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島, 恭彦 Citation 經濟論叢 (1941), 52(1): 113-127 Issue

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島, 恭彦 Citation 經濟論叢 (1941), 52(1): 113-127 Issue
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英國經濟學に於ける東洋社會の理論
島, 恭彦
經濟論叢 (1941), 52(1): 113-127
1941-01
https://doi.org/10.14989/131489
Right
Type
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Departmental Bulletin Paper
publisher
Kyoto University
含孝港経季大図帝都京
き貫一箪奉ニ+瓦第
図家科事としての経済皐:・ijit--- 桓 済 畢 博 士 谷 育 彦
叢
道家の経済思想経済畢士穂積文雄
シ品ピイトホフの景気理論の批判;相梼串士車円
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- 純済畢士田
下請制工業の困民経済的意義 j
英国経済皐に於ける東洋世帯自由理論 i・経済愚士島
説苑
経済畢士河
貿易統計の新しい任務 iiri--zit-- 経済構士有
アツシニア紙幣・ii
附
業報・外園雑誌論題
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健
公庫制の生成機縁・・鱈済畢士徳永清行
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i値 済 皐 士 堀 江 保 蔵
我園担済発達の特質に就て・2
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-恒冊目闇富士本斥柴治郎
林子卒とその経済思想 -
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英園経構事に於げる東洋吐曾の理論
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英闘糠掛瞳に於ける車祥祉合目理論
では本顎に特に闘係凸ある弐白糠な事情を指摘して
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る印度支配の構浩的経化に劃鹿して、常時の印度綿替ウ
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第五十二巻
第
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ルヌリ
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ったが、共後(一八 O六年)英国の︿ 1 9ベ り12EEE4) に束印度間半校 gEFazno固め町内)が設けられ、約宇世
ける英帝図由政治的、経済的利害等に闘する知識を奥へる舎であった。ウエルスリーの一本来の意聞は資現しなか
校は守エルスリーの意闘によれば、印度の歴史、言語、慣習、同教徒一千ヒンヅ I教徒の法律、宗教、アジアに於
ー卿(円。E410国Bq) は英系印度官吏の素質向上のために官吏養成墜校をカルカッグに設立しようとした。己の閣宇
政府の行政機関白性質を帯びるに去った。か
十 八 世 紀 末 よ り 十 九 世 紀 に か け て 、 英 闘 の 割 印 度 政 策 の 極 柚 た る 束 d ンド舎枇は議舎の監替下に世かれ、英国
会かう。
ついては嘗って務表した事があるから省略するとして、と
をいだく英国経済皐が現に存在したのであるロ東洋枇舎に闘する知識がどうして英国経済皐に取入れられたかに
して一大植民帝国とたった十九世紀の英国を考へれば、斯様友問題は別に不自然でもないし、又東洋一枇舎に関心
史の立場からすれば、恐ら︿奇異に感ぜられるかも知れ友い。併し様々危経済機成を持つ諸民族をその内 K包括
英圏経済撃に於ける東洋社曾の坦論と云ふ主題は資本主義的諸却論を中心としで展開された従来。英図経済事
1
手
拙稿、英図経済事と東洋雇士官白問題、東亜問題、第二巻、第七説。
英国将稗畢に於ける東洋社骨白理論
第五十二巻
強
回
一大柿民帝国売る英国白政治は更に庚い視結に立たねば友ら友い己
Yズ粧消皐白方法論的蒸礎に立入つ
ジヨ才ンズ粧情感の著しい特高いは歴史主義である。﹁政治経済撃に於て普通的であらうとする原迎は枇曾の最も
