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(2)古代都市メッセネのアスクレピオス神域のストアの概要

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(2)古代都市メッセネのアスクレピオス神域のストアの概要
(2)古代都市メッセネのアスクレピオス神域のストアの概要
1)古代都市メッセネの概要
古代都市メッセネの遺跡は、ギリシ
アのペロポネソス半島南部の山間部
に あ り、 カ ラ マ タ の 町 か ら 北 西 に 約
18km のところに位置する(図2)。北
側にイトメ山(Mt. Ithomi)、東側にエ
ヴァ山(Mt. Eva)があり、市域は山
裾の緩斜面にある(図 3)。古代には約
アテネ
メッセネ
スパルタ
9 km の堅固な城壁で囲まれ、都市内
には数々の壮麗な建築が建てられ、数
万人が住んでいたと思われる。現在は
図2 古代都市メッセネの位置
オリーブとイチジクの木で覆われて、
古代以来の泉水場であるクレプシドラ
アルカディア門
を中心にして人口 150 人ほどの寒村に
アクロポリス
なっている。ローマ時代の旅行家・地
理学者であったパウサニアスの「ギリ
シア記」によると、メッセネの町は、テー
ベの英雄エパミノンダスがレウクトラ
市壁
の戦いでスパルタを破った後、紀元前
劇場
1)
369 年に建設されたとされる 。パウ
アゴラ
ラコニア門
アスクレピオスの神域
サニアスは市内の状況について、比較
ギムナシオン
的詳しく述べており、研究上有力な資
料となっている。
イトメ山はメッセネのアクロポリス
図 3 古代都市メッセネの平面図
である。建設当時は神殿が建っていた
ようだが、現在はほとんど残っておら
ず、かわりにビサンティン時代の修道
院がある。イトメ山はメッセネ地方の
自然の要塞であり、残る三方に数キロ
メートルの強固な市壁(図 4)を築き、
南斜面を利用して都市が建てられた。
遺跡の西方には、数百メートルの城壁
と市門が残っており、特にアルカディ
ア門は古代ギリシア都市の中でも最も
残りがよい市門の一つである。
市域中心部の北西よりには、大きな
劇場が出土している。劇場の背後には
図 4 古代都市メッセネの市壁
泉水場があって、山腹から地下水を供
-2-
給していた。その東側に一辺 200 〜 300 メートル四方のアゴラがあり、中央に神殿があって、北側
には翼付きストアが残っている。
ストアから南に下った城壁近くには、ギムナシオンやスタディオン、パラエストラ等の複合施設が
建設されている。ギムナシオオンのストアを3方囲まれているスタディオンの南端は城壁まで達し、
城壁の上にはヘロオンが建設されていた。
アスクレピオス神域は、都市中央部のアゴラとギムナシオン等の複合施設の間に位置し、アゴラの
南端を形作るストアに隣接して建設されている。
2)アスクレピオス神域の概要(図5参照)
アスクレピオス神は医学の神として知られ、ヘレニズム期にはアスクレピオスの神域は、病院施設
としての機能を持つようになった。例えば、小アジアのペルガモンやギリシア本土のエピダウロス、
コリントなどにあることが知られている。しかし、パウサニアスによると、メッセネのアスクレピオ
ス神域は、病気の患者のための病院施設(サナトリウム Sanatorium)というより、むしろ多数の芸
術品(主に彫像)を展示する美術館に近いと述べている 2)。実際、神域内にはエクレシアステリオン(民
会場、Ekklesiasterion)とブーレウテリオン(議会場、Bouleuterion)を併設していることから、宗
教施設というよりも、むしろ政治の中心地としての役割が強かったと考えられる。
メッセネのアスクレピオス神域は、市域の中心部に位置するアゴラのすぐ南側に隣接し、直行する
グリッドに沿った道路が神域の北と東に沿って走っている 3)。アスクレピオス神域の中央には、ドリ
ス式のアスクレピオス神殿と、その東隣に祭壇がある。神殿と祭壇に沿って、青銅製の彫像(大半はメッ
セネの政治家)を乗せる 140 の台座と5つのエクセドラ(半円形の小さなモニュメント)があり、残
りは中庭を取り囲むストアに沿って立てられていた。神殿と祭壇が建つ屋外の中庭の周囲には、四方
からストアが囲んでいた。アスクレピオス神域は、東西約 72 m、南北約 66 m の矩形をなしている。
4つのストアは、外部列柱、内部列柱ともにコリント式円柱で作られ、南北ストアの正面には 23 本、
東西ストアの正面には 21 本の円柱が立っていた。内部列柱は外部列柱の2倍の柱間間隔で立ってお
り、南北ストアは 14 本、東西ストアは 13 本の円柱が立っていた。
背後の部屋とストアは多数の出入口でつながっている。東ストアの背後には、北から順にエクレシ
アステリオン(民会場)、東プロピロン、ブーレウテリオン(評議会場)、文書保管庫がある。これら
