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大学病院の中でジェネラリストを育てる/加藤博之

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大学病院の中でジェネラリストを育てる/加藤博之
I N T E RV I E W
弘前大学医学部附属病院総合診療部 教授
加藤博之 先生
大学病院の中で
ジェネラリストを育てる
聞き手:山田隆司 社団法人地域医療振興協会 地域医療研究所所長
福士元春 地域医療研究所 地域医療研修センター
新設医大ならではの試み
山田 隆司( 聞き手) 今日は弘前大学総合診療部の
加藤博之先生にインタビューすることになりました.
大学は佐賀医科大学へ行きました.実は開学第1期
青森県出身の自治医大OBで,地域医療研修セン
生だったのです.先生は自治医大の3期生で,先輩
ターの福士元春先生と,弘前大学医学部6年の学
が2期分しかいないという環境だったと思いますが,
生さん二人,仲野寛人さんと野村 理さんにも話に参
私は先輩がゼロという環境でした.
加していただきます.
佐賀医大は,同時期にできたいくつかの新設医大
そもそも加藤先生と初めてお会いしたのは,松岡
と雰囲気が若干異なり,初代学長の古川哲二先生
史彦先生を通じて六ヶ所村尾駮診療所でしたが,
がジェネラリストや医学教育などに対する思い入れ
先生とお話していて地域医療や総合医療,ジェネラ
が深く,また日野原重明先生が参与になられてい
リストに懸けるものが私自身と相通じるところが大き
たこともあって,全身を診られる医者,一次医療に
いと感じていました.まず先生が総合診療部の教授
関心を持つ医者を育てようという理念がありました.
というポストに就かれるまでのご経歴をお話しいただ
当時,それはとても新しい考え方だったのですね.
けますか.
チュートリアル教育やクリニカルクラークシップタイプ
加藤博之
86(2)
知っていたわけではなく,都会育ちという感じでした.
私は北海道の生まれですが,すぐに神奈川
の教育も導入されており,今から考えると至らない
県の川崎市に移り大学に入るまではそこで過ごして
部分もたくさんありましたが,
25年前当時としては先駆
いました.ですから中学,
高校時代は地方の生活を
的なものが取り入れられていました.
月刊地域医学 Vol.21 No.2 2007
INTERVIEW/大学病院の中でジェネラリストを育てる
卒業するときに同級生の大半が「どこへ行くか?」
加藤
そして卒業する直前ぐらいに考えたのは,自分が
と悩んだと思いますが,
結果的に第1期卒業生の6割
たとえば沖縄県立中部病院へ,あるいはアメリカへ,
ぐらいが大学に残りました.私もその中の一人でした
あるいはへき地へ行って,自分一人がジェネラリスト
が,私自身は大学5年の後半にはすでにジェネラリ
になるのもいいかもしれないけれど,それよりも佐賀
ストになろうと心に決めていて,そのためにはどうした
医大そのものがジェネラリストをつくる大学として定
らいいのか,何を勉強したらいいのかといろいろ考え
着して,
そこからジェネラリストを量産できるシステムを
情報を集めていました.沖縄県立中部病院のERは
作った方がきっと世の中のためになるだろうと.80あ
そういう考え方を取り入れている,あるいは長崎県
る全国の医学部のなかに,一つぐらいそういうところ
大村の当時の国立長崎中央病院(現長崎医療セン
があってもいいのではないかと.自分はせっかく新し
ター)
には岩崎 榮先生がおられて,離島医療のワー
い大学の1期生として真っ白なキャンパスに絵が描
クショップを行っているなどという情報はありました.
けるわけだから,それを最大限に生かすやり方はで
また自治医大が数年前に創設されていましたから,
きないかと考えて,大学に残りながらなおかつ,ジェ
自治医大の学生がどういう活動をしているかというこ
ネラルな医療を実践して,ジェネラリストをつくるような
とをかなり意識していて,箕輪良行先生や吉新通康
仕事がしたいと思ったのです.
今から考えるとかなり危うい考えだったと思います.
先生が出版した「第一線医療の探究」をそのころ
ミイラ取りがミイラにならないようにするためにはどうし
買って読んでいました.
