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学習メモ
日本史 テレビ学習メモ 第6回 学習のねらい 第1章 古代国家の形成と貴族文化の誕生 平安京の時代 今回学ぶのは主に奈良時代の末から平 安時代の初めにかけての約 40 年間です。 794 年に都が平安京に移されました。都 の造営は国にとって大きな財政負担とな ります。それでも遷都が行われたのはな 監修・講師 ぜでしょうか? またこの時代は律令制 渡辺晃宏 の建て直しと、東北地方への支配の拡大 が進みました。それはどのように行われ 調べておこう・覚えておこう か げ ゆ し かん む きゃく く す こ 勘解由使/桓武天皇/格/薬子の変/ くろう ど の と う け び い し こんでい さ が 蔵人頭/検非違使/健児/嵯峨天皇/ さかのうえの た む ら ま ろ しき な が お か きょう へ い あ ん きょう りょう げ の か ん 坂上田村麻呂/式/長岡京/平安京/令外官 要❖其の壱 たのでしょうか? 平安京が「千年の 都」として歩み始めた時代の日本社会の 変化を見つめます。 平安遷都と政治改革 奈良時代は鎮護国家の思想のもと、平城京にはたくさんの寺院が建立された。そして寺院勢力 ▼ は徐々に政治に強い影響力を持つようになっていった。781 年に即位した が遷 都を決断した背景には、新しい政治を行うには寺院勢力の強い奈良を離れるべきだと考えたこと があったのである。都はまず が断念され、改めて へ移されたが、洪水に見舞われたことなどから完成 へと移された。 桓武天皇は同時にさまざまな政治改革も進めていった。 このころになると 6 年ごとの班田が難しくなっていた。そこで班田を 12 年ごととすることで 励行しようとした(後に 6 年ごとに戻された)。また、当時は諸国にある国府に地方官として国 司が一定の任期で派遣されていたが、交替の際に官物(米などの税)の在庫量を巡る不正や紛争 が相次いでいた。そこで桓武天皇は引継ぎのための文書である解由状を審査する をおいて国司に対する監督を厳しくした。桓武天皇はそのほかにも公民からの徴兵制や軍団を廃 止して の制を設けるなどの改革も行い、律令制の建て直しを進めていった。 − 13 − 高校講座・学習メモ 日本史 要 其の弐 ❖ 平安京の時代 えみし 蝦夷との戦い 都の造営を進める一方、桓武天皇は蝦夷との戦いを行い、律令制の支配拡大にも取り組ん だ。蝦夷とは当時東北地方において律令の支配に従わずにいた人々のことである。桓武天皇は を征夷大将軍に任じて平定にあたらせた。田村麻呂は蝦夷の族長アテルイを降伏 させるなどして軍を北上させていった。その際に現在の岩手県に築いた胆沢城(奥州市)や志波 城(盛岡市)は軍事拠点であるとともに税の取り立てを行う行政拠点という面も持っていた。蝦 夷の人々はこうして徐々に律令国家に組み込まれていったのである。 蝦夷との戦いと都の造営を同時に進めることは国家財政や民衆にとって大きな負担であった。 そこで桓武天皇は臣下にその是非を論じさせ(徳政論争)、そのうえで二大事業を打ち切った。 要❖其の参 桓武天皇の改革は を機に きゃくしき 律令から格式へ に引き継がれた。嵯峨天皇は 810 年の「 」 くろう を置いた。蔵人頭とは天皇のそばに仕え、機密の文書などを扱う役所、蔵 ど どころ 人所の長である。また平安京内の治安維持のために も新たに設置した。桓武天皇 が設置した勘解由使なども含め、こうした令の規定にない官職は とよばれ、令を ▼ 補うものとして重要な役割を果たすようになった。 律令の規定を修正・補足するための や、施行上の細則である が 次々に定められ、律令は格式によって運営されるようになっていった。 − 14 − 高校講座・学習メモ