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内田勝晃の「青い三角地帯」

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内田勝晃の「青い三角地帯」
内田勝晃の「青い三角地帯」
内田勝晃
タテ書き小説ネット Byヒナプロジェクト
http://pdfnovels.net/
注意事項
このPDFファイルは﹁小説家になろう﹂で掲載中の小説を﹁タ
テ書き小説ネット﹂のシステムが自動的にPDF化させたものです。
この小説の著作権は小説の作者にあります。そのため、作者また
は﹁小説家になろう﹂および﹁タテ書き小説ネット﹂を運営するヒ
ナプロジェクトに無断でこのPDFファイル及び小説を、引用の範
囲を超える形で転載、改変、再配布、販売することを一切禁止致し
ます。小説の紹介や個人用途での印刷および保存はご自由にどうぞ。
︻小説タイトル︼
内田勝晃の﹁青い三角地帯﹂
︻Nコード︼
N2243BJ
︻作者名︼
内田勝晃
︻あらすじ︼
内田勝晃こと青い三角定規が書く、自然体エッセイ。
近況報告などもあります。
1
第一回・三角地帯柿落としの巻
[改めまして]
姓は青い、名は三角定規。青い三角定規です。
最近pixivを中心に活動していたので、トンとご縁がなかった
この﹁小説家になろう﹂サイト。
それじゃあつまらないだろうと言う発想からこの﹁青い三角地帯﹂
が生まれました。
これから時々更新するので、ぜひぜひ私の駄弁りにお付き合いくだ
さい。
では⋮。
[﹃平成刀語﹄誕生秘話]
かつてこのサイトで掲載していた﹁平成刀語﹂という作品がありま
す。
現代を舞台に、七花の子孫の小説家・鑢次郎が転生してきたとがめ
と共に再び刀集めに出る⋮。というのがあらすじ。
そこに犯罪組織や少年探偵の山藤悠一も加わって、二転三転する﹃
平成刀語﹄の行方はいかに?︵気になる人はゼヒpixivを見て
ください︶
さて、物事には必ず発端があります。
この小説を考え出したきっかけはある一本のCMでした。
2010年の二月頃、深夜アニメを見ていた︵何を見ていたかは忘
れてしまいました︶私の目に飛び込んで来た、動きの激しい、オリ
エンタルなCM。それは刀語のDVD第一巻発売を知らせる物でし
た。
﹁刀語ねぇ⋮﹂
当時、江戸川乱歩に心酔していた私は他のジャンルは目にもくれず
にいたので、ライトノベルには疎かったのです。
2
その後、私は図書館で﹁刀語﹂に出くわし、貸し出し制限ギリギリ
の10冊を借り、読み出しました。
読めば読むほど引き付けられる刀語の世界に、西尾維新のあの独特
の文体。
たちまちにして私は西尾維新の虜になったのでした。
さて、その頃私はある事をしていました。
漫画同人誌の発行です。
読者数10名程の超がつくローカル誌は、僕の周りではそこそこの
評判でした。
そこで連載していた作品こそ、平成刀語の登場人物・山藤悠一少年
なのです。
﹁ユウ1探偵長﹂のタイトルで連載されたこの作品は、中1から中
3の夏まで、足がけ三年弱続きました。
ある時、編集に携わっていた友人がこんな事を言いました。
﹁次の話は二転三転するようなのがいいなあ。そうそう、刀語みた
いなやつを書けない?﹂
それにハッとした私は、
﹁それ、いただき!﹂
と、手を打ちました。
こうして、今の平成刀語の原形的作品・﹁十三本目の刀語﹂という
作品が考案されました。
が、しかし。
﹁ええっ、き、休刊!?﹂
唐突に告げられた休刊宣言。結局、﹁十三本目の刀語﹂は幻の作品
になってしまったのです。
[出会いと別れ]
さて、それから一年が経ち、私は高校生となりました。
ハイスクールライフが順調になってきたある日、私はあるサイトに
出会いました。
そのサイトこそ、﹁小説家になろう﹂だったのです。
3
﹁小説サイトか⋮。二次創作もあるんだなあ﹂
と、何の気なしに打ち込んだキーワードが﹁刀語﹂。
これがまさに、火付け役だったのです。
そこで一番先に目に留まった作品が、大先輩・沙伊さんの書く﹁花
炎異聞録﹂でした。
現代にタイムスリップした七花とリボーン達が繰り広げる大活劇に、
私の心は決まりました。
﹁やったるで、刀語!﹂
こうして、大幅に内容を改編した上で、﹁平成刀語﹂が掲載された
のです。
ところが、第十話まで行った時、思わぬ事態が発生したのです。
ある日、日課の喫茶店巡りに行った先で、私はユーザーページにア
クセスしました。
と、そこに書かれた驚愕の事実。
﹁二次創作作成禁止リスト﹂でした。
いやな予感に手を震わせながらリストを見たところ、刀語は版元ご
と引っ掛かり、私は奈落の底に突き落とされたような気分になりま
した。
昔より二次創作に対する風当たりが強いのは知っていましたが、ま
さかこんな目に会うとは思いませんでした。
結局、私は方々の体で﹁平成刀語﹂を削除し、このサイトから身を
引きました。
しかし、欲望とは怖いもので中々未練が断ち切れず、pixivへ
と移籍をしました。
こうして、亀のような更新速度で﹁平成刀語﹂は続いているのでし
た。
4
第二回・電撃文庫の鈍器⋮の巻
タイトルにある﹁電撃文庫の鈍器﹂にピンと来た方も多いのではな
いでしょうか。
そう、今回のお題に関わるのは﹁境界線上のホライゾン﹂。
つい最近二期も放映されたので皆様のご記憶には新しいところかと
思います。
実は本作、リアルタイムでの視聴はしておらず、一期は友人の個人
録画で賄いました。
面白い!
が、第一感想ですかね。
あの独特の世界観、そうそう真似できるものではありますまい。
さて、話を変えましょう。
つい先頃、友人宅に遊びに行った時の事でした。
友人には妹さんがいて、この日はたまたま彼の部屋に来ていました。
﹁にいちゃーん、ちょっと宿題教え﹂
﹁断る!﹂
と、友人は即答。
﹁おいY、そんなに冷たくしちゃあ可愛そうじゃないか﹂
﹁定規よ、バカにいくら教えたって無理な物はむ・り・な・の!﹂
﹁冷たいなあ⋮﹂
と、寝転んで手元の小説雑誌に目を戻した時でした。
バシッ!
﹁あたっ!!﹂
鈍い音が響き、何かが落ちてきました。
﹁ホ、ホライゾン⋮?﹂
落ちてきたのは彼の蔵書のホライゾンでした。しかも、それはかな
り分厚い二巻ではありませんか。
5
気になって友人に目を向けた所、そこには耳を押さえて悶絶する友
人の姿が。
﹁なにがあったんだ?﹂
﹁⋮妹に殴られた﹂
何があったのか、詳しく説明すると、
①友人、妹の頼みを断る。
②妹、キレて近くの本棚にあったホライゾンに目を向ける。
③分厚い二巻を手に持ち、友人の右耳を叩く。
と、言った理由でした。
後で知ったのですが、彼の妹さんは地元中学のスケバンらしく、か
なり短気らしいのです。
家に来たときにはいつもお茶を持ってきてくれる、いい子だと思っ
ていたので少しショックでした。
人は見た目に依らず、ホライゾンは鈍器になる。
そう実感しました。
︵幸いに友人の耳に異常はありませんでした︶
では、また近いうちにお会いしましょう。
青い三角定規でした⋮。
6
第三回・秋フカシ⋮︵前編︶︵前書き︶
さて、ウダウダした随筆の第三回。
秋をめぐる、微妙な微妙なお話です⋮。
7
第三回・秋フカシ⋮︵前編︶
すっかり秋らしくなってきました。
三角定規の周りでも秋がチラホラと現れだし、色々と感慨深いもの
を感じます。
その一例が﹁秋のフカシ﹂でしょうか。
﹁﹃秋深し﹄じゃなくて?﹂と、気になる方もいらっしゃるでしょ
う。
違うんです、これが。
まあ、ゆっくり順を追って話しましょう。
まず一つ目。
ある朝、学校に着くとぐったりした顔の友人がリポ⃝タンを飲んで
いました。
﹁どしたの?﹂
﹁⋮小説読んでたら朝だった﹂
﹁⋮夜更かしか﹂
﹁うん。でも、リ⃝ビタンがあればだいじ﹂
バタン。
﹁おい、大丈夫じゃないだろっ!﹂
友人はそのまま気を失い、保健室に送られました。
秋フカシ。
一つ目は﹁秋の夜更かし﹂でした。
8
第三回・秋フカシ⋮︵前編︶︵後書き︶
秋フカシ第一弾、いかがでしたか?
言っときますが、事実です。
さて、次の秋フカシは一体⋮?
9
第四回・秋フカシ⋮︵後編︶
家から三キロばかりの所にある神社は隠れた紅葉の名所で、毎年時
期になると参拝客に混じって紅葉見物の人が大勢来ます。
残念ながら、まだ時期ではないために紅葉は拝めていないのですが、
かなり綺麗です。
そこに、茶店の軽食が加わって、まさに花より団子状態の三角定規
ですが、近頃はそちらよりも別の方向に関心が向かっています。
写真です。
燃えるような紅葉はアマチュア写真家にとっては格好の被写体なん
ですよね、これが。
と、言っても今全盛のデジカメではなくて、フィルム写真なんです
がね。
なんというか、あの独特の色調はフィルムでしか写せないんですよ
ね。
だから好き、という訳です。
ただ、この頃フィルム派には辛いことばかり起きていて、心がズタ
ズタ。
コダックの破産に、富士フィルムの映画用フィルム生産終了⋮。
特にフジの場合は深刻で、このまま行くと写真用も無くなるのでは
と心配です。
デジタルへの乗り換えも考えましたが、今更カメラを手放す勇気も
なく、なんともし難い感じです。
秋フカシ。
深い問題のある今日この頃でした⋮。
10
第五回・八犬伝再び⋮の巻︵前書き︶
さて、今回は今話題の作品について⋮書くつもりがとんだ方向外れ
になってしまいました。
どうかご容赦ください。
11
第五回・八犬伝再び⋮の巻
﹁伏﹂というタイトルのアニメ映画をご存じでしょうか?
直木賞作家・桜庭一樹先生原作の時代小説の映画化、という訳なん
ですが、皆さんはこの作品の大元に当たる作品をご存じでしょうか。
曲亭馬琴作﹁南総里見八犬伝﹂です。
簡単に説明すると、里見家ゆかりの八犬士が御家復活のために繰り
広げる一大伝奇物語⋮という訳です。
ちなみに、﹁伏﹂のヒロイン、浜路の名前の由来は八犬士の一人、
犬塚志野の恋人から来ています。
一言、元祖八犬伝を読んだ者として感想を言わせていただくと、
﹁⋮エグい﹂
と、言った感じです。
気になる方は是非、現代訳版を探して読んでみてくださいね。
さて。
八犬伝の映像化は過去にも何回かなされましたが、中でも一番有名
な物をご紹介したいと思います。
その名は﹁新八犬伝﹂。NHK連続人形劇として、1973年から
1975年までの約二年間に全464話が放送された大ヒット作で
した。
見比べると、エグい原作に比べると弱冠ライトな、冒険活劇に近い
感じがします。
語りを務めた坂本九さんの名調子、﹁因果は巡る糸車、巡り巡って
風車﹂や、﹁本日、これまで!﹂は子供達の間で大流行したそうで
す。
そんな風に言われると、﹁見てみたい!﹂と、考える人もいること
でしょう。
一応、NHKからDVDは出ています。
12
ただし、全話収録ではありません。
なぜなら、NHKには全464話のうち、たった4話しか映像が残
っていないからです。これは当時の放送用ビデオテープが高価で、
放送が終わると上書き消去をして別の番組に使用していたからです。
︵当時はどこのテレビ局でも同じだったようです︶
しかも、残っているのは八犬士の活躍シーンがない回ばかりで、か
なりガッカリ。︵近年になって新たに、前半総集編の映像が民間か
ら見つかり、やっと八犬士の活躍は見られる様になりましたが︶
NHKはやっきになって、当時の録画を探しているそうですが、V
HSなどの家庭用VTRが普及する前の話なので、見つかるかどう
か⋮。
一説には、関西に全話録画をしたテープを持っている人が居たが、
阪神淡路大震災でテープが被災してしまったとの話もあります。
本当かどうかは不明ですが。
こんな状況は番組製作に安価な新型VTRが使われるようになった
1980年代まで続き、この間に放送された番組は保存数が少ない
のが現状だそうです。
そこで、三角定規から皆さんにお願いがあります。
1980年代以前に家庭用VTRを使っていた、という人が身近に
いらっしゃいましたら︵テープやデッキが残っていれば︶、是非テ
ープの中身を確認してみてください。
もしかしたら、とんでもないお宝が出てくるかもしれませんよ⋮。
八犬伝を再び見られる日が来ることを願って、ここに筆を置きます。
13
第五回・八犬伝再び⋮の巻︵後書き︶
新八犬伝、全話視聴できる日は来るんでしょうか。
言っときますが、三角定規はリアルタイム視聴者じゃありませんよ!
同年代の人と時々話が合わなくなる青い三角定規でした⋮。
14
第六回・甘味あれこれ⋮の巻︵前書き︶
秋と言えば食欲の秋。
なのは、僕だけでしょうかねぇ⋮。
15
第六回・甘味あれこれ⋮の巻
さて皆さん。
突然ですが、皆さんはどんな甘味がお好きでしょうか?
﹁洋菓子!﹂
﹁中華風!﹂
と、まあ色々あるかと思いますが、僕はどちらかと言うと和菓子派
です。
︵なんというか、西洋菓子の甘さよりも和菓子の方が性に合うんで
すよね。︶
と、いう訳で、今回は三角定規の好みに関するお話です。
[一品目・酒饅頭]
酒饅頭という饅頭があります。
別にお酒も入ってないのになぜ酒饅頭なのか?