私はそれを読んで自治医大の初期のころの方と
たらいいか,またジェネラルなものを周りの人,すなわ
いうのは,ものすごいパワーがあると感じました.自治
ちスペシャリストたちに認めてもらうためにはどうした
医大卒業生が生き残るためには理念を揚げ共有し
らいいかということを模索しなければいけない道なの
なければ駄目,また今の医学教育や医療は専門性
で,
つまりはイバラの道であり,随分無謀なことを考え
偏重で,doctor orientedだから駄目ということが書
たものだと思いますね.
かれていて,
共感することがたくさんありました.
山田
そういう問題意識を持つこと自体が難しい環境で
最近世の中で報道されている「病気を診るが病
すよね.大学病院というのはやはりそれぞれの専門
人を診ない医者」とか,
「救急患者たらい回し」など
診療科の人たちに影響されるところが大きいと思う
というのは専門性という間口の狭さの裏返しです
のですが.
が,そういうことは当時もマスコミでいろいろ取り上げ
加藤
できたばかりの大学だったので,専門家として非
られていました.それに対して医学教育学会や日
常に強い影響を与えるロールモデルが少なかったの
野原先生,亡くなられた順天堂大学の吉岡昭正先
でしょうね.ですから,自分の頭で自由に考える余地
生などが,間口の広い医者を作るにはどうしたらよ
が大きかったのではないでしょうか.歴史のある大学
いかといろいろな目標・方略を考え,
「 卒後基礎的
では,
こうはいかなかったでしょう.
臨床研修目標案」
(医学教育,1976)
,
「プライマリー
山田
なるほど.そういう自由というか,余裕があって,
ケアーを修 得させるための方 策 」
(日本医事新
縛りつけるものがなかったのですね.私たちもそうで
報,1978)
などを発表されていました.私は学生なが
したね.教授陣は東大から来られた先生が多かっ
らに「医学教育」や「日本医事新報」などを読んで
たのですが,学生には身近で,教授の宿舎まで行っ
「なるほど,こういうことをしなければならないのか」
て飯をご馳走になってくるとか,そういうことを普通に
と考えていました.
山田
していました.
学生時代からですか? すごいですね.
月刊地域医学 Vol.21 No.2 2007
87(3)
大学にジェネラルマインドを根づかせたい
山田
それで先生は卒業後の最初の研修はどうされた
のですか.
加藤
大学院に入りました.研究をしながら主に老年内
科と一般内科の診療を4年間しました.大学院を修
も興味があったので,一所懸命病院の歴史を勉強
しました.
山田
自治医大の卒業生は研修後離島に勤務するわけ
了後,卒後5年目に半年間ですが,以前から行きた
で,
そこでは限られた医療設備で身体診察など基
いと思っていました,
沖縄県立中部病院でERにフィッ
本的な診察技能が要求されます.
そんな状況のなか
クスする形の研修をさせていただきました.自分は中
中部病院のようなところで研修ができるということ
部病院で何をやりたいか,どういうことを身につけた
はとてもハッピーなことだと思います.
ほかの県で
いのかという研修目標をあらかじめ立てて行きました
はそうはいかないところも多く,
例えば離島医療の
ので,行った途端「これが見たかったんだ」
というもの
ための研修ではなく,
病院で病院の臨床研修をし
が全部目の前にあって,ダボハゼ状態で食いまくりま
ただけで島へ行き,
そしてまた帰ってくると病院医療
した
(笑)
.
に従事するというところが多いのです.
山田 中部病院の救急の研修は厳しいということは今も
加藤
そうですね.私が行ったときも,ただでさえジェネラ
よく聞きますが,先生のニーズにマッチしていたので
ルな中堅のなかで,さらにまたジェネラルな自治医大
すね.
OBの方がいたという感じでした.
加藤
そうだと思います.当時ほかにも有名な救急病院
はありましたがハイテクを駆使した“高度医療”を売
山田 中部病院のあとはどうされたのですか.
