Comments
Description
Transcript
WIJC1407013神様が分からなくなる時
2014 年7月13日 13日 聖書: 聖書:詩篇139 詩篇139篇 139篇1-24節 24節 タイトル: タイトル:「神様が 神様が分からなくなるとき」 からなくなるとき」 序 論 ●私が日本に 日本に行く一ヶ月前も 月前も、また先週 また先週も 先週も、復習のようにして 復習のようにして、 のようにして、神様からのメッセージとしてご 神様からのメッセージとしてご一緒 からのメッセージとしてご一緒に 一緒に 学んだことは、「 んだことは、「礼拝 、「礼拝」 礼拝」についてであった。 についてであった。 ●「礼拝」 礼拝」とは、 とは、一週間の 一週間の初め、日曜日に 日曜日に守る 1 時間、 時間、2 時間の 時間の「集会」 集会」のことではない。 のことではない。それ以上 それ以上のこと 以上のこと である。 である。クリスチャンにとって「 クリスチャンにとって「礼拝」 礼拝」とは、生活であり 生活であり、 であり、人生であることを 人生であることを学 であることを学んだ。 んだ。 ●今日はその 今日はその締 はその締めくくりの学 めくくりの学びとして、 びとして、リック・ウォーレン(RW) リック・ウォーレン(RW)の (RW)の「Purpose Driven Life( 人生の 人生の5 つの目的 つの目的) 目的)」の Day14「 Day14「神が遠く感じられた時 じられた時」をベースにメッセージを取 をベースにメッセージを取り次ぎたい。 ぎたい。 ●RW は言う。「最 。「最も深いレベルの礼拝 いレベルの礼拝とは 礼拝とは、 とは、痛みの中 みの中にあるにもかかわらず神 にあるにもかかわらず神を賛美することです 賛美することです」 することです」と。 ●彼は、このテーマに関 このテーマに関して、 して、更にフィリップ・ヤンシーの言葉 にフィリップ・ヤンシーの言葉、「 言葉、「どのような 、「どのような関係 どのような関係にも 関係にも、 にも、親密な 親密な時期 と距離を 距離を感じる時期 じる時期があります 時期があります。 があります。神との関係 との関係においても 関係においても、 においても、それがどれほど親密 それがどれほど親密なものであっても 親密なものであっても、 なものであっても、振 り子はこちら側 はこちら側から向 から向こう側 こう側へと振 へと振れていくものなのです」 れていくものなのです」を引用した 引用した後 した後、 ●「この距離 この距離を 距離を感じる時期 じる時期というのが 時期というのが、 というのが、礼拝することが 礼拝することが難 することが難しく感じられる時 じられる時なのです」 なのです」とコメントする。 とコメントする。 ●今日は 今日は、詩篇139 詩篇139篇 139篇を通して、 して、このことに関 このことに関する神様 する神様からのメッセージを 神様からのメッセージを頂 からのメッセージを頂きたい。 きたい。 本 論 Ⅰ.神様に対する信仰を持つとは、神様、また神様がなさっていることを、私たちがすべて理解し、「分かる」という ことを必ずしも意味していない、という事実、真理である。 A. 言い換えるなら、それは、今日のテーマである「神様が分からなくなる」という状況は、 1.改まって特別 まって特別なことではなく 特別なことではなく、 なことではなく、極めて普通 めて普通のこと 普通のことである のことである。 である。 2.それゆえ、 それゆえ、今そのことを経験 そのことを経験している 経験している方々 している方々に 方々に、「自分だけが 自分だけが何 だけが何でこんな人生 でこんな人生にな 人生になるのか になるのか、 るのか、神 様がしていることが分 がしていることが分からない」 からない」と思って失望 って失望して 失望して頂 して頂きなくない。 きなくない。 B. 今日のテキストである詩篇139篇からもそれは明らかである。 1.17― 17―18節 18節:「神 :「神よ。