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グリム童話の世界へ

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グリム童話の世界へ
夏休みだ、ドイツへ行こう!(1)はじめに
と言っても、だれでも同じことを考えるから、夏休みは航空運賃が高い。格安航空券を
扱 っ て い る ネ ッ ト で 見 る と 、 日 本 航 空 は 8 月 1 日 発 173000 円 、 8 月 10 日 発 195000 円 、 8
月 21 日 発 145000 円 、 ド イ ツ の ル フ ト ハ ン ザ 航 空 は 8 月 1 日 発 177600 円 、 10 日 発 196000
円 、 8 月 23 日 発 154900 円 と い う よ う に 、 お 盆 休 み 前 が 一 年 で 最 も 高 い 。 も っ と も 、 航 空
会社不明超格安(アジア系航空会社で、アジアと中東で乗換、航空券は空港で手渡し)8
月 1 日 発 98800 円 、 8 月 10 日 発 129800 円 、 8 月 26 日 発 84800 円 と い う も の も あ る 。 以 上
はいずれも格安航空券だから、擬似団体旅行扱いで、発券枚数も多くなく、機内の席は後
方が多い。日本航空やルフトハンザ航空の正規料金で早割だとこれより1、2割高い。
なので、貧乏学生がドイツ語圏に旅行しようと思ったら、春休みか、授業をさぼって
11 月 末 が 良 い 。 と い う の も 、 正 規 料 金 で も 10 万 円 以 下 だ か ら 。 ( ち な み に 、 海 外 航 空 券
はすべて往復の料金。羽田から帯広に正規料金で行くと片道4万弱だから、それと比べれ
ば海外航空券はじつに安い。競争があるからだろう。)
ほぼ同じ値段ならば、快適に行きたいと思い、私はいつもフィンランド航空を利用して
いる。「日本から一番近いヨーロッパ」と言われるフィンランドのヘルシンキ・ヴァンタ
空港で乗り換える必要があるが、空港には北欧グッズが豊富に売られており、もちろんム
ーミングッズもたくさんあるから、お土産に困らないし、待ち時間も飽きない。乗り継ぎ
と言っても、そこからさらに先へ行くので無駄がない。たとえばオランダのKLMだと、
日本からアムステルダムまで飛んで、そこからドイツやオーストリアへ引き返すことにな
っ て 合 計 飛 行 時 間 が 15 時 間 近 く に な る 。 さ ら に 良 い の は 、 日 本 航 空 や ル フ ト ハ ン ザ 航 空
(全日空と同じ便)だとジャンボ機なので、エコノミー席は横に3+5+3で、奥に座る
とトイレに行くのもたいへんだが、フィンエアーはやや小さめの飛行機なので、正規料金
だと前方2+4+2、格安席の後方で3+4+3と、少し楽になる。
2 月 だ と 寒 い し 昼 も 短 い の で 、 や は り 夏 休 み に 行 き た い と い う こ と で あ れ ば 、 8 月 25
日以後ならばある程度航空券も安くなっている。私もいつも9月に行く。ただし、観光旅
行だと、催しものはやっていないし、世界遺産の教会などや遊園地、登山鉄道なども利湯
できるのは8月末までということもあって、ちょっと寂しい。ヨーロッパ旅行のハイ・シ
ーズンは、昼が長い(午後9時過ぎにようやく日没)6月末から7月いっぱい。
十 年 前 ま で は 、 8 月 25 日 を 過 ぎ た ら 、 一 挙 に 秋 か ら 冬 の 天 気 に な っ た 。 昨 日 ま で T シ
ャツを着ていたのに、今日はもうセーターが必要というのがふつうだった。ところが、地
球 温 暖 化 に よ る 異 常 気 象 で 、 た と え ば 去 年 の 9 月 初 旬 は 毎 日 35 度 前 後 の 気 温 で 、 セ ー タ
