...

多民族都市レスターにおけるコミュ ニティ形成

by user

on
Category: Documents
15

views

Report

Comments

Transcript

多民族都市レスターにおけるコミュ ニティ形成
1
説︼
法律 論 叢
︻論
第 七 七巻
次
第 六号 (
二 〇 〇 五 ・三 )
ベルグ レイ ヴ近隣 居住 区を事 例 とし て
ホワ イ ト系 労 働 者 の コミ ュ ニテ ィ
加
藤
、 多 民 族 都 市 レ スタ ー に お け る コミ ュニテ ィ形 成
目
ベ ルグ レイ ヴ 近 隣 居住 区 への移 民 の歴 史的 経 緯
序
第 一章
ベ ルグ レイ ヴ 近 隣居 住 区 におけ るイ ンド 人居 住 区 の形 成
ホワ イ ト系 住 民 に よ る ア ジア系 住 民 居 住区 分 離 強制 の試 み
少 数 民族 の自 発 的な 居 住 区 形成 の試 み
第 二章
ω
イ ンド ・グ ジ ャラ ート 出 身者 の コミ ュニテ ィ
ベ ルグ レイ ヴ近 隣 居 住区 にお け る コミ ュニテ ィ形 成
ベ ルグ レイ ヴ 近 隣居 住 区 に おけ る経 済 ・民 族 ・宗 教
ω
③
ω
第 三章
②
結 び に代 え て
哲
実
2
序
(
約 一 ・八 % )、 南
(
純 一 ・三 % )] で あ り 、 二 〇 〇 一年 の 国 勢 調 査 に よ れ ば 、
(
約 六 ・二 % ) [
ブ ラ ック系 細 入 八万 人
イ ギ リ ス の社 会 は 多 民 族 社 会 (
ヨ 巳夢 話 。巨 。。
09Φξ ) で あ る と 言 わ れ て き た 。 イ ギ リ ス のう ち イ ン グ ラ ンド に お け る
(
約 三 % )、 中 国 人 そ の 他 約 六 〇 万 人
少 数 民 族 は 、 一九 九 ﹁年 の国 勢 調 査 に よ れ ば 、 約 二 九 〇 万 人
ア ジ ア 系 純 一四 〇 万 人
(
約 ○ ・五 % )、 そ の他 約 二 一万 人
(
約 ○ ・四 % )、 混 血 約 六 四 万 人 (純 一 ・三 % )] で あ る 。 イ ン グ ラ ン
一 約四四六万人 (
約 九 二 % ) [ブ ラ ・ク系 約 一 一三万 人 (約 二 三 %)・南 て ンア系 約 二 二五 万 人 (
約 四 ・六% )・中 国
人約 二二 万 人
ド 全 体 で は こ の 程 度 の 割 合 で 少 数 民 族 が 存 在 し て い る が 、 都 市 ご と に 見 て ゆ く と 事 情 は か な り 異 な る 。 例 え ば 、 一九
業
論
九 一年 に お い て 、 少 数 民 族 が 二 〇 % 以 上 を 占 め る 都 市 が 一〇 以 上 も あ る 。 本 稿 で 取 り 上 げ る 都 市 レ ス タ ー
(二 八 ・五 % ) で あ る 。 そ の う ち 南 ア ジ ア 系
(
1)
(
イ
(
ヨ 色け写 8 巨 。ξ )﹂ と し て 注 目 を 集 め
(
三 六 ・ 一% ) で 、 南 ア ジ ア 系 は 八 三 、
(二 二 ・三 % ) と 高 い数 値 を 示 し て い る 。 二 〇 〇 ﹂
に よ れ ば 、 全 人 口 二 七 〇 、四 九 三 人 の う ち 少 数 民 族 は 七 六 、九 九 一人
も そ の ひ と つ で あ る 。 レ ス タ ー は 、 イ ング ラ ン ド の ほ ぼ 中 央 に 位 置 す る 中 規 模 都 市 で あ る が 、 一九 九 一年 の国 勢 調 査
(
一
﹃①一
〇①口自θ①同)
律
法
一
ンド人 、 パキ ス
﹁タ ン 人 、 バ ング ラ デ シ ュ人 な ど ) は 六 〇 、二 九 七 人
年 の国 勢 調 査 で は 、 全 人 口 二 七 九 、九 二 一人 のう ち 少 数 民 族 は 一〇 一、 一八 二 人
(
2)
(二 九 ・九 % ) と な り 、 }段 と 数 が 増 え て い る の で あ る 。
七五三人
レ ス タ ー は 、 近 年 、 民 族 ・宗 教 間 の関 係 が ﹁比 較 的 調 和 の 取 れ た 多 民 族 都 市
て いる 。 世 界中 で民 族 や 宗 教 を め ぐ る争 い が繰 り 返 さ れ て い る今 、国 際 的 な 紛 争 の縮 図 を都 市 の中 に求 め る こと は困
難 で あ る が 、 都 市 に お け る 民 族 問 題 は 、 世 界 に お け る 民 族 問 題 と 通 底 し て い る こ と は 確 か であ ろ う 。 し た が って 、 都
旗 の未来 さら には人類 の黍 を養
市 に おけ る民 族 問 題 を 検 討す る こ とは 、 民
磁
酊
折
謝
〃
窺
フ
ρン
誹
デ
脇
妙ピ
ノ鴇 チ甑
総
瑚
剛↓ 、急
歯鏡 鉛
.
マ
..
乞
。㍍
構 ..
講
,。 寛
、
と に つな が る の であ る.
壽
q霞①け.
・。
(目㌧
暫θ一
昌ρ①﹃ノ∼δ円(一
)そ し
ガ レ ッツ区 (
ωρ 謬
畠)、・
フ・
アイ マー 区
畠)の三区 から成 り 、一九 九 一年段 階 で の
口統 計を 利 用 す る 際 に は 注意 を要 す る。 さ
範 囲 も変 更 さ れ て いる ので、 国 勢 調 査 の人
間 に 行 政区 の再 編 が行 わ れ て おり 、 各 区 の
成 さ れ る居 住 区 であ る。 八 一年 と九 一年 の
篠 認馨姑
ア
書影
壽
て セ .ト .了
行政 区 で見 れ ば、ベ ルグ ・イヴ 区 (
・d。㎡・
髪㊦
する ・
,
綱
叛
洲
引
蹴
宋
宕
維 難瓢 鯵
・
蕪 隷 膨鉱無へ
轄懲
"
y
囲
地
タ 36
スコ
レ 叩
一 ∼
削
繊
一
3
法
地 図 ∬一Aレ
律
論
叢4
ス タ ー16区 の 名 称(1971/1981年)
M
国
) )
国
国
国
回
国
画
回
園
回
回
囮
図、
圃
回
国
[区名の略 記号]
AY
エ イルス トン
EV
エ ヴ ィ ン トン
NE
ニ ュー
ト ン
AB
ザ ・ア ビ ィ
BE
ベル グ レイヴ
HU
ハ ンバ ス トン
NB
ノ ー ス
・ブ ロ ン ス
トン
CA
ザ ・カ ー スル
CW
チ ャー ンウ ッ ド
KN
ナ イ トン
SM
セ ン ト ・マ ー ガ レ ッツ
WC
ウ ェ ス トコ ッ ツ
DM
デ
LA
一 一
プ ア イ マ ー
SH
ス ピニ ィ ・ヒ ル
WY
ウィク リフ
・モ ン フ ォー
ト
5多
民 族都 市 レス ター に おけ る コ ミュ ニ テ ィ形 成
地 図II-Bレ
ス タ ー28区 の 名 称(1991年)
画
国
回
区
国 訓梱 回
回
. 園
図
国
ヲ
圃
国]匝]国,國
画
国 画
回
回
』回
国
国
團
国
囲
・
﹁國
回
囲
國
[区名の略記号]
AB
アビィ
CH
ク ラ ウ ン ・ヒル ズ
NF
ニ ュー
ST
ス トニ ィゲ イ ト
AY
エ イル ス トン
EK
イ ー ス ト 。ナ イ ト ン
NB
ノ ー ス ・ブ ロ ン ス ト ン
TC
サ ー ン コー
BL
ボ モ ン ト ・ リー ズ
EV
エヴィントン
RF
ロ ー リ ィ ・フ ィ ー ル ズ
WC
ウ ェス
BE
ベ ル グ レイ ヴ
EM
工 一 ズ ・モ ン セ ル
RM
ラ シ ュー
WP
ウ ェ ス タ ン 。パ ー ク
CA
カースル
HU
ハ ンパ ス ト ン
SF
サフロン
WH
ウ ェス
ト ・ ハ ンパ ス ト ン
CW
チ ャ ー ンウ ッ ド
LA
SA
セ ン ト ・オ ー ガ ス テ ィ ンズ
WK
ウ ェス
ト・ナ イ トン
CO
コー ル マ ン
MM
SH
ス ピニ ィ ・ヒル
WY
ウ ィ ク リフ
フ
一ア
一イマ ー
モ ウ メ イカ
・パ ー ク ス
・ミー ド
ト
トコ ッ ッ
」
6
[
て 、 こ の 地 域 を 取 り 上 げ る 理 由 の ひ と つ と し て 次 の こ と が 挙 げ ら れ る 。 一九 六 〇 年 代 半 ば 以 降 、 南 ア ジ ア と 東 ア フ リ
カ か ら レ ス タ ー に 大 量 の イ ン ド 人 移 民 が 到 来 す る の で あ る が 、 彼 ら は ベ ルグ レ イ ヴ 地 区 に 集 中 的 に 居 住 し 、 こ の 地 域
を レ ス タ ー の み な ら ず イ ー ス ト ・ミ ッド ラ ン ド の イ ン ド 人 居 住 の 中 心 に し た の で あ った 。 な ぜ こ の よ う な こ と が 起 き
た の か 、 そ し て こ の地 に 集 住 し た 人 々 の生 活 は ど の よ う な も の で あ っ た の か 、 と り わ け こ れ ら の 人 々 の コ ミ ュ ニ テ ィ
形 成 は果 た さ れ た の か、 果 た さ れ た とす れ ば ど のよう にし て か、 等 々に つ いて検 討 す る こと にす る。
・ ベ ル グ レイ ヴ 近 隣 居 住 区 への 移 民 の歴 史 的 経 緯
現 代 に つな が る 形 で の レ ス タ ー へ の 移 民 は 、 ホ ワ イ ト 系 移 民 を 中 心 に し て 、 一九 世 紀 初 頭 に 始 ま る 。 一八 一五 年 頃
第 一章
論
叢
律
(
爵①
住 区 に お け る 移 民 の 歴 史 を 見 る と 、 太 き - は 二 つ に 分 け る ・ と が で き る . 第 一に 、 一九 世 紀 後
ま で に は ア イ ルラ ンド 人 コ ミ ュ ニテ ィ が 、 そ し て 一九 世 紀 半 ば に は ユダ ヤ 人 コミ ュ ニテ ィ が レ ス タ ー に 形 成 さ れ 始 め
(
3)
て いる。
法
ベ ルグ ・イ ヴ 近 讐
半 か ら 一九 二 〇 年 代 に か け て の ホ ワ イ ト 系 を 中 心 と し た 移 民 で あ る 。 一九 世 紀 後 半 、 か つ て の ベ ル グ レ イ ヴ 村
一.