ジヨオンズ経済皐に於りる経済構成の理論
て分析し友ければならたい。
れには如何なる限界が見出されるか宇考察して見たト。そむ震に先づジヨオ
それは兎も角世々は次に特にジヨオ γズを選んでそ白経済阜の中に如何に束洋枇舎が取扱はれてゐるか、又モ
へるために。 L吾々はとのジヨオジズ白主張 D中にか Dウエルス F 1的意識を見てとる己とが出来注いだらうか。
し得る帝闘門の種々なる領域の相針的力や資源等を理解し北較研究するととを市立する政治家に射してヒントを興
J
オンズ白経術開宇は問宇者、特に政治家に教示を興へる任務を持円 てゐる。即ち﹁その職務上他の間々や自分の統治
に引きあげようとした。例へばヲカル F の 粧 消 阜 の 如 き は 資 本 家 平 そ の 代 務 人 目 御 用 を つ と め る も 白 だ が 、 ジ ヨ
とを主張するからである。ジヨオ Yズはか L Z意識を以て紋の経済皐を官時む市民経桝間平一般よりも高いレベル
切らうとする市民経済皐白偏狭さを批判し、
主義の鰹消墜に剥して反釣の態度をとり、英闘に存在する典型的危資本主義枇舎 D常識を以て世界の情勢を割り
。ョオンズがとの皐校に見出されるりは必しも偶然では左い。彼は営時の英闘を風醸した自由貿易主義、世界
研究しようとするリチヤ
lr・ジヨオンズを見出す白である。
紀白間ウエルスリーのプラ Vに従って印度官哀を教育しわ。己目撃校白穀官に玉口々は経済撃者マルサス及び以下
倍
匂括的た観察白上にのみ基礎づ貯るととが由来ムo
﹂と一言ム恰も瓶逸む歴史皐振を忠は吐る松た主張が紋の主著白
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34
V.A. Smith
,The OxfordHistory ofIndia,. p. 561 f
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Richard Jon出 , L
Jones
,An Essay on the Dishibution of Wealth and on the Sources of
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Taxation. P
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四
Uジヨオシズ的立揚、
序文に見られる o事寅彼はF イツ歴史法且干のE Eザ ピ エ Eや一一Tプルの名を既に知ってゐたのであづた。
との英悶粧待感に珍しい歴史主義は明かに自由貿易の闘士リカルドに針立するマルサス
卸ち穀物関税と共に地主階級白停統的勢力を擁護しようとする立揚より坐れて来る。併しとの保守主義的立揚が
第
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一い押して英園経済問宇内部に於貯る自己反省白役割を柴たしてゐる己正にと白際特に注意した町ればたらない白で
ある。印ちリカルド沃が自分 誌
J の戦ひとらうとしてゐる自由貿易制を以て全昨具に受設する普遍的原理とする拍
象仕を批判し、過去の侮統が翠同に支配する肢大た領域白ある立とを指趨した紺である。﹁吾々は英園入としてし
ぼ/¥ある稜の誤謬に陥る。苦々はあまりにも自分建の住んでゐる枇舎の献態をすべての他の枇合白典型と考へ
やすい。こり狭慌たあや士った仮定は必やや多くの無智と誤謬の源とな札口ジヨオンズは又ロンドンのキングヌ・
カレッヂで行。た講演白中で弐の様にも言ワてゐる。 ﹁地球上白他の諸民族の中に現れる現象を知ら左︿ても、
普闘の経消白諸要素や組純だげを研究してぬれば、やがて他の民族のものと左台、主ハ故に普遍的危ものとなる筈
の事物白肌も障に闘する如識を得たととιたるであらうと信じてゐる入がゐる。諸君、私はか h ろ見解に町一し泣い
もりである。﹂以上の主張主見れば、各民族は経済撃の抽象理論を以ては割り切れ泣い特殊左経済を持ってゐる己
在、各図白粧済は何れもイギリス的経済へと一直線白務展を辿るものではない己と等について、ジヨオ yズは相
世はっきりした認識を持ってゐ先様である。
それではぷヨオンズ自身はモれ件¥特殊左横山hE持つ各闘の経済社曾を如何在る現論を以って分析しようとす
るのか。紋がとの際趨用しようとする割論を偲り忙﹁経済榊成の理論﹂と坪ぶ己とが出来る。ジヨオンズの言葉に
第主十二各
就
従へば﹁諸園氏白経済構成﹂(OEEEEHEREZEEZ主であるが、それは経済生活の枇曾的構成とも一一一回へるし﹀
英闘紹済串に於げる東洋杜舎の盟論
五
第五十二巻
占
知
競
大
Yズは資本もやはり一定む経済構成
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資本に使はれる持働者や農民の生活、弊働能率を突画的水準にまで引上げる
