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格差社会と若者の貯蓄行動

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格差社会と若者の貯蓄行動
生命保険論集第 176 号
格差社会と若者の貯蓄行動
佐々木 一郎
(同志社大学商学部 准教授)
Ⅰ. 格差拡大リスクと家計のリスクマネジメント
現在わが国では、所得格差や資産格差など、人々の間の経済的な格
差が広がってきている。また、親の収入・学歴・職業が、子の収入・
学歴・職業に大きく影響するようになるなど、階層固定の強まりも指
摘されている。1980年代後半以降、経済・社会の様々な側面において、
わが国では格差社会が進展しつつある。
さて、このような格差社会の進展は、若者の貯蓄行動にどのような
影響を及ぼすのであろうか。貯蓄と保険は、諸リスクへの対応におい
て互いに代替的かつ密接な関係にあるため、貯蓄行動の分析は、家計
のリスクマネジメントの観点からみても非常に重要であると考えられ
る。
本研究では、
「本人の格差拡大感の違い」
「親にかかわる格差」の2
つのファクターに焦点を当て、格差社会の進展が若者の貯蓄行動にど
のようなインパクトを及ぼしているのかについて、20代の大学生を対
象にしたアンケート調査から明らかにすることを研究目的とする。
―89―
格差社会と若者の貯蓄行動
Ⅱ. 格差社会と貯蓄格差・金融資産格差
資産には、主に、土地・住宅などの実物資産と、現金・預貯金・債
券・株式などの金融資産の2つがある。太田[2003]の指摘によると、
欧米とは異なり、これまでわが国では資産格差の問題を考える場合、
金融資産格差よりも、実物資産格差に焦点があてられることが多かっ
た。その理由として、1つは、地価高騰などによって、実物資産は資
産全体の大半を占め、実物資産の格差問題に注目が集まっているため
であることが考えられる。いま1つは、橘木[1998]を参考にすると、
金融資産格差については親等からの遺産による影響は小さい一方で、
実物資産格差については遺産による影響が非常に大きく、遺産が及ぼ
す影響を分析するという観点からも多くの学問的関心を呼んだことな
どが考えられる1)。
しかし、以下の3つの理由から、若年世代における金融資産格差や
その背後にある貯蓄格差の問題を考察することの重要性が高まってき
ていると考えられる。
第1は、バブル経済の崩壊以降、地価の大幅な下落から、実物資産
格差は沈静化してきていることである。その一方で、所得に対する金
融資産の割合は年々増加し、資産全体のなかで金融資産は存在感を増
してきていることである。
第2は、金融資産は、遺産という点では親からの影響は小さいもの
の、下野[1991]等の研究から、教育投資など、遺産と代替的な親にか
かわるファクターからの影響を受けていることが先行研究から示唆さ
れていることである。遺産以外の点から、親にかかわる格差ファクタ
ーが子の金融資産保有や貯蓄行動にどういう影響を及ぼしているのか
を分析することについては、まだ未開拓の領域が多く残されている。
―90―
生命保険論集第 176 号
表1 本研究の背景・問題意識
格差社会の進展
(1)
(若年層における低所得フリーターの増大、消費格差・所得格差の拡大、
収入・学歴・職業における親子間の地位継承傾向の高まり)
(2)
格差社会にかかわるファクターは、20代の若者の貯蓄行動にどう影響する
か?
第3は、後述するように、昨今、若年世代を中心に、低収入のフリ
ーターが増加し、若年世代の所得格差が拡大してきている。所得格差
が拡大し、高所得の層では高い貯蓄を維持する一方で、フリーターな
ど低所得の層では経済的理由から低貯蓄・無貯蓄になり、両者の間で
貯蓄格差が拡大する可能性がある。貯蓄の積み立てが金融資産保有の
一部を構成する。そのため、若年層の間で、
「低所得の若年フリーター
の増加」→「所得格差拡大」→「貯蓄格差拡大」→「金融資産格差拡
大」というルートが顕在化することも可能性として考えられる。低所
得の若年フリーターの増加は、現在の所得・消費を低くするだけでは
なく、貯蓄・資産の脆弱性から、老後における資産・消費を低くする
ことも懸念される。
以上の理由・背景から、若年世代の金融資産格差やその背後にある
貯蓄格差の問題を考察することが重要であると考えられる。本研究で
は、格差社会に焦点を当て、若者の貯蓄行動・貯蓄格差の問題につい
て分析を行う。
Ⅲ.先行研究と本研究の位置づけ
Ⅲ-1. 20代の貯蓄行動の実態
ホリオカ[2008]や古賀[2004]の問題提起に示されるように、わが国
―91―
格差社会と若者の貯蓄行動
における家計全体の貯蓄率は近年急速に低下してきている2)。このよ
うな全体の状況のもとで、20代の若者の貯蓄行動は、実態としてどの
ようになっているのであろうか。「家計の金融行動に関する世論調査
(2008年)」(金融広報中央委員会)によると、それには、大きく2つの
特徴がある。第1は、貯蓄残高ゼロの世帯の割合が非常に高いことで
ある。2008年における貯蓄残高ゼロ世帯の割合は、20代は29.9%、30