く≡ ㊤σqΦ。hcd①お 円
碧 ①) は レ ス タ ー 市 に 合 併 さ れ る が 、 そ の頃 、 ホ ワ イ ト 系 の 緊 密 な 労 働 者 コミ ュ ニテ ィ が そ の 地 域 に 形
(
切幕 冨げ
(
移 民 ) も 含 ま れ て い た 。 住 民 は テ ラ ス ハウ ス (
8 罵ρ8 畠 げo島 ・) (
隣 同 士 壁 で 仕 切 ら れ た 低 層 の連 続 住 宅 。
成 さ れ る こ と に な った 。 そ の 住 民 の 中 に は 、 イ ン グ ラ ン ド 、 ウ ェー ル ズ 、 ス コ ット ラ ン ド 、 そ し て ア イ ル ラ ン ド か ら
の移 住 者
通 常 は 各 戸 が 庭 を 持 つ。) に住 み 、 彼 ら の 多 く は 、 そ の 地 域 一帯 を ﹁支 配 ﹂ し て い た ﹁イ ギ リ ス 連 合 製 靴 会 社
q巳 8 島 ωげoΦζ 碧 三 口①蔓 Ooヨ ℃雪 網)﹂ 工 場 や 、 小 規 模 の 靴 下 ・履 き 物 の 工 場 、 そ し て ベ ル グ レ イ ヴ 道 路 と メ ル ト ン道
ポ
ニ
形
イ
テ
こ ヘ
(4 V
路 沿 い の小売 店 で働 いた。 そ こ で は住 民 た ち の間 であ る種 のイ デ オ ロギ ー (政 治 や社 会 に対 す る考 え 方) が共 有 さ れ、
集 団 の 一体 性 が 確 保 さ れ た 。 そ し て 、 言 わ ば 階 級 間 の 流 動 性 は 制 限 さ れ て い た 。 一九 二 〇 年 代 に レ ス タ ー は 、 靴 の 製
造 .流 通 の中 心 地 で あ り 、 編 み 物 製 品 生 産 の最 大 の 中 心 地 で も あ り 、 そ れ ら の 工 場 の 多 く は 、 ベ ル グ レ イ ヴ 近 隣 居 住
(
移 民 ) を 引 き寄 せ る こと に な った。 そ し て こ のこ と が、 そ の後 の少数 民族 移 民 受 け
区 お よ び そ の 周 辺 に あ った 。 そ の 結 果 、 ベ ルグ レイ ヴ 近 隣 居 住 区 は 、 レ ス タ ー の中 で の 最 大 の 労 働 者 居 住 区 の ひ と つ
と し て多 数 の ホ ワイ ト 系移 住 者
入 れ の 下 地 に な っ た の であ る 。
第 二 に 、 一九 三 〇 年 代 か ら 現 在 に 至 る レ ス タ ー へ の 移 民 で あ る が 、 先 ず 東 ヨ ー ロ ッパ 、 ソ ビ エト 連 邦 、 ド イ ツ 、 イ タ
リ ア 等 か ら ホ ワ イ ト 系 移 民 が 入 っ て く る 。 国 勢 調 査 に よ れ ば 、 一九 五 一年 に 約 六 、入 ○ ○ 人 、 六 一年 に 約 九 、四 〇 〇 人 、
亜大陸
七 一年 に 約 一万 人 、 八 一年 に 約 七 、四 〇 〇 人 で あ る 。 さ ら に 、 カ リ ブ 海 地 域 や ア フ リ カ か ら の ブ ラ ック 系 移 民 、 イ ン ド
弍
ア ジ ア 系 移 民 に つ い て 見 る と 、 国 勢 調 査 に よ れ ば 、 一九 五 一年 に約 六 五 〇 人
る . 最 も 多 い南
"
一年 に 約 三 、六 〇 〇 人
(イ 。ド .パ キ ス タ 。 .バ 。グ ラ デ ッ シ ュ) や 東 ア ・ リ カ か ら の 南 ア ジ ア 系 移 民 が 移 住 し ぞ
赫
八 一年 に 三 八 、五 〇 〇 人
(
5)
コ
る
け
お
部
族
民
ある
わ。
れわ
一九
れ六
が注
一目
年す
かる
ら七
のは
一、
年こ
の間
の六
に〇
、年
ホ代
ワ、
イヨ
トリ
系正
移確
民に
とは
南六
ア〇
ジ年
ア代
系後
移半
民に
はお
そけのる
数南にア
おジいア
て系逆移
転民
す る
(
主のとでしあてるイ。ンド 人 )
(
六 、九 二 〇 人 が 東 ア フ リ カ か ら )、
編 み 物 の 産 業 が い ま だ 健 在 で あ った こ と が あ る 。 ア ジ ア 人 と は 言 って も 、 そ の 多 く は イ ン ド 人 、 わ け て も ヒ ンド ゥ ー
タ ー へ の 移 民 も 無 視 で き な い。 ア ジ ア 人 の 移 民 を 引 き 寄 せ た 要 因 の ひ と つ と し て 、 一九 二 〇 年 代 に 盛 ん で あ っ た 靴 や
の急 増 で あ る 。 そ し て 、 こ の 時 代 に は 、 上 述 の数 字 か ら も 分 か る よ う に 、 東 ア フ リ カ に 移 り 住 ん で い た ア ジ ア 人 の レ ス
(一入 、六 二 一人 が 東 ア フ リ カ か ら )、 九 一年 に 約 四 万 人 (一七 、一七 三 人 が 東 ア フ リ カ か ら ) で
(一、六 三 〇 人 が 東 ア フ リ カ か ら )、 七 一年 に 約 一九 、 一〇 〇 人
(
そ の う ち 一八 人 が 東 ア フ リ カ か ら )、 六
↓
7
8
一
教 中 心 のグ ジ ャラ ー ト
(
Ωε 母 鉾 ) 地 域 と シ ク 教
(
Q。涛臣 。。
ヨ) 中 心 の パ ン ジ ャブ
(一九 六 四 年 )、 ウ ガ ン ダ が 一九
(
℃仁ど pげ) 地 域 出 身 の 人 々 で あ った 。
東 ア フ リ カ で は 、 タ ン ガ ニー カ と ザ ン ジ バ ルと が 独 立 ・合 併 し て タ ン ザ ニ ア が 成 立 し
(
Ω ε胃 ㊤ε
の多 く は 、 イ ギ
六 二 年 に 独 立 し 、 ケ ニア が 一九 六 三 年 に 独 立 し た 後 、 イ ン ド 人 は 排 除 の 憂 き 目 に 会 う こ と と な った 。 元 来 、 東 ア フ リ
カ にア ジ ア人 が来 る にあ た って は、イ ギ リ スの影 響 力 が大 であ った。グ ジ ャラー ト 出身 者
(
℃琶 甘 9
の 多 く は 、 一般 の 労 働 者 と し て 働 く た め に東 ア フ リ カ に 渡 っ た 。 イ ン ド 人 は 、 彼 ら の社 会
リ ス の 植 民 地 支 配 者 が 整 え て い た 環 境 に お い て 自 ら 事 業 を 行 う た め 、 あ る い は 熟 練 労 働 の部 門 で 働 く た め に 、 一方 パ
ン ジ ャブ 出 身 者
的 な 排 他 性 も 一因 と な ・ て 、 イ ギ リ ス人 と ア ・ リ カ 人 の 中 間 的 な 地 位 に 置 か れ た . イ ・ ド 人 は 、 イ ギ リ ス 人 と ア ・ リ
力人 のそ れ ぞ れ の本 来 の仕 事 を奪 う こ と によ り イ ギ リ ス人 にも ア フリ カ 人 にも 疎 ま れ る傾 向 にあ った。 こ のよう な傾
向 は 、 例 え ば 独 立 後 の ケ ニア が 、 一九 六 六 年 に 、 イ ギ リ ス パ ス ポ ー ト 保 持 者 の ケ ニア へ の 入 植 権 を 廃 止 す る と いう 形
叢
論
で 明 確 に な る 。 こ の入 植 権 廃 止 は 、 ケ ニ ア 在 住 の イ ン ド 人 移 民 を イ ギ リ ス に 大 移 動 さ せ る き っ か け に な った 。
.ダ から追 い出 す .,を 決 め た. そ の年 に出 , れ た 、。 ガ 。ダ のア 。
ンア人 三万 人 弱 への国 外 退 麦 叩途
双