加藤
国立病院九州がんセンターに行きました.そこで
りにしたところが多く,そういうところには行く気にな
8ヵ月ぐらい,ターミナルケアを要するたくさんの患者
れなかったのです.やはり全身を診る,身体所見を優
さんの中で揉まれました.私の頭の中にはプライマリ
先する,医療面接を大切にしながらマネージメントを
ケアの二つの柱があり,一つは急性期の幅広いER
するということを実践しているのは,日本のなかでは
に代表されるようなepisodic care,もう一つはdis-
中部病院だけのようだと.ですから,
中部病院に行っ
tributive care,すなわち全人的心理的社会的要
て患者さんの話を聞くことの重要性や身体診察を,
素を含めたケアです.そういう二つの柱のうちの一つ
間近にいる指導医にその場で手取り足取り教わる研
を中部病院で学んだので,
もう一つを学ぶためにター
修をさせていただいたのです.
ミナルケアの場を選び,
がんセンターに行きました.
山田
沖縄ということで,ハワイ大学などとの交流もあっ
て,アメリカンスタイルのトレーニングを研修医教育に
取り入れやすい土壌があったのでしょうね.
加藤
88(4)
体質が違う,それは何故なのだろうということにとて
山田
そうすると先生はある程度自分で研修をアレンジ
していたのですね?
加藤
1期生ですから,誰もレールをひいてくれてないか
それはすごく感じました.それを確かめたかったと
ら,自分でひいて自分で走らないといけないと思って
いう部分もあるのですが,暇があると中部病院の図
いました.その後,母校に戻って総合内科,一般内
書館にこもって中部病院の歴史を調べました.どうし
科の診療をやりました.病棟は一般内科病棟で患者
てこんな病院ができあがったのだろうかとか,どうし
さんを受け持って,外来は総合外来で患者さんを診
たらこういった患者さん中心の医療ができあがった
て,救急外来からのコンサルトを受けるという生活を
のだろうかと.当時日本にあったほかの病院と全く
7,
8年しました.
月刊地域医学 Vol.21 No.2 2007
INTERVIEW/大学病院の中でジェネラリストを育てる
山田
ジェネラルな,総合内科的な分野ですね.それは
総合診療部とは別だったのですか.
加藤
総合診療部はその途中で設置されました.もとも
と一般内科というのは,総合診療部を将来的につく
るための準備的な部門として考えられていたので,
初代の一般内科の教授が退官したときに廃止され,
総合診療部のみになりました.
山田
その総合診療部ができたときに,
自治医大の2期
生の吉原幸治郎先生や小野原信吾先生などが行
かれたのですね.
加藤
そうです.あの先生方は非常に優れたジェネラリ
ストであり,私よりも数年上なのでずいぶん教えてい
ただきました.私は自治医大OBの先生方に,
「スペ
シャリティでがちがちな,
この大学の中にジェネラルな
空気を吹き込んでください」
といつも言っていました.
山田
われる人たちが主体になっていたのですね.
加藤
聞き手:地域医療研究所所長・
「月刊地域医学」編集長 山田隆司
そうすると大学の中では,やはりスペシャリストとい
た.
大学を去って外の世界でジェネラルだと言うのは
そうだと思います.ただ,スペシャリストといかに連
むしろたやすい,しかし医者を作る場である大学が
携していくかということがジェネラリストの課題でもあ
変わらないと日本の医療は変わらないのではないか
るので,それを学ぶ点では非常に勉強になったと思
と思ったのです.
います.全国的にみても,
大学内でのジェネラリストと
スペシャリストの連携は必ずしもうまくいっているとは
思えませんので.
山田
山田 特定の診療科のスペシャリストとジェネラリストの
折り合いはどのようにつけていったのですか.
加藤 想像がつくかもしれませんが,学生時代に「ジェネ
そうですね.
「何科の専攻ですか?」と聞かれ「内
ラルが大事」だとか,
「総合診療が大事」だと言って
科です」と答えると
「内科の中の何ですか?」と聞か
いるような学生というのは,
簡単にいうととても生意気
れます.
先生はそういうことはありませんでしたか.
な学生です.そういう人間が同じことを言いつづけな
加藤
しょっちゅうありましたよ.ですから,そのようなアイ
がら,25年間も活動を続けていると当然,周囲といろ
デンティティクライシスをいかに乗り切るかということ
いろな軋轢,衝突が生じます.
