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グスタフ・ラートブルフ ― 生涯と作品:続編
(898) 13 グスタフ・ラートブルフ ― 生涯と作品:続編 アルトゥール・カウフマン グスタフ・ラートブルフ ― 生涯と作品:続編 以下の訳文は、本誌326号 ₁ 頁以下に掲載されている訳文「アルトゥール・カウフマン: グスタフ・ラートブルフの生涯と作品」のいわば続編として、1987年から刊行が開始 され2003年に完結したグスタフ・ラートブルフ全集全20巻のうち、法哲学と刑法に直 接にかかわっている5巻について、それぞれの巻の校訂者による序文のみをあらかじ め訳出したものである。これらの巻のいずれもののなかには、われわれが法哲学と刑 法学を開始しようとする場合には確実で信頼に値する基盤となり得るような、この意 味において現在でもなお重要かつ現実的な意義を有している諸作品が収められている のであり、それらに個別的に取り組むに当たっては、個々の作品がラートブルフの生 涯にわたる法思考の道のなかで有している意義とそれらの独自的な意義を念頭に置い ておくことが必要かつ得策であると思われることから、ここであらかじめ一括して訳 出掲載しておくことにしたわけである。それゆえに題名も上記のようにした。 訳者である私は、このラートブルフ全集を初刊以来、この全集が日本語に訳されて 日本の読者にもグスタフ・ラートブルフの人格と作品に触れる機会が作り出されたい という念願を込めて続巻が刊行される毎に送呈され、2001年 ₄ 月11日のこの全集の総 編集者であるカウフマンの没後もその遺志を継いだドローテア夫人によって2003年の 完結に至るまで送呈され続けたこのご夫妻のご恩顧にお答えするためにも、たとえこ の全集の全巻を私単独で完訳することは時間的にも能力的にも望めないにしても、せ めてこれらの巻に納められた重要かつ現在的意義を有している作品を選別して本誌次 号から順次掲載したいと目論んでいる。 上 田 健 二 訳 アルトゥール・カウフマンのグスターフ・ラートブルフ全集第 2 巻 法哲学II (Gustav-Radbruch-Gesamteausgabe=GRGA Band 2, Rechts philosophie II Heidelbelg 1993)への序文 訳者まえがき ラートブルフ全集のなかでもこの巻が、「法哲学」複合体を完全なものに している。もっともこの巻の校訂者であるアルトウール・カウフマンが言う ように、法哲学上の思想が他の諸々のテーマを、たとえば刑法上の、社会お よび文化政策上の、国家法上の、国際法上の、宗教哲学上の、精神史上のテ 0 0 0 0 0 0 ーマを取り扱う場合にも見られなかったとすれば、ラートブルフはラートブ ルフではなかったであろう。この巻のなかで統合されている諸作品はラート 14 同志社法学 60巻 ₂ 号 (897) ブルフの性格の中枢において成り立っているのである( Vorwort II)。 転載されているのは、グスタフ・ラートブルフの法哲学の核心的な部分を 形 成 し て い る 両 書、 す な わ ち1914年 の『 法 哲 学 綱 要( Grundzüge der Rechtsphilosophie)』の第 ₁ 版(邦訳、山田晟訳・ラートブルフ著作集第 ₂ 巻、 東京大学出版会、1963年)と1932年の『法哲学』第 ₃ 版(邦訳、田中耕太郎 訳・ラートブルフ著作集第 ₁ 巻、東京大学出版会、1961年)であり、次いで ラートブルフの法哲学上の基本思想の1923年から1924年までの、この基本思 想のある種の「変遷」を跡づけている ₇ 本の論文、すなわち1923/24年の『法 理念と法素材(Rechtsidee und Rechtsstoff)』(邦訳、野田良之訳・ラートブ ルフ著作集第 ₅ 巻『法における人間』 (東京大学出版会、1962年所収67頁以下) (本巻453頁以下)、1927年の『法における人間(Der Mensch im Recht)』 (邦訳、 桑田三郎・田村忠充訳前掲訳書 ₁ 頁以下)(本巻467頁以下)、1929年の『階 級法と法理念(Klassenrecht und Rechtsidee)』(477頁以下)、『個人主義的 刑法から社会主義的刑法へ(Vom individualistische zum sozialen Recht)』 (485 頁 以 下 ) お よ び1932年 の『 法 哲 学 と 法 実 務(Rechtsphilosophie und Rechtspraxis)』(495頁以下)である。以上の論文のいずれも、いわゆる「ダ マスカスの回心」をめぐる、現在でも大いに争われている問題の究明のため の鍵としての重要な役割を演じていることを、本巻の校訂者であるアルトウ ール・カウフマンは以下の序文のなかで如実に示している。 本巻は多くの視点においてこの全集の核心を表わしている。このことはひとつに は、すでにしてそれがラートブルフの法哲学の主要な諸作品を、すなわち1914年の『法 哲学綱要』と1832年の『法哲学』を含んでいるという理由からである。両書の関係は 表面的にはこういうことである。すなわち、 『綱領』は初版としての、そして『法哲学』 は第 ₃ 版としての役割を演じている(後者の死後刊行された版は1983年の第 ₉ 版であ る)のであり、両者の間には『綱要』の特別に特徴づけられた復刻版が第 ₂ 版として 挿し込まれている)。しかし事実として『綱要』は『法哲学』とは、もともと両著は 独自の本であるほどに異なっている。確かに多くの法哲学上の思想をラートブルフの 全作品において一貫して見出すことができる(たとえば存在と当為との方法二元論、 法の価値被関係性、価値哲学上の相対主義およびこれら以外のなお多くのもの)。し かし注目に値するのは、一方では『綱要』からの多くのものが『法哲学』には入り込 んでいないということ(たとえば契約説の見事な描写、意志自由の問題のなし得なく もない概要が。何ゆえに『法哲学』のなかでこれが除去されるか、もしくはほんのわ (896) グスタフ・ラートブルフ ― 生涯と作品:続編 15 ずかな残滓に切り詰められているのかを説明することができない)。他方で『法哲学』 のなかには、所有権、契約、婚姻、相続権、刑法、死刑、恩寵、訴訟、法治国家、教 会法、国際法および戦争に関する諸章を伴うひとつの全く新しい「各則」にまで及ん でいるのであり、これらについては『綱要』のなかでは全く見られないか、もしくは 散在的にしか見られない。 しかし、ここで本巻においてラートブルの二つの主要作品が統合されているという このことは、本巻が他の一連の諸巻から傑出しているということにとっての本来的な 理由をなしているということではない。本当の理由はむしろ、この巻は最もよくラー トブルフを知っている者にもそこまでは知られていないままになっているきわめて多 くの素材をもたらしている、ということである。両書すなわち『綱領』と『法哲学』 には、つまりは「行間を開けた」[この全集ではこれらすべてが斜字体に統一されて いる]類例が存在しているのである(『法学への案内』にも確かにこのような類例が 存在しているのである。全集第17巻274頁参照。しかしこれは決して再び表われてく ることはない)。非専門家のために:二つの印刷された側面にひとつの空虚な側面が 「挿入されている」のであり、そこで著者がとくに後の版に関して諸々のコメントを、 とくにより後の版を顧慮してすることができるのである。諸々の論評に関するメモ、 次の版のための諸々のスケッチ、自らのテクストの修正、もちろんさらには賛同する 諸意見表明の注目点およびその他多くのもの。 ラートブルフは、本書の読者には容易に確認することができるように、数百にも及 ぶこのような行間を開けた例解に注釈を付した。しばしば容易に読み取ることもでき るこのような書き込みのすべてを同定し、活用されなければならないであろう。ラー トブルフのいくらかの数少ない申し立てでは(たとえばある引用の場合では)、数ヶ 月に及ぶ探索を求めて諸々の努力がなされなければならず、行間を開けた諸面では本 文との配列が一義的に遂行することができないラートブルフの脚注のある(わずか な)数が存在している。 それにもかかわらず、将来的なラートブルフ - 研究にとってほとんど過小評価す ることができないほどの意義を有しており、それが多くの年月を要求しているひとつ の概説が成り立っている。ラートブルフとその法哲学に関して多くの行き渡っている 判断さえ、新たに検証されなければならないのである。ラートブルフの生涯において、 とくにその法哲学において「大変革」というものが、「ダマスカスの回心」さえ存在 していたのか、それとも彼にあっては疑いもなく確認することができ、彼によっても 決して否認されることがなかった諸々の変化は、亀裂なく前へと進行する発展の表現 にすぎなかったのかということについての激しい論争は、ラートブルフの諸々の所見 を通して後者の意味において決着が付けられるといってよい。彼の「価値に関係づけ 16 同志社法学 60巻 ₂ 号 (895) られた」法概念はすでにつねに終末に至るまで「自然法と法実証主義のかなた」に存 在するひとつの概念であり、たとえ彼が「法律上の不法」に関して以前よりも後には より楽観的であったにせよ、「汚辱した諸法律」にはナチズムの体験の後にはじめて ではなく、すでに『綱要』(171、175頁)のなかで妥当を否認していた。ラートブル フは力点を一度だけ置いたのではなく、彼はこれを状況の尺度に従って置いたのであ る。現に彼は1932年の法哲学と法実務に関するひとつの論文(この巻のなかでは495 頁以下)のなかでナチストに直面して入り口の前に( ante portas)自然法を思い起こ させ、ついで「人種法的自然法」の喧伝の後には、1939年 ₄ 月26日付のエリック・ヴ 0 0 0 ォルフに宛てた手紙のなかで、彼にはいまや実証主義がわれわれを過酷に強いるひと つの理想としてさえ再び表われることを告白している。そして、なおもうひとつの例 を持ち出すならば、「理念の素材被規定性」(この巻の453頁以下における1923/1924年 の論文『法理念と法素材( Rechtsidee und Rechtsstoff) 』を見よ)という思想もまた、 初期(『綱要』、147頁)から挙げられた論文を経て、そして『法哲学』( ₇ 頁以下)を 経て『法的思考における分類概念と整序概念( Klassenbegriff und Ordnungbegriff im Recchtsdenken)』 (1938年)および『法学的思考形式としての事物の本性( Natur der Sache als juristische Denkforum)』という後期の理論(両論文は全集第三巻60頁以下、 229頁以下に見られる)に至るまで追跡することができる。 しかしなお興味深いのは、ラートブルフがそれらのなかで新しい思想を、しばしば 諸々の標語においてのみであるが、しかし長期をかけて慎重に吟味された論述のなか で構想している諸々の所見である。誰がすでにラートブルフにおいて解釈学に関する 諸洞察を探り当てたのであろうか。 『綱要』の42/43頁の脚注のなかでラートブルフは、 法概念の獲得は「ひとつの明白な循環のなかで」進展することについて述べている。 ひとは法を、法価値を迂回して探し求めようと試みるのであるが、しかし法価値をひ とは再び、その具体的な構成要素が法である共同体との関連づけにおいてのみ定義す ることができるのである。しかしこのことは、このような循環推論は無価値であろう ということを意味しているのではない。彼はむしろ、法的現実は二つの構成要素に、 アプリオリな構成要素とアポステリオリなそれとに分類することができるのであり、 そのさいこの二つの構成要素のいずれもが他方との関連づけを通してのみ定義づける ことができるということを証明しているのである。「このような推論のなかですべて の批判哲学は進展する。……このような循環推論の手続きは、しかし次のようなこと であろう。両側からトンネル掘削を試み、両側から法概念に取り組んで ― 両坑道が 互いに衝突し合うならば、それで辻褄が合っているのである。哲学では包括的な思考 の内在的な首尾一貫性以外にはどのような真理性の証明も存在していない、それは少 なくとも超越論的な真理性のひとつの徴候でもある。」私は、私が循環的な、演繹‐ (894) グスタフ・ラートブルフ ― 生涯と作品:続編 17 帰納的な、それゆえに法発見の類比的な手続きにために、私が「真理の収斂理論」と 呼んでいるところのもののためにも、それほどに見事などのような表現形式も、それ ほどに具象的などのような像も思い浮かんでいなかったことを告白しなければならな い。『綱要』の190頁のもうひとつの脚注のなかでラートブルフは、ひとつの「重要な 解釈上の問題」、すなわち解釈者はしばしば著者を、著者が自分自身で理解していた よりもよく理解するということを書き記している(ここでは「解釈的前理解」を想起 させる)。 アドルフ・ライナッハ( Adolf Reinach)とフェリックス・カウフマン( Felix Kaufmann)のアプリオリな法理論についてはすでにラートブルフは、『綱要』のな かで一連の書き込みをしていた(この箇所で、ラートブルフは『綱要』の行間を開け た類例を論争のなかに持ち込んでいたのであり、その注釈の多くが塹壕のなかで書か れていたことが指摘されよう)。 後期では、しかしラートブルフがアプリオリな法理論を引き続いて拾い上げること はなかった。これ以外の諸々の諸々の覚え書きもこれと同じ事情にある。『綱要』の 行間を開けた紙面では一度ならず諸々の名称が現われているのであるが、しかしこれ らは引き続いては『法哲学』のなかには見られない、いずれにせよ同じコンテクスト の な か に は 見 ら れ な い の で あ る。 そ の 名 称 と は、 マ ッ ク ス・ シ ェ ー ラ ー( Max Scheler,)、 フ ェ リ ッ ク ス・ ゾ ム ロ(Felix Smulo)、 ル ド ル フ・ ラ ウ ン( Rudlf Raun)、レオナルド・ネルソン(Leonald Nelson……この人とは、彼はきわめて折 合いが悪かった)、エーリッヒ・ロータッカー(Erich Rothacker)、ルドルフ・ショ タムラー( Rudolf Stammler)であり、 ― そしてたとえば実質的な諸々の所見、す なわち諸関係の構造としての法、幸福主義的な法哲学の拒絶、法哲学と倫理学にとっ て幸福概念が役立たないこと、無条件的な服従の排斥……である。 つねにラートブルフ‐研究がこれらの素材からなすであろうものを、確実性を持っ て証明することができる者がいよいよもって驚かされるのはただひとつ、すなわちラ ートブルフの博識と教養である。 『法哲学』についての諸々の所見のなかでとりわけひと目を引くのは、ナチズムと その取り巻きについての数多くの注釈である。現にそこからカール・シュミット(Carl Scnmidt)、ヘルムート・ニコライ(Helmut Nicolei)、ハンス‐ヘルムート・デイー ツエ( Hans-Hermut Dietze)……が登場してくるのは煩わしくなくもないが、しか しラートブルフはその学問的誠実さにおいてこれらナチス‐法律家の多くが適切な思 想をも展開していた(彼はカール・シュミットを、この人がしかしラートブルフとと もにしたことで、決して一括して断罪しなかったのである)。ナチズムそれ自体に対 しては、しかし彼の立場は容赦なく否認した。フライブルグの枢機卿コンラード・グ 18 同志社法学 60巻 ₂ 号 (893) レーバー( Konrad Gröber)の1940年の大晦日祝祭についての覚え書きは感動的であ る(『法哲学』の30頁で)。 特別な関心を有しているのはもちろん、『法哲学』の行間を開けた類例のなかで、 どのようにしてラートブルフがナチス体制の終焉後に新たに手を加えようとしたのか に対してどの程度にまで示唆を与えているのかである。(これについて明らかにされ た意志を彼は有していたのであるが、しかし1949年11月23日のその死がこの計画にバ ツ印を付けたのである。)それをひとつの短い公式に乗せてみると、こういうことで ある。すなわち、確実な諸帰結を導き出すことができる、細部にわたってまで仕上げ られたどのような構想も存在していない、存在しているのは解釈を一定数の必要とし ている一定数の示唆でしかなく、その解釈を、とりわけ1948年の『法哲学』を背景と して行わなければならない、ということである(全集第 ₃ 巻121頁以下)。このような 示唆とは、たとえばこういうことである。すなわち、「事物の本性」の場合では類比 思想を想起させること、絶対的な真理はすべて偽であり、これに対して諸関係は厳密 であり得ること、相対主義の固持、実存哲学の相対主義との関係、合目的性ではなく、 正義が法理念であること、客観でも主観でもない人格主義の思想、モーリス・オーリ ュー(Maurice Hauriius)の諸制度理論への賛同、法化というものがら免れている 恩赦制度への諸々の論究……、そしてきわめてしばしば出てくる名称:ゲーテ、シラ ー、プラトン、ドストエフスキー、マックス・ヴェーバー、カール・ヤスパース、ル ター、モンテスキュー、カール・バルト、ルドルフ・ブルトマン、ダンテ、フリード リッヒ・ボルノヴ、アルノルド・ツヴァイグ、ハンス・カロッサ、ヴィルヘルム・フ ンボルト、アルベルト・シュヴァイツアー……である。 将来のラートブルフ‐研究にとって豊な、きわめて豊な素材である!そのさい重要 であるのは、どのような時代にある書き込みが由来しているのかの確認であろう。こ れはたいていの場合において困難であるというほかはなく、少なくない事例において 全く決着をつけることができない。諸々の示唆はあり得る。手書きの様式(もともと ラートブルフはきわめて明瞭かつかなり大きく書いていたのであり、後には、パーキ ンソン症候群の進行とともに、ほとんど判読が可能でないまでにますます小さくなっ ている)。ラートブルフは様々な色のインキを、しかしまた鉛筆をも用いた。字体は しばしばきわめて異なっている。引用されたある本の場合では、その刊行の年度が手 がかりを与えているのであり、これに類することは数多くある。諸々の論評に関する 前付けにおける諸々の脚注と翻訳およびこれに類するものは完全に原典のなかで受け 継がれている。そのうえ、読者にラートブルフの絶え間のない仕事についての印象を 伝えることが求められるいくらかの類型的な行間を開けた誌面が再現されている。 ―『綱要』 ₇ 頁で;大きく読みやすい筆跡が黒色インキで書かれている。疑いもなく (892) グスタフ・ラートブルフ ― 生涯と作品:続編 19 初期に由来している(ここでは28頁)[本誌本号11頁書体 ₁ ]。 ―『綱要』24頁で;不規則的な書体、筆跡の様々な大きさ、部分的に青色インキで、 部分的に黒色インキで書かれている。諸々の書き込みは異なる時期になされている (43頁)[12頁書体 ₂ ]。 ―『綱要』38/39頁で;大きくて明瞭な筆跡、青色インキ;次いで筆跡はより小さく そしてなお小さくなってゆく;黒色インキで。これらの書き込みも同じ時期に由来し ていないことが明らかにわかる(55頁)[13頁書体 ₃ ]。 ―『綱要』67頁で:うえから二番目の文章は老齢期に書かれたひとつのメモにとって 典型的である。他の二つの脚注は確かにより古いものであり、別のインキをもって書 かれている(78頁)[14頁書体 ₄ ]。 ―『綱要』125頁で:様々に異なる書体:部分的に直線体、部分的に斜字体、部分的 により小さな、部分的により大きな筆跡、多くの文字がドイツ語で、多くの文字がラ テン語である(142頁)[15頁書体 ₅ ]。 ―『綱要』142頁で:明らかに初期の書き込みであり、明瞭な、大きな筆跡、青色イ ンキ(139頁)[16/17頁書体 ₆ , ₆ - ₂ ]。 ―『綱要』166頁で:様々に全く異なる書体、様々に異なっているインキ(少なくと も ₃ 色);諸々の書き込みはあまりにも多く(おそらくは ₅ 回でもあろう)の異なる 時期になされていると言ってよい(157頁)[18頁書体 ₇ ]。 ―『綱要』174/175頁で:ここではうえに挙げられた差異が同様にきわめて明瞭に示 される(165/166頁)[19頁書体 ₈ ]。 ―『綱要』192/193頁で:哲学史についての注解は早くになされていると言ってよい(紫 色のインキで) (183/184頁) [20頁書体 ₉ ]。しかしテクストからは「ゲーテをも参照」 はほんのわずか後に書かれていると推察され、同じことはアベラルド(Abaelard)に ついても妥当すると言ってよい(両者の場合では黒色インキが用いられている)。 „Morito partitionis“という書き込みはより後の時期に由来している。 ―『法哲学』 ₂ /3頁で:老いを重ねつつあるラートブルフの典型的な書体である (223/224頁)[21頁書体10]。 ―『法哲学』 ₂ 頁で:筆跡は明らかに小さくなっているが、しかしそれでもいまだよ く読み取ることができる(224頁)[22頁書体11]。 ―『法哲学』13頁で:筆跡は部分的にすでにまさに小さくなっているにもかかわらず、 それでもいまだ比較的に明瞭である(238頁)[23頁書体12]。 ―『法哲学』30頁で:ここにすでにはっきりとパーキンソン症候群の影響が示されて いる(257頁)[24頁書体13]。 ―『法哲学』53頁で:ここでは全く異なる書体がひと目を引く。諸々の注釈は疑いも 20 同志社法学 60巻 ₂ 号 (891) なく異なる時期に書かれている(282頁)[25頁書体14] 。 ―『法哲学』55頁で:これらの書き留められたものもまた異なる時期になされている のであるが、しかし最終的な生存年においてはじめてということでは確かにない(286 頁)[26頁書体15]。 ―『法哲学』84頁で:典型的な老人の筆跡である(317頁)[27頁書体16]。 ―『法哲学』413頁で:上半分はいまだいくらかは明瞭である。下半分は全くの高齢 のなかで書かれている(348頁)[17頁書体17]。 このような検査について注目されるべきは、それらはひとつの危険のない印象を伝 えることができるということである。ここで真摯な研究を営もうとする者は、二つの 行間を開けた例群それ自体に考慮を払わなければならないということである。それら はハイデルベルク大学図書館のラートブルフ‐アルキーフに見られる。『法哲学』の 行間が開けられた例群がきわめてはっきりと赤色インキをもってなされた書き込みは グスタフ・ラートブルフによるものではなく、エリック・ヴォルフに由来しているこ とを指摘しておこう。 おそらくこの巻を一度は、その刊行をもってひとはラートブルフ‐研究の新しい画 期的な時期とすることができよう。1914年の『法哲学綱要』と1932年の『法哲学』と いう二つの本のほかに、この巻はなお1919年から1932年に成り立っている六つの論文 を、「そしてそれらに加えていくらかの書評」を含んでいる。これらの論文のなかで は大体において次の三つのテーマが問題になっているのである。すなわち、1. 法ない しは法学の体系論;2. 法における「不可任意処分的なもの」理念;3. 社会法の思想で 0 ある。 0 0 0 0 0 0 0 法学的体系論とは、ラートブルフはきわめて早くすでに『行為の概念』に関するそ の教授資格論文[本全集第 ₇ 巻75頁以下]のなかで取り組んでいた(1904)。行為の 純類的もしくは分類的概念観から出発して彼は行為概念と不作為概念とは対照的に対 立しているのであり、それゆえにaと非aとの関係にある結果として「体系は上から 下まで二つの部分に引き裂かれている」。行為と不作為とは対照的な対立であるとい う出発点からは、それらがどのような共通の上位概念を、たとえば態度といったそれ をもち得ないという帰結は必然的である。これとは異なる見解をギュンター・シュペ ンデル( Günter Spendel)ラートブルフ‐全集の第17巻のなかで表明している、322 頁)。問題はもちろん、ラートブルフの前提が正しいのかである。それは正しくはな いのであって、それというのも積極的な作為(行為)と不作為とは徹頭徹尾共通の諸 要素(たとえば、因果的経過の支配可能性という要素)を有しているのであり、そし てそれゆえに行為と不作為とはまさに aと非‐aの関係にあるのではないのである(こ れ に つ い て は、Arthur Kaufmann, Die Ontologische Sturuktur der Handlung, in: (890) グスタフ・ラートブルフ ― 生涯と作品:続編 21 Ferstechrft für Hellmut Mayer, 1966, S. 79 ff.,[浅田和茂役「行為の存在構造」(上田健 二監訳)『転換期の法哲学』第 ₂ 版(成文堂、1995年所収)25頁以下]参照。 ラートブルフは自らその当時の見解を、それも『法理念と法素材(Rechtsidee und Rechtsstoff)』(1923/24)[本巻453頁以下。野田良之訳・『法における人間』ラートブ ルフ著作集第 ₅ 巻(東京大学出版会、1962年)67頁以下]のなかで修正した。孤立化 する抽象を通して獲得された行為の「自然主義的な概念」の場合では、行為の法的な 評価にとって最も重要なもの、「つまりは言語的意味と社会的意義がそのように構成 された概念の全く外にとどまる」、と彼は自分自身を批判した。事物論理的体系論と いうものへの突進はいくらか後の1930年においてラインハルト・フォン・フランクの た め の 記 念 論 集 へ の 寄 稿 論 文『 犯 罪 論 の 体 系 論 に つ い て( Zur Systematik der Verbrechenslehre)』 [本全集第 ₈ 巻207頁以下]のなかでなされ、次いで論文『法思 考 に お け る 分 類 諸 概 念 と 整 序 諸 概 念( Klassenbegriff und Ordnungsbegriffe im Rechtsdenken)』(1938年) [本全集第 ₃ 巻60頁以下]においてそれが全く明瞭になる。 「……ある空虚な類概念を通してはどのような全体をも考えることができない。 ― たとえば行為の類概念と不作為の類概念のように ― 最高の類的諸概念は互いに結び 付けられずに並存している。類的諸概念の思考は「分離思考」である。 第二の問題、つまり立法、司法、行政および法的に判断する者の恣意から免れてい 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 る法における「不可任意処分的なもの」というものは、すでに論文『法理念と法素材』 (1923/24年)のなかに感じ取られ、 『法学的思考形式としての事物の本性( Die Natur der Sache als juristische Denkform)』(1948年)[本全集第 ₃ 巻229頁以下]という後の 理論に流れ込んでいる。ラートブルフにとっては、ホラチウスの模範に従って、「理 性を事物のなかに求めること」が重要である。その根本思想は次のようなものである。 「芸術家の理念は素材に順応するのであり、それが大理石のなかにある場合はひとつ の別のものであり、それが大理石のなかで具現されようとする場合にはもうひとつの 別のものであるように、いっさいの理念は生得的であり、実質的に正しくなければな らないのである。」ラートブルフはこのことを「理念の素材被規定性」と呼ぶ(一貫 するところとして彼は後に「素材の理念被規定性」をも自覚しなければならなかった であろう)。(小論文『法理念の問題性(Die Probrematik der Rechtsidee)』 (1924年) [本 全集第 ₂ 巻460頁以下。邦訳、野田良之訳・『法における人間』ラートブルフ著作集 ₅ (東京大学出版会、1962年)所収55頁以下] のなかでラートブルフはもうひとつの問 題、つまりはどのようにして法理念、合目的性および法的安定性が互いに関係してい る の か を 究 明 し よ う と し て い る )。 し か し ま た 雑 誌 論 文『 法 哲 学 と 法 実 務 (Rechtsphilosophie und Rechtspraxis) 』(1932年)[本全集第 ₂ 巻405頁以下]で問題 になっているのは「不可任意処分性」であり、そこでラートブルフは「迫りくる法の 22 同志社法学 60巻 ₂ 号 (889) 再野蛮化」に直面して不可欠な最小限度の自然法に向けて注意を促した。ラートブル フがその前に、そしてその後にも力点を別の所に置いた(先の ₂ 頁参照)ことが意味 しているのは、彼が風にそよぐ葦であったということではなく、彼が数少ない人々と 同様に、適正な時期に正しい力点を置くことを理解したからである。 0 0 0 0 0 0 社会的な要素はラートブルフの法哲学のなかで、たとえはじめからひとつの中心的 なの要素であったのではなくても、つねにひとつの役割を演じている。それは1927年 の最も重要なハイデルベルク大学での就任講演『法における人間( Der Mensh im Recht)』[本全集第 ₂ 巻467頁以下。邦訳、桑田三郎・常盤忠充訳・ 『法における人間』 ラートブルフ著作集第 ₅ 巻(東京大学出版会、1962年) ₁ 頁以下]において、次いで 『階級法と法理念( Klassenrcht und Rechtside )』(1929年)[本全集第 ₉ 巻477頁以下] において(ここではとりわけマルクス主義的な法観との対決が見られる)、そして最 終的に『個人主義法から社会法へ(Vom individualische zum sozialen Recht)』 (1930年) [本全集第 ₂ 巻485頁以下]において真価を発揮するに至っている。ラートブルフにと ってとりわけ問題であったのは、彼がわれわれの法秩序の広い部分、すなわち契約法、 相続法、商法……の根底に置かれているように、生まれつき平等であり、つねにその 利益を認識し、そしてきわめて怜悧な人間である古典的な自然経済の「経済人(homo oeconomiicus)」が法的に把握された人間だとする自由主義的で個人主義的な見解を 克服することであった。これに対してラートブルフは、誕生からまさに平等ではない、 自由であるとは必ずしも限らない、つねに怜悧であるとは限らず、そして個々人とし てではなく、共同体のなかで生活している人間であるような「現実的な人間」を対置 するのである、法は平等、自由……を前もって与えられたものとしてではなく、それ らをはじめて実現するのである。この意味においてラートブルフは法秩序の広い部分 を、とくに刑法をも熟考した。そこから多くをひとは『法哲学』第17章から見出すこ とができる。 なおいくらかの技術上の指示をしておこう。原典のテクストにおける太字体印刷、 斜字体印刷もしくは隔字体印刷によるかにかかわらずこの本では統一的に斜字体に置 き換えられ、『法哲学』および『法哲学綱要』のなかでの行間を開けた例群における ラートブルフの諸々の手書による注釈も斜字体に置き換えられ、連続した、括弧で括 られた、同様に斜字体に置き換えられた番号をつけることで認めることができる。こ のような注釈を ― 何回もファクシミルとして再現され、 ― これにそれらを適切な 印刷正文として対置することに努められた。これはつねに可能であったのではない。 このような場合では読者はある頁を前にめくったり、後ろにめくったりしなければな らないのである。 (888) グスタフ・ラートブルフ ― 生涯と作品:続編 書体 ₁ 23 24 同志社法学 60巻 ₂ 号 書体 ₂ (887) (886) グスタフ・ラートブルフ ― 生涯と作品:続編 書体 ₃ 25 26 同志社法学 60巻 ₂ 号 書体 ₄ (885) (884) グスタフ・ラートブルフ ― 生涯と作品:続編 書体 ₅ 27 28 同志社法学 60巻 ₂ 号 書体 ₆ (883) (882) グスタフ・ラートブルフ ― 生涯と作品:続編 書体 ₆ - ₂ 29 30 同志社法学 60巻 ₂ 号 書体 ₇ (881) (880) グスタフ・ラートブルフ ― 生涯と作品:続編 書体 ₈ 31 32 同志社法学 60巻 ₂ 号 書体 ₉ (879) (878) グスタフ・ラートブルフ ― 生涯と作品:続編 書体10 33 34 同志社法学 60巻 ₂ 号 書体11 (877) (876) グスタフ・ラートブルフ ― 生涯と作品:続編 書体12 35 36 同志社法学 60巻 ₂ 号 書体13 (875) (874) グスタフ・ラートブルフ ― 生涯と作品:続編 書体14 37 38 同志社法学 60巻 ₂ 号 書体15 (873) (872) グスタフ・ラートブルフ ― 生涯と作品:続編 書体16 39 40 同志社法学 60巻 ₂ 号 書体17 (871) (870) グスタフ・ラートブルフ ― 生涯と作品:続編 41 ヴィンフリート・ハッセマーによる『ラートブルフ全集』第 3 巻 法哲学III(Gustav-Radbruch-Gesamteausgabe Band 3, Rechtsphilosophie III Heidelberg 1990)への序文 訳者まえがき グスタフ・ラートブルフ全集の第 ₃ 巻として1990年に刊行されたこの巻に は、 ラートブルフの学問的人生行路のいわば終着駅であることを表わしている 1948年の体系的な著作である 『法哲学綱要 (Grundzzüge der Rechtsphilosophie) 』 (本巻121頁以下)のほか、ナチ‐時代のはじめからラートブルフの死に至る までの、すなわち1933年から1949年までのすべての、いずれも重要なラート ブルフの論文14本とこの間に公表された ₆ 本の書評が転載されている。その うちドイツ語論文だけを挙げると次の通りである。 ・『法哲学における相対主義( Der Relativismus in der Rechtsphilosophie)』 (1934年)[邦訳、尾高朝雄「法哲学における相対主義」ラートブルフ著作集 第 ₄ 巻『実定法と自然法』(東京大学出版会、1961年)所収 ₁ 頁以下]本巻 17頁以下 ・『解釈の種類(Arten der Interpretation)』 (1935) [碧海純一訳「解釈の種類」 ラートブルフ著作集第 ₅ 巻『法における人間』(東京大学出版会、1962年) 所収99頁以下]23頁以下 ・『法の目的( Der Zweck des Rechts) 』(1937年)39頁以下 ・『 法 思 考 に お け る 分 類 的 諸 概 念 と 整 序 的 諸 概 念( Klassenbegriffe und Ordnungs- begriffe)』(1938年)60頁以下 ・『五分間の法哲学( Fünf Minuten Rechtsphilosophie)』(1945年)[村上淳一 訳「五分間の法哲学」上掲第 ₅ 巻223頁以下所収]78頁以下 ・『法の革新(Erneuerung des Rechts) 』(1946年)80頁以下 ・『法律上の不法と法律を超える法(Gesetzliches Unrecht und übergesetzliches Rechts)』(1946年)[小林直樹訳「実定法上の不法と実定法を超える法」上 掲ラートブルフ著作集第 ₄ 巻249頁以下]83頁以下 ・『法律と法( Gesetzt und Rechts)』(1947年)107頁以下 ・『法の革新( Die Erneuerung des Rechts) 』(1947年)107頁以下 ・『法学的思考形式としての事物の本性(Die Natur der Sache als juristische 42 (869) 同志社法学 60巻 ₂ 号 Denkform)』(1948)229頁以下 ・『正義と恩寵( Gerechtigkeit und Gnade)』(1949)259頁以下 ・『 法 職 の 専 門 的 か つ 性 格 的 な 藷 条 件( Fachliche und charakterliche Voraussetzungen des Rechtsberufes) 』(1949年)266以下 ・『主知主義について―一個の断想―( Über den Intellektualismus – Eine Fragment)』(死後刊行1969年) 以上を一覧して直ちにわかるように、1960年代はじめのわが国のラートブ ルフ著作集にはラートブルフの法哲学上の著作活動のこの期間の諸作品の五 つしか収録されていない。その選定には、納得の行くような理由がこの著作 集のどこにも示されておらず、むしろ恣意的であるあるとさえ感じさせるの である。むしろ私見によれば、「選外」にされた諸作品にこそこの期間にお けるラートブルフ法哲学のとくに顕著な特色が見出されるのである。そのう え、訳出された諸論文の個々の訳者の「あとがき」には、ラートブルフの生 0 0 涯にわたる前著作物とのコンテクストのなかでの当の論文の意義についての 的確な描写はほとんど見られない。そのほとんどが他の著作物との脈略を顧 慮せずにそれ自体の「解説」にとどまっているか、もしくは初期の著作物の 何らかの箇所と比較してラートブルフの法思想における亀裂を指摘している にすぎない。とりわけ無視することができないのは、ラートブルフは初期に は実証主義者であったザウロがナチス‐体験の後に自然法論者のパウロに変 貌したという「ダマスカスの回心」の「神話」がいまだ無反省的な「前理解」、 つまりは先入見として念頭に置かれている、ということである。このことは、 上掲 ₇ 番目の論文の題名からして「法律上の不法と法律を超える法」と訳す 0 0 べきところを「実定法上の不法と実定法を超える法」と誤訳されていること から明瞭である。この誤訳の波及効果は遠大である。それは、1989年のベル リンの壁の崩壊後のいわゆる「壁の射手訴訟」において思いがけずも再登場 した「ラートブルフ公式」をめぐる争いにあってわが国の論者がほとんどお しなべてこの「神話」から出発しているほどの影響力を有していることから して一目瞭然である(これについて詳しくは、上田健二「ラートブルフ公式 と法治国家性原理」『生命の刑法学』(ミネルヴァ書房、2002年)所収 ₁ 頁以 下を見よ)。せめてラートブルフのこの期間の全論文がひとつのまとまった 彼の法哲学思想として把握されてさえいれば、すでにこの種の「神話」はす でに崩れ去っていたであろう。そのうえにドイツでは、本誌本号66頁以下の 「ラートブルフに関する文献一覧」に見られるように、ラートブルフ法哲学 (868) グスタフ・ラートブルフ ― 生涯と作品:続編 43 の初期と後期との連続性もしくは断絶性をめぐる論争は1960年代初期のそれ よりもはるかに先へと進行しているのである。それを踏まえたラートブルフ 全集(GRGA)の各訳文はそれぞれの校訂者の骨のおれる詳細な考証によっ て全く新しい意義を獲得している。