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日本の近代化における教育の役割

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日本の近代化における教育の役割
日本 の 近 代 化 に お け る 教 育 の 役 割
高橋 秀 子
慶應 義 塾 大 学 総 合 政 策 学 部3年
Hideko
Faculty
of Policy
Takahashi
Management,
Keio
University
伊藤陽一研究会
1992年 春 学 期
慶応 義塾 大学 湘南藤沢学会
Keio University Shounan Fujisawa Gakkai
日本 の近 代 化 に お け る教 育 の役 割
79003089
総 合 政 策 学 部3年
高橋 秀子
1
近 代化 と教育 の 関連 性
17世
紀 以 降 の 欧 州 に お い て 最 初 に認 め られ た 社 会 的 変 化 を意 味 す る、"近 代 化"と
い う言 葉 の 概 念
規 定 に は一 致 し た見 解 は な い。 例 え ば 、 精 神 史 的 な 観 点 か ら個 の確 立 に着 目す る立 場 、 民 主 主 義 的 な 社
会 関 係 の成 立 を 重 視 す る立 場 、 ま た は産 業 構 造 の 変 化 や 工 業 化 の展 開 を強 調 す る 立 場 、 も し くは 資 本 主
義 的 生 産 様 式 に 注 目す る立 場 な ど、 実 に様 々 な 見 解 が あ る。 そ して 最 近 で は、1960年
代 に 入 り、 後
進 国 の 近 代 化 や 開 発 計 画 の推 進 の た め の 指 針 に な り得 る一 般 的 な 近 代 化 原 理 を 見 い だ す た め に、 多 くの
学 者 が 「近 代 化 論 」 を有 力 な 社 会 発 展 理 論 と して 提 唱 し、 国 際 的 に 活 発 な活 動 を示 して き た 。
と こ ろで 、1近 代 化 と い う言 葉 は 、 上 記 の よ う な歴 史 的 過 程 の 把 握 に 基 づ い て そ の 本 質 的 要 因 と され
る もの を人 為 的 に実 現 し よ う とす る、 未 来 へ の 行 動 計 画 と遂 行 を指 す こ と もあ る。 つ ま り、 自我 の 確 立 、
民 主 主 義 的 人 間 関 係 の 実 現 、 技 術 改 革 、 も し く は生 産 性 の 向 上 とい っ た 、 そ れ ぞ れ の 理 解 に 基 づ い た行
動 目標 とそ の 実 現 の営 み を"近 代 化"と
い う言 葉 に あて は め る こ とが あ る。 そ の 中 で 特 に 近 年 に お け る
近 代 化 政 策 と して 、 各 国 の マ ンパ ワ ー ・ポ リ シー の 重 視 とそ れ に伴 う教 育 へ の 努 力 は、 注 目 に値 す る も
の で あ る。 い い か え れ ば 、 近 代 化 を達 成 させ る た め に は 、 官 僚 ・経 営 者 ・専 門 家 な ど の エ リ ー トか ら労
働 者 ・農 民 層 に 至 る ま で の、 あ ら ゆ る階 層 の 経 済 的 ・政 治 的 主 体 を 形 成 す る た め の 教 育 は 必 要 不 可 欠 だ
とい う こ とで あ る。
例 え ば、2M.D.Shipmanは
、 近 代 化 の 局 面 と して 、(1)社
組 織 に よ っ て 支 配 され る よ うに な る こ と、(2)市
会 が 次 第 に 巨 大 に 専 門 分 化 した
民 的 、 政 治 的 、 そ して 社 会 的 権 利 を享 受 す る見 通 し
と、 これ ら を 獲 得 す るべ く政 治 的 行 動 を起 こす 可 能 性 を 有 す る人 間 が増 加 して い く こ と、 の 二 点 に着 目
し、 そ の 具 体 的 な 考 察 方 法 と して 教 育 の 制 度 ・内容 等 を 検 討 し、 そ の 上 で 近 代 化 に お け る教 育 の 機 能 を
述 べ て い る。 ま た 、3エ ー ル 大 学 のJ・W・
ホ ー ル は 、1960年
の 近 代 日本 に 関 す る会 議 で 、 近 代 社 会
