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続きへ - 北方山草会
北方山草 5 (1984) 子を置き去りにした。少年のほうはたちま 製の長やりでえものをしとめる。彼等はま ち覚えてしまった。 た数穫の根菜類、媛果類即ち、ホロムイイ ロγ 7人達はこの島で冬を越し、彼等は チ コ . .Rubus chamaemorus、 ガンコウラ いつものように分隊して異なった狩猟縁を ンEmpetrum nigrum、 コケモモ属 Va- 編成した。暴風のために彼等は 1758年 6 CClnlumの低木(旗本の註にはMyrtill 月1 7日まで余儀なくここにとどまることに usと示されている)、ナナカマド属( なった。彼等が立ち去る前、前述の頭が家 Sorbus)の竣果を食べる。 族を連れてきて、 1年分の貢物を支払っ T こ む カムチャッカのものと似た他の 7 ス類が豊 この船は未だ知られていないアリューシ ャン半島について最も詳細な記録をカムチ 小川はサケや 富であり、これらは骨製のつり針でとらえ られる。 ャッカにもたらした。彼等は第 3島から少 これらの島々は多量の小さなヤナギ、雑 し離れたところに横たわる第 4島(原住民 木を産するが、大きな樹木はない。しかし によって Iviyaと呼ばれている)について 海は海岸にそミ(樹木)やカラマツを押し の消息を受けたが、嵐のためにその島に到 寄せ、彼等の小屋を建てるには十分である。 達することはできなかった o 第 3島は長さ 第 3 島には数多くの ~t経ギア平がし、るし ノ レ λタであ 約 100ベノレス夕、幅 5-20ベ オットセイもいる。そして、!嵐の閉海岸は 1. ........ソ連の距離単位で った。〈ヘノレ兄 5 ガγ やカモでおおわれる。 1ベノレスタは 0.6629"イノレで 1 .067kmに 以下略 上記の文献では根菜類につい ては内容が示されておりませんが、ここに 相当する〉 彼等は東微南に位置する第 l島から第 2 あげられている竣果類 ホロムイイチゴ、 島までの距離を約3 0ベノレ旦夕、後者から南 ガ Y コウラン、コケモモ属、ナナカ 7 ド属 東に位置する第 3島までの距離をおよそ 4 0 はいずれも極地植物であり、エスキモーや へノレスタとみなした。 シベリアの極寒の民族が大いに利用した野 島民の元来の服装は鳥の皮、オットセイ 生植物であります。中でもナナカマド属は やアザラシの皮で作られていて皮は、なめ 前述のように北千島を含め、それより北の されていた。しかし、大部分の地方ではロ 民族に広く利用された媛果類でありヨーロ γ ア犬の皮のコート、羊皮の下着を作り、 ッパでも利用され、北半球北部 η民族が最 彼等はそれらを最も好んでいた。彼等はも も広く利用した楠物といってもよいで Lょ ともと話し好きで、建解が早く、ロシア人 う 。 に非常になついているといえる。 次は、 COXE文献中の二人のコサック 彼等の住居は地中にはられ、カムチャツ カ半島における小屋に類似する木の屋根で おおわれている。 彼等の主食は海戦の肉であり、彼等は骨 -84 ピーター・ワシュチ y スコイ PETER WA日YUTINSKOI及びマキシム・ラザ ロフ MAXIM LASARm'Fの日誌をも とにして書かれたものを紹介しましょう。 タ F 北方山草 5 (1984) 第 7章聖アンドリアン・ナタリア号で 植物の名については次のような註がつけ のアソドリア γ ・トノレストフ ANDREAN 加えられている。 TOLSTYKの航海ーア ドリアノフスキ υ 1iginosum Sanguisorba and Bisto- ー オストロノ、 ANDREANOFFSKYE r t a- (最初よりガ γ コウラン属、コケモ OSTROVA と呼ばれているいくつかの新 モ属一泥炭地植物、ワレモコウ属及びイブ 島の発見 キトラノオ属〉 録 γ それらの五つの島についての記 以上の文章の中には極北共通の野生の利 …・と題されて本文が始まっています。 用植物のほかに注目すべきものは、ワレモ 一以下筆者邦訳部分 次は、上述の 5島についてのラザロブの コウ属とイプキトラノオの仲間の植物であ 記録である。その 5島はフオック兄アイラ ります。いずれも、その根が食用の対象と ンド FOX ISLANDのいくぶん北西の列 なったものであります。 ワレモコウ属はエゾ本島アイヌには食用 島に位置しており、それらは混合されるべ とされなかったようですが、より北方の樺 きではない。 