答えは簡単、記事に酒糀を使っているからです。
酒饅頭と聞いて思い出すのは、地元の名店・O饅頭︵仮名︶。
創業は江戸時代という超老舗の酒饅頭は高い代わりにすごく美味し
いんですよね、これが。
ただ、普段からそんなに贅沢は言ってられないので、いつもはスー
パーの安い酒饅頭を食べています。
一個80円、こし餡の味がたまらない。
[二品目・手作りの飴]
さて、お次はよく買う品について。
通学コースの真ん中辺りにある小さな和菓子屋さん。
そこのご主人手作りの黒飴がまた美味しいのなんの。
材料は水飴と黒糖だけ。保存料は一切入ってません。
そんな飴が袋にドッサリ入ってお値段なんと210円なり。
正直、安いのは有り難いけど、なんだか安すぎる気もする三角定規
16
でした⋮。
[三品目・舟和の芋羊羮とあんこ玉]
これは、東京に住んでいる親戚が毎回必ず買ってくる品。
浅草に店を構える和菓子屋・舟和の逸品です。
保存料や着色料は一切使っていないのが売りの二品は、旨いのなん
の、天下一。
特にあんこ玉は、上品な甘さで良い口当たり。
また食べたくなる一品です。
[終わりに]
長々と和菓子について語っておいてから言うのはなんですが、もし
この随筆の読者の中に和菓子の苦手な方がいましたら、深くお詫び
申し上げます。
と、言いますのは、昔三角定規は和菓子嫌いな友人にウッカリ汁粉
を勧め、大喧嘩になった事があるからです。
人の好みは十人十色、お仕着せはしまいと思った出来事でした。
17
第六回・甘味あれこれ⋮の巻︵後書き︶
・結論
和菓子は旨い。
以上!
18
第七回・地獄の道化師の巻
昭和八年、東京都神田の踏切でオープンカーが横転、走ってきた省
線電車と激突する事故があった。
その際、オープンカーに積まれていた石膏像が電車にひかれ、無惨
に欠片を散らせた。
ところが、不思議や不思議。石膏像の中から赤いものが滲んできて
⋮。
と、言うのが、江戸川乱歩作・﹁地獄の道化師﹂のあらすじです。
最近、古書店で昭和30年代の文庫版を見つけ、久々に読んでみた
のですが、これがなかなかおっかない。
塗り込め殺人、怨念⋮。
つくづく女性絡みは怖いと思いました。
19
第八回・イラスト四苦八苦
今、猛烈に悩んでます。
何を?
イラストです。
﹁そんなこたァタイトルに書いてあるだろうが﹂と、言うなかれ。
結構これが死活問題なんですから、ハイ。
とがめ
実は今、沙伊さん︵第一回参照︶に﹁平成刀語﹂のキャラクター、
鑢次郎と松公寺陽子、それから探偵長と猫目をイラスト化して頂い
ているんです。
しかし、ただ描いていただくだけではつまらない。
そこで、こちらも描いてみようという事になりました。
探偵長と猫目は自分で考えた人物なので楽なんですが、問題は次郎
ととがめでした。
刀語の挿し絵を担当したイラストレーター・竹さんはどちらかと言
えば多頭身のイラストを描く方です。
却って、青い三角定規はせいぜい五頭身くらい。
﹁まずい、そのまま描いたらキャラのイメージがパアだ⋮!﹂
ハイビジョンのテレビで見てこそのハイビジョン放送。
フツーのブラウン管テレビでは本来の持ち味が出ません。
それと同じで、多頭身だからこその魅力が、五頭身に縮小すること
によって台無しになってしまうかもしれないのです。
﹁アカン、アカンで⋮。ワシ、どないしたらええのんや⋮︵花菱ア
チャコ風に。分からない人はググってネ︶﹂
そこで、色々と無い知恵を振り絞り、こんな手を打ちました。
﹁仕方ねぇ、妥協じゃ妥協!﹂
あっさり折れた気力。
闘魂はどこへやら⋮?
20
とにかく、出来たらpixivに上げるのでご期待ください。
⋮心が折れるようなコメントはやめてね∼。
21
第九回・預言はどうした?の巻
もうじき12月。
時が経つのは早いもので、このサイトに登録してからもう一年。
2012年も静かに終わ⋮るにはまだ余裕があったり無かったり。
色々ありましたね、ここまでの11ヶ月。
さんざん騒いだ挙げ句のはてに、すっかり忘れ去られたマヤの預言。
今更ながらに流行った﹁ヤラナイカ﹂︵学校の一部にて︶
gdgdな政治⋮。
まあ、あれです。
来年こそはいい年になりますように⋮。と、書きかけてふと思う。
﹁いつからだっけ?マヤの預言を騒ぎ出したの﹂
喉元過ぎればなんとやら。
あれだけ騒いで肝心の、発生源を思い出せないとは⋮。
案外無責任な流行り、そして我が頭脳でした⋮。
22
第十回・ゆく年くる年︵前書き︶
ついに2012年もあとわずか。
最初から最後までgdgdな三角定規でした⋮!?
23
第十回・ゆく年くる年
ついに、今日で2012年もおしまい、平成24年が静かに過ぎよ
うとしています。
窓の外に降る雪を見ながら、︵三角定規は新潟県民です︶今年最後
の投稿をしています。
以前投稿したのがあまりにもgdgdだったので、少し真面目に行
きます。
思い起こせばこの一年、色んな事がありました。
にじファンからの撤退、そして廃止⋮。
大枚叩いて撮影した修学旅行の八ミリ映画がわりに受けたこと⋮。
あんまり後半がまともじゃないですが。
さて、あと二三時間で2012年もおしまいです。
残り少ない今年を、精一杯過ごしましょうね!
ゆく年くる年、青い三角定規でした⋮。
24
第十回・ゆく年くる年︵後書き︶
では皆様、よいお年を⋮。
年越しそばを茹でねば。
25
第十一回・新春!︵前書き︶
明けて嬉しいお正月、さて、今年こそは良い年になりますように。
26
第十一回・新春!
明けましておめでとうございます。
今年も青い三角定規をよろしくお願いします。
さて、新年最初の三角地帯も、ハリキって参ります。
[刀再び]
もうご存じの方もいるかと思いますが、刀語の再放送が決定しまし
た。
何故今頃?とか考えない。
突っ込むだけ野暮ってもんですよ。
十二週連続再放送とはまた、フジテレビも思いきったことをしたな
アと思いますが、DVDを買う金が浮いてありがたいな∼なんて思
うのも事実です。
しかし、三年も前の作品が再放送されるとは⋮もしや、第四話の七
花と錆の決戦が映画になるのか!?
そうならばゼヒ、映像化して欲しいですな。
一ファンの提言でした。
[作業用BGM]
何かするときに流す曲を作業用BGMと申しますが、皆さんは何を
流しますか?
三角定規はもっぱら手持ちのLPレコードをかけて執筆やらなんや
らしますが、気分の乗ってきたいいところでA面が終わったりして
ガックリ。渋々B面にひっくり返したりします。
﹁いくら好きとはいえ、これは嫌だな⋮﹂
レコードは結構値段が張るもので、最近手にいれたベンチャーズの
ライブ録音は中古で千円しました。
そこで、三角定規が編み出したのは﹁百円音楽﹂。
百円ショップのカセットテープを買ってきて、ラジオのアニソン番
27
組を録音するのです。
もちろん、タイマー予約なんて気の効いた物はついてませんので、
時間になるといちいちスイッチを押し、録音をします。
アニソン以外にも、ボカロ曲やNHKFMのクラシック特集なんか
を録音しているのですが、最近録りっぱなしで聞いていないテープ
が山を作り出しました。
﹁なんだろう、この虚無感⋮﹂
録りっぱなしで聞かなければ無理もないかな、と考える次第です。
28
第十一回・新春!︵後書き︶
皆様、今年も青い三角定規をよろしくお願いします。
29
第十二回・趣味について︵前編︶︵前書き︶
今回はウダウダと自分の趣味を語ります。
30
第十二回・趣味について︵前編︶
私、青い三角定規は自他共に認める多趣味人間です。
小説を書くと言うのもその内の一つなんですが、今回はその他の趣
味についてお話ししたいと思います。
一つ目は﹁写真﹂です。
と、言っても普通のデジカメではなく、三角定規はフィルムカメラ
を愛用しております。
数台所有しているなかでよく使うのは、40年前の一眼レフと、6
0年前の蛇腹カメラの二台。
最近は折り畳んでコンパクトにまとまる蛇腹カメラを学生服のポッ
ケに入れ、通学途中にパチリパチリとやっていますが、これがなか
なか大変。
第一に、メーカーの補償ははとうの昔にきれているため、壊れやし
ないかとビクビクしながら撮影とメンテの繰り返し。
そして、第二にはカンに頼るしかない露出が大変なんです。
古いカメラなのでシャッターを押せば必ず写るわけではなく、いち
いち絞りやシャッタースピードを変えなければなりません。
そして、極めつけは巻き上げと独立したシャッター。
写ルンですで例えると、ダイヤルを回すとシャッターがセットされ
ますよね?
それを僕らの間では﹁セルフコッキング﹂と呼んでいるのですが、
これがない。
なので、二重写しの危険性があるんです。
このカメラの上級機も同じく連動はしていないのですが、巻き上げ
ないとファインダーの中に赤いマークが出る警告装置があります。
僕のにはないけど。
まあ、普及機で値段も安かったから仕方ないかな、と思いつつ、今
31
日も写真を撮るのでした。
32
第十二回・趣味について︵前編︶︵後書き︶
ちなみに、蛇腹カメラの名前は﹁マミヤシックス﹂と言って、クラ
シックカメラの世界では割りと名の知れたカメラです。
興味がある方はご自分で調べてみてくださいね。
33
第十三回・趣味について︵後編︶
さて、前回は写真について語りました。
実は写真に関しては、もう一つ趣味があるんです。
ズバリ、活動写真。
8ミリ映画です。
平成刀語をお読みの方ならピンと来るかと思いますが、次郎が旅先
で撮影しているアレです。
8ミリ幅のフィルムをカメラに詰め、旅先の風景を撮影して、現像
から上がったフィルムを切って繋いで編集し、一本の映画を作る。
お金はかかりますが、デジタル編集にはない、切り貼り編集特有の
楽しさはお金には変えられません。
なにせ、パソコン編集とは違って、映像を自分の手で直に触れるこ
とができるんですから。
最近は、沖縄へ修学旅行に行ったときに撮影した記録映画と年末の
東京観光の映画を作りました。
なんというか、フィルム独特の味がある映像になっていて感激しま
した。
以上、フィルム中毒の青い三角定規でした⋮。
34
第十四回・銀色の道︵前書き︶
今回は少しだけいい話。
35
第十四回・銀色の道
受験シーズンはやや過ぎ、これを読んでいる人の中にも束の間の休
息を摂っている方がいると思います。
そんな方に、元気が出る曲をご紹介しましょう。
﹁銀色の道﹂です。
50年も昔の曲ですが、明るい歌詞が心を安らかにしてくれます。
かくいう自分もこの曲を聞いて元気を貰った一人です。
長い長い道のりは厳しいかもしれないけど、いつかは良いこともあ
るから、気を落とさずに前向こうよ。
と、まあ詞の大意はこんな感じでしょうかね。
興味のある方、YouTubeで調べてみてくださいね。
さて、曲名である﹁銀色の道﹂とは何のことなのでしょうか?
作詞をした方の意図はわかりませんが、作曲者である宮川泰さんに
関しては有名なエピソードがあります。
宮川さんは小さい頃、鉄道技師であった父の仕事先である北海道に
住んでいました。
ある日、金属回収の関係で、せっかく敷いた線路が取り外されてし
まいました。
歴史にも出てくる戦時中の金属回収です。
後には轍が残され、幼き日の宮川少年は悲しげにそれを見つめてい
ました。
あるとき、夕立が降って家に帰り、宮川少年は線路があった場所を
何気なく見ました。
すると、轍の後には水が溜まり、銀色の道が出来ていたのです。
尤も、歌詞に関しては偶然だったのですが、この経験から名曲・銀
色の道が生まれたのだそうです。
36
今日もひとり
谷間の春は
花が咲
銀色の遥かな道。
冬の嵐が吹いてるが
ひとり
遥かな道は
ひとり
遠い遠い
いてる
37
遥かな道∼。
第十四回・銀色の道︵後書き︶
続く
この三角地帯も続きますように⋮。
38
第十五回・テレビ60年︵その一・白黒の紅白︶︵前書き︶
今回から数回シリーズでテレビを語ります。
39
第十五回・テレビ60年︵その一・白黒の紅白︶
2013年。
それは、日本でテレビの放送が始まってから60年経つ、節目の年
です。
60年の長き月日の間、ブラウン管は僕ら視聴者に夢や希望、現実
を与えてきました。
今回から数回、そんな話をしたいと思います。
さて、タイトルにある﹁白黒の紅白﹂とは、一体何の事なのかと言
えば、NHKに残る紅白歌合戦の映像についてなのです。
最初に紅白がテレビ放映されたのは1954年だそうですが、当時
はVTRが無かったため、場面写真しか残っていないそうです。
これ以降、1962年までの紅白はラジオの中継音声が部分的に残
っているだけだそうです。
そして迎えた1963年の第14回。この年の紅白からは映像が現
存します。なぜ、この年から映像が現存するのかと言うと、第14
回が最後のモノクロ放送だったため、スタッフが記念に残そうと録
画したからです。
ただ、翌年の第15回は残念ながら現存しません。
理由は色々と考えられますが、東京オリンピック中継に器材を優先
的に回したため、余裕がなかったからと言われています。
そして、1972年に正式保存が決まるまでの数年間、紆余曲折の
保存事情が始まります。
1965年の紅白は前年から続きカラー放送。最近まで状態の悪い
カラービデオテープ︵後半67分のみ︶しか存在が確認されていま
せんでしたが、近年新たに倉庫内でテープが︵全編160分のうち、
130分を納めたほぼ完全版︶発見され、極彩色の紅白が数十年ぶ
りに甦りました。ただ、この年の映像は他にも現存します。
40
一つは局で録画したモノクロのフィルム映像。
﹁テレビカメラなのにフィルム?﹂と思うでしょう。
当時、各国のテレビ局ではVTRの他に、キネコと呼ばれる録画装
置が用いられていました。
原理は単純。ブラウン管をフィルムカメラで撮影するのです。ただ、
そのままでは走査線という物が写るため、色々と仕掛けがあるので
すが、ここはGoogle先生で詳しく調べてみてください。
そして、もう一つはその年の二年前に発売された世界初の家庭用V
TRにより録画された物でした。
当時は60分テープしかなかったので、二台使って切れ目なく録画
したそうです。サラリーマンの平均月収二万円の時代に十九万円し
たVTRを買ったのは司会を務めた宮田アナウンサーという方だそ
うです。
ただ、当時家庭用はモノクロVTRしかなかったため、それ以降の
カラー放送の紅白は全てモノクロ映像しか現存しません。
翌年、1966年から1970年の紅白も、やはり宮田アナウンサ
ーの録画のみ現存します。
ただ、1969年の紅白はカラー映像が部分的に残っています。
前述のキネコ装置で録画され、海外に住む日本人向けに送られたも
のだそうですが、あまりにも状態が悪く、さながらホラー映画のよ
うになっています。そのため、過去に数回紹介されただけであまり
公開はされていません。
1971年の映像は、高価だった家庭用カラーVTRで現存します
が、機材とテープの相性が悪かったのか、ノイズだらけの汚い映像
になっています。
1969年に初めて、業界統一規格の家庭用VTR﹁統一Ⅰ型﹂が
発表され、後を追うようにカラーVTRも発表されたのですが、カ
ラーに関しては﹁推奨規格﹂というアバウトな物で、同じ機械でな
いと上手く再生できないという代物でした。どうやら、録画した機
材と再生した機材はメーカーが違ったようです。
41
翌年にやっと局で正式に保存が決まり、録画の苦労もなくなりまし
た。
人々の努力のお陰で、昔の番組が楽しめるんだなあ、なんて思う今
日この頃でした⋮。
42
第十五回・テレビ60年︵その一・白黒の紅白︶︵後書き︶
いかがでしたか?
