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2015 年度 慶應義塾大学 経済学部(世界史) 解答解説
2015 年度 慶應義塾大学 経済学部(世界史) 解答解説 Ⅰ 「新大陸の発見」にともなう新旧世界の変化 解答 問1 a-3 b-4 問2.(a)天然痘 (b)世界保健機関(WHO) 問3(1)5 (2)アイルランドは1840年代のジャガイモ飢饉、ドイツは七月革命や二月革命の影響による市民層の動 きと挫折から判断できるため。 (58字) (3)現地を無主の地とし、先に占領した国が領有できる先占権の原則が確認された。 (36字) 問4(1)七年戦争後の財政難克服のためイギリスは印紙法を制定したが、植民地側は「代表なくして課税な し」と主張して反発した。(56字) (2)5 (3)南北アメリカとヨーロッパの相互不干渉の原則を主張した。(27字) 問5 a-3 b-7 c-4 解説 グラフを用いる問題・史料文を用いる問題といった、いかにも本学部に特徴的な問題を含む大問。語句の暗記 ではなく、正確な理解をもとに思考力を活かさないと得点できないものであり、日頃の学習の姿勢が大きな得点 差となる大問である。今回は合衆国への移民の割合を示すグラフからの判断がやや難しく、論述問題も含まれる のでかなり手強い。史料文については、文の内容からその場で考えれば正答が容易な問題であった。頻出である 年表の空欄に入れる年代問題も、流れから類推すれば確実に解けるものである。以下では、標準的な知識型問題 の解説は省略する。 問1 個々の事件の年号の数字の知識は不要。ポルトガル・スペインを中心とする大航海時代初期の各国の動向 を、きちんと整理し流れでとらえていれば確実に解ける。 問3-(1)・(2) 第2図のグラフのa・bの国名を見抜けるかが鍵となる。aは1830年頃と1850年代に移民数 が急激に増加しており、bは1840年代に移民数が急増して1850年代に至っている。そこで表の中の3国の組み合 わせから考えると、a・bはドイツとアイルランドのはず。ただし両国がどちらに該当するかが紛らわしいので 手強い。しかし、アイルランドの移民急増の主因はジャガイモ飢饉(1840年代)であり、ドイツからの移民急増の 主因はウィーン体制の時期の政治事件と混乱(七月革命の影響と二月革命の影響)であることまで考えると、a= ドイツ、b=アイルランドだと見抜くことができる。そして、それができれば(2)の論述問題もスムーズに正答 できる。 問3-(3) 標準的な内容の論述問題。先占権の語句は必須だが、その内容を過不足なく説明することが重要で ある。 問4-(1) 頻出の内容を求める論述問題。字数が限定されるので、七年戦争による財政難と「代表なくして課 税なし」をきちんと挙げるだけに留めること。 問4-(2) フロリダの領有国は、フレンチ=インディアン戦争でスペイン→イギリス、アメリカ独立戦争でイ ギリス→スペイン、モンロー大統領による買収でスペイン→合衆国、と変遷した。c.の“アダムズ=オニス条 約”は細かすぎる語句だが、モンロー大統領の買収に関するものだと推測できるはず。そこまで考えれば5が正 解だと特定できる。 問4-(3) 標準的な論述問題だが、“~について”という問いであるから、まずモンロー宣言(教書)の内容の 説明が重要。字数を考えると、そちらを過不足なく述べれば満点である。 問5 a~cは、内容をその場で読み取ればどの文書であるかの特定は容易。その上で、個々の年号の数字の知 識ではなく流れから類推すれば正答できる。 Copyright (C) 2015 Johnan Prep School Ⅱ 16世紀から20世紀までのインドの貿易構造の変化と独立に向けた動き 解答 問6 16世紀からイギリスの毛織物産業のマニュファクチュアはジェントリらの羊毛増産により順調に発達し て国民的産業となったが、17世紀半ばから東インド会社がインド綿布を本国に輸入すると大量に売れ毛 織物産業が圧迫されたため、ジェントリらが議会で反発した。(120字) 問7(1)a-アカプルコ b-マニラ (2)a-4 b-6 (3)後期倭寇の激化により明が従来の海禁政策を緩和すると、海上や東南アジアでの中国商人と日本商 人の私貿易がさかんとなり、中国の生糸などが日本に流入した。こうした中、ポルトガルはマカオ と平戸を拠点として、日本と明の中継貿易に参入した。(113字) (4)赤絵 問8(1)南北戦争で合衆国南部からの綿花輸出が急減し、インド産綿花の需要が高まったため。(39字) (2)2 問9 a-4 問10(1)1 b-1 (2)4 c-2 (3)a-4 b-1 c-3 解説 やはりグラフを用いた経済関連の問題や史料文の使用、さらに論述問題など、本学部らしさが強く感じられる 大問。産業革命の前段階のイギリスを扱っている点も特徴的であるが、日本と明の貿易にも踏み込んでおり、国 際貿易に関する幅広い理解が求められている。なお、標準的な知識型問題の解説は省略する。 問6 産業革命の前段階での、毛織物産業の保護をテーマとしたユニークな論述問題。