の 基 本 的 特 性 を七 つ 提 示 した。 そ し て 、 そ の うち の 第 四 番 目の 特 性 と して 、 「読 み 書 き能 力 の 普 及 、 及 び
そ れ が伴 う環 境 に対 す る個 人 の セ キ ュ ラ ー(非
宗 教 的)な
科 学 的 思 考 の 増 大 」 を挙 げ 、 教 育 そ の もの を
近 代 化 の 一 指 標 と して 取 り上 げ た 。 さ ら に 、q社 会 学 者 のA・Inkelesは
、 近代 的人 間 の類 型 を九 つ挙 げ
た うえ で 、 こ う し た 人 間 の 類 型 を 形 成 す る源 泉 と して 教 育 を筆 頭 と した 諸 要 因 を 挙 げ て い る。 な お 、 日
本 国 内 で は 福 沢 諭 吉 が 「学 問 の ス ス メ」 の 中 で 、 「人 は 生 ま れ な が ら に して 貴 賎 貧 富 の 別 な し に 唯 学 問
を 勤 て 物 事 を よ く知 る者 は貴 人 と な り無 学 な る者 は 貧 人 とな り下 人 と な る な り」 と述 べ 、 最 も適 当 な 人
材 が 最 も適 当 な 地 位 に 着 く と い う近 代 原 理下 の 資 本 主 義 的 競 争 社 会 に お い て 、 学 問 が い か に 重 要 で あ る
か と主 張 して い る。 こ れ ら の学 者 の 主 張 か ら もわ か る よ うに 、 近 代 化 を実 現 させ る う えで 人 々 に 知 識 を
も た ら し、 各 国 の 政 治 経 済 そ の他 様 々 な 分 野 を 発 展 させ る た め の 基 礎 とな る教 育 は 、 無 視 で き な い存 在
1唐 沢 富 太 郎 編 著 .日 木 の 近 代 化 と教 育.p291
2唐 沢 -日 本 の 近 代 化 と教 育-p.294
3M .B.ジ ャ ン セ ン編.日 本{'C33け る近 代 化 の 問 題
aジ ャ ン セ ン編 .日 木 に お け る近 代 化 の 問 題
と い え よ う。
2
日本 の教 育 と近代 化
さ て 、 初 め に 、 近 代 化 と教 育 の 関 連 性 に つ い て 述 べ た わ け だ が 、 こ の こ とは 、 非 西 欧 諸 国 の 中 で 最
も早 く近 代 化 に着 手 して成 功 し た唯 一 の 国 で あ る 日本 に つ い て も当 て は ま る。 近 代 化 競 争 に 遅 れ て 参 加
し た 国 が 、 ど うす れ ば 工 業 化 を 達 成 し実 行 力 の あ る政 治 機 構 を形 成 す る こ とが で き る の か、 とい う疑 問
に対 して 多 くの 人 が19世
紀 中 葉 の 日本 の 正 式 の 学 校 教 育 制 度 の 存 在 を 挙 げ て い る。 つ ま り、 教 育 政 策
に よ って 教 育 が 国 民 全 体 に 普 及 した か否 か が 、 日本 と他 の非 西 欧 諸 国 の 近 代 化 実 現 の分 け 目 とな っ た と
い え よ う。 そ こで 次 に、 最 初 に ど うい う教 育 が 近 代 化 を 推 進 させ る の か とい う教 育 の 条 件 を 述 べ た う え
で 、 幕 末 か ら明 治 初 期 の 日本 の 教 育 状 況 を 当 時 及 び 現 代 の非 西 欧 諸 国 と比 較 し、 結 果 的 に 日本 の 教 育 が
近 代 化 を 早 く実 現 させ た 理 由 は何 だ っ た の か を 考 え て み た い 。
2.1
近代化 を もた らす教 育条件
ま ず 、 近 代 化 を 推 進 させ る教 育 の条 件 と して 、 読 み 書 き の 普 及(文
盲 追 放)は
一 番 重 要 な もの で あ
る。 文 字 は 人 間 生 活 を営 む うえ で 極 め て 大 切 な 道 具 で あ り、 情 報 化 に は不 可 欠 で あ る。 い く ら西 欧 等 の
近 代 化 を 達 成 さ せ た 国 か ら そ の思 想 や 体 制 を 学 ぼ う と して も、 文 字 が 読 め な け れ ば全 く不 可 能 で あ る。
そ して 読 み 書 き能 力 を 高 め る た め に は 、初 等 教 育 の 普 及 と大 人 の 文 盲 撲 滅 は何 よ り も必 要 で あ る。 さ ら