次回をお楽しみに⋮
43
第十六回・東京オリンピックは世界初だらけ︵前書き︶
五輪の輪は平和の証。
そんなオリンピックのお話。
44
第十六回・東京オリンピックは世界初だらけ
2016年の東京オリンピックが立ち消えになり随分経ちます。
東京都は懲りずに2020年を目指して頑張ってますがどうなるや
ら。
さて、時は遡り1964年。
この年が元祖東京オリンピックの年なんです。ハイ。
実はこの東京大会、テレビの歴史に色々と貢献してるんですよね。
今回はそれについてお話ししましょう。
まず第一に﹁初のカラー中継﹂。大会史上はじめて、全日程カラー
中継が行われました。
第二、﹁衛星中継﹂。人工衛星シンコムを使い、初の衛星中継が実
施されました。第三、﹁マラソン全コース完全中継﹂。今までは無
かったんです。
ここまで来るとかなりすごいなあ、といった印象を得ますが、実は
他にもあるんです。
最初にカラー中継の事をお話ししましたが、当時は白黒テレビ全盛
期。カラーテレビを持っている人は少数でした。
そこで、NHKは考えました。
﹁白黒テレビでもハッキリした映像を送れるカメラを作ろう﹂
という訳で、大会用に新しくカラーカメラが設計されました。
その頃のカラーテレビカメラは性能が低く、ボンヤリした感じの画
像しか得られなかったのです。カラーテレビでもそんなんですから、
白黒テレビは悲惨極まりない状態だったようです。
ただ、このカメラにも欠点がありました。
明るさが足りないと赤が黒っぽく写ってしまうのです。
悪いことに大会前日は雨。
もしも翌日曇ったら、日の丸が真っ黒になってしまいます。
45
スタッフはかなり焦ったようですが、当日は秋晴れ。
心配は杞憂に終わり、きれいなカラー映像が各国に配信されました。
配信には、前年1963年に運用が始まった放送用人工衛星シンコ
ムが使われました。
︵ちなみに日米間衛星中継の第一報はケネディ大統領暗殺のニュー
スでした︶
さて、この他にも放送機材には新しい風が入り込みました。
それは、スローモーションVTRです。
今でこそ、野球の判定などで当たり前に使われていますが、当時は
フィルムカメラを用いて︵ヒトコマヒトコマ確認する︶やるより術
はありませんでした。
国の威信をかけた東京大会のため、NHKと音響メーカー、TEA
Cが協力して作り上げたスローモーションVTRにより、今まで見
ることの出来なかったゴールの瞬間がスローモーションで見られる
ことになりました。︵ちなみにこれも大会史上初、そんでもって世
界初です︶
さてさて。
残すは一つ、マラソンですね。
それまではラジオでの完全中継はあったそうですが、テレビ中継は
なかったそうです。
というのは、テレビ電波が周囲の建物に遮られて上手く中継が行え
ないと考えられていたからです。
しかし、カラー中継までやっておいてマラソンの完全中継がないの
はつまらない、否、NHKの名が廃る、と考えたのでしょう。
やりました、NHK。
電波の問題は案外簡単に解決しました。
まず、中継車から電波を上空のヘリコプターに飛ばし、その電波を
東京タワーに再送信する、というかなり手間のかかる方法です。
そして当日、一台しかない中継車は、円谷選手とアベベの死闘を全
46
国に伝えたのでした。
去りし1964年。
来たりし2020年。
果たして次は何が起きるのか?
楽しみです。
47
第十六回・東京オリンピックは世界初だらけ︵後書き︶
ちなみに、肝心のカラー映像は開会式しか現存しないそうです。
他はみんなモノクロでしか残っていません⋮残念!
48
第十七回・暇ナシで飛び出す︵前書き︶
一発本番は辛いような⋮
49
第十七回・暇ナシで飛び出す
テレビが始まったばかりの頃、番組はほとんど生放送でした。
もちろんドラマもその例に漏れず、生放送で放送されていました。
そんなテレビドラマ初期の名作と誉れ高いのが、日本初の推理ドラ
マ﹁日真名氏飛び出す﹂。ドラマにスポンサーがついたドラマ第一
号でもあり、劇中で主人公の素人探偵・日真名氏がスポンサー・三
共薬品の栄養ドリンクをよく飲んでいたそうです。︵生コマーシャ
ルもあり、こちらはスタジオに薬局のセットを作って、そこで撮影
していました︶。
この﹁日真名氏飛び出す﹂、生放送ゆえに色々と伝説も残っていま
す。
大乱闘の三日後のはずなのにキャストの息が荒くなっていたり︵言
うまでもなく生放送ゆえに起きた事態︶、死体役が動いたり⋮。
今ならクレーム物です、ハイ。
その他にあったのは﹁口の動きとセリフが合わない﹂というモノ。
﹁日真名氏飛び出す﹂は、当時としては珍しくロケシーンの挿入が
ありました。
ただ、50年以上前の事ですから撮影はビデオカメラではなくフィ
ルムカメラ。
現像・編集のすべてが終わるのが放送の前日ですから、音の事前収
録は叶いません。よって、そのシーンの音声は恐怖の生アフレコに
なります。
まあ、これがずれるわずれるわ⋮。ただ、当時のテレビ受信機の画
質が今ほど高くなかったため、細かいズレは気づかれなかったよう
です︵そもそも画像がボンヤリしているのであまりわからない︶。
こうして、数々の伝説を残した﹁日真名氏飛び出す﹂は1962年
7月14日、全382回を持って終了したのでした。
50
文字通り、﹁暇無し﹂で演技をした出演者達に拍手を送る三角定
規でした。
51
第十七回・暇ナシで飛び出す︵後書き︶
生放送のドラマ、どこかの局がやってくれませんかね⋮。と、考え
る三角定規でした⋮。
52
第十八回・一時間百万円勝負!︵前書き︶
テレビ六十年シリーズ、ついに終了!最終回は、ビデオのお話。
53
第十八回・一時間百万円勝負!
以前、﹁新八犬伝﹂というTV人形劇の話をした事があったかと
思います。当時あれほどの人気がありながら、映像が四本分しか残
っていないという残念な事態になった理由が、ちょうどこの連続シ
リーズと一致するので、今回はそれについてお話ししたいと思いま
す。
日本でテレビ放送が始まった頃、番組は全て生放送でした。しか
し、番組制作量が増えるにつれ、生放送では成り行かない部分も出
てきました。記録によると、1954年にNHKが米国から購入し
た、フィルムを使用する録画装置・キネレコを用い、歌舞伎座から
の中継映像を録画、数日後に放映したのが日本最初の収録番組とい
われています。しかし、キネレコには欠点がありました。フィルム
を用いる録画方法のため、現像の手間がかかるのです。この手間が
なくせたらどんなにいいか⋮⋮。各国の放送関係者が頭を悩ませて
いたところに、彗星の如くあるものが現れました。
そう、それがVTRなのです。米国・アンペックス社製の、幅2
インチの磁気テープを用いるVTRはフィルム方式のキネレコと違
い、テープを繰り返し使用することが出来ました。
その話を聞きつけたの大阪のテレビ局・OTV︵現在のABC︶
はさっそくアンペックス社にVTRを注文しました。驚いたのはア
ンペックス社。というのは、海外輸出はこれが初めてだったからで
す。
かくして、海を越えてやって来たVTRはOTVにスタジオに設
置され、日本初のVTR使用ドラマ﹁ちんどん屋の天使﹂の収録に
用いられたのでした。その後、各局も遅れてはならぬとVTRを輸
入しました。いつまでも悠長に、フィルム録画のキネレコなぞ使っ
ては居れぬと考えたのでしょう。
54
1960年代に入る頃にはVTRも国産化され、各局には必ずV
TRが置かれるようになりました。
しかし、このVTRにも問題がありました。それは、編集が出来
ないということです。元々VTRは生番組の時間差放送用に作られ
た物なので、編集を前提としていませんでした。VTRを二台使っ
てコピー編集をすれば、たちまち画質が劣化してしまいます。その
ため、VTR初期のドラマは、一時間物なら一時間、ずっとVTR
を回しっぱなしで収録しなければならなかったのです。どうしても
編集が必要な場合は、特殊な液体で磁気信号を現像し、その部分を
カミソリで切って貼り付けるという方法が行われましたが、テープ
が高価な当時のこと、ほとんど例は無かったようです。
最後で失敗すれば撮りなおし。出演者には相当の緊張が走ったそ
うです。
尤も、数年も経つとコピー編集をしても大丈夫なくらいには画質
が向上し、場面ごとに撮影して編集、というスタイルが定着したよ
うです。
また、当時はテープが輸入品しか無く、一時間用テープが一本百
万円したそうです︵国産化されても、一本十万円はしたそうです︶。
そのため、テープは番組の放送が終わると、上書き消去をして他の
番組の収録に使用されました。そのため、放送初期の番組というの
はほとんど残っていないのです。
技術の進歩した今、番組の制作効率は当時に比べて格段に向上し
ました。でも、その反面、何かを失ったように思えてなりません。
テレビ70年を迎えるとき、テレビを取り巻く環境は一体どうな
っているのでしょうか?
その答えは私にも分かりません。
これにて、シリーズ﹁テレビ60年﹂を終わりたいと思います。
55
第十八回・一時間百万円勝負!︵後書き︶
いったい、テレビはどこにいくのだろうか・・・・・・。
56
第十九回・書くに書けないこの辛さ
最近、昔より文章が書けなくなった気がしてきました。
いや、こういう具合に軽い文章を書いてはいます。それとは別に、
どうしたわけか昔より文章がギコちなくなった気がするんです。
目下、ユウ1探偵長シリーズの新章を書いているのですが、どうし
たわけか書き始めが上手くいかず、いまだに一話の原稿が仕上がり
ません。
スランプなんでしょうか?それとも、ぐうたらな生活が原因でしょ
うか。はたして⋮。人に聞くと、誰しも一度は所謂スランプに陥っ
た経験があるそうです。陥ると、何をやってもつまらない、何をし
ても上手く行かない、とまあこんな感じだそうです。
何にしろ、理由が判明しないかぎり、作品作りは辛かろうなあ、と
思う次第であります。
57
次は南米
その次は
太陽出づる
第二十回・東京五輪、来る︵前書き︶
一句。
﹁欧州の
ついに来た!
