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2013 年度 慶應義塾大学 法学部(論述力) 解答解説
2013 年度 慶應義塾大学 法学部(論述力) 解答解説 解説 まず、課題文を読んで「当時の内閣制度が抱えていた問題点」をまとめなければならないのであるが、論述 のテーマである「内閣総理大臣のリーダーシップのあり方」にひきずられて、「リーダーシップの問題」にだ け焦点を当ててまとめるようなことをしてはならない、ということを最初に指摘したい。そもそも内閣制度は 民主主義的な意思決定のための制度であり、内閣とは「合議体」つまり「合意形成」の機関であるということ を前提にした読解・考察が求められる。 議論を通じた合意形成の大前提は、まず何よりも成員各人に個別な(異質な)立場、思考があることと、成 員に共通の関心があることである。つまり「公共性」こそが議論を通じた合意形成を保証するわけである。そ の意味において「内閣」自体が一つの「公共空間」であると考えることができる。そのような場におけるリー ダーシップとはどういう形になるのか、ということが考察の主眼である。 課題文ではまず総理大臣のリーダーシップが属人的なものであり、個人的な成功の歴史に権威の源泉を依存 せざるを得なかったことを指摘し、この性格は制度的枠組みに馴染まない性格を持つと述べている。また、内 閣の構成員が各省の大臣であることが、省において大臣であることと内閣としての決定に参与することとの間 に微妙なずれが生じる危険性が浮上したことを指摘している。各省の利益の主張が、各省の割拠という事態を 招くことになったわけである。そのような中で内閣を運営する首相のリーダーシップは「内閣職権」という形 で制度上強力なリーダーシップを保障されていたのであるが、そのリーダーシップは抑制的にしか発揮されず、 各省はそれぞれ意欲的な政策展開を行い、それが穏当な線にとどまるかぎりは首相のリーダーシップ自体が必 要なかった。しかし、内閣全体の意思統一を必要とする対外的な問題に対する政策においては、首相のリーダ ーシップのもとに責任ある政策実行をしなければならないという問題が露呈することになった。以上が課題文 の論点である。 ではここで「問題」とは何か。これを「強い首相権限を発揮することができなかった」という問題として読 むのはそれこそ問題である。まず最大の問題は「合議機関」として「合意」を形成することでその職責を果た すべき内閣が合意形成機関になっていないという問題である。それは首相の強力な権限を発揮することができ なかったからだ、ということではない。首相が強力な権限で合意を導いたとしたら、それは「合議」ではなく 「独裁」に近い形態であるからである。むしろ民主主義の観点で言えば、独裁につながりかねない「内閣職権」 が発動されなかったことはプラスの事態として考えることができる。ここで問題になるのは、内閣で議論する 以前に藩閥均衡という暗黙の了解が存在し、それが内閣という制度自体を機能させていないことと、政策決定 が省庁単位でなされ、それを超えた包括的な了解の必要性が認識されていなかったことである。結局そのこと が「国家」としての意志を問われる対外的な政策決定の局面において、内閣の無力を露呈させることになるわ けである。首相は内閣において、議論をリードし、多様な各省の考えを引き出し、その上で慎重に合意を形成 していく役割を負うはずなのであるが、内閣発足時にはそのような意識が持てなかっただけでなく、内閣に関 わる状況がそれをさせなかったということである。首相のリーダーシップが属人的であったことも、それを阻 害する要因であったわけである。 そのような問題点の考察に基づいて、現在の内閣総理大臣のリーダーシップのあり方について考察を展開す ることになる。課題文でつかんだ問題点を踏まえるという条件がついているので、課題文にあった問題点を現 在の内閣をとりまく状況と照らし合わせながら考えていくことになる。当時の内閣と現在の内閣の決定的な違 いは、現在の内閣が「議員内閣制」をとっているということであり、当時の内閣と共通するところは内閣の構 成メンバーが各省庁の長、つまり大臣で構成されているところである。また、政権を担当する政党は必ずしも 一枚岩ではなく内部に派閥を抱えていたり、また連立政権の場合には複数の政党が内閣内部にあって、それら の均衡が求められるという点は、当時の状況に重なるところがある。