その間にだんだん丸く
が,この業界で生きる者たちにとっての宿命とも言え
なっていったという感じだと思います.
る課題だと思います.
山田
山田 私の場合は大学で過ごしているうちは何となく
ジェネラリストのアイデンティティを保つことは,特に
「やっぱり専門医がいいなあ」と思い,研修に行った
大学のなかでは難しくて,スーパーローテートをすれ
先では「やっぱりかっこいいなあ」
と思って,病院に残
ばするほど難しくなっていきます.それを新しい大学
りたいと思ったりしました.ところが義務でへき地の
とはいえ,大学病院のなかでジェネラルが大切という
診療所に行かされて,こんなところに来るのではな
ことを言い続けるのは,よほど信念を持っていないと
かったと思いながらも,
へき地の環境,状況にいろい
できない気がしますが.
ろ教えられて,流されながらここまでやってきたという
加藤
きつかったですね.ただ,私は大学にこだわりまし
月刊地域医学 Vol.21 No.2 2007
ところがあります.ですからこれまであまりジェネラル
89(5)
ということを意識しないで育ってきたのですが,あと
で振り返ると,これはジェネラリストとしてはいい研修
システムではなかったのかなあと思います.自治医大
でも1期生は社会的責任を背負って,枠組みやへき
地医療というものを形づくっていこうといった少し気
負いのようなものがあったのかなと想像するので
すが,そんな思いが先生にもあったのですね.
先生
が歩んできたジェネラリストの道というのは,私から
すると壮絶な道のようで,すごい!
加藤 この齢になって,自治医大OBの先生方とお話をし
て思うのは,自治医大OBの先生は,
先生が言われ
たように最初からあまりジェネラリストを意識せず「結
果的にこうなっただけです」と謙虚に言う方が結構
いらっしゃいます.そういう先生方のほうがよほど自然
体で素敵ですね.私の場合,どう考えても肩に力が
入りすぎ,気負いすぎでした.だからその気負いをい
かに外していくかということが,
私の人生みたいなもの
でしたね.先生方は逆に最初は意識されていなかっ
た状態から,徐々に意識が高まって最終的に地域
加藤博之先生
秘 心得47」
「ER流研修指導医○
Common diseaseの宝庫であり,
初期研修医が学ぶべきことが
満載のERにおいて,
研修医に何をどのように教えるべきか迷って
いる,
安全重視の指導がしたいと考えている指導医の先生は,
ぜ
ひ本書を開いて下さい.
●
「わかってない」研修医が危ない
●少し慣れた頃の研修医が危ない
●研修医が知っているのに診断できない病気
●研修医の知らない要注意疾患
●研修医が騙される画像診断
など,
必ずおさえておきたい場面を取り上げ,指導する上での「ちょっ
としたコツ」を示しています.
医療振興協会という集団になったという気がします.
山田 そうなのです.私たちは最初からへき地医療という
重荷を背負わされているわけですが,私たちからす
るとへき地医療は私たちだけの責任ではなくて,
これ
まで日本中の医者がやらなかったからこうなってし
ませんが.
山田
佐賀医大から,ここ弘前大学の総合診療部に来
られたのですか.
まったので,みんなが考えなければいけないことでは
加藤 1997年に佐賀医大一般内科から同じく佐賀医大
ないかという思いがありました.その重荷からとにか
救急部へ移籍し,
そこでもやはりジェネラルにこだわっ
く離れよう,離れようという感じが強かったですね.例
て北米型ER(ER型救急)
を約7年やりました.昨年
えば学生時代にはGPという言葉にアレルギーがあっ
秘 心得47」
出版した「ER流 研修指導医○
(羊土社)
て「ドクター」
とも呼ばれないようなものになってしまう
は,主にこのときの経験をもとに書いたものです.
その
のかと.
でも自分たちも6年間教育を受けたのだから,
後,
2004年に弘前大学総合診療部に来ました.
専門医になる資格はあるわけで,多難の道を乗り越
山田
先生としてはやっとジェネラリストとしてやりやす
えて普通の医者になろうと思っていたのですね
(笑)
.