代は24.9%、40代は23.1%、50代は22.2%、60代は20.9%、70代以上
は19.0%である。
このように20代の貯蓄残高ゼロ世帯の割合は、
29.9%
であり、およそ3世帯に1世帯の割合に達している。20代から70代ま
での世代のなかで、最も高い割合となっている。
第2は、無貯蓄者が多くいる一方で、高い貯蓄率を維持している層
が一定数、存在していることである。2008年度でみると、貯蓄保有世
帯について手取り年収の20%以上を貯蓄する割合は、20代は29.8%、
30代は20.4%、40代は13.4%、50代は11.7%、60代は13.2%、70代以
上は6.8%である。20代については3割近い数字となっている。また、
手取り年収の30%以上を貯蓄する割合についても、20代では14.9%に
達している。
Ⅲ-2. 「格差拡大感」からのアプローチ
20代の貯蓄行動の特徴としては、無貯蓄者が非常に多いこと、その
一方で、全世代のなかでみても非常に高い貯蓄率をもつ層が多く存在
することを挙げることができる。
以下では、その背景として、若年正規雇用者については安定的に貯
蓄するだけの高い経済力がある一方で、
若年非正規雇用者については、
低所得等から貯蓄することが困難な人々が増えていることを説明する。
そのうえで、若者の貯蓄行動を分析するためには、格差社会にかかわ
る2つのファクターからアプローチをすることが重要であることを説
明する。格差社会にかかわる2つのファクターのうち、本研究が着目
―92―
生命保険論集第 176 号
する第1のファクターは、本人の「格差拡大感」である。
(1)若年非正規雇用の増大
経済のグローバル化が進展するなか、若年層における無業者や非正
規雇用者が増加してきている。
「平成18年版労働経済の分析」(厚生労
働省)によると、20~24歳の無業者数は、1995年の13万人から、2005
年には16万人へと、増加傾向にある。また、20~24歳の非正規雇用者
の数は、対人口比でみると、1982年には6.6%であったが、その後、1992
年には8.9%、2002年には26.6%へと大きく増加してきている3)。
(2)若年層における所得格差の拡大
無業者や非正規雇用者の増加と並行して、
20代の若者をめぐっては、
低収入の人々が増大してきている。同世代について、収入が100万円未
満の雇用者の割合は、1992年には8.1%であったが、2002年には12.1%
へと増大している(「平成18年版労働経済の分析」(厚生労働省))。
総務省統計局の「全国消費実態調査」(2004年、1999年)によると、
世帯主が30歳未満に関する年間収入のジニ係数は、1994年、1999年、
2004年について、それぞれ0.216、0.220、0.237へと推移している。若
年層について、所得格差が拡大してきていることが示されている。
太田[2005]は、
「就業構造基本調査」(総務省統計局)等のデータを用
いたうえで、フリーターなど非正規雇用の増加が、若者の労働所得格
差にどのように影響を及ぼしているかを分析している。分析の結果、
若年層の労働所得格差拡大のテンポは他の年齢層と比べて特に速く、
しかも、非正規雇用の増大から若年層の労働所得格差が拡大したこと
を明らかにしている。このように、太田[2005]によって、若年の非正
規雇用者等の増大が、低所得者を増大させ、若年世代の所得格差の拡
大をもたらしている可能性が高いことが示唆されている。
(3)低所得と低貯蓄・無貯蓄
無業や非正規雇用による低所得者の増大は、若者の貯蓄行動にどの
ような影響を及ぼすことが考えられるのであろうか。太田[2003]や鈴
―93―
格差社会と若者の貯蓄行動
木[2005]の研究などを参考にすると、非正規雇用等による若年低所得
者の増大は、低貯蓄・無貯蓄の若者の増加につながることが考えられ
る。
太田[2003]は、年間収入と貯蓄率の関係について分析している。そ
の結果、
年間収入が低いほど、
その貯蓄率は低いことを指摘している。
所得の少ない人は、所得の絶対額が少ないだけではなく貯蓄率も小さ
く、その結果、貯蓄額は非常に小さくなる傾向がある。
また、鈴木[2005]は、
「家計の金融資産に関する世論調査」(金融広
報中央委員会)の個票データを用いて、
無貯蓄世帯の特徴について分析
を行っている。同研究の分析の結果、無貯蓄世帯になりやすいのは、
失業や低年齢のほか、低所得等であることを実証的に明らかにしてい
る。低所得者の増加は、無貯蓄の増加につながりやすいことが示され
ている。
(4)格差拡大感と若者の貯蓄行動
以上のように、非正規雇用の増大等に伴い、若年世代の所得格差が
拡大してきている。しかも、所得格差の拡大から、低所得者層と高所
得者層が増大し、低所得者層は低貯蓄・無貯蓄者が、高所得者層は高
貯蓄者がそれぞれ増大し、貯蓄格差の拡大を引き起こしている可能性
がある。
このように、若年層の所得格差が拡大し、所得格差拡大が若者の貯
蓄決定に大きなインパクトを及ぼしている可能性が考えられる。この
点を踏まえると、若者の貯蓄行動を分析するためには、所得そのもの
ではなく、所得格差あるいは経済格差拡大感を明示的に考慮した分析
を行うことが重要であると考えられる。
これまで多くの先行研究では、
