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「だんだんボックス」がつなぐ 地域の優しさのネットワーク

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「だんだんボックス」がつなぐ 地域の優しさのネットワーク
No.189
平成24年11月
(社福)あさみどりの会
わ ら び 福 祉 園
〒 470-0224
みよし市三好町西荒田28番地
TEL:0561-34-5975
FAX:0561-34-5976
http://www.asamidori.or.jp/
http://www.geocities.jp/rghama
e-mail:[email protected]
「だんだんボックス」がつなぐ
地域の優しさのネットワーク
だんだんボックス実行委員会・九州大学大学院芸術工学研究院准教授
鵜 飼 哲 矢
昨年8月、わらびの3人の絵が、岡崎信用金庫の
現金封筒のデザインに採用されました。その糸口を
なみだは
作っていただいたのが「だんだんボックス実行委員
にんげんのつくることのできる
会」愛知支部長の須藤伸枝さんです。その後、現金
一ばん小さな
封筒の絵はキャッシュカードにもなりました。
海です
今年の7月には岡崎の岡信資料館で「第1回だん
(寺山修司
「一ばんみじかい抒情詩」)
だんボックス愛知アート展」が開催され、来年の卓
上カレンダーを彩るわらびの皆さんの絵も紹介され
私たちの文明社会は「信用」で成り立っている。
ました。だんだんボックス実行委員会のおかげで、
様々な法律や制度や経済も、実は何もないフィクシ
皆さんの絵は、いろいろな所に展示されたり、お買
ョンである。いわば人間同士の約束として初めて成
い上げいただいたりしています。
立し、皆がそれを正しいと思うから正しいとされる
その「だんだんボックス実行委員会」とは何だろ
だけである。そこが動物と違う人間の人間たる所以
うと疑問を持つ人が多いと思われます。この運動を
である。
始められた鵜飼哲矢氏が、月刊誌『信用金庫』のシ
最近の日本社会の閉塞状況は、政治や経済の問題
リーズ「地域社会の持続的発展に向けて」に寄稿さ
もあろうが、根本は、この人と人との「信用」が揺
れた文を、転載の承諾を得ましたので掲載いたしま
らいでいるからなのではないか。インターネットな
す。(文責:高濱)
どのバーチャルな環境もモノや人間の生きている生
々しいリアリティを一層抽象化してしまっている。
鵜飼哲也さん
「だんだん」とは江戸時
私の本職は大学の教員であり、建築家でもある。
代に京都で生まれ、西日本
建築というのは、古来より地面の上に立ち、風雨に
の一部に残る方言で「あり
さらされ、天変地異も起こる中で人の命と生活を守
がとう」の意味である。「だ
る極めて生々しい存在であるが、これも何か工業製
んだんボックス」は地域の
品か商品のように変質しつつある。たとえば、家を
障がいのあるアーティストの
買う際にも、そこで人がどう生きてゆくということ
持続的な応援として生まれ、現在、岡崎信用金庫に
が一番大切なのに、身体性や感情をおきざりにして、
て採用されている。この活動の取り組みの始まりか
些細なスペックや性能の評価やらローンの数字ばか
らその内容と広がってゆく地域の声をお伝えした
り眺めている。本来は、家のために生きるのではな
い。
く、生きるからこそ家が必要なのに。変な社会であ
1
リアリティと「信用」を取り戻そう
る。
-1-
現在の日本における希望の喪失感は、抽象化され
った。チャリティーやバザーなどで作品を使った商
すぎた仕組みが一因にあると思う。思考はすべて標
品を売ってもそんなに売れない。値段も小ロットの
準化され、数値化される。学生たちが若いうちから
ため高くなってしまう。
偏差値で大学を選び、就職ランキングで会社を選ぶ
「じゃあ」と私は部屋の隅に積まれた段ボールを
