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ディアスポラとコスモポリタニズムの民流学 ー. 序言
"コ リ ア ン"デ ィア ス ポ ラ と コス モ ポ リ タニ ズ ム の 民 流 学 全 京 秀CHuNKyung-soo ソ ウル大 学560〃1ハ 伽 加41翫 1.序 言 ゴ 〃6短り コス モポ リタニズ ムの民 流 学 を提 唱す る理 由 日本 の 佐 渡 で 母 と一 緒 に拉 致 され 、北 朝 鮮(朝 鮮 民 主 主 義 人 民 共 和 国 の 略 称)で 長 期 間居 住 して き た曽 我 ひ とみ氏(以 下敬 称 略)の ケ ー ス は、 これ か ら展 開す る コ ス モ ポ リタ ン的 な現 象 の 良 い事 例 で あ る。私 は この 事例 を国籍 、 民 族 単 位 、 外 交 お よび 軍 事 的側 面 を超 越 した21世 紀 の グ ロー バ ル 時 代 の 希 望 的 な現 象 で あ る と評 価 した い 。 この評 価 は 、 曽我 ひ とみ が これ まで に経験 して き た 日常 生 活 その もの に対 す る もの で は な い。 彼 女 と似 通 っ た境 遇 に あ る人 々 が地 球 全 体 の レベ ル に お い て増 加 しつ つ あ る現 時 点 を眺 め なが ら、 そ の よ う な現 象 を理 解 す るた め の観 点 と認 識 の枠 組 み と して 、 コス モ ポ リタニ ズ ム(Cosmopolitanism,Hannerz1996:103-104)を 考 えて い る。 コ リア ンデ ィア ス ポ ラ とい うテ ー マの もとで 、 コ スモ ポ リタニ ズ ム を説 明 す る ため に 曽我 ひ とみ の 事例 に言 及 す る理 由 は 、 この 事 例 が コ リア ンデ ィア ス ポ ラ の 一 つ の 陰 影 だ か ら で あ る 。 曽 我 ひ とみ(45歳)は 、北 朝 鮮 に拉 致 され た 日本 国 籍 所 有者 で あ る と同時 に 、北 朝 鮮 籍 も持 って い る。彼 女 の夫 で あ るチ ャ ール ズ ・ジ ェ ンキ ンス(64歳)は 、 冷 戦 時 代 の 遺 産 で あ る朝 鮮 半 島 の 分 断 過 程 で 、 軍 律 に反 して北 朝 鮮 へ 脱 走 した ア メ リカ兵 出 身 と して北 朝 鮮 籍 を所有 して い る。彼 と曽 我 ひ とみ の 婚 姻 に よ って 生 まれ た美 花 とブ リン ダ は、 北 朝 鮮 で成 長 し、 北朝 鮮 籍 を持 つ 少 女 で あ る。 現 段 階 にお い て この家 庭 の言 語 環境 は 、 朝 鮮 語 と英 語 が主 で あ り、 曽我 ひ とみ を 中心 と した 日本 的 な一 面 も 日常 生 活 に見 受 け られ る こ とが予 想 され る。 この 家族 の 事例 を コ リア ン デ ィ アス ポ ラ に含 め るべ きか否 かの 判 定 が必 要 なの で はな く、 この事 例 が 、現 在 我 々 が生 きて い るグ ローバ ル 時 代 に厳 然 と存 在 す る 「生」 の側 面 で あ る こ と を、 コ リ ア ンデ ィア ス ポ ラの 延 長 線 上 で 理 解 しよ う とす る努 力 が必 要 なの で あ る。 北 朝 鮮 の 憲 法 に よ る と、 この 家族 は ジ ェ ンキ ンス の家 族 と呼 ばれ るべ きで あ る。平 壌 か らす る と、1年9ヵ 月間 、 実 家 の 日本 に旅 行 に 出 た ジ ェ ンキ ン ス の妻 で あ る曽 我 ひ とみ が平 壌 に戻 らな い とい う こ とは 、 「 家 出 した妻 」 と判 261 全 京 秀CHUNK)肌ng-s・ ・ 定 す る しか ない 。 しか しなが ら、父 系 血 統 を家 族 法 の 骨 幹 と して維 持 して い る北 朝 鮮 人 民 と して の ジ ェ ンキ ンス の家 族 が 、非 単 系 的 な血統 の伝 統 に 立 脚 した 日本民 法 に基 づ き、 曽我 ひ とみ の 家族 と して 認 識 され る こ とに な っ た 。 娘 た ち に 日本 国 民 の パ ス ポ ー トが発 行 され た こと は、 コ スモ ポ リタ ン的 な現 象 の 中 で 、家 族 の 血 統 論 も状 況 に よっ て は変 化 せ ざる を得 ない 、 とい う こ と を指摘 す る に値 す る。 曽我 ひ とみ の家 族 の一 員 とな っ た脱 走 兵 の ジ ェ ン キ ン ス に適 用 され るべ き ア メ リカの 軍 法 は 、 コス モ ポ リタニ ズ ムの グ ロ ーバ ル 時 代 に、 政治 的 判断 とい う口実 の もと、厳 格 な適 用 の 基準 と方 向 を失 って い る。 私 は、 曽 我 ひ とみ の 事例 は、 コ リア ンデ ィア ス ポ ラの 範 疇 の 中で 考 慮 され るべ きだ と思 って い る 。 この 家 族 が 日本 に 入 国す る際 、朝 総 連(在 日本 朝 鮮 人 総連 合 会 の略 称)が 介 入 したの で は な い か とか 、彼 らが胸 に 「金 日成 バ ッ ジ」 を着 用 して い た か ど うか 、 とい う よ うな 問題 は重 要 で は ない 。 「コ リア ン」 とい う範 疇 が事 実 上 、曖 昧 に な る時代 が到 来 しつ つ あ る とい うの が一 つ の 現 実 で あ る 。 た とえ 、 そ の範 疇 を規 定 した と して も、実 際 に適 用 す るの は 難 しい とい うの もま た グ ロ ーバ ル 時 代 の 現実 で あ る。 そ の背 景 に は 、 ダ イ ナ ミッ クな人 々 の流 れ(民 流)が 考 え られ る。 そ れ に よ っ て創 られ た現 象 を理 解 す るた め の観 点 と して 、 コ ス モ ポ リタニ ズ ムに言 及 す る。 「デ ィ アス ポ ラ」 の 範 疇 も多様 で あ る 。原 因 と過 程 も多様 で 、 その よ うな現 象 が発 生 した後 に 展 開 され る人 々 の流 れ も非 常 に動 態 的 で あ る。短 期 間 の旅 行 に類 似 した 「デ ィア ス ポ ラ」 もあ れ ば 、 「 脱 北 者 」 と して 中国 大 陸 を転 々 とす る人 々 、 同 じ 脱 北者 で も韓 国 に定 着 した人 々 も い る。 また 少 数 で は あ るが 、北 朝 鮮 に再 入 国 す る場 合 もみ られ 、 この よ うに 多様 な人 の 流 れ に対 応 で き る認 識 の枠 組 み が コス モ ポ リ タニ ズ ム で あ る と言 え る。 曽我 ひ とみ と類 似 した境 遇 に あ る人 々 は、 予想 以上 に 多 い と思 われ る。 さ ら に曽 我 ひ とみ と夫 の ジ ェ ンキ ンス は 四半 世 紀 以 上 、北 朝鮮 籍 を有 しな が ら 生 活 して きて お り、彼 らの子 供 も北 朝 鮮 の 人 民 と して 出 生 、教 育 を うけ て き た こ とは誰 も否定 で きな い現 実 で あ る。