ことこそ肝要であるとした。更にそり弊働能率も、ジヨオ Yズ白解するととろによれぽ、特定白経済構成によっ
径をあげる乙とは不可能で、むし
。表現形態であると解様してゐだ。それで英国の資本をアイルラ V Fやイ Y Fへ輸出してもそ白主主では直に牧
離しそれ自身の内に何か神秘な自己増殖f る力を考へるのであるが、ジヨオ
成から切離して考へるととをしたかったからである。例へぽ普週白市民経済皐者は資本をその祉合目的環境より切
ジヨオンズは斯様な挟謬を売れてゐた。けだし彼は経済現象をすべて特定 D歴史的、社合的内容を持つ経済構
︿異る構成をもっ経済社曾に遁用しようとする知に於て誤謬である井一云はねぽ友らない。
ム駄に於て誤謬であり、第二にとり債格論白幽聞が特定の英閥的経済構成を前提とするものであり乍ら、 とれを金
在る図民白旋済を劃象としても、そり中に見られる複雑栓而も立般的た経済構成を平而的左債格論に概評して了
銀に闘する限りで問題になってゐるに過ぎない。共は要するに平板的危市場経済論に過ぎたい。共は第に如何
は経済瑚論の白明の前提であるか白様にモれ自悌何等分析されや、たr商品債格の構成要素たる地代、利潤、持
の企図的友委は見失はれてゐると言った方が疋しい。例へば H カ ル ド に 見 ら れ る 地 主 、 資 本 家 、 持 働 者 の 三 階 級
本主義的階叡構成忙関する断片的た却論を渡見する己とが出来る。併し英図経済開中全悼を通巳て見れぽ階級構成
一巾一農皐派、特にチユルゴオにもこの黙について優秀た理論を見出すし、英園経済亭ではスミス等にも封建的、資
スが最初白人では友い。武口々は
ととろで市民粧品同号。歴史ι於て経内生活の階級的構成を認めたりはジヨオ yw
るだらう。
叉伎が物的生産主中むとする階級緋成白意味によく刑ひる貼からすれば、所謂﹁生産関係﹂と云ム言葉にも相首す
英闘経済畢に於ける東洋世曾 m理論
、
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て規定されるのであって、例へば英国の草刈人夫が二人でする仕事をロシヤの農奴が六人で完成したり 、英図 D
Yズはこれを一一つの基
工揚弊働者がイ V F D手陣削暇人より数佑の能率をあげる例は弊働者の勤勉や怠惰等の人間性に基︿ものではな︿
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で、彼等がモの中 K編入さ れてゐる絞消構成の相違民基くものである。
それでは斯様に重要友恵義主持つ所調﹁経済構成﹂はどんな内森を持。だらうか。ジヨオ
本形態に分類した。吾々が偲りに経済構成の第一形態と呼ぴ得るものは、土地の所有関係と土地の刑判飴生産物の
分配によって祉舎の諸階級の間に形成される関係である。 己の経搾構成に於ては農民は直接士地上り彼自生活資
料(努銀)を再生産する。地主は農民より牧取した剰徐生産物の八乳配者として最も重要な壮命的、政治的地位を占
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oll' ofWealth. p
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める。非農業階級、特に工業階級は地主 D剰飴生産物の分配に依存して生活する。而て﹁斯様友枇合欣態に於て
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様に思はれあ。
は土地所有者とその占有者。闘係は大多数の人々の微細友扶態や政治償制の精紳及び形強をも決定する。﹂つまり
第-形態の経神構成とは前資本主義的農業枇合一一般を意味するもの
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経済構成白第二形態は地主、農民以外に産業資本家の査場によって特色づけられる。己目経併構成では農民は
地主の支配かち解放されると同時に、生活手段としての土地より切離され資本家上り賃銀を支梯はれるととろの
農業持働者と在る。工業寄も亦地主への依存から股して資本家の賃銀持働者とたる。か︿で資木﹄誌は地主に代つ
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ズ由所謂第二形態の経消構成は近代資本主義枇舎を意
て
、 E D一粧台白生産物の分配者と怒り、政治的融力主獲得するが、其と同時に農民や持働者も地主の僻統的支配
から売れて政治への参加を目指して進む。かくてジヨオ
観
8)
味ナるも白と見てさしっかへないであらう。
品開五十三容
傍
以上白第一形態と第二形態とはジヨ方ンズ忙土れば経消構成の最低段階と最高段階左を一一小す雨極端である。と
英 岡 純 情 単 に 世 け る 東 洋 社 骨 ω理論
七
英関経済畢に於ける東洋枇曾白理論