いポジションに就かれたという気もしますが ……よく
先生も田舎の診療所や地域の病院へ行ってしまえ
考えたらそうでもないですね
(笑)
.
ばもっと楽にジェネラリストの道が進めたとも思いま
すが.
加藤 そうかもしれないですね.結局,医育機関である大
学にジェネラルマインドを根づかせたいというこだわ
90(6)
りだったのだと思います.こだわりすぎなのかも知れ
加藤 ただ,大学の中のジェネラルな部門でずっとやって
きたので,こちらに来てからどんな困難があり得るか
ということは,だいたい予想ができていました.
スペシャリストのなかでジェネラリストが生きるため
月刊地域医学 Vol.21 No.2 2007
INTERVIEW/大学病院の中でジェネラリストを育てる
にはどうしたらいいか,短期決戦ではないということも
加藤 どちらかというとやりがいのほうが強いですね.困
25年間の経験で分かっていました.大学であっても
難はたくさんありますが,医者が少なくて広大なエリ
スペシャリティだけの集合体である組織では患者さん
アをカバーしなければならない環境には何が必要か
にとってやはりまずい,そこにジェネラリズムがないと
というと,在宅医療であったり,ERフィジシャンであっ
バランスがとれない.それを何かの形で具現化して
たり,家庭医であったりなので,そういうものを根づか
いけばいいと思っていました.
せる土壌は都会の真ん中よりはあると思っています.
昔に比べてだいぶ肩の力が抜けてきたので今は
ですから,それをいかに具体的に展開できるか,
それほど苦しい状況ではありません.むしろ佐賀医
どうやって事業展開するか,あるいは一般の県民,
大にいた若かったときのほうが,いろいろごつごつし
市民の方も含めていかに理解していただくかという
たものがありましたね.
ことだろうと思います.
山田
弘前大学は深刻な医師不足に直面している青森
山田
われわれが思っているような価値観がしっかり世
県の中にあるわけで,
それを先生はチャレンジャブル
の中に通じれば,医師の偏在といわれている状況に
なやりがいと感じていますか,
それとも重荷と感じてい
対しても,実はジェネラリストが力になるということを理
ますか.
解してもらえると思います.
青森へき地医療クリニカル・フェローシップのねらい
山田 先生は卒前教育だけでなく,卒後教育にも力を入
から地域の病院へ赴任する予定の先生が大学病
れていらっしゃいますが,そのことをお話しいただけ
院で研修するときに,
このシステムで自分の専門以外,
ますか.
例えば救急部での研修に利用するという形で使って
加藤
平成17年度に文部科学省が各大学病院を支援
する公募事業である医療人GPに,
「 青森へき地医
療クリニカル・フェローシップ」というプロジェクトを応
募して採択されました.このプロジェクトの内容は,一
いただいています.
山田
そうすると,どちらかというと後期研修のためのシ
ステムとして使われているのですね.
加藤
そうです.また使い方によっては,
例えば自治医大
番典型的には都会で働いている青森県出身の先生
OBの方が1年間の後期研修の際に,自治医大の
が地元にUターンしたいと考えたときに,弘前大学病
本院でなく地元の大学の医学部でやってみたいとい
院を中心とした診療施設で,ジェネラリストになるた
う場合に,弘前大学に1年間来るという使い方もでき
めの研修を1年間していただき,その上で地域の医
ると思います.
療機関に赴任するというものです.さらに赴任後は,
山田
最近,地域医療をやりたいという人と面談すると,
インターネットとテレビ電話を使用した遠隔診療デー
5年,10年と専門医をやってきたけれど,自分が医者
タ通信装置によって,
赴任先の病院で困ったことが
を目指したきっかけは実はこういう医者になりたかっ
あった場合に相談できるシステムを考えました.
たからで,それを実現したいという方と出会うことが
ところが,こういうプロジェクトを立ち上げたものの,
少なくありません.そういう志を持つ人に出会うのは
都会からIターン,Uターンして来たという医師は今の
初期臨床研修が終わった3年目の人よりも,これま
ところいません.現在のところは,青森県在住で来春
で専門医をやってきたという人のほうがむしろ多いの
月刊地域医学 Vol.21 No.2 2007
91(7)
ですね.臨床経験20年以上で,医者として働ける残
りの何年かを恵まれない地域の医療に貢献したい
という方にお会いすることも時々あります.ですから,
うことですね.