私 は この よ うな 曽我 ひ とみ の 事 例 を、 コ リア ンデ ィア ス ポ ラの 範 疇 で考 慮 す べ きで あ る と考 え、 そ の背 景 と して コ スモ ポ リタニ ズ ム の民 流 学 とい う枠 組 み を提 案 す る。 民 族 や 国民 を規 定 して きた古 典 的 な範 疇 と して の 血縁 、言 語 な どは 、 明 ら か な境 界 を要 求 す る属 性 を持 っ て お り、 その よ うなデ ィ アス ポ ラ議 論 か らは 一 定 の 距 離 を保 つ 必 要 が あ る。 それ が で きて は じめ て 、 グ ロ ーバ ル な 時代 に お け る民 の流 れ に 対 す る正確 な意 味 を把 握 で き る よ う に な る。電 波 に乗 って 情 報 が 流 れ る よ うに 、 また 貿 易路 を通 じて品 物 が流 れ る よ う に、 人 々 も流 れ る。そ の 流 れ を遮 っ て きた 近代 国家 の 意 味 は、新 しく規 定 され る運 命 に あ り、 その 現 れ で あ る ヨー ロ ッパ 連合 の よ うな現 象 は 、 ます ます 拡 大 す る と展 望 さ 262 "コ リ ア ン"デ ィ ア ス ポ ラ とコ ス モ ポ リタニ ズ ム の民 流 学 れ る。 2.民 流 学 と海 外 コ リア ン 東 ドイ ツ住 民 の ハ ンガ リー行 きか ら始 ま っ た 「ユ ー ロ ピ ク ニ ック」、 そ し て これ を基盤 と した ベ ル リ ンの壁 の崩 壊 は、 民 流 の 力 が 動 く方 向 を証 言 して くれ る。民 流 を抑 圧 す る政 治 的障 害 に対 す る抵 抗 は、 記 憶 の 片鱗 と して のみ 残 るの で は な く、生 きて い る歴 史 の 現 場 を形 作 っ て い く。記 憶 は学 習 され る。 学 習 され た 記憶 は行 動 に転 移 す る 。人 類 の歴 史 は 、 民 流 の歴 史 に よ って 記 憶 され 、記 録 され る 。 そ して この よ うな 視 点 は 、 あ る 集 団(時 間 的/空 間 的 に 固 定 され た)の 民 俗 誌 を作 成 す るの と同 じ方 法 で 、海 外 コ リア ンに関 す る資 料 を収集 し、報 告 書 お よ び論 文 を作 成 す る こ とに 、 明 らか な限 界 が あ る こ と を教 えて くれ る。 これ は私 の個 人 的 な 能 力 の 問題 だ け で な く、今 まで この よ うな テ ー マ を扱 って き た研 究 者 の 視覚 に 内在 す る共 通 の 問 題 で あ る。 現 在 、 ヨー ロ ッパ 連 合 に散 在 して い る海 外 コ リア ンの は じま りは海 外 就業 で あ っ た。派 独 鉱 夫 と派 独 看 護 員 とい う名 の下 で ス ター トした 海 外就 業 か ら、 不 法 滞 在 、脱 出 な どの 要 因 も相 ま って現 在 に至 っ て い る 。 中近 東 と ア フ リカ で も同 じよ うな ケ ース が少 な くない 。 い ず れ にせ よ 、家 族 周 期 とい うダ イナ ミ ック で 自然 な現 象 に よ って 続 い て きた就 業 と定 着 の過 程 で生 まれ た子 供 た ち は 、堅 く守 られ て き た国 家 と民 族 の境 界 を崩 しつ つ あ る。 韓 国 経済 の世 界 化 に伴 う、海 外 就 業 は トラ ン スナ シ ョナ リズ ム を志 向 して い る。企 業 は トラ ンス ナ シ ョナ リズ ム とい う枠 組 み の 中 で存 在 す る しか な い が、 人 々 は 「ネ ー シ ョ ン」 を 「トラ ンス 」 す る現 象 を越 え て 、 コ ス モ ポ リタ ン的 にな動 き を見 せ て い る。 こ の よ う な 民 流 現 象 を直視 しな が ら、 「コ リア ンデ ィ ア ス ポ ラ」 に関 す る既 存 の研 究 を 簡 潔 に レ ビュ ー して み よ う。 ア メ リカ を中心 と した 北 米 に散 在 して い る海 外 コ リア ン に対 す る研 究 観 点 は、 ア メ リカの 人類 学 を含 め た 社会 科 学 が生 産 して き た理 論 を試験 的 に適 用 して き た 。 メル テ ィ ン グ ポ ッ ト(melting-pot)論 の 限 界 を指 摘 した 中間 少 数 層(middlc-manminority)論 を経 て 、最 近 の 種 族 性(ethnicity)論 に至 る理 論 的 枠 組 み の変 化 に 、海 外 コ リア ン を資 料 と して 適 用 した研 究 が積 み 重 ね られ て き た 。 「高 麗 人 」 が存 在 して い る 旧 ソ連 と、 東 北 三 省 に 「朝 鮮 族 」 が 集 居 して い る 中国 で は 、 それ ぞれcthnogra飴 と民 族 学 の研 究対 象 と して 海 外 コ リア ンに 関 す る研 究 が 集 積 され て き た。 こ こで の研 究 の限 界 は、 主 流 民 族 に対 す る少 数 民 族 と して ア プ ロー チ す る こ と に よ る、 内 部 植 民 地 主 義 (internalcolonialism)が 基 盤 に な って い る点 に あ る。 この よ うな研 究 は 、 そ の 大 部 分 が年 代 記 的 な ア プ ロー チ お よび 人 口 学 的 分布 と静 態 的 な民 俗 誌 的 263 全 京 秀CHUNKyung-soo ア プ ロ ーチ で あ る と評 価 で き る。 北 米 と旧 共産 圏 で 試 み られ た海 外 コ リア ン研 究 に共 通 した問 題 点 は 、彼 ら が主 流 社 会 の 一 員 と して登 場 す る原 因 と過程 に介 入 した 国際 政 治 的/イ デ オ ロ ギ ー 的側 面 と民 族 の 問題 が重 な って い る現 象 を見過 ご した 、 あ るい は軽 視 した点 に あ る。 す な わ ち 、朝 鮮 半 島 の 政 治 的 問題 と関連 の あ る海 外 コ リア ン の 発 生 と社 会 的 現 象 に対 す る ダ イナ ミッ クな政 治 歴 史 的研 究 が相 対 的 に軽 視 され て き たの で あ る。 日本 に居 住 して い る 「在 日」 に関 す る研 究 は 、 そ の集 団 の 出発 点 に お け る 特 異 性 に よ っ て早 くか ら 日本 人 研 究 者 の 注 目 を浴 び て きて お り、 多 くの研 究 が蓄 積 され て い る 。 日本 人 研 究 者 の 研 究傾 向 は 、概 ね二 つ に両 極 化 した もの で あ る とい え る 。一 つ は人 類 学 者 を 中心 にス タ ー トした研 究 傾 向 で あ る。 こ の研 究 は泉 靖 一 に始 ま り現 在 も継 続 され て お り、 詳 細 な 民 俗誌 の作 成 に重 点 を お い て い る(原 尻 英 樹 、 高 鮮 輝 な ど の研 究)。 も う一 つ は 、 在 日朝 鮮 人 の 研 究 者 を中 心 とす る 、主 流 社 会 か ら受 けて きた歴 史 的被 害 や南 北 間 の イデ オ ロ ギ ー 的対 立 と民 族 統 一 の 問題 を結 び つ けた研 究 で 、 主 に時事 的 内 容 を扱 っ て い る 。