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第二章 ボーヴォワールと実存主義

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第二章 ボーヴォワールと実存主義
第二章 ボーヴォワールと実存主義
1.序
1943 年の初めにジャン・グルニエから「あなたは実存主義者ですか」と尋ねられたときの
ことを、ボーヴォワールは次のように回顧している。
キルケゴールは読んでいたし、ハイデガーに関しては、ずいぶん前から「実存の」哲学
が話題になっていたが、ガブリエル・マルセルが最近言い出した「実存主義」という
言葉の意味は知らなかった1。
「実存主義」という言葉の意味さえ知らなかったボーヴォワールがどのようにして実存主
義者になっていったのだろうか。そして、ボーヴォワールの実存主義とはどのようなもの
だったのだろうか。それが本章の主題である。
2.サルトルの実存主義
サルトルの『実存主義はヒューマニズムである』(1946)は、その邦訳者によれば、実存
主義の道徳論であり実存主義の主唱者サルトル自身による実存主義の解説である2。『実存
主義はヒューマニズムである』では、実存主義の第一原理が次のように示されている。
たとえ神が存在しなくても、実存が本質に先立つところの存在、なんらかの概念によ
って定義されうる以前に実存している存在が少なくとも一つある。その存在はすなわ
ち人間、ハイデガーのいう人間的現実であると、無神論的実存主義は宣言するのであ
る。実存が本質に先立つとは、この場合何を意味するのか。それは、人間はまず先に
実存し、世界内で出会われ、世界内に不意に姿を現し、そのあとで定義されるものだ
ということを意味するのである。実存主義の考える人間が定義不可能であるのは、人
間は最初は何ものでもないからである。人間はあとになってはじめて人間になるので
あり、人間は自らが作ったところのものになるのである3。
サルトルによれば、これが人間の主体性であり、人間は主体的にみずからを生きる投企な
のである4。それゆえに、人間は自らあるところのものに対して責任がある。その場合、人
間は厳密な意味の彼個人について責任をもつということではなく、全人類に対して責任を
Simone de Beauvoir, La force de l’âge, Paris: Gallimard, 1960/folio1986(2002), p. 625. 本論文では
folio2002 版を使用した。
『女ざかり下』朝吹登水子・二宮フサ訳、東京:紀伊國屋書店、1963 年、169
頁を参考にした。
2 ジャン-ポール・サルトル、
「実存主義はヒューマニズムである」伊吹武彦訳『実存主義とは何か』、京
都:人文書院、1955/1996(2004)年、175‒176 頁。
3 Jean-Paul Sartre, L’existentialisme est un humanisme, Paris: Nagel,1946, pp. 21‒22 (「実存主義は
ヒューマニズムである」、41‒42 頁)。
4 Ibid., p. 23 (同書、42‒43 頁)。
1
20
もつという意味である5。また、人間はみずからを選択するというとき、各人はみずからを
選ぶことによって、全人類を選択する6。人間は個人的な行動によって人類をアンガジェ(拘
束)する7。人間が不安であるのは責任感を逃れられないからである8。もし、神が存在し
ないなら、人間にはすべてが許されるが、孤独である9。もし、実存が本質に先立つのなら、
人間は自由であるが、自分のなすこと一切について責任がある10。
人間は彼自身の投企以外の何ものでもない。彼は自己を実現するかぎりにおいてのみ存
在する。したがって、彼は彼の行為の全体以外の、彼の人生以外の何ものでもない11。こ
のように、実存主義は人間を行動によって定義する12。したがって、これは行動とアンガ
ジュマンのモラルである13。
サルトルは他者の存在について次のように述べている。
われわれは、「われ考える」によって、他者の面前でわれわれ自身を捉える。……コ
ギトによって直接おのれを捉える人間は、すべての他者をも発見する。しかも他者を
自己の存在条件として発見するのである。……他者は、私の存在にとって不可欠であ
り、その上、私が自分に関してもつ認識にも不可欠である。こうした状態において、
私の内奥の発見は同時に他者を、私の面前に置かれた一つの自由、私に同調しまた反
対してしか考えずまた意志しない一つの自由として私に発見させる。こうしてわれわ
れは、ただちに、間主観性(inter‑subjectivité)とわれわれの呼ぶ一つの世界を発見す
る14。
サルトルは、人間には本性はないが、条件はあると言う。人間が世界内に存在し、そこ
で仕事をし、他人のなかで生き、やがて死ぬというのは必然的条件である。それに対して、