ーどころか、寝間着のつもりで持っていったTシャツを毎日着るはめになった。
(つづく)
マッターホルン(スイス)
ブランデンブルク門(ベルリン)
(2)準備
- 1 -
私 が よ く 行 く と こ ろ は 、 デ ン マ ー ク に 近 い ユ ト ラ ン ト 半 島 に あ る キ ー ル (Kiel)と い う 町
だ。シュレスヴィヒ・ホルシュタイン州の州都だが、日本人観光客はまず誰も来ない。ド
イツ一の軍港だったために第二次世界戦争の空襲で連合軍に徹底的に破壊され、昔の面影
がゼロだからだ。しかし住むにはじつに良い町だ。インターネットが発達する前は、キー
ルに行くにも地図がなくて困った。日本で発行されているガイドブックにキールはまず載
っていないか駅前の商店街が載っているだけで、町全体がどうなっているかまったくわか
らなかった。幸い駅の近くに観光案内所があり、そこで町のパンフレットが手に入ったの
で助かった。いまはインターネットでドイツやスイスのどんな小さな町でも検索でき、地
図も入手できる。便利になったものだ。
車を運転しない私は、ドイツでもスイスでもすべて鉄道と徒歩と乗合バスで移動する。
赤い表紙のトーマス・クックの時刻表が唯一の頼りで、必要なページだけコピーして持参
する。ところが現地ではこれに載っていないローカル線や各駅列車もたくさん走っていて、
事 前 準 備 の 苦 労 は あ ま り 役 立 た な か っ た 。 し か し い ま は イ ン タ ー ネ ッ ト で ド イ ツ 鉄 道 (DB)
ならすべての列車の駅毎の発着時刻や乗り継ぎ経路、値段まですぐにわかる。地方のバス
時刻もわかる。着いたらその日はバスが一台も発車しないことがわかった、などというこ
とはもうない。しかしその分、行ってみなければわからないという旅の楽しみがなくなっ
た。でも、自宅に居ながらにしてドイツやオーストリアを旅している気分に浸れるのも悪
くない。事前に徹底的に調べ、現地ではすべて偶然に任せるという旅が楽しい。
グリム童話の世界へ(1)
「赤頭巾ちゃん」とか「白雪姫」とかの話は、おそらく誰でも知っているでしょう。
「応用1」の前期授業でも少し紹介しましたが、これから、このグリム童話の世界を探る
(紙上の)旅に出ることにしましょう。
「 グ リ ム 童 話 」 は 、 ド イ ツ 語 で は Kinder- und Hausmärchen、 訳 す と 「 子 ど も と 家 庭 の た め
の 童 話 集 」 で す 。 初 版 は 1812 年 に 出 版 さ れ 、 日 本 で グ リ ム 童 話 ブ ー ム が 来 る 前 ま で に 一
般に訳されよく知られていたのは、読み物として良いように初版を何度も書き直したり作
品 を 新 た に 加 え た り し た 、 1857 年 刊 行 の 第 7 版 で す 。
「読み物として良いように」というのは、グリム童話は、グリム兄弟(そのうち長男ヤ
ー コ ブ Jacob Grimm,1785-1863 と 次 男 ヴ ィ ル ヘ ル ム Wilhelm Grimm,1786-1859) が 集 め た 民 話 集
であって、グリム兄弟が創作したものではありません。民話ですから、もともとは語られ
聞かれたお話です。したがって、初版ではまだそういう伝承文学的要素が残っていました
が、これを書物としてまとめて出版するとなると、それはもはや口頭伝承物語ではなく、
歴とした読み物になります。したがって、耳で聞くのと目で読むのとは違った文体にしな
ければなりません。そこから、グリム兄弟が人から聞いた民話と、グリム兄弟が加筆した
装飾部分との違いが気になります。というのも、民話は民衆の生活意識が色濃く反映して
いますが、読み物にしたときにはグリム兄弟の主観や文学的才能等がそこに反映されるか
