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ー9世紀グラスゴウ蒸気機関車製造業発展史

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ー9世紀グラスゴウ蒸気機関車製造業発展史
51
19世 紀 グ ラス ゴ ウ蒸 気 機 関 車 製 造 業 発 展 史
AHistoryofLocomotive-MakingIndustry
atGlasgowinthelater19thCentury
北
政 巳
MasamiKITA
コ ッ トラ ン ド工 場 地 帯 で あ り,そ の 中 心 が 「機
1は
じめ に
械 の 都 」(capitalofmechanics),「
イ ギ リ ス 産 業 資 本 主 義 は,1840年
代 に は 「世
界 の 工 場 」(workshopoftheworld)と
れ,イ
(secondcity,ロ
呼ば
ギ リス 資 本 主 義 経 済再 生 産 機 構 の 中 枢
機 械 諸 商 品 を 輸 出 し た.さ
son)が
ら に イ ギ リス の 中
で 「大 英 帝 国 の 工 場 」(Workshopofthe
図1銑
鉄 の 平 均 生 産 価 格(ト
源 は1828年
部 ス
表1ス
△4レ
'、
、
0幅
熱 熔 鉱 法(hot-blast)の
に 始 ま る2).そ
ン あ た り)
〈
、 、噸'0、
、
の ニ ー ル ス ン(J.B.Neil-
の 結 果,ス
年 平 均 値)(単
軌 道 に対
ーYギ リス平均
、
、
、
、
、
、
ス コ ッ トラ ン ド平 均
50
コ ッ ト ラ ン ド銑 鉄
コ ッ トラ ン ド銑 鉄 に 対 す る鉄 道 需 要
(1840∼1899,10ヵ
,、
ノ
す る需 要
車 両 に対
す る需 要
銑 鉄生 産 量
1850-9
25.3
5.5
815
1860-9
62.3
11.6
1,083
1870-9
86.3
24.2
1,022
::1
80.4
26.3
1,034
.'1・
91.4
32.8
5.5
shipinScotland'inM.C.Reed.Railwaysin
tishPigIronTrade,1830∼1843"inScottish
theVictorianEconomy,DavidandCharles,
/ouynalofPヒ}1露
1969,p.52.
ガoα1」Economy.1,1953,p.238.
トン)
..
Ironlndustry:AStudyoftheirReiation〔出 典 〕R.H.CampbeU,"lnvestmentintheScot-
位:千
1840-9
出 典)WrayVamplew,TheRailwaysandthe
1830323436384042年
実用 化 に よ り
石 が 大 量 に廉 価 な銑 鉄 生 産 を 可 能 と し た こ と
/\
100
のグ
ス コ ッ トラ ン ド 固 有 の 黒 帯(black-band)鉱
シ リ ング
150
あ っ た1)こ
ラ ス ゴ ウ や 西 部 ス コ ッ トラ ン ドの 工 業 発 展
の,淵
讃 え ら れ た の が,西
ン ド ン に 次 ぐ の 意)と 呼 ば れ
た グ ラ ス ゴ ウ(Glasgow)で
と な り 「世 界 の 七 つ の 海 」 を 制 覇 し て 綿 ・鉄 ・
BritishEmpire)と
第 二 の都 」
454
935
52季
は,ミ
刊
創
価
経
済
ドラ ン ズ の錬 鉄 や 南 ウ ェー ル ズ の 棒 鉄
論
集Vo1.XXII,No.4
そ こ で本 稿 で は,グ
ラス ゴウの蒸 気機 関 車
を 凌駕 し て 英 国 最 大 の 銑 鉄 輸 出 市 場 を形 成 し
製 造 ビ ジ ネ ス の 興 隆 発 展 と衰 退 の 歴 史 分 析 を
た3)一 方 グ ラ ス ゴ ウ で は,18世 紀 末 か ら,植
中心 に,当 時 の ス コ ッ トラ ン ド社 会 経 済 史 の
民 地 で の砂 糖 製 造 機 械 の 輸 出 に は じ ま る機 械
評 価 を試 み た い.
工 業 の 興 隆 が 見 られ た.そ れ が イ ン グ ラ ン ド
11蒸
気 機 関車 製造 の歴 史
に 比 べ 常 に 弱 小 劣 位 に あ っ た ス コ ッ トラ ン ド
重 工 業 を,イ
ギ リス 資 本 主 義 の 「
主 導役」
(leadingsector)と
グ ラ ス ゴ ウ に お け る蒸 気 機 関 車 製 造 ビ ジ ネ
ス は,1830年
させ て ゆ く.具 体 的 に は,
銑 鉄 生 産 か ら始 ま り,黄 銅 鋳 造,気
缶 製 造,
代 に数 多 くの 技 術 者 が 試 作 品 を
発 表 し た こ と に 始 ま る.本
水 利 ・海 事 機 関 エ ン ジ ニ ア リン グ,精 糖 ・線
年 に ニ ー ル ス ン(Neilson)一
維 ・工 作 機 械 工 業 の 発 展 へ と波 及 して ゆ く.
て か ら で あ る.3人
19世 紀 後 半 に鉄 工 業 と機 械 工 業 が 結 合 し た
格 化 し た の は1844
族 が企業 参 入 し
の グ ラス ゴウ実業 家 ウォ
ル タ ー ・ニ ー ル ス ン(WalterNeilson),ヘ
ン
最 先 端 ビ ジ ネ ス が,陸 上 の 蒸 気 機 関 車 製 造 で
リー ・ダ ツ ブ ス(HenryDubs),ジ
あ る.「 機 械 の 都 」の グ ラ ス ゴ ウ は,1890年
り一 ド(JamesReid)が,蒸
気機 関車 製 造業
に,同 市 ス プ リ ン グ バ ー ン(Springburn)地
を リー ド し,1903年
合 併 して 北 ブ リ
区 を 中 心 に 全 イ ギ リ ス の2/3以
テ ィ ッ シ ュ 蒸 気 機 関 車 会 社(NorthBritish
代
上 を製 造
し,世 界 各 地 へ 輸 出 した4).
に は3社
表IIイ
LocomotiveCo)を
ェイム ス ・
作 り,ヨmッ
パ最 大 の
ギ リ ス 主 要 製 鉄 地 域 製 造 量(1720∼1852)
(単 位:ト
年次
合 計
ダ ー ビー
ハ ンプ シ
シ ュ ロブ
シヤー
ヤー
シ ヤー
北 スタ フ
南 スタフ
オ ー ドー
オー ドー
シ ォ ー
ン〉
グ ラ ム,
サ セ ック
北ウェー
ヨー ク シ
ス コ ッ ト ノ ーサ ム
ス
ルズ
ヤー
ラン ド
シ ャー
"
一
ハ ー フ ン
南ウェー
ルズ
ド
1720
25,000
ユ788
68,300
1796
2,100
1,7001,000
1,400
400
1,400
4,500
24,900
4,5002,400
300
400
5,100
7,000
12,500
125,080
9,656
32,970
1,95913,211
173
!,144
10,398
16,086
34,101
1806
243,851
9,074
54,966
50,002
2,981
27,646
22,840
71,107
1823
455,166
14,038
57,923
133,590
13,100
27,311
24,500
2,379
182,325
1830
677,417
17,999
73,418
25,000
28,926
37,500
5,327
277,643
1839 1,248,781
34,372
80,940
18,200346,213
33,800
52,416
196,560
13,000
453,880
1840 1,396,400
31,000
82,750
20,500407,150
26,500
5s,000
241,000
505,040
1843 1,215,350
25,750
76,200
21,750300,250
19,750
42,000
238,550
457,350
X847 1,999,608
95,160
88,400
65,520320,320
16,120
159,000
539,968
706,680
120,000
90,000725,000
30,000
劇
775,000
1852 2,701,000
550
一
1,350
一
一
211,604
〔資 料 〕B.R.Mitchell.AbstractofBritishHistoricalStatisticsp.131.
.
4,850
145,000
666,000
May1993北
政 巳:19世
紀 グラス ゴ ウ蒸 気機 関車 製 造 業 発展 史
機 関 車 製 造 工 場 と な る5).
Neilson)と
ウ ォ ル タ ー ・ニ ー ル ス ン は1819年
ゴ ウ に 生 れ た .彼
に グ ラス
が 蒸 気 機 関 車 製 造 を開 始 し
ミ ッ チ ェ ル(JamesMitchell)が
開 業 し た 工 場 で あ っ た.1838年
述 の熱風 溶鉱 法発 明者 の父 が 出
Foundry)で
資 し,1836年
に 従 兄 弟 ウ ィ リ ア ム(William
に 上 述 の2人
コ ッ トラ ン ド地 域 か ら の 銑 鉄 輪 出
工場
の 「徒 弟 奉 公 」 を 終 え た .1840年
が 会 社 を去
(StewartKerr)氏
り,父
と キ ア
が 「蒸 気 機 関 製 造 目 的 で 特
に エ デ ィ ン バ ラ=グ
〔単 位;千
頃 に,同
所 属 の セ ン ト ・ロ レ ッ ク ス 鋳 造 所(StRollox
た 工 場 は,先
図IIス
53
ラス ゴウの 問の コウ レア
トン 〕
28
傾 斜 線 の 牽 引用 エ ン ジ ン製 造 を企 画 した時
に,彼
26
は 機 関 車 製 造 業 へ の 進 出 を決 意 し た .
し か し会 社 は 赤 字 を 続 け 危 機 に 瀕 し,1843年,
国 内 諸地域 へ
24
彼 が24歳
kwood)に
!
22
の 時 に 弁 護 士 カ ー ク ウ ッ ド(Kir勧 め ら れ て 連 鎖 破 産 を避 け る た め
i
に 自 立 化 し た.一
i
i
時 ミ ッ チ ェ ル が リバ プ ー ル
20
か ら戻 り,再
ノノ
合 弁 した ニ ー ル ス ン ・ミ ッ チ ェ
i
1諸 外 国 へ
18
!A、
1
!
!
!
!
12
ー ル ス ン 社(Neilson&
、
ノ
Co,)と
、、
、
、'
'
i
14
に な っ た が,1855
年 に は 再 独 立 し,ニ
'
16
ル(Neilson&Mitchell)社
!
、1
'v
な っ た.
彼 が蒸 気 機 関車 製造 ビジネ スで成 功す るた
!
め に は2つ
!
ノ
の 大 き な 問 題 が あ っ た.蒸
気機 関
車 製 造 技 術 の 一 層 の 開 発 と製 品 を 販 売 出 来 る
10
市 場 の 問 題 で あ っ た.双
方 ともイ ン グラ ン ド
企 業 に 独 占 さ れ て い た.
1846474849505152年
そ の 間,同
社 は1852年
に ハ バ ナ(Havana)
〔資 料 〕B.Poole,StatisticsofCommerce,p.49;
の ジ ュ リ ア ン ・デ ・ズ ル ス ト ラ(Juliande
citedby,A.Birch,TheEconomicHistory
ofBritishIronandSteelIndustry,Frank
Zulustra)鉄
道 に 最 初 の 蒸 気 機 関 車 を輸 出 し
CassCo.1967.p.172p.236.