東の島国﹂
58
第二十回・東京五輪、来る
新聞、ラジオ、テレビその他諸々の報道でご存じかと思いますが、
2020年のオリンピック開催地が東京に決定しました。
1964年の第一次大会から数えて56年、半世紀近い時を越えて、
ついに第二次東京大会が幕を開けることになりました。
スポーツの祭典、オリンピックが日本で、しかも東京で⋮⋮︵都民
ではありませんが︶。
安倍首相は演説で福島原発の一件の早期解決を表明しました。オリ
ンピックの支度と共に着々と被災地が復興すること、そして、不景
気からの脱却を三角定規は切に願うのでした⋮⋮。
59
日本晴れ
聖火は走る
第二十回・東京五輪、来る︵後書き︶
空は真澄の
最後にもう一句。
﹁旗なびく
東の島国﹂
60
第ニ十一回・ライトノベルかミステリか︵前書き︶
言い訳みたいな内容ですが、どうかお読みください。
61
第ニ十一回・ライトノベルかミステリか
八月下旬に投下して以来遅々として進まぬユウ1探偵長シリーズ﹁
アルシャワ編﹂。
別に怠けているわけではないのですが、書くに書けない、否、書い
てて気になることがあり、どうにも筆が進まないのです。
というのは、﹁自分が書いてるのはラノベなのか?推理小説なのか
?﹂と、気になって仕方がないからなのです。
いわゆるライトノベルには様々なジャンルがあります。SF、恋愛、
学園⋮。
そんな中で唯一存在しないものというのが、実は推理系のラノベら
しいのです。
尤も、これはライトノベルの定義自体が曖昧なのもあるようで、実
際は存在するが分類が出来ない、というのが実情みたいですが、ま
あ皆無と言って差し支えないでしょう。
﹁じゃああんたの作品は純粋な推理小説じゃないの?﹂
と、仰る御仁もいるかと思います。
事実、そう考えてました。
ところがつい半年前、その考えは友人のこんな一言により打ち砕か
れました。
﹁なんつーかさ、お前の小説ってラノベと推理小説を足して二で割
ったみたいな作りだよね。悪く言えば、どちらにも属せない半端も
んだな﹂
言われてみればそんな気がしなくもありません。
たとえば、﹁第三高校殺人事件﹂などは、主人公は10代、しかし
話は松本清張ばりの固い社会派、という具合。
本来なら﹁10代に相応しい程度の事件﹂か﹁大人の戦う社会派推
62
理﹂のどちらかに分けるべきなのでしょう。
いくつか試して書いてみたのですが、どうも中途半端な仕上がりに
なり、結局ユウ1探偵長のようなスタイルの作品が出来上がってし
まうのです。
それを指摘されて以来、原稿用紙に向かう度に、私は頭を悩ませて
います。
いったい、自分はライトノベルが書きたいのか、推理が書きたいの
か。
自分で自分がわからない、そんな日々を送っています。
63
第ニ十一回・ライトノベルかミステリか︵後書き︶
いったい、自分は何がしたいのか。
自分でも分からないのが自分だ、と、どこかの誰かが申しとりまし
たが、まさかそんな状況に自分が陥るとは⋮。
64
第二十二回・幻の章
最近、他のユーザーの方からこんなメールをもらいました。
﹁2012年の春先に、一話だけ載せていつの間にか消えたユウ1
探偵長シリーズの話があったような気がするんですが⋮いったいど
ういう展開にするつもりだったのですか?﹂
とまあ、かいつまめばこんな内容でござんした。
そういえばそんなやつも載せたっけか、と、ノートパソコンを漁
っていたら、案の定原稿が出てきました。
タイトルは﹁ユウ1探偵長事件簿/FILE002・神戸百万弗
の冒険﹂。自分でもタイトルを忘れてました。お恥ずかしい。
内容としては、都内で起こる連続暴力団襲撃事件の裏に、十五年
前に起きたある侠客殺人事件が関わっていた⋮というハードな話。
これに猫目の恋物語や上海ギャングが絡み、舞台は東京から神戸に
移る⋮つもりでしたが、中断。
というのは、これは元々﹁ぬらりひょんの孫﹂の二次創作作品と
して載せるつもりだった﹁三人の少女﹂という作品が、同年3月1
5日のXデーで製作中断されたものに、無理やり過去に書いた作品
の草稿を繋ぎ会わせた継ぎはぎ作品だったからです。
妥協の妥協だったので、書く気が失せたみたいです︵↑まるで他
人事︶。余談ですが、このとき出すつもりだったゲストキャラ・堀
江亜衣というキャラクターのビジュアルをチョイチョイ弄って生み
出されたのが後の烏丸涼だったりします。
﹁続きが読みたいです!﹂とその方は仰っていましたが、果たして
書けるかどうか⋮⋮。
いつかはやってみたいな、と思いつつ原稿をほったらかしにする
三角定規でした。
65
第二十三回・いまさらながら﹁まどマギ﹂新編視聴の感想︵前書
き︶
新年一発目の三角地帯は﹁まどマギ﹂のお話。ホントに今さらだな
あ⋮⋮。
66
第二十三回・いまさらながら﹁まどマギ﹂新編視聴の感想
新年最初の青い三角地帯の記事が今さらながらの﹁まどマギ﹂新
編、というのはなんだかなァという感じがするにはするのですが、
これ以外に書くこともないと言えばないので書くことに致しました。
今を去ること約一週間前の午後五時半、三角定規はクラスメイト
と共に近くの映画館に足を運び入れました。目的は勿論、世間で話
題となっている映画﹁劇場版 魔法少女まどか☆マギカ 新編 叛
逆の物語﹂を見るためです。本当は封切り直後に行きたかったので
すが、中間試験とモロかぶりしたために今度今度と先延ばしになっ
てしまったのです。
﹁ついに話題作を見る日が来たナ﹂
﹁そうだねェ﹂
友人とそんな会話をしながら半券を買い、三角定規は係員の誘導
で劇場奥の第十番シアター︵だったはず︶に足を踏み入れました。
入って見ると、場内にはお客が四、五人しかいませんでした。
﹁空いてるなあ﹂
﹁無理ねえや、もう年末だし﹂
﹁それもそうか﹂
友人に言われて納得すると、二人並んで席に座りました。
ビー、というブザーの音と共に場内の電気が徐々に落ちてゆきま
した。
﹁⋮⋮いよいよか﹂
何本か新作予告が流れた後、配給元のワーナー映画のロゴが画面
いっぱいに広がりました。
そして、ついに本編が始まったのです。
さて。
ここから順を追って話してゆくと興行元から怒られ︵もといネタ
67
バレになりかねない︶そうなので個人的に気に入った場面について
お話ししましょう。
物語中盤、記憶の食い違いに疑問を感じたほむらは自分たちの住
む見滝原市以外が存在しないのでは?と感じ、それを証明するべく
杏子と共に隣町へ向かうバスに乗り込みます。
隣町に入り、降車するべくボタンを押すと、どうしたことかアナ
ウンスが始発駅の名前を読み上げたのです。目印代わりにしていた
建物が目の前から遠ざかり、バスは始発駅に逆戻り。不思議なこと
に、乗ったバスの行き先表示も全く別の物に変わっていたのです。
単なる乗り間違えかと思った二人は再びバスに乗りますが、結果は
同じ物となってしまいます。
一体、何が彼女たち魔法少女に起きたのか?ここから先はゼヒ劇
場でお確かめ下さい。
さてさて。
感想を書くといった以上は感想を書かねばなりません。ただ、詳
しく言うとネタバレになってしまうので、端的に申し上げます。
﹁もやもや﹂です。
なんというか、すっきりしないのです。これで良かったのか、は
たまた⋮⋮という言われようのない不快感が心の中を未だにむしば
んでいます。
おのれ虚淵⋮⋮と思いつつ筆を置く三角定規でした。
68
第二十三回・いまさらながら﹁まどマギ﹂新編視聴の感想︵後書
き︶
駄文書きでその上遅筆な私めではありますが、どうか今年も宜しく
お願い致します。
69
第二十四回・ぐるぐるオープンの巻︵前書き︶
三角定規の趣味は物漁りと小説の読み書きと︵以下略!︶でござ
います。
70
第二十四回・ぐるぐるオープンの巻
懐古中毒の気がある三角定規は、暇があればハードオフやカメラ
屋を覗いて、時に有意義な、時に無駄な買い物をしては部屋を狭く
しております。
家族の反応は当たり前ながら冷ややか。
﹁まったく、また散らかして⋮⋮﹂
全くその通りでございます、ご両親⋮⋮。
そんな三角定規は最近、あるものを手に入れました。
テープレコーダーです。
と、言っても軽いラジカセなんかではありません。
オープンリールです。
﹁オープンリールって?﹂という方のために説明すると、早い話が
カセットのないカセットテープです、はい。
︵ついでに生テープも。︶
オープンリールレコーダーの醍醐味。
それはデジタル音源には到底真似できぬ深い音の奥行きを楽しみ
つつ、ぐるぐる回るリールを眺めることです。
﹁前半はわかるけど後半はわからん﹂という方、あなたも一度オー
プンリールを眼にし、音を耳にすればお分かりになります。
オープンリールには言葉では表せぬ味があるのです⋮⋮。
71
第二十四回・ぐるぐるオープンの巻︵後書き︶
ちなみに専用のテープはかなりのお値段。
⋮⋮ドツボにはまるとはこの事か。
72
第二十五回・オリンピックも終わったし⋮⋮︵前書き︶
タイムリーなネタでお送りします。
73
第二十五回・オリンピックも終わったし⋮⋮
普段はからっきしスポーツなど見ない三角定規でしたが、今度の
ソチ五輪ばかりは別で、同じ十代の選手たちが活躍する様子を画面
越しに応援していました。
そんな冬季オリンピックが閉幕、次の冬季五輪は2018年。あ、
その前にリオデジャネイロでオリンピックがありましたね。そんで
お次は⋮⋮東京五輪!
楽しみでたまらないのですが、それよりも重大な問題が一つある
のです。
三角定規の悪い癖、というかなんといいますか、ある番組にのめ
り込むと、それが終わった後に異常な喪失感に陥るのです。世間一
般ではアニメ﹁きんいろモザイク﹂﹁のんのんびより﹂の終了によ
り﹁きんモザ難民﹂や﹁のんのん難民﹂なる人々が発生しましたが、
三角定規はさしずめ﹁五輪難民﹂といったとこでしょうかね。
そのせいか、昨日から何をするにも手がつきません。小説を書く
手も、いつもよりぎこちない感じがします。
私はどこへと行くのやら、いつまたどこへ帰るやら⋮⋮。
﹁五輪難民﹂どこへ行く⋮⋮。
74
第二十五回・オリンピックも終わったし⋮⋮︵後書き︶
巷にあふれる﹁五輪難民﹂⋮⋮。どうなるのだろうか。
75
第二十六回・ステレオ放送事始め⋮⋮の巻︵前書き︶
書き終わってみたら、﹁なんじゃこりゃ﹂と思うほど長かった⋮⋮。
76
第二十六回・ステレオ放送事始め⋮⋮の巻
小説を書く際に、BGMとして三角定規はラジオをつけて執筆作
業を行います。その際によく聞いているのが、NHKFMです。理
由は単純で、クラシックやジャズの番組数が三角定規の住むところ
で入る局の中では一番多いからです。ラジオから流れるステレオ音
源の心地よい音に乗り、今日も筆が進みます。
ところで、皆さんはステレオ放送というものがいつからあるかご
存知でしょうか。
最近知ったのですが、イギリスで1925年に中波と長波の二帯
域を用いてコンサートの中継が行われたのがラジオにおけるステレ
オ放送の先駆けだそうです。その後、下る1952年にはアメリカ
で超短波と中波を用いた方式での放送が行われ、各国がこれに倣い
ました。
さて。
中波だの超短波だの聞きなれない言葉が出てきて面食らった方も
多いでしょう。中波というのは300キロ∼3メガヘルツの間の電
波帯域の事で、AM放送に用いられている電波のことです。超短波
は30∼300メガヘルツの間の電波帯域で、おもにFM放送に使
われる電波帯域。そして最後に長波。この30∼300キロヘルツ
の電波が放送に使われている国がありますが、日本ではおもに誘導
無線やロランなどに用いられています。
一通り電波の話が終わったところで、ステレオに話を戻しましょ
う。
日本でステレオ放送が始まったのは1952年、NHKが第一放
送、第二放送の2チャンネルを用いて街頭の風景や音楽をステレオ
放送したのをきっかけに、このころ出来始めた民間放送もこれに倣
って中波2チャンネルのステレオ番組をちらほらと始めました。
77
が、NHKのようにチャンネルが2つある局は皆無で、民間での
ステレオ放送はなかなか難しい物でした。それに加え、同じ型のラ
ジオを準備しないと音のバランスがうまく取れない、電波帯域を必
要以上に占有するなどの問題が発生し、各局共に苦境に陥りました。
さて、そんなステレオ放送に一筋の光が差しました。
1960年、東海大学の運営するFM実験放送局﹁FM東海﹂︵
現在の東京FM︶が米国のクロスビー研究所が開発した通称﹁クロ
スビー方式﹂によるステレオ実験放送を開始しました。この方式は
一つの電波に左右の音声信号を混ぜ、受信機で再生する方式の一種
でした。もっともこのクロスビー方式での放送が行われたのは、1
961年に日本でのFM標準放送方式が﹁AM︱FM方式﹂に決定
するまでの短い間でした。
その後、1963年の6月25日にFM東海はAM︱FM方式に
よる実験放送を開始。それに遅れること半年後の12月16日に、
NHk東京も同方式によるFMステレオ放送を開始させ、翌196
4年からNHKFMの開局ラッシュが始まりました。もっとも、こ
の時点ではまだNHKFMは東京にしかなく、全国放送は1969
年まで待たねばなりませんでした。
さて、先述のAMラジオを二台使った中波二帯域ステレオはどう
なったのかについて、軽く説明しましょう。NHKはその後、﹁立
体音楽堂﹂という音楽番組を一週間に一回、第一第二の二チャンネ
ルで行っていましたが、FM放送での高音質ステレオ放送が始まっ
たのをきっかけに、1965年にその放送を終了しました。13年
という長いようで短い放送期間でした。
さて、進むところ敵なしに思えたNHKFMでしたが、ここで大
きな落とし穴がありました。それは、電電公社︵今のNTT︶の放
送用ステレオ回線敷設が開局ラッシュに間に合わなかったというこ
とです。そのためNHKは、全線開通までの間番組をテープレコー
ダーで記録し、各基幹局に配布して、放送を行ったそうです。この
事態は1979年にステレオ回線が全線開通するまで続きました。
78
⋮⋮ふう、疲れた。
ラジオだけでもこんだけ長いとは思いませんでした。テレビの方
は⋮⋮今回はよしときましょう。
﹁毎度毎度おもろくない話をするなよ三角定規!﹂とか言われたら
⋮⋮グウの音も出ません。ただ、日頃私たちの生活を取り巻いてい
る物には結構長い歴史があるんだということを、皆さんには知って
いただきたいのです⋮⋮。
長々失礼いたしました。
79
第二十六回・ステレオ放送事始め⋮⋮の巻︵後書き︶
ここまで読み終わった方、お疲れ様でした。
駄文の上に長いと来ていて⋮⋮不愉快だったでしょう。
今後は﹁簡潔な﹂文章を書くように心がけます。
80
第二十七回・別れの季節︵前書き︶
卒業式の季節ですね。
なんだかしんみりしちゃいました。
81
第二十七回・別れの季節
しんみりとした空気の漂う三月のこの時期。それは長い間過ごし
た仲間との別れを悲しむ人々の心がそうさせているのかもしれませ
ん。
かくいう私も、本日三年間通った母校を卒業しました。私の学校
は三年間クラス持ち上がり制なので、入学当初からずっと同じメン
ツと授業を受け、バカ騒ぎをしてきました。それが今日をもってオ
シマイ、かと思うとなんだか寂しくて寂しくて仕方ありません。三
年間お世話になった恩師との別れも同じで、進学の際に親身になっ
て相談に乗ってくれた先生にはいくら感謝してもしたりない程です。
⋮⋮と、テンプレートにまとめてみましたが一応わたくしにも恨
み心髄の人間が二、三人居りまして、そいつらと二度と会う機会が
ないかと思うとこれほど嬉しいことはございません︵以下略︶。
さて。
卒業式ののち、クラス一同で買った花束を恩師に渡してから、三
年間足しげく通った図書室へと顔を出してきました。というのは文
芸部の後輩たちから﹁来てね!﹂と黄色い声でお誘いを受けていた
からなのですが、入ってみると中々これが賑やかでして、大きなテ
ーブルを囲んで部員一同お茶会をしていました。
﹁どうぞどうぞ、飲んでってください!﹂
﹁こりゃありがたいねえ、じゃ、ココア頂戴﹂
﹁了解です﹂
席についてぼーっと待っていると、部活の顧問であるI先生が登
場。
﹁おう、卒業おめでとう﹂
﹁先生には三年間お世話になりました。先生の名授業をもう受けら
れないかと思うと残念です﹂
82
﹁ハハハ、そりゃどうも﹂
などという他愛もない会話をしつつ、お茶を飲み、後輩たちと語
らったのち、記念写真を撮ってから図書館を出ました。玄関を出る
前に、小学校からの付き合いの友人に出会い、一緒に帰ることにし
ました。
﹁三角定規よ、とうとうお前ともお別れか⋮⋮﹂
﹁だなあ。お前も頑張って偉くなれよ﹂
﹁おうよ﹂
そんな話をしながら校門を出たとき、彼がこんな事を言いました。
﹁そういやあ、入学式の時はこの門から入ったんだよなあ﹂
﹁そうだな﹂
﹁その門から出るってのは、なんだか感慨深いものがあるなあ﹂
﹁⋮⋮そうだな﹂
三年間、雨の日も風の日もくぐった校門。その校門も、校舎も、
玄関前に堂々たる姿を構える杉の木も、本日をもって見納め。そう
思うと、なんだか寂しくなってきました。
学校から十五分ほど歩いた先にある中央駅で彼と別れた時、僕は
彼に﹁またな﹂と言いました。﹁さよなら﹂と言ったら、なんだか
もう二度と会えなくなるような気がしたのです。同様の理由で、ク
ラスメイトや後輩、先生方にも﹁さようなら﹂とは言っていません。
いつになるかはわからないけど、きっとまた会える。
そう願いつつ、私は母校を去ったのでした。
83
第二十七回・別れの季節︵後書き︶
さらば母校よ愛しき故郷よ
変わらずいてくれいつまでも⋮⋮
そう、切に願う三角定規でした⋮⋮。
84
第二十八回・とあるコーラの商品戦略︵コマーシャル︶︵前書き
︶
空気を読めないのは三流。
空気を読まないのは一流。
昨日のしんみり空気を見事にぶち壊すお話です。
85
第二十八回・とあるコーラの商品戦略︵コマーシャル︶
各種報道でご存知の方も多いかと思いますが、ペプシコーラが思
い切った広告を出しました。
﹁ペプシコーラとコカ・コーラ、どっちがおいしい?﹂
まさかまさかの広告ですよ。
ライバル会社のコカコーラ・ボトリングがよく許したもんだなァ、
と最初はビックリしましたが、調べてみると似たような広告は一九
七〇年代からやっているようでして﹁なんだまたか﹂というのが識
者の意見だとかないんだとか。
個人的にはコーラよりサイダーの方が好きなのでこの比較広告、
ハッキリ言えば興味がないのですが、なんやかんやいいつつお互い
に切磋琢磨しているのだなァ、と思った三角定規でした。
86
第二十八回・とあるコーラの商品戦略︵コマーシャル︶︵後書き
︶
結局、軍配はペプシに上がったそうです︵そりゃペプシの広告だも
んなァ︶。
はてさて、売り上げは伸びるのか?