歴史的状況のような変化する条件もあり、それには客観的な面と主観的な面がある。客観
的というのは、条件のもたらす限界がいたるところに現れるからであり、主観的というの
は、この限界が生きられるものであり、人間が限界と関連して自由に自分を決定するので
なければ、限界は何ものでもないからである15。
投企はこうした限界を越え、または押しひろげ、または否定し、またはそれと妥協する
ための試みとしてあらわれる16。あらゆる投企はあらゆる人間にとって理解しうるものだ
という意味において、一切の投企には普遍性がある。また、十分な情報があれば、白痴、
Ibid., p. 24 (同書、43 頁)。
Ibid., p. 25 (同書、44 頁)。
7 Ibid., pp. 26‒27 (同書、44‒45 頁)。Ibid., p.74 (同書、70 頁)。
8 Ibid., p. 28 (同書、45 頁)。
9 Ibid., p. 36 (同書、50 頁)。
10 Ibid., p. 37 (同書、51 頁)。
11 Ibid., p. 55 (同書、60 頁)。Ibid., p. 58 (同書、62 頁)。
12 Ibid., p. 62 (同書、64 頁)。
13 Ibid., p. 63 (同書、64 頁)。海老坂武氏は、サルトルが社会に参加させるという特殊な意味をこめてこ
5
6
のアンガジュマンという言葉を使い始めたのは戦争という特殊な状況の中でであると述べている(「1945
年の実存主義」
、13 頁)
。
14 Ibid., pp. 66‒67 (同書、66 頁)。
15 Ibid., pp. 67‒69 (同書、66‒67 頁)。
16 Ibid., p. 69 (同書、67 頁)。
21
子ども、原始人、外国人を理解する方法は常にあるという意味で、人間には普遍性がある
が、この普遍性は与えられたものではなく、不断に築かれるものである17。
実存主義が示そうと思っているのは、自由なアンガジュマンの絶対的性格と、こうした
選択の結果として生じうる文化的総体の相対性とのつながりである18。文化的総体の相対
性とは、人間は、自分自身の自由な選択によって人類全体をアンガジェするが、同時に、
すでに組織化された状況にアンガジェされているのだから、選択によって生じる文化的総
体は状況によって異なるということであろう。
人間は、はじめからできあがっているのではなく、自分のモラルを選びながら、自分を
つくっていくというのが実存主義のモラルである19。人間が自分を選ぶのは他者との関係
によってである20。また、サルトルは、あらゆる価値の基礎としての自由についても次の
ように述べている。
われわれは自由を欲することによって、自由はまったく他人の自由に依拠しているこ
と、他人の自由はわれわれの自由に依拠していることを発見する。むろん、人間の定
義としての自由は他人に依拠するものではないが、しかもアンガジュマンが行われる
やいなや、私は私の自由と同時に他人の自由を望まないではいられなくなる。他人の
自由をも同様に目的とするのでなければ、私は私の自由を目的とすることはできない
のである21。
3.『ピュロスとシネアス』(1944)22
自伝『女ざかり』には、1930 年頃に関してなされた次のような記述がある。わたしたち
はキルケゴールの『誘惑者の日記』にとくに注目はしなかった23。
『ビヒュール』誌にハイ
デガーの『形而上学とは何か』の翻訳が載ったが、わたしたちはまったく分からなかった
ので、興味をもたなかった24。キルケゴールの最初の翻訳がこのころ刊行されたが、読む
気を起こさせるものは何もなく、わたしたちは無視した25。
当時、サルトルは、さまざまなことを考えていて、それらを整合的にまとめるためには、
助けが必要だと分かっていた。彼にとって、助けとなると思われたのはドイツの現象学で
あった。
「キルケゴールを無視した」という文章に、レイモン・アロンがアンズのカクテル
を指差しながら、「もし君が現象学者なら、このカクテルについて語ることができる、そし
て、それは哲学なのだ!」と言ったエピソードが続いている。アロンは、現象学はまさし
17
18
19
20
21
22
Ibid., p. 70 ( 同書、68 頁)。
Ibid., p. 71 (同書、68‒69 頁)。
Ibid., pp. 77‒78 (同書、72 頁)。
Ibid., p. 80 (同書、73 頁)。
Ibid., p. 83 (同書、75 頁)。
S. de Beauvoir, Pyrrhus et Cinéas, Gallimard, 1944/folio2003. 『ピリュウスとシネアス』ボーヴォワ
ール著作集 2、青柳瑞穂訳、人文書院、1968 年を参考にしたが、私はタイトルを『ピュロスとシネアス』
とした。
23 S. de Beauvoir, La force de l’âge, p. 59 (『女ざかり上』朝吹登水子・二宮フサ訳、紀伊國屋書店、1963
年、43 頁)。