表m蒸
気機 関 車運 転 費 用比 較(1886年 前 半期)
脚
エ ンジン
会
社
名
り の
走 行 マ イル
蒸 気
機関車
機 関車数 汽 車走 行
毎 の収 入
運
蒸
気
当
マ イ ル
L.&N.W.R.
2323
7848
Midland
NorthEastern
1750
9324
1506
7371
Caledonian
690
8777
NorthBritish
591
1aX84
G.&S.W.R.
291
..
転
コス ト
5s14d
4s44d
4s104d
4s64d
4s24d
4s64d
蒸 気 機
関 車
修 理 ・更 新 費 用
エ ンジ ン当 り
マ イル 当 り
費 用
収
入
%
5.44d
£849s
9d
2,584
12.98
5.05d
£8515s
4d
2.21d
::
5.81d
4d
4.35d
17.74
4.52d
£950s
6d
2.60d
13.12
4.51d
£684s
11d
1.61d
12.09
4.26d
£763s
6d
2,074
11.5fi
出 典)C.Highet,ScottishLocomotiveHistory,1831-1923.GeorgeAllen&Unwin.1970.p.146
£13212s
54季
た.既
刊
創
価
に 確 立 して い た キ ュ ー バ へ の 製 糖 機 械
輸 出 の 関 係 で の 注 文 で あ っ た6).1854年
にカ
ナ ダ の ノ バ ・ス コ シ ア(NovaScotia)鉄
1859年
道,
に イ ン ドか ら の 最 初 の 注 文 が 届 い た.
「イ ン グ ラ ン ド人 は 唯 一 人 も 雇 用 し な
い.全
製 品 は ス コ ッ ト ラ ン ド地 域 内 で 調 達 ・
製 造 す る 」 を 掲 げ て,各
作 し た.彼
種 多様 な 諸 機 関 を制
ッ ク(Peakok)社
ー コ
ド主 義 者 」 と 言 え よ う.ダ
ン グ ラ ン ド市 場 に も,ま
そ の 結 果1844-1862年
フ ィ ニ ィ エ ス ト ン 工 場 で429台
を 製 造 し,68台
の蒸 気 機 関 車
を 海 外 へ 輸 出 し た.ロ
博 覧 会 を 契 機 に,同
ラ リ ア,オ
ー一ス ト リア,ボ
ル ギ ー,
ラ ン ス,ギ
リ シ ャ,
ー デ シ ア,ロ
ス ペ イ ン,ス
ー ダ ン,ス
ィー ド
リー ノ ッ ク
Co)工
ス チ ュ ア ー ト(Sharp,Stewart)社
ャー プ ・
へ 入 っ た.
ニ ー ル ス ン は 第 二 の 課 題 克 服 の た め,ド
イ
ル エ ー,ポ
ア フ リ カ,
ウ ェ ー デ ン,ト
ルコ
資 者 を募 り
グ ラ ス ゴ ウ 南 の ク ィ ー ン ズ ・パ ー ク 近 く ポ ル
や ケ ア ー ド(Caird)社
ン チ ェ ス タ ー へ 移 動 し,シ
シ ア,南
営 権 を め ぐ る 紛 争 か ら 退 社 し,出
マ デ ィ(Polmadie)に
ィ ー ドは ダ ッ ブ ス 氏 の 入 社 に
ー リ シ ャ ス,
ー ル ス ン と の 製 造 技 術 ・経
の ス コ ッ ト ・シ ン ク レ ア(Scott,Sinclair)社
鉄 技術 専 門
本,モ
に 輸 出 さ れ た9).
ダ ッ ブ ス は,ニ
れ で キ ル マ ー ノ ッ ク鋳 造 所 で 徒 弟
ース ト
ツ ア ナ,ベ
ル トガ ル,ロ
ッ ブ ス の 雇 用 は,
で 働 き,鋳
ン ドン
社 製 品 評 価 は 高 ま り,同
ュ ー ジ ー ラ ン ド,ノ
maurs)生
よ り,マ
ー ル ス ンは
ナ タ ー ル,ニ
エ ア シ ア の キ ル マ ウ ル ス(Kill-
家 で あ っ た,リ
の 間,ニ
「反 イ ン グ ラ ン
の 間,グ
た 輸 出船
積 み の 港 町 フ ィ ニ ィ エ ス ト ン(Finnieston)に
タ リ ア,日
は,1823年
一1851年
位 置 し,イ
オ ラ ン ダ,イ
解 雇 に つ な が っ た.リ
奉 公 し,1847年
プ リン グバー ンは 両 工 場 の 中間 に
雇 用 し た,
前 任 職 工 長 で 蒸 気 機 関 制 作 経 験 の な い リィ ー
ド(J.Reid)の
っ た8).ス
ン マ ー ク,フ
リ ィ ・ダ ッ ブ ス(HenryDubs)7)を
確には
集Vo1.XXII,No.4
ベ ン ガ ル,デ
を 解 雇 さ れ た ドイ ツ 人 ヘ ン
とす る と 彼 自 身 は,正
論
社 蒸 気 機 関 車 が エ ジ プ トに 始 ま り,オ
は 第 一 の 課 題 克 服 の た め,1857年,
マ ン チ ェ ス タ ー の バ イ ヤ ー(Bayer),ピ
済
も近 か っ た.
ニ ー ル ス ン は 熱 烈 な ス コ ッ トラ ン ド民 族 主
義者で
経
ダ ッ ブ ス 社(Dubs&
場 を 設 立 し た.彼
は マ ン チ ェ ス ター の
ウ ィ ズ ワ ー ス(Withworth)社
入 し,1864年
か ら 設備 を購
に 最 初 の 蒸 気 機 関 車 を 製 造 し た.
ダ ッ ブ ス は,ニ
ー ル ス ン社 の 製 図 主 任 技 師
グ ッ ダ ル ー コ ペ ス タ イ ク(S.G.Goodall-
ツ 人 で イ ン グ ラ ン ド ・世 界 各 地 の 鉄 道 業 に 精
Copestake)を
通 し て い る ダ ッ ブ ス 氏 を 介 し て,遠
つ い て も前 社 で 培 っ た 信 用 を 利 用 し た.1866
距離 地方
か ら の 注 文 の 拡 大 を 計 っ た.
そ こ で ニ ー ル ス ン は,事
年 に は,ト
業 拡大 の ため に グ
引 き 抜 い た の を は じ め,顧 客 に
ル コ の オ ッ トー マ ン 鉄 道 や イ ン ド
の 東 イ ン ド鉄 道 に 蒸 気 機 関 車 を 販 売 し た.同
ラ ス ゴ ウ 北 方 の ス フ.リ ン グ バ ー ン(Spring-
社 に 注 目 さ れ る の は,1866年1月
burn)村
女 性 を 登 用 し,そ
に 工 場 を 設 立 し た.同
村 には既 に
1841年 設 立 の コ ウ レ ア ズ(Cowlairs)工
場,
1856年 設 立 の セ ン ト ・ ロ レ ッ ク ス 工 場 が あ っ
た.前
者 は エ デ ィ ン バ ラ=グ
ラ ス ゴ ウ鉄 道 会
社,後
者 は カ レ ドニ ア ン鉄 道 会 社 の 所 有 で あ
に 製 図工 に
の 後 各 社 で も女 性 雇 用 を 定
着 さ せ て い っ た こ と で あ る10).
ダ ッ ブ ス は1876年
に 逝 去 し た が,同
社 は
1864年 か ら パ ー トナ ー の ロ ー リマ(W.Lorimer)の
指 揮 下 で 発 展 し,1903年
の合 併 時 の
May1993北
政 巳: 19世 紀 グ ラス ゴ ウ蒸 気機 関車 製 造 業 発展 史
ノ ー ス ・ブ リ テ ィ ッ シ ュ 蒸 気 機 関 車 会 社 出 発
(NorthBritish)蒸
時 に は,2423人
は,同
を雇 用 し英 国 全 体 で 二 番 目 の
会 社 と な っ て い た.ま
はmリ
た新 会 社 の 初 代 会 長 に
ニ ー ル ス ン は,1870・80年
で 生 活 し た が,1884年
代 の大半 を海外
に は ク ラ イ ド蒸 気 機 関
車 会 社(ClydeLocomotiveCo)を
ノ・イ ド ・
気機 関車 会社 の発起 時 に
社 は マ ン チ ェ ス タ ー の バ イ ヤ ー
(Beyer),ピ
い,英
マ が 就 任 し た.
55
ー コ ッ ク(Peakok)よ
国 第 三 位 の1737人
り も大 き
の労 働 者 を雇 用 して
い た.
1903年
に,3社
ニ ー ル ス ン ・レ イ ド(Neil-
sonReid)社,ダ
ッ ブ ス(Dubs)社,シ
パ ー ク工 場 の鉄 道 線 路 を 隔 て た 反 対 側 に 設 立
プ ・ス チ ュ ア ー ト(Sharp,Stewart)社
し た が,経
併 し,ノ
の2年
営 は 厳 し く1886-87年
間,23台
の営 業 当初
の蒸気 機 関車 を製造 しただ け
で あ っ た.う
ち6台
が 輸 出 さ れ,1台
ト ン(Eglinton)工
場 へ,5台
エ グ リ
者7570人
会 社 へ 輸 出 さ れ た.
関 車 製 造 業 か ら の 干 渉 が 始 ま っ た.シ
ャー
プ ・ス チ ュ ア ー ト(Sharp,Stewart)社
は,
以 来,同
を 雇 用 し,年 間600台
社 は,労
1904-09年
際 に は蒸気
の573台
に す ぎ ず,
の 間 は 年 平 均529.5台,1909年
400台,1910年
は300台
働
以上 の蒸気機 関
車 を 製 造 で き る 筈 で あ っ た が,実
機 関 車 生 産 の 最 高 は1905年
再 び イ ン グ ラ ン ドの マ ン チ ェ ス タ ー 蒸 気 機
1834年
社 とな り英 国 ・ヨー ロ ッパ 最 大 の 蒸 気 機 関 車
製 造 会 社 最 大 の 工 場 と な っ た.同
が ブ ラ ジル 鉄 道
が合
ー ス ・ブ リ テ ィ ッ シ ュ 蒸 気 機 関 車 会
が スペ
イ ン の サ ン タ ン ダ ー ル(Santander)の
ャー
は
以 下 に 凋 落 し た.