政 治 学 と社 会 学 分野 に よ る在 日朝 鮮 人 また は在 日同胞 に 関 す る研 究 は 、朝 鮮半 島 の分 断 と南 北 間 の葛 藤 を 中心 と し た、 政治 的 シス テ ム研 究 に偏 っ て お り、 文化 的 イ デ オ ロギ ー に関 す る視 点 か ら は乖 離 す る傾 向 も少 な く な い 。 こ の よ うな 問題 点 を提 起 し、国 際 政 治 的 な現 象 と して在 日朝 鮮 人 を分析 したR:yang(1997)は 、 両極 化 した 在 日朝 鮮 人 の 観 点 を統 合 し よ う と試 み た。 Ryangの 研 究 は 、華 僑 とユ ダ ヤ人 を 中心 に展 開 され て きた デ ィア ス ポ ラ論 が海 外 コ リア ンを研 究 す る枠 組 み と して 定 着 す る契機 と なっ た 。 デ ィ ァス ポ ラ論 を 用 い て海 外 コ リア ンの特 殊 性 を浮 き彫 り に した の で あ る。 言 い 換 えれ ば 、 デ ィア ス ポ ラ論 を海 外 コ リア ンに応 用 す る こ と に よ って 、 国 際 政 治 的/ イ デ オ ロギ ー 的 な政 治 歴 史 的 ダ イ ナ ミ ック ス を備 え る こ とが で き る とい う点 を発 展 させ れ ば 、海 外 コ リア ンに 関す る研 究 がデ ィアス ポ ラ論 の 一 般 化 に寄 与 す る こ とが で き る。 この よ うな希 望 を も って 、私 はデ ィ アス ポ ラ論 を 「民 流 学 」 と翻 訳 す る。 そ して 、 民族 、戦 争 、国 家 、 イデ オ ロギ ー な ど を キ ー ワ ー ドに した 民族 集 団 の移 住現 象 に 関す る 多 くの 事 例 研 究 が今 後行 わ れ るで あ ろ うこ と を予測 し、 デ ィア ス ポ ラ現 象 に対 す る学 際 的 な アプ ロー チ と して の 民 流 学 を提 唱 す る 。 グ ロ ーバ ル 時 代 の 普 遍 的 な イ デオ ロ ギ ー と して 定 着 して きた コ スモ ポ リタ ニ ズ ム は 、 これ か ら コ リア ンデ ィア ス ポ ラ を観 望 す る認 識 の枠 組 み と な り う る 。す で に 今 まで 我 々 は 、 華 人 とユ ダ ヤ人 、 そ して イ ン ド人 の コ スモ ポ リタ ン的 な 民 流 現象 に対 して 多 くの知 識 を蓄 積 して き た。 グ ロ ーバ ル 時 代 に コ ス 264 "コ リ ア ン"デ ィア ス ポ ラ と コス モ ポ リタニ ズ ム の民 流 学 モ ポ リ タニ ズ ム に基 づ い て コ リア ンデ ィア ス ポ ラ を考 察 す る とい う こ と は 、 コ リア ンデ ィア ス ポ ラ を特 殊 性 の 次 元 で 検 討 す る こ とに対 す る問 題 意 識 の 発 露 で もあ る 。 コ リア ンデ ィアス ポ ラ とい う ジ ャ ンル が抱 えて い る普 遍 性 を発 見及 び構築 す る こ とで 、未 来 を予 測 す る ビ ジ ョン を提 供 す る こ と がで き るで あ ろ う。 この よ うな研 究 方 向 を遮 って き た の は 、 「 朝 鮮 半 島 の政 治 軍 事 的 分 断」 で あ る。冷 戦 の産 物 で あ る分 断 は、 コ スモ ポ リ タニ ズ ム が追 求 して い る 社 会 的現 象 とは逆 方 向 を志 向 して きて お り、 これ が海 外 コ リア ンの 「生 」 を 規 定 して きた特 殊 性 で あ る とい え る。 3.分 1)北 断 か ら コス モ ポ リ タニ ズ ム へ 朝鮮 主導 の海 外 コ リア ンの 分 断 化 「コ リア ン」 を議 論 す る際 に 、 テ ー マ と は 関係 な く 「 分 断」 とい う単 語 が 登 場 した ら、 ほ とん ど 自動 的 に 「 統 一 」 とい う単 語 が後 に続 くケ ー ス が珍 し くな い 。 「分 断 」 と 「 統 一 」 とい う構 図 、 そ れ に 関 す る認 識 は、極 め て単 純 で 、非 常 に 危 険 な 思 考 方 式 で あ る と私 は 考 えて い る 。分 断 で な け れ ば統 一 、 つ ま り白 黒 論 理 の 極 端 な 現 象 が朝 鮮 半 島 に 投 影 され て い るか ぎ り、 我 々 は 「生 」 の 真 実 か ら 目 をそ ら して しま う危 険 性 か ら逃 れ る こ と はで き な い 。つ ま り、 分 断 と統 一 とい う構 図 は 、理 想 的 な言 語 的遊 び に過 ぎず 、現 実 的 な生 の 構 図 が非 常 に複 雑 で あ る とい う こ と を無 視 して しま う危 険 性 を内包 して い る 。海 外 コ リ ア ン は この よ うな 問 題 を 身 近 に体 験 して お り、 彼 らの 立 場 で 「第 三 の 道 」 に対 す る選 択 を考 え る こ と を可 能 にす るの が コ スモ ポ リ タニ ズ ム で あ る。 本 稿 で は、 デ ィ ア ス ポ ラ とい う現 象 と、 朝鮮 半 島 の分 断 とい う政 治 歴 史 的 ダ イ ナ ミ ック ス の過 程 の 中で繰 り広 げ られ る 「 生 の具 体 的 な事 例 」 を 中心 に 議 論 を展 開 す る 。つ ま り、分 断 とい う枠 組 み が コ リア ンデ ィア スポ ラ に どの よ うに刻 印 され て い る か を叙 述 す る こ とが 、 本稿 の主 軸 を成 して い る。 海 外 コ リア ンの 「 生 」か らす る と、分 断 の次 の段 階 は統 一 で は な く、 コス モ ポ リタ ニズ ムが そ の代 案 で あ る こ とを浮 き彫 りに す る民 俗誌 的事 例 を紹 介 した い 。 【 事 例1】 1987年11月 初 旬 の土 曜 日の深 夜 、 私 はペ ル ー の リマ 空港 に着 い た 。 翌 日 の 日曜 日の 朝 、何 回 か 韓 国大 使 館 に電 話 を か け たが 、全 く応 答 が な い 。 ホ テ ル の 電 話 帳 か ら 「KIM」 とい う名 字 を い くつ か 確 認 し、 その 中 で も ゴ シ ッ 265 全 京 秀CHUNKyung-soo ク体 で印 刷 され た 「KIMChangShik」 に電 話 をか け た 。電 話 を受 け たの は 声 か ら判断 す る と年 輩 の女 性 だ った 。暫 く して 、 自 らを キ ム ・チ ャ ン シ クで あ る とい う人 が電 話 に 出 た 。 私 の 身 分 と リマ訪 問 の 目的 を詳 細 に説 明 した 。 す る と、 彼 は 、 「南 朝 鮮 大 使 館 に は連 絡 した の で す か 」 と応 答 した 。 そ の 瞬 問 、私 の 背 中 に冷 や汗 が流 れ るの を感 じた。息 が詰 ま る よ うな瞬 間 で あ った 。 す で に私 の 身 分 を 明 らか に した後 で あ る。 無理 に声 を落 ち着 かせ て 「そ ち ら は応 答 が な い」 と説 明 す るや い なや 、 「それ で は 、 き ょ う私 が先 生 の ため に リマ を案 内 して あ げ ま し ょ う」 と提 案 して きた 。