に 、 よ り高 度 な 読 み 書 き能 力 を教 育 に よ っ て 身 に つ け て い く こ とで よ り広 範 な 知 識 を 習 得 す る こ とが で
き、 や が て そ こ か ら近 代 化 推 進 を 担 う知識 人 が 誕 生 す る。 知 識 階 級 の 存 在 は 、 近 代 社 会 を 構 成 し確 定 す
る重 要 な要 素 で あ る。5な ぜ な らば 、 近 代 的 な もの の見 方 や志 向 性 を 持 つ 知 識 人 の存 在 な く して は 近 代 化
の 過 程 は 始 ま らず 、 ま して や近 代 化 の 実 現 に は 到 底 お ぼ つ か な い か らで あ る。6一 方 、 読 み 書 き の 普 及 と
初 等 教 育 の 普 及 は 、 一 般 大 衆 に進 ん で 新 し い知 識 を 得 よ う とす る向 上 心 を も た ら し、 自 己 改 良 の意 欲 を
高 め て 国 民 の 多 数 の競 争 参 加 を 促 して 、 政 治 経 済 の 近 代 化 へ の 源 力 に 導 く役 目 も持 っ た・ そ して 、 そ れ
は 後 の 実 力 主 義 や 学 歴 社 会 、 立 身 社 会 に つ なが って い っ た 。
2.2
幕 末か ら明 治初期 にか けて の 日本 の教育 状況
ま ず、 先 に も述 べ た が 、 非 西 欧 諸 国 と異 な り、 日本 に は19世
紀 半 ば に は す で に 発 達 し た学 校 制 度 が
確 立 して い た。 そ して 、 そ の 先 駆 的 な もの と して 徳 川 末 期 の教 育 事 情 を無 視 す る こ とは で き な い。
徳 川 家 康 期 は、 武 士 で も文 盲 は 普 通 だ っ た 。 しか し、 井 原 西 鶴 が 文 盲 の 武 士 を時 代 遅 れ とい っ た よ う
に、17世
紀 末 に は か な りの 人 が教 化 され 、19世
紀 に入 る と あ らゆ る 階 層 に お い て様 々 な 教 育 手 段 が
講 じ られ た 。 例 え ば 、 武 士 階級 に お い て は 、 幕 政 改 革 に よ る人 材 育 成 の た め に 藩 学 が 奨 励 され 数 多 くの
藩 校 が 作 られ た 。 ま た、 幕 府 に よ って 高 等 教 育 機 関 が 設 立 さ れ た ほ か 、 私 塾 が 全 国 の 至 る と こ ろで 見 ら
れ た。 さ ら に 、 非 常 に多 くの 人 々が 家 庭 教 師 を 雇 い、 女 子 の 教 育 の大 部 分 も こ の 家 庭 教 師 制 に よ っ た。
ま た、 町 人 の 学 校 教 育 と して は寺 小 屋 が 中 心 的 存 在 とな り、 読 み 書 き算 術 か ら教 科 書 に よ る多 岐 に 渡 る
分 野 の 学 習 、 さ ら に は 師 弟 間 の人 間 的 なつ な が りを 習 得 して い っ た 。 一 方 、 国 民 の 大 部 分 を 占 め る農 民
も郷 校 や 教 諭 所 で 簡 単 な読 み 書 き と儒 教 道 徳 の 講 釈 を 受 け て い た。 そ して 、 心 学 と天 ・地 ・人 の 三 徳 に
報 い る道 を 説 く報 徳 とい う二 つ の学 習 が 実 際 に 庶 民 教 化 運 動 に 大 き な 働 き を し た 。7こ れ らの 学 校 教 育
制 度 の 発 達 の 結 果 、 維 新 当 時 で はFl本 の 全 男 子 の40-50%と
5MB
.ジ ャ ン セ ン 編,日
本 に お け る 近 代 化 の 問 題.{)。]U
ャ ンセ ン
.日 本 に お け る 近 代 化 の 問 題 ・1).1327
7ジ ャ ン セ ン .日 本 に お け る 近 代 化 の 問 題.p.1Uli
6ジ
i).128
女 子 の15%が
自宅 以 外 の何 らか の正
3
規 の教 育 を 受 け て い た 。 そ の た め、8文 盲 率 は現 在 の ほ とん どの 低 開 発 諸 国 よ り もか な り低 く、 当 時 の プ
ロ イ セ ン ・オ ラ ン ダ ・ス コ ッ トラ ン ド以 外 の 同 程 度 の 経 済 発 展 段 階 に お け る 欧 州 の ど の 国 よ り も非 文 盲
率 が高 か った 。9ち な み に 、 当 時 のEl本 の 文 盲 率 は 成 人 男 子 で50%、
rIo,
M.