製 造 台 数 の 激 減 は,製 造 費 用 の 割 高 を 生 み,
社 ア トラ ス(Atlas)工
場 で蒸
気 機 関 車 製 造 ビ ジ ネ ス を 発 展 し,工
場 が 手狭
次 世 界 大 戦 の 勃 発 が 逆 に 窮 状 を 救 い,膨
大な
と な り事 業 拡 大 用 地 を 探 し た が,営
業 不振 の
蒸 気 機 関 車 や 軍 需 品 の 注 文 を 受 け た.戦
後の
ク ラ イ ド蒸 気 機 関 車 会 社 に 着 目 し た.さ
らに
経 営 は 著 し い 不 振 に 陥 っ た が,1914年
世 界 経 済 復 興 期 の 需 要 は,1920年
ス コ ッ トラ ン ドの 低 賃 金 労 働 も魅 力 的 で あ っ
達 し,蒸
た11と1888年
衰 退 期 は 急 激 に 到 来 し,1922年
に,ニ ー ル ス ン は ク ラ イ ド蒸 気 機
気 機 関 車307台
に ピー ク に
を 製 造 し た.し
か し
に は97台 に 激
関 車 会 社 を シ ャ ー プ ・ス チ ュ ア ー ト社 に 売 却
減 し た.1927年
し,同
紙 』 に 「同 社 売 り希 望 広 告 」 を 出 す 程 で あ っ
社 は そ れ を マ ンチ ェ ス ター に ち な ん で
ア ト ラ ス 工 場 と改 名 し た.シ
ア ー ト社 は,1834-88年
代 に,計3442台
ャ ー プ ・ス チ ュ
のマ ンチ ェス ター時
の 蒸 気 機 関 車 を 製 造 し,う
ち
2275台
を 輸 出 し た12)新
は,本
来 ブ ラ ジ ル政 府 か らニ ー ル ス ン社 に 注
文 さ れ たE6型
設備 の ア トラ ス 工 場
蒸 気 機 関 車 を代 わ っ て 受 け,
には
の第一
『グ ラ ス ゴ ウ ・ヘ ラ ル ド
た13).
し か し な が ら1939年
に は,第
二 次世 界大戦
の 勃 発 に よ る 軍 需 ブ ー ム に よ っ て,再
品 の 特 注 を 受 け,同
び軍事
社 も救 済 さ れ た.戦
済 復 興 ブ ー ム の 影 響 も 受 け,1947年
後経
に 同社 会
長 ス チ ュ ア ー ト(FrederickC.Stewart)卿
完 成 させ る程,技 術 的 に 完 成 さ れ て い た.1888
は年 次 株 式 総 会 で
-1903年
の 製造 能 力 を背景
る 」と報 告 し て い る14).1948年
の 蒸 気 機 関 車 を製
方 で は ア メ リ カ の ジ ェ ネ ラ ル ・エ レ ク ト リ ッ
の間
,年 最 大150台
に,年 平 均110台
の 計1646台
造 し た.合 併 を 受 容 し ノ ー ス ・ブ リ テ ィ ッ シ ュ
ク(GeneralElectric)会
「世 界 市 場 で 競 合 し て ゆ け
に は,同
社 は一
社 と提 携 し て 電 気 ・
56季
刊
ジ ー ゼ ル 機 関 車 の 製 造 に 着 手 し,他
創
価
方では ノ
経
済
論
集Vol.XXII,No.4
過 去 の 信 頼 の 失 敗 が 響 い た と 思 う」 と 述 べ
ー ス ・ブ リ テ ィ シ ュ 蒸 気 機 関 車 ア フ リ カ 会 社
た16).海外 か ら の 注 文 も激 減 し,同 社 は破 産 の
部 を創 設 し ア トラ ス 工 場 で の 蒸 気 機 関 車 製 造
危 機 に 瀕 し た.1962年
を 再 開 し た.さ
ヘ ラ ル ド紙 』 は,「 カ ウ ト リ イ や リ ィ ー ス
らに 同 年 ロ シ ア や 中 国 向 け の
機 関 車 輸 出 の 道 を 開 き,結
局冷 戦 の勃 発 とチ
(Reith)卿
四 月 の 『グ ラ ス ゴ ウ ・
の よ う な最 も有 能 な2人 の ビ ジ ネ
ェ コ ス ロ バ キ ヤ 侵 略 ・ベ ル リ ン の 壁 に よ っ て
ス マ ン が 同社 経 営 委 員 会 に 入 り,内 外 の競 争
消 滅 し た が,各
会 社 に 対 抗 して,デ
々,1250台
と500台 の 注 文 が 予
ィー ゼ ル機 関 車 へ の 切 り
想 さ れ て い た.各 国 で の 機 関 車 輸 入 ブ ー ム は,
替 え を計 っ た が,労 働 者 が 蒸 気 機 関 車 生 産 に
続 い て い た が,他
固執 し,世 界 の 市 場 動 向 に 対 応 出 来 な か っ た 」
の ロ バ ー ト ・ス テ ィ ー ブ ン
ソ ン(RobertStephenson)&ホ
(Hawthorns)社,ピ
ウ ソ ン ズ
と評 し た17).
1962年4月19日
ー コ ッ ク(Peacock)社
に 公 式 に破 産 が 決 定 さ れ
に 比 し て ノ ー ス ・ブ リ テ ィ ッ シ ュ 会 社 の 経 営
た.そ
状 況 は 悪 く,1956年
に は再 び 赤 字 経 営 に 転 じ
中 心 とす る蒸 気 機 関 車 製 造 は,大 英 帝 国 時 代
た.1959年
国 交 通 委 員 会 か ら新 規 契
の 輝 け る歴 史 を象 徴 す る 「
研 究対 象 」 とな っ
に は,英
して グ ラ ス ゴ ウ とス プ リ ン グ バ ー ン を
約 に つ い て は 累 進 支 払 い を承 認 し な い との 通
た.英
告 を 受 け,窮
究 ・分 析 課 題 とな っ た の で あ る18).
状 は さ ら に 悪 化,政
府 ・銀 行 ・
社 員 か ら 多 額 の 借 金 をせ ざ る を え な か っ
た15).必
死 の 努 力 に も か か わ ら ず1960年
川
国で生 れ た 「
産 業 考 古 学 」 の恰 好 の 研
蒸気機関車製造 ビジネスの比較
に英
ノー ス ・ブ リテ ィ ッ シ ュ鉄 道 会 社 は,鉄 道
国 交 通 委 員 会 発 注 の デ ィ ー ゼ ル 機 関 車200台
の 仕 事 を 受 け る の 失 敗 し た.『 デ イ リー一・エ キ
時 代 の 発 生 か ら1960年 代 ま で に,あ
ス ポ レ ス 紙 』 に カ ウ ト リ イ(T.Coughtrie)
類 の 蒸 気 機 関 車 と鉄 道 諸 機 械 を生 産 した.例
会長は
え ば 南 ア メ リカ,ア
「私 は 委 貝 会 を 責 め る 気 持 ち は 無 い.
表IVイ
フ リカ,イ
らゆ る種
ン ドの 奥 地 へ
ギ リ ス 蒸 気 機 関 車 の 販 売 台 数,1860-89年
イギ リス
国 内鉄
道会 社
海外鉄
道会社
イン ド
ヨ ー ロ
帝 国 圏
ツ ノマ
中 央 ・南
ア メ リカ
その他
合 計
(イ
を除
ンド
く)
1,291
1,800
1,227
239
170
109
55
3,091
866
1,533
817
159
343
156
78
2,419
シャ ー プ ・スチ ュアー ト
:・
1,430
:!
732
31
164
X23
2,295
バ イヤ ー ・ピー コツク
918
1,708
60
870
451
250
78
2,627
608
928
439
158
150
136
46
1,536
・R .ス テ ィ ー フ ン ス
595
744
103
goo
210
100
131
1,339
・バ ル カン鋳 造 所
419
404
285
33
44
14
28
823
342
175
53
35
19
65
3
477
45
43
39
252
●ニ ー-/vス
ン
・ダ ツブ ス
キ ッソン
"
ホ ー ン ソン
ネ イス ミス ・ウ ィル ス ン
合
計
27
5,891
235
8,957
54
3,418
54
2.4$0
1,463
1,037
581
14,859
〔出典)角 山 栄 「世 界 資 本 主 義 形 成 の 論 理 的 構 造 」(河 野 健 二,飯 沼 次 郎 編 『世 界 資 本 主 義 の 歴 史構
造 』岩 波 書 店,1970年
所 収)132ペ
ー ジ所 引 。
・印 ス コ ッ トラ ン ド企 業
May1993北
政 巳: 19世 紀 グラス ゴウ蒸 気機 関車 製 造 業発 展 史
の 蒸 気 機 関 車 や 鉄 道 諸 機 械 の 販 売 は,本
国で
-2D-1-1)で
57
あ っ た .そ れ は 単 一 軌 道 車 で,
は 遭 遇 し な い 新 しい 諸 問 題 に 対 面 し,そ の解
そ の 両 側 に 直 径3フ
決 を求 め られ た.例
置 い て 走 る も の で あ っ た.
ル 幅 は4フ
えば英 国 内の鉄 道 の レー
ィー ト8.5イ ン チ で あ っ た が,海 外
で は 事 情 が 異 な っ て い た.そ
こ で イ ン ドの ダ
ィ ー ト9イ
グ ラ ス ゴ ウ に 移 動 し て か ら,シ
造 を 開 始 し た が,最
フ ィ ー ト鉄 路 に合 う蒸 気 機 関 車 を,イ ン ド各
(Mongyana)鉄
地 へ5フ
ダ ・レ ニ シ ュ(Dutch-Rhenish)鉄
ト ・中 国 へ は3フ
ィー ト6イ ン チ 車 幅 の 蒸 気
機 関 車 を輸 出 し た.さ
的,諸
フ リカ ・エ ジ プ
ら に 各 国 ・各 企 業 の 目
鉱 山 ・炭 田 や 砂 糖 プ ラ ン テ ー シ ョ ン等
ャ ー プ ・ス
チ ュ ア ー ト社 は 外 国 市 場 向 け の 蒸 気 機 関 車 製
ー ジ リン グ ・ヒマ ラ ヤ鉄 道 の 山岳 地 方 へ は2
ィー ト6イ ン チ,ア
ンチの動 輪 を
初 の輸 出 は モ ンヤ ナ
道 型(4-6-Os),オ
4-Os),合
ラン
道 型(4-
併 前 の採 集 とな っ た ブ ラ ジル の
レ オ ポ ル ドニ ア(Leopoldina)鉄
-0)で
道 型(2-8
あ っ た21).
の用 途 に 応 じ,ま た ス ピー ドや パ ワー の 異 な
る蒸 気 機 関 車 を作 る 必 要 が あ り,各 企 業 の
2)ニ
ー ル ス ン社
種 々 の 企 業 活 動 が み ら れ た.
同 社 は1836年
に ミ ッ チ ェ ル(Mitchell)&ニ
ー ル ス ン 社 と し て 発 起 さ れ,名
た 上,1898年
1)シ
ャ ー プ ・ス チ ュ ア ー ト社
1822年
に マ ン チ ェ ス タ ー で シ ャ ー プ
(Sharp),ロ
し,シ
バ ー ッ(Roberts)社
と して 出 発
ャ ー プ 兄 弟(SharpBrothers)社
て 最 終 的 に は1888年
を経
に グ ラ ス ゴ ウ に 移 転 し,
前 を数 回 変 え
に ニ ー ル ス ン(Neilson)・
ド(Reid)社
と な り,海
外 市 場 に 進 出 し た22).