さらに、内閣の意思決定は対外的な(国 家間の)問題において顕著に現れるとあったが、現在の政治状況はグローバル化の中で、常に対外的な問題を 考慮しながら意思決定をせざるを得ない状況であることも押さえておきたい。 Copyright (C) 2013 Johnan Prep School 最初にも確認したように、内閣は合議による合意形成の機関である。その中でリーダーシップを発揮すると いうのは、決して首相個人が強い権力を有して、自己の意志によって内閣をリードするということではないは ずだ。そのような形で「強い首相」を求めることは、全体主義に結びつく発想であるし、そのような形での政 策決定は世論による支持を得やすくするためにポピュリズムの方向に流れることになるであろう。まず、その 点を確認した上で、首相のリーダーシップをどうとらえるか、ということである。内閣制度発足時と同様に、 現在でも各省の「省益」は存在するし、各省の官僚が作成する政策には省益が反映しているはずである。また、 単独与党内の派閥や連立与党内の政党間の違いも存在するから、閣議は下手をするとそれぞれの自己主張の応 酬の場になってしまう。それをいかに合意につながる議論にしていくのか、というところが首相のリーダーシ ップということにまずなるのではないか。もちろん立場や思想が異なる以上、議論によって成員の意見が完全 に一致することは考えられないわけだから、議論を尽くした上で最終決定するのは首相ということになるであ ろう。そして、その決定は議員内閣制をとる以上国会において明確な論拠のもとに説明されなければならない。 それもまた首相のリーダーシップということができるだろう。その中で特に問題になるのは、最終的な合意形 成において首相が最終決定するという権力の行使が、いかに民主主義的に発揮され得るのかということになる。 全体主義における独裁者の権力の源泉は独裁者個人のカリスマ性にあることが多い。昨今の「強い首相」を 期待する論調においてはカリスマとまではいかなくとも、個人の属性にその「強さ」を求める言説が多いよう に思う。しかし、内閣という合議体におけるリーダーシップの源泉は決してそのような個人的属性ではないは ずである。内閣が一つの公共空間であるならば、そこにおける自由な議論と両立し得る権力は「公共性」に支 えられていなければならない。 「公共性」の源泉は「共同性」であるが、これを政治的議論の場で考えた場合「信 頼」ということになるだろう。では、首相の権力が信頼に支えられるとはどういうことか。それは、首相の権 力が制度的な合理性に支えられており、その意味において成員に承認されるものであるということである。そ して、もし首相の属人的資質が必要であるとすれば、首相がこの権力を適切に行使する、というところにその 資質は求められることになるはずである。つまり、不作為に流れることなく、必要な時に権力を行使すること で、首相を担当する人間は信頼されるということである。 内閣内にこのような形でリーダーシップを発揮することができれば、国家間の問題に関する交渉・議論につ いても民主主義的な対応が可能になるだろう。国家間問題については、ともすればナショナリズムのぶつかり 合いに陥りがちであり、ナショナリズムに基づく国益の主張の応酬に終始する危険がある。もちろん、国家主 権の源泉は「国家」という領域の存在にあるわけであるから、たとえば領土問題は国家の根幹に関わるのでナ ショナリズムの主張になりやすい。しかし、国家間交渉が異質な国家同士の共存をめざすものであるならば、 その交渉の場は公共空間ということになるだろう。そのような場を形成できることが国際関係におけるリーダ ーシップだと言えるのではないだろうか。 以上は一つの考察の流れを挙げたにすぎないが、求められているのは、 「首相のリーダーシップはなぜ必要な のか」 「内閣内のリーダーシップとはどのような行動のことをいうのか」 「リーダーシップの源泉(支えるもの) は何か」 「国家間関係におけるリーダーシップとは何か」という点に関する考察を、課題文の論点をもとにして 組み立てていく力であろう。現在の政治状況に関する理解は必要だが、だからといって現在の具体的な政治的 問題を挙げて説明する必要はない。本学部は具体例を求めるときははっきり明記する。むしろ、課題を「民主 主義」 「権力」 「公共性」の問題として一般的に考察することが重要である。 解答 (解答例1) 政治主導・官邸主導は官僚との間に境界線を引き、両者の相互性を消失させる。したがって官僚が自己の利 益確保にはしるのはある意味当然である。