らであり、また、それぞれの時代意識が異なるからです。
そういったことを、これから、グリム兄弟が住んだ町、あるいは、物語の舞台となった
- 2 -
ドイツの町を紹介しながら、連載で書くことにしましょう。
グ リ ム 兄 弟 が 生 ま れ た ハ ー ナ ウ (Hanau)の 市
庁舎前に立つ、グリム兄弟像
グリム童話の世界へ(2)
弁護士だった父親の急死で、貧しい生活を強いられたグリム一家は、伯父たちに支えら
れ な が ら 成 長 し 、 1802 年 に 長 男 の ヤ ー コ ブ が 、 翌 年 に 次 男 の ヴ ィ ル ヘ ル ム が 、 法 律 家 と
なって早く母親や弟妹たちに楽をさせようと考え、奨学金をもらってマールブルク大学法
学部に入学した。しかし、当時の学生は一般に裕福な家庭の者が多く、貧乏人のグリム兄
弟は学友からも教授たちからも馬鹿にされて不遇の生活を送っていた。というか、とにか
く 勉 学 に 専 念 し た 。 そ う い う よ う す を 見 て 、 ザ ヴ ィ ニ ー (Friedrich Karl von Savigny,
1779-1861)教 授 は 彼 ら に 自 宅 の 書 斎 を 開 放 し 、 自 由 に 勉 強 し て 良 い と 勧 め た 。 こ の ザ ヴ ィ
ニーこそ、ヘーゲルやプフタなどのいわゆる哲学法学派に反対して、歴史法学派を立ち上
げた法学者であり、またのちにプロイセンの法律制定大臣になった人だった。
グリム童話の世界へ(3)マールブルク
ザヴィニー先生が提唱した歴史法
学とは、法の源を民衆の歴史のなか
に探り出そうとする立場を言い、狭
い法曹の世界から法を解放すること
を目指した。法の源が民衆の歴史の
なかにあるといっても、事象はその
ままでは消えて行くから、なんらか
のかたちで書き残されていなければ
な ら な い 。 英 語 の history( 歴 史 ) と
story( 物 語 ) は ほ ぼ 同 類 の 単 語 で あ
り 、 ド イ ツ 語 の Geschichte に は 「 歴
史」と「物語」の2つの意味がある
の は 、 出 来 事 Geschehen は あ く ま で も 物 語 ら れ 書 き 残 さ れ な け れ ば な ら な い こ と を 意 味 し
ている。日本語の「歴史」の「史」はまさに「ふみ」である。
法学部生だったグリム兄弟は、ザヴィニー先生の言うとおりに、法の源を探して、ドイ
ツの民衆が語る民話や伝説、言葉、文法、習慣などを調べた。こうして『グリム童話』は
書かれることになった。
グリム兄弟はザヴィニー先生のもとで法学を学んだマールブルク大学は、ドイツで最初
のプロテスタント系の大学だった。ちなみに、ドイツ最古の大学はハイデルベルク大学。
- 3 -
マ ー ル ブ ル ク 大 学 は 東 洋 大 学 の 協 定 校 で 、 最 近 で は 、 2006 年 度 は 社 会 文 化 シ ス テ ム 学
科 生 が 、 2007 年 度 は 社 会 心 理 学 科 生 が ド イ ツ で 学 ん で い る 。
上の写真はマールブルクの概観で、右上の山の中腹にあるのがお城。フランクフルト・
ア ム ・ マ イ ン の 中 央 駅 か ら 急 行 列 車 で 50 分 ぐ ら い で マ ー ル ブ ル ク に 着 く が 、 マ ー ル ブ ル
クの駅に着く前に左手に、このお城が見える。ああ、マールブルクに着いたなあと思って
ホッとする瞬間だ。
このお城はいま博物館になっており、マールブルク大学の附属機関である。お城の左下
に見える大きな建物は市庁舎。マールブルクは大学町で、市内にある大学施設を色づけし
たら真っ赤になってしまうほど。
ヨーロッパ大学史年表
年
大学創立
ヨーロッパ史
1088
12 世
紀
ボローニャ大学
パリ大学
オクスフォード大学
ナポリ大学