特 殊 な 機 関 車 と し て1861年
に ロ シアへ供 給 し
た 「786型 」 と呼 ば れ た 鉄 レ ー ル 上 で は な く氷
面 上 を 走 る 直 径5メ
ー トル の
「鋼 鉄 ス パ イ ク
シ ャ ー プ ・ス チ ュ ア ー ト社 と な っ た19).蒸 気 機
動 輪 」 を も つ 蒸 気 機 関 車 が あ っ た.同
関 車 製 造 の 大 半 は,マ
関 車 は,郵
ン チ ェ ス ター 時 代 に生
蒸気 機
便 や 客 を 乗 せ て セ ン ト ・ピ ー タ ー
産 さ れ た.1837-1857年
の 間,『 シ ャ ー プ ・シ
ス ブ ル グ(St.Petersburg)=ク
ン グ ル(SharpSingle)』
と し て 知 ら れ,英
(Cronstad)を3台
国
レイ
ロン ス タ ド
の 客 車 を 牽 引 し て 走 っ た.
各 鉄 道 用 の 標 準 蒸 気 機 関 車(2-2-2s型)
同 社 が1862年
を約600台
ン チ の動 輪 を もつ
「2-2-2」
ラ
車 は,「 一 時 間70マ
イ ル で 走 れ る 汽 車 」を 求 め
ン
て い た エ ジ プ ト の サ イ ド ・パ シ ャ(Said
生 産 し た.動 輪 と シ リ ン ダ ー の 型 は
違 え ど も,そ
ン ス,イ
の 大 半 は 同 じ 構 造 で あ り,フ
タ リア,ス
マ ー ク,オ
ペ イ ン,ベ
ラ ン ダ,ド
ル ギ ー,デ
イ ツ,ロ
シ アへ 輸 出 さ
れ た20).合 併 し て ノ ー ス ・ブ リ テ ィ ッ シ ュ 蒸 気
機 関 車 会 社 と な っ た 当 初,同
う1つ
の 標 準 型 は,そ
さ れ たF級(0-6-0)で
社 が 生 産 した も
の 大 半 が イ ン ドへ 輸 出
の 市 街 電 車 用 の15台
1866年
型蒸 気機 関
に も 類 似 型2台
が 購二
ハ イ ド ・パ ー ク 工 場 は ニ ュ ー ジ ー ラ
ン ド政 府 鉄 道 に 「0-4-2T」
を,険
に リス ボ ン
て3フ
製 造 さ れ た 機 関 車(1-1
よ っ て,1865年
ィ ー ト2イ
入 さ れ た.
社 生産
あ っ た.同
の 変 わ っ た 蒸 気 機 関 車 は,1872年
Pasha)に
ロ ン ドン 博 で は8フ
し い リ ム タ カ(Rimutaka)傾
ィ ー ト6イ
型蒸 気機 関 車
斜用 とし
ン チ軌 道 車幅 で輸 出 し
た23).数 多 く の 機 関 車 を 輸 出 し た が,最 後 の 輸
58季
刊
出 は3フ
ィ ー ト6イ
ンチ幅 の
創
価
「4-8-0」
型
経
済
論
集Vol.XXII,No.4
ら 入 り,1904年3月
に 直 径4メ
30台 が 中 央 南 ア フ リ カ(CentralSouth
チの
African)鉄
標 準 で 製 作 さ れ た29).1903年
道 で あ っ た.
「4-6-0」
の 間,40種
3)ダ
ッブ社
同 社 は1863年
に設 立 され世 界 中へ大 量 の蒸
気 機 関 車 を 輸 出 し た が,特
い た24).例
え ば1880年
に耐久 性 に優 れ て
に オ ー ス トラ リア の ク
イ ー ン ズ ラ ン ド(Queensland)の
グ(Bundaberg)鉄
2T」2台
ブ ン ダベ ル
道 へ 輸 出 さ れ た 「2-4-
は1947,1950年
型5台
が 初 め て の メ ー トル
か ら1962年
界 市 場 で 認 め ら れ,ア
フ
リ カ の エ ジ プ ト,ゴ
ー ル ド ・ コ ー ス ト,ナ
タ
ール
,ナ
イ ジ ェ リ ア,ロ
ー デ シ ア,シ
レ オ ー ネ,ス
ー ダ ン,タ
ス バ ー ル,ウ
ガ ン ダ へ,南
ェラ ・
ン ガ ニ ー カ,ト
の最 大級 の 輸 出先 南 ア フ リ
カ 鉄 道 へ 送 ら れ た.政 府 以 外 の 民 間 会 社 に も,
「4-8-2T」
ツ イ フ ォ ン テ ン 炭 鉱(TweefonteinCol-
まで使用 され
た.
lieries),帝
に 中 国 へ 輸 出 され た 同 社 の
「平 和 特 急 号 」(SpeedyPeace),「
翔 号 」(FlyingVictory)は
業,ウ
社,
国 化 学(lmperialChemistry)産
ェ ス ト ・リ ー フ ズ(WestReefs)輸
開 発 会 社,イ
ー ス ト ・ラ ン ド(EastLand)土
「大 衆 か ら 祖 先 永
地 鉱 山 社,北
ア メ リ カ の カ ナ ダ 太 平 洋 鉄 道,
メ キ シ コ 国 有 鉄 道 へ 輸 出 し た30).南
廃 車 を 余 儀 な く さ れ た25).
大 陸 市 場 は,北
め に建 造 した
Aziz)は,ニ
に オ ッ トー マ ン 社 の た
「ア ブ ダ ル ・ア ジ ズ 号 」(Abdul
ー ル ス ン社 製 造 同様 に 田 園 地 方
で 活 躍 し た26).同
出
勝 利へ の飛
眠 の 地 を 侵 害 す る 火 車 」と し て 猛 反 対 を 受 け,
トル コ で は,1866年
社 か ら北 部 ア メ リカ を代 表
す る ボ ウ ル ド ウ ィ ン(Baldwin),ア
メ リカ蒸
気 機 関 車 会 社 等 に も 美 品 を 輸 出 し た26).ま
た
ア メ リカ
ア メ リカ鉄 道 企 業 の 独 占に 近
か っ た が,ヨ
ー ロ ッ パ で も 英 ・独 企 業 は 未 だ
対 抗 で き,ノ
ー ス ・ブ リ テ ィ ッ シ ュ 鉄 道 会 社
は,ア
ル ゼ ン チ ン の ブ エ ノ ス ア イ レ ス ・太 平
洋 鉄 道,ブ
エ ノ ス ア イ レ ス ・ ミ ッ ドラ ン ド鉄
道,ブ
エ ノ ス ア イ レ ス ・グ レ ー ト ・サ ウ ス 鉄
道,ア
ン ト レ ・ リ オ ス 鉄 道 へ,ブ
ラジル の レ
ヨ ー ロ ッパ 諸 会 社 が ア メ リ カ 企 業 と の コ ス ト
オ ポ ル ドニ ア 鉄 道,サ
ン パ ウ ロ 鉄 道,グ
競 争 に 相 対 的 に 劣 位 の 中,同
ト ・ウ ェ ス ト鉄 道,そ
の 他 チ リ,ボ
用 に1881年
に 直 径5フ
-4-Os」
型や
,合
社 は カナ ダ鉄 道
ィ ー ト3イ
ンチの
併 直 前 に 日本 へ3台
「4
を輸
出 し た28).
ペ ル ー,ウ
会 社,ベ
ー ス ・イ ギ リ ス 蒸 気 機 関 車 会 社
注 文 が,1903年
春 の イ ン ド鉄 道 の 子 会 社 の エ
ー ス ト ・ベ ン ガ ル(EasternBengal)鉄
道か
リ ビ ア,
ル グ ア イ 等 の 諸 企 業 へ 輸 出 し た31).
ン ガ ル(Bengal)・
道,ベ
鉄 道,ボ
ロ ー ダ(BombayBaroda)セ
ド鉄 道,ビ
ル マ 鉄 道,ビ
ッ タ 港 湾 委 員 会,セ
ナ グ プ ー ル
ン ガ ル 北 西 鉄 道,バ
ガ ー ル(Bhavnager)州
新 生 ノ ー ス ・イ ギ リ ス 鉄 道 会 社 へ の 最 初 の
レー
ア ジ ア で は 先 ず イ ン ドの ア ッ サ ム 鉄 道 通 商
(Nagpur)鉄
4)ノ
ラン
ア フ リカ の ケ ー プ
ア ン グ ロ ・ア メ リ カ(Anglo-America)会
し か し1886年
まで
同 社 製 の 名 声 は,世
年 代 に ア フ リ カ に 輸 出 さ れ た 「4-10-2T」,
型 機 関 車 は1980年
ン
類 以 上 の 蒸 気機 関 車 を 製 造 した .
政 府 鉄 道,約50台
ま で 使 わ れ,1880
ー トル9セ
ブナ
ン ベ イ.バ
ン ト ラ ル ・イ ン
ル マ 鉱 山 社,カ
イ ロ ン 鉄 道,ダ
ルカ
ー ジ リン ・
政 巳:19世 紀 グラ ス ゴウ蒸 気機 関車 製 造 業発 展 史
May1993北
ヒ マ ラ ヤ(DarjeelingHimalayan)鉄
ー ス ト ・イ ン ド鉄 道
(Peninsula)鉄
州 鉄 道,イ
hpur)・
,グ
道,ポ
ョ ツ プ ー ル(Jod・
シ ム ラ(Simla)鉄
ト ラ ス ト,マ
州 鉄 道,ロ
道,カ
ドラ ス 鉄 道,ニ
道,サ
ル カ
ラチ 港 湾
ザ ム(Nizam)
ヒ ル ク ン ド(Rohikund)・
(Kumanon)鉄
クマ オ ン
ウ ス ・イ ン ド鉄 道,ジ
ナ ガ ド(Junagad)州
nagar)・
道,カ
鉄 道,ジ
ダ ル ガ(Dwarka)鉄
局 用 に 輸 出 し た.中
カ ン 王(KingKan)鉄
道,帝
道,上
国 中 国 鉄 道,
海 北 鉄 道,上
ニ ン ポ ウ(NingPo)
鉄 道,天
プ コ オ(Pukow)鉄
イ ピ ン(Peiping)・
ing)鉄 道 へ 輸 出 さ れ た.そ
ン ・マ ル タ ン(SanMartin)鉄
bano)鉄
社,バ
道,タ
道,サ
ビ ル バ ノ(Bil-
ル シ ス(Tharses)硫
酸 ・銅 会
ス コ ・ア ス ト リア ノ(VascoAsturiano)
鉄 道 が 挙 げ ら れ る.他
の 諸 国 へ の 輸 出 は合 併
後 か な り減 少 し た が,未
だ ロ シ ア,ド
ベ ル ギ ー,オ
カン ジナ ビア諸 国へ
ラ ン ダ,ス
イ ツ,
の 輸 出 は 続 け ら れ て い た.
lV蒸
気機 関車 の 類型
1)フ
ェ ア リ ス(Fairlies)型
1831年3月
生 れ で,ク
イ ン ド ン(Swindon)で
海
ハ ン コ ウ(Hangchow)・
津(Tientsin)・
ペ イ ン政 府 鉄
ン ド倉 庫
国 へ も広 東(Cantoon)・
カオ ルー
一ン(Kowloon)鉄
道,ペ
ュ
ャ ム ナ ガ(Jamn道,イ
道,サ
道,ス
ン タ ン デ ー ル(Santander)・
ル バ ン デ ル(Porbander)
ビ カ ニ ル(Bikanir)鉄
(Kalka)・
テ イ ン ト(RioTinto)鉄
道,イ
レ ー ト ・イ ン ド半 島
ン ド諸 州 鉄 道,ジ
59
リュ ー(Crewe)と
ス
修 業 した ス コ ッ トラ ン
ドの 技 師 ロ バ ー ト ・フ ェ ア リ ィ(RobertF.
