 点第 I文 化層第 4プ ロ ック 南河原坂第 3遺 跡 G地 点第 I文 化層第 3プ ロ ック 南河原坂第 3遺 跡 G地 点第 I文 化層第 2プ ロ ック 南河原坂第 3遺 跡 G地 点第 I文 化層第 1プ ロ ック 南河原坂第 3遺 跡 C地 点第11プ ロ ック 南河原坂第 3遺 跡 C地 点第 7プ ロ ック 南河原坂第 3遺 跡 C地 点第 6プ ロ ック 南河原坂第 3遺 跡 C地 点第 5プ ロ ック 南河原坂第 3遺 跡 C地 点第 3プ ロ ック 南河原板 第 3遺 跡 C地 点第 2プ ロ ック 南河原板 第 3遺 跡 C地 点第 1プ ロ ック 31 -之 綱遺跡 32 33 34 西向野 I遺 跡第 2地 点 西向野 I遺 跡第 1地 点 大林遺跡第11プ ロ ック 35 -本 桜南遺跡第26プ ロ ック 36 木苅峠遺跡第18プ ロ ック 37 38 白幡前遺跡 S27地 点 39 40 41 42 43 44 45 46 47 48 白幡前遺跡 S22地 点 井戸向遺跡第 9地 点 S041地 点 村上込 の 内210遺構 芝山遺跡第19プ ロ ック 矢船遺跡第11プ ロ ック 西 の 台遺跡ユニ ッ ト5 西 の 台遺跡ユニ ッ ト4 西 の 台遺跡ユニ ッ ト3 西 の 台遺跡ユニ ッ ト2 西 の 台遺跡ユニ ッ ト1 三輪野 山第 H遺 跡 ―- 60 -― 収束 て い るが,こ の変換 プ ロセス を第 二 項効果 とよんでお こ う。 い うまで もないが,第 二 項 とは尖頭器 り (よ 広義 に理 解すれ ば両 面体 であ り,従 って また一 部 の石刃石核 ・細石核 等 をも包括すべ きであ るが,煩 雑 な 議論 とな り,こ こではふれ な い)の 石材消費 (バ イ フェー ス・ リダ クシ ョン)戦 略 をい う (物 象的実体 で はな い こ とに注意 )。 さて,尖 頭器石器群 Aに おけ る小型石槍 の析 出過程 をみ ると,特 定石材 (黒 曜石 の卓越 )と 特定調整技 術 (魚 鱗状剥離 )と が排 他 的 に結 合 した割取 り系石器 であるこ とに異論 はな い であろ う。実 は,こ の石器 群 及び錯構造的に並行 す る石器群 る)に は別種 の尖頭有背刃器 (い (こ れには横打剥片石器群及 び黒曜石製鋸歯縁尖頭器石器群 の二 者 があ わゆ るナ イ フ形石器 )あ るい は幾何 形有背刃器 (い わゆ る切 出形石器 ) が 多量 に含 まれて い る。小型石槍 はこの種 の 多種 多様 な尖頭器類 の一分肢 であるにす ぎな い。本石器群 の 継起 した時間的帯域 にお い て,黒 曜石 原産地近傍 にお い ては割 出 し系小型石槍 が すでに成立 して い た可能 性 は否定 で きな いが,今 の ところそれ を実証す る資料 は存在 しな い。 ところが,尖 頭器石器群 Bに お いては,石 材原産地近傍 では各種小型石槍 が量産 されて い る。 この事実 は特 に長野 県内の 黒曜石 原産地近傍 にお い て顕著 であ るが,信 州以外 の 黒曜石 原産地近傍 にお い て も同様 であった と考 え られ る。 この こ とは,例 えば,自 井 第一 ,御 山,大 林 ,赤 坂等諸遺跡 の面取 り石槍が いず れ も高原山産 を主 として い るこ とか らもうかが うこ とがで きるであろ う。 また,お そ ら くこれ と並行 して , 東北地方にお い て も黒曜石 原産地近傍 と同様 に,チ ョコレー ト頁岩原産地 に近 接 して集 中的 に石 槍 を集約 的に生産す る遺跡が形成 されて い た可能性 が きわめて高 い。石器群 Dは この種 の石器群 の一 部 とみ られ よ う。 また,こ れ らの石器群 は,各 地域 にお い て固有 の歴史的累積性 をもった と考 え られ る。 この こ とは , 周縁部 との 間欠的,波 動的 な交差関係 の形成 とい う仮像 をみせ るが,実 態は原産地近傍 での特殊 な石材消 費戦略 と理解 すべ きであ り,一 般 的戦略 と共変性 を もつ と考 えなければな らない。 この ような特徴 を もつ石器群 B(及 び D)が 珪化岩主体 の石刃石器群 と (現 象的 に)交 差す るこ とは周 知 の事実 であ る。珪化 岩製石器群 には房州産珪化岩 を使 う一群 と,東 北地方南部産珪化岩 を多用す る一群 があるが,一 般的 な傾 向 として,下 総 台地南部 に向か うにつ れて後者 の 比重が増大す る。逆 に古鬼怒川 を 遡行す ると前者が濃密化す る (多 功南原遺跡,八 幡根東遺跡 な ど多数 の遺跡が あ る)。 また,黒 曜石 原産 地近 傍 にお いて も石刃生産 がお こなわれて い るが,本 地域 内には黒曜石 を主材 とす る石刃石器群 は認め ら れな い。 したが って,石 器群 Bと は,す でに石器群 Aに お いて指摘 した錯構造 の 内部 にあ るこ とは明確 で あ り,石 器群 Aに お い て戦略化 が模索 された錯構造性 の確立 した石器群 と評価 す ることがで きるだろ う。 ところで,石 器群 Eに 関 しては,そ れが黒曜石角礫 を消費す る Elと ,珪 化岩 を消費す るE2と に両極 化す る傾 向 を指摘 したが,い うまで もな く,こ の傾 向は石器群 Bに 観察 され た破 璃岩 ・ 珪化岩 二極構造 の 変換 に よるもの と理 解 しなければ な らな い。石器群 Bに 観察 された破璃岩消費過程 として の尖頭器石器群 の生産 。消費に まつ わ る全体 的戦略構造 の 内部 に石器製作総体 が組み込 まれ,こ れ を機軸 として石材消費 が企図 され る。 つ ま り,一 連 の 身振 りに物 質化 されて い くので ある。 か くして,錯 構造 を媒介 とす る第二 項効果 によって二 項的構造 は変態 を遂 げ るこ とにな る。関東平野各処 にお い て,地 域的 な生態系に対応 じ た尖頭器石器群 の生産 が並行 的 に反復 され るようになる。 しか し,本 源的二 項性 自体 が解体 したわけではな い。す でに一部 で指 摘 されて い るよ うに,変 換 された 二 項性 は, また別 な形 を とりなが ら再生産 されて い く。石 刃技法に基盤 を もつ植 刃槍 との錯構造 の成立で あ る。細石刃石器群 の構造的理解 に関 しては本論 の 範囲 を大 き く逸脱す るため,詳 しく考察す るこ とはで -61- 第 2章 尖頭器石器群 の石材消 費戦略 きないが,本 源的 まり後期 旧石器の出自とともに累積された)二 項性の内部における植刃槍 とい う伝 習的な身振 りの体系を台木 とするグラフ トである, とい う以外の理解は誤 りであるЮ。石器 として物象化 (つ されようと否 とにかかわらず,い つ もすでに,そ れは身体化されていたはずである。 尖頭器石器群 Fに おいては既存の構造は潜在化 し,大 きく縄文的な石材消費戦略への布石が打たれるこ とになるが, この脱構造の動因はいかに理解されるのか。おそらく, ここにおいてもグラフ トという機制 が重要な意味をもつことになるだろう。かつて,山 内や佐藤が摘出したいわゆる渡来石器 もこのような布 置の中においてのみ今なお正当な存在意義を主張しうるであろう。 房総半島尖頭器石器群の石材消費戦略は,お およそか くのごとく要約されるn。 注1 近年 この産地 の黒色級密質安 山岩が注 目されて い るが,あ いかわ らず検 出に至 る経緯 を無視 した独善的 な 見解 が横行 して い る。筆者は平成 5年 に栃木県立博物館 の企 画展 「選ぶ・ 割 る・磨 く」 を見学 したお りに , 武子川流域 に豊富に黒色緻密質安 山岩転礫が分布す る事実 を知 り,直 ちに現地 でその所在 を確認 した (採 集 石材については写真 を公表 して い る)。 このことは,当 時すでに地元の研 究家 には周知 されてお り,さ らに , 武子川に近接す る遺跡か らは大型の原石 も採集 されて い た事実 も無視す るこ とはで きな いだろ う (同 企画 展 に も展示 されて いた)。 また,県 内の 同種石材に関 しては,栃 木県立博物館 にお いて も独 自に追求 されて い た ようである。筆者は同館 の荒川竜一の懇切 な御教示 に よ り,芳 賀富士や西茨城郡 内にお い て良質 の原石 を採 集 して い る。安 山岩研究者なら知 って い ると思 うが,西 茨城郡 内の石材は,茨 城県 自然博物館 にデイサ イ ト (い 2 わゆる トロ トロ石 を含む)と 分類 されて常設展示 されて い るこ とも付言 してお こ う。 本県三 芳村在住 の真 田五 郎 の積年 の努力によ り,丸 山川上流域 にお いて蛋 白石 あるいはチャー トの原産地 がつ きとめ られて い る。 これにつ いては加納 実 が 資料紹介 を行 って い るので参照 して い ただ きた い (文 献 B 2001-2)。 なお,安房方面 の黒曜石原石 も真 田の採 集品中にある。 3 嶺 岡層群 に も硬質 の細粒緑色凝灰岩があ り,加 茂川本流にお い て採 集 で きる。灰緑色 を呈 し,あ ま りきれ い な色調 とは言えないが,硬 質 な もの もあ り,古 墳時代 の管玉用 として も使 われて い た可能性 はあろ う。 4 本項にお いては,「 尖頭器」 とは魚鱗状剥離,あ るいは類魚鱗状剥離によってサポー ト厚 を変形 (外 形だけ ではな く厚 み も減少す る)し た尖頭器 と理解 して い る (狭 議 の尖頭器 )。 この種の尖頭器は伝統的な用語法に 則 って石槍 とよぶべ きであるが,本 項 では特に使 い分けて い るわけではない。 この ように,「 尖頭器 」 は本来 特有 の石材消 費の方法によって定義 され るのであ るか ら,こ れに「槍先形」 な どと形態的 な属性 を冠す るの は不適切 である。 5 「面取 り」 とい う用語につ いてはすでに簡単に解説 した (文 献 A2000-6)。 すでに 「有樋」 とい う用語 が 広 く使 わ れ て い る こ とは 承 知 して い るが ,本 来 そ れ は 北 米 パ レ オ・ イ ン デ ィ ア ン の 有 樋 尖 頭 器 ″グタθ 勿′ の直訳)に ついて採用された用語であるのみならず,形 態学的にも不適切な用語であ "物。 った 6 本項 では尖頭器 を割 出 しに よ る もの と,割 取 りに よる もの とに 三 分 す る。 この分 離 は尖頭器 石 器群 を理解す る上 で重要 である。割取 りとは有背刃器 の製作 と類似 して い る。サ ポー ト=中 型 ・小型争J片 の周辺 か ら魚鱗状争J離 を加 えて製作す る。 