最初の正確な記録はこの船即ち、聖アン 太アイヌは葉が魚類のウグイの「えら j に ドリアン・ナクリア号によってもたらされ 形が似ているのでこれを sup~n (ウ夕、イ) それ故にその島々はアンドリアノフスキー 叫ん k i (えら) (ナガボノシロワレモ ・l h eA n d r e a n o f f s k i e Osト ・オストロパ(t コウの茎葉のアイヌ名)と L、い食用としま rova) または、聖ア γ ドリアン諸島と呼 した。ただ、オロッコがこれを食べたかど 50ヘ ル ばれる。 Ayagh(島名)は周囲 1 うかは全くわかりまぜん。〔千島アイヌに スタである。数個の高くて岩石の多い山岳 ついても不明です心千島や樺太よりももっ を保有し、その間にはむき出しのヒースや と極北の民族はかなりこれを食用にしたよ 湿地がある。島一帯には 1本の森林樹木も うですO そして、朝鮮においては葉をゆで 見い出すことはできない。植物はカムチャ て菜とし仰塩で調食されたという記録は有 ッカで生育するものとほとんど同じである。 名であります。茶の代用や薬用の記録も残 媛果類についてはガンコウラ y やコケモモ されております。朝鮮で利用されたワレモ 属の大きな種類が見られるが量は少ない。 n g ui s o r b a コウ属は、コワレモコウ Sa ワレモコウの根やあらゆる種類のイフキト t e n u i f o l i aF i s c h . オオワレモコウ S . ラノオの類については非常に豊富なのでし、 media R e g e l . シロワレモコウ S .o f f ざという時、住人にとって十分な食料を供 i c i n a l i sL .v a r .a l b a Nakai.など同属 給することができる。前にあげた川はこの 数種といいます。朝鮮名は下記のようです。 さらにまた、ヨーロッパにおいても古く 島にある唯一の川である。 から食用あるいは薬用植物として利用され 人口は十分に確かめることはできない。 r なぜならば、原住民は常にカヤック(小舟 たことが知られております。(石山著 )で島から島へと通行するからである。 南樺太産有用野生植物J 庫太庁中央試験 -85ー J 当 Empet r u m .Va c ci n . 北方山草 5 (1984) 第1 0 章の内容は、ステパン 朝鮮名 STEPHEN GLOTTOFFの航海記であ : 1J [ 地 検] . 弁 ト T 向仁げy 戸 伊u [ 玉 鼓]今 具 ペ1 0 りますが、この人はエニセイスクの人で、 必ずん (村田著 グロトブ 1759年 -1762年にかけてウムナク Um n a k及びウナラスカ U n a l a s h l 日を調査し I 土名対照満鮮植物字禁J 昭和 9年刊による。) た人として北方探検史上著名な人物であり ます。 所報告 第1 0 章の構成は次のように組み立てられ 倖太・小沼〕 イプキトラノオに仲間も日本近辺ではカ ムチ寸ツカ半島の原住民が食用とするムカ ております。 ステパン・クロトブの航海記 アオック ます。イプキトラノオ P o l y g o n u mb i s t ( t h eFOX ISLANDS) に到達 ウナラスカ U n a l a s h k aのはるか 向こうカディアック KADYAK へ航行 そ o r t aはヨーロッパ原産の植物であり、 朝 の烏での冬乗組員をみな殺しにしようと 鮮や支那においてはその苗葉をにて食用と 繰り返えされた原住民の企て したといわれております。 され、仲なおりし、ロシア人と交易するよ ゴトラノオの利用と共通点が見られ、非常 に興味深い北方民族の野生食用植物であり ア γ ドレアノア λ キー諸島のうちの一つ t c h uには先に述べた根菜類のほ由紀 の烏 A 白ユリ(種名不詳 ー w h i t el i l i e s と記載されている)の塊茎が多量に見い出 されたことが記録されております。 (CO XE文 献 ) 7 -7イランド う説得されるーカディアック記 動物産物グロト ムナク そ吃住民 7GLOTTOFF ウ U m n a kへ帰航する カムチャッカへ帰還 彼等は駆逐 そこでの冬 彼の航海日誌 以上のように非常に細かく分けられてお ります。 ラノレスクの商人 テレンティ・ツエパェ TERENTYTSEBAEFFSKOI と その一行がヤーレンスク YARENSKの経 フスコイ B) アラスカ原住民の野生食用植物 COX召の文献によってあげられている 験を持った索練した船乗り λ テパ γ . グロ STEPHEN GLOTTOFFの長討軍の 野生食用植物の数は非常に少ないのであり トフ ますが、それらは恐らく代表的なものにし 下に 7/'ドリア y ・ナタリア号を綴装し、 ぼって記載されたためかと思われます。 