Fairlie)が,1864年
に 従 来 の 難 問 を解 決 し た
リ ヤ オ ニ ン(Liaon-
ボ イ ラー 二 基 装 備 の 蒸 気 機 関 車 特 許 を発 明 し
の 他,日
た が,コ
本,台
湾,
ス ト高 と 燃 料 ・水 を 小 量 し か 積 み 込
タ イ,マ レ イ シ ア へ 輸 出 し た22).オ ー ス ト ラ リ
め な い 欠 点 が あ っ た34).こ の 型 は,メ キ シ コ で
ア へ は,同 社 か ら シ ドニ ー 中 央 都 市 石 炭 会 社,
1903-1908年
ニ ュ ー ・サ ウ ス ・ウ ェ ー ル ズ 政 府 鉄 道,ク
を 輸 出 し た.1908年
ー ン ズ ラ ン ド政 府 鉄 道 ,サ
リ ア 政 府 鉄 道,ウ
ィ
ウ ス ・オ ー ス ト ラ
ェ ス ト ・オ ー ス トラ リ ア ・
ゴ ー ル ドフ ィ ー ル ド(Goldfields)供
給 会 社,
の 間 に 「0-6-6-Os」
車 を 送 っ た.ま
に は 一 層 協 力 化 した 機 関
た シ ャ ー プ ・ス チ ュ ア ー ト社
製 の フ ェ ア リ ス 型 機 関 車 が,ス
シ ア,ブ
1901年
(Millar'sKarri)・
社,ウ
キ シ コ鉄 道 に 販 売 さ れ た.フ
ィク ト
機 関 車 は,1870年
ェ ス ト ・オ ー ス ト ラ リ ア 政 府 鉄 道,ヴ
エ ー デ ン,ロ
ラ ジ ル に 輸 出 さ れ た.そ
ウ ェ ス ト ・オ ー ス ト ラ リ ア ・ ミ ラ ー ズ カ リ
ジ ャ ラ(Jarrah)会
型10台
の 間,ニ
の 他1883-
ー ル ス ン 社 製 の 同 型15台
か ら1915年
がメ
ェ ア リス 型 蒸 気
ま で 製 造 さ れ た.
リ ア 政 府 鉄 道 へ 蒸 気 機 関 車 が 輸 出 さ れ た.ま
た ニ ュ ー ジ ー ラ ン ドや タ ス マ ニ ア 鉄 道 に も 輸
2)マ
出 し た33).同 社 の ヨmッ
製 作 さ れ た マ レ ッ ツ 型 蒸 気 機 関 車 は,5000
ン ス,パ
レ ス テ ィ ナ,ポ
等 が 挙 げ ら れ,特
ス(Andalous)鉄
サ ウ ス 鉄 道,シ
パ で の 顧 客 は,フ
ル トガ ル,ス
ラ
ペイン
に スペ イ ンで はア ン ダウ ル
道,ス
ペ イ ン ・グ レ ー ト ・
ア ・ ミ ン ッ ラ ・シ エ ラ メ 不 フ
(CiaMineradeSierraMenera)鉱
山,リ
オ・
レ ッ ツ(Mallets)型
台 を 越 え,最
も成 功 を 収 め た 機 関 車 と さ れ る.
そ の 特 長 は エ ン ジ ン 後 方 に 動 輪 を 設 置 し,前
輪 の み が 軌 条 に 沿 っ て 変 化 で き る.ま
シ リ ン ダ ー は 低 圧 で 弱 力 で あ っ た が,次
た前 方
第に
改 良 さ れ て い っ た35>.ノ ー ス ・ブ リ テ ィ シ ュ 会
60季
刊
社 は,18台
た が,最
ペ キ ン(Pekin)・
コ ル ガ ン(Kolgan)鉄
で あ っ た.最
「0-6-6-0」
道か
後 の 注 文 は,1921年
済 論
・「2-6-6-2」
集
Vol.XXII,No.4
と し て1907か
良 フ ェ ラ リ ィ(ModefiedFairlies)
型
ベ イ ヤ ー ,ピ
ー コ ッ ク社 の ガ ラ ッ ツ 型 と の
市 場 競 争 に 勝 つ た め,ノ
ー ス ・ブ リ テ ィ シ ュ
型 が,
会 社 は 自 社 製 の 蒸 気 機 関 車 を 企 画 し,基
ア フ リカ
に は キ ッ ト ン=一 メ イ ヤ ー(Kitson-Meyer)蒸
ガ ン ダ 鉄 道 に 輸 出 さ れ た.マ
型 蒸 気 機 関 車 は,主
4)改
の
で あ っ た.
ス ペ イ ン の シ エ ラ ・メ ネ ラ 鉱 山,南
鉄 道,ウ
経
の帝 国 中国鉄 道 の
西 イ ン ド ・ポ ル トガ ル 鉄 道 の3台
また
価
にマ レ ッツ型蒸 気機 関車 を製作 し
初 の 注 文 は1908年
ら の3台
創
レ ッツ
ら1920年
ま
で 製 作 さ れ た.
気 機 関 車 と分 類 さ れ る 「改 良 フ ェ ラ リ ィ 」 型
を 製 作 し た.厳
密 に は ボ イ ラ ー1基
ェ ラ リ ィ で は な く,貯
ラ ッ ツ(Garratts)型
定 車輪 枠 なの
で ガ ラ ッ ツ 型 と も 異 な っ て い た37).3フ
マ ン チ ェ ス タ ー の ベ イ ヤ ー,ピ
ー コ ッ ク社
で 主 力 生 産 さ れ た ベ イ ヤ ー=ガ
ラ ッ ト
(Beyer-Garratt)蒸
気 機 関 車 は,略
ッ ツ 型 と 呼 ば れ,ほ
ぼ 独 占的 に 同社 で 製 造 さ
れ た.そ
なの で フ
水槽 が 運転 席 の後 に あ
る の で マ レ ッ ト型 で も な く,固
3)ガ
して ガ ラ
の 特 徴 は 二 基 の エ ン ジ ン と,主
要部
本的
ト6イ
ン チ の 動 輪 と4つ
シ リン ダ ー を持 つ
の14イ
「2-6-2」
ン チ23の 外 装
型 を1924年
サ ウ ス ・ア メ リ カ の 鉄 道 に 輸 出 し た.次
1925年4月
持 つ4基
に も3フ
ィ ー ト9イ
ィー
に
いで
ンチの動 輪 を
エ ン ジ ン の 蒸 気 機 関 車 を 輸 出 し た.
分 に 貯 水 タ ン ク 槽 と後 部 に 燃 料 槽 を 持 ち,ボ
しか し改 良 フ ェ ラ リ ィ型 蒸 気 機 関 車 の 製 造 は
イ ラ ー と機 関 車 運 転 席 は 旋 回 支 軸 で 連 結 さ
コ ス ト高 と修 理 難 か ら 短 命 に 終 わ り,第2次
れ,軌
条 の 動 き に 対 応 し 易 く安 定 性 が 高 か っ
世 界 大 戦 ま で に 結 局 ガ ラ ッ ツ型 に敗 北 した .
た.ボ
イ ラ ー は蒸 気 効 率 の 最 大 化 可 能 に 設 計
記 録 で は1947年2月
に サ ウ ス ・ア フ リカ 鉄 道
か ら4フ
ン チ の 動 輪 で 「2-8-4」
さ れ,ま
た 部 品 交 換 も 的 容 易 と さ れ た36).ノ ー
ス ・ブ リ テ ィ シ ュ 会 社 は,ガ
ラ ッ ツ 型 の3形
式 を 製 造 し た に す ぎ な い.1930年
ケ ニ ヤ(Kenya>・
に
た.し
・「2-8-4」
注 エ ン ジ ン に 「4-8-2」
に 輸 出 し た が,完
た.ガ
れ る.
,1956年
と 「2
と1958年
成 度 の 高 い もの で は な か っ
ラ ッ ツ 型 は1931年
5)圧
に 搬 入 さ れ た.
製 が 最 も代 表 的 と さ
縮 型 蒸 気 機 関 車(CondensingLoco-
motives)
イヤ
の 理 由 は サ ウ ス ・ア フ リ カ 鉄
型 の 動 輪 をつ け て
外 装 で1949年
型 を10台 輸 出 し
ー コ ッ ク も会 社 類 型 識 別 の勘 定 に は 入
道 会 社 へ,特
の 蒸 気 機 関 車 の 注 文 が 入 り,鋼 鉄 製 の
道
た 若 干 同 型 を 製 造 し た が,ベ
れ て い な い.そ
-8-4」
を
か し同 社 は 基 本 的 に は ガ ラ ッ ツ 型 を 軽
視 し た.ま
ー ,ピ
に 第1号
ウ ガ ン ダ(Uganda)鉄
「4-8-2」
型100台
ィ ー ト3イ
1951年
に サ ウ ス ・ア フ リ カ 鉄 道 会 社 は,新
型 の 「25NC」 を11台 注 文 し て き た.同
同 社 が さ ら に89台
件 は,ド
の
年 後 半,
の 追 加 注 文 を し た.そ
イ ツ ・ハ ン セ ル(Hernschel)社
の条
考案
「圧 縮 型 機 関 」 を 持 つ 機 関 車 で あ っ た.そ
れ は 水 か ら水 蒸 気 を つ く り機 関 を 回 転 さ せ た
後,再
び 圧 縮 化 し て 水 と な り再 利 用 す る 方 法
で,乾
燥 地 帯 を 走 り水 の 供 給 が 極 め て 難 し い
May1993北
南 ア フ リ カ の 大 地 に 向 い て い た38).そ
フ ィ ー ト動 輪 の
「II-8」
関 車 が,1953年10月
し て5
し か し な が ら,こ
の圧 縮 型蒸 気機
か ら1954年11月
の 間に南
ア フ リ カ へ 輸 出 さ れ た.
1962年4月19日
社 の顧 客 は キル マー ノ ックの
ア ン ド リ ュ ー ・バ ー ク レ イ(Andrewi.