したがって,サ ポー トは一般的 な剥片生 産過程 か らカ リン グされ るこ と が 多い。一 方,割 出 しとは礫,チ ャ ン ク,大 型争J片 な どをサ ポー トとし,粗 割,初 期整形,細 部整形 とい う 線条的な段階 を踏んで製作がすすめ られ る。尖頭器作 出剥片は しば しばカ リング され,刃 器 のサ ポー トに転 ―- 62 -― 収束 化 され る。サポー トは当初か ら尖頭器生産 を念頭 にお いて選別 され る。狭議 のバ イフェー ス・ リダ クシ ョン は割出 しである。 珪質 な石材 を総称 して珪化岩 とい う。 また,黒 曜石や黒色級密質安 山岩 な どを総称 して破璃岩 とよぶ。珪 化岩 の主体 は,い うまで もな く珪質頁岩であるが,他 に珪化凝灰岩や珪 質 な流紋岩類,チ ャー トな ども含む。 歴史をどの ように考えるのか。筆者の考え方の一端はすでに提示 してい るが ール学派以降の動向へ の 日配 りが必要であろうが (ジ (田 村1998),さ しあた リアナ ャック・ ル ゴフほか『歴史・文化・表象』等),す でに 再三言明 してい るように,筆 者は大森荘蔵 の「語 り存在」に定位 してい る。 また,こ れを認識論 レベ ルでの み把握するのではなく,歴 史の共同主観性 とい う存在論 レベ ルに まで垂鉛 を下ろした議論 こそが求め られる のである。 この点に関 して,ギ リシャ哲学的な認識論 。存在論二元論に立つ某論者か ら筆者に批判が寄せ ら れているが, ここでは同氏の よって立つ広松渉の指摘 を引用することに よって回答にかえておこう。「われわ れに現実的に与えられている世界は歴史化 された自然 (筆 者注 『 ドイツ・ イデオロギー』)で ある。 しかる に,こ の現実の世界は,か の共 同主観的・歴史的な「対象的活動」 によって拓けるのであるか ら,認 識論は , もはや,「 意識の命題」を単に放棄するとい う域 をこえて,同 時に存在論 としての権利 を保有 しつつ,歴 史的 実践 の構造 を定礎す る (傍 点筆者)」 9 (『 世界の共同主観的存立構造』)。 二項性 とい う概念 につ い てはす でに詳 し く論 じた。第二項 とい う考 え方は本論 では じめて導 入す るが,フ ラ ンス現代思想に詳 しい人は ロ ラ ン・ バ ル トの記号論 (あ るいは神話作用 )を 想起す るであろ う (特 に 『零 度 のエ クリチ ュール』参照 :第 二 項はパ ル ト流に い えば零項であ り,二 項的布置構造 におかれた一項へ の付 加項にす ぎないが,や がて二項対 立 を解体す る。 まさしくバ イフェース・ リダクションは零項的であろ う)。 また,用 語法 としては今村仁司の非対称化労働論か ら借用 して い ることを断っておこ う (『 現代思想 の基礎理 論』所収 )。 この ような用語法 の導入に対 して異見 をもつ研究者 に対 しては,石 器 (群 ),石 器文化等 の用語 は考古学 とい う特殊 な コンテ クス トに定位す る「エ ク リチ ュール」以外 の なに もの で もない こ とに想 い をい たすべ きであろ う。 10 日本先史学 に グラフ トとい う概念 を導入 したの は,誰 あろ う山内清男である (『 日本遠古 の文化』 をみ よ)。 ただ し,文 化要素 だけではな く在地 の (生 まれ育 った生 活世界におけ る)身 振 りの変容 にこそ 目を凝 らすべ きである。新 ダー ウ ィン主義の間接的 (バ イア スのかか った)伝 播 とい う考 え方は参考 になるが,社 会 の垂 直性 とい う限定 された領域のみに力点 をお くことは誤 りであろ う。 お よそバ イア スのかか らな い文化伝播 な ど原理 的 に想定 しようがないの であ り,考 古学では このバ イア スの特殊性 を「地域」 とい うので ある。 11 本論 中 「戦略Jと い う用語 を多用 したが,織 笠明子はこの よ うな「軍事的用語」 の使用は,戦 争放棄 を掲 げた平和憲法 をもつ 国民 の なすべ きこ とではない, とい う驚 くべ き発言 をして い る (「 石器石材研究」『石器 文化研究』 7所 収 )。 あま りに も常識的 なこ とであるが,「 戦略」 とは生態学 (及 び関連諸分 野 :当 然生態人 類学 も含 まれ る)の 分野で多用 されて い る (つ ま り有効 に機能 して い る)純 然 たる学術用語 であ り,「 憲法」 などをもちだす 筋合 いの ものでは ない。 ―-63 -― 第 3章 自然科学 的手法 に よる分析 ―蛍光 X線 による房総半 島出土 尖頭器 石器群 の 黒曜石原産地推定 一 二 宮修 治 (東 京学 芸 大 学 教 育学 部 化 学 科 )・ 島 立 桂 1. は じめ に 房総半島に分布す る尖頭器 の石材 をみると,黒 曜石 が高 い割合 で用 い られてい ることがわか る。 また , 従来 の研究成果 と肉眼観察 によって,そ の黒曜石が複数 の原産地 に由来す ることも充分 に予測 されるとこ ろである (文 献 B1987-5)。 果 た して,尖 頭器に用 い られた黒曜石 は,ど こか らもたらされたのだろ う か。 この疑間が,本 研究 を行 った第 1の 動機 である。 また,旧 石器時代 の人々 は,周 期的かつ循環的に居住地 を変 えなが ら生活 を送 っていた と言われてい る。 それでは,房 総半島に尖頭器石器群 を残 した人々 は, どの ような範囲を どのような経路で移動 しなが ら暮 らしていたのだろ うか。 この疑間が,第 2の 動機である。 ところで,旧 石器時代 の人々による石器石材の入手方法は,① ;石 材原産地に赴 き,直 接採取す る,② : 贈与交換によ り入手す る,③ ;日 常的な生活圏内で採取す る, とい う 3通 りが考 えられ,特 に③ の重要性 が指摘 されてい る (文 献 B1992-9)。 このことについて考 えてみ ると,当 時 の人々 に とって,石 器石材 は欠 くことので きない必需品であ ったことか ら,そ の入手方法は,最 も安全 かつ効率的な方法 をとってい たはずである。具体的には,石 器石材 の入手は直接採取 を原則 とし,周 期的かつ循環的に替わる各居住地 ごとの活動計画に組み込 まれ,そ れぞれの 日常生活圏内で実施 された と考 えるのが合理的である。従 って , 旧石器 時代 の人々の移動範囲や移動経路 を考 える上で,石 器石材 の原産地 を特定す る研究は大 きな手がか りになると考 えられる。 一 方 ,黒 曜石製石器 に対 しては,長 年 にわた り原産地 を特定す る研究が積 み重ね られ,石 器か らその 原 産地 を高 い確率 で推 定す る こ とが可能 となって きた。特 に,蛍 光 X線 分析 は,資 料 を破壊 ,損 傷す るこ と な く短時間で分析測定 がで きる こ とか ら,質 ・ 量 ともに充実 した成果が急速 に蓄積 され,石 器群 の変遷や 石器形態 と原産地 との関係 ,あ るい は石器石材の入手経路や移動範囲等 ,旧 石器時代か ら縄文時代 にかけ ての行動形態論 的研 究 と深 く関 わ り,そ の威力 を徐 々 に発揮 しつつ あ る (文 献 B1997-2,1999-1ほ か )。 そこで,本 研究 では,房 総半 島出土の尖頭器石器群 を分析対象 として,エ ネ ル ギー分散型蛍光 X線 分析 に よる黒曜石 の 原産地推定 を通 して,房 総半 島出土の尖頭器及び関連資料 の 由来 を知 り,当 時 の 人々の行 動形態 を追求す る基礎 資料 を得 るこ とを目的 とす る。 2.分 析 方 法 とそ の 結 果 ①分析方法 分析方法 は,エ ネル ギー分散型蛍光 X線 分析 に よって,黒 曜石 資料 に含 まれ る主成分 元素 と微量成分 元 素 を測定 し,そ れ ぞれ の 存在量 を比較す るこ とに よ って,原 産 地 の推定 を行 なった。 黒曜石 資料 の元素 の測定 には,セ イ コー 電子工 業製卓上型蛍光 X線 分析装 置 SEA-2001を 用 い た。 X 線発生部 の ターゲ ッ トは ロ ジウム (Rh)管 球 (電 圧 :15k V,電 流 ―- 65 -― :80∼ 120mA),X線 照射面積 は直 第3章 径 自然科学的手法による分析 3 mm,X線 検 出器 は Si(Li)[Li(リ チ ウム)ド リフ ト型 Si(ケ イ素 )]半 導体 検出器 [分 解能 : 170e v(Mn― Kα 5.9kev)]で ある。 分析 資料 は,房 総半 島の47遺 跡か ら出土 した黒曜石 製 の尖頭器石器群340点 で,原 産地推定 のための原 産地黒曜石 は,栃 木県 。高原 山,信 州 ・ 星 ヶ塔 ,同 ・小深沢 (和 田峠),同 。男女倉 ,同 ・ 麦草峠,神 津 島・恩馳 島,箱 根 ・ 畑宿 ,伊 豆 ・柏 峠 の 8原 産地 の もので あ る。 初 めに,岩 石学的 な特徴 を見 出す ために,一 般 的 なケ イ酸塩 岩石 の主成分 元素 であ るケイ素 (Si), (Ti),ア ル ミニ ウム (Al),鉄 (Fe),マ グネ シウム (Mg),カ ル シウム (Ca),ナ トリ (Na),ヵ リウム (K)の 8元 素 の定量 を真空雰囲気下 で行 なった (測 定 1)。 定量 のため の標準資 チ タン ウム 料 には和 田峠 産黒曜石 を用 い た。 次 に,黒 曜石 の 原産地 間 の識別 ・分類に有効 な 3元 素 の測定 を行 なった。岩石化 学的 にその元素 との挙 動 が 類似 した主成分元素 に着 目し,微 量成分元素 と先 の 主成分 元素 の組合せ として,マ ンガ ン 鉄 ,ス トロンチ ウム (Sr)と カル シウム,ル ビジウム (Rb)と (Mn)と カ リウム の測定 を行 い,標 準資料 を用 い な い フ ァ ンダ メン タルパ ラ メー タ法 に よる方法 で,そ れ ぞれの元素 の酸化物 を100と す る濃度比 として 求め た。 これ らの 6元 素 の測定 は,空 気雰囲気下 で行 なった (測 定 2)。 黒曜石 資料 の主成分 8元 素 の定量 (測 定 ム,カ リウムの測 定 (測 定 1)と マ ンガ ン,鉄 ,ス トロンチ ウム,カ ル シウム,ル ビジウ 2)の 結果 は,第 9表 の通 りである。 同様 に,東 日本 の主 な原産地黒曜石 の結 果 を第 8表 に示 す。表 中の各元素 の存在量は,岩 石学 の慣例 に従 って,酸 化物 の 形 で表 記 してあ る。 ②測定結果 測定結果 をクラスター分類 した ところ,A∼ Dの 4群 に大別 され, さらにそれ ぞれは 6∼ 9群 に細別 さ れた (第 14図 )。 そ こで,抽 出 された各細 別 を東 日本 の 主 な黒曜石 原産地 で得 られ た測 定値 と比較検 討 し A5は 栃木県・ 高原 山産 ,A6。 A7は 原産地不 明,A8は 箱根 ・ 畑宿産 ,Bl∼ B6は 信州 。麦草峠産 , B7・ B8は 神 津 島・恩馳 島産 ,B9は 原産地不 明,Cl∼ C6と D3∼ D7は 信州 ・ 小深沢産 ,Dl・ D2は 信州 。星 ヶ塔産 に対応す るこ とがわか った。以上 に よ り,各 黒曜石 資料 の 原産地 た結果,Al∼ を判定 した。 3.分 析 資 料 の 概 要 房総半 島 には尖頭器 を出 土 した遺跡が469か 所 あ り,こ の 内116か 所 か ら411点 の 黒曜石 製尖頭器 が 出土 して い る。黒曜石 製尖頭器 の 出土 した遺跡数 と石器数量 を地域別 にみ ると,A地 域 (太 平洋 一東京湾分水 界以北 土 気 ―銚 子分水 界以西 )は 44遺 跡 176点 ,B地 域 (太 平洋 一東京湾分水 界以南津森 ―鋸 山分水 界以 北 )は 57遺 跡 161点 ,C地 域 (土 気 ―銚 子分水界以東清澄 山 一大原分水 界以北 )は 15遺 跡 74点 であ る。 こ の 中か ら地理 的分布 を勘案 した上 で,47遺 跡か ら出土 した尖頭器 199点 と関連 資料 141点 の合計 340点 を選 定 し,黒 曜石 の原産地推定分 析 を実施 した。分析 資料 の選定 にあたって は,第 1に 尖頭器 ,第 2に ナ イフ 形石器や掻器 ,彫 器等共伴す る定型 的 な石器 ,第 3に 剥 片類や石 核 等石器製作作業 に関連す る資料 , とい う順位 を付 け,そ れ ぞれ を任 意 で選 んだ。分析 資料 の地域 別 の 内訳 は,A地 域 が 17遺 跡 148′ 点 器 87点 ), B地 域が24遺 跡 128′ 点 (う ち尖頭器 77点 ),C地 域が 6遺 跡64′ 点 ① 分析対 象遺跡 ・ A地 域 (太 平洋 一東京湾分水界以北土 気 ―銚子分水界以西 ) 一- 66 -― (う (う ち尖頭 ち尖頭器 35′ 点)で ある。 分析資料の概要 八千代市権現後遺跡第 3文 化層第12・ 14ブ ロ ック,柏 市 中山新 田 I遺 跡,鎌 ヶ谷市五本松No 3遺 跡第 9 ・ 11ブ ロ ック,佐 倉市御塚 山遺跡第 I文 化 層第 1ブ ロ ック,同 大林遺跡第 Ⅱ b文 化層第 9。 10プ ロ ック他 , 点NQ 5ブ ロ ック,成 田市東峰西笠峰遺跡 (空 港 NQ63遺 跡 )石 器集 中 4・ 同向原遺跡第 1地 点No l・ 第 4地 ′ 一 括集 中 2・ 3他 ,同 取香和 田戸遺跡 (空 港NQ60遺 跡 )第 2文 化層,四 街道市 池花遺跡第 3文 化層,同 御 山遺跡第Ⅷ a文 化層第20。 21プ ロ ック,印 椿郡 富 里町東内野遺 跡第 1次 調査 ,印 椿郡 印椿村平賀 一 ノ台遺 跡 Ⅲ層文化層,印 藩郡本埜村角 田台遺跡,印 西市木苅峠遺跡第 6・ 9。 10ユ ニ ッ ト, 自井市一 本桜南遺跡 第 7文 化層第21プ ロ ック,同 白井 第 1遺 跡012プ ロ ック,同 復 山谷遺跡 C・ Iプ ロ ック ・ B地 域 (太 平洋 ―東京湾分水界以南津森 山 ―鋸 山分水界以北 ) 千葉市赤坂遺跡第 2・ 3プ ロ ック,同 上鹿子遺跡第 8・ 11・ 12ブ ロ ック他 ,同 中鹿子第 2遺 跡第 ック他 ,同 ム コア ラク遺跡 T05プ ロ ック,市 原市押沼大 六天遺跡,同 草刈遺跡MttF 1ブ ロ 8-Aブ ロ ック他 , 2B― Aプ ロ ック,同 武士遺跡第 7A2・ 7B文 化層,松 戸市岩瀬塚 田遺跡,船 橋 市西 の 台 遺跡 Ⅲ層上位 ,同 古作 中台遺 跡,流 山市桐 ケ谷新 田遺跡,野 田市岩名第 14遺 跡,木 更津市 マ ミヤ ク遺跡 富津市前 三 舟 台遺跡第 3プ ロ ック,袖 ケ浦市尾畑台遺跡,同 上大城遺跡,同 境NQ 2遺 跡,同 穴 田遺跡,同 同草刈古墳群 , 百 々 目木 B遺 跡第 1ブ ロ ック,同 中六遺跡,同 鼻欠遺跡,同 二 又堀遺跡,同 美生遺跡群 第 4・ 6地 点 OC地 域 (土 気 一銚子分水界 以東清澄 山 一大原分水界以北 ) 点,同 砂 田 中台遺跡文化層 Ⅱ C第 16ブ ロ ック,山 武郡 山武町栗焼棒 山武郡大網 白里町大網 山田台No l地 ′ 遺跡,山 武郡横芝町 中台貝塚 ,山 武郡芝 山町香 山新 田 中横堀遺 跡 (空 港NQ 7遺 跡 )第 5石 器群他 ,同 浅 間 台遺跡 ② 主 な分析資料 1)山 武郡大綱 白里町大綱 山田台No 石器群 の 出土 層準 はⅢ層 (ソ l地 点 (第 16図 1∼ 31,文 献 A1994-46) フ トロー ム層 )最 上部 で,石 器 1991点 と焼礫236点 が 直径 20mの 範 囲 に分 布す る。石器組成 は,尖 頭器 29′ 点,ナ イフ形石器 4点 ,掻 器 争J片 類 1922点 ,石 核 8′ 5′ 点,削 器 17点 ,鋸 歯縁石器 2′ 点,錐 2点 , 点で構成 され,尖 頭器 は,や や幅広 の小型木葉形 で,粗 い片面調整 を主体 とす る。 石器群 の大半 は尖頭器 の調整剥 片類 で,こ れに中 。小型不定型 の争J片 と小型 の石核 が伴 う。剥 片類や石核 の形状か ら,尖 頭器 の調整加 工 以外 に分割礫 を用 い た剥片生産が想定 され る。石 器石材 は黒曜石 が全体 の 9割 以上 (1969点 )を 占め,こ れに頁岩や チャー ト,流 紋岩 な どが少量み られ る。黒曜石 は,黒 色不透 明 で爽雑物 を多量 に含む ものが圧 倒 的に 多い。 分析 資料 は,尖 頭器 15点 (1∼ 14・ 19),掻 器 6点 (15∼ 8点 (22・ 鋸歯縁石器 18・ 20・ 21),鋸 歯縁石 器 1点 (23),剥 片類 24∼ 30),石 核 1点 (31)で ,製 品 と剥 片生産 に関連す る資料 を併 せ て選定 した。分析 の 結果 1′ , 点 (23)が 小深沢産 で,そ れ以外 は高原 山産 と判定 した。 2)山 武郡大絹 白里町砂 田中台遺跡文化層 Ⅱ C第 16プ ロック (第 17図 32∼ 41,文 献 A1994-47) 石器群 の 出土 層準 はⅢ層 (ソ フ トロー ム層 )下 部 か らⅣ層 (ハ ー ドロー ム層)上 部 にかけてで,中 規模 プ ロ ック 2か 所 か らな る。 第 16ブ ロ ックは,直 径 7m程 の 範囲 に143点 の石器群 が分 布 し,小 型木葉形 で 周辺調整 を中心 とす る尖頭器 7点 ,掻 器 3点 ,削 器 1点 ,剥 片類 131点 ,石 核 1点 で構成 され る。争J片 類 は全 て小 型不定 型 で,長 さが 3 cmを 越 え るものはみ られ な い。石 器石材 は黒曜石 が 8割 (118点 )を 占め い 凝灰岩 ,チ ャー ト, 自滝頁岩 な どが加 わ る。黒曜石 は,灰 白色か ら黒灰色に濁 った不透 明な ものが 多 。 , 分析 資料 は,尖 頭器 3′ 点 (32∼ 34),掻 器 3′ 点 (35∼ 37),争 J片 類 ―- 67 -― 4′ 点 (38∼ 41)で ,分 析可能 な大 きさ 第 3章 自然科学的手法による分析 の 資料 を選 定 した。分 析 の 結果 ,争 J片 類 1点 (39)が 小 深沢産 で,そ れ以外 は麦草峠産 と判定 した。 3)袖 ケ 浦市 百 々 目木 B遺 跡第 1プ ロ ック 石器群 の 出土 層準 はⅢ層 (ソ (第 17図 51∼ 56,文 献 A1998-25) フ トロー ム層 )下 部か らⅣ層 (ハ ー ドローム層 )上 部 にかけてで,互 いに 隣接す る 3か 所 の 中規模 プ ロ ックか ら2500`点 の石器 と礫 が出土 した。第 1プ ロ ックは,石 器482点 と礫 44 点が混在 し,尖 頭器 2′ 点,ナ イ フ形石器 10点 ,掻 器 7点 ,彫 器 1点 ,削 片 1′ 点,磨 石 1点 ,剥 片類 (石 刃 を含む)457′ 点,石 核 3点 で構成 され る。尖頭器 は,安 山岩製 の両面調整木葉形 と,黒 曜石 製 の片面調整 の有樋尖頭器 が あ り,自 滝頁岩 の 削片 が伴 う。 ナ イ フ形石器 は,石 刃素材 の 2側 縁調整 ,基 部調整 ,部 分 調整 な ど各種 があ る。石器石材 は 自滝頁岩 が半数 を占め,こ れに東北産頁岩,巧 I歯 ,黒 曜石 ,安 山岩,ホ ル ンフェルス,チ ャー トな どが加 わ る。特 に, 自滝頁岩 につ いては大小の分割礫 を持 ち込み, まとまった 量 の石刃や 一般 的 な剥片 を生産 して い る。 また,東 北産 頁岩や巧噛 の一部 につ い て も石刃生産 の形跡があ る。反面 ,黒 曜石 は総数 25′ 点と少 な く,製 品 と素材剥片,石 器 の調整剥片類 で構成 されて い る。 分析 資料 は,尖 頭器 1′ 点 (51),ナ イ フ形石器 1′ 点 (52),掻 器 2′ 点 (53・ 54),剥 片類 2′ 点 (55・ 56)で , 製品 を中心 に選定 した。分析 の結果 ,全 て畑宿産 と判定 した。 4)宮 津市前三 舟台遺跡第 3プ ロック (第 17図 57050,第 18図 59・ 60,文 献 A1992-38) 石器群 の 出土 層準 は Ⅱ層 (漸 位 層 )下 部 か らⅢ層 (ソ フ トロー ム層 )上 部 にかけてで, 2か 所 のプ ロ ッ クか ら隆線文土器 ,石 器 ,礫 な ど,縄 文時代草創期 に帰属す る良好 な資料が出土 した。第 3プ ロ ックは , 4mの 範囲 に石鏃 2′点,掻 器 4′点,削 器 3′点,剥 片類 9′点と土器,礫 な ど,合 計20′ 点の資料 が散漫 に 分布す る。石器石材 は全 て黒曜石 で,青 みがか った黒 色不透 明 の 良質 の もので, 自色 の文雑物 を含 んで い る。石器製 作作業 の形跡はな く,全 て搬入品 と考 え られ る。 分析 資料 は,石 鏃 1′ 点 (60),掻 器 1′ 点 (57),削 器 2′ 点 (58・ 59)で あ る。黒曜石 は 3母 岩 に分類 され てお り,57∼ 59は 同一 母岩 とされて い る。分析 の結果 ,全 て神津 島産 と判定 した。 5)市 原市草刈遺跡 M区 F8-Aプ ロック (第 18図 64∼ 76,未 報告 直径 ) 石器群 の 出土 層準 はⅢ層 (ソ フ トロー ム層 )を 中心 とし,石 器 241′ 点と礫 652′ 点の混在す る大規模 な プ ロ ックが 1か 所検 出 された。