本巻の校訂者であるヴィンフリート・ハ ッセマー( Winfried Hassemer)は、これをきわめて納得の行くように描出 している。 彼はその「まえがき」のかなで「ラートブルフの法哲学は政治哲学でもあ った。彼はナチストによって教職を追われた最初の人々の一人であった。そ して彼は、1945年の後に『法律上の不法』を分析し、これを克服した最初の 人々の一人であった。彼の著作物の現実性は、それゆえにかなりの部分につ いて、どのようにしてひとはラートブルフの生涯的宿命と哲学上の根本的諸 確信をもって諸時代を超えて学問と政治とを調和させることができたのかと いう問いに依存している」と述べている( Vorwort VII)。本巻における諸論 文は、この意味において今日でもなお、そして旧態依然として概念法学的に、 0 0 0 0 法と法律とを同じと見る法律実証主義的に盲目的に方向づけられているわが (刑)法解釈論にとってはますます現実的な意義を有している、ということ である。 なお、本巻の校訂者であるヴィンフリート・ハッセマーはアルトウール・ カウフマンの高弟の一人として現在はフランクフルト大学の教授であり、ド イツ連邦憲法裁判所判事でもある。 I ₁ .1933年 ₅ 月 ₉ 日にグスタフ・ラートブルフは、彼が「その全人格性およびこれま でのその活動からして、彼がいまや無条件に民族国家を支持する」こと「に対する保 (₁) 障」を示していないことを理由に、教職を解任された。このような評価は疑いもなく (₂) 正しかった。ラートブルフは、学者として、政治家として、懐疑論者としてと同様に、 (1) これについて、そしてこれに続く時代については、Radbruch, Der innere Weg. Aufriß meines Lebens, 2. Aufl. 1961, S. 1961, S. 136 ff; auch in Gustav ⊖ Radbruch ⊖ Gesamtausgabe – GRGR ⊖ , Band 16, biographischen Schriften, 1988, S. 250 ff.); Arthur Kaufmann, Gustav Radbruch. Rechtedenker, Philosoph, Sozialdemokrat, 1987, S. 133 ff.[中勝義・山中敬一訳『グ スタフ・ラートブルフ』 (成文堂、1992年)165頁以下] . Arthur Kaufmann, Gustav Radbruch. – Leben und Werke, in GRGA I, S. 26 ff.[本誌236号35頁以下] (2) 詳しくは、GRGA 1, S. 26 ff.を見よ。 44 同志社法学 60巻 ₂ 号 (867) 社会民主党員として同様に、新しい時代に対して頑なに無資格を宣告していたのであ る。 私はある大学教師の生涯におけるこのような切り口を ― ラートブルフは正教授と して1919年以来キールで、1926年以来ハイデルベルクで働き、1928年と1931年にはハ ンブルクとキールからの招聘を拒絶していた ― 劇的であるとしか思い浮かべるがで きない。それというのもラートブルフは、その大学での経歴が開始時では途切れ途切 れにしか進展していなかったことに酷く苦しめられたからである(彼は1903年以来教 授資格を有していた)。彼の態度は控え目であり、当時の言葉で、「キールでは協働す (₃) る全体において快適で支えとなる仲間関係に至ったことを、感謝をもって評価する」 と表現している。 しかしラートブルフの生涯の諸々の思い出には、これとは別のものが感じ取られ る。この解任から日々の生活にとって、家族にとって生じなければならない諸々の困 難に関しては、どのような言葉もない。その記述のなかでは、これとは全く別のこと が前面に登場している。「私のライフワークがそれらに値していた諸々の理念の排斥、 それらに対して私が否認的に行動しなければならなかった諸々の権力の支配を、私は 深く感得した。それというのも人間は、確かに然りというように作られているのであ り、彼が頑なに否を言うことに強いられている場合には、彼の心に損傷を負わなけれ ばならないからである。多くの友人の運命をも、私は深く感じないわけにはゆかなか (₄) った」。おそらくその解任に ― いれにせよ、後になって ― 「いくらか和解するこ (₅) とを勝ち取る」ことが彼にはできる状態になかったのは、その仕事とその諸理念への このような集中であったのであろう。そのむしろ冷静沈着な反応を説明することもで きよう二つの事情を挙げる。解任は彼から「進行する病気が不可避的にもたらしてい (₆) たであろう教職活動の高みからの下降を省いた」ということである。いまや彼にとっ 0 0 ては、「それらに私が青少年時代に苦痛をもってあきらめなければならなかった当の (3) Radbruch, Der innere Weg, S. 97. これらの文章の前に告白している:「小さな生活領域の なかでは、妨げられた輝かしい経歴というものは大学における経歴におけるよりも痛々しく 感じられる。正教授ではなく、学部に所属していない者は、彼には、よく私講師病として特 徴づけられる、ひねくれて過敏症を作り出すのがつねであるほどに多くのものから締め出さ れているのであり、それほどに少ない権利しか有していない。 」 (4) Der innere Weg, S. 136. (5) Ebenda. (6) Ebenda. もちろんラートブルフは続いて戦後に、 「ほとんど幸福という古い尺度をもって 諸々の講義を受け持つこと」を経験した(Arhur Kaufmann, in: GRGA 1, S. 47,[同号45頁] における裏づけ)。 (866) 45 グスタフ・ラートブルフ ― 生涯と作品:続編 (₇) 諸学問に献身する可能性が開かれたのである」。 このことがラートブルフを早速に仕事に着手させた。すでに解任の次の日に、と彼 (8) は報告している、彼はフォイエルバッハ‐伝記をもって開始したのであり、それはす (₉) で に1934年 に 刊 行 さ れ て い る。 そ れ に は1938年 に『 刑 法 雅 論( Elegantia Juris Criminalis)』[Sieben studien zur Geschichte des Strafrecht, Basel 1983; Elegantia Juris Criminalis. 2. neubearb. und erw. Aufl., Basel 1950(死後刊行). この論集は GRGA にお いては個別的な巻のなかに解消されている。Vgl. GRGA Band 1, S. 3]が、1939/40年 に『カロリナ(Carolina) 』の編集が、1944には『人と思想(Gestalten und Gedanken) 』 [菊池榮一・小堀桂一郎訳・ラートブルフ全集第 ₉ 号(東京大学出版会、1965年)が、 自伝的な、文学的な、歴史的で比較法的な諸研究によって補われ、そして導かれて続 (₁₀) いたのであり、それは1945年後に十分な程度において引き続けられた。 ₂ .1945年 ₉ 月 ₇ 日にラートブルフはそのハイデルベルク大学の教職に復職し、法学 (₁₁) (₁₂) 部の部長になる。1946年 ₁ 月8日に彼は『法学への案内』という講義をもって始め、そ して ― 以前の諸々の恐れに反して ― 「ほとんど働きのあらゆる尺度をもって諸々 (₁₃) の講義を受け持つという幸福を」体験した。 ラートブルフの文学上の作品は、1949年11月13日のその死に至るまでに豊なものに (₁₄) なっている ― それらに彼が献身した諸々の対象の変型に関しても。戦後の法哲学上 の 思 考 の ク ラ イ マ ッ ク ス で あ る『 法 律 上 の 不 法 と 法 律 を 超 え る 法( Geseztliche (₁₅) Unrecht und übergeseztliches Recht)』、『 法 哲 学 入 門(Vorschule der Rechts- (7) Der innere Weg, S. 136. S. 39. 彼はこれに続ける: 「そして私は私にしばしば聖書の言葉を ささやいたのである。 『彼らはそれを悪しきこととして私になしたのであるが、しかし神は 私とともにそれを善きこととしたのである』と」 。 (8) Der innere Weg, S. 136. (9) Paul Johann Anselm von Feuerbach. Ein Juristenleben, 3. Aufl. 1969, hrsg. von Erick Wolf. [ GRGA Band 6].[菊池榮一・宮澤浩一訳『一法律家の生涯 ― P. J. アンゼルム・フォイエ ルバッハ ― 』ラートブルフ著作集第 ₄ 巻(東京大学出版会、1963年) (10) Arthur Kaufmann, in: GAGR 1, S. 40 ff., 50 f.,ならびに、G. Löffler, in: Gedächtnisschrift für Gustav Radbruch, 1969, S. 377 ff.,参照。 (11) こ れ に つ い て、 そ し て ラ ー ト ブ ル フ の 死 に 至 る ま で の 時 期 に つ い て は、Arthur Kaufmann, Gustav Radbruch, Rechtsdenker etc., S. 147 ff.; Marie Braun, Nachspiel: Erföllung, 1945 – 1949, in: Radbruch, Der innre Weg, S. 144 ff. (12) Marie Bazm, Nachspiel, S. 148 ff. (13) Brief vom 22. 1. 1946 an C. A. Emge; Arthur Kaufmann, in: GRGA 1, S. 49を見よ. (14) これについては、 ― G. Löfflerの伝記のほかに ― Arthur Kaufmann, in: GRGA 1, S. 50 f.; Marie Baum, Nacspiel, S. 146. (15) 1946年;本巻83頁以下。 [小林直樹「実定法上の不法と実定法を超える法」ラートブルフ 著作集 ₄ 『実定法と自然法』 (東京大学出版会、1961年)249頁以下所収……ただしこの訳文 46 (865) 同志社法学 60巻 ₂ 号 (₁₆) philosophie)』、『 法 学 的 思 考 形 式 と し て の 事 物 の 本 性( Die Natur der Sache als (₁₇) juristische Denkform)』は政治上の意図にも基づいている。これと並んでたとえば自 (₁8) 伝『 心 の 旅 路(Der innere weg)』、 詩 集『 生 活 に 同 伴 し た 抒 情 詩( Lyrisches (₁₉) Lebensgeleite)』、オノレ・ドーミエ(Honore Daumier)の『司法の戯画(Karikaturen (₂₀) der Justiz)』の石版の、もしくは『人間性とフリーメーソンの精神史についての諸論 (₂₁) 稿( Beiträgen zur Geistesgeschichte der Humanität und der Freimauerei)』(副題)の (₂₂) 編集、フォンターネ‐エッセイが成り立っている。1935/36年のオックスフォードに (₂₃) おける一年間の研究滞在のひとつの成果である『イギリス法の精神』は、大陸ヨーロ ッパの伝統のなかで教育を受けた法律家にイギリスの法思考の諸々の特殊性に接近さ せた。テーマとしては大きな範囲のものであるが、それにもかかわらずより以前のも のと結びついているのは、ラートブルフが、共著者として、刑法上の諸対象に献身し た二冊の本、すなわち『法的諸事例を手がかりとした犯罪の理論(Die Lehre vom (₂₄) (₂₅) Verbrechen an Hand von Rechtsfällen)』と『犯罪の歴史(Geschichte der Verbrechen)』 である。そのうえに、ラートブルフを刺戟し、そして駆り立てた数多くの論文、言葉 の寄稿、判決への所見、書評、まえがき、箴言および諸々の関心の広いパレットへの 諸々の評価が加わる。 ラートブルフがナチ‐支配[の崩壊]後からその死に至るまで暮らしていた短い時 はすでにその表題からして明白な誤訳であることについては、上田健二『生命の刑法学』 (ミ ネルヴァ書房、2002年)30頁文末中(10)をみよ。 ] (16) 1948年;本巻121頁以下。 [野田良之・阿南成一訳ラートブルフ著作集第 ₄ 巻『自然法と実 定法』[東京大学出版会、1961年所収13頁以下] (17) 1947年;本巻229頁以下。 [この論文は予定されていたラートブルフ著作集には見当たらな い。] (18) 1951年;先の脚注( ₁ )を見よ。 (19) Deutsche Lyrik von Eichendolff und Rilke “ , 1946, 2. Aufl. 1958. (20) 1947, 3. Aufl. 1961.[ GRGA Band 5, Literatur ⊖ und Kunsthistorische Schriften, Heidelberg 1997, S. 234 ff.] (21) Vom engdlischen Geist der Aufklärung, 1948; そのなかで23頁から34頁まではラートブルフ の論稿『魔笛の刑法(Das Straftrecht der Zauberflöte) 』である。 [GRGA Band. 4, Kulturphilosophische und –historische Schriften, Heidelberg 2002, S. 283 ff.] (22) Teodor Fontane – oder Slepsis und Glaube, 1945, 3. Aufl. 1954.[ GRGA Band 5, Literatur ⊖ und kunsthistorische Schriften, Heidelberg 1997, S. 290 ff.] [菊池榮一・小野桂一郎訳『人と 思想』ラートブルフ著作集第 ₉ 巻所収199頁以下] (23) 1946, 4. Aufl. 1958. (24) Engelhard/Radbruch, Strafrecht. Die Lehre vom Verbrechen an Hand von Rechtsfällen, 1946, 2. Aufl. 1948.[GRGA Band. 8, Strafrecht II, Heidelberg 1998, S. 47 ff.] (25) Radbruch/Gwinner, Geschichte der Verbrechens. Versuch einer historischen Kriminologie, 1951.[ GRGA Band 11. Strafrechtsgeschchte, Heidelberg 2001, S. 19 ff.] (864) 47 グスタフ・ラートブルフ ― 生涯と作品:続編 期を、その文学上の作品しか見ないのでは十分に特徴づけることができない。補充的 (₂₆) にともに考えられなければならないのは、とくに、時代の証人の判断によれば、彼の (₂₇) 外面的な働きの三つの様相、すなわちラントにおける民主主義的な新規開始というも のを求める諸々の努力、大学と学問の現状回復というもののための彼の仕事および、 方向づけを探し求める学生たちへのその肩入れである。休むことのない努力の集中、 長く繋ぎ止められて多くの前線に投入された減少しつつある諸力、これらがいまやあ らわになった。このことが、それが口頭および書面による諸々の報告から判明するよ うなラートブルフの晩年の印象である。 II この巻は、このような時代に由来する、ナチ‐支配の開始からその崩壊を経てラー トブルフの死に至るまでのラートブルフの法哲学上の著作物を収集している。したが ってそれは、ラートブルフの法哲学上の思考がそれらのなかで時代の諸展開を、とく に1945年という刻み目を伴なった諸々の展開を究明する機会を与える。 ₁ .確かにこの巻が知らせることができる認識は幾重にも限られている。それは、た (₂8) とえばラートブルフの諸々の手紙のなかで映し出されるような日常的で個人的に着色 (₂₉) (₃₀) (₃₁) された諸経験を、刑法についての、国家法についての、もしくは文化政策についての 意見表明を含んでいない。諸々の講義原稿もまた、後の読者のために起草されたので (₃₂) はないことを理由に、全集には採用されていない(講義の筆記メモ『法哲学入門 (26) たとえば、Fritz von Hippel, Gedanken an Gustav und Lydia Radbruch; Helga Einsele, Erinnerung an den Lehrer Gustav Radbruch, beiden in: Gedächtnisschrift(oben Fußn. 10) , S. 29 ff., 37 ff.; Marie Baum, Nachspiel, S. 147 ff.; 1948年11月21日のラートブルフの70歳誕生日 の祝詞と感謝の演説およびGünter Spendel, in: GRGA, Band 16, S. 322 ff., 458 ff.,の編集報告 におけるこれについての諸々の補充を、そしてErich Wolf, Gustav Radbruchs Leben und Werk, in: Radbruch, Rechtsphilosophie, 8. Aufl. 1973, S. 67 ff., をも見よ。 「グスタフ・ラートブルフと宗教」 )については、Ricard (27) ラートブルフの「覆われた生命線」( Hauser, in: Gedächtnisschrift( oben Fußn. 10) , S. 50 ff.; auch Arthur Kaufmann, Gustav Radbruch, Rechtsdenker etc., S. 178 f.[中義勝・山中敬一訳『グスタフ・ラートブルフ』 (成 文堂、1992年)222頁以下] (28) これについては続いて、グスタフ・ラートブルフ全集の第17巻と第18巻で。しかしすでに Spendel によって編集された第16巻〈伝記的著作物」 )を見よ。 (29) これについては、GRGA の第 ₆ 巻から第11巻まで。 (30) これについては、GRGA の第14巻。 (31) これについては、GRGA の第 ₄ 巻。 (32) Arthur Kaufmann, in: Einleitung in GRGA 1, S. 1. 48 同志社法学 60巻 ₂ 号 (863) (₃₃) (Vorschule der Rechtsphilpsophie)』という重要な例外をもって)。そして最終的には、 (₃₄) 1933年以前のラートブルフの法哲学についての孤が次いでようやく、全集第 ₂ 巻が現 存ずるようになるときには、完全かつ信頼の置ける形で描かれる。 このような限界づけは重要である。ラートブルフの諸々の意見表明、その思考とそ の生涯についての諸々の報告は、他の誰でもない彼にとって、彼が献身した実務と学 問の様々な形式と領域とが互いに補完してひとつの全体を形づくっているということ を、したがってその限りでのみ、彼の諸々の意見表明が理解され得るということを明 白に裏づけている。