パドヴァ大学
ケンブリッジ大学
フィレンツェ大学
ロンドン大学
ピサ大学
プラハ大学
ウィーン大学
ハイデルベルク大学
ケルン大学
エアフルト大学
ライプツィヒ大学
ロストック大学
グライフスヴァルト大学
フライブルク大学
インゴルシュタット大学
トリーア大学
テュービンゲン大学
ヴィッテンベルク大学
マールブルク大学
1096-99 十字軍
1224
1229
1267
1321
1336
1343
1348
1365
1385
1388
1392
1409
1419
1456
1472
1473
1477
1502
1215 マグナカルタ
1338-1453 英仏百年戦争
1453 東ローマ帝国滅亡
1517 ルター宗教改革
グリム童話の世界へ(4)カッセル
こうしてグリム兄弟は――などと書いているとたいへんなので、これからはグリム兄弟
ならびにグリム童話にちなむ町を見学することにしよう。マールブルク大学を卒業したあ
と 、 グ リ ム 兄 弟 は Kassel と い う 町 の 図 書 館 で 働 い た 。 こ の 図 書 館 は 、 ド イ ツ 最 古 の 美 術 館
に付置されてあったもので、この美術館はいまもカッセルの中心に存在している。
カッセルは、中部ドイツに位置し、マールブルクからは急行で1時間、フランクフルト
- 4 -
国 際 空 港 か ら だ と 超 特 急 ICE で 2 時 間 北 へ 行 っ た と こ ろ に あ る 。 各 駅 停 車 な ど ロ ー カ ル 線
は カ ッ セ ル 中 央 駅 (Hauptbahnhof)に 行 く が 、 ICE や IC、 EC な ど の 特 急 、 急 行 は Kassel
Wilhelmshöhe 駅 に し か 停 ま ら な い の で 、 ホ テ ル を 決 め る と き に は 注 意 が 必 要 だ 。 カ ッ セ ル
・ヴィルヘルムスヘーエは、その背後に続く長大なお城の名前で、この駅は、中央駅や市
庁 舎 な ど か ら は 路 面 電 車 で 30 分 ほ ど 南 西 に あ る 。
グ リ ム 兄 弟 は 、 最 初 、 お 城 の 頂 上 か ら 一 直 線 に 10 ㎞ ほ ど 続 く 通 り の 最 下 端 に あ る 門 番
の家に住んでいた。この建物は今でも道の両側に立っており、手前の小さな広場にグリム
兄弟の銅像がある。市庁舎から徒歩5分ほどのところ。
グリム兄弟が住んでいた門番の家
グリム童話の世界へ(5)カッセルつづき
ナポレオン占領、ウィーン会議などの時代変動が続き、またグリム兄弟はカッセルでド
ロテア・フィーマンという老婦人から新しくたくさんの童話を聞かせてもらったりしたと
いったことは、グリム兄弟の伝記などを読んでもらうことにして、われわれは観光旅行を
続けよう。図書館司書の仕事に就いてようやく安定した生活を続けられるようになった、
グリム兄弟は、新しい住居に移ることになった。ヴィルヘルムは友人のイェニー・フォン
・ ド ロ ス テ ・ ヒ ュ ル ス ホ ッ フ (Jenny von Droste Hülshoff)宛 の 手 紙 で こ う 書 い て い る 。
"Es stehen uns keine Häuser gegenüber; vor uns, unten im Grund, liegt die prächtige Aue und die
Orangerie und rings herum die nahe und ferne Bergkette, dazwischen der Strom ... Wie schön und rein ist
der Duft des Morgens und Abends, wie prächtig der reichte Sternenhimmel und der aufgehende Mond."