87
第二十九回・消えた370便
各種報道で大騒ぎの真っ最中である、マレーシア航空370便の
消息不明事件発生から早一日。事態はいまだ変わらず、乗客の安否
を示すような事実は見つかっておりません。
クアラルンプールを出た370便が消息を絶ったとマレーシア政
府が発表したのが今月八日。ベトナム・ホーチミンにある管制部門
との連絡が途絶えたのを最後に、レーダーからも姿を消したという
ところからして奇々怪々極まりないのですが、はたして370便は
どこへ消えたのでしょうか?
いやしくも探偵作家でござい、と名乗っている以上、三角定規も
黙っちゃおれません。そこで、今回は370便がどうなったのか?
という可能性をいくつか提示してみたいと思います。
まず一つ目は﹁海に落ちた﹂。これが現在の主流となっておりま
すが、まあ無理のない説でしょう。﹃ベトナム沖に墜落か﹄という
見出しが出ていたのは日本経済新聞ですが、三角定規もその線で賛
成です。ただ、どうしても腑に落ちないことがあるのです。
というのは、当時周辺を航行していた船の一隻や二隻があっても
おかしくはないのですから、墜落して炎上する機体の姿や火柱を目
撃していてもおかしくないのに、そういった報告が一切ないからで
す。となると、洋上墜落の線は怪しいところがあります。
つづいて二つ目は﹁ハイジャックに遭遇した﹂。この説が急浮上
したのは、乗客名簿にあったイタリア人・オーストリア人観光客が
実際には搭乗していなかったという一報が入ったからでした。聞け
ばこの二人、パスポートを掏られて難儀な目にあったそうです。
仮に、この二人のパスポートを盗んだのが犯罪者で、しかも37
0便のハイジャックを目論んでいた人物であり、その二人が370
便に搭乗していたのだとしたら、これほどはっきりした説はないで
88
はありませんか。ただ、これにも弱点があって、それならば何故身
代金の要求が来ないのか?という決定的な部分が欠けているのです。
インターネット上を見ると似たような意見の方が星の数ほどいら
っしゃるのでこのへんでやめておきますが、一刻も早く370便が
見つかってほしいものです。
89
第三十回・﹁若返り細胞﹂の真贋︵前書き︶
時事ネタ。
90
第三十回・﹁若返り細胞﹂の真贋
一月に世間をあっと言わせた理化学研究所・小保方研究員のST
AP細胞発見ニュース。マスコミ各社はリケジョリケジョと騒ぎ立
て、理系の出身である定規たちは鼻高々︵そもそも分野が違うが︶
でした。
が、それから二か月。別の意味でSTAP細胞は騒ぎ立てられる
こととなりました。きっかけは追試験の結果が出ないという所から
始まり、人々は細胞の存在そのものを疑りだしました。そして矢継
ぎ早に入って来た論文コピペ騒動。もっとも、あれは自身の論文の
流用だそうでして、他人のコピペではないそうなんですが⋮⋮。
理化学研究所側が論文取り消しの記者会見を行ったのは記憶に新
しい所ですが、肝心の、小保方研究員が公衆の面前で事実を述べな
い限りは、細胞の存在の真贋は分からないままです。
まだ望みはある、存在は事実だと言ってくれ⋮⋮。
薄毛の家系の恐怖から逃れたい三角定規でした。
⋮⋮毛、伸ばせるしね。
91
第三十回・﹁若返り細胞﹂の真贋︵後書き︶
はたして、STAP細胞騒動はどうなるのやら。
どうにも見当がつきません⋮⋮。
92
第三十一回・不届きモノ捕まる︵前書き︶
ようやっと⋮⋮
93
第三十一回・不届きモノ捕まる
ついに、というかやっと、というか、とうとうアンネの日記損壊
の犯人が捕まりました。
捕まったのは無職の三十男。犯行動機は﹁本人が書いたものでは
ないことを証明したかった﹂ということだそうで。そういえば、そ
んな説があるそうですねえ。
でも、それを理由にして破って言い訳がありません。もしそうだ
ったとしても、こんな仕打ちをせずに世間一般に訴える方法があっ
たはずなのです。
主義主張は力でなく、言葉、言論で訴えるべき。そう信じてやま
ぬ三角定規でした。
94
第三十一回・不届きモノ捕まる︵後書き︶
実際のところ、詳しい動機というのは不明なんだそうでございます。
今後の捜査の進展が期待されますね。
95
第三十二回・筆の呪縛⋮⋮︵前書き︶
恐ろしき
定めなるかな
筆すすみ⋮⋮
96
第三十二回・筆の呪縛⋮⋮
目下連載中の﹁十文字学園の秘密﹂に寄せられた感想にこんな物
がございました。
﹁文体が一昔前のミステリ小説みたいだ。感情移入しづらい﹂
ううむ、としか言えませんでした。
物心ついた時から読んでいた推理小説は戦前、終戦直後に書かれ
たものが大半。すごい物だと明治時代に書かれた海外ミステリの翻
案作品︵黒岩涙香の﹁幽霊塔﹂がその代表︶を読んでいたので、い
つの間にやら古臭い文章が身に染みついてしまいました。
これが果たして吉と出るか凶と出るかといったら⋮⋮凶でしょう
ね。賞に出したら︵物によるけど︶確実に第一次選考以前の問題で
ピン!と弾かれてしまいます。
対策もかねて最近の作品を多く読むようにしているのですが、な
んというか、体が受け付けてくれないのです。アレルギー反応みた
いに、体がビビビッとなって、活字から目を離したくなるのです。
じゃァなんで西尾維新の二次創作をやってるんだよ、というご意
見もあるかと思いますが、あの人の文章の唯一の例外が﹁刀語﹂な
んですよね︵発表当時西尾ファンからは評判が芳しくなかったらし
い︶。講談調の語り口は意外と真似しやすいといいますか⋮⋮。
とにかく、言い訳しないで頑張ってみたいと思います。
97
第三十二回・筆の呪縛⋮⋮︵後書き︶
一体、三角定規の文体はどうなるのでしょうか?
乞う⋮⋮ご期待しないでくださいね。
98
第三十三回・京都に来たぞ!︵前書き︶
青い三角地帯、京都編スタート!
99
第三十三回・京都に来たぞ!
今、三角定規は京都某所にある下宿にてこの文章を書いておりま
す。
生まれ育った故郷を離れ、進学先の京都に来てから早や四日。順
調に事は進んでおります。
というのは、下宿の立地がよろしいからなのです。下宿の向かい
には古本屋、下宿の一階は中華そば屋と喫茶店。
この三つがなかったら今頃心がぽきんと折れていることでしょう。
要は単純なんです、三角定規の頭ン中は。
本当はもっと書きたいのですが、明日は用事があるので今日はこ
れにて失礼いたします⋮⋮。
100
第三十三回・京都に来たぞ!︵後書き︶
大学で三角定規を待つものとは一体⋮⋮?
次回をお楽しみに⋮⋮。
101
第三十四回・生きていた三角定規︵前書き︶
生存戦略⋮⋮じゃなかった。
生存報告。
102
第三十四回・生きていた三角定規
最後にこのサイトにあらわれたのはいつだったでしょうか。
と、言うとなんだか長い間ほったらかしにしていたように思われ
てしまいますが、実際は活動報告にチラチラと書きこんでいたんで
すよね。
ただ、この﹁三角地帯﹂を含む一般作品群にはノータッチだった
のは明白な事実であります。
﹁やい定規、いったいこの一か月以上もの間、なにをしていたんだ﹂
と、気になる御仁もいらっしゃいましょうからここは一つ、罪滅
ぼしに一ヶ月間について書こうかと。
⋮⋮ナニ、そんなことはいいから早く他の作品の続きを書け?
ハイ、了解です⋮⋮。
103
第三十五回・暗室にて︵前書き︶
久々に書いてみたら小説とは百パーセント関係ない物に⋮⋮。俺、
文系なのに⋮⋮︵焦︶。
104
第三十五回・暗室にて
三角定規の趣味のひとつに﹁写真﹂があります。中学生の頃、貯
金をはたいて現像に要り様な品々を購入したのがきっかけで、根っ
からの銀塩写真マニアになってしまいました。
もちろん、今もそうです。一人暮らしを始めてからは、風呂場が
暗室代わりになっています。
つい一週間前などは、たまっていたフィルムを現像するために一
日を風呂場で過ごすハメになりまして、﹁これじゃ体に良いわきゃ
ないよなあ﹂、と少し反省。
とはいえ、写真を撮ればいやでもフィルムはたまります。この前
のGWの時などは、出発前に用意したフィルムが本来の予定を越え
て半分の期間でなくなってしまい、仕方なく地元の某家電量販店で
大量購入をする事になりました。その数、合計八本。それを現像す
るのに四日ほどかかりました︵一度に大量に現像を行うと、現像液
がヘタるので︶。
﹁あーあ、つくづく財布によくない趣味だなあ⋮⋮﹂と思いつつ、
暗室作業に励む三角定規でした。
105
第三十五回・暗室にて︵後書き︶
とりあえず、停止中の作品群はなんとかします。ではでは、皆様
お元気で⋮⋮。
106
第三十六回・寝たきり雀は着たきり雀の巻︵前書き︶
リハビリもかねて投稿。
なぜ三角定規は作品を投稿しなくなったのか?それがわかる一節で
もあります⋮⋮。
107
第三十六回・寝たきり雀は着たきり雀の巻
天気がころころと変わる今日この頃、皆様いかがお過ごしでしょ
うか。
かくいう三角定規は、季節性の物か何か分かりませんが、時折頭
痛で休講しております。いやはや、痛いのなんのってまあ⋮⋮。
お体には十分お気を付け下さいませ。
さて。
この土日、三角定規は﹁無為﹂に過ごしておりました。
事の発端は意外や意外、規則正しい生活リズムがきっかけでした。
ここのところ友人たちと飲み歩いて︵未成年ですから当然アルコ
ールは入りませんが︶いた三角定規は、すっかり生活リズムが狂っ
てしまいまして授業中にグウグウ寝てしまう始末。
これじゃアカンと思いまして、夕食後にササッと布団に入ったの
が金曜の夜九時。
そして目を覚ますと⋮⋮午前二時でした。
﹁ずいぶんよく寝たもんだなあ⋮⋮だが、まだ寝よう﹂
そう思い布団をかぶったのですが、まるで眠れない。仕方なく、
ネットを開いてのんびりサーフィンしていたら、いつの間にか朝。
﹁よしきた、散歩じゃ﹂
自転車に乗り、巡り巡るは新京極︵普段は自転車通行は禁止なの
ですが、早朝は問題ないそうです︶。 涼しい京都の空気が肌に刺
してまあ心地よいこと。二時間ほど漕いだのち、下宿に戻った三角
定規は朝食をかっ込み、読書を始めました。
その場所がいけませんでした。
布団の上で﹁Another﹂を読んでいたら、だんだんと眠た
くなってきまして⋮⋮。気がついたら午後四時。まるまる六時間は
寝ていたことになります。
108
当然、夜は眠れるはずもなく、昨日と同じような生活リズムを送
ったせいで、今日もまた昼間っから寝てしましました。
そのせいで、明日は重要な講義があるというのに、目がランラン
と冴えわたっています。
どうしたもんか、と悩む青い三角定規でした⋮⋮。
109
第三十六回・寝たきり雀は着たきり雀の巻︵後書き︶
結論・生活は規則正しく。
110
第三十七回・ゴールなきバスケのフィールド⋮⋮の巻
各種報道でご存じかと思いますが、東京オリンピックのために建
設される予定だった三か所の施設が建設中止となりました。原因は
予算オーバーだそうです。
建設中止となった場所のうちの一つはバスケットボールの会場と
なるはずだった場所で、友人の元バスケ部員は残念そうな顔をして
おりました。
まさか、最終的にオリンピックそのものが白紙撤回、なんてこと
はないよなあ⋮⋮。しかし、昨今の情勢を見ると⋮⋮それ以上は言
うまい。
どうなるやらさっぱりわからぬ三角定規でありました。
111
第三十八回・怒りのコメント欄⋮⋮の巻︵前書き︶
改名後初めての三角地帯。
今回はなんともしがたいネットマナーのお話し。
112
第三十八回・怒りのコメント欄⋮⋮の巻
周りにブログをやっている友人が多いので、ブログを見る機会
が他人よりちょっと多いのですが、最近気にかかることがひとつあ
りまして、本日はこれについてヒトコト。
﹁宣伝コメはよせや!﹂
⋮⋮以上。
ほんの二、三年前までは趣味人のブログなどを見ると、必ずと言
っていいほど同じ趣味の人などがコメントをしていたりしたのです
が、どうしたわけかここ一年ばかりはどのブログを見ても必ずと言
っていいほど、宣伝コメントがハンランしているのです。