私 は 「大丈 夫 だ」 と適 当 に は ぐ らか して電 話 を切 った 。 冷 や汗 を拭 くた め に シ ャ ワ ー を しな け れ ば な ら な か っ た 。 月 曜 日、 韓 国 大 使 館 の 関係 者 に そ の 話 を伝 え た ら、 「キ ム ・チ ャ ンシ ク と通 話 した ん で す か 」 とび っ く り仰 天 し た反応 を しめ した 。彼 は 中南 米 の北 朝 鮮 の 総 責 任 者 で 、 当 時 は大 使 館(北 朝 鮮)を 対 外 連絡 事務 所 レベル に縮 小 し た状 況 で あ っ た。 リマ に は50人 余 りの 韓 国 の パ ス ポ ー ト所 持 者 が 居住 して い た が 、 特 に キ ム ・チ ャ ンシ クの 存 在 に はか な りの 神 経 を とが らせ て い た よ うで あ った 。 ブ ラ ジル の サ ンパ ウ ロで は一 連 の反 韓 国政 府 運 動 が 起 こっ た こ とが あ る。 韓 国政 府 に不 満 を抱 い て い た 一 部 の 同胞 らが ブ ラ ジ リアの 大 使 館 に抗 議訪 問 す るな ど、 サ ンパ ウ ロの 総 領 事 館 を困惑 させ た。 その 後 北 朝 鮮 の 代 表 団 が サ ンパ ウ ロを訪 問 し、 ラ テ ン ア メ リカ の コ リア ンコ ミュ ニ テ ィが分 裂 す る兆候 が現 れ た。 この 背 景 で は北 朝 鮮 の 工作 が行 われ て い た と され 、朝 鮮 半 島 の 分 断 は チ ャ ンス さえ あれ ば 、海 外 コ リア ンの コ ミュ ニ テ ィに ま で延 長 す る とい う こ とが指 摘 で き る。 【 事 例2】 北 朝 鮮 が介 入 した か 、 も しく は主導 した海 外 コ リア ン の コ ミュ ニ テ ィの 分 断 状 況 は冷 戦 時 代 の 西 洋 世 界 で 主 に見 受 け られ た 。代 表 的 な もの と して は 日 本 の 朝 総連 と民 団(在 日本 大 韓 民 国 民 団 の 略称)の 分 断 が あ り、類 似 した現 象 は ア メ リカ とカ ナ ダ で も展 開 され た。 北 朝鮮 は北 米 の海 外 コ リア ンに対 し て 、故郷 訪 問 の プ ログ ラム を利 用 して 近 づ き、 そ の プ ログ ラム は北 朝 鮮 出身 の海 外 コ リア ンに か な りの影 響 をあ た えた 。 北 米 をね ら って い た故 郷 訪 問 プ ロ グ ラ ムが 南米 の海 外 コ リア ンに も影 響 を与 え、 政 治 的 に韓 国 の独 り舞 台 だ っ た ア メ リカ大陸 の海 外 コ リア ンの社 会 に、 分 断 の 兆 しが 見 え始 め た こと は 間違 いの な い 事実 で あ る。 1959年 に新 潟 港 を出 航 して 元 山 に 向 か う最 初 の帰 郷 船 に始 ま っ て 、20万 人 以 上 の 在 日 コ リア ン が北朝 鮮 に送 還 され た 。 北 朝 鮮 へ の 送 還 に 関 わ っ た在 日朝 鮮 人 の 知 識 人 の 活 動 に対 す る評 価 も今 後 の 課 題 だ が 、 北 朝 鮮 へ 送還 され 266 "コ リ ア ン"デ ィア ス ポ ラ と コ ス モ ポ リ タニ ズ ム の 民流 学 た在 日 コ リア ンの生 活 と、 日本 に残 っ た彼 らの 家 族 の 生 活 に つ い て も綿 密 な 資 料 収 集 と分 析 が必 要 で あ る。北 送 コ リア ンの 中 には 、 後 に 南派 工 作 に深 く 関 わ った者 もい た こ とが 明 らか に され た 。北 送 の在 日 コ リア ンの 問 題 も結 局 、 韓 国 と北 朝鮮 の 問 の政 治 的競 争 と陰 謀 工 作 過 程 で 露 わ に な った 民流 現 象 の一 つ で あ る。 【事例3】 1968年 、 ソ ウル で は ドイ ツ留 学 生 スパ イ事 件 が公 開 され た 。 優 秀 な学 者 らが拷 問 を うけて 投獄 され た。 この 問題 は現 在 、 ソ ウル の 疑 問 死真 相 調 査 委 員 会 に よ っ て 、 当時 ソ ウル 大 学 法 大 の 崔 鐘 吉 教 授:事件 にKCIAが 関与 して い た こ とが証 明 され 、 最 近 で は宋 斗律 博 士 事 件 に対 して も韓 国 の 司 法 部 レベ ル で究 明 が展 開 され た 。 宋 斗 律 氏 とそ の家 族 、 そ して これ らと類 似 した 事 件 で 韓 国 の政 府 に逮 捕 ない し調 査 を受 けた こ との あ る海 外 コ リア ンの 「生 」 に対 して も、朝 鮮 半 島 の 分 断 民 俗 誌 とい うテ ー マ を設 定 して慎 重 に扱 うべ き問題 で あ る と考 え てい る。 2)韓 国 主 導 の 海 外 コ リ ア ン分 断 化 ペ レス トロ イ カ は旧 ソ連 の 地 図 を大 き く変 動 させ た の み な らず 、 旧 共 産 圏 に 居 住 して い た海 外 コ リア ンの 「生 」 にお い て も地核 変動 を もた ら した。 韓 国 人 に よ る海 外 コ リア ン訪 問 と、海 外 コ リ ア ン に よ る韓 国訪 問 の チ ャ ン ス を つ か む こ とに よっ て 、 韓 国政 府 は工 作 を実 行 に移 した 。 その結 果 、韓 人 協 会 とい う組 織 が 韓 国政 府 の 主 導 と支援 で設 立 され 、 以 前 か ら北朝 鮮 との 緊 密 な 癒 着 関 係 を維 持 して きた 旧 ソ連 地 域 の海 外 コ リア ン(高 麗 人協 会)と 対 決 す る とい う構 図 をみ せ る よ うに な っ た 。 ロ シ アの レニ ン グ ラ ー ドか らサハ リン に至 る まで 様 々 な 地域 で この よ うな現 象 が生 じ、 中央 ア ジ ア地域 で も同 じよ うな現 象 が 展 開 され た 。 【事例4】 ウズ ベ キ ス タ ンの キ ム ・ビ ョンフ ァコル ホ ー ズ に居 住 して い るキ ム ・バ レ リは 、 ペ レス トロ イ カ以 前 の 旧 ソ連 時代 に 、 北朝 鮮 の招 請 で 二 度 にわ た っ て 平 壌 と金 剛 山 を訪 問 した こ と が あ る。 そ の た び に彼 の一 行 は 、金 日成 主 席 と 一 緒 に写 真 を とっ た。 ペ レ ス トロ イ カは北 朝 鮮 が堅 く築 い て き た海 外 コ リア ンコ ミュ ニ テ ィに、 韓 国 側 の 工 作 活 動 が 可 能 とな るチ ャ ンス を与 えた 。 韓 人 協 会 とい う組 織 は母 国 訪 問 団 とい うプ ログ ラ ム を組 み 、 中央 ア ジ アの海 外 コ 267 全 京 秀CHuNKyung-soo リア ンに 韓 国訪 問 の機 会 を提 供 した。 その 結果 、彼 らは対 等 な立 場 と 目線 で 北 朝 鮮 と韓 国 を比 較 す る機 会 を手 に し、 分 断 され た祖 国 か ら離 れ て い る第 三 の 地 位 に 自 らが置 か れ て い る こ と を 自覚 す るケ ー ス もあ った 。 