人々の貯蓄行動を分析するに際して、
現在時点での所得水準を考慮した分析については行われてきた。
一方、
将来予想も含む所得格差あるいは経済格差拡大感については、これを
明示的に考慮した分析はあまり行われてこなかった。
―94―
生命保険論集第 176 号
そこで本研究では、経済格差拡大感が20代の若者の貯蓄行動に及ぼ
す影響を分析することにした。経済格差が拡大したと実感したり、ま
た、格差拡大を有利と捉えることは、自分自身の将来の所得予想に影
響し、それがさらには消費・貯蓄決定にも大きなインパクトを及ぼす
ことが考えられる。
本研究では、後述するアンケート調査の質問項目において、経済格
差拡大を実感しているかどうか、また、経済格差拡大を有利と捉える
かどうかについてダイレクトにたずねる質問項目を設定することで、
格差拡大感が若者の貯蓄行動に及ぼす影響を直接的に分析することを
試みる4)。
Ⅲ-3. 「親にかかわる格差」からのアプローチ
-親子間の地位継承傾向の高まりと若者の貯蓄行動-
若者の貯蓄行動を分析するうえで、格差社会にかかわる第2のファ
クターとして本研究が注目するのは、
「親にかかわる格差」である。
これまで先行研究においても、子の所得・貯蓄における親の影響を
分析するに際して、親の資産・所得水準や親による教育投資額など、
親の経済力等にかかわる要因を考慮してきた。
佐藤[2000]は、親の収入・学歴・職業が、子の収入・学歴・職業に
影響する度合いが近年高まってきていることを明らかにしている。佐
藤[2000]の研究結果を踏まえると、親の収入・学歴・職業によって、
子の所得の高低が大きく影響を受け、その結果、子世代の貯蓄格差に
も影響が波及することも考えられる。
また、鹿又[2001]は、親の資産等が子の資産形成にどのような影響
を及ぼすかについて分析している。分析の結果、親の資産格差にかか
わる相続贈与等によって、子の資産格差は影響を受けていることが示
唆されている。
さらに、下野[1991]は、教育投資と遺産・贈与がどのような関係に
―95―
格差社会と若者の貯蓄行動
あるのかを分析している。分析の結果、教育投資と遺産・贈与には正
の関係があり、親が高資産であるほど、子には多くの遺産・贈与と教
育が行われ、子の所得・資産は高くなる可能性があることが示唆され
ている。
しかし、これらの先行研究には、親にかかわる格差として、資産・
所得水準や教育投資額の格差など、主に量的側面に焦点を当ててきた
という共通点がある。一方で、親の貯蓄習慣の差異など、定性的な要
因については十分に考慮されることは少なかった。
そこで本研究では、貯蓄に対する親の熱心さや、親による子への貯
蓄推奨の有無など、質的な側面からアプローチする。量的側面ではな
く、親にかかわる格差としてこれらの質的側面に焦点を当て、子の貯
蓄行動に対してどのようなインパクトを及ぼしているかを分析する。
なお、本研究では、20代の調査対象者として、社会人ではなくあえ
て大学生に焦点を当てている。これにより、親にかかわる格差がいつ
の時点で子の貯蓄行動に影響を及ぼすのかについて、より詳細な時期
を特定することができると思われる。
これまで先行研究では、親子間における格差問題にかかわる側面と
して、親の資産・収入が、本人(=子)の貯蓄行動・資産保有行動に及
ぼす影響について分析してきた。だがその多くは、分析対象である本
人(=子)は、社会人であり、社会人のケースについて、親の資産・収
入が子の貯蓄行動・資産保有行動にどのようなインパクトを及ぼすか
を分析してきた。
一方、本研究では、分析対象は、社会人ではなく、就業前の大学生
である。本研究は、アンケート調査において、就業前の大学生に対し
て、社会人3年目に年収の何%を貯蓄しようと思うかをたずね、その貯
蓄率が親にかかわる格差によりどのように影響を受けているかを分析
する。それにより、子の貯蓄行動に対する親の影響は、子が独立した
社会人の段階ではじめて影響するのか、それとも、子がまだ独立して
―96―
生命保険論集第 176 号
いない就学中の段階ですでにその影響は予想としては形成されつつあ
るのかを、より詳細に識別することができる。
Ⅳ データ
本節では、次節の分析で使用するデータに関して、調査の概要と標
本属性を説明する。
Ⅳ-1. 調査の概要
本稿で用いるデータは、筆者が行った調査に基づくものである。調
査対象は、20代の若者(大学生)である。調査期間は、2008年12月~2009
年1月である。アンケートの実施については、男女比や学年などの基
本属性に関して日本全体の社会科学系の大学生の分布比率にできるだ
け近づき、関東~九州の西日本エリアに広く分散するように設計した
上で、
各大学の講義担当者に調査協力を依頼している(実施校数は合計
10)。各大学のアンケート回答者は、当該講義の履修学生であり、主に
経済・経営・商学部等の社会科学系の学生である。
まず筆者が、アンケート調査協力について承諾を得た各大学の講義
担当者へ、アンケート調査票を送付した。各大学の講義担当者が講義
時間中に調査票を学生へ配布し、その場で学生が回答したものを一括
回収し、筆者へ返送するという形式をとっている。回収した総サンプ
