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ケント・モリ
SPECIAL INTERVIEW ─扉の向こう側─ Vol.1 ケント ・モリ ダンス・アーティスト・30歳 振り返ってみたら 扉なんかなかった SPECIAL INTERVIEW Vol.1 ケント ・モリ 今や、ケント・モリは世界のトップア ーティストが最も必要とするダンス・ アーティストのひとりだ © 2015 Sony Music Entertainment (Japan) Inc. 世界に名を広めたダンス・アーティスト マイケル・ジャクソンに憧れてダンサーになり21 歳 で単身渡米、22 歳にして世界最高峰の舞台で活躍する ことになったケント・モリ。2009 年、マドンナの専属バ ックダンサーを務めていた彼は、マドンナのツアー舞 台上で、亡きマイケル・ジャクソンの追悼ダンスを踊 った。その勇姿は、世界の人々にケント・モリという日 SPECIAL INTERVIEW Vol.1 ケント ・モリ 本人ダンサーの名を記憶させることになった。 明確な目的を持って日本を飛び出し、国境という名 の 扉の向こう側 で活躍する彼は、トップダンサーと して、これまでに 49 カ国、200 以上の都市でパフォーマ ンスを行ってきた。だが、海外への扉を開いたという 意識はない。自身の経験を踏まえたうえで、彼は言う。 「がんばって扉を開けたと思って振り返ったら、そこ には扉なんか全然なかった。そう気づくことが、本当 の扉の向こう側にいることなのかもしれない」 LA で受けた衝撃が人生を変えた 22 歳で世界のトップダンサーの仲間入りを果たし たという経歴を考えると、ケント・モリが本格的にダ ンスを始めたのは、意外と遅い。なんと、19 歳の時だ。 実は人 生 の 中で 一 番 苦しかったのが、 大学時代。 も の すごく悩 んだ。 受 験 戦 争を 生き抜 いた道 のりを チャラにする 勇気が出なかった SPECIAL INTERVIEW Vol.1 ケント ・モリ 「 子どものころからマイケル・ジャクソンに憧れ、ダ ンサーになりたいと公言してはいたけど、実際には趣 味とも呼べない程度。マイケルのまねをして、要する に スーパースターごっこ ですよ。でも踊りをまねる というよりは、エネルギーをまねるというか、自分の 中にマイケルの波動を入れるという感じだった」 大学入学後、愛知県から上京。多くのダンススタジ オを見て回るなど、ようやくダンスが 趣味 になっ た。そして 19 歳の誕生日を迎える時、知り合いの日本 人ダンサーが主催する、ロサンゼルスへのダンスツア ーに参加。そこで大きな衝撃を受けた。 「 これまでアメリカは、頭の中で描いていただけ。そ れが目の前にあった。道を行く人や車、空の色、爽やか な風、土の匂い、ストリートの光景、ラジオから流れて くる音楽、そして本場のダンス……すべてがザ・アメ リカ。その瞬間、感じたんですよ。自分の細胞が喜んで SPECIAL INTERVIEW Vol.1 ケント ・モリ るって。追い求めるべきものは、きっとここにあると。 ましてや、マイケルのいる国。その高揚感たるや、ここ に骨を埋めたいと強烈に感じるほどだった」 彼はこの時、ダンスで生きていくことと、アメリカ で暮らすことを同時に決めた。 悩みに悩み、バネがはじけた けれども、彼が実際に渡米したのは 21 歳、大学 3 年の 終わりごろだった。大学を中退して渡米するまで、な ぜ 2 年もかかったのか。 「 実は人生の中で一番苦しかったのが、大学時代。も のすごく悩んだ。受験戦争を生き抜いた道のりをチャ ラにする勇気が出なかったし、自分はおばあちゃん子 でおじいちゃん子だったから、大学を卒業していい企 業に就職すれば、ふたりが喜んでくれるかなって。何 SPECIAL INTERVIEW Vol.1 ケント ・モリ もかも失うかもしれな いけれどアメリカに行 きたい、という思いが 勝るまでに時間がかか った。でも、 ここでさん ざん悩んだから、後の 自分があったと思う。 バネが精いっぱい縮ん だからこそ、大きく跳 ねることができた」 そして、渡米。最大の障壁となるはずの英語にアレ ルギーがなかったのは、英会話教室を開いていた母親 の影響だ。とはいえ、日常会話ができる程度。以後は実 践で身につけていった。 迷いを捨てて飛び込んだロサンゼルスでの新生活。 まさに縮んだバネが伸びるように、どっぷりとダンス SPECIAL INTERVIEW Vol.1 ケント ・モリ に浸った。自分にとって、アメリカのエンターテイン メントの持つ力は素晴らしかったと振り返る。 「 多少の困難も、ハードルというよりは、より自分を 高められるチャンスとしか思えなかった。スキルを身 につけるチャンスだと」 マイケルとマドンナを魅了した才能 ケント・モリを魅了したアメリカのエンターテイン メント。その頂点に立っていたのは、言うまでもなく マイケル・ジャクソンだ。マイケルと一緒に踊りたい。 でもそれは、まだ雲の上にある最終ゴールのようなも のだった。 SPECIAL INTERVIEW Vol.1 ケント ・モリ Profile ケント・モリ(けんと・もり) 1985 年 3 月 3 日、愛知県生まれ。2006 年の渡米以後、マド ンナ、クリス・ブラウン、アッシャー、ニーヨ、シアラ、チ ャカ・カーンなど世界のトップアーティストの専属ダン サーを務める。ステージにとどまらず、グラミー賞など のアワードショー、トップアーティストのミュージック ビデオなどにも出演。日本でも SMAP の振り付け、宝塚歌 劇団 100 周年記念舞台、テレビ CM での振り付け・演出を 手がけるほか、東京フィルハーモニー交響楽団との共演 や、伊勢神宮における奉納の舞の披露など、幅広い領域 で活躍する。 SPECIAL INTERVIEW Vol.1 ケント ・モリ 『1』 ケント・モリ初の映像作品集。東京国立博物館で撮り下ろし たオリジナル作品の「SAKURA」をはじめ、世界的な有名ダン サーたちと共演した作品や、素のケント・モリの姿が映し出 されたドキュメンタリーなどを収録。タイトルには、唯「一」 無二であることのほか、マイケルの遺志を継ぎダンスで世界 を「一つ」にしたいなど、多くの願いが込められている(ソニ ー・ミュージックジャパンインターナショナル/ 3800 円・税 別)。© 2015 Sony Music Japan International