のもこれと同じである。何か根本が違うのではない
指差した。「これに彼らの絵を載せたらどうでしょ
かと思う。
うか?」彼の目が輝いた。「いいですね。それ、是
非やりましょう。」
「信用」という言葉は「信じて用いる」と書く。
「信じる」という言葉も、
「人」が「言う」と書く。
こうして、偶
ここにまさに私たちが忘れてしまった原点があるの
然のようにだん
ではないだろうか。誰か具体的な人間があってこそ、
だんボックスは
信用は担保されるのであり、抽象的なシステムでは
生まれたのだっ
なく人が主役なのである。「信用金庫」という言葉
た。味気のない
の由来を聞いて、なるほどと合点がいった。地域の
茶色の段ボール
人や企業のためにという創始者たちの哲学がそこに
に障がいのある
あったのであろう。
アーティストたちの作品を載せて販売すれば、大量
日本を大きく変えてゆくヒントは、これまでの肥
生産品だからそんなに高くなくきっと需要はあるだ
大化したシステムの修正ではなく、個々の人の「信
ろう。そして、何よりもアートがデザインされた段
用」をもう一度取り戻すことにあると私は思う。
ボール箱は空間を豊かにするし、人の心も和らげる。
また、贈り物を贈る人も配達する人も受け取る人も
2
「だんだんボックス」の誕生は偶然から
みんなそのアートに参加する「動く美術館」という
コンセプトになる。そして、何よりも、絵を描いた
「だんだんボックス」という取り組みがある。地
障がいのある人はなかなか旅に出られない。でも、
域の障がいのあるアーティストに生きがいと仕事を
彼らの描いた絵は世界中どこにでも旅して行ける。
生み出すという試みだ。
そんな夢のあるプロジェクトになるような予感がし
実は、だんだんボックスが生まれたのは小さな偶
た。
然からだった。私が東京大学から九州大学に転勤し
こうして発案されただんだんボックスだったが、
た際に、かつての上司だった建築家の安藤忠雄先生
福祉のことも素人、段ボールに関してはもっと素人
からある女性を紹介された。その人は文化フォーラ
の私たちにとって前途多難だった。でも諦めなかっ
ムの NPO を主宰していて、私もそこで講演会をす
た。とにかく色々な人に会い、話した。そんな中で
ることになった。そのとき、一人の彫刻家が話を聞
人の縁というのは不思議なもので、段ボール会社の
きに来ていて、講演の終わったあとで是非一度ゆっ
社長に出会い、販売してくれるお店の人にも巡りあ
くり話をしたいということで、後日研究室にてお会
った。そうして具体的に始まりが見えてきたのだっ
いすることになった。
た。
彫刻家の彼がやってきたのは、私の引越しがまだ
3
片付いていない段ボールが山積みになった殺風景な
福祉と経済の融合
部屋だった。ひとしきりお互いの建築と彫刻の仕事
の話を語りあったあと、別れの挨拶をしながら彼は
それから 2 年、「だんだんボックス実行委員会」
帰りがけに一冊のファイルを取り出した。「そうい
は、少しずつであるが地域の障がい者のアートを載
えば、こんなこともやってるんですよ」という感じ
せた商品を数々世に送り出してきた。福岡、東京、
だった。そのファイルを開いた瞬間、私は驚いた。
愛知に支部を設け活動している。専業の者はまだい
そこには凄まじいまでのエネルギーと才能に溢れ
ない。皆、他の仕事を抱えながらも一生懸命やって
た絵がたくさんあったのだ。「これは?」と尋ねる
いる。福祉のことは全く知らなかった私たちだった
と、「障がい者の方にアートを教えているんです」。
からこそできたのだと改めて思う。福祉関係者の皆
恥ずかしながら、私が彼らの絵を見たのは初めてと
さんが口々に「自分たちではできなかった」とおっ
いってもよかった。「これは凄い才能ですね。こん
しゃる。目の前の仕事に精一杯で、新しいことに取
な素晴らしい絵をどうされているんですか?」と聞
り組む余裕もないだろうし、彼らにとっては逆にマ
くと、そんなにうまく活用できていないとのことだ