あなたのみ思 あなたのみ思いを知 いを知るのは、 るのは、なんと難 なんと難しいことでしょう」 しいことでしょう」と明言する 明言する。 する。 2.1-16節 16節を見ると、 ると、そこには何 そこには何もかもを知 もかもを知っておられる神様 っておられる神様のことが 神様のことが幾度 のことが幾度も 幾度も幾度も 幾度も記され ている。 ている。 (1)1-6節:神様は 神様は私たちの一挙一動 たちの一挙一動を 一挙一動を知っておられる (2)7 (2)7-12節 12節:私たちがどのような状況 たちがどのような状況にあっても 状況にあっても、 にあっても、神様はそこにおられて 神様はそこにおられて、 はそこにおられて、私たちに関 たちに関 して First Hand の知識を 知識を持っておられる っておられる。 (3)13 (3)13- 13-16節 16節:神様は 神様は、そもそも私 そもそも私たちを造 たちを造られたお方 られたお方。それゆえ、 それゆえ、創造者としての 創造者としての完 としての完 璧な知識を 知識を持っておられる。 っておられる。 3.このように神様 このように神様は 神様は私たちのすべてを知 たちのすべてを知っておられる。 っておられる。しかし、 しかし、私たちは、 たちは、常識的に 常識的に考えても、 えても、 神様のなさっておられることのすべてを 神様のなさっておられることのすべてを知 のなさっておられることのすべてを知ることは到底 ることは到底できない 到底できない。 できない。 (1)それは (1)それは、 それは、当然のことである 当然のことである。 のことである。創造者、 創造者、世界と 世界と歴史の 歴史の支配者なる 支配者なる神様 なる神様にとって 神様にとって、 にとって、被造物で 被造物で ある私 ある私たちのことを理解 たちのことを理解するのは 理解するのは極 するのは極めて自然 めて自然なことであるが 自然なことであるが、 なことであるが、その逆 その逆は、数値的に 数値的に言っ てもあまりにも てもあまりにも astronomical 天文学的な 天文学的ななことであり、 なことであり、不可能なことである。 なことである。 (2)後 (2)後にもう一度 にもう一度ふれることであるが、「 れることであるが、「知 、「知らないこと」「 らないこと」「分 」「分からない」 からない」ことは、 ことは、知的存在者で ある人間 ある人間にとって 人間にとっては にとっては、確かに不安であり、 であり、恐怖である。 である。それは否めない事実である。 である。 (3)しかしそれは (3)しかしそれは決して「 して「危険」を意味しない。 しない。それは丁度こどもが周囲に起こっていること が何を意味しているか分 しているか分からないときでも、 からないときでも、大切なことは彼 なことは彼らを守 らを守るべき親 るべき親たちが、 たちが、そ の事情を把握していることである。 していることである。それが子 それが子供達の安全を意味しているのと同様である。 である。 C. 「神様がなぜそのようなことをなさるのか分からない」という事実と経験は、聖書が幾度も、明確に記して いることであり、多くのクリスチャンたちが、人生の現実の中で経験していることである。 1.その典型的例は何としても「 としても「ヨブ」である。 である。ただに聖書 ただに聖書が 聖書が客観的な描写としてヨブを正しい人 しい人 であったと記 であったと記すだけでなく、 すだけでなく、神様ご 神様ご自身が彼の正しさを悪魔に対して誇ったほどであった ったほどであった。 であった。 (1)その (1)その彼 その彼が、理由の分からない、 からない、しかも、 しかも、普通でない 普通でない苦しみを受けたのである。 けたのである。 1 (2)正しい人 しい人、信仰を励んでいた人 んでいた人が、財産を失い、事業を失い、家を失い、子供を失い、 最後には 最後には、 には、自らの健康と妻のサポートをさえ失 ートをさえ失う。これ以上 これ以上の 以上の不条理はない。 はない。 (3)そのために (3)そのために、 そのために、彼を信じていた友人たちでさえ、 たちでさえ、次第に彼を疑うようになる。「 うようになる。「何 。「何か隠され た罪や悪があるのではないか?」と。 2.ジェームス・ドブソンが、「 ンが、「W 、「When God doesn t make sense(邦訳:苦難のときにも) のときにも)」と いう本 いう本を書いた。 いた。その冒頭でも、 でも、彼はいくつかの私 はいくつかの私たちには理解 たちには理解できない 理解できない苦難を通った 人々の 人々の事例を挙げている。 ている。例えば、 (1)チャック・フ (1)チャック・フライという青年:熱心なクリスチャンで、 なクリスチャンで、高校をほとんどトップで卒業し、 大学に進み、難関を 難関を突破し医学部に合格。在学中に 学中に、この医学の知識と 知識と技術を高収入を 得て、自らを楽しませる人生に 人生に使うのでなく、 うのでなく、海外の恵まれない人々 まれない人々のために 人々のために使うべく 用いるように神様 いるように神様に 神様に導かれていると確信し始め、準備さえ始めていた。 めていた。その矢先に体の 不調を覚え、調べた結果、白血病と判明。そして、 そして、それからわずか数 それからわずか数ヶ月後に 月後に、その短 い生涯を終えて天 えて天に帰りました。 りました。ドブソンは問いかける: いかける: ●毎年何千という医学生が 学生が母校を巣立ち、医者としての道を歩みだす。 みだす。中には感 には感心でき ない動 ない動機で医学を目指す者もいる中 もいる中で、このような高貴な志をもった人物 をもった人物がな 人物がなぜ死な なければならなかったのか? ●どうせ死ぬなら、 なら、なぜ、ここまで希望を持たしたのか? なぜ、宣教のビジョンまで 彼に与えたのか えたのか? などなど。 などなど。 (2)ナビゲーターという有名な国際的クリスチャン団体の主幹を務めたホワイト博士の息子 は、報道関係の 関係の就職先を探していた数 していた数ヶ月の間、タクシーの運転手のアルバイトをして いたとき、「 いたとき、「そのとき 、「そのときやってきた運転手ならば誰でもよかった」 でもよかった」という犯罪歴の多い麻薬 中毒者に無差別殺人として撃ち殺された。 された。 (3)竜巻がテキサス州のダラスを襲った。 った。その竜巻は、こともあろうに、 うに、周囲のどの建物に も損害を与えず、 えず、ただ、 ただ、教会を襲い、破壊したのである。 したのである。普通は 普通は逆の証しを期 しを期待するで あろう。 3.たくさんの たくさんの危難・危険・苦難から守 から守られることも多くの人々 くの人々の 人々の経験であると 経験であると共に、今列挙し たことも、 たことも、また多くの人々 くの人々、 人々、クリスチャンの クリスチャンの経験である 経験である。 である。それゆえ聖書 それゆえ聖書はこのように 聖書はこのように言 はこのように言う。 (1)Ⅰコリント 10 章 13 節:「あなた :「あなた方 あなた方のあった試練はみな人 はみな人の知らないようなものではあ りません」(新改訳)、「あなた 、「あなた方 あなた方のあった試練で、世の常でないものはない」 でないものはない」(口語訳) (2)すなわち (2)すなわち、「 すなわち、「あなただけではない 、「あなただけではない。 あなただけではない。みなが経験 みなが経験していることである 経験していることである」 していることである」というのである。 というのである。 (3)へ (3)へブル人への手紙の著者も、その 11 章、特にその後 にその後半で、信仰のために戦い、試練と 苦難を経験し 経験し、殉教にまでいたった多くの人々 くの人々のことを 人々のことを列挙したのち、 したのち、12 章 1 節で言 う。「こういうわけで 。「こういうわけで、 こういうわけで、このように多くの証人たちが、 たちが、雲のように私 のように私たちを取 たちを取り巻いてい るのですから、 るのですから、私たちも一 たちも一切の重荷とまとわりつく罪とを捨てて、 てて、私たちの前 たちの前に置かれ ている競争を忍耐をもって走り続けようではありませんか」 んか」と言う。 (4)すなわち (4)すなわち、 すなわち、このような経験 このような経験をしているクリスチャンが 経験をしているクリスチャンが多く、雲のように私 のように私たちを囲んで 証人として声援を送っているというのである。 っているというのである。 それでは、 それでは、私たちが、「 たちが、「神様 、「神様が 神様が分からなくなった」 からなくなった」という状況 という状況に 状況に陥った時 った時、どのようにすれば良いのか? ’ Ⅱ.それでは、私たちが、「神様が分からなくなった」という状況に陥った時、どのようにすれば良いのか? A. まず第一に神様に対する「信頼」である 1.それは、 それは、第一に神様が 神様が、私のすべてを知 のすべてを知っていてくださるという「 っていてくださるという「神の知識への 知識への信頼」である。 である。 (1)カウンセリングでも言 でも言われることであるが、 われることであるが、誰か信頼している人 している人に、自分のことを 自分のことを知 のことを知っ てもらうことそれ自 てもらうことそれ自体が、悩んでいる人 んでいる人の重荷を軽くするという。 くするという。 (2)世界 (2)世界で 世界で最も信頼できる方 できる方、Wonderful Counselor( ounselor(不思議な助言者) 言者) と呼ばれる方 れる方に、 ●私のすべて、 のすべて、悩み、苦しみ、 しみ、痛み、 ●誰にも言 にも言えないこと、 えないこと、誰にも分 にも分かってもらえないことを話し知ってもらっている事実 (3)詩篇 (3)詩篇 1 篇 6 節でも、「 でも、「まことに 、「まことに主は正しい者 しい者の道を知っておられる」 っておられる」とある。 とある。 2 (4)更 (4)更に、このお方 このお方の知識は 知識は知識では 知識では終わらないことを覚えることは重要である。 である。即ち、こ の知識は 知識は神様の 神様の「同情」を意味する。 する。 ●具体的には、 には、神様は 神様は、悲しんで泣いている私 いている私たちと一緒 たちと一緒に 一緒に泣いてくださるのである。 いてくださるのである。 ●イザヤ 63章 9 節:「彼 :「彼らが苦しむときには、 ときには、いつも主も苦しみ」。 しみ」。 (5)神の私たちについての知識 たちについての知識は 知識は更に、次のことに導く。 2.それは、 それは、第二に、神様が 神様が、今も、即ち、この苦難のど真ん中でも、 でも、私と共にいてくださると 言う「神の臨在への信頼」である。 である。 (1)7 (1)7-12節 12節をみるとき、 をみるとき、そこに対照的な言葉が 言葉が羅列されている。 されている。 ●天( heavens)とよみ eavens)とよみ(dept とよみ(depths) ●暗闇と光 ●昼と夜 即ち、人生の 人生の人生の 人生の順境のときも、 のときも、逆境のときも主が共におられると言 におられると言う信頼である。 である。 (2)また (2)また、 また、そこには、 そこには、極限の状況を 状況を示す「海の果てに住んでも」 んでも」(on the far side of the sea) 言葉もある 言葉もある。 もある。即ち、どんな極 どんな極限状況にあっても 状況にあっても主が共におられると におられると言 れると言う信頼である。 である。 (3)人 (3)人は苦難のときに、 のときに、孤独を感じ、誰かが共にいてくれることを必要とする。 とする。それは正に、 創世記の 創世記の初めに神様 めに神様が 神様が言われたように「 われたように「人が一人でいるのは 一人でいるのは良くない」 くない」と言われたとおり である。 である。 (4)しかし (4)しかし、 しかし、この地上においては死による別離 による別離から 別離から始まり、 まり、その他さまざまな理 まな理由から人 から人の 中にはそれを完璧 にはそれを完璧に 完璧に求めることはできない。 めることはできない。 (5)私たちには究極的に 極的に共にいてくださる神 にいてくださる神が必要である。 である。それがイムマヌエルなる神 ルなる神主イ エス様である。 である。 3.それは、 それは、第三に、「神様のご 神様のご真実な思い、慮り(おもんぱかり) かり)、ご計画への信頼」である。 である。 (1)詩篇 (1)詩篇 139 篇17節 17節「あなたのみ思 あなたのみ思い(thoughts)を ts)を知ることは何 ることは何と難しいことでしょう。 しいことでしょう。 その総計は何と多いことでしょう」。 いことでしょう」。 (2)神様 (2)神様はただに 神様はただに私 はただに私たちのことを知的 たちのことを知的に 知的に知っているだけではない。 っているだけではない。ただに私 ただに私たちのそばにい るだけではない。 るだけではない。 (3)神様 (3)神様は 神様は、私たちのために、 たちのために、私たちの過去と現状を知った上 った上で、これからのことを真剣に 慮り、考えていてくださるのである。 えていてくださるのである。 (4)それらのみ (4)それらのみ思 それらのみ思いが、 いが、計り知ることができないほど、 ることができないほど、豊かで、 かで、深いものであることをこの 詩篇の 詩篇の筆者は知っていた。 っていた。 (5)私たちは、 たちは、その神 その神さまの愛と真実から生 から生まれた、 れた、また天 また天地の、そして私 そして私たちの創造者 たちの創造者な 創造者な る神としての完璧 としての完璧な 完璧な思い、ご配慮、ご計画に信頼することが重要である。 である。 (6)一人の 一人の大学教授が、小さい子 さい子供二人を残して、 して、病気一つしたことのない妻に、突然先立 たれたとき、 たれたとき、たくさんの周囲の人々の 人々の励ましの言葉 ましの言葉に 言葉に勝って、 って、彼を支えたものは、 えたものは、自分 と子供達、勿論天に帰った妻も含めて、 めて、すべての人々 すべての人々に 人々に対する「 する「神様の 神様の真実な思いへの信 頼」以外のなにものでもなかったと のなにものでもなかったと証しした。 しした。 最後に短く、もう一つ私たちのするべきことは、 B.自らの人生における価値観の確認である。 1.価値観の変換こそが、 こそが、クリスチャンになったことクリスチャンであることの クリスチャンになったことクリスチャンであることの大きな証である。 である。 2.ここで詩篇 ここで詩篇139 詩篇139篇 139篇の著者が確認している価値観は二つである。 つである。 (1)第一は、20-22節 22節に記されていることである。 されていることである。 ●それは、 それは、いつも神 いつも神の側に立つことである。 つことである。自分の 自分の側に神を立たせるのではなく。 るのではなく。 ●神が愛するものを愛し、慕い求め、神が憎むものを憎み、嫌う価値観に生きること ●詩篇45 詩篇45篇 45篇の著者は 7 節で、それがまた喜びの人生 びの人生の 人生の秘訣だとも言 だとも言った。「 った。「あなたは 。「あなたは義 を愛し、悪を憎んだ。 んだ。それゆえ、 それゆえ、神よ。あなたの神 あなたの神は喜びの油をあなたのともがらにま して、 して、あなたに注がれた がれた」と。 (2)第二は、24 節に記されている価値観である。 である。「私をとこしえの道に導いてください」。 いてください」。 ●それは、「 それは、「永遠」という価値観である。 である。 ●結局のところクリスチャンとは、「 クリスチャンとは、「永遠」を目指して生 して生きる存在である。 である。 3 ●聖書が 聖書が繰り返し主張していることは、 していることは、私たちが御子を信じるときに与えられるものは 「永遠の命」であるという事実である。 である。 ●今回日本に 日本に行ってしみじみ ってしみじみ感 しみじみ感じたことは、 じたことは、今日本が 今日本が、「健康志向」一色だと言 だと言うことで ある。 ある。毎朝の TV 番組はどれも、 どれも、毎日のように健康に関するテーマの特集 するテーマの特集である 特集である。 