3 8名のロソア人と 8名のカムチャッダノレを アラスカ原住民の野生食用植物について 乗せてカムチャッカ!l1 湾から出航したのは 多少なりともふれているところは前記文献 1762年 1 0月 1日でありましたの B日後到 の第 1 0章から第 1 2章までのうち叱数カ所 達した島はメドノイ・オストロフ MEDN に限られておりますが、それらを中心にし こ』主コパー・アイラ y O I OSTROFFまT ドCOPPERI SLAND(天然の銅がこの ながらながめることにしましょう。 -86 北方山草 5 (1984) 島の海岸から発見されたことに由来する島 名)と L、う島でありました。ここで彼等は 越冬し、 1763年 7月初日ここから出航 し、進路をウムナク島 Umnak 及びアグナ ラスカ島 Agunalashkaに向けました。 グ ロトフがかつて多数の黒ギツ平を発見した 島であります。嵐と逆風のためにウムナク 島に到達するのに 3 0日を要し彼等がここに 着いたのは 8月2 4日であります。こうして 彼等はカディアック烏に到達しております が 、 COXE文献には、カディアック島の動 物や野生の食用植物のことが記録されてお ります。 UYAK HAY, KAVIAK lSLAND カデイアック烏 HARRI1 v l AN ALASKA EXPEDITION ALASKA VOLUME 1 .1 904 (ハリマン:アラスカ探検隊報告書より) 関係部分を引用してみましょう。 r r h e vegetable productions (lr c bi l b e r r i e s,c ranberrics, wortleber r i e s,and wild l i l y r o o t s . 上記には少数ではあるが、 ツノレコケモモ (恐らくツノレコケモモ、 ヒメツノレコケモモ ております。 ) コケ を含むと思われる-cranberries、 モモ bilberries、 ツツ j 科コケモモ属 1764年イノレターツク IRKUTSKの商 人ヤコプ・ウレドニコフ JACOB ULE- で黒い実をつけるもの(多くの種類が含ま DNIKOFFとその)行は、 れると思われる。原本でば wortleberries ピオフ IVAN SOLOVIOFFの指揮の下 と記載されているが、 whortle b e r r ie sの に聖使徒ピータ 古語であろうかまたは、誤植なのであろう 5日、カムチャッカ川口より出 装し、 8月2 か 。 ) 、 野生のユリの根(これも多くの種 航しました。乗組員は 5 5名で、その中には 類の野生のユリを含むと考えられる。)を利 所有者達と 1 3名のカムチャッダノレ(カムチ 用したことがわかります。また、ウムブク Umnak広食用野生植物は、 1 カムチャッカ イワン・ソ口 ポーノレ号と L、う船を犠 ッカ原住民〕が乗り込んでおりました。 この時の航海は、ウムナク島とウナラス のものと同様であったとも記載されており こC 力烏の調査を目的とするものでありまし T ますから、多少の違いはあったとしても、 そして、ソロピオフ SOLOVIOFFの航海 まずほとんど伺じとみてよいでしょう。住 日誌にはそれらの島の原住民、風谷、習慣、 居も、アリューシャン列島及びその近辺の 産物等についての記録を残しました。 ものと同じように穴を掘って造ると記され その一部分を原文のまま紹介してみたい 8 7 F 北方山草 5 (1984) と思います。 彼等が食物を調理しようとする時には、い つもくぼんだ石を使用 Lました。即ち、そ They feed upon the flesh 0 1a l l の中に魚や肉を入れると、 もう一つの石で sarts o f sea-animals,and genera- 覆い、そのすき間を石灰や粘土で封じまし I Iy eat 1t r a w . But i fa t any time た。それからそれを 2個の石の上に水平に they choose t o dress their victu 置き、その下から火をつけましたロ a l s,they make use of an hollow 貯蔵しようとする食料は塩なして空気中 atone having placed the f i s ho r で乾燥されました。 