「私たちの前には家が一軒もなく、下の大地には立派な緑野や温室があり、遠く近くに
山々が連なり、その間を川が流れているのが見られます。朝と夕方の空気はなんと澄んで
いることでしょう。そしてまた満点の星空と昇る月の美しさも。」
そうした美しい光景を目の前に繰り広げる新しい彼らの住まいが、現在、グリム記念館
に な っ て い る 。 前 の 通 り は Schöne Aussicht〔 美 し い 眺 め 〕 と 名 付 け ら れ た 広 い 遊 歩 道 に な
っており、高台のはずれなので、ヴィルヘルムの言葉通り、いまでも目の前に緑が広がり、
宮殿や庭園が眺められる。
- 5 -
左の写真は、グリム兄弟の新居近くから宮殿(温
室)を見下ろしたもの。右の白いテントは、4年に
1度開かれる大展覧会の仮設展示場。いまは手前の
木が大きくなって、グリム兄弟がむかし眺めた光景
よりも雄大さは減少しているようだ。
このテントから右方向に約1㎞の庭園が続く、先
端の小島はいま植物園になっている。
ここから逆、写真を撮っている位置の背中側は、
徒歩5分で前回書いたドイツ最古の美術館がある広
場に着き、さらにそこから5分でカッセル一の繁華
街に出られる。通りを路面電車が走っており、市庁
舎 前 を 通 っ て 、 ICE が 通 る カ ッ セ ル ・ ヴ ィ ル ヘ ル
ム ス ヘ ー エ 駅 ま で は 路 面 電 車 で 15 分 ほ ど 。
この長たらしい駅名は、駅の裏に続く山の天辺まで広がる宮殿の名前であり、ヘーエ
Höhe と は 高 台 と い う 意 味 。 こ の 高 台 の 天 辺 に 高 さ 数 十 メ ー ト ル の ヘ ラ ク レ ス 像 が 立 っ て
いる。それもすごいが、そのヘラクレス像の足元から水路が延び、水曜日と日曜日の午後
2時から水が流され長大な滝になる仕掛けがもっとすごい。これは、最近のことではなく、
200 年 以 上 前 か ら だ か ら と て つ も な い 。 し か も そ れ よ り も も っ と も っ と す ご い の が 、 滝 の
続きで延びている道で、遥か彼方まで一直線に続いている。そして、この一直線の道の一
番下に、かつてグリム兄弟が住んでいた門番の家があり、さらにその延長線上に、上述の
グリム兄弟の新居がある。
左の写真は、ヘラクレス像の足元で
撮ったもので、すぐ下は滝になるとこ
ろ、そして延々と下の方まで道が続い
ている。途中で道を遮っている建物が
このお城の宮殿。上の写真の宮殿(温
室)は、遥か彼方の下方で望遠鏡でな
ければ見えない。
グリム童話の世界へ(6)ゲッティンゲン
- 6 -
Göttingen は ゲ ッ テ ィ ン ゲ ン と 読 む 。 古 く か ら 大 学 町 と し
て知られ、しかもドイツで最も多くのノーベル賞受賞者を輩
出している名門校がある。この大学で学び学位を得た者だけ
が、市庁舎前にあるこのガチョウ番の娘にキスをすることが
できると言い伝えられており、いまでもそうする学生がいる
らしい。
このガチョウ番の娘はもちろんグリム童話に由来する。
「王に先立たれたお妃の娘が結婚することになり、小間使
いと一緒に王子の元へ行く途中、小間使いに意地悪をされて
身柄を交代させられ、お姫さまはガチョウ番の娘になりまし
た 。 と こ ろ が ……。 」 と い う 話 。
ところで、このガチョウ番の娘がなぜゲッティンゲンにい
るのか。それは必ずしも明らかではないが、グリム兄弟がこ
の 地 に 移 住 し た こ と に 由 来 す る と 思 わ れ る 。 1829 年 12 月
26 日 に 彼 ら は カ ッ セ ル か ら ゲ ッ テ ィ ン ゲ ン に 引 っ 越 し た 。
ヤ ー コ ブ は 図 書 館 員 兼 大 学 教 授 に な り 、 ヴ ィ ル ヘ ル ム も 図 書 館 員 と な っ た 。 1835 年 に ヴ
ィ ル ヘ ル ム も 正 教 授 と な っ た 。 と こ ろ が 、 1837 年 に 国 王 が 交 代 す る と 、 新 王 は 憲 法 を 破
棄してしまったため、7人の大学教授がこれに抗議した。その中にグリム兄弟もいた。彼
ら は 公 職 を 追 放 さ れ た 。 そ の 結 果 、 グ リ ム 兄 弟 は カ ッ セ ル に 戻 っ た の ち 、 1841 年 3 月 に
ベルリンに向かった。
ゲッティンゲンは、カッセルから北へICEで1時間弱の、中北部ドイツにある。駅か
ら歩いて5分ぐらいで旧市街に入る。都会的な雰囲気で、人出も多いが、一日あればめぼ
しいところは一通り見て回ることができる。ところどころに木組みの家も混じっている。
グリム童話の世界へ(7)グリム童話のルーツ