第五十二巻
策
丹
、
H農業者地代 (fsEJEE)とである。リカルドの地代論は士地への自由在資本投下を前提として、農業資本
界。庚大友領域聖護ふてゐるものは農夫地代である。而も己れこそ地代の始源的形態であり、地代般白起源が
の利潤より支梯はれる農業者地代のみを把握したに過ぎ友いが、己れはヨーロッパの一部に見られるも Dで、世
地代
成。二つの形態に感じて地代にも二つの基本形態がある。即ち第一抗的地代 l農夫地代(官
E 己自己)と第二宍的
ら、地代形態の分析こそ己の枇曾白特質を把揖する鍵で怠ければ左らたい。ところでジヨオ yfによれば経科構
に基礎をゐ︿己とは明かである。 然るに土地所有 D 関 係 は 地 代 形 態 白 中 に 集 中 的 に そ の 委 を 現 す も の で あ る か
7 0ア祉舎が第一形態白経済構成を代表するとすれば、ジヨオンズの言ム様にこの吐舎は特定の土地所有閥係
ジヨオンズの束洋一耽曾分析
ついて重要な手がかりを得たわけである。
白典型は 7 dアに於亡護見され、後者の典型は英閣に見出される。かくして吾々は東洋杜舎の理論的佐世づけに
在する諸薗について賞詮した。今をれらの形態は省略するとして、第一九一第一一の形態についてのみ云へば、前者
った経済構成白形態が現れる。而てジヨオ Yズは是等の経済構成白賓在の姿をアクアから司 1 ロツパにかけて存
は 資 本 で あ や L却ち一定白枇曾に於ける資本蓄積の度合により第一形態左第三形態の聞に様々。エコア Vスを持
る。而もジヨオンズによれば﹁ Eれらすべて白縫化、粧品目の縫質の大友る力、つ吉りそ白縫化が動き出す旭動力
れ士で各固に見られた歴史的事賓によれば、 経済構成は第一のものより第二のものに後展する傾向主持ってゐ
強
そ Eに求められねばなら友い様な性質のものである。 例 へ ば 農 奴 解 放 前 白 ロ シ ヤ 比 於 け 呂 弊 働 地 代 或 は 農 奴 地
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ロ4.最後に吾々営問 D問題であるアジ
代、革命前白フランスの分戸市農地代、アイルランドの零細農地代 (EZRZ
T Dライオッド地代(同三日旦)等とれである。
ライオット地代とは農民が直接土地より自分自身白生活資料を再生産しつ弘、その刺過生産物を以て土地所有
者たる君主に支沸ふ現物地代である。アジアでは一般に君主がずペての土地に封ずる所有権を握って居り、而も
そ D士地は共がなければ餓死せぎるを得たい多くの農民によって占有されてゐる。とれがために土地生産力が停
神的であるにも拘らや、地主としてのアジアの君主はヨーロッパにその例を見友い校在英大友地代を忠ふ士 Lに
牧取することが問来る白である。﹁ 7 0 7会鵠を過とて京主がとれまでその領土の土地に封する排他的特擦を持
生活資料のためにすべて白人民が君主権に依存してゐる
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ってゐた。そして君主は己の特楳を分割したり破棄したりする事の出来ぬ全一性に於て保存してゐた。共庭では
人民は一般に唯一の地主たる君主白小作人である。
己 D事貨とそ東洋枇舎不滅のデスポテイズムの良質の基礎をたすものであ丸。﹂そして斯様友人民の君主に封ずる
アジア的隷局関係が後世にまで残存してゐる限り、アジア的専制君主の後継者たるヨーロッパ白政府は柔順在る
アジア白人民を支配するととが出来る。﹁民衆をして死物狂ひで一片の土地にかぢりつかせるすべての原凶はま
た上たる樺力に服従する朝日性白原因でもある。そして吾々は又 E L陀外岡政府が遠︿離れてゐても柔順な人民主
vを支配してゐる。巨義と
支配する己とが出来る大衆的隷属白主要友原因E見る白である。か︿して吾々はイy
遁E友節度が守られる危らば吾々は武 t支配をついゐける己とが問来上うどか︿て吾々はアジア的経済構成が又ヨ
鋭
ーロツバ的、特にイギリス的支配主容易に導き入れる原因であるととをジヨオ Yズ自身む口から聞︿ヒとが出来
第五十二巻
第
る Dである。
英闘経済串に於ける東洋世曾白理論
九
英図結構畢に於ける東非世骨の理論
t F t f =巻
第
腕
O
一般にアジアの国家的土
Vズ自身も園家的土地所有り現論を押通
ζとには岡家的所有権を﹁枇舎の一般的所有権﹂
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om-V0222E﹃ )
問m
u勿論専制的支配形熊(専制的支租肱取形躍を合む)と共同枇曾的土地所有とはスヲプ民族
の村落共同問む歴史的地位を正し︿把握してゐ党友らぽ、位の 7ジ 7的経済構成の分析は更に進んでゐたであら
説明の紋械には在ちない。要するにもしジヨオ Y 1が専制的支配と共同樫的所有とを明確に恒別し、特にイン V