ル数は、809である。本稿では、20歳以上29歳以下であること、アンケ
ートのすべての質問項目に答えていること、の2つの基準から、最終的
に581のサンプルを選択している。
Ⅳ-2. 標本属性
アンケート回答者の基本属性は、表2の使用データの記述統計量に
まとめている。
―97―
格差社会と若者の貯蓄行動
表2 使用データの記述統計量
変数名
性別
年齢
学年
世帯人員数
通学区分
結婚
子供
予想寿命
貯蓄率
(社会人3年目時点
での年収に占める
予想貯蓄率)
格差拡大認識
格差自分有利
親の経済力
家計好転経験
家計悪化経験
援助・遺産期待
分類
標本数
構成比(%)
男
女
20才
21才
22才
23才
24才
25才
26才
27才
28才
1年生
2年生
3年生
4年生
5年生以上
2人
3人
4人
5人
6人以上
自宅通学
自宅外通学
すると思う
思わない
0人と思う
1人と思う
2人と思う
3人と思う
4人以上と思う
平均よりも短命を予想
平均以上の寿命を予想
0%
10%
20%
30%
40%以上
拡大していると思う
思わない
格差拡大は自分にとっては有利と思う
思わない
余裕がある
余裕がない
ある
ない
ある
ない
期待している
していない
368
213
187
249
89
43
3
3
2
4
1
16
140
303
103
19
20
68
237
155
101
357
224
529
52
44
56
369
102
10
256
325
5
96
265
177
38
521
60
115
466
269
312
101
480
170
411
195
386
63.3
36.7
32.2
42.9
15.3
7.4
0.5
0.5
0.3
0.7
0.2
2.8
24.1
52.2
17.7
3.3
3.4
11.7
40.8
26.7
17.4
61.4
38.6
91.0
9.0
7.6
9.6
63.5
17.6
1.7
44.1
55.9
0.9
16.5
45.6
30.5
6.5
89.7
10.3
19.8
80.2
46.3
53.7
17.4
82.6
29.3
70.7
33.6
66.4
―98―
生命保険論集第 176 号
変数名
貯蓄熱心(親)
貯蓄推奨(親)
教育投資(親)
文化資本投資(親)
50歳時点の予想階
層
フリーター可能性
親への依存
社会保障充実度
遺産動機
分類
親は貯蓄に熱心である
熱心ではない
親は貯蓄するように推奨する
推奨しない
多いと思う
少ないと思う
多いと思う
少ないと思う
上
中の上
中の中
中の下
下
高いと思う
低いと思う
すると思う
しないと思う
充実していると思う
思わない
ある
ない
標本数
構成比(%)
356
225
241
340
423
158
346
235
36
167
292
70
16
127
454
23
558
123
458
354
227
61.3
38.7
41.5
58.5
72.8
27.2
59.6
40.4
6.2
28.7
50.3
12.0
2.8
21.9
78.1
4.0
96.0
21.2
78.8
60.9
39.1
まず、回答者の性別比は、男性が63.3%、女性が36.7%となってい
る。文部科学省「平成20年度学校基本調査速報」は、日本全体の大学
の関係学科別学部学生数を調査している。同調査によると、社会科学
系の大学生の男女比率は、68.3%:31.7%となっている。本アンケー
ト調査の男女比は、全国平均に近い数字となっている。
回答者の年齢は、
20歳、
21歳、
22歳がそれぞれ、
全体の32.2%、
42.9%、
15.3%であり、回答者全体の約90%となっている。学年は、本研究では
分析対象を20歳以上としたため、2年生以上が中心となり、2年生、
3年生、4年生が、それぞれ24.1%、52.2%、17.7%となっている。
通学区分は、自宅通学は61.4%、自宅外通学は38.6%である。
Ⅴ. 分析
Ⅴ-1. クロス集計にもとづく分析~格差ファクターと貯蓄率~
本小節では、表3に示されるように、
「本人の格差拡大感」
「親にか
かわる格差」と、
「高貯蓄者の割合」の関係について考察する。
―99―
格差社会と若者の貯蓄行動
表3 「格差ファクター」と「高貯蓄者の割合」
高貯蓄者
ファクター
格差拡大認識
1
本人の格差拡大感
格差自分有利
親の経済力
親に
2
親の経済力
家計好転経験
格差
家計悪化経験
かかわる
援助・遺産期待
格差
親の貯蓄習
貯蓄熱心(親)
慣の違い
貯蓄推奨(親)
社会保障充実度
遺産動機
3
その他
拡大していると思う
思わない
格差拡大は自分には有利と思う
思わない
余裕がある
余裕がない
ある
ない
ある
ない
期待している
していない
親は貯蓄に熱心である
熱心ではない
親は貯蓄するように推奨する
推奨しない
充実していると思う
思わない
ある
ない
の割合
37.2%
35.0%
37.4%
36.9%
40.9%
33.7%
42.6%
35.8%
36.5%
37.2%
37.4%
36.8%
41.9%
29.3%
43.2%
32.6%
41.5%
35.8%
39.3%
33.5%
予想寿命
平均よりも短命を予想
平均以上の寿命を予想
33.6%
39.7%
