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A.3.11 医師に求められる全人類医療

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A.3.11 医師に求められる全人類医療
A3.11
M にとっては、いくつかの転機を誤ってしまうことがいかに人生を大きく変えうるかということが、なお衝撃的なことであった。
彼女は心理学の学位を得て Boston College を卒業し、25 歳で結婚して、息子と娘、2 人の子どもをもうけた。彼女と家族はマ
サチューセッツの南岸のある町で暮らしていた。彼女は 13 年間、医療に携わっていた。そして、頭部にひどい外傷を負った男
性患者の居住計画の責任者になった。しかし、彼女は夫と闘争を始めた。そこには裏切りがあった。32 歳のとき、彼女の結婚
は破綻した。離婚に際し、彼女は家の所有権を失い、経済的・精神的な苦闘の中で、子どもも失ってしまった。数年の間、彼女
は酒に溺れた。ある人と付き合い始め、一緒に飲みふけった。しばらくして彼は家に薬を持ち込み、彼女もそれを試してみた。
薬は次第に強くなり、遂にはヘロインに手を出したが、それが彼女のアパートから 1 ブロック離れた路上のディーラーからい
つでも手に入れられることがわかった。
ある日、彼女は気分がすぐれなかったので、医者に行った。そして、汚染された注射針からHIVに感染したことを知った。彼
女は仕事を辞めざるを得なかった。子どもを訪れる権利も失った。そして帯状疱疹など、HIV の合併症を発症した。帯状疱疹
は頭皮と額全体に痛みを伴う水ぶくれ・腫れをもたらした。しかし、治療によりHIVはうまく抑えられていた。36歳で彼女はリハ
ビリに入り、彼と別れ、薬を断った。2 年ほど、楽しくて穏やかな生活を送ったが、そこで彼女は自身の生活を立て直し始めた。
その頃から、彼女はかゆみを抱えるようになった。
それは帯状疱疹を発症した直後であった。帯状疱疹とその痛みは、通常通り、抗ウイルス性の薬剤であるアシクロビルに
反応した。しかし今度は、帯状疱疹が現れた頭皮の領域が麻痺し、痛みが絶え間なく続くかゆみへと変わった。彼女は主に
頭部の右側にかゆみを感じていた。かゆみは頭皮に沿って這うようにして広がり、どれほど掻いても決してなくなることがな
かった。「私の内側、例えば脳そのものがかゆいように感じた」と彼女は言う。そしてかゆみは彼女が生活を取戻し始めてい
たまさにその頃、彼女の生活を大きく占めていた。
彼女を診ていた内科医は、何が問題の原因であるのか分からなかった。かゆみは極めてありふれた症状だ。あらゆる皮
膚科学的な状況がかゆみの原因になり得る。例えばアレルギー反応や細菌・真菌の感染、皮膚がん、しらみ、日焼けによる
傷害、そして単なる乾燥肌などがある。クリームや化粧もまた、かゆみを引き起こす。しかし M.は通常のシャンプーと石鹸し
か使っておらず、クリームは使っていなかった。医師が彼女の頭皮を調べたところ、異常は何ら見つからなかった。発疹も赤
味も鱗屑も肥圧も真菌も寄生虫も、何もない。あったのは、掻き傷だけだった。
彼女の内科医は医薬用クリームを処方したが、役には立たなかった。掻きたいという衝動は絶え間なく、抗うことができな
かった。「日中は、かゆみを感じても、何とかその衝動を抑えようとした。でもそれはとても難しいことだった。」「夜は最悪だっ
た。おそらく寝ている間に頭を掻いていたと思う。朝になると枕カバーに血があることがあったから。」いよいよかゆみを感じ
る部分から髪の毛がなくなり始めた。彼女は繰り返し何度も内科医を訪れた。「私は医者の元に足しげく通い、電話し続け
た。」しかし内科医が試したことは何一つ効果を示さなかった。医師は、かゆみが M.の肌には無関係なのでは、と疑い始め
た。
肌の状態ではないものがかゆみを引き起こすことは多々ある。the University of Massachusetts Medical School の皮膚科医
Dr. Jeffrey Bernhard は、かゆみを体系的に研究している数少ない医師の一人だ。彼は私に、甲状腺機能亢進症や鉄欠乏症、
肝臓病、ホジキンリンパ腫のようながんなどによって引き起こされる症例について話した。水原性そう痒症は、お風呂やシャ
ワーの後に生じる再発性で強く、広汎性のかゆみであり、その機構については分かっていないが、体が大量の赤血球を作り
だすという珍しい病状をともなう真性多血症の症状である。
しかし M.のかゆみは頭皮の右側に限定していた。ウイルス量から、HIV はおさまっていることが示された。更に血液検査や
X 線検査をしても、異常はなかった。内科医が下した結論は、M.の問題はおそらく精神医学上のものだ、というものだった。あ
らゆる精神医学上の状態がかゆみの原因になりうる。精神病を抱える患者は皮膚の妄想を抱くことがある。それは自分の皮
膚に、例えば寄生虫が群がり、這いまわるアリが群がっている、あるいは小さなガラス繊維で締め付けられている、といった
妄想である。極度のストレスやその他の感情的な経験もまた、かゆみのような身体的症状を引き起こしうる。それは体からエ
ンドルフィンが放出されたため、皮膚温度が上昇したため、神経性の引っ掻き行動のため、あるいは多汗のため、などである。
M.の場合、内科医は抜毛癖を疑った。これは自分の毛を抜きたいと言う抑えがたい衝動を伴う強迫性障害である。
【解答例】
問 1.
脳自体がかゆいと思えるほど強く、昼間は我慢できても睡眠中に出血するまでかいてしまうほどしつこく続く、頭の右側のか
ゆみ。
問 2.
離婚・経済難・薬物中毒・HIV 感染・子供との別離によるストレスがもたらす、強迫性障害の一種で自分の髪を引き抜きたい衝
動が抑えられなくなる抜毛癖が原因と考えられる。
問 3.
最初に、かゆみの直接の原因となる皮膚症状によるものではないかと考えたが、そのような症状は見つからず、処方した軟
膏も効果がなかった。次に、間接的な原因として、皮膚症状以外の身体症状の可能性を考えてみたが、発症部位からこれも
該当しないと判断した。続いて、既往症である HIV が原因ではないかとも考えたが、検査結果によってその可能性も排除され
た。最後に、精神的な問題が原因であるという結論にいたった。
問 4.
全人的医療とは、患者を医学知識に基づき客観的に診ることは勿論、病気に至る背景や病気がもたらす悩みにも注目しその
解決に取り組むことで、正確な診断・治療に加え患者のニーズに応える医療を展開することである。
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