々を パ ニッ
同 様 の こ と は 、 ウ ガ ン ダ で も 起 き た 。 一九 七 二 年 、 ウ ガ ンダ の イ デ ィ Dア ミ ン (
H臼 ﹀日 日 ) 長 官 は 、 ア ジ ア 人 を ウ が
(
6)
律
[
法
﹁レ ス タ i ・ マー キ ュリ ー
(
弓匿 いΦ8①。。け
①円ζ ①円8 蔓 )﹂ 紙 上
ク 状 態 に 陥 れ 、 こ れ ら 三 万 人 弱 のう ち 五 分 の 一が ウ ガ ン ダ か ら 放 逐 さ れ て レ ス タ ー に 到 来 し た の で あ る 。 レ ス タ ー の
側 は、 こ の事 態 に直 面 し て、 市 議 会 で の議 論 、 地 方新 聞
(レ ス タ ー
で の 議 論 と いう 形 で 対 応 し た 。 そ の 結 論 は 、 ウ ガ ンダ の ア ジ ア 人 が 何 と か レ スタ ー に 来 な いよ う に 仕 向 け よ う と し た 、
一九 七 二 年 九 月 一七 日 付 け ウ ガ ン ダ の 新 聞 ﹃ウ ガ ン ダ ン ・ア ル ダ ス (
日冨 dσq餌巳 き ﹀お 窃 )﹄ 紙 上 で の広 告
市 議 会 が ス ポ ン サ i ) で あ っ た 。 も っと も 、 こ の よ う な 広 告 に よ っ て 、 か え っ て ウ ガ ンダ の ア ジ ア 人 が レ ス タ ー に 注
目 し 、 移 民 が 増 え る と いう 、 本 来 の 意 図 と は 逆 の 結 果 を 招 い た こ と も 事 実 で あ る 。 いず れ に せ よ 、 そ の 文 面 は 以 下 の
瓢
と お り であ る
(
原 文 は 、 資 料 - 参 照 )。
﹁︿イ ング ラ ンド 、レ スタ ー 市 か ら の重 要 な 公 示 V
イ ン グ ラ ン ド 、 レ ス タ ! 市 議 会 は 、 ウ ガ ンダ の 多 く の家 族 が レ ス タ ー へ の移 住 を 考 え て い る と 見 て いる 。 も し わ か
寡
ひでいむことを知ることが非常に墨 であ字
な碧
態
掌
でに数千の家族が市の [
公営
、 、、 、 、 、 、
撃
た方 がそ う す る ことを 考 え て いる な ら ば、 レ スタ i 市 に おけ る現 在 の状況 が初 期 の移 住者 た ち が体 験 し た 状 況 と は非
ヘ
ヘ
ヘ
へ
も
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
へ
ゑ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
ヘ
へ
も
も
ヘ
ヘ
へ
(
OO二昌oo
昌 げOβo
o
㊦) 入 居 の た め の ] 順 番 待 ち リ ス ト に 名 を 連 ね て い る 。 教 育 に 関 し て は 、 何 百 人 も の 子 供 た ち が 学
ヘ
住宅
形
ヘ
も
来 る 必 然 性 が あ っ た 。 彼 ら を 引 き 寄 せ る 第 一の誘 因 と し て 、
植 民 化 を 背 景 とし たイ ギ リ スと 南 ア ジ ア と の移 民 の歴 史 があ り、 東 ア フリ カ ・ア ジ ア 人 の親 戚 や 友 人 が す で に多 数 イ
そ も そ も 、 東 ア フリ カ の ア ジ ア 人 に と 。 て は 。 ス タ 直
あ な た 方 自 身 そ し て あ な た 方 の家 族 の た め に も あ な た 方 は 、 ウ ガ ン ダ 再 移 民 委 員 会 の勧 告 を 受 け 入 れ て 、 レ ス タ ー
、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、(
8)
に 来 る こ と を 控 え る べ き で あ る 。﹂ (
傍 点 は、 原 文 ゴ チ ック)
ヘ
力
ヘ
校 の 席 が 空 く のを 待 っ て い る し 、 社 会 n保 鯵 畢 艶 に 開 レ で 捗 、 す で に 限 界 に 達 し て い る 。
こ
ゴ
コ
る
け
お
ギ リ ス に いた ど いう 事 実 が あ る。 と りわ け レ スタ ー に は、 一九 五 〇年 代 と六 〇 年代 に多 く の移 民 が 南 ア ジ ア から 来 て
イ
"
い た.彼 ら は 、市忠
部 近 く の、 下 宿 屋 が 多 数 存 在 し た ハイ フ ィ ー ルズ 地 区 (震 σq臣 ①匡 。・胃 雷 ) な ど に 住 ん で 小 さ な 居
購
瀞
都
住
子区
供を
た作
ちが
って
合 い
流た
しの
たで
のあ
でる
あ。っ南
たア
。ジ
第ア
二か
のら
誘直
因接はイ、ギ
仕リ
事ス
がに
あ来ったた移と民いの
うほこととんで
どあはる
、。
単上
身述のの
男よ
性 で あ り 、 後 に な って 妻 や
ギ リ ス で 社 会 的 ・経 済 的 成 功 を 収 め る こ と を 強 く 望 ん で い た 。 レ スタ ー に は 、 そ の た め の 環 境 も 用 意 さ れ て い た と い
東 ア フ リ カ に お い て 事 業 家 と し て の 経 験 を 持 っ て い た 移 民 は 、 単 に 製 造 業 部 門 の労 働 者 と し て 働 く と いう よ り は 、 イ
な ど 伝 統 的 産 業 が 健 在 で 、 そ の 他 に 新 し い小 規 模 製 造 業 、 印 刷 業 、 食 品 加 工 業 な ど も 人 手 を 必 要 と し て い た 。 そ し て 、
う に 、 製 靴業 や編 み物 業
↓
9
法
律
論
叢10
資 料11972年9月17日
付 け 『TheUgandanArgus」
広 告 。(Martin&Singh,AsianLeicester,p.26よ
・
・,・ ….一
一
一
一
一
A麗.1酪PO監
o麗
一
一
紙 上 で の レス タ ー 市 議 会 の
膨)。)
●一
・o隔
・
…'一"●
一
置A麗τA瞠 髄0琶 麗∈E餓ε聴官
塵E繹AとFOF・
τ}量li(:◎
し1穫
⊂毘0撃
(ε写v◎FEEにESτEl聖,.星
t』e{:;Ψ
歴∈巳A,賢障
くo囎`ilof【ei`e5韮er。Eng』n:,』elieゼ
命 題 鵬n7「a厩ilio5i"Uga朔
τ
㎝5i`晩
下既E
鵬u恥9lo【ei`e∼
三課,1「識
ご。'
己Yaro閣
巳ヒr。:
論犠
読oi!`二ue=Yl
ρ鍵E5E喪τ(OHD5τ1。9S照
κE("Y燃l
VEにYDlFF[陀 【KτF駄0鵡 τ鰹05… 猷αet'1
.幽
【ムRu【R5EI下Lぼ5・
HOU50《G-5euer己
τheyゐro3-i
量o図 心網 廃虚50「`∂ 鵬 纏ie5遭roδ 駈2∋6yo:=
t』e(◎"繍 、 繍i"o騒`t●i
…
150(胤
旦.瞬 飾棚dr吋5・呼 出 識 ㎝ ●ro・awaitingpl鄭`5in,
仙oo15
酬D腿E《
「
湘5ER望ICE$一
8 1脚一1
型巡:[胆
・1㎜」¥側d・ 邸'艦
。
層糟limit
『.藍
麗 ヤ「0し
置
匿Oセ 》隠 匿
疑iτE霞E5轟1『SA醤{i[》
τ鍔{(:}$Ei
σピマ(}ぴ1∼匹長餓.舐Evo霧
_.ρ瑳{三
食 【
》'"【!.'
.匿
∼種◎耀L陰A《:(:慶欝』
郡{E臓
麗 【
」 顯_.,,.・.,爾
壌旺雲置響罷 皆鮨種・
醤一
霞母黄醗【
》=重琵酵:`齪
◎r_で(:言
継'E
τOLEK=E5τE餐 ミ.