フリーター
可能性
高いと思う
低いと思う
30.7%
38.8%
(1)本研究における低貯蓄者と高貯蓄者の定義
本アンケート調査では、若者の貯蓄行動に関する質問項目として、
「あなたは大学卒業後、社会人3年目のとき、年間手取り収入の何%
を貯蓄しようと思いますか」とたずねている。そのうえで、0%、10%、
20%、30%、40%以上の各々のなかから一番近いものを回答者が選択
するという形式をとっている。本研究では、0~20%のいずれかを選択
した予想貯蓄率の低い人々を低貯蓄者、30%または40%以上のいずれ
かを選択した予想貯蓄率の高い人々を高貯蓄者として分類した。
―100―
生命保険論集第 176 号
図1 「格差拡大の有利不利の捉え方」×「高貯蓄者の割合」
高貯蓄者
36.9%
高貯蓄者
37.4%
低貯蓄者
低貯蓄者
62.6%
63.1%
《格差拡大は自分には
有利とは思わない回答者群 》
《格差拡大は自分には
有利と思う回答者群 》
なお、
ここで低貯蓄と高貯蓄の境界として30%以上を高貯蓄者として
分類した理由・根拠を説明する。総務省統計局「家計調査」によると、
29歳以下(勤労者世帯)における家計貯蓄率の平均は、2004~2008年に
ついて、それぞれ24.3%、24.7%、22.7%、26.3%、23.9%である5)。
これら直近5年間の平均値は24.4%である。そこで、本研究では、貯
蓄率が30%または40%以上だと思うと回答した人は、平均値24.4%を
上回るものとして、高貯蓄者として分類した。また、貯蓄率が0%、
10%、20%のいずれかだと思うと回答した人は、平均値24.4%を下回
るものとして、低貯蓄者として分類した。
また、アンケート対象者は大学生であり、上記の0~40%以上の各々
の貯蓄率は、実現値ではなく、あくまで回答者本人による将来予想値
である。
(2)クロス集計結果
~「本人の格差拡大感」「親にかかわる格差」と「高貯蓄者の割合」~
(2)-1 格差拡大感
現在わが国では、
人々の間の経済的な格差が広がりをみせつつある。
―101―
格差社会と若者の貯蓄行動
図2 「親の経済力」×「高貯蓄者の割合」
高貯蓄者
高貯蓄者
40.9%
33.7%
低貯蓄者
低貯蓄者
59.1%
66.3%
《親の経済力が高い回答者群》
《親の経済力が低い回答者群》
経済格差の拡大に伴い、自分が格差の上層・中総・下層のいずれにな
ると予想するかによって、将来の収入や消費の予想が変わり、貯蓄行
動も大きく影響を受けることが考えられる。
経済格差が拡大していると認識することや、あるいは、経済格差拡
大が自分にとって有利であると認識することは、貯蓄率に対してどの
ような影響を及ぼすのだろうか。
表3を参照されたい。高貯蓄者の割合は、経済格差拡大を認識して
いる人々の場合は37.2%、
認識していない人々の場合は35.0%である。
また、格差拡大は自分にとっては有利になると思う人々の場合は
37.4%、思わない人々の場合は36.9%である。
格差拡大感が違っても、高貯蓄者の割合は殆ど変わらないことが示
された。
(2)-2 親にかかわる格差
(2)-2-1 親の経済面の格差
親の経済力の格差、家計の大幅な好転・悪化経験の有無、親からの
援助・遺産の期待の有無、
親から受けた教育投資の違いなどによって、
高貯蓄者の割合は、どのように違ってくるのであろうか。
―102―
生命保険論集第 176 号
図3 「親の貯蓄熱心の度合い」×「高貯蓄者の割合」
高貯蓄者
41.9%
高貯蓄者
29.3%
低貯蓄者
低貯蓄者
58.1%
70.7%
貯蓄熱心ではない
親をもつ回答者群
貯蓄熱心な
親をもつ回答者群
図4 「親から子への貯蓄推奨の有無」×「高貯蓄者の割合」
高貯蓄者
32.6%
高貯蓄者
43.2%
低貯蓄者
低貯蓄者
56.8%
67.4%
親から貯蓄推奨されて
いる回答者群
親から貯蓄推奨されて
いない回答者群
まず、親の経済力についてみてみよう。高貯蓄者の割合は、親の経
済力に余裕がある子の場合、40.9%、余裕のない子の場合、33.7%で
ある。
家計に余裕のある世帯の子のほうが、
高貯蓄者の割合は、
7.2%、
高い。
―103―
格差社会と若者の貯蓄行動
図5 「親の経済力」×「貯蓄熱心な親の割合」
貯蓄
不熱心
27.1%
貯蓄
貯蓄熱心
不熱心 51.3%
貯蓄熱心
48.7%
72.9%
経済力の低い親たち
経済力の高い親たち
次に、家計の大幅な好転・悪化経験の有無についてみてみよう。高
貯蓄者の割合は、好転経験がある場合は42.6%、ない場合は35.8%で
ある。好転経験のある世帯の子のほうが、高貯蓄者の割合は、6.8%、
高い。一方、高貯蓄者の割合は、家計が大きく悪化した経験がある場
合は36.5%、ない場合は37.2%であり、ほぼ同じ値となっている。ま
た、高貯蓄者の割合の差は、好転経験の有無のケースのほうが、悪化
経験の有無のケースよりも大きくなっている。
親からの援助・遺産期待については、高貯蓄者の割合は、期待して
いるケースでは37.4%、期待していないケースでは36.8%であり、両
者はほぼ同じ値となっている。
(2)-2-2 親の貯蓄習慣の違い
親が貯蓄熱心で、子に貯蓄を推奨するなど、親の貯蓄習慣の違いに
