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Chapter 1 世界の最重要課題、 グローバルヘルス 世界の最重要課題、 グローバルヘルス Global Health, Global Agenda グローバルヘルス(Global Health)とは、グローバルレベルで人々の健 康に影響を与える課題に対して、その課題解決のためにグローバルな協 力や連携が必要な領域のことを指します。従来は、International Health と呼ばれており、援助を行う側(援助国)と援助を受ける側(援助受益国) との間、つまり「二国間 = International」という文脈の中で、開発途上国 Global Health 気候変動 精神疾患 メンタルヘルス の感染症や母子保健、プライマリヘルスケアなどの公衆衛生の課題を解 決するかが議論の中心でした。 グローバルヘルスと呼ばれるようになったのは近年になってからで、急 速にグローバリゼーションが進む中、SARSや新型インフルエンザなど に代表される国境を越えた様々な疾患が世界的課題となり、従来のよう International Health 新型 インフルエンザ ユニバーサル ヘルス カレッジ:UHC に一国だけ、二国間だけでは対処することが難しくなり、国際社会全体 で対策を講じなければならなくなってきました。 母子保健 特にHIV、結核、マラリアの三大感染症は2000年前後から、最も重要なグ ローバルヘルスの課題として国際社会が取り組んできており、国連が定 めるミレニアム開発目標にも国際社会が共に解決すべき課題として取 り上げられています。 【参考】今日では、気候変動、精神疾患、ユニバーサルヘルスケアカバレッ ジ、非感染症なども、世界共通の公衆衛生の重要な課題として捉えられ るようになり、広義の意味でもグローバルヘルスのアジェンダとして扱 われる機会が増えています。 SARS 非感染症:NCD (糖尿病、 がん、 喫煙など) ミレニアム開発目標 MDG Millennium Development Goals ミレニアム開発目標(Millennium Development Goals: MDGs)は、2000 年9月にニューヨークで開催された国連ミレニアム・サミットで採択さ れた国連ミレニアム宣言を基にまとめられた開発分野における国際社 会共通の目標です。MDGsは、極度の貧困と飢餓の撲滅など、2015年まで に達成すべき8つの目標を掲げています。 この8つの目標の中で、グローバルヘルスに関連するものは、目標4「幼児 死亡率の削減」、目標5「妊産婦の健康の改善」、目標6「HIV/AIDSマラリ 極度の貧困と 飢餓の撲滅 普遍的 初等教育の達成 ジェンダーの平等の推進と 女性の地位向上 幼児死亡率の削減 妊産婦の健康の改善 HIV/エイズ、 マラリア その他疾病の蔓延防止 環境の持続 可能性の確保 開発のためのグローバル・ パートナーシップの推進 ア、その他の疾病の蔓延防止」、目標8「 開発のためのグローバル・パート ナーシップの推進」が挙げられます。その中でも、GHIT Fundは、目標6 「HIV/AIDSマラリア、その他の疾病の蔓延防止」、目標8「 開発のためのグ ローバル・パートナーシップの推進」に関連した活動を行っています。 では、なぜGHIT Fundはこのような問題に取り組んでいるのでしょう か。そもそも、なぜGHIT Fundは誕生したのでしょうか。ここから、その 背景についてご説明したいと思います。 HIV/AIDS HIV/AIDS 国際連合エイズ合同計画(UNAIDS)の統計によると、2012年時点で、全 世界のHIV感染者数は累計3530万人、2012年の死亡者数は160万人と言 われています。これまでに世界で2500万人がHIV/AIDSに関連した病気 で死亡しています。 感染者が最も多いサハラ砂漠以南のアフリカの国々では、成人の20人に1 人がHIVに感染しており、全世界のHIV感染者の69%がサハラ砂漠以南に 集中しています。またアフリカの340万人の子どもがHIVに感染している と推定されており、そのほとんどは母子感染によって生じています。 