f l e s h therein. they cover i twit h 彼等は種々な媛果類、 カムチャッカに自 h e interstices another,and close t 生するものと同種のユリの根を採取しまし , with lime or clay た。彼等は、あの島(カムチャッカ半島を They then 1 ay i t horizontally 指している)で行なわれているようなハナ upon two stones. and l i g h taf i r e ウドの調理法は心得てはおりません。 しか under 1t . The provision which i s も、それを蒸りゅうしてそれからブランデ intended f o r keeping I s driedwit ーや他の強力なアルコーノレ飲料を製する方 h o u ts a l ti n the open a I r . They 法を知っておりません。 gather berries o f various 50fts, 彼等は現在「かぎたばこ Jを非常に好み and l i l y roots of the same speci- ますが、これはロシア人達が彼等の聞に持 e s with those which growwild a t ち込んだものであります。 Kamt chat k a . They are unacquain 一上記訳文について ted with themanner of dressing 原文の中に見える "Cow-parsnip" s practised In the cow-parsnip,a ハナウドェというのはオオハナウド Hera- that peninsula;and do oot under cleum dulce F i s h .を指すものであり、 stand t h e art 01 distilling bran 北海道にも産し、本州では近畿以北、国外 dy o r any other strong liquor Ir- -e~工ウスリ一、 t . They a re a t present very om I に分布する北方植物であります。そして、 fond of snuff,which the Russian この植物はカムチャッカ土人が大いに利用 have introduced among them. した植物であったことは前述した通りであ 以上は COXE文献の原本 153Pよりそ オホーッ夕、 カムチャッカ ります。 のまま引用したものであります。 (古体は ハナウドl-Ieracleum lanatum Michx 現代活字になおした。〕 については、北海道や樺太の原住民が大い 原文の邦訳 に利用した記録があり、茎は皮をむいて生 彼等はあらゆる種類の海獣の肉をしかも 食され、葉柄では特に根生葉械が重要で、 生で食べるのが普通でありました。 しかし、 このほうは皮をむいて乾燥府蔵され冬期間 8 8 北方山草 5 (1984) の食料とされました。 しかし、オオハナウドからプランデーや 強力な他のアノレコーノレ飲料を製するのはカ ンTicdemann氏が中世紀の旅行家達の書 いたものを深く調査することによってこの ことを実証したと L北、ます) ムチャッカ原住民独自のものであったよう 第 3はタパコの通俗名はタパコの原産地 です。また、これから砂糖を製するのも河 がアメザカであることを確かめているとい 様であります。(日本本土では、岡山県の い、その支那名、日本名、ジャハ名、印度 一部で、古来より「ハナウド j を「ハウド 名、ベノレシャ名等が、ベトウム Petum、 Jと称して利用されたという記録があるよ ま t~こ t土、タノ、ク rrabak 、タ,f i JTabok、 うです。ピレネ一地方にあっては、冬期間 タンボク Tambocという少しばかり変形し 豚の飼料として利用され、アノルレプス地方に たアメリカ名に由来していることをあげて お お ‘ 九L おります。また、 ドウムラパトラ Dhumr- て利用されるといいますO …ー石 1 I 1 著「樺 apat raとタムラク-!7Tamrakoutaと し 、 太庁中央試験所報告J 南樺太産有用野生 うサンスグリット名については、前者は喫 植物〈第二報〉を参考。朝鮮、満州では利 煙用の薬だけを意味し、後者はアメリカ名 用された記録を見ません。 の近代的な変形といい、アラビア語のドッ ヨーロッパで最も利用されている著名な ハナウド ~t カ Y Docchanは単に「煙Jのみを意味する ものと L、 L、ます。 "Heracleum spondyliurn しかし北洋原住民にタハコがなかった L . I Iであります。) タバコの原産地が北アメリカであるのに わけではありません。 木の皮をきざんだものが彼等のタハコで それがロ γ 7人達から持ち込まれたという w .J.HOFFMAN) 話には篤ろかされます。タパコが北アメリ あります。 ホフマ γ( カが原産地であることは、 ドウ・力 γ ド ノ レ 著のエスキモーの芸術ニ The Graphic 著「栽培植物の起源J (加茂儀一訳)に次 Art of t h e ESKIMOS=にはアカクキ の 3つの理由をあげて明解に説明されてお ミズキ Cornus stonIIeraの赤い内皮や U ります。 VA URSI の葉を形をそろえてきざんだ ものが使用されているということが需かれ その一つは、野生の状態で見い出される タハコ属 5 0 種の中で 2つだけがアメリカに ております。 試みに、オロチョ γ語のタハコを意味す 関係のないものであること。 2つめは、アシアの諸民族はタハコの大 る言語を調査してみよう。 I 樺太土人研究 なる愛好者で非常に古い時代からある麻酔 資料J (原本 4 0部本)によると、 性の植物を熊らすことを求めておりま Lた -J とあります。しかし、この誌は元来タ が、彼等の中で唯 l人としてアメリ力発見 ノ、コを意、味する言語ではないらしいのです。 以前にタハコを利用していたものがいなか 「ウイノレタ語辞典J (日本版オロァコ語辞 ったことをあげております。(ティーデマ 典)によるとサクナ 8 9 「サクナ には「煙 J以外の意 北方山草 5 (1984) r 味はないのであります。従ってオロッコは フー・サクナニ( ニJは接尾辞)葉タバ もとタバゴをもたぬ民族であったと思われ コとありますが、頭についているマタブー るのであります。同じオロッコ語に、 マク は 、 「黒竜江下流地方j の意、サクナニは 「サクナ-J (元来煙の意)に三人称単数 語尾のD1がついて「サクナニ」と L、う語に なったものであります。従って葉タバコは 元は黒竜江 F 流地方の民族から伝わったの . ではないでしょうか?, 薬タハコのオ ロッコへの流入経路を表わすものと推定さ れる興味深い言語であります。 家達を襲った病魔一命の野生植物 ﹂ 、日誠氏かかヤ hJ ω 、 円 Nγ lwιyd ヘH oニ . Z︿ 岩 ﹄ ﹄O 出 国 田 市 山 HhEロ ヨ昌一E 吋 Z. ∞ . 己 5 北方民族の食物文化の知恵一北方探検 │北方民族と野生食用植物j と題してそ の第一編から二編にかけていろいろな民族 が利用してきた野生の食用植物を文献上か らながめてきましたが、人類が地球上に発 生したごく初期のことを想像すると、その 食物の種類は極めて少数のものであったこ とは容易に推定することができます。 そして、それまで未知であったものを口 MO 亡。岳民 にする時、よほどの勇気や知恵をともなっ たことでありましょう。また、生きていく ためには想像を絶する過酷な状況を乗り越 えねばならなかったはずです。そして、有 毒なものをも立派に彼等の食物として定着 させてきたことも「食物文化則の一断面 でもあります。 いまその一例j を示すと「ド γ グザ j など は好例でありましょう。 ドングリの突は、 和人が食料にし得なかったものでありまし たが、アイヌ民族はそれを「食封といっ しょににることによって多量に含むタンニ -90 北方山草 5 (1984) γ 酸を消去し、重要な食料源としてしまい 期にも貯蔵されました。そして、その食料 ました。また、未開の土人達が猛毒キノコ 貯蔵庫は民族が違ってもその形態が極めて として著名な「ベニテングタケ」を特殊な 類似しているのに驚かされるのです。 方法で毒成分を徐去し、極めて美味な食品 としていることを 2 0 年程以前に名著「菌類 界の特異現象J とL寸書物て読んだことが あります。まさに文明人から見ても驚ろく べきことがらであり、偉大なる知恵と勇気 のたまものというべきものであります。 竣果類や他の野生植物を多量にとること によって彼等の栄養のパランスも保たれた オロツコの食料貯蔵庫 dalu fウイルタの暮 Lと民具Jより のでありますが、果媛類のうちの数種は冬 BOCTOY :IL¥JI Cl JC I ll 'L i l¥ OHEU X¥"I l l-HAeIAJ !OXIXB.) コサッグの食料貯蔵庫(犬ゾリの背景に見える) 床を高くしてあるのは共通点 LEVIN M .G.POTAPOV L.P.:ISTORIKO ETNORAFICESKIJ ATLAS SIBIRI. MOSKVA-LENINGRAD1 9 6 1 .