よって、子の将来の貯蓄率が異なってくることが考えられる。図3、
図4によると、高貯蓄者の割合は、親が貯蓄熱心な場合は41.9%、熱
心ではない場合は29.3%である。親が貯蓄熱心な場合のほうが、高貯
蓄者の割合は12.6%、高い値となっている。
また、高貯蓄者の割合は、親が子に貯蓄を推奨する場合は43.2%、
推奨しない場合は32.6%である。親が子に貯蓄を推奨する場合のほう
―104―
生命保険論集第 176 号
が、高貯蓄者の割合は10.6%、高い値となっている。
(3)親の「経済力」と「貯蓄習慣」
既述のクロス集計から、親の経済力が高いほうが、子の貯蓄率は高
いことが示された。また、親自身が貯蓄熱心で、子に貯蓄を推奨する
ほうが、子の貯蓄率は高いことが示された。
では、
親の経済力と貯蓄習慣は、
どのような関係にあるのだろうか。
これらの関係をクロス的にまとめたものが図5である。
貯蓄熱心な親の割合は、経済力が高い親のケースでは72.9%、経済
力が低い親のケースでは51.3%である。経済力の高い親のほうが、貯
蓄熱心な親の割合は高くなっている。
Ⅴ-2. ロジット・モデルにもとづく分析
Ⅴ-2-1. ロジット・モデル
クロス集計にもとづく分析から、親が経済力が高く、貯蓄熱心で、
子に貯蓄を推奨する場合のほうが、子が高貯蓄者になる割合は高いこ
とが示された。また、格差拡大感の違いによって、子が高貯蓄者にな
る割合はあまり差異はみられないことも示された。
次は、さまざまな要因を同時に考慮したえうで、格差拡大感や親の
経済力格差・貯蓄習慣は、子が高貯蓄者になるかどうかに対してどの
ような影響を及ぼすかについて考察する。この考察を行うため、以下
ではまず、ロジット分析を行う。このロジット分析は、アンケート回
答者の貯蓄率について、どのような要因が影響を及ぼしているのかを
明らかにするものである。分析で用いたロジットモデルは、以下の通
りである。
y*=β0+Σi=1 27 βi・Xi + u
y=1 y*>0の場合
y=0 y*≦0の場合
ただし、yは貯蓄率(社会人3年目における貯蓄率は30%または
―105―
格差社会と若者の貯蓄行動
40%以上になると思うは1、0・10%・20%のいずれかになると思う
は0のダミー変数)、uは誤差項、X1~X27は説明変数、β0は定数項、
β1~β27は説明変数X1~X27の係数である。
説明変数として用いたのは、性別X1(男は1、女は0のダミー変数)、
通学区分X2(自宅通学は1、自宅外通学は0のダミー変数)、世帯人員
数X3~X6(それぞれ世帯人員数2~5人に該当するときはそれぞれ
1、それ以外に該当するときはそれぞれ0のダミー変数)、結婚X7(す
ると思うは1、思わないは0のダミー変数)、子供X8~X11(それぞれ
子供0~3人と思うに該当するときはそれぞれ1、それ以外に該当す
るときはそれぞれ0のダミー変数)、格差拡大認識X12(格差は拡大し
ていると思うは1、思わないは0のダミー変数)、格差自分有利X13(格
差拡大は自分にとって有利と思うは1、思わないは0のダミー変数)、
親の経済力X14(余裕があるは1、余裕はないは0のダミー変数)、家
計好転経験X15(あるは1、ないは0のダミー変数)、家計悪化経験
X16(あるは1、ないは0のダミー変数)、援助・遺産期待X17(期待し
ているは1、していないは0のダミー変数)、貯蓄熱心(親)X18(親は
貯蓄熱心であるは1、熱心ではないは0のダミー変数)、貯蓄推奨(親)
X19(親は推奨するは1、しないは0のダミー変数)、教育投資(親)
X20(多いと思うは1、少ないと思うは0のダミー変数)、文化資本投
資(親)X21(多いと思うは1、少ないと思うは0のダミー変数)、親へ
の依存X22(依存すると思うは1、思わないは0のダミー変数)、社会
保障充実度X23(充実していると思うは1、思わないは0のダミー変
数)、遺産動機X24(あるは1、ないは0のダミー変数)、予想寿命X25(短
命予想は1、平均以上の寿命を予想は0のダミー変数)、フリーター可
能性X26(高いと思うは1、低いと思うは0のダミー変数)、50歳階層
予想X27(中の上以上を予想は1、中の中以下を予想は0のダミー変
数)である。
―106―
生命保険論集第 176 号
Ⅴ-2-2. 推計結果
ロジット・モデルによる推定結果については、
表4に示されている。
格差拡大感や親にかかわる格差が、子の貯蓄率に及ぼす影響について
考察する。
(1)格差拡大感の影響
第1に、格差拡大感の違いによる影響について考察する。格差拡大
感に関する要因としては、
「格差拡大認識」と「格差自分有利」の2つ
に着目した。表4より、
「格差拡大認識」と「格差自分有利」は、とも
に、子の貯蓄率に対して有意な効果をもたない。
昨今わが国では、人々の間の経済的な格差が広がっているが、その
広がりを認識すること、あるいは、自分にとって有利・不利と自覚す
ることは、若者の貯蓄率に対して影響していないことが示された。
先行研究では、所得水準は貯蓄決定に影響を及ぼすことが示されて
いることを踏まえると、経済格差拡大をどう捉えるかは、将来の所得
予想にダイレクトに影響し、貯蓄決定にも顕著な影響を及ぼすと考え
られる。