24 Ibid., p. 93 (同書、70 頁)。
25 Ibid., p. 157 (同書、125 頁)。
22
く、観念論と実在論の対立を乗り越えること、意識の絶対性と、われわれに与えられるま
まの世界の現前とを同時に肯定することというサルトルの関心事に応えるものであると言
って、サルトルを説得したのだ26。
その翌年の 1933 年に、サルトルはフッサール哲学の研究のためにベルリンのフランス
学院に向かった。ベルリンでの研究の成果として、『想像力』 (1936) 、『エゴの超越―─
現象学的一記述の素描』(1937)、
『情緒論素描』(1939)、
『想像力の問題―─想像力の現象
学的心理学』(1940)、
『存在と無―─現象学的存在論の試み』(1943)が刊行されたが、サル
トルが関心をもって取り組んでいたのは「意識の現象学」であって、「実存主義」ではなかっ
た。ボーヴォワールは自伝『女ざかり』にこれらの著書の要約と詳しいコメントを記して
いる27。
1943 年の初めにグルニエから「あなたは実存主義者ですか」と尋ねられたとき、『存在
と無』はまだ刊行されていなかったが、ボーヴォワールは原稿を何度も読み返し、付け加
えるものは何もないと思っていた。それを理由に、グルニエからの、彼が担当している選
集に協力してくれるようにという申し出を固辞していたが、サルトルの勧めもあって引き
受け、誕生したのが『ピュロスとシネアス』である28。
『ピュロスとシネアス』はボーヴォワールの最初の哲学的エッセイであり、1944 年の
26
Ibid., p.157 (同書、125‒126頁)。
ボーヴォワールは『エゴの超越』を以下のように要約している。また、シルヴィ・ル・ボンは 1992 年
版の『エゴの超越』の序文において、短いが、緻密なこのエッセイの最良の説明として、ボーヴォワール
の要約を引用している。
「サルトルは、フッサールの視点に立ち、しかしフッサールの最近のある理論に
、、
、、、、
は反対しながら、モワ(Moi)と意識の関係について記述していた。彼は意識
(la conscience)と心的なも
、
の(le psychique)の間に区別を設けたが、彼はこの区別をずっともち続けることになる。意識が直接的か
つ明証的なそれ自身への現前であるのに対して、心的なものは反省的な働きによらなければ捉えられず、
また、知覚の対象と同様に、射映(profils)によらなければ与えられない対象の総体である。たとえば憎し
みは超越物であり、それは体験(Erlebnisse)を介して把握されるが、その存在は蓋然的であるにすぎない。
私のエゴ(Ego)は、他人のエゴ(Ego)と全く同じように、それ自体、世界の一存在である。このよう
に、サルトルは彼のもっとも古く、もっとも頑固な確信の一つ、すなわち、非反省的意識の自律性はある
という確信の根拠づけをしていた。モワ(moi)への関係は、ラ・ロシュフーコーおよびフランスの心理学
の伝統に従えば、われわれの最も自発的な運動を損なうということだが、ある特殊な場合にしか現れない。
サルトルにとってよりいっそう重要なことは、この理論が独我論を免れさせてくれることであり、彼はこ
の理論だけを評価していた。心的なもの、エゴ(Ego)は、他人にとっても私にとっても同じである、客
観的な仕方で存在しているからである。独我論を廃することで、観念論の罠から逃れ、サルトルは、結論
において、彼の理論の実践的(倫理的および政治的)重要性を強調している(FA 210. 『女ざかり上』
、70
頁)」
。また、ボーヴォワールは『想像力』に関して以下のように記している。
「サルトルは第二部に取り
掛かったが、それは、はるかに独創的だった。そこで、彼は、志向性とヒュレーという現象学的概念を用
いて、イマージュの問題を根本から再検討していた。そこで、彼は、意識の絶対的空性(vacuité)とその無
化する力という、彼の哲学の初期の主要な観念を練り上げたのだ。この探求においては、自分自身の経験
からすべての材料を引き出すことで、方法と内容を同時に考え出していたので、かなりの集中が必要だっ
た(FA 240. 同書、196 頁)
」。ところが、実際に『想像力』として刊行されたのは第一部だけであった(FA
244. 同書、199 頁)
。さらに、
『情緒論素描』に関しても以下のように記している。
「サルトルは『プシシ
ェ』と題して現象学的心理学の論文を書いていた。これはのちに抜粋だけが『情緒論素描』の題名のもと
に発表された。彼は『エゴの超越』において輪郭を作った心的対象の理論をここで展開していた(FA 363.
同書、297 頁)
」。
「『想像力の問題』がようやく刊行され、サルトルはそこで、深めつつあった「無化」の
理論を示していた(FA 498.『女ざかり下』
、66 頁)」
。
「『存在と無』はガリマール書店から出たものの、
ほとんど話題にものぼらず、あまり売れもせず、サルトルは徐々にしか名を売りださなかった(FA 635.