ーケティングやデザイン、営業などという分野が遠
-2-
い世界だったのだ。
とは社会的にも意義が大きい。福祉の世界と経済社
現実の経済社会、そして福祉の世界。これまでは
会がまさに繋がったのだ。
この2つは違う世界にあったのだろう。同じ日本に
4
住みながらも、違う世界に生きている。それはおか
岡崎信用金庫の現金封筒にデビュー
しいのではないかと私は思う。彼らも私たちも同じ
ように人として生まれてきたのに、それぞれが知ら
だんだんボックスが始まってからまだ半年の
ないうちにバリアを作ってしまっているのではない
2011 年春、新たに大きな動きが始まった。愛知県
かと感じた。そのバリアを取り除き、彼らの経済社
でのことだった。その頃、愛知支部が発足したばか
会への参加こそが、本当のバリアフリーであり生き
りで、私の建築のクライアントだった須藤ご夫妻が
がいを生むことだと思う。
支部長を引き受けてくださったばかりだった。そし
だんだんボックスの仕組みは単純である。障がい
て大きくブレークスルーすることになったきっかけ
のある作者の描いたアートをデザイナーがアレンジ
は、地元の岡崎信用金庫のご紹介で「とよたビジネ
し直して「商品」にする。商品の販売の場合、売上
スフェア」に出展したことだった。当時は商品が段
の10%が彼らの収入になる。あるいは、商品でな
ボールしかなく、段ボール箱の展示であった。展示
く、企業の「頒布物」などに採用した場合、作家に
会の当日、岡崎信用金庫の支店長や次長まで応援に
年間使用料が支払われるということである。そして、
駆けつけてくれ、だんだんボックスのパンフレット
その商品や頒布物に描かれた絵には彼らの名前がア
を自ら来場者に配ってくださった。この姿に私は感
ルファベットで記されている。誰の作品か、誰に対
動した。
して応援したのかが具体的にわかる仕組みである。
それから、しばらくして、支店長が大林理事長に
これまで福祉の世界では、個別に誰かを応援する
だんだんボックスの話をして下さり、その席で、
「段
ということでなく、抽象的な募金とかが多かった。
ボールはうちでは使い道がないから、現金封筒にし
誰が誰のために応援しているのかよくわからない。
てみたらどうか」と逆にアイデアをご提案いただい
もっと個人の顔の見える応援の仕方があった方がお
たとの連絡をいただいた。
私は驚いた。現金封筒といえば、信用金庫の顔で
互い理解しあえるのではないだろうか、と私は思う。
福祉の行政の人にもよく言われることがある。「行
ある。お客様に一番使われるものに採用するという
政は公平性が大切なので個々の人を応援できない」
意気込みである。理事長の判断は早かった。すぐに
と。でも、私は個々の人を応援することでも、数が
制作にかかることとなり、営業エリアの中にある、
大きくなれば公平になってゆくと思う。だんだんボ
みよし市の「わらび福祉園」の3人の方の絵を選び、
ックスは、その個々の人と行政や企業の間を取り持
半年後には岡崎信用金庫の全支店の ATM に3種類
つことができる仕組みである。だんだんボックスと
の現金封筒が並ぶこととなったのである。
いう一つの仕組みを通じて、個々の人に繋がること
ができるし大きな広がりも生まれるのだ。
また、もう一つ重要なのは、一度、プロのデザイ
ナーによって彼らの作品がアレンジし直されること
である。彼らの原画は確かに素晴らしくアートその
ものである。けれでも、企業が使うには鮮やかすぎ
たり個性が強すぎたりということもある。そこで、
彼らの個性を生かしつつ、商品化に向けてデザイン
化という一手間が大切になってくる。
障がい者とデザイナーのコラボレーションによっ
最初に絵を選びに福祉施設に行ったとき、施設の
てだんだんボックスはできている。だんだんボック
方はまだぴんときていないようで、「この子たちの
スは2011年のグッドデザイン賞を受賞した。し
絵がそんな素晴らしいんでしょうか?大丈夫でしょ
