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フランス) の短期招請について

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フランス) の短期招請について
VIAIainFaure研
究 員(パ
フ ラ ン ス)の
リ第10大
学 、
短期招 請 について
文学 部 教授
木
下
賢
一
1998年 度 国 際 交 流 基 金 事 業 に よ り招 請 され た 外 国 人 学 識 者 ア ラ ン ・フ ォ ー ル 氏 の 本 学 に お け る 講 演
と学 術 的 活 動 に っ い て 報 告 い た しま す 。
ア ラ ン ・フ ォ ー ル 氏 は 、現 在 パ リ第10大
学 の フ ラ ン ス 現 代 史 研 究 セ ン タ ー に 所 属 す る研 究 員 で 、19
世 紀 の パ リ史 の 専 門 家 と して つ とに 知 られ て い る。氏 は これ ま で 多 く の 著 書 ・論 文 を 発 表 され て お り、
そ の 研 究 対 象 は 多 岐 に わ た っ て い る が 、 大 別 し て 次 の よ う に 分 類 で き よ う。
(1)19世
紀 の パ リの 民 衆 運 動 と民 衆 の 行 動 の 歴 史 研 究
②19世
紀 フ ラ ン ス に お け る小 企 業 に 関 す る 社 会 経 済 史 研 究
(3)都
市 空 間 の 社 会 史(特
(4)郊
外 の歴 史的 研 究
な か で も19世
に19世
紀 の パ リ)研 究
紀 の パ リ民 衆 に 関 す る研 究 は 、方 法 に お い て も 実 証 に お い て も き わ め て 重 要 な も の で
あ る 。 と く に 民 衆 に 対 す る熱 い 情 熱 と も い うべ き 思 い が そ の 実 証 的 な 研 究 の 背 後 に あ る。 な お 、 こ の
分 野 で の 氏 の 著 作 の 一 つ は 、 見 富 尚 人 訳 『パ リの カ ー ニ ヴ ァル 』(平 凡 社 、1991年)と
して 邦 訳 さ れ
て い る。
フ ォ ー ル 氏 は 、1998年11月25日
か ら 、12月20日
ま で 日本 に 滞 在 され 、 本 学 に お い て 次 の よ う に
3回 連 続 の 公 開 講 演 を お こ な っ た 。
・第1回
日
場
公 開講 演 会
時:11月28
所:大
テ ー マ:パ
.日(土)午
後4時
∼ 午 後7時
学 院 第一 会 議 室
リ民 衆 の 形 成 と更 新
コ ミ ュ ー ン か ら第 一 次 大 戦 ま で の パ リ民 衆 の 形 成 の 諸 側 面
・第2回
公 開 講演 会
日
時:12月9日(水)午
場
所:校
テ ー マ:ひ
後6時
∼9時
友 セ ン ター 会議 室
と は い か に して パ リ ジ ャ ン と な っ た の か
一19世
紀 末 の パ リに お け る 統 合 の 問 題 一
・第3回 公 開 講 演 会
日
時:12月16日(水)午
後6時
∼9時
一18一
場
所:校
テ ー マ:19世
第1回
友 セ ン ター会 議 室
紀 末 の パ リの 民 衆 住 宅
目の 講 演 で は 、 歴 史 人 口 学 の 方 法 を 駆 使 して 、 コ ミ ュー ン か ら第 一 次 大 戦 の あ い だ に パ リの
住 民 の 構 成 に 大 き な 変 容 が あ っ た こ とが さ ま ざ ま な 側 面 か ら明 ら か に され た 。 こ の 時 期 に パ リの 工 業
の 発 展 が 最 大 に 達 す る と と も に 、1911年
に は パ リの 人 口 は290万
字 を示 した 。 これ は 地 方 か ら(ま た 外 国 か ら)パ
人 と い う、現 在 に 至 る ま で 最 高 の 数
リへ 大 量 の 人 口移 動 が あ っ た こ と を 示 し て い る。 フ
ォ ー ル 氏 は 、 これ ら の 移 住 民 とパ リ出 身 者 か ら どの よ うに 新 しい パ リ住 民 が 形 成 され た か を さ ま ざ ま
な 角 度 か ら興 味 深 い 分 析 を加 え られ た 。 こ の 時 期 に 民 衆 の あ い だ の 集 合 意 識 の 次 元 で 深 い 変 化 が 生 じ
てい る こ とも明 らか に され た。
第2回
目の 講演 で は 、 第 一 回 目 の 講 演 を受 け て 、 こ の 時 期 に 大 量 に 流 入 して き た 地 方 出 身 者 が 、 ど
の よ うに して 既 存 の パ リ社 会 の な か に 統 合 され て い っ た の か が 追 求 され た 。 そ の た め に 地 方 出 身 者 の
パ リに お け る 同 郷 婚 と集 住 の 実 態 が 膨 大 な 史 料 を 背 景 に 明 らか に さ れ た 。 地 方 出 身 者 は あ る程 度 の 独
自性 を 維 持 して い た が 、 結 局 、 パ リは 一 種 の 増 塙 と し て 地 方 か らの 移 住 者 を 融 合 して い っ た の で あ っ
た。
第3回
目の 講 演 で は 、 パ リ民 衆 の 住 宅 の 問 題 が 取 り上 げ られ 、 前 回 ま で に 見 た 新 た に 形 成 され た パ