キアジアの諸民族の歴史に於て重品宜的関係をとって現れてゐるけれEも、とり事買は雨者が同一物であると云ふ
と混同してゐるのである
的意義主迎併せヂ、而も一そう惑い
からの報告に上って村落共同関心存在及びその内部構法に闘する知識を持ってゐた。併し殺は村落共同惜の歴史
合科叫曜の知識上りすればそれは血族的所有、村落共同隈的所有に相官するだら号。ジヨオンズもインド白行政官
な土地所有主、アジア的経済構成よりも更に葎い経済構成を推定せしめる手がかりとなった筈である。今日白一枇
楳利が彼等に興へられてゐる事'貨を無関する己とは出来たかった。との事賓は園家的土地所有よりも更に根源的
したわけでは友い。彼はアジアの農民を君主の小作人と見倣したが、普通の小作人以上に大友石慣習的、世間出的
では同教徒白教義が存在する。併し是等すべての事寅にも拘らやジ司オ
れ、そ己から君主の土地所有楳設が導出される。第三に君主の土地所有植を帰護するイデオロギー、特にインド
主は土地生産物の初めて大友る割合を牧取するので、ぞれは到底租税とは見られや、むしろ地代であると推定さ
数の狛立せる封建的土地所有が存在せや、領主はすべて担犬紅専制岡家に服従してゐる。第二にアジア的専制君
地所有設を基礎づける材料になったものは戎D様た事責である。第↓にアジアではヨ 1 ロザバに見られる様な多
ら十、ゼ 1 ムス・ミ凡の﹁印度見﹂以来多くのヨーロッパの皐者が採用した見解らしい。
ジヨオ Vズは以上の様にアジア的粧品川構成白基本的特徴を岡家的土地所有忙求めた。とれはジヨト Aンズのみ友
O
うと思はれるのである。
失にアジ 7的経消構成の他の側面、剖ち刑判後生産物の一分配と消費白方聞を考祭しよう。既に謹ぺた株比ライオ
ット地代は専制的支町関係忙よって牧取され、農民の生前を脅威する程の舗に昇るとともあるが、彼等白持働生
産力が低いために杢憾の量は限られてゐる。それでこの刺徐生産物によって養ひ得る非農業的持働者の数も限ら
れてゐるので、ライオット地代の支配するアジアは必岬知的に農業図たらざるを得ないりである。
さてライオフト地代の形式で段取されも ι剰徐生産物は君主の牧入として一一憾ととλ¥︿君主白手に集められ、
己L Tジヨ
そこから宮廷職人、手工業者、官吏、軍人共他の非農業的接働者に分配される。斯様友君主の収入を中心とする
アジア的ペ乳配形式は産業資本を中心とするヨーロッパ的分間形式に封して種々の特色主持ツてゐる。
才 Vズはかのアダム・スミスに於ける収入と資本の匝別、生産的柑労働と不生産的肺野働白匝別に重要た意義主認め、
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採用するととろ圭はたらたかったが、君主の収入によって養はれる7ジア的持働白生産
とれをアジ 7枇舎の分析に利用L よろとしてゐる Eとがわかる。尤も後白生接的、不生産的持働の匝別に至って
はジヨオンズのそのま
1 主張する離で民、スミスに一一服相過守るものがある。
力は資本によって傭はれる持働の生産力よりも低い 己
非農業持働者が地主リ君主に養はれ、君主白需裂を充足すベぐ葬働する結果として‘ELにヨーロッパには見
ら れ た い ア ジ ア の 特 色 が 現 は れ る 。 第 一 に ヨ ー ロ ッ パ 白 マ ニ ユ フ ア グ チ ユ ア l は燃料、水力共他動力の所在地に
(FE宮 跡 出oEE) の手記を引附しつ
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安心様に言
引きつけられるが、 7 0アに於ては手工業者は剰飴生産物 D消費者の所在地にひきつけられる。ジヨオンズは十
七世紀モガ 1 ル王朝の宮廷陸師とたったフランソワ・ベル一一旦
第五十二巻
就
ふ。印度モガ 1 ル王朝のアウラ Vゼツプ大王手口 Eロ四品ヴ)がカシ司、、 l ル地方比政行すれば、忽ち手工業者中峨人の
英 図 幅 梼 串k於ける東洋枇舎の理論
第
英園経済畢に於け名東沖枇骨白理論
策五十三巻
強
的経済構成白基本的特徴として専制的支配関係を強調するい Jヨオンズはか
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る支配閥係の中に取入れられた非農
同惜の一媛形として白平ル F組織に譲る峨人等を考慮に入れ左けれげたら友いことは明かである。然るにアジア
切はもとよりこ D持働のアジア的性格を査したとは一玄へ左い。この場合にも村落共同胞内部 D世襲的手工業者十共
。ョオンズは以上の様にアジアの非農業曲目働を専制的支配形態との閥係からのみ考察してゐるが、とれだけで
ある。
の宮殿や蜜廟、支那の城壁、アツシリヤからメソポタミヤの草原を蔽ふてゐる豆大な記念物等を捜してゐる白で
vF
農業界働の低度の生産性にも拘らや、今だに再々を驚歎させる様な遺境、例へぽエジプトのピラミッド、ィ.