ィ ー ゼ ル 機i関 車 と 電 気 機 関 車(Die-
た.同
selandElectricLocomotives)
機 関 車 市 場 も,蒸
れ らの 努 力 も水 泡 に 帰 し
に破 産 宣 告 をせ ざ る を余 儀 な
く さ れ た43).同
clay)父
6)デ
6z
政 巳: 19世 紀 グ ラス ゴウ蒸 気機 関 車 製 造業 発 展 史
子 社 に 引 き 継 が れ,工
社 工 場 跡 に,ス
プ リ ン グ ・バ ー ン 短 科
大(SpringburnCollege)が
気 力 か らデ ィー ゼ ル機 関
さ ら に 電 気 機 関 へ と移 る と,ノ
ー ス ・ブ リ テ
場 は閉 鎖 され
作 ら れ て い る.
ま た 同 社 の 貴 重 な 写 真 資 料 は1965年
リ ュ ー ・バ ー ク レ イ 社 か ら の 寄 贈 を 受 け,グ
ィ シュ会 社 は遅 れ ばせ なが ら市 場 に参 画 し
ラ ス ゴ ウ 在 の ミ ッ チ ェ ル(Mitchell)図
た39).特
保 管 さ れ た.同
に 電 気 機 関 は,ア
メ リカの ジ ェネ ラ
にア ン ド
時 に,合
書館に
併 前 の ニ ー ル ス ン 社,
ル ・エ レ ク ト リ ッ ク 社 や ブ ラ ッ シ ュ(Brush)
ダ ッ ブ ス 社,ク
社 が リー ド し て い た40).ノ ー ス ・ブ リ テ ィ シ ュ
プ ・ス チ ュ ア ー ト社 等 の 資 料 も 全 て 収 蔵 し,
社 は,特
歴 史 資料 の 中 で
許 を購 入 して 電 気 機 関 を製 造 し た が
注 文 が 極 め て 僅 か し か な く,ま
た鉱 山 用 の 小
型 デ ィ ー ゼ ル も 製 作 し た が,小
量 しか 販 売 出
の 理 由 は,技
ャー
『世 界 の 鉄 道 の 都 』 を残 す こ
と に な っ た44).
V結
来 な か っ た.そ
ラ イ ド蒸 気 機 関 車 社,シ
び にか えて一 交 通 輸 送 ・海 運 業 の 変 化
術 力 の点 で イギ
リ ス は ドイ ツ の 電 気 ・内 燃 機 関 技 術 か ら は 遥
19世 紀 中 葉 の 産 業 革 命 の 盛 期 に は,蒸 気 機
関 車 は旅 客 輸 送 の み な らず,荷 物 輸 送 で大 き
か に 遅 れ て い た の で あ る41).
ノ ー ス ・ブ リ テ ィ ッ シ ュ 会 社 は,ジ
ェネ ラ
く貢 献 した45).諸 工 場 か ら輸 出 船 舶 積 み こ み
ル ・エ レ ク ト リ ッ ク 社 か ら エ ン ジ ン を 購 入 し
の ドッ クへ,さ
て3台
の 電 気 機 関 車 を 作 り,最
地 へ の 輸 送 に,機 関 車 は 活 躍 し た.
3000ボ
ル トを 設 置 し た 「2-6-6-2s」
大 級 は4基
の
型 を
な 蒸 気 機 関 車 を 製 造 し た が,そ
上 のよう
の ビジネ スは
世 界 市 場 の 中 で 衰 微 を た ど り,挽
時 間 の 経 過 の 中 で,蒸 気 機 関 車 は大 型 化 す
る と問題 も複 雑 化 した.例
サ ウ ス ・ア フ リ カ へ 輸 出 し た42).
ノ ー ス ・ブ リ テ ィ ッ シ ュ 社 は,以
らに 輸 入 品 積 み 降 ろ し て 目 的
回策 と して
え蒸 気 機 関 車 が 諸
国 に 輸 出 され て も,受 容 先 の 国 で も諸 設備 不
足 か ら 問題 を複 雑 化 し て い た46).
ノー ス ・ブ リテ ィ ッ シ ュ会 社 も,工 場 内短
鋼 鉄 作 業 機 製 作 の ヘ ン リ ィ ・ペ ル ズ(Henry
距離 の 重 量 貨物 輸 送 の ため 特 注 の ブ レル
Pels)社,海
(Burell)製
運 業 や 蒸 気 機i関 車 用 製 造 の た め の
エ ン ジ ン を 設 置 し た 「ロバ ー ツ 卿
鋳 造 会 社 カ ー タ イ ン 鋼 鋳 造(CarntyneSteel
(LordRoberts)号
Castings)社
を製 造 し た47).前 者 は1897年 に2段 速 度 式 で
を 買 収 し た り,ア メ リ カ の オ ハ イ
オ 州 リ マ の ボ ウ ル ドウ ィ ン ・ リマ ・ハ ミ ル ト
製 作 さ れ,1903年
ン(Baldwin-Lima-Hamilton)社
ン ク(Mavisbank)の
ス 契 約 を し て 土 地 掘 削 機 械,農
作 業 機 械 の 製 造 を 目 指 し た.
とラ イ セ ン
作 業 機,特
種
」 ・「ク ラ イ ド(Clyde)号
」
に は 中 古 と して マ ヴ ィ ス バ
ケ ア(Kerr)社
に よっ
て 購 入 さ れ た.後 者 は バ レル 社 製 作 の 国 内 用
最 大 の エ ン ジ ン を持 ち 活 躍 し,1912年
には ウ
62季
刊
イ リ ァ ム ・ヶ ア(WilliamKerr)社
れ た.ト
レ イ ラ ー も1926年
間,36フ
創
価
に売却 さ
か ら1951年
ィ ー トの 高 低 を150ト
までの
ン荷 送 で き る グ
経
済
論
集Vo1.XXII,No.4
車 との 競 争 の 中 で,同 社 の ビ ジ ネ ス活 動 は 急
速 に 衰 微 し,短 い歴 史 を終 え る に 至 る.ノ ー
ス ・ブ リテ ィ ッ シ ュ 蒸 気 機 関 車 会 社 の 興 隆 ・
ラ ス ゴ ー の マ ク レ ラ ン(P.andW.McLel・
衰 亡 の 歴 史 は,そ
1an)社
ス コ ッ トラ ン ド鉄 工 業 を代 表 し た キ ャ ロ ン鉄
製 が 使 用 さ れ た が,そ
獣(LochNessMonster)」
レ ー ン も,1895年
レー ン を ス
Quay)に
れ は 「ネ ス 湖 怪
と呼1ま れ た48).ク
に130ト
ン移 動 可 能 な蒸 気 ク
ト ボ ク ロ ス 埠 頭(Stobcross
設 置 し,さ ら に1932年
に175ト
ン容 積
社 は海 外 市場
へ の 蒸 気 機 関 車 輸 出 を行 っ た .そ
え る が,ベ
歴 史 に似 て い
る50).
を代 表 す る企 業 に な りな が ら も,経 営 内 紛 か
ら衰 亡 して ゆ く.ま た 当 時 の 最 新 機 械 工 業 水
こ の よ う な 設 備 を も っ て,同
常,蒸
工 所(CarronIronwork)の
双 方 と も短 期 的 に は イ ギ リス ・ヨー ロ ッパ
の ク レ ー ン を 設 置 し た.
は,通
の 半 世 紀 前 の19世 紀 中 葉 の
準 を誇 りな が ら も,世 界 の 技 術 進 歩 に 対 応 で
の輸 送船 舶
き ず20・30年 後 に は 遥 か に 遅 れ て ゆ く結 果 と
気 機 関 車 を 載 せ る と不 格 好 に 見
な っ た。 経 営 者 自 身 の 消 極 的 経 営 ・経 営 合 理
ル 船 舶 を 用 い た.そ
の 最 初 は1924
化 へ の 緩 慢 ・市 場 動 向 の 認 識 不 足 ・労 働 者 の
年 建 造 の 比 較 的 小 型 の 「ベ ル デ ィ ス(Beldis)
旧弊 技 術 へ の 固 執 等 の 類 似 点 が 列 挙 で き
号 」で,全
ィ ー ト4イ
る51).し か し両 工 場 と も,技 術 移 転 ・
拡散 に果
ン船 重 量 で
た した 役 割 は 大 き く,歴 史 的 に 評 価 され よ う.
ン チ,船
2406ト
長294フ
深19フ
ィ ー ト船 幅45フ
ィ ー ト で3440ト
ン の 重 量 を 輸 送 可 能 で あ っ た.し
か し
な を本 研 究 に 関 連 し て,企 業 と銀 行 ・金 融
大 型船舶 で は入 れ ない よ うな港や 波 止場 に到
の 面 か らの 分 析,さ
着 で き,機
か ら の分 析 が 望 まれ るが,現 在 ま で に 公 に さ
関 車 輸 送 に 活 躍 し た.ベ
の 船 団 に は,大
型 の 「ベ ル レ イ(Belray)号
「ベ ル パ レ ル(Belparei1)号
」,
」,「 ベ ル フ リ
れ た 資 料 か ら は 不 可 能 な段 階 に あ る.い つ れ
鉄 道 を め ぐ り,国 際 的 視 野 か ら の 英 ・仏 ・
独 ・
」があ
日等 の 資 本 主 義 発 展 との 関 連 か ら シ ン ポ ジ ウ
イ ギ リス会 社 の 機 関 車 海 外 輸 送 に 活 躍
ム が 開 か れ 共 同 ・比 較 研 究 が 行 わ れ る 日 も近
(Befri)号
り,北
ル船会 社
ら に具 体 的 な 鉄 道 技 術 面
」,「 ベ ル ノ ア(Belnor)号
し た49と 輸 送 上 の トラ ブ ル も起 こ り1.857年8
い と思 わ れ る.そ の 関 心 を 背 景 に,本 稿 は19
月 に グ リー ノ ッ ク か ら カ ナ ダ ・ノ ヴ ァ ス コ シ
世 紀 中 葉 の イ ギ リス 資 本 主 義 の世 界 進 出 の過
ア の ハ リ フ ァ ッ ク スへ 向 け て 機 関 車 を載 せ て
程 で最 も象徴 的 に使 命 を果 た した蒸 気 機 関
出 発 し た700ト
車 ・鉄 道 輸 送 ビ ジネ ス,さ
ン の 帆 船 「トー マ ス(Thomas)
号 」 が ア イ ラ 島 近 く で 座 礁 ・沈 没 し た.
ノ ー ス ・ブ リ テ ィ ッ シ ュ 蒸 気 機 関 車 会 社 は,
3会 社 の 合 併 に よ る 設 立 以 来,ヨ
ー ロ ッパ で
最 大 規 模 の 鉄 道 業 会 社 と な っ た が,技
術 とコ
る ノ ー ス ・ブ リテ ィ ッ シ ュ 鉄 道 会 社 の 成 立
前 ・後 を考 察 し た もの で あ る.特
争,さ
ら に 次 時 代 の 運 輸 業 の 主 役 と な る 自動
に今 後,技
術 移 転 の 立 場 か ら も研 究 が 進 め ば,同 社 の 果
た し た歴 史 的 役 割 が 一 層 明確 に な ろ う.