この保護政策に関する知 識が必要なのではなく、インド綿布(キャリコ)の流入→毛織物産業に打撃、というポイントをその場で推測でき るかが勝負所であり、思考力が重要。 問7-(3) 時代設定に注意が必要な論述問題である。16世紀半ば~17世紀初頭までと限定されているので、前 期倭寇や朱印船貿易について述べてはいけない。後期倭寇の激化→海禁の緩和→私貿易の隆盛、という流れを述 べ、それにポルトガルの動向を加えればよい。なお、当時の日本がさかんに輸入したのは生糸だが、これを指定 語句としてある点はやや細かい。むしろ日本史で扱われる語句であり、新課程の方針の影響とも考えられる。 問7-(4) 16~17世紀とわざわざ時代を限定しているので、一般的な“陶磁器”では不正解と思われる。その 一方で、地図上のβは佐賀県だが、これは有田焼(伊万里)のこと。有田焼は明の赤絵の技術が伝わった朝鮮の職 人が、秀吉の出兵の際に日本に移住して技術を伝授したことから始まったもので、“有田赤絵”の別名で知られ る。もちろん世界史で必要な知識ではないので無理に深く考えず、明の後半期→景徳鎮の産物の主力は赤絵、と いうポイントを重視して答えるべきである。 問8-(1) グラフの年代から考え、南北戦争→南部の綿花産業の壊滅→イギリスのインド産綿花への依存が強 まる、というポイントを見抜けるかが鍵。これは教科書や用語集の内容で学習するものではなく、グラフからそ の場で考えて結論を出さねばならない。問6と同様に、思考力を重視した論述問題の典型である。 問8-(2) 史料文の内容から、1・3・4は天津条約(1858)や北京条約(1860)の内容と判断できる。一方、2 は“公行の廃止”なので南京条約(1842)の内容。 問9 本学部で頻出である年表型の年代問題だが、インドの民族運動の流れを理解していれば平易な問題。年号 の数字の知識は必要ない。 問10-(1) 標準的内容の正誤判定問題である。ベンガル州東部はまず大戦後、東パキスタンとなり、のちに第 3次印パ戦争(1971)でインドの支援により“バングラデシュ”としてパキスタンから独立した。よって1が誤文。 他は標準的な正文である。 問10-(2) シンガポールの独立は1965年であり、第一次石油危機(1973)の以前のことである。直接のつながり はないが見抜けるはず。よって4が誤文。2の“バンダラナイケ首相”や3の“サラワク”は非常に細かい知識 だが、それらに惑わされず4の明確な誤りを優先して判断しよう。 Copyright (C) 2015 Johnan Prep School 問10-(3) 今年度の中では難問である。チュニジアとモロッコの独立は1956年だが、ジュネーヴ休戦協定やヴ ェトナム国の誕生と直接の関連はないため、cはa・bとは異なり、流れから考えて年表での位置を特定できな いためである。 Ⅲ 中部ヨーロッパにおける森林と人間の関わりの歴史 解答 問11 2 問12(1)a-ウィクリフ b-コンスタンツ公会議 c-ザクセン (2)領邦の君主がカトリックかルター派かの選択権を持った。(26字) (3)アンリ4世は即位後ユグノーからカトリックに自ら改宗し、さらにナントの勅令を発布してユグノ ーの信仰の自由を認めた。(56字) 問13 a-2 b-5 c-4 問14 4→3→2→1 問15 新通貨レンテンマルクの発行でインフレーションの収拾に成功し、ドーズ案を受容して賠償金支払いを 開始した。その後は協調外交を展開し、ロカルノ条約によりラインラントの現状維持を認めてドイツの 国際連盟加盟を実現した。(104字) 問16 4 解説 ここ数年で恒例となっている、中世以前の問題を含む大問。ただし大部分は1500年以降の問題であり、戦後の 現代史も含まれている。論述問題がここでも3題出されているが、標準的な内容なので戸惑うことなく確実に得 点しておきたい。なお、標準的な知識型問題の解説は省略する。 問11 1・3は標準的な正文。4は“同君連合”の語で少し迷うが、リトアニア大公国はポーランドとともにド イツ騎士団と抗争していたのだから、2が明らかに誤文。 問12-(2) 与えられた字数が少ないので、カルヴァン派は除外だった点や“都市の参事会”といったポイント は削らざるを得ない。領邦の持ち主がカトリックかルター派かを選択、という根本のポイントに絞ろう。 問12-(3) こちらは逆に、与えられた字数から考えると“ナントの勅令”だけでは不足する。 “アンリ4世のカ トリックへの改宗”を忘れずに述べておこう。 問13 流れから類推すれば確実に正答できる年表型の年代問題。年号の数字の知識は必要ない。 問14 当時のドイツの諸事件の流れから考えれば確実に正答可能。平易な並べ替え問題である。 問15 ドイツが行った経済政策と外交がテーマなので、フランスによるルール占領の実行などを無駄に述べない こと。そこだけ注意し字数の中で過不足なくシュトレーゼマンの政策を挙げていけばよい。 問16 各文は長いが、正答は容易な正誤判定問題である。いわゆる“ベルリンの壁”は東西ドイツ分裂後に東ド イツが構築した(1961)ものであり、西ドイツの成立以前のことではない。よって4が誤文。1・2・3は標準的 な内容の正文。 Copyright (C) 2015 Johnan Prep School