今日の医学では、HIV/AIDSを完治することはできませんが、抗レトロウ イルス薬を服用することにより、健常時と変わらず健康状態を維持する ことができます。2012年時点で、開発途上国の970万人の人々がHIVの治 療(ART)を受けており、2000年代初頭のピーク時と比較すると、感染者 数、死亡者数は大幅に激減しました。しかし、治療が必要な患者のうち、 1,600万人近くがいまもなお、治療薬を受けることができない状態にあ ります。また、HIVに感染した子ども用の飲みやすい薬や、医療資源が限 られた中でも使いやすい診断薬などの研究開発が必要とされています。 感染者数 3,530万人 死亡者数 160万人 マラリア Malaria WHOの統計によると、2010年におけるマラリアの感染者数約2億1900 万人、死亡者数66万人と推定されています。死亡者の90%近くが、アフリ カの開発途上国で起こり、5歳以下の子どもの命が1秒間に1人、マラリ アによって奪われています。 マラリアの予防には、マラリア原虫を媒介するハマダラカ(蚊)から身を 守るために、殺虫剤を樹脂に織り込んだ蚊帳(かや)や、虫除けスプレー などのベクターコントロールが用いられます。近年こうした予防方法の 普及が拡大し、多くの子どもの命が救われるようになってきました。 一方で、マラリアに感染した場合、すぐに診断・治療をすることが求めら れますが、医療資源が限られた開発途上国ではなかなか容易なことでは ありません。一定期間、複数の薬を服用し続けなければならないことも 大きな課題です。さらに近年、薬剤耐性マラリアも大きな問題となって います。2009年にカンボジアとタイの国境で、現在最も有効とされるマ ラリア薬アルテミニシンに耐性を持つマラリアが報告され、その後も南 アジアを中心に耐性を持つマラリアが広がっていることが懸念されて おり、新薬やワクチンの開発の必要性がますます高まっています。 新規感染者数 2億1,900万人 死亡者数 660,000人 結核 Tuberculosis 2011年のWHOの統計によると、結核の感染者数は全世界で870万人、死 亡者は140万人と報告されています。死亡の95%は、低中所得国で発生 しており(そのうち60%がアジア)、HIV感染者の多くが結核にも感染し、 HIV患者の死亡数の1/4は結核が原因となっています。 2011年には世界で7万人近くの子どもが結核で死亡しており、大人だけ でなく、子どもにとっても結核は大きな脅威であることはあまり知られ ていません。 結核薬は、医療従事者の観察下のもので半年間以上に渡って薬を飲む ことがWHOのガイドラインで推奨されているため、患者にとって大き な負担となります。そのため患者が治療の最後まで服用を続けること ができず、結核耐性菌が出現がするということが世界的な問題となっ ています。治療の第一選択薬となる結核薬に対して耐性を持つ多剤耐 性結核(MDR-TB)、第一選択薬だけでなく、第二選択薬にも耐性を持つ 超薬剤耐性結核(XDR-TB)などが発生し、治療をより難しくするととも に、開発途上国の患者にとって治療費が高くなりすぎるなどの問題も 生じています。 結核は古くからある疾患ですが、現代の結核の制圧には、治療期間が短 く、より副作用の少ない薬やワクチンの開発が必要とされています。 新規感染者数 8,700,000人 死亡者数 1,400,000人 顧みられない熱帯病 Neglected Tropical Diseases 顧みられない熱帯病(Neglected Tropical Diseases:NTDs)は、別名、 Burden of the Bottom Billion とも呼ばれ、アフリカ、アジア、南アメリ カなどの開発途上国の貧困層の中で最もよく見られる感染症で、慢性的 な心身の障害を引き起こす疾患群のことを指します。 鳥インフルエンザ、SARSやHIV/AIDSなど近代・近年になってから見られ るようになった新興感染症(Emerging infections)とは異なり、NTDsは 聖書や源氏物語の中にも登場するほど古くからその病気が存在してい ました。 