(I 、ンベリア歴史民旋学図説」 エト科学アカデミー・モスクワ : r1961年刊)より レニングラ- 9 1 ソビ 北方山草 5 (1984) 右の図はアイヌの 食物貯蔵庫 CPU) の骨組を示したもの であります。 Cr 北海道・樺太の 古建築 J鷹部屋福平 著 昭 和1 8年刊ー・ 「北海道・徳太・千 島列島 Jの中の一編 より) でありますが、それらの中には豊富な栄養 以上のほかに数多の P Uが古文献の中に 描かれ、中でも松浦武四郎の日誌類の中に やピタミ 見られるアイヌの P Uはたいへん正確に表 ません。試みにナナカマド類の果実につい 現されています。エゾ地を探検した著名な て調べてみますと 4~13.79もの糖分を含 外国人画家ラ y ドーノレはエゾ本島アイヌの み、ビタミン Cの含有量は Ribes nigrum P Uについて貴重な油絵古画を残しましT お L . Cクロスグリ)やレモンに近いとし、し¥ それによるとクッシヤロアイヌのプーの屋 (中田・前田著「ソビエト連邦の樹木 J) 根はカ 7 ボコ形の丸屋根式であります。ラ また、その果皮にはカロチン(体内でビタ ドーんはその時のエゾ地探検のようすを ミ'/Aに変化する)を含み、その 15%はア Y f 単身毛深きアイヌと共にJ CA .H.SAVAGE:ALONE WITH THE HAIRY AINU.or.3800 MILES ON A PACK SADDLE IN YEZO AND A CRUISE TO THE KURILE ISLANS. LODON:JOHN MURRAY.ALBEMARLE STREET 1 8 9 3 .)と L、う書物としてまとめました。 (サブタイトノレ γ を多量に含むものが少なくあり ルブァーカロチ y で 、 85%はベーターカロ チンであると L市、ます。(樺太中央試験所 報告「南樺太産有用野生植物」第二報)こ の他に茎葉や根を利用することのできる多 くの野生植物は北地の原住民の栄養のバラ ンスをとるために重要な役割を演じてきま した。 しかし、未知の北辺の地を明らかにさせ =r 蝦夷騎馬行三千八百マ ようとする目的て、航海を試みた多くの文明 イル及び千島巡回記 jニ ) 人達は病魔におかされることがたびたびて、 さて、北方民族が利用した野生食用植物 ありました。そのほとんどは「壊血病」で 9 2 F 北方山草 5 (1984) ありました。 北構保男氏によって初邦訳さ 実になまなましい記録であります。 された G'Fミュラー著「ロシア人による 最後に、この嬢血病者のための著名な野 北東シベリア・日本・アメリ力発見史Jの 生食用植物を 2種あげてみたいと思います。 中には、そのなまなましい様子が描かれて 図示したトモシリソウとジンヨウ λ イバ おりますのでその一部分を紹介した L、と思 の 2種の植物はし、ずれも極地方の北方民族 います。 が食用にしていた野生積物で、これらの植 ながし、間待ち望ん 物が壊血病に効果大なることは古くから旅 でし、たカムチャッカの海岸が、西方に現わ 行者や北方探検家に広く知られておりまし れなかったとき、彼等の港を求める期待は 主 こ 。 「病者の続出…… まったく失われた。そして、欠乏と図窮と 病気にもかかわらず、何人をも絶望させる 〈トモシリソウ〉 トモシリソウ属 CochleariaL . の植物 寒気と湿気の中を、進み続けなければなら で世界に約 2 5 種が知られ、 日本にはトモシ なかった。 いつもかじをとっている二人の船員は病 状がきわめて重く、ほとんど歩けないよう リソウ C ochlearia oblongifolia D .C . 1種のみを産します。 な他の二人によって、かじの所まで連れて この植物の日本における最初の発見地は こられなければならなかった。一人がそれ j 舗道根室半島の「友知 J (ニトモシリー 以上かじをとれなくなれば、それよりは増 根室から納沙布へ行く途中にある)で、そ しな健康状態にあるとはいえない、 もうー の最初の発見地をとって「トモシリソウ J 人がかわった0 ・ ・・・中略 ・…この病気 と名づけられた植物で、あります。北海道で は、全身の衰弱からはじまり、すべての仕 は道東に産し、国外では、ソ連極東地方か 事が耐えがたくなって、それをきらうよう ら北アメリカ西部に分布する極北要素のー になり、さらにその心を完全に沈滞させる。 