かもパッケージデザイン部門である。応募の際、あ
うか?」とむしろ心配そうだった。でも、素晴らし
えて社会貢献部門でなくパッケージデザイン部門と
い絵がたくさんあり、そのどれもが、輝きを持って
いうところに挑戦した。彼らに本当の一流のプロと
いた。これまで押し入れの中に入れられたり、誰の
して活躍してもらうには、正々堂々とその土俵で受
目にも触れることのなかった彼らの心の表現に初め
賞して欲しかったのだ。でも、それが認められたこ
て光が当たった瞬間だった。
-3-
子たちが将来こういう仕事もあるんだという希望を
やがて封筒が完成して、施設にて贈呈式が行われ
た。大林理事長から 3 人の作者に現金封筒の現物と
持ってくれたらという願いが伝わってきた。
安城養護学校の先生から頂いた1通のメールがあ
年間使用料が贈呈された。この式はとても感動的だ
る。
った。この日のために人生で初めてスーツを新調し
て臨む作者たちと、晴れがましさと緊張の様子のご
『11 枚の絵には、11 家族のドラマがあります。
父兄。表彰のとき、作者の一人が突然号泣しだした。
体が弱かった。本人が好きで絵を描き始めた。外国
「ありがとうございます、ありがとうございます」
の先生にも教えてもらった。書くのに大変な時間が
それ以上は、言葉にならないようだった。私たち参
かかる。毎日書く絵は必ず「Z」ばかり。この子は
加者も目頭が熱くなった。
一体何考えているんだろう。子どもがパニック。子
育てに大変な労力を費やした。おじいちゃんが採用
彼は、55歳。
これまでずっと
された孫の絵を宝物にして毎日喜んでいます。母達。
絵を頑張ってき
「普段、怒ることばかり。辛いこともたくさんあり
たそうだ。でも、
ます。でも、こんな嬉しいことがあって本当に良か
その絵は単なる
った。ありがとうございます」と。式には、だんだ
趣味としてしか
んボックステーマ曲を流しました。〈ありがとう
見てもらえない
あなたの笑顔に
中で、こうして
て〉おばあさんも参加。一生に一度のことですと、
社会の中で使ってもらう日がはじめて来た。そんな
仕事を休んで参加。皆さん、子育ての苦労さをかみ
彼の思いは誰にもわからないだろう。言葉ではうま
しめながら何とも幸せな笑顔。来賓の方々
ありがとう
僕と出会ってくれ
涙
涙。
く言えないことも彼らは絵としてなら表現できる。
ティッシュボックスは、見ているとほのぼのしま
言葉にできない思いが込められた絵は、プロの画家
す。自然と会話が増えます。なごみます。心が明る
やデザイナーも真似できない感動を人に与えるの
くなります。一年間で 12 万個も創られます。』
だ。彼のお母様は83歳。これまでずっとご苦労や
こうやって一つ一つ地域の中で笑顔と幸せが広が
世間の目を気にして生きてきたのかもしれない。
「こ
ってゆく。これこそが真の地域貢献の姿ではないだ
の子を産んでよかったと初めて思いました。」あま
ろうか。さまざまなドラマを生みながら、生きてい
りにも正直だが切ない言葉である。しかし、それを
てよかったと思える社会になってゆく。
作った責任は私たちの社会である。障がいがあるか
らと差別、あるいは区別し、保護という名の元に隔
離してきたのかもしれない。でも、一人の人間とし
て、私たち以上のこんな素晴らしい才能があるでは
ないか。「親戚中に現金封筒を配りました。」とおっ
しゃる言葉の中に、これまでの長い時間の思いが込
められている。我が子を初めて誇りに思うことがで
きた喜び、これが、岡崎信用金庫が彼らにプレゼン
トできた最大の贈り物だった。
5
笑顔と幸せが広がる真の社会貢献
第1回だんだんボックス愛知アート展の展示から
このほかにも、岡崎信用金庫では、資料館での絵
これまで、全国的な大手の企業もだんだんボックス
の展覧会を福祉施設や参加企業と一緒になって開催
に参加している。これも大変素晴らしいことと思う
したり、各支店での講演会なども頻繁に行っている。