リ住 民 が 具 体 的 に パ リに 定 着 して い く過 程 が 明 らか に され る。 こ の 時 期 の パ リ民 衆 の 具 体 的 な 家 の 中
の 様 子 や 、 家 庭 に お け る親 子 の 関 係 、 と く に 家 屋 や 家 具 を め ぐ る 民 衆 の 価 値 観 な ど、 今 ま で 知 られ て
い な か っ た 多 く の 興 味 深 い 事 実 が 豊 富 な 史 料 を も と に 提 示 され た 。 そ こか ら 自 立 的 な 民 衆 文 化 の 存 在
が 明 らか に され る 。 これ は 氏 の 国 家 博 士 の 論 文 の 一 部 を な して い る と の こ と で あ る。
3回 の 講 演 会 の う ち 、 前2回
は 通 訳 付 き で 、 第3回
目は 通 訳 無 しで お こ な わ れ た 。 講 演 会 の 聴 講 者
の 大 部 分 は 、 明 大 お よ び 他 大 学 の 教 員 と院 生 で あ っ た 。 出 席 者 は あ ま り多 い と は い え な か っ た が 、 講
演 の 後 の 質 疑 応 答 に お い て は 、 そ の ほ と ん どが フ ラ ン ス語 で お こ な わ れ た こ と に も み られ る よ うに 、
講 演 会 は 全 体 と して 熱 心 な 聴 講 者 に よ っ て 占 め られ て お り、 出 席 者 に と っ て も フ ォ ー ル 氏 に と っ て も
実 りあ る も の で あ っ た と思 わ れ る 。 議 論 は そ の 後 の 懇 親 会 や 二 次 会 で も続 い た 。
ま た 、12月5日
に は 京 都 で 近 代 社 会 史 研 究 会 主 催 で フ ォ ー ル 氏 の 講 演 会 が も た れ 、 さ ら に12月15
日に は 中 央 大 学 で ア ン リ ・プ ー ラ イ ユ 友 の 会 主 催 の 講 演 会 が お こ な わ れ た 。 こ の よ うに フ ォ ー ル 氏 の
研 究 は 日本 の 多 くの 研 究 者 の 関 心 を ひ き 、 ま た 刺 激 を 与 え た とい え よ う。
これ ら3回
の 連 続 講 演 の うち 第1回
究 者 講 演 録No.10(1998年
目 の 講 演 は 、 す で に 『明 治 大 学 国 際 交 流 基 金 事 業 招 請 外 国 人 研
度)』 に 拙 訳 を 付 して 公 刊 さ れ て い る。 ま た 、 第2回
あ る 『西 洋 史 学 』 に 翻 訳 出版 され る こ と が 決 定 し て お り、 第3回
目の 講 演 は 、 学 会 誌 で
目の講演 は 中央 大学 の雑 誌 に掲 載 さ
れ る こ と が 決 ま っ て い る 。 こ う して 、 フ ォ ー ル 氏 の 本 学 に お け る講 演 は す べ て フ ラ ン ス に 先 立 っ て 邦
一19一
訳 され る こ と に な り、 フ ラ ン ス 史 研 究 者 の み な らず 、 近 代 都 市 史 の 研 究 者 に も 大 き な 意 味 を も っ も の
と思 わ れ る。
フ ォ ー ル 氏 は 、 気 さ くで ユ ー モ ア の あ る 小 柄 な フ ラ ン ス 人 で 、 彼 に 会 っ た 人 び と を 魅 了 した 。 特 に
院 生 の 拙 い フ ラ ン ス 語 の 質 問 を 一 所 懸 命 聞 き取 り、 丁 寧 に 回 答 して い た の が 印 象 的 で あ っ た 。 ま た 、
氏 は 大 の 日本 酒 党 で 、 講 演 会 の 後 の 懇 親 会 で は 、 い つ も嬉 しそ うに 酒 を 飲 み 、 パ リで は な か な か お い
しい 酒 が 手 に 入 ら な い と嘆 い て お られ た 。
鎌 倉 ・京 都 ・奈 良 ・広 島 を 見 学 され 、 深 い 感 銘 を 受 け られ た よ うで あ っ た 。 特 に 西 洋 と 日本 に お け
る人 間 と 自然 の 関 係 の 相 違 に 関 心 を 寄 せ て お られ た 。 私 に と っ て は 、 こ れ を フ ラ ン ス 語 で 説 明 す る の
は 大 変 で あ っ た が 、 こ の 問 題 を 意 識 的 に 考 え る 良 い 機 会 に は な っ た 。 氏 は 都 市 の 専 門 家 と して 、 特 に
東 京 に い た く 興 味 を も た れ 、 東 京 に つ い て の 質 問 に た えず 悩 ま され た 。 東 京 や 江 戸 の 専 門 家 が 出 席 し
て い れ ば 講 演 会 が もっ と刺 激 的 に な っ て い た で あ ろ う と思 う と少 し心 残 りで は あ っ た 。 と も か く氏 は
東 京 で の 生 活 を満 喫 され て い た よ うで あ っ た 。
最 後 に こ の よ うな 機 会 を 与 え て い た だ い た 明 治 大 学 と、 フ ォ ー ル 氏 の 招 請 と講 演 会 の 準 備 に 骨 折 っ
て 下 さ っ た 国 際 交 流 セ ン タ ー の 方 々 お よび ゼ ミ の 大 学 院 生 に 謝 意 を 表 し た い と思 い ま す 。
一20一
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