ThelocalauthoritiesinBirmingham,BradIbrd,EalingandBrenこrespondedtotheprojectedarrivalof
UgandanAsianswithapathyraこherthanopposition.LeicesterCityCouncildecidedtoadvertiseinthe
Ugα πrlhηArg己150nl7Septemberl972urgingthepopu皿anonヒoaccepロheadviceoftheUgandan
SettlementBoardandnotcomeヒoLeicesterwhere,itclaimed.housing.educationandsocialserv皇ces
weres【retched[othelimit.(惚'ε
η'8ル㎞ 昭 μ)
1
う こ と であ 苑
第 三 の誘因 とし て・ ベ ルグ レイ ヴ近 隣 居 住区 に限 ・た こ とで あ る が、・計 画 破 壊 (
量
巨 α・暮 暮 ) 丁
開 発計 画 によ る不 動 産 価値 の下 落 ]L によ って住 宅価 格 が引 き 下げ ら れ 、 そ の こと が潜 在 的 な 移民 にと って大 き な 誘 因
と な った の であ る 。 不 動産 価 値 下 落 の 一例 であ る が、 一九 五〇 年 代 に千 ポ ンド であ ったテ ラ ス ハウ スは、 一九 六 八 年
家 族 単 位 で イ ギ リ ス に 来 た 東 ア 。 , カ .ア 。
ンア 人 が 家 を 購 入
に 一、四 。 。 ポ 。ド に 値 上 が り し た だ け で あ っ た と い、
先
(
10 )
す る こ と は 、 財 産 を 所 有 で き 、 か つ拡 大 家 族 に も 対 応 で き る と いう 意 味 で 非 常 に 重 要 で あ っ た 。
ベ ルグ レイ ヴ 近 隣 居 住 区 に お け る イ ンド 人 居 住 区 の 形 成
一
第 二章
成
形
力
∫
竣
(ベ ルグ レイ ヴ
区 、 ラ テ ィ マi 区 、 セ ント ・ マ! ガ レ ッ ツ 区 ) の 全 人 口 は 五 〇 、二 五 入 人 、 イ ン ド 生 ま れ の イ ツ ド 人 は 三 、二 四 九 人 で
一九 七 一年 の 国 勢 調 査 を 見 る と 、 レ ス タ ー の 人 口 は 二 八 四 、五 〇 五 人 で 、 ベ ルグ レイ ヴ 近 隣 居 住 区
未
あ る 。 な お 、 東 ア フ リ カ 生 ま れ のイ ンド 人 の数 は 、 ベ ル グ レ イ ヴ 近 隣 居 住 区 に 関 し て は 不 明 で 、 レ ス タ ー 全 体 で 六 、九
る
け
お
"
は 、 五 〇 、四 二 〇 人 、 イ ・ ド 生 ま れ の イ ・ ド 人 は 六 、二 〇 三 人 、 東 ア ・ リ カ 生 ま れ の イ ン ド 人 は 七 、二 五 天
二 〇 人 で あ る 。 一九 八 一年 の 国 勢 調 査 で は 、 レ ス タ ー の人 口 は 二 七 六 、二 四 四 人 で 、 ペ ルグ レイ ヴ 近 隣 居 住 区 の 全 人 口
レ
市
都
であ る. な
購
は 六 〇 、三 六 二 人 で あ る 。 (
表 11 c 参 照 ) イ ン ド 人 の 約 四 分 の 一が 、 ベ ルグ レイ ヴ 近 隣 居 住 区 に 住 ん で いる 。
年 の 国 勢 調 査 で は 、 ベ ル グ レ イ ヴ 近 隣 居 住 区 に 住 む イ ンド 人 の 数 は 一四 、三 八 二 人 と な る 。 ち な み に 、 レ ス タ ー 全 体 で
う 。 そ の 後 、 家 族 の 再 編 成 に 向 け て イ ギ リ ス 国 内 に い る イ ン ド 人 が 到 来 し た り 、 子 供 が 誕 生 す る な ど し て 、 一九 九 一
↓竣
舞難 陳
軒
軽 傷縣四
獣 運 搬 裁 薪 舞 晶%
穿 ろ
11
一
表1-A1971年
法
律
論
叢一12
の レス タ ー市 と ベ ル グ レ イ ヴ 近 隣 居 住 区 の 人 口
(表IrへB,Cは
、Sehga,ANeighbourhoodTransformed,pp.231-232よ
区
り 。)
総人口
出 生 地:イ
ンド
ベ ル グ レイ ヴ
17,997
709(3.9%)
ラ テ イマ ー
15,389
1,347(8.8%)
セ ン ト ・マ ー ガ レ ッ ッ
16,872
1,193(7.1%)
284,505
11,364(4.0%)
1
レス タ ー 市
表1-B1981年
の レ ス タ ー 市 と ベ ル グ レイ ヴ 近 隣 居 住 区 の 人 ロ
区
総人 口
出 生 地:イ
ンド
出 生 地;東
ア フリカ
ベル グレイヴ
22,398
2,443(10.9%)
3,300(14.7%)
ラテ イマ ー
14,07E
2,227(16.2%)
2,548(1&1%)
セ ン ト ・マ ー ガ レ ッ ッ
13,95C
1,533(11.(%)
1,403(10.1%)
レス ター 市
表1-C1991年
区
ア ビイ
ベル グレイヴ
ラ テ イマ ー
ラ シ ュ ・ミー ド
レス タ 」 市
18,238(6.E%)
276,244
18,62](6.7%〉
の レス ター市 とベ ル グ レイヴ 近 隣 居 住 区 及 び ラ シュ ・
ミー ド区 の 人 ロ
総人 口
出 生 地:イ
ンド
出 生 地:東
リカ
アフ
エ ス ニ ッ ク ・グ ル
ー プ:イ
ン ド人
8,53E
1,49E(17.5%)
1,008(12.i%)
4,018(47,1%)
10,649
1,790(16.8%)
1,47E(13.9%)
5,061(47,5%)
ass;
1,957(24.6%)
1,597(20.1%)
5,303(66.7%)
11,470
2,009(17.5%)
2,294(20.0%)
6,942(60.5%)
270,525
20,837(Z7%)
17,173(6.3%)
60,362(22.2%)
こ のよう に見 てく ると 、 一九七 一年 から 九 一年 の間 に、 ベ ルグ レイ ヴ近 隣 居 住 区 の中 に はイ ンド 人 居 住区 が、 そ し
て、規 模 は 小 さ いが そ の他 の民 族 の居住 区 も 同様 にし て作 ら れ て い った のであ る。そ の原 因 とし て考 、
丸ら れ る こと は 、
夏
① 少数 民族 の自 発 的 な居 住区 形 成 の試 み、② ホ ワイ ト 系 住 民 に よ る ア ジ ア系 住 民 居 住 区分 離 強 制 の試 み、③ 経 済 ・民
以 下 で 、 。 れら に ついて 欝
少数 民族 の自 発 的な 居住 区 形 成 の試 み
"
居 住区 は、 か つて圧 倒的 に ホ ワイ ト 系 労働 者 近 隣 居 住 区 であ った長 い時 代 の 終わ り に近 づ いて いた と言 え る。 そ れ ま
く て豊 富 な テ ラ ス ハウ スに住 み、 自 分 た ち の世 界 を 作 って い った。 一方 、 一九 六 〇 年 代 半 ば に は、 ペ ルグ レイ ヴ 近隣
彼 ら の宗 教 を 含 む 文化 的 伝 統 の再 生 のた め にも 、 お 互 いが近 所 に住 居 を持 つこと は好 都 合 であ った。 彼 ら は 上 述 の安
来 す る こ と が多 か った の で、 そ のよ う な 人 々が 集 ま って住 む こ とを 希 望 す る の は当 然 の成 り 行 き であ った。 そ し て 、
単 身 で来 て いたイ ンド 人 男 性 のも と に妻 や 子 供 が 合 流し 、 あ る いは東 ア フ リ カか ら のイ ンド 人 移 民 は 家 族全 員 で到
ω
一 族 .古示教 な ど であ 奄
繊
イ
テ
ゴ
竣
る
け
お
に
伽
では・ 彼 ら ホ ワ イ 素
一
獺
地 元 の 小 売 店 に 通 い 、 相 互 連 帯 意 識 を 発 展 さ せ る 同 質 の集 団 と し て 、 コミ ュ ニ テ ィ を 形 成 し て い た の で あ る 。 そ の コ
ζ 9巳 貯 国言 αロ 炉 日 立 ①に 転 換 さ れ 、 一九 二 二 年 に 創 設 さ れ た ○ 白 い◎母 国oヨ 雪 Op爵 oぎ Oげ霞 9 は 、 一九 七 五 年 に 、
の で あ る 。 具 体 的 に 見 れ ば 、 一入 九 八 年 に 創 設 さ れ た O胃 ①網 =暫ロ Ud自書 蓉 Oげ霞 岳 は 、 一九 七 一年 に、 Q◎腎 ①① QQ彗 暮 雪