このような諸々の制限への斟酌をもってここに収集されたラート ブルフの法哲学上の諸作品が読まれ、整理され、解されなければならないのである。 ₂ .このような諸々の限界にもかかわらずこの収集は ― とくに読書に当たってそれ (₃₅) らの年代記的な順序に従われる場合には ― ラートブルフの著作物の諸々の記録を越 (₃₆) えて ― 実質において多面的に教示し、明らかにすることができる。 ラートブルフは、戦後では増強されて、その思想を様々な着想において、部分的に は様々な対象についても、繰り返したのであり、このような仕方でそのつど新たに検 証した。彼は、歴史的および文学的な伝統をより確かに意のままにして、その態度表 明を、その正確さと的確さを失うことなく、扱われる対象を越えて展開した。そのま れな明瞭性、完全性および完璧性において、諸々の学問間の交互関係、それらの歴史 的展開との、そしてまた実務との諸々の結合を取り入れて完全なものに仕立て上げた (₃₇) (₃8) のである。博士論文において、そして教授資格論文においてすでに際だっており、そ してその後には継続的に完熟してゆくというのがラートブルフの思考のひとつの特徴 である。現に刑法についての諸々の熟慮は法哲学的に裏づけられ、刑事および行刑政 策は継続的に考察され、検討されている。現に法哲学上の諸々の定理は哲学的に組み 込まれ、哲学史的に導き出され、文化的な諸伝統と結び付けられ、諸々の例に関係づ けられている。現に法の基盤における諸々の授業は日常的および文学的な諸経験に結 びついている。現にラートブルフの法哲学上の著作物もまた、それらがここで印刷さ れているように、そのつどの対象の小冊子であるばかりでなく、この時代展開におけ る市民としてのラートブルフの思考と行為にとっての証言である。それらは至る所で (33) この巻の121頁以下で。 (34) GRGA Rechtsphilosophie II. (35) これについては、この巻の[訳者]まえがきを参照。 (36) 本全集のこのような主要目標については、die Einleitung von Arthur Kaufmann, in: GRGA 1, S. 1 f., 2 f. (37) Die Lehre von der adäquaten Verursachung, 1902.[GRGA Band 7, S. 7 ff.] (38) Der Handlungsbegriff in seiner Bedeutung für das Strafrechtssystem. Zugleich ein Beitra zur Lehre von der rechtswissenschaftlichen Systematik, 1904.[GRGA Band 7, 75 ff.] (862) 49 グスタフ・ラートブルフ ― 生涯と作品:続編 包括的な諸連関を一瞥することを許しているのであり、それらは明瞭な諸々の輪郭を 仲介している。それらはこのような意味において他人に成り代わってまでも読まれ得 るのである。 II ₁ .法哲学者ラートブルフの著作物のようなそれらに1933年に発する時期から1945年 を超えてつねに向けられてきたし、また向けられなければならない中心的な問いは、 実定法の正義を求める問いである。この問いは学問的に多くの衣服を纏って立ち現わ れる。存在と当為との〈現実と価値との、また法的安定性と正義との、法の実定性と 規範性との〉関係として、法の価値理論もしくは妥当理論という形において、経験的 ‐分析的な法の根拠づけと形而上学的なそれとの争いにおいて、もしくは ― 外見上 は ― ただ単に法概念と法理念の必然的な諸要素を獲得するための闘争において法律 0 0 実証主義と自然法論との対立として。このような問いは法哲学の当の核心問題であっ たし、また現にそうであるのであり、そしてそれだから法哲学者たちの間で、どのよ うにしてそれを言い表すべきかについて争われているのである。 この問いの正しい定式化については、ここではもちろん扱うことができない。それ を扱うことを必要ともしていないのである。それというのもラートブルフの諸理論、 市民としてのその実務およびその学問上の諸々の意見表明が、考えられているものを 歴然かつ正確に表現されているからである。彼の出自は認識批判上の相対主義であ る。1921/23年の社会民主党のライヒ司法相としての仕事;刑法典のある草案に至る までの法的諸問題についてのその多彩な諸々の批判と提案;不法国家との個人的およ び学問的な諸経験とその政治的および学問的上の克服、どのようにしてこれらのこと が交わるのか。ある人がこれらのことを行為と思考との分裂なしに、少なくとも法の 認識論と価値論におけるひとつの明確な転向なしにこれらのことを克服することがで (₃₉) きるのか。どのようにして堕胎処罰というものの正義について、ナチ‐諸法律の不正 義について誰であれ意見表明する者が、学問的に(法的)諸価値を認識することがで きないという確信を持ち続けることができるのか。 ― 1933年以降のラートブルフの (39) たとえば、Fritz von Hippel, Gustav Radbruch als rechtsphilosophishcer Denker, 1951, S. 36, 99参照。彼はラートブルフの個人的な展開のなかにではないが、しかしその思想のなか に、彼を一人の実証主義者から一人のキリスト教的自然法論者に変えさせたような「ダマス カスの回心」というものを見ている。ラートブルフの「価値相対主義」については、ごく最 近 の 著 作 物 か ら た と え ば、Gais, Der Methoden⊖ und Richtungsstreit in der Weimarer Staatslehre, in: Juristisch Schulung 1989, 91 ff., 93. 50 (861) 同志社法学 60巻 ₂ 号 法哲学上の諸々のテクストに、次いで再び1949年以降に向けられなければならない実 定法の正義を求める問いは、今世紀[20世紀]後半のなかでラートブルの生涯宿命を (₄₀) 伴ったような法思考家、哲学者そして社会民主党員の思考と行為との統一を求める問 い以外の何ものでもないのである。 ₂ .ラートブルフの価値相対主義に輪郭を与えようとする者であれば、たいていの場 (₄₁) 合では、それを彼の『法哲学』に手を伸ばしてそこに見出すことになる。とくに法の (₄₂) 妥当を扱っている第10章は多くの章句のなかで、ラートブルフは、彼にとっては価値 の諸々の根拠づけが遮られていることを理由に、実定的な法律だけが法源として承認 することができるとした解釈を支持している。彼は法哲学者としてこのような法律に 実証主義的に身をゆだねたのである。これに対応する章句はよく知られている。 「何が正義に適っている( gerecht)のかを誰もが確定することができないのであれ ば、何が合法的である( rechtens)べきかを誰かが確定しなければならないので (₄₃) あり、制定法が対立し合っている法の諸々の見方の衝突を権威的な権力の断言を通し て終わらせるべきであるならば、法の定立は、対立しているどのような法の見方に対 しても貫徹というものが可能であるような意志に当然に帰属すべきものとされなけれ ばならない。法を貫徹することができる者は、これによって、彼が法を定立するのに 適任であることを証明しているのである。逆に言えば、国民のなかでの誰であれある 者を多の者に対して保護する権力を十分に有していない者は、彼に命令する権利をも (₄₄) 有していないのである(カント)」。法律に服している裁判官にとっての諸帰結は、こ れによれば明白である。すなわち「裁判官にとっては、法律の妥当意志に真価を発揮 させ、自身の法感情を権威的な法の命令の犠牲に供し、何が適法であるかを問うだけ (40) Arthur Kaufmann(oben Fußn. 26)の伝記の副題がラートブルフをこのように特徴づけ ている。 (41) この場合に注意すべきはもちろん、かなり古い層のなかにラートブルフの法哲学が埋め込 まれているということである。コンテクストは1932年の第 ₃ 版である(Hrsg. der 4. Aufl., Erick Worf, unter I, III, 1.参照) 。 (42) Radbruch, Rechtsphilosophie(oben Fußn. 26)S. 170 ff. (43) もちろんラートブルフはある脚注のなかで直ちに、彼がここで「正義に適っている ( gerecht) 」に対して「合法的である(rechtens) 」を置いていることと、 「態度の合法性」 の規定が同時に「喧伝と批判の自由」に余地を許しているということを強調している。 「権 力掌握者の法定立権能はある一定の法の見方を確かに法の基盤とすることができるのである が、しかし権力闘争者に対して普遍的に妥当する法的真理として宣言することはできないの であり、そしてまた法的な諸々の見方の意見闘争にひとつの終結を置くこともできないので ある。反対に、法の諸々の見方の妥当に関する判定のために権力を将来するのと同じ相対主 義が、このような権力が法的な諸々の見方の意見闘争に自由な領野を許すことを要求する」 ( Rechtsphilosophie, S. 175, Fußn. 2. (44) Ebenda. (860) 51 グスタフ・ラートブルフ ― 生涯と作品:続編 であり、それが正義に適っているのかを決して問わないことが職業上の義務である ……。われわれはその確信に反して説教する牧師を軽蔑するが、しかしわれわれはそ の逆らっている法感情を通してその法的忠実において自らを誤らせない裁判官を尊敬 (₄₅) する……」。 このような判断に、ラートブルフが1945年以降に起草した次のようなテクストが対 置されるならば、法律実証主義のザウルスから自然法のパウルスに変貌したことは歴 然としているように思われる。「われわれは諸法律それ自体が不正義を、それどころ か犯罪を裁可することに役立たなければならなかったような時代を回顧する。ドイツ の法律家の間で支配していた見解、すなわち規則に即して成立したどのような法律に も法たる性格と妥当が当然のこととして帰属するとした法実証主義は、このような不 正かつ犯罪的な法律に対して無防備であった。われわれは再び、すべての法律のうえ におかれている人間的諸権利を、正義に敵対する諸法律を拒絶する自然法を自覚しな (₄₆) ければならないのである」。「それゆえにどのような法的定立よりも強い法的諸原則が 存在している結果として、それらと矛盾している法律は妥当を欠いているのである。 (₄₇) このような基本原則は自然法もしくは理性法と呼ばれる」。 ₃ .それにもかかわらず、である。このような対立論を和解させることができよう。 それはラートブルフの以前の諸々の意見表明にも以後のそれらにも相応していないで (₄8) あろうし、それはどの彼にも適合していないであろう。本巻はより細分化されてテク ストに接近した解釈のためのひとつの資料を提供しているのである。 a)何よりもまず、ラートブルフの著作物の場合では、諸々のテクストもしくはテ クストの諸断面をただ単に並存的に、もしくは対立的に置くことから思想の内実と展 開への諸帰結を引き出すことは危険である。それというのもまさにラートブルフは状 況的なレトリックの一人の巨匠、講義、エッセイそしてモノグラフィーが言語水準、 距離および密度においても異なっていることを知っていた一人の著作者であったから である。現にたとえばポイントを衝いた実証主義の断罪というものが、まさにラート (₄₉) ブルフの実証主義的な段階として当てはまると言ってよいような時期(1919年)から、 (45) Ebenda. S. 178. (46) Erneuerung des Rechts(1946) , 本巻の80頁以下。 (47) Fünf Mituten Rechtsphilosophie(1945) [GRGA Band 3, 78 f. 79.].[村上淳一訳「五分間の 法哲学」 8 『実定法と自然法』ラートブルフ著作集(東京大学出版会、1961年)227頁] (48) これについては、そして以下このことについても、そのつどの文献指示を伴って、Arthur Kaufmann, Der Mensch im Recht(1958) , in: ders.., Rechtsphilosophie im Wandel. Stationen eines Weges, 2. Aufl. 184, S. 23 ff., 26 ff.; ders., Gustav Radbruch. Rechtsdenker etc( 前 注 ( ₁ )), S. 150 ff.; ders., in: GRGA 1, S. 44.; 76 ff. (49)「法学的実証主義、権力のこのような偶像崇拝は、現実政治上の、権力国家上の時代相の 52 同志社法学 60巻 ₂ 号 (859) (₅₀) 時間的にラートブルフの法律を超える法への闘争的な支持に由来している(1945年) ようなテクストと対決することは困難ではないのであり、それにもかかわらず印象 を、あたかもラートブルフの法哲学にとってあれほど重要である懐疑の態度が汲み尽 くされたかのように、諦念のうちに媒介する。これらすべてははるか事態の側面に置 かれているのであろう。現実に問題になっているのはひとつには政治的‐提訴的なコ ンテクストであり、もうひとつにはそのつど独自のレトリックを伴う文学的‐エッセ イ的なコンテクストである。 このような熟慮は、私の目では、ラートブルフの―一見してコンテクストから孤立 (₅₁) しているように見えた ― 外見的に矛盾している態度表明を時間の流れのなかで正し く評価することができるための鍵でもある。それは、本巻のなかで印刷されている 諸々の意見表明の評価にとっても役立っているのであって、それというのもこれらの 意見表明は全く異なっているテクストの類型に属しているからである。 (₅₂) 現に簡潔ではあるが、むしろ情報量に富んでいる諸々の書評と並んで、ラートブル フが慎重な諸々の示唆のなかで彼の立場を同時代の「諸潮流」のなかで、もしくは並 (₅₃) (₅₄) (₅₅) んで標識づけている諸々の書評が見られる。1933年の直後にもナチ‐支配の終焉後も (₅₆) (₅₇) 法政策的に、もしくは法哲学的に仕立て直された公共への訴えに至るまでほとんどマ ニフェストの形式を有している諸々のテクストが存在している。これと並んで、互い 法学的な部分現象を意味している。 」 (Ihr jungen Juristen!, 1919, S. 13.[ GRGA Band 13, Politische Schriften aus der Weimaler Zeit, Heidelberg 1993, S. 47] ) . (50)「懐疑、しかし笑うべき懐疑、ひとつの疑惑、これは疑うのではなく、陽気に諦めるので ある。」( Thedor Fontane, 前注(22)S. 9) (51) Arthur Kaufmann が1963年に収集し、主宰し、編集したRadbruchの „Aphorismen zur Rechts. ⊖ wissenschaft “のなかでこれを最も明瞭に研究することができる。 (52) たとえば、Die Sammelrezention JZ 1947, Sp. 56, この巻では115頁。 (53) た と え ば、Schwingの „Irrationalismuns und Ganzheitsbetrachtung in der deutechen Rechtswissenschaft “(1938)についての1939年の論評。 (54) たとえば、Gustav Radbruch, Relativsmus in der Rechtsphilosophie, この巻では17頁以下。 [尾高朝雄訳「法哲学における相対主義」ラートブルフ著作集第 ₄ 巻『実定法と自然法』 (東 京大学法学会、1961年) ₁ 頁以下] (55) たとえば、„Gesetzliches Unrecht und Übergesetzliches Recht“(1946) , この巻では97頁以 下。[小林直樹訳「実定法上の不法と実定法を超える法」前掲(54)訳書250頁以下。ただし この訳文はすでにその表題からして誤訳である。正しくは「法律上の不法と法律を超える法」 (ミネルヴァ書房、2002年) でなければならない。これについては、上田健二『生命の刑法学』 30頁注 ₆ を見よ。 ] (56) たとえば、Erneuerung des Rechts(1946) , この巻では80頁以下。 (57) たとえば、Fünf Minuten Rechtsphilosophie(1945) , この巻では78頁以下。 [前掲(47)訳 書223頁以下」 (858) 53 グスタフ・ラートブルフ ― 生涯と作品:続編 (₅8) に再び異なっており、一方では意見状態のより控えめな叙述として、もしくは他方で (₅₉) 新しい理論的な岸へと向かう出発としてモノグラフィーふうな諸論文が成り立ってい る。 そ れ ら に そ の つ ど 独 自 な 形 式 を 最 終 的 に は『 法 哲 学 入 門(Vorschule der (₆₀) (₆₁) Rechtsphilosopie)』と、 「事物の本性」に関する小冊子( Libellum)が有している。両 者ともに幅広く設えられた著述であり、前者は学習用の出版物を、後者は専門的な公 衆を対象としており、前者はひとつのモノグラフィーふうのものであり、後者は諸々 の深化をもったひとつの体系的な概観である。そして『入門』それ自体は様々なテク スト類型の例として通用することができるのである。それというのも、ラートブルフ (₆₂) が「法学の諸時期」(第24章)についてその友人であるヘルマン・カントロヴィッツ ( Hermann Kantorowicz)のあるテクストを受け継いでいる(この人は彼自身とは 全く別の書き方をしている)という理由からだけではなく、ひとはこの講義の覚書に、 (₆₃) どのような諸対象をラートブルフが当然のこととして扱っているのか、そして何が彼 (₆₄) にとって切実な問題であったのかということから、もしくはすでに記述様式が一方に (₆₅) (₆₆) おいて十分に考えられていてよく知られており、他方で開かれた諸々の問題を細分化 しているという理由からである。 b) テクストの機能に依存しているレトリックだけでなく、テクストがそのなか で、そしてそのために起草されている時代もまた、― まさにラートブルフにとって、 そして、そこからここに転載されているテクストが由来しているまさにこの時代にと って ― 相応の理解にとって重要であり、注目されなければならない。ハンス‐ペー ター・シュナイダーは、ラートブルフの『法哲学』に関連して、適切にも次のように (₆₇) 指摘している。 「実質的な価値論のインフレーションもしくは、そのために認識の代わ (58) たとえば、Arten der Interpretation(1935) , この巻では23頁以下。 [碧海純一「解釈の種類」 ラートブルフ著作集第 ₅ 巻『法における人間』 (東京大学出版会、1962年)所収99頁以下] (59) たとえば、Klassenbegriffe und Ordnungsbegriffe im Rechtsdenken(1938) , この巻では60頁 以下。 (60) 1948年、この巻では121頁以下。 (61) Die Natur der Sache als juristische Denkform. 1948、この巻では229頁以下。 (62) GRGA 16, S. 73 ff., 75 ff., におけるラートブルフのカントロヴィッツの評価および編集報告 S. 367を参照。 (63) たとえば、第14章( 「法と習俗」 ) 。 「世界法」 (64) たとえば、「事物の本性」についての§6 IV, §17, §33 VI,もしくはまさに第35章( における荘重な章句を参照。 『入門』の結論をも見よ。 (65) たとえば、目的合理性についての第 8 章。 (66) たとえば、解釈学についての第25章Ⅲ( 「法学的実証主義」という題名のもとに論評され ている)。 (67) Hans ⊖ Peter Schneider, Gustav Radbruch(1878⊖1949) , Rechtsphilosoph zwischen w issenschaft und Politik, in: Kritische Justiz( Hrsg.) , Stretbare Juristen. Eine andere 54 同志社法学 60巻 ₂ 号 (857) りに信念が要求された全体的な非合理主義でさえあるような時代においては、……学 問の自由への冷静かつ控えめな退却、窮極的な諸価値に関しての『無知(Ignoramus)』 は、まさに必然的に確信と性格の欠如として誤解されないわけにはゆかなかった。」 このような熟慮のなかには、このような表現形式が表現にもたらすよりも多くが差 し込まれている(そしてこのことは、ラートブルフの心情告白の勇気を話題とするシ (₆8) ュナイダーを根拠づけている)。つまりは、テクストと、解釈学的要素としてのテク ストの否同時性である。1934年に由来する、1986年に由来する、もしくは1989年に由 来する法哲学上のテクストが「価値相対主義」もしくは「自然法」を問題とする場合 には、事態はいくらか異なっているのであって、なぜかと言うに、テクストがとらわ れている理念史的、文化的および政治的なコンテクストはそのつど異なっているから であり、そしてまたなぜかと言うに、このコンテクストはそれゆえに別の聴者と読者 (₆₉) にかかわっているからである。このような非同時性は、 「前理解」のひとつの要素とし て止揚し難いものであり、テクストへの媒介されない手出しというものが永久に締め 出されているのである。それは、細分化して「その時代にとって」を知っていた、ま さにラートブルフのような著者の場合では、特別な力を込めて判断する読者に対し て、テクストの成り立ちとテクストの理解との距離を意識し続けることを、テクスト 成立時の意味論と言語実用論を可能な限り現実化し、その判断が平板な同時代的誤解 という嫌疑から免れていないという要求を根拠づけている。 ここで転載されているラートブルフの諸々のテクストは、読者としてテクストの成 り立ちとテクストの理解との非同時性をはっきりとわからしてくれる諸々の機会の充 満というものを提供している。特別な程度においてこのことは、個別的な法領域の 諸々の疑問提起への法哲学上の背景にかかわっているのであり、そしてそのさい時代 の言語使用(そしてこれとともに当然に思考にも)掛かり合っている諸々の意見表明 に当てはまる。現にたとえばラートブルフは、彼は「刑法の軟弱化」というものに責 (₇₀) 任を負っているヴエルツエルの批判(1833年)に対してフランツ・フォン・リスト ( Franz von Liszt)を弁護している ― ラートブルフの思考とラートブルフ的な政治 (₇₁) 学を前にしたいくらかの混乱した事例状況である。この関連には ― 付随的なものは Tradition, 1988, S. 295 ff., 300. (68) Ebenda. S. 300; S. 304 f.,をも見よ。 (69) ラートブルフ自身が、 『入門』のなか(ここでは141頁以下)で、法思考の成立にとっての 「歴史的風土」の意義を際出させた。Radbruch, Natur der Sache als jurisitischen Denkform, この巻では237頁以下をも参照。 (70) Hans Welzel, Naturalismus und Wertphilosophie im Strafrecht, S. 43, への書評、この箇所で は29頁。 (71) Ebenda S. 31参照。それは ― このようなコンテクストにおいても ― 「生命の単一性」 (856) 55 グスタフ・ラートブルフ ― 生涯と作品:続編 (₇₂) 別として ― シュヴィング(Schwing)の非合理主義-書(1938年)への「余すとこ ろのない」賛同もしくは「われわれの時代の傾向」への諸々の援用が属している (₇₃) (1938年)。 ₄ . ラートブルフは1933年の、そして1945年の印象のもとにその法哲学の基盤を取 り替えたという判断は、このようなテクスト解釈学的諸熟慮によって相対化されるば かりでなく、テクストそれ自体によって論駁される。このことをすでに、時代の一般 的な政治的およびイデオロギー的な諸傾向を対象としている1933年以降のラートブル フの意見表明への一瞥が確証している。このような意見表明は一貫したものであり、 診断において明瞭かつ判断において明白である。 (₇₄) a) 1934年に講義されて公刊されている、すでにその法実証主義がラートブルフの 時代の諸傾向についての理論的評価と実践的態度を最小限範囲において(in nuce) あらゆる願わしい明瞭性をもって提供している。彼は「いうところの絶対的な諸価値」 という支配的なイデオロギーに反対して論証し、その根底には多様な「性格の欠陥」 (₇₅) が置かれているという批判に対しては、相対主義の根本的認容は民主主義と法治国家 (₇₆) の理論というものの諸源泉、すなわち自由主義の、確信行為者の刑法上の取り扱いの、 権力分立の、寛容と社会主義の源泉であるという証明をもって相対主義を弁護してい る。相対主義からこのような内容的な諸帰結をそもそも導き出すことができるのかと (₇₇) いうことについての疑いを、私はこのような構想に対して根拠づけられていないと考 (₇8) える。それというのもラートブルフはここで方法ではなく、相対主義の政治的エート スと題材にしているのであるからであり、彼は相対主義を消極的に形式主義的に拒絶 反応をする批判としてではなく、積極的に、われわれは、そのなかでは誰もが何が正 しいのかを究極的に知っていないような世界のなかで手はずを整えて体外に折り合っ (₇₉) てゆかなければならないという「力強い、それどころか攻撃的な確信」として考えて いるのである。このことは実際のところ、民主主義、法治国家および寛容の命令にと 対「崩壊」をめぐる、そして「市民的利益」を求める欲求をめぐる明白な対立である。 (72) Erich Schwinge, Irrationalismus und Ganzheitsbetrachtung in der deutschen Rechtswissenschaftへの書評、この巻では71頁。 (73) Radbruch, Klassenbegriffe und Ordnungsbegriffe im Rechtsdenken, この巻では64頁。 (74) Der Relativismus in der Rechtsphilospohie, この巻では64頁以下。 (75) Ebenda, S. 18 ff. (76) Ebenda, S. 18 ff. (77) たとえば、Arthur Kaufmann, Gustav Radbruch. Rechtsdenker etc.(oben fußn. 67) , S. 300 f., を見よ。 (78) H. ⊖P. Schneider, Gustav Radbruch(oben Fußn. 67) , S. 300 f., もまた、結論において同様 であろう。 (79) Der Relativismus in der Rechtsphilosophie, S. 17. 56 同志社法学 60巻 ₂ 号 (855) っての負担能力のある基盤である。 ここで想起させるものは、1945年以降にはじめてではなく(これは自明である)、 確固たる歌曲(cantas firmus)としてナチ-時代に由来する法哲学上の著作物のなか (8₀) に継続される。ラートブルフは1937年に「全体国家の新しい形式」というものに直面 して法と道徳の分離を優先している。彼は共同体の諸形式に対して法の独自性を強調 し、彼の態度をあらゆる控え目において「ファッシズム的であるよりもむしろ『民主 (8₁) 自由主義的である』」ことをもって特徴づけている。彼は、法の諸原理をもって総統 (8₂) 命令と公共の福祉とを対照している。彼は、時代に即して投げつけられたものに対し (8₃) て啓蒙の政治哲学を弁護している。ラートブルフはその法哲学上の著作物のなかで、 1933年からは、それが問題であるところで、支配的な時代精神に対して法の諸々の課 題とその人間的な諸伝統を強調した。彼の立場は、方法論的理解というものにおいて 形式的もしくは相対主義的ではなかってのであり、それは空虚な「無知(Ignoramus)」 というものに、そして向こう見ずな価値根拠づけに対する不毛な警告というものに自 らを制限したのではなかったのである。それはその懐疑を新しい信仰心に対して、民 主主義の根本的諸価値の、権力分立の、法改正の、そして別様に考える者に対する寛 容の根本的諸価値を根拠づけ、闘争的に絶対性要求に、真理性のテロルに、そして見 せ掛けだけの調和に対抗することができたのである。このことは、1945年以前では、 唯一の法源としての実定的法律への規範的引渡しという意味における「実証主義」と は全く別のものであった。これは、実質的な政治哲学であったのである。 b) ラートブルフはその法哲学を実証主義というものから自然法論というものに 変えたという主張は、確かに政治哲学についての彼の諸々の意見表明にというより も、とくに方法二元論についての、存在と当為との関係についての彼の根本的想定を 拠り所としている。しかしともかくも、どのようにしてこのような政治哲学を基盤に して ― ワイマール時代におけるラートブルフの政治的実践はいったん別として ― 実証主義的な法理論というものが生じえたのかは、当然の問いであったし、また現に ある。このような問いについて私は議論する必要を見出さなかった。それはいずれに せよ、ラートブルフの認識論上の根本的想定がより厳密に究明されるならば、対象を 欠いているのである。ラートブルフはその法哲学を取り替えたのではなく、力点を別 (80) Nef, Recht und Moral in der deutschen Rechtsphilosophie seit Kantへの書評、この巻では 37頁。 (81) Del Veccio, Lehrbuch der Rechtsphilosophieの論評、この巻では35頁。 (82) Der Zweck des Rechts, この巻では48頁以下、39頁以下。 (83) Erick Wolf, Grpoe Denker der deutschen Geistesgeschichteの書評、この巻では72頁以下、 75頁。 (854) 57 グスタフ・ラートブルフ ― 生涯と作品:続編 (8₄) の所に置いたにすぎないのである。 (8₅) すでに、ラートブルフの法律実証主義にとっての裏づけとして行き渡っている『法 哲学』第10章のなかには、このような解釈を相対化する諸々の限界づけが見られる。 すでに、合法性と正義(「法的真理」)との差異以外の何ものでない「合法的である (8₆) ( rechtens) 」と「正義に適っている( gerecht)」との区別が、すでにラートブルフの 初期の思想のなかで法律の実定性がその正当性と同じでないことを裏づけている。す なわち、立法者の権力の有無を言わせぬ断言にもかかわらず法の内容に対する批判の 自由!ということである。ラートブルフが自らのコンテクストのなかで「腐敗せる諸 (8₇) 法律」の可能性を、そして「法」(より厳密には「正しい法」、真正な法律)が被告人 に対して「その権力を実証しはするが、しかしその妥当を決して証明することができ (88) ない」ということを話題としていることがラートブルフの「実証主義」を、法を立 法者に引き渡さなかったような法理論として格づけているのである。すなわち、立法 者は法的安定性を作り出すことはできるが、しかし正義を作り出すことはできない、 ということである。 ラートブルフがその法哲学を1933年にも1945年にも取り替える必要ななかったとい うことは、法についての彼の考え方の二つの特性に基づいている。この考え方は複雑 であり、そしてそれは開かれている。 厳格な筋金入りの法実証主義とは異なってラートブルフは法の理念を単線的にでは なく、三つの構成部分、すなわち正義、合目的性および法的安定性の緊張に満ちた共 (8₉) 存的および対立的並存として構想している。このような法理念の「矛盾に満ちた多面 性」を解消することを、彼はすでに『法哲学』のなかで次のような注目に値する根拠 づけをもって拒絶している。「われわれは、それらを解決することができない諸々の 矛盾を指摘した。われわれはそこに体系のどのような欠陥をも認めていない。哲学は 諸々の決断を取り去るべきではない、それはまさに諸決断の前に立っているべきであ る。それは生活を容易にするのはなく、まさに問題をはらんだものとするのである (84) Arthur Kaufmann, Gustav Radbruch. Rechtsdenker etc.(先の脚注( ₁ ) , S. 152 ff.[前掲 ( ₁ )訳書188頁以下]; Schneider, Gustav Radbruch(先の脚注67)もまた、結論においてこ のように言う。 (85) 先の III ₂ 以下をみよ。 (86) 先の脚注(47)。 (87) Rechitsphilosophie, S. 177. (88) Ebenda, S. 178 f. (89) とくに『法哲学』の第 ₉ 章( 「法理念のアンチノミー」 ) 。 『入門』からは第 ₂ 節を参照。構 造的に類似しているのは倫理的善論の彼の分割であり、個人主義的、超個人主義的および超 人格主義的なシステムにおける価値体系である( 『法哲学』第 ₇ 章、 『入門』第 8 章) 。 58 同志社法学 60巻 ₂ 号 (853) ……。世界が理性のひとつの目的創造であると考えるのではないが、それでもそれが 理性の体系というものにおいて余すところなく割り切れるとするような哲学がどれほ ど疑わしいものであろうか! そして世界が究極的には矛盾ではなく、生活は決断で (₉₀) あるのであろう場合には、現存在というものはどれほど余計なものであろうか!」 これらは(何と言っても実証主義には不向きである)鍵となる文章である。ラート ブルフは力を込めて法理念の複雑性(「諸々の矛盾」)を主張し、そして彼はまさにこ のように力を込めて、正義、法的安定性および合目的性との間の緊張が哲学を通して ではなく、決断を通してのみ解消され得ることを、そして彼は法理念の三つの構成部 分の関係は、学問的には開かれたままでなければならないことを主張している。これ はひとつの偏狭な実証主義でもなく、それは、方法論上の厳格さに有利な結果になる ように法の正当性についての決断をそのつどの立法者に委譲してしまうような無力な 相対主義でもない。それはむしろいっさいの知識といっさいの学問にとっての決然た る限界引きであり、それは、法の正義を科学的に証明することができる、もしくは導 出することさえできるとする、ひとを欺く、もしくは偽善的な希望の限界づけである。 ラートブルフの法哲学のこのような根底についてはいささかも変わっていないのであ る。 変わっていたのは司法の指導形象としてのとしての法理念の構成部分の優先順位で ある。『法哲学』の指導形象はむしろ法的安定性であり、後期の、とくに1945年後の (₉₁) 著作物の指導形象はむしろ正義である ― どちらかといえば、法理念の三つの構成部 分のいずれもがそのつど他の二つを必要としているのであり、それゆえに(1945年後 でも)たとえば法的安定性を欠く法は存在し得ないということである。強調点の変化 は、ラートブルフによれば、科学の要請というものに負っているのではなく、それは その限界のかなたに置かれているのである。私は、ラートブルフがそのさい誠実でな くなっていたのであろうと見ることができない。私が見ることができるのは、彼が法 についてのその考え方の複雑性と開示性を、それぞれの時代、すなわち1932年と1945 年にそのつど進歩的であった法政策にとって実り豊かなものにしたということだけで ある。 c) 変わっていたのはもちろん、存在と当為についての古い問題のラートブルフの 力点の移行、法の正義にとっての現実の模範的な性格についてのその考え方でもあ る。彼がここで踏み出した道は「事物の本性」を経て歩み始め、そして法哲学と法実 (90) Rechtsphilosophie, S. 169. (91) これについてはとくに、 『五分間の法哲学(Fünf Minuten Rechtsphilosophie) 』 (この巻で は78頁以下);『法律上の不法と法律を超える法(Geseztliche Unecht und übergesetzliches Recht) 』 (この巻では83頁以下); „Die Erneuerug des Rechts “(ここでは104頁以下)を参照。 (852) グスタフ・ラートブルフ ― 生涯と作品:続編 59 務は存在からいくらかは当為について知ることができるという予期に終わる。鍵とな る箇所は『法学的思考形式としての事物の本性( Die Natur der Sache als juristische (₉₂) Denkform)』であり、そこでは次のように言われる。「かくして事物の本性は厳格に (₉₃) 合理的な方法の帰結であり、『直観の偶然』といったものではない」。 「直観の偶然」と「厳格に合理的な方法」 ― これらは認識論上の評価の広く離れ 離れに置かれている両極であり、このような差異には、次いでやがて間もなくひとつ (₉₄) の大規模な論争の火がついた。ラートブルフの著作物が関連のなかで観られるならば、 いうまでもなく差異化はむしろレトリック上の先鋭化に負っているように思われるの である。 ラートブルフは、存在と当為、現実と価値、法素材と法理念とは厳格に分離してい るのではなく、互いに交換作用のなかに置かれているという考え方を有しているので あり、すでに早期に表現されていて素材が理念を規定するということを強調してい (₉₅) る。彼はこのような「理念の素材被規定性」を、後には彼の著作者としての働きのす べての段階において妥当させ、芸術家の理念、「造形的な形式理念」もまた、それが そのなかで、大理石のなかでも違った仕方で、ブロンズのなかでも違った仕方で自ら を実現することが求められる作品素材によって規定されているという見事な像のなか (₉₆) に具象的に作り上げた。 「事物」のなかに根拠づけられているこのように根源的な被指 示性を見つけ出すこと ― これが「直観の偶然」だけでうまくゆくとされるのか。 (92) この巻の229頁以下。 (93) Ebenda, S. 235. ラートブルフはこれについて、 「私が以前に、法哲学第 ₃ 版、1932年に考 えたように」と述べている。どのような認識獲得を彼が「事物の本性」からの思考に信頼を 置いているのかを、同294頁以下でも究明することができる。 「とくにまた、法律上の諸規定 の不十分さにかんがみて、責任諸形式の理論はもっぱら事物の本性から展開されなければな らない。ひとはこのような仕方で故意の、とくに偶発的故意についての、そして過失の概念 についての広い範囲にわたる意見の一致に、それも意見の一致というものの、 『通説』とい うものの性格をではなく、むしろ必然的な帰結を有しているような意見の一致に達している のである……。ひとがそのために主要かつ中心的な部分、すなわち責任論、刑法学の誇りを 引き合いに出すことができるということは、事物の本性という思考形式の豊穣さにとっての ひとつの力強い証明である。 」 ― これは、ヴェルツエルの目的的行為論が「事物論理構造」 に拠り所を求めていることに引けをとらないほどの強度を有している主張である。 (94) Arthur Kaufmann によって1965年に編集された論集 „Die Ontologische Begründung des Rechts“ およびそこでの文献目録のみを参照。 (95) Rechtsudee und Rechtsstoff, in: ARWP 17(1923/24) , S. 343 ff.[GRGA Band 2, S. 453 ff.] [野 田良之訳「法理念と法素材 ― 一個のスケッチ ― 」ラートブルフ著作集『法における人間』 (東京大学出版会、1962年)所収67頁以下] (96) たとえば、Welzel, „Naturalismun und Wertphilosophie “への書評、この巻の32頁; 『入門』 、 この巻の141頁。 60 同志社法学 60巻 ₂ 号 (851) 他方でラートブルフは『入門』のなかで「事物の本性」からの思考の機会をかなり 控えめに言い表している。「事物の本性は価値と現実との、当為と存在との間の厳し (₉₇) い二元論をいくらかは和らげるが、しかしそれを止揚することができない。」 ― こ の「厳格に合理的な」ということがどのようにして成し遂げられるのかは、どこにも 明らかにされない。 現実と価値との関係の二つの極端に認識論的な評価は、ラートブルフの法哲学的思 考についてのこの他の著作物が後に残している像には適合していない。彼の問題は一 面的なものと排他的ないものであったのではなく、媒介と懐疑であった。彼は早くか らその法的思考の信頼できる基盤というものの獲得を求める途上にあったのである が、しかし彼は決して、1945年の後にも、実質的な諸々の確実さを受け入れなかった。 事物の本性は彼にとって、彼がそれをその作品の表題のなかで表現しているように、 あくまで「思考形式」にとどまっている。つまりはゾンデであって、帰結ではない、 ということである。私にとっては、ラートブルフの法哲学上のメッセージは、1933年 (₉8) 直後の相対主義の彼の弁護のなかに、根拠づけられた疑念からの正しい法とよき生活 という、ひとつの貴重なテクストに最もうまく把捉されているのである。 (97)『入門』、この巻では171頁。この引用はder „Innere Wg( oben Fusn. 1) 、S. 138に、ほとん ど言葉通りに見られる。最もそこでは「存在」と「何か」との間に「において(in)」とい う単語が欠けている。が、いずれにせよ、 『入門』におけるそれよりも明瞭な言明である。 (98) ここでは、17頁以下。 (850) グスタフ・ラートブルフ ― 生涯と作品:続編 61 モニカ・フロンメルのグスタフ・ラートブルフ全集第 7 巻刑法Ⅰ ( GRGA Band 7,Strafrecht I,Heidelberg 1995)への序文 訳者まえがき この巻では1902年から1919年までのラートブルフの初期の刑法解釈論上の 著作物が転載されている。これには、モノグラフィーである1902年の博士論 文『相当因果惹起の理論( Die Lehre von der adäquaten Verursachung)』(本 巻 ₇ 頁以下)、1903年の教授資格論文『刑法体系にとってのその意義におけ る行為の概念(Der Handlungsbegriff in seiner Bedeutung für Strafsystem)』 (75頁以下)、1907年の『助産術と刑法( Gegurtshülfe und Stafrecht)』〈221 頁以下〉のほか、責任概念についての根底的な問題を扱った1904年の『責任 概念について(Über Schuldbegriff) 』 (207頁以下)および1805/06年の『証言 の心理学についてのひとつの新しい試み( Ein neuer Versuch zur Psycologie der Aussage)』(221頁以下)と題する二つの論文が転載されている。これに はさらに全刑法雑誌(ZStW ,1903/1919)における諸々の文献報告と書評 (227頁以下)が付け加わっている。『助産術と刑法』は素人と医学者たちの ために書かれており、『証言の心理学についての新しい試み』は後に刑事手 続きの理論と実施との間を媒介する論文のなかには著者によって再び採用さ れることのなかった論文である。 なお、この巻の校訂者であるモニカ・フロンメルはアルトウール・カウフ マンの女性の弟子たちの一人であり、現在はキール大学の教授である。 一般の意識のなかでは、グスタフ・ラートブルフは刑法解釈論者としてよりも法哲 学者として通っている。1919年以降には、彼は伝記上の諸理由から刑法および刑事手 続き上の諸問題について最初に刑事政策上の立場から意見を表明した。それにもかか わらず彼の初期の刑法解釈論上の著作物は、若きグスタフ・ラートブルフが法理論と、 専門化しつつある刑法解釈論というものの賢明な仲介者であることを示している。相 当因果惹起についての博士論文はベルリンでフランツ・フォン・リスト(Franz von Liszt)のゼミナールにおいて成り立った。教授資格論文もまた同様である。ラート ブルフ自身はその価値を低く評価し、それを、皮肉を込めて「半分が刑法解釈論で、 62 同志社法学 60巻 ₂ 号 (849) (₉₉) 半分が法の一般理論である……」と呼んでいる。1903年末には、ラートブルフは、25 歳でハイデルベルクの私講師であった。論文『責任概念について』はこの時代に由来 している。きわめて教示に富んでいるのは、その諸々の文献報告と書評である (1903/04-1919年)。それらは、現代の刑法解釈論の発展段階における重要な階梯を 標 識 づ け て い る。 強 調 し な け れ ば な ら な い の は、『 錯 誤 と 責 任 概 念( Irrtum und Schuldbegrif)』(1903年)に関するコールラウシュ( Kohlrausch)のモノグラフィー の、グラーフ・ツ・ドーナ( Graf zu Dohna)、『可罰的な諸行為の構成要件における 普遍妥当的な要素としての違法性( Über die Rechtswidrigkeit als Allgemeingültigtiges Merkmahle im Tatbestände strafbarer Handlung) 』(1904/05年)と題するモノグラフィ ーの、リスト( Liszt)の教科書の第15/16版の、ベーリング( Beling)『犯罪につい ての理論(Die Lehre von Verbtrechen)』(1904/06年)の、リストの教科書の第21およ び第22版の論評である。それらは、グスタフ・ラートブルフがこの時代における刑法 総則の支柱となる体系的諸概念の建て直しの鋭敏な観察者であることを示している。 その関心は何よりも先ず法学的な体系構成の諸問題に向けられる。彼は、行為、因果 0 0 0 0 0 0 性、違法性および責任といった刑法解釈論の基底的な諸概念は法の一般理論の構成部 0 0 0 0 分であることから出発する。個別教科である刑法解釈論はこれらの概念を、一般的法 理論の創始者であるアドルフ・メルケル( Aolf Melkel)の法理論上の綱領が本質的に ひとつの綱領にとどまり続けていないであろう場合には、すでに分析的に分解されて いることを見出すことができるであろう。法学上の根本的な諸概念は演繹的に形成さ れるのではなく、単に概念的な体系というものの演繹的な描写に役立っているにすぎ ない。この認識がラートブルフの関心を19世紀の概念法学から区別する。反省された、 懐疑的な端緒は法学的体系論に関する教授資格論文の第一部においてとくに顕著であ る。「外科器具の最善の清掃」を「メスを操作する巧みな手に取って代わることがで きないのであり、台所用の容器の最善の浄化はわれわれにどのようなステーキをも」 提供しない、ということである。刑法解釈論者でもあるグスタフ・ラートブルフは、 それゆえに先ずもって法哲学者である。ここで転載されている解釈論上の著作物は、 ほんの数年後に書かれた『法学への案内(Einführung in die Rechtswissenschaft) ( 』1910 年、 本 全 集 第 ₁ 巻90-209頁 ) と、 そ し て ま た『 法 哲 学 綱 要(Grundzüge der Rechtshilosophie)』( ₁ .Aufl.1914,本全集第 ₁ 巻 ₉ -201頁)ときわめてうまく適 (99) Arthur Kaufmann, Gesammtausgabe Bd. 1, S. 21,は、ラートブルフ自身が後に『心の旅路』 のなかで表明した懐疑( 「奇妙な怪物」 )を記している。これは、この時代に、今日ではわれ われに行き渡っている現代的な解釈論展開されるのであり、ラートブルフはその諸々の文献 報告と論評が示しているように、この時代の最も明敏なコメンテーターの一人であることか ら、これは当を得ていない、と。 (848) グスタフ・ラートブルフ ― 生涯と作品:続編 63 合しているのである。終わりに近づきつつあるカイザーライヒにとって法倫理学上の 相対主義という、彼の典型的な立場は、グラーフ・ツ・ドーナの実質的な違法性概念 (₁₀₀) の描出と批判と同様に、1904年に書かれたシュタムラー‐論評を刻印づけている。両 者、グラーフ・ツ・ドーナとシュタムラーはラートブルフにとってすでにこの時代に 予兆が示されている「価値哲学上の転換」の重要な提唱者である。賛同と懐疑がラー トブルフのコメントを形づけている。あらゆる懐疑にもかかわらず彼は、それをもっ てたとえばグラーフ・ツ・ドーナが「われわれの条項信仰の時代において最も条項信 仰的な法領域のために法律外の価値的諸判断の投入が判例にとって広い範囲において (₁₀₁) 必要であると証明した」勇気に賛同している。法倫理学上の相対主義の立場は、それ ゆえにはじめから彼の同時代の根拠のある価値哲学上の関心事へのラートブルフの回 答である。このように見れば、初期のラートブルフと後期の彼とはその根本的な想定 において高い継続性を示していることに驚くには当たらない。民主主義に相応する相 対主義は1945年に放棄されたのではなく、「法律を超える法」の問題によって積み重 なっているのである。いわゆる「自然法的転換」はどのような亀裂でもなく、すでに 以前に定式化された法の妥当理論の帰結である。アルトウール・カウフマンは最近、 0 0 0 0 0 グスタフ・ラートブルフがはじめから三位一体的な性格を示しているのであって、そ れゆえにどのような二元的な性格(存在―当為)をも示していなかったことを証明 (₁₀₂) した。法理念は三つの作用方向に、すなわち平等としての正義、合目的性および法的 安定性に向けて伸展する。平等には、それが形式的な性格しか有していないことから、 内容的な原理というものが付け加わらなければならない。内容はそのつどの政治に由 来する。言い換えれば、民主主義においては諸々の目的設定がきわめて広く分断して いるということである。実定化された法秩序の特殊な意味は、そのつどの目的設定に 法的妥当を付与するということである。このことが意味していたのは、端的に不正な 立法(法律上の不法)ははじめから法理念と矛盾しているということである。このよ うな三位一体論的な端緒は、1904年以降の刑法解釈論上の(とくに諸々の文献報告と 書評を含む)著作物を刻印づけている。それは、どのようにして若いラートブルフが あれほどに大きな価値を体系構成の問題と基本的な諸概念に置いたのかを納得させ る。その意味こそまさに、(目的理念に相応する)諸内容を、そのつど法の適用が法 (100) Gesammtausgabe I(文献報告、法哲学), S. 445. (101) Gesammtausbabe VIII, S. 247. (102) Arthur Kaufmann, Die Bedeutung Gustav Radbruchs für Rechtsphilosophie im Ausgang des Kaiserreichs, ARSP Beiheft 43, 1991, S. 101 ff.; Monika Frommel, Die Kritik am „Richtigen Recht“ durch Gustav Radbruch und Hermann Ulrich Kantorowicz, in: Philipps/Scholler ( Hrsg.), Jenseits des Funktionalismus, Arthur Kaufmann zum 65. Geburtstag, 1989, S. 34 ff. 64 同志社法学 60巻 ₂ 号 (847) 的安定性の思想を実現することができるほどに描写し、体系化することができる、と いうことである。ここで転載された著作物を結びつけている赤い糸が探し求められる ならば、それは体系的に展開された教科だけが法的安定性とともに法的平等をも保障 することができるという若いラートブルフの確信である。彼によって優先された解釈 論の諸格率とその法哲学上の著作物はひとつの単一体をなしているのである。 1919年には、ラートブルフは41歳になっていた。彼は、「1919年に新しい時代が始 (₁₀₃) まったときには、他のわずかな人と同様に、準備を整えていた」。彼がワイマール共 和国において何はさて置き刑事政策上の意見表明をしたのは、確かに偶然なことでは 全くない。解釈論的にも法哲学的にもラートブルフの相対主義的な思考方法は、政治 上の目標設定が民主主義的に設定され、司法は、それがこの目標に分かち合わない場 合であっても、そのつどの議会の多数派に従属する準備ができているということを条 件としている。この二つの条件は1919年以降には存在していなかった、ないしは条件 づけられてしか存在していなかった。刑法解釈論の内部ではラートブルフの懐疑的な 教義ではなく、――これは1945年以降ではつねに知られているとは限らなかった―― むしろシュタムラーに帰着する価値哲学上の裏づけが貫徹しているのである。それ は、たとえば簡明的確にグラーフ・ツ・ドーナによって代表される。コールラウシュ はドーナの実質的な違法性の概念についての研究を適切に「ビンデイングの規範論に (₁₀₄) 対する反抗」として論評している。「違法である」とは、ドーナによればビンデイング がいまだ考えていたように、法律によって禁じられていることではなく、逆に、「違 法であるとして見出されているものが(そしてそれゆえに)法秩序によって禁じられ (₁₀₅) ているのである 。何が許されており、何が禁じられているのかにとっての基準を、ド ーナはシュタムラーのいうところの「形式的な格率」に依拠して、それが「正しい目 的のための正しい手段」であるのかという問題を展開した。このような「前実定的な」 違法性概念は責任の犯罪要素から取り出し、主観的な構成要件に組み入れることを彼 に可能にしたのである。これと結びつけられた犯罪構造にとっての諸帰結を彼は1907 (₁₀₆) 年にすでに示唆しており、それを1936年には一貫して貫いた 。回顧的に見れば、この (₁₀₇) 改造はヴェルツエル(Welzel)に帰せられる 。回顧的にイェシェック(Jecheck) 「価 値中立主義の克服」として特徴づけたものはすでにカイザーライヒ時代に、1906年と (103) Arthur Kaufmann, wie Fn. 4, S. 101. (104) ZStW 24, 1904, S. 370. (105) Dohna,ZStW 247, 1907, S. 337. (106) Ders., Der Aufbau der Verbrechenslehre, 1936. (107) Hans-Heinrich Jeschek, Jescheck, Strafrecht Allgeneiner Teil, 3. Aufl., 1974, §22 IV 1, § 22, insb. V. (846) グスタフ・ラートブルフ ― 生涯と作品:続編 65 1919年の間の生産的な時期に行なわれていたのである。しかしラートブルフは当時で も――刑法解釈論者としても法哲学者としても――守勢に置かれていた。伝記的にこ のことは法政策と解釈論の領域への自制への飛躍であることを明らかにしている。受 け入れられるか、それとも受け入れられないかの見通しは、結局のところ著者のテー マ選択にも影響している。1919年後は刑事政策上の諸々のテーマが価値相対主義のへ の信念と世界観的に控え目な法学として成果豊に伝えられなければならなかった。法 史的には、ラートブルの初期の法解釈論上の著作物は現代の刑法体系の前代未問の稔 り多い段階というもののひとつ映像である。 66 同志社法学 60巻 ₂ 号 (845) ア ル ト ゥ ー ル・ カ ウ フ マ ン の ラ ー ト ブ ル フ 全 集 第 8 巻 刑 法 Ⅱ ( GRGA, Band 8 , Heidelberg 1998)への序文 訳者はしがき この巻は、この全集の総編集者アルトゥール・カウフマン自身の手になる 校訂版の最終をなしている。再録されているのは、原典正文として『1923年 ₂ 月19日の少年裁判所法( Jugendgerichtsgesetz vom 16. Februar 1923( RGbl. I. S. 135))』(1923年)(本巻15頁以下)、『法的諸事例を手がかりとした犯罪 の理論 (Die Lehre vom Verbrechen an Hand von Rechtsfällen)』 (1948年) (本 巻47頁以下)のほか、1923年から1949年までの主要かつ重要な諸論文を挙げ ると以下の通りである。 ・『刑法と刑事手続き(Strafrecht und Strafverfahren)』(1923年)本巻97頁 以下、・『1924年 ₁ 月 ₄ 日の裁判所構成と司法に関する命令について( Zur Verordnung über Gerichtsvefassung und Strafrechtspflege vom 1924 (Eminger-Verordnung). Ein offener Brief, 1924)』(1924年)125頁、・『確信犯 罪者(Der Überzugungsverberecher)』 (1924年)126頁以下、 ・確信犯罪者(Der Uberzeugungsverbrecher)」(1926年)131頁以下、・『確信犯罪者の問題につ いて( Uber die Frage vom Uberzeugungsvebrecher) 』(1926年)134頁以下、 ・ 『 刑 法 上 の 責 任 諸 形 式 の 心 理 学 に つ い て( Zur psychologir der strafrechtlichen Schuldformen)』(1928年)184頁以下、・『刑事訴訟における真実の推 定( Wahrunterstellung im Prozes)』(1929年)189頁以下、・『国家緊急避難、 国 家 正 当 防 衛 お よ び 秘 密 刑 事 裁 判 に お け る 謀 殺( Staatsnotstand, Staatsnotwehr und Fememord)』(1929年)198頁以下、『ラント反逆と秘密 刑事裁判における謀殺(Landesverrat und Fehmemorud)』(1929/30)、202頁 以下、 ・ 『犯罪論の体系について(Zur Systematik der Verbrechenslehre)』 (1930 年)221頁以下、 ・ 『ファッシズムの刑法( Fascistisches Strafrecht)』(1930年) 207頁以下、・ 『権威的刑法か、それとも社会的刑法か( Autoritateres oder soziales Strafrecht?)』(1933年)226頁以下、・『人間性に対する犯罪に関する 議 論 に つ い て( Zur Diskkusion uber die Verbrechen gegen die Menschlichkeit)』(1947年)250頁以下、・『ライヒ司法相の名声と終焉。ニュ ールンベルクの法律家‐訴訟について( Des Rechsjustizministeriams Ruhm und Ende. Zum Nuhrun- berger Juristen-Prozes)』(1948年)258頁以下、 ・ 『刑 (844) グスタフ・ラートブルフ ― 生涯と作品:続編 67 事警察の諸限界(Grenzen der Kriminalpolozei)』(1949年)273頁以下……。 この巻ではさらにこの間に公刊された29本の書評が187頁から351頁までに わたって搭載されている。 I. この全集の第 8 巻刑法Ⅱは、他の諸々の巻と比較して、観察者には一見していくら か貧弱であるように見えよう。どのようなモノグラフィーも、どのような教科書も、 どのようなコメンタールも、ここには存在していないからである。『相当因果惹起に ついての理論』ならびに『刑法体系にとってのその意義における行為概念』という二 つの重要な刑法上のモブラフィー、すなわち前者が博士論文(1902年刊行)であり、 後者が教授資格論文(1903年刊行)である両者(これらはともにグスタフ・ラートブ ルフ全集第 ₇ 巻に収められている)は、ラートブルフの著作活動の全くの開始時に置 かれている。それらの後では、彼が刑法解釈論者として特別な能力を示している、ど のような傾向ももはや感得することができない。実際のところ、彼は卓越したどのよ うな刑法解釈論者でもなかったのである――彼はどのみち卓越した刑法改革者であ り、刑法史家であったのであるが、しかしその刑法解釈論上の諸作品を理由に彼に「偉 (₁₀8) 大な法思考家」という称号を与えることはできないであろう。 そしてそれでも刑法についての、刑事訴訟法についての彼の小さな諸々の作品はい まだに注目に値している。ラートブルフは、特殊的なもののなかに普遍的なものを、 過ぎ去ったもののなかに不滅のものを感じ取る天分を有していた。私は全集のこの巻 の目的のために、これに属している刑法上の著作物を改めて読み直した(私の最初の 読み物は遠く40年、50年にまで遡っている)とき、そのうちの多くが今日でもなお妥 当性を有していることに私自身は驚いた。これらの作品の刊行以来過ぎ去っている60 年、70年において刑法ではあまりにも多くが変わっていないとひとはほとんど考えた い気になるであろう。全部がそうであるということでは、もちろんない。だが、変わ った多くのものは、風で運ばれた細かい砂である。しかし刑法の根本的諸問題におい ては実際のところ、絶え間のない、いつまでもあり続ける路線が示される。ラートブ ルフは小麦から籾殻を選別することができたのである。そして彼は模倣し難い「小形 式の技術」を所持していた。彼の学問上の言葉はきわめて濃密である。彼は、第二次 世界大戦後もなお、『刑法―総則』を二時間もかけて読んだのであり、そのさい現実 (108) Erick Wolf, Große Rechtsdenker de deutschen Geistgeschichte, 4. Auflage 1963, S. 713 ff. 68 同志社法学 60巻 ₂ 号 (843) からいささかもかけ離れていなかったのであり、彼は、このような教育のための催し を ₄ 時間かけて受け持ったその同時代の同僚とは異なって、ゼメスターが終わるまで に素材が出来上がってさえいた。私は、ラートブルフが第二次世界大戦後に行なった すべての講義の筆記ノートをいまだに所持しており、そして私は――ひとはこれを聞 いて驚くであろう!――今日に至るまで、ある刑法上の問題の簡明な、正確かつ言語 的に明瞭な描出が問題になっている場合には、それを調べてみることにしている。も ちろんラートブルフであっても今日では一般刑法をもはや ₂ ゼメスター‐週時間で提 供し切ることはできなかったであろうが、しかし私は、彼なら今日でもなお「小形式 の技術」に関してはほとんどすべての教授がこれを凌駕するであろうと確信してい る。そしてそのさい彼は決して単調な、月並みな、決して許されざる単純化をしてい なかった。この全集で仕事をする者であれば繰り返し、ラートブルフの諸々のテクス トが、法学上の著作物の大多数の場合にそうであるように急速に古びてしまってはい ないという経験をする。この二冊の刑法の巻は、歴史上の関心を引くものであるばか りではなく、また主としてそれであるのでは全くなく、むしろまさに刑法解釈論者も ここでなおあれほど多くの現代的意義を発見することができるのであり、これを見出 すことを彼はほとんど予期していないといってよい。 これが、何ゆえにここで問題となっている著作物の説明が編集報告において至る所 で厳格にラートブルフのテクストに制限されているのではなく、当該専門領域のさら なる展開をも、そして現行法を、もちろん必要とされる短さにおいて取り込んでいる のかの根拠である。このことは、読者が――とりわけ専門的にとくに通暁していない 者および外国の読者が――編集報告におけるこのような諸々の限界超越を利用するこ とができるという予期においてなされるのである。 II. ラートブルフが1921年10月26日にライヒ司法相に就任したとき、一冊の出来上がっ 0 0 0 0 0 0 た少年裁判所法が棚上げされたままであった。この草案は彼の作品ではない。その官 職時代の間では、この草案がライヒ参議院を通過した以外にはほとんど何も生じなか った。少年裁判所法は1923年10月16日に発せられた。その前に、つまりは1923年11月 13日には、ラートブルフが属していた第二次ヴィルト内閣が崩壊していた。彼が短期 にわたって、1923年 8 月13日から11月 ₃ 日まで、(第一次および第二次シュトレーゼ マン内閣において)ライヒ司法相をいま一度引き受けたときには、法律はとうに議決 されていた。 それにもかかわらず1923年の少年裁判所法は、少なくともその基盤においてラート (842) 69 グスタフ・ラートブルフ ― 生涯と作品:続編 ブルフの諸々の精神のなかの精神である。最も重要な要求は、少年刑法を一般的な刑 法と刑事訴訟法から取り出すことであった。青少年はもはや「小さな成人」として「大 きな成人」と等しく行為応報刑法のもとに置かれるのではないとされ、少年刑法にと ってはむしろ教育思想が決定的であるとされたのである。1922年のその刑法‐草案に ついての「諸所見」のなかでラートブルフは「青少年の刑法上の取り扱いは、その草 案がライヒ参議院に提出されている少年裁判所法にゆだねられる。すでに表面的に青 少年の刑法上の取り扱いに関する諸規定が成人の犯罪者のために妥当している法的諸 原則から明確に分離するというようにして少年刑法の特別な独自性、刑罰的な諸処分 と教育的なそれらとの解き難い結びつきを力を込めて強調することが必要とされた。 そして少年刑法を刑法典に取り込むことを通して、少年刑法の本質から少年裁判所法 にとって生じてきている刑法上の諸規定と刑事訴訟法上のそれらとの密接な関連を再 (₁₀₉) び引き離すことが得策であるように思われた。」 ラートブルフは新しい少年法をひとつの「大いに喜ばしい進歩」であるとして歓迎 したのであるが、しかしそれが「かなり以前からもはや一個の思い切った投球ではな い」ということを付け加えている。「それは、なすべきでありながらいまだ残され続 けていることを成し遂げた、それは、10有 ₅ 年よりも多くの年年以来自明の要求に、 部分的には諸ラントによってすでに行政上の方法で現実になっていることを記帳して いるのである。そして現にこの法律の描き出された手間のかかる、先見の明のある展 開過程がおそらくは、より大きな諸改正を先取るためにより小さな諸改正をはねつけ るというお好みの格率に対して、掌中の雀は屋根上の鳩よりもましであるという、ひ (₁₁₀) とつの言い古された決まり文句が再び栄誉を得るに適しているであろう。」 ラートブルフは、1923年の少年裁判所法によって目標とされた進歩が20年後に1943 年に国家社会主義的な少年裁判所法を通してひとつの辛辣な悪転を被ったであろうこ とを知る由もなかった。次いで1953年の少年裁判所法は再び1923年の少年裁判所法に 立ち返っているのであるが、しかしここかしこで有意味的な諸々の改善を含んでい る。 (109) Gustav Radbruch, Entwurf eines Allgemeine Deutechen Strafgesetzbuches, 1922. これには 連邦司法相 Thomas Dieler,のまえがきとEberhardt Schmidt, 1952, S. 53,の序文が付せられ て い る。 い ま やin: GRGA Band 9, Strafrechtsreform, bearbeitet von Rudolf Wassermann, 1992, S. 142 ff. (110) Gustav Radbruch, unten S. 17を見よ。 70 同志社法学 60巻 ₂ 号 (841) III. 小著『諸々の法律事例を手がかりとした犯罪の理論( Die Lehre vom Verbrechen anhand von Rechtsfalle) 』 は、 ヘ ル ベ ル ト・ エ ン ゲ ル ハ ル ト( Herbert Engelhardt ……1925年以来、ハイデルベルク大学の員外教授)の、ハイデルベルクの学生たちに 宛てたハイデルベルク大学法学部の軍事郵便による諸々の手紙での諸々の論稿に由来 している。それらは戦後に合体して刊行されるはずであった。だがエンゲルハルトは 1945年にある重病に罹患したときには、いまだ未遂、共犯および競合が欠如していた。 ラートブルフがそれらを付け加えたのである。出版年度(1946年)の厳しさのゆえに この小著はほとんど注目されなかった。それはともかくとしてなお第 ₂ 版が刊行され ている(1948年)。 二人のあれほど異なっている著者の論稿がどのようにして調和的に組み合わされて いるのかは、注目に値する。ひとは、この小著がこの間に絶望的に古びてしまってい ると思いたい気になるであろう。しかしながらエンゲルハルトとラートブルフはここ でいくらか驚くべきことを成し遂げた。すなわち、刑法の総則への本質的に限られた 案内が、言われたことが数世紀を超えて妥当し続けており、そしてこのことがその表 面的な見かけにもかかわらず法律の徹底的な変更を求めているほどに要点をまとめて いる、ということである。ここに、刑法の総則が「哲学的な部分」であることが確証 されている。 このようにしてこの小著は今日でも読むに値している。とりわけ現在勉学中である 者はこのハンドブックから簡明的確な、本質的なものを描出する仕方ゆえにいまだに 利用を引き出すことができる(これに接近することができたであろう場合には、でき たであろう)。たとえば膨大な教科書類の読み物からいまだに、共犯の従属性をもっ て、別しては「制限的従属性」をもって何が問題になっているのかをいまだに知らな い者には、これについての卓越した、簡にして要を得ながら、しかし核心を衝いてい るラートブルフの諸々の論述を読むことが推奨されよう。 ひとつの絶品、とはいえエンゲルハルトの筆に由来するそれは、エンゲルハルトが 有名な「カルネアデスの板」について明敏に展開している「法的に自由な領域」につ いての理論である。「法的に自由な領域」は何らかの法的な規制の欠如を意味してい る、強者の権利の承認を意味しているというのは、ひとつの根絶し難い純然たる誤解 である。欠けているものは、「適法である―違法である」という図式に従ったひとつ 0 0 の法的な評価である。当該態度は、たとえば適応事由を有している妊娠中絶というも のは法的に規制されている、つまりは法律のなかでこれこれの事情のもとで可罰的で はないと宣言されているのであるが、しかしそれは、違法であることがなくても適法 (840) グスタフ・ラートブルフ ― 生涯と作品:続編 71 ではない、もしくはまわり回った言い方をすると、それは違法でなくても適法である のではないのである。いわゆる「法的に自由な領域」に組み込まれている態度は、単 に「禁じられていない」(より正確には、「禁じられていない―許されていない」ので 0 0 あり、それはひとつの法的評価を免れている態度である。エンゲルハルトはこのこと を次のように述べている。「法的規制というものは現存しているのであるが、「しかし (₁₁₁) それでも緊急状態それ自体ではなく、その限界にすぎない」。 かくして、緊急避難行為は法的に規制されていないのであって、それが言わんとし ているところは、法的に(適法とも違法とも)評価されないのであり、規制されてい るのは何かといえば、それらのもとで緊急避難が可罰的である諸条件であり、限界が 規制されているのである、これまでのところでは……。「法的に自由な領域」の思考 モデルは「適法である」と「違法である」という話法に第 ₃ の話法、すなわち「禁じ られていない―許されていない」ということが付け加えるのである。 このような見方は排除された第三者という原則に反すると考える者には、カントの 小冊子『否定的な等級の概念を世界理性のなかに取り込む試み( Versuch, den Begriff der negativen Grose in die Weltvernunft einzufuhren)』(1763年)を読むことが推奨さ れる。 そこへともう一度簡潔に立ち戻るためには、とくに共犯論についての、しかしまた 未遂と競合についてのラートブルフの異彩を放っている諸々の論述が読まれるなら ば、条文数以外に、いったい今日では何がこれとは別のものになっているのかが、思 わず知らず問われる。確かに多くのものが別のものになっているのであるが、しかし それでも「エンゲルハルト /ラートブルフ」は規定的な諸問題においていまだ決して 時代遅れになっていないというのが本当のところでもある。 IV. 1923年に由来する論文『刑法と刑事手続き( Strafrecht und Strafverfahren)』は、 ラートブルフの筆になる実体刑法と刑事訴訟法の唯一の関連した叙述である。ここで も、今日の法状態にとってどのような意義ももはや有していないものはごくわずかし か見られない。そしてこの著作もまたぎりぎりの範囲にあってひとつの内実豊な内容 (111) S. 22 ff., 本巻ではS. 47 ff., でグスタフ・ラートブルフによって補完され、編集された Herbert Engelhardt, Strafrecht; Die Lehre vom Verbrechen an Hand von Rechtsfallen, 2. Aufl., 1948を見よ。ラートブルフは法的に自由な領域の理論にはむしろ否認的な立場に立ってい た。Rechtsphilosophie 8. Aufl, 1973, S. 294 = GRGA Band 2, Rechtsphilosophie II, 1993, S. 429 参照。 72 同志社法学 60巻 ₂ 号 (839) を含んでいる。 何よりも先ず、ラートブルフが刑法史に全範囲を顧慮すればかなりの余地が与えて いることが目立っている。ラートブルフが年齢を重ねれば重ねるほど、それだけにい っそう、彼にとって歴史的な関連が多くの比重を獲得している。その戦後の諸々の講 義にあっては、法史がひとつの重要なランクを有していた。現にドイツ刑法学の歴史 のために、そして1532年の皇帝カール五世の刑事裁判所令、すなわちカロリナのため に特別の講義が存在していたのであり、これは、たいていの場合にこれが行われてい たように、間に合わせで一般刑法の場合にともに扱われたのではない。一回的な種類 の体験というものが刑法史のひとつの新しい部門の「封切り」である『犯罪の歴史 (Geschichte der Verbrechen) 』であったのであり、それはいずれにせよドイツにおい ては、それに比べられるものを有していなかった。ラートブルフはこの講義を1947年 の夏学期に最初に(して最後に)受け持った。フォイエルバッハの『奇妙な犯罪 (Merkwurdige Verbrechen)』は並外れたものを対象にしていたのであるが、ラートブ ルフの場合ではある時代の典型的な犯罪が問題であった。1949年にラートブルフが死 んだときには、彼はこの講義録の公刊のための原稿が完結していなかった。その古い 弟子の一人であり、同様に歴史的な関心を有していたハインリッヒ・グヴィナー (Heinrich Gwinner)が欠けているものを追加した。書物は自己の運命を持つ(Habent sua fata libelli)。すなわち、ラートブルフ /グヴィナーの『犯罪の歴史』はひとつの比 類のない成果を収めていた、ということである。もっともこの本が1951年に刊行され たときには、非常に感動させるものは何も生じなかった。しかしながら80年代の終わ りにある勇気のある出版社が現われたのであり、この出版社がこの本から革装丁のひ とつの限定された好事家版を、そして同時に、同様に限定された、紐で綴じられたひ とつの優先版を発行したのである。この本が一冊のベストセラーになった結果として 出版社は、なお一冊の「成功版」をその後に送り出すことを決意したのであり、次い でこの版もやがて売り切れになった。これについてここで多くを述べることができな い(興味のある者はこの貴重な宝をグスタフ・ラートブルフ全集の第19巻:刑法の歴 史のなかに見出せる)。しかしラートブルフがつねに刑法史に勤しんでいた(そのさ い「カロリナ」がつねにひとつの特別な場所を占めていた)ことは、ここに現存して いる『刑法と刑事手続き』に関する論文が示している。 欠けているものは「刑法各則」である。そしてこれは偶然から起こるものではない。 刑法の各則はほとんど「哲学的なもの」を含んでいないが、しかしそれはきわめて実 践的である。