山田 例えば自治医大の卒業生が提供できるフィールド
地域医療の後期研修を,
これまでは意識して初期研
はいくつかあるのですが,地元の大学とリンクして地
修が終わった時点でアレンジしようとしてきましたが,
域医療や総合診療の視点で地域医療に貢献する
今後,
先生が提案されているような,臨床経験のあ
システムを作ることはあまりできていません.昨年か
る人たちへの再研修のベースとして大学病院を提
ら福島県立医大の葛西龍樹先生が着手している
供し,それから一定期間へき地や地域に貢献して
福島県全体のネットワークには注目しているのです
もらえるようにするということはとてもいい方法だと思
が,それ以上に先生が弘前大学で自治医大の卒業
います.
生も視野に入れてシステムを考えていただけるという
私たちの場合は,
地域の病院を中核にして診療所
のは非常にありがたいことです.
人事の交流ができ
とリンクすることが多いのですが,できれば大学もよ
て,
そういうことに興味を持つ人たちの総量が増えて
い選択肢だと思います.なぜかというと大学には医
いくことが重要で,元気にやっているところには「何
学生や若い研修医もいて人材が豊富だし,いろいろ
かやっているな」
とみんなが見にきて,そのうちに「あ
なことが学べる.
そういった先生たちが医学生と直接
の診療所では,学生にこんなに面白いことをやらせ
会うと,医学生がそういう先生たちに影響されたり,
てくれる」ということが口伝えに伝わって,マスが増
逆に医学生に教えられたりするという環境ができま
えていくのではないかと思います.
す.
単身で地域に飛び込んでいかれる先生もいます
自治医大ができたところで,へき地に向かおうとす
が,やはり不安があって,皆さん異口同音に,
地域へ
る人たちは実は一向に増えなかったと思います.だ
行く前にジェネラルなトレーニングをしたいと言います.
から今の状況があるわけですね.それでも続けてき
でも実際には実地経験の長い先生たちは,特別ジェ
たことによって,今ようやく,総合医やジェネラリストた
ネラルなトレーニングをする必要はそれほどなく,それ
ちが着実に増えてきました.自治医大でさえやはり30
以上に何が重要かというと,
アカデミックなところにリン
年かかったので,弘前大学で地域医療支援センター
クしていられるということだったりするのです.
をつくられて,その結果が出るまでには,まだまだ先
自治医大の卒業生にとっても,
2年間の初期研修
のあとへき地へ行って,一度後期研修に戻りまたへ
92(8)
加藤 地域医療のトレーニングができる中心地になるとい
生のねばり強さが必要だと思います.
加藤
おっしゃるとおりだと思います.ただ,私が思ってい
き地へ行くといった形が標準的ですが,初期研修
るのは,若い人たちがたとえ最終的にジェネラリスト
後の7年間というのは非常にバリエーションがあっ
にならずに,何かのスペシャリストになっても全くかま
て,
トレーニングをオーガナイズするのがなかなか難
わない.ただスペシャリティ至上主義のスペシャリスト
しい.ですから先生のお話の医療人GPのシステム
ではなくて,ジェネラルなことに対して理解を示す医
はとてもいいという気がします.
ここのシステムが一つ
師になって欲しい.世の中にはジェネラリストも必要
の地域医療のつくり方,
地域医療にたずさわる人た
で,ジェネリラストも価値のある医療をやっているのだ
ちの養成のしかただということを全国的に表明して,
ということを理解できるスペシャリストになってくれれ
このトレーニングシステムでは,弘前大学で研修した
ば,随分環境は変わると思うのです.
後は青森県内で何年間か大学とリンクしながら地域
弘前大学の卒業生が100人いたとして,そのなか
医療に携わることができる,ということになれば関心
でジェネラルフィジシャンになる人は多分ひと握りだと
を持たれるのではないかと思います.