ソ ジ ス ト 教 会 ) が 二 つ の ヒ ン ド ゥ ー 寺 院 と 一 つ の ベ ル グ レ イ ヴ 近 隣 居 住 区 セ ン タ ー に 転 換 さ れ た 過 程 と 一致 し て い る
ミ ュ ニテ ィ の崩 壊 過 程 は 、 ペ ルグ レイ ヴ 近 隣 居 住 区 の 三 つ の キ リ ス ト 教 の 教 会 (バプ テ ス ト 教 会 、 カ ト リ ック 教 会 、 メ
労働 者 はし ばし ば同 じ 工 場 で働 き ・ 同 じ パブ で飲 み語 らう 仲 間 であ ・た・ 社 交 クラ ブ に集 い・
民
↓
ヨ
ー
4
1
∵
論
(11 )
ホ ワ イト系 住 民 によ る ア ジ ア系 住 民 居住 区分 離強 制 の試 み
ω汀 ①① Goげρ開白 ζ ρ口止呼 出 ぢ αβ 頴 目 皿 ① に 転 換 さ れ た 。
ω
続け・のであゑ 事塞
九七四年 の ・レス
(
﹃㊤O一
〇〇日) の波 も 起 き て い た 。 も つ
上 述 の 、 ウ ガ ンダ の ア ジ ア 人 が レ ス タ ー に 来 な いよ う に 仕 向 け る 一九 七 二 年 の新 聞 紙 上 で の 広 告 に 見 ら れ る よ う に 、
民讐
レ ス タ ー の ホ ワ イ ト 系 住 民 は 、 ア ジ ア 人 の到 来 を 抑 制 し よ う と し て い た 。 人 種 差 別
敵 そんな ・・でア・ア人流入 の勢 いが治まるはずもな霧
と し な か ・たし 、 地 方新 聞 ・レ スタ⋮
了
キ ・リ ⊥
穿
冥
①.・8忌 ①﹃
.邑
﹄ で は 人 種差 別 を 一
錫
する報道
タ ー 大 英帝 国 タ イ プ ラ イ タi 会 社 L と の紛争 で スト ラ イ キ 中 のア ジ ア人 工 場 労働 者 を 、 そ の地 域 の労働 組 合 は支 持 し
鳶
(
Z暫島8 亀 甲 o客 層胃 ξ ) が ベ ル グ レ イ ヴ 区 や ア ビ ィ 区 に お い て
持
が な さ れ て い た 。 ま た 、 極 右 の ナ シ ョナ ル ・フ ロ ン ト
ク に達 し た. ナ シ ・ナ ル ・フ ・ン受
律
し 、 七 ・ 年代 半 ば に はそ の ギ
スタ直
支 持 さ れ た こ と な ど か ら も 、 ア ジ ア 人 差 別 の傾 向 を は っき り と 読 み 取 る こ と が で き る 。 ナ シ ョ ナ ル .フ ロ ン ト は 、 レ
お い て、 一九七 四年 の総 選 挙 で馨
﹁
法
(
12)
の 動 き は 、 興 人 種 間 団 結 キ ャ ン ペ ー ン や レ スタ ー .ア ジ ア 人 政 治 連 合 を 抑 圧 し て いた 。 し か し な が ら そ れ は 、 一九 七
(
13∀
九 年 の総 選 挙 以 後衰 退 し てゆ く の であ る。
こ の よ う な 流 れ を 見 れ ば 、 ベ ル グ レイ ヴ 近 隣 居 住 区 に お け る ホ ワ イ ト 系 住 民 が 、 様 々 の方 法 で ア ジ ア 人 の 居 住 区 を
自 分 たち の居 住区 から 隔 離 し よう と し た こ とは 容 易 に推 測 でき る であ ろう 。
ポ
の
(
ベ ルグ レ イ ヴ 近 隣 居 住 区 に お け る 経 済 ㎏民 族 ・宗 教
ベ ルグ レ イ ヴ 近 隣 居 住 区 の ベ ル グ レ イ ヴ 道 路 と メ ル ト ン道 路
(
地 図 m 参 照 ) 界 隈 に は 、 イ ンド 人 が 経 営 す る 宝 石 店 、
さ れ て いた﹄
民 族 的 品 物 ・食 料 品 の 店 、 サ リ ー (
qo9円一
) (ヒ ン ド ゥ ー 教 徒 女 性 の衣 装 ) 小 売 店 が 多 数 存 在 し た 。 一九 七 六 年 に は 、 ベ ル
ン道 路 界 隈 の店 の二 七% は・ ア ジア 人 移民 によ ・て 讐
グ レイ ヴ道 路 界 墜
述 の ホ ワ イ ト 系 労 働 者 の コミ ュ ニ テ ィ が 崩 壊 し て 、 こ こ に ア ジ ア 人 と り わ け イ ン ド 人 の コ ミ ュ ニテ ィ が 形 成 さ れ つ つ
% そし て メ 牝
帝
(
14)
方 、 一〇 年 前 の 一九 六 六 年 に は 、 そ の 地 域 で ア ジ ア 人 に よ って 経 営 さ れ て い た 店 は た っ た の 一軒 だ っ た の で あ る 。 上
誠
あ っ た こ と が 、 経 済 的 側 面 か ら 見 て 取 る こ と が で き る 。 イ ン ド 人 は 、 ブ ル ー ・カ ラ ー で 、 肉 体 労 働 で 、 公 営 住 宅 に 住
店 の尭
テ
二
肪
む 都 市 型 の ﹁ア イ ル ラ ン ド 人 モ デ ル﹂ で は な く て 、 ホ ワ イ ト ・カ ラ ー で 、 自 家 営 業 で、 持 ち 家 志 向 で 、 都 市 近 郊 に 住
ユ
お
に
む ﹁ユダ ヤ 人 モ デ ル﹂ に 従 った と 言 わ れ て い る 。 一九 六 〇 年 代 後 半 に 到 来 し た 人 々 を 中 心 に 、 ベ ル グ レ イ ヴ 近 隣 居 住
(
15 )
矧
区 のイ ンド 人 は 、 経 済 的 成 功 を 目 指 し て 彼 ら の 実 力
一
瀞
挿 し た の であ る ・
有 の織 物 工場 ビ ルの内 部 を 六 〇 の小 規 模 製 旭会 社 に転 換 堕
そ の多 く を ア ジ ア 人所 有 のも の にし た の であ る・
危 機 的 状況 を脱 し た 。 例 え ば、 二人 のア ジア 人デ ィ ベ ロッパー は、 ベ ルグ レイ ヴ近 隣 居 住 区 にあ る ホ ワイ ト 系 住 民 所
に 大 き な 打 撃 を 与 え た 。 し か し イ ン ド 人 は 、 彼 ら 自 身 の不 動 産 業 、 工 業 、 そ し て 小 売 業 を 展 開 す る こ と に よ って こ の
工 場 の 一九 七 四 年 ス ト ラ イ キ 直 後 の 閉 鎖 、 そ し て 一九 八 ○ 年 代 の ﹁イ ギ リ ス連 合 製 靴 会 社 ﹂ の 一部 門 の 閉 鎖 は 、 彼 ら
東 ア フ リ カ か ら の イ ン ド 人 移 民 は 、 最 初 は 工 場 労 働 者 と し て 働 い た の で 、 ﹁レ ス タ ー 大 英 帝 国 タ イ プ ラ イ タ ー 会 社 ﹂
(
事 業 家 と し て の 実 力 ・教 育 的 背 景 ・英 語 力 ・ 一定 の 財 力 ) を 発
灘
民
多
路
法
地 図 皿1991年
律
論
叢16
の ベ ル グ レイ ヴ 近 降 居 住 区
(Seliga,ANeighbourhoodTransformec,p.226よ
1Cb鰍
・姪 ・・ad
鮎 《 瞭y翻
u50匡 6 コe
02
詑
§
a
.コ
り 。)
ど
誇%・%
薪
縛
脱御 伽
ぞCJ'・3
物
価
錫%%飾
8
季 『
企.`
諺
.£
・
諺
6
一
馬魁
.4・
σD5臨
・
・咽.ぞ
翁
論 鑛/N
1Vi〔
溜age」no,Old園grave'5ShreeSana㎞nM乙ndirHinduT㎝ple
2ShreeSw自minaryanHinduTerhpieσomerCareyHa臆Bap鳳Church)
Ma5頃d4」H㎜rト
看
」BukhariMosque6BelgraveNdghbourhoodCentre
3ShreeShak崩MandirHinduTemple∋
σomerBelgra呼
βHallMe廿
〔
角merOurLady(隷h醗Church)7Asia捧OwnedCon》e詫edT②
4CossingtonStreetR㏄reationGround8ShreeLoha陥MahajanCen廿eand
ゆdistChurch)
にileFactory
(sにeofBdgraveMe抱)ShreeRamMandirHinduT㎝ple
(formerBrit醐n薩edShoeMachineッ
CompanySocialandAt掛e紅cClub)
↑
以 下 で は 、 宗 教 に つ い て 見 る 。 一九 六 〇 年 代 と 七 〇 年 代 に ベ ルグ レイ ヴ 近 隣 居 住 区 に 膨 大 な 数 の イ ン ド 人 、 特 に グ
(
国ぎ身 ) (
幾 人 か は ム ス リ ム ︿イ ス ラ ー ム教 徒 ﹀ で あ った ) で あ り 、 ヒ ンド ゥー 教