L、 ます。 っと L、 0 アイヌ語地名「ト・モシジ j は そして、 しだいに、 ほんのわずか身体を動 r 2つの かしても息を切らすようになり、患者は歩 ・島」の意で下の地図のようにかつては沖 くことよりもむしろ横になることを選ぶの に 2つ並んでいる 2島を「ト・モシリ j と であるが、 これが患者の破滅の原因となる L市、ましたが、由也へ名称が移行され、根 のである。というのは続いて手足が痛んで 室から納沙布へ行く途中の「友知港Jのあ 足に浮腫が生じはじめ、顔はひどく黄ばみ、 る漁村地区の地名となっています。 ついで身体が青いはん点て、おおわれて、 口 と歯茎から出血し、すべての歯がぐらぐら 〈ν ンヨウスイノく〉 ジンヨウスイバ属 O xyriaHi1 1で 、 にゆるむようになる。このころには、患者 はふつう動きたがらなくなり、生死につい ては完全に無関心なる o •... .•...•... . . J 世 界で l属 1種の植物であります。前種と同 様極地方の原住民が広く食用としたもので 9 3 北方山草 5 (1984) トモシリソウ Cochlearia oblongifoli aD .C. 「千島列島植物図鑑J北部軍管区司令部箪医部編より引用 -94 ー 北方山草 5 (1984) , j .' ¥ . . •・ , t IU 戸J 用 O﹁ U ト ー 品 h ソ 川綱 同町濃 di 部 団令 m司 h駆 TI H 軍 日部 図 十 ﹀ j 配 UU J 什 パ問物 Fh椋 ス小島 イ ヨ口島 ゥ a列 ジ γ w吋 千 95- ? 北方山草 5 (1984) 壊血病に効果あることが、古くから旅行者 布として欧州、アシア、北米の北部、およ や北万探検家達によって知られていたよう び高山にあり、千島にも産すると記されて です。 おります。また、 「千島列島植物図鑑Jに よれば、中部千島以北の各島にはまれなら 日本では、北海道、本州中部地万に産し ざるも、南千島においてはわずかに搾捉 国外では北半球に広く分布しておりますの 島に生ずるのみと記録されています。 ジ γ ヨウスイノ{Oxyri a di gyna(L .) H i l l . Rumex digynusL .は「新日本植物 誌J(至文堂 1983)によれば、国外の分 ん ギ 九V ( . 4 Z5f L 5 8 6 o LFVhU7 q-ョ 0Ji-V叶判 mvtttリ ナ モ 東西蝦夷山川地理取調紀行「納I j ;布日誌J:松浦武四郎著 (万延元年筆者所蔵原本より) 4) 《参考及び引用文献》 正1 4年 1 1 1.平凡社 臼本の野生植物 1- 5) 6) 昭和 8年原本 続日本植物図譜寺崎留古 大 日本植物総覧刊行会 日本植物総覧補遺根本著春陽堂 昭和 1 1年 日本横物1Z 1 .1普寺崎留吉春陽堂 3) 日本植物総覧牧野・根本共著 F島列島植物図鑑北部軍管区司令 部軍医部編昭和初年 日本中 3 学校内日本被物図譜刊行会 昭和 1 7) 年原本 コタ γ 生物記 I 樹木・雑草編更 科源蔵・更科光共著法政大学 9 6 内学術図書自主刊行会 1976年 2 2) 南樺太産有用野生積物 8) 士名対照満鮮植物字紫 村田著 成 ) - 2 4) 栽培植物の起源 ウ・力 化 保 存 協 会 澗 潟 久 治 著 昭 和5 6年 ネ 土 1 2) 北 千 島 ア イ ヌ 語 村 山 七 郎 著 吉 川 ドノレ著 加茂儀一訳 改 造 6年 昭和 1 mos. By WALTER JAMES HOFFMAN,M.口 .I Ionorary と民俗網走市北方民俗文化保存協 r; γ アノレフォンズ・ r to f the Eski 2 5) The graphic a 1971年 1 3) 川村秀弥録録カラフト諸民族の言語 三斗 南満洲 南満洲植物目録矢部古禎 鉄道株式会社大正元年 松浦武四郎万延元年原本 ウイノレタ語辞典 網走市北方民俗文 弘文館 υ ︺ 3 2 ︺ O 1 納沙布日誌(東西蝦夷Ll! i1地理取調 昭和 1 1年 石 山 哲 爾 著 Curator,Ethnologic a l Muse 昭和5 8年 j ! j ) ウイノレタの暮しと民具 網走市北方 um,Catholic University of 民俗文化保存協会昭和5 7年 .C . America.Washington,D 〆 From the Report 01 the U.S 1 5) オロッコーギリヤーク民俗資料調査 報告書〔北海道文化財シリーズ 1 4 集〉 o r 1895, National