同書、178 頁)」
。
28 S. de Beauvoir, La force de l’âge, pp. 625‒626 (『女ざかり下』
、169‒170 頁)。
27
23
11 月に出版されたこの著書は小さなプロローグ、二つの部分、結論から成っている。ボー
ヴォワールは『ピュロスとシネアス』の出版当時のことを次のように回顧している。
人間は「遠隔の存在」29ではあるが、なぜそこまで超越するのだろうか、なぜもっ
と遠くへ超越しないのだろうか、人間の投企の限界はどのようにして決められるのだ
ろうかと、第一部でわたしは自問した。わたしは、瞬間のモラルと永遠を問題として
いるモラルのすべてに異を唱えた。個別的な人間はだれも、神あるいは人類と呼ばれ
る無限なものと実際に関係することはできないのだ30。わたしは、サルトルによって
『存在と無』に持ち込まれた「状況」という考えの正しさと大切さを示した。わたし
はすべての疎外(他有化)を非難し、
他人を口実とみなすことを禁じた。
わたしはまた、
闘っている世界のただなかでは、いっさいの投企は選択であること、
『他人の血』31の
なかのブロマールのように、暴力に賛成しなければならないということを理解してい
た。この批判的論述のすべては、今から見れば雑駁ではあるが、正しいと思われる。
第二部では、モラルに実証的な基礎を見つけることが主題だった。わたしは書き上
げたばかりの小説の結論をより詳細に繰り返した32。つまり、人間的価値のすべての
根拠である自由は、人間の企てを正当化できるただ一つの目的であるということを。
ところで、わたしは、サルトルの、事態がどのようなものであっても、われわれには
それを乗り越えさせてくれる自由があるという学説に賛同していたが、もし自由がわ
れわれに天与のものならば、どのようにしてそれを目的と見なすことができるのだろ
うか。わたしは自由の二つの面を区別した。つまり、自由は、好むと好まざるとにか
かわらず、ある仕方あるいは別の仕方で、外から実存にやってくるすべてを自分のも
のとする実存の様態そのものであり、この内的運動は分割できないから、それぞれの
人において全面的である。それに反して、人々に開かれている具体的な可能性は等し
くなく、一部の人々は、人類全体が自由にできる具体的な可能性のほんのわずかな部
分に到達する。彼らの努力は彼らを、もっとも恵まれた人々の出発点であるプラット
フォームに近づけるだけだ。つまり、彼らの超越は内在の形で集団に紛れてしまうの
だ。もっとも有利な状況において、投企は逆に真の乗り越えであり、新しい未来を築
く。活動は、それが自分のためにまた他人のために特権的な地位を獲得すること、つ
まり自由を自由にすること(libérer)をめざすときには、善である。このように、わた
しはサルトルの考えと、長い議論において、わたしが彼に反対して主張してきた傾向
を両立させようと試みた。つまり、わたしは状況に序列を設けたのだ33。主観的には、
《un être des lointains》である。この語は、サルトルの『存在と無』の「第一部、第一章Ⅳ無につい
ての現象学的な考えかた」で、無についてのハイデガーの理論に関して使われ、
「自己に先んじてある存
在」と訳されている。訳者はこのように訳した理由を、
「これは、自己の存在可能へ向って自己を投企す
る場合の現存在のあり方であり、関心の一つの契機をなす」と説明している。ボーヴォワールもこの語を、
この説明で言われているような意味で使っている。
30 本論文、
「第三章『ピュロスとシネアス』における実存思想」を参照。
31 S. de Beauvoir, Le sang des autres, Gallimard, 1945.『他人の血』ボーヴォワール著作集3、佐藤朔
訳、人文書院、1967 年。
32 これは『他人の血』である。
33 『女ざかり』には、1940 年に、状況と自由の関係についてサルトルと議論をしたと記されている。
「わ
たしは、サルトルが定義していたような自由──ストア派の諦念ではなく、所与の能動的な乗り越え──
29
24
救済はとにかく可能であったが、それでもやはり無知よりも知を、病気よりも健康を、
不足よりも繁栄を選ぶべきであった34。
わたしは、実存主義のモラルに具体的な内容をあたえるという自分の配慮をとがめ
はしないが、困ったことに、個人主義から抜け出したと信じていたときに、そこに相
変わらずはまり込んでいた。個人は他人の承認によってしか人間的次元を受け取らな
いと考えていたにもかかわらず、わたしのエッセイでは、共実存はそれぞれの実存者
が克服しなければならないような一種の偶発事として現れている。
『ピュロスとシネアス』は英語圏では軽視され、フランスで出版されてから 60 年後の
2004 年にようやく英訳がなされた。その翻訳の解説において、デブラ・バーグオッフェン
は、ボーヴォワールをまじめな(serious)哲学者であると見なすと、『ピュロスとシネアス』
は無視できないと述べている35。私も、
『ピュロスとシネアス』には『第二の性』の主要な
概念、すなわち、実存主義のモラルと相互承認論がすでに見られること、また、
『存在と無』
におけるサルトルの考え方との違いが現れていることから、軽視できない作品であると考
えてきた。
『ピュロスとシネアス』では実存主義という言葉は使われていないが、その第一部の「カ
ンディードの庭」では、人間は自発性、投企、超越であるから、自己拘束によって自分の
ものをつくり、他人との絆をつくり、事物や世界との関係をつくると説かれている。ここ
で、ボーヴォワールは行動の次元で自発性、投企、超越について語っているが、行動の次
元に立つというのは彼女の一貫した姿勢である。
サルトルも『存在と無』において自発性、投企、超越を問題としているが、第一部から
第三部までは、意識の次元における自発性、投企、超越であり、第四部になると行動の次
元で論じられるようになる36。
『ピュロスとシネアス』の第二部では、他者論が、相互承認論として展開されている37。
そこで、ボーヴォワールは次のように述べている。
他の人々によって承認されるためには、まず、わたしが他の人々を承認しなければな
の観点から見ると、諸状況は同等ではないと主張していた。たとえば、ハーレムに閉じ込められている女
には、どのような乗り越えが可能だろうか。そのような幽閉の中にもさまざまな生き方があると、サルト
ルはわたしに言った。わたしは長いこと意地を張っていたが、しぶしぶ同意した。結局は、わたしが正し
かったのだ(FA, pp. 498‒499.『女ざかり下』
、66 頁)」
。
34 S. de Beauvoir, La force de l’âge, pp. 627‒628 (『女ざかり下』
、170‒171 頁)。
『ピュロスとシネアス』
の p.73/267 には、息子が望む結婚を、自分自身の善(bien)を考慮して、阻止しようとする父親の話が出て
くる。父親は、息子の善(bien)のために行動しているのだと明言することで、自分自身の意志に責任をも
たない。そこで、父親が持ち出すのが健康、富、名誉といった一般に認められている価値の客観性である。
ここでは、健康、富、名誉は父親の意志を隠蔽する手段として、否定的に考えられている。
35 Debra Bergoffen, Pyrrhus and Cineas, Introduction, Simone de Beauvoir, in Philosophical Writings
ed. M. A. Simons with Marybeth Timmermann and Mary Beth Mader, University of Illinois Press,
2004, p. 80. 日本においても『ピュロスとシネアス』は軽視されてきた。その邦訳は、ボーヴォワールの
哲学の研究にはほとんど役に立たない。
36 Jean-Paul Sartre, L’être et le néant, Gallimard, 1943(1948)/tel1976(2001). 『存在と無Ⅰ・Ⅱ・Ⅲ』
松浪信三郎訳、人文書院、1956,58,60 年。
37 本論文、
「第七章ボーヴォワールの承認論Ⅰ」の「2.