が、信用金庫での取り組みは地域に根ざしている分、
中でも私が一番素晴らしいなと思うのは、各支店
より一層具体的である。岡崎信用金庫はその3つの
の方々の動きである。自分の取引先などにだんだん
絵をキャッシュカードにも採用し、安城養護学校と
ボックスを積極的に紹介して参加を呼びかけてくだ
いう地域の子どもたちの絵を使ってボックスティッ
さっている。そういうご紹介の中で、何社も具体的
シュを制作した。
な参加に繋がっている。もし、仮に1社が一つのア
安城養護学校にとっても、企業とのコラボレーショ
イテムに彼らの絵を採用してゆくだけで、社会全体
ンは初の試みだった。先生たちも一生懸命で、この
でたくさんの仕事が生み出せる。
-4-
のことが人を人として尊敬することにつながってゆ
これはまさに、冒頭に述べたように、人と人との
く。
「信用」の絆を紡いでゆくことにほかならない。そ
れは決して抽象的なシステムではなく、生身の人間
私たちの社会は、競争社会でもあり、人と人の優
の心でしかできないことである。そして、思いやり
劣をつけることに慣れている。しかし、どの人もそ
が、人と人の優しさのネットワークをつくってゆく。
れぞれに生きている意味があり、それを尊重しあう
社会こそが、持続的発展に繋がるのではないだろう
6
生きている意味を尊重し合う社会
か。日本は東日本大震災を経て、人の絆をもう一度
見直そうとしているが、その際には、自分と違うそ
アメリカの元マイアミ大学教授で精神医学者のブ
れぞれの人を具体的に見てほしいと思う。
ライアン・ワイス博士の言葉に次のようなものがあ
金子みすゞの詩にあるように、「鈴と小鳥と
る。博士は前世療法という臨床例をたくさんやって
れからわたし
そ
みんな違ってみんないい」。
来た中で、人は自らの意思で人生を選び何度でも生
7
まれ変わるのではないかという説を唱えている。
広がるコラボレーション
「障害や困難の克服が、霊的な成長を促進すると
いうことは本当です。重い精神病や肉体的な欠陥が
だんだんボックスと岡崎信用金庫のコラボレーシ
どのように深刻な問題を持つことは、進歩のしるし
ョンは、いま、地域の人に勇気を与えている。これ
であって、退歩を意味してはいません。私の見解で
は、どの地域でも可能なことである。
は、こうした重荷を背負うことを選んだ人は、大変
実は、最近さらに嬉しい出来事があった。岡崎信
に強い魂の持ち主です。最も大きな成長の機会が与
用金庫の大林理事長からだんだんボックスの紹介を
えられるからです。もし、普通の人生を学校での一
受けて、同じエリアにある碧海信用金庫の福田理事
年間だとしたら、このような大変な人生は大学院の
長が新たに一緒に参加してくださることになったの
一年に相当します。
だ。私は両金庫がライバルだと思っていたのだが、
退行催眠で苦しい人生の方がずっと多く現れてくる
だんだんボックスを地域のために一緒にやろうと手
のは、このせいでしょう。安楽な人生、つまり休息
を組むことになったのである。素晴らしいことであ
の時は、普通はそれほど意味を持っていないので
る。私は両理事長の懐の深さに感動した。地域への
す。」
貢献はお互いに地域で協力してやってゆこう。ここ
これは、障がい者が決して何か劣っているのでは
に信用金庫の真髄を見た。
なく、むしろ魂としては私たちよりも進んだ人だか
このようなことが全国の信用金庫でも広まってい
らこそそういう重荷を選んで生まれてきたのだと。
ってくれたらと願う。そうすれば、その地域に住む
この言葉は、不思議ではあるが私はそうかもしれ
障がいがある人、そして家族にとって大きな生きが
ないと思う。彼らの絵を見ていると、私たちが忘れ
いの光になる。そういう人が今も全国で声も上げず
てしまったこと、見えていないことが実に独自な表
に待っているのだ。
現で描かれている。それは、意図的にできる技術と
そして、いつかは、冒頭の寺山修司の詩のように、
