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涸沼(茨城町他)の風景 いばらきの「山水」 37
広浦漁港。何隻もの船が並び、漁業が地域に とって重要な産業であることがわかる 昭和に入ってから干拓されたため、田んぼはとても 綺麗に区画されている 右側の石碑は斉昭公の自書が刻まれた、江戸時代 に建てられた当時のもの 幅24mの大規模な運河であった勘十郎堀の跡 いこいの村涸沼。グランドゴルフやテニスなど 体を動かして楽しめる施設が揃っている 涸沼(茨城町他)の風景 いばらきの「山水」 37 涸沼は関東地方で唯一の汽水湖である。淡水、海水両 方の魚が生息し、日本で最も釣魚の種類が多い湖とし て有名だ。昔から漁業が盛んで、特にヤマトシジミは全 国でも指折りの漁獲量を誇っている。 周辺を見れば田園風景が広がっている。昭和に入っ てから干拓事業が行われ、水田となったものだ。漁業だ けではなく、農業という点でも涸沼は周辺地域に恵み をもたらしてきたのである。 涸沼は交通の要衝でもあった。江戸時代、東北からの 物資は涸沼を通り、江戸に運ばれていた。藩は鉾田市に ある巴川まで約 10 ㎞に渡る運河を作り、船から通行税 を取ることにより、財政の立て直しを計画した。厳しい 財政事情から実現には至らなかったが、松並勘十郎指 揮の下、延べ 130 万人が携わった運河は、勘十郎堀と呼 ばれ、その規模からは、涸沼がいかに交易で賑わってい たかを感じることができる。 撮影●槍崎 敏 また、涸沼は景観も美しく、 「広浦秋月」は徳川斉昭 公が定めた水戸八景の 1 つであり、 「関東の天橋立」と 称された。今でも斉昭公自筆の書を刻んだ石碑が立っ ている。対岸には、温泉やグランドゴルフなどのレジャ ーを楽しめる施設もあり、観光地としての顔も見るこ とができた。 涸沼と地元の住民は、産業、生活等様々な面で深く繋 がってきた。涸沼を訪れて様々な風景を見ると、地域住民 にとって涸沼がいかに大きな存在かよくわかる。 (伊藤) 広浦秋月 広浦漁港 ● ● 涸沼 鹿 島 臨 海 鉄 道 大 洗 鹿 51 島 線 ● いこいの村涸沼 ● 勘十郎堀跡 涸沼 太 平 洋