日本でも、第二次世界大戦後、国民の大半が土壌伝播寄生虫に感染し、マ ラリア、フィラリア、住血吸虫症なども見られましたが、行政、専門家、住 民が一体となった包括的な公衆衛生活動・寄生虫対策を実施した結果、 日本はこれらの感染症の制圧に成功しています。一方で、今もなお開発 途上国を中心に、NTDsは人々の健康に大きな影響を及ぼしています。 アフリカの一部の国、アンゴラ、コンゴ共和国、スーダンなどでは、一 時は感染症の制圧に成功していたものの、国内紛争によって政情不安・ 公衆衛生の悪化が生じ、一部のNTDが再興していることが確認されて います。 感染者 10億人以上 感染リスクあり 30億人以上 顧みられない熱帯病 WHOによる17の顧みられない熱帯病の疾患群 17 Neglected Tropical Diseases <WHOによる17の顧みられない熱帯病の疾患群> 1. デング熱 2. 狂犬病 3. トラコーマ 4. ブルーリ潰瘍 アフリカ睡眠病 ハンセン病 リーシュマニア症 5. トレポネーマ感染症(イチゴ腫含) リンパ系 フィラリア症 (象皮病) 住血吸虫症 食物媒介吸虫類 感染症 6. ハンセン病 7. シャーガス病(アメリカトリパノソーマ) 8. アフリカトリパノソーマ(睡眠病) 9. リーシュマニア症 10. 嚢尾虫症 オンコセルカ症 (河川盲目症) 胞虫症 メジナ虫症 (ギニア虫症) 狂犬病 デング熱 11. メジナ虫症(ギニア虫症) 12. 包虫症 13. 食物媒介吸虫類感染症 14. リンパ系フィラリア症(象皮病) 15. オンコセルカ症(河盲症) 16. 住血吸虫症(ビルハルツ住血吸虫) 17. 土壌伝播寄生虫症(腸内寄生虫) シャーガス病 (アメリカトリパノソーマ) 嚢尾虫症 土壌伝播寄生虫症 (腸内寄生虫) トラコーマ ブルーリ潰瘍 トレポネーマ感染症 (イチゴ腫含む) 「顧みられない」 のは 疾患? or 人々? 三大感染症 vs NTDs Big Three vs NTDs 三大感染症 なぜ、これらの感染症は「顧みられない熱帯病」と呼ばれるようになった 他の疾患 のでしょうか。 HIV/AIDS、マラリア、結核(通称「三大感染症 Big Three」)は、その有病率 や死亡率の高さ、これらの疾患がもたらす様々な社会的・経済的影響の 大きさ、人道上の観点などから、2000年前後から国際社会が一丸となっ てその解決に向けた取り組みを行ってきました。日本は、橋本龍太郎元 首相(故)が1998年の沖縄サミットで、途上国における感染症対策イニ シアティブを発表し、その後の世界エイズ•結核•マラリア対策基金(世界 基金)の設立に大きく貢献してきました。 その後、世界各国からの三大感染症に関する支援は増額され、貧しい 人々でもHIV治療薬や結核治療薬、マラリア防止のための蚊帳を手に入 れることができるようになりました。一方、顧みられない熱帯病は、あく まで「他の疾患(Other diseases)」と位置づけられたまま、国際社会から 注目を浴びることも少なく、感染症制圧に向けた資金確保の面でも「顧 みられない」状態が続きました。疾患に感染した貧困層の人たちもまた 同様に、国際社会から「顧みられない」存在だったのです。 HIV/AIDS マラリア 結核 顧みられない熱帯病 複数の疾患への感染 Infected with multiple infectious diseases 現在、顧みられない熱帯病のほとんどが開発途上国に分布しています。 そして開発途上国の人々は、複数の熱帯病に同時に感染するリスクがあ ります。例えば、5種類以上の熱帯病が確認されている60カ国のうち、40 カ国がアフリカ、9カ国がアジア、5カ国が中南米、2カ国が中東に分布し ています。 顧みられない熱帯病は、それぞれ診断方法も治療方法も異なるため、そ れぞれに関する調査や研究開発が必要です。しかし、こうした熱帯病は、 貧しい人々が多く暮らす農村や地方で見られる疾患であるため、国際社 会としても問題そのものを認識する機会が少なく、問題が顕在化するこ とは殆どありませんでした。その結果として、三大感染症と比べると圧 倒的に支援が行き届かない状態が続いて来たのです。 