さて、グリム兄弟はゲッティンゲン大学を追放されたのち、ベルリンに向かったが、わ
れわれもここで一緒にベルリンに行ったのでは、このシリーズもおしまいになってしまう
ので、つぎにグリム童話の舞台となったと言われる町や村を訪ねることにしよう。
前回、新シリーズ「世界遺産」で紹介したランメルス鉱山に限らず、ドイツ中部には鉱
山がたくさんあり、狭い坑道で動きやすい子どもがむかしは大勢使われていたと言われる。
- 7 -
小さいときから太陽もあたらず一日暗い坑道内
にいて、しかも岩を砕いたり砕石を運んだりと
いう肉体労働を続けたため、背が伸びず、しか
も体つきだけは良いということになる。これが
いわゆる「こびと」と呼ばれた人たちで、『白
雪姫』に登場する7人の小人も「朝になると小
人たちは山にでかけて、鉱石や金をさがし、夕
方になると帰ってきます」と書かれている。前
に書いたように、グリム童話は民話なので、誇
張があったとしても、話のルーツはどこかにあ
る話なのだ。
(炭鉱労働者が出てくるゴスラー市庁舎の仕掛け時計)
グリム童話の世界へ(8)赤頭巾
赤 頭 巾 物 語 は 、 グ リ ム 童 話 の 中 で 5 本 指 に 入 る ほ ど 有 名 だ が 、 グ リ ム 童 話 よ り 100 年 前
に出版されたフランスの作家シャルル・ペローの童話集にも載っている。とは言え、これ
はペローの創作ではなく、古くからフランス民衆のあいだで語りつがれていた物語である
ことがいまではわかっている。
であるにもかかわらず!ドイツには赤頭巾物語発祥の地が複数存在する。とくに有名な
の は 中 部 ド イ ツ の Schwalmstadt で 、 こ こ で は 独 特 の 小 さ な 赤 い キ ャ ッ プ を 未 婚 女 性 が つ け
て い る こ と か ら そ う 考 え ら れ た 。 最 寄 り 駅 は マ ー ル ブ ル ク か ら 列 車 で 北 に 40 分 ほ ど の
Treysa。 駅 前 の 階 段 を 降 り て 通 り を 横 断 し 、 商 店 の 間 の 路 地 を 入 る と 階 段 が あ っ て 、 そ こ
を上ると市庁舎へ行ける道に出る。しかし、この階段は、初めて訪れた人にはまず絶対に
わからない所にあり、当然私も遠回りして人に道を尋ねながら行った帰りに降りて初めて、
なんだ、駅前じゃないか!と気がついた。でも、おそらく皆さんはここへ行くことはまず
ないでしょう。なぜなら、友だちでも住んでいない限り、行っても何もない町だからだ。
赤頭巾ちゃんがいたかどうか怪しいけれど、行った甲斐があるのは、もう一つの有名な
赤 頭 巾 の 町 Altstadt で 、 「 古 都 」 が 町 の 名 前 に な っ て い る だ け あ っ て 、 半 日 十 分 楽 し め る 。
木組みの家がたくさん建ち並んだ小さな町だ。旧市街は駅から少し離れているので、事前
にインターネットで地図を確認しておくと良いだろう(私に聞いてくれても良い)。市庁
舎の裏に赤頭巾の銅像が建っている。市庁舎筋向かいのカフェは「結婚式の家」と呼ばれ、
古い木組みの家で、ちょっと休憩するのにちょうど良い。
- 8 -
市庁舎裏の赤頭巾
400 ~ 500 年 前 に 建 て ら れ た 木 組 み の 家 。 だ い ぶ 歪 ん で い る 。
グリム童話の世界へ(9)ハーメルンの笛吹男
ヴェーザー川に面したこの町には水車小屋がたく
さんあり製粉業が盛んだった。したがってネズミも
たくさんいた。これを退治してくれたら賞金を与え
ると言われた男が不思議な音色の笛を吹き、ネズミ
を退治したが、賞金を渡す約束を反故にしたため、
笛吹男は怒って町中の子どもたちを笛を吹いて連れ
去ったという話。これは実話に基づくと、阿部謹也
氏が明らかにした『ハーメルンの笛吹男』は、社会
文化を学ぶ人の必読書になっている。日本でのいわ
ゆる「社会史」研究はここから始まったからだ。
グ リ ム 童 話 の 世 界 へ ( 10) 魔 女 (Hexe)
グリム童話に「魔女」は大勢出てきますが、原典に忠実に翻訳すると「魔女」の数は減
り ま す 。 と い う の は 、 「 魔 女 」 と 訳 さ れ て い て も 原 語 で は Hexe( 歴 史 概 念 と し て の 魔
女 ) 、 Zauberin( 女 魔 法 使 い ) 、 weise Frau( 仙 女 、 賢 女 ) 、 Fee( 妖 精 ) と い う よ う に 区 別
して書かれているからです。
問題:下記の人物は、「魔女」「女魔法使い」「仙女」「妖精」
「
ふつうの人間」のいずれか?(答えは次々号)
1、魔法でお菓子の家を作り、子どもを食べようとした「ヘンゼルとグ
レーテル」のおばあさんは?