わ た しが 、1990年 アル マ ア タの コ ク デ ンア ジ ンで 朴 日先 生 に会 っ た と き、 彼 は80代 半 ば だ っ た 。 戦 後 、 ソ連 派 と して 平 壌 に登 場 し た彼 は金 日成 大 学 の副 総 長 を歴 任 した が 、 金 日成 の ソ連 派 粛 清 期 を逃 れ て 、 ア ル マ ア タに帰 郷 、してい た。 極 東 出 身 の 彼 は 、 当時 の妻 が ロ シ ア人 で あ った た め 、 間一 髪 で粛 清 を逃 れ る こ とが で きた の だ っ た 。彼 に は同 じ極 東 出 身 の 前 妻 の 間 に息 子 が 一 人 お り、彼 は 画 家 だ った 。 朴 日先 生 は遠 東 朝 鮮 師 範 大 学 と その大 学 が廃 校 され る過 程 につ い て 証 言 で き る唯一 の生 存 者 だ っ た。 その 後 、朴 日先 生 は韓 国政 府 の 招 請 に よ り、 ソ ウル で 公 開講 演 を お こ な う機 会 に も恵 まれ た 。 と こ ろが 、2000年 の 夏 、 わ た しが彼 を訪 ね て アル マ ア タに 行 っ た と き 、彼 は 人 に会 う こ と を拒 否 して 、 自 宅 に 閉 じ込 もっ て い た 。 韓 国政 府 か らの 招 請 と 、 ソ ウル で の公 開 講 演 に不 満 を抱 い た北 朝 鮮 に よ る報 復 と思 われ るテ ロは 、彼 に とっ て生 と死 の 境 を さ ま よ うか の ご と き経験 とな った の だ 。 【 事 例5】 1990年 私 は ウ ズ ベ キ ス タ ンの キ ム ・ビ ョン フ ァコ ル ホ ーズ で 、平 壌 か ら きた貿 易会 社 の 一 団 と出会 っ た。 彼 らが約 一 週 間滞 在 す る こ と を コル ホ ーズ の 委員 長 は私 に伝 え、宿 を しば ら く他 の村 に移 した ほ うが い いの で は、 とい う提 案 を して きた 。委 員 長 の提 案 は、韓 国人 と北 朝 鮮 人 の敵 対 的 な構 図 に対 す る憂 慮 か ら発 せ られ た もので あ った 。私 は そ の提 案 を拒 否 し、予 定 通 りキ ム ・バ レ リの 自宅 に 、平 壌 の 人 々 は コル ホ ー ズの コ シ ン シ ャ(ゲ ス トハ ウ ス) に滞 在 す る こ とに な った 。 社長(44歳 して 通 訳(56歳 ・女 性)の ・男 性)と 副 社 長(60歳 ・男 性)、 そ 三 人 が 到 着 した そ の 日、私 は 彼 らと挨 拶 をか わ した 。彼 らの来 訪 目的 は ウ ズベ キ ス タ ンの綿 花 を購 入 す る こ と に あっ た。 初 対 面 で 社 長 が 、済 州 島 出身 の 北 送在 日同胞 で あ る こ とが わ か っ た。 彼 の 言 葉 に済 州 島 の な ま りが混 ざって い た か らで あ る。彼 に 「大 阪 出 身 で す ね?」 と尋 ね た ら、 「や は り南 朝 鮮 の教 授 はみ なKCIA要 員 だ 」 と応 じた 。 その 日 の 夜 、私 は意 図 的 に平 壌 か ら きた副 社 長 と通 訳 に 集 中 して 酒 を勧 め た 。二 人 が先 に 眠 り込 み 、社 長 の ソ ン ・ス ン ヨン と話 をす る機 会 を得 た 。彼 は ク ラ シ ック音 楽 と美 術 に 関 す る該 博 な知 識 を持 って い た 。 彼 と彼 の 家族 は平 壌 で ア パ ー ト暮 ら し を して い る こ と、北 送 前 の 日本 の 生 活 につ い て 多 くの話 を して くれ た 。彼 の兄 は大 阪 に居 住 して お り、 ソ ウル の 企 業相 手 に 貿 易業 を営 んで い る 。8月15日 、 コル ホ ー ズ の マ ギ ア ロ ブ委 員 長 は 私 た ち の た め にパ ー テ ィー を開 い た 。 そ の 日、我 々 は再 び酒 宴 を設 けた が 、 や は り副社 長 と通 訳 が 268 "コ リ ア ン"デ ィア ス ポ ラ と コ ス モ ポ リタ ニ ズ ム の 民 流 学 先 に 酔 い つ ぶ れ て しま い、ソ ン社 長 と私 が 二 人 で会 話 を交 わす こ と と な った 。 彼 は アル ミ製 の か ば ん と手 を手 錠 で つ ない だ ま まで 寝 食 して い た 。 中身 を尋 ね て み る と、 「木 綿 購 入 用 の7万 ドル が 入 っ て い る」 と答 え た。 その 日の 夜 、 社 長 と私 は す っか り酔 っ払 っ て しま っ た。 彼 は酔 っ払 った ま ま、街 路 樹 に ぶ つ か って 顔 に大怪 我 を 負 って しま っ た。 怪 我 の 言 い訳 を どの よ うに した らい い か を心 配 しつ つ 、二 日後 に次 の 目的 地 で あ るハバ ロ フス クへ 向 か った 。 中央 ア ジ ア の高 麗 人 と平 壌 か らの 人 々 は非 常 に親 しい 関係 に あ っ た 。彼 ら の ほ とん ど は咸 鏡 道 を 背景 に した沿 海 州 出身 で あ り、平 壌側 の例 年 の故 郷 訪 問 プ ログ ラ ム に参 加 した こ とが あ っ た 。 「南 朝 鮮 」 か ら人 々 が訪 問 す る 前 、 中央 ア ジ ア は共 産 圏 とい う同質 性 を標 榜 した北 朝 鮮 の 政 治 的独 り舞 台 で あ っ た。 ペ レ ス トロ イ カ とい う新 た な風 が北 朝 鮮 が独 占 して い た舞 台 に、韓 国 人 を登 場 させ る契機 とな った 。 中央 ア ジ ア の高 麗 人 社 会 も朝 鮮半 島 で の南 北 の 敵 対 関 係 を作 り上 げ る こ とに な り、 そ の結 果 、南 北 分 断 の 構 図 が 中央 ア ジ ァ に根 を下 ろす こ とに な った。 【事例6】 エ ス トニ ア の タル リ ンに居 住 して い る李 ・セル ゲ イの 故 郷 は カザ フス タ ン で あ る。 彼 は レニ ング ラー ド大 学 を卒 業 後 、 タル リ ンの交 通 関 係 の 政府 組織 に就 職 し、 そ こで 結 婚 して家 族 を養 っ て い る。 と ころ が 、旧 ソ連 か らエ ス ト ニ ア が独 立 した こ と に よ って 、 彼 は カ ザ フス タ ンで暮 ら して い る両 親 とが 国 籍 上 引 き離 され て しま っ ただ け で な く、 カ ザ フス タ ンの経 済 が 厳 しく な る に つ れ て 、家 族 に会 う こ とが 非 常 に 難 し くな りつ つ あ る。ペ レ ス トロ イ カ は旧 ソ連 の 高 麗 人 社 会 に 、 多数 の 離 散 家 族 を生 み 出 す 結 果 を招 い て し ま っ た 。 2002年 に タル リ ンで 彼 と会 っ た と き 、彼 が 両親 と最 後 に会 っ て か らす で に 10年 以 上 が経 過 して お り、 両親 の い る故 郷 を訪 れ る こ と をほ ぼ 諦 め た 状 態 で あ っ た 。