『ピュロスとシネアス』におけるボーヴォワー
ルの承認論」を参照。
25
らない。わたしたちの自由は、支柱が支えなくても、一つのアーチを形作る複数の石
のように、互いに支え合っているのだ38。
サルトルも『実存主義はヒューマニズムである』において、
「われわれの自由は他人の自
由に依拠し、他人の自由はわれわれの自由に依拠している」と述べている39。しかし、こ
のような主張には、
『存在と無』における主張との整合性が欠けている。したがって、
『実
存主義はヒューマニズムである』は、
『ピュロスとシネアス』の影響下になされた講演であ
ると思われる40。
4.『実存主義と民衆の知恵』(1945/1948)41
スピーゲルバーグは『現象学運動』において、
「おそらく、フランス現象学のもっとも特
徴的な点は、ドイツでは現象学が実存主義と隔絶し、それどころか、対立さえしていたの
に対して、フランスではそれが、実存主義と一致しているとまではいかないまでも、密接
に関連している、という点であろう」と記している42。
フランスで現象学と実存主義が結びついたのは 1945 年である。1945 年 10 月に『レ・
タン・モデルヌ』誌の第一号が出版され、10 月 29 日に、サルトルは「実存主義はヒュー
マニズムである」と題する講演を行った。サルトルは自分が実存主義者であることを認め
たわけである。しかし、それ以前の彼の研究は、
『想像力』(1936)から『存在と無──現象
学的存在論の試み』(1943)に至るまで、現象学者としてのものであった。また、
『ピュロス
とシネアス』を書いていたボーヴォワールも現象学者であった43。
サルトルの講演「実存主義はヒューマニズムである」を機に、
「実存主義攻勢」の火蓋が
切られた。第二次世界大戦の終戦のころ、カトリック、極右、コミュニスト、マルキシス
トが「実存主義」を非難し始めた。サルトルもボーヴォワールも自分たちに貼られた「実存
主義者」というレッテルを拒み続けていたが、無駄だった。
「しまいにわたしたちは、みん
ながわたしたちを呼ぶのに使っていたこの呼名を拝借して」
、
「実存主義攻勢」に転じた44。
S. de Beauvoir, Pyrrhus et Cinéas, p. 120/313.
J-P. Sartre, L’existentialisme est un humanisme, p. 83 (「実存主義はヒューマニズムである」『実存
主義とは何か』、75 頁)。
40 〔サルトルの〕これらの発言は、
『存在と無』の基本的なモチーフとのずれを示すもの、といえる。と
いうのも、
『存在と無』においては、他者を知ることは他者を対象化することにほかならない、と考えら
れていたからであり、そして、この対象化は他者の自由な主体性に対して疎外を引き起こす、と考えられ
ていたからである(水野浩二『サルトルの倫理思想 本来的人間から全体的人間へ』
、法政大学出版局、
2004 年、53 頁)
。また、水野氏は、サルトルのこれらの発言を、相互承認論の成立の出発点としている
が、そこにはすでにボーヴォワールの影響が見られる。
41 S. de Beauvoir, L’existentialisme et la sagesse des nations, Les Temps Modernes 1, no.3 (1
Décembre 1945), pp. 385‒404. L’existentialisme et la sagesse des nations は Idéalisme morale et
réalisme politique, Littélature et métaphysique, Œil pour œil と共に、L’existentialisme et la sagesse
des nations として一冊の本にまとめられ、1948 年にナゲル社から出版された。「実存主義と常識」大久
保和郎訳『実存主義と常識』ボーヴォワール著作集2、人文書院、1968 年を参考にしたが、私はタイト
ルを『実存主義と民衆の知恵』とした。
42 H. Spiegelberg, The Phenomenological Movement: A Historical Introduction, Den Haag: Martinus
Nijhoff , 1960(1982).『現象学運動』立松弘孝監訳、世界書院、2000 年、下巻 36‒37 頁。
43 本論文、
「第五章ボーヴォワールの現象学的存在論」を参照。
44 S. de Beauvoir, La force des choses Ⅰ, Gallimard, 1963/folio1972(1998), p. 60 (『ある戦後上』朝吹
38
39
26
『レ・タン・モデルヌ』誌に参加したモーリス・メルロ=ポンティ(1908‒1961)は、1945
年に『知覚の現象学』を発表している。