2、「ラプンツェル」を育てたおばあさんは?
3、継子の男の子をいじめてリンゴ箱の蓋でその首を落とし、証拠隠滅
のためにスープにしてしまった「ネズの木の話」に出てくる継母は?
4、森の中に一人で住んでいる「赤頭巾ちゃん」のおばあさんは?
5、「いばら姫」を百年の眠りにつかせる呪いをかけた女は?
6、狩人が持っている鳥の心臓を、娘をそそのかして盗もうとした「キ
ャベツろば」に登場する母親は?
7、「灰かぶり」のためにカボチャやネズミを馬車に仕立てたのは?
8、王様の怒りをかって追放された末娘を「泉のそばのガチョウ番の
女」として育ててくれたおばあさんは?
9、継母にいじめられて井戸に落ちた娘を家に入れ働かせた大きい歯を
したホレおばさんは?
10、 毒 リ ン ゴ で 白 雪 姫 を 殺 そ う と し た 「 白 雪 姫 」 の お 妃 は ?
11、 首 に な っ た 兵 隊 に 宿 と 食 事 を 提 供 し 、 そ の 代 わ り に 「 青 い ラ ン プ 」
を井戸からとってもらおうとしたおばあさんは?
グ リ ム 童 話 の 世 界 へ ( 11) 魔 女 の 山
魔 女 狩 り ・ 魔 女 裁 判 は 16 世 紀 か ら 18 世 紀 に ヨ ー ロ ッ パ 、 と く に 東 北 ド イ ツ で 頻 繁 に 行
われた差別的大虐殺だった。それは、土着民間信仰と妥協しながら布教した古いカトリッ
クではなく、聖書に忠実なプロテスタントのもとで激しかった。ドイツ東北部はまさにプ
- 9 -
ロテスタントの拠点。いまはただの観光行事になった魔女祭もドイツ東北部で盛んに行わ
れ て い る 。 と く に 有 名 な の は ハ ル ツ 山 地 で 、 最 高 峰 は ブ ロ ッ ケ ン 山 (Brocken)。 日 本 で も 高
山で太陽光が横から射す朝と夕に霧が深いと自分の影が霧に浮かび、影の周囲に虹が出る
ことがあるが、それをブロッケン現象というのはこの山に由来する。
ブ ロ ッ ケ ン 山 に 行 く に は 、 Hannover か ら Braunschweig 経 由 か 、 Hildesheim か ら ( 以 上 3 駅
は い ず れ も ICE 停 車 駅 ) ロ ー カ ル 線 に 乗 り 古 都 Wernigerode で 乗 り 換 え て 汽 車 で 、 ま た は
中 部 ド イ ツ の ロ ー カ ル 線 駅 Nordhausen か ら 汽 車 で 行 く 。 ( 汽 車 は ド イ ツ 鉄 道 (DB)で は な い
の で ジ ャ ー マ ン ・ レ ー ル パ ス な ど は 使 え ず 、 料 金 も 高 い 。 ) Nordhausen か ら 乗 る と か な り
距 離 が あ る 。 途 中 の Drei Annen 駅 で Wernigerode か ら の 汽 車 と 接 続 、 い よ い よ 急 勾 配 を 登 り 、
森林限界を越えると終点のブロッケン駅に着く。ブロッケン現象が出るぐらいだから、午
後はたいてい霧しか見えない。晴れていれば中部・東北部ドイツが一望できるらしい。
ブロッケンに行ったら、当然、木組みの家が建ち並ぶヴェルニゲローデと、隣の山にあ
る 世 界 遺 産 Quedlinburg で そ れ ぞ れ 1 泊 し よ う 。 な お 、 ク ヴ ェ ト リ ン ブ ル ク の 奥 に あ る タ