現 在 、彼 はユ ー ロ を使 用 す る ヨー ロ ッパ 連合 の一 員 と な り、 フ ィ ン ラ ン ドの ヘル シ ン キ に あ る韓 国 大使 館 の行 事 に参 加 して い る。 【 事 例7】 カ ザ フ ス タ ンの 東 部 、 ウ シ ュ トベ に 住 ん で い るカ ル リナ の妹 は 、 グル ジ ァ の ア ッパ シア に 居住 して い る。 ソ連 時 代 に は、 休 暇 期 間 中 に ソ連 の政 府 が提 供 す る交 通 便 を利 用 して 、 ソ連 領 に居 住 して い る兄 弟 姉妹 に会 い に行 くこ と が 楽 しみ で あ った 。 しか し、資 本 主 義 の 経 済 方 式 が導 入 され て か ら、家 計 が 相 対 的 に 悪 化 し、 兄 弟 姉妹 間 の往 来 も難 し くな っ た。 ビザ の手 続 きは もち ろ ん 、 経 済 的 疲 弊 に よ り飛 行 機 の チ ケ ッ トを買 う こ とす ら厳 し くな っ た。 269 全 京 秀CHUNKアung-soo 【事例8】 幼 い と き、両 親 と一 緒 に サハ リン に あ る ウグ レゴ ル ス キ炭 坑 へ 移 住 した鄭 学 用 氏 は 、現 在 、 ユ ジ ノサ ハ リ ンス クで 生 活 して い る。彼 は い わ ゆ る無 国籍 状 態 で あ る。 無 国 籍 とい う身 分 を所 持 して い る朝鮮 人 は ほ ぼ韓 国 出 身者 で あ り、現 在 彼 らは 自身 の無 国 籍状 態 と戦 後 ソ連 に抑 留 され た こ とに対 す る対 日 本 請 求 訴 訟 を国 際 司 法裁 判 所 に 申請 して い る。 旧 ソ連 時代 に ナ ホ トカ に あ る 北 朝 鮮 の 領 事 館 で は 、無 国籍 者 を相 手 に宣撫 工 作 を繰 り広 げ た が 、成 功 ま で に は至 らなか った 。彼 の弟 は サハ リンで 生 まれ 、 グ ル ジ アで 医者 と して生 活 して い る。 ペ レス トロイ カ の後 、兄 弟 の 国 籍 は 分 か れ て し まい 、韓 国 に よ る 海 外 同 胞 招 請 プ ログ ラムへ の参 加 を通 じて 、 ソ ウル で の再 会 を試 み た が 、鄭 学 用 氏 の 無 国 籍 とい う身 分 が障 害 とな っ た。 【 事 例9】 樺 太 庁 時代 、 サハ リン に居 住 して い た朝 鮮 人 の 中 に は 、勉 学 の た め東 京 に い き、 そ の 最 中 に徴 用 され て 日本 軍 の 兵 士 に な っ た ケ ー ス もあ る。 日本 軍 の 兵 士 と して 朝鮮 に派 兵 され た もの の 、終 戦 と共 に ソ連 軍 の捕 虜 とな り、2年 間 シベ リア で流 刑 生 活 を送 っ た後 、 日本 国民 と して 日本 に帰 還 した李 先 生 の 場 合 が そ れ で あ る 。 サハ リ ンに い た両親 や兄 弟 は み な 、李 先 生 が死 亡 した と 思 い 込 み 、祭 祀(法 事)が 行 われ て い た 。 日本 に居 住 して い るサハ リン出 身 の 在 日同胞 の帰 還 運 動 に よ っ て、5年 前 か ら相 互 生 存 が確 認 され て い る。 現 在 、東 京 に住 んで い る李 先 生 は、日本人 の妻 との 間 に一 男 一 女 を も うけ た が 、 子 供 た ち の 将 来 を考 え 自身 が 朝 鮮 人 で あ る こ と を 明 ら か に す る こ と もで き ず 、一 人 で苦 悩 の 日 々 を送 って い る。 【 事 例101 韓 国 政 府 はサ ハ リ ンの ロ シ ア国籍 取 得 者 に対 して 、 永 住 帰 国 を させ よ う と 試 み た 。半 世 紀 を さかの ぼ って 、帝 国主 義 との 戦 争 に よ っ て起 こ った 民 流 の 流 れ を現 状 復 帰 させ る とい う趣 旨で あ る。半 世 紀 と い う時 間 の 流 れ は、 希望 者 の 永 住 帰 国 を簡 単 に は受 け 入 れ て くれ な い 。 ま た 、 故 郷 と故 国 に対 す る 50年 前 の 思 い 出 だ け で は 、永 住 帰 国 とい う行 動 まで に は結 び つ か な い 。 過 去50年 間 に わ た っ て築 きあ げ た 新 しい 「 生 」 に 引 力 が 働 くの が当 然 で あ る。 永 住 帰 国 と関 連 した ホ ・キ ョン ミの 詩(2000年2月25日 付 、「 立 ち去 り ます」) は 、 その 背 景 と心境 を切 実 に表 現 して い る。 …1世 270 が 切 に待 ち続 け た帰 国 の 日 、 つ い に き た の だ な/… 一生 "コ リ ア ン"デ ィア ス ポ ラ と コ ス モ ポ リ タニ ズ ム の 民流 学 涯 サ ハ リ ンの 恩 恵 を受 けて き た1世 の わ た し も/き ょ う は子 ど も た ち と 再 会 で き る 日を期 待 しつ つ/…/わ た しは あな た た ち に子 孫 の 将 来 を託 して 立 ち去 り ます/わ か ら ない こ と が 多 す ぎて 、 も どか しい 気 持 ち をお さめ つ つ 立 ち去 り ます/民 族 文 化 が こ れ か ら どの よ う に、 発 展 す る の か 、気 に掛 か りま す/祖 国 統 一 支持 とは何 だ っ た の か/帰 還 促 進 とは 、 何 だ っ たの か 、 そ れ らの ね らい が何 なの か誰 も知 らな い/子 孫 た ちが 無 事 に 暮 らせ る よ う両 手 を合 わ せ て 祈 り を捧 げ ま す/…/痛 哭 が こだ ま とな り、 そ のひ び きだ け を残 して立 ち去 り ます 【 事 例11】 韓 国 政 府 の 対 北 工 作 レベ ル にお い て 、何 よ り も重 要 な 問題 は 、朝 総 連 に属 して い る在 日同 胞 の 対 策 で あ ろ う。 対 北 工作 に 自信 を得 た韓 国政 府 は、 朝 総 連 の構 成 員 を相 手 に故 郷 訪 問団 を組 織 して 、墓 参 りや親 戚 訪 問 な どの 大 規 模 な招 請 プ ロ グ ラ ム を展 開 し、在 日コ リア ン社 会 を大 き く動 揺 させ た。 その 過 程 で か な り多 くの 北 朝 鮮 籍 の 在 日コ リア ン が 、韓 国 籍 へ と身 分 移動 を した。 1997年 、 私 と妻 は 大 阪 の 茨 木 に あ る白 龍 寺 とい う朝 鮮 人 中心 の寺 が 主 催 した小 豆 島88寺 刹 巡 礼 行 事 に参 加 した 。20余 名 の メ ンバ ー は す べ て在 日で 、 壮 年 層 の 婦 人 らが 中心 と な って 活 動 して い た 。 そ の うち 、若 い二 人 の 兄 弟 と は韓 国語 で 対 話 が で き た。 彼 らは朝 鮮学 校 の 出 身 で 北朝 鮮 籍 を その ま ま維 持 して お り、 パ チ ン コ部 品 を調 達 す る会社 に勤 め て い た 。 国籍 を北 朝 鮮 か ら韓 国 に変 え なか った 理 由 は 、 イデ オ ロギ ー の 問題 で は な く、仕 事 が忙 しす ぎて 時 間 が な い た め と い う単純 な もの で あ った 。 