いうよりは、人の心を癒す本質のようなものなのだ。
一粒の涙から大きな海へとつながってゆくのだろ
だんだんボックスでは、彼らの欠けている部分で
う。
はなく、優れた部分に光を当てようとしている。そ
全国知的障害者福祉関係職員研究大会
「新たな時代に求められる専門性の追求」
平成 24 年 10 月 3 日(水)~ 5 日(金)、熊本県で
小島亜耶子
な活動を展開している3法人の代表(博愛会理事長
開催された「全国知的障害者福祉関係職員研究大会」
釘宮卓司氏・青葉仁会理事長
に参加させていただきましたので報告いたします。
の実会代表
*
*
*
*
*
加藤
榊原典俊氏・札幌こ
孝氏)から話を聞きました。障
害者はなぜ高卒で働かなくてはならないのかの疑問
シンポジウム「今後の知的障害者福祉のゆく
から大学を作った話、地域防災拠点・部分的老人福
え」~ユニークな実業実践の中から~
祉施設になった話、働く場を外に求める(農場・公
環境や支援を豊にすることにより、その人の日常
園・墓地等)話などユニークな実践活動が紹介され
生活や人生を快適で充実したものにするため、様々
ました。コーディネーターは川崎医療福祉大学前学
-5-
・非暴力のアプローチである。
長の岡田喜篤氏でした。
*
*
*
*
*
・非暴力を目標とした力に依らない方法である。
分科会『僕と弟と福祉と映画』
講師
映画監督
・相互の変容に基礎を置く。
押田
興将氏
・横柄で、冷たく、堅苦しい相互作用を確実に減ら
「39(サンキュー)窃盗団」ダウン症の青年が主演を
していく。
演じる、意外と社会派?コメディー!
・暖かく、信頼感に満ちた、相互に価値を与え合う
・ものがたり
相互作用を確実に増やしていく。
刑務所を出たり入ったりの弟・ヒロシ。オレオレ
・Face to Face(1 対 1)の関係を築きあげることか
詐欺のリーダーに「お前の兄貴は刑法 39 条がある
ら始め、それを集団における正の文化へと発展さ
から、刑務所に入らなくていいんだぞ」とそそのか
せていく。
されて、ダウン症の兄・キヨタカと幼馴染の和代の
・“こういう時にはこうすれば良い”という決まっ
三人でドロボーの旅に出る。ケンジに騙されている
た回答を与えるものではなく、援助者が生の文化
とも知らずに、のんきに空き巣に入る三人。痴呆老
を確実なものとするアプローチである。
人の金山も加わった「サンキュー窃盗団」。本当に
生の文化
彼らは捕まることはない?のかな?
・活気を与える・相互的である・全体性を重視する
・障害があっても、いつも笑いがある
・苦闘を容認する・民主的である
8 歳年下の弟がダウン症であることが、自分の人
・創造的である・信頼できる・自由である・直接参
生に“居座っていた”という押田監督が 10 年以上
加である・対話に基づいている・人生を意味ある
温め続け、やっとの思いで実現した本作。終始一貫
ものにする
した明るい語り口調ながら、障がい者を取り巻く現
死の文化
実に時にシビアなまなざしを投げかける。“じめじ
・破壊的である・干渉的である・問題として扱う
めした障害者もの”にはしたくなかったという監督
・受容しない・権威主義的である・圧制的である
の視点が、見ているこちらの障害者感を覆す。主演
・操作的である・依存的にさせる・個人主義である
はダウン症の実の弟押田清剛。監督のもう一人の弟、
・追従を重視する・うわべだけである
押田大がキヨタカの弟ヒロシを演じている。身を寄
「ジェントルティーチングを育む人間観とは」
せ合い、笑い合って生きるキヨタカとヒロシの兄弟
・他者と一緒にいたいと強く願っている
愛が物語に温かみをプラスしている。(パンフレッ
・心の深いところからの連帯が変容を生じさせる
ト引用)
・生命そのものに価値がある
この映画は喜劇といえども障がい者を取り巻く社
・援助の関係について
・相互的価値観をもつ
会の中で実際に起こっているシビアな問題も絵描か
・困難に立ち向かう姿勢