Museum l 第 pages 739-968,with eighty 北海道教育委員会昭和4 9 -two plates Washington 年 目 Government Printing Olfice 1 6) 北方民族と野手E食用植物(北方山草 第 4号〕外山雅寛北方山草会 1897 ノ H 百 (r エスキモーの芸術 j 和5 8年 1 7) 北海道樺太・千島列島 米国国立 博物館報) 山下秀之 2 6) Account of the Russian disc- 助 編 山 雅 房 昭 和1 8年 1 8) 千島シベワア探検史北構保男著 QVCrleS betwecn Asi a and o which 3fC added America t 7年 名 著 出 版 昭 和5 1 9) 北 方 風 土 記 択 捉 島 地 名 探 索 行 鹿 t h e conquest of Siberia and h e transact ft t h e history o 能 辰 雄 著 み や ま 書 房 昭 和5 1年 町1 c r c e betwecn 1 0 0 5 and com 初) 分類アイヌ語辞典横物編・動物編 (知里真志保著作集別巻 1) 平 n a . By WILL Russia and Chi 凡 社 昭 和5 1年 IAM COXE,A.M.1780 2 1 ) ソヒザエト連邦の樹司王 中国 功・前 (ロシア人のアシア及びアメリカ発 満共著 林業試験場北海道支場 見史それに加えるヅヘリアの領土 田 -97- 汁叶けれ叶けけ川 央 試 験 所 樺 太 ・ 小 沼 昭 和 7年 N H K北海道本部編 北 海 教 育 評 論 社 昭 和5 0年 紀行〉 第 1- 2報 (樺太庁中央試験所報告)樺太庁中 光 館 蔵 版 昭 和 9年 9) 北海道地名誌 1979年 Ujill-J 出版局 花似山山山山げは弓llれれれいいN 北方山草 5 (1984) 北方山草 5 (1984) 及びロシアと支那の交易交渉史 gton Academy of Sciences ウ ALASKA vol . 1 narrative, ィリアム・コックス・ A.M.原著、 安永 9年ロ glaciers.natives. By Jnhn γ ドン刊原本初版ー この著書、筆者が調査したところ安 Burroughs. John Mui r and 永 9年以降天明 B年までに第 3版ま George Bird Grinnell.New て、刊行されたことが判明している) York. 1 904 (ハリマンアラスカ探検隊報告書・ 2 7) LEVIN M. G. POTAPOV L . 1巻 ニ ュ ー ヨ ー ク P . : ISTORIKO ETNORAFIC 第 ESKIJ ATLAS SIBIRI. 刊) MOSKVA-LENINGRAD1 961 局 長 葛 西 続 千 代 著 昭 和 3年刊 〔孔版 ト科学アカデミー・モスクワ、レニ ド 3 7年 3 2) 樺 太 土 人 研 究 資 料 樺 太 島 富 内 郵 便 (シヘリア経史民族学図説ーソビエ ソグラ 明治 1961年 干 I j) 4 0部 本 原 本 〕 3 3) 新 日 本 植 物 誌 顕 花 篇 大 井 次 三 郎 〆VOLUM 著・北川政夫改訂至文堂 2 8 ) FLORA EUROPAE 1 9 8 3 . E2 . ROSACEAE TO UMBE 〆 1 ed By T .G . LLIFERAE edi Tutin V .H.Heywood N.A.Bu rges D.M.Moore D.H. Valentine S .M.Walters D.A.Webb wit ht h e assistance o fP . .K.FeW. Ball A.O.Chater 1 r g u s o o . Cambridge University Press. Cambridge London Ncw 978(欧州植 York'Melbourne.1 物総覧・第 2巻) 2 9) 南千島色丹島誌 Investigation i o げ ー へ h e soulh Shikolan Island,t Kurilcs. 大野笑三編 (r日本常民生活資料議書 所収 第 7巻 1973年 三 一 書 房 刊 ) 3 0) 北海道史料所在録 1-6集 北 海 ミヤマウイキヨウ 道総務部文書統計課 31 ) Harriman Alaska expcdition wit h cooperation of Washin 9 8