ス ト に 秀 で る ア メ リ カ の 鉄 道 会 社 を は じ め,
急 迫 して きた ヨ・
一 ロ ッパ 諸 国 会 社 か ら の 競
ら に そ れ を象 徴 す
注)
1)M.S.Moss&J.R.Hume,Workshopofthe
May1993北
政 巳:19世
63
紀 グ ラス ゴウ蒸 気機 関車 製 造業 発 展 史
BritishEmpire,EngineeringandShip-
Glasgow,LocomotiueBuildertotheWorld,
buildingintheWestofScotland,
PolygonBooks,1987.p.5.
Heinemann,LondonandEdinburgh,1972.
8)拙
TheSecondCity,Blackie,Glasgowand
ー ロ ッ パ 第6位
2)各
第4号,1982年3月)87-101頁
ラ ス ゴウ は人 口で ヨ
の都 市 とな っ た
企 業 分 析 を 見 る と,ニ
法 以 前,銑
が,導
ー ル ス ン熱 風 熔 鉱
ル ダ ー 鉄 工 所 で78sで
あ っ た
入 後 は 各 々49s6d,47s6dと40%の
削 減 が 可 能 と な り,最
s6dま
稿 前 掲
参 照.
『鉄 道 史 学 』,42,48頁.
性 が 工 業 労 働 に 技 能 を生 か し て 従 事 す る
こ と は,ス
コ ッ ト ラ ン ド で は 早 くか ら 始 ま り,
ア ン ダ ー ソ ン ・カ レ ッ ジ で は 女 性 の 科 学 授 業
受 講 生 が 急 増 し た.J.Muir,,johnAnderson,
ProfessorofTechnicalEducationandthe
終 的 に は ト ン あ た り27
で 削 減 さ れ た.そ
9)拙
10)女
.
鉄 生 産 費 は ト ン あ た り,ク ラ イ ド鉄
工 所 で82s,コ
「ス コ ッ ト ラ ン ド鉄 道 生 成 史 一 そ の 発
展 と 企 業 家 の 出 自 一 」(「創 価 経 済 論 集 』第11巻
P.3.「 第 二 の 都 市 」 に つ い て は,C.A.Oakey,
London,197G.p.113.グ
稿
の 結 果,価
格競 争 で
CollegeHeFounded,JohnSmith&Son
Ltd.,Glasgow,1950.pp.22-28.
11)ス
圧 倒 的 優 位 に 立 っ た.R.H.Cambell,InvestmentintheScottishPigIronTrade,in
コ ッ ト ラ ン ド は,1707年
の 合 併 が 「経 済 的
合 併 」と 云 わ れ る よ う に,歴
史 的 に イ ン グ ラン
ScottishjournalofPoliticalEconomy,1,
ド劣 位 に 置 か れ て き た.T.1.Raeed.,The
1954,p.237.
Unionof1707,ItsImpactonScotland,
3)A.Birch,TheEconomicHistoryofthe
Blackie&SonLtd.,Edinburgh,1974.pp.2-7.
BritishIronandSteelIndustry,1784--1879,
FrankCassCo.,1967,p.172,拙
ス コ ッ ト ラ ン ドの 工 業 発 展 の 恩 恵 を 受 け,19
稿
「19世 紀
世 紀 後 半 ヴ ィ ク ト リ ア 期 に は 一 時 的 に,イ
に お け る ス コ ッ ト ラ ン ドの 鉄 工 業 一 グ ラ ス ゴ
グ ラ ン ド 労 働 者 所 得 を 抜 く に 至 る.W.H.
ウ の 銑 鉄 輸 出 市 場 を 中 心 に し て 一 」(『 創 価 経
Marwick,EconomicDevelopmentsin
済 論 集 』 第2巻
VictorianScotland,Augustus,M.Kelley,
第1号1972年6月)46-49
Clifton,1973.p.151.
頁.
4>角
山
栄
「
世 界 資本 主 義 形 成 の 論理 構 造 」
12)当
時 の 鉄 道 会 社 各 社 の 状 況 に つ い て,同
(河 野 健 二 ・飯 沼 次 郎 編
『世 界 資 本 主 義 の 歴 史
代 的 著 述 と し て,F。S.Williams,QurIron
構 造 』岩 波 書 店1970年
所 収)132頁,拙
Roads,TheirHistory,Constructionand
稿 「19
世 紀 ス コ ッ ト ラ ン ド鉄 道 業 と 日 本(『 鉄 道 史
Administration,FrankCass,Londonfirstly
学 』 第1号,1984年8月)48頁
in1957,reprintedin1968,pp329-380.
5)B.Lenman,AnEconomicHistoryof
14)Glasgow,LocomotiveBuilder(opcit.,)p.
Hamden,Connecticut,1977,pp.174-172.
11.
6)H.Hamilton,EconomicHistoryofScot-
15)ス
landintheEighteenthCentury,Clarendon,
1963,pp.415-417,AppendixVlll,IX参
コ ッ ト ラ ン ド重 工 業 各 社 が,諸
競 争 に 直 面 し て,沈
照.拙
『近 代 ス コ ッ ト ラ ン ド社 会 経 済 史 研 究 』(同
滞 ・衰 退 し,経
著
必 要 性 に 迫 ら れ て い た.J.R.Hum&M.S.
文
Moss,Beardmore,theHistoryofAScottish
ド イ ツ の ダ ル ム ス タ ッ ド生 れ,
営 合 理化 の
pp.270-275.
マ イ ン ツ や ア ク ス ヤ ペ ル で 修 業 後1836年
に イ
16)TheDailyExpress,19thOctober,1960.
ギ リ ス へ 来 た こ と が あ る.帰
に 再
17)GlasgowHerald,20thOctober,1922.
国 後1857年
渡 英 し ワ リ ン グ ト ン近 郊 の バ ル カ ン 鋳 造
(VulcanFoundry)所
外 国 との
IndustrialGiant,Heinemann,London,1979.
舘1985年)50-51頁.
は1816年
次
13)GlasgowHerald,14thOctober,1927.
ModernScotland,1660-1976,ArchonBooks,
7)彼
ン
に 勤 め て い た.中
世 以
18)産
業 考 古 学 的 見 地 か ら,ス
コ ッ ト ラ ン ド鉄
道 史 研 究 に 関 す る 著 作 が 多 く発 表 さ れ て い
来 の 鉱 山 技 術 の イ ギ リス と ドイ ツ の 交 流 を 物
る.J.Thomas,TheSpringburnHistory,The
語 る 人 物 で あ るM.Nicholson&M.0'Neil,
HistoryoftheScottishRailwayMetropolis.
季刊
64
創 価
経
済 論
集
Vol.XXII,No.4
David&Charles,NewtonAbbot,1974.:D.L.
半 島 の 紛 争 解 決 と 日本 の 役 割 一 歴 史 的 ア プ ロ
Smith,TheDalmellingtonIronCompany,its
ー チ 」(『 創 大 平 和 研 究 』 第8号
EnginesandMen,David&Charles,
1987年)37-39頁.
NewtonAbbot,1967.:J.Thomas,TheCal-
26)ス
創 大平 和研
コ ッ ト ラ ン ド人 技 師 や 同 工 業 製 品 は,イ
lander&ObanRailway,David&Charles,
ギ リス 資本 主 義 の 世 界 市 場 の 外 延 で活 躍 し
NewtonAbbot,1966.:H.A.Vallance,The
た.イ
GreatNorthofScotlandRailway,David&
.て
ギ リ ス は,ト
ル コ で ク リ ミヤ 戦 争 を 通 じ
ロ シ ア の 南 進 を 阻 止 し た.そ
の後 ス コ ッ ト
Charles,Macdonald,London,1965.:J.
ラ ン ド人 技 師 を 派 遣 して ボ ス ポ ラ ス 海 峡 鉄 橋
Thomas,TheWestHighlandRailway,
を は じ め 鉄 道 敷 設 等 の 協 力 を 行 っ た.こ
DavidCharles,NewtonAbbot,1965が
挙 げ
ら れ る.
登 場 す る.そ
1831-1923,G.Allen&UnwinLtd.,1970.p.
れ 故,ス
コ ッ ト ラ ン ドか ら の 鉄 道
関 連 技 術 ・製 品 供 与 も 顕 著 で あ っ た.V
39.
27)S.$.Saul,TechnicalChange:TheUnited
ャ ー プ ・ス チ ュ ア ー ト社 は,元
来 マ ンチ ェ
StatesandBritaininthe19thCentury,
気機 関 車
Methuen&Co.,Ltd.,1970.pp.147-170.
ス タ ー の 綿 紡 績 会 社 か ら 出 発 し,蒸
製 造 に ま で 進 出,さ
た.拙
稿
らに グ ラ ス ゴ ウに 北 進 し
『鉄 道 史 学 』48頁.1860-1889年
同 社 の 蒸 気 機 関 車 輸 出 状 況 は,角
本 主 義 形 成 の 論 理 的 構 造 」(河
郎 編
間 の
山 栄 「世 界 資
野 健 二 ・飯 沼 次
28)J.Simmonds,ScottishRailways,James
PikeLtd.,StIvesCornwall,1975.pp.6-7.日
本 へ の 鉄 道 技 術 移 転 に つ い て は,拙
(『創 大 十 周 年 記 念 論 文 集 』 創 大 出 版 会1980
年)185-192頁
種 多 様 な 蒸 気 機 関 車 は,当
初 は,ス
コッ ト
参 照.
29)D.Thorner,InvestmentinEmpire:British
ラ ン ド地 理 上 の 複 雑 性 を 背 景 に 作 ら れ た が,
RailwayandSteamShippingEnterprisein
世 界 市 場 に 対 し て も 対 応 し て 製 造 さ れ た.A.
India,1825-1849,Philadelphia,1950.p.6.
Bloom,LocomotivesoftheLondonMid-
30)19世
紀 後 半 の ア メ リ カや カ ナ ダ と ス コ ッ ト
landandScottishRailway,JarroldRailway
ラ ン ドの 関 係 史 に つ い て は,拙
Series3,1970.pp.2-14.
ン ド出 移 民 史(2)カ
22)前
掲 角 山論 文
「世 界 資 本 主 義 形 成 の 論 理 的
構 造 」 に よ る と 同 期 間,ニ
3091(う
ー ル ス ン 社 は,
ち 海 外 へ は1800)台,ス
は,2295(1430台),ダ
チ ュ ア ー ト社
ッ ブ ス 社 は,2419(1533)
カ へ 」,「 同
補 論:ア
31)南
23)J.R.Hume,TheIndustrialArchaeologyof
経 済 論 集 』第19巻
24)GlasgowLocomoitiveBuilder(opcit.,)p.
頁.ま
17.