れており、見ていてドッキっとする部分や考えさせ
「ジェントルティーチング実践の主要な目的」
られる部分もありながら、キヨタカとヒロシの掛け
・交わりの感情(コンパニオンシップ)の確立
合いに笑いもあり、兄弟愛にほっと心温まる映画で
・相手への深い思いやり
コンパ二オンシップ=一緒にパンを食べあうよう
した。
な間がら=一緒に釜の飯を食べる間がら
*
*
*
*
*
分科会『ジェントルティーチングについて~
援助者が変わっていくために~』
「ジェントルティーチングの 4 つの柱」
・交わりの感情の確立のために
・安心と安全
・愛されること
講師
・愛すること
・人間的な関わり
社会福祉法人
桃花塾理事長
岩崎
正子氏
「ジェントルティーチング(GT)とは」
「二者関係からコミュニティへ」
1.1980 年代
・コミュニティは、二人以上の人間関係の場で形成
ジョン・マクギー氏(米)により提唱
され、ワークショップが様々な地域、国々で開始
されます
される
二者関係からコミュニティへ
2.1990 年代
GT実践の場が広がってくる
3.2000 年代
GT国際会議が毎年開催される
実践のオープンな評価
他の人へのアプローチ
4.2010 年代に入り、GTI組織体として法的許可
QOLの向上のために
を得る
「GT実践のキーワード」
「ジェントルティーチングの内容とは」
・共感性、他者中心性、分かち合い、対話が重要
-6-
「キーワード」
「ジェントルティーチングを育てること」
共感性に学ぶ
・人から人へ
他者中心ということを学ぶ
・福祉施設、学校、職場などの組織へ
分かち合うことを学ぶ
・地域から地域へ
対話について学ぶ
サービス提供の場では
「ジェントルネスの実践」
本人中心の文化と風土を持つこと⇒生の文化へ
援助者が寄り添い合うこと:今ここで
最後に
「新たな時代に求められる専門性の追求」テーマ
・相手の動きを同調させる
をもとに、分科会や記念公講演で様々な視点・分野
・リラックスし、恐れを抱いていない(援助者が自
から話を聞くことが出来ました。そのなかでも、分
己への配慮を見直す)
・相手の人を穏やかに、落ちつかせる
科会では「ジェントルティーチング」について話を
・支持的で共感的なふるまい
聞くことが出来ました。初めはジェントルティーチ
・いつも受容する
ングの名前すら知らなかったのですが、「非暴力の
・精神的な寛大さ(自分の気分次第ではなく、問題
アプローチであり、すべての人は平等である」との
ばかり見るのでなく、大らかな気持ちを持つよう
信念に基づいていているものであると説明があり、
に努力する)
新法が施行された今に必要なものだなと強く感じま
した。講師の先生曰く、今回は時間が限られており
・相手の人を賞賛する。
モラルメモリー 7 を積み重ねること
さわりの部分しか説明していないとのことだったの
「ミラーニューロン」
で、今後また勉強できる機会があればぜひ参加した
GT実践とはミラーニューロンの活性化につながる
いと思うお話でした。
あさみどり運動会
綱引き・リレーに連勝
10月21日:中村区豊正中学運動場
綱引きは大差で連勝
おお父さんグループのリードで応援合戦
納品リレーが復活しました
リレーも連勝、トロフィーを守りました
-7-
第 39 回のあさみどり運動会が、80 人を超えるボランティアの支援もあって、盛大に開催されました。わらび
は、今年も綱引きと施設対抗リレーに圧勝し、職員対抗障害物?レースでは逆転勝ちました。
参加した選手のみなさん、お弁当づくりで苦労された家族のみなさん、準備から当日の進行・後片付けまで尽
くしてくれた職員の皆さん、お疲れ様でした。
4
10月のできごと
2日:5日
3
日
日
県ホームヘルパー連絡協議会豊田ブロック
研修会(市産業フェスタ:熊谷・秋田伸・安達)
5 日 さわらび学童療育母親研修(熊谷)
インシデント研修(熊谷・深田)
県法人監査(本部:高濱)
8
3~4日 全国職員研究大会(熊本:小島)