ー レ (Thale)に は ケ ー ブ ル で 上 る 山 頂 に 「 魔 女 の 踊 り 場 」 が あ る が 、 実 際 に は た だ の 駐 車 場
で実につまらない。「騙されたと思って行って見ろ」ではなく、ただ騙されただけの所。
左は頂上の石しか見えなかったブロッケン山頂。右はヴェルニゲローデの路地
グ リ ム 童 話 の 世 界 へ ( 12) 魔 女 ― ― 問 題 の 答 え
下 記 人 物 は Hexe、 Zauberin、 weise Frau、 Feé、 ふ つ う の 人 の い ず れ か ?
1 、 「 ヘ ン ゼ ル と グ レ ー テ ル 」 に 登 場 す る お ば あ さ ん → Hexe
2 、 「 ラ プ ン ツ ェ ル 」 を 育 て た お ば あ さ ん → Zauberin
3、「ネズの木の話」に出てくる継母→ふつうの人
4、「赤頭巾ちゃん」のおばあさん→ふつうの人
5 、 「 い ば ら 姫 」 で 呪 い を か け る 女 → Feé
6 、 「 キ ャ ベ ツ ろ ば 」 に 登 場 す る 母 親 → Hexe
7、「灰かぶり」でカボチャやネズミを馬車に仕立てたの→ハシバミの木
8 、 「 泉 の そ ば の ガ チ ョ ウ 番 の 女 」 の お ば あ さ ん → weise Frau
9、ホレおばさん→妖精の一種
10、 「 白 雪 姫 」 の お 妃 → ふ つ う の 人
11、 「 青 い ラ ン プ 」 → Hexe
- 10 -
グ リ ム 童 話 の 世 界 へ ( 13) ブ レ ー メ ン の 音 楽 隊
老いぼれロバと犬と猫とオンドリはなぜブレーメンを目
ざしたか? そこで音楽隊になるなんていかにも童話か?
そうではありません。ブレーメン市の歴史を調べると、
そこがキリスト教布教の拠点であり、聖職者に付いていっ
た商人が徐々に実権を握り自由自治都市として発展したこ
と 、 14 世 紀 に は 浮 浪 音 楽 家 も 市 の 音 楽 隊 員 に 採 用 さ れ た こ
と な ど が わ か り 、 ブ レ ー メ ン が 10 世 紀 か ら 15 世 紀 に か け
て近隣の人びとの憧れの地であったことがわかります。し
かし、ロバたちは結局ブレーメンへ行かず、途中で泥棒の家を乗っ取って満足してしまい
ました。なぜでしょう? その謎を解く鍵は社会思想史に求めることができます。思想史
を学んで、自分で考えてみてください。
ブレーメンは、北ドイツに属し、ヴェーザー川の河口近くにあります。古くからハンザ
同 盟 都 市 と し て 栄 え 、 1186 年 に 自 由 自 治 都 市 と な り 、 現 在 も ハ ン ブ ル ク と 並 ん で 、 一 つ
の市がそのまま州として認められています。
駅 前 か ら 線 路 に 直 角 方 向 の 広 い 通 り を ま っ す ぐ に 歩 い て 行 け ば 、 10 分 以 内 で 旧 市 街 に
着き、市庁舎もすぐそばです。ブレーメンの音楽隊の銅像は市庁舎左手にあります。市庁
舎広場には立派な商館が立ち並び繁栄した時代が偲ばれます。ここのクリスマス市は北ド
イツで最も美しいと言われています。
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