どんなコメントかというと、ギャルと思しき人が絶対に無縁なカ
メラ愛好家のブログに﹁なにかを感じて読ませてもらいました♪﹂
とか﹁わたしは〇〇のブログをやっていますので是非ごらんくださ
い♪﹂というモノ。ネチケットに触れるかと言われたら⋮⋮なんと
も言えない。注意できないなんて、なんてこったい。
どーしてこんなのが増えたのかなあ、と思い気付いたのが、流行
りのアフィブログ。なるほど、そりゃあ自分と無縁のサイトにも宣
伝コメント入れるわけだよなあ︵どーしたわけか、ア〇ーバ系に多
いんですよね、これが︶。
本当は実物を引き合いに出したいのですが、転載云々がうるさい
ご時世なので自粛。
まったく、利益のためのコメントはよしてほしい物ですナ。
113
第三十八回・怒りのコメント欄⋮⋮の巻︵後書き︶
書き終えた後、ググってみたら同じような意見の人が結構いると知
りムネをなでおろす。
いやはや、どうにかならんものかねえ。
114
第三十九回・さらば青春の﹁北越﹂
旅行好きの友人から届いた一通のメール。
﹁特急北越、ついに廃止さる!﹂
あわててネットで調べたところ事実でした。我が故郷、新潟と京
都への中継地点・金沢を結ぶ唯一の在来線特急﹁北越﹂号は、来年
の三月いっぱいで廃止と決まったのでした。
あの列車には様々な思い出がありました。今回は長文ながらそれ
について語ろうかと思います。
始めて﹁北越﹂に乗ったのは高校二年の春休み。友人たちと京都
へ遊びに行くために使ったのが初体験でした。それまで京都へ行く
となれば手段は新幹線ただ一つでしたから、日本海周りの﹁北越﹂
号は新鮮でした。出発の日、切符片手に列車の来るのを待っている
と、昔ながらの国鉄カラーに身をつつんだ古めかしい車両がホーム
へ入ってきました。先頭についた﹁北越﹂のマークがなんだか誇ら
しげでした。
﹁いざゆかん、京都へ!﹂
友人がそんなことを言ったのを未だに覚えています。京都で三日
ほどすごしたあと、帰りに乗ったのもやはり北越号でした。
そして、その北越号に再び乗ることになったのは高校三年の十月
でした。大学に合格し、あとは何回かある登校日に出席するのみと
なり、その第一回目に向かうべく、友人と共に北越号に乗り込んだ
のでした。天気の悪い日で、日本海は荒れに荒れていました。その
ころ周りで流行ったラヴクラフトの文庫本を読みながら︵たしか読
んでいたのは﹁クトゥルフの呼び声﹂だったはず︶窓の外を眺める
というなんとも面白い旅路の果てについた京都。そこで今の学友た
ちとさらに親睦を深めあったのを覚えています。二月にあった最後
の登校日も、やはり北越号でした。
115
入学してからは、ゴールデンウィークと盆休みにこの列車を使い
ました。
正確には﹁使わないとまずい﹂と思ったのです。折も折、北陸新
幹線の線路工事が順帳に進み、在来線の特急は確実に廃止されるの
では? という鉄道雑誌の予測記事を読んだからでした。
そしてついにその読みが当たってしまいました。京都から金沢へ
行く特急はまだまだ廃止される心配はありませんが、金沢から先は
かなり手間がかかりそうです。
新しい特急列車の創設案があるようですが、どうやら新潟県内ど
まりらしく、金沢へ行くのは一苦労になりそうです。
さようなら、わが青春の列車﹁北越﹂⋮⋮。
116
第四十回・冬はやっぱりこたつに限る︵前書き︶
すっごい久しぶりの投稿だなあ、と思う内田でした。
117
第四十回・冬はやっぱりこたつに限る
上洛の際に買った大きなちゃぶ台が下宿の部屋にあります。もっ
ぱら勉強机がわりに部屋の隅に置きっぱなしにされていて、人が来
てもそのままゴザを
敷いてその上に菓子盆やコップを置いてヤンヤヤンヤとやってい
たのですが⋮⋮。
﹁息子よ、こたつ布団送るから活用したまえ﹂
と、実家よりこたつ布団一色が送られてきました。京都名物底冷
えに苦しんでいた今日この頃、なんともありがたい話でございます。
さっそく隅っこのちゃぶ台を取り出し、真下に取り付けられたヒ
ーターを軽く清掃。ふとんをかけてスイッチオン!
﹁⋮⋮おおっ、あったかい﹂
おもわず声がもれました。ジャパニーズ・アッタカ・ガジェット
! こたつは最高だァ⋮⋮と、思う内田でした。
118
第四十回・冬はやっぱりこたつに限る︵後書き︶
はてさて、そういえばこたつに付き物のあれ⋮⋮買っておこうかな
あ。
119
第四十一回 放送作家・内田勝晃の巻⋮⋮。︵前書き︶
最近こちらがおろそかだった理由のような物でございます。
120
第四十一回 放送作家・内田勝晃の巻⋮⋮。
いわゆる﹁三大欲求﹂というやつにもうひとつ付け加えるとすれ
アマですけどね
ば、それは﹁発信欲﹂ではあるまいかと内田は考えています。
というのも、我々小説家からこの﹁発信欲﹂を抜かすとなんにも
残らないのではないか、残るとすればそれはただ文章がうまいだけ
の人である、というのが私の認識でして⋮⋮。
⋮⋮前置きが西尾維新みたいになってしまいましたのでそろそろ
本題に移ろうかと。
最近友人の助力を得てラジオを始めました。といって、本当に電
波を出すわけではなく、ニコニコ動画で生放送をしているだけなの
ですが。
プレミアム会員の友人に﹁ラジオKYOMEI﹂という名前でコ
ミュニティを作ってもらい、NHKの欠番コールサインであるJO
EKを拝借して﹁JOEK放送局﹂とシャレこんで放送ているので
すが、これがなかなか面白い。
今やっているのはアニメ好きの友人二人をMCに、マイクの前で
三十分間アニメトークをしてもらうというだけの番組ですが、やっ
ている二人が芸達者なのでスタッフ一同、マイクが笑い声を拾わな
いように必死で耐えています。最近一定数の視聴者がついてきたの
で制作側としては嬉しい限りです。
そんなJOEKでは目下、番組を増やそうという目論見から内田
を筆頭にした﹁内田勝晃文芸部﹂なる組織を立ち上げようとアレコ
レやっております。
﹁内田勝晃文芸部﹂の元ネタは数々のCMソングで知られる作詞
作曲家、三木鶏郎率いる﹁三木鶏郎文芸部﹂という団体。分かりや
すく言えば三木鶏郎は今でいうヒャダイン、前山田健一氏のような
ポジションの人でして、ピアノを弾けば歌も歌うし作詞もするしコ
121
ントも書くという天才。
とても例に出したお二方には近づけませんが、ある程度分業制で
やっていかないと本業の学生と物書きの方がオロソカになってしま
うので、門下生をつのろうかと思う次第です。
⋮⋮さて、そろそろ番組台本を書かねば。
あ、下に番組名を書いておきますのでよかったらご覧くださいま
せ。以上、放送作家の内田でした⋮⋮。
︻ラジオKYOMEI制作番組一覧︼
・あにめがたり! 水曜夜10:30∼11:00
・出演 ヒロっち くまモン︵JOEK専属MC︶
・ラジオ喫茶室 木曜夜10:30∼10:45
・出演 酒田新兵︵JOEK専属DJ︶
ニコニコミュニティ名﹁ラジオKYOMEI﹂。一発で見つかりま
す。
122
第四十一回 放送作家・内田勝晃の巻⋮⋮。︵後書き︶
さてさて、そろそろ文芸部の部員を募集せねば。
123
第四十二回・嗜好の志向︵前書き︶
﹁健康のためなら死んでもいい﹂
﹁ファッ!?﹂
124
第四十二回・嗜好の志向
前回お話ししたラジオの件が絡むちょっとした小話を。
つい先日、ニコニコ生放送での活動に協力してくれている他の大
学の友人︵21︶がいきり立った調子でやってまいりました。こた
つでぼんやりと本を読んでいた私は突然のことにしばらく呆然とし
ていました。
﹁おいっ、聞いてくれ!﹂
友人︵仮にA君とでもしておきましょうか︶は部屋に入ってくる
なり私にこう言いました。
﹁とんだ事件だ。とうとう三級品も値上げだ!﹂
﹁三級品⋮⋮?﹂
﹁こいつだよ!﹂
A君がポケットから出したのは彼の愛飲するタバコ﹁しんせい﹂
でした。愛煙家である彼は我が家で放送の打ち合わせをしていると
きに、必ずその煙草を吹かしていました。そのために私はいつも灰
皿をマッチを用意しているのですが⋮⋮。
﹁なんだあ、煙草の値上げなんてよくある話じゃないか﹂
﹁何を言うか! 発泡酒の次は、今まで税率が違った三級品まで値
上げしあがって⋮⋮だから政府は信用ならん﹂
私の真向かいに座ると、彼は卓上のマッチを擦り、慣れた手つき
で火を点け、紫煙を天井にあげました。
﹁おいおい、どうにも事情がつかめないな。いったいどういうこと
だよ﹂
と、相変わらずのボンヤリ節でならしていると、彼はこちらが事
情を知らないことを察したのか、灰皿に﹁しんせい﹂を突っ込むと、
滔滔と語り始めました。
曰く︱︱。
125
日本で売られているタバコの中には﹁三級品﹂と呼ばれるジャン
ルの品があり、これらは質の悪い葉を用いているためにほかの製品
より安い税率が設定されているために、二十本入りで上は二六〇円、
下は二一〇円という低価格で販売されていました。ところが、それ
の低い税率︱︱専門用語で言うところの軽減税率︱︱が、先ごろ廃
止決定と相成り、時期を見て三級品制度は廃止、税率も他のタバコ
と同じものになるということでした。
﹁なあるほどねえ、そういうことか。ってえと、﹃ゴールデンバッ
ト﹄とか﹃echo﹄、﹃わかば﹄や﹃うるま﹄とかも対象になる
んだなあ﹂
彼と一緒に動いていると煙草を買う機会というのが必ずあるので、
物覚えの悪い私でも煙草の銘柄はうっすら覚えていました。
﹁どうだ、ひどい仕打ちとは思わないか。この頃政府は国民から巻
き上げることしか考えていないし、その上そういった話が一切報道
されない。まったく、どうかしているよ﹂
﹁そいつは大変だねえ﹂
ここまでひと通り話を聞くと、私はヤカンに火をかけ、コーヒー
を入れる支度を始めました。
さて。
いわゆる﹁嗜好品﹂である煙草が目の敵にされるのはどこの国で
も同じことなのですが、ここのところ各国ではさまざまな嗜好品に
税金をかけているようです。
例を挙げると、イギリスではチョコレートが贅沢品扱いのために
税金がかかるそうで︵その代わり他の食品には税金がかからない︶、
目下チョコパンは贅沢品か否かという論争が国会にて繰り広げられ
ているとかいないとか。あと、国は失念しましたがスナック菓子に
課税をしているところもあるそうでして⋮⋮。なんともそれらの愛
好者にはつらい部分があるようです。
日本で課税されている嗜好品はせいぜい酒とたばこぐらい。もっ
ともお酒はただ飲むだけにあらず、料理の味付けなどに使われるた
126
めか反対意見などがしょっちゅう上がるのですが⋮⋮煙草はどうし
たことか喫煙人口が減るにつれて﹁煙草はもっと値上げしていいだ
ろう。ヤニカスは氏ね﹂という辛辣な意見が出るのみでなかなか擁
護者はいません。個人的には、酔っ払って事故を起こしたり、あた
りにゲロをまき散らしたり依存状態になったりする酒の方が規制し
た方がよさそうなのですが⋮⋮なかなかどうして、お酒に関しては
味方が多いようです。
そもそも、嗜好品というのは個人の好みが反映される者で好くも
好かぬも人次第。それを国がヤンヤヤンヤというのはどうもお門違
いな気がするんですけど⋮⋮どうなんでしょうねえ。
聞くところによれば某国際団体は酒とたばこの規制条約を成功さ
せた今、目下糖分や脂肪分に関する規制条約を作ろうとしていると
かしていないとか。酒飲みと煙草飲みが嫌いというアナタ、どうや
ら他人ごとではないようですよ⋮⋮。
⋮⋮嫌だなあ、私の好きな甘味に制限がかかったら。
どうやらこの手の話は好みなどを一旦置いたうえで考えないとい
けないようですヨ⋮⋮聞いてますか? 嫌煙家のみなさま。
︵終︶
127
第四十二回・嗜好の志向︵後書き︶
ここで下手な都都逸をひとつ。
﹁何を飲もうが好き好きじゃないのどうせいつかはみんな死ぬ﹂
どうせいつかは死ぬのだから、好きなように生きたいものです。で
も、酒とたばこはホドホドに。
128
第四十三回・﹁洋画談報﹂顛末記︵前書き︶
みなさんは映画はお好きですか?
