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「アメージング・グレース」はどこから来たのか(布留川 正博)
幸せを探して 2 「アメージング・ グレース」 は どこから来たのか 作詞は奴隷貿易船の元船長 アメージング・グレース(何と甘美なる響き) 道ならぬ私を救ってくださった。 かつて迷えし者が、今見出され、 闇を出でて、光の中にいる。 これはご存じのように、あの有名な「アメージング・ グレース」の一節です。日本で、アメリカで、あるいは 世界中で親しまれているこの歌の作詞者が 18 世紀イギ リスの奴隷貿易船の元船長であったことは、あまり知ら れていません。 布留川 正博 Masahiro Furugawa [研究テーマ] 産業革命期イギリスの 奴隷貿易・奴隷制の廃止 彼の名は、ジョン・ニュートン(1725 ~ 1807 年) 。 ニュートンは 20 歳ごろから奴隷貿易船の船員として大 西洋を航海し、25 歳の時に初めて奴隷船の船長として リヴァプール(*1)を出発し、西アフリカのシエラ・レ オネから西インドのアンティグア島に奴隷を運んでいま す。その後、奴隷貿易の仕事をやめ、リヴァプールの税 関職員となり、38 歳の時に英国国教会の教区牧師にな りました。 「アメージング・グレース」が収められてい る『オウルニィの讃美歌集』が出版されたのは、彼が 54 歳(1779 年)の時です。 奴隷貿易廃止運動への道 当時イギリスはヨーロッパ最大の奴隷貿易国でした。 毎年 2 万~ 3 万人もの奴隷を、アフリカからカリブ海 諸島を含む南北アメリカ各地に運んでいました。奴隷は、 砂糖、コーヒー、綿花、タバコなどのプランテーション の労働力として、なくてはならないものでした。また奴 隷貿易はイギリス・アフリカ・南北アメリカを結ぶ、い わゆる大西洋三角貿易の中で莫大な利益をイギリスにも たらしました。奴隷貿易で得られた利益が産業革命のた めの資金になったとする説もあります。ところで、18 世紀後半におけるイギリス最大の奴隷貿易港はリヴァプ *1 【リヴァプール】18 ~ 19 世紀を中心に貿易港として栄えた、イギリス北 西部の都市。2004 年にはユネスコの世界遺産に登録。ビートルズの生ま れ故郷としても有名。今や世界的指揮者となったサー・サイモン・ラトル の出身地でもある。 ールでした。ニュートンはまさにこの港を拠点にして、 奴隷貿易活動に従事していたのでした。 しかし同時にこのころから、イギリスでは奴隷貿易に 反対する人々が結集し始めていました。ジョン・ニュー トンは、奴隷貿易から足を洗ってのちに、この流れの中 に身を置きました。奴隷貿易船の船長という立場から、 奴隷貿易に反対する陣営に加わったのです。この間の長 期にわたる悩みや苦しみの経験、その中から光明を見出 す精神の流れが「アメージング・グレース」となったの です。 この過程で、のちにイギリス議会で奴隷貿易廃止法案 を提出することになるウィリアム・ウィルバーフォース と知り合いました。1787 年にはロンドンに奴隷貿易廃 止委員会が結成され、奴隷貿易廃止キャンペーンが全国 的な規模で展開されました。ロンドン、マンチェスター、 ヨーク、シェフィールド、バーミンガム、エジンバラな ど各地で、廃止のための議会請願運動が行われました。 奴隷労働に基づく西インド産砂糖に対するボイコット運 動も起こりました。こうした大衆運動を背景に、議会で はウィルバーフォースをはじめとする奴隷貿易反対派議 員たちが、廃止法案を通過させるための活動を執拗に展 開しました。その結果、1807 年 3 月 25 日に奴隷貿易 廃止法は制定されたのでした。 「アメージング・グレース」はどこから来たのか それでも現代、奴隷は存在する 2007 年は奴隷貿易廃止 200 周年を記念する年とな りました。ブレア前首相は 2006 年 11 月に「(奴隷制 を)深く恥じる」と遺憾の意を表明しました。2007 年 3 月にはウィルバーフォースの生誕地ハルからロンドン までの約 400 キロを歩く「鎖の行進」が敢行されました。 そのほかロンドンの大英博物館や自然史博物館、ブリス トル、バーミンガム、ボールトンなどの博物館でも記念 の展示がなされ、イギリス全土で奴隷貿易とその廃止の 記憶を再生する取り組みが行われました。 しかし、奴隷取引や奴隷制が地球上から姿を消したわ けではありません。ロンドンに本部を置く Anti-Slavery International(*2)は、世界には現在少なくとも 1200 万人の奴隷が存在すると推計しています。タイ、モーリ タニア、ブラジル、パキスタン、インドなど世界中で奴 隷の存在が確認されています。その中心は女性や子ども たちです。私たちは 200 年前の歴史的過去の出来事を 想起するとともに、現代の貧困が生み出す奴隷の存在に も目を向けなければなりません。 参考文献:ジョン・ニ-ュトン著・中澤幸夫編訳(2006) 『「ア メージング・グレース」物語』彩流社、ケビン・ベイルズ著・ 大和田英子訳(2002) 『グローバル経済と現代奴隷制』凱風社。 *2 【Anti-Slavery International】国際反奴隷協会。1839 年に設立された、 世界最古の国際的な人権機関。 http://www.antislavery.org/