はメッセネ遺跡内で最も残りの良い建物である。エクレシアステリオンは、北側に半円形の座席を巡
らせ、南側にスケネを建て、東と西のパラドスの先に、外部へ抜ける出入口がある。座席の中程から
東の道路にアクセスする出入口と、座席最後部の北西隅から、階段を通って北側に抜ける出入口があっ
た。東プロピロンは、中央付近に敷居があり、東側と西側に門柱がある。東正面は道路に面していて、
道路側に飛び出した位置にペデスタルが4本あり、この上に円柱を建てて上部を支えていた。西側の
正面はストアに面しており、基壇の状況から2本の円柱が壁に挟まれて建っていたことが分かる。中
央の敷居から東正面までは、床面は水平で石灰岩が敷かれているが、敷居から西側は土で、東から西
に向かって傾斜している。ブーレウテリオンは、ストア側に出入口を2つもち、3つの壁に沿って座
席が巡らしてある。内部には4本の柱が立っていたと考えられており、オルランドスは、屋根を掛け
た復元案を描いている。これによれば、壁は 10m 近くの高さがあり、壁の最上部には開口部があっ
て日光と風を入れる仕組みになっている 4)。ブーレウテリオンは、エクレシアステリオンとは違って、
東の道路側には出入口はなく、ストア側にだけ開いている。文書保管庫は、東側の道路には少なくと
も1つ出入口があるものの、ストア側には出入口はなく、神域の内側からは直接アクセスできない構
-3-
造になっている。
北ストアの背後にはセバステイオン(Sebasteion)が、ローマ時代には皇帝を崇拝するためのカエ
サレイオン(Caesareion)になったことが碑文から分かっている。この建物は、ヘレニズム期には宗
教行事の際に食事をする場所であったらしい。セバステイオンは神域から北側の道路へ抜けるプロピ
ロンによって左右に分かれており、それぞれ独立していた。東西の翼部の中は小さな部屋に分かれて
いて、部屋の平面構成はプロピロンを挟んで左右対称になっている。セバステイオンには神域の北ス
トアから直接出入り出来るよう、それぞれの翼部に階段が設けられている。北プロピロンは、中央に
階段を持ち、ストア側はディスタイル・イン・アンティス形式で、おそらくコリント式オーダーであっ
た。セバステイオンの東隣には小さな部屋がある。正面はドリス式オーダーのディスタイル・イン・
アンティス形式で、床は石灰岩で敷かれており、奥に石造の水槽があることから、泉水場と考えられ
ている。
西ストアの背後には8つの小部屋がある。すべての部屋はストア側にディスタイル・イン・アンティ
ス形式の出入口をもち、円柱は2本の柱を組み合わせたダブル・コラムであった。正面からみて3つ
ある柱間のうち、中央以外、すなわち柱と壁の間には、ポロスの腰壁があり、これは西ストアの部屋
にだけ見られる共通の特徴である。北端の一室はアルテミスの神域で、神域が建てられる前からある
小神殿(アスクレピオス神域の北西にある)を移したものである。アルテミス神域は、中央に4本の
イオニア式円柱が2列に並んで立っており、神域の屋根を支えていたと考えられている 5)。西ストア
の北よりには、アスクレピオス神域の外側へ抜ける階段があった。また南から2番目の部屋は小さな
北プロピロン
セバステイオン
北ストア
アルテミシオン
エクレシアスレリオン
東ストア
西ストア
東プロピロン
アスクレピオス神殿
ブーレウテリオン
N
南ストア
0
図 5 アスクレピオス神域の平面図
-4-
10
20m
通路になっていて、やはり神域の外側へ抜ける西プロピロンになっている。
南西隅の 2 つの部屋は、南側に突き出ており、部屋の床面から南の斜面の底までは数メートルの高
低差がある。小部屋の東隣には神域内部から水を排水する排水溝があり、便座の部材があることから
トイレとして使われていたことが分かっている。南ストアの背後には、ヘレニズム時代の浴場がある
が、アスクレピオス神域の建物からは独立して建っている。神域南側にあるこの浴場以外は、連続し
た複合建築であり、隣り合う壁を共有して一体となって立てられている。
アスクレピオス神域は、北から南へ緩やかに傾いた緩斜面に建っている。そのためセバステイオン
の床面は、ストアの床面より約 2.5m 高い位置にある。一方、ストア南東隅では岩盤の一部が地表に
露出していることから、東ストアは岩盤の上に直接建てられていることが伺える。また、南ストアの
西側は、ポロスを高く積み上げて、ちょうど南方に向かって開いたテラスのような基礎を作り、その
上にストアを建てている。
3)ストア遺跡の概要
東ストアのクレピスを実測したところ、南北の方位から約 20 度西側に向いていることが分かった。
これは先ほど述べた、都市メッセネのグリッド・プラン、あるいはヒッポダモス式プラニングによる
道路網の方位に沿っている 6)。現在メッセネの発掘を行っているテメリス教授は、当時のメッセネの
政治的状況とアスクレピオス神域の政治的な性格とを関連づけて、神域の建設年代を紀元前 215/14
