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松崎悠希
SPECIAL INTERVIEW ─扉の向こう側─ Vol.2 松崎悠希 俳優・34歳 世界に正しい日本人像を 見せてやろうじゃないか SPECIAL INTERVIEW Vol.2 松崎悠希 ハリウッドで億万長者を夢見た少年 ロサンゼルス在住の松崎悠希さんは、 『ラストサム ライ』や『硫黄島からの手紙』など、超大作映画への出 演歴もあるハリウッド俳優だ。アメリカ生まれの日本 人というわけでも、日本で名をなして海外に進出した わけでもない。10 代のとき、若さに任せて、1 人扉の向 こうに飛び出した。 役者に目覚めたのは、英語の児童劇を母と見に行っ た 7 歳のとき。 超 のつく目立ちたがり屋だった松崎 さんは、その劇団がオーディションを行うと知って、 1 週間で劇中の全セリフを暗記。見事主役の座を射止 め、役者人生をスタートさせた。 当時は海外のことは考えておらず、児童劇団で経験 を積みながら、高校卒業後は日本映画学校に進学。と ころが入学して進路が変わった。 児 童 劇 団 時 代 の 松 崎 さん (左) 。「真 面目に観 客を笑 わせる」が信条だった 「自分が 11 年間やってきた児童劇は、演者も積極的に 発言し、自分たちで作りあげていくというものでした。 でも日本の映画界では、それは異質だったんです。講 師に『おまえのスタイルで行くならアメリカのほうが いい』と言われ、渡米を決めました」 気づけばニューヨークでホームレス 渡米に際し、松崎さんは日本の良さを伝えたいとい う理由で、甚平に草履(ぞうり)という姿で飛行機に乗 り込んだ。周囲の乗客の驚きをよそに、18 歳の少年は 1 人、バラ色の未来を描いていた。 SPECIAL INTERVIEW Vol.2 松崎悠希 「演技には自信がある。アメリカではオーディション という公平なシステムが主流だから、自分の才能があ れば、すぐに映画の主演が決まって億万長者になれる。 真剣にそう思っていましたね」 本格的に英語と演技を学ぶため、まず松崎さんはヴ ァージニア州の有名な演技学校をアポなしで訪れた。 ヴァージニア州と、故郷の宮崎市は姉妹都市。それが 強力な コネ だと信じ、下調べもしなかった。 「そうしたらなんと、その学校は高校だったんですよ。 すでに高校を卒業している僕は入学を拒否されまし た」 「ならばブロードウェイのあるニューヨークだ!」と 勢いに任せ、同じ東海岸のニューヨークへ。ところが 到着 3 日後、宿で全財産を盗まれ、ホームレスの更生施 設で暮らすハメに。生活費を稼ぐため、タイムズスク SPECIAL INTERVIEW Vol.2 松崎悠希 エアで日本の童謡を歌い始めた。「初日の収入は 3 ド ルでした」と笑う。 歌で生計を立てながら、 俳優新聞 の募集欄でオ ーディションを探す日々を送り、5 カ月後、ある B 級映 画のオーディションを受けた。初めてゆえ気合を入 れ、袴、浴衣、着物、羽織、 甚平すべてを着込んで臨んだ。 それが功を奏したかはわからぬが、日本人の悪役とい う準主役を手に入れる。人生初の映画出演だった。 撮影は、フィラデル フ ィ ア で 約 1 カ 月。B 級映画ゆえか、さまざ まなトラブルを体験す 全財産を盗まれ、スト リートパフォーマンス を行っていた頃 SPECIAL INTERVIEW Vol.2 松崎悠希 るも、松崎さんは存分に楽しんだ。クランクアップ後、 もっと映画に出たいならハリウッドがいいと監督に言 われ、さらに意欲を燃やす。こうしてニューヨークに 来てから 9 カ月後、松崎さんは 映画の都 に向かった。 映画の都 で数々の大物と共演 ニューヨークに比べ、さすがにハリウッドはオーデ ィションの募集が多かった。松崎さんは、名刺代わり のヘッドショット(顔写真)を大量に作っては送り、オ ーディションを受けまくった。次第に舞台やミュージ カル、学生映画、短編映画などへの出演が増え、キャリ アを積み重ねていった。 21 歳のとき、1 通のヘッドショットが大作映画のオ ーディションに結び付いた。『ラストサムライ』。松崎 さんには一兵卒の役が与えられた。