い わ ば 、 韓 国 の 対 朝 総 連 工 作 、 す な わ ち対 北 朝 鮮 工 作 が か な り成 果 を上 げ て い た こ とが裏 付 け され た とい え る。 4.結 語 工作 拠 点 論の廃 案 を 目指 して 国 際 政 治 的 冷 戦 と朝 鮮 半 島 の 分 断 。 これ を滋 養 分 に成 長 して きた 反 共 イ デ オ ロギ ー は 、 「 我 々 」 と い う認 識 の限 界 を コ リ ア ン デ ィア ス ポ ラに 内在 す る 時 限 爆 弾 と して 我 々 に提 供 して きた 。韓 国 の 国家 権 力 に よ っ て製 造 され た こ の 時 限 爆 弾 は 、 北 朝 鮮 で もほ ぼ 同 じ よ うな 製 品 が作 られ て きた と思 わ れ る。 この 時 限 爆 弾 が い つ ど こで 爆 発 す るか わ か らな い とい うの が 、私 が 育 ん で き た人 類 学 的 観 点 の 限 界 の 表 れ で あ る と言 え る 。 これ は他 者 化 と い う学 問 的 方 法 論 の 忍耐 と努 力 を越 え る問 題 で あ る と思 わ れ る た め 、 我 々 は再 び 「我 々」 が提 供 す る民 族 主 義 の 特 殊 な実 体 の 中 を泳 ぎ回 らね ば な らな い状 況 を迎 えて 271 全 京 秀CHuNKyung-soo い る。 民 族 主 義 の グ ロ ー バ ル 化 、 これ は コ リア ンデ ィア ス ポ ラが形 創 っ た 「特 殊 な実 体 」 の一 つ で あ る。 これ を複 雑 に した国 際 政 治 的 、 政 治 経 済 的 過 程 の もつ れ を解 くた め には文 学 と芸 術 、 そ して 感情 まで も総 動 員 す る必要 が ある。 極 め て 政 治化 され た南 北 間の 分 断 状 況 の 下 に 発生 した 政 治 的 状況 が作 り出 す シ ス テ ム に よ る遠 隔操 作 を、海 外 コ リア ン コ ミュ ニ テ ィが 受 け て い る こと を念 頭 に置 いて い な い海 外 コ リア ン研 究 が成 立 す る可 能 性 は 非 常 に 制 限 され る 。華 僑 とユ ダヤ 人 の 民流 現 象 をデ ィア スポ ラ と して 表 して い た こ と を想 起 しつつ 、本 稿 はデ ィアス ポ ラ研 究 の学 際 的 現 象 を考 慮 した 民 流 学 を提 唱す る こ とに 始 まっ た 。本 稿 の イ デ オ ロギ ー 的側 面 は 、局 地 文 化(localcultures) 間 の競 争 的 な脈 略 に安 住 す るの で は な く、 局 地 文 化 か ら普 遍 的 知 識 を創 出す る方 法 と しての コス モ ポ リ タニ ズ ム(Hannerz1996;109)を 志 向 して い る。 満 州 事 変(1931年)か ら大 東 亜 戦 争 の終 戦(1945年)に 至 るい わ ゆ る15 年 戦争 を経 て、 東 ア ジ アは 国 際政 治 的激 動 を迎 え、 朝 鮮 半 島 の 戦 争 と分 断 に まで行 き着 い た。 この よ うな悲 運 な過 程 の 中で展 開 され て きた コ リア ンデ ィ ア ス ポ ラ は 、後 に長 期 間 の 冷戦 に よ って あ る程 度 、 固 定 した か の よ うにみ え た 。 しか しなが ら、 ペ レス トロイ カ とグ ラ ス ノス トとい う も う一 つ の地 核 変 動 に よ っ て表 出 した コ リ ア ンデ ィア ス ポ ラの 分 布 図 自体 が 、 一編 の激 動 の ド ラマ とな っ た。 この ドラマ の 中 で演 出 され て い る角 逐 的 な 象 徴 を どの よ うに 説 明す る か が、 これ か らの課 題 で あ ろ うρ この よ うな 象 徴 の競 争 が 、 曽我 ひ とみの 家 族 が繰 り広 げ る 日本 版 コ ス モ ポ リタニ ズ ム の 中 で 、 日本 の参 議 院 選 挙 、 ア メ リカ大統 領 選 挙 、 そ して ア メ リカの 対 イ ラ ク戦 に まで 結 びつ く。 こ の こ と を看 破 で きな けれ ば 、今 われ われ が 体 験 して い るグ ローバ ル 時代 の コ ス モ ポ リタニ ズ ム を正確 に理 解 で き ない で あ ろ う。 過 去60年 間 、海 外 コ リア ン は 、韓 国 と北 朝 鮮 の 両 政 権 の 相 互 誹 謗 と侵 略 の た めの 工 作拠 点 と して の地 位 に甘 ん じて きた 。 い わ ば 、 海 外 コ リア ンと彼 らの コ ミュニ テ ィは 、 韓 国 と北 朝 鮮 の 工 作 拠 点 論 的価 値 と して の み そ の存 在 が認 め られ て きた とい え る。民 流 学 の 条 件 を充 分 に 揃 えて い る海 外 コ リア ン の歴 史 と政 治 は、 近 代 的 な 国家 概 念 の 限 界 を明 らか に す る試 験 場 とな って い る。 国 家 間 の 国 際政 治 が抱 えて い る限 界 を海 外 コ リア ンの 生 活 か ら克 明 に窺 うこ と がで き る。 近 代 的 な 国家 概 念 が存 在 す るか ぎ り、 民 族 国 家 とコ ス モ ポ リタ ニ ズ ム との 緊張 関 係 は避 け が た い。 しか し、 コス モ ポ リタニ ズ ム を志 向 して い る民 流 は海 外 コ リア ンの み な らず 、 ニ ュ ー ヨ ー クの マ ンハ ッ タ ンや 、 香 港 、 カ リブやバ ル カ ンやバ ル テ ィ ックで も絶 えず 進 行 形 と して の姿 を見 せ て い る。 コ スモ ポ リタニ ズ ムの イ デオ ロ ギ ー は未 来 志 向 で あ るた め 、現 在 の 272 "コ リ ア ン"デ ィア ス ポ ラ と コ ス モ ポ リ タニ ズ ムの 民 流 学 よ うな民 族 国家 ま た は国 民 国 家 の 形 態 が 維 持 され るか ぎ り、次 の よ うな予 測 が 可 能 と な る。 す な わ ち 、 「コ ス モ ポ リタニ ズ ム を 阻害 す る国 家 か ら コ ス モ ポ リ タニ ズ ム を助 長 す る国 家 」 へ 国 家機 能 が 変 化 す る時代 こ そ が 、 グ ロ ーバ ル 時 代 が真 に意 味 す る と こ ろで あ る と考 え る 。 熱 い 血 と涙 に まみ れ て 前 後 の 区別 が付 か な い ほ ど混 沌 と した状 況 を生 み 出 す 「 我 々 」 の 中で 、 「我 々」 の 他 者 化 が 要 求 す る冷 静 さを与 え て くれ た 人 類 学 に感 謝 の 意 を表 したい 。 客観 の 冷 た さ を冷 た く、主 観 の 熱 さを熱 く感 じさ せ 、両 者 の 間 で バ ラ ン ス を保 ち な が ら歩 め るよ う導 い て くれ た人 類 学 に感 謝 を捧 げ た い 。 私 に 「 我 々 」 を体 と心 を も って 強 く感 じ させ て くれ た 多 くの 「我 々」 と い う人 々 。 異 文 化 研 究 を命 題 とす る人 類 学 に よ っ て成 長 した 私 の 認 識 論 。 