私は⋮⋮人並みですかねえ。
129
第四十三回・﹁洋画談報﹂顛末記
私が関わっているウェブラジオ局﹁ラジオKYOMEI﹂で﹁洋
画談報﹂という外国映画のレビュー番組をやることになり、私とそ
の友人、早良依有氏に白羽の矢が立ちました。
早良氏は私の通う大学で映画を選考している北陸育ちの青年。映
画なんて年に二回でも見れば多いほうの私より数を知っている人間
ですから、この組み合わせに最初はえらく戸惑いました。
だって、相方がど素人じゃあ話がうまく成り立たないでしょう。
その旨をPに話すと﹁いいんだよお、しょれでえ﹂と、杉田智和
がやる森久保祥太郎のモノマネでPは返答してきたのですが⋮⋮全
然慰めになりません。不安はよりいっそう増すばかりでした。
そうこうしているうちに、第一回の演目たる映画が決まりました。
レビューする作品はジョン・ウェインがリンゴ・キッドを演じた名
作西部劇﹁駅馬車﹂。監督のジョン・フォード生誕一〇〇周年記念
ということで、傷だらけだったフィルムをレストアしたデジタルリ
マスター版が劇場でかけられるとのことでした。
﹁駅馬車ねえ。名前は知ってるけど、見たことねえや。で、上映館
はどこだ?﹂
﹁四条烏丸の京都シネマ。ほれ、この前あんたがヒトラー見てきた
ところだよ﹂
﹁ああ⋮⋮﹂
Pの言葉で記憶が十二月まで飛びました。ニコニコ動画界隈でお
なじみ、総統閣下シリーズの元ネタたる映画﹁ヒトラー 最期の十
二日間﹂がフィルム上映されるということで、最終日に足を運んだ
のがその劇場だったのです。
ちなみに本編はすごく濃厚、そして重厚でした。セットはかなり
カネかけてそうだなあ、と、かなり無粋なことを考えていたのはま
130
た別の話ですが⋮⋮。
そんなこんなで、一度足を運んだ映画館へと向かい、窓口で切符
を買うと、平日昼間の人数まばらな座席に私は腰を下ろしました。
時間になり、場内の明かりがフッと消えました。二、三本の予告
編を見ると、いよいよご本尊の登場です。
さきほどまでの天然色の予告編とうって変わって、モノクローム
の大平原がスクリーンに映りました。騎兵隊をバックに出たタイト
ル﹁STAGECORCH﹂。﹁駅馬車﹂の原題です。
大平原から場所は変わり、西部劇でよく見るテンプレートな町並
みが映し出されました。
町と町とを結ぶ駅馬車に乗り合わせた、まったく境遇の異なる人
々。それは夫の安否を気にする妻であり、銀行家、賭博師。そして
ヤブ医者と酒のセールスマン、売春婦だったりします。ひとつの空
間にいる異なった境遇の人々を描いた作品のことを﹁グランドホテ
ル方式﹂、駅馬車や列車のような交通機関の場合は﹁駅馬車方式﹂
と言うそうですが、一見単純なようでこの手のジャンルはなかなか
置くが深いと感じました。
一団に途中から加わるガンマン、リンゴ・キッドと売春婦ダラス
の恋模様に、アル中のヤブ医者ブーンとセールスマンのピーコック
の掛け合い漫才のようなやり取り。そして、賭博師ハットフィール
ドが人妻ルーシーに寄せる思い⋮⋮などなどが交錯しながら、彼ら
の乗った駅馬車は原住民、アパッチ族の襲撃を潜り抜け、なんとか
目的地へとたどり着くのです。
ここまで書いて﹁このやろう、よくもネタバレしゃがったな﹂と、
息巻く御仁もいらっしゃることでしょうがご安心を。
世界最初のトーキー映画﹁ジャズ・シンガー﹂より主演のアル・
ジョンソンの言葉を借りれば﹁お楽しみはこれからだ﹂。
まだまだクライマックスには程遠いので、よろしければお近くの
TSUTAYAでDVDを借りてご覧になってくださいませ。
さて。
131
画面に﹁FIN﹂の文字が出ると、興奮冷めやらぬうちに私は近
くの喫茶店に駆け込み、昼食をかっ込みながら作品の要点をノート
にまとめました。本来なら、喫茶店で早良氏と今しがた見てきた作
品の感想を語り合いたかったのですが、あいにく彼は都合がつかず、
ひとりぼっちの鑑賞となりました。
収録当日にようやっと意見を交わすことができたのですが⋮⋮意
外な結果になりました。
﹁君ィ、なかなかいいとこついて見てるじゃないの。いやあ、たま
げたなあ﹂
メモを片手に感想を語ったところ、本職である彼から賞賛のお言
葉をいただいたのです。曰く、
﹁どうにも、日頃自分は肩肘張って見る気があるから君みたいにリ
ラックスして見たほうがあちこち気がつくのかもね﹂ とのこと。なんともうれしいお言葉でした。
軽く打ち合わせを済ませてから、三十分間の収録を無事に終え、
あとは第一回のオンエアを待つばかりとなりました。
そして当日、放送を聞いて自分の声に恥じ入っていると⋮⋮。
﹁を会うおオアジョイジョイkポオj歩k歩顔j歩@@p﹂
近くにいた友人曰く、こんな悲鳴を上げていたそうです。
何故か? というのは、番組の後半がノイズ交じりでまるで何を
言っているかわからなかったからです。
放送が終わると、さっそくPに苦情の電話をかけました。
﹁おい、これはどういうことだ﹂
すると、受話器越しにPの悲しげな声が聞こえてきました。
﹁センセー、申し訳ない。実は、粗悪な録音テープをつかまされて
な⋮⋮。磁性体がダメなのに気づかないまま収録してしまったんだ﹂
﹁⋮⋮それは災難だったな﹂
﹁ほかの番組でも、若干ノイズが乗ってましてね⋮・・・。あーあ、
こんなことになるんなら、古いテープを処分するじゃなかった﹂
そこまで話すと、Pは電話を切ってしまいました。
132
その直後でした。局の会合で﹁洋画談報﹂が打ち切り決定となっ
たのは。もっとも、第一回の失敗以前に、映画を自腹で見に行かせ
るという方法に問題が有ったようで、経費を出すや否やでモメたの
も大きかったようです。
もしも経費で見られるようになっていたら、イロイロチョイスで
きたのになあ、と残念でならない内田でした。
133
第四十三回・﹁洋画談報﹂顛末記︵後書き︶
ちなみに、番組打ち切りの後釜にはラジオドラマの枠が入るとか。
⋮⋮もしかして、出番かな?
134
第四十四回 放送雑話∼ある日の放送局∼︵前書き︶
にっき
内田勝晃の現代用語辞典・な行
︵に︶日記⋮⋮①長続きしない物の代表。②マンガだらけの本棚を
飾るワンポイント。
135
第四十四回 放送雑話∼ある日の放送局∼
久々に本棚から坂口安吾を取り出し、パラパラとめくっていたら
﹁戯作者文学論﹂という個所にあたった。早い話が日記のような物
だのだが、これが読んでみると中々面白い。そこで、めったに長続
きしない日記を書く意味も込めて、﹁放送雑話﹂と称した日記をつ
けることにした。
一月三一日 土曜日
レポートなどがひと通り終わり、自由の身となる。起きたのは昼
過ぎ、だいたい一二時半ごろだった。
夜に収録予定の﹁あにめがたり!﹂の進行表を作る。ちょっと前
に時間オーバーをしてしまった失敗から、二八分以内に納まるよう
に進行表を作らねばならなくなったのだ。これはだいたい三十分で
終わる。
書き終えると、近くのそば屋へ入る。朝夕兼用という事でざるそ
ばにかやく飯をつける。お値段七五〇円也。
時間を見て、修理に出していたパソコンを引き取りに行く。店に
つき、代金を払い終えてバスに乗ろうとするとポケットに入れたは
ずの一日バスカードが見当たらない。泣く泣く二三〇円を出してバ
スを降りる。
五時過ぎ、﹁ラジオ喫茶室﹂収録のために酒田新兵氏が来宅。軽
い打ち合わせの後に収録を済ませる。
刑事ドラマ特集ということで、かなりポピュラーな音楽が流れた。
酒田氏は最後にかけた﹁警部マクロード﹂のオープニング映像がツ
ボにはまったらしく、本番中は若干笑いをこらえながら﹁マクロー
ド﹂の箇所を読んでいた。
136
無理もない、カウボーイがニューヨークの摩天楼の中を全力疾走
するのだから。日本で言えば暴れん坊将軍が千代田の官庁街を走る
ようなものだ。
収録中、ちょうど曲を吹きこんでいるところへ﹁あにめがたり!﹂
のパーソナリティ、くまもん氏来訪。﹁ラジオ∼﹂が終わったころ
にヒロっち氏が登場。進行表を軽く読んでから本番に挑む。
収録終了後、酒田氏は一足先に帰宅。のこった﹁あにめが﹂の二
人はこたつの上にカードを広げて遊戯王に興じる。小一時間ほど経
ってから、近くの食堂へ入る。休日出勤の特別ボーナスという事で
ヒロっち氏の春巻き定食を奢る。お値段⋮⋮いくらだっただろうか。
自分が食べた生姜焼き定食は確か七五〇円だったはず。
その後、止めた自転車を引き取りにいちどスタジオへ戻り、解散。
次回の放送に必要な進行脚本を仕上げる。
二月一日 日曜日
こたつで寝落ちる。気がつくと七時半。外を見ると駐輪場の屋根
が真っ白け。古都に降る雪とはなかなかシャレオツである。
八時過ぎ、いきつけの喫茶室へ向かう。モーニングコーヒーを飲
みながら京都新聞と少年マガジン、ゴルゴ13を読む。マガジンは
久米田康治の﹁せっかち伯爵と時間泥棒﹂が終わったために読む作
品が﹁生徒会役員共﹂だけになってしまった。近々﹁生徒会∼﹂は
単行本が出るようなので、書店に行くのを忘れないようにせねば。
九時少し前、家に戻る。二月のうちに録る予定のラジオドラマ﹁
夢﹂と新番組︱︱もっとも予算的に厳しいのだが︱︱の準備稿を書
くが、二三枚書いて飽き、次回の﹁あにめがたり!﹂の進行表を書
く。告知メッセージなどがあるので今回はかなり厚手になった。書
き終えると印刷、製本。印刷機の具合が悪いのか、両面刷りになっ
ているべきものが二枚の紙に片面だけ刷られた状態で出て来た。ど
うやら紙をつかむ機構になんらかの問題があるらしい。
137
午後一時、遅い昼飯。どこで飯を食おうか右往左往する。結局吉
牛で済ませた。
二月五日 木曜日
前回から飛ぶのは決してサボっていたわけではない。放送局がら
みの事象がまるでなかったからだ。大学の後期授業はすべて終わり、
月末までフリーとなる。各種台本の進みはまるで亀である。こうい
う時に限って神が下りてこない。違う、﹁神は﹂下りてなどこない
のだ。
午後、放送作家の早良氏と名曲喫茶へ行く。チャージ料金をすっ
かり忘れていたために小一時間で二千円近くとられる。早良氏、許
せ。
夜、早良氏の友人Y氏を呼んでチャーハンを振るまう。その後、
﹁内田勝晃文芸部会議﹂を実施。﹁うつしよ忍法伝﹂の設定資料を
練ったり、第二クールの演出をY氏に依頼する旨を打ち合わせる。
放送で使えないかとテープレコーダーで﹁新世界から﹂を録音し
た。結果は上々、さすが19cm/Sである。一時過ぎ、解散。こ
たつで寝落ちる。
二月六日 金曜日
板の間で寝たため腰が痛い。朝、荒神橋の喫茶店に入る。チーズ
トーストとコーヒーで五百八十円也。
帰宅後、放送用の台本のネタを練る。それから、ラジオドラマの
キャスティングと出演交渉。九割方OKが出たので安心。あとはバ
ス︵テノール、ソプラノのあれである︶の声を担当するヒロさんの
返事次第である。少し遅い昼食。近くのそば屋でざるそば。これが
六〇〇円。
収録で用いる台本の校正を外注。発注先に料金を支払うとバスに
乗り四条河原へ。河原町を歩きながら写真を撮る。外国からの観光
客に流行のスタイルに決めた男女、そして有閑階級の御仁方。おっ
138
と、質の悪いヨッパライ氏を忘れていた。新京極のサイゼリヤに入
り夕食。リブステーキとスープで千円以内に収める。
九時ごろ、元田中の深夜喫茶へ入る。小一時間ほどそこでラジオ
ドラマ﹁うつしよ忍法伝﹂の原稿を書く。四分の一ほど完成。コー
ヒーの残りを飲み干して家へ戻る。
二月七日 土曜日
二日連続でこたつで寝落ち。十時ごろ、遅い朝飯を買う意味も込
めて近くのスーパーへ。ここしばらく自炊をしていなかった反省の
念から食材を買いこんで帰宅。朝飯代わりにしるこサンドと桃缶を
食す。正午過ぎ、買ってきた豚肉をすき焼きのタレで煮込み昼食に
する。
三時過ぎまで原稿を書き、一ヶ月分の﹁あにめがたり!﹂をライ
ブラリー用にデジタル化する。これをやっておかないとテープを使
いまわせないのだ。
二月八日 日曜日
﹁うつしよ忍法伝﹂に危機。校正を外注した友人からこのまま放
送したらアンタの黒歴史になると言われ、再構成を依頼するが、根
本的にそりが合わないことが判明したため、ドラマの方は無期凍結
︵あまり出来に自信がなかったのもあるが︶となった。残念無念。
午後、酒田氏を呼んで﹁ラジオ喫茶室﹂二回分を収録。外注した
台本の第一号であり、いつもといい意味で違ったラジオ喫茶室とな
った。
夜、校正を頼んだ友人と酒田氏を連れて中華そば屋へ。ラーメン
にしようかチャーハンにしようか迷った末、豚天︱︱豚の天ぷら定
食︱︱を頼む。六五〇円で腹いっぱいになる。これで千円切らない
のはなかなかいい話である。
二月九日 火曜日
139
飛んで火曜日。夜、﹁あにめがたり!﹂の収録が済んだ後、その
場にいたスタッフ・MCとともに朝まで宴会。気がつけば午前六時。
無理を承知で体を起こして、近所の喫茶店でコーヒーを飲む。ある
団体のために書いている放送用台本が半分ほど仕上がる。この調子
でうまく完成すればいいのだが⋮⋮。
二月十三日 金曜日
木曜の午後から今朝にかけて早良氏とオールナイトで仕事をする。
喫茶店でモーニングと洒落込み、その日は解散。
少し歩くつもりで出町柳へ出たはずが、気がついたら御所を経て
四条河原の大通りへに到着。ここのところまともに歩いていなかっ
たのでちょうどいい運動になった。出町柳の商店街で豚肉を買い、
夕食のおかずとする。
二月十四日 土曜日
ここ数日の無理がたたったのか、夜の九時から翌日の正午まで死
んだように眠っていた。特記なし。
二月十五日 日曜日
世間は京都マラソンやらなんやらで騒いでいるがそんなのはまる
で関係なく、自分の周囲の時間は過ぎてゆく。
起きたら午後三時であった。朝から何も食べていないわけだから
当然腹が減る。一乗寺の中華料理店でラーメンとチャーハンを頼む。
午後八時、新番組﹁あにめがたり!プラス﹂の放送のためにMC、
くまもん氏ときな子嬢の二人がスタジオ入り。軽いリハの後、十時
半よりオンエア。きな子嬢はラジオ自体が初めてであったがなかな