官邸主導とは、政府と政党が分裂することでもあり、したがって政 党が分裂を深めるのもまた当然であろう。 議院内閣制は、内閣における首相の権力を、かつてと比べて遙かに拡大することであり、調整不十分な決定の 絶対化が可能であるという点で、内閣内部にも分裂線を引きかねない。さらにこの政治主導が、争点を一方的に Copyright (C) 2013 Johnan Prep School 設定し大衆のポピュリズムに訴えるとき、全体主義の危険が生まれるだろう。 政治とはそもそも社会の統合であり多様な存在の共存可能な公共性の創出であると考えれば、これは矛盾で あり、社会の中にも分裂線を引くことになるだろう。 その点明治初期においては、内閣は世論を無視できず、閣内の調整を図らねばならず、利害を一本の線で二 分するのではなく、むしろ様々な利益を勘案することで社会の分裂、内閣の分裂を防いでいたという面もある のではないか。また官僚と内閣の協働関係もあり得たであろう。また対立する世論同士の対話も喚起されたで あろう。人間を他者との関係の中から自己を形成し、発展させていく存在であることから考えるならば、社会 全体にわたる自己疎外を防いでいたと言えるのではないか。したがってそのような対話を喚起し、対話の上に 意思決定を行い実行するのがあり得べきリーダーシップということになる。 一方で、対外的な問題については強いリーダーシップ(境界線を引くリーダーシップ)が必要であると言え るかもしれない。しかしそれは対外交渉に参加して、相互関係から共存可能な規範を導くことに意味があり、 排外的なナショナリズムと結びつくことは論外である。そして対外的交渉へ参加するならば、それは国内の利 害を充分に調整すること、様々な利害が共存できる道を探ることが並行していなければ、国内的にもリーダー シップは害である。このことは、強いリーダーシップが少数反対派を排除し、対外的に排外主義になる戦争を しばしば生み出してきたことからも明らかであろう。排外主義は上記と同様に自己疎外に他ならず、歴史の形 成そのもの・自国の歴史的存在そのものを否定するものなのだから。 (解答例2) 内閣制度を民主主義における意思決定制度と捉え、内閣を合意形成機関と見た場合、問題になるのは、当時 の内閣が合意形成という職責をはたすことができなかったことである。内閣で論議する以前に派閥均衡の暗黙 の了解が存在し、それが内閣を機能させなかったと同時に、省庁単位で政策決定がなされ、省庁の利害調整以 上の政策検討がなされることがなく、その必要性も認識されていなかった。首相のリーダーシップも属人的で あって制度の機能には結びつかなかった。そのような内閣の問題点が「国家」としての合意を必要とする対外 的な国家間交渉の場において、首相のリーダーシップの問題として露呈することになったのである。 内閣が合意形成機関であるとするならば、その中のリーダーシップとは決して首相が強い権力を有して自己 の意志に基づいて内閣をリードすることではないだろう。そのような「強い首相」を主張することは全体主義 に結びつく発想であるし、その政策決定は世論の支持を得るためのポピュリズムの方向に流れることになるだ ろう。現在の内閣は議員内閣制であり、発足当時とは異なるが、内閣構成員が各省の大臣であり、各省の省益 が主張されやすいことと、藩閥とは異なるが、政権与党内の派閥や連立与党間の均衡圧力が働く点は当時と同 様である。その中で首相のリーダーシップとは、まず何よりも内閣内の暗黙の均衡や省益の自己主張を乗り越 え、合意形成のための議論をリードすることであるだろう。もちろんそれぞれの立場が異なる以上、最終的な 合意は首相の決定に委ねられることになる。問題は、その場合の首相の権力が民主主義的なものたり得るかど うかということである。全体主義における独裁者の権力の源泉は独裁者個人のカリスマ性であることが多いが、 内閣が合意のための合議体であるなら、それは一つの公共空間であり、そこにおける自由な議論と両立しうる 権力は公共性に支えられていなければならない。その公共性の基礎をなすものは「信頼」ではないだろうか。 首相の権力が制度的な合理性に依拠し、成員に承認されるものであるとき、信頼が成り立つ。首相の個人的資 質として求められるものは、この権力を自覚して適切に行使する能力ということになるだろう。このような形 でのリーダーシップの発揮が対外的な国家間の問題において、単なる国家間利害の調整を超えた議論・交渉を 可能にし、国家間の合意を形成しうるのである。 Copyright (C) 2013 Johnan Prep School