C
i polloの
ペ イ ンの75-80%に
70年
成 人 女 子 で85%位
「Literacya,ndDevelopmentintheWest」
で あ り、 Ca
に載 って い る イ タ リア や ス
比 べ る とは る か に 低 か っ た 。 ま た、 現 在 の 他 の ア ジア 諸 国 の 平 均 文 盲 率 が19
段 階 で 約46。8%で
あ る。 と い う こ と は、 約100年
後 の ア ジ ア諸 国 と維 新 当 時 の 日本 の 知 的
水 準 は ほ ぼ 同 程 度 で あ り、 か な り 日本 の 教 育 水 準 は 高 か っ た こ とが わ か る。 た だ し、 こ こで 注 意 しな け
れ ば な ら な い こ とが あ る。 そ れ は 、 現 在 の ア ジ ア 諸 国 の 文 盲 率 が 高 い か ら と い って 、 必 ず し も維 新 当 時
の ア ジア 諸 国 の 教 育 水 準 が 低 か っ た とは 限 ら な い 、 と い う こ とで あ る。 残 念 な が ら、 当 時 の ア ジア 諸 国
の 文 盲 率 が 残 って い な い た め 断 言 は で き な い が 、10西 欧 近 代 社 会 成 立 以 降 、 ア ジア 諸 国 は 常 に 西 欧 の侵
略 の 対 象 とな り植 民 地 化 さ れ る に つ れ て 、 か つ て の 経 済 や 文 化 、 教 育 、 科 学 の 水 準 が 低 下 して い っ た、
と い う説 も か な りい わ れ て い る か ら で あ る。
さて 、 維 新 前 に な る と、 い ま ま で 儒 教 中 心 の 教 育 を して い た学 校 で も西 欧 の 近 代 化 を 見 習 い 、 実 学 を
主 張 す る洋 学 教 育 に力 を 入 れ 始 め た。 そ して 王 政 復 古 を 迎 え る と、 西 欧 に 侵 略 さ れ な い た め に 一 刻 も早
く国 を 近 代 化 させ る必 要 に 迫 ら れ 、 日本 の 近 代 教 育 が 歴 史 的 課 題 と な っ た 。 そ の た め。 欧 米 諸 国 と同 様
に殖 産 工 業 ・富 国 強 兵 の た め の 教 育 が 文 明 開 化 の 一 環 と して 行 わ れ 、1872年
に学制 が制 定 され た。
こ こで は 、 近 代 化 を 達 成 す る た め の 脱 亜 促 進 教 育 が 目標 と さ れ た 。 さ ら に 同 年 に11教 育 令 が 公 布 され 、
な ん と して で も国 民 教 育 を根 づ か せ て 統 一 され た義 務 教 育 制 度 を 作 り上 げ よ う と した 。
一 方 、 この 時 期 の 教 育 に 従 来 は 言 わ れ な か っ た、12実 力 主 義 、 す な わ ち成 績 の 良 い も の が 権 力 を 得 る
と い う学 内競 争 原 理 が 普 及 して い っ た 。 こ れ は 、 よ り優 れ た 人 材 育 成 の た め に個 人 の 野 心 を 刺 激 し た 主
義 と もい え る。 こ う して 数 多 くの エ リー ト(知 識 階級 層)が
近 代 教 育 制 度 に よ って 生 み 出 され た 一 方 で 、
多 くの 一 般 大 衆 が 読 み 書 き算 術 の 他 に あ る程 度 の 教 養 を身 に つ け る よ うに な り、 日本 の 近 代 文 明 化 へ の
基 礎 を 作 り、 後 の 軍 人 教 育 へ とつ な が って い っ た 。
この よ うに 、 日本 の 幕 末 か ら 明 治 初 期 の 教 育 は他 国 よ り も順 調 に 行 わ れ て い た が 、 次 に 、 な ぜ 日本 の