「我 々 」 を他 者 化 しよ う と努 力 して きた 私 の コ リア ンデ ィア ス ポ ラ へ の 激 情 。家 族 分 断 の 状 況 か ら出 発 した私 自 身の 家 族 歴 を理 解 す るた め に も、 学 際 的 な民 流 学 の 可 能 性 を願 わず に は い られ な い 。 曽我 ひ とみ とい う ドラマ の 延 長 線 上 で 、 い つ か 自分 とだ ぶ っ て しま い 、 それ を振 り払 う こ とが で きな い とい うの が 、 今 の 私 の 立場 で あ る 。 い わ ゆ る民 族 主 義 と人 類 学 の 間 で 繰 り 広 げ られ る私 の 苦 悩 が 、 どの く らいバ ラ ンス感 覚 を維 持 で き たか ど うか に 対 す る批 判 に 、 私 は 甘 ん じな けれ ば な らない で あ ろ う。 参考文献 Hannerz,Ulf19967物 η∫η諺吻 η41Co〃 η厩oη ∫,α ∠'〃 鵤P6ρ ρ島P伽 舐 London:Routledge. (韓 国語 で 作 成 され た本 稿 は 、陳 大 哲(中 部 高 等 学 術 研 究 所 研 究 員)博 士 に よ っ て 日本 語 に翻 訳 され 、宮 原 葉 子(ソ ウル 大 学 人 類 学科 修 士 課 程)に よ っ て校 正 され た 。 しか しな が ら原稿 の 内 容 に 関 す る全 ての 責 任 は著者 に あ る。) Abstract CosmopolitanAspectsoftheKoreanDiasporaintheGlobalContext TherehavebeentwoextremeaspcctsfbrlookingattheKoreanDiasporaf}omethnographytopolic)dfwe丘gureoutthequantityofarticlesandpublishedmaterials,the latteronesoutnumber魚rbeyondthefbrmer.ThisphenomenonhasbeeninHuenced 273 全 京 秀CHUNKγung-soo by・theextremelyintensivetensionbetweenthetwoKoreas蟹politicalpropagandizing againsteachother.Iwouldliketofbcusontheissueinthispaperfkomtheperspective oftheKoreanDiasporaaspoliticalvictimsbytwoKoreasduringthecoldwarera.This politicalorientationinsidethepeninsulagivesnochancetoadmitcosmopolitanism entailingagreaterinvolvementwithapluralitアofcontrastingculturestotheKoreans inandout. WhiletheNorthKoreansidedidsuccessfhllyexpandtheirpoliticalimpacttoward theoverseaKoreancommunitiesespeciallyonthcJapanese-Koreanandevenfhrthcrto AmericasbefbrethePerestroika,theSouthKoreansidehasta.kenoverthebetterpositiontouseandcontroltheoverseaKoreancommunitiesespeciallyonthesideofthc oldSovictcircleaswellaschina.IntheKoreancommullityinJapan,therehasalmost beenrevolutionaワconversionintcrmsofnationalityfヒomtheNorthtotheSouth.I amnotabletoescape丘omthcjudgemcntofwhichthisphenomenonhasobviously・ beeninfluencedsincetheKoreanwarbythetwoKoreangovernmentsagainstthe overseaKoreancommunitiesintheworldinordcrtotakeoverthecachother'spoliticalarena.Thesituationcouldbetermedasasilentbattleutilizingnotthebulletsbut peopleinthefieldoftheKoreanDiaspora. Cosmopolitanismhasbeenacriticalpcrspectivとtounderstandthetransnationalsituationsintermsofbusinessaswellaspoliticalsectorsinthecontextofglobalnet. works.Diasporaasahumanphenomenonconnectsnaturallγintopluralityandmulticulturalexperiencestothepeoplcinthatpositionwithoutdoubt.Evenintheintensive tensionintheKoreanpeninsula,cosmopolitaneventshavcalsobeencaughtup,fbr example,theon-goingcaseoftheSogafamilyincludingthcUSarmydcserterMr. JenkinsclearlybeingticdupwithKorcanpeninsulaaswellastheKoreanDiasporain anothersense.Itisacomplexcascofmulticulturalandmultinationalwithvariouslevelsofemotionalaspects.IwouldconsiderthisSoga.familycascasapartoftheKorean Diasporainthecontextofcosmopolitanism.Otherwise,wearepossiblygoingtobe 伍cedwithlosingthcopportunitアtounderstandexplosivelygrowlngphenomenaof diasporaintheglobalsociety. Peopleinthesituationofdiasporahavebeenactingastheroleoff士ontiershipfヒ)r cosmopolitanism.Woulditbepossible飴rustoconsiderthediasporaphenomenonas hur血anassctsinthecontextofcosmopolitanism∼Onethingfbrdevelopingthisidca nottofbrgetistheperspectivethat"cosmopolitanismisnotawayofbecomingalocal, butratherofstimulatinglocalknowledge1冒(Hannerz'sterms). 274