1 disease 2 disease 3 disease 4 disease 5 disease 6 disease 感染症がもたらす社会・経済活動への影響 Socioeconomic impact caused by neglected diseases 91.4 顧みられない熱帯病は,HIV/AIDS、マラリア、結核と比較すれば、致命的 な疾患ではありません。しかし、中長期的に、時には一生にわたって、さ 84.5 56.6 まざまな症状や障害が患者やその家族にもたらされます。例えば、子ど 67.3 もが土壌伝播寄生虫症や住血吸虫症に感染すると長期間に及ぶ貧血を Million Dalys 62 引き起こし、成長発育の遅れ、記憶障害や認知機能の障害を引き起こし 58.6 ます。妊婦の場合は、低出生体重での出産や、妊婦死亡率の増加につなが り ま す 。オ ン コ セ ル カ 症 や ト ラ コ ー マ は 視 覚 障 害 や 失 明 を 誘 発 し 、 49.2 シャーガス病は、慢性的な重篤な心疾患を引き起こします。リンパ系 46.5 フィラリア症は大きく身体の外見に変形をきたし、永続的な障害が患者 に残ります。 38.7 こ の よ う に 、中 長 期 に わ た る 障 害 を 負 う こ と で 、そ の 人 の 生 活 の 質 (QOL)が奪われ、外見を損なうことで偏見や差別の対象となり、医療だ けではなく、様々な社会的な問題も引き起こしています。このように、 HIV/AIDS、マラリア、結核と同様に、顧みられない熱帯病は地域や国の 社会・経済活動に対して大きな影響を与えていることが近年データから も明らかになってきました。 DALY:病気や障害を負うことにより失われる、本来健康で生活できるは ずの年数を指標化したもの 下 気 道 症 染 感 DS V HI I /A 単 極 病 鬱 性 痢 下 心 性 血 虚 患 疾 顧 み ら れ な い 病 帯 熱 脳 血 患 疾 管 マ ア リ ラ 交 故 事 通 34.7 核 結 7 3 感染のリスク:世界の 人に 人 7 1 実際に感染:世界の 人に 人 感染症が引き起こす悪循環 Vicious cycle that keeps the poorest poor 貧困 開発途上国の感染症は、単にそれ自体が重要な疾患であるというだけで なく、様々な社会問題を引き起こす原因の一つになっています。 開発途上国の最貧困層が暮らす環境は、時に劣悪な衛生環境であること が少なくありません。貧困や衛生環境などは、感染症に罹患するリスク を増大させる大きな要因となります。 HIV、マラリア、結核、顧みられない熱帯病に感染することで、就学・就労 社会・経済 活動の 低下・損失 感染症が引き起こす 劣悪な 衛生環境 悪循環 が妨げられ、家族、コミュニティ、国の社会・経済活動は低下し、大きな損 失を生みます。その結果、開発途上国の人々が貧困から脱却することを 阻害します。 貧困から脱却が出来ず、生活環境をより良いものに変えることができな ければ、感染症のリスクも軽減することができず、この悪循環を断ち切 ることが難しくなります。 就学・就労が 困難に 感染症への 罹患 感染症の制圧で生まれる好循環 Virtuous cycle created by elimination of infectious diseases 貧困からの 脱却 仮に、ワクチンで感染症を予防し、医薬品で病気を治療することができ れば、人々の生活の質(QOL)は改善されます。その結果として、就学・就 労が可能になり、社会・経済活動は活発化します。 貧困から脱却するためには、生活環境を改善し、感染症を克服する必要 があります。もし感染症の制圧に成功すれば、人々の生活環境は改善の 方向に向かい、感染症に罹患するリスクも漸減していくことが期待さ れます。 感染症の問題は、開発途上国が抱える問題の一つにすぎません。しかし、 社会・経済 活動の促進 感染症の制圧で 生活環境 の改善 生まれる好循環 感染症の制圧によって生まれる好循環、そこからもたらされるインパク トは計り知れません。WHOもまた、開発途上国の感染症の問題を解決す ることは、MDGsの達成に大きなインパクトを与えるということを指摘 しています。 就学・就労 が可能に。 感染症の 予防・治療