思いますが,それ以外の大多数の人たちにジェネラ
月刊地域医学 Vol.21 No.2 2007
INTERVIEW/大学病院の中でジェネラリス
INTERVIEW/□□□□□□□□□□□□□□□
トを育てる
リズムを理解してもらう.そのことに意味があるのだと
思います.むしろそちらのほうが,結果的にこの地域
の医療を改善する可能性があり,医学部の中にそう
いった部門があることが潜在的には大きな意味があ
るのかもしれません.
山田
私もそう思います.このシステムがあることが学生
に影響すると思うのです.学生に影響するということ
は,その人自身がジェネラリストになるわけではなくて
も,
ジェネラリストというものを理解し,
サポーターになっ
てくれて,実際にジェネラリストが現れたときに違和感
なく対応できるようになる.
加藤
その通りですね.私が佐賀医大にいたときに,大
聞き手:地域医療研究所 地域医療研修センター 福士元春
学のなかでジェネラリストとして生きることが一番辛い
と感じたことは,まさしくそういった部分で,専門家に
加藤
ジェネラリストといわれる人たちの中にもいろいろ
コンサルトすると「こんなレベルの低いことをやって」
な考え方があって,なかなか一つの流れとしてまとま
という感じで蔑まれるように見られた時です.しかし,
りにくいということは私も承知しています.むしろその
例えばわれわれが持っている広い範囲の初期診療
ような経緯を長年ずっとウォッチャーとして眺めてきま
能力も足し算すれば結構なキャパシティになり,スペ
したので,大学のなかのジェネラルマインドをどうした
シャリストが持っている深いけれども狭い診療能力
ら実効あるかたちでうまく先導できるかを探るのが,
と,
トータルのキャパシティはたぶんあまり変わらない
私の役割だろうと思っています.
と思うのですね.
この構造をすべてのスペシャリストが理解して「広
山田
そういうことを先生が理解されているのがすごい
ですね.
昨年,バンコクで開催されたWONCAで,
範囲をカバーできるジェネラリストの能力は,
自分たち
Rajakumar先生が「スペシャリストは割と単一的で
とは異なるタイプの一種のスペシャリティだ.ジェネラ
ある.
またジェネラリストとスペシャリストの間の溝は
リストからバトンタッチされたあとは自分たちが引き受
埋めやすい.
しかしジェネラリスト同士はそれぞれの
けて頑張ろう」
と思ってくれれば,両者がリンクして全
理念をもっているから統一するのが非常に難しい」
体としていい医療ができるのではないかと思います.
と話されていました.同じジェネラルなことを志してい
山田 先生の話を聞いていると,ジェネラリストとしては最
ながら,お互いにその違いだけを強調しがちです.そ
も多難なところばかり選んで歩んでこられたと感じま
んな中で先生は,大学病院にありながら本当にジェ
す(笑).しかしそのような環境でジェネラルなことを
ネラリスト魂,
真髄を発揮していると思うのです.われ
理解してもらう努力をしない限り,なかなか育たない
われの永遠の課題かもしれませんが,お互いに共有
ことも事実です.ただ,ともすると大学ではジェネラル
しないとジェネラリストとしてのアイデンティティを培っ
なことが成り立つはずがないという言い方をする人
ていくのが難しいと思います.
たちがジェネラリストのグループにもいます.
しかしセッ
ティングが違う中で共通のマインドをもった人たちが
共同作業していかないとジェネラリストの流れはでき
ていかないと思います.
月刊地域医学 Vol.21 No.2 2007
今日は,先生のお話を聞いてそういう思いを改め
て再認識でき,
本当によかったと思います.
福士先生からは何かありませんか.
福士元春(聞き手) 加藤先生が着任されてから,青森
93(9)
県の自治医大の卒業生とも交流を深めていただき,
ではなくて人を診る,つまり
「糖尿病の患者さん」で
青森地域医療研究会などにも頻繁に参加していた
はなくて,例えば「鈴木さん」や「田中さん」という一
だいたりして,青森県の地域医療のサポーターとし
人一人異なる人間である患者さんに対するというこ
て協力していただいているのでありがたいと思って
とが,実感をもって理解できると思うのです.大局的
います.今年から,へき地での臨床実習に弘前大学
にいえば,現場でのジェネラリストの活動をすべての
の学生さんを派遣するということで,
画期的な試みだ
学生に理解してほしいということが私の願いです.