石器組 成 は,有 樋尖頭器 を含 む尖頭器 8`点 ,ナ イ フ形石器 器 9点 ,削 器 1′ 点,石 刃 17′ 点,削 片 3点 ,剥 片類 189′ 点,石 核 8′ 点で構成 1′ 点,彫 器 5′ 点,掻 され る。石器石 材 は ホル ンフェ ルス と白滝頁岩 ,黒 曜石 が概 ね 1/3ず つ で,少 量 の安 山岩 と東北産 頁岩が加 わ る。 ホル ンフェルスは原 石 (小 型 の 円礫 )か ら, 自滝頁岩 は作業 の進行 した石核 か ら剥片生産 を行 って い る。 一 方,黒 曜石 は製品 , 未製 品 と石器の調整剥 片類 で構成 されてお り,遺 跡内で剥片生産 を行 った形 跡は乏 しい。 分析 資料 は尖頭器 7′ 点 (64∼ 70),ナ イ フ形石器 1′ 点 (71),彫 器 2`点 剥片類 1点 (76)で ,製 品 を中心 に選 定 した。分析 の結果,星 ヶ塔産 麦草峠産 4′ 点 (64・ 66・ 67・ 69),ガ ヽ 深沢産 1′ 点 (74),高 原山産 1′ 7′ (72・ 点 73),掻 器 2′ 点 (74・ 75), (65・ 68・ 70・ 72・ 73・ 75。 76), 点 (71)と 判定 した。 6)印 西市木苅峠遺跡第 6・ 9010ユ ニ ッ ト (第 18図 77∼ 88,第 19図 89∼ 99,文 献 A1975-3102000-6) 石器群 の 出土 層準 はⅢ層 (ソ フ トローム層 )で,尖 頭器 は 5か 所 のユニ ッ トで出土 して い る。第 6。 9 。10ユ ニ ッ トは互 いに隣接 し,尖 頭器 14点 ,ナ イ フ形石器 石核 3点 ,礫 73`点 2′ 点,彫 器 1点 ,細 石刃 29点 ,剥 片類 3679′ 点 , で構成 され る。尖頭器 の 中には,か つ て「木苅型 グ レィバ ー状石器 」 と呼 ばれた小型寸 詰 ま りの有樋尖頭器 が あ り,こ れに木葉形尖頭器が伴 う。 いずれ も片面調整 と両面調整がみ られ る。石器 石材 は黒曜石 が 9割 以上 を占め (3695点 ),そ の大半 は黒色不透 明で爽雑物 が 多 く含 まれて い る。 この他 一- 68 -― , 分析資料の概要 安 山岩 ,頁 岩 な どが少量伴 う。石器群全体 では,製 品,中 。小型不定型 の剥片,尖 頭器 の調整剥片,削 片 , 小型 の石核 な ど各種 資料 が そろってお り,遺 跡内で剥 片生産 と石器 の調整加 工 ,再 生 な どが行 われた可能 性が高 い。分割礫 を用 い た剥片生産が想定 され る。 分析 資料 は,第 6ユ ニ ッ トが,尖 頭器 3点 (79∼ 81),ナ イフ形石器 2点 85),第 9ユ ニ ッ トは,尖 頭器 3点 は,尖 頭器 5′ 点 (93∼ 95。 97・ (86∼ 88),剥 片類 3′ 点 (89・ 98),剥 片類 1′ 点 (96),石 核 1`点 91・ (77・ 78),剥 片類 4′ 点 (82∼ 92),石 核 1点 (90),第 10ユ ニ ッ ト (99)の 7`点 であ る。製品 を中心 として , 一 部剥片生産 に関連す る資料 を選定 した。分析 の結果,全 て高原 山産 と判定 した。 7)自 井市 白井第 1遺 跡 012プ ロ ック 石器群 の 出土 層準 はⅢ層 (ソ (第 19図 100∼ 103,文 献 A1978-21) フ トロー ム 層 )下 部 で,中 規模 プ ロ ック 1か 所 であ る。012プ ロ ックは , 長軸 12m,短 軸 8mの 範囲 に,石 器 51′ 点と礫 19点 が散漫 に分布す る。石器組成 は,尖 頭器 1点 と剥片類 50 点 で,石 器石材 は黒曜石 が 7割 を越 え (38点 ),こ れにチャー ト,頁 岩 ,安 山岩が加 わ る。黒曜石 は,淡 黒色半透 明で爽雑物 を含 まな い良質 な もの と,黒 色不透 明で爽雑物 を多量に含む もの とがあ る。前者 は両 面調整 の有樋尖頭器 1点 ,後 者は中 。小型不定型 の剥 片類 多数 が該 当す る。黒色不透 明の黒曜石 とチ ャー トは,小 規模 な争J片 生 産 に関与 した もの と考 え られ る。 分析 資料 は,有 樋 尖頭器 1点 (100)と 争J片 類 3点 (101∼ 103)で ,製 品 と剥片生産 に 関連す る資料 で ある。分析 の結果,有 樋尖頭器 8)自 井市復 山谷遣跡 C・ 石器群 の 出土 層準 はⅢ層 Cプ ロ ックは,石 器 6点 1′ 点 (100)は 小深沢産 ,そ れ以外 は高原山産 と判定 した。 :プ ロ ック (第 19図 104∼ 107,文 献 A1978-21) (ソ フ トローム層 )上 部 で,数 か所 のプ ロ ックが検 出 されて い る。 と礫 8点 が散漫 に分 布す る。石器組成 は,尖 頭器 1点 と剥片類 5点 で,全 て黒 曜石 であ る。 いずれ も黒色不透 明 で交雑物 を多 く含む が,全 てが同一母岩ではな い ようであ る。 Iプ ロ ッ クは,尖 頭器 5′ 点,ナ イ フ形石器 3′ 点,剥 片類 (石 刃 を含 む)71点 ,石 核 1′ 点で構成 され,石 器石材 は頁 岩類 を主体 に,黒 曜石 (3点 ),安 山岩 な どが少量含 まれ る。黒曜石 は,黒 色半透 明 で爽雑物 が わずか に 含 まれ るもの,灰 白色不透 明 の もの な どがあ る。全 て搬入品 と考 え られ る。 分析 資料 は,Cプ ロ ックが尖頭器 1′ 点 (104)と 剥片類 1′ 点 (105), Iプ ロ ックが尖頭器 2′ 点 (106・ 10 7)で ある。分析 の結果, Cプ ロ ックの 2点 は高原 山産, Iプ ロ ックの 2′ 点は麦草峠産 と判定 した。 9)四 街道市池花遺跡第 3文 化層 (第 19図 100∼ 120,第 20図 121・ 122,文 献 A1991-46) 石器群 の 出土 層準 はⅢ層 (ソ フ トロー ム層 )中 位 を中心 とし,中 。小規模 のプ ロ ック10か 所 か らなる。 石器組成 は,尖 頭器 44′ 点,ナ イ フ形石器 11′ 点,掻 器 ,削 器 11′ 点,楔 形石器 1`点 ,剥 片類 (石 刃 を含 む 5′ 点 ) 1033点 ,石 核 5点 ,礫 7点 で構成 され る。石器石材 は東北産 を主体 とす る頁岩が 6割 ,黒 曜石 が 3割 (34 )を 占め,オ パー ル,流 紋岩,安 山岩,凝 灰岩, 自滝頁岩 な どが少量加 わ る。尖頭器 は,小 型 の片面 4′ 点 調整 ,両 面調整 と中型の両面調整がみ られ る。 中型品の 中には大型品の再加 工 と推定 され る資料 もあ り , 型品の一 部 には 尖頭器 の組成 に大型品の加 わ る可能性が高 い。 中・小型品 とも頁岩製が主流 であ るが,月 ヽ 黒曜石 も用 い られて い る。ナ イ フ形石器 には,石 刃素材 の 2側 縁調整が数例 あ る。石器群全体 をみ ると , 頁岩,黒 曜石 とも,剥 片生産及び尖頭器製作 の初期 工程 に関わ る資料 の大半 が欠落 してお り,① 製品 とし て持 ち込んだ もの,② 未製品 として持 ち込み,尖 頭器製作 の後半段階 に関与 した資料 の二 者 を中心 とす る よ うである。 分析 資料 は,尖 頭器 9点 (108・ 109。 111∼ 114。 116・ 118・ ―- 69 -― 120),削 器 1点 (117点 ),楔 形石器 1′ 点 (1 第3章 自然科学的手法による分析 19),剥 片類 4(110。 115。 121・ 122)で あ る。 118は 調整加 工が細 かな鱗状 で,他 の尖頭器 とは明瞭 に 異 なってお り,縄 文時代 の石鏃 が混入 した可能性が ある。黒曜石 は,総 じて黒色不透 明で爽雑物 を含 む もの であ る。 出土 資料 の半数 を占め る微細 な剥片類 を除 いて13母 岩に分類 されてお り,そ れに従 って製 品 を選 定 した。分析 の結果,118と 119を 除 く13点 は高原 山産 と判定 した。 118は 星 ヶ塔産 と判定 したが,石 鏃 の 疑 いがあ り問題 を残す。 また,119は 高原 山産 か畑宿産 の可能性が あるが原産地 を特定 で きなか った。 10)印 施郡富里町東内野遺跡第 1次 調査 石器群 の 出土 層準 はⅢ層 (ソ (第 20図 123∼ 127,文 献 A1977-30) フ トロー ム層 )上 半部 を中心 とし,長 さ100m,幅 7mの 調査 区内 にブ ロ ックが群在 し,石 器6634点 ,礫 4421点 が 出土 した。石器組成 は,ナ イ フ形石器 66点 ,尖 頭器 73点 ,掻 器 ・ 削器 58′ 点,彫 器 24′ 点,錐 ,削 片135′点,剥 片類 7′ 点 (石 刃 を含 む)6132′ 点,石 核 140′ 点で構成 され る。尖頭 器 は,片 面調整 を主体 とし,左 右 非対称 の有樋 尖頭器 に よって特徴付 け られ る。 ナ イ フ形石器 は,「 小 型 幾何形」 が 多 い。石器石材 は 自滝頁岩,東 北産 頁岩,安 山岩 を中心 に,凝 灰岩,流 紋岩,黒 曜石 な どがあ る。 頁岩は,尖 頭器や掻器 ,彫 器 ,石 刃 な ど主要 な石器 に用 い られて い るが,遺 跡内におけ る剥片生産 は 低調 で,製 品や石器 の調整剥片 が 多 い。 一 方,安 山岩は,多 量 の原石 (小 型の円礫 )か ら不定型剥片 を量 産 してお り,ナ イ フ形石器や尖頭器 の一 部 に用 い られて い る。黒曜石 は,製 品がわずかにみ られ るだけで あ る。 分析 資料 は,尖 頭器 4点 (123∼ 126)と 彫器 1点 (127)で あ る。分析 の 結果,星 ヶ塔産 1点 (126), 小深沢産 2′ 点 (124・ 127),麦 草峠産 2点 (123・ 125)と 判定 した。 ‖)市 原市武士遺跡第 7文 化層 A20B(第 20図 128∼ 151,第 21図 152∼ 154,文 献 A1996-45) 第 7文 化 層 の 出土 層準 は ソフ トローム層上半部 で,石 器群 の 内容 か ら 3時 期 に分 け られ,こ の 内 2時 期 の石器群 に黒曜石 の尖頭器がみ られた (第 7文 化層 A2・ B)。 第 7文 化 層 A2は 遺物集 中地点 が 1か 所 (C8-34)で ,石 器 100点 ,礫 12点 が 出土 した。石器組成 は , ナ イ フ形石器 ,尖 頭器 ,掻 器,削 器 ,彫 器 ,石 刃,剥 片類,石 核 であ る。石器石材は 自滝頁岩が半数近 く を占め,オ パ ー ル,黒 曜石 ,安 山岩 ,碧 玉 ,チ ャー トな どが加 わ る。