ジ ャ ラ ー ト 出 身 者 が 移 住 し た こ と に よ って 、 そ の 地 域 の 宗 教 的 風 景 が 一変 す る こ と に な っ た 。 ち な み に 、 ほ と ん ど の グ
ジ ャラ ート 出 身者 は ヒ ンド ゥー 教徒
徒 は レ ス タ ー に お け る 最 大 の非 キ リ ス ト 教 集 団 で あ った 。 一九 入 三 年 の ﹃レ ス タ i 調 査 (
Q。目 く畠 ohピ色8 。。
け曾 )﹄ (
表 H
で い る が 、 そ の 数 は 僅 か で あ る 。 こ の 居 住 区 で は ヒ ン ド ゥ ー 教 徒 は 、 特 別 の宗 教 的 儀 式 .祭 典 を 執 り 行 う た め に 協 力
徒 の数 は 三 ・四 四 四 人
三 分 の 一が ベ ルグ レイ ヴ近 隣 居 住 区 に住 ん で いた・.ベ ルグ レイ ヴ近 讐
誠
し て結 束 し、 礼 拝 場 所 と し て 四 つの ヒ ンド ゥ:寺 院 を 新 設 し た。 こ の こと は、 ヒ ンド ゥー 教 徒 が コミ ュ ニテ ィと し て
住区 に住 む キ リ ス姦
彬
な ので、 す で に ヒ ンド ゥ i教 徒 の方 がキ リ スト教 徒 よ り も多 く な って いる の であ る。 他 にシ ク教 徒 や ム スリ ムも 住 ん
参 照 ) に よ れ ば 、 ヒ ンド ゥ ー 教 徒 は 、 レ スタ ー で 三 九 、四 一 一人 、 ベ ル グ レ イ ヴ 近 隣 居 住 区 で = 二、九 四 五 人 で あ り 、 約
テ
ニ
鳴
組 織 化 さ れ た こ と を 示 す 。 居 住 形 態 も か か る 組 織 化 に 対 応 す る 形 で 一定 の ま と ま り を 持 つよ う に な っ た 。 一方 、 上 述
ユ
お
に
の よ う に 、 キ リ スト 教 の 三 つ の 教 会 が 消 滅 し て お り 、 キ リ ス ト 教 徒 た る ホ ワ イ ト 系 住 民 の コ ミ ュ ニテ ィ は 、 コ ミ ュ ニ
一
教 徒 の隆 盛 は ・ 町 の風景 の中 にも 見 て 取 る ・ と が
"
住 区 にお け る グ ジ ャー
ブー ト 出身 の ヒ ンド r
テ ィ を 統 合 す べ き キ リ ス ト 教 信 仰 と いう 形 で の 精 神 的 支 柱 を 失 い、 崩 壊 す る 運 命 に あ っ た の で は な か ろ う か 。
(
げo自
﹂㊤一円
口①弾け) (
イ スラ ー ムの律 法 に の っと って屠 殺 さ れ た動 物 の肉 ) の店
こう し て 、 ベ ル グ レ イ ヴ 近 隣 居 住 区 が グ ジ ャ ラ ー ト 出 身 者 で あ る ヒ ン ド ゥ ー 教 徒 中 心 の 、 民 族 的 か つ宗 教 的 に 個 性
は 見 あ た ら ず 、 パ ン ジ ャ ブ 出 身 の シ ク 教 徒 の 女 性 が は く ズ ボ ン、 サ ル ワ ー ル (
o。げ巴≦宥 ) を 陳 列 す る 店 も な く 、 ム ス リ
(
18)
ム の名 前 で あ る カ ー ン 、 イ プ ラ ヒ ム あ る い は ア ザ ド の よ う な 経 営 者 名 の つ い た 店 も な か っ た 。
あ っ た 。 そ し て 、 ム ス リ ム 用 の バラ : ル肉
(17 )
でき る。 そ こ には 、 イ ンド人 が経 営 す る贈 答 用 品 専 門店 、 サ リ ー 小売 店 、 宝 石 店 、 菜食 主 義 レスト ラ ンな ど が多 数 が
ベ ルグ レイ ヴ 近讐
削
獺
民
多
一
1
キ リス ト教 徒
ヒ ン ドゥ ー教 徒
シク教徒
ム ス リム
ア ビイ
4,403(46.1%)
4,204(44.0%)
361(3.8%)
174(1.8%)
ベル グレイヴ
5,606(44.0%)
5,325(41.8%)
585(4.6%)
542(4.3%)
プ ア イマ ー
2,435(33.(%)
4,416(59.8%)
93(1,3%)
162(2.2%)
レス ター 市
187,460(66.1%)
39,411(13.9%)
10,718(3,8%)
12,322(4.3%)
区
一
一
の レ ス タ ー 市 とベ ル グ レ イ ヴ近 隣 居 住 区 の 宗 教 別 人 ロ
表 皿1983年
り 。)
(Seliga,op.cit,p.236よ
18
叢一
論
律
法
一
の あ る 居 住 区 に 変 容 し て い った こ と が 窺 え る 。
も っと も 、 時 が 経 つ に つれ て 、 幾 つ か の シ ク 教 寺 院 や モ
スク が ベ ル グ レイ ヴ 近 隣 居 住 区 に 創 設 さ れ た 。 こ の こ と は 、
多 数 では な か った が近 く に住 ん で いた パ ンジ ャブ 出身 のシ
ク 教 徒 や グ ジ ャ ラ ー ト 出 身 の ム ス ーー ム (
表 H参 照 ) が 、彼
ら 自 身 の精神 的 必 要 を 近 所 で満 たそ う と し た こと を示 し て
い る 。 てう し て 、 ベ ルグ レ イ ヴ 近 隣 居 住 区 に は 、 ヒ ンド ゥ i
教徒 、 シク教 徒 、ム スリ ム (
イ スラ ー ム教 徒 ) そ し ても ち ろ
ん キ リ スト 教 徒 が 存 在 し た の で あ り 、 そ こ に は 人 種 的 、 民
族 的 、 宗 教 的 に 違 いを 持 つ 人 々が 混 在 し て い た こ と に な る 。
し た が って、 当 然 のこ とな がら 、 そ こに は相 互 に排 他 的 な
複 数 の 南 ア ジ ア 系 コ ミ ュ ニテ ィ が 形 成 さ れ 、 さ ら に は 先 住
の ホ ワ イ ト 系 住 民 と の確 執 も 起 こ り 得 た と いう こ と に な る 。
一
繊
イ
テ
ニ
ω
第 三 章 ーベ ル グ レ イ ヴ 近 隣 居 住 区 に お け る コ ミ ュ ニ テ ィ 形 成
ホ ワ イ ト 系 労 働 者 の .ミ ュ 三 7イ
ホ ワ イト 系 労 働 者 と.
し て は 、 も と も と レ ス タ ー に 住 ん で い た イ ン グ ラ ン ド 人 に 加 え て 、 一九 世 紀 後 半 以 降 ウ ェー ル
ズ 、 ス コ ット ラ ン ド 、 ア イ ル ラ ンド か ら 移 住 し て き た 人 々 が い た 。 さ ら に 、 一九 三 〇 年 代 以 降 、 東 ヨー ロ ッ パ 、 ソ ビ
工ト 連 邦 、 ド イ ツ、 イ タ リ ア 等 か ら も 移 民 が 入 っ て く る
(
上 述 参 照 )。 彼 ら は 、 テ ラ ス ハウ ス に 住 み 、 し ば し ば 同 じ 工
竣
場 で 働 き 、 パ ブ に 足 繁 く 通 い、 あ る 種 の イ デ オ ロギ ー (
政 治 や社 会 に対 す る 考 え方 ) を 共 有 し て 、相 互 連 帯 意 識 を 持
(
19)
つ集 団 と し て コ ミ ュ ニテ ィ を 形 成 し て い た 。 も っ と も 、 彼 ら に お い て は 、 経 済 的 地 位 ・境 遇 に 共 通 性 は あ った も の の 、
ユ
る
け
お
に
民 族 や 宗 教 に関 し て は違 いが存 在 し た。 民族 に関 し ては 、 説 明 す る ま でも な いで あ ろう 。 宗 教 に関 し て は、 例 え ば、
一
"
ユダ ヤ 教 、 カ ト リ ック 、 そ し てプ ロテ ス タ ン ト の諸 派 が 存 在 し た の で あ り 、 イ ン グ ラ ン ド の 英 国 国 教 会
(
宗 派 ) ご と の コ ミ ュ ニテ ・ 形 成 は
(
Oげ弓 魯 oh
削
口唇
巳 ) の キ リ スト 教 も 存 在 し た の であ る ・ し た が ・ て ・ 民 族 ご と あ る い 塔 示教
灘
民
世
(
密。。
白く巴)、 通 過 儀 礼
と彼 岸 な いし 異 界 と の緊 張 関 係 あ る いは人 間 の生 と 死 の問 題 が関 わ ってく る。
(
馨 ①oh℃器 。。㊤σ
q①) な ど に
よ って成 員 の心 が 深層 に お い て結 び 付け られ ね ば な らな いと考 え る から であ る。 そ こ で は、 当 然 の こと な が ら、 こ の
常 の 時 間 に 執 り 行 わ れ る 、 各 民 族 な い し 各 宗 教 に 固 有 の伝 統 的 な 祭 礼