年に行われた行事のすぐ後と考えている 7)。これは、パウサニアスがメッセネの建設が始まったと述
べている紀元前 369 年から 150 年以上も後のことである。
4つのストアは、2つの列柱と背壁をもち(図 5)、その上に屋根が架かっていたが、現在は主に基
壇までしか残っていない。中庭に面する外部
列柱の長さは、南北ストアは約 52m、東西ス
トアは約 47m で、各ストアの外部列柱はほ
とんど直角に交わっている 8)。外部列柱のク
レピスは、ほぼ全ての部材が建設当初の状態
で残っている。スタイロベイト部材は、隅部
分に一部が残っているだけで、プリンスは北
東と北西の隅にしか残っていない。内部円柱
はスタイロベイトとプリンスまでが残ってい
るが、外部列柱同様、円柱から上部の部材は、
遺構の周囲から発掘された。背壁は、最も残
りのよいところで約 6 m 近くあり、当初の状
況がよく残っている。
石材は、基礎や基壇、背壁などには石灰岩
が用いられた。また、円柱やエンタブラチュ
ア部材には、ポロスが用いられている。また、
東ストアの大部分や北ストアの一部は、岩盤
上に建設されている。岩盤は固い砂岩であり、
ストアの強固な基礎を形成している 9)。敷地
図 5 北ストアの現状写真
の自然な形状は、南西方向に向かって傾斜し
-5-
ているので、南西部は擁壁が立てられ、ストアが支えられており。
注:
1) Pausanias, Description of Greece IV, 27, 5-7, W. H. S. Jones, Loeb Classical Library, London, 1977
Pausanias's Description of Greece, BK IV, 27, 5, J. G. Frazer, New York, 1965
2) Ibid., Jones, IV, 30, 10
3) 最新の研究成果では、メッセネにはヒッポダモス式の道路計画がなされていたと考えられている。
S. Mueth-Herda, "Street Network and Town Planning of Ancient Messene," in Symposium for
International Collaborative Studies on Ancient Messene, Tokyo, June 29, 2002, p. 30, Fig. 4.
4) A. K. Orlandos, "Νε_τεραι Ερευναι εν Μεσεηνη(1957-1973)," in H. von U. Jantzen(ed.),
Neue Forschungen in Griechischen Heiligtumern, Tubingen, 1974, pp. 10-15, Fig. 2-9.
5) Ελενησ-Αννασ ΧλεΠα , "Μεσσηνη- Το Αρτεμισιο Και Οι Οικοι Τησ Δντικησ Πτερντασ
Του ΑσκληΠιειον," Athen, 2001.
6) Mueth-Herda, Ibid, pp. 16-30. を参照 .
7) Themelis, Anciient Messene, Atnens, 2003, p. 82.
8) 実測の結果、東ストアと北ストアの角度は 90.008 度、北ストアと西ストアの角度は 89.973 度、西ストア
と南ストアの角度は 90.022 度、南ストアと西ストアの角度は 89.997 度であった。
9) 石材について、早坂康隆氏(広島大学大学院理学研究科)に依頼し、その成分分析を行った。分析を行ったのは、
スタイロベイト、円柱、ゲイソンの各石材、ドラムに残存していたスタッコと北プロピロンに残存していた
スタッコ、敷地の岩盤、採石場の石である。採石場は古代メッセネからおよそ 15 km ほど離れたカロゲロ
ラヒ村(Kalogerorrachi)にあり、ストアの柱礎などの石材が採石された場所として知られている。早坂氏
の分析結果によれば、スタイロベイトは「純粋な石灰岩」であり、ドラムやゲイソンの石材は、「砂質石灰
岩(岩石学的には不純な石灰岩)」ということである。なお、ドラムやゲイソンのような質の良くない石灰
岩の通称はポロスであり、「ここで使用されたポロスに比べればスタイロベイトの石灰岩はかなり風化に強
い思われる」ということである。また、円柱のドラムに薄く塗られたスタッコと北プロピロンに厚く塗られ
たスタッコの成分は殆ど変わらず、「純粋な結晶質石灰岩を人工的に砕いた粉を固めて作ったもの」であり、
成分的な相違は見られないそうだ。「岩盤は石灰質を殆ど含まず、構成粒子の大部分が石英で、石英砂岩と
呼べる岩石」であり、風化していなければ「相当固い」岩石とのことである。また、採石場の岩石は「砂質
石灰岩」で、ドラムやゲイソンと良く似たものとのことであった。
-6-
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