黒曜石 は,尖 頭器や 削器 ,石 刃 な ど に用 い られて い るが,総 数 11′ 点と少 な い。 自滝頁岩 を多用 した石刃 と周辺調整主体 の尖頭器石器群 である。 第 7文 化 層 Bは 遺物 集 中地 点 が 4か 所 (EO-98・ EO-85。 C7-73・ D7-80)で ,石 器240点 , 礫 185点 が 出 土 した。石器組成 は,ナ イ フ形石器 ,尖 頭器,掻 器 ,削 器,彫 器 ,剥 片類,石 核 で構成 され る。石器石材 は黒曜石 が 8割 以上 (203点 )を 占め,安 山岩,流 紋岩 ,凝 灰岩,自 滝 頁岩 な どが少量み ら れ る。黒曜石 は,小 型石刃 と周辺調整尖頭器 に特徴 があ る。地点 ご とでは,EO-98地 点は,石 器総 数 15 1点 で黒曜石が 133点 あ り, これ以外 に各種石材 の礫 が 181点 ある。 EO-85地 ′ 点は,石 器総数 13′ 点で黒曜 C7-73地 点は,石 器総数 53点 で黒曜石 が43′ 点,D7-80地 ′ 点は,石 器総数 23点 で全 て黒曜石 である。各地′ 点とも母岩分類が行 われてお り,こ れ を参考 にす ると,EO-98地 点 とC7-73地 点 で小規 石 が 4′ 点, 模 な剥片生産 が行 われ た と考 え られ る。 分 析 資料 は,第 7文 化 層 A2が 尖頭器 1点 (128),第 7文 化 層 Bが 尖頭器 12′ 点 (129∼ ナ イフ形石器 2′ 点 (139。 154),掻 器 1′ 点 (140),削 器 1′ 点 (141),石 刃 ・争J片 類 9′ 点 138・ 152・ 153), (142∼ 150),石 核 1点 (151)で ある。 C7-73地 点 は母 岩分 類 を考 慮 した上 で,製 品 と剥片生産 に関連す る資料 を選定 し たが,そ の他 の地点は尖頭器 を中心 とした製品 を選定 した。 分析 の結果,第 7文 化層 A2で は,小 深沢産 1点 (128),第 7文 化層 Bで は,麦 草峠産 8点 (129∼ 136), ―- 70 -― 分析資料の概要 小深沢産 12点 (137∼ 41・ 140。 142∼ 146・ 148・ 149。 154),星 ヶ塔産 3′ 点 (147・ 151・ 153),高 原 山産 2点 (1 150)と 判定 した。 また,152は 高原 山産か畑宿産 の可能性が あ るが,原 産地 を特定 で きなか った。 12)佐 倉市御塚 山遺跡第 I文 化層第 1プ ロ ック (第 21図 155,文 献 A1989-36) 石器群 の 出土 層準 は ソフ トロー ム層 を中心 とし,尖 頭器 を出土 した中規模 ブ ロ ックが 4か 所 あ る。第 プ ロ ックは, ソフ トロー ム層最上部 か ら,尖 頭器 2点 ,ナ イフ形石器 2点 ,削 器 点が 出土 した。石器石材 は黒曜石 が半数 (35′ 3′ 1 点,剥 片類 58′ 点,礫 2 点)を 占め,東 北産頁岩が 3割 ほ どあ る。 この他 ,オ パ ール や ホル ンフェルスが少 量み られ る。石器 の素材 には,石 刃が 多用 されて い る。黒曜石 は黒色不透 明の もの が主体 であ るが,小 型 の剥片類 の 中には,透 明感 の高 い ものが含 まれて い る。 分析 資料 は尖頭器 1′ 点 (155)で ,分 析 の結果,小 深沢産 と判定 した。 13)佐 倉市 大林遺跡第 Ⅱ b文 化層第 9010プ ロ ックほか (第 21図 156∼ 171,文 献 A1989-36) 石器群 の 出土 層準 は ソフ トロー ム層上部 で,中 規模 ブ ロ ック 2か 所 と単独 出土地 点 1か 所 か らなる。第 9。 loプ ロ ックか らは,255点 の石器群 が 出土 した。石器組成 は,尖 頭器 17点 ,ナ イ フ形石器 1点 ,掻 器 1点 ,彫 器 1点 ,削 片 2点 ,剥 片類 233点 で構成 され る。石器石材 は黒曜石 が圧倒 的 に 多 く (249点 ),こ の他 に凝灰岩 と安 山岩がわずかに含 まれ る。黒曜石 は 7母 岩 が識別 され たが,総 じて黒色不透 明で爽雑物 が 多 く, また,帰 属母岩 の不 明な資料 も多 い。尖頭器 1点 は,淡 黒色半透 明で爽雑物 を含 まな い良質 の も ので あ り,先 述 した自井 第 1遺 跡 に類似 した状況 とい える。両 プ ロ ックとも,概 ね搬入 された素材か ら尖 頭器 を製作 した と考 えられ るが,第 9プ ロ ックでは小規模 な剥片生産が行 われた可能性が あ る。 分析 資料 は,尖 頭器 12点 (156∼ 162・ 166∼ 170),ナ イ フ形石器 1′ 点 (171),争 J片 類 3′ 点 (163∼ 165)で , 製品 を中心 に選 別 した。分析 の結果,第 10プ ロ ックの有樋 尖頭器 1点 (166)は 小深沢産 ,そ れ以外 は高 原山産 と判定 した。 14)四 街道市御 山遺跡第Ⅷ a文 化層第 20・ 21プ ロ ック 石器群 の 出土 層準 はΠI層 (ソ (第 21図 172∼ 180,文 献 A1994-51) フ トロー ム層 )下 位 を中心 とし,中 規模 プ ロ ック 2か 所 か らな る。第20。 21ブ ロ ックか らは,石 器 363点 ,礫 16点 が 出 土 し,尖 頭器 15点 ,掻 器 1点 ,削 器 1点 ,彫 器 1点 ,石 刃 2 点,削 片 7′ 点,剥 片類336点 で構成 され る。石器石材は黒曜石が 9割 以上 (350点 )を 占め,東 北産頁岩や 馬噛 ,チ ャー トが加 わ る。黒曜石 は 7母 岩 が識別 されたが,概 ね黒色不透 明で,爽 雑物 を多 く含 む。黒曜 石製石器 は,両 面調整 の有樋尖頭器 と調整剥 片類 ,削 片があ り,尖 頭器製作 の後半段階や再加 工 に関与 し た形 跡があ る。一方,東 北産 頁岩 は,掻 器 ,削 器 ,彫 器 ,石 刃 な どに単独母岩 として見 られ,黒 曜石 とは 異 なったあ り方 を示 して い る。両石材 とも,遺 跡内でまJ片 生産 は行 われて い な い。 なお,両 プ ロ ックとも,石 刃素材 のナ イ フ形石器 をま とまって保有す る第Ⅷ b文 化層 の各 プ ロ ックよ り も出土 層準 が下位 で,層 位 的 な裏付 けに乏 しい該期 資料 の編年的位 置付 けに とって示唆的である。 分析 資料 は,第 20プ ロ ックでは尖頭器 5点 (172∼ 176),削 片 1点 (177),第 21ブ ロ ッ クでは尖頭器 3 点 (178∼ 180)で ,製 品 を中心 に選定 した。分析 の結果 ,全 て高原 山産 と判定 した。 15)八 千代市権現後遺跡第 3文 化層第 12014プ ロ ック (第 21図 181∼ 186,第 22図 187・ 108,文 献 A1984-30) 石器群 の 出土 層準はハ ー ドロー ム層上部 を中心 とし,切 出形 の ナ イ フ形石器 と角錐状石器 を指標 とす る 中 。小規模 ブ ロ ック12か 所 か らなる。 この うち, 2か 所 で尖頭器が出土 した。 第 12プ ロ ックは,尖 頭器 1点 ,ナ イ フ形石器 2点 ,削 器 6点 ,錐 1′ 点,掻 器 1′ 点,剥 片類 25′ 点,石 核 1 点で構成され,石 器石材は黒曜石が 9割 以上 (34点 )を 占める。黒曜石は,特 徴的な 2/3の 資料につい -71- 第3章 て, 自然科学的手法による分析 5母 岩 に分類 された。淡黒色透 明で,黒 色 の縞 と少量 の交雑物が入 る良質 な ものが 多いが,黄 色味 を 帯 びた黒色不透 明で,爽 雑物 を多 く含 む もの もある。石器 の調整加 工 に関連す る資料が主体 であるが,月 ヽ 規模 な剥片生産 を行 な って い た可 能性 があ る。 ,削 器 2′ 点,彫 器 1′ 点,楔 形石器 2点 ,敲 石 1点 ,剥 片類276点 ,石 核 3′ 点で構成 され る。石器石材 は黒曜石が 9割 以上 (277′ 点)で ,こ れに安 山岩 な どが加 わ る。黒曜石 は黒色不透 明で交雑物 を含 む ものが 多 く,母 岩分類 は部分 的である。本 ブ ロ ックで は,石 器 の調整加 工 とともに剥片生産 をも行 って い るが,詳 細 は不 明であ る。 分析 資料 は,第 12プ ロ ックが,掻 器 1′ 点 (181),削 器 2′ 点 (185。 186),錐 1′ 点 (183),石 核 1′ 点 (184) で,第 14ブ ロ ックは,削 器 1点 (187),石 核 1点 (188)で あ る。製 品 を中心 として,一 部剥 片生産 に関 与す る資料 を選定 した。分析 の結果 ,第 12プ ロ ックでは石核 1`点 (184)が 畑宿産 ,そ れ以外 は小深沢産 と判 定 した。 また,第 14プ ロ ックでは石核 1点 (188)を 高原 山産 と判定 した。削器 1点 (187)は 原産地 を特定 で きなか ったが,測 定結果 か ら高原山産か畑宿産 の可能性 が 高 い。 第 14プ ロ ックは,尖 頭器 4点 ,ナ イ フ形石器 5`点 ,掻 器 16)流 山市桐ケ谷新 田遺跡 1`点 (第 22図 109∼ 198,文 献 A1979-20) 石器群 の 出土 層準 は ソフ トロー ム層 の上部 と想定 され,中 規模 ブ ロ ック 1か 所 である。石器組成 は,小 型周辺調整 ,両 面調整 の尖頭器 と石刃素材のナ イ フ形石器 を中心 に,彫 器,石 刃 ,剥 片類 ,石 核 な ど合 計 234点 で構成 され る。石器石材は淡黒色透 明で,爽 雑物 を含 まな い良質 の黒曜石 )が 大半 を占め る。 (228′ 点 石器 群 は,製 品,素 材 を中心 とす る搬入品 と,石 器 の調整加 工 ,小 規模 な争J片 生産 に関わ る資料 である。 分析 資料 は,尖 頭器 5点 (194∼ 198),ナ イ フ形石器 4点 (189∼ 191。 193),彫 器 1点 (192)で あ る。 分析 の結果,全 て星 ヶ塔産 と判定 した。 17)船 橋市西 の 台遺跡 Ⅲ層 上位 石器群 の 出土 層準は Ⅲ層 (ソ (第 22図 199∼ 220,文 献 A1985-63) フ トローム層 )上 位 を中心 としてお り,中 規模 ユニ ッ ト7か 所 か らなる。 この 内,ユ ニ ッ ト1∼ 5は ,黒 曜石 の小 型尖頭器 と掻器 に特徴 があ り,ユ ニ ッ ト6は ,東 北産頁岩 を用 い た 中 。大型両面調整 の尖頭器が まとまって い る。 