隔 地 域,ラ
紀 後 半 の 近代 科 学 制
国 ・朝 鮮 ・
他
の ア ジ ア 諸 国 と の 受 容 姿 勢 の 差 で あ る.造
幣
初 に英 国 か ら中国 へ 輸 出 され た が 貨
幣 制 度 が 定 着 せ ず,グ
阪 へ 移 さ れ,成
ラ バ ー に よ っ て 日 本 ・大
功 し た 経 過 が あ る.拙
稿 「朝 鮮
テ ン ・ア メ リ カ へ 」(『創 価
第4号,1990年6月)90-91
た ア ル ゼ ン チ ンへ の 鉄 道 輸 出 に つ い て
は琴 野 孝
局 も,最
参 考 に な る.
鉄 道 輸 出 に つ い て は,「 ス コ ッ ト ラ ン ド出 移 民
1974.p.312.
度 の 導 入 過 程 に お け る 日 本 と,中
同 』第21巻
ア メ リ カ 大 陸 へ の ス コ ッ ト ラ ン ド移 民 と
史(6)遠
味 あ る 課 題 は,19世
第4号1989年3月,
第1号,1989年6月,「
Glasgow,BlackieandSonLtd.,Glasgow,
25)興
メ リ
メ リ カ へ(3)一(2)」
(『創 価 経 済 論 集 』 第18巻
『同 』第19巻
稿 「ス コ ッ ト ラ
ナ ダ へ 」,「 同(3)ア
第2号,1992年3月)が
台 で あ る.
稿 「日 蘇 比
較 経 済 史 一 明 治 維 新 と ス コ ッ ト ラ ン ド人 一 」
『世 界 資 本 主 義 の 歴 史 構 造 』 岩 波 書 店
1970年)132頁.
21)多
ス ラ ム世 界近 代 化 の ト
ル コ 共 和 国 の 創 始 者 ケ マ ル ・ア タ チ ュ ル ク が
19)C.Highet,ScottsihLocomotiveHistory:
20)シ
ギ リ ス の 影 響 下 に,イ
の イ
「イ ギ リ ス 資 本 と ア ル ゼ ン チ ン の 鉄
道 建 設 」(『社 会 経 済 史 学 』第38巻
第5号)44頁.
P.L.Cottrell,BritishOverseasInvestmentin
theNineteenthCentury,TheMacmillan,
Press,London,1975.pp.60-64.
32)ス
は,拙
コ ッ ト ラ ン ド と イ ン ド鉄 道 業 と の 関 係
稿 「ス コ ッ ト ラ ン ド 出 移 民 史(5)イ
ン ド
May1993北
政 巳:19世
へ 」(『創 価 経 済 論 集 』第19巻
紀 グ ラ ス ゴ ウ蒸 気 機 関 車 製 造 業 発 展 史
第3号
ラ ウ ド会 社 の 『訪 問 者 録 』 に 表 わ れ る 日本 人 」
,1989年12
月)6Z-62頁.
33)ス
稿
(『大 阪 大 学 経 済 学 』 第35巻 第1号1985年6
コ ッ ト ラ ン ド と オ セ ア ニ ア の 関 係 は,拙
「ス コ ッ ト ラ ン ド出 移 民 史(4)オ
月)318頁.日
ー ス トラ
本 人 留 学生 もグ ラス ゴウか ら ド
イ ツ へ 渡 り,研 究 を して い る.拙 著 『国 際 日本
リ ア ・ニ ュ ー ジ ー ラ ン ドへ 」(『 創 価 経 済 論 集 』
第19巻
6g
を拓 い た 人 々 一 日本 とス コ ッ トラ ン ドの き ず
第2号,1989年9月)113-131頁.D.S.
な 一 』(同 文 舘
Macmillan,ScottishEnterpriseinAus-
ぢ
昭 和59年)212頁
42)R.H.Cambell,`TheNorthBritishLoco一
ノ
tralia,1789-1879inP.L.Payneed.,Studies
motiveCompanybetweentheWars
inScottishBusinessHistory,FrankCass&
BusinessHistoryReviw,1978.p.45.N.Mur-
Co.,London,1967.pp.319-344.
dock,TheNorthBritishLocomotiveCom-
34)GlasgowLocomotiveBuilder(opcit.,),p.
24.機
井 茂 信 『機 関
友 社1973.1978年),
多 賀 祐 重 『鉄 道 車 両 』(鉄
L.グ
parryCo1♂60'加,TheMitchellLibrary,Glas-
関 車 の 系 譜 に っ い て は,臼
車 の 系 譜 図 』1・II(交
道 工 学 会1940年),
レ ッ ジ オ 著 ・青 木 栄 一 他 訳
ScottsihIndustry,1709-1939,JohnDonald
『図 説 ・世 界
談 社
が 参 考 に な る.
PublisherLtd.,Edinburgh,1980.p.133.
44)グ
ラ ス ゴ ウ大 学 中 央 資 料 館
室,ス
35)Ibd.,p.24.
ガ ン ダ へ の 鉄 道 輸 出 に つ い
(ImperialBritishEastAfricaCompany)を
介 し て お こ な わ れ た.そ
ド イ ツ が 進 出 す る.吉
紀 に 入 る と
田 昌 男 「東 ア フ リ カ に お
紀 後 半 に 破 産,も
くは 合 理 化 合 併 さ れ た も の の 歴 史 書 簡
が 贈 呈 さ れ,研
の 後20世
え る.
学 』 第6号1988年10月)9-14頁.
Growth,David&Charles,NewtonAbbot,
.,)p.
38)青
1969.pp.14-17,162-165.
46)先
木 教 授 に よ れ ば,日
本 と南 ア フ リ カ が 狭
・記 録
45)M.C.Reed,RailwaysintheVictorian
Economy,StudiesinFinanceandEconomic
25.
し
究 者 の 到 来 を 待 っ て い る と云
け る 鉄 道 建 設 と 植 民 地 経 済 の 発 展 」(『 鉄 道 史
37)GlasgowLocomotiveBuilder(opcit
市 ミッチ
市 ケ ル ビ ン 資 料 室 等 に は,19世
紀 後 半 の 栄 た 企 業 で20世
紀 末 か ら 帝 国 イ ギ リ ス 東 イ ン ド会 社
・同 経 済 史 資 料
ト ラ ス ク ラ イ ド大 学 図 書 館,同
ェ ル 図 書 館,同
36)Ibd.,p.25.ウ
て,19世
gow,1974.p.55.
43)R.H.Campbell,TheRiseandFallof
の 蒸 気 機 関 車 一 そ の 栄 光 の 歴 史 』(講
1981年)等
,in
は,興
進 技 術 の 導 入 と受 容 先 で の 対 応 に つ い て
味 あ る 研 究 課 題 で も あ る.こ の 観 点 か ち
軌 鉄 道 で は 世 界 で 最 も 成 功 し た と さ れ る.青
何 故 ア ジ ア の 中 で 日 本 の み が,19世
木 栄 一
欧 社 会 制 度 ・技 術 に 適 応 で き た の か で あ る.百
「日 本 の 幹 線 用 蒸 気 機 関 車 の 発 達 一 そ
紀 後 半,西
の 評 価 と 問 題 点 一 」(『鉄 道 史 学 』(鉄 道 史 学 会
年 前 に 工 部 大 学 校 都 倹H.ダ
第9号1991年6月)7頁.こ
社 会 へ の 「エ ン ジ ニ ア の 思 想 の 定 着 」を 理 由 に
れ は ス コ ッ トラ
ン ド伝 統 の 狭 軌 鉄 道 技 術 を 純 粋 に 継 承 し た 結
挙 げ る.拙
果 で あ ろ う.
書)157-167頁.
39}GlasgowLocomotiveBuilder(opcit.,)p.
31.ま
メ リカに お け る電気 鉄 道 の歴 史 につ い て
は,M,Bezilla,ElectricTraction()fthe
挙 げ
ら れ る.
た トル コ へ の 通 商 に は,「
.
トル コ 艦 隊 」
と 呼 ば れ る 一 連 の ク ラ イ ド船 舶 が あ っ た.A.
Steamers(1889-1914),DavidCharles,
NewtonAbbot,1969,pp.29,68,75,285-286.
紀 後 半 の ドイ ツ が 急 速 に 近 代 科 学 技 術
を 習 得 し た 背 景 に は,ス
コ ッ ト ラ ン ドの グ ラ
ス ゴ ウ を中心 とした 技術 留 学
れ る.拙
掲
J.S.Paterson,TheGoldenYearsofClyde
PensylvaniaRilroad1895-1968,1980が
41)19世
著 『国 際 日 本 を 拓 い た 人 々 』(前
本
47)GlasgowLocomotiveBuilder(opcit.,)p
25.
40)ア
イ ア ー は,日
・交 流 が 挙 げ ら
稿 「日 蘇 交 流 史 の 一 考 察 一 バ ア&ス
ト
48)同
社 を含 め て の グ ラス ゴウ重 工 業 諸 機 械 会
社 に つ い て は,1901年
時 にH.ダ
る.拙
の 『グ ラ ス ゴ ウ 博 覧 会 一
』
イ ア ー が 編 集 し た レ ポ ー トが あ
稿 「ス コ ッ ト ラ ン ド機 械 工 業 史 一H.ダ
季刊
66
創 価
中 心 と し て 」(『 創 価 経 済 論 集 』第11巻
第
集
Vol.XXII,No.4
事 例 一 」(『 社 会 経 済 史 学 』第35巻
第3号1969年)34-35頁.拙
著 前掲 『
近 代 ス
コ ッ ト ラ ン ド』97-113頁.
2号1981年9月)45-82頁.
49)ス
済 論
Companyの
イ ア ー の グ ラ ス ゴ ウ 機 械 工 業 調 査 報 告(1901
年)を
経
コ ッ ト ラ ン ド海 運 業 の 側 で も,種
々 な用
51}A.Miller,TheRiseandProgressof
途 に対 応 して の船 舶 製 造 の 時代 を迎 え て い
CoatByidge,Miller&Co.,Glasgow,1964,pp.
た.C.E.Fayle,AShortHistoryofthe
109-111.角
World'sShippingIndustry,GeorgeAllwn&
工 業 企 業 一 ネ イ ス ミ ス 企 業 者 活 動 一 」(小 松 芳
UnwinLtd.,1934,pp.271-290。
ベ ル(Be1)船
に つ い て は,会 社 名 で は 確 認 で き ず,蒸
気機 関
ャ ロ ン 鉄 工 会 社 に つ い て は,拙
「イ ギ リ ス 産 業 革 命 期 の 機 械
喬 教 授 還 暦 記 念 論 文 集 『近 代 化 と 工 業 化 』1968
年)236頁.ス
コ ッ ト ラ ン ド ・イ ギ リ ス で,特
に ヴ ィ ク ト リア期 の 典 型 的 な 企 業 者 活 動 の 帰
車 運 搬 用 の 改 造 船 舶 と 推 さ れ る.
50)キ
山栄
稿 「産 業 革
命 期 ス コ ッ ト ラ ン ド の 株 式 企 業 一Carron
結 で あ る.
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