『レ・タン・モデルヌ』誌の 1945 年 11 月号には
ボーヴォワールによる『知覚の現象学』の書評45とメルロ=ポンティの「実存主義論争」46
が、12 月号にはボーヴォワールの「実存主義と民衆の知恵」が掲載された。しかし、ボー
ヴォワールは、このような「実存主義攻勢」は協議のうえでなされたのではないと記して
いる47。
このように、現象学者であったボーヴォワール、サルトル、メルロ=ポンティは、
『レ・
タン・モデルヌ』誌の発刊を機に、現象学的実存主義者になったのである。また、サルト
ルの『実存主義はヒューマニズムである』を読んで、そこに書かれている主張を「サルト
ルの実存主義」と呼ぶのは間違いである。正確には、
「レ・タン・モデルヌの実存主義」と
呼ぶべきであり、
「レ・タン・モデルヌの実存主義」には、ボーヴォワールも貢献している。
メルロ=ポンティの「実存主義論争」とボーヴォワールの自伝『ある戦後』がこの辺の事
情を詳しく伝えている。
『実存主義と民衆の知恵』における実存主義の弁護から、ボーヴォワールが実存主義を,
どのように考えていたのかを探ってみよう。この評論は、ほとんどの人は「実存主義」と
いう哲学を知らないのに、
多くのひとがそれを攻撃しているという文章から始まっている。
攻撃している人たちは、
「実存主義」は人間の偉大さを認めず、その悲惨さだけを描こうと
する「ミゼラビリズム」であり、それは友情、博愛、どんな形の愛も否定し、個人を利己
的な孤独のうちに閉じ込め、現実世界から切り離し、完全な主観性のなかに留まらせると
言っている。
こうした非難に対して、ボーヴォワールは、人間の悲惨さ、利己主義、主観性を露わに
する宗教、思想、文学、俚諺を繰り出しては、なぜ「実存主義」だけが非難されるのだろ
うかと問うている。
彼らが実存主義に向ける第一の非難は、首尾一貫した、組織化された体系であり、全
体が取り入れられることを要求する哲学的態度であるということだ。あまりにも明確
に規定された世界観を引き受けることで、彼らは、あまりにも重い責任を抱え込むの
ではないかと恐れているのだろう。
というのも、人々はなによりも責任をひどく恐れ、危険を冒すのを好まず、自分の
自由を巻き添えにするのではと心配するあまりに、自由を捨てるほうがましだと思う。
それこそまさに、彼らの、この自由を最重要の位置におく学説に対する嫌悪感のもっ
とも根源的な理由なのだ。もし、実存主義に向けられた批判を考慮するならば、だれ
の目にも明らかな矛盾によって驚かされざるをえない。実存主義を主観主義と非難す
る人々は、モンテーニュ、ラ・ロシュフーコー、モーパッサンを無常の喜びとしてい
る、まさにその人である。彼らは、純然たる内在の心理学の確固たる支持者であり、
登水子・二宮フサ訳、紀伊國屋書店、1965 年、48 頁)。本論文では folio1998 版を使用した。
45 S. de Beauvoir, La phénoménologie de la perception de M. Merleau-Ponty, Les Temps Modernes 1,
no.2, 1945, pp. 363‒369.
46 M.メルロ=ポンティ、
「実存主義論争」滝浦静雄訳『意味と無意味』
、東京:みすず書房、1983 年、103
‒120 頁。
47 S. de Beauvoir, La force des choses Ⅰ, p. 60 (『ある戦後上』
、48 頁)。
27
そこでは、個人の投企と感情はすべて彼自身に戻っているように思われる。実存主義
者は、それとは反対に、人間は超越であると主張している。人間の生は、世界へのア
ンガジュマン、「他者」に向かう運動、未来に向かう現在の乗り越えである48。
続いて、ボーヴォワールは「内在の哲学」と「超越の哲学」を対比して、次のように述
べている。
内在の哲学では、わたしの行動の到達点は与えられている。……超越の哲学では、主
体はもっぱら出発点として存在し、わたしはその存在を覆い隠すことはできず、わた
しのすべての行為の源はわたしの主観性にあるということを正視しないわけにはいか
ない。実は、ひとが実存主義をその主観性ゆえに非難するとき、非難しているのは、
主観性と自由を同一視していることに対してである49。
もちろん、実存主義は「超越の哲学」であり、ここでも、「内在」と「超越」は行動の次
元で使われている。「内在」と「超越」は、『第二の性』におけるキーワードであるが、
『ピリ
ウスとシネアス』で萌芽が見られ、
『実存主義と民衆の知恵』においてすでに獲得されてい
ることが確認できる。
5.『両義性のモラル』(1947)50
『両義性のモラル』は、
『レ・タン・モデルヌ』誌の 1946 年 11 月号および 12 月号、1947
年 1 月号および 2 月号に掲載され、1947 年にガリマール社から一冊の本として出版され
た。
この論評も実存主義の擁護のために書かれたものであり、