ユニ ッ ト 1∼ 5は 総数4607点 で,石 器組成は,尖 頭器 35′ 点,ナ イ フ形石器 彫器 5点 ,錐 点,掻 器 11点 ,削 器 2′ 点 , ,小 型で基部が丸み を持 つ幅広 の木葉形 を主体 とし,片 面調整 と両面調整があ る。剥片類 の大半 は尖頭器調整剥 片で,微 細 な ものが 目立 つ。従 って,尖 頭器 の 未製 品や 中型 の剥 片類 を持 ち込み,尖 頭器 の製作 (特 に仕上げ)を 集 中的 に行 った 資料 と考 え られ る。 また,小 型 の黒曜石 原石 ,縦 長剥片,石 核 が少量 なが らもみ られ るこ とか ら,原 石 か らの剥片生産 も,部 分 的には行 われたよ うであ る。石器石材は99%が 黒曜石 (4587点 )で:概 ね,淡 黒色 透 明,あ るい は半透明で爽雑物 の 少 な い良質 の もので あ る。黒曜石以外 は,チ ャー トと頁岩がある。 ユニ ッ ト6は 総数 1128点 で,石 器組成 は,尖 頭器 11点 ,掻 器 1′ 点,剥 片類 1116点 で,剥 片類 の大半 は尖 頭器 の調整争J片 である。 東北産 頁岩が主体 を占め, 自滝頁岩が加 わる。黒曜石 は25点 で,小 型不定型 の争J 片類 だけである。黒色不透 明で爽雑物 を多 く含んでお り,ユ ニ ッ ト1∼ 5の 黒曜石 とは明瞭に異 なる。 ユニ ッ ト1∼ 5の 分析 資料 は,尖 頭器 15点 (199∼ 212・ 214),ナ イ フ形石器 1′ 点 (213),掻 器 1′ 点 (21 5),石 核 1点 (216),原 石 1点 (217)で あ る。 この他 ,ユ ニ ッ ト6の 剥片類 2′ 点 (218。 219)と ユニ ッ ト外 の剥 片類 1点 (220)を 併 せ て選定 した。分析 の結果,ユ ニ ッ ト1∼ 5で は全 て小深沢 産 ,ユ ニ ッ ト 6で は 2点 とも高原山産 ,ユ ニ ッ ト外 の 1点 は神 津 島産 と判定 した。 1′ 点,敲 石 1′ 1′ 貞,剥 片類4549点 ,石 核 2′ 点である。尖頭器 は - 72 - 分析資料 の概要 18)千 葉 市 緑 区 赤 坂 遺 跡 第 2・ 3プ ロ ッ ク (第 23図 222∼ 220,文 献 A1992-54) 石器群 の 出土 層準 は ソフ トロー ム層 で,接 合 関係 で結ばれた中規模 プ ロ ック 4か 所 か らな る。 第 2ブ ロ ックは,直 径 7mの 範囲に石器 344点 と礫 1599点 が重複 して分布 す る。石器組成 は,尖 頭器 , 掻器 ,削 片,敲 石 ,争 J片 類 ,石 核 で構成 され,石 器石材 は黒曜石 ,安 山岩,頁 岩 ,ホ ル ンフェルスがあ る。 黒曜石 は,黒 色不透 明で交雑物 を含む ものが 多い。石器群 は,製 品 と尖頭器 の調整剥 片が主体 であるが , 小規模 な剥片生産 を行 った可能性 が ある。第 3プ ロ ックは,直 径 5mの 範囲に石器 144点 と礫990′ 点が分布 す る。石器組成 は,尖 頭器,掻 器 ,敲 石 ,剥 片類,石 核 で構成 され,石 器石材 は黒曜石 ,安 山岩,流 紋岩 , 頁岩,凝 灰岩,ホ ル ンフェルス な どがあ る。黒曜石や凝灰岩 を用 い た尖頭器調整争J片 や ,自 滝頁岩や ホル ンフェル スの石刃が 目立 つ 。黒曜石 は搬入素材か ら石器 を製作 して い るが,そ の他 の石材 では剥片生産 を 行 って い る。 分析 資料 は,第 2プ ロ ックが有樋尖頭器 4点 (222∼ 225),掻 器 1点 (226),第 3プ ロ ックが尖頭器 点 (227),削 片 1点 (228)で ,製 品 を中心 に選定 した。分析 の結果,尖 頭器 1′ 1 点 (224)は 畑宿産 ,そ れ 以外 は高原山産 と判定 した。 19)千 葉市緑区上 鹿子遺跡第 8・ 11・ 12プ ロ ックほか (第 23図 229∼ 237,文 献 A1992-54) 石器群 の 出土 層準 は ソフ トロー ム層 の上半部 を中心 とし,中 。小規模 のプ ロ ック 7か 所 か らなる。 また , 尖頭器が出土 して い な い ものの,同 一 あるいは隣接 層準 と考 え られ るプ ロ ックが数か所み られ る。 この 内 , 第 4∼ 8プ ロ ックと第 9∼ 18・ 20ブ ロ ックは,そ れ ぞれが接 して 2組 のプ ロ ック群 を構成す る。 第 8プ ロ ックは,直 径 6mの 範囲 に石器 98′ 点,礫 5点 が分 布 し,尖 頭器,掻 器,彫 器 ,楔 形石器,余」片 類 で構成 され る。石材 は,自 滝頁岩,ホ ル ンフ三ルス,黒 曜石 ,東 北産 頁岩 な どがあ る。黒曜石 は,製 品 と小型不定型の剥片が10数 点出土 して い る。第 11プ ロ ックは,直 径 5mの 範囲 に石器98′ 点,礫 5点 が分 布 す る。石器組成 は,尖 頭器 と剥片類で,石 器石材は 白滝頁岩 を主体 とし,ホ ル ンフェルスが少 量伴 う。黒 点で構成 され る。第 12プ ロ ックは,長 軸 12m,短 軸 曜石 は,尖 頭器 とその調整 争J片 類 10数 ′ 7′ 7mの 範囲 に39 点の石器群 が分 布 し,上 記 の 第 11ブ ロ ックと接 して い る。石器組成 は,尖 頭器 ,剥 片類,石 核 で,石 器 石材は黒曜右 と自滝頁岩が主体 である。 いずれ も尖頭器 とその調整剥片 を中心 に構成 されて い る。頁岩 の 尖頭器 には,柳 葉形が含 まれ る。各 プ ロ ックとも,尖 頭器 は,黒 曜石 と自滝頁岩 に よる小型木葉形が主体 で,両 面調整 と周辺調整が あ る。 有樋尖頭器 はみ られ な い。剥片類 は,小 型不定型 の ものが 主体 で,概 ね 尖頭器 の調整剥片 と考 え られ る。 分析 資料 は,第 8プ ロ ックが尖頭器 3点 (229∼ 231),剥 片類 1点 (232),第 11プ ロ ックが尖頭器 2点 (233・ 234),剥 片類 1点 (235),第 12プ ロ ックが尖頭器 1点 (236),プ ロ ック外 が尖頭器 1点 (237)で あ る。分析 の結果,尖 頭器 1点 (234)が 高原 山産 の他 は,全 て麦草峠産 と判定 した。 20)千 葉市緑区中鹿子第 2遺 跡第 !プ ロ ック (第 23図 238∼ 247,文 献 A1992-54) 石器群 の 出土 層準 は ソフ トロー ム層上部 を中心 とし,直 径 8mほ どの 範囲 に石器 134′ 点,礫 45′ 点が分布 す る。石器組成 は,尖 頭器 ,ナ イ フ形石器 ,削 器 ,剥 片類,石 核 で構成 され,石 器石材は黒曜石 を主体 に , 頁岩 ,安 山岩 な どが力]わ る。尖頭器や削器 ,剥 片類 は淡褐色に濁 る半透 明の黒曜石が用 い られてお り,小 規模 な剥片生産 も行 われた ようである。 一 方,切 出形 のナ イフ形石器 は黒色不透 明 の黒曜石 に よる搬 入品 と考 え られ る。 分析 資料 は,第 1プ ロ ックが尖頭器 4′ 点 (238∼ 241),ナ イフ形石器 一- 73 -― 3′ 点 (242∼ 244),剥 片類 2′ 点 (24 第 3章 5・ 自然科学的手法による分析 246)で あ る。 また,包 含 層 か ら黒 曜石 の 有 茎尖 頭器 した。分析 の 結 果 ,ナ イ フ形石 器 2′ 点 (242・ 21)印 施郡 印施村 平賀 ― ノ台遺 跡 Ⅲ層 文化 層 1′ 点 (247)が 出 土 してお り,こ れ も分析 対 象 と 243)は 高 原 山産 ,そ れ以外 は小 深 沢産 と判定 した。 (第 23図 248∼ 253,文 献 A1986-92) 石 器群 の 出 土 層準 は Ⅲ層 (ソ フ トロー ム 層 )で,東 西 140m,南 北 30mの 範 囲 に,58か 所 の 中規模 ユ ニ ッ トが 群 在 し,石 器 4317点 と礫 6931点 が 出 土 して い る。石 器組 成 は,尖 頭器 69点 ,ナ イ フ形石 器 28′ 点,彫 器 102点 ,掻 器 52`点 ,錐 5点 ,そ の他 の石 器 11′ 点,争 J片 類 (石 刃 ,削 片 を含 む )4029点 ,石 核 21′ 点で構 成 され る。尖頭 器 は,片 面調整や 周辺調整 を主体 とす る「切 出形」 の 有樋 尖頭器 が 特徴 的 で,有 樋 尖頭器 の 削片 も多量 にみ られ る。彫器 は,石 刃素 材 で簡 略 な打面 か ら 1・ 2条 の彫 刻 刀面 を作 り出 した ものが 多 く , 定型的な彫器 とい うよ りも,「 石刃 の刃 部再 生 」 とい った趣が あ る。 また,大 型 の石 刃や剥 片か ら小 型 の 剥片類 を生産す るもの もあ り,石 器群全体 が「再生」 とい う側面 を強 くもつ。石器石材 は,東 北産 を中心 とす る頁岩が半数 を占め,安 山岩 ,黒 曜石 ,潟 噛 ,凝 灰岩 な どが加 わ る。安 山岩 は原石 (小 型 の 円礫 )か ら剥片生産 を開始 した もの もあ るが,そ れ以外 の石材 は,製 品や半製 品,素 材 (主 に石刃 )と して搬入 さ れ,石 器 の調整加 工 と使用 ,再 加 工 が繰 り返 された と考 えられ る。黒曜石 は総 数 49点 と少 な い。 ユニ ッ ト 群 の 西部 と北部 に偏在 し,尖 頭器や その調整剥片 で構成 され る。 分析 資料 は,尖 頭器 結果 ,小 深沢産 2点 5′ 点 (248・ (248∼ 250。 252・ 253),彫 器 1′ 点 (251)で ,製 品に限 って選 定 した。分析 の 253),星 ヶ塔産 2`点 (250・ 251),麦 草峠産 1′ 点 (249),高 原 山産 1点 (252) と判 定 した。 22)千 葉市緑区 ム コア ラク遺跡 T05プ ロ ック 石器群 の 出土 層準 はⅢ層 (ソ (第 23図 254,文 献 A1979-25) フ トロー ム層 )上 部 を中心 とし,直 径 6mの 範囲に20′ 点の石器群 が散在す る小規模 なプ ロ ック 1か 所 か らなる。石器組成 は,尖 頭器 1点 の他 は剥片類 で,石 材 は,馬 増 ,黒 曜石 , チャー トが あ る。 分析 資料 は尖頭器 1点 (254)で ,分 析 の結果 ,麦 草峠産 と判定 した。 23)市 原市草刈古墳 群 2B一 Aプ ロ ック (第 23図 255,未 報告 ) 石器群 の 出土 層準 はⅢ層 か ら V層 にかけてで,小 規模 プ ロ ック 1か 所 か らなる。石器組成 は,尖 頭器 点,ナ イ フ形石器 1点 ,石 刃 3点 ,剥 片類 4点 ,石 核 1′ 1 点で,礫 4点 が加 わ る。