しかし、
本研究では影響しないという意外な結論が得られた。
その理由を明らかにすることについては、今後の研究課題である。
(2)親にかかわる格差の影響
第2に、親にかかわる格差については、親の経済面の格差と、親の
貯蓄習慣の違いに焦点を当て、子の貯蓄率に及ぼす影響について考察
する。
(2)-1 親の経済面の格差による影響
親の経済面の格差による影響を考察しよう。「家計好転経験」およ
び「家計悪化経験」は、ともに、子の貯蓄率に対して有意な効果をも
たない。
また、「親の経済力」は、貯蓄率に対して、10%水準で有意に正の
効果をもつ。
就業前の大学生について、
親の経済力の高い子のほうが、
貯蓄率は高くなることが示された。
―107―
格差社会と若者の貯蓄行動
表4 貯蓄率(社会人3年目に関する予想)に関する推定結果―ロジット分析―
説明変数
性別
通学区分
世帯人員数
結婚
子供
格差拡大認識
格差自分有利
親の経済力
家計好転経験
家計悪化経験
援助・遺産期待
貯蓄熱心(親)
貯蓄推奨(親)
教育投資(親)
文化資本投資(親)
親への依存
社会保障充実度
遺産動機
予想寿命
フリーター可能性
50歳階層予想
定数項
被説明変数:社会人3年
目に関する予想貯蓄率
(30・40%以上:1、
0・10・20%:0)
男
自宅
2人
3人
4人
5人
すると思う
0人と思う
1人と思う
2人と思う
3人と思う
拡大していると思う
有利になると思う
余裕がある
ある
ある
期待している
熱心である
推奨する
多いと思う
多いと思う
すると思う
充実していると思う
ある
短命予想
高いと思う
中の上以上
係数
-0.107
0.458**
-0.615
-0.114
-0.259
-0.482*
-0.198
0.421
-0.285
0.093
0.309
0.175
0.006
0.337*
0.280
0.095
-0.008
0.514**
0.341*
-0.071
0.189
-0.287
0.218
0.188
-0.136
-0.310
-0.247
-1.294
標準
誤差
0.194
0.195
0.549
0.350
0.266
0.283
0.518
0.881
0.765
0.691
0.713
0.302
0.249
0.203
0.253
0.225
0.205
0.200
0.189
0.211
0.194
0.478
0.225
0.205
0.191
0.236
0.211
0.983
有意
確率
0.581
0.019
0.263
0.744
0.329
0.088
0.703
0.633
0.709
0.893
0.665
0.563
0.979
0.097
0.269
0.674
0.969
0.010
0.070
0.738
0.330
0.548
0.333
0.358
0.479
0.188
0.242
0.188
(注)***、**、*は、それぞれ1%、5%、10%水準で有意である。
いくつかの先行研究では、主に社会人を対象にした分析において、
親の経済力格差は子の貯蓄行動に影響することが示されている。先行
研究と本研究の分析結果を総合すると、子の貯蓄行動に対する親の影
響は、社会人になった段階で顕在化するだけではなく、就業前の大学
―108―
生命保険論集第 176 号
生の段階ですでに予想形成としてその影響はあらわれていることが示
唆された。
(2)-2 親の貯蓄習慣の違いによる影響
次に、親の貯蓄習慣の違いによる影響について考察する。親の貯蓄
習慣の違いに関しては、
「貯蓄熱心(親)」と「貯蓄推奨(親)」の2つの
ファクターに焦点を当てた。
「貯蓄熱心(親)」
は、
子の貯蓄率に対して、
5%水準で有意に正の効果をもつ。親が貯蓄熱心であるほど、子は高
い貯蓄率をもつ傾向があることが明らかになった。
また、
「貯蓄推奨(親)」は、子の貯蓄率に対して、10%水準で有意に
正の効果をもつ。親が子に対して貯蓄を推奨するほど、子は高い貯蓄
率をもつ傾向があることが明らかになった。
クロス集計にもとづく分析だけではなく、他のさまざまなファクタ
ーをコントロールしたロジット分析においても、親の貯蓄習慣の格差
によって、子の貯蓄率が影響を受けていることが示された。
これまで先行研究では、親にかかわる格差として、資産・所得水準
や教育投資額の格差など、
主に量的側面に焦点を当ててきた。
一方で、
親の貯蓄習慣の差異など、定性的な要因に関する格差については十分
に考慮されることは少なかった。
本研究の分析結果から、親による影響は経済力の格差など量的側面
だけではなく、貯蓄習慣の差異など、質的側面にも広がっていること
が明らかになった。
(3)政策上のインプリケーション
(3)-1 金融資産格差拡大の可能性
質と量の両面にわたる親の格差は子の貯蓄率に影響するという本研
究の分析結果を踏まえると、親にかかわる格差を原因とする子の貯蓄
格差から、子世代の金融資産格差が拡大する可能性が懸念される。
大竹[2005]によると、
資産格差は20代が最も高い値となっているが、
その主な理由としては、現在時点での所得格差・貯蓄格差によるもの
―109―
格差社会と若者の貯蓄行動
よりも、遺産相続によるものであることが指摘されている。
