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布橋潅頂会が日本ユネスコの未来遺産に登録
布橋潅頂会が日本ユネスコの未来遺産に登録 1. 未来遺産って何? ・公益社団法人日本ユネスコ協会連盟が、 地域の文化・自然遺産を未来に伝える 市民活動をプロジェクト未来遺産」と して登録し応援している。この「プロ ジェクト未来遺産」を未来遺産と呼ん でいる。 ・このプロジェクトは、地域の文化や 自然遺産を未来へと伝える「未来遺産 運動」の主要な柱となるものです。 ・未来遺産運動は、100年後の子ど もたちに長い歴史と伝統のもとで豊 かに培われてきた地域の文化・自然遺産を伝えるための運動です。 ・登録は、2009年から毎年認定しており、立山町で開催されている女性救済儀式「布橋灌 頂会(ぬのばしかんじょうえ)」が平成23年12月に富山県で初めて登録されました。 ・布橋灌頂会は、「癒し」の行事として再現され、女性の救済を目指す儀式の独自性や、地域 ぐるみで伝統を受け継いでいる姿勢が高く評価されたものです。 2. 布橋潅頂会とは? ・江戸時代、立山は山中に地獄や浄土がある あの世 の世界と考えられていました。男性は、 あの世の立山に入山することで擬似的に死者となり、地獄の責め苦に見立てられた厳しい禅 定登山を行うことで、自分の罪や穢れを滅ぼして下山します。こうして新たに再生し、現世 の安穏や死後の浄土往生が約束されました。 ・当時の立山は女人禁制でした。このため、毎年秋彼岸の中日に山麓の芦峅寺村では、男性の 禅定登山と同義の儀礼として、村の閻魔堂・布橋・姥堂の宗教施設を舞台に、女性の浄土往 生を願って「布橋大灌頂」の法会が開催されました。 ・法会は、女性参詣者が閻魔堂で懺悔の儀式を受け、次にこの世とあの世の境界の布橋を渡 り、死後の世界に赴きます。そこには立山山中に見立てられた姥堂があり、堂内で天台系の 儀式を受け、参加した女性は、授戒し血脈を授かり、男性のように死後の浄土往生が約束さ れたのです。 ・江戸時代、女性の参詣者で賑わった布橋灌頂会も明治初年の神仏分離令及び廃仏毀釈の影響 で廃止されました。 ・しかし、1996年の国民文化祭とやまの記念行事として約130年ぶりに復活しました。 (「立山信仰と立山曼荼羅の解説」 福江 充著から引用 3. ) 登録のメリットと今後の利用法は? ・長い歴史を超えて人々が紡ぎ続けてきた文化遺産が登録されたことにより、これを未来に伝 えていこうとする人々の意欲が活性化され、この地域の文化遺産を伝えるための運動の輪が 広がります。 ・プロジェクトが注目されるとともに、活動を応援してくれる人が増え、企業等様々な協力の 手が差し伸べられ、保全活動を長く継続させることが出来ます。 ・富山県民以外の多くの人々が、立山町芦峅寺の「布橋潅頂会」の良さに気づき、観光客の増 加が見込まれます。