謡 鹸 警 鋳諺 臆 断
鐘圃
縫 磐 彬諮舗謹 磐 越一
鋳嗣
錆 壁蟄
19
一九 六 〇 年 代 後 半 か ら 多 数 の イ ン ド 人 が ベ ルグ レ イ ヴ 近 隣 居 住 区 に 流 入 し て く る が 、 そ の 動 き に 対 し て ホ ワ イ ト 系
住 民 の側 は 、 イ ンド 人 を含 む南 ア ジ ア 人を 排 除 す る た め に市 議 会 であ る いは新 聞 紙 上 で議論 し、 新 聞 に排 斥 のた め の
(一九 七 二 年 )、 人 種 差 別 的 な 報 道 を 行 った の で あ り 、 さ ら に は 極 右 の ナ シ ョナ ル ・ フ ロ ント の動 き さ え
ト 教 会 ) は 一九 七 一年 に 、 も う ひ と つ (カ ト リ ッ ク 教 会 ) は 一九 七 五 年 に 、 ヒ ン ド ゥ i 寺 院 に 転 換 さ れ 、 残 り の ひ と
(
20)
つ (メ ソ ジ ス ト 教 会 ) は 、 ﹁ベ ルグ レ イ ヴ 近 隣 居 住 区 セ ン タ i ﹂ と な る の で あ る 。 こ の こ と は 、 一体 何 を 意 味 し て い る
〇
2
広告を出し
あ っ た の で あ る 。 し か し 、 こ の よ う な 動 き は 、 そ の目 的 を 達 成 す る こ と が で き な か っ た 。 む し ろ 、 南 ア ジ ア 系 少 数 民
族 の 側 の 躍 進 が 目 立 つ こ と に な る 。 上 述 の よ う に 、 ベ ルグ レ イ ヴ 近 隣 居 住 区 の ア ジ ア 人 の 人 口 は 、 減 る ど こ ろ か ま す
叢
の であ ろう か。 教 会 が 存 在 しな く な る こと は、 信 徒 の心 の拠 り所 がな く な る こと であ ろ う 。 集 団 と し て の信 徒 はば ら
ま す 増 え て ゆ く 。 そ し て 、 ベ ルグ レイ ヴ 近 隣 居 住 区 の 三 つ の キ リ ス ト 教 教 会 が 消 滅 し 、 そ の う ち の ひ と つ (バ プ テ ス
論
し住 民 が少 数 民族 に対 し て取 った 態度 が裏 目 に出 た時 代 で あ
ば ら に な り、 集 合 の場 を失 う こ と にな る 。彼 ら は、 他 の地 域 の自 派 の教 会 に通う こ と は でき る け れ ど も、 ま さ に自 分
の居 住 区 の ﹁神 の 家 ﹂ を 失 っ た の で あ る 。
・のよ 、
つに、 一九 七 ・年 代 は、 ホ ワ イ 素
労働者窪
律
一
法
る 。 こ の 時 期 、 ホ ワ イ ト 系 住 民 コミ ュ ニテ ィ は 運 命 の 分 か れ 道 に 来 て い た 。 多 く の ホ ワ イ ト 系 住 民 は 、 郊 外 に 流 出 し
あ る い は 他 州 に 移 転 し た 。 そ の 動 き は 現 在 に 至 る ま で 続 い て い る 。 人 口統 計 的 に 見 る と 、 上 述 の よ う に 、 一九 入 三 年
に は 、 ベ ル グ レ イ ヴ 近 隣 居 住 区 に お い て ヒ ン ド ゥ : 教 徒 の 数 = 二、九 四 五 人 、 キ リ スト 教 徒 の 数 一二 、四 四 四 人 と いう
事 態 に な っ て いる の で あ る 。 こ の ほ か に 、 ム ス リ ム が 八 七 八 人 、 シ ク 教 徒 が 一、〇 三 九 人 居 住 し て い た 。 こ う し て ホ ワ
イ ト 系 住 民 の コ ミ ュ ニテ ィ は 、 南 ア ジ ア 系 移 民 に 押 し 出 さ れ る 形 で衰 滅 し て ゆ く の であ る 。
↑
形
イ
テ
二
袋
る
け
お
に
﹁
潮
削
ほ
瀦
民
↓
ユ
2
の
(
千 ン ド ・グ ジ ャ ラ ー ト 出 身 者 の コ ミ ュ ニ テ ィ
南 ア ジ アや 東 ア フリ カ から ベ ルグ レイ ヴ近 隣 居 住 区 に 到来 し たイ ンド 人 は、 経済 的 安 定 を 求 め る と同 時 に、 彼 ら の
生 き が いとし て の宗 教 そ し て文 化 的 伝 統 を守 る た め の活 動 を展 開 し てゆ く こと にな る。 宗 教 と 文化 を 最 も 良 く 象 徴す
る も の と し て、 祭 礼 が 取 り上 げ ら れ な け れ ば なら な い。
(
21∀
祭 礼 は、 コミ ュ ニテ ィ意 識を 創 造 す る た め の重 要 な 要 素 であ り 、 民 族 の誰も が参 加 でき る 社会 的 催 し であ る 。 ピ ン
(
サ ン ス カ ー ラ ︿。。㊤日 ω逗 蝉﹀) も 多 数 あ り 、 人 間 の 一生
ド ゥ一散 で は、 祭 礼 の種 類 が多 く 、 毎 月 大 き な祭 り があ る。 祭礼 は信 者 の義 務 と さ れ、 定 め ら れ た祭 礼 を 正 し く 行う
こと で神 の恩 恵 が得 ら れ る と信 じら れ て いる。 ま た、通 過 儀 礼
を 通 じ て 行 う べ き も の が 約 四 〇 に も 達 し 、 寺 院 や 家 庭 で 盛 大 に 行 わ れ る 。 特 に 、 誕 生 祭 、 男 子 が 正 式 に ヒ ンド ゥ i 社
合 の成 員 と な る入 門 式 、 結 婚式 、 葬 式 な ど が 重要 であ る 。
一九 八 0 年 代 に レ ス タ ー は 、 ア ジ ア 人 の 祭 礼 が 盛 ん に 執 り 行 わ れ る 都 市 に な っ た 。 そ れ ら 祭 礼 の最 大 の も の は 、 毎
(22 )
(
∪一
≦㊤=) で あ る 。 レ ス タ ー で の そ れ は 、 イ ンド 以 外 で 祝 わ れ る デ ィ ワ ー リ ー のう ち 最 大 の も の と さ
年 一〇 月 に ベ ルグ レ イ ヴ 近 隣 居 住 区 の ﹁ゴ ー ルデ ン ・ マイ ル (
ΩO片一
①口 ζ 一
一
①)﹂ 界 隈 で 催 さ れ る 、 ヒ ン ド ゥ i 教 の 灯 火
祭 デ ィ ワー リ ー
れ 、 し ば し ば 六万 人 に達 す る 群 衆を 集 め て いる。
ベ ルグ レイ ヴ近 隣 居 住 区 のグ ジ ャラー ト 出 身 のヒ ンド ゥー 教徒 は、 彼 ら の宗 教的 祭礼 や通 過 儀 礼 を定 期 的 に挙 行 す
る ため に 、 一致 協 力 し て結 束 し た の であ る。す でに見 たよう に、 ベ ルグ レイ ヴ 近隣 居 住区 に は、キ リ スト 教 の教 会 を 転
摸 す るな ど し て 四 つの ヒ ンド ゥー寺 院 が創 立 さ れ た。 そ れ ら の寺 院を 中 心 にし て、 そ れ ぞれ の コミ ュ ニテ ィ が組 ま れ
22
た 。 信 徒 た ち は 、 自 分 の コ ミ ュ ニテ ィ で 催 さ れ る 祭 礼 と 通 過 儀 礼 を 守 り 、 そ の こ と に よ って 相 互 の 霊 的 な 絆 を 確 か め
合 い、 コ ミ ュ ニテ ィ の結 束 を 高 め て ゆ く の で あ る 。 こ れ に よ って ベ ルグ レイ ヴ 近 隣 居 住 区 は 活 気 づ き 、 新 し い コ ミ ュ
(
ユ霜 げ 冨 巳 ①玲 ) (
鉾 げ。日①僧訂 。巴 )﹂ 気 持
(23 )
ニテ ィ の 集 合 体 と し て 再 生 し て い る 。 そ し て そ こ に は イ ギ リ ス 全 土 か ら 、 あ る い は 海 外 か ら 新 た に グ ジ ャ ラ ー ト 出 身
者 が 引 き 寄 せ ら れ て く る 。 こ こ で は 、 人 々 は 、 言 わ ば ﹁外 国 で 自 国 に い る
に な っ て い る の であ る 。
行 政 的 側 面 か ら見 れば 、 レ スタ ー市 は、 宗 教 的 な 祭礼 な ら び に文 化的 な行 事 を 支 援 し た し、 ア ジ ア人 の市 民 組織 を
が 約 四 百存 在 し 嫁・
.グ ジ ャラ ー
院 や モ ス ク も 僅 か な が ら 存 在 し 、 そ れ ら を 中 心 に シ ク 教 徒 の コミ ュ ニテ ィ や イ ス ラ ー ム の コ ミ ュ ニテ ィ が 活 動 し 、 行
こ と が で き る 。 彼 ら も 、 彼 ら 自 身 の精 神 的 必 要 を 近 所 で 満 た そ う と 欲 し た 。 ベ ル グ レ イ ヴ 近 隣 居 住 区 に は 、 シ ク 教 寺