教 育 が 他 の 非 西 欧 諸 国 と異 な り近 代 化 を 導 く こ とが で き た の か 、 そ の理 由 を考 え て み た い。
2.3
日本の教 育が 近 代化 実現 を可 能 とさせ た理 由
ま ず、 こ の こ とは 全 く偶 然 だ った の だ が 幸 運 な こ とに、 我 々 日本 人 は 全 国 民 に共 通 す る統 一 言 語(日
本 語)を
有 して い た。 そ し て 、 この 日本 語 の特 性 が 他 国 よ り も近 代 化 を 早 く実 現 化 さ せ る こ とが で きた
要 因 とい え よ う。13つ ま り、 全 国 民 に 統 一 され た書 き言 葉 に つ い て ほ ん の 少 しの 知 識 が あ れ ば 日常 的 に
十 分 に 物 事 を表 現 で き る と い う こ と は、 文 盲 率 短 期 間K減
らす こ と に貢 献 し、 人 々 は読 み 書 き能 力 を身
に つ け 西 欧 の 学 問 を 受 容 す る こ とが で き、 庶 民 教 育 普 及 に お お い に 役 だ っ た 。
次 に、 幕 末 に 各 階 級 層 で 多 彩 な 学 校 教 育 が 行 わ れ て い た こ とか ら もわ か る よ うに、 広 範 な 階 層 に 基 礎
教 育 が 普 及 して い た 。 そ の た め 、1.}近代 化 達 成 に重 要 な"競
争 心"が
人 々の 間 で 自己 向 上 とい う形 で 浸
透 して い っ た と い う こ とが 挙 げ られ る。 そ して 、 自 己 向 上 の た め の 競 争 原 理 が さ らに 発 展 して19世
紀
の 実 力 主 義 に 結 び つ い た。
第 三 に は 、15基 礎 的 な 読 み 書 き能 力 が 定 着 した こ とで 、 近 代 化 の 過 程 が 明 治 に 入 って 始 ま っ た と き、
8ジ ャ ン セ ン.日 本 に お け る近 代 化 の 問 題.p.107
9豊 田 俊 雄 編.ア
ジ ア の 教 育.p.42
10豊 田.ア ジ ア の 教 育 ・P.28、
馬 越 徹.現 代 ア ジア の 教 育 一 そ の 伝 統 と`tk'一
新 一p.82
111880年
に 自由教育 令 に改 正 され た。
12ジ ャ ンセ ン.日 本 に お け る近 代 化 の 問 題.1).126-128
13麻 生 誠.近 代 教 育 史.p-31
14ジ ャ ンセ ン.日 本 に お け る近 代 化 の 問 題.p.107
15ジ ャ ンセ ン.日 本 に お け る近 代 化 の 問 題.p.109
4
日本 国 内 や 西 洋 か らの 高 度 の 情 報 を活 用 す る こ とが 十 分 に 可 能 と な っ た 。 現 に1875年
本 の 基 礎 とな る数 々の 変 革 を 成 し遂 げ た 人 々 は 、19世
以 後 に近 代 日
紀 半 ば の学 校 教 育 制 度 を受 け た 世 代 だ っ た。
第 四 に 、 この こ とは 後 進 国 の 近 代 化 の 歩 み の 一 典 型 と さ れ て い る の だ が 、 日本 の場 合 も同 様 で 、16教
育 行 政 が 中 央 集 権 で 教 育 内 容 が 国 定 制 度 に 基 づ い て い た か ら こそ 、 近 代 化 が 短 期 間 の う ち に推 進 さ れ 成
果 を 挙 げ る こ とが で き た とい え る。 そ し て こ の こ と に関 連 して 、 超 藩 閥 的 な国 家 統 一 と して の 中 央 集 権
下 の エ リー ト育 成 が 、 日本 の 近 代 化 達 成 に大 き く貢 献 し た と考 え られ よ う。 な ぜ な ら ば 日本 を近 代 化 さ