だが今後は、
「親の経済力・貯蓄習慣の格差」→「子の貯蓄格差」→
「子の金融資産格差の拡大」というルートを通じて、親の経済力・貯
蓄習慣の格差は、子の金融資産格差を20代の若い段階から拡大するこ
とが考えられる。金融資産は資産の一部を構成するので、金融資産格
差の拡大は、資産格差拡大を助長することが懸念される。
昨今わが国では、低所得のフリーターの増加によって、若年世代の
現在時点での所得格差・消費格差が拡大してきている。親の経済力・
貯蓄習慣の格差から子世代の貯蓄格差・金融資産格差が広がることに
なれば、若年世代については、現在時点での所得格差・消費格差の拡
大に加え、老後期を迎えた時点における資産格差が拡大することも考
えられる。
以上の点を踏まえると、政策対応としては、所得再分配政策の強化
等により、親世代の経済格差を是正することが有効である可能性があ
る。親世代の経済格差の是正は、相乗効果として、子世代の貯蓄格差・
金融資産格差を縮小し、その結果、子世代が老後期を迎えた時点での
資産格差拡大の抑止効果をもつことも考えられる。
(3)-2 金融教育の重要性
次に、本研究の分析結果から、親が貯蓄に熱心で、子に貯蓄を推奨
するほど、子の貯蓄率は大きくなる傾向があることが示された。これ
は、裏かえしてみると、親が貯蓄に不熱心で、子に貯蓄を推奨しない
場合には、子の貯蓄率は小さくなる傾向があることが示唆された。
親の貯蓄熱心の度合いや、親による貯蓄推奨は、子からみるとコン
トロールが難しい要因である。親の貯蓄習慣の差異は、子の貯蓄率に
影響していることが示されたが、その背景には、生涯にわたる消費・
貯蓄計画の立案・実行能力や、貯蓄の重要性を子がどれだけ習得でき
るかが、親の貯蓄習慣の格差によって影響を受けていることが考えら
れる。
―110―
生命保険論集第 176 号
親の貯蓄習慣の差異にかかわらず、子が生涯にわたる消費・貯蓄計
画を立案する能力や、貯蓄の重要性を理解できるようにすることが重
要であると考えられる。そのための1つの方策として、親の貯蓄習慣
の差異に左右されないように、国など、個々の家計から独立した主体
による金融教育の充実が重要である。
なお、金融教育によって貯蓄に関する知識が技術的に提供されさえ
すれば子(若者)の貯蓄意識は高まるのか、それとも、国等の外部機関
による金融教育は親による影響を緩和・中立化するのはそもそも困難
であるのかを識別することについては、新たな調査・分析が必要であ
る。
Ⅵ. 本稿のまとめ
現在わが国では、経済・社会のさまざまな側面において、格差社会
が進展してきている。格差社会の進展は、若者の貯蓄行動にどのよう
な影響を及ぼしているのであろうか。
本研究では、格差社会にかかわるファクターとして、
「本人の格差拡
大感の違い」と「親にかかわる格差」の2つに焦点を当てた。そのう
えで、これら2つの格差ファクターが、若者の貯蓄率にどのような影
響を及ぼしているのかを分析した。
分析の結果、親の経済力が高く、親が貯蓄熱心で、子に貯蓄を推奨
する場合、子の貯蓄率は顕著に高いことが明らかになった。格差拡大
感については、貯蓄率に対して影響を及ぼしていなかった。
政策上のインプリケーションとしては、親の経済力格差・貯蓄習慣
の差異による子の貯蓄率への影響が顕著であったことを踏まえると、
親世代を対象にした所得再分配政策の強化や、国などによる金融・貯
蓄教育の推進などが重要であると考えられる。
―111―
格差社会と若者の貯蓄行動
注1)橘木[1998]によると、家計全体の資産のうち、金融資産については、遺産
から生じた割合は4.7%にすぎないという。一方、実物資産については、遺産
から生じた割合は52.6%であり、半分以上が遺産で占められていることを指
摘している。
2)日本の家計貯蓄率の動向については、
「家計調査」(総務省統計局)のデータ
と、
「国民経済計算」のデータが用いられることが多い。だが両データについ
ては、家計貯蓄率の値に大きな乖離がみられる。この乖離がなぜ生じている
のかを分析した代表的な研究については、岩本・尾崎・前川[1995、1996]を
参照されたい。
3)
「平成18年版労働経済の分析」(厚生労働省)を参考にすると、対人口比でみ
た非正規雇用者数は、25~29歳については6.6%(1982年)、8.4%(1992年)、
19.5%(2002年)、30~34歳については7.9%(1982年)、8.3%(1992年)、17.7%
(2002年)となっている。20代のより若年の層ほど、対人口比でみた非正規雇
用者数は大きくなっている。
4)経済格差拡大感に関する質問項目の設定に際しては、代表的研究である大
竹[2005]を参考にしている。
5)家計貯蓄率については、総務省「家計調査」のデータにもとづき、[(可処
分所得-消費支出)/(可処分所得)]により算出している。なお、30歳以上(勤
労者世帯)における家計貯蓄率(2008年)に関しては、30代、40代、50代、60代、
70代以上について、それぞれ、30.8%、30.3%、26.5%、8.2%、13.5%とな
っている。
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