ボーヴォワール自身も「当時、
人々は実存主義をニヒリズムの、ミゼラビリズムの、軽薄な、卑猥な、絶望感に満ちた、
卑劣な哲学と呼んでいたので、とにかく弁護しなければならなかった」と述べている51。こ
こでも、ボーヴォワールの実存主義擁護の記述から、彼女が実存主義をどのように考えて
いたかを探ることにする。
実存主義は、はじめからひとつの両義性の哲学として規定された。キルケゴールがヘ
ーゲルに反対したのは、両義性の還元不可能な性格を主張することによってである。
そして今日、
『存在と無』でサルトルが人間を根本的に規定しているのも両義性によっ
てである。その存在があらぬということであるこの存在。世界への現前としてでなけ
れば実現されないこの主観性。拘束されたこの自由。他人に(pour autrui)直接与え
られるこの対自の出現52。
S. de Beauvoir, L’existentialisme et la sagesse des nations, L’existentialisme et la sagesse des
nations, pp. 38‒39 (『実存主義と常識』、237 頁)。
49 Ibid., pp. 40‒41 (同書、238 頁)。
50 S. de Beauvoir, Pour une morale de l’ambiguïté, Gallimard, 1947/folio2003.『両義性のモラル』ボー
48
ヴォワール著作集 2、松浪信三郎・富永厚訳、人文書院、1968 年を参考にした。
51 S. de Beauvoir, La force des choses Ⅰ, p. 98 (『ある戦後上』
、77 頁)。
52 S. de Beauvoir, Pour une morale de l’ambiguïté, p. 15/14 (『両義性のモラル』
、99 頁)。
28
『両義性のモラル』において、 ボーヴォワールの実存主義に「両義性」という新たな意味
が付け加えられたが、それは実存主義の源流への回帰でもあった。ボーヴォワールは生と
死、孤独と世界との関係、自由と隷属、それぞれの人間の無意味さと至高の重要さを根本
的両義性としているが、これらは人間の条件でもある53。こうした条件を明るみに出すこ
とで、実存主義はミゼラビリズム、絶望感に満ちていると批判されたが、こうした条件を
引き受けつつ生きることを、ボーヴォワールは実存と考えたのである。その際、ボーヴォ
ワールがもっとも重視するのは自由である。
こうした〔自由を肯定する〕モラルは独我論ではない。個人は自らの、世界や他の個
人に対する関係によってしか規定されないし、自己を超越することでしか実存しない
し、個人の自由は他人の自由を介してしか実現できないからだ54。
6.『実存主義とは何か』(1947)55
『実存主義とは何か』は、4 ヶ月に及ぶアメリカ旅行から帰国した 1947 年の初夏に、
アメリカの週刊誌『フランス‑アメリック』のために書かれた。アメリカ旅行の間に、再三、
「実存主義について手短に説明してください」と言われて、ボーヴォワールは一つの論説記
事でも実存主義について説明するのには不十分と言いながらも、自分の実存主義について
の考えを簡潔にまとめたのがこの作品である。そこにおけるボーヴォワールの主張を以下
に要約する。
実存主義は一つの哲学であり、哲学に対するその貢献や、その妥当性について論じるこ
とは専門家にしかできないが、専門家ではない人々が実存主義に関心を持つには理由があ
るはずだ。その理由とは、実存主義はもっとも厳格な理論的基盤に基づくが、当時の世界
で生じていた諸問題に対する実践的な、生き生きとした態度でもあったということである。
当時のフランスの知識人の賛同を得ていたのは、キリスト教と実存主義とマルクス主義
であった。これらはすべて同じニーズに応えていた。そのニーズとは、フランスおよびヨ
ーロッパ全体で、個人は苦悩しつつ、ひっくり返ってしまった世界の中で自分の居場所を
見出そうとしていたということである。
キリスト教は内面性を重視し、マルクス主義は世界の客観的現実との関係を重視してい
る。実存主義は内部と外部、主観と客観の対立を乗り越える。実存主義は、すべての意味
とすべての意見(colors)の源泉および存在理由としての個人の価値を前提とするが、個人は
世界への関与を通してのみ現実を得ると主張する。人間の仕事は、世界に意味を与えなが
ら、世界を形作ることである。
7.『第二の性』(1949)56
53
54
Ibid., p. 14/14 (同書、99 頁)。
Ibid., p. 218/193 (同書、218 頁)。
S. de Beauvoir, What is existentialism? (1947), in Simone de Beauvoir Philosophical writings, pp.
323‒326.