せ る上 で 、 近 代 技 術 を 中 心 とす る諸 知 識 を 学 び 日本 を リー ドす る知 識 階 級 層 形 成 は不 可 欠 だ っ た か らで
あ る。 さ ら に、 こ の こ と以 上 に他 の ア ジア 諸 国 よ り も早 く近 代 化 を 達 成 で き た 理 由 と して 、 藩 や 幕 府 が
庶 民 教 育 を 是 認 し奨 励 した こ とが 挙 げ られ る。 中 央 集 権 下 で の エ リー ト教 育 は 中 国 や 韓 国 で も行 わ れ て
い た 。 例 え ば、 中 国 の 科 挙 制 度 は そ の 典 型 で あ る。 しか し、 先 に も述 べ た が 不 幸 な こ と に、 ア ジ ア諸 国
は維 新 当 時 に 西 欧 列 強 の侵 略 を 受 け 植 民 地 化 さ れ た。 そ の た め、 各 国 で 計 画 して い た 近 代 学 校 教 育制 度
へ の 転 換 の 道 が 閉 ざ され て し ま っ た 。 例 え ば 、 朝 鮮 に は当 時 、 す で に 李 王 朝 時 代 に庶 民 の 教 育 機 関(書
堂)か
ら最 高 学 府(成
均 館)に 至 る完 結 し た教 育 体 制 を有 し、 そ の 普 及 率 もか な りの程 度 に 達 して い た 。
そ して 朝 鮮 自 らが 旧 教 育 か ら新 教 育 へ 、 す な わ ち近 代 的 学 校 制 度 へ の 転 換 を 図 ろ う と して い た 。 だ が、
日本 に植 民 地 統 合 され て しま い、 そ の 道 は 断 絶 さ れ た。17植 民 地 に あ って 宗 主 国 は、 植 民 地 経 営 に 必 要
な官 僚 エ リー トを 自国 の権 益 の保 護 の た め に の み 養 成 す る教 育 に だ け 力 を 入 れ た 。 しか し一 般 大 衆 は無
視 され 、 大 半 の 民 衆 は学 校 教 育 とは無 縁 の 状 態 に 放 置 さ れ 、 せ いぜ い読 み 書 き程 度 し か教 育 され な か っ
た 。 そ の 結 果 、 エ リ一 ト と一 般 大 衆 の 格 差 は よ け い 広 が り、 日本 と異 な り一 般 大 衆 の 教 育 に対 す る意 欲
な ど は わ か な か っ た。 以 上 の こ と か ら 日本 で は 、 庶 民 教 育 が 認 め られ た こ とで 教 育 は よ い こ と とい う一
般 概 念 が 定 着 し、 そ れ に よ り向 上 心 が 発 達 して 近 代 化 推 進 に つ な が っ て い っ た と考 え る こ とが で き よ う。
そ し て 最 後 に、18日 本 の 教 育 と政 治 政 策 の 関 連 が 近 代 化 に と っ て 最 も重 要 だ っ た と い え る。 日本 の 教
育 は人 材 育 成 に 当 た っ て 、(1)道
徳 的 向 上 、(2)有
用 な技 術 の 習 得 、 そ して(3)善
と経 験 の 拡 大 、 とい う三 つ の 目標 を 掲 げ た。 この 中 で 特 に(3)が
政 に必 要 な 知 恵
重 要 で あ っ た。 な ぜ な らば 、 知 恵 を
習 得 す る過 程 に お い て 養 わ れ た もの は、 何 よ り も国 民 全 体 の 福 利 を増 進 させ る た め に 必 要 と考 え られ る ・
政 策 、 す な わ ち、 人 民 の 公 益 に 対 す る奉 仕 策 を 進 め よ う と い う意 欲 を持 った 政 治 的 関 心 で あ っ た か らで
あ る。 知 識 は 政 治 の た め に 存 在 した とい って も過 言 で は な い。 そ して この 意 識 か ら、 日本 国 民 全 体 の 公