構成の特質の故に、労働力を大規模友協業形態に編成し、己れを濫費し得るからである。とれがためιアジア的非
である。それは既比漣ぺた様に、剰後生産物を園家に集中して、そこから一時に大量的に支出するア♂ア的経済
第二の特色はアジア的非農業務働の本質的た脆弱さにも抑ら宇、それはしば/¥E大た業蹟主建すと云ふとと
る
。
﹂
の首都の人口は王朝の牧入、つ圭り士地白剥僚収入の新た分配中心地が形成.されるや否や共庵主立去ったのであ
南白方ピ lジ 7・アール及びセリンガバタムに宝る聞に正日々は消滅しつ Lある首都白陵嘘を辿る己とが出来る。そ
属白ために彼等の居庭であ呂アジア白都市は王朝の興亡とその逗命をともにするのである。 ﹁サマルカンドから
の中心と左り、宮廷の消費に依存しでゐた人々が群り集つh。以上の様た非農業勢働者の君主に針する直接的隷
大群が犬王に従って首都デリーを出資した。又そ白後この大王がデカン高原地方に将戦した時、その陣皆が消費
策
業持働のみを問題にしたりで、ア口ア的工業の一居始源的た形態を古分評便するととが出来危かったのである。
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,Literary Remains. p
.447
,ibid. p. 449
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一
アクア的経滑構成に閲す志ジヨオ y fの理解法庖
以上に譲きると思ふ。 E Lでは更に伎がアジア的経済構成
NL
︿は前述。様に経済構成の第一
の褒展について如何なる見通しを持ってゐたかを簡車に遁ぺて見たい。。ョオ Y 4
形態が第二形態の方向に食展ずる契機は資本ーの蓄積或は資本家白後生であると考へてゐた。資本の成長に従って
第一に努働時間が規則的、融情担的となり生産力が増進する。第三に地主針持働者。関係が焚化し、共がやがて政
治、祉曾全般D轡動を促す。﹁枇舎の相異れる隅殺を結びつける所の諸々の連繋が鑓化する。 土地所有者と非農
業者の一部と白一聞に中間階級(費本家)が現れる。而てとの中間階級に非農業者はモの雇入れと支持とを依頼する
ととにたる白である。従来の祉舎を一つに結びつけてゐた紐帯は使ひ古され寸断されてしまふ。他白紐帯が、他
の結合の原則がその相異る階級密結びつける。新しい経済諸関係が現れ来り、政治樫制の中に新鮮な力ある政治
的要素が混入して'来る。﹂斯様に U ヨオ yズは経済構成の殻展一般を生々と銃遇してゐる。
1
4
) Jones
,DistribuiLOnof Nealth. p. 139
、
それではアジ 7 に斯様友溌展が見られるであちろか。ジヨオ Yズ白答へは否定的であった。その理由を彼は次
の様に説明する 0 7クア的経済構成が鑓化するためには、その構成白極軸をなす土地所有者として専制君主の擢
OL何
力に制限が加へられねば左ら左いが、己の専制的構力に封ずる唯一白封抗的た勢力たる都市の非農業者階級が恰
も君主中官吏白消費に依存してゐる Oである。﹁市民はアジアの隷民の中でも最も無力た卑賎なも白である
故にさうであるか左云へば、アジアでは君主が唯一最高の土地所有者であったために、 ヨーロッパの君主の様に
封建領主と勢力争びをする必要もなぐ、又そ Dために都市と同盟して市民に政治的特穫を奥へる必要も友かった
からであ石。都市の市民日資本家が成長し友ければ農民主地主 D牧辛から擁護し、工業持働者を地主への隷属か
第五十二巻
抗
ら解放して、第働生産力を高める一枇合的勢力も費生しないわけである。ジヨオ Yズは地主が啓蒙的な立場から農
英園経済車同於ける東洋枇曾白理論
第
英園経済皐忙於吋る東持枇曾の理論
第五十二巻
按
第
四
り、未来への委展に針する展笠を含ま泣い。それ放にアジアの民族が牌来イギリス的段階比接近するか否かはジ
達し、アジアは最低段階に停止してゐると言ムのでるる。。ョオンズの一﹁歴史﹂は渇去上り現在までの設展であ
ジア忙封ずる時は別り態度をとる。印ち世界諸民族の環展には遁迷白差があって、イギリスは最高の維持構成に
た歴史的侮統が街世界の氏き領域、殊にアジアに存在する事賞を指越したからである。然るに己の歴史主義はア
し首時山田作史の最高段階を形成しつミあった英国人及英園経済壊があまりにも安易にその意義を無慨してしまっ
ジヨオンズ D歴史主義は英園経済壊の所謂進歩主義、その抽象牲に劃して充分批判的役割を果してゐた。けだ
ズ白批判を進めよう
斑はアジアの進歩を全面的に否定する態度の中に現れでゐる。それ放に五口々はと白鞘を手がかりとしてジヨオン
の特色であり又東洋枇舎の分析に際して用ひ
ιれた歴史的方法については批判の徐地があるのであって、その一
A の経済問中
た優秀在却論等に於て、営時の自由貿易主義白英園経消息?を断然膝しゐるととは疑を容れない。た W殺