石器石材は黒曜石 1点 を 除 いて東北 産頁岩 であ る。尖頭器 は,幅 広 の本葉形 を呈す る周辺調整 の有樋尖頭器 であ る。ナ イ フ形石器 は,東 北産頁岩 の石刃 を用 い た基 部調整 である。 分析 資料 は尖頭器 1′ 点 (255)で ,分 析 の結果,麦 草峠産 と判定 した。 24)鎌 ヶ谷市 五 本松NQ 3遺 跡第 9011プ ロ ック 石器群 の 出土 層準 はⅢ層 (ソ (第 24図 267∼ 272,未 報告 ) フ トローム層)上 部 で,東 西 15m,南 北 15mの 範囲に,石 器 と礫が混在す る中規模 プ ロ ック 5か 所 が群在す る。石器総数 は352`点 (う ち礫 183′ 点)で,尖 頭器 10′ 点,彫 器 2′ 点,ナ イ フ形石器 1点 ,削 器 1点 ,削 片 5点 ,剥 片類,石 核 で構成 され る。石器石 材 は黒曜石 が主体 を占め (107 点 ),安 山岩,凝 灰岩,頁 岩 (東 北産 を含 む)な どが加 わ る。黒曜石 は,尖 頭器 とその調整 剥 片類が 多 い が,中 。小型 の剥片類 も伴 ってお り,製 品及びその素材 (未 製品)を 搬入 して調整加工 を行 うもの と ,小 規模 な剥片生産 を行 うもの とが あ る。前者 は淡黒 色透 明で爽雑物 の少 な い良質 な もの,後 者 は灰 白色 に濁 る半透明の ものが,概 ね対応す る。東北産 頁岩 の有樋尖頭器 や石刃素材のナ イ フ形石器 も少量伴 う。 分析 資料 は第 9プ ロ ックが尖頭器 1′ 点 (267),第 11プ ロ ックが尖頭器 - 74 - 2′ 点 (268・ 269),削 片 2′ 点 (270 分析資料の概要 ・271),尖 頭器 の素材 1点 (272)で ,製 品 を中心 に選定 した。分析 の結果,麦 草峠産 2点 星 ヶ塔産 2点 (269。 272),小 深沢産 2点 25)佐 倉市向原遺跡第 104地 点 (267・ 271), 270)と 判定 した。 (268。 (第 24図 273∼ 277,文 献 A1989-39) 第 1地 点No lブ ロ ックは,石 器群 がⅣ ∼ V層 (ハ ー ドロー ム層 )の 下部 を中心 に出土 し,296点 の石器 群 が直径 8mの 範囲に分布 す る。石器組成 は,尖 頭器 2点 ,削 器 5点 ,剥 片類 288点 ,石 核 1点 で,石 器 石材 は潟 増 1点 を除 い て黒曜石 であ る。 第 4地 点NQ 5プ ロ ックは,石 器群 がⅣ ∼ V層 (ハ ー ドロー ム層 ) か ら出上 し,直 径 4mの 範囲 に83′ 点の石器群 が分布す る。石器組成 は,尖 頭器 1′ 点,ナ イフ形石器 7′点 , 剥片類 72点 で,こ れに少量の礫片が加 わ る。石器石 材 は安 山岩が 9割 を占め,珪 質 頁岩 ,黒 曜石 (1点 ), 巧唱 がある。尖頭器 は小 型両面調整 の本葉形 ,ナ イ フ形石器 は不定型 の剥片 を素材 とす る切 出形 で,ナ イ フ形石器や争J片 剥離技術 は,武 蔵 野台地 Ⅳ層下部 の石 器群 に よ く似 た様相 であ る。 分析 資料 は,第 1地 ′ 点No lプ ロ ックが尖頭器 2点 4地 点No 5ブ ロ ックが尖頭器 1′ (273・ 274),削 器 1点 (275),石 核 1′ 点 (276),第 点 (277)で あ る。分 析 の結果,尖 頭器 1点 (274)は 小深沢産 ,そ れ以外 は高原 山産 と判定 した。 26)成 田市東峰西笠峰遺 跡 (空 港 NQ63遺 跡 )石 器集 中4,一 括集 中 203ほ か (第 24図 278∼ 290,第 25図 291 ∼ 295,文 献 A1999-27) 石器群 の 出土 層準 は Ⅱ層 (漸 移 層 )か らⅢ層 (ソ フ トロー ム層 )に かけてで, 点と 5か 所 の石器集 中地′ 石器 集 中地′ 点外か らなる。 この 内 4か 所 は,黒 曜石 を用 い た小型片面調整の尖頭器 に特 徴 があ り, 1か 所 は安 山岩 の 中型両面調整の尖頭器石器群 である。 石器 集 中 4は ,直 径 3mの 範囲に23`点 の石器群が分布 し,尖 頭器 2′点,削 器 1′ 点,剥 片類20′ 点で構成 さ れ る。石器石材 は全 て黒 曜石 であ る。 一 括集 中 2は ,直 径 15mの 範囲 に42点 の石器群 が,一 括集 中 3は , 直径 20mの 範囲 に58′ 点の石器群 が分 布す る。石器組成 は,尖 頭器 を中心 に,掻 器 ,削 器 ,彫 器 ,錐,石 刃 , 敲石 ,争 J片 類 が あ り,石 器石材は大半が黒曜石 (92点 )で ある。尖頭器 は,不 定型 な剥 片 を素材 とす る片 面調整 で,横 断面が薄 い蒲鉾形 を呈す る。黒曜石 の 中型石刃 を伴 うこ とも大 きな特徴 であ る。 分析 資料 は,石 器 集 中 4が 尖頭器 3′ 点 (281∼ 1′ 点 (278),削 器 1′ 点 (279),石 刃 283),石 刃 1`点 (284),一 括集 中 3が 尖頭器 3′ 点 (285∼ 1′ 点 (280),一 括集 中 2が 尖頭器 287),掻 器 1′ 点 (288),錐 1′ 点 (28 9),石 刃 2′ 点 (290。 291),石 器集 中地′ 点外が尖頭器 2′ 点 (292・ 293),ナ イ フ形石器 2′ 点 (294・ 295)で あ る。分析 の結果,高 原 山産 3点 (292・ 293・ 295),小 深沢産 1点 (279)で ,そ れ以外 は 麦草峠産 と判 定 した。 27)成 田市取香和 田戸遺跡 (空 港Na60遺 跡 )第 2文 化層 (第 25図 296∼ 301,文 献 A1994-52) 石器群 の 出土 層準 は ソフ トロー ム層上部 を中心 とし,石 器 と礫が混在す る中・小規模 のプロ ック22か 所 とプロ ック外 の 資料 か らな る。石器総数 は 1250点 で,こ の 内458点 は礫 であ る。石器組成 は,ナ イ フ形石 器 22点 ,尖 頭器 32点 ,彫 器 14′ 点,掻 器 4点 ,削 器 22点 ,楔 形石 器 13′ 点,争 1片 類 (石 刃,削 片 を含 む)665 点,石 核 20′ 点で構成 され る。尖頭器 は,両 面調整 と片面調整 に よるやや細身 の木葉形 で,32`点 の 内 5点 が 有樋尖頭器 であ る。ナ イ フ形石器 は,石 刃素材 の 基部調整 と 2側 縁調整が顕著 であ る。石器石材は 自滝頁 岩が半数近 くを占め,東 北産 頁岩 ,安 山岩 ,黒 曜石 ,チ ャー ト,潟 増 な どが加 わ る。黒曜石 は58点 と少 な く,石 器製作作業 の形跡が乏 しい。 一 方, 自滝頁岩 と安 山岩 は,原 石か らの剥片生産 と石器の調整加工 を 行 って い る。特 に, 自滝頁岩 は石刃や 不定型争J片 の生産 ,搬 入素材 を用 い た尖頭器 の調整加 工 な ど,石 器 ―- 75 -― 第 3章 自然科学的手法による分析 製作作業全般 に用 い られて い る。 分析 資料 は,尖 頭器 2′ 点 (296・ 301),削 器 2′ 点 に選定 した。分析 の結果 ,高 原 山産 2′ 点 (297・ (297・ 298),剥 片類 2′ 点 298),神 津 島産 2′ 点 (299。 (299・ 300)で ,製 品 を中心 300),小 深沢産 1′ 点 (296), 麦草峠産 1点 (301)と 判定 した。 20)自 井市 一 本桜南遺跡第 7文 化層第 21プ ロ ック (第 25図 302∼ 300,文 献 A1998-29) 4mの 範囲 に252点 の石器群 が密集す る。石器組成 は ナ イ フ形石器 3点 ,尖 頭器 4点 ,彫 器 2点 ,剥 片類 (石 刃 を含 む)240点 ,石 核 1点 ,礫 2点 で構 成 され る。石器石材 は東北産 を中心 とす る頁岩が 7割 ,黒 色不透 明で爽雑物 の入 る黒曜石が 3割 (71点 )で ある。 石器群 の 出土 層準 は ソフ トロー ム 層上部 で,直 径 , ナ イ フ形石器 は石刃素材の 2側 縁調整 と基部調整 で,尖 頭器 は小 型片面調整 の木葉形 であ る。頁岩は大 。 中型 の石刃石器群 で,黒 曜石 は不定型剥 片 と石刃 に用 い られて い る。 分析 資料 は,尖 頭器 4′ 点 (302∼ 305),ナ イ フ形石 器 1点 (306),石 刃 2点 (307・ 308)で ,分 析 の結 果 ,全 て高原 山産 と判定 した。 29)山 武郡芝 山町香 山新 田中横堀遺跡 (空 港NQ 7遺 跡 )A地 点第 5石 器群 ほか (第 25図 315∼ 317,第 26図 318・ 319,文 献 A1984-27) 石器群 の 出土 層準 は ソフ トロー ム 層上部 で,中 規模 プ ロ ック 1か 所 であ る。石器総数 は298点 で,尖 頭 器 5点 ,削 片 5点 ,素 J片 類 288点 で構成 され る。石器石材 は東北産 を中心 とした頁岩が 8割 を越 え,こ れ 型 の ものが 多い。 に黒曜石 (41点 )力 功口わ る。剥片類 の大半 が尖頭器 の調整剥片で,全 体 に月ヽ 分析 資料 は,A地 `点 第 5石 器群 が尖頭器 1′ 点 (315),削 片 1′ 点 (316),剥 片類 1′ 点 (317),プ ロ ック外 が 尖頭器 1点 (318),両 面調整 の 削器 1点 (319)で ,製 品 を中心 に選 定 した。分析 の 結果 ,第 5石 器群 の尖頭器 1点 (315)と 剥 片類 1点 (317)は 星 ヶ塔 産 ,削 片 1点 (316)は 小深沢産 ,プ ロ ック外 の尖頭 器 1′ 点 (318)は 星 ヶ塔産 ,土 器 出現期 と考 え られ る両面調整 の 削器 1点 (319)は 神津 島産 と判定 した。 30)山 武郡芝 山町浅間台遺跡 石器群 の 出土 層準 はⅢ層 (第 26図 320∼ 331,文 献 A2000-54) (ソ フ トロー ム層 )上 半 を中心 とし,中 規模 プ ロ ックが 1か 所 ある。石器組成 は,尖 頭器 13点 ,ナ イ フ形石器 2点 ,錐 1点 ,争 J片 類 222点 ,石 核 1点 で構成 され,こ れ に礫 。礫 片 5点 が加 わ る。尖頭器 は,小 型 の木葉形 で,片 面調整 と両面調整があ る。剥片類の大半は,小 型 の尖頭器調整 剥片で,遺 跡 内で尖頭器 の 製作 を行 って い たこ とがわか る。ナ イ フ形石器 は,東 北産 頁岩 の石刃 を素材 と す る 2側 縁調整 である。