益 で あ る近 代 化 を 達 成 させ る た め に教 育 制 度 の 発 展 は重 要 で あ る、 と い う見 解 が 生 ま れ た。
以 上 が 、 日本 の 教 育 が 近 代 化 を達 成 させ た 理 由 で あ る。
3
ま とめ
この よ うに 、 日本 の 近 代 化 と それ に影 響 を及 ぼ した 教 育 の関 係 を 見 て み る と、 今 後 の低 開 発 諸 国 の近
代 化 実 現 や 開 発 計 画 の推 進 に は、 い か に文 盲 を 追 放 し初 等 教 育 を 普 及 させ 、 さ ら に そ れ を 発 展 さ せ た高
等 教 育 を充 実 させ る か が 重 要 で あ る こ とが よ く わ か る。 確 か に 近 代 化 達 成 の た め に は 、 経 済 政 策 や技 術
政 策 、 そ して 政 治 政 策 の 必 要 性 は い うま で もな い。 だ が 、 そ れ らの 政 策 を 実 行 す る我 々 の 知 的 水 準 が 近
代 化 達 成 の レベ ル に ま で 達 して い な け れ ば 、 い く ら有 用 な 政 策 を打 ち 出 し た と し て も そ れ を 実 行 す る こ
とが で き な い の で あ る。 そ の た め 先 進 国 の 立 場 と して は、 経 済 援 助 の 重 要 性 は 勿 論 の こ とだ が 、 そ れ 以
上 に 、 教 育 や 文 化 的 援 助 を行 い未 近 代 国 家 の 情 報 化 を促 して い くこ とが 大 切 で あ ろ う。
現 在 、 国 連 教 育 科 学 文 化 機 関(ユ
ネ ス コ)が 中 心 とな って 教 育 ・科 学 ・文 化 ・情 報 流 通 等 の 面 で の 協
力 を 行 い 識 字 教 育 や 平 和 教 育 政 策 を して い るが 、 ま だ ま だ文 盲 率 は 高 く教 育 が 全 地 域 に 普 及 して い な い
16唐
沢
.[3本 の 近 代 化 と 教 育.p.4
17馬 越 .現 代 ア ジ ア の 教 育 一 そ の 伝 統 と 革 新 一p.19
1Rジ ャ ン セ ン .日 木 に お け る 近 代 化 の 問 題.1)-112-114.p.119-126
の が 現 状 で あ る。 この よ う な 状 況 を 見 て み る と今 の 日本 が 存 在 す るの は 幕 末 か ら明 治 初 期 の 教 育 政 策
の賜 で あ り当 時 の 日本 の教 育 が い か に後 の 日本 の 歴 史 に重 要 な役 割 を果 た した か、改 め て 納 得 させ られ た。
参考文献
麻 生 誠,「 近 代 教 育 史 」,第
一 法 規1968年
唐 沢 富 太 郎 編,「 日本 の 近 代 化 と 教 育 」 、第 一 法 規1976年
M.B.ジ
ャ ン セ ン,「 日 本 に お け る 近 代 化 の 問 題 」,岩
波 書 店,1968年
「近 代 教 育 史 」,小 学 館,1968年,p.314-p.341
豊 田 俊 雄 著,「 ア ジ ア の 教 育 」,ア
ジ ア 経 済 研 究 所,1978年,p.21-p.50
馬 越 徹 編,「 現 代 の ア ジ ア 教 育 一 そ の 伝 統 と 革 新 一 」,東 信 堂1989年
p.4-p41,p.82-p.88,p.107-p.112
慶応義塾大学湘南藤 沢 キャンパ ス
〒 252
Keio UniversityShounan Fujisawa Campus
神奈川県藤沢市遠藤5322
5322,Endo, Fujisawa, Kanagawa,252,JAPAN
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