しかし、その全試補見習過程を終えておらず、この欠陥を司法省相職も 埋めることができなかったラートブルフにはこれが欠けていたのであって、それとい うのもその場合であっても、裁判官、検察官、弁護士、公証人が考えて仕事をするよ (838) グスタフ・ラートブルフ ― 生涯と作品:続編 73 うには学ばれないからである。ラートブルフはこのこと自体を嘆いていた。「私は ……実務にはどのような満足をも見出さなかったのであり、私が当時ではそのうえに 理論と哲学を見出すことができると信じた純精神的な高みを志向したのである。今日 では、私は私のあまりにも早い実務からの転向を悔やんでいる。私は後にしばしば、 空虚な諸概念を感覚的な直観をもって充足する広い法的な経験が欠けていることに気 付いた。」そして数頁後には続いて、「……刑法実務だけを私はハイデルベルクでの10 年間で受け持ったことはなく、それによって、さなきだに法の適用へのわずかな傾向 と能力にもかかわらず、私の法的な教養にとって本質的な要素のひとつを失ってしま (₁₁₂) ったのである」とある。(今日でもなお、事務上の諸経験を集積していなくとも法学の 正教授になれる。)ついで第二次世界大戦後も、事情はこの通りであった。すなわち、 ラートブルフの内実豊な講義計画には刑法の各則と刑法上の諸々の演習が欠如してい たのである。そして同様にひとは、ここに現存している刑法と刑事訴訟の全叙述のな かにも個別的な犯罪についての理論が欠如していることに気付く(とはいえ、1922年 のその刑法‐草案では、ラートブルフは、「各則」についての諸提案をすることを避 けることができなかった)。 しかし刑事訴訟法については、ラートブルフの講義計画のなかにも欠けるところは なかった。これについてはどのような実務上の諸経験も必要としていないのか。問題 であるのは、これらの素材をどのように取り扱うのかである。往々にして刑事訴訟法 に関する諸々の講義と書籍は無味乾燥で退屈である。ラートブルフの刑事訴訟の講義 は決して退屈ではなかったのであり、逆に、それは刺激的で緊張に富んでいた。とき としてひとつの法哲学上の講義を聴いているように考えられた。ラートブルフは刑事 訴訟の法史上の、そして法理論上の基盤について語り、彼は諸関連を明瞭なものにし た。たとえば駆け出しの法律家は期限、期日、時効について何を知ることができるの であるのか。記憶することができないが、しかし記憶しておく必要は確かにないでも あろうというのもそのために確かに法律の正文が存在している数を、ひとはそのなか に覗き見ることができるからである。これに対してラートブルフは、どのようにして ひとつの単なる時間の経過が成立(時効による収得)についての、そして消滅(時効) についての諸権利をもたらすことができるのかという問いについて語った。時間はそ もそも何を結果としてもたらすのか――そしてひとは哲学の真っ只中に置かれている のである。書類覚書の技術をひとはラートブルフで学び取ったのではないことは、も ちろんである(そして現に私の法的な活動の開始時には、私に一対の故障も生じてい (112) Gustav Radbruch, Der innere Weg; Aufris meines Lebens, 1951, S. 35; auch in: GRGA Band 16, Biologische Schriften, S. 208, 2i4(ラートブルフはこの伝記をその妻に後述筆記させた) . 74 同志社法学 60巻 ₂ 号 (837) るのである)。 V. 0 0 0 0 0 確信行為者はラートブルフの全く特別な種類の一人の里子である。彼はこの里子を 繰り返し助け起こそうとしたのであるが、しかしそれにもかかわらず流れを彼は学び 取らなかった。確信行為者の特別処遇をラートブルフは、確信行為者を、特別な刑事 政策上の課題がそれに対応しなければならないであろうような刑事政策上の特別類型 であるというその根本的見解のうえに根拠づけた。けれども確信行為者の特別処遇は 行刑(城砦禁固)だけにゆだねられているのではなく、むしろ確信犯罪は刑法典のな かで心理学的諸要素を通して、それも行為者を圧倒的に支配しているような倫理上 の、宗教上の、もしくは政治上の確信にそれが発しているというようにして特徴づけ なければならないのである。ラートブルフが思い浮かべているような確信行為者はど のような「刑事上の犯罪者」でもなく、むしろ一人の「考え方を異にしている者」で ある。すなわち、前者に対しては処罰する国家が倫理的な優越性をもって対峙するの であり、後者に対しては、国家は同じ倫理上の次元に遭遇する、ということである。 確信行為者に対する制裁は、そこからどのような刑事刑罰でもあり得ない。改善とい う刑罰目的は締め出されているのであって、それというのも、彼が他の者よりも劣悪 ではないことから、「考え方を異にしている」にすぎない者を改善することができな いからである。しかし応報および威嚇思想もまた排除されているとラートブルフは考 える。応報は国家の倫理的優越性を前提としているのであるが、しかしこれを国家は 確信行為者に対して有していないのである。そして同じ心情の持ち主にひとは威嚇的 に作用を加えることはできないのであり、殉教者しか創り出さないのである。 ラートブルフの確信行為者についての理論は貫徹しなかった。1975年の刑法典のな かには、単に「考え方を異にしている者」にとってのどのような特別規定も存在して いない。この種の諸改正に開放的に向き合って対峙している、1966年の「刑法典の対 ‐案―総則の著者たち(ユルゲン・バウマン(Jürgen Baumann)、アンネ-エヴァ・ ブラウネク( Anne-Eva Brauneck) 、アルトウール・カウフマン等々)は、確信行為 者にとってひとつの特別な制裁を、たとえば「禁固」を提案することには、互いに理 解し合うことができなかった。「誰がそもそも確信行為者であるのか」という問いを、 ほとんど解消することができないのである。現代のテロリストたちが考えられよう。 彼らすべは、彼らが既存の国家との戦争状態に立っていることを楯に取り、これに相 応して犯罪としてではなく、戦争の捕虜として扱われることを欲していよう。これに ついてどのような立場が採られようとも、きっぱり言ってしまうと彼らは確信行為者 (836) グスタフ・ラートブルフ ― 生涯と作品:続編 75 ではない。それというのも無頓着な非関与者と無辜の人々を言うところのより良き社 会のために殺す者は、倫理的に等しい立場に立っている敵対者ではなく、彼は一人の 低俗な犯罪者であるからである。そして確信的犯罪者の理論はヒトラーの城砦禁固 (のみ)を通して不合理(ad absurdum)へと導かれているのではないか。ヒトラーは 単に「考え方を異にしている者」、道徳的に国家と社会と同様の段階に立っている名 誉ある男子であったのか。しかしこれとともに確信行為者の問題は、すでに解決済み になっているのではない。それはひとつの真正な問題である。それはその核心におい て抵抗権の問題である。 VI. 0 0 0 0 0 0 0 法学上の体系論については、ラートブルフは主として四つの著作物のなかで意見表 明をしたのであり、そのいずれもが反省のさらなる段階を表わしている。 ₁ .刑法体 系にとってのその意義における行為の概念、1903年; ₂ . 法理念と法素材、1923年; ₃ . 犯罪論の体系論について、1930年; ₄ . 法思考における分類概念と整序概念、 (₁₁₃) 1938年。 行為概念に関する教授資格論文のなかでラートブルフは、どのようにして行為の問 題性は概念の定義と分類を基盤として働いている形式論理学上の体系論を表わしてい るのを示した。ここから彼は、不作為は行為でないこと、不作為と行為とはむしろ対 照的な対立であり、そこから aと非‐aとのように結びつけられることなく互いに並 存している。体系が上から下まで二つの部分に分裂しているという帰結について、ラ ートブルフの師、フランツ・フォン・リストは「あなたはその意図をもって一度一冊 の教科書を書き給え」という所見を述べている。ラートブルフは確かに、このような 意図をもって一冊の教科書を書こうと試みることはなかったのであるが、しかしその (113) 法学的体系論についての四つの著作物:1. Handlungsbegriff in seiner Bedeutung für das Strafrechts- system; Zugleich ein Beitrag zur Lehre von der rechtswissenschaftlichen Systematik, 1903, auch in: GRGA Band 7, Strafrecht I, 1995, S. 74 ff.; 2. Rechtsidee und Rechtsstoff. Eine Skizze, in ARWP 17 (1923/24), 343 ff., auch in: GRGA Band 2: Rechtsphilosophie II, 1993, S. 453 ff.; 3. Zur Systematik der Verbrechenslehre, in: Festgabe für für Reinhardt Frank, Band 1930, S. 158 ff., ここではS. 207 ff., に復刻されている; 4, Klassenbegriffe und Ordnungsbegriffe im Rechtsdenken, in: Revue internationale de la Theorie du Droit. Internationale Zeitschrift für Theorie des Rechts, Band 12 (1938), 46 ff.; auch in GRGA Band 3: Rechtsphilosophie III, 1990, S. 60 ff, ――この著作物の第3番目と第4番目はin: Gustav Radbruch, Der Handlungsbegriff in seiner Bedeutung für das Strafrechtssystem, Nachdruck 1967, herg. von Arthur Kaufmann,Anhang S. 151 ff. und 169 ff.,に登載されてい る。 76 同志社法学 60巻 ₂ 号 (835) 「行為概念」のすでに数年後に、すなわち1905年に彼は彼自身の方法論的端緒を「許 されざる視野の狭隘化」と呼んでいる。 次いで1924年にラートブルフはその論文『法理念と法素材』のなかで孤立化する抽 象を通して獲得された「行為の自然主義的な概念」(それゆえに1903年の彼自身の行 為概念)を、ある行為の法的評価にとって「本質的なもの」、つまりは「言語的意味 と社会的意義が、このように構成された概念の全く外に」とどまり続けることを理由 にして攻撃した。決定的な突破は、次いで1930年にフランク‐記念論集への論稿「犯 罪論の体系論について」のなかで生じたのであり、これはラートブルフ全集のこの巻 のなかに復刻されている。 この論稿のなかでラートブルフは、彼がその「行為概念」のなかでもっぱら用いた 演繹と分類の体系論に、「事物それ自体を形式と素材とに、カテゴリーと質量とに分 解する」、「事物それ自体」に準拠した「事物論理的体系論」を対置している――それ ゆえに「カテゴリー的体系論」とも呼ばれ、――さらには「諸々の目的と手段に従っ たひとつの秩序である」ことを意味している「目的論的体系論」とも呼ばれるのであ る。このような体系化諸類型萌芽はラートブルフの完結性を求める性格からやってく るのであり、いずれもがそれに特別な機能を有しているのであり、それゆえに刑法体 系というものをもっぱら演繹と分類を解して打ち立てることは許されない、それどこ ろか不可能である。 そしてラートブルフは全く明瞭に、行為の類的もしくは分類諸概念は「刑法体系に とって要石として、さらには犯罪の諸要素、つまりは違法性、帰責可能性、構成要件 該当性にとって担い手として役立つことに適していない。それというのも内容空虚な 類概念というものを通してはどのような全体も考えることができないからである。最 高の類概念――行為の類概念と不作為の反対概念――は、互いに分かち難く結びつい ているのである。類的諸概念における思考は「分離思考」である。 事物論理的体系論というものは、いずれにせよもっぱら、そして主として類もしく は分類概念をもって作業をすることができないのであり、必要とされるのは整序的諸 概念、機能的諸概念、類型的諸概念である。前者は諸要素によって固く限界づけられ る(「定義づけられる」)のであり、そこから分離する「あれか‐それとも‐これか ( Entweder-Oder)」しか知らないのであり、これに対して後者は、確かにひとつの確 固たる核心を有しているが、しかしどのような確固として限界をも有していないので あり、そのようにして現実の生活諸関係を「より多くか‐それとも‐より少なく ( Meher-Oder-Minder)」に結びつけるのである。故殺行為の概念が分類的に定義され るならば、作為による故殺をこの概念のもとに「当てはめる」ことはできない。しか し故殺行為が機能的にある一定の類型概念として把握されるならば、これには不作為 (834) 77 グスタフ・ラートブルフ ― 生涯と作品:続編 も「組み込まれる」。整序諸概念を通して諸々の全体性を把握することができるので ある。その精神的追放の間に書かれたその論文『法思考における分類的諸概念と整序 的諸概念』(1938年)をもってラートブルフはその教授資格論文の方法論的端緒の一 面性を究極的に克服し、将来のための新しい道を示したのである。 VII. 0 0 0 0 0 ラートブルフに関する諸書籍ではなく、ラートブルフの諸書籍を編集することが、 ラートブルフ全集の基本的諸原則に属している。この巻の他の内容については、そこ からいくらかの数少ないコメントしか求められない。ラートブルフは、他のほんのわ 0 0 0 0 0 0 0 0 ずかな人々と同様に、はじめてではあるが、その後では遅すぎた、ファッシズム的で 0 0 0 0 0 0 権威的な刑法を迫り来る『刑法の再野蛮化』に警告を発した。この二つの論文を読む 者であれば、これに関連する諸々の新聞と雑誌がナチスによって直ちに発禁処分の付 せられ、ラートブルフ自身が「大ドイツライヒ」のなかではもはや出版物を刊行する ことを許されなかったことには驚かないであろう。そして彼が当時にその声を高めた ように、彼は崩壊後もまた、法の革新の諸問題を根本から洗いなおして再検討するこ 0 0 0 0 0 0 0 0 とに着手した最初の人々のなかの一人であった。この巻のなかには人間性の犯罪 0 0 0 0 0 0 0 ( Verbrechen der Menschlichkeit)に関するひとつの論文と、ライヒ司法省の名声と 0 0 終焉( Ruhm und Ende des Reichsjustizministerum)と取り組んだひとつの研究が 見られる。法の革新の諸問題に関するそのほかの諸作品を、ラートブルフ全集第 ₃ 巻、 法哲学 III 、1990年、にひとは当たって見ることができる。 0 0 この巻もまた再び数多くの論評を含んでいる。ラートブルフは、彼が決して熱心な 読者ではないことを告白していた。諸論評の引き受けをもって彼は自らに「義務を負 わせ」ようとしたのである。ここで復刻された諸々の論評のなかには、もはやほとん ど意義を有していないものも見られることは、確かである。しかしどれがそれである のかは、どのような諸側面のもとに将来的なラートブルフ‐研究が流れてゆくのであ ろうかをひとは知ることができないゆえに、事前に( ex ante)言うことはできないの である。 78 同志社法学 60巻 ₂ 号 (833) 附:グスタフ・ラートブルフに関するドイツ語文献目録 (この目録は、近い将来に私の手によるグスタフ・ラートブルフの諸々の作品を踏まえた 伝記的作品を制作するために、私がこれまでに蒐集してきたラートブルフに関するドイ ツ語文献一覧である。グスタフ・ラートブルフ自身の全作品の目録は、アルトウール・ カウフマンが総編集しているグスタフ・ラートブルフ全集の第20巻(Gustav-RadburuchGesamt- ausgabe=GRGA, Band 20, bearbeitet von Berthold Kastner, Heidelberg 2003)のな かにアルファベット順に(S. 99 – 153) 、そして年代順に(S. 153 – 172) 搭載されている。グ スタフ・ラートブルフに関する日本語文献も、これまでに汗牛充棟もただならぬ様相を 呈しているが、幸いにも現在ではインターネットによる文献検索で容易に見つけ出すこ とができることから、紙数の制約上、ここには搭載されない。なお、1968年に至るまで の日本語文献のほとんどすべてがKoichi Miyazawa, Gustav Radbruch und die japernische Rechtswissenschaft (下記文献目録を参照 ), S, 263 – 272に年代順に挙げられている。 なおこの巻には、グスタフ・ラートブルフがそのつど論評の対象とした文献のすべて(S. 135 – 153 )も搭載されており、これらはラートブルフ自身の諸々の作品をより深く理解す るのに大いに役立っている。) Adachi, Hidehiko; Die Radbruchsche Formel. Eine Untersuchung der Rechtsphilosophie Gustav Radbruchs (Studien zur Rechtsphilosophie und Rechtslehre, Band 44) Alexy, Robert: Mauerschutzen. Zum Verhältnis von Recht, Moral und Strafbarkeit, Hamburg, 1993 (Berichte aus den Sitzungen der Joahim Jungnis-Gesellschaft der Wissenschaften, Jahrgang 11, Heft 2) Ders.: Begriff und Geltung des Rechts (Studienausgabe), Freiburg/München 2002 Baratta, Alessandra; Relativismus und Naturrecht im Denken Gustav Radbruchs, in: Archiev für Rechts- und Sozialphilosophie 45 (1959), 522 ff. Ders.: Einleitung, in: Gustav-Radbruch-Gesamteausgabe, Band 12, Politische Schriften aus der Weimalerer Zeit I, Heidelberg 1992, S. 1 ff. Ders.: Einleitung, in: Gustav-Radbruch-Gesamteausgabe, Band 13, Politische Schriften aus der Weimahlerer Zeit II. Justiz, Bildungs- und Religionspolitik, Heidelberg 1993 S. 1 ff. 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