6~7日 山閉め・中堅職員研修(野々山・近藤・
日
インシデント研修(熊谷・深田・篠塚・
水野・国澤)
9・26 日 新会計基準実務研修会(県社協:高濱)
深田・肥後・熊谷・山口)
13 日・24 日
10日
きょうだい会
10日 法人施設長会(さわらび:熊谷・高濱)
18 ~ 19 日 相談支援従事者研修(深田)
13日
14日
相談支援従事者研修(熊谷・篠塚)
法人役員会(さわらび:高濱・熊谷)
18 ~ 19 日
16日
ラポールの会・ブラッシング C
21日
23日
発達障害支援指導者研修(深田)
旭川荘障害医療セミナー(岡山:近藤)
19日 発達支援セミナー、法務局市民講座(熊谷)
20日 障がい児発達支援セミナー(熊谷・磯村)
あさみどり運動会(中村区豊正中)
さわらび園母親研修(高濱)、法人施設長・
21日
市自立支援協議会全体会(深田・高濱)
主任会議(さわらび:熊谷・柿下・山口・高濱)
24 ~ 25 日
・国澤)
26日 親学習会 B・誕生会
27日 れいんぼう10周年記念会(中日パレス)
27日
30日
山閉め・中級研修(山口・加藤・水野
法人施設長会(さわらび:熊谷・高濱)
ヘルパー事業所連絡会(秋田伸・深田)
28 ~ 30 日 ホーム研修(れいんぼうワークス安井)
29 ~ 30 日 県協会職員研究大会(豊橋:深田・
11 月 の 予 定
1~2日
社会就労センター研修会(メルパルク名
野々山・篠塚)
古屋:山口)、県福祉協会基礎研修(野間荘:磯村)
3 日 べにしだ祭
30日
親学習会 C・誕生会
10 月 の 献 立 予 定
日
曜
献立の内容(都合で変わることがあります)
1 木
ごはん、コンソメスープ、白身魚の香草パン粉焼き、アスパラベーコン炒め、大根サラダ、ココアムース
2 金
5 月
ごはん、みそ汁、鶏のササミフライ、五目煮、チンゲン采の中華ドレ和え、牛乳
ごはん、すまし汁、サバの甘酢あんかけ、サツマイモの煮付け、野菜サラダ、リンゴジュース
6 火
ごはん、みそ汁、鶏肉の黒こしょう焼き、生麩の煮付け又はがんもの煮付けの選択、ブロッコリー
7 水
のカニかま和え、梨
和風スパゲティー、コンソメスープ、ミニ野菜コロッケ、水菜サラダ、カスタードプリン
8 木
ごはん、豚汁、赤魚の煮付け、わかめの酢の物、カボチャの炒め、アシドミルク
9 金
12 月
ネギ塩鶏丼、にら玉スープ、エビシュウマイ、レンコンの酢の物、メロン
ごはん、すまし汁、治部煮、なすの味噌炒め、ほうれん草のごま和え、ヨーグルト
13 火
けんちんうどん又はけんちんそばの選択、エビ団子の煮物、もやしサラダ、杏仁豆腐
14 水
15 木
ごはん、みそ汁、鮭の塩焼き、金平ごぼう、小松菜の生姜和え、パイン缶
ハヤシライス、野菜サラダとイカリングフライ、春雨の酢の物、オレンジ
16 金
ごはん、すまし汁、白身魚のわさび醤油焼き、高野豆腐の煮付け、白菜の和え物、あんみつ
19 月
20 火
焼きうどん、すまし汁、チキンボールの煮物、長芋の梅肉和え、コーヒーゼリー
ごはん、すまし汁、サバの味噌煮又はサバの竜田揚げの選択、小エビとキャベツのサラダ、ジャガ
イモの細切り炒め、ココア
21 水
22 木
ごはん、ワカメスープ、八宝菜、もやしのナムル、春巻き、ミックスジュース
ごはん、みそ汁、うりのつけ焼き、なすのごま炒め、切干大根サラダ、いちごムース
26 月
ごはん、みそ汁、サンマの明太焼き、ジャガイモの煮付け、ワカメとしら寸の酢の物、バナナ
27 火
豚肉の生姜焼き丼、すまし汁、れんこんの金平、ツナサラダ、ミルクプリン
28 水
29 木
菜飯ごはん、すまし汁、揚げ豆腐となすの肉味噌乗せ、野菜の玉子炒め、枝豆サラダ、アセロラゼリー
あんかけうどん、カニボールの煮物、ブロッコリーサラダ、コア
30 金
パ
ー
テ
ィ
食
-8-
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