か巧くしゃべっていた。十一時、放送終了。暇つぶしに大富豪をし
てから十二時に解散。
二月十七日 火曜日
140
午後七時、ヒロっち氏スタジオ入り。遅れてくまもん氏も。軽い
打ち合わせの後、収録。今回は電撃文庫の二大英雄・灼眼のシャナ
ととあるシリーズを特集に組む。間奏曲はとある第二シリーズのE
Dテーマ﹁メモリーズラスト﹂。
収録中、ふとある事を思いつく。それは高校生の頃に運営してい
たWebラジオ時代に実現ならなかった﹁国際放送﹂の実現である。
USTREAMなら海外向けに送出が出来る。既存番組の流用プラ
ス、英語の堪能な知人にアナウンスを依頼して新規に番組を制作す
れば、月一回の放送は可能なんじゃね?と思っていたら収録が終わ
った。収録後はMCふたりによる遊戯王大会が始まる。﹁この様子、
生放送ないし録音放送で流したら結構いけるんじゃ﹂と思うほど、
ヒロっち氏が手札の名前を読み上げながら試合が進んでゆく。流す
だけならこれほど楽な物はない。
十二時、解散。
⋮⋮と、ここまで書いてみたのはよかったのだが⋮⋮。
﹁めんどくさいよ!﹂
日記帳を買っても、せいぜい半年しか持たないのだから、専門の
日記なんて尚のことだし、毎日のように放送に関わっているわけで
はないから日記に間が開いてしまう。
そんなこんなで、内田勝晃の﹁放送雑話﹂はこれにて閉幕。気が
向いたら似たようなテイストの物を書いてみようかね⋮⋮。
141
第四十四回 放送雑話∼ある日の放送局∼︵後書き︶
現代用語辞典のノリは筒井康隆御大というよりはアンブロウズ・ビ
アスの﹁悪魔の辞典﹂に近いかも。
上記の本は岩波から出てるので、皮肉好きな方、中二病をこじらせ
てる方はご一読あれ。
142
第四十五回・新学期から二か月経った︵前書き︶
拝啓・読者の皆様へ
遅くなりましたことをお詫び申し上げまする。
143
第四十五回・新学期から二か月経った
最後の更新からもう随分経ちました。
生きてます、内田は生きてます。まだまだやりたいことが山ほど
あるんですから、志半ばで死ねンですよ。
さてさて、なんとかかんとか二回生になり、後輩もできました。
もっとも、知っている後輩が少ないので、目下コネを作りまくりな
んですがネ⋮⋮。
今回のタイトルは﹁新学期から二か月経った﹂ということで、こ
こまで内田の周りであったいろんなことを書いてみることにしまし
た。
まずは四月からいってみたいと思います。
冒頭で書いたように、まずは後輩が出来ました。新入生歓迎会に
出なかったので、あとから同級生の紹介で知りあった奴らばかりな
のですが、中々面白いやつが多くてこちらとしては﹁ウチの学部は
今年も安泰じゃあ﹂といったところでしょうか。中でも目を引くの
がラヴクラフトマニアの後輩・Kくん。元演劇部でもある彼をラジ
オ放送の劇団員兼放送作家として引っ張りたいのですが、どうなる
やら⋮⋮。
そうこうしているうちに五月になり、久々に地元へ戻りました。
噂の北陸新幹線に乗って帰って来たのですが、やはり線路幅が広い
と乗り心地がイイっていうのは本当でしたね。地元で温泉につかっ
たりなんなりしてから京都へ戻ると、月末に放送する予定のラジオ
ドラマの打ち合わせをして、月末に収録を行いました。オープンリ
ールを用いたアナログ収録なので、最初から最後まで通しで演技を
していただきましたが⋮⋮。みんなトチらずにやってくれました。
ちなみに、機材の手入れや本番前の練習などがあったので、夜の九
時過ぎから始めた収録が終わったのは深夜一時を回ったころでした。
144
そんなこんなで二か月が過ぎたと思ったら、もうじき六月もおし
まいになってしまいます。来る七月、そして二か月にわたる夏休み
も、内田は青春しつつラジオドラマやらなんやらに現を抜かす予定
です。
いや、このうつつを誠にしてやる! なんてネ。
145
第四十五回・新学期から二か月経った︵後書き︶
追伸・停滞気味の創作活動を本格的に巻き戻すつもりなのでご期待
あれ。
146
第四十六回・祭り祭りというけれど⋮⋮の巻︵前書き︶
出かけるのは嫌いじゃない。
でも、人混みは苦手です。
147
第四十六回・祭り祭りというけれど⋮⋮の巻
七月という月は、京都にとって非常に特別な一か月である。
⋮⋮と、堅っ苦しいテイで書き始めるとやりずらいんで、ラフに
行きたいと思います。
ご存じ祇園祭が幕を開けました。七月に入ると、四条河原の大通
りや新京極には提灯が飾られ、街頭のいたるところで祭囃子が流れ
始めます。
つい先日、友人とともに木屋町あたりを中心に散策をしてきたの
ですが、どこへ行ってもお祭りのムードが漂っているので、なんだ
か不思議な感じがしました。私の地元でももちろん大きなお祭りと
いうのはあるのですが、期間が短いため、京都のように始まる二週
間も前からやんややんやとお祭り騒ぎをするようなことがそもそも
ないのです。
だから、初めて京都に来た時はその有様にえらく驚いたものです。
昨年の今頃に、勤め人のYさんという人と夜の木屋町で食事をした
ことがあるのですが、その時に彼は流れる祭囃子に彼は、
﹁今年も祇園祭の時期が来たかあ⋮⋮﹂
と、感慨深そうな声を上げたのでした。ちなみに彼は多忙のため、
ここ数年ばかりお祭りを見ていないそうです⋮⋮。
まあ、そんなこんなでお祭りの時期が来て、京都市民は浮足立っ
ているわけなのですが⋮⋮。
この際だからはっきり言ってしまいます。
いまいち、異邦人である私はこのお祭りムードに乗れないのです。
もともとよそ者には割と冷たいお土地柄ですし、あんまり人混みが
好きじゃないのでいざ行こうとするとその気が見事に失せるのです、
ハイ。
念のために言っておくと、去年はいちおう行きました。割と明る
148
いうちに様子を見に行ったのですが、その時点で道がえらいことに
なっていたので、これは帰りがやばいぞ、と思い引き返しました。
あの人混みさえなければ⋮⋮などという戯言を呟きながら、﹁今
年も祭りの間は家で寝ていよう﹂と思う内田でした。
149
第四十六回・祭り祭りというけれど⋮⋮の巻︵後書き︶
こうして、京都にいるクセに内田は観光名所をろくに見ないという
悪循環に陥るのでした⋮⋮。
⋮⋮なんかそれももったいないし、あんまりうるさくないところへ
行こうかな⋮⋮。
150
第四十七回・二〇一五年を振り返って⋮⋮︵前書き︶
久しぶりになろうへやってきたなあ⋮⋮と思ったら今年はもう残り
三日なのですね。
151
第四十七回・二〇一五年を振り返って⋮⋮
十二月も残すところあと二日となったが、どうしたことか今年一
年を振り返ってみよう、という気分になり、今年一年の間に経験し
た様々な出来事を振り返ってみた。
一月から二月にかけては学校のレポートに追われる。
そこから三月のおわりまではのんびりと過ごし、五月から七月に
かけては後輩ができた実感をヒシヒシと感じ取った。
そして八月から九月にかけては、梅雨のユウウツな気分を夏季休
暇で一掃し、地元へ遊びに来た大学の友人とあちこちを見て回った。
久しぶりに山藤悠一モノを書き始めた。
十月からはあまり良いことがなかった。手塩をかけて作っていた
ラジオ番組の終焉、ちょっとした理由からこじれた交友関係⋮⋮と
かなんとか言いながら、結局新しい番組が始まり、交友に関しては
トウに吹っ切れた。
こうやって振り返ってみると、わりに平穏無事な生活を送ってい
たことが目に見えてわかり、安心する反面、もうちょっと刺激がほ
しいような気もしてならない。
というのも、二月から三月にかけての休みの間、実家に少し戻っ
た以外はほとんど下宿の部屋で本を読むか、ネットをするか、外へ
食事に出かけるかというかなりパターン化した生活を送っていたか
らだ。休みの時ぐらい、時間を有効活用して何か新しいことを始め
ればよかった⋮⋮と、今から振り返ってみてもどうしようもない。
意味こそ違うが、字面だけ見ればまさに﹁過ぎたるは及ばざるがご
とし﹂である。
そこで、怠惰な自分への反省を込める形も含め、二〇一六年のう
ちにやりたいことをちょっと書いてみることにした。
一つ目はかつてこのサイトで書いていた小説﹁平成刀語﹂の完結
152
である。今月の初めに旧知の柴健氏に協力を仰いでおきながら、資
料をまとめるのがいまだに終わっておらず、はやいとこなんとかせ
ねば⋮⋮と思っているので、年明けに﹁お年玉﹂とか銘打って資料
を送らねばならない。
二つ目は、大学に入ったらやりたいと思っていた個人誌の作成で
ある。
名前が決まっていないのが難点だが、さしあたって﹁探偵小説趣
味﹂とでも題して、各国犯罪事情一覧、凶悪犯罪実話、そして山藤
悠一モノの新作をのっけて何回か出したいところである。
三つ目は⋮⋮と書こうとしてふと気づいた。
来年のことを言うと鬼が笑う、というではないか。
いくらなんでも鬼に笑われたんではシャクにさわる。
よって、来年の目標はこれぐらいにして、仕事納めならぬ﹁書き
納め﹂とでも銘打って、二〇一五年の﹁三角地帯﹂はこれにて閉幕。
つづきは二〇一六年へ⋮⋮ということで。
⋮⋮ほんとうにこんなんで大丈夫なんかだろうか。
153
第四十七回・二〇一五年を振り返って⋮⋮︵後書き︶
さてさて、来年はどうなるやら。
ではみなさま、良いお年をお迎えくださいませ。
154
趣味と﹁遊び﹂と六畳間︵前書き︶
あしがけ四年、なろうへ書き連ねたダラダラエッセイ、ここに完結。
155
趣味と﹁遊び﹂と六畳間
京都に来てから三度目の春が来ようとしている。
この頃は、朝起きてから部屋の外へ出て、吹きさらしの廊下から
西の空を見るというのが習慣になっているが、なかなかこれが面白
い。
廊下から見えるのはどうということのない、京都と言われなけれ
ばなんとも思わない、普通の住宅街である。ずらり並んだ日本家屋
の瓦屋根に、洋風住宅のスレート葺きの黒い屋根。そして事務所の
入った建物は、屋根の代わりに屋上のスペースから、手すりだけが
ひょっこりと顔を出している。
特に感銘を受けるわけでもないが、朝の八時ぐらいから九時の間
に廊下へ出ると、ちょうどアパートの向かいにある私鉄の駅が通勤
ラッシュのただなかに巻き込まれるので、普段静かな住宅街が少し
だけ騒がしくなる。そこで初めて、あア、そういや世間は平日だっ
たよなア⋮⋮と気付くのである。
大学生の過ごす一年は、その半分が休日であると誰かが言ってい
たが、まさにその通りである。前期、後期、かき集めてもたかだか
半年ちょっとしか講義室の椅子に腰を下ろしていないのだから、残
り半分は休みに違いない。
そして、大学生活の折り返し地点となったこの春休みの間︱︱ま
だ一か月ほど残っているが︱︱、私はずっと、アパートの六畳間を
拠点に﹁遊んで﹂いた。
第一の﹁遊び﹂はネットラジオである。 先ごろまでやっていたアニメトークの番組が終わったこともあっ
て、我が六畳間スタジオは一時期のにぎやかさを失ってしまった。
だが、それでも放送の時間や収録の日になると、パーソナリティ
ー、ディスクジョッキー役の友人がやってきて、小さな六畳間はス
156
タジオへと変身する。ヒンソーなスタジオであるが、放送中、そし
て録音中だけは勝手知ったる部屋がまるで別の空間のように思える
から不思議である。
第二の﹁遊び﹂は、本業の小説と読書である。
最近、出町柳のある商店街で古本市をやるようになったため、ネ
タになりそうな教養文庫やグラフ雑誌、名作が前にも増して安く手
に入るようになった。それらを読み、内容を噛み砕いて自分の作品
に反映するわけだが、最近はラジオの方面にネタが回るようになっ
てしまったから、小説のほうは前に比べればおざなりである。もっ
とも、ラジオのスクリプトと並行してある作品の全面改稿を行って
いるから、おざなりというには少々語弊がある。この作品も、いず
れ時期を見て世に出すつもりだ。
︱︱と、ここまで書いて、第三、第四以降の﹁遊び﹂ってなんじ
ゃろ、という疑問にブチあたった。写真、レコード鑑賞、バーめぐ
りや喫茶店めぐり⋮⋮。
ありゃっ、他の﹁遊び﹂はもっぱら、第一や第二の趣味にくっつ
いているオマケじゃないか⋮⋮?
⋮⋮どうやらそうらしい。レコード選びも、﹁これはネタにつか
える﹂だし、写真やサ店めぐりは小説の小ネタ探し、そして放送で
のネタ探しや取材の時にくっついてくる、まさに﹁オマケ﹂である。
うーむ、多趣味で、遊び人だと思っていたが、どうやら違うらし
い。
これを機に、趣味の欄を﹁放送ごっこ﹂と﹁読書と執筆﹂に改め
たほうがいいかもしれない。でもまあ、趣味がなくてつまらんより
はいいだろうから、今のまま﹁多趣味﹂で通しておくのが一番楽な
のかもしれない。
少なくとも、この六畳間、我が城にいる限りは当分退屈しなさそ
うだ。
夢に満ちた我が六畳間よ、残り少ない大学生活を過ごすのに、協
力してちょうだいネ。
157
青い三角地帯 完
158
趣味と﹁遊び﹂と六畳間︵後書き︶
書き出した四年前、いったい何を考えてたっけ⋮⋮と思いながら、
新しいエッセイの支度を始める内田であった。
159
PDF小説ネット発足にあたって
http://ncode.syosetu.com/n2243bj/
内田勝晃の「青い三角地帯」
2016年7月22日23時21分発行
ット発の縦書き小説を思う存分、堪能してください。
たんのう
公開できるようにしたのがこのPDF小説ネットです。インターネ
うとしています。そんな中、誰もが簡単にPDF形式の小説を作成、
など一部を除きインターネット関連=横書きという考えが定着しよ
行し、最近では横書きの書籍も誕生しており、既存書籍の電子出版
小説家になろうの子サイトとして誕生しました。ケータイ小説が流
ビ対応の縦書き小説をインターネット上で配布するという目的の基、
PDF小説ネット︵現、タテ書き小説ネット︶は2007年、ル
この小説の詳細については以下のURLをご覧ください。
160
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