行った先々で,いろいろなことを感じると思うので
と思っています.
それについて教えていただけますか.
加藤
医学部6年生の臨床実習として,12週間のクリニ
すね.
「結構辛そうだから自分はやりたくない」
という
カルクラークシップがあります.学内のいろいろな専門
感想をもつ学生ももちろんいるかもしれませんが,少
科や県内のいろいろな規模の診療機関に4週間単
なくともそういう経験が全くないよりは,現実的に肌で
位で行って実習するという科目です.そのクリニカル
理解できるだろうと思うのです.ですからやらないより
クラークシップの期間中,少なくとも4週間は,必ず青
はやるほうがずっといいと私は思っているのです.将
森県のへき地の診療機関に行くということが今年度
来ぜひそういうところで働いてみたいという学生が出
決定し,来年度から実行することになりました.
れば,それはさらに望ましいことですね.
最終的に,自分もこういうところで働いてみたいと
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山田
私たちもお手伝いできるところは協力しますので,
思う人が一部でも現れてくれるのが理想ではありま
ぜひうまくいくように期待しています.
すが,やはり現場に行くことによって,病気を診るだけ
今日はありがとうございました.
月刊地域医学 Vol.21 No.2 2007
INTERVIEW/大学病院の中でジェネラリストを育てる
学生さんに聞く
山田
せっかくですから先生のお話を聞かれての感
想を学生さんからお聞きしたいと思います.
野村 理
ても不 安で,自
分がどういう役
加藤先生
割を果たすべき
とはよくお話し
なのかをいろい
する機会がある
ろ考えたりして
のですが,
ジェネ
いたのですが,
ラルというのは
今日,山田先生
や加藤先生のお話を聞きながら,違う立場であり
なかなか厳しい
もので,
自 分の
弘前大学医学部6年 仲野寛人さん
弘前大学医学部6年 野村 理さん
ながら同じものに向かってアクティビティ高く歩ん
アイデンティティを保つのは大変だと伺っていまし
でいらしたのを知って,自分もあまり大きくブレな
た.
けれども私たちには先生がいるので,
比較的
ければ,そしてきちんと志を持ってやっていれば,
その道は歩みやすいと感じています.
今日のお話
将来こんなふうに同じように語り合える先生に出
をうかがって改めてこういう環境にいられることは
会えるのかなと思って,
お話を聞いていました.
幸せだと感じました.
山田
それは間違いないと思います.加藤先生と私
山田 いい学生さんですねぇ
(笑)
.ジェネラリストを目
は生い立ちは違いますが,求めているものは全く
指したい人は,ここからまたフィールドに出たり,ほ
同じで,
大事だと思っている医者としてのスタンス
かの環境に出たりしていろいろなロールモデルに
は重なっていると思うのです.全く違う文化,
全く
出会う.
そして共通の認識をもつと多様性が拡が
違う人種,全く違う年齢の人に会っても,ジェネラ
ります.だからいろいろな人にたくさん出会って,
リスト魂が共通している人が存在する.言語は
いろいろな話を聞き,いろいろな価値観を学ぶと
違ってもほとんど同じことを言う.自分が大事に
いいと思います.
していることと99%重なるところがある.そういう
加藤
本当にそう思います.積極的にいろいろな人と
経験を得て,自分と重なり合う部分を感じたこと
会いなさい,できるだけいろいろな指導医から習
が,まぎれもない家庭医,ジェネラリストになりた
いなさいと私もいつも言っています.若いうちは特
いと思っている自分のアイデンティティを保つ一番
にそうだと思います.そのほうが最終的にバラン
の自信になった.システムでも本でもなく,やはり
スのとれた,
リアリティのある人になれるのではな
人に会って,実体験を通して医師として大切な
いかと思っています.
ものを学んでいくのだと思います.
山田 仲野さんはいかがですか.
仲野寛人
私は来年,ここから離れた場所で研修す
ることになったので,来年は一体どうなるのかとと
月刊地域医学 Vol.21 No.2 2007
学生さんにそういうことを言ってもらえるなんて
有難いですね.いいフィードバック,ありがとうござ
いました.
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