石材 は,黒 曜石 が 8割 以上 を占め,東 北産 を含む頁岩,安 山岩,凝 灰岩 な どが伴 う。黒曜石 はその特徴 か ら11種 類に大別 されて い るが,母 岩分類 は行 われて い な い。 分析 資料 は,尖 頭器 9′ 点 (320∼ 328),剥 片類 3′ 点 (329∼ 331)で あ る。製 品 と比較 的大 型 の争J片 を選 定 した。分析 の結果 ,全 て高原 山産 と判 定 した。 31)印 椿郡本埜村 角田台遺跡 石器群 の 出土 層準 はⅢ層 (第 26図 332∼ 340,一 部文献 A1984-7002000-51の ほか未報告 ) (ソ フ トロー ム層 )を 中心 とし,広 範囲に石器 と礫が混在 して分布す る。礫 は 被熱 に よ り粉 々 に割れ た ものが 多 い。石器組成は,有 樋尖頭器 を中心 に,木 葉形尖頭器 ,石 刃素材 の ナ イ フ形石器 ,掻 器 ,削 器 ,彫 器 ,石 刃,削 片,剥 片類 ,石 核 で構成 され る東北的 な石刃石器群 である。石器 石材 は,東 北産頁岩,流 紋岩 と良質 な黒曜石 が主体 を占め る。東北産頁岩 と流紋岩は,有 樋尖頭器や掻器 削器 な どの他 ,多 量 の石刃 に も用 い られて い る。黒曜石 は尖頭器 とその未製 品,及 び調整 剥片 が 多い。各 石材 に共通す る点 として,石 刃や剥片 を生産 した形跡が乏 し く,搬 入 された製品,未 製 品 と細かな調整剥 ―- 76 -― , 考察 片類 で構成 され るこ とであ る。 白滝頁岩には石核 もみ られ るが,総 量は少 な い。 分析 資料 は,有 樋尖頭器 掻器 1′ 点 (339),彫 器 1′ 3′ 点 (332・ 334・ 337),尖 頭器未成 品 2′ 点 (333・ 340),削 片 2′ 点 (335。 336), 点 (338)で あ る。製品 を中心 に選定 した。分析 の結果,尖 頭器 1点 (337)が 星 ヶ塔産 で,そ れ以外 は小深沢産 と判定 した。 4.考 察 ①房総半島出土の黒曜石製尖頭器 の由来について 第10表 上段 は,房 総半島出土 の黒曜石製尖頭器 199′ 点を対象 として,原 産地推定分析 の結果 を取 りまと めたものである。尖頭器に用 い られた黒曜石 の原産地は,高 原山産が44%と 最 も多 く,以 下,小 深沢産23 %,麦 草峠産20%,星 ヶ塔産 10%,神 津島産 2%,畑 宿産 1%で ある。 この傾向は,関 連資料 を含めて も 同様 である。麦草峠産,星 ヶ塔産,小 深沢産 を信州産 としてまとめ ると,房 総半島出土の黒曜石製尖頭器 は,高 原山産 と信州産がほぼ半 々 で,こ れに畑宿産 と神津島産 がわずかに加 わる構成である。 次に,尖 頭器 を分析 した45遺 跡 を対象 として,各 原産地 の黒曜石 を用 いた尖頭器の出土遺跡数 を見 ると , 高原山産 19遺 跡 (42%),麦 草峠産 14遺 跡 (31%),星 ヶ塔産 10遺 跡 (22%),小 深沢産23遺 跡 (51%),畑 宿産 と神津島産はそれぞれ 2遺 跡 (4%)で ある。 また,単 一原産地で構成 され る遺跡 (29遺 跡)と 複数 原産地で構成 され る遺跡 (16遺 跡)が ある。 ②尖頭器 の類型 と黒曜石原産地 との関連 について は じめに,黒 曜石製尖頭器 を,代 表的な遺跡での まとまりを勘案 して,以 下 の ように分類 した。 I群 :木 葉形尖頭器 Ia類 Ib類 IC類 Id類 :両 面調整 でやや細 身 の木葉形 〔 美生遺跡群 ,マ ミヤ ク遺跡〕 :両 面調整 を主 とす る一般 的 な木葉形 〔 池花遺跡,西 の 台遺跡〕 :片 面調整 を主 とす る幅広寸詰 ま りも木葉形 〔 大網 山田台No l地 点,東 峰西笠峰遺跡〕 :周 辺調整 を主 とす るやや細 身 の木葉形 〔 武 士 遺跡〕 Ⅱ群 ;有 樋尖頭器 Ⅱ a類 :両 面調整 を主 とす る左右 対称 の木葉形 〔 木苅峠遺跡,境 No 2遺 跡, 自井第 1遺 跡〕 Hb類 HC類 :片 面調整 を主 とす る左右対称 の本葉形 〔 木苅峠遺跡,赤 坂遺跡,百 々 目木 B遺 跡〕 :片 面調整 を主 とす る左右 非対称 の木葉形 〔 東内野遺跡,平 賀一 ノ台遺跡〕 Ⅱ d類 :両 面調整 を主 とし,樋 状剥離が表裏 に直交す るもの 〔 草刈遺跡,平 賀一 ノ台遺跡〕 第 11表 は,未 製品 を除 く183点 の尖頭器 を分 類 し,各 類型 と原産地 との 関係 を示 した もので あ る。最上 段 は尖頭器全体 と原産地 との 関係 を示 してお り,こ れ を標準値 1と した。 また,最 右列 は各類型 の割合 を 示 してお り,こ れ を標準値 2と した。次 に,資 料数 が30点 以上 あ る Ib, IC, Id, II a類 を対象 とし て,標 準値 1・ 2と 各類型の数値 とを比較すると,① lb類 は小深沢産に多い,② IC類 は高原山産に多 く,星 ヶ塔産,小 深沢産に少ない,③ ld類 は麦草峠産に多く,高 原山産に少ない,④ Ⅱa類 は麦草峠産 に少 な い, とい った偏在性が読み取れ る。 それ以外 の類型につ い ては,数 値 の偏差 が小 さい こ とや類型 の 資料数 が少 な い こ とな どか ら,原 産地 との相 関性 は認め られ なか った。 次 に,尖 頭器 の属性 と原産地 との 関係 を見てみ よ う。 まず,調 整加 工 の種類 と原産地 との関係 につ いて は,周 辺調整 は麦草峠産 に 多 く,高 原 山産 に少 な い傾 向 を示す が,そ れ以外 は,概 ね尖頭器全体 と原産地 ―- 77 -― 第 3章 自然科学的手法による分析 との 関係 に近 く,顕 著 な偏在 性 は 見 られ な い。 また,黒 曜石 製尖頭器 の 大 きさに つ い て,長 さ 5 4。 cnl以 上 , 9cm∼ 3.6cm,3.5cm以 下 の三 者 に分 け て,そ れ ぞれ と原産 地 との 関係 を見 た。 そ の 結 果 ,小 深沢産 に 5 cm以 上 の例 が 多か ったが ,そ れ以外 は,特 に偏 りは見 られ なか った。 尖頭器石 器群 の 帰属 時期 と黒 曜石 原産 地 との 関係 に つ い ては,各分 析 資料 に 対 して詳細 な時期 決定 が で きなか った こ と,ナ イ フ形石 器群 終 末期 に あた るⅢ期 の 資料 が 多 く,他 の 時期 の 資料 が乏 しい 可能性 が 高 い こ とか ら,細 か な検討 はで きなか った。 その よ うな状況 ではあ るが,各 期 の代 表例 として, I期 の 向原 点,西 の 台遺跡 な 遺跡,権 現後遺跡,Ⅱ 期 の取香和 田戸遺跡,池 花遺跡,Ⅲ 期 の大網 山田台遺跡群 No l地 ′ どの石器群 を見 る限 り,帰 属時期 と特定 の原産地 との偏在性 は認め られな い。 一 方, V期 の前三舟 台遺跡 につ い ては,他 の石器群 に乏 しい神津 島産 が ま とまってお り,縄 文時代 の房総半 島 では神津 島産 が 卓越す る動 向 を考 え併せ る と,興 味深 い。 以上 ,尖 頭器 の類型や属性 と黒曜石 原産地 との関係 には,緩 やか な相関性 が認め られ る。反面,特 定 の 類型 と特定 の黒 曜石原産地 とが密接 に結 びつ くとは言 いが た く,相 対的な割合 の 強弱に留 まって い る。言 い換 えると,数 量 の 多寡 はある ものの,各 類型 の尖頭器 ともそれ ぞれ の原産地 の 黒曜石 で製作 されてお り , この こ とか ら黒曜石製尖頭器 の製作主体者 は原産地周辺 の特定集団 と見 るよ りは,房 総半 島に尖頭器石器 群 を残 した集団 と考 えた い。 ③ l遺 跡, 1石 器群 におけ る黒曜石 原産地 の構成 とその搬入形態につ いて 黒曜石製石器群 の搬入形態 とそ の工 程 を以下 の通 り分類 した。 I類 :原 石 を搬 入 し,剥 片 (素 材 )生 産 か ら石器 の調整加 工 に至 る全工程 を行 った と考 え られ るもの Π類 :分 割礫 を搬 入 し,剥 片 (素 材 )生 産 か ら石器 の調整加 工 に至 る工程 を行 った と考 え られ るもの Ⅲ類 :尖 頭器 の素材 ,半 製 品 を搬入 し,石 器 の調整加 工 を行 った と考 えられ るもの Ⅳ類 :製 品 を搬入 した と考 え られ るもの 次 に,各 原産地 の黒曜石 が どの ように遺跡に持 ち込 まれ,消 費 されたか を検討す るため,出 土状 況 の 明 らか な30遺 跡 39石 器群 を対象 として,原 産地別 の工 程 を集計 した。 第 13・ 14表 をみ ると,単 一 原産地 の黒 曜石 だけで構成 され る石器群 と複数 原産地 で構成 され る石器群 の あるこ とがわか る。 また,そ れ ぞれにつ いて,素 材 の生産か ら製 品の製作 まで行 う石材 (I・ Ⅱ類 )と 素 材 の生産 を行 わず,半 製 品や素材剥片,製 品な どを持 ち込み,尖 頭器 に仕上 げた り,再 加 工 した石 材 (Ⅲ ・ Ⅳ類 )と が単独 で,あ るいは複合 して い る。 この複雑 な状況 を整理す ると, まず,① I・ Ⅱ類 は高原 山産 と信州産各地 に見 られ るが,畑 宿産 と神津 島産 には見 られな い。高原 山産 と信 州産 につ い ては,原 石 ,あ るいは分割礫 な どを房総半 島 に持 ち込み , 素材生産か ら製品の製 作 に至 るまで の各工 程 を行 って い るが,畑 宿産 と神 津 島産 につ いては,半 製 品 もし くは製品 の搬 入がわずかに見 られ るにす ぎな い。 もっ とも,素 材生産 とは言 って も,木 苅峠遺跡,大 網 山 田台No l地 点,西 の 台遺跡 を除 くと,多 くの遺跡では黒曜石 の 資料総数 が 100∼ 200′ 点程度 と少 な く,石 核 も小型である。 また,黒 曜石製石器群 の 多 くは尖頭器 の調整剥 片類 であるこ とか ら,剥 片生産 に関す る資 料 は極めて少 な く,石 器 の素材生産 は,概 ね低調 だ った と考 え られ る。② l石 器群 中の 黒曜石製石器群 は , 単 一 原産地 だけで構成 され る場合 と複数原産地 が組 み合 わさる場合 がある。原産地が複合す る場合 ,高 原 山産 Ⅱ類 十信州産 Ⅲ・ Ⅳ類,信 州産 Ⅱ類 +高 原 山産 Ⅲ・ Ⅳ類,高 原 山産 Ⅲ・ Ⅳ類 +信 州産 Ⅲ・ Ⅳ類 の三 者 が 中心 で,高 原 山産 と信州産 の Ⅱ類 同士 は複合 しな い。高原山産 と信州産 とは,そ れ ぞれが単独 で存在す - 78 -