ジヨオンズが経済阜の諸範時について持つでゐた鋭い歴史的、枇合的感受、特に東洋枇曾の分析に闘して示し
東洋枇舎論に於ける歴史主義の限界
索せしめるが如昔性格はアジアの民裁には殆んE存し友い。 L
を明かにナゐととは出来友 h。併しその帰来が過去や現在白ものと本質的に異るであらろやう友時代にういて思
りと白可能性軒認め攻かった。従うてジヨオンズはアジア白進歩については全く悲観的であった。﹁杏々は帰来司
民を解放して歴史的進歩のイエむヤテイプをとる可能性をも考へてゐた。併し彼はアジ T の専制君主に閲する限
回
ヨオンズの問題外である。﹁他の諸園民の未来は何時かは吾々の現在の様に去るだらう。 恐ら︿さうたるかも知
J
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1
5
)
四
れない。諌言と云ふも白は大躍なものである。併し五口々が未来に針していだ︿関心は如何に大きくても、要する
に 第 三 次 的 の も り で し か あ り 待 な い 。 過 去 の 一 歴 史 を 説 明 L否闘や他の同の現在の欣態を明かにする粧消率
的研究己そ苦々にとって数訓的である。﹂
斯様に現在から過去へ Oみ眼をふりむける歴史主義よりE んな結果が出て来るか。第一にイギりス的経済構成
を 以 て 最 高 と 注 す 所 以 は 、 建 れ た 諸 民 族 に 将 来 到 法 す べ き 理 想 を 示 す よ b も、むしろ現在に於ける英国的段階の
優越を一不すためである。ジヨオンズの﹁歴史﹂は諸民族をそれL¥の現在白地位に束縛して動か友い。共は十九世
的世界秩序に於ける民族のレベルの相遣とその聞に於ける支配関係との是認であり、結局はイギリスの世界制覇
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の是一認でもあらう。第二にジヨオ Vズの歴史主義はアジアの未来性心みではたく、イギ F ス自身のそれをも問は
yズ的方法を以て市
五
'
7
) 堀経夫著、経済串史要論、第三分珊。
ない。彼にとっては十九世紀の英岡的経済構成己そ政想的のもりであり、地主、資本家、労働者の利保は永久に
調和すべきものである。ジヨオンズの方法の批判的意義にも拘ら宇、彼が英国的経消構成白高みに安住してゐる
JVヨオ
黙では他の英国経消閥単と同様である。事賞紋は例へば地代白﹁歴史しに於てリカルドを批判したけれ Eも、地代の
﹁現論﹂に於てはリカルドのそれと本質的に具ったものでは友いと云はれてゐる。私が
民経済問哨内部氏於ける白己反省の担と云ったのは共賦を指したむである。
以上の校友限界を持つジヨオンズの歴史主義的経済撃は動きつ hあるアジアを把握するととは出来友かった。
続
田,
ιた上下の段階白閲係を保つ℃ゐるのではなくて、欧洲
告
存
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6
) Jon
ヨーロッパ的経済構成 lr73ア的経済構成とは互に同定
は7 0 ?に働きかけアジアはとの働きかけを通じて共経消構成白内部に深刻な鑓化を起とした。特にジヨオンズ
の所謂暦↓史的静一展の動耐たZ産業資木共は英国的経済構成の中植をたず産業資本と敵針関係にある紡績工業i
億五十二巻
」
の成長によって、アジ 7的経済構成は共内部から崩壊し、同時にアジアに針するヨーロッパ的支配閲係も動揺し
英園経済串に於ける東時世舎の盟諭
五
英園経済畢に於ける買梓世舎の理論
第五十二巻
一二六
Yズ 経 済 撃 の み の 快 陥 で は な ︿
銃
め
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了ム己とをしなh っ た と し た ら 、 現 在 と 過 去 と の 匝 別 が 消 滅 す る と 言 つ で も 敢 へ て 訣 り で は な く 、 又 バ ラ ド ッ ク
について何程かり趨切な観念主持ち、殊に吾々が漠然と東洋と呼んでゐると白大なる而も未聞白領域を省略して
ないでゐる世界人類。せまい概念から或程度吾々自身彰一解放しもーとすれば、又人類枇舎の現象白成大さと多様さ
例へば彼は村簿共同開に閲する研究の中で斯う一去ってゐる。﹁最も文明化し売一枇舎や偉大た思想家でも抜け切ら
あらう。殊にメ l yが 停 滞 的 剃 舎 の 型 と し て ア ジ ア に 注 目 す る 時 、 と の 事 寅 は い よ / ¥ 確 定 的 と た る の で あ る
反 動 で も あ ら う 。 而 て 又 此 庭K 吾々はジヨオ Yズ経済摩 D正統派経済問申に劃ナる関係と同様左ものを鷲見ずるで
い人は恐らく己の研究に成功しないであ
ιう。﹂斯様な見解は恐らく時計蒙主義的法律事の進主主義に封ずる一種の