である。 ●すばらしいことである。 らしいことである。私自身そのお陰で、こちらでもすでにそうであったが、 こちらでもすでにそうであったが、お医 者様方も 者様方も含めて皆様からの応援とご配 とご配慮によって、 によって、ずいぶん健康人生になったと 人生になったと感 になったと感じる。 じる。 ●ありがたいと感 ありがたいと感謝している。 している。長生きと健康は神様の 神様の願いであり、 いであり、頂いた肉体の健康と 長寿を求めることは私 めることは私たちの神様 たちの神様の 神様の前の責任である。 である。 ●しかし、 しかし、同時に私たちがどんなにそのために配 たちがどんなにそのために配慮し、努力しても、 しても、私たちの地上の人 生は、モーセの時 ーセの時代に「人の人生は 人生は 70 年、長くても 80 年。結局人は飛ぶようにこの 世を去っていくのです」 っていくのです」と言われたように、 われたように、 ●今なら、 なら、80 年、長ければ 100 年というのだろうが、 うが、遅かれ、 かれ、早かれ、 かれ、否、突然にで も終わるのである。 わるのである。その身近な例として、 として、私たちは昨年チェレボア篤子姉を天に送った。 った。 ●この死という逃れることの れることのでき ことのできない できない人生 ない人生の 人生の現実とそのことに対する明 する明確な準備と永遠 に対する輝いた希望の確立なくして なくして、 して、本当のクリスチャン 本当のクリスチャン人生 のクリスチャン人生は 人生は無いことを忘れてはな れてはな らない。 らない。 ●この世 この世だけでなく、 だけでなく、死の向こう側 こう側に待つ永遠の命、永遠の世界と 世界と永遠の人生における 人生における 繁栄と輝きを計算に入れるとき、 れるとき、初めて私 めて私たちは、「 たちは、「神様 、「神様が 神様が見えなくなるような、 えなくなるような、神様 がしていることが分 がしていることが分からなくなるような人生 からなくなるような人生の 人生の苦悩のど真ん中でも、 でも、何かが見 かが見え始め、 神様がま 神様がまた がまた見え始め、クリスチャンとして生 クリスチャンとして生きて行 きて行くことができるのである。 くことができるのである。 結 論 ●今回の訪日で沖縄を訪問させていただいたが、 ていただいたが、私の人生における 人生における 2 回目の沖縄であった。 であった。前回は、日 本伝道会議が沖縄で開かれ、 かれ、その会 その会議で小さなご奉仕があったのが訪問の理由であったが、 であったが、そのとき のメイン講師が、エリザベス・エリオットであった。 ットであった。 ●彼女の夫ジム・エリオットは、 ットは、かつてエクアドルで現地人に惨殺された 5 人の宣教師 宣教師の一人であり 一人であり、 であり、 この事件はあまりに有名で、先年一般劇場でのハリウッド映画ともなった。 ともなった。言うまでもなく、 うまでもなく、ジムは 誰もが尊敬するクリ するクリスチャンであり クリスチャンであり、 スチャンであり、宣教師 宣教師であったが、 あったが、彼が、この地上ではなく、 ではなく、如何に「永遠」を 計算に入れて生 れて生きていた人物 きていた人物であったかを 人物であったかを示す彼の言葉を 言葉を最後に 最後に紹介して閉じたい。 じたい。 ●Jim Elliot: "He is no fool who gives what he cannot keep, to gain what he cannot lose."." 彼は言う。永遠に失うことのないものを得るために、 るために、永遠には保持できないものを神様 できないものを神様に 神様に与える人 える人は 決して愚かではない。 かではない。多くの人 くの人はこの逆 はこの逆である。 である。即ち、結局は無くなってしまうこの世 くなってしまうこの世のものを得る ために、 めに、永遠に残るものを失 るものを失っているのである。 っているのである。 ●永遠を目指して生 して生きるものでありたい。 きるものでありたい。 4