同 様 の 事 情 は 、 規 模 は 小 さ い け れ ど も 、 パ ン ジ ャブ 出 身 の シ ク 教 徒 と グ ジ ャ ラ ー ト 出 身 の ム ス リ ム の 場 合 に も 見 る
る の であ る 。
ト 出 身 の ヒ ン ド ゥ ー 教 徒 は 、 か つ て の よ う に 人 種 差 別 の仕 打 ち を 受 け る の で は な く 、 行 政 の 側 か ら の 支 援 を 受 け て い
一 援 助 し てき た・ 二。 ・ 二年 にお いて ・ ベ ルグ レイ ヴ 近隣 居 住 区 には ・ 少数 民 族 の懇
叢
論
律
法
政 の 側 か ら の支 援 も 受 け て い る の で あ る 。
結 び に代 え て
レ ス タ ー に お け る ア ジ ア 人 の成 功 は 、 現 在 で も 多 く の 移 民 を 引 き 寄 せ 続 け て い る 。 二 〇 〇 一年 の 国 勢 調 査 に よ れ ば 、
レ ス タ ー の 人 口 二 七 九 、九 二 一人 中 、 ホ ワ イ ト 系 は 一七 八 、七 三 九 人 で 、 全 体 の 六 三 ・八 五 % で あ り 、 少 数 民 族 の 人 口
鷺
(25 )
は 一〇 一、 一八 二 人 で 三 六 ・ 一五 % で あ る 。 こ こ 数 年 の 問 に 、 レ ス タ ー に お け る 少 数 民 族 の 人 口 は 、 レ ス タ ー の 人 口全
体 の四 〇 ∼五 〇 % に な る の で はな いか と 見積 も ら れ て いる。
ベ ルグ レイ ヴ 近 隣 居 住 区 に は 、・
南 ア ジ ア 出 身 の ヒ ン ド ゥ i 教 徒 、 シ ク 教 徒 、 ム ス リ ム の コミ ュ ニ テ ィ が 存 在 し 、 そ
は自 分 たち の祭 礼 に 執着 し て 匹な い・ し た が って・ こ の近 讐
住 区 が ひと つにな って ,ミ ユ ニテ ィを 形 成 でき る か
れ ぞ れ 自 立 七 て 自 分 た ち の 宗 教 ・文 化 を 守 り 続 け て い る 。 も ち ろ ん 、 キ リ ス ト 教 徒 も 存 在 し て い る が 、 他 の 民 族 ほ ど
どう か と言 え ば 、そ れ は非 常 に困 難 であ る。 ア ジア 系移 民 の集 団 は個 性 的 であ り、排 他 性 が強 く 、制 外者
(
。暮 。・乙㊦邑
を 容 易 に は受 け 容 れ な い ので、 住 み分 け る こと は でき る に し ても 、 民 族 間 、宗 教 間 の統 合 は 困難 であ ろう 。 ま た、 例
、形
炉
イ
テ
(
仏 教 、 キ リ スト 教 、 イ ス ラ ー ム教 ) で は な く 多 神 教 の 民 族 宗 教 で あ る こ と も 、 こ の
え ば ヒ ンド ゥi 教 が 、 世 界宗 教
ベ ルグ レ イ ヴ 近 隣 居 住 区 の 住 民 に と っ て 将 来 的 に 可 能 な こ と は 、 各 々 の民 族 コ ミ ュ ニテ ィ な い し 宗 教 コ ミ ュ ニテ ィ
傾 向 に 拍車 を かけ て いる。
竣
る
け
お
に
が 自 立 し た 上 で 、 相 互 に 寛 容 で あ る こ と 、 そ し て他 の コ ミ ュ ニ テ ィ を 最 大 限 尊 重 す る こ と で あ り 、 そ れ ら コミ ュ ニテ ィ
[
潮
﹂﹃
社 会 科学 論 集 ﹄ (
埼
﹂ 二 〇 〇 四年 五 月 二 三 日、 東 北 大学 経済 学 部 に
一九 八三 年 の ﹃
調 査 報 告﹄ の分 析 から ω1
シク 教徒 の世 界 か ら一
﹂ イギ リ ス都市 ・農
﹂﹃
駿 台 史学 ﹄ 第 一 一八 号 、 二〇 〇 三年 、 一
エス ニシテ ィ ・宗 教 ・言 語1
南 ア ジア 系 移 民を 中 心 に一
三 八 一 = 二九 頁 。な お、 佐藤 清 隆 ﹁一九 八三 年 の多 民族 都市 レ スターー
佐藤清隆 ﹁
他 民族 都 市 レスタ ー の形 成 と 発展 i
おけ る ﹁イ ギリ ス都市 ・農 村 共 同 体研 究 会﹂ 報 告 にお け る資 料 に よ る。
佐藤清隆 ﹁
多 民 族 都市 レスタ ー の歴 史 と文 化ー
玉 大 学 経 済学 会 ) 第 一〇九 号 、 二 〇〇 三 年 、 一五 頁 。
佐 藤清 隆 二 九 八○ 年代 前 半 の多 民 族都 市 レスタ ー-
が相 互 に信 頼し 合 って、 独 自 に発 展 し てゆ く こと であ る と 考 え る。
(
3)
(
2)
(
1)
姓
献
灘
氏
↓
23
﹂
2
叢
論
律
法
(4 )
旨。。・①嘗
ω亀 。qp ︾ zaαqま 8 筈 。亀
貯
風。
も
・卜。G。刈.
。・耳
8
都 市 と地 域
誓 ① じu①曹 窒 ① ﹀ 円㊦轡 。hい魯 ①。・8 び
﹄ 日本 経 済 評 論 社、 二〇 〇 四
℃●F
魯 9官 費
9
国 8 ケ日 α 国 oユσqo円 (oユ.γ bcb帖8 。。器 ﹃
" 8 α自 (①α■
y 。旭.
9 計
国8 昌oヨ 網、"で℃﹂ りIG。㊤ 参 照 。
臼8 窃 ρ乱
悼..
日 ﹃① ピo。巴
≦ 詳げ 男 暮 露
層9 8 8 。。響
同り㊤G。も ゴp官 費
ρ 8 β
甲 嘗 。・♂毒 ①穿 け﹃Φ 同額 g 。= 乱 すロ ≦ 。q﹃毘 8
村 共 同体 研究 会 + 東北 大 学 経 済 史 ・経 営 史 研 究 会編 ﹃イ ギ リ ス都 市 史 研 究
ヒ
年 所 収 も参 照 。
巳 象 IH⑩㊤∬ 臼ぎ ぼ αミ 鶏 鳴ご 置§ 渇 o蔦 Q。も ρ♪ 目㊤㊤Q
。も b雪 '
■
旨 。。'
Ooβ冨。共
§ 陰も .8 ρ
密 画
§
﹁他 民 族 都 市 レ ス タ ー の 形 成 と 発 展 ﹂ (前 掲 ) = 二九 、 一四 四 頁 。
■
も
Ω ξ
.
悼O. ω呂 σqP §
帖§
佐藤
ζ 霞 ぎ
。℃.9 い・
も
法
臼。巨
。。ヨ αq戸
.
旨 ㊤■
Qcb暮 §遷 "い①8 Φ。・貯霞
。℃.
9 肺■
︺℃﹄ ド
﹂ぽ 繕G 宰 卜⊃ωα の 写 真 参 照 。
b ω偶◆
き 縞3
.
も
o
。ぎ αqF
(16 )
瓢■も ●悼ω蔭.
。。ぎ σ
qF
(5 )
。。巴 oqρ
Ω 弓 ﹃舘 て巴
(6 )
㊤巳
餌巳
(7 )
ζ 舘 ぎ
§
(8 )
レ ス タ ー に お け る 経 済 に つ い て は 、U 鍵 乙 Z 霜 げ 僻目α O 窪 己 国 ①巴 曾
§
(9 )
.
も
き ミ こ ℃でb ら
。刈-悼ωQ。.
。℃■
§
等 c・ ﹃∈ cb鵠識 cb暮
§
自民
。。9 αq♪
(11 )
§ .
§
雲
(12 )
ζ 霞 け冒
(10 )
(
13 )
§
QQ巴 σqρ
ワ 8 ω●
(14 )
3
(15 )
(17 )
§
でb ω蔭 の 写 真 参 照 。
(18 )
茜 轡巳 N9銘 oロ巴 雪 ユ ﹀ 。。。
。o。す 島oロ巴
■
刈H■
U一
審 .冒℃や 届 。。占 ㊤ω参 照 。
レ ス タ ー に お け る ホ ワ イ ト 系 住 民 と 少 数 民 族 の コ ミ ュ ニ テ ィ 生 活 に 関 し て は 、 2 霧 ﹃ ㊤巳
.
O
(19 )
9 肺
●も
§ ﹂ 署 .
卜⊇。。。。一・。。。o.
.
§
詰
ζ 宥 菖 ロ 雪 α Q。冒 σqF
ω亀 o
qP
§
.
も 戸 8 刈一8 。。﹁
(20 )
§
§
(21 )
ω亀 σ
qρ
§
(22 )
概.
も
(23 )
.
(42 )
N守画風こ ℃O'
Qoり困駆.
一
≦卿﹃自昌 騨口匹 oQ一昌σqげ矧O℃■
O蕊こ ℃﹂ド
本 稿 は、 明 治 大 学国 際交 流 セ ンタ ー の二〇 〇 三 年 度
(52 )
(付 記 )
﹁明 治 大 学 国 際 交 流 基 金 事 業 ﹂ 共 同 研 究
あ ・・研究 スタ ・フは佐覆
・学 術 調 査
(
研究袋
讃 名 ・
他民族都市 ・スタあ
研究成果 の 華
町
者 ・本 学 文 学 部 教 授 )、 加 藤 哲 実
歴史・文化・)に茅
癩
ン シ ア ・ブ ラ ウ ン (
イ ー ス ト ・ミ ッ ド ラ ン ズ ・オー ラ ル ・ヒ ス ト リ ー ・ア ー カ イ ヴ の プ ロジ ェク ト ・マネ ー ジ ャ ー ) で
(レ ス タ ー 大 学 都 市 史 セ ン タ ー 所 長 )、 シ
け
あ る・
(
本 学 法 学 部 教 授 )、 リ チ ャ ー ド ・ロ ジ ャ ー
尊
コ
拓
捌
未
"
伽
灘
銀
一
25
Fly UP