律﹂の巾で次の様に一吉ム。﹁人類白停滞的献態が原則であうず一、進歩的欣態は例外であるととをはっきり理解し友
(
官
。REZEE22)以仲に庚大注﹁停滞的枇曾﹂ (uZEE4524)が存症する事貨を指濁したものだ。彼は﹁古代法
をさへずられてゐる法律皐者や法律技師に謝して批判的態度をとり、ヨ1ロツバに見られる様友﹁進歩的批合﹂
最高法刷聞を務め、印度古代法の研究に従事した。元来彼の歴史法撃はヨーロッパ的、市民的法律制度に限界
共 は か の ヘ ン リ I ・メ1Vの歴史訟撃である。 メ1 Yは周知の様に十九世紀の中葉数年間印度政府恥参事院の
すために全く別の方向から一つ白例をあげて見たい。
て、十九世紀に於ける歴史的方法在るも白一般に共通た、殆んどヨ 1 ロツバ的とも云へる限界であ勺たととを示
てゐるのである。 。ョオンズは斯様た事貨を看過したロ 併しとれは狽りジヨオ
第
スでもないととがわかるだらう。﹂﹁現在と過去との匝別が消滅する﹂とはメ1Vの意義に解岬押すれば、現在の中に
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過去の遺制が多分に残存してゐると云ム己とであり、又ヨ l ロ?バ的見地かちすれば既に過去と在った制品目、殊
に東洋的批舎が現在の世界秩序の中に存在すると云ム意味である。
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. Maine,Aucient La
w. p
. 20.
Maine, Village COlnmunity i
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.tanu West.p. 7
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)
六
斯様なメ1Vの法律曲学批判が更に常時の英国経済皐批判にまで進んでゐる事貫主知る時、五口々は康く十九世紀
の歴史主義的思潮の中に於ける法律皐と経済皐と全一父流関係を忠はざるを得ない白である。併しメーンの粧品開準
ι 一致するけれ Eも、共は印昨止の村落共同憾の部識に基礎づけられてゐる献で
批判は根本的にジヨオンズ的方向
は、専制的支配闘係にのみ注目したジヨオンズよりも一歩進んでゐる。ととるでメ 1 ンの批判の内容は要約すれ
ばかうである。印度に現存じてゐる村落共同隈若しくは共遺制によって、現代の商品縦、耐と矛盾する様な慣習で
規制せられた経済生活の相常大たる領域がかつて存在し又現に存在してゐる己とを賞詮することが向来る。従つ
て近代粧品川撃に於ける自由た市刊朝、競争促格、利己的人間等の前提は賓に狭院な三 1 ロツ司ハ的偏見に基くもりに
過ぎない。東洋組合の認識を根燐とするてのメ 1 vの経消息午批判は示唆的であり、又正しいものを含んでゐる。
例しメ 1 ン白歴史主義的批判の待遇忙はジヨオンズと同紘な限界が合まれてゐることを忘れては投ら紅い。
th
安歯すると考へるのである。従ってメ
メ 1 yの批判は経済観乃至法律事忙共通友白然法的、非歴史的態度に向けられたピけである。反針に彼は共同
的
世曾が分解した後に発生して来る市民枇舎に於て経済問申D法則がそ白ま
lvJの歴史観は﹁身分から契約へ﹂ (FEEREEPE204 と云ふ定式に現はされる様在世界資本主義化の認識以
上に出るものでは左く、己白貼忙於て結局市民的法律問字、粧品何皐と一致する白である。メ 1 vはとの委展の定式
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主ヨ l ロヴパの影響をうけで動きつ Lあるアジアに泊刑した。共は或限界内に於ては正しかったし、又アジ 7を 町
就
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全く同定したもの左見台ジヨオ Yズよりも一歩出てゐたム﹂言へょう。併し﹁身分から契約へ Lの定式は﹁共同枇合 aA
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から利盆枇合へ﹂のそれと同級に、十九世紀から廿世紀へかけて様々の稜展方向を祖合的に現し始めた東洋祉舎
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第五十二巻
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事
を具閥的に把握するととは向来危い。それは恰もジヨオンズの方法が十八世紀から十九世紀へかけての東洋の動
h かったのと同様でめる
きをとちへるととが出来 な
英岡経済畢に於け唱。東芹社舎の理論
七
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