56 S. de Beauvoir, Le deuxième sexe, Gallimard, Ⅰ1949(1986)/folio1986(2005)・Ⅱ
1949(1987)/folio1986(2002). 『第二の性』
『第二の性』を原文で読み直す会訳、東京:新潮社、2001 年
を参考にした。
55
29
『第二の性』の序文において、ボーヴォワールは、女性論を展開するにあたって、採用
する観点は実存主義のモラルであると言い、それに続いて、次のように述べている。
すべての主体は投企を介して超越として自己を具体的に立てる。主体はその自由を、
自らの、他の自由に向かう絶えざる乗り越えによってでなければ実現しない。無限に
開かれた未来に向かって自己を広げていく以外に、現在の実存は正当化されない。超
越が内在へと後退するたびに、実存は「即自」へ、自由は事実性へと堕落する。この
転落は、もし主体によって同意されているならば、倫理的な誤りであり、もし主体に
科されているならば、欲求不満と抑圧の形態を取るが、どちらの場合も、絶対的な悪
である57。
また、ボーヴォワールは『第二の性』の「Ⅰ事実と神話、第一部宿命、第三章史的唯物
論の見解」で次のように述べている。
女を探求していくうえで、わたしたちは生物学、精神分析、史的唯物論のもたらした
功績を否定するわけではない。ただわたしたちは、身体も、性生活も、技術も、人間
が自分の実存の全体的な展望のなかで把握するかぎりにおいて、人間にとって具体的
な意味をおびるのだと考える58。
8.結
現象学者であったボーヴォワール、サルトル、メルロ=ポンティが自らを実存主義者と
認めるに至ったのは、第二次大戦後の混乱のなかで、新しいモラルを求める社会の要請に
応えてのことであった。
『実存主義とは何か』においてボーヴォワール自身も言っているよ
うに、実存主義はもっとも厳格な理論的基盤に基づくと同時に、当時の世界で生じていた
諸問題に対する実践的な、生き生きとした態度でもあった。
私は、このボーヴォワールの分類に従って、実存主義を理論としての実存主義と実践と
しての実存主義に、言い換えると、
「現象学的実存思想」と「実存主義のモラル」に分ける
と、問題が整理されるのではないかと考えている。第二次大戦後に実存主義に対してなさ
れた総攻撃は「現象学的実存思想」と「実存主義のモラル」を混同したために起こったの
ではないだろうか。本章の第 7 節『第二の性』で挙げた二つの引用文のうち、前者は「実
存主義のモラル」に、後者は「現象学的実存思想」に関わる。
現象学と実存思想は体験という場で結びつく。体験は、従来のモラルに反することもあ
るだろうが、その体験をしている当人にとっては唯一の現実であり、真実である。体験に
ついてのこのような考え方に則って現実に目を向ければ、人間に課せられた両義性、意識
どうしの葛藤、個人および集団間の支配と被支配の関係などを看過することができなくな
り、それに言及すれば、ミゼラビリズムと非難される。しかし、自分が体験している現実
を直視することは、
「現象学的実存思想」の主眼である59。
57
58
59
S. de Beauvoir, Le deuxième sexeⅠ, p. 31/33 (『第二の性 Ⅰ』
、37 頁)。
Ibid., p. 104/107 (同書、130 頁)。
サラ・ヘイネマーは、
「ひとは女に生まれない、女になるのだ」というボーヴォワールの有名な主張を
30
また、ボーヴォワールは、人間に課せられた両義性を引き受けつつ生きることを実存と
考えたが、実存は無限に開かれた未来に向かって自己を広げていく以外に正当化されない
とも言っている。この無限に開かれた未来に向かって自己を広げていくことを、ボーヴォ
ワールは超越と呼んだ。主体が超越ではなく内在を選ぶとき、
それは倫理的な誤りであり、
超越が支配と被支配の関係によって阻害されるとき、それは絶対的な悪である。
「実存主義
のモラル」はこのような認識に基づき、自由を最重要視する。それゆえに、
「実存主義のモ
ラル」は自由にともなう責任を回避しようとする人々からも非難された。
ボーヴォワールは自由の二つの面を区別している。一方は、すべての人に等しく全面的
に与えられている自由であり、他方は、一人ひとりの状況に応じて異なる自由である。ボ
ーヴォワールは前者を「自由は、好むと好まざるとにかかわらず、ある仕方あるいは別の
仕方で、外から実存にやってくるすべてを自分のものとする実存の様態そのものであり、
この内的運動は分割できないから、それぞれの人において全面的である」と表現している60。
後者は、常に体験のレベルで思考していたボーヴォワールの「体験の現象学」から見えて
くる自由である。
「実存主義のモラル」はすべての人に体験のレベルでの自由を保証するようなモラルで
なければならないだろう。また、ボーヴォワールは『ピュロスとシネアス』で、
「わたした
ちの自由は、一つのアーチを形作る複数の石のように、互いに支え合っている」と言って
いる。そして、この支え合いの根底にあるのは相互承認であり、あまり知られていないこ
とだが、
『第二の性』も相互承認への呼びかけをもって終わっているのだ61。
セックス/ジェンダーの区別と結びつけて考えるのは誤りであり、
『第二の性』は女性の社会化についての
主張ではなく、性的差異の意味の構成の現象学的探求であると述べている。Sara Heinämaa, Toward a
phenomenology of sexual difference: Husserl, Merleau-Ponty, Beauvoir. Lanham, Md: Rowman &
Littlefield, 2003, p. ⅹⅲ.
60 S. de Beauvoir, La force de l’âge, p. 627 (『女ざかり下』
、170 頁)。
61 S. de Beauvoir, Le deuxième sexe Ⅱ, p. 576/662 (『第二の性 Ⅲ』
、477 頁)。
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